霊夢は、持っていた湯飲みを取り落とした。
湯飲みは彼女の膝辺りに落ち、そのまま床に転がって、中身をこぼした。
だがふたりとも、そんなことに気を向ける余裕はなかった。
「……うそ」
霊夢が絞り出すようにそれだけを口にした。
咲夜は、そうだったらどんなにいいかと思いながら首を振った。
「急ぎましょう、霊夢さん」
咲夜が手を伸ばす。
霊夢は、その手を払いのけて、自ら飛び立っていった。
咲夜は急いで後を追った。
永琳は咲夜から話を聞いてすぐに、医療道具一式を揃えてそれを鈴仙にもたせると、永遠亭をあとにして、紅魔館に向かった。
紅魔館の門前には、いつものとぼけた門番ではなく、パチュリーの使い魔である小悪魔が立っていた。
彼女は永琳たちを見つけると、手を振ってきた。
「こちらですー!」
ふたりの到着を待たず、小悪魔は館の中へ飛んでいった。
たくさんの妖精メイドたちが、右往左往しているのが見えた。
「お師匠様、なんだか大変なことになってますね」
鈴仙が言った。
「でしょうね」
永琳は適当に相槌を打ちながら、扉の開かれた紅魔館に入っていった。
中では、当主のレミリア自らが出迎えてくれた。
「よく来てくれたわ」
「ええ」
レミリアはいつもどおり、自信に満ちあふれた顔をしていたが、その内心では動揺を隠せないでいるのを永琳はもとより、鈴仙も見逃さなかった。
「こっちよ」
レミリアの案内で、ふたりは一室に通された。
中には、ベッドに横たわる魔理沙、そして泣きながら魔理沙に手をかざしている美鈴の姿があった。
魔理沙は、予想以上に酷い状態だった。
腹部の傷は背中まで貫通しており、内蔵はずたずた。背骨に損傷が見られないのが幸いといったところだ。
出血が止まっているのは、咲夜のおかげ。そして、魔理沙の生命力を維持しているのは、美鈴のおかげだ。この傷は、どう見ても致命傷である。
ふたりの力がなければ、魔理沙は今頃、小町のお世話になっていたことだろう。
美鈴は、顔をあげると、涙をぽろぽろとこぼしながら、
「永琳さん……お願いします、魔理沙さんを、魔理沙さんを助けてあげてください……」
「やめなさい、美鈴」
レミリアが叱咤する。
「はぅっ、すっ、すみません、お嬢様……」
「とにかく、はじめるわよ。いいわね?」
永琳はふたりのやり取りは無視して誰に言うでもなくそう宣言すると、
「うどんげ!」
「はい!」
鈴仙に指示を出して、手術道具を手に取った。
手術が開始されると、レミリアは静かに部屋をあとにした。
あそこにいても、彼女にできることはなにもないからだ。
飛び回っている妖精メイドたちを追い払いながら、彼女は応接室に向かった。
そこには親友のパチュリーの姿があった。
「レミィ」
その眼差しから、彼女の心遣いが伝わってくる。
「大丈夫よ、パチェ」
レミリアはそう言って、自分の椅子に腰をかける。
「私はね」
だがパチュリーは無表情のようでもレミリアを気遣う微妙な表情で彼女を見つめていた。
「レミイ、美鈴を怒らないであげて」
いつもどおりの、静かな声色でパチュリーが言う。
「もちろん、フランもよ」
レミリアは彼女の方を向いた。
「フランも、ですって? パチェ、貴女なにを言っているか分かっているの?」
だがパチュリーはじっとレミリアを見つめ返す。
「あの子が悪いのではないわ」
「確かにあの部屋に入っていった魔理沙の……」
「――そういう意味ではないわ、レミィ」
パチュリーの思わぬ強い語調に、レミリアも言葉を詰まらせる。
「そうじゃないのよ」
魔理沙は、いつものように鼻歌を歌いながら、紅魔館に向かっていた。
箒の上から見下ろせば、いつもどおり、美鈴が立ちながら居眠りしているのが見える。
「相変わらず、器用なヤツだぜ」
そう呟くと、魔理沙は八卦炉を構えた。
不意打ち一発、マスタースパークでけりを付けて中に入る。これもまた、いつものことだ。
と――
美鈴が顔をあげて、手を振ってきた。
「なんだ?」
気勢をそがれて、魔理沙はそのまま降下していった。
「魔理沙さん、こんにちは!」
「よう美鈴、今日は居眠りしてなかったのか?」
「いやですよー、魔理沙さん。私がいっつも居眠りしてるみたいじゃないですかー」
美鈴は笑う。
――いや、してるだろ。
内心、ツッコミを入れつつ、
「まあ、いいや。で、どしたんだ?」
「ああ、えっとですね。魔理沙さんは、今日もパチュリー様に、というかパチュリー様のご本にご用事なんですよね?」
「うっ、いやまあ、そんなこともあるようなないような……」
単刀直入に言われると、魔理沙とて少しは照れる。
「そこで、魔理沙さんに折り入ってお願いがあるんですけど……いいですか?」
美鈴が珍しく真面目な表情をしているのに気づき、
「お願い? なんだ、言ってみろよ」
「はい。実はですね……」
霊夢は、気を抜けば咲夜を置いていってしまうほどのスピードを出して飛行していた。
この博麗の巫女は、いつもそうだ。ふだんはのほほんとしていて、博麗の巫女としての自覚など微塵も感じさせないのに、幻想郷にひとたび異変が起きれば、またたくまのうちに解決してしまう。
その底力がどこにあるのか、咲夜にはどうしても分からなかった。
「ねぇ、咲夜さん」
「はい?」
「本当に、あの子が魔理沙を? なにかの間違いじゃなくて?」
震える声で霊夢が聞いてきた。
