宝船が運んで来た風が春の息吹を呼び、幻想郷に目覚めの季節をもたらした。
しかし、やって来たのは春だけではない。その宝船は新たな住人も運んで来た。
「ナズーリン、ここがそうですか?」
一匹の虎と一匹の鼠が古道具屋・香霖堂の前に降り立った。
「ええ。ここが宝塔を手に入れた、酷くがめつい店主の居る道具屋ですよ」
「その様な言い方は感心しませんよ。その方のお陰で宝塔が手に入り、聖が復活出来たのですから」
その虎、寅丸星は部下の鼠、ナズーリンを見て言った。
(何言ってるんだい。他の所にあればもっと早く、しかもタダで手に入れられたかもしれないのに)
ナズーリンは主人の説教に適当に相槌を打ちながら心の中で嘆息した。
──カランカラン
「店主、居るかい?」
店の扉が音を立てて開かれる。だが店主の霖之助は読んでいた本から視線も外さず「いらっしゃい」と一言だけ発した。
「相変わらず客の迎え方という物を知らない様だね」
「ああ、先日の鼠か」
チラリとナズーリンを見た霖之助は懐から一枚の紙切れを取り出した。
「どうやらこの借用証の事は忘れていなかったみたいだね。宝塔の代金は持って来たんだろうね? ああ、ちなみに利子が付いて今の金額はこうなっているよ」
算盤を弾いてナズーリンに指し示す。それを見た彼女の額にピクピクと青筋が浮かび上がった。
謎の宝船が幻想郷の空に現れたあの時、ナズーリンは星の命令で毘沙門天の宝塔を探し求めていた。
宝塔の在り処を香霖堂に見出したナズーリンは霖之助の元を訪れ、その返却を求めた。
だが霖之助は「これは既にうちの商品だ」と言い張り代金を要求して来たのだ。
拾い物に高値を付けて持ち主に売り付けようとするこの店主にナズーリンは墳慨した。
だが何しろ時間が無かった。手持ちの金額も足りず、交渉の末に借用証にサインと捺印をし、後で代金を払うという約束で何とか宝塔を取り戻したのだ。
「このサインは寅丸ほし? と読めるが、君の事かな?」
霖之助は星を見遣った。どうやらナズーリンの上司の様だ。凛とした佇まいに威厳の様なものを感じる。
「“しょう”です。寅丸星。毘沙門天の代理で、この子の主人でもあります」
「毘沙門天の代理だって? ……まあ、それとこれとは話は別だ。君が彼女の代わりにお金を払ってくれるのかい?」
「ナズーリン、まさかまだ代金を払ってなかったのですか? ……おや、そのサインの横に押してある印は私の……」
「ああ、これ返しますよ。ご主人様が毘沙門天から賜った印鑑」
ナズーリンは何やら装飾の施された有り難そうな印鑑を懐から取り出し、それを星に向かって放った。
「はあ、どうも。……って、いつの間に!?」
「無くしたって言ってませんでしたか? 探しておきましたよ。……ご主人様の机の中にありましたけど」
「無くしてません! 無くしてませんよ!?」
霖之助は目の前で繰り広げられている漫才(?)に呆れつつ、涙目で部下の鼠に抗議する星を見つめた。先程感じた威厳の様なものはどうやら気のせいだったようだ。
「とは言え──」
ナズーリンは星を制しながら霖之助に視線を移した。霖之助もナズーリンに視線を合わせる。
「とは言え、だ。あの時は無理矢理にでも取り返すという選択肢もあったんだ。もう少し勉強してくれてもいいんじゃあないのかな?」
「何を言ってるんだい。君が代金を払わないまま逃げ出さないとも限らないのに気前良く商品を渡してやったんだ。もうサービスは終わりだよ」
「ほんっと阿漕な商売だね。そのうち痛い目に遭うかもよ?」
「いやいや、商売人としてはまだまだ甘い方だよ」
霖之助とナズーリンは視線を絡ませ不敵な笑みを浮かべ合う。が、直ぐに毘沙門天の代理が割って入り部下を諌めた。
