呪いのアイテム、というものがある。
よく耳にするのは誰かしらへの怨念をこめた藁人形だとか、どこぞの幕府に害を成す妖刀だとか、手に取った者の魂を乗っ取る魔女の宝石だとか、とにかくそれらのアイテムはたいてい所持する者やその周りの者に災禍をもたらすとして伝えられている。
そう言ったアイテム達は年月が経って忘れ去られたり、その呪いの効力が切れて人々の話に挙がらなくなったりなどで幻想入りすることが多々ある。
この香霖堂の縁側、僕の目の前に並んでいるのはそんなアイテムの山だ。他人に売りさばく訳にもいかず、倉庫で埃を被っていたものたちをたまにはと天日干ししたのが拙かったのだろうか。
少しばかり用を足しに離れた間に、そんな呪いのアイテムの中の一つ―――かつて千五百年以上も前に使われたという白の羽扇を右手に握って、射命丸文はこう言ったのだった。
「呪われてしまいました」
でれでれでれでれでれでれでれでれでーでん!こうめいのおうぎ はのろわれていた!とでも外の世界なら言ったところだろうか。
しかし残念なことに幻想郷の住民である僕には頭を抱えることしかできないのだった。
「……勝手に触れるからだよ。どうしてまた。というかいつの間に来たんだい」
「たまたま来たらちょっと格好いい扇があったので振ってみたいなぁと……来たのはちょうど二、三分前ですね」
やれやれ。年齢の割りに落ち着きがないと言うか、好奇心旺盛と言うか。もう少し慎みをもってもらいたいものだが。
「で、どうなんだい?手から離れないのかい?」
「そうですね、握ったままの形から手が動かないです。さてさて店主さん、せっかくの貴重な体験ですし色々とネタを貰っていきたいんですが。どういった呪いが?どんな品で?」
「わからないよ」
「……は?」
「いや、わからないよ」
「えーっと。つまり、さっぱりということですか?」
「うん、さっぱりだね」
そりゃさっぱりに決まっている。外のアイテムについての本なんてそうそう無いし、いくら僕だって呪われていると知っているアイテムに自分から触れたりしない。倉庫にしまう時だってマジックハンドを使ったくらいだ。
物の用途と名前がわかるからと言って、その物にまつわる呪いの内容まではわからないしなぁ。
「さてさて、せっかくの貴重な機会だから色々と呪いの効能を聞かせてもらおうかな。どういった変化が?どんな感じだい?」
「すこぶる気分が悪くなりましたね、せっかくの休日をこんなことで使わされるなんて」
「それは勝手に触った君が悪いんだろう」
「まぁ、それはそうなんですけれどね……うーん、気分とかは特に。今のところ体調には問題無さそうですが」
「能力制限とかは?それとも不運のアイテム系かな」
どうでしょうね、と彼女は呟いて軽く扇を振るった。
刹那、巻き起こった突風が目の前の木々を大きく揺らす。
「風を起こすのも問題ない感じですね」
「いや、どうだろうね」
「……?どういうことですか?」
「もう一度、今度はさっきと逆……そうそう、南を向いてやってみてくれるかな」
さっきは文が北を向いて扇を振るった。しかし、風は微妙にだが北西方向に吹いていたように思う。
つまり、この扇の出自を考えれば―――
「行きますよ、そーれ……っえぇぇぇぇぇぇぇ!?」
南を向いて扇を振ったはずの文は、扇の方向とちょうど真逆―――すなわち自身の方向へと逆流してきた風に吹き飛ばされていった。僕の考え通りのようだ。
この扇のかつての持ち主が起こしたと伝わる風は東南からの風。
彼自身の能力が扇に付随したのか、はたまた元々扇がそういった能力を持つ霊的なアイテムだったのかはわからないが、この扇は手にした者に東南の風を起こす能力を付与する、というわけだ。
ただしそれがメリットになるのは普通の人間だけであって、自分で風を起こせる天狗にしてみれば能力付与どころか能力の限定になってしまうと言える。
「と、この辺りが僕の推論だが」
「そういうことは先に言ってからにしてほしかったものですがね」
ひっくり返ったままで文が言う。
それじゃダメだろう。鬱憤が晴らせないじゃないか、大切なアイテムに手を出された上これからの解呪にまつわる騒ぎに巻き込まれるであろう僕としては。
地面にひっくり返ったその姿を見れば少しは気分も晴れるというものだ。うん、眼福眼福。
「……仕方ないですね。博麗神社で浄化でもしてもらってきます」
文は砂だらけになった自身の服を掃いながらそう言った。
だがしかしそれは無理だ。少し考えればわかることなんだが。
「いや、あれ?ちょっと待ってくださいよ」
「ん、どうしたんだい?」
「これだけのアイテムの山、店主さんがまさか放置しておくわけもないですよね。アイテムマニアとして」
「そりゃ歴史的にも長く伝わる一品、それも呪われているとあって今まで誰一人手にしてこなかった曰く付のものばかりだからね」
「ということは、霊夢さんにもとっくに……」
どうやら文も気付いたようだ。
僕としても呪いのせいでこれらのアイテムに手が出せないのは惜しい。そう思って霊夢には既に頼んだことがある。
一部の物に関しては解呪してもらった。それらは無事に香霖堂の店頭に僕の自慢の品として並んでいる。
だがここに今残っている物に関しては、霊夢の答えは非常にシンプルだった。
「無理、だそうだよ。ここにあるものは全て年月が経ちすぎていて、呪いが強固にこびり付いてしまってるそうだ」
他にも例えば紅魔館の図書館で調べたり、山の上の神だったりに聞いたりしたこともある。
だが、彼女達の答えもやはり僕が望むものではなかった。万能な解呪法ではこれだけの強い呪いを祓うことはできない。
「ただし、万能でない方法ならばなんとかなる可能性がある。例えば個人を対象とした呪いなら、その個人に不幸が訪れたり亡くなったりすればそこで呪いは終わるだろう」
「つまり個々の呪いの背景がわかれば解呪法を探すこともできる、ということですね」
「……ずいぶんと頭の回転が速いね、今日は。もう少し慌ててもよさそうなものだが」
「ん、そういえばそうですね……なんというか、頭がスッキリしているというかそんな感じです」
ふむ。ということはそれも含めて扇の効果かもしれないな。風を起こせるようになり、頭の回転が早くもなる。
