◇
――あぁ、よし。
私がおかれている状況について一つずつ話そう。
目の前にはアンティークのランプがある。
そこまでは理解できる。
では、次だ。
私は眠っていた。
その前後については思い出せないが、それは真実だ。
そして、見渡す限りの真っ赤なレンガ。
真っ暗なトンネル。生ぬるい空気が漂っている場所。
それが私の今居る場所だった。
しかし、この場所に心当たりはないのだから困ったものだ。
さて、どうしたものだろう。
「ようやくお目覚めね」
突然聞こえる声に、呆けた表情のまま振り返る。
その声はどこかで聴き覚えがあるものだった。
「あれ、咲夜さん?」
「あら、私の顔を忘れたの?美鈴」
そう言ってふふ、と笑う銀髪の少女。
幼いその笑顔は昔から変わらないままだった。
しかし、知らない土地で知り合いに会うと心強くなるものだ。
私は思わずふぅ、と息を吐く。
「ところで、咲夜さん?」
「なに?」
「ここ、どこなんです?」
「あぁ、ここはね――」
ちなみに言えば、今日は休日だったので、
寝ていたことが知られても怒られることはない。
だから、私はためらうことなく、咲夜さんに尋ねることが出来たのだ。
兎に角、これで自分がどこに居るかは分かるだろう、と。
「ここは――」
咲夜さんは首を傾げる。
それを見た私は咲夜さんよりも首を傾げた。
「――私も知らないのよ」
――。
状況が少しだけ変わった。
どうにも、私たちは知らない土地に置き去りにされたらしい。
◇
冷静に考えてみよう。
まず、知らない土地に、無意識に来るわけがない。
もしかすれば、拉致の類かもしれないが、
咲夜さんも同時にさらわれるという事がありえるだろうか。
普通に考えれば、どれほど可能性が低いかは分かる。
「咲夜さんは、なぜここに来たのか分かります?」
私は思ったことを素直に口にした。
すると、咲夜さんは、
「それが分からないのよ。美鈴は?」
と言う。
「私もなんですよ。どうしちゃったんでしょうね」
「案外、お気楽じゃない」
「気楽な振りをしてたら、少しは落ち着くかなって」
咲夜さんはあたりを見回しながら、
私の質問に答える。
私はといえば、ただ呆然としているだけだった。
「ちょっと美鈴。脱け出す手段を考えなさいよ」
「といってもですね――」
レンガ造りのトンネルのような場所だ。
正面と後ろ、そのどちらを見渡しても、先は真っ暗で見えない。
手元にあるアンティークのランプだけが、
私たちを照らす唯一のものだった。
「真っ暗――ですね」
「ええ、そうね」
「でも、こうしてても始まりませんか」
私は小さなランプを手に取った。
だが、その手は咲夜さんによって妨げられる。
「――咲夜さん?」
「美鈴、どちらが出口なのか分からないのよ。
だから、二手に分かれて探さない?」
「それは危険じゃないですか?
第一、灯りもこれしかないのに」
「だから、このランプはここに置いておくの。
合流地点の目印にしましょう」
「――咲夜さんがいうなら何か案があるんですね?」
「ないわ」
はっきりとした言葉が響き渡る。
「でも、このままじゃ駄目でしょうから」
咲夜さんがそういったことで、私はランプを置いた。
結局、闇雲に探索するほかに手段がないのは確かなのだ。
「じゃあ、美鈴。
もし、出口を見つけても、一度合流地点に戻ること。
そして、危険を感じた場合や、出口が見つからない場合も戻るのよ。
残念ながら、時計はこの暗さじゃ見えないから、
適当なところ、自己判断で探索は打ち切りましょう」
そう言って咲夜さんは私の背面へと歩き出す。
「気をつけてくださいね」
私はそれを軽く見届けてから、反対側へと足を向けた。
◇
――カツン。
咲夜さんと別れて、どれほどの時間が経っただろうか。
私はいま、ひたすら前に足を進めていた。
――カツン。
私の足音が暗い道の中に延々と響き渡る。
レンガを踏みしめた音は、
レンガに反射し、もう一度私の耳に戻ってくる。
――カツン。
この状況は、怖い。
何も見えなければ、音だけが増幅されて聞こえる。
私の感覚器官は特に鋭くなっており、
ちいさな音が聞こえただけで過敏に反応してしまう。
――カツン。
目の前には何があるのかも分からない。
私が踏みしめているのは、本当にレンガだろうか。
後ろを振り返っても、もう小さな灯りは見えない。
――カツン。
咲夜さんは大丈夫だろうか。
やはり、二人で移動した方が良かった気さえする。
最初、私に残っていた余裕はじりじりと失われているのだ。
ここは、どこ?
