Coolier - 新生・東方創想話

八雲式マーボー豆腐の作り方

2009/09/30 22:36:04
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 時は夕刻。 まるで夜が降りてくるかのように空は西からではなく頂点から徐々に暗くなっていった。

 太陽もなく月もなく星もない空はただただ黒くて吸い込まれそうだ。
私は視点を下げ、辺りを見渡した。 地面からは何度も途中で折れ曲がった道路標識が木のように生え、その間には無造作に元は列車であっただろう朽ち果てた鉄の残骸がその残りわずかな存在感を訴えていた。

 さらにその先。地平線の果てまでなにもなく、水平線の向こう側にもやはり何もないのだろう。 ときおり、視認できないほど早い飛行物体が数秒現れては消え、表われて消えを繰り返していた。
 どうしようもなくいびつで矛盾だらけの世界。 しかし、やはりというかこの世界はこの世界の主にとてもよく似ていた。

 「藍。何をぼーっとしているの?」

 後ろからの声に私は振り返った。 道路標識の森のぽっかりと開いた場所に椅子とテーブルが置いてあり、 一人の女性が首を傾げるようにこちらを見ていた。私の主でありこの世界の主でもある彼女は八雲紫。

 「ああ、すみません。相変わらず変な所だなあと」

 私は正直に答えた。

 「“ここは紫様に似て変な所だなあ”」

 紫様から発せられた声。一番馴染みがあり、そして他人から聞くと違和感を感じる声。つまり私の声にそっくりだったのだ。あまりに似ていてでまるで自分と対話しているかのように錯覚してしまう。

 「そんな事思っていませんよ。というかいつの間にかそんな芸を」
 「“こないだの宴会芸が受けなかったから変えてみました”」
 「その微妙な敬語がうっとうしいから止めて下さい。 それに紫様は人にさせるだけさせといていつも自分の時だけ逃げるじゃないですか」
 「…あら!ダーリンが呼んでる気がするわ、行かなくちゃ!」

 そう言って空間に隙間を作り逃げようとする紫様の腕を素早く掴む。

 「見え見えの嘘をつかないで下さい。というか貴女が私を呼んだのでしょ」

 渋々という感じに半分入りかけた隙間を閉じ、再び椅子に座る紫様。

 「あのね、藍…実は…私…不治のや」
 「もう帰っていいですか?」

 紫様の言葉を遮り、帰ろうとする私。
 この場の空間に干渉。閉じられた“扉”を開けるように情報を書き換える。
 失敗。
 …もう一度試みるも、またエラー。

 「残念。この空間は完璧に遮断したわ。私の許可なくここからは出る事は出来ない」

 ニヤニヤと得意げに笑う自分の主人に軽い頭痛を覚えた。

 「わかりましたから、さっさと用件を話して下さい。誰かさんのせいで忙しいんですから」
 「あ、今の空間遮断でまた結界が緩んだわ」
 「…自分で直して下さいね」
 「大丈夫よ!私には優秀な式神がいるから!」
 「それなら安心…って自分でやれ!」

 結局私がやるのか。まあいつもの事だけど…

 「“私は紫様の絶対服従の雌奴隷です”って言ってたじゃない」
 「そんな事一言も発した覚えはありません!そして私の声は止めてください」
 「冗談よ。ノリ悪いわね」
 「紫様の冗談は体に悪いです」
 「実は冗談で藍の体に、ツッコミを入れるたびに寿命を減らす呪いを…」
 「それこそ冗談じゃないですよ!」
 「あ、今のツッコミじゃ二年分しか減らないわね。修業が足りないわよ?」
 「頭が足りてない人に言われたくないです!」
 「満ち足りた私はその程度じゃ満足しないの」
 「ドM設定は無理があります」
 「そうよねえ、パクりって言われそうだし、何年か後ぐらいに」

 いつもの馬鹿な会話にも飽きてきたのか、紫様はテーブルの上にあったティーカップを取り、傾けた。 中から薄いオレンジ色の液体が重力のなすがままに落ち、地に触れると蒸発したように消えた。

 「紅茶が冷めたわ」
 「少なくとも私のせいではないです」
 「藍が寒いツッコミばかりするから」
 「寒いボケの方に問題があるかと」
 「そろそろ式神でも作ったら?」

 間髪入れず本題に入った紫様。 いや、本題なのか?

 「はい?それは私、が式神を作るって事ですか?」

 理解が足りないわねえと、呟くと紫様は手に持ったティーカップをテーブルに戻した。
 
 「結界修復もそこそこ出来るようになった。でも私はそれと、 暇つぶし雑務ストレス発散エトセトラエトセトラの為に貴女を式神にした訳ではないわ」

 少し反論したい部分があったが、そこは置いておこう。

 「しかし…まだそれは教わっていませんし。式神が式神を作るなんて…」
 「当然教えていないわ。私はね、藍。貴女から独創性とか個性とかが一切見出せないのよ」
 「う…確かに見様見真似でやっていますが…」
 「全てが私の模倣。ある程度は能力はあっても使える技量がない。それじゃあ、駄目なの」

 紫様の目が鋭い。

 「しかし…」
 「藍、式神を作りなさい」

 もう反論は許されない事は分かっている。

 「部下を持つ事。そしてその方法を自分で見つける事。当然式を憑けるのも貴女がやるのよ」
 「私に出来るのでしょうか…」
 「一度やった事は出来るでしょ?」
 「初めてなんですが」
 「何を言っているの…“貴女”が私の式神になった時の事を言っているのよ?」
 「はあ…正直あまり思い出したくありませんが…」

