このお話は作品集82「探し物は何ですか」、作品集84「見つけにくい物ですか」、作品集86「カバンの中も」、作品集88(同作品集)「机の中も」の続編です。予めご了承下さい。
「ちわーっす、宅配便でーっす!」
ドスンドスンと扉を叩く鈍い音に、喧しく必要以上に元気な声。僕は耳慣れたその声に、溜め息を吐きながら返事をした。
「はいはい。今開けるよ」
立ち上がり玄関に向かい、ドアノブを回して扉を開く。ぽかぽかとした暖かい空気と共に目に痛いくらいの光が店内に差し込み、その中ではこれまた見慣れた顔がにこにことしていた。
「お届け物です。判子お願いしやーす」
「……君はいつから宅配業者になったんだい、ナズーリン」
そう。妖怪ネズミのナズーリンである。
両手で抱えているのは大きな二つの箱。彼女の身長の半分以上はあるだろうか。自分で扉も開けないわけだ。
着ているものもそれらしいよれよれの業者服で、やや薄汚れて色褪せている。大分年季の入った物のように見えるが……以前からやっていたのかな?
よいせよいせ、と汗をにじませながら、店内に入るととすんと音を立てて荷物をその場に置く。そして額に浮かぶ玉のような汗を拭って、少し満足気な表情で僕の方に向いた。
「ほら。何かお礼は?」
「あ……あぁ、ありがとう……って違う!」
「うん? 何が違うんだ?」
「いやその、えーっと……そう、宅配。宅配業だ。そんなのは君がやるべきじゃない」
「ふむ。どうして?」
「どうしてって……だって君は女の子じゃないか。そういう力仕事をするのは男の役目だ。何もわざわざ君がやらなくてもいいだろう」
「あぁそうか。つまり、私のことを心配してくれたんだな? 成程成程」
「心配……まぁそう言えなくもないが」
どちらかと言うと、あんなに大きな荷物を持っていたナズーリンが押し潰されそうで見ていられなかった、というのが本音なのだが。あまりにも痛々し過ぎる光景である。
そもそも彼女は僕より非力なのだ。なのに配達人だなんて、力が真っ先に必要になる仕事じゃないか。いつからやっていたとしても、即刻辞めるべきなのは間違いない。
「悪いことは言わない。ナズーリン、その仕事は止めとけ。君には探偵という立派な職業があるじゃないか。何もそんな副業を始めなくても……」
「仕事……? あぁ、なんだ、そっか! あっはは、それは勘違いというものだよ霖之助君」
「はぁ? 勘違い?」
ナズーリンは舌を鳴らし、指を左右に二度三度振って言った。
「私のこれは仕事じゃない。こちらに来るついでに頼まれ事があったから、私が運んであげただけだよ。そうカリカリすることはない。大して重くもないしね」
「頼まれ事……? その箱が、か?」
「そうとも。先日の古明地姉妹。覚えてるだろ?」
「古明地……さとりとこいしのことか。あぁ、覚えてるよ」
ナズーリンが変な噂を流したせいで出会ってしまった、地底に住む覚りの姉妹。
運が良かったからかすんなり解決してしまったが、そのせいで僕は一層探偵としての名声を上げることになってしまった。とんだ災難だ。
そもそも彼女らの依頼、その原因もナズーリンにある。あの件に関しては全ての元凶が彼女にあったと言っても過言ではない。結果を見ればナズーリンの思い通りになったということもあって、あれ以来僕は全てが彼女の策略だったのではないかと睨んでいた。
まぁそんなことは今はどうでもいい。今問題にするべきはその二人がどう関わってくるのか、だ。
「何、そう不思議に思うことでもない。ただお礼を渡したいから、ついでに持って行ってほしいと言われたんだ。断る理由もない。当然快く引き受けたさ」
「……お礼、ねぇ」
「これがいつもならネズミたちに運ばせていたところだが、今回は壊れやすい物だから慎重に運んでほしいとも言われてね。あんなせっかちな奴らに任せてはいられない。そういうわけで私が運ぶことになったというわけさ。服が汚れるといけないと言って作業着も貸してくれたよ。あぁ、さとり嬢は親切だねぇ」
感嘆を込めて、身振り手振りも交えながら情感たっぷりに説明する。時々こちらにチラチラ視線を送ってくるがいったい何のつもりだろうか。
それにしても……お礼か。確かにあの時そんなことを言ってたな。しかしまさか送ってくるとは思わなかったのだが……。
壊れやすい物、とは何なのだろうか。壺とか陶器とかその辺りか? もしかしたら貴重な物かもしれないな。なんてったって封印されていた地底の住人からの贈り物なのだから。
何はともあれまずは開けてみよう。期待に胸を膨らませながら、僕は封をビリビリと剥がした。
「……なんだこれ」
「何が入ってたんだ? 私にも見せてくれよ」
「ほら」
箱に入っていた「それ」を取り出し、ナズーリンに渡す。すると彼女も僕同様、眉間にしわを寄せてしかめっ面になってしまった。
