それは遊惰な午後のこと。
蒼穹に彩られた景色には巨大な入道雲。空に白く輝き続ける太陽は大地をじりじりと焼き、どこからか流れてくる涼風が風鈴の音を呼ぶ。周囲の森では蝉たちが懲りずに合唱を続け、まるで去りゆく季節を引き留めようとしているかのよう。
風鈴と蝉とが奏でる景色に、日暮の声がひとつ。
騒々しかった夏は、緩やかに秋へと移りゆこうとしていた。
幻想郷の外れに建つ、博麗神社。
その日、神社の縁側には二つの人影があった。
一人は縁側に腰を下ろし、流れるような金髪を風になびかせる一人の女性。
午後の日差しに半身を照らされながら、移ろいゆく風景を静かに眺めている。
その紫紺の瞳がどこを見ているのかは、ようと知れない。全てを見通しているようで・・・その実、何も見ていないのかも知れない。
ふと、女性の瞳が晩夏の景色から外れ、自らの膝に視線を落とした。
そこには、紅白の衣装を纏った黒髪の少女の姿があった。
女性の膝に頭を預け、黒髪を撫でられるまま穏やかに寝息を立てている。
その安らかな寝顔に、女性は紫紺の瞳を愛しげに細めた。
方や、境界を自在に操る大妖怪。方や、妖怪退治を生業とする巫女。
ただここでは、眠る子供と、それを見守る母にしか見えなかった。
「・・・・・・んー?」
ゆったりと時間が流れる中で、ふいに少女が身動ぎをする。
寝ぼけ眼で頭上の女性を認めたかかと思うと、がばっ、と体を起こす。
「・・・・あら、どうしたの? 霊夢―――」
起き上がったその背に女性が声をかけ、
「うりゃーーっ!!」
「むぐっ!?」
霊夢と呼ばれた少女は、振り向きざまの跳び膝蹴りで応えた。
顔面クリティカルヒット。
女性は背後に開いたスキマに倒れ込んで姿を消した。
一方、混乱からか息を乱しながら仁王立ちになった少女。
「い、いつかはやるかも知れないとは思ってたけどっ!! 妖怪ってこうも期待を裏切らないわけ!?」
「痛いわー。いきなりは酷いんじゃないかしら?」
「こっちだって突然よッ!! な、なんで私、」
ひょっこりとスキマから頭を覗かせる相手に、ばたばたと袖を振って訴える。
何度かつっかえたあと、ようやく少女は叫んだ。
「こーんな子どもの姿になってるわけ!?」
「あら、突っ込むのは膝枕じゃないのね」
「うらぁあああああっ!!!」
命名、博麗チョップ(安易)。
真っ赤になった少女の一撃は外れ、女性の頭はするりとスキマに消える。
何事もなかったかのようにひょっこりと現れる影に、少女は拳を震わせてそれを見る。
「紫ぃ・・・・・・この際だから一回、本気でやってみますか? スペカ無しで本気で滅してあげましょうか。えぇ?」
「あらあら、ストレスの解消は軽い運動で十分じゃないのかしら。 せめてスペルカードでまず解決を図りましょう」
「・・・・・・そう、これは異変ね? そうよね、異変なら元凶をぶっ飛ばすのが私の仕事よね・・・・・・」
少女から漏れる空虚な笑い。
両の手の甲と額には血管が浮かび、その左手にはいつの間にかお払い棒、右手にはスペルカードが携えられている。
なまじ姿が幼いため、いっそう鬼気迫って見える。
殺意にも似た気配に苦笑すると、境界の妖怪もスキマに座り直し、口元を扇子で覆い隠す。
「そうねぇ、それがあなたの役目ですもの。ところで霊夢、身体の方は大丈夫かしら?」
「は? ・・・えぇまぁ、ちまっこくなっただけだし」
「そう」
そんな心配するぐらいなら最初からするなと言いかけた先、境界の大妖はふっと笑う。
「よかったわ」
「・・・・・・・・・・・・。」
それは、少女が違和感を憶えるほど邪念のない笑顔。
「あら、どうしたのかしら博麗の巫女さん? 喧嘩は売られる前に押しつけるのが貴女じゃなかったの?」
少女が瞬いた後には、その笑顔は胡散臭さによって覆い隠されている。ただ、あの笑顔には、見た者の毒気を抜く程度の能力があったようだ。勢いを削がれ、少女は右手にただひらひらとスペルカードを弄ぶ。
・・・・・・何だろうか、この違和感は。
さっきの笑顔もさることながら、こいつが異変の起こし手だと考えると・・・・・・。
数秒の沈黙。
直感が拾い上げた違和感が確信に変わるのに、さして時間は掛からなかった。
「霊夢ー?」
「あーもー・・・・・・なんか調子出ないッ!」
荒々しくスペルカードをしまい、小さく首を傾げるスキマ妖怪を睨む。