――カツン。
もし。
このまま出口が見つからなければ。
私はどうなるのだろう。
――カツン。
幸か不幸か、私は妖怪だ。
だから、簡単に死にはしない。
正確には、死ねない。
もし、出口がなければ、私はひとりだ。
――カツン。
死ぬことよりも、誰にも会えない事が辛い。
一人で生きる事が出来るなら、誰もが最初から一人になる。
それでも、何らかの旗の下で、私たちは生きているのだ。
――カツン。
私は、紅魔館という旗の下で生きている。
それは、自分が一人では生きられないからだ。
そうして、自分は何者かというレッテルを貼ることで、
私は自分を認識してきたのだ。
――カツン。
それにしても、足音がうるさい。
延々と響き渡る音に耐えられず、私は思わず靴を脱ぎ捨てた。
そのせいで、冷やりとした感触が全身に響き渡る。
――。
もし、このまま、出る事が出来なかったら。
咲夜さんにも会うことが出来なかったなら。
私は一体どうしてしまうのだろう。
この、皮膚の下を伝う感覚が、怖い。
――。
私はもう、考える事が出来なかった。
何を考えても、悪いことだけが思い浮かぶ。
今はただ、手で壁を触りながら歩くことしか出来ない。
――。
だが、そのとき、私の目に小さな灯りが見えた。
一体どれほど歩いたというのだろう。私は思わず笑ってしまった。
あれが出口に繋がる道ならば、
あの得体の知れない暗い道を戻ることになっても構わない。
早く、咲夜さんを呼びに行こう。
そう思っていた。
――。
だが、その灯りは近づいても、小さい。
気がつけば、私の心臓は暴れまわっている。
「――嘘ですよね」
近づいても近づいても、光は大きさをあまり変えない。
それもそのはずだ。
その灯りは、あの、アンティークのランプだったのだから。
◇
このトンネルはドーナッツのようになっていた。
そう、私は莫大な時間をかけて、そこを一周しただけなのだ。
だが、出口は見つからなかった。その事実は絶望的だ。
――それだけじゃない。
咲夜さんにも、私は鉢合わせることがなかった。
ここは暗いが、それでも足音が聞こえれば、お互いに気付くだろう。
だが、私は咲夜さんの足音を聞いていない。
――なら。
咲夜さんは出口を見つけて、一人で出て行ったのだ。
残念ながら、そうとしか考えようがない。
「残酷ですね」
私は、聞くものがいないというのに、その言葉を呟く。
それは呪詛のようなものだ。
この言葉を呟いたことで、私の中に、小さな感情が芽生える。
「暗いです。とても、暗い」
私は小さな言葉を発し続ける。
真っ暗なレンガ造りのトンネルの中で、
その言葉はただ響くばかりだ。
「咲夜さん、どこが出口ですか?」
私はそう言いながら、あのアンティークのランプを掴む。
もう、これに待ち合わせ場所としての役割はないのだろうから。
「さっき内側を回ったので、外側を見てみますね」
私はそう言って、小さな灯りで壁を照らしだした。
先ほどは暗くて見えなかったが、レンガのひとつひとつに、
小さな絵が描かれている。子供の落書きのようだ。
「でも、どこに出口があるんでしょう」
私はそう言って、先ほどまで歩いていた方向と逆に歩き出す。
どうせ、この道は繋がっているのだ。
だから、どちらから歩いても変わらないだろう、と。
「早く、私も出たいです」
私はそう言いながら、小さなレンガたちを裸足で踏みつけた。
◇
――。
なぜ、こんなことになったのか。
私は咲夜さんを信用していた。
なのに、その結果がこれだ。
――。
小さなランプがあるだけ心強い。
先ほどまではただの暗闇だったが、
今では仄かにだがトンネルの全体像が見えてくる。
――。
しかし、ここから出たとき、
私は咲夜さんと普通に接する事が出来るのだろうか。
こんな仕打ちは、とてもじゃないが想像も出来なかった。
こんなに悲しいことになるとは。
――。
ここは一体どこだろう。
もう、そんな疑問を抱くこともなくなってきた。