 今でもあの時を思い出すと、こう、胸の奥が痒くなるというかなんというか。

 「そういうことよ」

 そう紫様が言い切ると、指でスーっと空間を撫でた。 すると、そこに再び空間の隙間が現れた。

 「まあ頑張りなさい」

 そう言い残し、紫様は空間の隙間へと消えていった。
 この奇妙な空間に残された私。

 とにかく。言われた以上は、実行するしかない。

 「式神か…どうしようかな…」
 「あ、そうそう」

 顔だけを空間の隙間から出した紫様。

 「いや…普通帰ってきませんよ流れ的に…」
 「いいのよ私は」
 「はあ…それで?」

 数秒の沈黙。
 
 「明日は、マーボー豆腐がいいわ」
 「それだけですか」
 「あら、重要じゃない?」
 「分かりました。用意しておきます」
 「期待しているわ。それじゃあ」

 そう言ってまた消えようとする紫様。

 「あの!…その…」

 言いたい事はあるのだけど、聞けない。
 それでも紫様は顔を微笑ませた。

「…大丈夫よ。私の式神なんだから」

 そして紫様はそのまま隙間へと消えていった。

「なんだか見透かされているなあ」

 考える事もやる事も山程あるけど、
 とりあえず。明日の準備をしないと。



    ・・・



 結局。あの空間から出るのにえらく時間がかかってしまった。紫様は自分が出た後、再び空間を遮断し、私を出られなくしたのだ。なんとか緩みを見つけ、“扉”を開き脱出したが、もうすっかり夜は明けたようだ。

「さてどうしようかしら」

 紫様の屋敷のある先ほどの空間はこの幻想郷と外の世界の狭間にあり、本来なら出入り口(私は“扉”と呼んでいる)があるのだが、紫様のいたずらのせいで、出る場所を固定できず随分と辺鄙なところに出てしまった。

 朝だというのに薄暗い森。この瘴気の具合から行くと魔法の森だろうか。 キノコやらコケやら怪しい植物からの甘い匂いが鼻につく。 こんな所に長時間いたら、鼻が狂いそうだ。 しかし、幸いにもここから人里はそう遠くない。
 まず、人里で今晩の材料を買わないと。

 「それに…式神か…」

 とりあえず考えないでおこう。

 半刻程森の中を歩いた。幻想郷の地理は紫様に任されている仕事上、頭に入っている為迷う事はないがいかんせん悪臭と悪路のせいで歩みが遅い。

 「まあ飛べば早いのだけど」

 そんな気分でもなかった。 後少しで森の外れといった地点で、立ち止まる。

 「匂いが変わった」

 私は人型(耳と尻尾は勘弁してもらいたい)をしているが、元は狐。
 匂いには敏感なのだ。
 特に。

 「これは…“死”の匂い」

 頭上を覆う樹木も少なくなってきてようやく朝らしい光がそこかしこに降り注いでいるなか、 そこだけは妙に暗かった。 一人の女がこちらに向かってくる。 両側で括った真っ赤な髪、蒼と白の洋風な着物。手には巨大な鎌。

 「死神…」

 こちらに気付いたか、その死神は顔を緩ませた。
 
 「ん?ほう九尾の狐とは珍しい。こりゃあ今日はいい事ありそうだねえ」

 九尾の狐にそんな能力はない。

 「貴女は…死神?」

 一応聞いてみた。この魔法の森は変人の巣窟。伊達や酔狂で死神の格好をしているの輩がいるかもしれない。
 いや…それでもこの匂いまでは誤魔化せないはず…

 「あっはっは。まあ死神がこんなところにいれば怪しがるのも当然さね」

 死神は快活に笑った。どうやら本物の死神らしい。
 死神。地獄の住人であり、こちらの世界には滅多に顔を出さない筈だが…

 「あたいは小野塚小町。しがない船頭をやってる死神さ」
 「そう…。私は藍。八雲紫様の下で式神をやっているわ」

 紫様の名を聞いた時点で少し目を細めた死神。

 「ふーん八雲紫、ねえ…九尾の狐を式神にとはなんとも豪勢な話だねえ。さすが、と言ったところかな」

 紫様は普段はおちゃらけているが、幻想郷の中では妖怪の賢者と呼ばれておりかなり名は知られている。

 「それ程でも。それで一体全体死神がなんでこんな所にいる?」

 当然の疑問。死神の主な仕事場は地獄であり、中には彼女のように三途の川で渡しをやっている者もいるが、それでも幻想郷までやってくる事はない。
 よほどの事態でない限り。

 「いやあ別にサボっている訳ではないんだけどねえ」

 と言いつつ頭を掻く死神。 別に私はサボっているとは言ってない。…普段はサボっているってことか。
 死神がまた目を細めた。

 「“泥棒猫”をちょっとね…」

 少しの殺気。
 泥棒猫?
 なんとも死神には似つかわしくない単語だ。

 「随分と変わったお仕事ね」
 「いやあ本当に困ったもんだよ。最初は黙認されていたんだけど。少し“度が過ぎた”って感じかねえ」

 目を細めたまま、あまり困った様子を見せず死神は喋っていた。

 「まあとにかく。もし見かけたら知らせてくれないかい?」
 「と、言ってもどんな猫さんかしら」
 「人間程の大きさの妖獣さ。双尾の黒猫。横切る黒猫。凶兆の黒猫」
 「ふーん。とりあえず黒猫なのね。そいつは一体何をしでかしたのかしら」

 死神は鎌を揺らした。

 「言ったろ?“泥棒猫”だって」
 「まあもし見かけたら教えて上げるわ。また会えればだけど」

 死神が面白そうに笑った。

 「また会えるさ。きっとね」

 そうして死神は森の奥へと消えていった。

 「…いやいやこんな所で油を揚げてる暇はなかった」

 気を取り直し、急ぎ気味で、森を抜けた。今にも潰れそうな古道具屋を横目に人里へと入った。


 相変わらず、ガヤガヤと賑わっている人里。 妖怪が人を襲わなくなって以来、ここは妖怪も人間も集まる繁華街となった。 それはいい事でもあり、悪い事でもあるのかもしれない。そんな事を紫様が言っていたのを思い出した。

