Coolier - 新生・東方創想話

満開の桜 三

2009/10/02 00:50:18
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※この作品には多大な百合表現が含まれています。
※この作品には設定の捏造、曲解、作者の妄想が含まれています。
※この作品にはオリキャラがでます。
※以上に嫌悪感を持たれている方は、お手数ですがブラウザの戻るボタンを押す事をおすすめいたします。















「ねぇ、幽々子。私の家で暮らさない?」

 そんな風に、紫が幽々子を誘ったのは、二人が出会って、一年が経とうとしていた春だった。
 紫は本気で幽々子を愛していたし、幽々子も同じく本気で紫を愛していた。だから、紫は言ったのだ。

「なっ、そんな事、急に言われても。」

「すぐに、答えをくれなくてもいいから。必要なら幽々子の妹に話を付けに行ってもいいし、『お姉さんを私に下さい』ってね。」

「ふざけないで下さい。」

 冗談のような口調の紫に、抗議する幽々子。

「ふざけてはいないわ。全部本気よ?私は貴女と暮らしたい。その為に必要ならなんだってやるわ。」

 冗談のような口調は消え失せ、真摯な眼差しが幽々子の瞳を見つめている。
 幽々子にしたって嬉しくないわけではないのだ。事実、紫の言葉は凄く嬉しい。ただ、幽々子にはいけない事情がある。

「考えさせてください・・・。」

「いい返事を期待しているわ。それと、明日からしばらく出かけるから。あなたが私を選んでくれた時の準備をしにね。」

「・・・そうですか。」

 寂しそうに俯く幽々子。戻ってくる事が判っていても会えないと辛い。幽々子にとって紫はもはや自分自身よりも大切な人なのだ。

「安心して、ちゃんと戻ってくるから。」

 そう言って幽々子を優しく抱きしめる。互いの体温を感じられる瞬間が二人の至福の時だ。

「絶対・・・ですよ?」

「ええ、絶対戻るわ。貴女がいる場所が私の帰る場所だもの。」

 二人の絆は何よりも強く結びついていた。
 季節が春だとは言え、満開の桜が咲くにはもう少し時間がかかりそうだった。


                      *


 目を覚ました時、隣に寝ていた紫はすでに出かけた後らしかった。空になった布団を愛しげに撫でる。

「戻ってきてくれるんですよね?」

 昨夜、紫が体のいたる所に付けてくれた、口付けの痕にそっと触れる。
 朝食を取る為に、脱ぎ捨てられていた寝巻きを着た。一人分の朝食をさっさと作り、食べてしまう。紫のいない朝食は味気ないものだった。
 紫と会う以前は、当たり前だった事が、今は辛い。まだ、一日と経っていないのに、すでに紫に会いたかった。
 特にする事も無く、縁側で時間を潰していると、門を叩く音がした。間違いなく、本家の使いだろう。
 また、誰かを殺さなければならないと思うと、憂鬱になる。無表情を装い、表に回るとそこにいたのは、よく知った人物だった。

「お久しぶりです、姉上。」

 門の前に立っているのは、双子の妹である、西行寺夜々子。もっとも、現在は彼女こそが、西行寺幽々子なのだが。

「夜々子・・・。」

 夜々子に会うのは、久しぶりだった。最後に会ってから一年以上経過している。

「申し訳ありません、姉上。本当ならこんなに時間が空くはずでは無かったのですが・・・。本家のほうが忙しく、会いに来る時間が作れませんでした。」

 申し訳なさそうに、頭を垂れる夜々子。

「そんな、頭を上げて夜々子。夜々子は西行寺家の当主だもの、忙しいのは仕方ないわ。」

 本当ですかと、表情を明るくする自分と全く同じ顔の少女。幽々子が思うより、ずっと苦労しているに違いなかった。それを思えば、恨み言など出ようはずが無い。

「何か変わられましたね、姉上。」

 内心でびくりとする。確かに、この一年で幽々子は自分でも驚くほど変わった。その大半は紫のおかげだ。

「なんというか、随分と大人になられたような気がします。」

 紫との関係がばれると不味い気がしたので、当たり障りの無い言葉で誤魔化す。
 その後、夜々子は本家での仕事が一段落したと告げ、これからは、一ヶ月に一回くらいは会いに来られると話してくれた。
 夜々子は幽々子が大人びたと評したが、幽々子から見れば、夜々子も一年前よりずっと大人びたように見えた。西行寺家と言えばそれなりに、有名な家系だ。ひょっとしたら、縁談の話なんかも、来ているのかもしれない。いや、間違いなくきているだろう。それを夜々子に聞くと、「ええ、面倒で仕方ないです。」と笑っていた。もしかしたら、ここから出られない、幽々子に遠慮しているのかもしれない。

