【彼女の黄昏とプラスチックダイアローグ/花葬】
――――――――誰からも忘れ去られたとき、人は本当の死を迎えると言う。君はあそこをネバーランドだと言うが、私はそうは思わない
夏。とてもオソロシイ妖怪に会った。
【形影相弔う】
なんだか切ない夢を見た。
見ているときは幸福で、起きるとそれが嘘になる。
そんな切ない夢を見た。
【花患い】
――――――――咲いてしまえ
アリスを見ると、いつも胸元あたりに蕾が見える。見たこともない花で、かといって奇抜な形というわけでもない。極めて平凡である。ただ実在はしない。花は知らないが絵には覚えのある者がちょっと筆を走らせ、完成とは言えないまま放っておいた、そんな感じなのだ。だから色はわからないし、輪郭もラフ画のように頼りない。線が曖昧で、いくら眼を凝らしてもピントが合うことはない。そんな具合だから、きっと派手な色ではないのだろう。
茎はほっそりと伸びていて、葉はあまり多くない。根らしきものは見あたらず、天道虫の如く視線を上へ上へと向けると、子どものこぶし大の蕾が一つきりあるだけだ。
霞のような花片を何重もぎゅっと固く絞って纏め上げ―――――線はそこだけははっきりと描かれている――――――芯を作っている。それは緩む様子がまったく無い。
花弁はやわらかいのに、いつまでも綻ばない。
そういう蕾だ。
それが、ほんのりと月明かりのような、淡い光を発している。それも雲がかかったような朧気な光だ。あたたかくもないが冷たくもない仄かな光を滲ませて、夢見るようにひっそりと彼女の中に生えのびている。彼女を見ていると、そんなイメージが頭から離れない。
その蕾が綻びるのが見たかった。
だから会う度に彼女に揺さぶりをかける。
咲いてしまえと。
蕾が何を示しているのかはわかっていたから。
――――――――咲いてしまえ
抱きかかえている芯の花片は、きっと夢見るような色をしている。
【暗転】
久しぶりに「巫女」に会いに来たら、何だかちまいのが墓前にいた。
それは紅くて白い格好をしていた。紅白。お目出度い巫女の出で立ち。幽香は思わず足を止める。五つか六つか、といったところだろう。見ない顔だ。知らないうちにまた代替わりでもしたのだろうか。こんなに小さいなら、就いてすぐだろう。それにしても、と幽香は訝しげに童女を見た。
――――――――先代ならともかく、霊夢の墓参り?
ここのは博麗の墓とは別の、霊夢の墓だ。骨を納めていない純粋な参り墓で、盆も暮れも関係なく、偶にふらりと近くを立ち寄ったらしい妖怪が、手を合わせたり酒を飲んでいたりする。幽香がここに来たのは三ヶ月ぶりくらいだ。ひょっとするとかなりの頻度なのかもしれない。魔理沙のいない今となっては、一番来ているのかもしれなかった。頻繁に来る理由は極めて単純で、幽香はとにかく暇で、ここはそれなりに花が咲いているというものだった。もっとも、今時分は花より紅葉かもしれないが。
「こんにちは」
声をかけると、大げさなほど小さな肩は上下し、次の瞬間驚愕に彩られた顔が幽香を振り返った。予想を遥かに上回るオーバーアクションだった。
「驚き過ぎじゃないかしら」
「……すいません。人が来ると思っていなかったものですから」
「人じゃあないけどね」
「え?――ああ、貴女は確か、花の…」
幽香が何者なのか検討ついたらしい少女は、不意打ちの驚きとはまた別に僅かに焦りを見せた。これと似たような反応を、幽香は三ヶ月前も見た気がした。最近の里人ではめったに見せない感情。恐れと、それを抑えつけているとき特有の緊張に満ちた目。あの子と同じだ、と幽香は思った。けれど肝心なところがまるっきり違う、とも。この子は幽香に用が無く、興味がなく、故に一刻も早く会話を終わらせてやることが最善だった。親切心からではなく、幽香は日を改めることにした。見れば一目でわかる。これとの会話は楽しくもなんともない。からかい甲斐のない人間。おまけに弱そうだった。評価できそうなところと言えば、年の割に受け答えがしっかりしていることぐらいだろうか。幽香にはどうでもいいことだ。