 店で必要な物を買い、大通りの茶屋で休憩しつつ、全部揃っているか確認。

 「あ…豆腐」

 肝心な物を忘れていた。
 やはり少し気が動転しているのだろうか。 紫様の命令。死神。泥棒猫。式神。

 「らっしゃい!ん?藍さんじゃねえか!今日も油揚げかい!」

 いつもの豆腐屋に寄ると、いつもの親父さんが元気そうに声をかけてくれた。

 「ん、いや、今日は絹豆腐を一丁くださいな」
 「あいよ!ん?どうしたんだい憂鬱そうな顔して」

 親父さんが豆腐を袋に入れつつ、尋ねてきた。そんなに暗い顔しているのか私は。

 「いや、ちょっと悩み事で」
 「そうかい。まあ藍さんぐらいになると俺らじゃ想像つかねえ事で悩んでいるんだろうな」
 「いや、そういう訳じゃないが…」

 親父さんは少し考えると、店の裏の方へと叫んだ

 「オイ、坊主!油揚げを何枚か見繕いな!」

 そうすると裏から、少年が袋を持って出てきた。そしてそれを親父さんに渡した。

 「まあこれはサービスさ!俺特製の油揚げでも喰って元気だしな」
 「…ああ。ありがとう。これで足りるかな?」

 そう言って私はお金をお財布から出し、渡した。

 「毎度!また頼むな!」

 袋を渡しつつ親父さんは豪快に笑った。 少年もニコニコとこちらを見つめている。おそらくこの豆腐屋で修行中の子だろう。

 「なあ親父さん」

 私がそう話かけた。

 「うん?どうした?」
 「部下を。いや自分の下に誰かがつくってのはどういう気分なんだ?」

 親父さんはその大きな手で少年の頭をぐりぐりと撫でた。

 「大変さ。こいつもまだまだだしな。でもまあなんだ。悪い気分じゃねえ。自分の何かを残せるって意味では感謝している」
 「残す…感謝…」
 「何を悩んでいるか知らねえし、俺じゃあ答えは教えられそうもねえが、こういうのはな、考えても無駄さ」

 豆腐と一緒だ。そう親父さんは言葉を締めた。
 私はありがとうとお礼を言い、外へ出た。

 残す。感謝。

 紫様は何を残そうとしているのだろうか。
 私に感謝なんてしているのだろうか。
 私は何を残したいのだろうか。
 私は…感謝なんて出来るのだろうか。

 空を見上げてみても答えは書いていなかった




       ・・・




 もやもやとした頭の中を振り払いながら、人里から出た。とりあえず買った材料を一旦置きに帰ろう。

 そう思い、紫様の屋敷のある空間から出るときに確認しておいた“扉”へと向かった。確か、妖怪の山の麓辺りだったはず。

 せっかく買った材料が痛むのも阿呆らしいので、今回は飛ぶ事にした。幻想郷の美しい自然を見下ろしつつ、妖怪の山の麓へと降り立つ。

 「さて…“扉”は何処かしら」

 勝手が違うためか見つけるのに少々時間が掛かってしまった。おそろか何人たりとも気付く事の出来ない、空間の歪み。そこを開放してやればそれが“扉”となる。

 さて。“扉”は見つけた。
 後は入るだけ。しかし気が重い。なんというか今はあまり紫様に会いたい気分じゃなかった。
 
 「かと言ってこのまま…」

 ぼーっとしていたのだろう。

 「…っ!」

 突然木の陰から現れた小さな物体が私が手に持っていた袋を奪ったのだ。スタッと地面に降り立ち、私の袋を咥えていたのは猫。
 しかも

 「黒猫!」

 黒猫は少し後ずさりすると、一目散に林の中へと逃げた。

 「…少し油断していたかな…猫に盗られるなんて…」

 成程。これがさっき死神が言っていた泥棒猫か?にしては小さいが。私は本来なら慌てふためくところだったが、むしろ冷静だった。

 「まったく…人間相手ならともかく。この私から逃げられるとでも思ったのか」

 私は誇り高き狐。
 最強にして最上の妖獣。
 九尾の狐。
 狩りなら十八番だ。

 「今日は少し気が立っていてな…久しぶりに本気を出そうか」

 獅子はウサギを狩るのに全力を出すという。ならば私が本気を出しても誰も文句をいうまい。

 死神に渡すまでもない。私自身で始末してやる。少しムキになっている気がしないでもないが、今は無視しておく。



 半刻も経たず。
 黒猫の首を掴んでいる私がいた。

 「まったく…普通はもう少し実力差を見極めて仕掛けるものだろうが…」

 場所は妖怪の麓の少し開けた場所。真っ赤な鳥居が立っており、廃屋がそこかしこに点在していた。
 迷い家。
 この一帯を私達はそう呼んでいる。

 「そういえばこの辺りは猫の棲かだったかな」

 私の手の黒猫はと言うと怯えて震えていた。
 うむ。少し本気を出しすぎた。

 「いや、別に取って喰う訳じゃ…」
 「その子を放して!」

 少女の声。

 「うん?」

 私が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
茶色の髪に茶色の獣耳。。意思の強い瞳。細い体躯には柔軟性と力強さの両方が存在していた。足の隙間からは黒い双尾の尻尾が震えているのが見えた。まるで野生の猫のようだ。いや。どう見ても猫だ。

それより何より、その少女が先ほどこの黒猫に盗られた袋を持っていた。

 「…大体把握した。なるほど。お前がここら一帯を統べるボス猫と言ったところかな」
 「その子を放して!」

 少女の声は少し掠れていた。彼女の怯えが手に取るように分かった。

 「それで、部下の猫達に食料を盗らせていたと」
 「いいからその子を放し…」
 「黙れ」

 私が目を細め威嚇した。少女は体を一瞬跳ね上げ、この場から逃げ出そうとするも、どうやら膝が震えて、動けないようだ。彼女は妖獣にしては幼いが、なまじ野生に身を置いているせいか私の威嚇がかなり効いたらしい。

 「悪い…とまでは言わない。人間が襲えなくなったからな。仕方がない部分もある。私だってかつてはそうだったから」

 少女はガタガタ震えながらも必死に声を出そうとしていた。

 「そ、その子をどうするの?」

 さてどうしようか。 そこまでは考えてなかった。

 「私の主人はね、とてもよく眠るお方なんだ。それで寝起きには生き血を呑むのが日課でね」
 「ひっ!い、生き血?」

 いや、さすがに紫様にそんな日課はない。一応。念の為。いや、ひょっとして…

 「そうさ。しかも新鮮な生き血じゃないと駄目なんだ…ああそういえばそろそろ起きられる頃かな」
 「もしかして…」
 「うん?…おお。こんな所にいい材料がいるじゃないか」
 「駄目!」
 「…お前にそれを止める権利はない。欲しいなら奪ってみろ」