「これって……あれだよな」
「あぁ。さとり嬢の――第三の目、だな」
「え? そうなのか?」
「え? そうじゃないのか?」
何が何やら。
整理しよう。箱の中に入っていたのは、一つの大きな瞳だった。ただ瞳からは数か所から細い管が伸びており、それらはそれぞれに複雑に絡まり合っている。紫色のそれは紛れもなく、あの古明地さとりが身に着けていた物だった。
同様にこいしも青色の同じ物を身に着けていたため、僕はそれを最近の流行なのかと思っていたのだが……ナズーリン曰くこれは第三の瞳、らしいな。予想外だ。
「まぁ、こんな悪趣味なアクセサリーが流行っても困るけどな……」
「全くだよ。もっと常識的に考えろ。……私もまさか、脱着可能だったとは思っていなかったが」
「さっき、第三の瞳と言ったな? じゃあこれを使えば相手の思考を読み取ることができるのか?」
「そういうことになるんじゃない? 詳しくは知らないよ。君の能力でも使って調べたらどうだ」
「それもそうだな」
僕の能力。道具を見れば名称が分かるし、触れたり名を口にしたりすれば使用用途だってすぐに分かる。使い方までは分からないが、未知の道具を扱うには充分過ぎるくらいの能力だ。
ここのところ忙しかったからな……もう久しく無縁塚にも行っていない。能力を意図的に使うことがあまりなかったから、すっかり忘れてしまっていた。
まぁ、思い出せたのならそれで良い。
「じゃあ君はその目でも弄くり回していたまえ。私はもう一つの箱を開けてみるから」
「それ、僕宛ての小包みだろ?」
「細かいことは気にするな。さーって、何が入っていっるのっかなー」
ご機嫌な様子でビリビリと封を破くナズーリン。僕の話なんか聞いちゃいない。
でも盗まれるわけでもないし、気にすることもない、か……いいや。素直に目の方を調べよう。
箱の中からそれを取り出し、改めてまじまじと眺める。やはり見れば見る程グロテスクだった。
――正式名称、サードアイ。相手の心の中を読み取ることができる……第三の目と言っていたが、実際にはサードアイと言うのか。これは少し意外だったな。
用途については特に疑問を持つ部分はない。覚りの能力そのままである。いや、これを持っているから覚りと言うのかな? よく分からないが。
問題はどうやって使うか、だが……まぁあの姉妹の真似でもすれば良いだけのことだ。二人とも同じような感じだったしな。コードに絡まって転びそうなのをどうするか考えなくては。
しかし……こんな物で本当に相手の心の中が見えるというのか? どう見ても子供の玩具にしか見えないが……ふむ、そうだな。着けてみれば話は早いか。
そう思いもつれたコードをほぐそうとすると、直後鼓膜がビリビリと震える程のナズーリンの馬鹿笑いが店内にこだました。
「あーっはっはっは! こりゃいい、こいつは傑作だ! あははははっ!!」
「なんだいきなり……耳触りだな」
「いいから見てみろ。ほら!」
突然ナズーリンはこちらに何かを投げ付ける。難なく掴んで視線をそれに落としてみると、綺麗に折り畳まれた青い服だった。
もしやと思い広げてみる。やはり見覚えのある、一見スモックのようにも見える“あの”服だった。
「……なぁナズーリン。これって……」
「ご想像の通りだよ。曰く“古明地さとり変身セット”だそうだ。スカートもあるぞ」
「いるか!」
「でもこれを着ないと第三の目を扱うことはできないそうだぞ。ほら、手紙に書いてある」
「手紙?」
僕が問い返すと、先程と同じようにナズーリンは紙切れを投げて寄こした。ペラペラの紙を普通に飛ばすことができる辺り、変なところで器用である。
それはさて置き、同封されていたらしい手紙に目を通す。そこには細々とした丁寧な字で、謝辞がつらつらと書き連ねてあった。
――拝啓 森近霖之助様
地上ではもう暖かくなってきているそうですが、お元気でしょうか。
先日はどうもありがとうございました。妹共々、貴方にはとても感謝しています。この思いは言葉では到底表し切れません。
そこでささやかながら、贈り物を用意させて頂きました。ナズーリンさんにお渡し致しましたのでどうぞご確認下さい。
尚、これは予備ではありますが、悪意ある者が用いれば充分に凶器と成り得ます。三日程経ちましたらまた回収に参りますので悪しからず。
末筆ながら、ご自愛の程お祈り申し上げます。それではまた後日。 かしこ
追伸
本当うっかりやさんよね。第三の目って、神経と繋ぐためのボタンがなくちゃ使えないのに。
そういうわけで、お姉ちゃんの服も一緒に送ります。ハートの形をしたボタンに引っ掛ければ使える筈よ。カチューシャも着けてね。
あ、ちゃんと使用済みのだから心配しなくて良いよ。その上未洗濯のおまけつき! 匂いフェチの貴方にもオススメ!
