無機質な世界に、秒針が時を刻む音だけが響く。
カチ、コチ、という等間隔の音を耳で聞きながら、部屋の主であるフランドール・スカーレットは天蓋付の上質なベッドに腰掛けながら読書に勤しんでいた。
地下室特有の閉鎖的な空気。本来は陰鬱になるだろう要因であるそれは、彼女にはとっくに慣れ親しんでしまったものでもある。
495年と言う膨大な時間を、彼女はこの地下室の一室だけで過ごしてきた。それだけの時間をこの部屋で過ごしていれば、いやでも慣れてしまうものだ。
頬にかかった金紗のような髪を片手で掻き揚げ、書物に並ぶ文字の羅列を視線で追う。
この495年間ですっかり一日の習慣となった読書を続けながら、フランはおもむろに小さくため息をつくと、栞を挟んで書物を閉じる。
「いらっしゃい、こいし。せめてノックぐらいはしてほしかったわ」
深く彩られた真紅の瞳が細められ、部屋の一室に視線が向けられた。
その視線の先に居たのは一人の少女。
薄く青がかった銀髪に、黒色のハット。オレンジの衣服にグリーンのスカート。そして何よりも特徴的だったのはコードで結ばれたような青い閉じた目のアクセサリー。
フランの剣呑な気配が感じられる視線に臆することもなく、少女は苦笑を零しながらスキップでもするような軽い足取りで、フランの居るベッドに歩を進めた。
「いやいや、ゴメンゴメン。ま、いいじゃないフランと私の仲なんだしさ」
「親しき仲にも礼儀ありって諺は知ってるかしら?」
「うわ、耳が痛いわ~」
フランクに言いながら傍にあった椅子に座る少女に、フランはジト目で睨みつけるものの、彼女はあっけらかんとした様子で気にした風もない。
はぁっと、陰鬱な気分を小さくため息の乗せて零すと、フランは閉じた書物をベッドの上に放り投げ、改めて数少ない親友に向き直った。
ぎぃっと、重心を移したことでベッドが僅かな悲鳴を上げ、二人はお互いに向き合う形となり、どちらともなく苦笑する。
古明地こいし。それが、この少女の名であり、ふとしたきっかけで知り合った奇妙でおかしな親友である。
出会いは一年ほど前だろうか。部屋でいつものように読書に勤しんでいたフランの部屋に、彼女は突然現われたのだ。
何もないと思っていた場所から唐突に、忽然と、彼女は初めからそこにいたかのような自然さでフランの目の前に現われた。
その当時は、フランも大いに驚いたものだ。
この館の、それもこの地下室にまで降りてくるものが居たことにもそうだが、誰にも気付かれないでこの場所に訪れた彼女は紛れもない異常である。
何しろ、ここには門番、そして時を操るメイド長、運命を操るフランの姉がいるのだ。誰にも気付かれずに、この地下室までたどり着くなんて不可能と言い切っていい。
戦闘の音も何もここに届かなかったという事は、つまりこの少女が誰にも見つかっていないという証拠に他ならない。誰かが彼女を見かければ、すぐにメイド長に報告しているだろう。
だから、フランは彼女に興味を持った。この奇妙な来訪者に、笑顔を持って応えたのだ。
無論、オマケで弾幕による応酬も繰り広げたことはいうまでもない。
面白そうな相手を見ると壊したくなる、フランの悪癖が出た瞬間であった。
さて、フランとこいしの馴れ初めは以上の通り。
とても仲良くなるための出会いとはかけ離れたものであったが、今は親友なのだからそれが全てだ。
いわゆる、河川敷で男子が夕日の下で殴りあって友情を育むようなものだと思っていただきたい。
二人とも女だが、それはこの際置いてほしい。
「それにしてもさ、よくわかったね? 気づかれてるとは思わなかった」
「別に、気づいてたわけじゃないわ。こいしっていつも同じ時間に来るから、そろそろいるんじゃないかって思っただけよ」
「あら~、そうだったんだ。気付かなかったわ」
「それも無意識?」
「多分ね」
あっけらかんとした様子で答えるこいしに、フランは肩を竦めて「こいしらしいね」と苦笑した。
彼女はいつも主体性と言うものがなくて、気がつけばあっちへふらふらこっちへふらふらと移動しているのだというのだから、このとぼけた性格は元からなのだろう。
もっとも、フランも彼女のこういった性格が好きで親友などやっているのだ。特に気にすることでもない。
唐突に「あっ」と思い出したかのように言葉を零したこいしは、スカートのポケットに手を突っ込んで一つの袋を取り出した。
それは丁寧にリボンで口が止められており、可愛らしいクマの模様が目を引くデザイン。フランはそれが視界に映った途端。ぱぁっと可愛らしい笑顔を浮かべる。
