幻想郷の深夜。丑三つ時を迎え、世界は人々の世界から魑魅魍魎が支配する世界へと移り変わっていた。紅魔館もまた、その例に漏れない。血塗られたように赤い一室で悪魔達の宴が催されていた。
食堂には紅魔館の面々が集っていた。辺りにはニガヨモギの甘い匂いが漂い、どこか退廃的な空気を感じさせる。その匂いの出所はきらびやかな杯。銀で作られた瀟洒な器。そこには悪魔の血のような色をした緑色の液体が並々と注がれている。アブサンである。レミリアはその緑を上機嫌で呷っていた。
彼女が普段好むワインに比べると些か度が強い。そのせいもあろうか、顔をほのかに赤らめ、酔いを感じさせる様子であった。珍しく多くのメイドたちも宴に参加しており、酔いにそれが加わったせいもあろうか。何やら演説らしきものを行っていた。
「我が忠勇なるメイド諸君よ」
レミリアは上機嫌で演説を行い、咲夜は配膳に追われ、美鈴とフランはカードゲームに興じ、パチュリーは黙々と読書に励んでいた。
「今や博麗の巫女の残機の半分が我が幼きデーモンロードによって紅魔館に消えた」
メイド達も普段中々食べることの無い豪勢な食事に舌鼓を打つ。他人の声など耳に入らない様子に見えた。
「決定的打撃を受けた博麗の巫女に如何ほどの残機が残っていようが、それはもはや形骸である。あえて言おう! カスであると!」
レミリアもまた、世界の全てを目に入れることも無く、酒と、己に酔っていた。
「それら軟弱の集団がこのスカーレットマイスタを抜くことなど出来ないと私は断言する」
(ねえ? 聞いた? メイドAちゃんが人間とね……)
(え!? 嘘! 本当に!?)
(そうらしいのよ、悪戯から始まる恋もあるのかな~)
「幻想郷は我が優良種たる吸血鬼に管理運営されて初めて生き延びることが出来るのである!」
(やった! 美鈴! それがババだよ!)
(くう~ ここで引いちゃいましたか)
「明日の未来のため、我々紅魔館住人は立たねばならんのである」
世界でレミリアの演説を耳に入れるのは己一人に思えた。だが否、ただ一人、ただ一人だが他者が存在した。忙しい配膳の傍らで、脳のほんの一部、須臾に満たない程度を使いつつ、だが、確かにレミリアの演説を耳に入れていた。
(また漫画の影響を受けられたのですか……)
咲夜は口の中で独りごつ。そして、話など耳に入れていないメイドたちと住人達に配膳の合間を縫い、静かに耳打ちをして回る。
「ジーク! バンパイア!」
もはや酒では無く、完全に己に酔い、上気した顔を浮かべるレミリア。咲夜は終わる間を見計らい、絶妙なタイミングで拍手を行う。すると、室内には万雷の拍手が鳴り響いた。咲夜の耳打ち、根回しの成果である。その気遣いはまさしくメイドの鏡であった。
「お見事な話でした、メイド一同、このような主人に仕えられたことは望外の幸福と感じております、見て下さい、あのメイド達を」
そこには拍手と、「ジーク! バンパイア!」の唱和を送るメイド達の姿が有った。一瞬忍び声が聞こえ、気がつくと人数が数人減った気がしたが、元よりメイドは星の数ほどいるので些細な事である。また、静かに読書を続けていたパチュリーはいつの間にか図書館にいたが、本が消えたわけでは無いので、深く考えることもなく黙々と読書を続けていた。
「ありがとう! みんな! 私のカリスマを理解してくれて」
感動のあまり涙すら流すレミリアであった。
翌日。相変わらず上機嫌なレミリアであった。奇跡的に日が昇る時間に起床し、寝起き眼のまま、窓越しに美鈴が日課のシエスタをしているのを見かけても笑顔で
「いい天気ね、私も太陽の下で昼寝したくなるわ」
と自殺志願をする程度の上機嫌であった。24/7で可愛さに溢れたその顔に笑顔のおまけが足されるのである。その破壊力や言わずもがなであろう。美鈴が、レミリアが何か毒でも飲んだのでは無いかと感じ、思わず不安に捕らわれたほどの上機嫌であった。
レミリアの上機嫌は夜になっても相変わらずであった。咲夜の疲れ果てた顔を目にもとめず、カリスマ談義に一人で花を咲かせていた。