 ちなみに私の手の黒猫は先ほどの私の威嚇で気絶している。むしろまだ立っている少女は妖獣とはいえ相当精神が強い方だ。並の者なら逃げるか気絶しているだろう。

 「わ、私は…」
 「じゃあ、こういうのはどうだ?この黒猫の代わり、お前の生き血を頂く」
 「…い、いやだ…」
 「じゃあこの猫にするとしよう」
 「それも、いや!」
 「はあ…あれも嫌これも嫌。それじゃあ話が進まない」
 「…ううう」

 少女の目に水分が溜まるのが分かる。いや、やりすぎたか?だが駄目だ。厳しいようだが、彼女は肝心な事をしていない。

 「泣いてこの場が解決するか?お前が泣けば私は消えるのか?どうなんだ?答えろ!」

 再度威嚇。
 少女はついに膝を崩した。

 「うううご、ごめ…ごめんなひゃいえっぐ…私が…ひっくその子が悪かったです…だから」

 私は彼女の傍まで歩みよった。そして黒猫を彼女の前にそっと降ろした。目が覚めた黒猫がペロペロとその少女のほっぺを舐めた。

 「少し脅かせ過ぎたかな?別に取って喰いはしない」

 目を見開かせ、こちらを見つめる少女。

 「なんで…?」
 「私は謝って欲しかっただけだ」
 「…」
 「それではさっき盗んだ物返してもらおうか。でないと本当に私の主が食ってしまうぞ」

 ひいと鳴き少女は手に持った袋を突き出した。他はともかく豆腐がぐしゃぐしゃになっていたが、まあマーボー豆腐だ。支障はない。

 「とにかくだ。盗みを止めろとは言わないが、相手はよく選ぶように言い聞かせておきなさい」

 私の忠告に彼女は頷いた。私は油揚げを取り出すと、彼女に差し出した。

 「まあなんだ。これでも食べて元気だして」

 元気だせも何も泣かせたのは私だけど。

 「…ありがとうお姉さん」

 なんだか妙に胸が晴れたが、なんとも無駄な時間を過ごしてしまった。まずは“扉”に戻らないと。そう考えつつ鳥居に背を向け、私は歩き始めた時。

 「あ、あの!」

 猫を抱いた少女がこちらに声をかけてきた。

 「ん?どうした?食物はあげないわよ?」
 「あの…実は最近…この子達、猫達がみんな帰ってこないの!お姉さん何か知らない?」
 「帰ってこない?ただ単に君の下を離れただけじゃないのか?」
 「違うの…みんな御飯を狩りに行ったっきり帰ってこなくて。最初はお姉さんのせいだと思って」

 少女は心配そうにこちらを見つめていた。先ほどの嘘話をまだ信じているのだろうか。

 「いや、さっきの話は嘘だよ。多分」
 「多分!?」
 「いや、冗談だけども。うーんどうだろみんな帰ってこないの?」
 「そう。この子だけ。」

 黒猫。双尾の黒猫。“泥棒猫”。

 「一つ、心当たりがあるな」
 「え?」
 「さっき魔法の森辺りでな、死神に出会った。そいつが“泥棒猫”を探していると言っていた」
 「“泥棒猫”?」
 「ああ。双尾の黒猫だそうだ」
 「それって私…」

 彼女の後ろで二つの尾が靡いていた。

 「みたいだな」

 おそらくだが。死神も私と同じように被害にあったのだろう。そして死神にはいくつか能力がある。その中でも。
 寿命が見える事。
 幽霊と会話できる事。

 この少女や私のような妖獣と普通の獣が一緒に過ごしていると、やがてその獣すらも妖力を帯びるようになる。そうすると必然的に獣本来の寿命が延びてしまう。そこからでも死神はその泥棒猫達の背後にこの少女のような存在がいる事に気付けるが、
 何より。
 幽霊と会話できる死神はつまり、物事の本質が見える。そこと対話できるのだ。捕まえた猫からこの少女の事を聞き出す事は容易いだろう。

 「じゃあ…私のせいで…みんな」
 「まさか殺しはしていないと思うけどね。優しそうな死神だったが、かなりご立腹だったな」

 私の見た感じではそうだった。
 静かな怒り。

 「…何処に行けば会えるの…」

 かぼそい声。少女の顔には覚悟が浮かんでいた。

 「一応言うが、止めたほうがいい。死神に喧嘩を売って勝てる者は少ない」
 「大丈夫だよ。ちゃんと謝るから。ごめんなさいって言うから」

 少女はにっこりと笑った。まるでそれが全てを解決する物と信じるているように。

 「甘い。私はそれで許したが、彼女が許してくれるとは限らない」
 「でも。まずは謝らないと駄目なんでしょ?」

 私は必死で頭を横に振った。
 そんな事の為に脅した訳じゃない!

 「違う違うそうじゃない!確かに私は許した。でもそれは君が出てきたからだ!君は本来ならその猫を助けに来るべきじゃなかったんだ。相手を見極めろ。私はそう言ったばかりだろ?」
 「でも。私が行かないとみんな帰ってこない。じゃあ行くしかないよ」
 「行ってどうする?私すらどうしようもできない君が。死神は私よりも強い。別次元だ。それでも行くのか?」
 「でも…このまま待っていても」

 少女がじっとこちらを見つめた。私はその視線に耐えられず、目を彼女から外した。ただですら忙しいし、考える事は山程ある。

 「甘い期待ならするな。行くなら勝手に行け。ちなみに言うと死神が今何処にいるかは知らない」

 私は声を尖らせた。どうせ私には関係ない話だ。そう自分を納得させる。

 「いいよ自分で探す」
 「じゃあ私は帰る。まあ精々足掻くことだな」

 私は改めて少女に背を向け歩きだした。

 「…お姉さんも私と一緒じゃない…」

 少女の言葉に私の耳がピクっと反応した。

 「もう一回言ってみろ…」

 自分で感情をセーブできないのが解る。でも理解していてもどうしようもない。少女の前まで歩くと、その少女の小ささが解った。そんな少女を見下すように視線を下げた。睨み返す少女。
 そしておもむろに口を開けた。