「あんたの気遣いもさることながら、今の今まで違和感に気付かないなんて・・・・・・! なんでか勘もいつもより鈍いし!」
「そうねぇ、その姿じゃ無理もないわ」
「姿だけが問題じゃないでしょ・・・・・・?」
「あらあら、まだ何かあるのかしら。それは大変ね。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それに、異変解決はどうするのかしら? 異変解決の専門家がこれでは、一体どうすればいいのかしらねぇ・・・・・・」
あくまで悠然と態度を崩さない相手に、少女はびしりと指を突きつける。
そして苛立ちを呼気として吐き出しつつ、吼えた。
「とりあえずあんたの話を聞かせなさいよ・・・。
勘も騒いでるわよ、異変の起こし手っぽい雰囲気醸したり! 神社に来た上であんな事をするッ、目の前の胡散臭ーい妖怪に訊けってねぇッ!!」
* * *
「・・・・・・・・・・・・はっ?」
可愛いとか何とかのたまうスキマ妖怪を幾度となくぶっ飛ばし損ねて数刻。
相手が此度の異変について話し始めたのは、そろそろ日も暮れ始める時間になっていた。
「・・・・・・あの、人間好きだって言う半獣が?」
「えぇ、そうらしいわねぇ。」
この外見が幼くなる異変は、どうやら予想通り、幻想郷中で起こっている事らしい。
考えられる犯人(?)としては、ざっと挙げて運命を操るちっこい吸血鬼、竹林の藪医者、そして目の前にいるツッコミどころ満載のスキマ妖怪。でなくば、自分が知らない妖怪が起こしたものだと考えていたのだが・・・・。
このスキマ妖怪が言うに、犯人は人里に住む半人半獣―――上白沢慧音だというのだ。
「どうもね、藤原妹紅や蓬莱山輝夜らが彼女にとある依頼をしたらしいの。」
「幻想郷の人間みんなちっさくしろって? 迷惑千万な。やっぱり懲らしめてこようかしら」
「最後まで人の話は聞くものよ? 霊夢。
”永遠に身体的変化のない自分たちに、一時的に何らかの"変化"を与えて欲しい”・・・確かそんな依頼をしてきたと彼女は言っていたわ」
「ふーん・・・」
興味なさげに相づちを打ってみる。
”永遠に身体的変化のない自分たちに、一時的に何らかの"変化"を与えて欲しい”。
実際自分には興味がないし、それは酔狂だとしか思えないが、寿命が長くなるとそういう事を考えるようになるのだろうか。
幻想郷に住んでるヤツの中には、大国の一つ二つが栄えて滅びる以上に長く生きている奴もいるという。
だからといって、暇潰しのためにそう何度も異変を起こされてはたまったものではないのだが・・・。
思いつつ、大妖である存在を見る。
しかし、いつもの胡散臭い笑みからは、この妖怪が今回の異変についてどう考えているのかは、どうにも判らなかった。
ずずーっと適当に入れた茶を啜る。
「・・・・・・歴史を喰らい、そして創り出したのが・・・・・・この幼少化の歴史ってわけ?」
「そういう事になるわねぇ」
「・・・・・・・はぁ・・・」
幻想郷には、理性のない妖怪も棲んでいる。歴史喰らいの半獣に求められたのは、戦闘に支障を来さない程度の、変化。
幼少化が採択されたのは、最も現状に近く、失敗の可能性も少ない選択肢の一つだった為だという。
しかし、それの何が狂ったのか。
依頼者たちにのみ効果を及ぼすはずだったその歴史は、他の人間にも影響を与えてしまった・・・と。そういうことらしい。
苦虫でも噛み潰したかのような少女に、女性はふと面白いことを思いついたかのように口を開く。
「あとね、霊夢。この歴史喰いの対象になったのは、どうにも"霊的な技能を身につけた人間"らしいのよ。」
「へー・・・・・・え?」
聞き流そうとして、ふと恐るべき可能性に思い至る。
半獣や獣人と言えど、満月の日以外は人間と変わらない。
まして上白沢慧音は後天型の獣人だ。
そして・・・・満月はとうに過ぎてしまっている。
まさか、と呟くと、相手はどこか嬉しげにすら見える笑みを浮かべた。
「そう。異変の起こし手も、"歴史"の影響を受けたみたいなの。つまり・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・私とか、ちっさくなった人間は、次の満月に、・・・・・・あの半獣が獣人化して無事に"歴史"を創れるようになるまで・・・・・・?」
「えぇ。そのまま、という事になるわね。」
・・・・・・・・。
次の満月まで、この姿のまま?