その翌日、相変わらずレミリアは上機嫌であった。そして、この日に五百歳児の本領が発揮された。その日、レミリアは珍しく図書館へ赴いていた。しきりに感嘆の声をあげつつ真剣な顔で読みふけっている。
「咲夜!」
「はい、お嬢様」
「この本を見てみてよ」
"世界の吸血鬼大図鑑"と書かれた一冊の本を手渡す。
「どう思う? 吸血鬼なんて言ってもみんなたいしたことないのね、例えばこいつ」
レミリアは"DIO"と書かれた項を開いた。どう考えてもフィクションの内容しか載っていないように思われたが、その辺りの区別が付かないのがレミリアの魅力である。
「太陽の光に当たると一瞬で灰になるそうよ。私は火傷するくらいなのに」
「はあ……」
咲夜は勿論完全なメイドだから、スペルカードの名をここから取ったくらいにこの人物が登場する漫画の大ファンで、外の世界では愛読していたなどとはおくびにも出さない。
「おまけに、見てよこれ」
レミリアは"DIO名言集"と書かれた箇所を指さした。その一つに次のような文句が載っていた。
「"お前は今まで食べたパンの数を覚えているのか?"だって。そのくらい覚えられるでしょう? 普通。人間風情の魔理沙だって覚えてたわよ。あいつは十三枚だったかしら」
発想は子供ながらも、最も優れた生命体と言うのがあながち嘘では無い吸血鬼だけに、記憶力にも秀でた物があるようだ。
「他にも見てみたけど、正直みんな小物ね。私のカリスマの前じゃ子供よ」
そもそも吸血鬼の弱点の大方を克服しているのがレミリアだけに的外れでは無いのかも知れない。発想は毎度毎度子供だが。とはいえ、だがそれがいいと言う考えもある。
「そうでしょうね、お嬢様のカリスマの前では」
いかにも面倒な表情で咲夜は答えるが、それに気づくわけもないのがレミリアのレミリアたる所以である。
「でもね、こんな小物が偉そうにしているらしいのよ、なんでだと思う?」
「わかりかねます……それと掃除がまだ……」
当然レミリアは返答など聞いていないので話し続ける。
「家柄よ、あいつら小物の癖に爵位とかあれこれ持ってるの、ブランド信仰だわ、きっと」
「そうでしょうね、ではそろそろ掃除に……」
「だから私も爵位を手に入れることにしたわ」
この辺りで咲夜は諦念を抱いた。時を止めて掃除に向かう。レミリアから見ればほんの刹那の時間を経て、ただ一人でこの広い紅魔館の掃除を終え、疲れ果てた顔の咲夜が全てを受け入れる体勢を整えていた。
「爵位といいましても……あれは先祖代々のものでは?」
「いや、適当に作ればいいじゃない、幻想郷の常識非常識なんだから。そもそもこの紅魔館を考えてみなさいよ、これだけの財産。間違いなく先祖は貴族ね」
スカーレット家の過去については、咲夜はもとより、レミリアやフランさえよくは知らない。とはいえ、紅魔館の豪勢な作りに加え、無職の二人が五百年間収入も無いまま贅沢な暮らしを行えただけの資産が有ったのもまた事実であった。先祖が貴族であった。と言うのもおかしな話では無い。ただ、証明できない点はネックではある。
だが、レミリアは逆転の発想を持ちだした。証明できないのならば作ればいいと。
「だから咲夜、適当に家系図作っておいてね。よろしく」
それからレミリアの体感時間では数分、咲夜の体感時間では果てしない時間を経て、ついに家系図が完成した。Vlad Ţepeşなるワラキアの貴族を祖とし、何故か途中で血が繋がってないこととなり、徐ろにドラキュラ伯爵が登場し、レミリアまで爵位が継承されたことになっていた。また、その作りも素晴らしい物である。上質な羊皮紙に誇りと威厳を感じさせる達筆な文字が書かれ、さらには重厚な歴史を経たかのごとくの経年劣化の後さえ浮かべている。十六夜咲夜、畢竟の傑作であった。
そして、その日、五百歳児の思いつきと咲夜の努力の末に誕生したのである。レミリア・スカーレット伯爵が。
幻想郷唯一の貴族。幻想卿レミリア・スカーレットが誕生した瞬間であった。
