ふとさとりが目が覚ますと、そこに前時代の遺物である長ランを着こなした家族が居た。
「オッス、オラおくう! 核融合番長でありますっ!!」
なんでだよ。
▼
「やめなさいおくう!! 学園が火の海に―――って、あら?」
地底深くに聳え立つ館、地霊殿。
その一室のソファーで眠りに落ちていた館の主、古明地さとりは奇妙な夢を見て思わず跳ね起きていた。
辺りをきょろきょろと見回してみても、先ほどまで彼女に視界に焼きついていた燃え盛る学園も、その学園を吹っ飛ばす可愛いペットもそこにはいない。
ぼんやりと回らない思考の中でここが自室なのだと認識すると、彼女はようやく先ほどの光景が夢であったのだと認識した。
「……どんな夢よ」
ひとり疲れたように呟いて、彼女はゆっくりとソファーに背中を預ける。
背中に伝わる柔らかな弾力が心地よくて、幾分かは疲れが取れてくれたような気がした。
一体いつの間に眠ってしまったのだろうと考え始めたところで、ふと、自身の膝にかかっている重さに気がついて視線を落としてみれば。
「……うにゅ」
「あら」
先ほど夢に出てきた従者が、長ランなどではなくいつもの服を着て、さとりの膝の上で丸くなっていた。
彼女の太ももの感触が心地よいのか、頬ずりするように頭の位置を調整しながら、霊烏路空はすやすやと規則正しい寝息を立てている。
一体、いつの間に私の膝は枕代わりにされていたのだろうかと思いながらも、さとりはおくうを邪険に扱うことはせずに微笑みを浮かべておくうの頭を撫でた。
あまり手入れをしないのかぼさぼさの髪ではあったが、その色は鴉の塗羽色とでも表現できそうなほど艶がある。
手で櫛のように髪を梳かしてやると、おくうはゆるーい笑みを浮かべて「えへへ~」などと幸せそうであった。
まったく、一体どんな夢を見ているのやら。そんなことを思うが、さとりの表情から微笑が消えることはなかった。
優しく、慈愛に満ちた微笑み。普段あまり感情を表情に出さない少女は、幸せそうに眠る従者の髪を傷つけないように優しく梳かしている。
時折、おくうが頭の位置を調節するようにもぞもぞ動くと、少しこそばゆかったがそれぐらいなら我慢しようとさとりは思う。
こうやって、かわいい従者の寝顔を拝めたのだ。自分の膝ぐらい、喜んで好きにさせてあげよう。
「ん~……、さとり様」
「ふふ、なんですかおくう」
寝ぼけながら主人の名を呼ぶおくうに、さとりは聞こえないとわかっていながらも優しい声色で返事をした。
その間、柔らかなほっぺをぷにぷにとつついてやると、「んにゅ、んにゅ」と可愛らしい声を零してどこか嬉しそう。
押せばそれに見合うだけ跳ね返る弾力が心地よくて、少し癖になってしまいそうな心地よさ。
「さとり様は、私が護るから」
するりと、おくうの口からこぼれた言葉。
ともすれば、本当は起きているのではないだろうかと勘ぐってしまうほど真剣に紡がれた声。
その声に、さとりは思わず頬を突いていた指を止める。
すやすやと穏やかな寝息を立てるおくうの顔を覗き込みながら、さとりはじっとしたまま動かない。
よく手入れされた薄桃色の前髪がはらりと落ちて、さとりの目元を覆い隠した。
「ありがとう、おくう」
そう言葉にして、さとりは愛しそうにおくうの頭を撫でる。
一体、こういうときはどんな顔をすればいいのだろうと、そう考えてみたけれど答えが出ない。
笑えばいいのか、それとも悲しめばいいのか。
きっと、言葉どおりにおくうは彼女を護るだろう。良くも悪くも、おくうは純粋で優しくて、だからこその危うさがあることを、さとりは知っている。
さとりはその心を読む能力ゆえに、地上の者にはもちろん、地上から忌み嫌われ地底に追われた妖怪たちからすらも恐れられた。
彼女の側にいたのは心を閉ざしてしまった妹と、言葉を持たぬ怨霊と動物だけ。
そんな彼女にも、人の姿に変化できるようになり知恵を持つようになった後も、おくうやお燐は変わらず慕ってくれた。
それが、どれほど嬉しかったか。どれほど、さとりの心を救っていたことか。
おくうは、さとりのためならば何でもするだろう。恐らくは、世界を敵に回すことだって厭わない。
だからこそ、おくうは危うい。