「もし、私に遠慮しているんだったら、気にしなくていいのよ?夜々子がいいと思う人がいたら、私は応援するわ。」

「遠慮なんてしていませんよ。魅力的な人がいないだけです。それに姉上とこうやって話す時間さえ、あれば私はそれで十分ですから。」

 微笑む夜々子を見ていると、言い様のない罪悪感がこみ上げてきた。自分には紫という、大切な人が出来た。でも、夜々子は身を犠牲にして、西行寺家の為に頑張っている。ここを出る事は、そんな妹を裏切る行為な気がした。自分の半身とも言える、この娘には幸せになって欲しいと心から思っている。

「でも、私より大切な人が出来たら、迷わずその人を選んでね。」

 姉の気質を熟知している、夜々子は判ったと頷いた。それから、二人は空いた時間を埋めるように話し続けた。
 春の暖かい風は、湿り気を帯び、どこからか運ばれた黒い雲が空を覆い始めている。時をかけず、雨が降り始めるだろう。それはかなり激しい雨になりそうだった。





 幽々子の屋敷を下りた街道で、夜々子は輿に揺られていた。輿の側には二人の陰陽師が付き従っている。
 夜々子の機嫌は最悪と言っていい。それが判っているから、家来達も何も言わない。

「姉上の屋敷の見張りは、どの程度行っていた?」

 近くにいる陰陽師に問いかける。口調にはかなりの棘が含まれている。

「結界の管理のみで、屋敷自体は見張っておりませんでした。」

 嘘を言ったところで、夜々子の神経を逆撫でするだけだ。嘘と真実を見分けられるからこそ、この貴族社会で地位を保っている、伊達に西行寺家の当主ではない。
 輿の外で雨が降り始める。輿持ちの家来たちが雨の対策を手早く行う。

「結界が破られたり、誰かが侵入した形跡は?」

 夜々子自身がその可能性が無い事を知っている。幽々子は知らないが、夜々子は陰陽道に長けていた。その眼で山の屋敷の結界を見る限り、不審なところは無かった。
 もし誰かが侵入したとしても、結界に張り付かせている式が報告を行ってくれる。仮に侵入したとしても、幽々子に憑いている死霊の餌食になるだけだ。
 家来の回答は当然無い。
 恐る恐る家来の一人が質問の真意を尋ねた。

「姉上の首―――。」

 幽々子の死霊もかくやと言うほどの低い声で、口を開く。瞳にはありありと憎悪の色が浮かんでいる。

「姉上の首に口付けの跡があった。」

 それだけで、夜々子の不機嫌の原因を察する。虫に食われたなどと言う事は有り得ない。あの屋敷には本能的に生物は寄り付かないのだから。
 理性ある生物でなければ近寄れない。

「ですが、痕跡を残さず、結界に侵入したとしても、中の死霊に喰われてしまいます。」

「死霊を欺く、小規模で強力な結界があればいい。常識外の力がいるし、かなり高位の術だが、ないわけじゃない。」

 家来の一言に、側にいた陰陽師の一人が答える。夜々子もその発言に頷く、事実夜々子がその術を修行中なのだ。ただ、自身の周りに死霊を欺くだけの強力な結界を張り続ける事は並大抵の事じゃない。人間技ではないとすら言える。

「結界を操ることの出来る強力な妖怪という可能性は?」

「その可能性も少ないでしょう。あの死霊を滅ぼせる力を持った大妖怪が動いたなら、必ず情報が入ってきます。それに、死霊を無力化したとしても結界があります。痕跡を残さず侵入するのは不可能です。」