……それじゃあまた遊ぼうね、探偵さん。バイバイ! 古明地こいしより
「…………」
「どうした、口をぽかんと開けて。間抜けに見えるぞ」
「……いや、あまりにも、突っ込むべき箇所が多過ぎて……」
「なんだそういうことか。分かるよその気持ち」
同意されても嬉しくない。
しかしまさかの犯人がこいしか……いや、こんな下らない悪戯を仕掛けそうなのもあいつしかいないか。今頃は家で笑っていることだろう。
ま、子供のやることだと思うことにしよう。こんなことでいちいち怒るのも馬鹿馬鹿しいしな。
「着るの?」
「誰が着るか! ……第一、さとりは小柄だったろう。僕の体じゃ首までしか入らないだろうよ」
「でも、折角送って貰ったんだし一度くらいは使ってみたいだろ? 顔に出てるよ、興味津々なのが」
「ううん……それはそうだが、しかし……」
ナズーリンの言う通り、僕はこの“道具”にとても強い魅力を感じていた。正直に言えば、今ここに誰もいなかったら迷わず着替えてしまうだろう。それくらいに魅力的なのだ。
しかし、僕が着るには物理的に無理が生じてしまう。いっそのこと服を仕立て直すか? いやいや、そもそも僕自身があのフリフリの洋服を着ること自体がアウトなんじゃないか。それに他人の服に手を加えると言うのも、何となく気が引けてしまう。
ならどうしようか――そう悩んでいた時に、ふと気が付いた。
そうだ。目の前に、丁度良い体格の少女がいるじゃないか。
「そうだよナズーリン。君が着れば良いんじゃないか」
「はぁ?」
「君ならさとりとそう身長も変わらないし、着ようと思えば着られるだろう。モニターとしてどんな感覚で、どんな風に相手の思考が読み取れるのかを教えてくれればそれで充分だ。どうだ?」
「どうだ、と言われても……着ないよ? 君に協力してやる義務はないし」
「そりゃそうだけど……気にならないか? ほら、僕の考えていることだって丸分かりだぞ」
「君の考えていることなんて知っても何の役にも立たないじゃないか」
「手厳しいな」
はははと僕は空笑いするが、彼女はまるで笑っていない。無表情のままである。
いや……笑っていないんじゃない。考えているんだ。
顎に手を当て伏し目がちに、目を泳がせて思考している。やがて顔を上げると、にやりと不敵に笑って言った。
「そうだな……うん、着てやっても良いぞ。勿論君のしたいことは何でも聞いてやる。誰かの心の内を知りたいと言うのなら、喜んで協力してやるさ」
「で、条件は?」
「よく分かってるじゃないか。そう、今日は……一緒に、人間の里まで着いて来て貰おうかな」
「里まで?」
また行くのか、と思いつつ、どうしてそんな所に行きたいのか尋ねる。
「うん? 私が里に行っちゃいけない理由でもあるのか?」
「いや、ないけど……今まで一緒にどこかに行こう、なんて言い出したことがなかったからさ。あ、もしかして仕事の依頼とか?」
「違うよ。今日は純粋に私用だ。そう……端的に言うなら、お買い物、って奴だ」
「買い物?」
いつものことながら言葉を反復して問い返すと、ナズーリンはにっこりと笑って頷いた。
「さぁ次だ次。必要な物はたくさんあるぞ」
「……はぁ、はぁ……ナ、ナズーリン……ちょっと、待って、くれ……」
「なんだもうバテたのか? 全く頼りない人だね」
呆れた視線を向けながら、僕をなじるナズーリン。
だが僕が非難される覚えはない。両手いっぱいに抱えたビニール袋。ナズーリンの買った物が詰まっているそれは、軽い鈍器と言い換えても差し支えはなかった。
指の先に血液が行かなくなってどれくらい経つだろうか。もう感覚なんて殆どない。腕の筋肉も引きつって、明日辺り酷いことになりそうなのが心配だ。
その上僕のおごりである。彼女曰く「こういう時は男がおごるもの」らしいが……なんか都合の良いこと言ってないか? こんなことをして僕に何の得があるというんだ。
しかしサードアイの件が頭にチラついて離れない。ここで癇癪を起こせば僕の好奇心は行き場を失ってしまう。それはできれば避けたいところだ。
「それにしたって……よくもこれだけ買うものがあるな。その上全部生活用品だぞ」
「忙しい時には着替えることすらできなくなるからね。買える時に消耗品は買い溜めしておくんだよ。いやぁ、君がいてくれて助かった」
「その分僕が犠牲になっているけどな」
せめて荷物の一つか二つ、自分で持ってほしいのだが。
だがそれも叶いそうにはない。そもそも今朝僕自身の言った言葉がネックとなってしまっている。……あぁ、こんなことになるならあんなこと言うんじゃなかった。
「しかし意外だな。女性というものは、服やアクセサリーを重点的に買い集めるものじゃないのかい? ところが君と来たら、徹底して必要な物以外は買わないじゃないか。興味はないのか?」
「ないわけじゃないよ。でも、今日はそのためにこっちに来たわけじゃないからね。本来の目的を忘れて趣味に走れば、それは本末転倒というものさ」
「そんなもんか? 普通、自分の金が減らないんだったらいつもより豪華で高価な物を買うだろう。だと言うのに、こんなセール品や処分品ばかり……」
「何? 高い物を買ってほしいの?」
「……いや、遠慮しておこう」
それ見たことか、とばかりにナズーリンはつんとそっぽを向く。そうか、もしかしたら僕のことを気遣ってくれていたのかもしれないな。ブランド品なんか買い漁られたら、借金地獄は間違いないだろうし。
……いやいやいや待て待て待て。だから僕がおごることになってること自体おかしいんだよ。根本から間違ってるじゃないか。
でもそのことを追求してへそを曲げられでもしたら、困ったことになるのは僕自身なわけだし……なんなんだよもう。意味が分からない。
「何頭をかきむしってるんだ? ほら、あそこでチーズの安売りをしているぞ。買いに行こう」
「まだ買うのか? あれだけ肉を買ったのに……」
「あれは小ネズミたちの分。チーズは私の好物なんだよ。ちょっとした淑女のたしなみって奴さ」
「…………」