こうして見ると利点ばかりのようだが、そこは呪いのアイテムだ。なんらかの大きなデメリットがあるはず。
「私にとっては風が一部しか起こせないってだけで大きなデメリットなんですけれどねぇ」
「まぁ確かにね。でもまぁ、運がよかったかもしれないよ君は」
「この状況が運がいいと?」
「この扇に関してはだいたいの出自もわかってるからね、背景を解決すればなんとかなるかもしれない」
「おぉ!さぁさ店主さん、もったいぶらずにその解決法とは!」
身を乗り出して聞いた文に、僕ははっきりと答えた。
「妖怪の山を制圧しよう」
突っ込みを入れようと扇を振った文は再び北西に吹き飛ばされていった。
「僕は天丼系のネタはあまり好きじゃないんだが」
「……自分の間抜けさに私自身呆れているのでその発言はスルーしましょう。それより説明をお願いしますよ。一体何をたわけたことを言っているのか」
「ふむ、いいだろう。この羽扇はかつて諸葛亮孔明が使用していたと言われる一品でね……」
諸葛亮といえば千八百年も前、三国時代に主君である劉備と共に戦った蜀の丞相。
彼がどのような人物だったのかは多くの者が知るところだろうし割愛するとして、その代わりに彼の人生を一言で表すとしたら―――大国、魏に対する反抗の人生だったというところだろう。
彼の家族が元々住んでいたのは徐州というところであり、その場所は魏国の祖となった曹操がかつて父の仇討ちのため大虐殺を行ったところだった。彼と彼の家族は虐殺は免れたものの、結果としてその地を離れることとなった。
幼い諸葛亮は死体の山を見て何を思ったろうか。そんな幼い頃から彼の曹家に対する因縁は始まっていた。そうして年月が経ち、彼は各地を流れ続けていた劉備の幕営へと参加し、彼の数十年の反乱が始まった。
「しかして彼の思いは果たされることなく終わってしまう。その結果、その悔恨の念がこの扇に宿ったのではないだろうか」
「……ということはつまり、魏を打ち倒せ、と」
「そりゃまぁベストはそうだろうが、流石にもうとっくに消えてしまっている王朝だからね。どうしようもない」
「そうですよねぇ……あれ、でもそれなら魏が無くなった時点で呪いも消えているはずでは?」
それは僕も一度ならずとも考えたことがある。それなりの説得力もあるし、実際そうなっていてもおかしくはないはずだった。
だが、少し考えて僕は気付いた。晩年の諸葛亮が戦っていたのは魏の武将司馬懿であり、その司馬懿の家系は後に魏を滅ぼし、晋を建国した。
他ならぬ自分の宿願を散々阻み続けてきた敵が、その宿願―――魏の打倒を果たしてしまったということになる。
そりゃあなんともやりきれないような気持ちで恨みも一層つのるというものだ。
「なんにせよ、この呪いは未だに続いている。だが魏も晋もとうに滅んだ王朝だ。ならどうすればいい?」
「そこで見立て……ということですか」
そういうことだ。話が早いとやはり助かる。
元々呪いやそれに類する儀式には見立てを使うことがよくある。人間の血に見立てた鶏の血を捧げたりすることはよくあるし、藁人形の釘打ちなんかは憎い相手を藁人形に見立てるのだからまさにそのものだ。
ならばこの呪いを解くためにも見立てを使うとして、滅ぼすべき三国時代の魏とその後の晋と言えば三国の中で最も社会性に富み、そして繁栄していた国。
この幻想郷において例えるとしたらやはり妖怪の山だろう。紅魔館や永遠亭は一戸の家としての意識が強すぎる。
その点妖怪の山はどちらかと言えば集落、もっと言ってしまえば国に近いものがある。
集団を御するある程度のルール―――つまり法によって治まっており、大天狗や天魔を始めとする指導者を頂点としたヒエラルキーがあり、天狗達による国防力も備えている。
この幻想郷全体を漢の国だとすれば、その中で妖怪の山は魏。
呉は……慧音の里あたりだろうか。指導者がそれほど大きな力を持たず、地方の豪族―――この場合は里の有力者が権力を有している辺りはよく似ている。
蜀は地底か。他の国々と地形によって大きく離れており、またかつて流刑地であったところなんかはそのままだ。
「と、そんな感じでどうかと思うんだが」
「いやいや、でも妖怪の山を魏に見立てたからと言ってそんな簡単に呪いが解けるものですかね?」
「完全に解けることはないかもしれないね。これはあくまで代償行為だし。けれども、それによって多少でも呪いが薄まれば……」
「霊夢さんが解呪できる、ということですか」
「そういうことだね。運がよければその場で、ダメでもその後で解呪できるだろう」
とは言っても妖怪の山といえば文自身が属する勢力だ。流石にどうしようもないだろう。
そう思って文を見やると、彼女は真剣な顔でなにやら考え込んでいた。
「……一応、なんとか方法があるといえばあります」
方法はある、か。
自勢力を制圧するだなんて下手をすればクーデターだ。そんな方法が本当にあるのだろうか。
「鞍馬寺の伝承をご存知で?」
「源義経が武芸を教わったという話の?」
「そう、そこです。天狗の面を被った男に武芸を教わった、という話ですが、あれは実際に天狗が教えていたんです」
ふむ、それは興味深い。しかし一体どうしてまた名も知らない子供に武芸を教えようとしたのか。
「そこが肝でして。義経は非力な少年でしたが、誰よりも強くなろうという意志があり、心がありました。それ故に天狗は少年に修行をつけたのです。そこからもわかるように、天狗は強い者―――もちろん肉体だけでなく、心の強い者を尊敬します。妖怪の山に鬼が住み着いているのも、新しく訪れた神をやがて歓迎したのも、そのためです」
「それがどう繋がるんだい?」
「まぁまぁ慌てないでください。だからこそ、天狗は自分達にも強くあることを課しました。そのための行事に、天狗越えというものがあります」
天狗越え、か。外にあるという天狗山なる山を踏破することをそう呼ぶことがあるらしいが、妖怪としての天狗の行事か。長く生きる僕も聞いたことがない。
まぁ、名前と話の流れから行けば……
「つまり、自分達の山に挑戦して強さを証明するような行事か」