「これ、お姉ちゃんからフランにってさ。今日のおやつはお姉ちゃん特性のクッキーなのです」
「待ってました! こいしのお姉ちゃんの料理って美味しくて、私結構好きよ」
「そうでしょうそうでしょう! ……そういえばさ、フランのお姉さんって料理とか作らないの?」
「アイツはねぇ……。そういうのは咲夜とかのメイドに任せっぱなしだから」
本日のおやつの内容を聞きながら、フランは満足そうに言葉にして袋を受け取った。
しかし、その後に続いた質問に、途端に困ったような不機嫌なような微妙な表情を浮かべると、苦々しく言葉にする。
フランの姉、レミリア・スカーレットは貴族の矜持を重視する傾向があり、こういった身の回りの世話は従者がやるのが当たり前、なんて思考回路をしている。
多分、料理なんてほとんどやったことがないはずだ。
正直なことを言えば、フランにはレミリアが料理をしている姿と言うのはコレッぽっちも想像できなかった。
そんなことを考えながら、袋の口を閉じていたリボンを解く。シュルリと布の擦れる音と、袋の中から漂ってくる香ばしい匂いに食欲が刺激された。
中に入っていたクッキーはハート型で、一つ一つ色が違う辺りは芸が細かい。一つ手にとって口の中に放り込むと、甘くて口の溶け込むような味わいが舌を刺激する。
うん、おいしい。素直にそう思えて、自然と頬が綻んでだらしない顔になってしまった。
そんな表情のフランに満足しながら、こいしも袋を開けて一つ摘むと、ひょいっと一口。
いつものように甘くて美味しい。苺味のようで、こいしは我が姉ながら芸が細かいなァと感心しながらもしゃもしゃと咀嚼する。
「そういえばさ、フランってお姉さんのことどう思ってるの?」
「お姉さまのこと?」
「うん、そうそう」
こいしから飛び出した疑問の言葉に、フランはきょとんとした様子で言葉を零す。
うんうんと頷くこいしを他所に、フランは「ん~」と考えながら、もう一口、こいしのお姉さんのクッキーを口に運んだ。
傲慢で我が侭で、自分を永い間幽閉し、自身が全ての頂点に立っているとか本気で思っていそうな姉の姿がちらりと脳裏に浮かぶ。
それだけで、不快な感情が爆発しそうになった。その自信に満ちた顔を、苦痛に歪んだのかすらもわからないほどぐちゃぐちゃに叩き壊したい衝動に駆られる。
けれど、彼女が不器用なのだという事も、フラン自身もわかっているつもりだ。
フランが危険だからと幽閉し、そのくせ幽閉に使用したこの部屋は石造りではあったが内装は豪勢で、退屈させないためにか大量の書物や、ぬいぐるみなんかが置いてある。
専属のメイドまで付けて、身の回りの世話やらは全てそのメイドが行ってくれていた。
もし、あの姉が本気で妹を幽閉させるつもりだったのなら、それこそここよりも頑丈な地下牢にでも閉じ込めて放っておけばいいのだ。
少なくとも、フランは姉以上に強いという自信もあるし、ずっと昔に目の前で言ったこともある。
そんな不遜な妹に、あのプライドの高いレミリアがわざわざ不自由させない幽閉なんて考慮するはずもないだろうに。
そう考えれば、自惚れでもなんでもないのなら、あの傲慢な姉は自身のことを好いてくれているはずなのだ。
姉として、家族のように。
普段はその傲慢な態度を崩さないけれど、見えないところで色々と手を回してくれているのも知っている。
なんでもない態度を装っていても、ふと寂しいと思ったときには変ないいわけを付けて紅茶に誘ってもくれた。
幽閉のことだって、当主としての立場も考えればやむ終えなかっただろうし、フラン自身も、自分の能力が危険なのだと自覚していた。
そもそも、彼女は感情の振れ幅が極端に大きい。ふとしたきっかけで、自分は盛大に暴れてしまうんだろうなと、フランは思う。
だから、幽閉のこと事態は、まったくとは言わないがさほど恨んだことはない。むしろ、幽閉のワリには優遇されているこの状況を感謝してもいいぐらいだ。
それに、霊夢や魔理沙が来てから幽閉は解除されているのだから、少なくとも嫌いではないのだろうとは推測できた。
そう理解すれば、なんて不器用なことか。
当主としての体面か、それとも貴族としてのプライドが、あの姉をそんな風に不器用にさせているのかは、定かじゃないけれど。
そう考えると、途端にわからなくなる。自分の感情に整理がつかなくて、自分の気持ちがごちゃごちゃと乱雑に入り乱れて混乱してしまう。
嫌い? それとも―――?
