真っ黒なお手手を叩きましょう。
タンタンと、手拍子で躍らせるように。
ほうら、鬼さんこちらへどうぞ。
◇
「これは?」
私の目の前には、幻想郷を模したディオラマがある。
おおよそ、目の前の男が作ったということだろう。
「あぁ、何となく作ってみたんだが、細部までは分からなかったんだ。
それで、君に意見を聞こうと思ってね」
「確かに――私ならば細部まで答える事が出来ますわ」
そんなことは、実に容易い。
言ってしまえば、この幻想郷自体が、私のディオラマなのだから。
「何か変なところはあるかい?」
「そうね、ここに少し違和感があるわ」
私はディオラマの中心にある小屋を手に取る。
彼はそれを見ると、無言で手を伸ばしてきた。
当然、私はその手をひらりと避ける。
そうすれば、悲しいかな、彼の手は空を切るだけだ。
「紫、返してくれないか」
「あら、何故?」
「それがないと、僕は商売どころか、
生活もままならなくなるからね」
その言葉で、私は香霖堂の模型を彼に返す。
ただ、それでも普通に返すのは面白くないので、
私は手を開いて待つだけで、彼に手を伸ばさせた。
すると、案の定、彼は私がまた避けるかと疑って、
手を出そうか出すまいかを悩んでいるような表情をする。
なぜか、それが楽しくて仕方がなかった。
「それで、どうして突然こんなものを作ったのかしら?」
私は扇子で口元を隠しながら言う。
これは、態度で彼を威圧するためだ。
「いや、さっきも言ったとおり何となく、だよ」
彼は口元だけで笑う。
目は笑っていないところを見ると、
どうやら聞かれたくないことがあるらしい。
「あら、嘘を吐くなんて珍しい」
「僕だって嘘ぐらい吐くよ」
「――あっさり、認めるわね」
この態度は意外だった。
彼のことだ、きっと白を切るつもりだろう、
と考えていたからか、私はそれ以上のことを言えなかった。
「とりあえず、これが完成したら説明するから、
手伝ってもらってもいいかい?」
次は目も笑っている。
だが、それが彼を遠くしてしまう。
――霖之助さんは、どこへ行くの?
私はそんなことを聞くことも出来ない。
彼は、もうそこにはいないようだったから。
◇
「紫?」
「あぁ、ごめんなさい」
思考は容易く途切れる。
彼が意図せずとも、話しかけてきたからだ。
私は、もう一度、ディオラマに目を通す。
「ここの、山の周囲があまり分からないんだ」
「それは、難しく考えずに――」
私はそう言って、ディオラマの配置を進める。
この作業がどのような意味を持っているかは、
彼しか分かっていないのだろう。
――だけど。
私には分かる。
このディオラマが彼にとっては、とても大切なのだ。
なら、これを『創造』することで、彼は変わってしまうのだろうか。
そこで、ふぅ、と彼がため息を吐いた。
「これで大分、完成に近づいたよ。ありがとう」
「どういたしまして」
「とりあえず、お茶でも淹れよう。日本茶で良いかい?」
「何でも構いませんわ」
私はディオラマにある、人形で遊びながら言う。
――この人形は誰かを意味しているのかしら。
そんなことを考えていると、
彼がお茶を手にして、戻って来ていた。
だから、私はそのまま彼に話しかける。
「ねぇ、霖之助さん?」
「なんだい?」
「ディオラマを作るのは楽しい?」
「どうだろう。楽しいというよりは、
懐かしいと言っても良いかもしれない」
「懐かしいって?」
「そういうものじゃないかな。
形に残しておきたいものを残すときは複雑だよ」
――残すって?つまり、彼は?