「やめなさいナズーリン! 店主殿の言っている事は正しい事です。元はと言えば宝塔を無くした私が悪いのです。店主殿はただ商品を仕入れ、それを売っただけの事」
「それもそうだね。では支払いはご主人様に任せるよ」
「へ!? え、ええ。も、勿論です」
ナズーリンはあっさり引き下がる。それを見た霖之助はこの鼠は主人の性格を完璧に把握しているのだと悟った。その上でからかっているのだと。
「まあ、僕としては代金さえちゃんと払ってもらえれば何でもいいんだけどね」
「うう。ですが、今はこの幻想郷に来たばかりでお金がありません」
どうせそんな事だろうと思っていた霖之助はどうやって償ってもらおうかとあれこれ思考を巡らせた。
するとナズーリンが「なぁに、心配無用」と自身あり気にダウジングロッドを構えた。
「何の為にご主人様をここに連れて来たと思ってるんだい?」
「はい? どういう事ですか?」
「ご主人様は財宝を集める事が出来る能力を持っている。私のダウジングもご主人様に反応している」
「成程。毘沙門天は財宝を護る神だ。宝を集めて来てくれると言う訳だね」
「いいえ、私が探しに行く訳ではありません。私の元に財宝が集まってくるのです」
「ほう、それは何とも素晴らしい能力だね。是非お願いするよ」
「ご主人様、これを」
ナズーリンは星に風呂敷包みを渡した。星はきょとんとした表情でそれを受け取る。
「ナズーリン、これは何ですか?」
「何って、お泊り道具だよ」
「……何だって? 泊まりになるのかい?」
「ご主人様が来たからと言ってすぐに財宝が集まる訳ではないからね。金額分の財宝が集まるまでこちらのお世話になるって事さ」
「……あー、ナズーリンだったね。他の方法は無いのかい?」
「無いからこの虎を連れて来たんじゃないか。さっき代金さえ払ってくれれば何でもいいと言ったよね? それとも代金をタダにしてくれるかい?」
主人を「この虎」呼ばわりする鼠に恨めしそうな視線を送る霖之助。どうやら既に彼女の術中に嵌ってしまったようだ。
「業務に必要な書類に、着替えまで入ってますね。さすがはナズーリン。準備が良いですね」
「ではそう言う事で。ご主人様、後はよろしく」
「え? ナズーリンは一緒じゃないんですか?」
「はあ? 飛倉はまだ全部回収出来ていないんだ。それを探して来いと命令したのはご主人様でしょう?」
ナズーリンは呆れた顔で星に言い放った。およそ主人に対する態度とは思えない。
恐らくこの鼠は最初から全て計算づくだったのであろう。霖之助はその狡猾さに思わず感心してしまった。
「しかし、ナズーリン。いずれ君もその狡猾さが仇になり痛い目を見るかもしれないよ?」
「ご忠告痛み入るよ。それじゃ失礼」
そう言うとナズーリンは颯爽と香霖堂から飛び去って行った。
霖之助は店内にぽつんと残された星を見つめた。視線を感じた星は慌てて姿勢を正した。
「寅丸さんだったね。ああ、自己紹介がまだだった。僕は森近霖之助。まあ宜しく頼むよ」
「……あ、え~と、ふ、不束者ではありますが宜しくお願い致します」
星は霖之助に向かって深々と頭を下げた。毘沙門天の代理に頭を下げられるとは何とも不思議な気分であった。
「おいおい、大袈裟だね。香霖堂に輿入れでもするつもりかい? 縁起が良くなって商売繁盛するなら大歓迎だけどね」
「だ、大歓迎…ですか」
「頬を赤らめてもじもじするのは止してくれないか?」
「もじもじなんてしてません! してませんよ!?」
確かにからかい甲斐があって面白い少女だ。だが霖之助はこの先、財宝が集まるまでの事を思い一抹の不安を感じた。