「はい。残念ながら。私が駆けつけたときには……」
咲夜がその先を言い憚っていると、
「詳しく話してくれないかな? 幻想郷を守る巫女として、きちんと聞いておかないといけないと思うのよ」
咲夜は頷いた。
「はい。最初に気づかれたのは、パチュリー様でした。
お嬢様を呼ぶ金切り声が聞こえて、私とお嬢様は急いで駆けつけました。
パチュリー様は、妹様のお部屋で、倒れた魔理沙さんに覆い被さっておられて……床一面に血が広がっていました。
そして、妹様が右腕を真っ赤に染めて立っておられました。妹様は嗤いながら手についた血を舐めておられて……」
霊夢の顔が青ざめているのに気づき、咲夜は言葉を飲み込んだ。
「続けて」
「……はい。お嬢様はすぐに妹様をお叱りになられて、私に魔理沙さんをお助けするようにと。
それで私は、魔理沙さんの時間を止めて、別室にお運びしました。
そして、パチュリー様から永琳さんと霊夢さんをお呼びするようにとのご指示をいただきましたので、まず永遠亭に行って永琳さんたちに先に紅魔館に向かっていただいて、それから霊夢さんのところへ来ました。
ですから、その後のことは私には分かりません」
「……ありがとう」
霊夢はそう言うと、唇を噛みしめた。
ふたりが紅魔館に着くと、小悪魔が美鈴の代わりに門番をしているのが見えた。
「咲夜さーん、霊夢さーん!」
小悪魔は無邪気に手を振っている。
咲夜は一瞬、腹が立ったがすぐに抑えた。それが彼女の気質なのだ。いい意味でも、悪い意味でも。
霊夢は門の上を飛び越して、直接、中に向かった。
咲夜は一端、小悪魔の前に下り立った。
「小悪魔、ご苦労様」
小悪魔はにっこりと嬉しそうにした。
「引き続き、よろしくね」
「はい、お任せください!」
胸を叩いてみせる小悪魔をあとに、咲夜も急いで霊夢のあとを追った。
霊夢は、パチュリーから説明を受けながら、奥の部屋へと向かっているところだった。
レミリアは、ぽつんと椅子に座って心ここにあらずといった感じだ。
「お嬢様。ただ今、帰りました」
咲夜はレミリアに報告をする。
「ご苦労様」
短くそう呟くのみで、レミリアは咲夜に感心がないようだった。
「魔理沙さんのところへ行っています。なにかありましたら、お呼び下さい」
なにか手伝うことがあるだろうと、咲夜も魔理沙のところへ向かうことにする。
「ええ」
主人の声は、あまりに力なく、咲夜は聞くに忍びなくて急ぎ足で立ち去った。
「ここよ」
パチュリーがドアを開ける。
とたんに中から濃い血の匂いが漂ってきて、それだけで霊夢の足を竦ませた。
それを分かってか、パチュリーは霊夢の背中をそっと押して、一緒に中に入った。
ベッドに魔理沙が寝かされていた。
その左右に、永琳と鈴仙が立ち、忙しそうに手を動かしている。
魔理沙の頭の方で、美鈴が手をかざしていた。彼女は霊夢が入ってきたのを見るや、涙をぽろぽろとこぼしはじめた。
「……う、うっ。霊夢、さん……、ごめん、なさい……」
「いいのよ」
パチュリーが答えた。
霊夢はそのやりとりに一瞬、困惑したが、そんなことはすぐに霧散した。
魔理沙の腹部に大きく空いた真っ赤な血だまり。
眼前で友人が死にかけている――
それを見せつけられて、霊夢は力なく、そこに座り込んでしまった。
「ねぇ、霊夢」
永琳が手を動かしつつ言った。
「よければ、魔理沙の手でも握ってあげてくれるかしら」
「?」
最初はなにを言われたのか、分からなかった。
「魔理沙があの世に逝ってしまわないように。まあ、おまじないってところね」
理解した瞬間、霊夢はベッドに身を寄せ、魔理沙の手を握りしめた。
「――あったかい?」
「ええ、もちろんよ。だって魔理沙はまだ死んでいないもの。美鈴の気が全身を暖めてくれているしね」
「……」
「大丈夫、霊夢。私が絶対に死なせやしないわ」
永琳が断言した。
霊夢は信じられると思った。他ならぬ永琳がそう言うのだから。
顔をあげると、鈴仙がちらっと霊夢を見て、微笑んだ。彼女の目が、お師匠様にお任せください。そう言っていた。
「うん」
霊夢は頷いた。
「魔理沙……私を置いて勝手に死んだりしたら、絶対に許さないんだからね、絶対によ……」
涙声で霊夢が言った。
パチュリーが部屋を出てきたところで、咲夜と出会った。
「パチュリー様……」
「大丈夫よ」
パチュリーが咲夜を見上げながら言った。
「なにか私にお手伝いできることは」
「ないわ。多分」
パチュリーが答える。
「それより咲夜にして欲しいことがあるの。いいかしら?」
「はい、なんでございましょう?」
「レミィのことよ」
レミリアの先ほどの様子が甦る。
「はい」
「レミィのそばにいてあげて」
咲夜は頷いた。
「では、紅茶でも……」
「いらないわ。どうせ、飲めやしないんだし。
そんなことよりも、ただそばについていてあげるだけでいいの。お願いできる?」
「はい。もちろんです」
パチュリーはため息をつく。
「こんなときに、なんの役にも立てないなんて……悔しいわね」
パチュリーの泣き言など、レミリアのそれとおなじくらい想像できないことだった。
「そんな! パチュリー様もご一緒にいてさしあげればきっと……」
「いいえ、だめよ。貴女でないとだめなのよ。
それに私、さっきレミイを怒らせちゃったから。今はそばにいない方がいいのよ」
――パチュリー様が、お嬢様を怒らせた?
