「ムラサ船長がアイデンティティー危機に陥っているようです」
その星の報告に、白蓮はショックを受けた表情でその場に倒れこむ。
「何ということでしょう。まさか水蜜ちゃんが……」
「はい、事態は深刻です」
「あいでんててー……」
白蓮は左右の人差し指をそれぞれのこめかみ付近に当てながら何かを考え込んでいる。
「あの、聖……?」
「星ちゃん、『あいでんててー』って何ですか?」
「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念で、自己同一性とも自我同一性ともいいます」
白蓮の間抜けな問いに動じることなく、星は即座に答えを返す。
一方の白蓮は、先ほどのポーズのまま固まったかのように動かない。やがて、こめかみから煙が……。
「わあ!? 聖! 大丈夫ですか!?」
「う~ん、う~ん、じこどういつせー、じがどういつせー……」
「つまり、少年少女が『私って一体何者だろう?』とか悩むときの『本当の自分』とかそんな感じのものですよ!」
「ああ、なるほど!」
ようやく煙がおさまって白蓮はホッと一息つく。
「ついに水蜜ちゃんも大人の階段を上りはじめたのね。今夜はお赤飯にしないと!」
「あ、いや、そうではなくて、村紗船長が陥っているアイデンティティー危機は、心理学的なそれではないのですよ」
「ぷしゅ~」
「あ、また煙が!?」
星は慌てて周囲を見回すと、氷の妖精が空を飛んでいるのを発見した。
飴玉1つにつき20分という条件で契約成立。
現在チルノは、白蓮の頭の上にあごをのっけて後ろから抱きついている。白蓮は気持ちよさそうだ。チルノも満足そうに飴玉をなめている。
「だからですね、聖輦船が今私たちが住んでいる寺になったことで失われたことにより、ムラサ船長は船長ではなくなったわけです。船がありませんからね。そして、幻想郷には海がありません。船幽霊という妖怪としての面も幻想郷では意味を持ちません。つまり、村紗水蜜は、村紗水蜜という存在そのものに疑問を抱き始めたわけです。自分って一体何者だろうと」
「……それは大変な事態ではありませんか」
「はい」
ようやく事態の深刻さに気づいた白蓮は厳しい表情になった。
妖怪は肉体こそ頑丈だが精神攻撃には弱い。今の村紗は自分自身の存在意義に揺らぎが生じている。それは、文字通り致命傷になりうる。
白蓮はしばらく黙すと、チルノを抱きかかえながらすくっと立ち上がった。
「馬をひけぃ!」
「あの、馬は飼っておりませんが……」
「一度言ってみたかっただけです。さあ、水蜜ちゃんのところに行きますよ!」
村紗は霧の湖のほとりに膝を抱え込むように体育座りをしていた。
「幻想郷に海ーないー」
何かの歌を寂しく歌いながら村紗は小石を湖に投げ入れる。
水面に波紋が生じ、同心円状に広がっていく。しかし、ほどなくしてまた水面は元の静けさを取り戻し、時折風でさざ波が立つ程度になる。寂しさを覚えた村紗は、膝をより強く抱きしめる。
春もそろそろ終わり新緑の季節へなろうとしている。春に芽生えた生命たちがさらに輝く躍動の時期だというのに、村紗の気持ちは沈んだままだ。
「船を沈める私の心が沈んでたら世話ないですよねー……」
自嘲ぎみに呟く村紗の視界が急に暗くなる。
温かい手が村紗の目を塞いだのだ。
「だ~れだ?」
それは村紗の恩人にして、村紗にとって大切な人。
「聖?」
「当たりー」
村紗が後ろを振り返ると、いつものように柔らかな笑みを浮かべた白蓮が立っていた。
白蓮の後ろには、星、一輪、雲山、ナズーリン、ぬえが控えている。皆、村紗を心配そうに見ている。ぬえだけそっぽを向いているが、視線をちらちら向けているのを感じる。
「水蜜ちゃん、元気を出して」
「聖……」
一瞬表情が崩れるが、村紗は強張った表情になる。