「それじゃ、私はもう行くわ」
「え?でも霊夢さんに会いに来たんじゃ」
「“霊夢さん”、ね」
少女の口から出た「巫女」の名は、意外な響きを持っていた。目の前の少女にしてみれば、霊夢はずっとずっと前の巫女に過ぎないはずだ。なのに、まるで霊夢の人となりを知っているかのように、少女は霊夢さんと言った。この墓参りは、何か特別の思いあってのことなのだろうか。それは、ほんの少し気になることではあったが――――――――
「別にいいわ。歩いていたらたまたま此処に出ただけだもの」
今此処で、留まり問い詰めるほどのことではないように思われた。
じゃあね。幽香はくるりと踵を返して、来たときと同じようにゆっくりと茂みに入っていった。
【珈琲ゼリーが出来たわけ】
ちらちらと青いのが見えた。
あれは夏の日のことで、布を買った店の外壁を覆う蔦は、水欲しそうに乾涸らびて力が無かった。森の入り口で丁度良い切り株を見つけたアリスは、それに腰掛けると茶色の紙袋をガサガサといわせて、購入したばかりの布を取り出した。臙脂色をしたそれは大凡縦横一メートルほどで、全部で5枚あった。それで一組。お得意様と言うことで割引も効いた。良い買い物をしたなとアリスは満足そうに紅を指でなぞった。
不意に、視界の端っこの方を、青い何かがちらちらした。
辺りは重苦しい緑ばっかりで、洒落た花の一つもないもんだから、アリスは砂漠で逃げ水でも見たような心地がした。砂漠なんて行ったことないけど。でも本当に、空の欠片が落っこちたみたいな色。綺麗で涼しそうで、透明で鮮やか。星とかはよく落ちてくるし、雲にだって結構簡単に届くけど、いったい空ってどうやって砕けるのかしらとアリスは馬鹿馬鹿しいことを夢想した。何処ぞの鬼が酔っぱらいでもしたかしらね。酔っていないとこなんて見たことないけど。
「今日は不思議な日ね。知らなかったわ。妖精でも迷子になるなんて」
目線を手元に落としたまま、アリスはのんびりと挨拶をした。
「迷うほど道を選んでいるなんてね」
この都会的冗句が通じなかったと見えて、小さな相手はそれまでずっと隠れん坊でもしてたかのように、みつかったぁと陽気な声を上げた。葉の陰から出てきたそれは、興味津々というようにアリスを見ている。空気を入れずに固めた氷みたいな目はまんまるで、世の憂いなど欠片も存じぬという快い輝きに溢れていた。氷なのに、とアリスは思う。太陽が似合う奴、と。動きの一つ一つに愛嬌があって、可愛いものに目がないアリスはこの時点で相好を崩しかけたが、それより先に高いわけじゃないけど不思議にキンとした声で小さく青いのが、ねえねえ、と言った。
「なにしてんの?」
こっちの台詞なんだけどな。なんてことは思っても言わず、アリスはとりあえず手招きしてあげた。こういうとき、小さな手合いには膝を貸すものだと教えられていたから。今日は戦う理由もないしね。心の中で言い訳のように呟く。決して涼しくて気持ち良さそうだからとか、そういった理由ではない。
「なにしてると思う?」
「お、ナゾナゾね。あたいの特異文屋」
さっそく間違っている気がした。でも本人は気にしてない。ふふん、と根拠のない自身に充ち満ちている。まぁ、妖精はそんなもんでいいじゃないかしらと思う。アリスは鬼じゃないから、話す相手が強いかどうかなんてどうでもいいことなのだ。それが力だろうと頭だろうと。それに、適当にあしらえる奴って嫌いじゃない。魔法と人形とお菓子と紅茶の次の次ぐらいに、だけど。
「ずばり、悪巧みね。誰もいないところですることなんてそれしかないわ!」
「なるほど。じゃあ、あなたもさっきまで悪いことをしてたのね。私が来る前は」
「あたいは“さっきまで”アリスを見てたわ。ということは、あたいは悪くないのよ!」
「それなら、私の傍には今もあなたがいるんだから、当然悪くないはずよ」