彼女はさとりのことになると、途端に自分の身を蔑ろにする。元々広い方ではない視野が、より一層狭くなって周りが見えなくなるのだ。
先ほど見た、奇天烈な夢の中だってそうだった。
独り孤立し、苛められていたさとり。彼女を苦しめ、苛め、蔑んだもの全てを、おくうは跡形もなく焼き尽くし、そして周りから罵詈雑言を浴びせかけられた。
所詮、夢。だが、その夢が一歩間違えれば現実のものとなっていたことを、今更ながらに思い知らされる。
おくうの力は絶大で、おくうはその強大すぎる力を手にしたとき、地上へ侵攻しようとしたのだ。
さとりを地底へ追いやった地上への復讐。
おくうの暴走の根底の理由を第三の目を使って理解したとき、さとりは自身の放任主義をこの時ほど呪ったことはなかった。
お燐が地上に助けを求めなければ、あるいは後もう少し霊夢たちが遅くなっていれば、どのような理由があれどおくうを生かしておくわけにはいかなくなっていたはずなのだ。
主人として、恐らくは自身の手で、おくうを殺す。
何かが一つでも間違えれば、そうなっていたかもしれない。そう思うと、おくうの頭を撫でていた手が震えて、目に熱いものが込み上げてきた。
幸せそうに眠る従者が、居なくなっていたかもしれない。もしかしたら今この時間こそが、おくうを殺してしまった私が見ている夢なのではないか。
そう思うと、とても恐ろしかった。この幸せな時間が、危うい綱渡りの末に続いているという事実を、さとりはあらためて思い知らされる。
「と、いけませんね。こんなことでは」
いつの間にか頬を流れた涙をごしごしと拭いながら、さとりは呟く。
こんなところをおくうやお燐に見られたら、彼女達は何事かと慌てふためくだろう。
その様子を想像したらなんだか面白くて、ついクスクスと笑みがこぼれてしまったが、無駄に心配させる必要もない。
「うにゅ、……さとり様?」
「えぇ、さとりですよ。よく眠れたかしらおくう?」
薄っすらと目を開けて、おくうは目を覚ました。
まだ意識が定まっていないのか、どこかふわふわとした様子で舌足らずな言葉を紡ぐおくうに、さとりは苦笑しながら返答する。
さらさらと髪を梳いてやると、彼女は目を細めて嬉しそうに「うにゃあ」と猫のような声を零す。
それからするりと、おくうの手がさとりの腰に絡みつき、おくうは顔をさとりのお腹に摺り寄せて頬擦りを始めた。
少し、くすぐったい。
「えへへ~、さとり様だぁ」
「まだ寝ぼけてるのね。うちのおくうはこんなにも甘えん坊だったかしら?」
「甘えん坊なんです。だって、さとり様のこと大好きですから」
うにゅ~っと、頬擦りを止めないままおくうは平然と口にする。
臆面もなく、大好きだと人に伝えられる素直さは、おくうの美点だ。
その事を理解しているさとりは苦笑しながら、「しょうがない子ね」と優しく頭を撫でてやる。
幼い子供をあやすように、慈愛に満ちたさとりの表情に、先ほどの憂鬱は見られない。
「まるで子供だわ。大きな子供もいたものね」
「いいんです。さとり様と一緒にいられるなら、私は子供でいい」
「……もう本当に、そんな様子ではお燐に笑われますよ?」
どこか咎めるような台詞だが、その言葉はとても優しい。
相変わらず、おくうはだらしのない笑みを浮かべるばかりだったが、さとりにはそれで十分。
あんなことを考えた後だったからこそ、さとりにはおくうの笑顔が眩しかった。
きっと、おくうはさとりを護ってくれる。でもだからこそ、私はおくうを導いてやらないといけないのだと、さとりは思う。
主人として、そして何より大切な家族として。
「さとり様~、おくうを知りませんか? ってあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!? 何をしてるんだいおくう!!」
「うにゅ!!?」
さとりが決意を固めている最中、開いたドアからお燐が姿を見せて、さとりのお腹に頬擦りしていたおくうを見つけて盛大に大声を上げる。
その声にびっくりして、おくうが跳ね起きる。あぁ、ちょっと名残惜しいとも思ったさとりだったが、こうなっては仕方がない。
いつものことではあるが、おくうはお燐に頭が上がらないらしい。それが、以前の間欠泉の騒ぎ以降は特に顕著になった。