それでさっき、お嬢様はあんなに……。
合点がいったようで、また謎が増えてしまった。
「とにかく、魔理沙の手術が終わるまでお願い。すべてはそれからよ」
パチュリーはそう言うと、また部屋へと戻っていった。
取り残された咲夜は、気が重かったが、あんな状態のレミリアを放っておけるわけもなく、気がつけば彼女の主人の力になるべく応接室へと急いでいた。
深い深い闇の中――
フランは静かに、七色の翼をも畳み、ただひとり、座っていた。
なにも見えず、なにも聞こえない。
ひとりぼっち。
それはいつものこと。
いつまで続くかなんて、想像もつかないこと。
いつまでも、ひとりぼっち。
それが破られるのはただひとつ。
定期的に食事を運んでくる咲夜が来るときだけ。
お姉様は決して来ない。
そう、決して。
フランは膝を抱えて、ぽつねんと座りつづける。
それだけが、彼女にできる唯一のことだから。
いつまでも、座りつづける。
と――
こんこん、と扉をノックする音がした。
咲夜のノックの音ではない。
フランは小首を傾げる。
「なあに?」
「美鈴です、妹様」
明るい声が扉の向こうから響いてきた。
フランはちょっと考えてみた。
名前に聞き覚えはあるものの、長いことフランは咲夜以外と顔をあわせてはいない。
「だあれ?」
「あれえ? お忘れですかー? 門番の美鈴ですよー」
門番!
そう言われてフランは思い出した。
「分かった! 門番の美鈴だ!」
「はい、そうです、美鈴です! 思い出していただいて嬉しいです!」
美鈴の声を聞いていると、なんだかフランまで楽しくなってきた。
「なあに? どうしたの?」
「妹様のお部屋に、お邪魔してもよろしいですか?」
思ってもみなかった言葉に、フランは困惑した。
「……妹様?」
長いこと沈黙していたのだろう。美鈴が恐る恐るといった風に聞いてきた。
「美鈴もお姉様にお部屋に閉じこめられちゃったの?」
「うふふ。違いますよ。私は確かに、お嬢様や咲夜さんからよく叱られていますけど、そうじゃないです」
「じゃあどうして?」
フランには想像がつかない。
「妹様が、退屈してらっしゃるんじゃないかって思ってですね、この美鈴でよければお相手してさしあげようかと思ったしだいです、はい」
「??? よくわかんない」
「あれえ? えっと、ですね……困ったな、なんて言えば……。あっ、そうだ! 妹様? 美鈴と、一緒に遊んでいただけますか?」
フランは、目を瞠った。その瞳は闇の中で、間違いなく輝いていた。
霊夢が気がつくと、魔理沙を挟んだ反対側ににパチュリーがいた。
彼女は魔理沙の顔をじっと見つめており、霊夢の視線には気づいていないようだった。
そうだ。パチュリーとて、魔理沙のことが心配でたまらないはずだ。
よく見れば、パチュリーも霊夢とおなじく魔理沙の手を握りしめていた。
辛い思いを抱えているのも、無力感に打ちひしがれているのも、彼女とておなじだろう。
魔法使いとして有能なパチュリーのことだ。ひょっとしなくても、霊夢以上にプライドが傷つけられているに違いない。
それになにより、パチュリーは魔理沙のことが――
霊夢はこれ以上、野暮なことを考えるのをやめ、目を閉じたままの魔理沙の顔を見た。
黙っていればかわいいのに。この友人のことを何度そう思ったことだろう。
霊夢は魔理沙のほっぺたをつねってやろうかとすら思った。
――親友の私をこんなに心配させて……起きたらただじゃおかないんだから!
