姐さんが人里に寺を構えて、最初にやったことは、墓を建てたことだった。誰の墓とも言わなかったが、誰の墓であるかは明白である。明白ではあったが、誰もその墓について問いただしたりすることはない。それくらいの弁えはもっているのだ。ただし、その墓との関わりかたは妖怪それぞれであり、こまめに掃除をする者もいれば、特に何もしない者、いたずら書きをしようとして成敗される者もいた。
私はといえば、普段は見て見ぬふりをしているのだが、年に二度、誰もいないうちに手を合わせることにしている。記念日は二つあって、初めて会った日と、最後に別れた日。後者を一般的に命日といって、今日がそれにあたる。千回忌も既に超えているが、これまで、手を合わせることを逸したことはない。昔は、彼の山にある墓まで参りに行ったものであるが、幻想郷に来てはそうもいかない。残念ではあるが、その思いは、私が抱くよりもっと相応しい方がいる。目の前の墓は、石塔はあれど埋葬はされていない、いわば参り墓。それでも、想いを届かせる縁り代を必要としたその心情に、私は思いを馳せずにはいられないのだから。
さて、目の前の墓である。普段から手入れが行き届いていて、すべきことは特にない。道すがら、そこらに生えていた草花から、適当なものを一輪摘んでおいたのだが、それを墓前に置く。白い、さほど大きくはない花。群生していたときは綺麗に思えたのだが、一人ぼっちになると少し心もとない。私には相応しいか、とは思った。
人間ではないので、と言い訳をして、無作法の許しを得る。数珠の一つも持ってきてはいないけれど、妖怪なれば、この体と、心持ち一つで十分だろう。早朝の冷気を払い、軽く目を閉じて、合掌。
暗闇の中に、白い花が一輪、その向こうには、小さな私がいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
物心ついたときには、既に親はなかった。
自分が妖怪であることも、後に教えられたことである。教えてくれたのは、育ての親代わりのとある聖で、名を命蓮といった。彼は破天荒な人物であり、一介の修行僧の分を超えるようなことも平気な顔をして行っていたのである。身寄りのない子供を集めて世話していたのもその一環で、その中に、人間でない少女が混じっていたとしても構わなかったらしい。
もっとも、気にはかけていたようで、私は特別に彼の世話をするように仰せつかっていた。自分で言うのも何だが、要領が良く、頭も悪くなかった私は周囲の子供らよりは仕事ができたので、特に怪しまれることはなかった。ところが、私が選ばれた理由は、仕事ができるからでも少女だからでもなく、妖怪だからだったのだ。その日のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。人払いをして、二人向き合ったときの顔は、初めて見るほどの真剣さを湛えていた。
「一つ、昔話をしよう」
普段との雰囲気の違いに飲まれながら、私は彼の口元から目を離せずにいた。そこで語られた内容は、とある妖怪を退治したときの話であった。命蓮は名の知れた聖であったため、彼の力を借りようとする人は多かった。病気快癒の祈祷が最も多いのだが、妖怪退治の依頼も少なくはなかった。それ故、そのこと自体には、特に驚きはなかったのである。それが、その妖怪には子供がいた、というところに言及されたとき、私は弾かれたように顔を上げた。直感がそうしろ告げたのだ。
「察しの良い子だ。後は言わずもがなのことであるが」
「教えてください」
やはりその子供が私なのだろう、という推測はできた。しかし、推測はあくまで推測に過ぎず、それが事実であると認めたくはなかった。だから、どうしたって認めざるをえないように、はっきりと宣告してほしかったのだ。
「ふむ。いくら妖怪といえども、幼子を成敗すると寝覚めが悪い。故に連れ帰ることとした。帰り道にて、まず考えたのは、名であった」
「……」
「やはり自然からいただくのが良いと考え、辺りを見回すと、白い花が群生しておった。そのうちに一つ、周りよりも大ぶりな花があった」
息をつめて聞いていたが、その様子を見かねてか、一度、視線を外して間を取られた。その間に、一息入れる。
「その子には孤独になって欲しくはなかったが、孤独に耐えられなくなってもいけない。一輪でも咲ける強さが必要だと考えた」
ああ、ついに私の名前が出てしまった。目を伏せるが、今度は視線を感じて、もう一度目線を上げる。