はいはずれー、とからかう。
「いいヒントね!」
「ヒントだったんだ」
妖精は元気だなぁ。なんだかいろいろと面倒なので、アリスは訂正するのを諦めて、目の前の青い頭に触れた。撫でるわけでもなく、無遠慮に、しかし不快と言うほどでもない手つきで髪をいじりだす。さて、妖精にも枝毛ってあるのかしら。
「なーにー?」
「いえ、ちょっと知的好奇心に駆られて。ねえ、このリボンって毎朝自分で選んでるの?」
「日替わりだよ。ってことは、えーと、誰が選んでるの?カレンダー?」
「カレンダーを見てあなたが選んでるんじゃないの?」
「でも、面倒だからたまに一週間同じだったりする」
「日替わりじゃないじゃない」
妖精じゃなかったら許されない行為である。
「そんなことより、今日はやらないの?人形劇」
「その人形劇の準備をしてたの。これが、新しい人形の服」
「赤?青とか水色とかの方が格好良くない?」
「妖精の人形は作らないわよ」
「妖精差別よ!」
「まあ、作ってもいいですが」
この子がモデルなら作りやすそうだ。あまりデフォルメ化しなくても、単にそのまま真似ればいいだろう。
「本当?出来たら見に行く!」
「あげるわよ。お礼は氷一年分でいいわ」
「それぐらいお安いご用よ。いくらか知らないけど!」
その気になれば魔法で作れなくも無かったが、無料というのは良くない。あまり気安く頼まれるようになっても困るし。氷精はうきうきとしている。こんなに喜んでもらえるなら、作り甲斐があるというものだ。とりあえず今日の分と渡された氷がちょっと重たかったが、アリスが左手をちょっと動かすと、たちまち風船のように漂いだした。
「そうだ、せっかく氷もあるし、この前のレシピを試してみよう」
紙袋を抱え直し、アリスは足取り軽く森へと入っていった。
【Romantic Children】
何だか騒がしい奴らが来た。
そんな噂があっという間に魔界に知れ渡った。
[神とそのメイド]
神綺が報告を受けたときはすでに何人かが挑んでやられた後だった。いずれも大事には至っていないというのは喜ばしいことではあるが。
「やっぱり、アレが原因かしらねぇ」
「他にないでしょう。少し民に自由を認めすぎましたでしょうか」
「んー。でもまぁ、あれぐらいはいいんじゃない?」
「神綺様!」
夢子は声を荒げた。一方の神綺と言えば、そんな落ち着きを欠いた夢子の様子を見てにこにこと笑っている。この顔をされると夢子は困っていまう。調子が狂う。お気楽そうな神綺に呆れるやら怒鳴ったことが恥ずかしいやらで二の句が告げなくなる。もうっと夢子にしてはいささか幼い声を上げ、顔を赤らめた。
――――――――まったく、最近の神綺様は少し変わられた。アリスの影響なのだろうか
アリスが変わりだした頃から、何を思ったのか神綺は魔界の戒律をかなり緩くしてしまった。多くの者に役職を変えることを許可し、いちいち神綺の判断を仰がなくても良いとおふれまで出した。そこにどんな深慮があるのか夢子にはわからない。神綺に間違いがあるはずがないが、その結果がこれだとすると、今回のことを自分はどう判断するべきなのか悩んでしまう。
「ほ~ら、眉間にシワ寄せないの。今、ユキちゃんとマイちゃんを行かせたから大丈夫よ。ゆっくりお茶でも飲みながら報告を待ちましょう」
「しかし神綺様、相手は異世界の住人です。どんな卑劣な手を使ってくるかわからいのではないですか?」
「これまで負けた子の中で大けがをした子は一人もいない。相手に殺意があるならこうはいかないわ」
「でも……」
「ふふ。最近、夢子ちゃんは元気ね」
不満な様子を隠さない夢子に、神綺は意味深に微笑んだ。自らの反抗的な態度を指摘され、夢子は一瞬言葉に詰まったが、すぐに銀色の瞳には楽しむ感情しかないことに気づき、ほっとすると同時に複雑な思いに襲われた。だが、そんな思いも、神綺から出た次の言葉の前には大したものではなかった。
「ところで」