「もう船がなくて船長じゃなくて、海がないから船幽霊としての意味もなくて、そんな中途半端な私で! 聖が封印されたときも、何もできずに地下に封じられて! 法界に行けたのも飛宝のおかげで! こんな私が聖の傍にいても迷惑かけちゃうんじゃないかなって……!」
途中からぼろぼろと涙をこぼしながらまくしたてる村紗を白蓮は抱きしめた。
しばらく震えながら泣きじゃくっていた村紗だったが、白蓮が優しく頭を撫でるたびに身体の震えがおさまっていく。
「水蜜ちゃんが迷惑をかけたことなんて一度もないですよ。何より、私を助けるために船を出してくれたじゃないですか。あの船は水蜜ちゃんの強い意志がないと動かないのですから」
「聖ぃ……」
「水蜜ちゃん、助けに来てくれてありがとうございます。本当に、本当に嬉しかったですよ」
「……聖!」
再び号泣する村紗。そんな村紗を皆は温かい目で見守っていた。
「さて、ここでお知らせがありまーす」
村紗が落ち着いたのを見計らって白蓮が宣言する。
「実はですね、水蜜ちゃんのために新しい船を作っちゃいましたー」
「え?」
その言葉に村紗は息を呑んだ。
「これでーす!」
高らかに掲げる白蓮の手から光が溢れる。
そして、光がおさまったあとに皆の目にうつったのは一隻の船であった。
それは、かつての聖輦船とまったく同じ外見をしていた。それはすなわち、村紗がまだ人間のときに乗っていて、そして転覆した船である。
一同は「おおお……!」と感嘆の声をあげかけ、やがてその感嘆の声はしぼんでいく。
「ああ……これはまさしく聖輦船……ですが……」
村紗は申し訳なさそうな感じで視線で白蓮に問いかける。
確かに外見こそ聖輦船であったが、全長約1m、全幅約70cmぐらいの大きさであった。
「ごめんなさい、復活したばかりで法力不足で……」
「いやいやいや! すっごい嬉しいです!」
その場にいる皆の微妙な反応にしゅんとなる白蓮を見て村紗は慌てる。
「と、とりあえず、乗ってみますね」
ちょこん
まさに、その擬音が相応しかった。
立つとバランスが若干悪く、かといって体育座りをするとスペース的に苦しい。足を投げ出して座るという方法もあったが、村紗が選択したのは正座だった。
ふよふよ浮いているミニサイズ聖輦船に一体化するような正座姿の村紗水蜜。
重苦しい沈黙がしばらく場を支配する。
そのとき強めの風が吹いて、ミニ聖輦船ごと村紗は流されていく。
「あああああああ……」
ブホッ!
ついに沈黙が破られる。ぬえが我慢しきれずに噴き出したのだ。
「あっはっはっは! ムラサ! いい! それいい! あれだあれ! 地底で子供妖怪が乗ってたゴーカートってやつ! それ! それにそっくり! あはははは……へぶぅっ!?」
大爆笑していたぬえに魔神復誦が突き刺さる。ぬえにつられて笑いかけた一同の顔が引き締まる。ナズーリンの頬の筋肉が痙攣して決壊寸前ではあるが。
ふよよよよよよ
そんな擬音と共に、村紗が戻ってくる。どうやら動かし方のコツをつかんだらしい。
「あ、ありがとうございます、聖!」
「いえいえ、大したことはないですよ。そして、実はですね、大きさこそミニサイズになってしまいましたが、性能自体は悪くないんですよ。魔界にだって突入可能です」
今度は掛け値なしの称賛のどよめきが起こる。
「そして、スピードにこだわってみました」
きらりんと白蓮の瞳が光る。
「今回知り合った白黒の同業者の方に『幻想郷ではスピードが命』と教えられたので」
「へ、へえー。聖、どのぐらいのスピードが出るんですか?」
「論より証拠。水蜜ちゃん、妖力を注げばそれだけスピードが上がるはずです」
「はい、やってみますね」
村紗を見つめる白蓮の表情は明らかに期待に満ちている。
村紗は、白蓮のためにも持てる限りの力を振り絞って幻想郷最速を目指してみる。
(聖が私のために用意してくれたのだから、聖の期待に応えないと……!)