 夜々子は忌々しげに、唇を噛んだ。雨足はさらに強くなり、空が強く光る。遅れて遠く雷鳴の音が響いてきた。大気が震える低い音が怨嗟の声のように聞こえる。

「つまり、結界を私達に気付かれず越える能力があり、死霊を無効化出来るだけの力を持っていて、監視対象ではない誰か。そういうことでしょう。」

 そんな者はいない、だが現実に幽々子の首には口付けの跡があるのだ。

「この国の者ではないかもしれないわ。大陸から渡ってきた可能性もある。調べなさい、早急に。」

 幽々子の屋敷への監視も手配する。血が滲みそうなほど拳を握り締める夜々子。今の彼女なら視線で人を殺せるかもしれない。

「何処の誰だか知りはしないけれど・・・絶対に許さない。」

 雷鳴は鳴り止まない。嵐は確実に近づいていた。


                      *


 空は完全に快晴だった。遠く、厚い雲は見えるがこちらには流れてきそうに無い。
 茶屋で甘露を味わいながら、紫は満足気に頷いた。戻る時にはこれをお土産にしてあげようと決める。
 紫は被衣を纏い、人を待っていた。目的の人物達の所在は割りと簡単に突き止めることが出来た。どちらもかなりの有名人になっていたらしい。

「初めて出会った時から、貴女は全く変わりませんね、紫。」

 隣に座ったのは、陰陽師の狩衣を纏った女だった。感情を表に出さない、冷たい話し方をしている。鷹を連想する、細く鋭い眼、整った顔立ちだが、表情がない為、近づき難い印象があった。声を聞かねば、美麗な男性と勘違いする者もいるかもしれない。

「あなたは随分と綺麗になったわね、光恵。」

 紫の言葉にも全く反応しない。甘露を勧める紫に見向きもしなかった。

「つれないわね。昔は、お姉ちゃん、お姉ちゃんと私の後ろをついて回っていたのに。」

 表情は相変わらずだが、頬が朱に染まる。どうやら照れているらしい。
 この女陰陽師、名を賀茂光恵(かものみつえ)と言った。光恵の家系は代々陰陽師の家系であり、光恵も陰陽師になることを決められていた。
 幼少の頃、陰陽師になるのが嫌で家を飛び出した事があり、その時紫に助けられた事がある。家の裏山に逃げ込んだものの迷ってしまい、運悪く妖怪と出くわしてしまった。為すすべなく、食べられそうになったところに紫が現れたのだ。
 紫にしてみればただの暇つぶしだったわけだが、光恵にとって、紫はお伽話に出てくる天女のように思えた。紫のように強くなりたいと、彼女は自身の意思で陰陽師を目指すようになる。

「用事はなんです?昔話をしに来ただけというわけではないのでしょう?」
 
 恥ずかしさを誤魔化すように、紫に質問する。照れる光恵を微笑みながら見つめ、口を開いた。

「少し、協力して欲しい事があるの。ああ、安心して誰かを傷つけたりするような事じゃないから。」

 一拍置いて、紫は幽々子の事を語り始めた。初めて出会ってから、一年間の事をかいつまんで話していく。その間、光恵はただ、無表情にその話を聞いていた。
 全てを聞き終えると光恵が口を開いた。

「紫の家、つまりマヨイガへ、結界を張るのを手伝えと。」

 紫の話は簡単に言うとこうだ。幽々子をマヨイガに移すのは簡単である。紫の境界を操る能力を使えば、いますぐにでも移動できる。ただ、マヨイガに幽々子の屋敷のような結界はない。マヨイガはこの世の境目にある屋敷だ。言い換えれば、何処にでもあるし、何処にもない。それは幽々子の死霊が何処にでも現れる可能性があるということだ。
 マヨイガを固定する結界を張り、加えて死霊を抑える結界を張る必要があった。紫の知り合いで、それだけの技術を持っているのは光恵以外にいなかった。