「さあ、あと少しだから仕上げたいんだが、大丈夫かい?」
「――大丈夫、ですわ」
「おや、もう疲れてしまったのか」
「ちょっと、そんな扱いはやめてくださる?」
「そうか、なら頼むよ」
「――ええ」
彼が何をしようとしているのかは、大体の見当がついている。
ただ、それを認めたくなかっただけだ。
私は、白々しいと自覚をしていながら、わざと話を逸らす。
「ねぇ、霖之助さん」
「なんだい」
「私は独裁者かしら?」
「それは、この世界において?」
「ええ、この幻想郷は私が管理しているのだから。
文明の兆しについても、『検閲』していますし」
「それは、君が全てを制限していると?」
「そういう、ことですわ」
ふむ、と彼は少しだけうなる。
そして、お茶を啜る。
「そう思うなら、散歩でもしてくるといい」
「――え?」
「気晴らしにいいか。僕も一緒に行くよ」
そう言って彼は湯飲みを干した。
私はただ、間抜けのように呆けていた。
◇
外は既に真っ暗だ。
空に張り付いているような星たちが爛々と輝いても、
私たちの歩く道が明るく照らされることはない。
「それで、なんで散歩ですの?」
私は彼に問いかける。
とはいえ、隣は暗くて見えない。
彼らしきものがいる、その方向に私は話しかけるのだ。
「なに、少しだけ幻想郷の住人たちの住処を見てもらおうかと思ってね」
右側にいるはずの彼は、そう答える。
「つまり?」
「君が独裁者として、恐怖の対象になっているか。
それを君自身の目で確認するが良い」
「でも、こんな夜更けじゃ――」
「こんな夜更けだからだよ」
彼はそう言って人里の方に向かう。
私がそれにはぐれないように追いかけると、
夜の静けさに吐息が混ざり合った。
「まだ、かしら?」
「もう少しだよ」
「ねぇ、行き先を教えてくれたら私が連れて行きますわ」
「僕らがしているのは散『歩』だよ。無粋だね」
踏みしめる枯葉の音は、どこまでも乾いている。
凛とした空気の中、くしゃ、という音が響いた。
「でも、散歩なんかで分かるのかしら?」
「分かる、というよりは考える機会を作る程度だよ」
「どういうことなの?」
「考えるためにも、材料が必要だというだけさ」
そして、突然に立ち止まり、枯葉の音が止む。
彼は、さあここだよ、と言って私を手招いているようだ。
それに従い、私は仄かに見える彼の手を追った。
「先は崖になっているから気をつけた方が良い」
「もし崖から落ちたら助けてくれるのかしら?」
「やれやれ、君は自分で飛べるだろう」
そんなくだらないやり取りをしつつも、私は木々の間を抜けた。
その先は、崖だ。
底の見えない暗闇がぽっかりとあった。
だが――少しだけ明るいものがある。
まるで、星のように淡く光るものが。
「霖之助さん、あれは?」
「あぁ、あれは人里にある灯りだね」
「言われてみれば、そうでしょうね」
星のようにゆらゆらと光るのは、小さな火だ。
ここには電気が通っていないから、
夜は火を燈す他に、明かりを得る手段はない。
「君にはどう見える?」
「どうって――不便でしょうね」
「そうか、僕には幸せにも見えるがね」
「どうして?」
「火がもたらす明かりには、温もりがあるから、かな」
彼はそばにあった倒木に腰をかけて言う。
私は何も言わず、その隣に腰をかけた。
◇
星の明かりは、あまりに弱い。
ささやかに主張する様は脆弱に見えた。
「ここの住人たちは幸せなのかしら?」
「さてね、だが、幸せだから良いという訳ではないだろう」
「それはそうでしょう。緩急がなければつまらないですもの」
「そうだね、だから、僕はこの景色を見て思うんだ」
「何を?」
「ここのヒトたちは無防備ではない。
突然訪れる不幸にも備える事が出来る。
それは妖怪も同じだがね」
「だから、幸せだって思うのかしら?」
「分からない、けど、どこか調和している気がしてね」
「調和?」
「君を疎ましく思うならば、ここの住人たちはこんなに笑わないよ」
そう言って彼は小さな明かりに目を向ける。
少しだけ、草と土の香りがする。
私はもう、聞いても良いかと思った。
――彼が何をしようとしているのかを。
「なぜ――そこまで思っているのに、ここから出ようとするの?」
「――分かっていたのか」
彼はそう言ったわりに表情を変えない。
「誰だって分かりますわ。あんなに切なげに景色を組み立てていれば」
「あぁ、僕はここが好きだから、ね」
「知っていますわ」
「紫、君に頼みたい事があるんだが」
「お断りですわ」
私は最後まで聞く事なく、そう言い放つ。
とはいえ、それが無駄なことだとも分かっている。
彼は私が断っても、いずれは『行く』のだろうから。
「お願いだ。聞いてくれ」
彼はそう言って、倒木から立ち上がった。
いつになく真剣な目を私は見ることが出来ない。
「ある、友人が死んだんだ」