 「お、お姉さんも一緒じゃない!自分より強い者からは逃げて!弱い者には偉そうな事言って!一緒だよ!」
 「黙れ小娘!」

 私は手を少女の頬へと振り下ろした。バチンと痛そうな音と共に少女が吹っ飛ぶ。

 「もういい。好きにしろお前がどうなろうと知ったことか」

 少女は真っ赤に腫れた頬を摩りながら立ち上がるとまだ何か言っていたが、私はジンジンとする手の平と血管の脈動がうるさ過ぎて何を言っているかは聞こえなかった。
 そのまま背を向け、私はその場を去った。
 そしてとある決心がついた。
私なんかには当分式神なんて無理だ。どうしようもなく自分が嫌いだ。


こんな私に式神なんて出来る訳がない。





  ・・・






 “扉”にたどり着き、中へと進入する。相変わらずの異空間には目もくれず、屋敷へと向かう。

 屋敷には誰もおらず、素早く材料をしまった。もう今は誰とも会いたくない。

 「この狭い幻想郷。そんなに急いで何処に行く?」

 屋敷を出たところで背後から声がした。

 「別に急いでいません。ただ貴女に会いたくなかっただけです」

 自分の声が硬く尖っているのが解った。紫様が背後にいる。でも振り向きたくなかった。

 「あらあら反抗期?お母さん悲しいわあ」
 「…私には無理でした」
 「そう」

 紫様の声。心なしかいつもより冷たく聞こえる。

 「随分と早い結論ね」
 「最初から分かっていたんです。私なんかには無理だって」
 「…なぜ?」
 「私は…」

 言葉はいっぱい出てくるけど、口には出来なかった。何かが終わってしまいそうだった。

 「ねえ藍。まだ一日も経っていないわ。なのに無理だなんて」
 「どれだけ経とうが無理ですよ!私は紫様のように賢くないし優しくないしどうしようもない!さっきだって幼い子にムキになって手を上げて!自分が反論できないから感情のまま!無理ですよ!そんな私に誰がついてくるんですか!」

 止まらなかった。ただひたすら言葉だけが流れた。

 「駄目ねえ」
 「だから言ったでしょ!無理だって!駄目なんですよ!」
 「貴女の駄目なところなんていくらでも知っているわ。言うまでもなくね。特に駄目なところはね」

 紫様が近付くのが分かった。近付くな…近付くな…近付くな!思わず私が振り返ると、目の前に紫様が立っていた。長い金色の髪。整った顔。美しい肢体。なんでもこうも綺麗なんだろう。

 「貴女の駄目なところ。紫様のようにって言うところが駄目なの」
 「でも…!」
 「私は、私。藍は藍。別に私のように式神を作れなんて言ってないわ」

 紫様は表情を変えず言葉を続けた。

 「確かに、“私のように”式神を作るのは無理ね。その通りよ。千年、万年経っても無理ね。でもそうじゃないでしょ?這い蹲ってもいいの。泥まみれになってもいいの。私はそういう貴女を見たかった。でも駄目ね。期待はずれだわ」

 紫様の声が響く。何も見えない。ただ紫様の声だけが頭に響いた。

 「もうおしまい。あーあ無駄な時間と労力を過ごしたわ。藍、いいえ、九尾の狐さん、さっさと私の楽園から出て行ってくださる?」

 紫様の無情な言葉の前に立ちつくす私。
 終わった。あっけのない幕切れ。

 「はい…今までありがとうございました」

 私は名前を無くした。紫様のつけてくれた藍という名を。もう昔の自分の名前なんて忘れてしまった。そういえばあの少女はなんて名前だったのだろう。

 私はゆっくりとした動作で“扉”を開けると、この妙に愛おしい空間にさよならを言った。

 さよなら紫様。願わくば次は私なんかよりもっとマシな式神を探して下さい。

 さよなら。そう言って私は出た。
 紫様は何も言わなかった。



・・・



 しばらくどこをどう歩いたかは分からなかった。
 気付けば、日は傾き、世界を橙色に染め上げていた。
 フラフラと歩く私。足元には赤い彼岸花が咲き乱れていた。

 「あたいはねえ、夕方って時間がたまらなく好きでねえ」

 どこかで聞いた声が私の意識を揺さぶった。

 「誰?」
 「おいおい。朝方会ったばかりだろう?」

 顔を上げた。彼岸花の咲き乱れる道の先。少し開けた空間に一本の桜の木。その根元に今朝会った死神が座っていた。

 私は彼女の近くまで歩いた。彼岸花の匂いが妙に心地いい。

 「言ったろ?また会えるって」
 「はあ…」
 「…ここは無縁塚。名もなき者たちの墓地さ」

 辺りを見渡してみても墓標らしき物は見当たらい。ただ、風に揺られる草だけだ。

 「名前がないから、当然墓標もない。まあそんな悲しい場所さ」

 名前がない。まるで今の私ではないか。

 「そして今あんたが通ってきた道は再思の道という。なぜか深刻な悩み事を持っている者はここへと導かれる。そういう連中は彼岸花の毒の不快感で思い返し、再び帰るのさ。だから再思の道。だが、引き返せない者は…」
 「ここで死ぬ…かしら」
 「そう。だから名前がない。自殺者にそんなもの必要ないからねえ」

 死神はゆっくりと手に持っていたさかづきを口元にもって行き、傾けた。

 「私はもっぱらこの辺りにいてね。朝会った時あんたが悩んでいたみたいだからここで会えるかなと思ったのさ」

 それで、また会える…か。でも、もうそんなことどうでもよかった。

 私はよほど参っていたのだろう。警戒心を完全にゼロにしていた。

 「どうだいあんたも一杯。何、毒は入っていやしない。まあ入っていても効きそうにないがね」
 「それじゃあ…頂きます」

 そう言って彼女の差しだした杯を手に取った瞬間。

 「駄目!」

 少女の叫び声が無縁塚に響いた。振り返ると、あの黒猫を抱いた少女が無縁塚の入り口辺りに立っていた。

 「お姉さんそれを飲んじゃ駄目!」
 「やれやれ…タイミングが悪いねえ」

 ヒュンと音がした。白い銀光が自分の首に迫るのが分かる。咄嗟に後ろに下がり回避。

 「何を!」

 死神は座ったまま、その鎌を振ったのだ。私の首へと。
 数歩離れると、自分の傍の体温を感じた。先ほどの少女だ。

 「お姉さんしっかりして!彼岸花の毒にやられているよ!」
 「ど・・・く?いやいや私は九尾の狐。毒は効かない」
 「匂いだよ!花の!彼岸花には獣を狂わせる力があるの!」