苦しくて、温かくて、もやもやとしたよくわからない感情のわだかまりが、胸を締め付けているように感じられて、フランはそこで思考を打ち切って、フルフルと首を振った。
「どうかな、わかんないわ」
「あれ、そうなの?」
「……なんで疑問系なのよ」
なんとも望む答えではなかったようで、こいしは意外そうに目を瞬かせてもう一つクッキーを口に運ぶ。
そんな彼女に、聞いてきたのはそっちでしょうに、と視線で問いかけるのだが、生憎とこいしは気がつきそうにない。
そうとも知らずに、こいしは「イヤだってさぁ」などと口にして。
「フランってさ、なんだかんだでお姉さんの話をするとき楽しそうだったから、てっきり好きなのかと思ってた」
なんて、何でもないことのようにそう言葉を零した。
その言葉に驚いたのは、他でもないフランである。
少なくとも、フランにはそんな自覚はなかったし、彼女の前で姉の好きな所なんて語ったことなんてなかったはず。
精々、あの鼻につく態度や小うるさい小言に対しての愚痴ぐらいのものだったはずだ。
それでも、こいしは言う。姉の話をするときのフランの様子は、なんだかんだと言いながら楽しそうだったと。
「そうかしら?」
「そうよ。だから、きっとフランはお姉さんのこと大好きだと思うんだけどな」
少し考え込むように言葉にするフランドールに、こいしはにやにやと笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
無意識を操ることが出来るこいしの事。恐らくではあるけれど、人の無意識を見ることにも読み取ることも彼女の本分だろう。
そのこいしが言うのだ。彼女が言えば、不思議と説得力があるのだから困る。
姉に対する言いようのない感情。もやもやとして、よくわからない胸のわだかまり。
これが、姉に対する好意なのだとしたら……。彼女の言うとおり、自分は姉のことが好きなんだろうなァと、フランは自然と思えた。
「でもさ、こいしの言うとおりだとしても、今更どうしろって言うのよ」
小さくため息を零して、フランは言葉を紡ぐ。
フランは今まで散々レミリアを邪険に扱ってきた。彼女を馬鹿にした態度をとったり、皮肉を言ったり、数えだしたらきりが無いほどだ。
そう思うと、我ながら素直じゃないあの人の妹であったのだと強く実感する。
だというのに、今更どんな風に姉と親しくなればいいのか、悔しいけれど、フランにはちっとも思い浮かばなかった。
そんな彼女を視界に納め、ふふんとこいしは得意げに笑みを浮かべる。
「困ったときこそ親友の私を頼りなさいって。いい考えがあるわ」
自信満々に言い放ったこいしは、びしっと人差し指を立てると言葉を続けた。
「名づけて、ツンデレ大作戦!!」
「ツンデレ?」
「そう、ツンデレ」
「ツンツン?」
「デレツン」
『デレツンツン』
イェーイと手と手を打ち合わせてケタケタと笑う二人。実に息ぴったりなその様子は、どこか楽しそう。
こうしていると、あぁ、やっぱり私達は友達なんだとお互い再認識できて、フランは陰鬱になりかけた気分を払拭することが出来た。
だって、ここには頼りになる親友がいるのだ。どうなるかはわからないけれど、一人で思い悩むよりはずっといい。
友達と二人で考えれば、妙案だってふと浮かぶもんだと自己完結。
お互いひとしきり笑った後、フランとこいしはカラになった袋を屑籠にスローイン。それが成功したのを確認して、未だに苦笑を残しながらフランが問いかける。
「それで、それは具体的にどんな方法なのかしら、こいしさんや」
「今までフランさんの話から推察するに、お姉さんに相当冷たい態度をとっていたご様子。ならば、もはやツンの時代は終わりを告げ、今こそデレ期に突入すべきであーる!!