「とっちめても意味なし?」
「治療のための時間が延びるだけね。おそらく、今回あなたの勘が働かなかったのは、動いても動かなくても結果が同じだからでしょうね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「あなたは他の人間よりも"歴史"に少し耐性があるみたいね。影響を受けるのが一番遅かったわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・~~~~~~~~ッ!!」
もう、頭を抱えるしかない。
・・・・・・マジですか。そういえばここ2,3日白黒魔法使いを見なくなったとは思っていたけれども。
ああ、時間は私にただの暇潰し以上の苦痛を強いるというのか・・・!
頭を抱えて悶絶する傍ら、スキマ妖怪はゆったりとして笑みさえ見せてくる。
「さっきは膝の上で気持ちよさそうに"暇潰し"をしていたのにねぇ」
とりあえず一発殴ろうとした手は空を切った。
そんなところで大妖の経験を生かさなくてもいいでせうに。というか今のとか明らかに見切られてるよねこれ。幼小化反対。後の祭り? ちくせう。
「ああ、それとね霊夢」
「何よ」
不機嫌そのものの顔でで振り返る先、紫がぴん、と指を立てる。
「もう一つ。今はまだ大丈夫みたいだけど・・・・・・あなたも、他の人間と同じことになる可能性が高いわ」
「・・・・ちょっと、まだ何かあるっての?」
顔が引きつった。
――ハッキリ言う。嫌な予感しかしない。
考えてみると、あの白黒魔法使いなら小さくなったくらいで行動を変えるようなヤツじゃない。
ちょっと待とう。嫌な予感で当たらなかったことはない。当たるのは勘だけにしてくれ。
そう、せめてグレイズでいいでしょう? ね?
・・・・・・しかし、私の楽観と恐怖の入り交じった視線の先で、紫は冷酷に事実を告げた。
「えぇ。この"歴史"の影響を受けた者はね、外見と精神年齢が同じになるの。ついでに記憶も。」
ついでに記憶もそうね、と付け加えるのは嬉しげな笑顔。
沈黙。
ああ静かだ。
どこかでひぐらしがないている。
もうすぐ夏も終わりだなぁ・・・・・・。
――――じゃなくて。
「何でっ!?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「記憶がちっさい頃に戻ったりしたら絶対に戦闘にも支障を来すじゃない! いや、むしろ戦闘以外の方が色々と支障を来すわよ!?」
「あの獣人が歴史を作り損ねたみたいねぇ。もしくは不完全で、うまく幼少化の歴史と組み合わなかったのかしら。ともかく、幼少化してから数日は記憶と行動が退行するみたいね。能力は退行しないみたいだけれど」
あぁこの胡散臭い笑みをうざったいと感じたとはどれほどぶりだろう! というか嬉しそうに見えるのは私だけかしらこれッ!?
「・・・・・・そーなんだー。」
「どこぞの宵闇の妖怪が入ってるわ、霊夢」
紫のツッコミも耳に入らない。
あぁ私の勘よ。嫌な予感ってこれか。そうだよ、これはある意味で何よりも危険な予感だ。
今回の異変は時間が経てば自然に解決されるって言うのに、わざわざここにスキマ妖怪が訪れた。
このタイミングで?