 そういえば確かにさっきからこのいい匂いが鼻から取れない。

 「でもいい匂いだ…」
 「もう!」

 少女がその長い爪を私の手の甲に立てた。

 「っ!何を…す…る?」

 そんな事より驚いた事に、先ほど風になびいていた草が消え、黒い地面や、崩れた墓標などが露わになった。相変わらず彼岸花はそこかしこに咲いているが…

 「幻覚だよ。いやあもう少しだったんだけどねえ」

 死神が立った。白銀に光る鎌を肩に乗せ。

 「九尾の狐。今朝会った時はなかったけど、今のあんたからはその“泥棒猫”の匂いがしてねえ。どうやらグルみたいだって分かったから」
 
 死神の言葉で思考がクリアになる。

 「何を言っているんだ?私はこの娘とは無関係だ」
 「そうかい?ここから見るとあんたはその“泥棒猫”の保護者に見えるねえ」
 
 少女は私の横に立っていた。髪の毛は夕日に染まってか、赤く煌いていた。

 「このお姉さんは関係ないの!だから猫達を返して!」
 「駄目だ。あんたらはやり過ぎた」

 死神は本気だ。なぜだか知らないが、私も巻き込まれている。駄目だ思考が纏まらない。

 「謝るから!ごめんなさい!もう二度としないから!許して!」

 少女の必死の懇願。

 「駄目だね。そう言うのは一回だけだ。二度目はない。そういう約束だったろう?」
 「どういう事だ?お前、前もこの死神から盗んだのか?」

 私の言葉に少女は首を降った。

 「私は知らない…だって会った事もないし」

 死神がゆっくりと口を開いた。

 「“火車”。輪禍に巻き込まれた黒猫が成るともいう、妖怪さ。そいつらはね、人間の死体を盗むのさ。そして食べてしまう。魂ごとね。死体…はまあいい。好きにすればいいさ。だが魂は駄目だ。それは“こちら”の管轄さ。だから昔から“火車”が出たら死神が狩るのが慣わしでねえ。ここ最近見ないと思っていたんだが…」

 その妖怪なら知っている。忌み嫌われし妖怪の一つ。もうこの幻想郷にはいないはずだ。

 「ちょっと待ってくれ。じゃああんたは本気でこの娘が“火車”だと思っているのか?」
 「そうさ。まだ幼いが、確かに“火車”だ。言ったはずだよ“泥棒猫”だって」

 私はその少女の方へと振り向いた。少女は何を言っているか分からない顔をしていた。

 「私…死体なんて」
 「そうだ!この娘からは死の匂いがしない」
 「はあ…。あんた本当に九尾の狐かい?言ったろ、幼いって。まだ成獣じゃあ、ない」
 「じゃあ狩る必要なんてないじゃないか!」
 「お姉さん…」

 私は必死で反論していた。なぜかそうすべきだと思ったからだ。
 同じ妖獣だから?いや、違う。多分先ほどの諍いの罪償いから来る自己保身だ。

 「ほら、やっぱりグルなんじゃないか。全く。八雲紫が率先して忌み嫌われた妖怪達を封印してたはずなんだけどねえ。封印しきれてないのがバレて大慌てでもみ消そうとしている、と言ったところかねえ」
 「違う!…それに彼女には生きる権利があるはずだ」

 死神は目を細めた。朝とは比べ物にならない程の殺気。

 「生きる権利?あたいを誰だと思っている?生きる権利、死ぬ権利。そんなのあるとでも思うのかい。その“火車”はそう生まれた時点で狩られゆく運命なんだよ。なあお前さんに想像できるか。冥界にも地獄にもいけず、ただ、死んだ時の苦しみに永遠に苛まされながら怨霊として存在する事を。死体を喰われるってのは、魂を喰われるってのはそういう事さ。罪もない人間がただ単の食欲の為に地獄よりも酷い苦痛に延々と付き合わされる気持ちを理解できるか?それでも、彼女らが生きていく為だから仕方がないと彼らに言えるのかい?」

 死神の怒気と殺気が入り混じり、辺りはまるで灼熱地獄のようだった。

 「…でもやはり…看過できない!」

 私は少女に下がってろと言い、死神と対峙した。

 「お、お姉さん…駄目だよ…勝てないよ!」
 「うるさい!私だって九尾の狐だ。この死神は戦闘職じゃないただの渡し。勝てるかもしれない」
 「…やれやれ。その尻尾は飾りかい?邪魔するなら…一本になるまで刈るだけさ」

 そう言うと同時に死神は鎌を振り下ろした。

「早い…っ!」

 間一髪で鎌を避けた。風をすぐ目の前で感じ、肌が粟立った。
 死神は振り下ろした勢いのままくるんと鎌を回し、水平に戻すと、石突で抉るように突いてきた。
 横に距離を取り、回避。
 しかし追撃するように鎌が薙ぎ払われた。
 致命傷を避け両腕で防御。
 瞬間の痛み。鮮血が舞い、夕日に反射してキラキラと光っていた。

 「くはっ…」

 腕から力が抜けた次の瞬間、半円を描くように石突が迫り、正確に私の顎へと直撃。目の前にチカチカと瞬く火花。

 私は後ろへと仰け反り倒れた。

 「まあ…こんなもんか。思ったより手応えがないのは彼岸花の幻覚をまだ引きずっているせいかねえ」

 脳が揺れているのがわかる。視界もぼんやりとしており、自分が寝ているのか世界が浮かんでいるか。意識はあるが体が動かない。
 こうなったら…!私は紫様に憑けてもらった式の中から最上級の物を自らに憑け…