ここに、真のツンデレフランドールがご降臨なさるのである。そのギャップにあなたの姉もデロンデロンでしょう!!」
「や、デロンデロンじゃなくてメロメロね」
「はっは、わかっておりますとも」
こいつめー。きゃーきゃー。などと戯れながら、こいしをベッドに引き込んでゴロゴロ転がってみる。
吸血鬼の腕力を侮るなかれ。片腕で一人を引きずりこむなど造作もないのであった。
少女二人がゴロゴロと暴れまわるもんだから、キングサイズのベッドがギシギシと悲鳴を上げているものの、二人ともそんなこともお構いなし。
しばらく戯れていたが、二人してベッドの上に寝転がる。背中に感じる柔らかな感触が心地よくて、先ほど暴れた疲労感も手伝って眠りに落ちてしまいそう。
「まぁ、冗談はおいといてさ。素直になるのが一番だと思うわけですよ。私の意見としては」
背中をベッドの感触にゆだねながら、こいしはフランに言葉をかける。
その言葉は、フランの心にすとんと落ちて行くような気がして、不思議と穏やかな気分になれた。
「素直、かぁ。出来るかしら?」
「出来るって。こいしさんの言葉を信じなさい」
そう言葉にする親友が、とても心強い。力強い言葉が、自分の背中を押してくれている気がして、まんざらでもない自分がいることに気付いて苦笑する。
私達は似ていると、フランは思う。
性格も全然違うし、境遇もまったく逆だけれど、お互い、自分達は似たもの同士だと自覚していた。
フランは、永い幽閉の間、自分が不幸だと思ったことは微塵もない。この地下室の一室こそが、自分の知りえる世界の全てで、彼女はその中に引き篭もった。
気まぐれで外に行こうと思ったことは何度かあったけれど、基本的にこの部屋から出ようなどと思ったことはあまりない。
こいしは、心を読む能力ゆえに人から嫌われることを恐れ、心の目を閉ざした。その結果、彼女は能力を失った代わりに、誰からも認識されなくなり、無意識の中を移動することが可能となったのだ。
でも結果として、それは自分の世界に閉じこもることと同義でしかない。
それはとても悲しいことだと、周りは言う。けれど、彼女達は自分達の境遇を、悲しいだなんて一度も思ったことはないのだ。
自分達は、自分達が仕切った世界の中で生きている。
そんな彼女達が、こうやって親友同士になったのは、一体何の因果だったのか。
考えても答えは出ないし、今はお互いに変わろうとしている。狭かった世界を徐々に広げて、今までには無かった繋がりを見つけようと必死なのだ。
傍目からはわからないように、水面下では必死にあがいている白鳥みたいに。
それはとても難しいこと。とても、勇気のいることだ。世界は、よかったなんて思えることばかりじゃないことは、お互いによく知っている。
それでも、二人で少しずつでもいいから、自分の世界を広げていこうと思う。
二人で、この愉快な親友と共に。
「んー、フランのベッド気持ちイイ~。このまま眠っちゃいそう」
「ふぁ……、私も眠くなってきた」
「起きたらツンデレ大作戦ね」
「それはもういいってば」
お互い笑いあって、襲ってきた睡魔に身を任せる。
瞼がだんだんと落ちてきて、思考が段々とあやふやになって行く。
結局、あの姉にどう接するかなんて具体的には決まっていないのだけれど、起きてから決めればいいかと思考を放棄する。
ぷっつりと、意識が閉じる。穏やかな寝息が二人から聞こえてきて、途端に騒がしかった一室に静寂が満ちた。
カチ、コチと時計が時を刻む音が響くだけ。
一体どんな夢を見ているのか、お互いの手を繋いだ二人の少女の表情には、安らかで楽しそうな微笑が浮かんでいる。
―――そうして、二人は夢を見る。
一つの丸いテーブルに、幼い吸血鬼が紅茶を嗜み、その向かい側には薄桃色の髪をした覚の妖怪。
その隣には、彼女の妹である白髪の少女が美味しそうに紅茶を飲み、その向かい側の悪魔の妹がケタケタと笑いながら談笑する。
傍には瀟洒なメイドが控えて、微笑ましそうな笑顔を浮かべており、しばらくして鴉と猫が騒がしく乱入してきた。
誰も彼もが笑っていて、心が温かくなる情景。
それは夢。目を覚ましてしまえば消えてしまう泡沫の夢だけれど。
その世界は、とても温かくて楽しくて、確かに幸せな時間であったのだ。
カチ、コチ、という等間隔の音を耳で聞きながら、部屋の主であるフランドール・スカーレットは天蓋付の上質なベッドに腰掛けながら読書に勤しんでいた。