聞いたことないが。
まぁいい、行こうとナズーリンが袖を引っ張って急かす。僕は大きく溜息を吐いて、彼女の言うことに従った。
「……流石に、ここまで来ると、……きつい」
「随分と買ったもんなぁ……手伝おうか? ちょっとふざけ過ぎた気もするし」
僕は無言でこくこく頷く。ナズーリンは苦笑して、すぐに荷物の三分の一程度を持ってくれた。
一気に負担が軽くなり、喋るのもやっとだったのが普通に歩けるくらいにまで回復する。あんまりたくさん買ったことも原因だろうが、自分の非力さを改めて実感してしまう。たまには体を鍛えるべきなのかもしれない。
「おおう……ずっしりくるな。そりゃふらふらしても仕方ないか」
「……やっぱり僕が持とうか? あんまり重い重い言われても、その、気が引ける」
「ははっ。全部君に任せたら倒れてしまうだろう? これでちょうど良いくらいだよ。それに、今体力を使われたら困るしね」
「何か他に用でも?」
「うん? 服とか買わないのかって聞いたのは君だろうが」
げっ。まさか。
「君の言うことも尤もだ。たまにはおしゃれも悪くないね。外着ももう何着か、余分に持ってて損はあるまい」
「おいナズーリン。本気で僕の店を潰す気か? そんなに金があるわけでもないんだぞ」
「はぁ? そこまで君には期待してないよ。無論私の手持ちで払うさ」
ああ、なんだそういうことか。びっくりした。
……何かに負けたような気もするが。
「まぁ、もしお店が潰れたら私のところに来ると良いよ。一人ぐらいなら雇う余裕はあるし、住み込みで働かせてやる」
「縁起でもないことを言うなよ……それに君の世話になる気もない。金がなくても、何とかやってみせるさ」
「うん。その意気だ」
ナズーリンはからからと笑う。しかし割と現実味のある話なだけに、僕はどうしても笑えなかった。
「さて、それじゃ戻ろうか。荷物を置いて少し休んだら、また一緒に出よう」
「一緒に? 僕も行くのか?」
「一人で服なんか見てても何も面白くないよ。誰かと一緒に見るから楽しいのさ」
「ふーん……そんなもんなのか?」
「そんなもんなの。全く、君は女心というものを一欠けらも理解してないようだね」
憤慨したようにナズーリンは嘆く声を出す。
僕の服なんか毎回デザインは似たり寄ったりだ。一応模様などは少し変えることもあるが、見た目には殆ど変わらない。服に込める意味、効果が重要なのであって、使い心地さえ良ければ外見なんかには頓着しないのだ。
つまり服装には興味がないわけで、僕を服屋なんかに連れて行っても大して意味はないのである。勿論僕自身もつまらない。
それくらい、彼女は充分承知している筈だが……それでも一回ぐらい言ってみようとか言い出すんだろうな。面倒臭い。
「ほら、早く行こう。もたもたしてたら日が暮れて店が閉まってしまう。急ぐよ」
「そんな急がなくても充分間に合うと思うが……あぁ分かったよ。行こう。だからそんなに恐い顔をするな」
他の奴なら、まだある程度可愛げがあるものの……ナズーリンに睨まれるとどうにも背筋がぞっとしてしまう。多分冗談じゃ済まないような気がするからだろうな。
まぁ逆らう気なんてさらさらない。ここは素直に言うことに従っておこう。そう決めて香霖堂に戻ろうとした、
その時だった。
「うわぁっ!?」
一瞬、僕らの目の前に黒い影が横切り、ナズーリンにぶつかる。
突然のことに対応し切れずバランスを崩した彼女は、そのまま後ろにいる僕の方に倒れ込む。
当然僕も両手が塞がっているから、受け止めることもできずにそのまま一緒に転んでしまった。
「いてて……おい、大丈夫かナズーリン?」
「あぁ……悪いね、よそ見してたようだ」
「いや、確か向こうからぶつかって……あれ? もういないな。逃げたのか」
「やれやれ。子供かな? やんちゃなのは良いが、人に迷惑を掛けないで貰いたいものだよ」
パンパンと土埃にまみれた服を、ナズーリンは手で掃う。僕もそれに倣いながら、立ち上がって言った。
「しかし……手が塞がっているのも危ないな。今みたいに誰かにぶつかってしまうかもしれないし、万が一スリに遭ったって対処ができない」
「スリだと? ふふん。私を誰だと思っている? 失せ物探しこそ私の得意とするところ。もしそんなことになったとしても、このペンデュラムさえあれば――あれ?」
ナズーリンの手は、真っ平らな胸の前で空を切る。
そしてすぐさま荷物を投げ出し、慌てた様子で体中至る所をまさぐりだす。袋の中身は既にぐちゃぐちゃだが、そんなことは意にも介さず彼女はあちこちに手を回し続ける。
やがて探す場所もなくなったのか、ナズーリンは呆然と立ち尽くして呟いた。
「な――、い……? 私の、大事な、ペンデュラムが――ない!」
「あーあ、言わんこっちゃない」
「ちゃんと持ってきた……さっきまで、私の首に掛けてあった……なのに、今はどこにもない」
「だから盗まれたんだよ。ぶつかられた時に、どさくさに紛れて盗られたんじゃないのか? 宝石とかと間違われてさ」
悲痛な声を上げてその場にへたり込むナズーリン。顔を下に向けて呆然自失としているようだ。尻尾もへなへなと元気がない。
結構逃げ足は速かったし、今から追い掛けても間に合わないだろう。そもそも顔も分かっていないから、平然と歩いていたりすればもう他の人と見分けがつかないだろうな。
ふむ、どうやって慰めようか。そんなことを考えていると、ふと彼女が肩を震わせていることに気が付いた。
泣いているのだろうか――いや、違う。
笑っているんだ。
「ふふふ……この私から、物を盗むとは……このナズーリン、一生の不覚……っ!」
「お、おいナズーリン? 大丈夫……」
「しかし、標的を誤ったな。よりにもよってこの私を狙ったのは、それこそ不運としか言いようがない」
「……大丈夫みたいだな」
「さぁ覚悟しろ盗人め! 今すぐ見つけ出してやる! 『ビジーロッド』!!」
叫び立ち上がると、どこから取り出したのか分からない二本の鉄の棒を構えて更に続けた。