反応が、ない。



 それもそうか。




 もう私は紫様の式じゃあないんだから。憑けれる訳がない。

 段々思考が明瞭になっていく。


 紫様無しの私はなんて無力なんだろうか。

 少女一人すら、救えない。

 目を開けると、少女が必死に私の腕を止血しようとしているのが見えた。

 「お姉さん!なんで私の為に!」
 「…なんでだろう。自分でも…理解できない…」

 私の血で彼女の綺麗な髪や顔や手が真っ赤に染まっていた。

 「さてじゃあそろそろ終わらせようか」

 死神の声。それに対し少女が取った行動は一つ。倒れている私と死神の間に立ったのだ。まるで私を庇うかのように。少女が震えているのがわかる。
 駄目だ…駄目だ!馬鹿な事考えるなよ。
 少女が一歩踏み出そうとした時。先に死神が動いた。
 一瞬。気付けば私と少女の距離が離れていた。

 「…!待ってく…」

 シャリン、と音が鳴り、鎌が少女の首に掛かった。

 「“鎌をかけた”だけさ。落ち着け」

 少女はガタガタの震えながらこちらを見つめている。どうやらなけなしの勇気を無くしたようだ。

 「待ってくれ…まだその子は無実だ…」
 「駄目だねえ。この娘が成長すればいずれ我慢できなくなる。いずれ死体を喰いたくて喰いたくて仕方がなくなる」
 「それは私がなんとかする…だから」

 私は必死に叫んだ。叫びにならない声。


 「一時の感情に流される程みっともない事はないよ、九尾の狐。どうにかする?それはつまりこの娘をこの娘でなくしてしまうって事だ。それはこの娘にとって幸せか?」
 「だけど…」
 「お姉さん」

 少女が声を上げた。不思議と凛とした声だった。

 「大丈夫。私は大丈夫だから」

 そう言うと、少女は死神の方へと向いた。鎌が触れ、首に赤い線を引いた。

 「死神さん。私はともかく猫達は開放して。ただの猫だから」
 「ほう…いい度胸だ。あたい相手に交渉かい?心配はいらない。これが終われば開放するつもりさ。今は眠っているだけだ」
 「良かった。後、この狐のお姉さんは昼間に会っただけ。だから無関係」
 「待て…早まるなよ…」

 私にはこの少女が何をするか分かった。だが駄目だ。そんなの許せない。
 なけなしの力で立とうとする私。しかしそれもお見通しか、

 「動くなよ狐。台無しにするな」

 死神に釘を刺されて動けない私。

 「でもまあさっきの反応からすると、確かに無関係みたいだ。いいだろう。私が持っていくのはお前だけだ」
 「そう…良かった」

 待ってくれ駄目だ。そんな方法じゃあ駄目なんだ!そう思いつつ私は手と足に力を入れた。

 「ねえお姉さん。この子」

 少女はそう言うと、胸に抱いていた黒猫を放した。黒猫はタタッとようやく立てた私の足元に駆け寄った。

 「この子だけ。面倒見てあげてくれない?なんだかお姉さんに懐いているみたいだし」

 そう少女は笑った。笑ったのだ。この状況で。
 私は九尾の狐。馬鹿馬鹿しい。死神の言う通りこの尻尾は飾りか?

 「納得できない…そんな悲しい事は納得できない!」
 「一応説明しておくと、ここでこの娘は殺す。これはどうにもならない事だ。動かない事実だ。ただ、この娘はお前さんが言うようにまだ、幼い。死体だって食べちゃいない。だから」
 「だからなんだ!死ぬことには変わらないじゃないか!」
 「だから。この娘のこの生をなかった事にする」
 「なかった…事?」
 「勘違いして欲しくないけど、死ぬことは消えることじゃあない。あたいはこの娘を殺し、そのまま地底に連れていくつもりだ。魂ごとね」
 「…地底」
 「そうあんたなら分かるだろう?“火車”がいても許される土地さ」
 「殺さないと駄目なのか?そのまま連れて行けば」
 「それは駄目だよお姉さん」

 そう少女は首を振った。
 悲しそうに微笑んで。

 「多分、私、帰ってくるよ、ここに。みんなに会いに。お姉さんに、会いに」
 「それは…!」
 「そう。だから、一度殺す。そして再び転生させる。そうすればここの記憶は残っていないだろう」
 「大丈夫。全部忘れても。きっと覚えているよ」

 …これしかないのか?本当にこれしかないのか?考えろ私。
 しかし頭に響くのは別れ際の紫様の言葉だけ。

 「さてそろそろ終わりにしようかねえ。それともまだ邪魔するかい九尾の狐」
 「私は…」

 死神は鎌を再び、肩へと戻した。もう私が動かない事を察したのだろう。

 「おいで。さっきの酒には毒が含まれている。あたいやそこの狐にゃあ効かないやつだけどね」

 眠るように死ねるさ。そう言って死神はさかづきを少女に渡した。少女はしばらくその透明な液体を見つめ、その後、ゆっくりと飲み始めた。
 私には見守る事しかできない。そんな自分がもどかしかった。腹立たしかった。

 「うん、いい娘だ。大丈夫、後はあたいがやってあげる。地底には動物好きの知り合いがいてね。きっと良くしてくれるさ」

 死神がそういい、少女の頭を撫でた。
 私は一体なんだったんだ?何も出来なかった。ただ、一人騒いでいただけだ。よく考えれば、一番生死に厳しい死神が安易な事をする訳がない。
 私はただ、自分勝手な理屈を叫んでいただけだ。

 「お姉さん。その子に名前…つけたげて」

 体から力が抜け始めたのか、倒れそうになった少女を死神が支えた。私の胸にいる猫がにゃおと泣いた。


 「ああ…そうだな。“橙”なんてどうだ。私の一番好きな色だ」
 「“橙”…うんいい名前」
 「名前、聞いていなかったな」
 「どうせもう意味なくなるけどね…昔私を飼っていた人は私を“リン”って呼んでくれた」
 「私は…」
 「お姉さん…名前は?」

 私はなんて名乗ればいいのだろうか。いやもう既に名前は決まっている。
 大切な人に貰った大切な名前。

 「私は…藍」
 「そう…綺麗な…名前…」

 そういい残し、リンは目を閉じた。
 自分の目頭が熱い。

 「…悪いけど行くよ。死んですぐじゃないと駄目なんだ」
 「…ああ」

 膝のついた私を尻目に、死神はリンを抱いた。器用に鎌を肩で持ち、そして去っていった。



 気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。風が吹き、彼岸花が揺れる。橙がにゃあと鳴き、私に擦り寄ってきた。
 何かに警戒しているようだった。