見てわかるほどしおしおと萎れていくおくうを見て、さとりはおかしくなってたまらず吹き出してしまった。
だって、今のおくうは巨大な力を持っているとは思えないほど、なんだかとても可愛らしかったから。
「いいのですよ、お燐。あなたも、私の膝枕はどうですか?」
「にゃっ!? で、でも……いいんですか?」
「もちろんです。たまにはこういうのも悪くありませんから。さ、二人ともこちらにいらっしゃい」
ぽんぽんと膝を叩くと、おくうは真っ先にさとりに抱きついてきた。その拍子にちょっと首が絞まったが、それはこの際気にしない。
お燐も、さとりに気を使ってはいたが、主本人がそういうのであれば断る理由も無い。
恐る恐るといった様子でさとりの傍にまで歩み寄ると、ゆっくりとソファーに横になって頭をさとりの膝の上に預けた。
それを見て、おくうもどこか楽しそうに頭を膝に乗せる。そんな二人の様子を見て、愛しそうに微笑んださとりは彼女達の頭を優しくなでてあげた。
おくうも、お燐も、とても幸せそうに目を細めて、それがさとりには嬉しかった。
「あぁ!! お姉ちゃん膝枕なんて二人ともずるいわ!!」
『こ、こいし様!!?』
「あら。おかえりなさい、こいし」
一体いつの間に帰ってきていたのやら、さとりの妹の古明地こいしが窓を開け放って彼女達の姿を見た途端、盛大に大声を上げて不貞腐れた。
その様子に従者二人は慌てふためくのだが、対してさとりはというと相変わらず優しそうに微笑んでいた。
「あなたもどうですか、膝枕」
「お姉ちゃん、私が頭乗せるスペースがないよ」
「む、それもそうですね。これは迂闊でした」
何しろ、さとりの左右の膝の上にはおくうとお燐の頭が乗っているのだ。これでは、こいしだけが仲間はずれ。
どうしたものかと少し考え込んでいたが、ふと、首に手を回されてきゅっと抱きしめられた。
「だったら、私はここがいいわ」
「そこでいいの?」
「ちょっと惜しいけど、今はここで我慢する」
ソファーの後ろから身を乗り出すように、傍目から見れば後ろから抱きつくような構図になったこいし。
さすがに、ちょっと暑い。何しろ、四人分の体温が密接しているのだ。そりゃあ、暑くもなる。
でも、さとりはそれでもいいかと、苦笑した。
「お姉ちゃん、暑くない?」
「暑いですね」
「うにゅ!?」
こいしの言葉に即答したさとり。だからか、さすがに気まずかったかおくうが奇妙な声を上げた。
起き上がろうとしたペット二人を、さとりは力づくで上から元の位置に戻させる。
「でも、いいのよ。私、今の時間がとても幸せだから」
それは、さとりの紛れもない本心。
一つ間違えれば、なくなっていたかもしれない幸せ。
一つ間違っていれば、失っていたかもしれない家族。
だから、さとりは今を噛み締めている。
共に居られる幸福。共に歩める幸せ。そして―――共に支えあう喜びを。
「ねぇ、おくう、お燐。私は、あなた達に恥じることのない主人で居られているかしら?」
「もちろん!!」
「当たり前ですよ、さとり様」
さとりの言葉に、二人は力強く答えを返してくれた。
「こいし、私はあなたに姉として恥じない姿をしているかしら」
「もちろん。私の自慢のお姉ちゃんだもの」
さとりの言葉に、こいしは嬉しそうに答えを返してくれた。
あぁ、と。さとりは思う。
私はこんなにも、家族に恵まれている。家族に、生かされている。
もう、彼女たちが居ないなんて考えられない。誰かが居なくなるなんて、そんなの堪えられない。
だから、護ろう。
誰も無くさないように、誰も居なくならないように。
私は私なりのやり方で、彼女たちを護り、支えようと、心に深く刻み込む。
こんなにも自分に報いてくれている家族に、恥じないようにと。
「あなた達は、私と一緒に居て幸せ?」
それは、何気ない問いかけ。本当に、自然と口を突いて出た言葉。
その言葉に、おくう達は顔を見合わせた。
しかし、それも僅か一瞬のこと。彼女達は、何でもないことのように、それが当然のことであるかのように。
『もちろん!!』
本当に、幸せそうな笑顔と共に、さとりの望んだ答えを紡ぎだしてくれた。
「オッス、オラおくう! 核融合番長でありますっ!!」