しかも記憶が幼少に戻るって事は、ことは・・・・・・。
・・・・・・私はまるっきりガキになるってこと、だ。
「あー、あー・・・・・・紫?」
「何かしら? 霊夢」
ぶっちゃけて言うと、子どもの頃の記憶なんてほとんどない。つまり自分がどんな行動をしうるかも予想できないわけで。・・・・・・小さくなった自分が紫に対して何しでかすか判ったもんじゃ、ない。
もしも子どもだからってべったり甘えてたりなんかしたら、戻った時に自分はショックと恥ずかしさのあまり滝壺ダイブでも敢行しそうだ。というかする。絶対する自信がある・・・ッ!!
いやまぁ、紫は時々「甘えて良いわよ?」的なことを言うけれどもそれに甘えるつもりはないし!
とりあえず紫を追い出そう。そうしよう。そうしなければ私に明日はない・・・!!
「えーと・・・・・・・魔理沙は? 私より先に小さくなったんだったら、魔理沙の面倒を見ないと。ほら、あいつ森に住んでるし危ないし」
ひとまず、他の人間の状況を聞いてみる。私よりも他のヤツの危険度・優先度を証明すれば、紫は私よりも他のヤツのところに行くはずだ。そうだ、そうすれば万事解決。・・・・・・いや、小さくなって危険なのはそうだし。我ながら名案だ。これぞ一石二鳥!
・・・・しかし。
「人形遣いが面倒を見ているらしいわ。羨ましいわね、付きっきりで。」
にっこり、と答えられる。こういう時に限って宴曲せずに直球で答えを返すのねあんた。
そして羨ましいって何? しかも付きっきりなのあいつら。
いやいやここで思考を停止しちゃ駄目でしょ博麗霊夢。えぇ駄目ね、全然駄目ッ!
「あー・・・・咲夜は? そう、紅魔の連中はちょっと危ない気がするから紫が手伝いに」
「紅魔の館全員で面倒を見る!って意気込んでいたわねぇ。特に吸血鬼姉妹が。常識人もいるし、心配はいらないでしょう」
うわー・・・紅魔館はしばらく波乱の渦になりそうね。争奪戦というか、日常というか。
他にも大変そうになるところも多々あるけど!
「妖夢は」
「幽々子が自分の従者に引っ張り回されると思うのかしら?」
・・・ごもっともで。というか名前だけで答えを返されるって最速ね。
・・・・・・・・・・・・いやいや、まだいるでしょ。まだ諦めるには早い!
「・・・・人里の阿求」
「人里ならとくに心配はないでしょう。たしか半獣は、一時的に蓬莱人たちと一緒に暮らすことになっていたんじゃないかしら? 月兎や妖怪兎は影響がなかったはずですし、それに藪医者は辛うじて年長者の意識を持っていたようね。あの様子なら、任せても大丈夫でしょう。」
竹林の藪医者も、そこのお姫様も、不死鳥野郎もか。まぁ後の二人は望み通りなんでしょうけど。多分。
我が身で体験しているとはいえ、想像できないわー・・・・。
ってちょっと。先取りされてるじゃない。
まずい。だって他に危険がありそうな人間なんていな――――
「あら、霊夢。山の上の風祝については聞かないの?」
「信仰の競争相手なんて知ったこっちゃないわ。どうせ一緒にいる二柱がどうにかするんだろうし。」
「ああ、それもそうねぇ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
笑顔を返された。・・・・・・しまった。つい反射で答えてしまった。自分から相手を追い出す機会を封じてどうするのよ。おのれ山の上の風祝。今度みっちり懲らしめてやる。
そう、みっちり懲らしめて・・・・・・その前に・・・・・・。
「あらあら。大あくびねぇ・・・」
ふあ、と口を突く大あくび。眠い。なんだろう、喋りすぎたんだろうか。さっき寝たばっかなのに・・・。
目をこすりながら見ると、苦笑する紫の姿が見えた。
「眠そうねぇ。やっぱり」
自分の膝をぽんぽんと叩いて示している。
しかもその上「子どもの役得よ?」とかなんとかのたまっていらっしゃる。
・・・・・・いや、眠くないから。
それを示すために、ぷい、とそっぽを向く。
頭の端っこで子どもっぽいと思ったが、今できる一番の行動はこれだった。
ち、ちくせう。笑顔でこちらを見るなー・・・。
「霊夢?」
「・・・・・・・・・・・・うー・・・」
「無理は良くないわ。」
邪念のない笑顔。
・・・・・・。