「必要なら報酬も払うわ。」

 術式の準備金だけで十分だと報酬を断る光恵。そんな光恵の頭を撫でてやる。

「そう?なら、手強い妖怪退治の依頼が来たら、私に言ってね。手伝ってあげるから。」

 頷く光恵の顔は寂しげだったが、どこか満足しているようにも見えた。





 八雲紫と賀茂光恵の会合から数日後、幽々子の住む屋敷へ向かう人影があった。狩衣姿のその男の傍らには、墓石程の透明な物体が漂っている。背中には身の丈大の長刀と通常の刀を背負っていた。面長な顔には尖った鋭い眼と引き結ばれた口があり、常に怒っているようにも見える。一見華奢にも見える体躯は、一振りの刀のように絞り込まれ、背中の長刀が飾りでないことを示していた。幽霊との混血という珍しい家柄に生まれた男の名前は、魂魄妖忌。紫に挑み、敗れた過去を持つ男だ。

「八雲め・・・どういうつもりだ。」

 話は一日前に遡る。


 

 妖忌が、自身の屋敷で剣の稽古を行っている最中のことである。不意に不審な気配を感じ、愛刀を片手に気配の元へ向かってみると、紫がいた。
 馬鹿にしたようにへらへらと笑っていた紫に、袈裟切りに一閃を放つ。殺った、そう思った瞬間、突如現れた硬い甲羅に弾かれる。どうやら隣にいる陰陽師の式神らしい。

「相変わらず、血の気が多いわね。魂魄妖忌。」

 幽雅に微笑む紫を無視して、再度刀を構える。

「挑発するのはやめてください、紫。魂魄殿も刀を納めてください、争いに来たわけではありません。」

 隣にいた陰陽師、賀茂光恵は二人の間に割って入った。紫は肩を竦めて、一歩下がる。妖忌は刀を構えたまま、光恵を睨みつけた。

「どけ、女。用があるのは後ろの馬鹿妖怪だ。」

 あくまで引く気の無い妖忌に、光恵が口を開いた。

「申し訳ありませんが、退くわけには参りません。それと賀茂光恵という名があります。」

「お前の名などどうでもいい。退かぬというのなら、貴様ごと斬るぞ。」

 正眼に刀を構える妖忌。光恵もいつでも式神に命令を下せるように、意識を集中させる。大気が軋むような緊張感が場を覆った。まさに一触即発の状態、その均衡を破ったのは紫だった。

「やめなさい、二人とも。光恵も言ったけど、争いに来たわけではないわ。」

 空気が少し緩む、が戦闘態勢は両者とも崩していない。

「どの口がほざくか!魂魄家の家宝を持ち逃げしおって!」

「人聞きの悪い事を言わないで。持ち逃げなどしていないわよ。酔っ払った貴方の父親が居酒屋に忘れていったのを拾っただけよ。」

「そのような戯言を信じると思うか!戯けがっ!」

 聞く耳持たぬといった調子で妖忌が叫ぶ。光恵は事態が飲み込めず、式神を展開させたまま固まっていた。
 紫は溜息を一つ吐き、妖忌の後ろにある倉を指差す。

「それに白桜剣なら、もう返しているわ。倉の中にあるはずだから見てきなさい。」

 視線だけを動かし、蔵を見る。早く行けとばかりに、手をひらひらさせる紫を、油断無く警戒しながら妖忌は倉へ歩いていく。紫は無警戒に妖忌についていき、光恵もそれに倣った。
 倉を開けて、直ぐ足元に刀が置かれている。漆塗りの鞘には金箔で魂魄家の家紋が彫られている。鞘から抜かれた刀身は濡れたように怪しく、白銀に輝いていた。どんな素人が見ても、ただの刀ではない事が判る、見事な刀だった。握りの部分からは、なぜか焼酎のような、きつい臭いがしている。

「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」

 冷たい沈黙が辺りを包む。先程とは違い、緩い空気が充満していた。最初に口を開いたのは、妖忌だった。

「話というのは、なんだ?」

 哀愁漂う背中から、沈んだ声で問いかける妖忌。

「要人の護衛。半人半霊の貴方なら気が合うかもね。」

「何者だ、そいつは。」

 怪訝な顔をして振り向く妖忌に、紫は妖しげな微笑を浮べ、言った。

「死霊達の姫。」




 その後、境界を通り、屋敷の近くまで移動した。紫と光恵はやる事があるとかで別行動をとっている。
 屋敷内は強力な死霊がおり、そもそも結界がはってあり、入れない為、外から屋敷の主である西行寺幽々子を護衛して欲しいとの事だった。
 どうせ誰も入れないのなら、護衛などいらないだろうという妖忌に、