「はい?」
「さっきからずっと、アリスちゃん姿が見えないのだけれど?」
「え?」
【逢魔が時Ⅱ】
そぞろな夕暮れだった。
「かざみゆうか」
小さく、秘密を囁くようにアリスは幽香の名前を呼んだ。夕闇に融け込んでしまいそうだ。彼女の声も、姿も、何もかも。それでいて、こんな薄暗がりの中にあって、あの青い瞳だけがはっきりとわかる。不思議な気分だった。あんまりにもありそうになくて、だからなんだか嘘っぽいと思う。彼女がまるでいつかの続きのようにそこにいる。ずっと前に、彼女が今よりずっと泣き虫で、今よりずっと幽香にまっすぐと向き合っていた頃。涙ぐみながらも、それでも逃げ出さずに見上げてきたあの頃。
「かざみっていうのは、あのとき教えてくれなかったわ」
少し不満げな言葉は、それ以上に敵意を孕んでいて、なんだか冷たい声色をしていた。氷とか雪とか、そういう積極的な冷たさじゃなくて、温度がないとか、その程度だけれど。幽香はその言葉は無視をして、
「あら?」
と不思議そうに。
「死んだと思ってた。あなた、弱いから」
にっこりと嬉しげに口元を綻ばせて、
「殺したと思っていたのに」
笑ってあげた。
アリスは笑い返さない。思えば、幽香を前にしたときのアリスはいつもそうだった。
直前まで笑っていても、自分が視界に入ってしまえばそれはあっという間に掻き消えていく。
「そうとう浮かれていたのかも。なかなか素敵だったもの、あなたのあの魔法」
「手に入れるために相手を壊しちゃうくらいに?」
「……そうね」
じっとりと、生暖かな風が流れてきた。ふと、幽香はどうして彼女がここにいるのか不思議に思った。ここは森からも離れた花畑で、自分がここにいることを彼女が知らないわけがないというのに。会いに来たというのだろうか。まさか。うっかりしていたに決まっている。しっかりとしているの同じぐらい、そういう間の抜けたところもある子だった。
だから、あんな目に遭うのだ。
「あのときは」
盾のつもりなのか胸に魔導書をしっかと抱きかかえて、アリスはどうやら緊張しているようだった。
小さな肩は怯えの感情で震え、背中は強張った線を描いていた。
「とてもとても痛かった」
ぎゅっと傍目からもわかるくらいに、きつくきつく本を抱きしめる。
そんなことをしたら皺になってしまうのではないだろうかと、どうでもいいことを考えた。
「とてもとても苦しかった」
「でも、平気だったでしょう?」
だからこそ彼女が目の前にいるのだから。くすりと、溜め息のような音が漏れた。幽香の言葉に、アリスが笑った音だった。嬉しいとか楽しいとか、そういうのとは無縁の笑い。
それでも、あ、初めて笑ったと思った。
「忘れちゃったの?あなた、忘れっぽいものね。私の名前も顔も、花が咲く理由も。すぐに忘れてしまう。それとも、長く生きた妖怪はみんなそうなのかしらね」
うんざりだというように、あれほど強固だった構えは急に解かれた。
責めたり笑ったり警戒したり諦めたり。
なんだか忙しい子だ。おまけに変なことを言う。
「都合の良いことばかりを覚えていて、それで問題がなくて、忘れていることすら忘れて。狡いのね大妖怪は。だから嫌なのよ。貴女みたいな強い妖怪は」
「褒めてくれているのかしら」
「事実を言っているだけよ」
まったくわけがわからなかった。八雲紫や西行寺幽々子のように相手を攪乱して遊んでいるのとは違うようだ。本当なら口にしたくない事柄を、嫌々言わされているみたいだ。嫌なら言わなければいいのにと思う。もっと別なことで傷つけばいいのに。幽香からしてみれば幼い彼女は、ひょっとすると言葉も拙いのかも知れない。あのときもそうだったろうか。どうだったかしら。あんまり彼女自身には興味がなかったからよく覚えていない。ああでも、それなら。確かに彼女の言葉通り、幽香は都合のいいことばかりを覚えていることになる。
だってほら、あの魔法の方はちゃんと――――――――――――――――ちゃんと?