「ということですね。山に住む全天狗のうち半数が守る山の頂上に辿りつけば見事勝ち名乗りです。それを利用すれば、山に攻め入る理由ができます」
「なるほど。頑張ってくれ」
「そうですね、頑張りましょうね」
そう言って彼女は僕の横にどっかりと座り、満面の笑顔で僕の肩を抱いた。完全に巻き込む気だ。
「僕は参加する気は―――
「天狗のアイテム。賞品なんですよね」
―――少し考えさせてくれ」
山の神とも妖怪とも伝わる天狗の一族に代々受け継がれてきた秘具。もちろん興味が無いわけはない。むしろ欲しい。
……だが。
「いや、そんな手には乗らないよ。天狗の行事に天狗のアイテムを賞品に出してどうするんだい?彼等にしてみればそんな日用品、誰一人欲しがらないだろう」
こんな子供のつきそうな嘘で僕を担ごうとしたって無駄だ。いくらなんでもそのくらいはお見通しだ。
「まぁ、参加者が天狗だけだったらそうでしょうね。ただこの天狗越え、パートナーを連れて行けるんですよ。それはもちろん人間でも妖怪でも」
「僕は非力な一般人だよ」
「魔法アイテムや御札があるじゃないですか。盛大に使ったとしても天狗のアイテム、さらに呪いの解けた扇のことを考えれば収支はプラスでしょう」
確かにそうかもしれない。そうかもしれないのだがどこかひっかかるものがある。
……そうだ。相手はあの射命丸文。こんな一方的に有利な条件を出すわけがない。ひっかかっていたのはそこだ。
「何か裏があるんだろう。君にメリットが無さ過ぎる」
「随分疑いますね。それはもちろんこちらにもメリットはありますよ。攻略できれば位が一気に上がりますし。霊夢さんが山に来た時のように使いっ走りに行くことも無くなりますね」
「他には?」
「……やっぱり店主さんには嘘は通じませんね。いや、実はもうすぐ秋の新聞大会がありまして」
あぁなるほど、そういうことか。他の天狗が迎撃側からの記事しか書けない中、一人襲撃側からの記事―――というより襲撃者本人の手記を載せられればインパクトは絶大だろう。
これなら信じてもよさそうか。
「いいだろう。その代わりアイテムの方は」
「えぇ、私は必要ないですから。パートナーに差し上げますよ」
よし、契約成立だ。
「しかしどうするんだい?君は東南の風しか吹かせられないだろう?」
「そうですね、まず東南方向から開始するのは確実です。ただ、そのまままっすぐ北西の山へ向かうのではなく、西に攻めましょう」
「ちょっと待ってくれ。考える」
東南からまっすぐ攻めた場合、風は北西へ向かうわけだから……そうか。吹き飛ばした敵は山に飛ばされるだけで、どんどん進路上に溜まっていくだけだ。きりが無い。
東南から西へ―――つまり、山の南西方面へ時計回りに回って行けば、敵を全て山の北西へ飛ばしながら登っていくことが出来る。まっすぐ北西に敵を飛ばしながら、こちらは九時の方向辺りで今度は真東に向かって山を登るというわけだ。
直接西からスタートすると南から来る敵を吹き飛ばせないし、一旦回っていくのが確かに正解か。
「と、いうことは僕の役割は背後に回った敵かな」
「そうですね、私は自分の後ろには風を吹かせられませんから。そちらは任せます」
「わかった。しかし問題が一つあるんだが……」
「その後の言葉を当てて見せましょうか?『ところでどうやって移動するんだい?』」
「大正解だよ。歩いていくのでは時間がかかりすぎるだろう?」
「簡単なことですよ」
「……まさか」
いやいや、そんなまさかだ。彼女だって一人の少女だ。そんな気恥ずかしいことはしないだろう。
「私が抱いていけばいいじゃないですか」
そんなことはなかった。
かくして当日。僕は射命丸文に抱かれて空を漂っている。
彼女の片腕は僕の胸に回され、そして扇を持つもう片腕の代わりとしてロープと木材で互いを固定している。
しかし、これは、あれだ。うん。
……酔う。
「揺れすぎだ。すまないがもうちょっと安定して飛んでくれ」
「もう、文句の多い人ですねぇ。こっちとしてもこんなこと不慣れですし、飛ぶだけでも結構難しいんですよ」
ただでさえ風のサポートが受けれないのに、と彼女はブツブツと呟いたが、僕の言葉を考慮してくれたのかその後の飛行は随分と楽になった。
目指す目的地、妖怪の山まではあと五里ほど。二里からが防衛ラインだそうだから、今のうちにこの飛行にも慣れておかなければならないだろう。
「少しスピード上げますが大丈夫ですか?」
「……お手柔らかに頼むよ」
「わかりました。と言っても、こんな状態じゃそれほどスピードは出せませんけれどね。大変残念なことに」
そう言って彼女はゆっくりと速度を上げていった。顔を打つ風がさらに強くなる。
だが、離陸した時のような急加速や上下移動さえ無ければ割となんとかなるものだ。いつの間にか僕は周りの景色を楽しむ余裕すらできていた。
「君達はいつもこんな風景を見ているのか。なんというか、少しばかり嫉妬するよ」
真っ青な空の下。正面を見れば、だんだんと秋の様相を示してきた山々が地平線上に並び、下を見ればいつも目にする家々が米粒のように小さくなっており、横を見ればスキマから八雲紫が物凄い目で睨んでいる。
……やっぱり僕を睨んでいるんだろうか。いやここは空だ。僕しかいない。何か彼女の気にすることでもしただろうか。最近ではそんな覚えは……あぁ、外から来た呪いのアイテムの管理不足ということか。確かにあれは僕のミスだ。触れたのが一般人だったら大問題だったろう。申し訳ない。
未だ睨み続ける彼女に僕はペコリと頭を下げた。
その瞬間、彼女はしおれた青菜のようにどんよりして、しばらくしてスキマの奥へと消えてしまった。……一体なんだったのだろう。
「えーと、店主さん?そろそろ着きますけれど」
「ん、あぁ。大丈夫。準備はできてるよ」
文の言葉に前方を注視すると、遠い彼方だった妖怪の山は気付けば目の前に来ていた。
目の前の防衛ライン周辺を飛んでいるのは敵である天狗達。ざっと見ただけでも……百近くいるんじゃないだろうか。
彼等は僕達がどこから来るかは知らされていない。ということは、ここに百近くいるということは、山の四方八方に百人ずつ配置されているということだ。
つまり―――敵は千近く?