地下室特有の閉鎖的な空気。本来は陰鬱になるだろう要因であるそれは、彼女にはとっくに慣れ親しんでしまったものでもある。
495年と言う膨大な時間を、彼女はこの地下室の一室だけで過ごしてきた。それだけの時間をこの部屋で過ごしていれば、いやでも慣れてしまうものだ。
頬にかかった金紗のような髪を片手で掻き揚げ、書物に並ぶ文字の羅列を視線で追う。
この495年間ですっかり一日の習慣となった読書を続けながら、フランはおもむろに小さくため息をつくと、栞を挟んで書物を閉じる。
「いらっしゃい、こいし。せめてノックぐらいはしてほしかったわ」
深く彩られた真紅の瞳が細められ、部屋の一室に視線が向けられた。
その視線の先に居たのは一人の少女。
薄く青がかった銀髪に、黒色のハット。オレンジの衣服にグリーンのスカート。そして何よりも特徴的だったのはコードで結ばれたような青い閉じた目のアクセサリー。
フランの剣呑な気配が感じられる視線に臆することもなく、少女は苦笑を零しながらスキップでもするような軽い足取りで、フランの居るベッドに歩を進めた。
「いやいや、ゴメンゴメン。ま、いいじゃないフランと私の仲なんだしさ」
「親しき仲にも礼儀ありって諺は知ってるかしら?」
「うわ、耳が痛いわ~」
フランクに言いながら傍にあった椅子に座る少女に、フランはジト目で睨みつけるものの、彼女はあっけらかんとした様子で気にした風もない。
はぁっと、陰鬱な気分を小さくため息の乗せて零すと、フランは閉じた書物をベッドの上に放り投げ、改めて数少ない親友に向き直った。
ぎぃっと、重心を移したことでベッドが僅かな悲鳴を上げ、二人はお互いに向き合う形となり、どちらともなく苦笑する。
古明地こいし。それが、この少女の名であり、ふとしたきっかけで知り合った奇妙でおかしな親友である。
出会いは一年ほど前だろうか。部屋でいつものように読書に勤しんでいたフランの部屋に、彼女は突然現われたのだ。
何もないと思っていた場所から唐突に、忽然と、彼女は初めからそこにいたかのような自然さでフランの目の前に現われた。
その当時は、フランも大いに驚いたものだ。
この館の、それもこの地下室にまで降りてくるものが居たことにもそうだが、誰にも気付かれないでこの場所に訪れた彼女は紛れもない異常である。
何しろ、ここには門番、そして時を操るメイド長、運命を操るフランの姉がいるのだ。誰にも気付かれずに、この地下室までたどり着くなんて不可能と言い切っていい。
戦闘の音も何もここに届かなかったという事は、つまりこの少女が誰にも見つかっていないという証拠に他ならない。誰かが彼女を見かければ、すぐにメイド長に報告しているだろう。
だから、フランは彼女に興味を持った。この奇妙な来訪者に、笑顔を持って応えたのだ。
無論、オマケで弾幕による応酬も繰り広げたことはいうまでもない。
面白そうな相手を見ると壊したくなる、フランの悪癖が出た瞬間であった。
さて、フランとこいしの馴れ初めは以上の通り。
とても仲良くなるための出会いとはかけ離れたものであったが、今は親友なのだからそれが全てだ。
いわゆる、河川敷で男子が夕日の下で殴りあって友情を育むようなものだと思っていただきたい。
二人とも女だが、それはこの際置いてほしい。
「それにしてもさ、よくわかったね? 気づかれてるとは思わなかった」
「別に、気づいてたわけじゃないわ。こいしっていつも同じ時間に来るから、そろそろいるんじゃないかって思っただけよ」
「あら~、そうだったんだ。気付かなかったわ」
「それも無意識?」
「多分ね」
あっけらかんとした様子で答えるこいしに、フランは肩を竦めて「こいしらしいね」と苦笑した。
彼女はいつも主体性と言うものがなくて、気がつけばあっちへふらふらこっちへふらふらと移動しているのだというのだから、このとぼけた性格は元からなのだろう。
もっとも、フランも彼女のこういった性格が好きで親友などやっているのだ。特に気にすることでもない。
唐突に「あっ」と思い出したかのように言葉を零したこいしは、スカートのポケットに手を突っ込んで一つの袋を取り出した。
それは丁寧にリボンで口が止められており、可愛らしいクマの模様が目を引くデザイン。フランはそれが視界に映った途端。ぱぁっと可愛らしい笑顔を浮かべる。