しかしその不安感は普段幻想郷の少女達が来店した時と全く同じものであり、いつもの日常となんら変わる事のない感情なのだ。
不安感が日常と化しているこの現実に、霖之助は軽い眩暈を覚えた。
その後、星は奥の部屋の机に向かい、何やら書類作成の仕事を始めた様子だった。
最初はどうなる事かと思った霖之助だが、静かに仕事をしてくれる分霊夢や魔理沙と比べ格段にましであった。
読書に夢中になるあまり星の存在を完全に忘れていたくらいである。
本を読み終え一息つこうかと思ったその時、霖之助の前に湯呑がすっと差し出された。
差し出された方に目を遣ると、そこにはお盆を胸に抱いた星が穏やかな微笑みを湛え霖之助を見つめていた。
「ああ、すまない。客人に気を遣わせてしまったね」
「いえ。それにしても店主殿は本がお好きなのですね」
「そうだね。まあ、本を読む事くらいしかやる事がないからね」
「ところで、店主殿はあの宝塔が毘沙門天の物だとご存知だったのですか?」
霖之助はお茶を一口啜った。
「ああ。僕は見た者の名称と用途が判るという能力を持っているからね。とは言ってもナズーリンが訪ねてくるまで宝塔の存在は完全に失念していたんだ。埃を被っていたものを倉庫から引っ張り出して来たんだよ」
「用途が判っていた上でナズーリンに渡したのですか?」
「あの宝塔は何かの封印を解く力があると僕の目は教えてくれた」
何の封印を解く物なのかまでは判らなかった。だが霖之助はナズーリンにそれを追求しなかった。
「何が甦るかも判らないのに、何も聞かずにナズーリンに宝塔を渡したと言うのですか? 何故です? もしかしたらとんでもない物が復活するかも知れなかったのに……」
霖之助は「もう一つ」と付け加えた。
「あの宝塔には“法の光で世界を照らす”という用途もあった。当然人によってその概念は違ってくるだろう。だが僕はあの宝塔は毘沙門天に帰依した者にしか使えないと思った」
「それは貴方の憶測に過ぎません。事実、あの宝塔は使い方さえ解れば誰にでも扱う事が出来るのです」
星は霖之助に厳しい視線を投げつける。そこには確かに毘沙門天の風格の様なものが感じられた。
「もしナズーリンが悪人だったら、宝塔を私欲の為に使うつもりだったら、とは考えなかったのですか?」
霖之助は一瞬答えに迷った。相手は代理とは言え毘沙門天である。正直に真実を話すべきかどうか。
「……ああ。だから法外な金額を提示したのさ」
「どういう事です? ひょっとしてナズーリンを試したのですか?」
「あの宝塔にどれだけの力が秘められているかは知らないが、流石に幻想郷を引っ繰り返す程の力は無いだろう。ちょっとした悪事の為にそんな物を必死になって欲しがるだろうか? それに悪人なら力づくで奪うだろうしね」
だがナズーリンは力を行使する様な真似はしなかった。
何より毘沙門天の道具を“鼠”が取りに来た。これが重要だった。鼠でなくとも傘や虎でも良かったのかも知れないが、と説明した。
「彼女は狡猾だが悪ではないよ。それに僕は商売人だ。人を見る目は確かなのさ」
「その場で代金が貰えれば尚良かったんだけどね」と付け加えると星はくすりと笑った。
星は先程の厳しさとは打って変わった優しい視線を霖之助に送った。
「……貴方の道は誤っていなかった」
「ん?」
「何となく、ほんの少しですが、貴方の事が判った様な気がします」
そう言って星はにっこりと微笑んだ。
朝の日差しがカーテンの隙間から零れ、光が霖之助の顔を優しく撫でた。
もう朝かと思った霖之助だが、とても気持ちが良いのでもう少し眠る事にした。
──トントントン
(……何だ?)
