「――拙は、誰しも救われるに価すると思うて居ります」
白蓮の呟くような声が金堂に染み入るように響いた。
周囲を取り巻く、人。
一重ではない。
僧が。
侍が。
百姓が。
商人が。
果ては非人に至るまで。
その輪は金堂をみっしりと埋め尽くし、白蓮を取り囲んでいた。
金堂の外には、さらに人。
人。
人。
人。
それら全てが、己の滅びを願う意志の塊であると言うことに、白蓮は深い吐息を洩らした。
かわりにひとつ息を吸う。
悪意と敵意で、肉体を内側から融かされて行く感触さえ覚える。
「拙は、夜をば敬もうて居ります」
それでも、言葉を吐かぬわけにはいかない。
ゆるく瞳を伏せ、金堂の床を凝と見詰める。
覗けば己の面が映るほどに磨かれた、曇りの無い木目の床。
「彼ら」は、昨日も飽くことなくこの床を清めてくれていた。
「然れば、そなたは夜の住人なるか。そなたが匿うた、化生ばらの類なるか」
正面に立った禿頭の僧が、重々しい口ぶりで告げる。
白蓮の声とは正反対、金堂の壁を天井を跳ね回って残響する、威に満ちた声音。
白蓮は揺れない。
静かな姿勢を毫も崩さず、ゆるく伏せた瞳をそのままに唇だけが動いた。
「然に非ず。拙は昼をも敬もうて居ります」
「然れば、そなたは昼の住人なるか。そなたが謀うた、我ら人道の類なるか」
「然に非ず」
語気が強まった。
威は無い。
金堂に染み入るような深々とした声音は変わらない。
ただ、周囲を取り巻く人の群れを押し下げるような、凛とした圧力が仄暗い場を制した。
群衆のざわめきが、その声に圧されて水を打ったように静まり返る。
声は続いた。
「夜は昼なり。昼は夜なり」
「夜に在りて昼を敬い」
「昼に在りて夜を拝する」
「これ朝夕の日に似たり」
風が吹いた。
金堂は閉め切られている。
風が吹いた。
白蓮の髪が揺れる。
夜闇の黒でなく。
陽光の白でなく。
朝ぼらけの紫苑に染む、夕焼けの山吹。
風が吹いた。
茫洋とした燈火が揺れ、白蓮の影を波立たせる。
その影を抱く、白蓮の背に毘沙門天。
その左手に宝棒。
その右手に宝塔。
揺らめく明りが厳しい面を照らし、陰陽を際立たせる。
怒っているのか。
悲しんでいるのか。
何も感じていないのか。
「言うたな」
威に満ちた声。
「人に非ず、化生に非ず」
「六道輪廻の理を捨て」
「人を救い、化生を救い」
「夜と昼との狭間に住まうか」
白蓮が、
面を上げた。
「人にては化生を救うこと能わず」
「化生にては人を救うこと能わざれば」
息を吸う。
敵意と悪意に染まった大気。
目前の僧を屹と見据え、ゆっくりと、決然と、吐く。
「南無三宝」
しばし、沈黙が場を埋めた。
「聖白蓮」
僧の呼ぶ声。
返す声は無い。
「もはや問答無用」
「人妖の狭間にて戯れなば」
「その魂魄、冥府魔道の虜なるべし」
判決の言葉。
他意を差し挟む余地のない、厳然とした断言。
白蓮の唇から、次ぐ言葉はなかった。
「明日」
「儀を執り行う」
「ゆめ、逃ぐることなかれ」
僧が背を向けた。
端然として揺らがぬ歩みに、取り巻く人の輪が静かに割れる。
その姿が音もなく金堂を去って消え、それを追うようにして。
開かれた扉から、人々の姿が吸い込まれて消えていった。
外はまだ午の刻。
明るい日差しが金堂を染めた。
それは白蓮には届かない。
白蓮はなお、薄暗がりに座していた。
彼らが去ってからもなお。
座していた。
「――南無三宝」
風が吹いた。
白蓮の呟くような声が金堂に染み入るように響いた。