ただ、早く出ることしか考えられないのだ。
――。
私はいままで、紅魔館で過ごしてきた。
それはとても楽しい日々だった。
だが、それもここまでだろうか。
私は、『自分』が流れ出していくのを実感する。
もう、昨日までの私ではいられないのだ。
――。
そうして、しばらく歩いた頃だろうか。
壁を構成しているレンガのなかに、小さなドアを見つけた。
私はそのドアをランプで照らしだした。
――。
おそらく、ここから咲夜さんは出て行ったのだろう。
私は迷うことなく、ドアノブに手をかける。
だが、ふとドアの横に書かれている言葉が目に入った。
――あと、いっかいで、なくなります。
あと、一回。
つまり、私がドアから出ると、それでドアが消えるというのか。
しかし、それに不都合はないだろう。
もう、こんなところには来たくない。
だから、私はドアノブをゆっくりと回した。
――。
◇
私がそこを抜けると、本当にドアは消えてしまった。
そこにあるのは、小さなレンガの壁だけだ。
――これで良いんです。
私は手に持ったランプをかざしながら、もう一度、歩き始める。
真っ暗な道だが、先ほどのトンネルのような重苦しさはない。
そして、何よりも外からは太陽の光が見えた。
そのことが何よりも私の心を安らかにしてくれる。
そして、私はゆっくりと光の方へ歩き始めた。
草木が風で揺れている様に、私はため息を吐いた。
――ただいま。
ランプを地面に置き、私は大きく息を吸う。
私が出てきたのは、紅魔館のそばにあったらしい、
地面に開いたちいさな穴からだった。
――とりあえず、帰ろう。
そう思って私は紅魔館に向かった。
懐かしい門を開くと、いつものような光景に会えると思って。
だが、現実は残酷であった。
◇
「美鈴!咲夜がいないの!」
それが、ようやく帰り着いた私を迎えた言葉だ。
お嬢様がここまで取り乱すことがあるなんて思いもしなかった。
だが、それよりも、だ。
「咲夜さんが、ですか――?」
そんなわけがない。
咲夜さんは私を置いて先に帰っているはずなのだから。
「心当たりはないの!?」
「心当たりは――」
私は先ほどのことを思い返す。
私はあの暗闇の中、自分の足音に怯え、素足で歩いていた。
延々と響く音が怖かったのだ。
そして、咲夜さんとはすれ違わなかった。
足音が聞こえなかったからだ。
――足音?
待て、足音が聞こえなかったから、
私は先に咲夜さんが帰ったものだと思っていた。
だが、もし、咲夜さんも私と同じように靴を脱いでいたら?
私の体中に嫌な汗が流れる。
「何か思い当たることがあるのね!?」
もし、そうならば、どうだ。
私はその後、ランプを手に取り、反対側を歩き始めた。
その後も裸足のままで、だ。
しかし、合流地点に咲夜さんよりも先に着いていたなら?
そうだ、咲夜さんは、私がランプを持ち出したことを知らない。
なら、今もドーナッツ状のトンネルに気付かないで、歩き続けている?
「美鈴!?」
私は走り出した。
咲夜さんを助けなければいけないと思った。
だから、もう一度、あの穴に潜る。
途中で、置いていたランプを手にとって、だ。
目の前には小さなレンガの壁がある。
しかし、ドアは消えてしまっている。私が最後の一回だったからだ。
もし、咲夜さんをどこかで信じて待っていれば、
二人同時に出る事が出来たというのに。
――。
私は力を込めてレンガを殴りつける。
ガラガラ、と崩れるレンガを私は投げ捨てた。
「――嘘、ですよね」
だが、そこにはただの土の壁しかない。
――あと、いっかいで、なくなります。
消えたのは、ドアではない。
あのトンネルと、赤いレンガと、
そして、咲夜さんだったのだ。
私は手で目の前の土を堀り続ける。
それでも、どこにもあのトンネルは存在しなかった。
だが、擦るような、足音が聞こえるのだ。
――。
――。
――。
――。
――。
私は、そこで意識を手放した。
◇
――あれ?