霖之助は耳を澄ました。不思議な音が響いている。それは小刻みな旋律を奏でていた。
──トントントン
お勝手の方から小気味よく響くリズム。それは包丁がまな板を叩く音だと気付いた。
不思議と安らぎを感じるその旋律にしばし耳を傾ける。しばらくすると包丁の音は止み、部屋の襖がガラリと開く音がした。
「店主殿、店主殿」
ゆさゆさと揺り起こされ、霖之助はゆっくりと目を開いた。
「店主殿、起きて下さい。朝食の支度が整いましたよ」
「……ん、ああ、そうだった。君が居たんだったね」
霖之助は枕元の眼鏡に手を伸ばしながら思った。誰かに起こされるなんて何年振りの事だろうかと。
たまに霊夢と魔理沙が泊まって行く事もあるが、彼女達が霖之助より早く起きた事など一度も無い。
顔を洗い、着替えをすると霖之助は居間へと顔を出した。
あまり食事をする必要の無い霖之助は普段朝食を摂らない。明るい内は煎餅を齧りながらお茶を飲むくらいのものである。
それゆえ彼は卓袱台の上に広がる光景に目を見張った。そこには普段の彼の食生活とは比べようもない豪華な品々が並んでいたからだ。
「ど、どうしたんだいこれは? 朝から随分豪勢じゃないか」
「凄いでしょう? 朝早くに食材を買いに市場まで行って来たのですが、里の皆さんが魚や野菜をこんなに分けて下さったんですよ」
「……里の人間が妖怪に食材を?」
それが毘沙門天の徳に因るものなのか、それとも彼女の能力に因るものなのか、それは霖之助には判らなかった。
「財宝じゃなくて食材が集まる能力の間違いじゃないのかい」
「ち、違いますよ! ここに戻る途中で高価そうな宝石を拾ったのですが……」
「ほう、それは価値があるかも知れない。見せてもらえるかな?」
「あ、いえ。お金が無くて薬が買えず困ってるという方が居たので譲ってしまいました」
「……そうかい」
「あ、そうだ。何故か妖精が綺麗なガラス玉をくれたんです。どうぞ」
「ほう、君はあの宝塔はビー玉程度の価値しか無いと言う訳だね」
「……すいません」
星は項垂れてビー玉を自分のポケットにしまった。
「ん、この煮物はおいしいね」
「それはですね~、出汁にちょっと工夫を……」
落ち込んだと思いきや嬉しそうに料理の事を語る星を見ながら霖之助は思った。財宝が集まる能力と言っても、幻想郷に集めるだけの財宝が無ければ意味が無いのかも知れないと。
「なんだって? まだ一つも宝が集まっていないって?」
昼過ぎ頃にナズーリンが香霖堂を訪ねて来た。どうやら主人を迎えに来たようだ。
「ええ。ですからもう一晩店主殿のお世話になろうと思っているのですが……」
「おかしいなあ。何か調子悪いんですか?」
「そんな事は無いと思うのですが。ああ、聖達は大丈夫ですか?」
「今の所問題ないですけど、あまり間を開けられると困ってしまいますよ。代わりに入道でも寄こしましょうか?」
なんだかおかしな雲行きになって来たと霖之助は感じた。とにかく面倒な事は避けたかった。
「あー、君達は幻想郷で暮らす事にしたんだろ? なら逃げられる心配は無い。代金はツケにしておくから、少しずつでいいから返しに来ると良い」
流石に毘沙門天の代理に肉体労働をさせる訳にもいかないし、このまま星に香霖堂に居座られる訳にもいかなかった。香霖堂を幻想郷の朝護孫子寺にする気は無い。
「店主、意外と良い所があるじゃないか。見直したよ。いっその事、代金の事は無かった事にしてくれても良いのだが」
(良く言うよ、この鼠は……)霖之助はナズーリンを睨みつつ嘆息した。
調子に乗る鼠に上司の虎は「礼には礼を以て返すべきです」と説教を始めた。
いつもの事なのかナズーリンは適当に相槌を打ってそれをやり過ごしていた。
「……なので店主殿にきちっと代金とお礼を差し上げるまで帰る訳には行きません」
「判りました、判りましたよ。仕方がない、また明日迎えに来ますよ」