なんでだよ。
▼
「やめなさいおくう!! 学園が火の海に―――って、あら?」
地底深くに聳え立つ館、地霊殿。
その一室のソファーで眠りに落ちていた館の主、古明地さとりは奇妙な夢を見て思わず跳ね起きていた。
辺りをきょろきょろと見回してみても、先ほどまで彼女に視界に焼きついていた燃え盛る学園も、その学園を吹っ飛ばす可愛いペットもそこにはいない。
ぼんやりと回らない思考の中でここが自室なのだと認識すると、彼女はようやく先ほどの光景が夢であったのだと認識した。
「……どんな夢よ」
ひとり疲れたように呟いて、彼女はゆっくりとソファーに背中を預ける。
背中に伝わる柔らかな弾力が心地よくて、幾分かは疲れが取れてくれたような気がした。
一体いつの間に眠ってしまったのだろうと考え始めたところで、ふと、自身の膝にかかっている重さに気がついて視線を落としてみれば。
「……うにゅ」
「あら」
先ほど夢に出てきた従者が、長ランなどではなくいつもの服を着て、さとりの膝の上で丸くなっていた。
彼女の太ももの感触が心地よいのか、頬ずりするように頭の位置を調整しながら、霊烏路空はすやすやと規則正しい寝息を立てている。
一体、いつの間に私の膝は枕代わりにされていたのだろうかと思いながらも、さとりはおくうを邪険に扱うことはせずに微笑みを浮かべておくうの頭を撫でた。
あまり手入れをしないのかぼさぼさの髪ではあったが、その色は鴉の塗羽色とでも表現できそうなほど艶がある。
手で櫛のように髪を梳かしてやると、おくうはゆるーい笑みを浮かべて「えへへ~」などと幸せそうであった。
まったく、一体どんな夢を見ているのやら。そんなことを思うが、さとりの表情から微笑が消えることはなかった。
優しく、慈愛に満ちた微笑み。普段あまり感情を表情に出さない少女は、幸せそうに眠る従者の髪を傷つけないように優しく梳かしている。
時折、おくうが頭の位置を調節するようにもぞもぞ動くと、少しこそばゆかったがそれぐらいなら我慢しようとさとりは思う。
こうやって、かわいい従者の寝顔を拝めたのだ。自分の膝ぐらい、喜んで好きにさせてあげよう。
「ん~……、さとり様」
「ふふ、なんですかおくう」
寝ぼけながら主人の名を呼ぶおくうに、さとりは聞こえないとわかっていながらも優しい声色で返事をした。
その間、柔らかなほっぺをぷにぷにとつついてやると、「んにゅ、んにゅ」と可愛らしい声を零してどこか嬉しそう。
押せばそれに見合うだけ跳ね返る弾力が心地よくて、少し癖になってしまいそうな心地よさ。
「さとり様は、私が護るから」
するりと、おくうの口からこぼれた言葉。
ともすれば、本当は起きているのではないだろうかと勘ぐってしまうほど真剣に紡がれた声。
その声に、さとりは思わず頬を突いていた指を止める。
すやすやと穏やかな寝息を立てるおくうの顔を覗き込みながら、さとりはじっとしたまま動かない。
よく手入れされた薄桃色の前髪がはらりと落ちて、さとりの目元を覆い隠した。
「ありがとう、おくう」
そう言葉にして、さとりは愛しそうにおくうの頭を撫でる。
一体、こういうときはどんな顔をすればいいのだろうと、そう考えてみたけれど答えが出ない。
笑えばいいのか、それとも悲しめばいいのか。
きっと、言葉どおりにおくうは彼女を護るだろう。良くも悪くも、おくうは純粋で優しくて、だからこその危うさがあることを、さとりは知っている。
さとりはその心を読む能力ゆえに、地上の者にはもちろん、地上から忌み嫌われ地底に追われた妖怪たちからすらも恐れられた。
彼女の側にいたのは心を閉ざしてしまった妹と、言葉を持たぬ怨霊と動物だけ。
そんな彼女にも、人の姿に変化できるようになり知恵を持つようになった後も、おくうやお燐は変わらず慕ってくれた。
それが、どれほど嬉しかったか。どれほど、さとりの心を救っていたことか。
おくうは、さとりのためならば何でもするだろう。恐らくは、世界を敵に回すことだって厭わない。
だからこそ、おくうは危うい。
彼女はさとりのことになると、途端に自分の身を蔑ろにする。元々広い方ではない視野が、より一層狭くなって周りが見えなくなるのだ。