「オールハイルレミリア!」
「オールハイル紅魔館!」
紅魔館の大広間。そこでは微動だにしないまま、儀仗服を着たメイド達が大声を上げている。咲夜の指導のたまものであった。妖精にここまで物事を教え込んだ人間は未曾有の存在である。鞭と鞭とナイフによる厳しい指導の成果が如何無く発揮されていた。
天井には豪勢なシャンデリア。七色の光が赤い邸内を照らし、幻想的な光景を作り出していた。先日の退廃的な空気からはかけ離れた鮮やかな美しさであった。光源の元となるのは美鈴の気である。美鈴はげっそりとした顔のまま、今日も自家発電に勤しんでいた。
その日は、そしてその日も、紅魔館では盛大な宴が催されていた。その日行われていたのは"レミリア・スカーレット伯爵在位二十日記念パーティー"である。
儀仗メイド達の帯びた剣が、七色の光を返し、七色の光を放っている。その光の中を、ホストが、絹作りの赤いドレスを着たレミリアが、滲み出るカリスマに包まれながら優雅に歩いていく。
広間は多くの人間と、妖怪で溢れていた。皆一様に目を輝かせている。皆一様に同じ物を見つめている。その視線の先で、レミリアの挨拶が、演説が始まろうとしていた。
「今宵皆様方が我が紅魔館に集った喜びに――」
昨日は三時間にも渡った大演説。レミリアは今日も自分に酔いしれていた。すると一角が沈黙に包まれた。レミリアの周囲から音、という存在が消え去った。咲夜の粘り強い交渉の成果、紅魔館はルナチャイルドと言う存在を手に入れた。その成果である。
己に酔いしれたレミリアは全く気づくこともなく延々と演説を続ける。そして賓客一同は視線の先に群がった。皆と、レミリアの中間点に会った物。そう、料理に。咲夜の腕と、使えども使えども減る気配を見せない紅魔郷の資産を活用した極上の材料によって作られた至高の一品に。皆、この料理のために集まったのである。幻想卿レミリア・スカーレットの頭の中に心より感謝しつつ、長い宴が始まった――
紅魔館の宴は連日好評であった。あれだけの料理が無料で食べられるのである。レミリアの話はルナチャイルドが居れば聞く必要など無い。ルナチャイルドはもう面倒になっていたが、ある日、咲夜との打ち合わせの後に恐怖に怯えた目をして以来、黙々と咲夜の言いつけに従うようになっていた。それゆえ幻想郷の存在は皆が紅魔館を敬う。幻想郷の存在は誰もが紅魔館に行くことを望む。紅魔館の威光は天にも昇る勢いであり、レミリアが機嫌を良くすることもまた果てしなかった。
それからまた幾日かの時が流れた。気がつけばレミリアは「レミリア・スカーレット伯爵兼暗黒卿兼皇帝兼大統領兼首相兼弾幕大臣兼保健委員兼リーサル・ウエポン」を自称していた。もっとも、かといって何かの強制力があるわけでも無く、レミリアが上機嫌で困るのは基本的に突拍子も無く生まれる思いつきによる面倒ごとを押しつけられる咲夜たち従者のみであり、上機嫌なレミリアは可愛いので誰も不平を唱える者はいなかった。
その日の夕方、レミリアは咲夜を伴い人里に赴いていた、段々とパーティーの口実も思いつかなくなってきていたが、どうにか理由を付けるため、人里に用事があった咲夜考案の「レミリア・スカーレット(以下略)人里への御幸記念パーティー」を開くための名分を作るために人里へと赴いていた。
カリスマ溢れるレミリアの威光か、紅魔館の豪勢な宴の威光か、すれ違う人々も恭しく頭を下げる。
「時には庶民の生活も見てあげないとね」
などと言いながら、目的地へと向かう。食器屋であった。昨日催された「第一回レミリア杯幻想郷枕投げ大会」に巻き込まれた食器の補充のためである。
食器を買い求め、山の様な荷物を抱えた咲夜と、手ぶらのレミリアは人里を歩く。会う者の視線は一様に敬意に満ちており、レミリアは己のカリスマを再確認し、思わずその美しい顔をほころばせていた。
その視線が快感だったのか、二人は人里を何周もしていたが、流石に二人は歩き疲れたらしく、人里の珈琲店に入る。レミリアはキャラメルマキアートにチョコレートシロップを追加した物を頼み、咲夜はホットコーヒーを頼んだ。