村紗は霧の湖上空をぐるぐる旋回し始める。
最初こそ「ふよよよよよ……」と情けない効果音だったものが、やがて「ふよぉぉぉぉぉぉぉ!」とテンションが上がっていく。
「お! なんか、調子出てきました!」
正座姿勢がジャストフィットしているのか、いくらスピードを上げても振り落とされる気配はない。そして、生身で飛ぶときには到底達しないような速度になり、風がびゅんびゅん痛いぐらいに当たってきて怖くなってきたが、聖のために村紗は飛ぶ。
ふよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
細かい旋回ができない速度になり、霧の湖全体を大きく回るように移動し始める村紗。
それでもなお加速は続いていく。
「こ、怖いですぅぅぅぅぅぅ! で、でも、聖のためぇぇぇぇぇ!!」
村紗は泣きながらさらに加速を続ける。
「ん? あれ、何かな?」
ナズーリンはミニ聖輦船の背後に丸い雲がときおりできているのに気づく。
「説明しよう!」
「うわ!?」
そのとき、湖の中から河城にとりが飛び出してきた。
「き、君はどこから出てくるんだ!?」
「通りすがりの河童だよ。河童が水の中から出てくるのは当然じゃないか。それよりネズミくん、このにとりさんがあの雲について解説をしてあげよう」
「いや、頼んでないから」
「あの雲はね、プラントル・グロワート・シンギュラリティというんだ。圧力急増と圧力急減によって水蒸気が凝結し、機体周囲に楕円状の雲が発生するという現象さ」
突然現れたにとりの解説に誰一人としてついていけなかった。
場の空気を読んで、一輪がおずおずと声をかける。
「つまり、どういうこと?」
「あの船、音速に近づいているよ。あの雲は音速に近づくと発生するからね。まだ加速しているみたいだし、このままだと音速に到達するかもね。一応避難した方がいいと思うよ」
「にとりさんとやら、それがどういう意味が教えてくれると助かるんだけど」
「音速を超えたときに強力な衝撃波が出るのよ。あんな低空飛行なら、結構な威力になるはず。確かに伝えたから。じゃねー」
にとりはポチャンという音と共に湖の中へ消えていった。
一瞬の静寂。
そして、全員が動こうとしたとき、湖の向こうから皆に向かって突撃してくる村紗が一人。
「止まらないですぅぅぅぅぅぅぅぅ!!??」
そして、幻想郷初?の音速到達。
次の瞬間、爆音と共に衝撃波が発生し、周囲を薙ぎ払っていった。
『あ~!?』
皆は仲良く吹き飛ばされ、近くにあった紅魔館はガラス全損、壁倒壊、門番埋もれる、という被害にあった。
たまたま「紅魔館の連中を驚かせてやる」と息巻いて出陣した小傘が、美鈴に対して「驚けー!」と大声を出した瞬間に起こった出来事だったので、犯人は小傘ということになってしまったことがあったりした。
「なんと、わちきが犯人ともうすか!?」
「あんた以外の誰がいるのよ!! 私の館に何てことしてくれたの!!」
そんな悲喜劇が発生中、白蓮たちは気絶した村紗をかつぎ、急いで撤収をして事なきをえたのであった。
その日の夜――
白蓮は村紗の部屋を訪れた。
すると、そこには全身に包帯を巻かれた痛々しい姿で、ミニ聖輦船を磨いている村紗がいた。
「水蜜ちゃん、ごめんね。怪我、大丈夫? スピードを抑えるように改良しておいたから止まらなくなるようなことはもう起こらないはずですから」
「あ、聖」
心配そうに声をかける白蓮に、村紗は笑顔を返した。
「この程度の怪我、大丈夫ですよ。それより、聖が私のために船を用意してくれたことが何より嬉しくて……」
「もう、相変わらず泣き虫ですね、水蜜ちゃんは」
再び泣き出す村紗を、白蓮は慣れた感じで抱きしめる。村紗が落ち着くまで抱きしめ続けるのが常だ。