「念の為よ。」

 と何を考えているか判らない微笑を、浮かべるだけだった。追加で、幽々子に不埒な真似をしたらただでは済まさないという、警告も付いてきた。

「死霊達の姫ね。そんな、物騒な奴に手など出すかよ。」

門まで来ると大声で叫んだ。

「西行寺幽々子はいるか!某、魂魄妖忌と申す者!八雲紫の頼みを受けて貴方を護衛しにきた!」

 暫らく待つと、奥から一人の女がやってきた。妖忌の表情が固まる。死霊の姫君と聞いて、骸骨のような女を想像していたからだ。春の化身のような柔和な雰囲気を振りまく女性に、空いた口が塞がらない。

「紫様のお知り合いですか?」

 声すらも美しい。妖忌は完全に緊張していた。

「ええ、その、はい。」

 剣のみに人生を捧げてきた男、魂魄妖忌は生まれて初めて恋を知った。
 その後、他愛の無い雑談に興じ、ようやく話すのに慣れてきた妖忌は一つの質問をする。

「その、幽々子様は八雲の、ああっと、こ、こここ、恋人なのですか?」

 紫に問答無用で切りかかった男とは思えない、純情さだ。
 妖忌の言葉に身を硬くした幽々子は、左右に視線を彷徨わせ、俯いて頬を染めると小さく「・・・はい。」とだけ答える。
 魂魄妖忌は初恋の一刻後、失恋した。


                      *


 闇が充満した部屋だった。部屋を照らしているのは、小さな行灯だけである。数え切れない数の巻物が所狭しと保管されていた。一部は乱雑に広げられ、この部屋に現在使用者がいる事を告げている。
 すえた臭いの漂う部屋を使用しているのは、西行寺夜々子だった。何かに取り憑かれたが如く、巻物を読んでいる。一つの巻物に目を通すと、すぐに次の巻物に取り掛かった。巻物を開こうとした矢先に、外から声がした。

「入りなさい。」

 ぞんざいに返事をすると、書斎の襖が開けられた。立っていたのは、夜々子の側近である陰陽師の男で、表情には怯えが浮かんでいる。

「山の屋敷に侵入した者の正体が、判りました。」

 夜々子の瞳が暗闇で鈍く光る。先を促された男は、侵入者について語り始めた。

「侵入者は、八雲紫という妖怪です。」

 侵入者の名前に反応する夜々子。先を続けていいか判らず、黙っている男に、目だけで合図する。

「大陸から渡ってきた妖怪で、境界を自由に操る能力を持っています。その能力で結界内に侵入したようです。私達の使う空間連結術式のようなものですが、術式などは必要ではなく、単体で力を行使します。容姿は金色の髪の美しい女の姿。力は強大で、太刀打ちできる人間どころか、妖怪すらいません。現在は屋敷にはいないようですが、魂魄妖忌という侍を護衛として置いているようです。」

「その八雲紫という妖怪は、金色の髪に美しい女の姿をしているのよね?」

 夜々子の質問に頷く男。小さく夜々子が何かを呟いたが、男には聞き取れなかった。

「なるほど、その妖怪に姉上はたぶらかされたわけね。それで、例の術式の準備はどうなっているの?」

 妖艶な夜々子の声に、男は背筋が凍るのを感じた。八雲紫という大妖怪は確かに恐ろしいが、男には目の前の主のほうが恐ろしい。

「じゅ、準備はほぼ終わっております。ですが、あの術は―――。」

「黙れ。」

 夜々子の瞳が暗がりで赤く輝いていた。灼熱を宿したかのようなその瞳に睨まれ、心底竦みあがった。地の底から響くような夜々子の声が闇に沈む。

「私は、西行寺家当主、西行寺幽々子。妖怪の手に落ちそうになっているのも西行寺幽々子。私達は二人で一人の当主。だったら救わなければいけない、私の半身を。相手がどんな大妖怪でもね。判るでしょう?」