「何が何でも見つけてやるぞ。行け私のロッドよ! ペンデュラムの在り処を指し示せ!」
そして上体を逸らし、手を大きく後ろに引いて、
手首のスナップを利かせ、思い切り、
投げた。
くるんくるんと回転し、ブーメランのように空中を飛んで行く鉄の棒。人の間を器用に縫って、超スピードで風を裂く。
一方ナズーリンはまるで一仕事終えたかのような清々しい笑顔で、ふぅと額を拭っていた。
「って何をしているんだ君は! 何故あんな物を投げた!?」
「うるさいなぁ……何を焦っているんだ。心配せずとも、あれは危険な物じゃないよ」
「危険じゃないって……そんなわけないだろう? 誰かに当たったりでもしたらまず間違いなく怪我するじゃないか」
「あれは先日改造したものでね。自動的に探している物を追尾してくれるんだよ。目的物以外の物に衝突しそうになったら勝手に避ける。君だって見ただろ?」
「そりゃ見たが……でも、なぁ」
確かに彼女の言う通り、ロッドは時折急に上昇したり左右に曲がったり変な挙動をする。そんな時は大抵元々の進行方向に人がいるのだが、それがつまり“勝手に避けた”ということなのだろう。安全性はバッチリのようだ。
あまりにも自信満々の彼女の言葉と、実際に目の当たりにした動きを見て、結局僕は何も言えなかった。
「探偵たるものこの程度の道具は持っていてしかるべきだよ。かの有名な少年探偵団も、七つ道具を持っているじゃないか。君なら分かるだろう?」
「分かるけど……いや待て、それとはちょっと違う気がするぞ」
「細かいことなど捨てておけ。さぁ、私たちも追うぞ! 犯人が誰か、この目で見定めてやる!」
ナズーリンは突然駆け出し、ロッドが飛んで行った軌跡と同じように人の間を縫って行く。元々足の速い彼女だから、あっという間に随分と遠くまで行ってしまった。
自分の両手に抱える荷物と、地面に投げ出された荷物とを見比べて深く息を吐く。
どうせ面倒なことになるのだろう。
でも、行かなかったらもっと面倒なことになるんだよな。
やれやれ、選択の余地はないようだ。僕は覚悟を決めて、荷物をその場に置き彼女の後を追った。
鉄棒は尚もくるくると回り続け、ずっと遠くの角を右に曲がった。
直後ズン、と重々しい地響きと、悲痛な叫び声が遠くから聞こえてきた。まるで蛙を引き潰したような声だ。
「……なぁ、もしかして、あれって……」
「ビンゴ! 犯人はどうやら向こう側にいるらしいぞ。急げ!」
全く人の話を聞かないで、更に走る速度を速める。僕も人にぶつかりそうになりながら、必死にそれに続いて走った。
やがてナズーリンより少し遅れて曲がり角に辿り着き、そこを右に曲がる。すると突然視界が白っぽくなり、周囲が見えなくなってしまった。
息もなんだか苦しい気がする。恐らくさっきの音の元凶――ナズーリンのロッドが土埃でも立てたのだろう。あの地を震わせる程の衝撃なら、これくらいの土埃が舞ったっておかしくはない。
袖で鼻と口を覆い、もう一方の手で必死に空気を混ぜ返す。少し経つとだんだん白い空気も薄れてきて、辺りの状況が何とか見えるようになった。
「……これは」
僕の少し先で、うずくまって咳き込んでいるナズーリン。更にそのちょっと先には青い水晶体のペンダントが落ちている。あれが言わずもがなペンデュラムだろうな。
しかし僕の視線は、そこよりもっと先で倒れている犯人――いや、犯人たちの姿に釘付けにされていた。
二本の鉄の棒の下で、重なって倒れた三人の少女。
後ろ姿でも誰なのか分かるくらい、よく見知った彼女らの姿に。
「あー……何なんだ一体。私らをここに連れてきてどうするってんだ? 遊んでるような暇があるわけじゃないんだがな」
「そうですそうです。この、世にも珍しい『核エネルギー』とやらの実態……報道すれば人気はうなぎ上り確定です。なのにこんなところでもたもたしてたら、誰かに横取りされちゃうかもしれないんですよ」
「うにゅ!」
「あー黙れ黙れ。警察に突き出されなかっただけマシだと思え。本来なら今頃鉄の檻の中に閉じ込められている筈なんだからな」
ナズーリンはやや苛立った口調で、椅子の上に頑強に縛られた彼女たちを睨む。
ペンデュラムは取り返したが、一度痛い目に会わさないと気が済まない。ナズーリンはそう言ってその場で彼女らを捕まえて、自分の事務所まで連れて来たのだ。
例え逃げ出そうとしても、床には無数の小ネズミたち。いざとなったらこいつらをけしかけるつもりなのだろう。用意周到である。
「……ダメだなこりゃ。話が通じない。なぁ香霖、何とか言ってやってくれないか? 私らがそんなもん盗むわけないってさ」
「と言われてもな……特に君は余罪があるわけだからね。最も疑わしいのは魔理沙、君なわけなんだよ」
「うへー。世話してやった恩を忘れやがって。覚えてろよ」
右端に座って舌を出しながら、僕を睨みつける金髪の少女――霧雨魔理沙は暴言を吐き捨てた。勿論彼女に世話して貰った覚えはない。いい迷惑なことこの上ない。
彼女は「借りてくぜ」と言いながら僕の店の商品を持って行くことがよくあった。期限は自分が死ぬまで、らしい。勿論そんな話を通す筈ないので、今のところ彼女はツケがかなり溜まっている状態だ。
そんな泥棒紛いのことをやっていた経緯があるからこそ、最も疑わしいのが彼女と言えるのである。
「あやややや。もしやもしや、私たちのことを泥棒だと思っているんですか? それは冤罪というものですよ、香霖堂の店主さん?」
「君もなかなか頭が回るからね。高価な物だと睨んで盗もうと思ったとしてもおかしくはない。その上一番疑われやすい人物が隣にいるんだから尚更だ」
「……ふん。なら疑っていると良いわ。その代わり私たちの中に犯人がいなかったら……その時は覚悟してなさい」
謙虚な態度から一転、獲物を狙うような目つきでふんぞり返ったのは鴉天狗の新聞屋射命丸文。巧みな話術を用いて僕を惑わせようとでもしたのだろうが、効かないとみるやすぐに本性を現したようだ。