周囲を取り巻く、人。
一重ではない。
僧が。
侍が。
百姓が。
商人が。
果ては非人に至るまで。
その輪は金堂をみっしりと埋め尽くし、白蓮を取り囲んでいた。
金堂の外には、さらに人。
人。
人。
人。
それら全てが、己の滅びを願う意志の塊であると言うことに、白蓮は深い吐息を洩らした。
かわりにひとつ息を吸う。
悪意と敵意で、肉体を内側から融かされて行く感触さえ覚える。
「拙は、夜をば敬もうて居ります」
それでも、言葉を吐かぬわけにはいかない。
ゆるく瞳を伏せ、金堂の床を凝と見詰める。
覗けば己の面が映るほどに磨かれた、曇りの無い木目の床。
「彼ら」は、昨日も飽くことなくこの床を清めてくれていた。
「然れば、そなたは夜の住人なるか。そなたが匿うた、化生ばらの類なるか」
正面に立った禿頭の僧が、重々しい口ぶりで告げる。
白蓮の声とは正反対、金堂の壁を天井を跳ね回って残響する、威に満ちた声音。
白蓮は揺れない。
静かな姿勢を毫も崩さず、ゆるく伏せた瞳をそのままに唇だけが動いた。
「然に非ず。拙は昼をも敬もうて居ります」
「然れば、そなたは昼の住人なるか。そなたが謀うた、我ら人道の類なるか」
「然に非ず」
語気が強まった。
威は無い。
金堂に染み入るような深々とした声音は変わらない。
ただ、周囲を取り巻く人の群れを押し下げるような、凛とした圧力が仄暗い場を制した。
群衆のざわめきが、その声に圧されて水を打ったように静まり返る。
声は続いた。
「夜は昼なり。昼は夜なり」
「夜に在りて昼を敬い」
「昼に在りて夜を拝する」
「これ朝夕の日に似たり」
風が吹いた。
金堂は閉め切られている。
風が吹いた。
白蓮の髪が揺れる。
夜闇の黒でなく。
陽光の白でなく。
朝ぼらけの紫苑に染む、夕焼けの山吹。
風が吹いた。
茫洋とした燈火が揺れ、白蓮の影を波立たせる。
その影を抱く、白蓮の背に毘沙門天。
その左手に宝棒。
その右手に宝塔。
揺らめく明りが厳しい面を照らし、陰陽を際立たせる。
怒っているのか。
悲しんでいるのか。
何も感じていないのか。
「言うたな」
威に満ちた声。
「人に非ず、化生に非ず」
「六道輪廻の理を捨て」
「人を救い、化生を救い」
「夜と昼との狭間に住まうか」
白蓮が、
面を上げた。
「人にては化生を救うこと能わず」
「化生にては人を救うこと能わざれば」
息を吸う。
敵意と悪意に染まった大気。
目前の僧を屹と見据え、ゆっくりと、決然と、吐く。
「南無三宝」
しばし、沈黙が場を埋めた。
「聖白蓮」
僧の呼ぶ声。
返す声は無い。
「もはや問答無用」
「人妖の狭間にて戯れなば」
「その魂魄、冥府魔道の虜なるべし」
判決の言葉。
他意を差し挟む余地のない、厳然とした断言。
白蓮の唇から、次ぐ言葉はなかった。
「明日」
「儀を執り行う」
「ゆめ、逃ぐることなかれ」
僧が背を向けた。
端然として揺らがぬ歩みに、取り巻く人の輪が静かに割れる。
その姿が音もなく金堂を去って消え、それを追うようにして。
開かれた扉から、人々の姿が吸い込まれて消えていった。
外はまだ午の刻。
明るい日差しが金堂を染めた。
それは白蓮には届かない。
白蓮はなお、薄暗がりに座していた。
彼らが去ってからもなお。
座していた。
「――南無三宝」
風が吹いた。
面白いとは思います。けどこれは風景として面白いのであって、物語としては断片でしか無いんですよね。
この前後もきっちり書かれてれば、もっとはっきり評価できたと思います。