「よし帰ろうか。いいデートだったね」
「何言ってるんですか、これからが本番ですよ」
「諸葛亮曰く『山頂へは絶対に登ってはいけません』と伝えられているじゃないか」
「実際はその後にこう付け加えたそうですよ。『登るなよ。おい絶対だぞ、絶対だからな!絶対登るなよ!』」
「ダチョウかよ!」
そりゃ馬謖だって登る。むしろ登らない方が命令違反にしか思えない。
「さて、それでは一旦ストップと」
そうしてひしめき合う天狗達の前、二十メートル程のところで文は停止した。
この距離からだと相手の動向がつぶさに観察できる。
武器を取り出す者やこちらを一心に見つめる者もいれば、後方へと駆け出していく者もいる。
あれは伝令だろうか。いやちょっと待て。
「待っていても敵が集まってくるだけじゃないか。早く行こう」
「いえいえ、見ればわかるじゃないですか。敵は散っていってますよ?」
「いや、あれはどう見ても伝令―――ん、おかしいな」
考えてみれば、敵の場所を教えるだけなら伝令など出さなくてもいい。
ただ空に向かって弾幕を撃つなりすれば、それだけで全体に知らせることができるはずだ。
「気付いたみたいですね。実はここにひしめいているのはほとんどが哨戒天狗、大した力を持ってはいません。彼等はあくまでこちらの出現位置を探るために配置されているだけですから、いざ戦闘となったら足手まといにならないよう撤退を命じられています」
「一口に天狗とは言っても、強いのから弱いのまで色々いるということか」
「ですね。それでも彼等とて妖怪の山の一端を担う者、風一つ起こすだけで人間を吹き飛ばすくらいならわけはないですよ」
「充分強いじゃないか。別に撤退しなくてもよさそうだが」
「いえいえ、そういうわけにもいかないでしょう」
彼女はそう言って、口の端をニヤリと上げた。
「だって、ここにいるのは射命丸文なんですよ?」
その瞬間急激な加速が体を襲い、視界がぼやける。
体を丸ごと持っていく強烈な力に、内臓のいくつかが置いていかれたかのような悲鳴を上げた。
そんな中でぼやけた視界の片隅からもう片隅へと、文の右腕が横なぎに振るわれるのがかすかに見て取れた。
そして同時に今までかかっていた加速が一気に解かれ、軋みを上げる内臓も、霞んだ視界も元に戻り始める。
「と、いうわけで先陣突破ですね」
視界が完全に戻った時、気付けば僕達は先程まで天狗達が飛んでいた地点を浮遊していた。
かすかに見えたあの右腕の扇が全て吹き飛ばしたのだろう、元いた天狗達はどこにも見えない。大したものだ。
しかし、こうやって北西方面へと吹き飛ばしていくだけではやがて戻ってこないだろうか。そりゃまぁ進行方向に吹き飛ばすよりは何千倍もいいのは間違いないが……
「飛ばすだけじゃいずれ戻ってこないかい?」
「んー、そう思ってたんですが。見たところどうやら博麗大結界の辺りまで飛んでますね」
「……おいおい、ちょっとやりすぎだろう」
先程の加速を思い出す。たかだか二十メートルの急発進であれだけの負担がかかったのだ。普段から加速に慣れている天狗とはいえ、あの一瞬で博麗大結界まで飛ばされたとなれば一体どれ程の苦痛が伴っただろうか。
「思ったより、というより信じられないほど強い風が出てしまいました。他方向へ風が出せなくなった分、力が集中してるんでしょうかね」
「なんにせよ相手はしばらくは復帰できなさそうだね。今のうちに進もう。戦闘向きの天狗も集まってきてしまうだろうし」
「ですね。それじゃ行きましょうか」
あぁ、その前に。
「ちょっと待ってくれ」
「何かありましたか?」
「……急加速する時は一声だけでもいいからかけるようしてくれ」
流石の僕も空中で少女に抱きかかえられたまま嘔吐するような汚点は残したく無い。
「はいはい、わかりましたよ。これでもかなり抑え気味なんですけどね」
気の無い返事を一つして、文は再びゆっくりと進み始めた。さっきので抑え気味となると魔理沙が文に勝つにはまだまだかかりそうだ。
そんな文にしては今はなんともゆったりとしたペースだが、こうしてゆっくりと進むことでこちらがもっと先にいると予想して進行方向―――つまり北西方面を捜索している敵を前方に捉えられる。今一番まずいのは後方を取られることであり、それを考えればこの作戦は正解のはずだ。
幻想郷一のスピードを自称する射命丸文がこんなところで安全運転しているとは夢にも思わないでしょうし、とは開始前に彼女が語ったことだ。
事実、僕等はそこから十分ほど敵と遭遇することはなかった。それから最初に出会った相手も、こちらを見失ったため再度探索に来た哨戒天狗だった。
天狗は北西へと飛ぶように―――いや実際に飛んでいるか。北西へと飛んでいき、一分後には戦闘天狗の一個中隊を連れて戻って来た。
そしてその三秒後には再度北西へと吹き飛ばされていった。先程の哨戒天狗一体だけを残して。
「それじゃまたね」
文は若い天狗にそう声をかけると、続いて僕にも語りかけた。
「じゃ、飛ばしますよ」
「……オーケーだ」
返事が届いたや否や、彼女は爆発的な加速を見せた。
こうして彼女と一緒に移動している僕には一瞬で過ぎ去る風景はもはや完全に混じり合ってしまい、森の緑と地面の茶色とをパレットの上でぐちゃぐちゃにしたような色にしか見えない。
一人残された哨戒天狗にしてみれば、文が声をかけるなり一瞬で消え去ったようにしか見えなかったろう。
となればどうするか。それはもちろん報告に行くしかないだろう。射命丸文は一瞬で消え、猛スピードで山へ向かっています、と。
しかして実際の僕等はこうしてまたしても十分ほど安全運転をしているわけだ。地面スレスレを。
「まだまだ甘いですね、あの子も」
「いやいや、普通は読めないだろう。流石にこれはしかたない」
「ですよねー」
「そうですね。この射命丸文の思考を読もうと思ったらまだまだ年月が必要ですね」
「最低二百年は要りますねー」
うんうん、と頷きながら隣を飛ぶ白狼天狗は言うのだった。