「これ、お姉ちゃんからフランにってさ。今日のおやつはお姉ちゃん特性のクッキーなのです」
「待ってました! こいしのお姉ちゃんの料理って美味しくて、私結構好きよ」
「そうでしょうそうでしょう! ……そういえばさ、フランのお姉さんって料理とか作らないの?」
「アイツはねぇ……。そういうのは咲夜とかのメイドに任せっぱなしだから」
本日のおやつの内容を聞きながら、フランは満足そうに言葉にして袋を受け取った。
しかし、その後に続いた質問に、途端に困ったような不機嫌なような微妙な表情を浮かべると、苦々しく言葉にする。
フランの姉、レミリア・スカーレットは貴族の矜持を重視する傾向があり、こういった身の回りの世話は従者がやるのが当たり前、なんて思考回路をしている。
多分、料理なんてほとんどやったことがないはずだ。
正直なことを言えば、フランにはレミリアが料理をしている姿と言うのはコレッぽっちも想像できなかった。
そんなことを考えながら、袋の口を閉じていたリボンを解く。シュルリと布の擦れる音と、袋の中から漂ってくる香ばしい匂いに食欲が刺激された。
中に入っていたクッキーはハート型で、一つ一つ色が違う辺りは芸が細かい。一つ手にとって口の中に放り込むと、甘くて口の溶け込むような味わいが舌を刺激する。
うん、おいしい。素直にそう思えて、自然と頬が綻んでだらしない顔になってしまった。
そんな表情のフランに満足しながら、こいしも袋を開けて一つ摘むと、ひょいっと一口。
いつものように甘くて美味しい。苺味のようで、こいしは我が姉ながら芸が細かいなァと感心しながらもしゃもしゃと咀嚼する。
「そういえばさ、フランってお姉さんのことどう思ってるの?」
「お姉さまのこと?」
「うん、そうそう」
こいしから飛び出した疑問の言葉に、フランはきょとんとした様子で言葉を零す。
うんうんと頷くこいしを他所に、フランは「ん~」と考えながら、もう一口、こいしのお姉さんのクッキーを口に運んだ。
傲慢で我が侭で、自分を永い間幽閉し、自身が全ての頂点に立っているとか本気で思っていそうな姉の姿がちらりと脳裏に浮かぶ。
それだけで、不快な感情が爆発しそうになった。その自信に満ちた顔を、苦痛に歪んだのかすらもわからないほどぐちゃぐちゃに叩き壊したい衝動に駆られる。
けれど、彼女が不器用なのだという事も、フラン自身もわかっているつもりだ。
フランが危険だからと幽閉し、そのくせ幽閉に使用したこの部屋は石造りではあったが内装は豪勢で、退屈させないためにか大量の書物や、ぬいぐるみなんかが置いてある。
専属のメイドまで付けて、身の回りの世話やらは全てそのメイドが行ってくれていた。
もし、あの姉が本気で妹を幽閉させるつもりだったのなら、それこそここよりも頑丈な地下牢にでも閉じ込めて放っておけばいいのだ。
少なくとも、フランは姉以上に強いという自信もあるし、ずっと昔に目の前で言ったこともある。
そんな不遜な妹に、あのプライドの高いレミリアがわざわざ不自由させない幽閉なんて考慮するはずもないだろうに。
そう考えれば、自惚れでもなんでもないのなら、あの傲慢な姉は自身のことを好いてくれているはずなのだ。
姉として、家族のように。
普段はその傲慢な態度を崩さないけれど、見えないところで色々と手を回してくれているのも知っている。
なんでもない態度を装っていても、ふと寂しいと思ったときには変ないいわけを付けて紅茶に誘ってもくれた。
幽閉のことだって、当主としての立場も考えればやむ終えなかっただろうし、フラン自身も、自分の能力が危険なのだと自覚していた。
そもそも、彼女は感情の振れ幅が極端に大きい。ふとしたきっかけで、自分は盛大に暴れてしまうんだろうなと、フランは思う。
だから、幽閉のこと事態は、まったくとは言わないがさほど恨んだことはない。むしろ、幽閉のワリには優遇されているこの状況を感謝してもいいぐらいだ。
それに、霊夢や魔理沙が来てから幽閉は解除されているのだから、少なくとも嫌いではないのだろうとは推測できた。
そう理解すれば、なんて不器用なことか。
当主としての体面か、それとも貴族としてのプライドが、あの姉をそんな風に不器用にさせているのかは、定かじゃないけれど。
そう考えると、途端にわからなくなる。自分の感情に整理がつかなくて、自分の気持ちがごちゃごちゃと乱雑に入り乱れて混乱してしまう。
嫌い? それとも―――?
