「お嬢様がお亡くなりになりました」
その従者、十六夜咲夜は博麗霊夢に向かって重々しく告げた。
主人の死であるが咲夜は取り乱さず、普段と同じようにしかし冷徹な表情だった。それは極力感情というものを排除した表情だ。レミリアの最も近くにいた彼女でも、感情を表に出すことはしていないのだ。
だから、霊夢もそうした。
「そう」
とただ短く答え、一息入れ、
「その顔を拝みに行ってもいいかしら」
と続けた。
霊夢の中に、何故あの快活なレミリアが死んだのか、これから紅魔館はどうしていくのだろうか、疑問が渦を巻いていた。それが彼女を蝕むように黒く包み込み、そのままゆっくりと暗い闇に沈んでいってしまうような、そんな気がした。
霊夢の返答に、咲夜はそっと頷いた。
「――ええ。そのために私は来たのだから」
声が、鈍く響いて落ちた。
空は雨を降らせてはいない。ただ、どんよりと厚く互いを重ねあっているだけだ。
□
紅魔館。その主、レミリア・スカーレットの私室は静寂に包まれていた。そこにはおよそ動きというものがなかった。
しかし、部屋の主君はそこに居る。ひっそりと身を潜め、訪れる者を待っている。
その期待に応える二つの影がある。部屋に足を踏み入れた影たちだ。そして、二つのうち、先を行く影がもう一つに振り向いた。
「お嬢様がお待ちです」
咲夜は、賓客に対する丁寧な口調で言った。それを聞いた霊夢は、普段の己に接する彼女とは違う言葉遣いに、深遠なる理由というものを感じた。まるでここに初めて訪れたようなそんな感覚を覚えるのだ。
「こちらです」
咲夜は、自身の言う”こちら”を手で示した。
それは部屋の中心に鎮座していた。部屋の隅に寄せられているベッドが、一回り小さくなったような箱だった。その箱は前後端に向かうにつれて細くなっている。その起点は、箱の中心より少し前に位置しており、またその箱の中央には十字架の装飾がなされていた。
それが、この部屋の主だということを霊夢はすぐに悟った。
「――棺桶に入れたのね」
「ええ。そう望まれたので」
そう言うと、咲夜は主人の棺桶の傍らに立った。
棺桶の上部は故人を納めるために蓋になっている。さらにその蓋には、丁度故人の頭の部分に当たる位置に、両の手の平ほどの窓が付いていた。そこから、故人の顔を覗くことができるようになっていた。
「ご覧になって下さい」
呼ばれた霊夢は、棺桶に一歩近づいた。
その窓を覗けば、レミリアが死んだことを認めてしまうことになるのだろう、と考えながら。
残りは四歩である。
二歩目を踏む。認めてしまえば自分は悲しみを覚えるのだろうか、自問する。
三歩目を入れる。彼女の見せた笑みや怒りや驚きの表情が脳裏を駆け巡り、今はどんな表情をしているのだろうか、漠然とした思いが心に落ち、波紋を描いた。
四歩目になる。本当に彼女はそこに眠っているのだろうか、そんなことを呟けば彼女は笑いながらカーテンの陰から姿を現せないだろうか、そんな理想をついと抱き、しかし放した。
五歩目が最後だ。目蓋を閉じれば、暗闇の中に彼女が見つかるような気がして、けれども何も見えなかった。
だからと言うように、開く。
そして、小窓を覗く。
居た。
レミリアは、窓の向こうで眠っていた。瞳を閉じ、口を真一文字に結び、厳粛そうなその顔を見せていた。
しかしそこからは、どこかおちゃらけた部分もある彼女の動の部分は見受けられず、ただ沈黙を保っている静でしかない。
……本当に、動かなくなってしまった。
そう思わせて揺るぎないほど、彼女は静かだった。
それはまるで人形のようで、
「綺麗な顔してるわね」
呟いた。それはおよそ生きている相手に掛ける言葉ではない、と霊夢は思った。
「そうですね。我が主は死後であっても不変の吸血鬼で在り続けるのでしょう」
咲夜は誇るように肯定した。彼女の言葉は未だ棺桶に詰められている吸血鬼が今にでもその蓋を蹴り上げ、羽根を伸ばし、まるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回っている姿を想像しているようであった。
それを感じ取った、霊夢は何も言わない。
ただ、目蓋を閉じた。もうこれ以上は必要ないとでも言わんばかりに。覗き込む身体を戻し、息を吐いた。
それを見て、咲夜は頷いた。そして、霊夢が息を吐き終わるのを待ってから、声を掛けた。
「行きましょう、霊夢。ご遺族が貴方に会いたがっているわ」
彼女はそう言って、己が主に背を向けた。
□
暗闇をそのうちに溜め込んでいる大図書館。
その一点に灯された光が見える。それはランタンだ。
ランタンが机の上に置かれていた。それがこの図書館の唯一の光源だった。多くの本棚が暗闇に沈み、身を竦めていた。
まるで喪に服しているようだ、と霊夢は思った。
霊夢は咲夜の後について、ランタンに向かって歩いていた。図書館が主、パチュリー・ノーレッジに会うためだ。
ある程度の距離に近づいたところで、咲夜は光に向かって問う。
「パチュリー様。今、宜しいでしょうか?」
机の上には多くの書物が積まれて幾つもの山を形成していた。その中で机に伏している影が見えた。
影は咲夜が問いかけているにも拘らず凝然として動かなかった。
「パチュリー様? お休みですか?」
咲夜は歩く霊夢を手で制し、その影――パチュリー・ノーレッジに近づいた。そして、その肩に触れた。
揺さぶる。しかし反応が無い。
どうしてものだろうか、と咲夜は揺さぶる手に力を込めた。
すると、パチュリーの身体は慣性を以って本の山々を薙ぎ倒し、
「――」
床に倒れた。遅れて、本の表紙が床を打つ音が、図書館の暗闇に吸い込まれていった。
しかし、音が消えてもその状況は残されたままだ。彼女もそうだ。
彼女はぴくりともせず、床の上にその肢体を投げ出していた。
「パチュリー様……!」
咲夜は焦ったような声を上げた。だから霊夢も様子を確かめるために駆け寄った。
見えたパチュリー・ノーレッジの顔は蒼白で、安らかな眠りの中にいるような表情だった。
それは、レミリアの表情とまったく同じだった。
「いや、そんな馬鹿な……」
霊夢は目前の事態を否定しようと言葉を作る。しかし、その言葉は響かない。闇に吸い込まれ、消えていく。
とにかく、現状を確かめなければならない。
咲夜は脈を計ろうと、パチュリーの首筋に手を当てた。
「どうなの」
霊夢の問いに、咲夜は首を横に振った。
息がない、と。
それを見た霊夢の続く言葉は、疑問である。
「どうしてこんなことに……?」
それは、二人のどちらも答えを持っていなかった。二人の間には、沈黙と時間が流れていった。
どうしてこうなったのか? 何故レミリアに続いてパチュリーが死んでしまったのか? 二人の死の関係性は?