ナズーリンはしぶしぶと引き上げて行った。結局星はもう一晩香霖堂に泊まる事になってしまった。
毘沙門天は縁起が良いと言うが、霖之助はどうにも縁起が悪くなっているような気がしてならなかった。
霖之助は無言で星を見つめ露骨に溜息を吐いてみせると、星は「すいません、すいません」と涙目になりながらペコペコと頭を下げた。
「霖之助さん、タラの芽を分けてもらったから少し置いていくわね」
「おい香霖、森で良いキノコが採れたんだ。これでも食って精を付けろよ」
ナズーリンが帰った後、霊夢と魔理沙が何故かお土産を持って香霖堂を訪れた。
だが二人とも「花見があるから」と言ってすぐに帰ってしまった。恐らく店の奥に居た星には気付かなかっただろう。
もし見つかったら「いつからこの店は寺になったんだ」だの「どうせ財宝に目が眩んだんでしょ」だの言われるに決まっている。
霖之助は居間に居る星の前に少女達が置いて行ったタラの芽とキノコを置いた。そしてタラの芽、キノコ、星の順番でそれぞれ指を差した。
「……? 何でしょうか?」
「食材を集める程度の能力」
「違いますよ! 違いますってば!」
古道具屋店主の皮肉に毘沙門天は涙目になりながら喚いた。
そんな星を見ている内に、霖之助は彼女と過ごす時間もそんなに悪いものではないと感じ始めた。
浅春の風が空を見上げる星の髪を静かに揺らしていた。
夜空には満点の星が広がり、地上では桜の花弁がキラキラと舞っていた。
「ああ、寅丸さん。ここに居たのかい。すまないね、碌に構いもしないで」
あの後、星はタラの芽やキノコ等で夕食を作り、霖之助に振る舞った。
夕食を摂った後、霖之助は読書に耽り、星は机に向かい仕事をこなし、お互いに干渉する事は無かった。それは霖之助にとって理想的な関係でもあった。
一段落ついた所で星は夜風に誘われ、縁側へと出て来たのだった。
「これは店主殿。星空があんまり綺麗だったもので。それと、私の事は“星”で構いませんよ」
「僕も名前で構わない、と言いたい所だが、“店主”より呼び難いかな?」
苦笑する霖之助に星は「そんな事はありませんよ」と首を振った。
「……そうだ、一献やらないかい? この星空と桜を肴にしないのは勿体ない」
気を良くした霖之助は霊夢達に呑まれない様に隠しておいたとっておきの酒を振る舞う事にした。
「それに、今夜は流星が見れるかもしれない」
「まあ、流星ですか?」
霖之助はこと座の方角を指差した。今夜は星を鑑賞する星狩りといった所か。
「ああ。極大期はまだだが、今夜は月明かりも少ないし幾つかは見れるかも知れない」
しばし二人で星空と桜を愛でながら杯を交わす。霖之助は寅丸星の名にちなみ空の星や星座についての蘊蓄等を語って聞かせた。星は静かに霖之助の話に耳を傾けていた。
やがて霖之助の話も終わり、話題が途切れると星は「もっと早く代金をお支払いしたかったのですが」と話を切り出した。
「本当にすいません。こんな筈ではなかったのですが……」
少し酔いが回ったのか、頬を桜色に染めている。
毘沙門天と言えば甲冑に身を固め、憤怒の表情を浮かべる荒々しい武神というイメージがある。桜の花弁を纏い、頬を染める彼女の姿はとても毘沙門天の代理とは思えぬ美しさであった。
「……いや、いいんだ。代金はもう受け取ったよ」
「? どういう事でしょう?」
「美しい星空の下で、美しい桜を眺めながら、美しい女性と美味い酒を呑む。こんな贅沢な事はないよ。とてもお金では買えやしない」
「しかし、それでは……」
星は霖之助に詰め寄ろうとするが、酒の所為か態勢を崩し、よろけてしまった。
霖之助は「おっと」と彼女を抱き留め、星は霖之助の胸に抱かれる格好になった。
「す、すいません……」
そんな星を見て霖之助は「意外だな」と言って笑った。酔って暴れる人の事を俗に「虎になる」と言う事がある。
加えてこの幻想郷の少女達は大酒呑みばかりである。その虎の少女が酒に酔ってふらつくのが霖之助には面白かった。