「それなら、何故使わないの?覚えたんでしょう?私の究極の魔法」
ワタシノ キュウキョクノマホウ
それは、どんなものだったろうか。
思い出そうと記憶を手繰ると、口に鉄くさいものが広がった。
長く味わっていないそれは、なんだか少し懐かしくて切ない。
ちりちりとこめかみが熱を持つ。目の前の存在が、改めて異様に思えて、訳がわからなくなる。
「私には、それほど必要な魔法じゃなかったわ」
あんなものがなくても、私は誰にも負けないもの。
だから使う必要などないのだと。
忘れてしまって障りないのだと。
「知っているわ、風見幽香」
ちりちりはどんどん強くなる。油で出来た膜みたいなものが、うっすらと視界の邪魔をする。目に張り付く。それは本当に薄いけれど、紅い色をしているのではないかと思った。
「だったら放っておいてくれれば良かったのに」
だってほら、今は夕日の眩しい時間。掌をかざすまでもなく、こんなにもアカが眼に痛い。
「要らない魔法のことなんか忘れて、私のことも放っておいてくれれば良かったのに」
なんで今更、彼女はこんなことを言うのだろうか。
「でも、貴女は追ってきてしまった」
アリスは、やっぱりちょっと忌々しそうに
――――――――だから私は貴女のことを嫌いなの
と。
ずっとずっと前から分かり切っていたことを言った。
【暗転】
「いくら貴女でも、枯れた花に水をあげてもどうしようもないんじゃないかしら」
私とは違った形、違った色をした傘がくるりと回る。
かつてどこかの誰かは形はともかく色は同じじゃないかと言っていたが、それはそいつの眼が節穴なのだ。私のはただ真っ白だが、こいつのはどこかにごりがある。薄く薄く何色だかが紛れている。純粋な白ではない。そういうと、それは素材の違いじゃないかとそいつは言った。鈍い子だった。馬鹿ではないけど、鋭さが足りていないし、勘もいまいちな子だった。勘しか取り柄のないどこかの紅くて白いのみたいなのもどうかと思うけれど。鈍いのが長じて、結局最後までベストを見逃してベターな生き方をした子だった。それとも、本人にしてみれば、選ばなかった未来など大した価値は無いのだろうか。あれがあの人間のベストだったのだろうか。
「なんのことかしら?」
「意外に思っているのよ。鬼も吸血鬼も月人も魔女も、もう誰もあの魔法使いのことを気に懸けていないのにね」
「貴女は覚えてるじゃない」
「幻想郷のことですもの。誰のことかは訊かないの?」
「魔法使いって言ったわ」
「魔法使いにもいろいろいるでしょう?」
傘が、再びくるりと回転する。
「あれ以外にいるのかしらね。忘れ去られるくらい人間にも妖怪にも無害な魔法使いって」
「あれ、ね」
私の質問には答えず、開いた扇子を口元に当てて、紫はくすくすと笑った。彼女の親友だという亡霊嬢もよくやる仕草だが、実はどっちかがどっちかを真似ていたりするのだろか。
「ああ、そうね。確かにあれはアレと呼ぶのが相応しいわ」
楽しそうに隙間妖怪はひとしきり笑って、
「妖怪はともかく、人間は相変わらず頭が悪いのかしら。アレは貴女たちよりも人間に近かった。里をよく彷徨いていたわ。妖精も――――――――まあ、あれらが忘れっぽいのはいつものことだけど、恩知らずよね。といっても、たまに思い出すのもいるみたいね。氷漬けの蛙なんて、アレが喜ぶとは思わないけど」