「……椛ィッ!?」
「いやいや、二百年かかりましたよ本当に。でもこうして今、文様を読み切ってここにいられるんだから二百年なんて安いものですね」
「あなた、何故?」
「文様が本気で天狗越えするんだったらパートナーなんて必要ないでしょうからね。なんらかの事情があったと見て当然です」
「なるほど。それは至極もっともだね」
「私が聞きたいのはその先ですよ、椛」
自分より年齢も位も力もはるか下の者に思考を読まれたからか、文の声色は少しばかりイラついているようだった。
「初戦以降の進行速度から言って、とにかく文様が戦いを避けようとしているのは間違いない。となれば何故?それは能力に制限があるから、といったところでしょう」
「能力が使えないように見せるブラフかもしれませんね。その辺りも警戒した方がいいですよ」
「それはありませんね。何故って文様がブラフを使う意味がない。片手で潰せるアリに対してブラフを用いる者などいませんから」
対峙する相手は自信に満ち溢れた姿をしている。
なるほど。これは完全に見切られているようだ。
「つまり君は、文が東南の風しか使えないことも見切っているということか」
「ちょっと店主さん!」
「いや、これは間違いないよ。この位置を読まれている以上は」
「……!確かにそうですね」
例え進行速度が遅い理由に気が付いても、進行方向に気付かなければこの位置は読めないはずだ。
初戦から西に向かい、二戦目以降は北西。今現在の位置はスタート位置の六時方向に対して七時方向。
普通に考えたら、僕等は初戦の後で六時方向からまっすぐ北へ向かうと考えるはずだ。もしくは二戦目の後には七時方向からまっすぐ北東へ。
しかし、今僕等は二戦目の後もさらに北西へ向かっている。だというのにこの位置を読まれたということは、完全にこちらの挙動を掌握しているということだ。
「黄燐道さんでしたっけ?流石の大正解です。本来なら四方八方へ吹き荒れるはずの文様の荒ぶる風が北西一方面にだけ吹いていきましたからすぐ気付きました」
「ありがとう。だが黄燐堂でなく香霖堂だ」
「あぁ、失礼しました光陰堂さん」
「香、霖、堂、だ」
「おっと、再三失礼しました。ショーウィンドウさん」
プッ、と文が噴き出す。確かにうちには非売品の類もたくさんある。というか実際の商品より多い。
店頭に並んでいるだけで、売る気もないそれらの商品は魔理沙にも『欲しいものばかりなのに売ってくれないなんて、したくもないウィンドウショッピングをさせられてる気分だぜ』と言われたことがある。
それを知る文にしてみれば痛烈な皮肉に聞こえたのだろう。後で覚えていろ。
「……僕の怒りを煽ったってなんともならないよ。見ての通り馬が手綱を握って自分で走ってるんだからね。僕は勘助君じゃなくてチュウ兵衛親分さ」
「それは残念です。じたばた暴れて文様の邪魔をしてくれればめっけものだったんですけれど。とにかく、文様は東南の風しか吹かすことができない。それ故に戦闘を避け、それ故に足手まといと知りつつも後方への火力をパートナーとして連れてきた、と」
「流石の大正解、大したものだな、楓君」
「椛です」
「僕は君が何故鬼じゃなくて天狗なのか理解できないよ。あと髪型はショートボブ、髪の毛は黒に染めたほうがいい」
「文様、この人大丈夫ですか?脳がシェイクされすぎてやばいことになってませんか?」
「人には散々言うくせに自分のこととなるとこうだ。文、仲間を呼ばれる前にやってしまおう」
「わかっていますよ。ここにいるということは素直に通すつもりもないようですからね」
「それはもちろんです。天狗越えの挑戦者は見事頂上を制覇すれば名誉と位が与えられる。同様に挑戦者を倒した者もまた名声と位を手に入れる。こんな絶好のチャンス、逃しはしません」
椛のその言葉に文は扇を斜に構えた。
対する椛は棒立ち、いや棒飛びのままで、構えを取ることもなく立ち尽くしている。
「……さてここで唐突に文様に質問ですが……」
「なんでしょう?末期の言葉ならいくらでもどうぞ」
「私は一介の白狼天狗、戦闘能力にそれほど優れるわけでもない哨戒天狗なわけで」
「そうですね、だからここで今から倒れるわけですが」
「そんな私。たった一人で待ち伏せるとお思いですか?」
瞬間、椛が右手を掲げた。
それを見た文は瞬時に風を振るう。目の前の椛でなく、左右の茂みに向かって。
茂みからは何人か伏せていた天狗達が吹き飛ばされていったが、いくつかの者は既に読んでいたのか、大木に縄を結んで耐えていた。
文の起こした風が治まるなり、彼等は自らの扇をこちらへ振るった。
「店主さん!」
文は再度扇を振り、相手からの風を相殺している。ざっと数えて天狗十人相手に一人で打ち合えるのだから、流石と言う他ない。
だがしかしこのままでは埒が明かない。彼女の言うようにここは僕の出番だ。
いくつかの魔力符、五行の力が込められたそれを袖から取り出す。土と火は使えないから置いてきた。
土は単純に空での戦いに向かないことから。火は風に巻かれて消えてしまうだろうし、万が一こちらに吹き返されたら大変だからだ。
僕が選んだのは木符、植物や植物を揺らす風を操る属性だ。文の力にこれを加えれば、相殺しているこの状況を一転させることができるだろう。
「食らえ!パチュリーに頼んだ三百円の木符!」
とっておきの三枚をばらまくと、四方に気持ちのいいそよ風が吹いた。
「……真面目にやってください」
「ならば五百円の木符!出血大サービスで五枚だ!!」
赤字覚悟の五枚を投げつけると、洗濯物が飛んでしまうかな、と主婦が心配するくらいの風が吹いた。
「とっておきの五百円が効かないとは……!」
「店主さん!」
「仕方ないだろう、商人はいつだって出費を抑えたがるものなんだ!」
札を作ってもらうまでにも色々とゴマすりやらプレゼントやらで金を使う羽目になったというのに、ここでさらに出費は相当痛い。
痛いがこうなったら仕方ない。もうやるしかない。天狗の宝を手に入れればなんとかなる!
