ある人が言う。
永遠の命が欲しい、と。
ある人が説く。
永遠の命を持つ者は哀れだ、と。
・・・どうでもいいことだ。
― a thousand years ago…
「お、たけのこ」
竹を取るための鉈を皮袋に収め、地面においていた鍬を拾い上げる。
これだけ立派なたけのこなら、里に持っていけば、かなりの量の米と交換してもらえるだろう。
迷いの竹林産たけのこは、非常に高く売れる。
鍬をたけのこの根元へと振り下ろす。
鍬がかつっ、と小気味よい音を立てる。
「もし」
もうひと息でたけのこを掘り起こせるというところで、後ろから声をかけられた。
振り返ってみると、こんな辺鄙な場所には似つかわしくないほど、美しい女性が立っていた。
金髪をゆるく纏め上げ、異国の趣がある衣装を瀟洒に着こなし、可愛らしい頭巾を被り、趣味のいい日傘を持っている。
年齢は、よくわからない。
「このあたりに、月のお方がいらっしゃるとうかがったのですが、ご存知ないかしら」
「ああ、蓬莱山様のことですかね」
「ええ、多分」
「お迷いで?」
「恥ずかしながら」
「なんでしたら、私が案内しましょうか」
蓬莱山様のお住まいならよく知っていた。
女性は上品に微笑むと、「そうしていただけると、うれしいわ」と言った。
「ちょっと待っててください、すぐに仕事を片付けますから」
鍬でたけのこを掘り起こし、適当に土を払ってから籠に放り込んだ。
「立派なたけのこですわね」
「ちょっと季節外れですけどね」
「もしよろしければ、いただけないかしら?もちろん、お代は払いますよ」
「ええ、いいですよ。お名前とお住まいの方を教えていただければ、お届けにあがりますよ」
「うーん、ちょっとわかりにくい場所ですからねぇ。お手数掛けるのも悪いですし。あとで、使いの者をよこしますよ」
「そうですか。それでは、お名前だけ」
ここで気付いた。
「ああ、失礼しました。私は、藤原妹紅と申します」
「私は八雲紫と申します」
そう言うと、八雲様は端正にお辞儀をした。
私は、あわてて頭を下げた。
その後、蓬莱山様の家へと八雲様をご案内した。
その道中、どういったご用件で、と不躾な質問をしてしまった。
八雲様は、微笑むばかりだった。
そもそも、蓬莱山様に用事がある者がいること自体、不自然だった。
私が物心付いたときから竹林の奥深くに住まっていらっしゃったが、その家の主を見たことは一度もなく、せいぜい、そこで飼われているとおぼしき妖怪兎を、竹取の最中、時たま遠くから見かけるのが関の山だった。
「お父、ただいま」
「おぅ、帰ったか」
父は、囲炉裏の傍で草鞋を編んでいた。父の草鞋は、丈夫で長持ちすると、里で評判である。
「ぼちぼち飯にする?」
「そうだな。そうするか。おお、そうだ。今日はいいものがあるぞ」
そう言うと、父は立ち上がり、裏口へと出ていった。
戻ってきた父の手には、鮎が盛られた籠があった。
「おー、これ、どうしたの?」
「お隣からのおすそわけ」
鮎の目は澄んでいて、皮には艶があり、丸々と太っていて、見るからにうまそうだった。
「お前も、けっこう立派なたけのこ持って帰ってきたな。
どうせだし、それは里へ持っていかずに、俺たちで食ってしまわんか?」
「ああ、悪い、それはだめだ」
そこで、今日あった出来事を父に話す。
話しながら、私は米を炊き、里芋と人参と大根を放り込んだ味噌汁を作った。
父は、草鞋作りの作業を切りのいいところまでやり終えると、鮎を串に通しながら、私の話を聞いていた。
蓬莱山様に用事がある、という件に入ると、父の手がふと止まった。
「どうした?」
私がそう尋ねると、父は「いや、なんでも」と、再び鮎に串を通し始めた。
父は隠し事をすると、それを絶対に口外しない。
ただ、態度で秘密があることがばれてしまう。
しつこく追究しても、口喧嘩で終わるのが常だった。
だから私は、「そうか」とだけ言って、かまどの火加減を見た。
見ると、少し火が弱すぎた。
そこで私は、火の中に手を入れ、火の勢いを増した。
私にはなぜか火を操る能力がある。
父にそのことを尋ねても、「お前は鳳凰様に魅入られたんだよ」と言うきりで、それ以上のことは何も言わない。
なにか秘密があるのだろうが、そのことを追究しても仕方が無いことは目に見えていた。
だから私は、素直にこの能力を便利な力だと思うことにしていた。
父は妖怪退治を生業としている。草鞋作りは、あくまでも生活の足しである。
そもそも人間の里から離れた竹林の中に、ひっそりと営まれているこの集落には、里で生活するには、あまりにも妖怪との因縁が深い者たちばかりが住んでいた。
仕事の性質上、人間とはそれほど疎遠ではないが、里を訪ねるときは、非常な注意を払う。
私も例外ではない。
顔見知りの店以外には、極力人との関わりを持たないよう気をつけている。
「自分がどういう存在なのか自覚しろ。
必要以上の関係は他人に迷惑を掛けるだけだ。
忌み嫌われている者はでしゃばってはいけない。
ただひたすら静かに暮らしていかなくてはならない」
ことあるごとに、私は父にそう教えられてきた。
昔、こんなことがあった。私がまだ七にもならない頃のことだ。
ある日、父の草鞋売りについて、人間の里へやってきたことがある。
父が草鞋を納める問屋に入っていき、私に入り口で待っているように、と言いつけた。
しばらくはおとなしく待っていたが、そこは子どもの性分で、だんだんと地面に絵を描くことにも飽きてきて、ふと辺りを見ると、同い年ぐらいの子どもたちが独楽回しに興じている姿が目に入った。
混ぜてもらいたくてそろそろと近づき、でも遠くからじっと、憧憬を込めて見つめていた。
すると、子どもたちのうちの一人が、私に気付いた。
もしかしたら、と淡い期待が胸をかすめた。
しかし、その子どもの顔は、私を見ると恐怖に歪んだ。怯えた目。
「おい、『翁』だぞ!」
子どもたちの視線が、一斉にこちらを向く。
叫んだ子どもと同じ、恐怖に慄く瞳。
だが一瞬の後、それは明け透けな敵愾心へと姿を変えた。
子どものうちの一人が、地面から石を拾うと、それを私めがけて投げつけてきた。
石は、私の足元の近くを跳ね、私の脛に当たった。
一人が攻撃を始めると、他の子どもたちも、私に石を投げてきた。
私はあわてて問屋の方へと逃げていった。
そこへちょうど、父が問屋から出てきた。
私は父に飛びつき、泣いた。
子どもたちは、父の姿を見ると、雲の子を散らすように千千になって逃げていった。
父はただ黙って、泣き続ける私の頭を撫で続けてくれた。
―自分がどういう存在なのか自覚しろ。
自分がまわりにとっては何者なのか。
それを悟るのは、早かった。
「今夜、仕事がある」
ぱちっ、と鮎の油で火が爆ぜる。
「そうか」
「かなり大きな仕事だ。
『翁』と『姥』、共同で事に当たることになる。
もし俺になにかあったときは、いつものところに手紙を入れている」
ぱちっ。焼き鮎の香ばしい薫りに腹が鳴る。