すっかり朽ち果ててしまった舞台小屋を思い出す。彼女がそこで人形達を操るのを観たのはほんの1、2度だったが、どの観客も楽しげだった。あの子供達は今どれほど大きくなったのだろうか。ひょっとするとすでに死んでいる者もいるのかもしれない。かつて酒を酌み交わした巫女が、今はどこにもいないように。
――――――――だから私は貴女のことを嫌いなの
ふと、幼い声を思い出した。
中灰色の黄昏。
あの子は何故あそこにいたのだろう。
もう誰からも気に懸けられていない少女。
「構っているわけじゃないわ」
「あら?」
「ちょっと気になることがあるだけ」
にっこりと、あの子が見たら苦虫を噛み潰したような顔をする笑みを浮かべて、私は八雲紫を見遣った。
「そろそろあれが近い所為かしら?私も最近どうも記憶が定かじゃなくてね。あの魔法使いが気になることを言っていたから、見つけて話を聞こうと思っているだけよ」
「あらそう」
「貴女も気になることは早く解決しておいた方がいいんじゃない?時間は有限じゃないからね。素晴らしいことに」
「……まったくね」
八雲紫が意味ありげに頷いて、傘は三度回転した。
【ゴーストビート Tape:A 】
光のない目が、呆けたようにただ見上げてくる。
腰から先は力が入らないのか、少女はベットの上で畳んだ両足の横に手を突いて、両腕の力だけで体を支えていた。だが、その手も手首から先が包帯で巻かれ、全く見えなくている。五指がわからない無骨な巻き方を見て、ひょっとして彼女は指を失ったのかもしれないと考えた。この痛々しいことこの上ない少女に、今から自分はとても酷いことをしようとしているのだ。冷たくて重い何かが胸を満たして、呼吸の仕方を忘れたかのように肺が上手く動かなかった。
ぎゅっと手で拳を作ったあと、ゆくっりとほどく。
そうして白んだその手で少女の頬に触れた。彼女は石像のように動かない。
ぐっと唇を噛んだあと、ゆっくりと力を抜く。
切れて紅く染まったその口で、震える声で少女に呼びかける。彼女は人形のように動かない。
嗚呼と思う。ここで終われたら、どれほど救われた気持ちになるだろう。それが叶わないから、彼女の意識を無理矢理にでも正気にする魔法を行使するしかないのだ。あるいは、と思う。防衛本能に乗っ取った正常な魂を、無情にも狂わせる魔法かも知れない。どちらにせよおぞましく、しかしどうしようも出来なかった。やがて冷たかった頬に熱が戻り、それを合図に少女から一歩距離を置いた。
さあ、と彼女に問いかける。
教えて、と。
――――――――望みはなに?
――――――――のぞみ?
――――――――そう。一つだけ叶えてあげましょう。だから、あなたの願い事を、教えて?
――――――――なら、パパを助けて
――――――――それは駄目
――――――――どうして?
――――――――どうしても。さあ、別の願いをどうぞ。あるはずです。あの陣はそう言っていた。これはあなたの為のものだと
――――――――ほかにねがいごとなんて、ない
――――――――あなたのお父様は、貴女に関して願いがあったようですが?
――――――――…………だって、だって、そんなの……
――――――――パパがいなければ意味がない?そう、でも
「それでも私は、貴女の願いを叶えるんです」
【真っ紅なアンテルカレールⅡ】
――――――――あのことは、謝らないよ?