悪い想像が連鎖的に描かれる。
霊夢の心中に、疑問が降ってきては積もり、心の重量を上げていた。そして、それらは霊夢をじわじわと闇の底へ誘っていた。
そんな霊夢の前で、パチュリーの様子を見ていた咲夜はすっくと立ち上がった。
「とにかく、パチュリー様をこのままにしておくわけにはいかないわ。他のメイドを呼んで、ご遺体をお運びしないと」
そう言って、咲夜は図書館の外に向かって歩き出した。
そして、次の瞬間には姿を消しているのを霊夢は見た。
きっと時間を止めて移動したのだろう。
思い、霊夢は図書館の出入り口を見ようとした。
――その途中で、倒れている人影を見つけてしまった。
「……まさか」
思考がそのまま口から零れ落ちる。
二度あることは三度ある、悪いことは重なって起きる。しかし、今はどうだろうか?
レミリアが死んだと聞いて紅魔館を訪れ、そこでパチュリーの死を発見し、そして、霊夢をここまで連れて来た咲夜もが。
霊夢から十歩もない所で、床に倒れこんでいるのだ。
「咲夜」
彼女の名を呼ぶ。が、返答は無い。
霊夢は近づくのを躊躇った。恐怖から来る躊躇いだ。レミリアの死も、パチュリーの死も、人外の死だと割り切って考えることが出来たのだろう。だがしかし今度の死は、同じ人間の死だ。そして咲夜の死に顔がもしも安らかな表情であれば、それは前二人の死と同じ死であり、ならば――、
次に死ぬのは誰なのだろうか?
瞬間、霊夢は飛んだ。パチュリーも、咲夜も置いて、図書館から飛び出した。そして、廊下に出た。
廊下には、誰に姿も見つからなかった。
「何よ、これ……!?」
メイド妖精の姿すら見つからない。紅魔館はまるで時を止めてしまったかのように、活動する者の姿を無くしてしまっている。霊夢にしてみれば、頼る相手がいないことよりも、自分以外に死に巻き込まれる者がいないことが、彼女の恐怖を煽った。
次に死ぬのは誰なのだろうか?
その問いに、他の者たちという逃げが失われてしまったのだ。それは行方を暗ませてしまったと考えるのか。それとも、
「もう他の誰も死んでしまった――?」
ならば、次に死ぬのは他の誰でもなく、己しかいない。霊夢の意に反して彼女の脳は、そう結論付けた。
そのとき、遠くで窓の割れるような音を聞いた。
霊夢はそちらに向く。だが、遠くなのもあって視界に何も異常な点は見つからなかった。
確認している間に、今度は扉の開く音が聞こえた。それも遠くからだ。そして間もなく、扉の閉じる音が聞こえた。
その扉の開閉音が、またひとつ聞こえた。
何事か、と霊夢が考えているうちにも、また幾つも音が続いていく。
そして霊夢は気付く。
その音が徐々に大きくなっていることに。
音がどんどん近づいていることに。
「く」
霊夢の口から音が漏れた。
また、弾かれるような扉を開く音が聞こえる。
「来るな」
扉が風を切り、蝶番を軋ませ、戸枠に打ち付けられる音が聞こえる。
その音が終わる前に、別な扉を開く音が響く。
「来ないでよ……」
開閉という二つの動作の音が、次第に重なっていく。連続的な音は、さらにその間隔を狭め、幾つも重なりを増やしていく。
それが、霊夢に近づいてくるのだ。
それはもう、そこの廊下の角まで近づいてきているのだ。
「嫌……」
そして、それは角を曲がった。
そこには何も見えなかった。だが、廊下のカーペットが抉れているのが見えた。
次に間隔を開けてまたカーペットが抉れた。
何かを潰したような音。
近くの壁に穴が開く。
霊夢は、そこに何かが居るように感じた。けれど、何の姿も見えない。
姿の見えない怪物の姿が見えた。
それが抉れという破壊を以って近づいてくるのだ。
歩くという速度で、それが徐々に加速し、走るに変わる。
やにわに、天井に亀裂が生まれる。
「来るな……!」
飾られている壷が割れ、窓も弾け飛ぶ。
それがもう、霊夢を巻き込む位置で起こる。
「来るなああああああああああぁ――!!」
叫びと同時、霊夢の足元の床がたわみ、爆ぜた。
□
廊下には少しの静寂が生まれた。まるで疾走を終えた後のような小休憩だ。
その後、廊下に笑い声が聞こえた。快く響く、大きな声だ。
「ははは……!」
廊下のある一点に、蝙蝠が集まった。その蝙蝠達が笑い声を上げていたのだ。
そして、その蝙蝠の塊が収束し――その声の主が姿を現した。
淡い紅の衣装に身を包む小さな人の姿は、その背に蝙蝠の羽根を伸ばしている。
それは、倒れている霊夢に近づくと、一際大きな声で笑った。
続いて、その影が片手を挙げて示すと、その隣に別の影が立った。新たな影は、口を開く。
「――お嬢様。少々お戯れが過ぎるのでは」
すると、お嬢様と呼ばれた影は答える。
「けれど、ここまで霊夢が驚いてくれて良かったわ。全メイドに扉の開け閉めを指示したり、廊下をボロボロにしたけど、成功して満足だわ。ねえ、咲夜」
咲夜は自らの主人を見た。さっきまで棺桶の中で眠っていたが、今はぴんぴんしている。今にでもまるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回りそうなほど元気な姿だ。というのも、
「狂言、案外上手くいきましたね」
「そりゃあ、いくら霊夢でもね。その実態は可愛げのある人間ってことよ」
言って、レミリアは再び笑った。それは勝者の笑みだった。
そして、一頻り笑い終えた後、もういいだろうと、倒れている霊夢の身体を揺さぶった。
「ほらー、そろそろ起きなさいよー」
揺さぶり続ける。
しかし反応がない。違和感を感じたレミリアは声を掛ける。
「何よ、不貞寝? 拗ねなくたっていいのよ」