「――えぇ、知っていますわ」
彼には昔から仲良くしていた友人が居たらしい。
その友人はれっきとした人間で、
天寿を全うしたということは聞こえていた。
確か、明日に葬儀があるという。
「それで?知り合いが死んでいくのに耐えられなくなったの?」
「それは違うよ。僕だってそれなりに生きてきた。
死を見ることも多くある。だから、逃げたいわけじゃない」
「なら、どうして『外』に行きたいの?」
「――彼が、僕にあるものを託して逝ったんだ。
そのとき、僕は何を遺せるかを考えた」
彼は目を伏せて言う。
「だけど、すぐには浮かばなくてね。
だから、視野を広げて探してみたいんだ」
焦燥。
彼は目に見えない程度だが、焦っている。
自分の親しい人がいなくなって、自分の限界を見た。
それとも、周りの人が死ぬときに、
自分が何も出来ないことをさらに思い知らされたのか。
「それで、帰ってくるつもりはあるのかしら?」
私は嘘をつく。
本当は行かせたくなんてない。
弱弱しい彼は、きっとさらに辛い思いをするだろうから。
「いつかは帰ってきたい」
「なら、いいですわ。でも、後悔はしないでくださいな」
私はやはり、嘘つきだ。
どうしようもないぐらい、胡散臭い嘘をつく。
出来ることなら、腕を引いて留めたい。
だけど。
「いいのかい?」
「ただし、易々とは帰らさないけど」
「つまり?」
「期限を決めてもらうわ。50年。それ以内には帰ってもこさせないし、
それ以上も外には居させてあげませんわ。時間は有限なので」
「――すまない、助かるよ」
彼はきっと、戻ってくるだろう。
あのディオラマがその証拠だ。
私がそうしているように、彼は『ここ』を愛している。
「それと、条件がありますわ」
「条件?」
「まず第一に、あのディオラマが完成したら私が貰うわ。
そして、第二に――ゆっくりと散歩をしなさい」
「ディオラマについては構わないが――散歩とは?」
「出立は急がなくていいでしょう?
ならば、この幻想郷の『いま』をディオラマにではなく、
あなた自身の目に焼き付けてもらおうかと」
彼が戻ってくるまで、きっとここは変わるだろうから、
いずれにせよ、小さな別れを告げなければならない。
だから、さまざまな人と会って、その光景を焼き付けてほしい。
それが私の愛する幻想郷なのだから。
それを忘れてほしくはないから。
「分かった、じゃあ、色々な場所を見てくるよ」
「ええ、でも、色々な人とも話してくるのよ」
「ああ、分かった」
「なら、ディオラマを完成させましょうか」
私は倒木から立ち上がり、言う。
そして、しっかりと自らの足で枯葉を踏んだ。
くしゃ、という音と、水滴が地面に弾かれた音が私の耳に響く。
そう、私は嘘つきだ。
◇
「ねぇ、霖之助さん」
「なんだい」
「私は独裁者かしら?」
「それはそうかもしれないね」
「でも、疎まれてはいない、って?」
「そうだね。少なからず、僕はここが好きだから」
私はディオラマを手に持っている。
出立は一週間後に、というのが彼の希望だった。
だから、私はこの一週間後、彼を外の世界に連れて行く。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
さよならの言葉を口にして、私はドアを閉じた。
外では先ほどより星が多く見える。
――星は道を照らすほどのものじゃないけど。
その明かりはとても脆弱だが、私には見えている。
私と彼の歩く姿を、しっかりと見守っていただろう。
私は人里が見える崖まで歩き、
小さな隙間を切り取る。
――私は月のように、太陽のようにはなれないわ。
それは、私がこの世界の管理者でもあるから。
星のように、ちいさく見守ることしか出来ない。
それならば、せめて火のように温もりを与えたかった。
私は嘘つきだ。
でも、大切な景色は、しっかりと見えている。
――とても、綺麗。
もう少しじっくり作り込めばかなり良くなったと思います
いやはや、少し脱帽してしまいましたwそう考えると、余計に切ないですねえ。
原作通りに外の世界に失望するだろうな。あれは夢として割り切ったけど
贅沢言うと、話順を教えていただきたい
それと、まだ続きはあるのだろうか?
あと、誤字訂正も時間を見てさせて頂きますので、ご指摘ありがとうございました。
話の順番ですが…
1.『創造』の孤独。
2.『回送』の孤独。
3.『言葉』の孤独。
4.『薄膜』の孤独。
(ブログにあります)
5.『抑圧』の孤独。
(同じくブログにて…)
6.『真実』の孤独。
7.『25時』の孤独。
となっています。
そして、続きは最終話として書いています。
もうほとんどの方にはバレているでしょうが、
『あの人』の孤独を書いて終わろうかなぁ、と。
というわけで、もしよろしければ、どうかお願い致します!
改めてありがとうございました!