父が仕事のことを切り出すのは、いつも出かける直前だった。
緊急性の高い仕事が多いせいもあるが、なるたけ私を心配させないように、との配慮があることも、薄々感づいていた。
父は『翁』の長であり、同時にかなりの腕利きなので、父が仕事でもしもの事態に陥るようなことがあるとは思えなかった。
しかし同時に、そのもしもがあったら、と思うこともある。
その考えに一旦とらわれると、それは釜の底のコゲのように、私の脳裏からこびりついてなかなか離れなかった。
父が私に遺書の場所を確認してくるとき、その考えはよく浮かぶ。
自分が座っている畳の下に、今私の目の前で話している父が書いた遺書がある。
そう考えると、なんとも言えない心地になった。
じゅうっ。
鮎の油が焼けた灰に落ち、気持ちのいい音を立てる。
「そんなことより、飯にしようぜ」
私は、努めて笑顔を作った。
父はそんな私の顔を見ると、「そうだな、飯にしよう」と、どこか寂しそうに微笑んだ。
『翁』は、全国に散らばる朝廷直属の退治屋のうち、この土地に派遣された集団である。
しかし、元々ここには土着の退治屋たちがいて、朝命優先の『翁』とは、たびたび利害衝突を繰り返してきた。
そういった者達の集まりが、『姥』だ。
ただ、この二つの集団に共通したことがある。
人にすら忌み嫌われるほど、妖怪を殺しすぎたことである。
そんな二つの集団が、今回手を組むという。
「お父」
「ん?」
小手を締めながら、父が私のほうを振り向いた。
―なんか、きな臭くないか?今回の件―
私は、その問いを飲み込んだ。
こんな問いに、頑なな父が答えるはずも無い。
「いや、なんでもない」
「らしくもない。言えばいい」
「いや、本当にいいんだ。何を言おうとしたのか、忘れた。大したことじゃなかったと思う」
父は怪訝な表情をしたが、「そうか」とだけ言って、脛当てを付け始めた。
「いつごろ帰ってくる?」
妖怪退治はあっという間に終わるときもあれば、何日間も粘り強く追い詰めなければならないときもある。
「わからない」
今度は私が眉をしかめた。
父は、こういう時必ず明確な日数を示す。
依頼の速やかな達成、それは退治屋の暗黙の掟。
それを信条とする父が、「わからない」と言う。
胸騒ぎがした。
「長くかかるのか?」
「わからない」
「そんなに難しい仕事なのか?」
「わからない」
いろいろと角度を変えて質問してみたが、「わからない」の一点張りだった。
とうとう、父が小太刀を砥ぎながら「やかましい、もう、寝ろ」と、険を含んだ台詞を吐いた。
私はカッとなって、「ああ寝るわ。寝るわいな。勝手にくたばりな」と言い捨てると、筵のに潜り込んだ。
しばらく、父に背を向けるようにして、目を開けたまま寝転がっていた。
しゃっ、しゃっ、と刀を研ぐ音だけがする。
父は、仕事に出かける前に、必ず念入りに刀を砥いでいく。
それは、傍目から見れば、どこか荘厳な儀式めいて見えた。
私は、その姿を見るのが好きだった。
寝返りをうつ。
蒼い月明かりの下、無心に刀を研ぐ父の姿が目に入った。
ふと、漠然とした不安が胸をよぎった。
それは、白い布に墨を黒く滲ませるように、徐々に私の心を占めていった。
唐突に、涙がこぼれた。
なぜかはわからない。自分でも驚いた。
涙は眉を伝い、私の右頬と床を湿らせた。
涙の堰は少しずつ崩壊し、いつしか私は鳴き声を押し殺すのに必死になっていた。
嗚咽が聞こえたのだろう、父がこちらを振り返った。
父は刀を一振りして水滴を払い、それを鞘に収めると、私のほうに近づいてきた。
父はすすり泣く私の目の前に座り、頭を撫でた。
「ばかたれ」
そう言って微笑む父の姿があった。
私は思わず吹き出してしまった。
だがそれは続かず、また涙が流れ始めた。
父は黙って私の頭を撫で続けてくれた。
そして、いつの間にか私は眠りに落ちていた。
目を覚ましたとき、もう父の姿は無かった。
「こんにちはっ、八雲紫様から参りました、藍と申しますっ」
「おう、来たか」
井戸端で顔を洗っていると、声がしたので振り向いてみると、子どもが立っていた。
姿形からすると、どうも妖怪らしい。
「お前、あぶないなぁ」
「えっ?あっ、はいっ、すみませんっ、えっと、なにがでしょうか?」
表情が硬い。緊張しているのだろう。
「まぁ、いいや」
この集落は妖怪と見るや殺そうとする輩が少なくない。
とりあえず、ここまで無事に来れたことは僥倖といったところだろう。帰りは送っていこう。
「たけのこだな?」
「はいっ」
「よし、ちょっと待ってろ」
「あっ、えっと、先にお代の方をっ」
あたふたと懐から小袋をとりだし、私のほうにずいっと差し出した。
その目一杯一生懸命な姿に、思わず吹き出してしまった。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。もうすこし楽にしてな」
言いながら、袋を受け取る。かなり重い。
中を見てみると、大粒の砂金がごろごろと入っていた。
「おいおい、こんなにいらないよ」
そう言うと、藍はお前はとてつもない罪を犯したのだと宣告されたかのように顔を青くし、目に涙を溜め始めた。
「でも、紫様には、それを渡せって、そう、言われて・・・」
最後のほうは、嗚咽交じりだった。
「あーわかったわかった、んじゃあありがたくもらっとくよ」
面倒くさくなって、たけのこを取りに、家の中へ入った。
籠にたけのこを入れた時、外で悲鳴がした。藍の声だ。
急いで表に出た。
見ると、黒装束の男が這うようにしてこちらに向かってきていた。
出血しているせいか、男の通った道には、血が地面に擦り付けられるように線を描いていた。
「妹紅・・・」
その声には聞き覚えがあった。
顔をよく見てみると、昨日鮎を分けてくれたお隣さんだった。
「どうしたんですか」
あわてて駆け寄り、抱き起こした。
「裏切られた・・・君の父さん・・・」
「お父がなんですかっ」
だが、その人の体が急に重くなった。全身から力が抜けている。
心の音は、もうしていなかった。
私はたけのこを藍に手荒く押し付けると、駆け出した。
なぜか確信があった。
迷いの竹林の、奥へ。ひたすら、奥へ。
人の叫び声。
その声は目的の場所に近づくにつれ、徐々に大きくなっていった。
竹林が開ける。
血。
反吐の出る悪臭。
辺り一面に転がっている黒装束の人間たち。
―私の記憶は、ここから先曖昧になる。
気が付いたら、辺りには黒焦げた死体が累々と転がっていた。
―the present…
「もーこーうー」
慧音の呼ぶ声がする。薪を割る手を休め、振り返ってみる。
「飯の仕度、できたぞー」
「ああ、今行く」
鉈を皮袋にしまい、慧音のいる縁側に腰掛ける。
飯櫃からは、たけのこご飯のいい匂いがする。
ぐぅ、と腹がなった。
その音を聞き、慧音がけらけらと笑った。
「仕方ないだろ、庭仕事は腹が減るんだ。
それにしても、雑草ほったらかすにもほどがあるんじゃないか?