レミリアは何度も揺さぶるが、霊夢は身体を揺さぶられるままにしている。力が抜けた人形そのものだ。
その様子に気付いた咲夜は、まさか、と思う。
腰を折り、霊夢の手首で脈を診る。
その結果は、
「……し」
「何よ、咲夜」
レミリアが続きを急かす。その目線の先、咲夜は目蓋を閉じて言う。
「死んでいますわ。霊夢は脈がありません」
その言葉に、レミリアは己の耳を疑った。まさか、と。最後の爆発は、それほど威力もなかったはず。それが原因で致命傷を負ったとは思えない。しかも、霊夢にはこれといった外傷が見当たらない。
「嘘を言うんじゃないわ。そんなに簡単に死ぬわけないじゃない」
言うが、咲夜は表情を変えない。それが公然の事実だと、態度で示している。
「いいえ、嘘ではありません。人間にはショック死というものがあるのです。きっと霊夢も……」
「そんな馬鹿なことあるわけないじゃない!」
レミリアは咲夜の言を振り払うように叫んだ。けれども咲夜は、首を横に振っただけだ。
「そんなの、嘘よ……! こんなので、霊夢が死んでしまった……?」
瞳が揺れる。レミリアはただ霊夢の安らかな表情だけを見据えていた。けれどもその光景は、霊夢が死んでしまったという事実を突きつけてくるだけだ。
だから、レミリアは逃げるように走り出した。
「! お待ち下さい、お嬢様!」
咲夜の呼び止める声も聞かない。レミリアはひたすらに走り、遠ざかっていく。
それを咲夜も追う。
「嫌よ、来ないで! 私はもう……!」
突き放すように叫ぶレミリアに、咲夜は近づくことは出来なかった。
やがて咲夜は、レミリアが途中にある部屋に飛び込むのを見た。
勢いよく閉じられる扉。それに続いて扉を開け放ち、中に入る咲夜。
そして、咲夜は見た。
部屋の真ん中に積もっている灰の山を。
「え……?」
咲夜は疑問の声を上げた。
「お、お嬢様?」
部屋には他にそれらしき姿は見当たらない。咲夜と向かい合うようにその灰の山が積もっているだけだ。
お嬢様はどこに行ったのか、と咲夜は思わなかった。
目の前のそれが、お嬢様なのだと、そう理解したのだ。
レミリアは自ら死を選び、灰になってしまったのだと、そう解釈したのだ。
だからこそ、咲夜は落胆した。
「そんな、お嬢様……。変わり果てたお姿に……」
灰の山に向かい、咲夜は告げる。
「ですが、お嬢様の覚悟を私はしっかりと見届けました」
一礼する。
その言葉は辞世の句だ。それが、部屋の中に空しく響いている。
咲夜は続ける
「私はもう仕える主人を失くしてしまった野良メイドです。新たな主人を探し、その方に仕えることになるのでしょう」
だからとでも言うように、彼女は一本のナイフを首筋に当てた。
「願わくばあの世でもう一度、貴方にお仕えできることを」
そう告げて、咲夜はナイフを引いた。
□
咲夜が入った部屋の前。天井から廊下に降り立つ影がある。
「いやあ、咲夜も馬鹿ねえ。天井に隠し通路を開けてあるのに気付かないなんて」
そう言って羽根を伸ばす姿はレミリアだ。
また、そこに現れるもう一人の影は、
「ああ、ここにいたの」
霊夢である。彼女は腕や首を回しながら、レミリアの傍に立った。
レミリアは霊夢に問う。
「どう、霊夢。仮死状態を作り出す薬は」
「んー、まあまあね。短時間意識がなくなるけれど、それほど気にならないわ。そっちはどう?」
霊夢が言うと、レミリアは目前の部屋を指さした。
「灰の山を見て何か大仰なことを言ってたわ。作戦大成功よ。あとはネタばらしに行って、どれだけ驚いてくれるのか見物ね」
そうね、と霊夢は適当に相槌を打った。
レミリアはにやにやとその顔に笑みを浮かべながら、扉のノブに手を掛ける。
そして、扉を開けた。
二人は見る。
そこには、咲夜が居た。咲夜は灰の山の前でうつ伏せになって倒れていた。
そして、手には朱に汚れた銀のナイフが。
その首元には同じ朱の色が見えた。
「……あれ?」
レミリアが声を漏らす。霊夢は咲夜をじっと見つめながら、
「忠犬咲公ね」
「えっ、自殺してるけど……いや、それは自殺かなぁ……」
「そんなことよりどうするのよ。忠誠心強すぎて悶死しちゃったわよ」
霊夢の言葉にレミリアは、うーん、とか、えー、とか逡巡し、複雑な表情で唸った。
「とりあえず……死んで詫びるしかないわね」
□
パチュリーは倒れた身体を起こした。
レミリアに言われ、死んだ振りをしていた。霊夢を騙すため……というのは本当は嘘で、皆で死んだ振りをして咲夜を騙そうという計画だった。
それも、もうそろそろ終わった頃だろうか。思い、パチュリーは様子を見るために図書館を出た。
そしてパチュリーは見つけた。
部屋の前で倒れているレミリアと霊夢を。部屋の中で倒れている咲夜を。
「これは、二人で咲夜を騙すところまでは上手くいったけれど、咲夜が忠犬咲公で悶死しちゃったからとりあえず死んで詫びてみたのね……」
パチュリーは状況を察した。同時に、己は取り残されてしまったことに気付いた。
辺りには誰もいなかった。そこには三人の死体とパチュリーのみだ。そのことにパチュリーは寂寥感を覚えた。
「まさか、まるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回っているようなレミィさえも死んでしまうとはね……」
呟いても事実は変わらない。覆しようがなかった。
それらを受け入れて、パチュリーは考えてみる。レミリアを失い、同時に咲夜を失ったことで紅魔館はその威厳を保つことが出来るのだろうか。答えはノーだ。霊夢を殺してしまった責任を問われたらどうすることも出来ないだろう。