二人は人目の多いオープンテラスへと向かう。レミリアはキャラメルマキアートにグラニュー糖とガムシロップとシナモンパウダーを入れ、咲夜はそれを胸焼けしたような表情で見ながら、ようやく人心地が付いた様子でブラックコーヒーを飲んでいた。
恭しく頭を下げながら人々は通り過ぎる。そんな中、一人の子供が、年の頃は、七、八と言ったところであろうか、レミリアよりも幼い少女に見える。その少女がレミリア達に向かって歩いて来る様子が見えた。
「あの……レミリア様ですか?」
このような子供にまで自分の名が知れ渡っていると知り、レミリアは己の偉大さを再確認する。咲夜は面倒げな顔を一瞬浮かべたが。すぐに完全な従者の顔に戻り
「はい、この方こそレミリア・スカーレット様です」
と告げる。レミリアも機嫌が良いためか気さくに、少なくともレミリアとしては気さくに答えた。
「人間が私と話せるなんて望外な幸運だけどね、それでわざわざ話しかけてくるなんて何か用? 宴なら呼んであげるわよ、来る物拒まずの精神がカリスマには必要だからね」
「いえ、その、レミリア様は大変な力を持っていると伺いまして」
「ええ、そりゃそうよ、世界で最も高貴で偉大な存在、吸血鬼なんですからね」
「それでお頼みごとが出来ないかと思いまして――」
普段なら一瞥もしないが、その日もレミリアは大変に上機嫌だったので少女の話を聞くだけは聞くこととした。
「レミリア様は"海"って知っていますか?」
「森羅万象の全てでこの偉大な私に知らない物なんてないわよ、このレミリア・スカーレット(中略)兼海軍元帥にはね」
肩書きが一つ増えたが、レミリア以外覚えている者はいないのでそれを気にも留めず、続けて少女は幾つかの事を話した。それによれば少女の父は外来人であるらしい。現在は幻想郷で家族を持ち落ち着いているのだが、最近何やら重い、不治の病にかかったと言うことだった。寝床から起き上がる事も苦労するらしい。
「死ぬ前に一度……一度でいいから海に行きたい」
父親は海の近くの生まれらしく、死の淵で海に郷愁を抱いているのだろうか、そう呟いているらしい。そしてレミリアはその少女の境遇と、いたいけな心に感極まった様子だった。目に涙を浮かべつつも、力強く少女に語りかける。
「あなたついているわね、レミリア・スカーレットの民生委員就任記念で、先着一名様に無料で悩み事解決キャンペーンをやっているのよ」
「では!?」
「普段は血を一ガロン辺り三秒分願いを叶えることにしてるんだけど、今日は特別よ、無料でこのレミリア・スカーレット(中略)民政委員がなんとかするから、任せてくれていいわよ」
「ありがとうございます!」
少女は何度も頭を下げつつ、何度も感謝の言葉を述べながら去っていった。レミリアも善行をした喜びからか、爽やかな表情を浮かべていた。だが、咲夜は浮かない顔をしている。
「いいことをした後は気持ちいいわね」
「ですが、お嬢様、幻想郷には海などありませんし、どうなさるおつもりなのですか?」
「ん? 別に紫に連れてってもらえばすぐじゃない?」
咲夜は疑問げな顔だったが、今日の宴には紫も来場する予定なので、一旦考えることをやめ二人は帰宅の途へとついた。
その日の宴もまた盛大な物だったが、ただ一点がいつもとは異なっていた。
「皆さん、楽しくやって下さい」
これのみで挨拶を終えた。元帥就任の記念に、二秒スピーチで名を馳せた高名な元帥にあやかったのであろうか? いや、レミリアには用事が有ったのである。少女との約束を果たすために。
簡潔な挨拶を終えるとレミリアは会場の一角へと向かう。そこにはドギーバッグに豆腐屋謹製の油揚げを詰めつつ、次から次へとスキマへと放り込んでいる紫がいた。
余談になるが、この油揚げが紅魔館に届くまでにも紆余曲折と苦心の山があった。他の人間はレミリアの配慮もあり、さほどの苦労も無く紅魔館へと辿り着けたのだが、油揚げには何かの魔力が有ったのだろうか? 妖怪や神々の襲撃を受け、油揚げの配達に訪れた豆腐屋が美鈴に発見され、美鈴に守られつつ紅魔館に着いた際には半死半生の体であった。