苦しくて、温かくて、もやもやとしたよくわからない感情のわだかまりが、胸を締め付けているように感じられて、フランはそこで思考を打ち切って、フルフルと首を振った。
「どうかな、わかんないわ」
「あれ、そうなの?」
「……なんで疑問系なのよ」
なんとも望む答えではなかったようで、こいしは意外そうに目を瞬かせてもう一つクッキーを口に運ぶ。
そんな彼女に、聞いてきたのはそっちでしょうに、と視線で問いかけるのだが、生憎とこいしは気がつきそうにない。
そうとも知らずに、こいしは「イヤだってさぁ」などと口にして。
「フランってさ、なんだかんだでお姉さんの話をするとき楽しそうだったから、てっきり好きなのかと思ってた」
なんて、何でもないことのようにそう言葉を零した。
その言葉に驚いたのは、他でもないフランである。
少なくとも、フランにはそんな自覚はなかったし、彼女の前で姉の好きな所なんて語ったことなんてなかったはず。
精々、あの鼻につく態度や小うるさい小言に対しての愚痴ぐらいのものだったはずだ。
それでも、こいしは言う。姉の話をするときのフランの様子は、なんだかんだと言いながら楽しそうだったと。
「そうかしら?」
「そうよ。だから、きっとフランはお姉さんのこと大好きだと思うんだけどな」
少し考え込むように言葉にするフランドールに、こいしはにやにやと笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
無意識を操ることが出来るこいしの事。恐らくではあるけれど、人の無意識を見ることにも読み取ることも彼女の本分だろう。
そのこいしが言うのだ。彼女が言えば、不思議と説得力があるのだから困る。
姉に対する言いようのない感情。もやもやとして、よくわからない胸のわだかまり。
これが、姉に対する好意なのだとしたら……。彼女の言うとおり、自分は姉のことが好きなんだろうなァと、フランは自然と思えた。
「でもさ、こいしの言うとおりだとしても、今更どうしろって言うのよ」
小さくため息を零して、フランは言葉を紡ぐ。
フランは今まで散々レミリアを邪険に扱ってきた。彼女を馬鹿にした態度をとったり、皮肉を言ったり、数えだしたらきりが無いほどだ。
そう思うと、我ながら素直じゃないあの人の妹であったのだと強く実感する。
だというのに、今更どんな風に姉と親しくなればいいのか、悔しいけれど、フランにはちっとも思い浮かばなかった。
そんな彼女を視界に納め、ふふんとこいしは得意げに笑みを浮かべる。
「困ったときこそ親友の私を頼りなさいって。いい考えがあるわ」
自信満々に言い放ったこいしは、びしっと人差し指を立てると言葉を続けた。
「名づけて、ツンデレ大作戦!!」
「ツンデレ?」
「そう、ツンデレ」
「ツンツン?」
「デレツン」
『デレツンツン』
イェーイと手と手を打ち合わせてケタケタと笑う二人。実に息ぴったりなその様子は、どこか楽しそう。
こうしていると、あぁ、やっぱり私達は友達なんだとお互い再認識できて、フランは陰鬱になりかけた気分を払拭することが出来た。
だって、ここには頼りになる親友がいるのだ。どうなるかはわからないけれど、一人で思い悩むよりはずっといい。
友達と二人で考えれば、妙案だってふと浮かぶもんだと自己完結。
お互いひとしきり笑った後、フランとこいしはカラになった袋を屑籠にスローイン。それが成功したのを確認して、未だに苦笑を残しながらフランが問いかける。
「それで、それは具体的にどんな方法なのかしら、こいしさんや」
「今までフランさんの話から推察するに、お姉さんに相当冷たい態度をとっていたご様子。ならば、もはやツンの時代は終わりを告げ、今こそデレ期に突入すべきであーる!!