紅魔館はこれから泥沼に沈んでいく、それが順当な未来だ。
だからパチュリーは意を決する。
「私も後を追いかけるしかないわ」
□
霊夢は目を覚ました。
結局は死ぬ気のなかった霊夢は、予備に持っていた仮死の薬を飲んでその場を凌いでいた。周りを見渡せば、死んでいるのは咲夜、レミリア、ついでにパチュリーも追加されている。
「これは悲劇ね」
言葉にしてみると、それはずっと軽い言葉だと霊夢は思った。そして、これからどうしようか、考える。
すると、死体の中に動きが生まれた。それは、
「あぁ……よく寝たわ。でも、血糊で服がちょっと汚れてしまったわ」
咲夜が起き上がり、自分のメイド服の汚れを確認していたのだ。
「……あれ、咲夜、死んだんじゃないの?」
「別に、私も仮死状態になる薬を飲んだだけよ。貴方より芸が細かかったくらいで」
霊夢は、私も、という言葉から、咲夜は真相を把握していたことを知る。結局誰も本気で騙されていなかった。
そのとき、別の死体が動いた。それは霊夢の隣に倒れていたものだ。
「ぁー……妖怪用と言っても効果は弱いわね。意識は無くならないし、ちょっと力を入れたら仮死状態から復帰しそうだわ」
「それはあんたが規格外なだけよ」
レミリアはとりあえず周りを確認する。隣の霊夢は死んでおらず、部屋の中の咲夜も生きている。そのことに彼女は安堵の笑みを浮かべた。
そして、廊下側を見ると、パチュリーが死んでいた。
「ええぇ……パチェが死んでる」
「どうするのよ、レミリア。今度は咲夜と一緒に死んで詫びる?」
「でも、もう薬ないわよ。咲夜―、ダッシュで買ってきて」
「ああ、それは大丈夫ですよ」
咲夜はその顔に微笑を作る。
「少し前に門番をお遣いに出したので。ただ、今この薬は手に入りにくいようですが……」
言葉の途中で、こちらに駆けて来る姿を見つけた三人。
それは門番、紅美鈴の姿だ。
美鈴は一抱えほどの袋を抱えていた。彼女は満面の笑みを浮かべ、すぐにでも届けようと息を切らせながら走ってくる。
そして、言う。
「仮死状態を作り出す薬、大人気でしたけどどうにか買って来れました!」
直後、美鈴は心臓発作を起こして死んだ。
□
「……とりあえず死んで詫びとくか」
□
――○月○日付 文々。新聞 一面記事から抜粋――
昨今、巷で人気を集めている仮死状態になる薬についてその製造責任者永遠亭・八意永琳氏は語る。
「人間用、小児用、老人用、その他妖怪用、幽霊用、半人用など様々な種類を製造していますが、現在はどれも品薄状態です。特別に生産ラインを設け作業に取り組ませていますが、伸び続ける需要にはなかなか追いつきそうにありませんね」
と八意氏は嬉しい悲鳴を上げていた。
また、新たなニーズに応えるべく新商品として昼用、夜用、長時間でも安心タイプなど、バリエーションも開発中とのことだ。
永遠亭には薬を買い求める客が連日集まり、列を絶やさないでいる。
その人気は未だ盛り上がるばかりで陰りを見せない。一体何がこれほどまで人々を惹きつけてやまないのか。
私もその薬を試し、その効果がどれほどのものなのか、実体験を以って記事に取り上げたいと思う。
(明日の文々。新聞は記者死亡のため休刊になります)
□
路肩に伏している人の姿がある。
白と水色の衣装、傍らに艶のない紫の傘が手放され、転がっている。
それは多々良小傘だ。
彼女はもうその意識を手放そうとしていた。
――多々良小傘にとって驚きとは生そのものであった。
しかし近年では誰も彼女を見ても驚かなくなった。むしろ嘲笑を受けるほどだ。
自らを誰も驚いてくれないことに嘆くこともあったが、今の彼女にはもうその気力すら残っていなかった。
彼女はもう力尽きようとしていたのだ。
「最後に誰か驚いてくれれば……」
そんな淡い期待だけが彼女の意識を繋ぎ止めていた。
それを知ってか知らずか、通りかかる人影がある。
白と青色の衣装、輝くような緑の髪を靡かせて、歩いてくる。
それは東風谷早苗だ。
彼女は散歩をしていた。
――飛行は便利だが健康のためにも意識して歩くことを努めていた。
これは日課だった。しかし義務的なものではなく、むしろ楽しんでいるものだった。
そんな彼女の散歩コースの途中に多々良小傘が倒れていたのだ。
東風谷早苗は倒れている彼女を見るなり、眉を顰めた。
そして、ひとつ溜め息を吐き、相手に言い聞かせるような声量で告げた。
「――あら、今どき死んでいたって誰も驚かないわよ」
その従者、十六夜咲夜は博麗霊夢に向かって重々しく告げた。
主人の死であるが咲夜は取り乱さず、普段と同じようにしかし冷徹な表情だった。それは極力感情というものを排除した表情だ。レミリアの最も近くにいた彼女でも、感情を表に出すことはしていないのだ。
だから、霊夢もそうした。
「そう」
とただ短く答え、一息入れ、
「その顔を拝みに行ってもいいかしら」
と続けた。
霊夢の中に、何故あの快活なレミリアが死んだのか、これから紅魔館はどうしていくのだろうか、疑問が渦を巻いていた。それが彼女を蝕むように黒く包み込み、そのままゆっくりと暗い闇に沈んでいってしまうような、そんな気がした。
霊夢の返答に、咲夜はそっと頷いた。
「――ええ。そのために私は来たのだから」
声が、鈍く響いて落ちた。
空は雨を降らせてはいない。ただ、どんよりと厚く互いを重ねあっているだけだ。
□
紅魔館。その主、レミリア・スカーレットの私室は静寂に包まれていた。そこにはおよそ動きというものがなかった。
しかし、部屋の主君はそこに居る。ひっそりと身を潜め、訪れる者を待っている。