先ほど見た、奇天烈な夢の中だってそうだった。
独り孤立し、苛められていたさとり。彼女を苦しめ、苛め、蔑んだもの全てを、おくうは跡形もなく焼き尽くし、そして周りから罵詈雑言を浴びせかけられた。
所詮、夢。だが、その夢が一歩間違えれば現実のものとなっていたことを、今更ながらに思い知らされる。
おくうの力は絶大で、おくうはその強大すぎる力を手にしたとき、地上へ侵攻しようとしたのだ。
さとりを地底へ追いやった地上への復讐。
おくうの暴走の根底の理由を第三の目を使って理解したとき、さとりは自身の放任主義をこの時ほど呪ったことはなかった。
お燐が地上に助けを求めなければ、あるいは後もう少し霊夢たちが遅くなっていれば、どのような理由があれどおくうを生かしておくわけにはいかなくなっていたはずなのだ。
主人として、恐らくは自身の手で、おくうを殺す。
何かが一つでも間違えれば、そうなっていたかもしれない。そう思うと、おくうの頭を撫でていた手が震えて、目に熱いものが込み上げてきた。
幸せそうに眠る従者が、居なくなっていたかもしれない。もしかしたら今この時間こそが、おくうを殺してしまった私が見ている夢なのではないか。
そう思うと、とても恐ろしかった。この幸せな時間が、危うい綱渡りの末に続いているという事実を、さとりはあらためて思い知らされる。
「と、いけませんね。こんなことでは」
いつの間にか頬を流れた涙をごしごしと拭いながら、さとりは呟く。
こんなところをおくうやお燐に見られたら、彼女達は何事かと慌てふためくだろう。
その様子を想像したらなんだか面白くて、ついクスクスと笑みがこぼれてしまったが、無駄に心配させる必要もない。
「うにゅ、……さとり様?」
「えぇ、さとりですよ。よく眠れたかしらおくう?」
薄っすらと目を開けて、おくうは目を覚ました。
まだ意識が定まっていないのか、どこかふわふわとした様子で舌足らずな言葉を紡ぐおくうに、さとりは苦笑しながら返答する。
さらさらと髪を梳いてやると、彼女は目を細めて嬉しそうに「うにゃあ」と猫のような声を零す。
それからするりと、おくうの手がさとりの腰に絡みつき、おくうは顔をさとりのお腹に摺り寄せて頬擦りを始めた。
少し、くすぐったい。
「えへへ~、さとり様だぁ」
「まだ寝ぼけてるのね。うちのおくうはこんなにも甘えん坊だったかしら?」
「甘えん坊なんです。だって、さとり様のこと大好きですから」
うにゅ~っと、頬擦りを止めないままおくうは平然と口にする。
臆面もなく、大好きだと人に伝えられる素直さは、おくうの美点だ。
その事を理解しているさとりは苦笑しながら、「しょうがない子ね」と優しく頭を撫でてやる。
幼い子供をあやすように、慈愛に満ちたさとりの表情に、先ほどの憂鬱は見られない。
「まるで子供だわ。大きな子供もいたものね」
「いいんです。さとり様と一緒にいられるなら、私は子供でいい」
「……もう本当に、そんな様子ではお燐に笑われますよ?」
どこか咎めるような台詞だが、その言葉はとても優しい。
相変わらず、おくうはだらしのない笑みを浮かべるばかりだったが、さとりにはそれで十分。
あんなことを考えた後だったからこそ、さとりにはおくうの笑顔が眩しかった。
きっと、おくうはさとりを護ってくれる。でもだからこそ、私はおくうを導いてやらないといけないのだと、さとりは思う。
主人として、そして何より大切な家族として。
「さとり様~、おくうを知りませんか? ってあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!? 何をしてるんだいおくう!!」
「うにゅ!!?」
さとりが決意を固めている最中、開いたドアからお燐が姿を見せて、さとりのお腹に頬擦りしていたおくうを見つけて盛大に大声を上げる。
その声にびっくりして、おくうが跳ね起きる。あぁ、ちょっと名残惜しいとも思ったさとりだったが、こうなっては仕方がない。
いつものことではあるが、おくうはお燐に頭が上がらないらしい。それが、以前の間欠泉の騒ぎ以降は特に顕著になった。
見てわかるほどしおしおと萎れていくおくうを見て、さとりはおかしくなってたまらず吹き出してしまった。