心の中で毒づいてから、霊夢は自分の中の気弱な心が消えうせていることに気がついた。
何故だろう? 考えてみたが、分からなかった。だが、この手に握る魔理沙の体温は本物だ。
それに、永琳もパチュリーも美鈴もいる。みんなが心配して、ここに集まっている。ならばきっと、なにも心配はいらないのだろう。
霊夢はもう、魔理沙の死を心配していなかった。
それから間もなくのこと――
「終わったわ」
「お疲れさまでした、お師匠様」
永琳と鈴仙の声が耳に飛び込んできた。
うっとりと魔理沙の顔を眺めていた霊夢とパチュリーは、ばっと顔をあげて永琳の方を見た。
「成功よ。あとは、ゆっくり休んで体力の回復を待つのみね」
「ありがとう、永琳」
パチュリーが言う。
「滋養強壮のお薬を咲夜に渡しておくから、飲ませてあげてね」
霊夢は、恐る恐る傷口を見る。
だが、真っ白な包帯で巻かれていて、どうなったのかはよく分からない。
「霊夢、心配ご無用よ」
「そうですよ、お師匠様を信じて下さい!」
霊夢はふたりの顔を交互に見て、
「うん、ありがと……」
そう言うと、また涙ぐんでしまう。
「あ、ありがとうございましたっ」
美鈴が、泣きながら言った。
「美鈴、もう泣くのはおよしなさい」
パチュリーが優しく声をかける。
「でもパチュリー様……」
「いいのよ」
「そうね。あなたのおかげで、随分と助かったわよ?」
永琳も美鈴に慰めの言葉をかけた。
「ううう。ありがとうございます」
「それと、もう『気』はいいわよ。あとは魔理沙自身の体力で回復できるはずだから」
「はい……」
よほど気を張っていたのか、美鈴は手を下ろすと同時に、その場にくずおれた。
「さて。お茶の一杯でもご馳走になろうかしらね」
永琳の言葉に、
「はい、お師匠様。レミリア様にご報告してきます」
「ええ、お願いね」
鈴仙が駆けていくのを見送りながら、永琳は手術道具などを鞄に詰め始めた。
「永琳がいてくれてほんとによかった」
霊夢がうつむきながら言った。
「うふふ」
永琳は笑ってその言葉を流した。
結局、咲夜はレミリアの斜め後ろに立ちつくすほか、なにもできることはなかった。
声をかけることすら、憚られた。
なにをしていいのかも、思いつかない。
自分は、なんて無能なのだろうか――
レミリアの許でメイド長として仕えてどれくらいの時間をともに過ごしてきたのか。咲夜にはもはやよく思い出せなかった。
お嬢様とパチュリー様の、そして妹様のお世話をし、ときに美鈴や小悪魔と協力し合いながら過ごしてきた。その中でも、自分はメイド長としての自負を持って仕えていた。
だが自分は本当にお嬢様のために、なにをしてあげられていたのだろうかと疑念を抱かずにはいられなかった。身の回りの世話くらいなら、誰にだってできる。咲夜の代わりなど、いくらでもいるだろう。
能力的にも、咲夜は人間にしては有能で力のある方だと自分でも思う。紅魔館を支えているのだって、実質咲夜の力だ。
だがそれがなんだと言うのだろう?
特にここ、幻想郷に於いて、それがどれほどの意味があるのだろうか?
実に不甲斐ない。
今は、パチュリー様の言葉を信じて、そばにいることでお嬢様のお役に立てているのだ、と思うことでしか、自分を支えていられなかった。
ドアの開く音に反応したのは、レミリアの方が早かった。
彼女は椅子から立ち上がり、鈴仙がこちらに来るのを待った。咲夜は、やはり黙ったまま成り行きを見守っていた。
「あ、レミリア様! 手術、無事終わりました!」
ぺこんと頭を下げると、鈴仙の耳がひょこっと動く。
「成功したのね?」
「はい、もちろんです! お師匠様手ずからの執刀ですからね」
レミリアは頷くと、咲夜の方を向いた。
「永琳と鈴仙にお茶でもお出ししてあげて頂戴」
「かしこまりました」
咲夜は頭を下げる。
「あ、ありがとうございます、レミリア様」
鈴仙も改めて頭を下げた。
「いいえ。お世話になったのはこちらの方だもの。それに貴女も永琳を手伝っていたのでしょう?」
「い、いえ! 私は、ただの助手です。大したことはしてません!」
手を前に突きだして、鈴仙は慌てて否定する。
「咲夜、霊夢やパチェも、……いいえ、あの子たちは来ないかしらね。それから、私にも紅茶をお願い」
「はい、お嬢様」
咲夜は一礼して部屋をあとにした。
「あ、それじゃあ私は、お師匠様を呼んできますね」
鈴仙はそう言うと、足早に駆けていった。
レミリアはそっと一息つくと、椅子に座り直して足を組んだ。
――さて。どうしたものかしらね。
結局、魔理沙のところにはパチュリーのみが残って、永琳と霊夢、そして美鈴も一緒に来て、テーブルを囲んだ。
永琳と鈴仙は流石に疲れたのか、一息ついて咲夜の淹れたお茶を口にした。
だが霊夢と美鈴は黙って下を向いていた。
レミリアも紅茶には手をつけずじまい。
咲夜はまたしても、レミリアの後ろに控えていることしかできなかった。
まず、鈴仙がお茶を少しだけ飲んだあとで、湯飲みをテーブルに置いた。
続いて永琳がお茶を飲み干すと、咲夜にごちそうさまと言ってテーブルの上で指を組んだ。
「私たちは、席を外した方がいいのかしらね、レミリア?」
永琳が視線のみレミリアに送った。
「いいえ。いて頂戴」