私が目を覚ました場所は、私の部屋だった。
「いくら休暇でも寝すぎよ、美鈴」
そして、咲夜さんが私に笑いかけている。
「――咲夜さん、無事なんですか?」
「――え?何を言ってるのよ?」
「トンネルが、赤いレンガのトンネルがありましたよね?」
私はうまく説明できずに、口ごもってしまう。
すると、咲夜さんは苦笑した。
「ちょっと、何を言ってるか分からないけど、
寝ぼけてないでさっさと朝ごはんを食べに来なさいよ」
そして、咲夜さんは私の部屋から出て行った。
いつもと変わらない、てきぱきとした仕草で、だ。
「――夢、だったんですか」
私はそのことに少しだけ安心した。
あれはただの悪夢だったのだ。
現実に起こったことではない。
私は、汗を吸った寝巻きを脱ぐと、いつもの服に着替えた。
――あぁ、良かった。
私は食堂に行って、朝ごはんを食べる。
とても美味しくて、私は思わずにやけてしまった。
「本当に美味しそうに食べるわね」
気がつくと咲夜さんが私の前に座っていた。
「咲夜さんが作ってくれるからですよ」
「それはありがとう。ところでどんな夢を見たの?」
「え?」
「ほら、さっき言ってたでしょう?
赤いトンネルがどうたら、って」
「それは――」
「夢って自分を写す鏡というし、
冷静に分析したら面白いでしょうし」
あの夢はなんだったのか。
夢が自分を映す鏡であるなら、あれが本当の私になるのだろうか。
つまり、私は何かあれば咲夜さんを見捨てるかもしれない。
自分勝手な理屈で、踏みにじることが出来る程度に思っていたのか。
――そんな。
あの夢の中では咲夜さんは進んでも戻っても、
ランプの小さな光すら、見る事が出来なかっただろう。
それは、私が咲夜さんを見捨てたからだ。
――私は。
なぜか、うまく笑えなくなる。
どんなに口に食べ物を入れても、味がしない。
「ねぇ、美鈴、どんな夢なの?」
あれは本当に夢だった?
これもまだ夢の延長?
ねぇ、美鈴。
どうしたの、ねぇ、美鈴。
ねぇ。
――あぁ、よし。
私がおかれている状況について一つずつ話そう。
目の前にはアンティークのランプがある。
そこまでは理解できる。
では、次だ。
私は眠っていた。
その前後については思い出せないが、それは真実だ。
そして、見渡す限りの真っ赤なレンガ。
真っ暗なトンネル。生ぬるい空気が漂っている場所。
それが私の今居る場所だった。
しかし、この場所に心当たりはないのだから困ったものだ。
さて、どうしたものだろう。
「ようやくお目覚めね」
突然聞こえる声に、呆けた表情のまま振り返る。
その声はどこかで聴き覚えがあるものだった。
「あれ、咲夜さん?」
「あら、私の顔を忘れたの?美鈴」
そう言ってふふ、と笑う銀髪の少女。
幼いその笑顔は昔から変わらないままだった。
しかし、知らない土地で知り合いに会うと心強くなるものだ。
私は思わずふぅ、と息を吐く。
「ところで、咲夜さん?」
「なに?」
「ここ、どこなんです?」
「あぁ、ここはね――」
ちなみに言えば、今日は休日だったので、
寝ていたことが知られても怒られることはない。
だから、私はためらうことなく、咲夜さんに尋ねることが出来たのだ。
兎に角、これで自分がどこに居るかは分かるだろう、と。
「ここは――」
咲夜さんは首を傾げる。
それを見た私は咲夜さんよりも首を傾げた。
「――私も知らないのよ」
――。
状況が少しだけ変わった。
どうにも、私たちは知らない土地に置き去りにされたらしい。
◇
冷静に考えてみよう。
まず、知らない土地に、無意識に来るわけがない。
もしかすれば、拉致の類かもしれないが、
咲夜さんも同時にさらわれるという事がありえるだろうか。
普通に考えれば、どれほど可能性が低いかは分かる。
「咲夜さんは、なぜここに来たのか分かります?」
私は思ったことを素直に口にした。
すると、咲夜さんは、
「それが分からないのよ。美鈴は?」
と言う。
「私もなんですよ。どうしちゃったんでしょうね」
「案外、お気楽じゃない」
「気楽な振りをしてたら、少しは落ち着くかなって」
咲夜さんはあたりを見回しながら、
私の質問に答える。
私はといえば、ただ呆然としているだけだった。
「ちょっと美鈴。脱け出す手段を考えなさいよ」
「といってもですね――」
レンガ造りのトンネルのような場所だ。
正面と後ろ、そのどちらを見渡しても、先は真っ暗で見えない。
手元にあるアンティークのランプだけが、
私たちを照らす唯一のものだった。
「真っ暗――ですね」
「ええ、そうね」
「でも、こうしてても始まりませんか」
私は小さなランプを手に取った。
だが、その手は咲夜さんによって妨げられる。
「――咲夜さん?」
「美鈴、どちらが出口なのか分からないのよ。
だから、二手に分かれて探さない?」
「それは危険じゃないですか?