だって、今のおくうは巨大な力を持っているとは思えないほど、なんだかとても可愛らしかったから。
「いいのですよ、お燐。あなたも、私の膝枕はどうですか?」
「にゃっ!? で、でも……いいんですか?」
「もちろんです。たまにはこういうのも悪くありませんから。さ、二人ともこちらにいらっしゃい」
ぽんぽんと膝を叩くと、おくうは真っ先にさとりに抱きついてきた。その拍子にちょっと首が絞まったが、それはこの際気にしない。
お燐も、さとりに気を使ってはいたが、主本人がそういうのであれば断る理由も無い。
恐る恐るといった様子でさとりの傍にまで歩み寄ると、ゆっくりとソファーに横になって頭をさとりの膝の上に預けた。
それを見て、おくうもどこか楽しそうに頭を膝に乗せる。そんな二人の様子を見て、愛しそうに微笑んださとりは彼女達の頭を優しくなでてあげた。
おくうも、お燐も、とても幸せそうに目を細めて、それがさとりには嬉しかった。
「あぁ!! お姉ちゃん膝枕なんて二人ともずるいわ!!」
『こ、こいし様!!?』
「あら。おかえりなさい、こいし」
一体いつの間に帰ってきていたのやら、さとりの妹の古明地こいしが窓を開け放って彼女達の姿を見た途端、盛大に大声を上げて不貞腐れた。
その様子に従者二人は慌てふためくのだが、対してさとりはというと相変わらず優しそうに微笑んでいた。
「あなたもどうですか、膝枕」
「お姉ちゃん、私が頭乗せるスペースがないよ」
「む、それもそうですね。これは迂闊でした」
何しろ、さとりの左右の膝の上にはおくうとお燐の頭が乗っているのだ。これでは、こいしだけが仲間はずれ。
どうしたものかと少し考え込んでいたが、ふと、首に手を回されてきゅっと抱きしめられた。
「だったら、私はここがいいわ」
「そこでいいの?」
「ちょっと惜しいけど、今はここで我慢する」
ソファーの後ろから身を乗り出すように、傍目から見れば後ろから抱きつくような構図になったこいし。
さすがに、ちょっと暑い。何しろ、四人分の体温が密接しているのだ。そりゃあ、暑くもなる。
でも、さとりはそれでもいいかと、苦笑した。
「お姉ちゃん、暑くない?」
「暑いですね」
「うにゅ!?」
こいしの言葉に即答したさとり。だからか、さすがに気まずかったかおくうが奇妙な声を上げた。
起き上がろうとしたペット二人を、さとりは力づくで上から元の位置に戻させる。
「でも、いいのよ。私、今の時間がとても幸せだから」
それは、さとりの紛れもない本心。
一つ間違えれば、なくなっていたかもしれない幸せ。
一つ間違っていれば、失っていたかもしれない家族。
だから、さとりは今を噛み締めている。
共に居られる幸福。共に歩める幸せ。そして―――共に支えあう喜びを。
「ねぇ、おくう、お燐。私は、あなた達に恥じることのない主人で居られているかしら?」
「もちろん!!」
「当たり前ですよ、さとり様」
さとりの言葉に、二人は力強く答えを返してくれた。
「こいし、私はあなたに姉として恥じない姿をしているかしら」
「もちろん。私の自慢のお姉ちゃんだもの」
さとりの言葉に、こいしは嬉しそうに答えを返してくれた。
あぁ、と。さとりは思う。
私はこんなにも、家族に恵まれている。家族に、生かされている。
もう、彼女たちが居ないなんて考えられない。誰かが居なくなるなんて、そんなの堪えられない。
だから、護ろう。
誰も無くさないように、誰も居なくならないように。
私は私なりのやり方で、彼女たちを護り、支えようと、心に深く刻み込む。
こんなにも自分に報いてくれている家族に、恥じないようにと。
「あなた達は、私と一緒に居て幸せ?」
それは、何気ない問いかけ。本当に、自然と口を突いて出た言葉。
その言葉に、おくう達は顔を見合わせた。
しかし、それも僅か一瞬のこと。彼女達は、何でもないことのように、それが当然のことであるかのように。
『もちろん!!』
本当に、幸せそうな笑顔と共に、さとりの望んだ答えを紡ぎだしてくれた。
さとりん…笑えば、いいと思うよ。
親しい人の体温だけは失いたくないと、思わされる作品でした。
でも、同じくらい心が暖かくなりました。大切な人かぁ…