「わ、笑うなんて酷いですよ……」
宝塔の在り処を探し当てたナズーリンのダウジング能力は確かなものである。
そのナズーリンが星を宝だと言った。星が財宝をもたらしてくれると。きっとそれは正しいのであろう。
しかし霖之助は金銀財宝など求めていない。彼にとっての財宝とは見た事も無い未知の道具の事なのだ。
星の能力がそこまで気の利いたものかは判らない。
ならばナズーリンと共に無縁塚にでも出掛けた方が良かったのではないか。
「あの子は嫌がると思いますよ。きっと外の世界の物に興味は無いと答えるでしょう」
その事を星に言ってみるとそんな答えが返って来た。
「ナズーリンは君の部下だろう? 上司の命令を聞かない部下が居るのかね」
「あの子は……私ではなく、正確には毘沙門天の部下です」
「君は毘沙門天の代理だろう? ならば君の命令は毘沙門天の命令と同等の筈だ」
そこで星は口籠った。何かまずい事を聞いてしまったようだ。霖之助は出過ぎた事を言ったと星に詫びた。
星はしばしの間を置いてから静かに口を開いた。
「あの子は、私の監視役なのです」
「……監視?」
毘沙門天の代理を毘沙門天の部下が監視するとは奇妙な話だった。
恐らく何か込み入った事情でもあるのだろう。思えばこの妖怪の少女が毘沙門天の代理をやっているというのも不思議な話である。
「あの子の言動一つで私は今の立場を失ってしまう事も有り得るのです。今回の事も、ひょっとしたらあの子が私を試しているのではないかと……」
「ふむ、それは無いんじゃないかな」
あっさりとそれを否定する霖之助に星は少しムッとなった。
「何故そう言い切れるのですか? 失礼ですが出会ってまだ間も無い貴方に私とナズーリンの関係が理解出来るとは思えません」
「……ナズーリンは誰の為に宝塔を探していたのだろうね?」
「何を言っているのです? 勿論聖の為です。延いては聖が信仰する毘沙門天の為でもあるのです」
「僕はそうとは思えない。少なくともあの時のナズーリンを見た限りでは」
「あの時? 何の事です?」
霖之助は杯を呷る。星の空になっている杯に酌をしようとしたが彼女はそれを断り、話しの続きを促した。
「仕方ない、本当の事を話そう。君は昨日の夜、何故僕がナズーリンに宝塔を渡したのか聞いたね」
「ええ」
「僕は答えに迷った。ナズーリンに本当の事は言わないでくれと頼まれてしまったからね。だから嘘を吐いた。『法外な金額を提示した』とね。ああ、人を見る目があると言ったのは本当だよ」
「なら、宝塔を渡した本当の理由は何なのですか?」
「……彼女は『主人の後悔の念を晴らす為にそれが必要なんだ』と言った。嘘とは思えなかった。だから渡したんだ」
「──っ!?」
「君が何に対して後悔をしているのかは知らない。だがナズーリンは毘沙門天の為ではなく、寅丸星個人の為に宝塔を探し求めていた」
「ナズーリンが、私の為に……?」
「人を見る目は確かだと言っただろう。少なくとも僕はそう確信した。信じる信じないかは君次第だけどね」
霖之助はそう言って再び酒を呷った。
星はしばらく黙ったままだった。
「……。いえ、信じます。ナズーリンを。そして、貴方を信じます」
「そうだ、ナズーリンには黙っててくれないか。きっと『店主、よくも喋ってくれたね。責任を取ってもらうよ』と脅されてしまうからね」
ナズーリンの口調を真似る霖之助を見て星は思わず吹き出した。全然似ていないと声を上げて笑っている。
「全然似てません! 全然似てませんよ……全然……」
「……失礼だな。泣く程笑う事はないじゃないか」
「貴方だってさっき私の事を笑ったじゃないですか。おあいこですよ」
星は酒で赤くなった顔を更に赤めた。
霖之助は胸に抱いたままの少女を見つめた。
「星、聞いていいかい?」
「はい、なんでしょう?」
「何故、君の様な少女が毘沙門天の代理を引き受けようと思ったんだい?」