寺子屋のガキどもにやらせればいいだろうに」
「そうもいかん。最近の親は過保護な者が多くてな、うっかり怪我でもさせたら、何を言われるかわかったもんじゃない」
「私は怪我してもいいのかよ・・・」
「まぁ、そういうな。そのお礼に、こうして飯を作ってやったんだから」
言いながら、慧音はどんぶりかと見間違うほど大きな茶碗に、山盛りたけのこご飯を盛り始めた。
「おいおい、いくらなんでも盛りすぎじゃないか?」
「ふっふ、だがあまりのうまさにもっと食べたくなってしまうのが私のたけのこご飯なのだ」
どん、と小山のように盛られたご飯が私の脇に置かれた。
私は、首に巻いた手ぬぐいで適当に手を拭くと、空腹に任せてご飯の山にむしゃぶりついた。
うめぇ。
「そんなにあわてなくても、まだまだあるからゆっくり食え」と笑いながら、慧音はたけのこ味噌汁を器に注いでいた。
「慧音」
「なんだ?」
「お前と出会ったのは、何年前だった?」
慧音は、急須から湯飲みに茶を注ぎながら、うーんと唸った。
「三百、いや四百年前か?」
「百年単位かい」
「いやでもそんなもんだと思うぞ」
「かもな」
「それがどうかしたか?」
「慧音」
「ん?」
「茶、くれ」
胸にご飯がつっかえた。
ほい、と湯飲みが渡される。
ぐい、と飲む。
「あっちぃ!」
「おおすまん。水の方がよかったか?」
氷水がグラスに注がれると、ひったくるようにして飲み干した。
「なんだ、落ち着きの無い」
「猫舌なんだよっ」
「そうだったっけ?」
「憶えろよっ、四百年の付き合いだろっ」
「妹紅、私とお前の間には、越えられない深い溝があるんだな・・・」
「んなこと今しみじみ言わないで下さい、慧音先生っ」
「はっはっはっ」
「結局笑って済ませるんかいっ」
「しかし、またなんでそんなことを聞く?」
空になったグラスに氷水を注ぎながら、改めて聞いてきた。
「いや、なんてことはないんだ」
「なんだ、気になるじゃないか」
水を一気に飲み干し、水滴を軽く振り払って慧音に返した。
「父の千年忌なんだ、明日」
沈黙。
「そうか」
さっ、と春風が吹いた。まだ、冬の涼しさを湛えていた。
「もう一杯、どうだ?」
慧音がしゃもじを右手に、左手を差し出す。
私の茶碗は、空だった。
「それじゃ、もらおうかな」
茶碗を差し出す。
「ああ、何杯だって食えばいいさ」と、慧音は笑った。
父の遺体を見つけるのは簡単だった。
父は、永遠亭の入り口に、体中穴だらけにされた格好で斃れていた。
死体をよく見てみると、焼死体以外は、全員『翁』の装束を纏っていた。
脇を見る。
腰を抜かし、小便を垂らしながら後ずさっている者。
『姥』の者だ。
「すすすすすす」と、なにかをすすり上げるような音を歯の間から出している。
私はそいつに近づき、首を締め上げた。
「なぜだ?」
その男は、ひいっ、とのど奥から声にならない声を絞り出した。
軽く首を焦がす。
絶叫。
「答えなければ、殺すぞ」
「しししししししし」
「あ?」
「知らない知らない知らない」
「なにをだ」
「お上お上お上お上ががががががやれやれやれ」
「帝が?」
首を激しく縦に振る。
「なぜ?」
「おおおおおおおおきなはぎゃくぞくと」
私はそいつを塵になるまで燃やした。
私は永遠亭の中へと押し入った。
ひたすら奥へ。奥へと。
途中、だれともすれ違わなかったことを不信にすら思わないほど、私は猛っていた。
何枚襖を開いたか、わからない。
しまいには、燃やして吹き飛ばしながら先へと進んだ。
はた、と足が止まった。
一枚の襖。
その奥から伝わる、濃厚な気配。
私は、そっと襖を開いた。
見ると、私と同じくらいの背格好をした少女が、頬杖をつきながら横になっていた。
その顔の、涼やかなのを見て、私は猛然とその女に掴みかかった。
「なぜ止めなかった」
少女は気だるそうに、私の目を直視した。
「なぜ止めなかったんだ」
私はもう一度問うた。
「私には関係の無いことだから」
燃やした。
だが、炎の中から煤けた腕が伸びる。
「まぁ、仕方ないか」
・・・暗転。
―目が覚めると、布団の上で寝ていた。
「目が覚めたようね」
脇を見ると、八雲紫が居住まい正しく座っていた。
「私は、あなたに謝らなければならない」
そう言うと、紫は両手を畳につき、頭を下げた。
「それから、事の顛末を聞かされたよ」
手に持った湯飲みは、すでに冷めていた。
慧音は、食器を片付けながら、黙って耳を傾けていた。
「そもそもの発端は、朝廷内での権力争いだった。
当時、朝廷内は二つの勢力に分かれていた。
妖怪を討伐しようとする勢力と、妖怪と協調しようとする勢力。
討伐派には、力を持ち始めた武家と、それに同調する高位の貴族が、協調派は、昔から妖怪たちと交流を持っていた地方貴族が多かった。
それまでは、うまく均衡を保っていた二つの勢力だったが、ある出来事をきっかけに、朝廷内の意見は、大きく討伐へと傾いた。
八雲紫が月に仕掛けた戦争だ。
これにより、妖怪を脅威とみなす意見が大多数を占めた。
その朝廷内にあって、近衛府で将来を嘱望されていた父は、協調関係の持続を訴え続けた。
そんな父を妖怪側から全面的に支援していたのが、八雲紫だった。
だが、父は左遷された。
―いや、だからこそ、か。
妖怪に魅入られたうつけ者。
父は、当時討伐派として大きな勢力を誇っていた一族の者だった。
異分子は排撃される。
単一の目的を志向する組織において、それは当然のことだった。
父に与えられた新たな役職は、妖怪の討伐を任とする組織の長という、皮肉なものだった」
「私がその話を聞いたのは、偶然でした」
布団の横で、紫が淡々と話を続ける。
「この間の戦役の影響によって、地上に残ってしまった月の勢力にどう対処するかという、妖怪同士の会合において、人間が独自に月の勢力に対して軍事行動を起こす可能性がある、という話が持ち上がりました。
その話自体は、前々から議題に上っていました。
朝廷は、基本的に月の者に対しては、触らぬ神にたたりなし、の方針をとっていました。
しかし、一部の人間は、妖怪と結託して人間に対する強行支配に乗り出すのではないか、との疑念を抱いていました。
ならば、先手を打って―