あるいは侮辱されたように感じたのかもしれない。天狗は結構プライドが高いからな。実際力は強いし、あまり挑発するようなことを言うのは止めておくか。
「うにゅー……ここどこ? 地霊殿に帰りたいんだけど」
「ここはナズーリン探偵事務所。君は今そこにいるナズーリンの首飾りを盗んだ容疑で捕まっているんだ。お願いだから決着するまで大人しくしていて貰えないかな」
「うーん……早く帰らないと、さとり様に怒られちゃうんだけどな。分かったけど、なるべく早くしてよね」
「はいはい」
最後は地獄鴉の霊烏路空。先日の間欠泉異変の時の首謀者らしい。詳しいことはよく知らないが、今の会話振りからしても頭はそれ程良くないように思える。とりあえず一番犯人からは遠そうな位置にいるな。
以上三人が、曲がり角の先に倒れていた少女たちの内訳である。言い換えればこの中に犯人がいるということなのだが――どいつもやりそうなんだよな。
魔理沙なんかは個人的には庇いたいが、日頃の行いが悪過ぎる。文は頭が回るからやりかねないが、その分リスクとメリットが釣り合っていないことも充分理解しているだろう。最後のは論外だ。
どいつもこいつもある程度足は速いらしい(地獄鴉は核の力を用いて高速移動すると霊夢から聞いた。ちょっと見てみたい気もする)し、そこで篩に掛けることはできないんだよな。うーん、どうやって犯人を絞ろうか……。
「……なぁ。一つ、聞きたいことがあるんだが」
僕が三人娘と応答している間、部屋の隅でじっと腕組み考え込んでいたナズーリンが、突然口を開いた。
「ん? なんだ?」
「君は……あの金髪の小娘と知り合いなのか? “香霖”とか言っていたが」
「あぁ、魔理沙のことか? あいつとは昔からの付き合いでね、親父さんにお世話になってたんだよ。よく僕の所に入り浸ってるが……まだ会ってなかったっけ?」
「見たこともないよ。……魔理沙、ねぇ……どれくらい親しいんだ? 実は恋人とか?」
「違うよ。というか、なんでそんな込み入った話までしなきゃいけないんだ? 今考えるべきは犯人が誰か、だろ」
「その犯人を絞り込むために聞いてるんじゃないか。君と繋がりがあったなら、そこから糸を手繰り寄せられるかもしれない。情報は一つでも多いに越したことはないだろ」
「……それもそうだな。狙われた原因は僕にある可能性もある、か……」
ナズーリンの物が盗まれたからといって、原因は彼女にあるとも断定できないのだ。そもそも彼女とこの三人とは面識がないようだし、どちらかと言うと僕の繋がりから探った方が早い可能性が高いのである。
しかし……狙いが僕というのも、なかなか考え辛い気がする。彼女たちに何か悪いことをした覚えはない。寧ろ良くしてやった方なんじゃないか? 感謝されることはあっても、恨まれるようなことはない筈だ。
うーん、これはなかなか難しい問題だな。しっかり腰を据えて考えるべきかもしれない。
と思ったところに、ナズーリンがふと何かを思いついたように尻尾を直立させた。
「……そうだ。あれがあるじゃないか。そうだそうだ」
「ん? 何か秘策でも思いついたのか?」
「まぁ見ていろよ。ちょっと一緒についてきたまえ」
彼女に手をひかれるままに、僕は事務所の更に奥の部屋へと連れて行かれる。容疑者三人の非難がましい視線を、背中いっぱいに受けながら。
所長室の中に入り、ゆっくりと扉を閉めてから、ナズーリンはおもむろにくつくつと笑いだした。
「こんなこともあろうかと、万が一のことを思って持って来ていたが……それが功を奏したようだな。やはり用意は周到であるべきだ」
そう言って、ナズーリンは懐から水色のシャツに桃色のスカート、黒いカチューシャと薄い赤色の靴――それに加えて、細い管が何本も飛び出すサードアイを取り出した。
要するに「古明地さとり変身セット」一式だ。持ってきてたのかよ。
「僕の物を勝手に持って来ていたのはまだ目を瞑るとして……それをどうするつもりだ? 言っておくが僕は着ないぞ」
「ばーか。私が着るんだよ。君と言えばすぐ自分のことと結びつけるんだからね、少しは周囲に目を向けたらどうだ」
「君が……着るのか? あれだけ渋っていたのに」
「こんな状況じゃ贅沢は言ってられないしね。それに心の中を探れば自ずと答えは見つかるさ。一番手っ取り早い、クレバーな手段だよ」
クレバーな手段、ねぇ……。
要領が良い、と言うよりこの場合はずる賢いと言った方が適切かな。
「さぁほら、早く行きたまえ。着替えている途中の姿を見られたいわけじゃないんだから」
「うお、っとっと」
いつの間にか背後に回っていた彼女にどんと背中を押され、僕は無理やり外に押し出される。
それじゃあ着替えたら合図するよ、と彼女は言って、ばたんと勢いよく扉を閉めた。直後かちゃりと鍵を閉める音まで。
……連れて来たのは君だろうが。追い出すくらいなら最初から自分一人で着替えてから来いよ。
もやもやとした苛立ちが体全体を包み込むのが分かる。それでも僕は、その場をうろうろして待つことだけしかできなかった。
着替えた後に呼び出され、再び扉を開いた時に、僕は思わず息を呑んだ。
というのも、部屋の中、目の前に立っている彼女が――一瞬、さとりに見えてしまったからだ。
頭から伸びる細いコードは、胸の前の目玉に行き着く。目玉からは縦横無尽に更にコードが伸びており、それぞれが体に巻き付き各手足の先、ハート型の黄色いボタンに繋がっていた。
まぁ、体型が似通っているせいもあるだろうな。ただそれ以上に問題なのは――
「……随分とちんちくりんだな」
「第一声がそれか……もっとこう、何か、他に言うべきことはないのか? ん?」
「他に、って……何を言えと言うんだ。何か心配なことでもあったのか?」
「……そうだったね。君はだめだ。うん、諦めた。行こう」
ナズーリンはやれやれといった様子で首を横に振ると、一人で部屋を出て行ってしまった。僕も慌ててその後を追う。
それにしても、いったい何がだめだというのだろうか。何の説明もなしで勝手に失望されても困る。ただ単に僕を貶したいだけじゃないのか?