[紅き姉妹]
「だからさ、いい加減諦めたらいいと思う」
暗い部屋の中、フランドールは不機嫌な声で言う。私は寝台に腰掛けて、扉側に立っているフランの言葉を背中越しに聞いていた。少しだけ伸ばした髪をくしゃりとさせる音のあと、どうやら私を見て苛ついた溜息を吐き出したようだった。いや違うな、と思い直す。不機嫌とかじゃなくて、フランは私に怒っているんだ。お姉様に向かって随分な態度ね、と言えないのが今の私の辛いところだった。
「冷たいじゃない。フランも咲夜の作るケーキ、好きだったくせに」
「それはそうだけど。でも、だって仕方ないんじゃない?」
「それが冷たいっていうの」
「私はただ、自分が本当に欲しいものを知っているだけだよ。お姉様もそうだと思ってた」
「 ? 意味がわからない」
また溜息を吐かれた。可愛くないなぁ。
「だいたいさ、お姉様。月並みのことを言わせてもらうけど、いや、月並みに突っ掛からないでよ。お姉様には面白くない言葉かもしれないけど、そうじゃなくてね。お姉様は昨日もアイツの淹れた紅茶を残したでしょ。それって美味しくないから?違うよね?咲夜の淹れた紅茶じゃないからよね?これって良いことじゃないと思う。そういうのって、そういうのってさ、なんて言うか」
「不毛?」
「―――――馬鹿みたい」
「フラン!」
「本当のことじゃない!」
興奮して、私は思わずフランの方を向いた。その時の勢いでベットからは降りていた。思ったよりも近くにフランはいて、私たちはベットを挟んで向かい合っていた。正直なところ、私はなんでこんなにフランが怒っているのかわからない。私が元気がない方がフランの好き勝手できるわけだから、ここはむしろ喜ぶところじゃない?今なら私の分のおやつ食べたって怒らない。とりあえずそんなことはいいのって、気分だから。それに、フランが心配しなくても(心配なのかしら?)、来年の春くらいまでにはいろいろと吹っ切れるんだから、今ぐらいメランコリックを満喫してもいいじゃない。
「ほんとに、楽しかったんだもの」
「え?」
「本当に楽しかったから、これぐらいいいじゃない。咲夜だけじゃない。霊夢だっていたのよ、あの頃は」
「……………いまは」
「うん?」
「お姉様は、今は楽しくないの?」
「誰もそんなこと言ってない」
「言ったよ。やっぱりわかってないんだ」
「フラン?」
急に勢いを失い小さくなったフランの声に誘われるように、私は再びベットに上がると、反対側にいるフランへと近づいた。俯いた妹の顔を見ようと下から覗き込む。その途端、バネ仕掛けの人形みたいにフランは反応し、気づいたときは剣呑な感情に揺れる眼に見下ろされていた。人間なら全く見えない暗さだが、吸血鬼の私にははっきりとそれが怒りだとわかった。はっ、と変な声が出た。あんまりにも速い動きで、私はフランがこうも無駄なく俊敏に動けるとは知らなかった。
まっくらやみの中で、フランの羽だけが光っていた
――――――――馴染みの薄い、貧血感だった。
【だからまだ瞳を閉じていて】
覚醒を促された気がして、アリス・マーガトロイドは瞼を震わせた。そのことに即座に気がついた彼女は小さく柔らかい指を開きかけた瞼に這わせて、安心を与える声色を使って、子守歌を囁くように優しく言い聞かせてやるのだった。だめよ、と。
「ね、今はダメ。まだ眠ってて。瞼の外はつまらないことだらけだよ?」
つまらなくて、その上傷つくことばかりだよ。幼い子供の声は軽やかで親しげで、けれど眠る少女に抵抗を許さなかった。
渾身の力を入れようとして――――――――
「だめ」
その一言だけで、後もう少しで光を捉えていただろう瞳孔は、再び闇だけを映して静かになった。
「アリス・マーガトロイド」