そう考える人間は、少なくありませんでした。
そしてその時の議題に上ったのは、さらに具体化された人間の軍事計画でした。
―近々、永遠亭に対して、『翁』と『姥』を差し向けるらしい・・・
その場にいた妖怪は、そのことを、月に対して対応を先走った人間の愚かな行動、くらいにしかとらえていませんでしたが、『翁』の長であるあなたの父上と親しかった私は、首を傾げました。
あなたも知っての通り、『翁』と『姥』は犬猿の仲。
しかし、そのことを認識していた妖怪は、ほとんどいなかった。
攻撃される側からすれば、どちらも同じようなものですからね。
できることなら、そのことをあなたの父上と相談したかったのですが、口の堅い彼のことです、意味を成さないことは明らかでした。
そこで私は、永遠亭に向かいました。
ちょうどあなたに出会った、あの時ですよ。
あなたが藤原の娘であることはすぐにわかりましたよ。
―鳳凰に魅入られた娘を持っている人間なんて、彼以外いませんからね。
私は永遠亭に着くと、主人に面会しました。
そして、永遠亭に対する人間の軍事計画を伝えました。
―うまくいけば、なにかしら事が起こる前に、永遠亭が軍事計画を挫いてくれるかもしれない。私はそう期待していました」
「だけどあいつは『へぇ、そう』と興味無さそうに呟いただけらしい」
縁側から立ち上がり、ぐっと背伸びをした。
首を回すと、ごきりと関節が鳴った。
「紫は、それ以上なにも言えなかった。
なにしろ、月に対して喧嘩売った張本人だ。月の連中に対して、あまりどうこう言えた口じゃない。
そして、事は起こってしまった」
「ついさっき、確認をとってきましたよ。
討伐派の主だった連中に。
ちょっと脅しつけてやったら、洗いざらい吐いてくれました。
実に人間らしい、ちんけな理由でしたよ」
「父の排除。
ただそれだけのために巡らされた策略だった。
討伐派のやつらにとってしてみれば、『翁』という本来最も討伐派に忠実であるべき組織に、父のような存在は、目の上のたんこぶでしかなかった。
父は、『翁』を変えようとしていた。
人間と妖怪の架け橋となれる組織。
それが、父の理想だった。
左遷されてもなお、父は人間と妖怪との関係に心を砕いていた。
それが仇になった。
結果として、父に賛同する者達と共に、父は抹殺された」
「『翁』も『姥』も終わりでしょう。
私は、朝廷に対して宣言しました。
―即刻討伐派の先鋒たる『翁』を解散しなければ、それは我々妖怪に対する明確な敵意と見做し、今ここでここにいる全ての人間を無限の闇へと葬る。
・・・これで、あなたの父上の悲願だった朝廷と妖怪の和解は、決裂してしまいました。
これからは、妖怪と敵対する人間、妖怪と歩調を合わせる人間、その二種類に分かれるでしょう。
『姥』は、あなたによって壊滅しました。
今回参加した者たちは、『姥』の中でも指導的役割を果たす、選りすぐりの者たちでした」
「そして紫は、もういちど謝ったよ。
―止められなくて、ごめんなさい、ってね」
私はふらつく足で立ち上がった。
なんだか頭の重心が定まらない。
寝ていなきゃいけない、という紫の制止を無視して、私はまた永遠亭の奥深くへと進んでいった。
人の形をした炭が、布団に横たわっていた。
「―どうして生きているんだよ」
輝夜は、瞑っていた眼を開き私を見、そして上を向いて深く息を吐いた。
「その問いは、自分の顔を鏡で見てから言うことね」
化粧台に据えられていた唐鏡を覗き込む。
額に大きな穴が開いて、穴の向こう側に天井が見えた。
「自分が何者なのか、それを自覚しなさい。
―じゃなきゃ、苦しいわよ」
鳳凰に魅入られるとはどういうことなのか。
自覚した私は、ただひたすら獣のように叫び続けるしかなかった。
傷が癒え、家に戻り、父の遺書を見た。
そこにはただ、「何人も恨むべからず」とだけ書かれていた。
父は優しい人だった。
しばらく、泣いた。
「お、ここだここだ」
私は、慧音と共に『翁』の集落があった場所に来ていた。
そこに、あの日亡くなってしまった者たちがまとめて葬られている。
彼岸花が寂しく咲き誇るだけの場所だった。
『翁』と『姥』の者たちは解散後、人間の里にうまく溶け込む者、懲りずに朝廷に仕え続けた者、自害する者など、様々だった。
千年過ぎた今では、それはなんの意味も無い。
「なあ、慧音」
「ん?」
「私は、なんなんだろうな」
沈黙。
「お前はお前だ。私の大切な友人、藤原妹紅。ただそれだけだ」
空を見上げる。
薄く蒼い三日月が、燃える様な夕暮れの空によく映える。
「そうか。そりゃ、いいな」
なぜか、空が滲んで、夕暮れが溶け出した。
永遠の命が欲しい、と。
ある人が説く。
永遠の命を持つ者は哀れだ、と。
・・・どうでもいいことだ。
― a thousand years ago…
「お、たけのこ」
竹を取るための鉈を皮袋に収め、地面においていた鍬を拾い上げる。
これだけ立派なたけのこなら、里に持っていけば、かなりの量の米と交換してもらえるだろう。
迷いの竹林産たけのこは、非常に高く売れる。
鍬をたけのこの根元へと振り下ろす。
鍬がかつっ、と小気味よい音を立てる。
「もし」
もうひと息でたけのこを掘り起こせるというところで、後ろから声をかけられた。
振り返ってみると、こんな辺鄙な場所には似つかわしくないほど、美しい女性が立っていた。
金髪をゆるく纏め上げ、異国の趣がある衣装を瀟洒に着こなし、可愛らしい頭巾を被り、趣味のいい日傘を持っている。
年齢は、よくわからない。
「このあたりに、月のお方がいらっしゃるとうかがったのですが、ご存知ないかしら」
「ああ、蓬莱山様のことですかね」
「ええ、多分」
「お迷いで?」
「恥ずかしながら」
「なんでしたら、私が案内しましょうか」
蓬莱山様のお住まいならよく知っていた。
女性は上品に微笑むと、「そうしていただけると、うれしいわ」と言った。
「ちょっと待っててください、すぐに仕事を片付けますから」
鍬でたけのこを掘り起こし、適当に土を払ってから籠に放り込んだ。
「立派なたけのこですわね」
「ちょっと季節外れですけどね」