「お前は妖怪で、親は既に亡い。その親を亡きものにしたのは儂だ」
あまりにはっきりと言われたために、すぐには反応することができなかった。まだ、無言。
「今後のことは、そなたの自由に任せる。ただし、道が決まらないのであれば、提案がある。聞くか」
「……少し、時間をください」
何とかして、声を絞り出した。
「では、待っておる。最後に、これだけは言っておく」
曰く、妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治するのが理である故、そなたの親を退治したことにどうこうは言わぬ。しかし、残されたそなたについては責任を取る。どのような選択をしたとしても、儂は味方だ。生来の正直者にて嘘はつけぬから、その点は信頼して良い──。
その言葉を耳に残して、私は一度、下山した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「結局、私は貴方の元に戻りましたが、その間、何をしていたかについては言いませんでしたね」
昔を懐かしんだついでに、私は石塔へと語りかけていた。
「おぼろげな記憶を頼りに、山々を渡り歩いたのです。妖怪が退治されたことのある場所を聞いては、そこへ行って」
そのほとんどは外れだったが、あるとき、ついに辿りついたのだ。そこは、初めて見るはずにもかかわらず、何故か懐かしさを感じさせる景色で、ある種の予感を覚えながら山道を進んでいったのが記憶にある。
山頂に近づくにつれて、私は自然と走り出していた。木々を抜けて、光の下に飛び出したところで、目に飛び込んできたものが一つ。卒塔婆であった。
「貴方の字だと、すぐに判りました。後にも先にも、退治した妖怪に向けたものは他にありませんでしたね」
そして、竹筒に入れてあった水を振りかけて、そこらに群生していた花を二輪、供えることにした。手を合わせると、知らずと涙がこぼれ落ちた。
「御仏の教えを知っていたというのもありますが、やはり、私は貴方の優しさに負けたんです。憎みきることができなかった」
待っている、と言った時から、ろくに食事も摂らず、仏前でひたすら念じ続けていたらしい。戻った私が最初にしたことは、薬膳を用意することだった。その私を何も言わずに迎え入れて、それから修行の日々が始まった。提案とは、仏僧としての修行を積むことだった。人間の中で暮らしていくのならば、人間を襲いたいという本能を抑えるだけの力を身につける必要がある、というのが彼の論であった。妖怪であるから、生来、妖力は備わっている。それを法力へと変えてゆく作業である。それなりの年月を要したが、私にとっては充実した時間であった。
太陽が移動して、陽光が少し顔にかかるようになってきたので、体の位置を少しずらす。再び、目を閉じた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
人である限り、寿命には勝てない。どんな高僧とて逃れられぬものである。
「一輪、おるか」
「ここにおります、上人」
「儂をそう呼ぶなといっておろうに。そなたは真面目すぎるのが玉に瑕だが……まあよい」
最近は起き上がるのも難しくなってきた。床についたまま、顔をこちらに向ける。目つきの真剣さに気づき、私は居ずまいを正した。
「見ての通り、もう長くはない」
「いえ、」
「自分のことだ、わかっておる。それで、そなたに提案があるが、聞くか」
「お聞きしましょう」
「儂を喰らえ」
「……!」
相変わらず、はっきりと物を言う人だった。あの時のように、私はすぐには反応ができずにいた。
「儂を喰えば、そなたの力は飛躍的に上がる。その力を人のために使おうが、人を襲うために使おうが、それも自由だ」
「……できません」
「困った奴だ。頼んでも駄目か?」
「白蓮さまが悲しまれます」
「死に方によって大きく変わるわけでもあるまい。そなたが支えてくれれば儂への供養にもなるぞ」
「どうしても喰われたいのですね」
「そなたにしてやれることといえば、最早これぐらいしかない」
「……少し、時間をください」
「恩と仇は表裏一体、どちらも報いねばならぬ。……待っている」
結局、その言葉が最期であった。その夜、上人は示寂された。
物言わぬ体となった上人を前にして、私は最後の提案について考えざるを得なかった。