なんか、どうでも良くなってきた。
何をあんなにムキになっていたのかも判らなくなってきたし。
「ほら。」
「・・・・・・・・・・。」
私は黙って頷き、こて、と頭を預ける。
預けた場所は肩というか腕だったはずが、流れるように膝に寝かされた。
自然な動きだなといつもなら突っ込むんだろうが、・・・もうそんな気は起きない。
諦めとかそんなのも、頭の中から消えていた。
ただ眠い・・・・・・。
けれど、目を閉じるのは何かに負けるような気がしたので、目だけはまだ開いていようと気力を保とうとした。
「大丈夫よ」
紫はそんな私の頬を、そう言って撫でてくる。
・・・・・・暖かかった。
午後の日差し。紫の表情は逆光で見えない。だんだん周りがぼやけてくる・・・・・・。私は大人しく目を閉じることにした。
眠りの中に沈む耳に、ひぐらしたちの声が聞こえる。
そうか、もうすぐ秋なんだ。
意識が途切れるまで、私はそんなことをぼーっと考えていた―――
*
ふと目を開くと、そこは博麗神社。私は布団の中で寝室の天井を見ていた。
ぴっちりと閉められた障子。その向こうの雨戸からは、ぽつぽつと降り始める雨の気配がある。
身を起こしてみて、・・・・・・あぁこれは夢だなと直感した。
・・・・・・夢・・・なのかな?
守矢分社の気配も無いし、何か外は最近よりも荒々しい雰囲気が満ちている気がする。
それに、自分の姿も・・・・・・さっきと同じように小さい。
過去? そう考えるとしっくりくる。
けれども・・・・・・。
「・・・・・・?」
ばちゃり、と外から何か音がした。
降り始めた豪雨。濡れた石畳に何かが跳ねたんだろう。誰かが外に居るのかもしれない。
・・・・・・はて、この時分に夜にやってくる知り合いなどいただろうか。
こんな非常識な時間に襲ってくるようなヤツであったら、たとえ夢でもコテンパンにしてやる。スペカはこの時代(?)にはまだ無かったはずだけど・・・・・・まぁそれはそれとして。
襲いかかってくるぐらいなら、相手も返り打たれる覚悟くらいしているだろう。
ここは博麗神社。
妖怪退治を任される巫女を、敵に回すと言うのだから。
お払い棒片手に、立ち上がる。
外はやはり豪雨のようだ。夜も深く草木も眠る時間。
世の中を遠ざけるように降り始めたそれは、雨独特の臭気を神社の中にも運んできている。
しかし、ここで私は気付くべきだったのだ。
自分が訪問者に気付いた理由は、何者かがたてる"音"のみ。
それ以外の要因・・・・・・特に、相手の気配を、自分が感じとれなかった事に。
私が雨戸を開いたその刹那。
視界一面は、朱に染まった。
「・・・・・・っ!!」
障気の渦。そう、言えばいいだろうか。
雨戸を閉じていた時にはそれこそ欠片も感じられなかった障気が、目の前で嵐のように吹き荒れている。
空から落ちてくる雨粒は、石畳や地面を割らんばかりに叩いていたが、そんな雨音は、もう私の中で霞んでしまった。
耳に届くのは、獣とも妖怪とも知れぬ呻り、咆哮、そして絶叫。断末魔。
目に入るのは、両の指に納まらないほどの妖怪ども。そいつらが噴き出す、夜闇にも鮮やかな朱色。
何より、私の意識を掴んで離さない存在。
朱に染まる舞台の中。ただ一人だけ場違いにも思える優雅さで、その周囲に紅華を生み出してゆく。
長い金の髪を夜気に翻し、舞うがごとくに空間を裂く女性。
境界を操り、スキマを操る大妖。
―――紫だった。
相手を葬りゆくその横顔に、生き物の暖かみなど、ない。
その瞳に宿るのは、ぞっとするほど冷たい光だった。
冬の水面に反射する、あの月の光よりも玲瓏で、全てを飲み込む劫火のように激しくて・・・・それでもなお冷たい、光。
「・・・・・・・・・あ・・・・・・」
そうだ、・・・この光景・・・・・・覚えている。昔、夜に何か物音がするからと外を覗いてみたら、こんな凄惨な光景が広がっていた事があった。
紫が神社に集まってきた妖怪を片っ端から倒していたのだ。
全てが終わった後、妖怪退治をする人間が妖怪に舐められてどうするの、とか言われた気もする。
神社の中に、外からの気配を遮断する結界を張っていたのは、その紫だったってのに。
しかし、うろ覚えだ。
あの後、私は反応はどう反応したんだっけ?