「もしよろしければ、いただけないかしら?もちろん、お代は払いますよ」
「ええ、いいですよ。お名前とお住まいの方を教えていただければ、お届けにあがりますよ」
「うーん、ちょっとわかりにくい場所ですからねぇ。お手数掛けるのも悪いですし。あとで、使いの者をよこしますよ」
「そうですか。それでは、お名前だけ」
ここで気付いた。
「ああ、失礼しました。私は、藤原妹紅と申します」
「私は八雲紫と申します」
そう言うと、八雲様は端正にお辞儀をした。
私は、あわてて頭を下げた。
その後、蓬莱山様の家へと八雲様をご案内した。
その道中、どういったご用件で、と不躾な質問をしてしまった。
八雲様は、微笑むばかりだった。
そもそも、蓬莱山様に用事がある者がいること自体、不自然だった。
私が物心付いたときから竹林の奥深くに住まっていらっしゃったが、その家の主を見たことは一度もなく、せいぜい、そこで飼われているとおぼしき妖怪兎を、竹取の最中、時たま遠くから見かけるのが関の山だった。
「お父、ただいま」
「おぅ、帰ったか」
父は、囲炉裏の傍で草鞋を編んでいた。父の草鞋は、丈夫で長持ちすると、里で評判である。
「ぼちぼち飯にする?」
「そうだな。そうするか。おお、そうだ。今日はいいものがあるぞ」
そう言うと、父は立ち上がり、裏口へと出ていった。
戻ってきた父の手には、鮎が盛られた籠があった。
「おー、これ、どうしたの?」
「お隣からのおすそわけ」
鮎の目は澄んでいて、皮には艶があり、丸々と太っていて、見るからにうまそうだった。
「お前も、けっこう立派なたけのこ持って帰ってきたな。
どうせだし、それは里へ持っていかずに、俺たちで食ってしまわんか?」
「ああ、悪い、それはだめだ」
そこで、今日あった出来事を父に話す。
話しながら、私は米を炊き、里芋と人参と大根を放り込んだ味噌汁を作った。
父は、草鞋作りの作業を切りのいいところまでやり終えると、鮎を串に通しながら、私の話を聞いていた。
蓬莱山様に用事がある、という件に入ると、父の手がふと止まった。
「どうした?」
私がそう尋ねると、父は「いや、なんでも」と、再び鮎に串を通し始めた。
父は隠し事をすると、それを絶対に口外しない。
ただ、態度で秘密があることがばれてしまう。
しつこく追究しても、口喧嘩で終わるのが常だった。
だから私は、「そうか」とだけ言って、かまどの火加減を見た。
見ると、少し火が弱すぎた。
そこで私は、火の中に手を入れ、火の勢いを増した。
私にはなぜか火を操る能力がある。
父にそのことを尋ねても、「お前は鳳凰様に魅入られたんだよ」と言うきりで、それ以上のことは何も言わない。
なにか秘密があるのだろうが、そのことを追究しても仕方が無いことは目に見えていた。
だから私は、素直にこの能力を便利な力だと思うことにしていた。
父は妖怪退治を生業としている。草鞋作りは、あくまでも生活の足しである。
そもそも人間の里から離れた竹林の中に、ひっそりと営まれているこの集落には、里で生活するには、あまりにも妖怪との因縁が深い者たちばかりが住んでいた。
仕事の性質上、人間とはそれほど疎遠ではないが、里を訪ねるときは、非常な注意を払う。
私も例外ではない。
顔見知りの店以外には、極力人との関わりを持たないよう気をつけている。
「自分がどういう存在なのか自覚しろ。
必要以上の関係は他人に迷惑を掛けるだけだ。
忌み嫌われている者はでしゃばってはいけない。
ただひたすら静かに暮らしていかなくてはならない」
ことあるごとに、私は父にそう教えられてきた。
昔、こんなことがあった。私がまだ七にもならない頃のことだ。
ある日、父の草鞋売りについて、人間の里へやってきたことがある。
父が草鞋を納める問屋に入っていき、私に入り口で待っているように、と言いつけた。
しばらくはおとなしく待っていたが、そこは子どもの性分で、だんだんと地面に絵を描くことにも飽きてきて、ふと辺りを見ると、同い年ぐらいの子どもたちが独楽回しに興じている姿が目に入った。
混ぜてもらいたくてそろそろと近づき、でも遠くからじっと、憧憬を込めて見つめていた。
すると、子どもたちのうちの一人が、私に気付いた。
もしかしたら、と淡い期待が胸をかすめた。
しかし、その子どもの顔は、私を見ると恐怖に歪んだ。怯えた目。
「おい、『翁』だぞ!」
子どもたちの視線が、一斉にこちらを向く。
叫んだ子どもと同じ、恐怖に慄く瞳。
だが一瞬の後、それは明け透けな敵愾心へと姿を変えた。
子どものうちの一人が、地面から石を拾うと、それを私めがけて投げつけてきた。
石は、私の足元の近くを跳ね、私の脛に当たった。
一人が攻撃を始めると、他の子どもたちも、私に石を投げてきた。
私はあわてて問屋の方へと逃げていった。
そこへちょうど、父が問屋から出てきた。
私は父に飛びつき、泣いた。
子どもたちは、父の姿を見ると、雲の子を散らすように千千になって逃げていった。
父はただ黙って、泣き続ける私の頭を撫で続けてくれた。
―自分がどういう存在なのか自覚しろ。
自分がまわりにとっては何者なのか。
それを悟るのは、早かった。
「今夜、仕事がある」
ぱちっ、と鮎の油で火が爆ぜる。
「そうか」
「かなり大きな仕事だ。
『翁』と『姥』、共同で事に当たることになる。
もし俺になにかあったときは、いつものところに手紙を入れている」
ぱちっ。焼き鮎の香ばしい薫りに腹が鳴る。
父が仕事のことを切り出すのは、いつも出かける直前だった。
緊急性の高い仕事が多いせいもあるが、なるたけ私を心配させないように、との配慮があることも、薄々感づいていた。
父は『翁』の長であり、同時にかなりの腕利きなので、父が仕事でもしもの事態に陥るようなことがあるとは思えなかった。
しかし同時に、そのもしもがあったら、と思うこともある。
その考えに一旦とらわれると、それは釜の底のコゲのように、私の脳裏からこびりついてなかなか離れなかった。
父が私に遺書の場所を確認してくるとき、その考えはよく浮かぶ。
自分が座っている畳の下に、今私の目の前で話している父が書いた遺書がある。
そう考えると、なんとも言えない心地になった。
じゅうっ。