 「答えは出たかしら?藍」

 涙で見えない。でも声で分かる。

 「分かりません。でもお願いします。もう一度私を式神にしてください」
 「聞こえないわ」
 「お願いします!もう一度式神として貴女の下にいさせて下さい!」

 紫様は答えず、私に擦り寄る橙を抱き上げた。

 「…そう…見つけたのね。でもまだまだ掛かりそうね。まあ貴女らしくていいんじゃない?」

 私らしい。それは紫様から聞いた初めての言葉だった。

 「ほら、さっさとこんな所離れて御飯にしましょ。いつ“あの方”が来るかヒヤヒヤもんだわ」
 「御飯…全然用意していませんでした。すみません」

 私は立ち上がると紫様に頭を下げた。

 「ふふふ、実はこうなるだろうと思って、あらかた準備しておいたわ。後は火を入れるだけ」

 そういえば忘れていたが私が料理を教えてもらっていたのも紫様だ。
 全く…本当にこの方に頭が上がらない。






    
     ・・・




 「ってな事があってねえ」

 紫様が笑いながら喋っている。

 「はあ…全然記憶にないんだけどなあ」
 「そりゃあそうよ。あんたはまだただの猫だったんだし」

 そう紫様と喋っていると、藍様が美味しそうなマーボー豆腐を持って部屋に入ってきた。

 「今日は橙が遊びに来たからより一層手間暇かけてみました。多分紫様のを超えましたね」
 「あらあらそれは楽しみだわ」

 藍様はいつも何か特別な事があるとはマーボー豆腐を作る。悩んでいそうな時も一心不乱に作っていた。
 多分、大事なんだと思う。

 藍様と紫様がどちらが作った方が美味いか議論していた。

 「よしじゃあ橙に決めてもらいましょう」
 「いいですよ。じゃあ橙。私と紫様のマーボー豆腐、どっちのが美味しい?」

 困った質問だ。

 「どっちも美味しいですよ」

 私は正直にそう答えた。
 紫様の辛くて美味しいマーボー豆腐も藍様の優しい味のするマーボー豆腐もどっちも好きだった。

 「うむうむ。やはり橙は偉いな。紫様に遠慮するなんて。さすがだ!」
 「…藍…いい加減その変な時だけポジティブ思考止めたら?傍から見たら悲しいだけよ?」
 「いやいや紫様こそそろそろご隠居なさったらいかがですか?」

 当分終わりそうにないので、私は美味しく御飯を頂いていた。

 「ところで橙」
 「はい、なんでしょう?」

 藍様が一度咳払いをした。
 なんだろう?

 「うん、実はな橙。そろそろ式神を作ってみたらどうだ?」
 「式神ですか?それなら今やってますよ!やっぱり同族の猫かなあって」
 「そ、そうか…」
 「…藍…クスクスクス…あんたと大違い…プっ」

 藍様は落ち込み、紫様は大爆笑だった。
 まあ何はともあれ。

 「私は藍様の式神で良かったです。そのリンさんにも感謝しないと」
 「ああ私も橙が私の式神で良かったよ」

 そう言って、藍様が頭を撫でてくれた。心の奥がほんわかしてきて、すごく幸せだった。

 「“燐”で“火車”…ねえ」
 「どうしたんですか?」
 「なんでもないわ。まあただの偶然ね偶然。よくある事だわ」

 そう言い、紫様が微笑んだ。その後も食卓の会話は弾み、夜は終わらなかった。いつか自分もこんな幸せを残したいなあと思いつつ。






 終わり。









 以下、蛇足と言う名のオマケ。



 「クシュン!」
 「風邪~?お燐」
 「あたい誰かに噂されてる気がしてねえ」
 「悪口だったら私が許さないからね!」
 「はいはいありがとねえお空」
 「ほら、二人共、お客さんが来ているのだから下がりなさい」
 「「はーいさとり様」」


 「随分と久しぶりだねえここは」
 「ええ。元気そうで何より」
 「彼女は元気かい?」
 「貴女も変わった方ね。火車の心配をする死神なんて」
 「少し、関わってしまったからね」
 「でしょうね、貴女ととてもよく似ているわ」
 「あそこまで自我が残るとは予想外さ」
 「会ってはいかれないの?」
 「止めとく。少し旧地獄で用事があったから寄っただけだよ」
 「そう」
 「それじゃあ。ああ後、一応報告。君達が地上に出るのは許されたよ」
 「そう。でも多分あの子…覚えていないんじゃないかしら」
 「その方がいいさ。彼女にとって、今はここが家だからね」
 「私が泣いちゃいそうね」
 「止めてくれ。涙は苦手なんだ」
 「冗談ですよ」
 「それじゃあ」
 「ええ。また」
 というわけで八雲家話を書いてみました。

 最後の会話はまあ蛇足。作品としては必要のない部分ですがせっかく書いたので…って感じですね。
 なぜマーボー豆腐かと言うと書いたその日食べたのがマーボー豆ry

 色々と拙いですが、私としては精一杯の愛を込めて書いてますので、
さらなる精進の為に感想、批判、意見、脱字誤字等の指摘待ってます。


 というより何よりネタが誰かと被ってそうで戦々恐々。
不夜城レッド
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コメント



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1.100名前はある程度の能力削除
小町や紫がいい味を出している。
5.100名前が無い程度の能力削除
最初の猫又が橙かと思いきや...意外な展開で楽しめました。
火車と死神,式神と式の式のなれ初めかぁ,すごく面白かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
あの方・・・説教m(
8.100名前が無い程度の能力削除
マヨヒガのあたりからずっと橙だと思ってた…
完全に予想外でした。
脱字報告
>なんとか緩みを見つけ、“扉”開き

>私“扉”と呼んでいる
それとも意図的なものでしょうか。
料理が料理ですし。
11.無評価不夜城レッド削除
>>8さん

完全に脱字でした。修正しました申し訳ないです!
16.無評価名前が無い程度の能力削除
下位互換は劣化版って意味じゃないですよ