霖之助は毘沙門天の代理ではなく、この寅丸星という一人の少女に興味を抱いた。この娘の事をもっと知りたいと思った。
星は少し躊躇った。だが、やがて何かを決意したのかようにこれまでの事をポツポツと霖之助に語って聞かせた。
「私は、生きながらに死んでいたのです」
「……死んでいた?」
「山の皆は私を優秀だと言っていましたが、そうではないんです。生きる目的も無く、ただ周りの意見を聞き、流されるだけのつまらない妖怪だったんです」
何故出会ったばかりの人物にこうも心を許してしまうのか、星は自分でも不思議だった。
きっと酒に酔っているのだ。そうに違いない。決してこの人の胸の暖かさに酔っている訳ではないと、そう思った。
「代理を引き受けたのもそうです。ただ聖の言う事に流されただけ。正直どうでも良かったのです」
毘沙門天の弟子となり、業務をこなした日々の事を。
「ナズーリンが私の監視役という事には初めから気付いていました。毘沙門天に逆らう気は無かったし、それもどうでもいい事と思っていたんです。そして私は徐々に毘沙門天としての生活に充足感を感じ始めたのです。自分が生まれて来た意味を見出せたような気がしたのです……」
人間達の手に落ちた聖白蓮を見捨てた事を。
「妖怪である事がばれるのが怖かった訳では無いんです。漸く手に入れた生きる目的を失うのが怖かったのです……」
激しい後悔の念にかられた事を。
「ですが、それを与えてくれたのは聖なんです。聖はただのつまらない妖怪だった私に、毘沙門天の代理という使命を、生きる意味を与えてくれました……」
星の瞳が涙で揺れた。
「何より、ナズーリンを始め、かけがえのない仲間達を与えてくれました……」
星はギュッと霖之助の腕を掴んだ。その手は僅かに震えていたる。
「恨まれても良かった。恩を仇で返したのですから。でも聖は……こんな私を……笑顔で赦してくれたんです。ナズーリンも……こんな情けない私の後悔の念を晴らす為に……努力をしてくれました……」
金色の瞳から涙がポロポロと零れ落ちる。霖之助はその宝石の粒を指で掬った。
霖之助は理解した。星の財宝を集める事が出来る能力の本当の意味を。
「……そうか。もう決してそれを見捨てたり、手放したりしてはいけないよ」
「……はい」
「立ち入った事を聞いてすまなかった。宝塔の代金は確かに受け取ったよ」
霖之助は懐から宝塔の借用証を取り出すと、それをビリビリと破り捨てた。
「店主殿、今の私の話は宝塔とは別ですよ。代わりのものを要求します」
星は霖之助の手を握り、その瞳を見つめた。
「代わりに、貴方の事を聞かせて下さい……霖之助」
人里から少し離れた場所にある命蓮寺。山の神がならしたその庭でナズーリンは一人星空を眺めていた。
彼女は自分のダウジングが星に反応した意味を考え、そして答えを出した。
(冗談じゃない!)
確かにあの店主には感謝をしていた。
何も言わず宝塔を渡してくれ、法外な値段を吹っ掛け売り付けたという事にしてくれた。
主人の為に頭を下げたなどと誰にも知られたくなかったからだ。
彼女は霖之助にお礼と口封じをする為に星に財宝を集めさせる事にした。
ついでにあの店主に苛められる主人の姿が見たかった。そして自分の元に泣きついて来る事を期待していた。
だがナズーリンの思惑は外れてしまった。それどころでは済まなかった。
(冗談じゃないよ! 宝塔一個の代わりがご主人様だって? 釣り合いなんか取れるものか!)
これから香霖堂に乗り込もうかと考えたその時、ナズーリンの能力が何かに反応を示した。何かがこちらに近付いて来る。
「……あれ、御主人様?」
反応の正体は星だった。桜の花弁と共に命蓮寺の庭に静かに降り立つ。
「ナズーリン、まだ起きていたのですか。他の皆は?」
「皆もう寝てますよ。それより、お帰りは明日では無かったんですか?」
「いえね、霖之助が帰った方が良いって言うものですから」
(……『霖之助』だって?)