鮎の油が焼けた灰に落ち、気持ちのいい音を立てる。
「そんなことより、飯にしようぜ」
私は、努めて笑顔を作った。
父はそんな私の顔を見ると、「そうだな、飯にしよう」と、どこか寂しそうに微笑んだ。
『翁』は、全国に散らばる朝廷直属の退治屋のうち、この土地に派遣された集団である。
しかし、元々ここには土着の退治屋たちがいて、朝命優先の『翁』とは、たびたび利害衝突を繰り返してきた。
そういった者達の集まりが、『姥』だ。
ただ、この二つの集団に共通したことがある。
人にすら忌み嫌われるほど、妖怪を殺しすぎたことである。
そんな二つの集団が、今回手を組むという。
「お父」
「ん?」
小手を締めながら、父が私のほうを振り向いた。
―なんか、きな臭くないか?今回の件―
私は、その問いを飲み込んだ。
こんな問いに、頑なな父が答えるはずも無い。
「いや、なんでもない」
「らしくもない。言えばいい」
「いや、本当にいいんだ。何を言おうとしたのか、忘れた。大したことじゃなかったと思う」
父は怪訝な表情をしたが、「そうか」とだけ言って、脛当てを付け始めた。
「いつごろ帰ってくる?」
妖怪退治はあっという間に終わるときもあれば、何日間も粘り強く追い詰めなければならないときもある。
「わからない」
今度は私が眉をしかめた。
父は、こういう時必ず明確な日数を示す。
依頼の速やかな達成、それは退治屋の暗黙の掟。
それを信条とする父が、「わからない」と言う。
胸騒ぎがした。
「長くかかるのか?」
「わからない」
「そんなに難しい仕事なのか?」
「わからない」
いろいろと角度を変えて質問してみたが、「わからない」の一点張りだった。
とうとう、父が小太刀を砥ぎながら「やかましい、もう、寝ろ」と、険を含んだ台詞を吐いた。
私はカッとなって、「ああ寝るわ。寝るわいな。勝手にくたばりな」と言い捨てると、筵のに潜り込んだ。
しばらく、父に背を向けるようにして、目を開けたまま寝転がっていた。
しゃっ、しゃっ、と刀を研ぐ音だけがする。
父は、仕事に出かける前に、必ず念入りに刀を砥いでいく。
それは、傍目から見れば、どこか荘厳な儀式めいて見えた。
私は、その姿を見るのが好きだった。
寝返りをうつ。
蒼い月明かりの下、無心に刀を研ぐ父の姿が目に入った。
ふと、漠然とした不安が胸をよぎった。
それは、白い布に墨を黒く滲ませるように、徐々に私の心を占めていった。
唐突に、涙がこぼれた。
なぜかはわからない。自分でも驚いた。
涙は眉を伝い、私の右頬と床を湿らせた。
涙の堰は少しずつ崩壊し、いつしか私は鳴き声を押し殺すのに必死になっていた。
嗚咽が聞こえたのだろう、父がこちらを振り返った。
父は刀を一振りして水滴を払い、それを鞘に収めると、私のほうに近づいてきた。
父はすすり泣く私の目の前に座り、頭を撫でた。
「ばかたれ」
そう言って微笑む父の姿があった。
私は思わず吹き出してしまった。
だがそれは続かず、また涙が流れ始めた。
父は黙って私の頭を撫で続けてくれた。
そして、いつの間にか私は眠りに落ちていた。
目を覚ましたとき、もう父の姿は無かった。
「こんにちはっ、八雲紫様から参りました、藍と申しますっ」
「おう、来たか」
井戸端で顔を洗っていると、声がしたので振り向いてみると、子どもが立っていた。
姿形からすると、どうも妖怪らしい。
「お前、あぶないなぁ」
「えっ?あっ、はいっ、すみませんっ、えっと、なにがでしょうか?」
表情が硬い。緊張しているのだろう。
「まぁ、いいや」
この集落は妖怪と見るや殺そうとする輩が少なくない。
とりあえず、ここまで無事に来れたことは僥倖といったところだろう。帰りは送っていこう。
「たけのこだな?」
「はいっ」
「よし、ちょっと待ってろ」
「あっ、えっと、先にお代の方をっ」
あたふたと懐から小袋をとりだし、私のほうにずいっと差し出した。
その目一杯一生懸命な姿に、思わず吹き出してしまった。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。もうすこし楽にしてな」
言いながら、袋を受け取る。かなり重い。
中を見てみると、大粒の砂金がごろごろと入っていた。
「おいおい、こんなにいらないよ」
そう言うと、藍はお前はとてつもない罪を犯したのだと宣告されたかのように顔を青くし、目に涙を溜め始めた。
「でも、紫様には、それを渡せって、そう、言われて・・・」
最後のほうは、嗚咽交じりだった。
「あーわかったわかった、んじゃあありがたくもらっとくよ」
面倒くさくなって、たけのこを取りに、家の中へ入った。
籠にたけのこを入れた時、外で悲鳴がした。藍の声だ。
急いで表に出た。
見ると、黒装束の男が這うようにしてこちらに向かってきていた。
出血しているせいか、男の通った道には、血が地面に擦り付けられるように線を描いていた。
「妹紅・・・」
その声には聞き覚えがあった。
顔をよく見てみると、昨日鮎を分けてくれたお隣さんだった。
「どうしたんですか」
あわてて駆け寄り、抱き起こした。
「裏切られた・・・君の父さん・・・」
「お父がなんですかっ」
だが、その人の体が急に重くなった。全身から力が抜けている。
心の音は、もうしていなかった。
私はたけのこを藍に手荒く押し付けると、駆け出した。
なぜか確信があった。
迷いの竹林の、奥へ。ひたすら、奥へ。
人の叫び声。
その声は目的の場所に近づくにつれ、徐々に大きくなっていった。
竹林が開ける。
血。
反吐の出る悪臭。
辺り一面に転がっている黒装束の人間たち。
―私の記憶は、ここから先曖昧になる。
気が付いたら、辺りには黒焦げた死体が累々と転がっていた。
―the present…
「もーこーうー」
慧音の呼ぶ声がする。薪を割る手を休め、振り返ってみる。
「飯の仕度、できたぞー」
「ああ、今行く」
鉈を皮袋にしまい、慧音のいる縁側に腰掛ける。
飯櫃からは、たけのこご飯のいい匂いがする。
ぐぅ、と腹がなった。
その音を聞き、慧音がけらけらと笑った。
「仕方ないだろ、庭仕事は腹が減るんだ。
それにしても、雑草ほったらかすにもほどがあるんじゃないか?