その期待に応える二つの影がある。部屋に足を踏み入れた影たちだ。そして、二つのうち、先を行く影がもう一つに振り向いた。
「お嬢様がお待ちです」
咲夜は、賓客に対する丁寧な口調で言った。それを聞いた霊夢は、普段の己に接する彼女とは違う言葉遣いに、深遠なる理由というものを感じた。まるでここに初めて訪れたようなそんな感覚を覚えるのだ。
「こちらです」
咲夜は、自身の言う”こちら”を手で示した。
それは部屋の中心に鎮座していた。部屋の隅に寄せられているベッドが、一回り小さくなったような箱だった。その箱は前後端に向かうにつれて細くなっている。その起点は、箱の中心より少し前に位置しており、またその箱の中央には十字架の装飾がなされていた。
それが、この部屋の主だということを霊夢はすぐに悟った。
「――棺桶に入れたのね」
「ええ。そう望まれたので」
そう言うと、咲夜は主人の棺桶の傍らに立った。
棺桶の上部は故人を納めるために蓋になっている。さらにその蓋には、丁度故人の頭の部分に当たる位置に、両の手の平ほどの窓が付いていた。そこから、故人の顔を覗くことができるようになっていた。
「ご覧になって下さい」
呼ばれた霊夢は、棺桶に一歩近づいた。
その窓を覗けば、レミリアが死んだことを認めてしまうことになるのだろう、と考えながら。
残りは四歩である。
二歩目を踏む。認めてしまえば自分は悲しみを覚えるのだろうか、自問する。
三歩目を入れる。彼女の見せた笑みや怒りや驚きの表情が脳裏を駆け巡り、今はどんな表情をしているのだろうか、漠然とした思いが心に落ち、波紋を描いた。
四歩目になる。本当に彼女はそこに眠っているのだろうか、そんなことを呟けば彼女は笑いながらカーテンの陰から姿を現せないだろうか、そんな理想をついと抱き、しかし放した。
五歩目が最後だ。目蓋を閉じれば、暗闇の中に彼女が見つかるような気がして、けれども何も見えなかった。
だからと言うように、開く。
そして、小窓を覗く。
居た。
レミリアは、窓の向こうで眠っていた。瞳を閉じ、口を真一文字に結び、厳粛そうなその顔を見せていた。
しかしそこからは、どこかおちゃらけた部分もある彼女の動の部分は見受けられず、ただ沈黙を保っている静でしかない。
……本当に、動かなくなってしまった。
そう思わせて揺るぎないほど、彼女は静かだった。
それはまるで人形のようで、
「綺麗な顔してるわね」
呟いた。それはおよそ生きている相手に掛ける言葉ではない、と霊夢は思った。
「そうですね。我が主は死後であっても不変の吸血鬼で在り続けるのでしょう」
咲夜は誇るように肯定した。彼女の言葉は未だ棺桶に詰められている吸血鬼が今にでもその蓋を蹴り上げ、羽根を伸ばし、まるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回っている姿を想像しているようであった。
それを感じ取った、霊夢は何も言わない。
ただ、目蓋を閉じた。もうこれ以上は必要ないとでも言わんばかりに。覗き込む身体を戻し、息を吐いた。
それを見て、咲夜は頷いた。そして、霊夢が息を吐き終わるのを待ってから、声を掛けた。
「行きましょう、霊夢。ご遺族が貴方に会いたがっているわ」
彼女はそう言って、己が主に背を向けた。
□
暗闇をそのうちに溜め込んでいる大図書館。
その一点に灯された光が見える。それはランタンだ。
ランタンが机の上に置かれていた。それがこの図書館の唯一の光源だった。多くの本棚が暗闇に沈み、身を竦めていた。
まるで喪に服しているようだ、と霊夢は思った。
霊夢は咲夜の後について、ランタンに向かって歩いていた。図書館が主、パチュリー・ノーレッジに会うためだ。
ある程度の距離に近づいたところで、咲夜は光に向かって問う。
「パチュリー様。今、宜しいでしょうか?」
机の上には多くの書物が積まれて幾つもの山を形成していた。その中で机に伏している影が見えた。
影は咲夜が問いかけているにも拘らず凝然として動かなかった。
「パチュリー様? お休みですか?」
咲夜は歩く霊夢を手で制し、その影――パチュリー・ノーレッジに近づいた。そして、その肩に触れた。
揺さぶる。しかし反応が無い。
どうしてものだろうか、と咲夜は揺さぶる手に力を込めた。
すると、パチュリーの身体は慣性を以って本の山々を薙ぎ倒し、
「――」
床に倒れた。遅れて、本の表紙が床を打つ音が、図書館の暗闇に吸い込まれていった。
しかし、音が消えてもその状況は残されたままだ。彼女もそうだ。
彼女はぴくりともせず、床の上にその肢体を投げ出していた。
「パチュリー様……!」
咲夜は焦ったような声を上げた。だから霊夢も様子を確かめるために駆け寄った。
見えたパチュリー・ノーレッジの顔は蒼白で、安らかな眠りの中にいるような表情だった。
それは、レミリアの表情とまったく同じだった。
「いや、そんな馬鹿な……」
霊夢は目前の事態を否定しようと言葉を作る。しかし、その言葉は響かない。闇に吸い込まれ、消えていく。
とにかく、現状を確かめなければならない。
咲夜は脈を計ろうと、パチュリーの首筋に手を当てた。
「どうなの」
霊夢の問いに、咲夜は首を横に振った。
息がない、と。
それを見た霊夢の続く言葉は、疑問である。
「どうしてこんなことに……?」
それは、二人のどちらも答えを持っていなかった。二人の間には、沈黙と時間が流れていった。
どうしてこうなったのか? 何故レミリアに続いてパチュリーが死んでしまったのか? 二人の死の関係性は?