そして、村紗が落ち着いてからそっと身体を離す。そのときの、恥ずかしそうな、それでいて名残惜しそうに上目づかいになる表情が白蓮は大好きだ。
「そうだ。聖、私、この船に名前をつけたんですよ」
「え? どんな名前にしたんですか?」
興味津津といった表情で見てくる白蓮を正面から見ると、村紗はしっかりとした声で宣言した。
「聖連船です。聖に連なる船。前の聖輦船という名前は、聖を乗せるための船という意味でした。『輦』は尊い人を乗せる輿という意味がありましたから。そして、今回の『連』には連なる、という意味の他に、身内、仲間というものがあります。これからずっと聖と一緒に生きていくという願いを込めて決めたんですけど……」
村紗は不安な表情で上目づかいに白蓮を見る。
「あの、迷惑だったでしょうか……?」
「水蜜ちゃん……!」
白蓮はひしっと村紗を抱きしめた。
「私は嬉しいです! 千年以上経ったのに、私を家族として見てくれるんですね!」
「聖が喜んでくれて、私、嬉しいです」
「水蜜ちゃん、これからもよろしくお願いします」
「はい、聖、こちらこそ、よろしくお願いします」
(本当は『聖恋船』なんですけどね……)
村紗は、そのことを伝えることはこの先もないだろうなと思っていた。
今はただ、聖と、一輪たち皆と一緒に暮らしていける幸せが永遠に続いてほしいと願った。
星が降る幻想郷の夜、一筋の流星が村紗の願いに応えるかのように夜空を駆けるのであった。
その星の報告に、白蓮はショックを受けた表情でその場に倒れこむ。
「何ということでしょう。まさか水蜜ちゃんが……」
「はい、事態は深刻です」
「あいでんててー……」
白蓮は左右の人差し指をそれぞれのこめかみ付近に当てながら何かを考え込んでいる。
「あの、聖……?」
「星ちゃん、『あいでんててー』って何ですか?」
「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念で、自己同一性とも自我同一性ともいいます」
白蓮の間抜けな問いに動じることなく、星は即座に答えを返す。
一方の白蓮は、先ほどのポーズのまま固まったかのように動かない。やがて、こめかみから煙が……。
「わあ!? 聖! 大丈夫ですか!?」
「う~ん、う~ん、じこどういつせー、じがどういつせー……」
「つまり、少年少女が『私って一体何者だろう?』とか悩むときの『本当の自分』とかそんな感じのものですよ!」
「ああ、なるほど!」
ようやく煙がおさまって白蓮はホッと一息つく。
「ついに水蜜ちゃんも大人の階段を上りはじめたのね。今夜はお赤飯にしないと!」
「あ、いや、そうではなくて、村紗船長が陥っているアイデンティティー危機は、心理学的なそれではないのですよ」
「ぷしゅ~」
「あ、また煙が!?」
星は慌てて周囲を見回すと、氷の妖精が空を飛んでいるのを発見した。
飴玉1つにつき20分という条件で契約成立。
現在チルノは、白蓮の頭の上にあごをのっけて後ろから抱きついている。白蓮は気持ちよさそうだ。チルノも満足そうに飴玉をなめている。
「だからですね、聖輦船が今私たちが住んでいる寺になったことで失われたことにより、ムラサ船長は船長ではなくなったわけです。船がありませんからね。そして、幻想郷には海がありません。船幽霊という妖怪としての面も幻想郷では意味を持ちません。つまり、村紗水蜜は、村紗水蜜という存在そのものに疑問を抱き始めたわけです。自分って一体何者だろうと」
「……それは大変な事態ではありませんか」
「はい」
ようやく事態の深刻さに気づいた白蓮は厳しい表情になった。
妖怪は肉体こそ頑丈だが精神攻撃には弱い。今の村紗は自分自身の存在意義に揺らぎが生じている。それは、文字通り致命傷になりうる。
白蓮はしばらく黙すと、チルノを抱きかかえながらすくっと立ち上がった。