「ッ千円だぁーーッ!」
涙を呑んで五枚の札を放り投げる。
それが文の風に触れて弾けた瞬間、緑色をした弾幕の雨が四方を襲った。
風に舞う落ち葉のようにヒラリヒラリと弾が舞う。それはどう見てもシルフィホルン上級だった。
五枚セットで新渡戸一枚になるからってこの札だけ力を入れ過ぎだ!
巻き起こった弾幕の渦に天狗達は咄嗟の回避運動を起こしたが、結局は避け切れない者から順に風に飲み込まれていくだけだった。
「店主さんナーイス!」
そう言って文はみたび扇を大きく振るった。
数が減った今、相手にはそれを相殺できるだけの人数を揃えることができない。
瞬間的に四人の天狗が吹き飛ばされ、風の止んだ今残っているのは僕と文だけだった。
「……と、お思いですか?」
背中を襲ったゾクリ、という感触に僕は振り返った。
そこにいるのは、一人の白狼天狗。
「たいていの弾幕の欠点は術者の周囲。特に札のように自身から離して使うものでは顕著です」
「改めて言うよ。大したものだ、椛君」
「ありがとうございます、香霖堂さん」
勝利者の余裕か、それとも僕が彼女の名をちゃんと呼んだのを敗北宣言と取ったか、彼女はにこやかに微笑んで言った。
「確かに大したものですね、椛。ここまでできるようになっていたとは気付きませんでした」
「文様もありがとうございます。いくら文様のスピードとはいえ、この距離なら―――」
「あなたの弾幕でも充分でしょうね。それに急発進して店主さんの喉笛をあなたの剣が掻っ切るのは、あまり見たい映像じゃありませんし」
気付けば僕の喉を横一直線に凪ぐように剣が構えられていた。ちょうど人質を取った強盗がナイフを当てるかのような。
「……いやはや、まったく。彼女こそが僕達に取っての司馬懿だったというわけだ」
「さてさて、それはどうでしょうね、店主さん」
「この状況でまだ手があるというのかい?」
「今度こそブラフですか?文様は動けない。弾幕は展開できない。私は後は時間切れ―――日没を待つだけでいい。何を言っても聞かなければいいだけです」
椛の言うとおりだ。正直言ってこの状況を打破する手は無い。
少なくとも僕には考え付かない。
「これじゃ諸葛亮でなく関羽の立場というところだ。自陣には兵はいない、状況を変える計略もない、士気はない、救援は来ない。あとは座して死を待つばかりだ」
「あややや、店主さんは悲観的ですねぇ。でも今言った中で一つだけ間違ったところがありますよ」
ふむ、何かあっただろうか。確かに文自身には士気はあるようだが、座して待つばかりなのは間違いないはずだ。
いくら考えてもわからないので結局文に尋ねようとした、その瞬間。
「救援は来ますよ」
山の方から超大な爆発音が響いた。
僕と椛の視線が一点に集まる。文は前を向いたままだ。
遠い空の向こう、山の上を飛んでいるのは―――霊夢に魔理沙。
二人の右手が閃いたかと思えば、周囲の天狗達がなすすべもなく吹き飛ばされていく。
思わぬ展開に、椛は言葉も発さず呆けている。そりゃあそうだろう。立身出世の計画が全ておじゃんになったのだから。
そう言う僕もおそらくは同様の顔をしていることだろう。まさか、と言う他ない展開だ。
そう。まさかこの僕が謀られるとは。
「……まさかパートナーは一人じゃなくてもよかったとはね」
「一人、だなんて言ってませんしね。お宝もパートナーに差し上げます、としか言ってませんよ」
「そんなことはわかっているよ。今は僕の間抜けさを呪っているところさ」
関羽の末期どころの騒ぎじゃない。あの霊夢に魔理沙が組んだとあっては蜀軍オールスターvs農民くらいの力量差だ。
魔理沙が僕より先に頂上に着いたらお宝の類は全て持っていかれているだろう。
霊夢が僕より先に頂上に着いたら酒や食料は全て持っていかれているだろう。つまり。
「大赤字だ……」
今回使った御札が十三枚、三百円三枚に五百円と千円が五枚ずつで八千四百円。
作ってもらうためのご機嫌取りに買った土産のクッキーに茶葉が五千円。
地底の本を貰って来るようお使いに行かされた際に使った費用諸々六千円。
地底で頼まれた、雨乞いの腕輪を返してもらってこいなどというイベントの末に買ったアイスソードが三万円。
合計すれば五万近い。五万と言ったら香霖堂の売り上げにするとほぼ一ヶ月分だ。元手はタダだから五万は一ヶ月の純益なのだ。
「今日一日で僕の一ヶ月の努力をパーにしてくれるとはね……まずは訳を聞かせてもらおうか」
「訳も何も、まず店主さんは御自分の胸に手を当てて考えてみることです」
と言われても何が何だかわからない。呪われたのは僕のせいじゃない。責任の一端は担っているが、これほどの仕打ちを受けるまでの責任はないはずだ。
となれば、それ以前あるいは今日の道中のことのはずだが―――それもまったく覚えが無い。
「あの日私のパンツを見たじゃないですか!」
……ちょっと待て。
「そんな根も葉もないようなことを大声で言うのはやめて頂きたいんだが」
「わざわざ私がスッ転ぶように風を吹かせておいて、今更それですか?」
「……もしかして南に向かって風を吹かせたときのことかい?」
だったら言いがかりもいいところだ。確かに僕は文が転ぶように仕向けた。
そして僕はスッ転んだ文の顔を見て鬱憤を晴らしはしたが、その際もわざわざ女性の下着を見ないように視線を逸らしていたのだ。
「だから僕は無実だよ。椛が放心しているうちに早く行こう」
「それはそれでむかつくので駄目です」
「……パードゥン?」
「この私の!『鉄壁』などと呼ばれ決してスカートの下を覗かせないこの私の下着が露になっているというのに見ないですって?それはそれでプライドが傷つくんですよ!」
「無茶苦茶だ!僕は好みの女性の下着しか見ないんだよ!君みたいなちんちくりんには基本的に用はないんだ!わかったら早く行くんだ!」
「えぇい黙りなさい!乙女のプライドを踏みにじった代金は高いんです!」