「私もですか?」
鈴仙が尋ねる。
「うどんげ! 話くらいちゃんと聞きなさい!」
レミリアが答える前に、永琳が叱責した。
「す、すみません、お師匠様」
鈴仙は肩をすくめると下を向いた。
「霊夢」
レミリアが口を開いた。
「心配をかけて悪かったわ」
「うん」
霊夢が不機嫌そうに答えた。
「ここでなにが起きたか。なぜこんな失態を犯してしまったのか。説明させて頂くわ」
「うん」
「美鈴」
レミリアの言葉に、美鈴はびくっと身体を震わせた。
それを横目に、
「ねぇ、レミリア。美鈴がなにか悪いことしたの? さっきもずっとがんばっていたのに、なにか妙に謝っていたし」
「――すみません!」
美鈴が大きな声を出した。その声は震えており、涙混じりでもあった。
「それを今からお話するのよ。美鈴も、ちゃんとお聞きなさい」
それがいつのことだったか――
いつもどおり妹様に食事を運ぼうと図書館に入ったとき、美鈴がパチュリー様と一緒に談笑しているところに出くわしたのだ。
彼女の目的は図書館でも、パチュリー様でもなく、その先の部屋――妹様にあった。
美鈴が言うには、妹様と一緒に食事をしたい、とのことだった。
咲夜はもちろん、これを却下したが、何故かパチュリー様にそうさせてあげて、と言われて、結局は押し切られてしまった。さらにお嬢様への口止めも追加された。
パチュリー様には、小悪魔という使い魔がいるとはいえ、咲夜にしてみれば、彼女もお嬢様に次いでお仕えする、大事な主人であることに変わりはない。だから、お嬢様と違って、そういう戯れのようなことをそれまで一切、口にしたことのなかったパチュリー様のたっての願いとあっては、咲夜には断れなかった。
それになにも、美鈴とふたりきりにするというのでもない。咲夜と一緒に妹様のお部屋に行き、妹様がお食事を済ませるまで、美鈴が色々とお話をするというだけだった。もちろん、その間、咲夜も一緒にいることになる。
だからなにも問題はなかったし、なによりも不思議なことに、それまでは妹様の笑顔を見ることなど滅多になかったのに、美鈴がいるときだけは、ずっと笑顔を絶やすことはなかったのだ。
もちろん、美鈴も喜んでいたし、パチュリー様もそれを喜んでいる様子だった。
美鈴は休日には幻想郷を散歩してまわるのが常だったが、その日以来、ここに来ていることがたびたびあるようになった。妹様も美鈴によく懐いて、彼女と一緒の食事を待ちわびている様子だった。咲夜ひとりで食事を運んだときなどに、美鈴はいないのか、と問われることもあった。
そうした妹様の変化は咲夜にしても喜ばしいことだと思えたし、美鈴もかつては気乗りしない日など、休日を返上することも多かったのに、それが逆に妹様と一緒に過ごす日として休日を楽しみにするようになっていた。
夜などに咲夜が美鈴と門の外で休息をとりつつ夜食などを一緒にしているときにも、もっぱら美鈴の関心と話題の中心は妹様になっていた。
ひとつだけ咲夜に分からなかったのは、それをなぜ、お嬢様に秘密にしなければならないのかということだった。なにより、勘の鋭いお嬢様が、このことに関してはまったく気づいた様子が見られないことも、咲夜の首をひねらせていた。
だから、どこに問題があったのか。なぜ、悲劇を生んだのか。
咲夜には、分からなかった。
「ほんとに遊んでくれるの?」
「ええ、妹様さえよければ、ですけど」
「わあぁ……」
「開けても、いいですか?」
「あっ、でも……、お姉様に怒られない……?」
「大丈夫よ、フラン」
扉越しに、パチュリーが言った。
「パチュリー?」
「ええ。フランはレミィからは怒られたりしないわ」
「うん! パチュリーが言うんなら、ほんとだね!」
「はい、そうですよ」
「開けて、開けて!」
フランがどんどんと扉を叩く。
「はいはい。今、開けますから、ちょっと離れてて下さいね、妹様」
「うん!」
フランの元気な声が聞こえる。
美鈴は、パチュリーと顔を見合わせた。ふたりは、にっこりと笑いあい、頷いた。
扉を開くと、フランが満面の笑顔で美鈴を迎えた。きれいな宝石の翼が、きらきらと輝いていた。
美鈴が中に足を踏み入れると、すぐにフランが彼女の胸に飛び込んできた。美鈴は優しく抱きとめると、にっこりと微笑みかけて彼女の頭を撫でた。
「えへへへへへー」
フランの無邪気な笑い声が響いた。
「ことの発端は、美鈴と――パチェなの」
意外な取り合わせに、霊夢は首を傾げた。
「パチェが言うには、彼女が発案して美鈴を使ったとか。美鈴が言うには、彼女がパチェを説き伏せたとか。まあ、このさいそれはどちらでもいいの。とにかく、ふたりがはじめたってこと」
「なにを?」
「あろうことか姉の私に内緒で、フランを甘やかしていたのよ。隠れてこそこそとね」
「はあ」
霊夢には、状況がいまいちよく飲み込めない。
「しかもそれには咲夜まで加わっていたそうよ。間違いないわね?」
「はい、お嬢様」
咲夜は正直に答えた。
「とにかく、ものの道理というものを分かっていないあの子に、私の許可もなく、勝手に一緒に遊んだり、食事をしたりしていたそうなの」
霊夢は、身を強ばらせている美鈴を見た。レミリアに言外に責められて、萎縮しているのだろう。