第一、灯りもこれしかないのに」
「だから、このランプはここに置いておくの。
合流地点の目印にしましょう」
「――咲夜さんがいうなら何か案があるんですね?」
「ないわ」
はっきりとした言葉が響き渡る。
「でも、このままじゃ駄目でしょうから」
咲夜さんがそういったことで、私はランプを置いた。
結局、闇雲に探索するほかに手段がないのは確かなのだ。
「じゃあ、美鈴。
もし、出口を見つけても、一度合流地点に戻ること。
そして、危険を感じた場合や、出口が見つからない場合も戻るのよ。
残念ながら、時計はこの暗さじゃ見えないから、
適当なところ、自己判断で探索は打ち切りましょう」
そう言って咲夜さんは私の背面へと歩き出す。
「気をつけてくださいね」
私はそれを軽く見届けてから、反対側へと足を向けた。
◇
――カツン。
咲夜さんと別れて、どれほどの時間が経っただろうか。
私はいま、ひたすら前に足を進めていた。
――カツン。
私の足音が暗い道の中に延々と響き渡る。
レンガを踏みしめた音は、
レンガに反射し、もう一度私の耳に戻ってくる。
――カツン。
この状況は、怖い。
何も見えなければ、音だけが増幅されて聞こえる。
私の感覚器官は特に鋭くなっており、
ちいさな音が聞こえただけで過敏に反応してしまう。
――カツン。
目の前には何があるのかも分からない。
私が踏みしめているのは、本当にレンガだろうか。
後ろを振り返っても、もう小さな灯りは見えない。
――カツン。
咲夜さんは大丈夫だろうか。
やはり、二人で移動した方が良かった気さえする。
最初、私に残っていた余裕はじりじりと失われているのだ。
ここは、どこ?
――カツン。
もし。
このまま出口が見つからなければ。
私はどうなるのだろう。
――カツン。
幸か不幸か、私は妖怪だ。
だから、簡単に死にはしない。
正確には、死ねない。
もし、出口がなければ、私はひとりだ。
――カツン。
死ぬことよりも、誰にも会えない事が辛い。
一人で生きる事が出来るなら、誰もが最初から一人になる。
それでも、何らかの旗の下で、私たちは生きているのだ。
――カツン。
私は、紅魔館という旗の下で生きている。
それは、自分が一人では生きられないからだ。
そうして、自分は何者かというレッテルを貼ることで、
私は自分を認識してきたのだ。
――カツン。
それにしても、足音がうるさい。
延々と響き渡る音に耐えられず、私は思わず靴を脱ぎ捨てた。
そのせいで、冷やりとした感触が全身に響き渡る。
――。
もし、このまま、出る事が出来なかったら。
咲夜さんにも会うことが出来なかったなら。
私は一体どうしてしまうのだろう。
この、皮膚の下を伝う感覚が、怖い。
――。
私はもう、考える事が出来なかった。
何を考えても、悪いことだけが思い浮かぶ。
今はただ、手で壁を触りながら歩くことしか出来ない。
――。
だが、そのとき、私の目に小さな灯りが見えた。
一体どれほど歩いたというのだろう。私は思わず笑ってしまった。
あれが出口に繋がる道ならば、
あの得体の知れない暗い道を戻ることになっても構わない。
早く、咲夜さんを呼びに行こう。
そう思っていた。
――。
だが、その灯りは近づいても、小さい。
気がつけば、私の心臓は暴れまわっている。
「――嘘ですよね」
近づいても近づいても、光は大きさをあまり変えない。
それもそのはずだ。
その灯りは、あの、アンティークのランプだったのだから。
◇
このトンネルはドーナッツのようになっていた。
そう、私は莫大な時間をかけて、そこを一周しただけなのだ。
だが、出口は見つからなかった。その事実は絶望的だ。
――それだけじゃない。
咲夜さんにも、私は鉢合わせることがなかった。
ここは暗いが、それでも足音が聞こえれば、お互いに気付くだろう。
だが、私は咲夜さんの足音を聞いていない。
――なら。
咲夜さんは出口を見つけて、一人で出て行ったのだ。
残念ながら、そうとしか考えようがない。