「馬をひけぃ!」
「あの、馬は飼っておりませんが……」
「一度言ってみたかっただけです。さあ、水蜜ちゃんのところに行きますよ!」
村紗は霧の湖のほとりに膝を抱え込むように体育座りをしていた。
「幻想郷に海ーないー」
何かの歌を寂しく歌いながら村紗は小石を湖に投げ入れる。
水面に波紋が生じ、同心円状に広がっていく。しかし、ほどなくしてまた水面は元の静けさを取り戻し、時折風でさざ波が立つ程度になる。寂しさを覚えた村紗は、膝をより強く抱きしめる。
春もそろそろ終わり新緑の季節へなろうとしている。春に芽生えた生命たちがさらに輝く躍動の時期だというのに、村紗の気持ちは沈んだままだ。
「船を沈める私の心が沈んでたら世話ないですよねー……」
自嘲ぎみに呟く村紗の視界が急に暗くなる。
温かい手が村紗の目を塞いだのだ。
「だ~れだ?」
それは村紗の恩人にして、村紗にとって大切な人。
「聖?」
「当たりー」
村紗が後ろを振り返ると、いつものように柔らかな笑みを浮かべた白蓮が立っていた。
白蓮の後ろには、星、一輪、雲山、ナズーリン、ぬえが控えている。皆、村紗を心配そうに見ている。ぬえだけそっぽを向いているが、視線をちらちら向けているのを感じる。
「水蜜ちゃん、元気を出して」
「聖……」
一瞬表情が崩れるが、村紗は強張った表情になる。
「もう船がなくて船長じゃなくて、海がないから船幽霊としての意味もなくて、そんな中途半端な私で! 聖が封印されたときも、何もできずに地下に封じられて! 法界に行けたのも飛宝のおかげで! こんな私が聖の傍にいても迷惑かけちゃうんじゃないかなって……!」
途中からぼろぼろと涙をこぼしながらまくしたてる村紗を白蓮は抱きしめた。
しばらく震えながら泣きじゃくっていた村紗だったが、白蓮が優しく頭を撫でるたびに身体の震えがおさまっていく。
「水蜜ちゃんが迷惑をかけたことなんて一度もないですよ。何より、私を助けるために船を出してくれたじゃないですか。あの船は水蜜ちゃんの強い意志がないと動かないのですから」
「聖ぃ……」
「水蜜ちゃん、助けに来てくれてありがとうございます。本当に、本当に嬉しかったですよ」
「……聖!」
再び号泣する村紗。そんな村紗を皆は温かい目で見守っていた。
「さて、ここでお知らせがありまーす」
村紗が落ち着いたのを見計らって白蓮が宣言する。
「実はですね、水蜜ちゃんのために新しい船を作っちゃいましたー」
「え?」
その言葉に村紗は息を呑んだ。
「これでーす!」
高らかに掲げる白蓮の手から光が溢れる。
そして、光がおさまったあとに皆の目にうつったのは一隻の船であった。
それは、かつての聖輦船とまったく同じ外見をしていた。それはすなわち、村紗がまだ人間のときに乗っていて、そして転覆した船である。
一同は「おおお……!」と感嘆の声をあげかけ、やがてその感嘆の声はしぼんでいく。
「ああ……これはまさしく聖輦船……ですが……」
村紗は申し訳なさそうな感じで視線で白蓮に問いかける。
確かに外見こそ聖輦船であったが、全長約1m、全幅約70cmぐらいの大きさであった。
「ごめんなさい、復活したばかりで法力不足で……」
「いやいやいや! すっごい嬉しいです!」
その場にいる皆の微妙な反応にしゅんとなる白蓮を見て村紗は慌てる。
「と、とりあえず、乗ってみますね」
ちょこん
まさに、その擬音が相応しかった。
立つとバランスが若干悪く、かといって体育座りをするとスペース的に苦しい。足を投げ出して座るという方法もあったが、村紗が選択したのは正座だった。
ふよふよ浮いているミニサイズ聖輦船に一体化するような正座姿の村紗水蜜。
重苦しい沈黙がしばらく場を支配する。
そのとき強めの風が吹いて、ミニ聖輦船ごと村紗は流されていく。
「あああああああ……」
ブホッ!