悪い想像が連鎖的に描かれる。
霊夢の心中に、疑問が降ってきては積もり、心の重量を上げていた。そして、それらは霊夢をじわじわと闇の底へ誘っていた。
そんな霊夢の前で、パチュリーの様子を見ていた咲夜はすっくと立ち上がった。
「とにかく、パチュリー様をこのままにしておくわけにはいかないわ。他のメイドを呼んで、ご遺体をお運びしないと」
そう言って、咲夜は図書館の外に向かって歩き出した。
そして、次の瞬間には姿を消しているのを霊夢は見た。
きっと時間を止めて移動したのだろう。
思い、霊夢は図書館の出入り口を見ようとした。
――その途中で、倒れている人影を見つけてしまった。
「……まさか」
思考がそのまま口から零れ落ちる。
二度あることは三度ある、悪いことは重なって起きる。しかし、今はどうだろうか?
レミリアが死んだと聞いて紅魔館を訪れ、そこでパチュリーの死を発見し、そして、霊夢をここまで連れて来た咲夜もが。
霊夢から十歩もない所で、床に倒れこんでいるのだ。
「咲夜」
彼女の名を呼ぶ。が、返答は無い。
霊夢は近づくのを躊躇った。恐怖から来る躊躇いだ。レミリアの死も、パチュリーの死も、人外の死だと割り切って考えることが出来たのだろう。だがしかし今度の死は、同じ人間の死だ。そして咲夜の死に顔がもしも安らかな表情であれば、それは前二人の死と同じ死であり、ならば――、
次に死ぬのは誰なのだろうか?
瞬間、霊夢は飛んだ。パチュリーも、咲夜も置いて、図書館から飛び出した。そして、廊下に出た。
廊下には、誰に姿も見つからなかった。
「何よ、これ……!?」
メイド妖精の姿すら見つからない。紅魔館はまるで時を止めてしまったかのように、活動する者の姿を無くしてしまっている。霊夢にしてみれば、頼る相手がいないことよりも、自分以外に死に巻き込まれる者がいないことが、彼女の恐怖を煽った。
次に死ぬのは誰なのだろうか?
その問いに、他の者たちという逃げが失われてしまったのだ。それは行方を暗ませてしまったと考えるのか。それとも、
「もう他の誰も死んでしまった――?」
ならば、次に死ぬのは他の誰でもなく、己しかいない。霊夢の意に反して彼女の脳は、そう結論付けた。
そのとき、遠くで窓の割れるような音を聞いた。
霊夢はそちらに向く。だが、遠くなのもあって視界に何も異常な点は見つからなかった。
確認している間に、今度は扉の開く音が聞こえた。それも遠くからだ。そして間もなく、扉の閉じる音が聞こえた。
その扉の開閉音が、またひとつ聞こえた。
何事か、と霊夢が考えているうちにも、また幾つも音が続いていく。
そして霊夢は気付く。
その音が徐々に大きくなっていることに。
音がどんどん近づいていることに。
「く」
霊夢の口から音が漏れた。
また、弾かれるような扉を開く音が聞こえる。
「来るな」
扉が風を切り、蝶番を軋ませ、戸枠に打ち付けられる音が聞こえる。
その音が終わる前に、別な扉を開く音が響く。
「来ないでよ……」
開閉という二つの動作の音が、次第に重なっていく。連続的な音は、さらにその間隔を狭め、幾つも重なりを増やしていく。
それが、霊夢に近づいてくるのだ。
それはもう、そこの廊下の角まで近づいてきているのだ。
「嫌……」
そして、それは角を曲がった。
そこには何も見えなかった。だが、廊下のカーペットが抉れているのが見えた。
次に間隔を開けてまたカーペットが抉れた。
何かを潰したような音。
近くの壁に穴が開く。
霊夢は、そこに何かが居るように感じた。けれど、何の姿も見えない。
姿の見えない怪物の姿が見えた。
それが抉れという破壊を以って近づいてくるのだ。
歩くという速度で、それが徐々に加速し、走るに変わる。
やにわに、天井に亀裂が生まれる。
「来るな……!」
飾られている壷が割れ、窓も弾け飛ぶ。
それがもう、霊夢を巻き込む位置で起こる。
「来るなああああああああああぁ――!!」
叫びと同時、霊夢の足元の床がたわみ、爆ぜた。
□
廊下には少しの静寂が生まれた。まるで疾走を終えた後のような小休憩だ。
その後、廊下に笑い声が聞こえた。快く響く、大きな声だ。
「ははは……!」
廊下のある一点に、蝙蝠が集まった。その蝙蝠達が笑い声を上げていたのだ。
そして、その蝙蝠の塊が収束し――その声の主が姿を現した。
淡い紅の衣装に身を包む小さな人の姿は、その背に蝙蝠の羽根を伸ばしている。
それは、倒れている霊夢に近づくと、一際大きな声で笑った。
続いて、その影が片手を挙げて示すと、その隣に別の影が立った。新たな影は、口を開く。
「――お嬢様。少々お戯れが過ぎるのでは」
すると、お嬢様と呼ばれた影は答える。
「けれど、ここまで霊夢が驚いてくれて良かったわ。全メイドに扉の開け閉めを指示したり、廊下をボロボロにしたけど、成功して満足だわ。ねえ、咲夜」
咲夜は自らの主人を見た。さっきまで棺桶の中で眠っていたが、今はぴんぴんしている。今にでもまるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回りそうなほど元気な姿だ。というのも、
「狂言、案外上手くいきましたね」
「そりゃあ、いくら霊夢でもね。その実態は可愛げのある人間ってことよ」