「ねぇ、レミリア。それの、なにがいけないことなの? だってあの子はまだ……」
「貴女は黙っていて」
レミリアに強い口調で遮られて、霊夢はむっとした。
「あんな部屋に閉じこめて、たまに遊んであげたり一緒にお食事するくらいいいじゃないの!」
「私がなぜあの子に厳しくしているか、霊夢は分かっていないのよ」
さらに強い口調で言うレミリアに、霊夢は漠然とした違和感を覚えた。
「まあいいわ。それで? それがどう、今回の件に繋がるの?」
「あの子をそうやって甘やかせた上に、今度はそれに魔理沙を引き込んだのよ」
「魔理沙は、よくここに来てるしね」
「そういうことじゃないの」
「わ……私がっ」
美鈴が震えながら口に出した。
「美鈴は黙っていなさい!」
レミリアの叱責が飛ぶ。
美鈴は、びくっと震えて、また涙をこぼしはじめた。
「ちょっと! 美鈴をいじめることないじゃないの、やめなさいよそういうの! 泣いてるじゃないの!」
「美鈴が魔理沙をフランの部屋に案内したのよ?」
「え?」
「そしてこう言ったそうよ。妹様と遊んであげて欲しいって」
霊夢は瞬時に理解した。
フランが遊ぶ――その結果――魔理沙の怪我――フランの、力。
「だ、だってまさか!」
「まさかじゃないわ。あの子のことが分かっていれば、こうなることは予想できたはずのこと」
霊夢は美鈴の方を振り返った。
美鈴は上着の裾をぎゅっと握りしめて、肩で泣いていた。
――ほんとなんだ。そういうことなんだ。
目の前が暗くなり、無重力感に襲われる。
「そうよね、咲夜?」
レミリアの言葉に、咲夜も震えた。
「はい。お嬢様の仰るとおりです」
「ではなぜ、止めなかったの?」
「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、美鈴が魔理沙さんを妹様のお部屋へご案内したことは、私は承知しておりませんでした」
「私の言っている意味が分かっててそんなことを言うの?」
レミリアの言葉も震えている。必死で怒りを抑えているのだ。そんなレミリアを見るのは、霊夢にとってはじめてのことだった。
「申し訳ございません」
咲夜にはそれが精一杯だった。
「莫迦にも分かるように、言い直してあげるわ。よくお聞きなさい。どうして私に隠し事なんてしていたの? ここの主であるこの私に対してよ?」
ここでパチュリーの名前を出すことは、咲夜にはできなかった。もちろん、そんなことは承知の上での言葉なのだろう。
「パチェが口止めしたから、私には言えなかった。そうでしょう?」
「……」
レミリアが、一転して穏やかな口調で言った。
「咲夜、返事をしなさい」
霊夢にしても、それは恐ろしい変転だった。咲夜はさぞや生きた心地がしないだろう。
「もうし……」
「ここの主はいったい誰?」
咲夜の言葉を遮って、レミリアが言う。今度はまた少し、強い口調で。
「お嬢様です」
「そうよ。この私、レミリア・スカーレットを置いて他に、ここ紅魔館の主はいない。メイド長の貴女にそれが理解できていなかったとは、私もびっくりだわ」
咲夜はまた、口を閉ざした。
「貴女はいつから、パチェの使い魔に鞍替えしたのかしら? 主たるこの私の許可もなく?」
「――全部、私が悪いんです! 咲夜さんは関係ありません!」
美鈴が立ち上がって言った。叫んだ、と言った方が正しいかもしれない。
霊夢は思わずびくっとして、美鈴の方を向いた。
美鈴は、立ち上がるや否や、腰を折っていた。
「お嬢様、申し訳ありませんでした!」
「美鈴」
レミリアは、低い声音で呼びかけた。
「はいっ」
「貴女が悪いのは、それは当然のこと。でも今は、その話をしているのではないの。口を挟まないで頂戴」
「でもっ!」
「二度は言わないわ。座りなさい」
「座って、美鈴」
咲夜も口添えした。
美鈴は、ゆっくりと、震えながら椅子に座った。
霊夢は、レミリアの方を向き直した。
「ねえ、レミリア。私、思うんだけどさ、なにもみんな別に悪気があってやったことじゃないんじゃないの?」
「貴女はそれで本当に納得できるの? 魔理沙が死にかけたのは事実なのよ?」
「え、それは……」
魔理沙のことを思い出すと胸が痛む。
「フランは幻想郷のルールを犯した。その責任を博麗の巫女である貴女はいったい誰に、どうやって取らせるつもりなのかしら?」
「――!」
そうだった。
霊夢は自分がここに呼ばれたのが、なにも魔理沙のためだけじゃないことを思い出した。
「それを貴女に判断してもらうために、今、私はこうして話して聞かせてあげているのじゃない」
「あ、う、うん」
「まあ、いいわ。貴女がそんな調子なのは分かっていたことだから」
「ちょっ」
「結論から言うわ。ここで起きたことは、ここの主であるこの私の責任よ。だからすべての裁きは、このレミリア・スカーレットが受けるわ。それでいいわね?」
レミリアの言いそうなことだった。そしてその結論とやらを変える気がないのも分かる。
今回の件が、幻想郷の重大なルール違反であることも間違いないだろう。
博麗の巫女として、それを放置することもできない。
でも――
霊夢は思うのだ。
でも、それは、なにかが違う、と。
――でも私、じゃあいったいどうしたらいいの?