とそこまで考えて、ふと彼女が既に覚りの能力を得ていることに気付く。つまりは僕のこの思考でさえ筒抜けというわけだ。あまり下手なことは考えられないな。
「その通り。私の悪口なんかは軽々しく頭に思い浮かべないことだね。……それにしても、君は随分と下らないことを考えているんだね。もう少しその脳細胞を有効に使いたまえよ」
「下らないとは失礼な。勝手に人の思ってることを読むなんて無作法にも程があるぞ」
「おや、覚りとはそういう妖怪ではなかったかな? ……ふふっ。ま、少しの間だが存分に楽しませて貰うことにするよ」
肩を揺らして笑うナズーリン。その様子を見ると、さとりに返却するまでの数日を思って気が重くなってしまうのだった。
扉を開いて僕らが再び容疑者たちの集まる部屋に戻ると、彼女たちは皆三者一様に目を丸くしてナズーリンの方を見ていた。
そして直後に、魔理沙と文がぶふっと吹き出す。僕も吹き出す程ではないが、その気持ちはよく分かった。
と言うのも、さとりの格好をしたナズーリンは――つまりさとり自身もそうなのだが――背丈の低さも相まって、幼稚園児にしか見えないのである。
「……お前、確か……ナズー、とか何とか言ってた奴だよな……? その格好……くくっ、コスプレか?」
「ナズーリンだ。コスプレじゃないよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい? その服……古明地さとりさんの、ですよね? なんで、っひ、あ、貴女が?」
「ちょっとした事情があってね。何、気にしないで良いよ」
「そうですか……っぐ、お、お似合いですよその服! 素敵だと、ふひっ! 思います!」
「そうか。そいつはどうも。……?」
何かおかしいと勘付いたのだろう。ナズーリンは腕組みをして眉をひそめ、何かを見定めるように二人の顔をじっくりと見つめた。
そして突然顔を真っ赤にして、僕の方に振り向いて叫んだ。
「っき、君、どうしてそんな重要なことを言わなかったんだっ!? よよよりにもよって幼稚園児だなんて! 馬鹿にしているのか!」
「馬鹿になんかしてないよ。と言うか気付いていなかったのか? 自分で見ればすぐ分かるだろうに」
「鏡なんてあの部屋にはなかったんだよ! ……ううー、こんな辱めを受けるなんて……ショックどころの話じゃないよ」
がっくりと項垂れ両手で顔を覆う。ふむ、そんなに恥ずかしいものだったのか。少し悪いことをしたな。
まぁ、どっちにしたって心を読むつもりならこの格好は見られるわけだし、いちいち渋られるよりはこっちの方が良かったか。
そう思いつつも、やはりどこか罪悪感を感じずにはいられなかった。
「……っく、こんなことで凹んでいられるか! さぁ君たち、覚悟を決めろ! この第三の瞳がある限り、真実は常に一つなのだからね!」
と思いきや、立ち上がり三人に向かって叫ぶナズーリン。まだ顔が真っ赤な辺り吹っ切れてはいないようだ。やけくそか。
とにもかくにも、かくして覚り流尋問は始まったのであった。
「――おかしい! これは絶対に……有り得ない!」
「おかしいとは言うけどね……実際、君自身が視たんだろう? ならそれが真実じゃないのか」
「だとしても……君だってあの現場を見ただろう? だったらこの中に犯人がいて当然じゃないか。そう思うのが普通だろう?」
「だが現実に、盗んだという記憶を持つ者は三人の中にいなかった。君がどう思おうともそれは事実だ。大人しく諦めて受け入れた方が良いと思うけどね」
僕の言葉にナズーリンは頭を抱える。それはそうだろう。何しろ犯人だと思っていた奴らの誰もが犯人じゃなかったのだから。
――まず初めにナズーリンは、揺さぶりを掛けるように今回の件に関して色々な質問をした。
覚りは今考えていることが読めるだけで記憶そのものまでは探れない。事件に関わる事柄をつつくことで、底に沈殿した記憶を掘り出そうとしたのである。
が、結果は空振り。誰一人として犯人を示すような記憶は浮かび上がってこなかった。
ならば一人ずつ、とナズーリンは次に個室に一人ずつ容疑者を呼んで尋問をした。しかしこれもダメ。どれだけ粘っても、そもそもナズーリンのペンデュラムに関する情報すら引き出すことはできなかったのである。
そう、つまり彼女らはナズーリンのペンデュラムの存在さえ知らなかった、というわけなのだ。
その上空に至っては、
「うにゅ! さとり様! どうしてここにいるんですか?」
である。論外だ。
まぁこいつは最初から除外するとしても、後の二人は揺さぶられてボロを出さない筈がない。どっちも頭で考えるタイプだからな。犯人だったらすぐに判明する筈だ。
そういうわけで、ナズーリンの推理は完敗を喫したのだった。