ついに沈黙が破られる。ぬえが我慢しきれずに噴き出したのだ。
「あっはっはっは! ムラサ! いい! それいい! あれだあれ! 地底で子供妖怪が乗ってたゴーカートってやつ! それ! それにそっくり! あはははは……へぶぅっ!?」
大爆笑していたぬえに魔神復誦が突き刺さる。ぬえにつられて笑いかけた一同の顔が引き締まる。ナズーリンの頬の筋肉が痙攣して決壊寸前ではあるが。
ふよよよよよよ
そんな擬音と共に、村紗が戻ってくる。どうやら動かし方のコツをつかんだらしい。
「あ、ありがとうございます、聖!」
「いえいえ、大したことはないですよ。そして、実はですね、大きさこそミニサイズになってしまいましたが、性能自体は悪くないんですよ。魔界にだって突入可能です」
今度は掛け値なしの称賛のどよめきが起こる。
「そして、スピードにこだわってみました」
きらりんと白蓮の瞳が光る。
「今回知り合った白黒の同業者の方に『幻想郷ではスピードが命』と教えられたので」
「へ、へえー。聖、どのぐらいのスピードが出るんですか?」
「論より証拠。水蜜ちゃん、妖力を注げばそれだけスピードが上がるはずです」
「はい、やってみますね」
村紗を見つめる白蓮の表情は明らかに期待に満ちている。
村紗は、白蓮のためにも持てる限りの力を振り絞って幻想郷最速を目指してみる。
(聖が私のために用意してくれたのだから、聖の期待に応えないと……!)
村紗は霧の湖上空をぐるぐる旋回し始める。
最初こそ「ふよよよよよ……」と情けない効果音だったものが、やがて「ふよぉぉぉぉぉぉぉ!」とテンションが上がっていく。
「お! なんか、調子出てきました!」
正座姿勢がジャストフィットしているのか、いくらスピードを上げても振り落とされる気配はない。そして、生身で飛ぶときには到底達しないような速度になり、風がびゅんびゅん痛いぐらいに当たってきて怖くなってきたが、聖のために村紗は飛ぶ。
ふよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
細かい旋回ができない速度になり、霧の湖全体を大きく回るように移動し始める村紗。
それでもなお加速は続いていく。
「こ、怖いですぅぅぅぅぅぅ! で、でも、聖のためぇぇぇぇぇ!!」
村紗は泣きながらさらに加速を続ける。
「ん? あれ、何かな?」
ナズーリンはミニ聖輦船の背後に丸い雲がときおりできているのに気づく。
「説明しよう!」
「うわ!?」
そのとき、湖の中から河城にとりが飛び出してきた。
「き、君はどこから出てくるんだ!?」
「通りすがりの河童だよ。河童が水の中から出てくるのは当然じゃないか。それよりネズミくん、このにとりさんがあの雲について解説をしてあげよう」
「いや、頼んでないから」
「あの雲はね、プラントル・グロワート・シンギュラリティというんだ。圧力急増と圧力急減によって水蒸気が凝結し、機体周囲に楕円状の雲が発生するという現象さ」
突然現れたにとりの解説に誰一人としてついていけなかった。
場の空気を読んで、一輪がおずおずと声をかける。
「つまり、どういうこと?」
「あの船、音速に近づいているよ。あの雲は音速に近づくと発生するからね。まだ加速しているみたいだし、このままだと音速に到達するかもね。一応避難した方がいいと思うよ」
「にとりさんとやら、それがどういう意味が教えてくれると助かるんだけど」
「音速を超えたときに強力な衝撃波が出るのよ。あんな低空飛行なら、結構な威力になるはず。確かに伝えたから。じゃねー」
にとりはポチャンという音と共に湖の中へ消えていった。
一瞬の静寂。
そして、全員が動こうとしたとき、湖の向こうから皆に向かって突撃してくる村紗が一人。
「止まらないですぅぅぅぅぅぅぅぅ!!??」
そして、幻想郷初?の音速到達。
次の瞬間、爆音と共に衝撃波が発生し、周囲を薙ぎ払っていった。
『あ~!?』
皆は仲良く吹き飛ばされ、近くにあった紅魔館はガラス全損、壁倒壊、門番埋もれる、という被害にあった。
たまたま「紅魔館の連中を驚かせてやる」と息巻いて出陣した小傘が、美鈴に対して「驚けー!」と大声を出した瞬間に起こった出来事だったので、犯人は小傘ということになってしまったことがあったりした。