 男にいいえと言えるはずが無い。目の前の少女は、西行寺幽々子なのだ。死霊達の姫の妹にして、数年で陰陽道を修めた鬼子。

「判ったら、早く準備なさい。」

 男は脱兎の如く、書斎を後にする。夜々子は気にした様子も無く、視線を巻物へ向ける。
 夜々子は一年前の光景を思い出していた。自分と一緒に西行桜の下、花見をした女の事を。

「・・・あいつが、姉上を誑かしたのか。あいつが姉上の肌に触れたのか。あいつが姉上を抱いたのか!あいつが!あいつが!あいつが!」

 叩きつけられた巻物が散乱していく。肩で息をしながら、夜々子は暗く笑った。鬼子と呼ばれた少女は、本物の鬼になる。


                      *


 空を厚い雲が覆っていた。ただ、春事態は進行中らしく、桜もあちこちで咲き始め、満開の花を咲かせているものもある。

「俺の春はもう終わったけどな・・・。」

 妖忌の呟きは湿った春風に飲み込まれ消えていった。
幽々子の護衛を始めて一週間が経った。光恵の式神が何度か食料と連絡を持ってきた。話によると、明日にはマヨイガの結界が完成するらしい。
 現在、妖忌は幽々子の屋敷が見える草薮の中にいる。夜明けと共に西行寺家の者達が、数日分の食料を屋敷に置いて行くからだ。その瞬間を見て思った事は、八雲紫は間違いなく大妖怪だという事だった。
 食材を置いていく、西行寺家の人間は何十にも呪印の入った包帯を腕に巻きつけ、食材を屋敷の門の中に入れていくのだが、顕現した死霊がその手に噛み付くと、ほんの一瞬で包帯のほうが燃え尽きてしまうのだ。
 朝にもかかわらず、それだけの力を出す死霊も化物だが、紫はそんな死霊だらけの屋敷に一緒に住んでいたという。間違いなく化物である。

「お似合いなのかもなぁ。」

 正直、妖忌は紫があまり好きではない。何せ一度は殺されかけたのだ。逆恨みした挙句の返り討ちだから自業自得ではあるが。胡散臭い物言いも好きになれないし、達観した上から目線の話し方も気に喰わない。
 だが、よく判らなくなった。紫の話をする幽々子は本当に幸せそうだ。自分の事を大事に思ってくれている紫を信頼している事が、よく伝わってくる。事実、紫は幽々子の為に、現在東奔西走しているのだ。

「取り敢えず、幽々子様を泣かしたら許さんからな。」

 恋人を放置している馬鹿妖怪へ向けて呟く。
 雲越しに見える太陽も高く上がったところで、屋敷へと脚を向ける。明日には紫が返ってくると教えたなら、さぞ嬉しそうに笑う事だろう、あのお姫様は。幽々子が嬉しそうに笑う姿を想像し、気分が高揚してくる。
 門の前に来て、幽々子を呼んだ刹那、強力な一撃が妖忌を襲った。


                      *


「背後からってのは、気に喰わねぇな。」

 桜観剣の腹で敵の一撃を受け止める。目の前にいるのは巨大な猿のような式神だった。どうやらいつの間にか囲まれていたらしい。直前まで人の気配など無かったはずだが、まるで紫の境界でも使ったような神出鬼没さだ。
 瞬時に視線を走らせ人数を確認する。

(目の前に三人、左右の茂みに一人ずつ、奥の小道に二人か。さて、どうしたものかね。)

 振り下ろされる拳を、大きく踏み込みかわす。空いた胴に電光の一閃。呆気なく崩れ落ちていく式神。
 妖忌の実力を過小評価していたのか、動揺しているのが判った。敵が動揺している間に一気に間合いを詰める。敵も馬鹿ではないらしく、すぐに式神を顕現させる。が、妖忌のほうが速かった。踏み込むと同時に横一文字に光が疾しる。陰陽師の脇腹が鈍い音を立てた。