ナズーリンはピクリと眉を吊り上げた。
「それに宝塔の支払いも済ませましたしね」
「支払いって、何を払ったのさ? ……まさか」
「と、言うより彼は最初から代金なんか要求していなかったのです。そうでしょう、ナズーリン?」
勘の良いナズーリンはその言葉にハッとなった。
「あの店主、よくも喋ってくれたね……どう責任を取ってもらおうか」
そう言うと突然星が笑い出した。
夜中なので口を押さえ声を押し殺しているがかなり可笑しそうだ。時折「似てます似てます」と訳の判らない事を呟いている。
「? ど、どうしたんだい突然……変なキノコでも食べたのかい?」
「……そう言えば、宝塔紛失の件、毘沙門天はなんと?」
ひとしきり笑い終えたかと思うと星は急に真面目な顔つきになった。
「ん? ああ、別に何も」
「何もって事は無いでしょう」
「だって、何も報告してないし」
「……何故です?」
「下手な事報告してご主人様が代理から外されたら困りますからね。毘沙門天にはここ数百年会ってないし。まあ気にしなくていいんじゃない?」
しれっと答える監視役の鼠に星は思わずきょとんとしてしまった。
「……そう、ですか」
「そうだよ」
星は唐突にナズーリンの小さな体をギュッと抱き締めた。
「ご、ご主人?」
その時ナズーリンは思った。自分のダウジングが星に反応した理由、さっきは霖之助にとって星が財宝足り得る存在だからだと思った。
だがそれは違った。ナズーリンの能力が星に反応したのは、ナズーリン自身が星を欲していたからに他ならなかったのだ。
(この虎が私の求める財宝だって? そんな事最初から判っていた筈なのに……ふふ、馬鹿みたいだね、私)
星はナズーリンを抱き締めながら思った。自分はこれまでに沢山の財宝を手に入れた。今でも十分幸せなのに、それなのに、これ以上の物を欲しがる事は罪深い事なのかも知れないと。
だが星は欲しがらずにはいられなかった。願わずにはいられなかった。
「今まで側に居てくれてありがとうございます。これからも色々と貴方に迷惑を掛けるかもしれません。それでも、この先もずっと、私の側に居てくれますか?」
「……何言ってるんだい? まったく、ばっかみたいだね」
ナズーリンは星の胸に顔を埋め、くぐもった声で答えた。
「そんなの、当たり前に決まってるじゃないか」
天からは流星が、星の瞳からは涙が零れ落ちる。星はナズーリンを強く抱き締め、この幸せがずっと続くようにと流れ星に祈った。
霖之助は夜空を眺め、流れ落ちる星を見ながら杯を傾けた。
流星とは天龍の鱗が剥がれ、天から落ち光輝いた物である。つまり流星とは元々龍星という意味だったのだ。
龍は幻想郷の最高神でもある。きっとその鱗だけでも願い事を叶えてくれるだけの力を持っているのだろう。
また一つ龍の鱗が天から落ちた。龍に虎の幸福を祈るのもまた面白いと霖之助は思った。
「願わくば、幻想郷の新たな住人達に幸福を」
霖之助は天の星に向かって杯を掲げた。
幻想郷の空に突如として現れた船はまぎれもない宝船であった。
何故なら、春風と共にとても素敵な財宝を運んで来てくれたのだから。
いいお話でした。是非続きをお願いします。
でも星霖もいいと思うんだ。
そうしたら評価してやるぜ
もっとやれ
霖之助と一緒にいるときの雰囲気も好きです。
誤字などの報告。
>霊夢や魔理沙と比べ格段に増しであった。
『まし』ではないでしょうか?
>桜の花弁がキラキラと舞っていた。。
『。』が一つ余計でした。
いやカプ物とは少し違うと思いますが
そして食材を集める程度の能力吹いたww
そのうち3pに突入するわけだな
そこだけ-10
おもしろかったです。
そしてこれもまた良いナズでした。御馳走様。南無三。