白くやつれた首に手を宛がって、呼吸が緩やかに小さくなっていくのを確かめてから、もはや無意識を除いては指先一つ動かさなくなった少女に、それよりさらに幾分か幼い少女は語りかける。
「そう、それでいいの。あなたがそうしていれば、その間にきっと全部終わるんだから。終わらせてくれるよ。時間は有限だもの。素晴らしいことにね」
独り言だった。この場で発言できるものは、少女は自分の他に誰もいないと思っていたから。そう信じて疑わなかったから、緩慢に上下する胸に耳をぴたりと当てて、彼女は鼓動を相づち代わりに安らいだ気でいた。けれどそんな予想を裏切り、幼い彼女の言葉に声が返ってきた。
「可笑しなことね」
声は上から降ってきた。
本来なら何も無い空間から。
「最近、似たような言葉を聞いたわ。もちろん、貴女以外から」
ずるり、と。何もないところから抜け出てきたその人は、当たり前のような顔して、人形遣いが眠るカウチソファーの余った空間に腰掛けた。まるで自分こそがこの部屋の主だとでもいうように。堂々と、しかし優雅に。
「奇遇ね。これで会うのは2度目かしら『人形』遣いのお嬢さん」
「人形」の部分で、八雲紫はアリス・マーガトロイドに目をやった。いちいちが嫌みなのは彼女がそういう性格だからか、少女のことを良く思っていないからなのか。おそらく両方だろうと少女は判断した。
「3度目よ長寿なる賢者殿。いくら私が貴女にとって取るに足らない存在だとして、五指に収まる程度の邂逅は記憶に留めておいて欲しいものだわ。それに、私は人形遣いなんかじゃ、ない」
魔法使いではあるけれど。
「なんで来たの?」
「隙間で来たわ」
「そういうことじゃない」
「あら、こわくない顔ね。もっと小さな声で話さないと、起きてしまうのではないかしら?私はそれでも構わないけれど」
「私が邪魔だと言いたいの?幻想郷(ここ)には自分で招いておいて?」
「来たそうにしていたから見逃しただけですわ。幻想郷はそれ以外の場所より寛容なのです。ですが――――――――」
言葉が一端途切れ、驚くほど自然に一瞬の隙を突いて、少女のむき出しの首に閉じた扇子が触れていた。気がついたときには、当然のように八雲紫がすぐ近くにいた。
「ここは、優しくはないのです」
そして、笑みを深くする。
たかが和紙と竹で出来た代物なのに、肌から伝わるそれは刃を受けた時のものと酷似していた。唾さえ飲み込めず、少女は顔を強張らせて一切を静止する。なんとか視線に懇願を滲ませまいと、ただそれだけを懸命に己を律するだけだ。
「別に、そこの人形遣いだか魔法使いだかがどうなろうと、特に問題はないの。でもね、あまり貴女に勝手されると、私の仕事が増えるのよ」
竹製の骨が少女の肌に食い込む。
紫は相変わらず笑みを浮かべている。
すぐ傍で眠る彼女が、嫌いではないと言っていた笑い。あなたがどうであれ、と少女は心の中で語りかける。私は大嫌いよ。
ふと、少女は九代目の稗田が子の言を思い出した。
――――――――曰く、強い者は大抵笑顔である。
紫を見た。
なるほど、道理だ。
.
一族最後の生き残りとなってしまった少女は一体何を望んだのでしょうか。
そしてアリスはどうなってしまうのでしょうか。続きがとても気になります。
1~5まで何度か読み直してもわからないことばかり
アリスが何に心を痛めたのかとか、人形師の親娘のエピソードの意味とか、アリスの瞳を閉じた少女ってなにとか
答え合わせどころか、予想もむずかしい状態
やっぱり自分は物語を深読みするのに向いてないってことを再確認
続く物語を楽しみにしつつ
素直に解説のようなものを期待して待ってます
もしかしたら
それに、適当にあしらえる奴って嫌い「な」じゃない。
何だか騒がしい奴が着(来)た。
里をよくうろ(つ)いていたわ
冷たくて思い(重い)何かが胸を満たして、
これはあなた(の)為のものだと
かも