「うぅー……納得できない。私の推理は完璧な筈……何よりあのペンデュラムが落ちていた場所が、あの三人の誰かが犯人だと示しているんだ。寧ろ他に誰がいる?」
「誰が犯人だったとしても、今ペンデュラムは手元にあるんだ。それで良いじゃないか? 本当は盗品が戻ってきただけでも儲けものなんだよ。君は少し、物事を多く望み過ぎなんだ」
「……だって……だってぇ……」
目尻には涙が溜まっている。何度も鼻を啜り、必死に泣かないように堪えているがそれも時間の問題だろうな。
彼女はプライドが高い。完敗を喫した経験もそう多くはないのだろう。完全に鼻柱を挫かれた彼女は、最早ただの一人の少女にしか見えなかった。
ぽんと頭に手を置いて、優しく何度か撫でてやる。それでナズーリンの我慢は限界を超えたようで、僕に抱き付き顔を埋めて本格的に泣き出した。
幾ら宥めても一向に泣き止む気配はない。ただただ嗚咽を漏らすばかりだった。
「やれやれ。犯人をとっ捕まえてやる、だなんて、言い出さなければ良かったのにな」
「……おーい香霖。いちゃつくのは構わんが、私らを解放してからにしてくれないか? いい加減縛られてるのもきついんだが」
「ん? あぁ悪い。今外してやるよ」
しがみついたままのナズーリンを引きずりながら、一人一人の拘束を解く。本当に悪いことをしたものだ。
「いてて……体中の骨が軋むようだぜ」
「本当、暫くは自由に核も使えなさそう」
「全くだわ……結局誰も犯人じゃなかったじゃないの。どう責任を取ってくれるのかしら?」
「あー……それは……うん、そうだ、追加で新聞を半年間購読しよう。それで許してくれ」
「一年」
「……分かった。一年間、文々。新聞を購読することを約束する」
「それで宜しい。契約成立、ですね」
にっこりと微笑んで文は言う。これで許してくれるのだから安いもんだ……いや、やはり高い。
その後魔理沙にはマジックアイテムの作成、空にはゆでたまご二週間分プレゼントの約束をして何とか許して貰った。迷惑を掛けたのはこちらなのだから、謝罪をするのは当然なのだから……何となく釈然としない。特に魔理沙に対しては。
最後、帰り際に彼女たちが見せた悪魔のような微笑みを、僕はきっと一生忘れないだろう。
それでも丸く収まったのだから、まぁ良いか。そう無理やり自分を納得させて、今度は泣き虫になってしまった探偵を、どうやって宥めるかにひたすら頭を悩ませる僕だった。
ところで、僕には一つ考えがある。
鴉というのは実にきらきらと輝く物が好きなのだ。そう、人間の装飾品なんかは特に狙われることが多い。
ここで思い出されるのは、鴉天狗と地獄鴉の存在である。但し前者は妖怪、それも天狗であって知能は人間のそれすらも凌駕する。本能を抑制することなどは容易いだろう。
では後者はどうかと言えば、やはり動物だからその辺りは期待できない。寧ろ本能剥き出しで襲い掛かって来た方が余程自然だと言える。
ならば何故心の中を読まれても、犯人だと気付かれなかったのか。それは彼女の記憶に由来しているからだと思われる。
言い方は悪いが彼女は生憎と頭がそれ程宜しくない。三歩歩けばどんな物事だって忘れてしまうことだろう。服装だけでナズーリンを自分の主人だと判断したくらいだからな。
だから、それが穴だった。彼女は犯行の記憶そのものを、既に失っていたのである。そう考えれば全て辻褄が合うのではないか。
勿論、これは僕の憶測だ。しかし、犯人はあの三人以外だった、と考えるよりもよっぽど現実的だろう。少なくとも僕はそう思う。
――ま、今更掘り返す気もないんだけどね。或いはそうだったかもしれない。ただそれだけの話だ。
さて、紅茶でも淹れるとするかな――
隊長、解散には早すぎます
文って霖之助の事を『店主さん』って呼んでた筈ですが?
でも面白かったです!
入団を希望します!
しかし文々。新聞の購読者は数が少ない筈だが
そんな希少で奇特な人物の名前を知らない文に違和感が…。
まぁ、ナズが可愛かったから問題なかったぜ
今一番楽しみなシリーズです。
入団希望します!
可愛い……可愛いぞこのネズミ!
>空にはゆでたまご二週間分プレゼント
ちょっとまてwwwww
烏妖怪相手にゆでたまごって喧嘩売ってるのかwwwww
そんなナズーリンを泣かせ隊など、私も入隊を希望するに決まっています。
次の作品も楽しみにしております
>44
お空はゆでたまご食べるんだよ
てかお空、ゆで卵食べるのか……それって共食(ry
というか!入団希望します!!!
俺も入団するぞ!!
途切れることない展開に、淀みなく回収される伏線。
お話に引きずり込まれてしまうとは、まさにこのこと!
とてもよい読書をさせてもらいました。
少し気になったところ。
最初のデート部分で、「ブランド物」という単語が引っかかりました。
単語は知ってても常用語ではないだろうなと、個人的には思います。
入隊希望!