「みね打ちだ、多分死にはしねぇだろ!」

 叫びながらすでに二人目の眼前に迫っている。脳天をかち割るつもりで振り下ろす。直撃すれば、脳漿をぶちまけていただろうが、すでに式神が顕現していた。
 甲羅を付けた鳥、端的に説明するならそれが、一番しっくりくる。随分と硬い甲羅らしく、真っ二つにはなっていない。が、防がれるのは予想の範囲だったらしく妖忌はもう一振りの刀を素早く抜刀すると、桜観剣へ振り下ろす。追加の一撃は甲羅を切り裂き、式神を左右に分けた。式の主へと踏み込むと肘打ちを鳩尾へ決める。
 二人目の陰陽師が崩れ落ちる前に、三人目へ飛ぶ。式神は炎に包まれた狐のような形をしている。地面が焦げているところ見ると、実際に熱そうだ。疾風のように駆けてくる炎狐。袈裟懸けに桜観剣を振るうが、跳躍によってかわされる。が、次の瞬間飛び掛る炎狐の腹に白桜剣が突き立っていた。
 止まらずに突き進み、三人目の顔面に白桜剣の柄底を叩き込む。
 十を数える前に、三人の陰陽師が地に倒れていた。油断無く刀を構え、残りの出方を伺う。

「おはよ―――」

 幽々子の言葉は途中で途切れた。只ならぬ状況だと、理解したらしい。
 そこでようやく、敵方に動きがあった。奥の小道から一つの人影が現れた。

「随分とお強いのね。正直、貴方を過小評価していたみたい。」

 奥から現れたのは、幽々子そっくりの少女、西行寺夜々子である。

「な、え、幽々子様が二人?」

 妖忌は幽々子の話は聞いていたが、夜々子の話は聞いていない。当然の困惑だった。

「間違いではないですよ。西行寺家当主、西行寺幽々子。それが私の名前です。まぁ、時期に名前なんて意味なくなりますけど。」

 夜々子は妖忌を気にするでもなく、無防備に近づいていく。妖忌ならどこにでも打ち込めるほど、隙だらけだった。しかし、妖忌の勘が、目の前の少女が危険な存在だと警鐘を鳴らしている。

「あんたの用件はなんだい、当主さん。」

「姉上を迎えに来ただけですよ。」

 夜々子は全くの無表情にそれだけ呟く。
 妖忌が頼まれたのは、幽々子の護衛だ。襲われたから、先程の奴らは倒したが、本家の人間が迎えに来ただけなら特に戦う必要はない。
 しかし、妖忌は構えを解かない。目の前の幽々子によく似た少女には、言葉に出来ない凄みがある。正直、嫌な予感しかしない。

「大人しく帰ってはくれなぇよな。」

「ええ、残念ながら。私としては、貴方が素直に姉上を渡してくれるのであれば、酷い目にはあわせませんよ?」

 夜々子の言葉は本気だ。三人の陰陽師をものともしない妖忌を前にして尚、余裕を持っているのだ。
すでに夜々子は妖忌の間合いに入っている。斬りかかれば一瞬で決着がつくだろう。

「そちらの幽々子様の恋人に、護衛を頼まれていてね。あんたには渡せねぇんだわ。」

「そうですか・・・。」

 特に気にした様子もなく、歩を進める夜々子。刀を返し、腹部に刀を奔らせる。完全に入った、はずだった。
 手加減しているとはいえ、刀の一撃を喰らったのだ、普通なら悶絶ものである。だが、夜々子は何事も無かったようにそこに立っていた。

「優しいのですね、あなた。でも、そういうのは格下にやるものですよ」

 その言葉が終わると同時に妖忌は宙を舞っていた。何が起きたが理解する間もなく吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。肺から短く空気が漏れる。息をするのも苦しいが、無理やりに体を起こし、夜々子へ突進する。次は全力で剣撃をいれた。

「やはり、私はあなたを過小評価していたようです。」

 桜観剣は夜々子の腕に食い込んではいるが、それより先には全く進まない。すぐさま白桜剣の一撃を加えるも、微動だにしなかった。妖忌に驚愕の表情が浮かぶ。

「これだけ、食い込ませただけでも十分ですよ。では、姉上は貰っていきますね。」

 妖忌が最後に見たのは、禍々しく蠢くなにかと、夜々子の微笑だった。




 そこにはかつて屋敷が建っていた。死霊の姫君と境界の大妖怪が出会い、共に暮らした屋敷だ。
しかし、今そこにあるのはただの廃屋だった。近くに倒れていた、侍の側には烏が佇んでいる。侍は烏に何かを呟き、意識を失った。烏は羽を広げると見る間に遠くへと消えていく。
 空を覆っていた雲から大粒の雨が降り注ぐ。全てを流してしまうような雨は止む気配が無かった。