・・・・・・覚えてない。
覚えてないから、夢の光景がだんだんと遠のいていく。
雨の中で、返り血にまみれた紫を見て、私はどう反応した?
・・・・・・・・・・・・分からない。
分からないなら、せめて夢から覚める前に―――
「・・・・・・・・・紫!」
ぼやける夢の向こうで見た紫の表情は、珍しく驚いていた。
違う、まだある。まだ覚えているものがある。それは―――。
*
「・・・・霊夢、辛いの?」
「つらくなんか・・・・」
紫の声にどこか心配そうな響きがある。薄気味悪い、と顔をしかめるだろうが、私はその前に顔をしかめる羽目になっていた。
夕日が眩しく感じる頃、私は気合いで目を醒ました。
あのまま記憶まで小さくなってたまるか、という執念の賜物だったのかもしれない。
けれどどうにも、・・・・・・今回は気合いで体は動いてくれそうになかった。
なんでも紫が言うに、"歴史"の影響による強制的な記憶の塗り替えは、身体に大きな負担を掛けるらしい。
今回の異変の被害者になった者はみんなそうだったので(むしろその原因を確かめるために、原因だと思われた紫があちこちで引っ張りだこにされたという。・・・ご愁傷様)、それで私もそうなるだろうという事だった。
さっきの眠気よりも酷い気怠さがある。
また意識が朦朧としてきた。・・・今はこいつに迷惑を掛けたくないってのに・・・。
「ほら。眠ってる間くらいはちゃんと守ってあげる。無理は良くありませんわ」
「・・・・やだ・・・・」
首を振る。
「どうして? やっぱり私は信用できないかしら」
「ちがう・・・・」
そりゃ、あんたは胡散臭いけど。
今回も黒幕だって散々騒がれたんでしょうけど。そうじゃない。
私は、茫洋とする意識の中、あの雨中の姿を思い出す。
そうだ。あんな姿に恐怖なんて覚えるはずもない。
まして遠ざけるなんて論外だった。
服を掴む。
放さないと、強く握りしめる。放してなんかやらない。
しがみつくような私の行動に、苦笑の気配があったけれども。
こんな状態じゃなければ、口にすることも躊躇ったかも知れないだろうけど。
「私は、紫を守るの・・・・まもれる・・・・」
気付いた今。あの時は言えなかった言葉を、私は懸命に紡ぎ出す。
頭上になんとなく呆然したような気配を感じ、どうせらしくないことよ、と薄れる意識の端でふて腐れる。
「・・・・・・ありがとう」
あぁー・・・今、頭を撫でられてる。
紫はどんな表情をしているんだろう。それが知りたくて、でもこの気怠さに沈む身体では意識では、それを見ることはもう適いそうにない。
それは、まるで母親が子供にする子守歌のように優しくて―――
「だから」
ふっと意識を手放した少女に顔を寄せ、女性は囁く。
「・・・・・・・・今は、私に任せて頂戴? 霊夢」
・・・少女は、微かに頷いたように見えた。
―――内心が窺えないスキマ妖怪。その笑みは胡散臭いと評判である。
だが、今彼女が浮かべるそれを見たならば・・・・・・・・誰もが微笑みと形容したことだろう。
十分に守ってもらっているわ。霊夢。
(そう言ったら、あなたはまた恥ずかしがるのかしら。)
頭を撫でる。
霊夢は少しむずがゆそうにして、また静かに寝息を立てる。
そこに先程まであった苦痛が消えているのを見て取り、女性は静かに笑った。
***
それは彼女にとっては少し以前のこと。
豪雨が地を叩く、深夜。神社でのことだった。
『・・・・れい、む・・・・?』
つい先刻まで居なかったはずの影に、境界の大は妖目を見開いた。
それが、少女の生まれ持った能力によるものだと理解しても。
・・・・驚愕が賢者の顔から除かれることはなかった。
『・・・・・・・・』
境界を妖怪は周囲を見渡し、自らが築いた屍たちを見る。
人間は夜目が利かない。