言って、レミリアは再び笑った。それは勝者の笑みだった。
そして、一頻り笑い終えた後、もういいだろうと、倒れている霊夢の身体を揺さぶった。
「ほらー、そろそろ起きなさいよー」
揺さぶり続ける。
しかし反応がない。違和感を感じたレミリアは声を掛ける。
「何よ、不貞寝? 拗ねなくたっていいのよ」
レミリアは何度も揺さぶるが、霊夢は身体を揺さぶられるままにしている。力が抜けた人形そのものだ。
その様子に気付いた咲夜は、まさか、と思う。
腰を折り、霊夢の手首で脈を診る。
その結果は、
「……し」
「何よ、咲夜」
レミリアが続きを急かす。その目線の先、咲夜は目蓋を閉じて言う。
「死んでいますわ。霊夢は脈がありません」
その言葉に、レミリアは己の耳を疑った。まさか、と。最後の爆発は、それほど威力もなかったはず。それが原因で致命傷を負ったとは思えない。しかも、霊夢にはこれといった外傷が見当たらない。
「嘘を言うんじゃないわ。そんなに簡単に死ぬわけないじゃない」
言うが、咲夜は表情を変えない。それが公然の事実だと、態度で示している。
「いいえ、嘘ではありません。人間にはショック死というものがあるのです。きっと霊夢も……」
「そんな馬鹿なことあるわけないじゃない!」
レミリアは咲夜の言を振り払うように叫んだ。けれども咲夜は、首を横に振っただけだ。
「そんなの、嘘よ……! こんなので、霊夢が死んでしまった……?」
瞳が揺れる。レミリアはただ霊夢の安らかな表情だけを見据えていた。けれどもその光景は、霊夢が死んでしまったという事実を突きつけてくるだけだ。
だから、レミリアは逃げるように走り出した。
「! お待ち下さい、お嬢様!」
咲夜の呼び止める声も聞かない。レミリアはひたすらに走り、遠ざかっていく。
それを咲夜も追う。
「嫌よ、来ないで! 私はもう……!」
突き放すように叫ぶレミリアに、咲夜は近づくことは出来なかった。
やがて咲夜は、レミリアが途中にある部屋に飛び込むのを見た。
勢いよく閉じられる扉。それに続いて扉を開け放ち、中に入る咲夜。
そして、咲夜は見た。
部屋の真ん中に積もっている灰の山を。
「え……?」
咲夜は疑問の声を上げた。
「お、お嬢様?」
部屋には他にそれらしき姿は見当たらない。咲夜と向かい合うようにその灰の山が積もっているだけだ。
お嬢様はどこに行ったのか、と咲夜は思わなかった。
目の前のそれが、お嬢様なのだと、そう理解したのだ。
レミリアは自ら死を選び、灰になってしまったのだと、そう解釈したのだ。
だからこそ、咲夜は落胆した。
「そんな、お嬢様……。変わり果てたお姿に……」
灰の山に向かい、咲夜は告げる。
「ですが、お嬢様の覚悟を私はしっかりと見届けました」
一礼する。
その言葉は辞世の句だ。それが、部屋の中に空しく響いている。
咲夜は続ける
「私はもう仕える主人を失くしてしまった野良メイドです。新たな主人を探し、その方に仕えることになるのでしょう」
だからとでも言うように、彼女は一本のナイフを首筋に当てた。
「願わくばあの世でもう一度、貴方にお仕えできることを」
そう告げて、咲夜はナイフを引いた。
□
咲夜が入った部屋の前。天井から廊下に降り立つ影がある。
「いやあ、咲夜も馬鹿ねえ。天井に隠し通路を開けてあるのに気付かないなんて」
そう言って羽根を伸ばす姿はレミリアだ。
また、そこに現れるもう一人の影は、
「ああ、ここにいたの」
霊夢である。彼女は腕や首を回しながら、レミリアの傍に立った。
レミリアは霊夢に問う。
「どう、霊夢。仮死状態を作り出す薬は」
「んー、まあまあね。短時間意識がなくなるけれど、それほど気にならないわ。そっちはどう?」
霊夢が言うと、レミリアは目前の部屋を指さした。
「灰の山を見て何か大仰なことを言ってたわ。作戦大成功よ。あとはネタばらしに行って、どれだけ驚いてくれるのか見物ね」
そうね、と霊夢は適当に相槌を打った。
レミリアはにやにやとその顔に笑みを浮かべながら、扉のノブに手を掛ける。
そして、扉を開けた。
二人は見る。
そこには、咲夜が居た。咲夜は灰の山の前でうつ伏せになって倒れていた。
そして、手には朱に汚れた銀のナイフが。
その首元には同じ朱の色が見えた。
「……あれ?」
レミリアが声を漏らす。霊夢は咲夜をじっと見つめながら、
「忠犬咲公ね」
「えっ、自殺してるけど……いや、それは自殺かなぁ……」
「そんなことよりどうするのよ。忠誠心強すぎて悶死しちゃったわよ」
霊夢の言葉にレミリアは、うーん、とか、えー、とか逡巡し、複雑な表情で唸った。
「とりあえず……死んで詫びるしかないわね」
□
パチュリーは倒れた身体を起こした。
レミリアに言われ、死んだ振りをしていた。霊夢を騙すため……というのは本当は嘘で、皆で死んだ振りをして咲夜を騙そうという計画だった。
それも、もうそろそろ終わった頃だろうか。思い、パチュリーは様子を見るために図書館を出た。
そしてパチュリーは見つけた。
部屋の前で倒れているレミリアと霊夢を。部屋の中で倒れている咲夜を。
「これは、二人で咲夜を騙すところまでは上手くいったけれど、咲夜が忠犬咲公で悶死しちゃったからとりあえず死んで詫びてみたのね……」
パチュリーは状況を察した。同時に、己は取り残されてしまったことに気付いた。