ここに、真のツンデレフランドールがご降臨なさるのである。そのギャップにあなたの姉もデロンデロンでしょう!!」
「や、デロンデロンじゃなくてメロメロね」
「はっは、わかっておりますとも」
こいつめー。きゃーきゃー。などと戯れながら、こいしをベッドに引き込んでゴロゴロ転がってみる。
吸血鬼の腕力を侮るなかれ。片腕で一人を引きずりこむなど造作もないのであった。
少女二人がゴロゴロと暴れまわるもんだから、キングサイズのベッドがギシギシと悲鳴を上げているものの、二人ともそんなこともお構いなし。
しばらく戯れていたが、二人してベッドの上に寝転がる。背中に感じる柔らかな感触が心地よくて、先ほど暴れた疲労感も手伝って眠りに落ちてしまいそう。
「まぁ、冗談はおいといてさ。素直になるのが一番だと思うわけですよ。私の意見としては」
背中をベッドの感触にゆだねながら、こいしはフランに言葉をかける。
その言葉は、フランの心にすとんと落ちて行くような気がして、不思議と穏やかな気分になれた。
「素直、かぁ。出来るかしら?」
「出来るって。こいしさんの言葉を信じなさい」
そう言葉にする親友が、とても心強い。力強い言葉が、自分の背中を押してくれている気がして、まんざらでもない自分がいることに気付いて苦笑する。
私達は似ていると、フランは思う。
性格も全然違うし、境遇もまったく逆だけれど、お互い、自分達は似たもの同士だと自覚していた。
フランは、永い幽閉の間、自分が不幸だと思ったことは微塵もない。この地下室の一室こそが、自分の知りえる世界の全てで、彼女はその中に引き篭もった。
気まぐれで外に行こうと思ったことは何度かあったけれど、基本的にこの部屋から出ようなどと思ったことはあまりない。
こいしは、心を読む能力ゆえに人から嫌われることを恐れ、心の目を閉ざした。その結果、彼女は能力を失った代わりに、誰からも認識されなくなり、無意識の中を移動することが可能となったのだ。
でも結果として、それは自分の世界に閉じこもることと同義でしかない。
それはとても悲しいことだと、周りは言う。けれど、彼女達は自分達の境遇を、悲しいだなんて一度も思ったことはないのだ。
自分達は、自分達が仕切った世界の中で生きている。
そんな彼女達が、こうやって親友同士になったのは、一体何の因果だったのか。
考えても答えは出ないし、今はお互いに変わろうとしている。狭かった世界を徐々に広げて、今までには無かった繋がりを見つけようと必死なのだ。
傍目からはわからないように、水面下では必死にあがいている白鳥みたいに。
それはとても難しいこと。とても、勇気のいることだ。世界は、よかったなんて思えることばかりじゃないことは、お互いによく知っている。
それでも、二人で少しずつでもいいから、自分の世界を広げていこうと思う。
二人で、この愉快な親友と共に。
「んー、フランのベッド気持ちイイ~。このまま眠っちゃいそう」
「ふぁ……、私も眠くなってきた」
「起きたらツンデレ大作戦ね」
「それはもういいってば」
お互い笑いあって、襲ってきた睡魔に身を任せる。
瞼がだんだんと落ちてきて、思考が段々とあやふやになって行く。
結局、あの姉にどう接するかなんて具体的には決まっていないのだけれど、起きてから決めればいいかと思考を放棄する。
ぷっつりと、意識が閉じる。穏やかな寝息が二人から聞こえてきて、途端に騒がしかった一室に静寂が満ちた。
カチ、コチと時計が時を刻む音が響くだけ。
一体どんな夢を見ているのか、お互いの手を繋いだ二人の少女の表情には、安らかで楽しそうな微笑が浮かんでいる。
―――そうして、二人は夢を見る。
一つの丸いテーブルに、幼い吸血鬼が紅茶を嗜み、その向かい側には薄桃色の髪をした覚の妖怪。
その隣には、彼女の妹である白髪の少女が美味しそうに紅茶を飲み、その向かい側の悪魔の妹がケタケタと笑いながら談笑する。
傍には瀟洒なメイドが控えて、微笑ましそうな笑顔を浮かべており、しばらくして鴉と猫が騒がしく乱入してきた。
誰も彼もが笑っていて、心が温かくなる情景。
それは夢。目を覚ましてしまえば消えてしまう泡沫の夢だけれど。
その世界は、とても温かくて楽しくて、確かに幸せな時間であったのだ。
ツンデレ作戦で正夢になるような話も読んでみたいw
どうかふたりに幸せな未来を。
しかし、これでも百合に見えてしまう自分の穢れ具合が悲しい。