駄目だ。完全に意固地になっている。かといってここで僕が「実は文ちゃんのパンツ見てました!とっても可愛かったです!大興奮しました!」などと叫んでも彼女はおさまらないだろう。
まったく、うまくいかないものだ。僕も、後ろで呆然としている椛も。これもまた、諸葛亮の―――
「……そういうことか」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ。うん。気にしないでくれ」
この間は考えてもわからなかったあの扇のデメリット、それが僕が今思いついた通りのものなら。僕も椛も少し考えればわかるはずの別働隊の存在に気がつかなかったのも頷けるというものだ。
もしもそうであるならば、まだ僕にもチャンスはあるということだ。
「なぁ、文。一つ提案があるんだが」
「来ましたね。店主さんのことだからまだまだ諦めていないとは思ってましたが」
「いや、別にそういうことじゃないんだが。ただ、流石にこうして刃物をもった相手に背後を取られているのはいささか厳しいものがあってね。君だって霊夢達がゴールし次第頂上へ向かうんだろう?椛がこうしているうちに離れた方がいいんじゃないか。というか離れさせてほしい」
ふむ、と彼女はしばし考えて、その提案自体には特に問題ないことを認識したのか、ゆっくりと椛から離れ始めた。
なんとか気付かれてはいないか。いや、気付いていたとしても今更こちらだけ止めても仕方が無いし、もはや椛はこうする他ないか。
スッ、と文の右手が椛の剣を押し退ける。これで僕達を邪魔する者はもういない。
文は小さくジャンプし、そして僕等はそのまま木々の間へと消えていった。さらば椛。もうちょっとばかり下働きで頑張ってくれ。
そうして三十分ほどが過ぎただろうか。
固定具を外して木の幹に腰掛け、僕達二人は休息を取っていた。
「そろそろ着いた頃でしょうね」
「だろうね、音が聞こえない」
山からの弾幕音はもう聞こえてこない。もう終わってしまったのだろう。
「私達は劉備でも関羽でも諸葛亮でもなく、言うならば項羽だった、てところですかね」
項羽といえば漢を打ち立てた劉邦、つまり劉備の先祖のライバルだった男だ。
二人で競い合って一つの領地を取りにかかり、先に都を落とした方がその地を手にするという逸話も確かに似ている。
「つまり関中一番乗りは劉邦―――霊夢達の手柄になったということかい?でも結局劉邦に与えられたのは関中でなく田舎の漢中だよ」
「しかし結果的には関中を手にした項羽はその後劉邦に滅ぼされるわけですが」
「だとしたら項羽に寄り添う君が虞美人ということかい?ゾッとしないね」
それにまだわからない。場合によってはこちらが劉邦になることだってありうるのだ。
「さて、無駄口もこれくらいにしてそろそろ行きましょうか。日が暮れても困りますし」
そう言って文は立ち上がる。重役出勤というわけだ。
「結局、この扇のデメリットはなんだったんでしょうね?」
僕の推論はあるにはあるが、今はまだ披露する機会でもない。
「なんだったんだろうね。まぁいいじゃないかそんなことは」
「そうですけど……ま、店主さんをいじめてスカッとしましたし、よしとしますか」
そうして歩くこと一時間ほど。天狗達を目にすることもなく、僕等は山頂間際へと着いていた。
楽隊の祭囃子に太鼓の音、手拍子がここまで聞こえてくる。天狗達がドンちゃん騒ぎをしているのがよくわかるというものだ。
願わくば、この騒ぎが僕の考えている通りのものであってほしい。
「さって、到着ーっ!さぁさ皆さん、射命丸文が到着しましたよー!」
ズラリ、と並んだ顔ぶれが一斉にこちらを向く。皆が皆片手に酒瓶を持ったその姿の中に、霊夢と魔理沙はいない。そう、僕の勝ちだ。
「どうやら、僕等こそが劉邦だったようだね」
「……え、あれ?霊夢さんに、魔理沙さんは?え、まさか、ちょっと」
ニヤニヤと笑う天狗のうちの一人が、脇にそびえる大木の根元を指差した。
そこにいるのは、揃って縄で縛られた二人の姿。
「「「「「撃ち落としちまった!」」」」」
いいいいいやっほおおおううううううう、と特大の歓声が周囲の天狗達から上がった。
いいテンションだ。かつて辛酸を舐めさせられた侵入者達である二人を見事討ち取ったのだからそれもそうだろう。被害も大きかったろうが喜びのほうが大きくて当たり前だ。
そんなテンションに周囲が沸く中であんぐりと口を開いたままの文。
「……ええぇぇえぇぇぇぇえぇ!!ちょっ、いや、何故に?あの二人が!?ちょっと店主さん、何ですかその顔は!説明してくださいよ説明!」
「ふむ。そうだな、君は諸葛亮孔明と言ったらどんな人物を思い浮かべる?」
「そりゃまぁ、軍師で―――」
「あぁ、そこまででいいよ。そう。一般的な彼のイメージは『軍師』だ。だがしかし、そのイメージに反して実際の彼の軍事面の功績は少ない」
いや、少ないと言うより諸葛亮が提案した軍事作戦はその殆どが失敗に終わっている。
彼が軍事畑でなく内政畑の人間であったことも要因の一つだが、一番の問題はその運の無さだ。彼の失敗の殆どは周囲の人間のミスから来ている。
蜀を取った後の魏攻め。関羽が一人暴走して討ち取られてしまい、未然に終わる。
第一次北伐。子飼いの武将である馬謖が軍令違反、重要拠点を守りきれず失敗。
第四次北伐。食料調達を担当する李厳の失敗と、そのごまかしにより撤退するはめに。
「今パッと思いつくだけでもこれくらいだね。あの扇にはそんな彼の不運が込められていて、自分の周囲の人間の失敗を呼ぶのだろう」
「それがあの扇の呪い……そんな、バカな……」
「ためしに聞いてみるといい。っと、そこの君。霊夢達はどうやって落とされたんだい?」
ふいに話しかけられた青年の天狗は、真っ赤に酔っ払った顔を綻ばせて言った。
「なんか仲間割れしててさ、宝がどうの、とか食料がどうの、とか山分けがどうの、とか言ってたんだよ。なんかこれ行けるんじゃね?と思って全員で玉砕したらさ、お前等いい?せーの!」