寺子屋のガキどもにやらせればいいだろうに」
「そうもいかん。最近の親は過保護な者が多くてな、うっかり怪我でもさせたら、何を言われるかわかったもんじゃない」
「私は怪我してもいいのかよ・・・」
「まぁ、そういうな。そのお礼に、こうして飯を作ってやったんだから」
言いながら、慧音はどんぶりかと見間違うほど大きな茶碗に、山盛りたけのこご飯を盛り始めた。
「おいおい、いくらなんでも盛りすぎじゃないか?」
「ふっふ、だがあまりのうまさにもっと食べたくなってしまうのが私のたけのこご飯なのだ」
どん、と小山のように盛られたご飯が私の脇に置かれた。
私は、首に巻いた手ぬぐいで適当に手を拭くと、空腹に任せてご飯の山にむしゃぶりついた。
うめぇ。
「そんなにあわてなくても、まだまだあるからゆっくり食え」と笑いながら、慧音はたけのこ味噌汁を器に注いでいた。
「慧音」
「なんだ?」
「お前と出会ったのは、何年前だった?」
慧音は、急須から湯飲みに茶を注ぎながら、うーんと唸った。
「三百、いや四百年前か?」
「百年単位かい」
「いやでもそんなもんだと思うぞ」
「かもな」
「それがどうかしたか?」
「慧音」
「ん?」
「茶、くれ」
胸にご飯がつっかえた。
ほい、と湯飲みが渡される。
ぐい、と飲む。
「あっちぃ!」
「おおすまん。水の方がよかったか?」
氷水がグラスに注がれると、ひったくるようにして飲み干した。
「なんだ、落ち着きの無い」
「猫舌なんだよっ」
「そうだったっけ?」
「憶えろよっ、四百年の付き合いだろっ」
「妹紅、私とお前の間には、越えられない深い溝があるんだな・・・」
「んなこと今しみじみ言わないで下さい、慧音先生っ」
「はっはっはっ」
「結局笑って済ませるんかいっ」
「しかし、またなんでそんなことを聞く?」
空になったグラスに氷水を注ぎながら、改めて聞いてきた。
「いや、なんてことはないんだ」
「なんだ、気になるじゃないか」
水を一気に飲み干し、水滴を軽く振り払って慧音に返した。
「父の千年忌なんだ、明日」
沈黙。
「そうか」
さっ、と春風が吹いた。まだ、冬の涼しさを湛えていた。
「もう一杯、どうだ?」
慧音がしゃもじを右手に、左手を差し出す。
私の茶碗は、空だった。
「それじゃ、もらおうかな」
茶碗を差し出す。
「ああ、何杯だって食えばいいさ」と、慧音は笑った。
父の遺体を見つけるのは簡単だった。
父は、永遠亭の入り口に、体中穴だらけにされた格好で斃れていた。
死体をよく見てみると、焼死体以外は、全員『翁』の装束を纏っていた。
脇を見る。
腰を抜かし、小便を垂らしながら後ずさっている者。
『姥』の者だ。
「すすすすすす」と、なにかをすすり上げるような音を歯の間から出している。
私はそいつに近づき、首を締め上げた。
「なぜだ?」
その男は、ひいっ、とのど奥から声にならない声を絞り出した。
軽く首を焦がす。
絶叫。
「答えなければ、殺すぞ」
「しししししししし」
「あ?」
「知らない知らない知らない」
「なにをだ」
「お上お上お上お上ががががががやれやれやれ」
「帝が?」
首を激しく縦に振る。
「なぜ?」
「おおおおおおおおきなはぎゃくぞくと」
私はそいつを塵になるまで燃やした。
私は永遠亭の中へと押し入った。
ひたすら奥へ。奥へと。
途中、だれともすれ違わなかったことを不信にすら思わないほど、私は猛っていた。
何枚襖を開いたか、わからない。
しまいには、燃やして吹き飛ばしながら先へと進んだ。
はた、と足が止まった。
一枚の襖。
その奥から伝わる、濃厚な気配。
私は、そっと襖を開いた。
見ると、私と同じくらいの背格好をした少女が、頬杖をつきながら横になっていた。
その顔の、涼やかなのを見て、私は猛然とその女に掴みかかった。
「なぜ止めなかった」
少女は気だるそうに、私の目を直視した。
「なぜ止めなかったんだ」
私はもう一度問うた。
「私には関係の無いことだから」
燃やした。
だが、炎の中から煤けた腕が伸びる。
「まぁ、仕方ないか」
・・・暗転。
―目が覚めると、布団の上で寝ていた。
「目が覚めたようね」
脇を見ると、八雲紫が居住まい正しく座っていた。
「私は、あなたに謝らなければならない」
そう言うと、紫は両手を畳につき、頭を下げた。
「それから、事の顛末を聞かされたよ」
手に持った湯飲みは、すでに冷めていた。
慧音は、食器を片付けながら、黙って耳を傾けていた。
「そもそもの発端は、朝廷内での権力争いだった。
当時、朝廷内は二つの勢力に分かれていた。
妖怪を討伐しようとする勢力と、妖怪と協調しようとする勢力。
討伐派には、力を持ち始めた武家と、それに同調する高位の貴族が、協調派は、昔から妖怪たちと交流を持っていた地方貴族が多かった。
それまでは、うまく均衡を保っていた二つの勢力だったが、ある出来事をきっかけに、朝廷内の意見は、大きく討伐へと傾いた。
八雲紫が月に仕掛けた戦争だ。
これにより、妖怪を脅威とみなす意見が大多数を占めた。
その朝廷内にあって、近衛府で将来を嘱望されていた父は、協調関係の持続を訴え続けた。
そんな父を妖怪側から全面的に支援していたのが、八雲紫だった。
だが、父は左遷された。
―いや、だからこそ、か。
妖怪に魅入られたうつけ者。
父は、当時討伐派として大きな勢力を誇っていた一族の者だった。
異分子は排撃される。
単一の目的を志向する組織において、それは当然のことだった。
父に与えられた新たな役職は、妖怪の討伐を任とする組織の長という、皮肉なものだった」
「私がその話を聞いたのは、偶然でした」
布団の横で、紫が淡々と話を続ける。
「この間の戦役の影響によって、地上に残ってしまった月の勢力にどう対処するかという、妖怪同士の会合において、人間が独自に月の勢力に対して軍事行動を起こす可能性がある、という話が持ち上がりました。
その話自体は、前々から議題に上っていました。