「なんと、わちきが犯人ともうすか!?」
「あんた以外の誰がいるのよ!! 私の館に何てことしてくれたの!!」
そんな悲喜劇が発生中、白蓮たちは気絶した村紗をかつぎ、急いで撤収をして事なきをえたのであった。
その日の夜――
白蓮は村紗の部屋を訪れた。
すると、そこには全身に包帯を巻かれた痛々しい姿で、ミニ聖輦船を磨いている村紗がいた。
「水蜜ちゃん、ごめんね。怪我、大丈夫? スピードを抑えるように改良しておいたから止まらなくなるようなことはもう起こらないはずですから」
「あ、聖」
心配そうに声をかける白蓮に、村紗は笑顔を返した。
「この程度の怪我、大丈夫ですよ。それより、聖が私のために船を用意してくれたことが何より嬉しくて……」
「もう、相変わらず泣き虫ですね、水蜜ちゃんは」
再び泣き出す村紗を、白蓮は慣れた感じで抱きしめる。村紗が落ち着くまで抱きしめ続けるのが常だ。
そして、村紗が落ち着いてからそっと身体を離す。そのときの、恥ずかしそうな、それでいて名残惜しそうに上目づかいになる表情が白蓮は大好きだ。
「そうだ。聖、私、この船に名前をつけたんですよ」
「え? どんな名前にしたんですか?」
興味津津といった表情で見てくる白蓮を正面から見ると、村紗はしっかりとした声で宣言した。
「聖連船です。聖に連なる船。前の聖輦船という名前は、聖を乗せるための船という意味でした。『輦』は尊い人を乗せる輿という意味がありましたから。そして、今回の『連』には連なる、という意味の他に、身内、仲間というものがあります。これからずっと聖と一緒に生きていくという願いを込めて決めたんですけど……」
村紗は不安な表情で上目づかいに白蓮を見る。
「あの、迷惑だったでしょうか……?」
「水蜜ちゃん……!」
白蓮はひしっと村紗を抱きしめた。
「私は嬉しいです! 千年以上経ったのに、私を家族として見てくれるんですね!」
「聖が喜んでくれて、私、嬉しいです」
「水蜜ちゃん、これからもよろしくお願いします」
「はい、聖、こちらこそ、よろしくお願いします」
(本当は『聖恋船』なんですけどね……)
村紗は、そのことを伝えることはこの先もないだろうなと思っていた。
今はただ、聖と、一輪たち皆と一緒に暮らしていける幸せが永遠に続いてほしいと願った。
星が降る幻想郷の夜、一筋の流星が村紗の願いに応えるかのように夜空を駆けるのであった。
ひじりんが可愛すぎる
ブラボー! おお、ブラボー!
祝杯の代わりに星連船で一緒にお茶でも・・・・・・え? 沈む? 本望だッ!!
こんな超音速のキャプテン相手じゃ
館が壊れても仕方ない…よね?
海ステージ…
ただ、これだけは言わせてください。
Nice boat.
ジェネレーションギャップババァ可愛いよ!
キャプテンも可愛いよ!
>>1 >>44
当初の予定よりも、聖が天然さんになってしまいました。すべては「あいでんててー」が原因。
>>2
星蓮船のキャラは二次イメージが固まっていないので書きがいがあります。
>>3
よく沈むことで有名ってのが凄いですよね。一緒に沈みましょう。
>>8
便利です、にとり。幻想郷内の学問レベルでは説明できないこともにとりにおまかせ。
>>11 >>12 >>27
村紗の可愛さは正義です。
>>13
ありがとうございます。漢和辞典の「レン」とにらめっこした結果思いつきました。
>>17
復旧が地味に大変そうです。まあ、妹様が暴れるよりも軽微な被害でしょうが。たぶん一番の被害者は小傘。
>>25
紫あたりが境界いじって海の一部をもってくるとかないですかねー。
今まで海がなかっただけに、一つのテーマとして作れそうなネタだから、可能性はあると思っています。
>>36
nice boat.村紗がヤンデレ化しそうで禁句です。
>>42
あのいかにも頑張ってキャラをつくってるという痛々しさが大好きです。小傘可愛い。
船長の可愛さに泣いた
村紗可愛すぎて悶えてた。
>>47 >>58
村紗の可愛さを描くために書きました、はい。
>>51
ぬえはツンデレが似合うと思うのですよ。
音が高くなります。でも、ふよ~。