「「「「「撃ち落としちまったぁ!」」」」」
いいいいいやっほおおおううううううう、と再度大きな声が上がり、天狗達は再び乾杯に興じ始めた。
やれ俺の弾幕がとどめになっただの、牽制の弾を撃ったのは私だの、彼女達を討ち取ったことに満足してしまってこちらのことは気にもかけていない。まぁそのおかげでゆったり登ってこれたのだし、よしとしようか。
「いやはや。論功行賞は事前に決めておくべきだったね」
ポン、と文の肩を叩き、僕は中央にそびえるアイテム達の下へと向かった。
ガクリと膝を着いた文の右手からは、スルリと剥がれるように羽扇が滑り落ちていった。
そうして一週間ほどが過ぎ、僕は新しく手に入れた天狗のアイテムを店頭へと並べていた。
その中にはもちろん呪いの解けた羽扇も含まれている。
整理しなければいけないアイテムはまだまだ山のようにある。それを考えるだけでもホクホク顔になってしまうというものだ。
「ごめんくださーい」
「何かご入用で……あぁなんだ、君か」
香霖堂の扉を開いてやってきたのは一週間ぶりに見る射命丸文だった。
聞くところによると結局なんだかんだで出世はできたが、新聞大会に関しては霊夢達を撃ち落としたという一番のスクープを撮れなかったために残念な結果に終わったようだ。
「随分なご対応ですね」
「そりゃまぁ、パンツを見ただとか言って人を嵌めようとするような妖怪相手だからね」
「もう、その件は許してくださいよ。結局店主さんはいい思いができたじゃないですか」
いやまぁ確かにその通りなのだが。道具は手に入れたし、酒も米も余るほど貰ってくることができた。
とは言ってもそれは文も同様だ。
「君だって出世したそうじゃないか」
「とは言ってもメインの目的は新聞大会だったわけですからねぇ」
それもそうか。元よりそこそこの地位にある彼女にしてみれば、立身出世などより新聞の方が大事なのだろう。
「ま、その件に関してはお悔やみを申し上げておくよ」
「いえいえお構いなく。次もありますからね」
次、ねぇ。まったく懲りないもんだ。そうそう独占スクープできるようなネタが―――いやちょっと待て。まさか。
「まだまだネタはこんなにあるみたいですし、ね」
そう言って彼女は目の前の軍配をガッシと掴んだのだった。
でれでれでれでれでれでれでれでれでーでん、と呪いの音楽が頭に響いたのは、呪われたはずの彼女でなくこれから巻き込まれる僕のほうだった。
まったくもう。言葉も出ない。
「……で。大丈夫なのかい。前回は大したこと無い呪いだったからいいが、今回もそうとは……文?」
「……殺す……」
「は?」
「ぶっ殺す……」
「ちょ、文!ちょっと待っ―――飛んでった?」
扉をぶち破り彼女は飛んでいった。あちらの方には何があっただろうか。
彼女の手にした軍配は……道半ばで倒れた武田信玄の軍配か。
信玄、信玄。えーっと、どんな逸話が―――あぁ、そうか。信玄のライバルと言えば。
僕は両手を合わせて天に祈った。どうかあの寺に住む毘沙門天の弟子とやらが、今行われんとしている第六次川中島の戦いに巻き込まれないことを。
しかしそんな祈りも空しく、僕は三日後に諏訪の軍神と信玄の再来率いる妖怪の山vs毘沙門天の化身と命蓮寺の輩たち、という大戦争が勃発したと聞くことになるのだった。
と思いましたが北方的な意味で18禁になりそうなので諦めます。
寺なだけに
かわいいなぁもう!
文のパンツ見れたからいいじゃないかと思った
霊夢と魔理沙のサブキャラぶりに笑った気がする
後、ゆかりん可愛いよゆかりん
GJ
天狗達の喜び様が微笑ましいなーと
歴史ネタとそれに合わせたストーリー展開、お見事でした!
よしすぐに川中島の合戦in幻想郷を書く作業に移るんだ!!!!
>>一番の問題はその運の無さだ。
そうなんですよね、劉備軍の軍師の寿命の短さに泣けてきます…
横道にそれましたが、読みやすくてオチもあぁと思えるもので楽しかったですw
ちなみに川中島は一応第五次までやっているのが通説だと思うので、幻想郷で起きたら第六次になりますよなので-10で
って声に出して突っ込んだのは私だけなんだろーか。符をばら撒いたとき。
何はともあれ、面白かったです。
つ塩
決して霖之助を羨ましいなんて思っていない。
…ぱるぱるぱるぱる
途中まで耐えれましたが、「絶対登るなよ!」で腹筋が討ち取られましたw
惜しむらくは\ジャーンジャーン/が無かったことか。
軍神と毘沙門の一騎討ち、楽しみにしてますw
霊夢と魔理沙のくだりなんか笑いました。
ところで紫のスキマも文たちに併せて空を平行移動してるんでしょうかね。
中々シュールな光景だ。
色々とへぇ~となったし、これを気に三国志読んでみようかなぁ
旧札が幻想入りして幻想郷で流通しているのかw
三国志はちょっとしか知らないけど十分楽しめました
しっかりストーリーの筋を通しつつギャグがうまい具合に入っている見事な話でした
そういえば前の作品で霖之助は紫様のパンツ観察日記を書いてたなw
そりゃ登るよ
お笑いの要素がふんだんに盛り込まれていて飽きませんでしたし、
メリハリも良く、三国志好きにはたまらないお話ですね。
デン氏の書く作品の二人のドタバタ劇、また読んでみたいです。
面白い作品でした!
あとゆかりんかわいい
スキマが横に滑りながらじゃないと霖之助たち見れないよね?
いやはや、面白かったです。
また書いてくださいな!
には、なるほどそういう解釈か!と吹いてしまいましたw
文はその溢れんばかりの好奇心をもっと上手に使ってくれw
あとこれは霖之助と文の天狗越え自体は成功したということでいいのですかね?
面白かったです
そしてゆかりんw
守備範囲内だよ!(多分)
やったねゆかりん!
>「だって、ここにいるのは射命丸文なんですよ?」
ここの文かっこいい!!