霊夢は、唇を噛みしめた。
「話はだいたい分かったわ」
永琳が口を開いた。
霊夢は驚いて、彼女の方を見た。
永琳は、涼しい顔で霊夢の方を見ていた。
「ねえ、レミリア。貴女の言い分も分かるけれど、これは不幸な連鎖の結果、たまたま起こった事故なんじゃないかしら?」
永琳の瞳に射すくめられて、霊夢は視線を逸らせない。
彼女は、霊夢に話しかけているのか、それともレミリアに話しかけているのか。
「事故ですって?」
「ええ、事故よ、事故。うどんげもそう思うでしょう?」
「へぁっ? あっ、はっ、はい、そうですね、お師匠様」
急に話を振られて、鈴仙は慌てて答えた。
「事故で怪我をしちゃったのなら、仕方がないじゃない。そう思わない?」
霊夢は、今度こそ自分に話しかけられているのだと分かった。
事故。事故による怪我。それならば仕方がない。誰にも責任はなく。ルール違反は存在しない。だって、事故なのだから。
「私はそんな屁理屈は認めないわ」
レミリアの言うことももっともだ。これは、屁理屈。それは間違いない。でも。でも、それでもいいんじゃないのか。だって、事故なのだから。
霊夢の頭がぐるぐると思考を巡らせる。
「レミリア、この世にはね、プライドよりももっとずっと大切なものがあると私は思うわ」
永琳が言う。
「なんですって?」
「確かに紅魔館の主は貴女よ。でもね、聞いて。永遠亭でもし、もし仮によ、おなじようなことがあったとして、永遠亭の主である輝夜様が、その責任を取ると仰るかしら? どう、うどんげ?」
「ええっと……」
答えずらそうに鈴仙が口ごもる。
「輝夜様は、決してそんなことは仰らないでしょうね。きっと私か、いいえ、恐らくうどんげのせいにでもするんじゃないかしら。私はそう思うわ」
鈴仙が眉を顰めて永琳を見た。なにもそこまではっきり言わなくても。顔にそう書いてあった。
「それがどうしたっていうの?」
「それなのよ。貴女もそう思わない?」
問われるまま、霊夢は頷いた。
「かもしれないわね」
「でしょう? そしてね、レミリア。私はそれでいいと思うの。うどんげが悪いっていうことで」
「?!」
自分のせいにされることが決定事項かのように言われて、鈴仙が激しく動揺していた。
「私を貴女のところの卑怯者と一緒にしないで頂戴」
「あら。輝夜様に対して随分な言いようね。私としてもそれは聞き捨てならなくてよ? ちょっとあとでスペルカードで決闘を申し込んでもいいかしら? もちろん、戦うのはうどんげだけど」
霊夢は、だんだんと分かってきた。レミリアが言っていること。永琳が言っていること。そしてなにより、自分がどうすればいいかということが。
魔理沙は、美鈴とともに、フランの部屋に入っていった。
フランは明るい声で
「わーい、美鈴だー!」
と言うや、美鈴に抱きついていった。
「うふふ。妹様、お元気でしたか?」
「うん! フランはいつだって元気だよ!」
はしゃぐフランに、魔理沙の頬も緩む。
「よお、フラン。久しぶりだなぁ」
「あ。えーと。……あんた誰だっけ?」
フランが小首を傾げる。
「ぐあっ、忘れるなよ! 魔理沙だぜ、霧雨魔理沙!」
「まりさ?」
「前に一度やっただろ、弾幕ごっこ。マスタースパークでやっつけてやっただろう!」
「あ! 思い出した! あのときのお姉ちゃんだ! どうしたのー?」
「うふふふふ。妹様、今日は、美鈴だけじゃなくて、魔理沙さんも一緒に遊んで下さるそうですよ」
「ほんとにー?」
フランが嬉しそうに美鈴の顔を覗き込む。
「ああ。遊んでやるぜ、フラン」
魔理沙が言うと、今度は彼女の方を向いて、目をきらきらさせた。
「すごーい! ほんとにー?」
「ほんとだぜ」
「やったー!」
フランは万歳をした。
「で、美鈴、いったいなにして遊ぶんだ? 弾幕ごっこでいいのか?」
「どうします? 妹様?」
「うーん。えーっとねー」
真剣に考えだしたフランを、ふたりは笑顔で見守った。
「うーん……?」