「残酷ですね」
私は、聞くものがいないというのに、その言葉を呟く。
それは呪詛のようなものだ。
この言葉を呟いたことで、私の中に、小さな感情が芽生える。
「暗いです。とても、暗い」
私は小さな言葉を発し続ける。
真っ暗なレンガ造りのトンネルの中で、
その言葉はただ響くばかりだ。
「咲夜さん、どこが出口ですか?」
私はそう言いながら、あのアンティークのランプを掴む。
もう、これに待ち合わせ場所としての役割はないのだろうから。
「さっき内側を回ったので、外側を見てみますね」
私はそう言って、小さな灯りで壁を照らしだした。
先ほどは暗くて見えなかったが、レンガのひとつひとつに、
小さな絵が描かれている。子供の落書きのようだ。
「でも、どこに出口があるんでしょう」
私はそう言って、先ほどまで歩いていた方向と逆に歩き出す。
どうせ、この道は繋がっているのだ。
だから、どちらから歩いても変わらないだろう、と。
「早く、私も出たいです」
私はそう言いながら、小さなレンガたちを裸足で踏みつけた。
◇
――。
なぜ、こんなことになったのか。
私は咲夜さんを信用していた。
なのに、その結果がこれだ。
――。
小さなランプがあるだけ心強い。
先ほどまではただの暗闇だったが、
今では仄かにだがトンネルの全体像が見えてくる。
――。
しかし、ここから出たとき、
私は咲夜さんと普通に接する事が出来るのだろうか。
こんな仕打ちは、とてもじゃないが想像も出来なかった。
こんなに悲しいことになるとは。
――。
ここは一体どこだろう。
もう、そんな疑問を抱くこともなくなってきた。
ただ、早く出ることしか考えられないのだ。
――。
私はいままで、紅魔館で過ごしてきた。
それはとても楽しい日々だった。
だが、それもここまでだろうか。
私は、『自分』が流れ出していくのを実感する。
もう、昨日までの私ではいられないのだ。
――。
そうして、しばらく歩いた頃だろうか。
壁を構成しているレンガのなかに、小さなドアを見つけた。
私はそのドアをランプで照らしだした。
――。
おそらく、ここから咲夜さんは出て行ったのだろう。
私は迷うことなく、ドアノブに手をかける。
だが、ふとドアの横に書かれている言葉が目に入った。
――あと、いっかいで、なくなります。
あと、一回。
つまり、私がドアから出ると、それでドアが消えるというのか。
しかし、それに不都合はないだろう。
もう、こんなところには来たくない。
だから、私はドアノブをゆっくりと回した。
――。
◇
私がそこを抜けると、本当にドアは消えてしまった。
そこにあるのは、小さなレンガの壁だけだ。
――これで良いんです。
私は手に持ったランプをかざしながら、もう一度、歩き始める。
真っ暗な道だが、先ほどのトンネルのような重苦しさはない。
そして、何よりも外からは太陽の光が見えた。
そのことが何よりも私の心を安らかにしてくれる。
そして、私はゆっくりと光の方へ歩き始めた。
草木が風で揺れている様に、私はため息を吐いた。
――ただいま。
ランプを地面に置き、私は大きく息を吸う。
私が出てきたのは、紅魔館のそばにあったらしい、
地面に開いたちいさな穴からだった。
――とりあえず、帰ろう。
そう思って私は紅魔館に向かった。
懐かしい門を開くと、いつものような光景に会えると思って。
だが、現実は残酷であった。
◇
「美鈴!咲夜がいないの!」
それが、ようやく帰り着いた私を迎えた言葉だ。
お嬢様がここまで取り乱すことがあるなんて思いもしなかった。
だが、それよりも、だ。
「咲夜さんが、ですか――?」
そんなわけがない。
咲夜さんは私を置いて先に帰っているはずなのだから。
「心当たりはないの!?」
「心当たりは――」
私は先ほどのことを思い返す。
私はあの暗闇の中、自分の足音に怯え、素足で歩いていた。
延々と響く音が怖かったのだ。
そして、咲夜さんとはすれ違わなかった。
足音が聞こえなかったからだ。
――足音?