                      *


 夜の闇に飲まれた桜の下に二人の少女がいる。二人は全く同じ顔をしていて、一人がもう一人を見下ろすように立っていた。

「なんで、こんなこと・・・。」

 桜の根に囚われた少女、幽々子は妹の顔を見て苦しげに呟いた。そんな幽々子を見て、もう一人の少女、夜々子は困ったような顔で口を開いた。

「そんな顔をしないで、姉上。私は姉上を困らせたいわけではないんですから。」

 優しい口調で夜々子が言う。夜々子は幽々子の頬を両の手で包み込み、諭すように口を開いた。

「私はね、姉上。姉上さえいれば他に何もいらないんですよ。西行寺の家にすら興味はないんです。姉上を幸せにする為だけに私は生きています。」

 夜々子の顔は寂しさが浮かんでいた。満開の花はただ、幽雅に花を散らせている。桜は夜の闇の中に佇むように、いや、夜の闇を従えるようにそびえ立ち、二人を見下ろしていた。

「なのに、姉上は私を見てくださらない。」

 幽々子の顔に苦渋の顔が浮かぶ。幽々子は夜々子の事を大切に思っている。心から幸せになって欲しいと思っていた。忌まわしい能力を持っても、目の前の妹だけは、幽々子を見捨てないでいてくれた。
 しかし、今の幽々子には紫がいる。どちらかを選べと言われて、出来ようはずが無い。そして、選べない事が幽々子の罪悪感の元だ。自分を支えてくれた、妹を迷い無く選べない。
 夜々子の瞳が幽々子を見つめる。紅く光る瞳には、静かな狂気が見て取れた。

「あの妖怪がいけないのでしょう?
あの妖怪に誑かされたのでしょう?
私が正気に戻してあげます、姉上。
姉上の能力も私が引き受けます。
これから、姉上は人を殺す事等しなくていいんです。
そのかわり――――」

 ゆっくりとした動作で着物をはだけていく。息を飲むほどに美しい裸体が露わになっていき、一糸纏わぬ姿となる。
 幽々子を抱きしめ、すがる様な声で夜々子は口を開いた。

「私の側に居て、私を見てください、姉上。」


                      *


 降りしきる雨の中に紫は佇んでいた。幽々子と暮らした屋敷は僅かにその原型を残すのみで、すでに廃屋と化している。
 紫の式から、連絡を受け、大急ぎでこちらに向かったが、すでに幽々子は連れ去られた後だった。

「・・・悪い。幽々子様、奪われちまった・・・。」

 光恵に手当てを受けながら、沈んだ声で妖忌が口を開く。

「何があったの?」

 感情を宿さない声色が雨に混じって響いた。屋敷を見つめる紫の顔は、二人からは見えない。

「突然襲撃を受けた。直前まで、気配なんて無かったのに、いつの間にか囲まれていた。」

 状況を説明する妖忌。

「三人の陰陽師を倒したところで、幽々子様の妹が出てきた。それから先は何が起こったのか良く判らない。全力で斬ったのに、刃が腕で止まっていた。俺はまた吹っ飛ばされて、黒い何かが、屋敷を壊して、そこで気を失った。起きた時にはこんな状態で、紫の式を飛ばして、また気絶した。」

 どうやら夜々子が何かしらの力を得た事は間違いないようだった。それもかなり強い力らしい。

「私は幽々子からまだ、答えを聞いていない。」

 小さく呟くと紫は境界を作り出す。

「俺も行く、連れ去られたのは俺の落ち度だ。挽回の機会をくれ。」

「私も行きます。私だけ幽々子殿に会っていませんし。」

三人は顔を見合わせると、静かに頷き、境界へと入っていった。
 行き先は、西行寺幽々子がいる場所、西行寺本家。
この作品の注意書きに関しては『満開の桜 一』のあとがきをご覧下さい。
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織田航洋
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