朝廷は、基本的に月の者に対しては、触らぬ神にたたりなし、の方針をとっていました。
しかし、一部の人間は、妖怪と結託して人間に対する強行支配に乗り出すのではないか、との疑念を抱いていました。
ならば、先手を打って―
そう考える人間は、少なくありませんでした。
そしてその時の議題に上ったのは、さらに具体化された人間の軍事計画でした。
―近々、永遠亭に対して、『翁』と『姥』を差し向けるらしい・・・
その場にいた妖怪は、そのことを、月に対して対応を先走った人間の愚かな行動、くらいにしかとらえていませんでしたが、『翁』の長であるあなたの父上と親しかった私は、首を傾げました。
あなたも知っての通り、『翁』と『姥』は犬猿の仲。
しかし、そのことを認識していた妖怪は、ほとんどいなかった。
攻撃される側からすれば、どちらも同じようなものですからね。
できることなら、そのことをあなたの父上と相談したかったのですが、口の堅い彼のことです、意味を成さないことは明らかでした。
そこで私は、永遠亭に向かいました。
ちょうどあなたに出会った、あの時ですよ。
あなたが藤原の娘であることはすぐにわかりましたよ。
―鳳凰に魅入られた娘を持っている人間なんて、彼以外いませんからね。
私は永遠亭に着くと、主人に面会しました。
そして、永遠亭に対する人間の軍事計画を伝えました。
―うまくいけば、なにかしら事が起こる前に、永遠亭が軍事計画を挫いてくれるかもしれない。私はそう期待していました」
「だけどあいつは『へぇ、そう』と興味無さそうに呟いただけらしい」
縁側から立ち上がり、ぐっと背伸びをした。
首を回すと、ごきりと関節が鳴った。
「紫は、それ以上なにも言えなかった。
なにしろ、月に対して喧嘩売った張本人だ。月の連中に対して、あまりどうこう言えた口じゃない。
そして、事は起こってしまった」
「ついさっき、確認をとってきましたよ。
討伐派の主だった連中に。
ちょっと脅しつけてやったら、洗いざらい吐いてくれました。
実に人間らしい、ちんけな理由でしたよ」
「父の排除。
ただそれだけのために巡らされた策略だった。
討伐派のやつらにとってしてみれば、『翁』という本来最も討伐派に忠実であるべき組織に、父のような存在は、目の上のたんこぶでしかなかった。
父は、『翁』を変えようとしていた。
人間と妖怪の架け橋となれる組織。
それが、父の理想だった。
左遷されてもなお、父は人間と妖怪との関係に心を砕いていた。
それが仇になった。
結果として、父に賛同する者達と共に、父は抹殺された」
「『翁』も『姥』も終わりでしょう。
私は、朝廷に対して宣言しました。
―即刻討伐派の先鋒たる『翁』を解散しなければ、それは我々妖怪に対する明確な敵意と見做し、今ここでここにいる全ての人間を無限の闇へと葬る。
・・・これで、あなたの父上の悲願だった朝廷と妖怪の和解は、決裂してしまいました。
これからは、妖怪と敵対する人間、妖怪と歩調を合わせる人間、その二種類に分かれるでしょう。
『姥』は、あなたによって壊滅しました。
今回参加した者たちは、『姥』の中でも指導的役割を果たす、選りすぐりの者たちでした」
「そして紫は、もういちど謝ったよ。
―止められなくて、ごめんなさい、ってね」
私はふらつく足で立ち上がった。
なんだか頭の重心が定まらない。
寝ていなきゃいけない、という紫の制止を無視して、私はまた永遠亭の奥深くへと進んでいった。
人の形をした炭が、布団に横たわっていた。
「―どうして生きているんだよ」
輝夜は、瞑っていた眼を開き私を見、そして上を向いて深く息を吐いた。
「その問いは、自分の顔を鏡で見てから言うことね」
化粧台に据えられていた唐鏡を覗き込む。
額に大きな穴が開いて、穴の向こう側に天井が見えた。
「自分が何者なのか、それを自覚しなさい。
―じゃなきゃ、苦しいわよ」
鳳凰に魅入られるとはどういうことなのか。
自覚した私は、ただひたすら獣のように叫び続けるしかなかった。
傷が癒え、家に戻り、父の遺書を見た。
そこにはただ、「何人も恨むべからず」とだけ書かれていた。
父は優しい人だった。
しばらく、泣いた。
「お、ここだここだ」
私は、慧音と共に『翁』の集落があった場所に来ていた。
そこに、あの日亡くなってしまった者たちがまとめて葬られている。
彼岸花が寂しく咲き誇るだけの場所だった。
『翁』と『姥』の者たちは解散後、人間の里にうまく溶け込む者、懲りずに朝廷に仕え続けた者、自害する者など、様々だった。
千年過ぎた今では、それはなんの意味も無い。
「なあ、慧音」
「ん?」
「私は、なんなんだろうな」
沈黙。
「お前はお前だ。私の大切な友人、藤原妹紅。ただそれだけだ」
空を見上げる。
薄く蒼い三日月が、燃える様な夕暮れの空によく映える。
「そうか。そりゃ、いいな」
なぜか、空が滲んで、夕暮れが溶け出した。
すいません、ちょっと言葉が足りませんでした^q^
そもそも、この話を書こうと思った由来は、
「藤原不比等が父だと言われているけど、もしノットイコールだったら、両親はどんな人だろう?」
って考えから来ています。
・・・まぁ、それでも歴史背景無視している感は否めないんですけど^q^
その辺はゆるく考えていただければありがたいです^q^
やはりこの公式設定が完全に無視されている感が。
あと、時代背景については適当でも構わないのなら、それはそれでいいんですが、多分、普通はこれを読んでいてもの凄い違和感を感じると思います。妹紅の父=藤原不比等ってのは適当な理由でいわれてるわけではないので。
「藤原不比等」はもちろんとして、それと「藤原氏」「藤原氏四家」あたりで調べれば多分わかると思います。
やはり公式無視は大きなマイナスポイントですか・・・
勉強し直してきます・・・
別に不比等が父親ではない解釈も、ありだと思いますが
永遠亭や八雲家が不自然すぎました
これはちょっと設定無視が酷すぎるかと。
特に妹紅が先天性の蓬莱人になっている点などが。