待て、足音が聞こえなかったから、
私は先に咲夜さんが帰ったものだと思っていた。
だが、もし、咲夜さんも私と同じように靴を脱いでいたら?
私の体中に嫌な汗が流れる。
「何か思い当たることがあるのね!?」
もし、そうならば、どうだ。
私はその後、ランプを手に取り、反対側を歩き始めた。
その後も裸足のままで、だ。
しかし、合流地点に咲夜さんよりも先に着いていたなら?
そうだ、咲夜さんは、私がランプを持ち出したことを知らない。
なら、今もドーナッツ状のトンネルに気付かないで、歩き続けている?
「美鈴!?」
私は走り出した。
咲夜さんを助けなければいけないと思った。
だから、もう一度、あの穴に潜る。
途中で、置いていたランプを手にとって、だ。
目の前には小さなレンガの壁がある。
しかし、ドアは消えてしまっている。私が最後の一回だったからだ。
もし、咲夜さんをどこかで信じて待っていれば、
二人同時に出る事が出来たというのに。
――。
私は力を込めてレンガを殴りつける。
ガラガラ、と崩れるレンガを私は投げ捨てた。
「――嘘、ですよね」
だが、そこにはただの土の壁しかない。
――あと、いっかいで、なくなります。
消えたのは、ドアではない。
あのトンネルと、赤いレンガと、
そして、咲夜さんだったのだ。
私は手で目の前の土を堀り続ける。
それでも、どこにもあのトンネルは存在しなかった。
だが、擦るような、足音が聞こえるのだ。
――。
――。
――。
――。
――。
私は、そこで意識を手放した。
◇
――あれ?
私が目を覚ました場所は、私の部屋だった。
「いくら休暇でも寝すぎよ、美鈴」
そして、咲夜さんが私に笑いかけている。
「――咲夜さん、無事なんですか?」
「――え?何を言ってるのよ?」
「トンネルが、赤いレンガのトンネルがありましたよね?」
私はうまく説明できずに、口ごもってしまう。
すると、咲夜さんは苦笑した。
「ちょっと、何を言ってるか分からないけど、
寝ぼけてないでさっさと朝ごはんを食べに来なさいよ」
そして、咲夜さんは私の部屋から出て行った。
いつもと変わらない、てきぱきとした仕草で、だ。
「――夢、だったんですか」
私はそのことに少しだけ安心した。
あれはただの悪夢だったのだ。
現実に起こったことではない。
私は、汗を吸った寝巻きを脱ぐと、いつもの服に着替えた。
――あぁ、良かった。
私は食堂に行って、朝ごはんを食べる。
とても美味しくて、私は思わずにやけてしまった。
「本当に美味しそうに食べるわね」
気がつくと咲夜さんが私の前に座っていた。
「咲夜さんが作ってくれるからですよ」
「それはありがとう。ところでどんな夢を見たの?」
「え?」
「ほら、さっき言ってたでしょう?
赤いトンネルがどうたら、って」
「それは――」
「夢って自分を写す鏡というし、
冷静に分析したら面白いでしょうし」
あの夢はなんだったのか。
夢が自分を映す鏡であるなら、あれが本当の私になるのだろうか。
つまり、私は何かあれば咲夜さんを見捨てるかもしれない。
自分勝手な理屈で、踏みにじることが出来る程度に思っていたのか。
――そんな。
あの夢の中では咲夜さんは進んでも戻っても、
ランプの小さな光すら、見る事が出来なかっただろう。
それは、私が咲夜さんを見捨てたからだ。
――私は。
なぜか、うまく笑えなくなる。
どんなに口に食べ物を入れても、味がしない。
「ねぇ、美鈴、どんな夢なの?」
あれは本当に夢だった?
これもまだ夢の延長?
ねぇ、美鈴。
どうしたの、ねぇ、美鈴。
ねぇ。
この雰囲気はいいものだ。
でも美鈴が可愛かったから許す
まぁ、実際は美鈴なら気で何とでもなるでしょうww
ラストも後味の悪さとは違う不思議な余韻を残すあたりは流石です。自分はハッピー
エンド派ですが、こういった作品もいいですね。
決してつまらない作品じゃないが
ハッピーエンドの甘々めーさくもので口直ししないと眠れん…
日常ではまず遭遇することのない状況ですが
幻想郷ではどうなのでしょうか?
そう考えさせられる作品でした