ちなみに、この件との関わりは不明だが、藍は紅魔館からは永久出入り禁止を言い渡されている。
ともかくも、美鈴に発見されたおかげで辛くも豆腐屋は命と油揚げを守ることが出来た。その後豆腐屋は"紅魔館は恐ろしいがあの門番のおかげで親近感が沸いた"と九代目阿礼乙女に語り、また、時折美鈴と豆腐屋が睦まじく歩く姿を見る者もいたが、それはまた別の話である。
閑話休題。紫の元に辿り着いたレミリアは紫に件の少女の話を話し、海を見せるように頼む。だが、紫から色よい返事が帰ってくることはなかった。
「無理よ」
と紫は告げる。
「どうして? あんなの穴開けてすぐじゃない?」
「外来人とは言っても、こちらの世界で家族を持って縁を作ったら、もう幻想郷の存在よ」
「だから?」
「確かに、その父親は可哀想だけど、人間が幻想郷と外の世界を簡単に行き来したら幻想郷のバランスが崩れるわ」
「一人くらいはいいじゃない?」
レミリアは次第に苛立ちを募らせていたが、紫もドギーバックを置き、真剣な表情で返していた。
「一人だけ特別扱いは出来ないわ。外来人も、妖怪も、あなただって元は外の世界から来た存在、中には里心を抱く者もいるわ」
「私は思わないけどね、こっちの方が楽しいし」
「あなたはわからないけど。でも、特例を認めたら、きっとそんな連中からの不満が出るわ。それを一々聞いて気軽に外の世界と行き来出来るようになったらどうなると思う? 結界じゃ防ぎきれないわ。いつか外の世界と幻想郷は入り交じって――幻想郷なんて簡単に消え去るでしょうね」
続けて紫は結界や幻想郷について説明をしていた。レミリアは釈然としない顔を浮かべるが、非の打ち所の無い正論ではあった。
「どうしても海を見たいなら外の世界に返すことは出来るけど」
「なら返してあげる?」
「でも、もう幻想郷には戻って来られないわよ、あくまで一方通行でないと」
家族の死に目にも会えないのでは仕方がない、レミリアも諦めるしかなかった。レミリアは不機嫌そうな様子で自室に帰る。普段からレミリアがホストらしいことをしていたわけではないのだが、皆、どこか興が冷めたような様子になり、その日の宴は自然と早い時間にお開きとなった。
それから数日、レミリアはずっと不機嫌そうな様子を浮かべていた。宴も行われなかった。咲夜はそう簡単に紫が外の世界に人間を連れて行く物では無いことを知っていたので予想はしていたが、レミリアの不機嫌さとそれが伝わったかのような紅魔館の陰鬱な空気。そして、少女に断りを告げねばならないと言ったことに気を重くしていた。
レミリアは自室で酒を呷っていた。悪魔らしからぬ殊勝な心がけだろうか、少女との約束を果たせぬ事を気に病んでいた。いや、悪魔ゆえだろう。悪魔は古来より人間に対し、代償と引き替えにその願いを叶える。悪魔は圧倒的な力により確実に叶える存在である。少なくともそのような幻想を抱かせる存在、それが悪魔であった。
今回は代償が無いのが不幸中の幸いであろうか。それゆえ契約としては未だ成立していなかったからである。悪魔の契約とは絶対の物である。レミリア自身もかつて紫と悪魔の契約を結んだ。"生きた人間を食料として提供する代わりに、生きた幻想郷の人間を襲わない"と。
レミリアは決してその契約を破ることは出来ない、それに反する行動を取ることすら出来ないのである。そのように約束の重みを知っているレミリアにとって、それを違えることは己を否定するにも繋がることと思えた。そんな気分の中自暴的に酒を煽りつつ眠ろうとしていたのだが
「あんな小娘の願いすら叶えられないなんて何が悪魔よ、何が吸血鬼よ、何がカリスマよ」
吸血鬼ゆえの身体能力のためか、酔いは感じても、眠気には襲われない。アルコールの匂いに埋め尽くされた部屋で96°のウォッカを浴びるように飲んでいたにもかかわらず、悪酔いが回るのみであった。