上人は親の仇だが、大恩ある人である。提案を素直に受け入れることは、恩と仇の両方に報いることになるのかもしれない。しかし、それでは上人の魂はどうなるのか。妖怪に喰われ、肉体を弔われることのなくなった上人の魂が、無事に三途の川へと辿りつけるのか。
悩みは深かったが、時間はない。皆に知られ、葬儀が始まる前には結論を出さなくてはならなかった。上人は冗談も多く言ったが、真剣な顔をして言ったことは、すべて真摯に考えた結果だということは判っている。そして、何より、彼の言が間違っていた試しがないのだ。
ただ、静寂のみに支配された部屋に、独り。私は内なる狂気が湧きあがってくることを抑えきれないでいた。
ゆっくりと、手に手を重ねる。そのまま、膝の上にまで運んだ。徐々に温かさが失われていっているのが判る。心を空っぽにして、その中に涙を満たす。これからは、上人のいない世界を生きなければならない。だが、上人を内に感じる方法が一つ、ある。私の意思とは無関係に、私の腕は、徐々にその手を持ち上げる。自分が何をしようとしているか理解はしているが、止められない。熱に浮かされているかのような感覚に、私は何か大事な部分が麻痺してしまったことを知った。
そこから、しばし記憶が途切れる。
そして、我に返ったときには、上人の小指は何者かによって噛み千切られたかのように無くなっていた。それとともに、表現しようのない嫌悪感に襲われ、私は私が何をしたのかを理解した。理解した途端に、猛烈な吐き気に襲われる。もはやここに留まっていることはできなかった。立ち上がり、急いで離れる。それでも、音をたてないようにすることは忘れなかった。
行く当てはなかった。けれども、とにかく遠くへ行かなければならない。その思いばかりが募って足を急かす。必死に山を駆け下りていったが、やがて足を取られて転びそうになる。それが一つのきっかけであった。地面と平行になった私の体は、それでも、地面と接触することなく前進を続けている。空を飛ぶこともできるようになっていた。「──そなたの力は飛躍的に上がる」その言葉の意味を実感すると、雫が一つ、私の代わりに地面に落ちた。
一晩中飛び続けて、やっとの思いで辿りついたのは、見覚えのある字が書かれた卒塔婆のある山である。そこで、喪に服することにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……貴方の言うとおりにしなかったことは、今でも後悔していますよ」
上人の願いを聞き届けることはできなかった。寺に戻ることができなくなった私は、ただ時間だけが過ぎることを甘受しなければならなかった。白蓮さまの事の顛末は、噂を聞いて知ったのである。事実を確かめに、勇気を振り絞って寺を訪れ、白蓮さまが封印されたことを改めて知ったときに、どうしようもなく胸が痛んだ。私の中にいる上人の「姉さん」に対する思いは、同時に私の思いにもなった。
「千年かかりましたし、私の力ではこれっぽっちもありませんが、やっと姐さんも復活しました。少しはお役に立てればいいのですが」
真実を話した方が良いのかどうかは、まだ、判らない。今の私は一介の入道使いということにしてあるし、しばらくはこのままでいようと思う。役に立てればいいとは言ったが、私が役に立つような場面が起きないことのほうが幸せなのだ。ただ近くで見守っていられますように、というのが今の願いである。
昔の思い出を懐かしんでいたためか、少し長居をしてしまったようである。
こちらに向かってくる人の雰囲気を察知して、私は失礼させてもらうことにした。この場所には、もっと相応しい方がいるのだから。
「あら、一輪じゃない」
「おはようございます」
「私より早いなんて、貴方、本当は相当な長生きさんね」
「とんでもないですよ」
挨拶を交わして、道を譲る。ややあって、後ろに声がする。
「あら、この花……」
小さな呟きが耳に届いたかと思うと、彼女の豊かな髪が、ふわり、と動いた気がした。そよ風に乗ったふわりが、耳を、くすぐる。
一輪主役のSSがもっと増えますように……
一輪SSは確かに少ないですなぁ…雲山より少ないかも
一輪さんSSはもっと増えるべき。
こうやって一つ一つ話が語り継がれてゆくのか。
一輪さんもっと増えてほしいなぁ。
一輪と命蓮上人の切り離せない暖かな絆を感じました。
一輪咲きが、目に浮かぶ。
一輪さんに元人間という設定が追加されても、変わらず輝きを放つSSだと思います。