辺りには誰もいなかった。そこには三人の死体とパチュリーのみだ。そのことにパチュリーは寂寥感を覚えた。
「まさか、まるで大きなバッタのようにぴゅんぴゅん飛び回っているようなレミィさえも死んでしまうとはね……」
呟いても事実は変わらない。覆しようがなかった。
それらを受け入れて、パチュリーは考えてみる。レミリアを失い、同時に咲夜を失ったことで紅魔館はその威厳を保つことが出来るのだろうか。答えはノーだ。霊夢を殺してしまった責任を問われたらどうすることも出来ないだろう。
紅魔館はこれから泥沼に沈んでいく、それが順当な未来だ。
だからパチュリーは意を決する。
「私も後を追いかけるしかないわ」
□
霊夢は目を覚ました。
結局は死ぬ気のなかった霊夢は、予備に持っていた仮死の薬を飲んでその場を凌いでいた。周りを見渡せば、死んでいるのは咲夜、レミリア、ついでにパチュリーも追加されている。
「これは悲劇ね」
言葉にしてみると、それはずっと軽い言葉だと霊夢は思った。そして、これからどうしようか、考える。
すると、死体の中に動きが生まれた。それは、
「あぁ……よく寝たわ。でも、血糊で服がちょっと汚れてしまったわ」
咲夜が起き上がり、自分のメイド服の汚れを確認していたのだ。
「……あれ、咲夜、死んだんじゃないの?」
「別に、私も仮死状態になる薬を飲んだだけよ。貴方より芸が細かかったくらいで」
霊夢は、私も、という言葉から、咲夜は真相を把握していたことを知る。結局誰も本気で騙されていなかった。
そのとき、別の死体が動いた。それは霊夢の隣に倒れていたものだ。
「ぁー……妖怪用と言っても効果は弱いわね。意識は無くならないし、ちょっと力を入れたら仮死状態から復帰しそうだわ」
「それはあんたが規格外なだけよ」
レミリアはとりあえず周りを確認する。隣の霊夢は死んでおらず、部屋の中の咲夜も生きている。そのことに彼女は安堵の笑みを浮かべた。
そして、廊下側を見ると、パチュリーが死んでいた。
「ええぇ……パチェが死んでる」
「どうするのよ、レミリア。今度は咲夜と一緒に死んで詫びる?」
「でも、もう薬ないわよ。咲夜―、ダッシュで買ってきて」
「ああ、それは大丈夫ですよ」
咲夜はその顔に微笑を作る。
「少し前に門番をお遣いに出したので。ただ、今この薬は手に入りにくいようですが……」
言葉の途中で、こちらに駆けて来る姿を見つけた三人。
それは門番、紅美鈴の姿だ。
美鈴は一抱えほどの袋を抱えていた。彼女は満面の笑みを浮かべ、すぐにでも届けようと息を切らせながら走ってくる。
そして、言う。
「仮死状態を作り出す薬、大人気でしたけどどうにか買って来れました!」
直後、美鈴は心臓発作を起こして死んだ。
□
「……とりあえず死んで詫びとくか」
□
――○月○日付 文々。新聞 一面記事から抜粋――
昨今、巷で人気を集めている仮死状態になる薬についてその製造責任者永遠亭・八意永琳氏は語る。
「人間用、小児用、老人用、その他妖怪用、幽霊用、半人用など様々な種類を製造していますが、現在はどれも品薄状態です。特別に生産ラインを設け作業に取り組ませていますが、伸び続ける需要にはなかなか追いつきそうにありませんね」
と八意氏は嬉しい悲鳴を上げていた。
また、新たなニーズに応えるべく新商品として昼用、夜用、長時間でも安心タイプなど、バリエーションも開発中とのことだ。
永遠亭には薬を買い求める客が連日集まり、列を絶やさないでいる。
その人気は未だ盛り上がるばかりで陰りを見せない。一体何がこれほどまで人々を惹きつけてやまないのか。
私もその薬を試し、その効果がどれほどのものなのか、実体験を以って記事に取り上げたいと思う。
(明日の文々。新聞は記者死亡のため休刊になります)
□
路肩に伏している人の姿がある。
白と水色の衣装、傍らに艶のない紫の傘が手放され、転がっている。
それは多々良小傘だ。
彼女はもうその意識を手放そうとしていた。
――多々良小傘にとって驚きとは生そのものであった。
しかし近年では誰も彼女を見ても驚かなくなった。むしろ嘲笑を受けるほどだ。
自らを誰も驚いてくれないことに嘆くこともあったが、今の彼女にはもうその気力すら残っていなかった。
彼女はもう力尽きようとしていたのだ。
「最後に誰か驚いてくれれば……」
そんな淡い期待だけが彼女の意識を繋ぎ止めていた。
それを知ってか知らずか、通りかかる人影がある。
白と青色の衣装、輝くような緑の髪を靡かせて、歩いてくる。
それは東風谷早苗だ。
彼女は散歩をしていた。
――飛行は便利だが健康のためにも意識して歩くことを努めていた。
これは日課だった。しかし義務的なものではなく、むしろ楽しんでいるものだった。
そんな彼女の散歩コースの途中に多々良小傘が倒れていたのだ。
東風谷早苗は倒れている彼女を見るなり、眉を顰めた。
そして、ひとつ溜め息を吐き、相手に言い聞かせるような声量で告げた。
「――あら、今どき死んでいたって誰も驚かないわよ」
悪くは無かったです。
面白かったです
死でさえも軽くなっていくのですねぇ
オチも面白かったです。
しかしこの幻想郷、なんかダメな方向に向かってるんじゃないだろうか。
いや~斬新で面白かったわw