「こんな無能が幻想卿? 貴族? ちゃんちゃらおかしいわね?」
赤い顔のまま独り言をぶつぶつと呟く。
「大体運命を操る程度の能力ってなんなのよ、全然実感ないんですけど! あんな小娘の運命も変えられない能力ってなんなのよ!」
一向に眠くなる気配も無いので、レミリアは退屈そうな表情を浮かべながら、部屋を出てぶらぶらと紅魔館を回っていた。
「全く広い屋敷ね、果ても見えないなんて。飲んで騒いでも誰にも迷惑にならずに便利だわ」
そう自嘲気味に独り言をいいながら、レミリアはあても無く歩く。その時、何かが引っかかった気がした。何かはわからないが、大事な事に気づきかけているのではないか? と思えた。だが、どうしても思いつかない。レミリアの苛立ちはつのる一方だった。
独り言にも飽きたのか、レミリアは地下に降り、紅魔館の一室に向かう。図書館に。
カビ臭い廊下を通り、図書館のドアを開ける。すると、得も言われぬ匂いが漂っていた。甘いようでも、辛いようでも、苦いようでも、あるいはそれらが入り交じった匂いで、人の語彙では説明しきれない、例える対象の存在しない、まさに悪魔の屋敷の匂いだった。この匂いにもレミリアは何かを感じたが、その時は明確な形で掴むことはできなかった。
その出元にはフラスコがあり、様々な色の煙が浮かんでいる。その中心ではパチュリーが静かに錬金術の研究をしていた。レミリアがパチュリーに気づいたが、まず発した声は
「酒臭いわよレミィ……」
だった。それ自体は否定のしようも無いが、この部屋の異臭と比べて酷い物とも思われない。レミリアもそれは思ったが、やはり酒を呷り続けたことにはいくらかの罪悪感があったのか、あるいはこの後の行動に罪悪感があると思ったのか、特にそれを主張はしなかった。
レミリアは延々と続く愚痴を始めた。パチュリーは聞き流しつつも適当な相づちをうつ。愚痴を聞いてくれる存在がいるだけでこれほど違うのか、と思いつつ、レミリアは少々ながらも機嫌を直す。そして、僅かながらも自信が戻り、多少は頭が働くようにもなっていた。
先ほどから引っかかる何かを考えながら、図書館の中とパチュリーをぼんやりと見つめる。果てが見えない広さの図書館、錬金術の匂い、何かが思いつきそうな気がした。
そして、レミリアは雫の音を聞いた。パチュリーは青い色をした何かの気体に魔法をかけていた。魔法によって冷やされた気体が液化し、フラスコの中には青い液体が溜まっていく。美しい液体だった。
レミリアは、錬金術を、人の手によって新しい何かが生み出される光景を見ていた。そして、頭の中でパズルのピースが埋まっていくように思えた。
「わかったわ!」
レミリアは大声を出した。そしてパチュリーにそれを説明した。
「無いなら作ればいいのよ! そう思わない? パチェ!」
「理屈では出来ると思うけど……」
それだけを聞くと、一気に酔いが覚めた様子でレミリアは飛び出した。咲夜の元に駆けつける。
その翌日、再びカリスマに溢れた表情のレミリアは従者達を集め夕礼を行った。
「紅魔館に海を作るつもりだからみんなよろしく!」
昨晩一応は話を聞いていた咲夜とパチュリー以外はきょとんとした顔をしていた。そもそも妖精達は海の存在すら知らない者が多かった。だが、レミリアのカリスマと咲夜の計画力とパチュリーの知恵を頼みに計画は実行されることとなった。
計画は次のようなものである。果てしなく広い土地を作る。人工の太陽と偽物の月を空に浮かべる。そこに砂と、水と、海に必要な成分を運ぶと言うものであった。
土地は咲夜が能力を使い作った。太陽は、そもそも光の差さない地底に生命が存在できるのが幻想郷であり、地底には人工の太陽も存在する、レミリアはその資産を活用し、小型の人工太陽を入手することに成功した。これは、媒介の妖怪がいなくとも自動で起動する優れものである。砂に、水とその成分、これは量があるだけに、難関に思えたが、紫が「一方通行」だからとスキマを開いてくれたおかげで入手することに成功した。正確に言えば海ではなく、カスピ海のような塩湖だが、ともかくも海に近い、海を知らない者には海としか思えない物を作るための計画がスタートした。