ただ・・・・たとえ豪雨でも、今し方降り始めたばかりでは。この返り血も、濃密な香りもどうにもならなかった。
―――まだ、早い。
八雲紫は内心で唇を噛む。
あの年齢でこのような凄惨な光景を見れば、トラウマになりかねない。
大妖と恐れられてきたこの身にも探知できない程度の能力。
"空を飛ぶ程度の能力"。
少女のそれを甘く見過ぎていた、賢者の失策であった。
・・・・どうする。
この子の記憶を弄るか。
しかしそれでは妖怪の優位を示すようなもの。それでは、博麗の名を持つこの子に未来はない―――
『ゆかり!』
思考は刹那のはずだった。
しかしその刹那は、賢者の思考に思わぬ変化をもたらした。
『ゆかりは、だいじょうぶ!?』
賢者はそれを、昨日のことのように覚えている。
恐れでもなく、厭わしさもなく、まして疑念も敵意もなく。
怖くないの?と賢者たる彼女は聞いた。
この身も妖怪である事を承知で少女に歩み寄り、少女はまず言葉よりも、行動でその意志を示した。
雨と血に汚れた賢者に、少女は抱きついた。裸足のまま、なんの躊躇もなく。
そうして少女は言ったのだ。
『わたしだって、できるからっ! わたしは、だいじょうぶだからっ!』
恐れも何もない。そこには負けん気があった。
賢者は、その内心に何を抱いたのだろう。
『・・・・・・・・そう』
その時賢者に浮かんだのは、笑顔だった。
妖怪にあらざる、安らかで人を安心させるような笑顔。
『よかったわ』
それは少女の無事に。その意気に。強靱な精神に。
それは安堵であり、喜びであり、そして愛しさであり。
賢者は少女を、その小さくも温かな存在を、優しく抱きしめたのだった。
***
・・・・そうね。起きたら、今度は弾幕ごっこでもしましょう。
だから今は。
「・・・・おやすみなさい、霊夢。」
夕暮れ時の博麗神社。
そこに、二つの人影がある。
方や、境界を自在に操る大妖怪。方や、妖怪退治を生業とする巫女。
ただここでは、敵対する存在と言うよりも、心通い合わせた存在にしか見えない。
日暮らしが、今日も夕闇の訪れを静かに告げていた―――
美味しいゆかれいむを有難うございます
皆様、コメントありがとうございます! この場を借りて返信をさせて頂きます。
>5様
脳裏には既にやんちゃな霊夢に振り回される紫母様のお姿が。
>9様
魔法の森編、実はイメージでは既に作ってあったりしますw
完成にはまだまだ程遠いので、気長に待って下さると嬉しいです。
こちらこそ、コメントありがとうございます!
>12様
ありがとうございます!w
>13様
何度か見直したつもりでしたが、それ以前にまだ把握しきれていない部分があったかも知れません。
再度、食い違いなどを少しずつ修正していこうと思います。指摘、感謝です! そして、すみませんでした。
誤字脱字などの報告も随時受け付けております。
得点のみの方も、ありがとうございます! これを糧に、以降も頑張っていこうと思います!(礼
それでは、失礼します。
これからもがんばっテ
コメントありがとうございます!
遅筆・見落としが多いので次作がいつになるかは分かりませんが、頑張らせて頂きます!(礼
蛇尾気味というより……って感じだったけど今後とも期待っ
次はドキドキ☆ロリパラダイス(はぁと)を書いてくれたらマジ喜ぶ
有り難きお言葉です!; バランスなども含め、これからも精進していきたいと思います!(礼
>29様
うぉお、過度な期待はせずにお待ちいただけると嬉しいです!(汗
>30様
ありがとうございます。どこか孤高で遠い者同士なのに互いに信頼しあっている、というゆかれいむが大好きです。
期待には答えられないかもしれませんが、がんばります!w
点数のみの方も、ありがとうございます!(礼
まさに、その通りですw うふふ