材料の入手には成功したが、工事は時間を使い人力で行わねばならない。流石に一朝一夕とは行かないが、紅魔館の資産を惜しむことなく投入し、人間、妖怪、河童、その他幻想郷の技術者を総動員したおかげで、工事は順調に進んでいた。おかげで幻想郷には空前の好景気が訪れ、レミリアを神のようにあがめる者まで生まれたが、それはまた別の話である。
工事が順調に進んでも資産の大半が消え去ることが予想されたが、レミリアはそれを意に介することもなく、工事を進めた。部屋には砂が敷き詰められ、木々が植えられ、天には人工太陽が浮かび、と工事は進む。
その最中、レミリアは件の少女と幾度か手紙を交わしていた。病気は小康状態であるとのことであったが、やはり悪魔として約束を果たすために海を完成させなければ、との思いを抱いた。
だが、そこで予想外の事態が起きた。
連日の打ち上げパーティーで予算を使いすぎたこと、レミリア考案の「紅魔館リゾートホテル」フラン考案の「紅魔館遊園地」などの不要な建物が追加されたこともあり、無限にも思えた紅魔館の資産が底をついた。その減り方は幻想郷に未曾有のインフレが起こるほどのものであった。
給料も払えなくなり、残ったのは元から給料など支払われた事も無い、紅魔館従者たちだけであった。幸い資材の代金だけは支払い済みだったのが不幸中の幸いであろうか。
やむなく身内のみによる工事が再開されたのだが、これが予想以上の効率を見せた。レミリアとフランの二人が作業に参加したことがその理由であった。そもそも吸血鬼とは樹齢千年の大木を片手で持上げ、瞬きする間に人里を駆け抜けると言う身体能力を持つ種族である、更に、ここは室内であり、人工太陽の出力を絞れば二人は昼夜問わずに活動できる。その二人の活躍はまさに千人、いや、万人力の活躍であった。
おかげで工事が順調に進んでいる頃、すっかりヘルメットと作業着が板についたレミリアは、健康的な汗をかきながら気持ちよさげに麦茶を飲んでいた。作業着やヘルメット程度ではカリスマはともかく、レミリアの魅力は微塵も損なわれないままであった。
そんなレミリアの元に少女が訪れた、差し入れを持ってきたらしい。ほぼ自給自足の生活となっていたレミリアは心から喜んでいたが、カリスマ溢れる悪魔としてはそんなことは口には出さない。
「べ、別にあんたのために作ってるんじゃないからね! 約束を果たさないとご先祖様にしかられるから作ってるのよ。勘違いしないでよね!」
そんな事を言いつつ、一文無しで、簡素な作業着をまとうレミリアだが、少女は敬意に満ちた視線を送る。かつてレミリアに大量の資産が有った頃、人々はレミリアの資産に敬意を払っていた。今、一文無しのレミリアはきっとその誰よりも敬意に満ちた視線を送る少女に見つめられている。その時、レミリアに真のカリスマが生まれたように思えた。
その後も紅魔館住人の努力と、時折訪れる霊夢始めの旧友達の助けを経て、工事は進む。
その日、レミリアは運命を変えた。"幻想郷にいる者は海を見ることが出来ない"と言う運命を
そして、幻想郷に海が生まれた。
その日は紅魔館リゾートホテルのこけら落としの日でもあった。外は暗闇に包まれ、その中に波の音が心地よく響いていた。レミリアも久しぶりに作業着を脱ぎ、清楚なドレスをまとう。"紅魔館海"完成記念パーティーが始まろうとしていた。
予算が皆無なこともあり、その日のパーティーは簡素な物のはずであった、だが、部屋は色鮮やかな花に埋め尽くされ、料理に関してもかつてに勝るとも劣らない豪華な物であった。
工事に携わった者、それ以外にも海を期待していた者、などからの贈り物が山のように届いていたからである。情けは人のためならず。それを象徴するかのような光景であった。
そしてレミリアのカリスマに引かれ、工事に感謝しつつ集まった山のような来客達も、見つめるのは一人であった。これより挨拶を始めるホスト、レミリア・スカーレット。全ての視線がその一点に集まっていた。
誰しもがレミリアの言葉に傾注する。その注目を集めるレミリアはまさに幻想卿に相応しい佇まいを見せていた。
「皆さん、本日はお集まり戴きありがとうございます。まずはゲストを紹介したいと思います」
そしてレミリアは一人の少女と壮年の男性を招いた。
件の少女と父親である。少女に手を取られ、白い顔をした男性が力なく入ってくる。手には外の世界の思い出の品だろうか? 何か板状の物を持っていた。男性が招かれると、部屋には拍手が満ちた。その中でレミリアが優しく耳打ちをする。
「幻想郷にも海が出来ました。ですが、これを冥土の土産など思わないで下さい、病気を治し、幼き頃の様に海で遊びましょう」
その声は天使の声がごとく、優しく、美しかった。その声に励まされ、男性はゆっくりと足を進める。
「では実際に海に触れてみませんか?」
そうレミリアは告げる。レミリアは板を預かると、もう片方の手で男性の手を掴む。少女とレミリアに両の手を引かれ、男性はゆっくりと進む。その歩みは段々力強くなっていたように思われた。
外に出る。潮の匂いが鼻孔をつく、波の音がこだまする。男性の顔に生気が生まれたように見えた。
「海……海だ……本当に海なんですね……」
「ええ」
レミリアは思い出の品らしき板を手渡しながら、微笑を浮かべつつ呟いた。
「海だ! ビッグウェーブが俺を待っている! 海に入れないくらいなら死んだ方がましだ! サーフィンUSA!」
すると男性は禁断症状から解き放たれた麻薬患者のような顔となり、サーフボードを片手に海へと飛び込んだ――
波打ち際には血の大半を失い気絶した男性が投げ出されている。不治の病、つまり気の病、サーフィンの禁断症状から解放された男が白目を向いていた。
パーティーに参加していた紫曰く
「あんな馬鹿は幻想郷住人じゃないから」
とのことでもあり。そのような男性を省みる者などはない。娘からも忘れられ、捨て置かれていた。レミリアが小食であったことだけは不幸中の幸いであった。
宴も終わりを告げ、人々は日常に帰り、今は古い馴染みの妖怪と少しの人間が、偽物の月明かりの下で波と戯れるのみであった。レミリアとフランはその光景を静かに、疲れた顔で見つめている。
件の少女が近づいてきた。
「レミリア様達は泳がれないのですか?」
「吸血鬼は流れる水には入れないのよ……」
そう言った瞬間に、不思議な事が起きた。波が止まり、海の流れが止まる。気がつけば後ろには水着姿の紫がいた。紫が波の境界を操ったのだろう。そして、紫はどこから持ってきたのか、二つの水着を持っていた。
二人は着替え、少女と共に海に飛び込む。500年生きたレミリア、495年生きたフラン。どちらにも初めての体験。
忘れられた世界の幻想郷でも忘れられた存在である海。偽物の月に照らされた人作りの海で、吸血鬼が泳ぐ。かしましく騒ぐ。それは全てレミリアの力で作った世界。レミリア・スカーレット伯爵兼暗黒卿兼皇帝兼大統領兼首相兼弾幕大臣兼保健委員兼リーサル・ウエポン兼海軍元帥兼民生委員兼国土開発庁長官、幻想卿レミリア・スカーレットが作った運命。
それはどこまでも人工的で、どこまでも夢のようで、それゆえに幻想的な光景であった。
2008年春といえば…いやなにも言うまい
とりあえずちょっと豆腐屋は表に出ようか。
ジーク!バンパイア!!
ジーク!バンパイア!!
ただ、ラストのゆかりんGJと言っておこう。
そしてサーファー親父が予想外すぎましたw
ゆかりんがいい味出してたなあ。
そんな香りのする良い作品でした。
BGMは勿論「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」で。
やや、幻想卿という誤字でこんなお話が作れるとは。
面白かったです。
>レミリア・スカーレット伯爵兼暗黒卿兼皇帝兼大統領兼首相兼弾幕大臣兼保健委員兼リーサル・ウエポン
ここで腹筋崩壊しましたwwww