身体が重く、なんだか頭もはっきりとしない。
いつもすっきり目覚める方の魔理沙にとって、今はまだ夢のつづきなのか、なにか風邪でも引いてしまったのか、よく分からなかった。なにより頭が回らなくて、判断がつかない。
「魔理沙?」
聞き慣れた声が聞こえた。
ええっと、誰だっけ? この声? んーっと、そう、あいつだ、あいつ。あれ? 名前が、なんだっけな? 忘れるはずはないんだが。
そんなことをぼんやりと考えていたら、ふっとすべての回路が一斉に繋がった。
「パチュリーだ!」
言いながら、目を開け、起きあがろうとした。
「あっ」
パチュリーの顔が見え、声が聞こえた。
が――
「ってぇっ!」
腹部に激痛が走り、起きあがることが出来なかった。
「ばか! 無理しちゃだめよ!」
「うぐぐぐ……」
魔理沙は、ベッドに横になると、腹部を押さえた。
「だ、大丈夫?」
不安げなパチュリーの顔を見て、
「痛い」
と苦笑いしてみせた。
「なんだこれ?」
とは言ったものの、何故自分がこんな痛い目に遭っているのか分からなかった。
「覚えてないの?」
パチュリーが顔を覗き込んでいる。
「んんん?」
顔が近い、と思いつつも、確かに覚えていないな、と考えてみた。いや、待てよ?
「あ」
「思い出した?」
「うん」
魔理沙は思い出した。フランの笑顔。美鈴の笑顔。フランの手。美鈴の悲鳴。そして、パチュリーの悲鳴。
魔理沙は、恐る恐る自分の身体を見下ろしてみた。
まだまだ発展途上な双丘に、包帯の巻かれた腹部、ドロワーズ、脚、靴下。
痛みの根元である腹部は包帯が巻かれていて、どうなっているのか見えない。手を当ててみると、やっぱり痛かった。
パチュリーの顔を見る。
「なあパチュリー」
「な、なに?」
「私はまだ、生きているんだよな?」
「当たり前でしょう!」
パチュリーが泣きそうな顔で言った。
「ご、ごめん」
思わず謝ってから、魔理沙は気づいた。
「てか、これは?」
腹部の包帯を指差す。
「永琳よ」
「そか」
それならば、納得だ。
「生きてるっていいな」
「なによそれ」
「なにって……って、おい、泣くなよ!」
パチュリーがぽろぽろと涙をこぼしていた。
こういう状況は、自慢ではないが苦手だった。どうしたらいいのか困る。
「お、おい」
「……ぱ……だ……」
パチュリーは小声なうえに涙混じりで、なにを言っているのか聞き取れなかった。
「ぱ、だ? なんだって?」
ぐいっとパチュリーが顔をさらに寄せると、
「心配したんだから!」
大声で叫ばれた。
魔理沙は顔を赤らめながら、
「ごめん」
「なんで謝るのよ」
「え、いや、なんとなく?」
「ばか!」
パチュリーは背中を向いてしまった。
途端、沈黙が訪れた。
気まずい。
魔理沙は、こういう状況も苦手だった。
ぽりぽりと鼻の頭をかきながら、なんて言おうかと考える。だが思い浮かばない。
「ねぇ」
パチュリーがぽつりと言った。とりあえず助かった。
「ん?」
「怒ってない?」
パチュリーの細い肩が震えているのが見るまでもなく分かった。
「そうだなあ。……別に怒っちゃいないけど、フランにはげんこつのイッパツもくれてやりたいかな?」
「それだけ?」
「他になにかあるのか?」
パチュリーは首だけをこちらに向ける。
「私の本」
恨みがましそうに視線を向けていた。
「え、いや、それは今、関係ないだろ!」
「今すぐ返して。全部」
「突然、なにを」
「だって。死んだら返してくれるって」
「いや、死んでないだろ? ほら、まだ生きてるって」
「死んだかと思ったもの」
「うー」
それを言われると、痛い。
「ごめん」
「だから!」
パチュリーはこちらを向き直った。
「なんで魔理沙が謝るの? 謝るのは……謝らないといけないのは、私の方なのに……」
最後はまた泣いていた。
「パチュリー……」
「……御免なさい」
「なんで謝るんだよ」
「だって私が」
「私が?」
「あの子のためにって」
あの子。フラン。妹様。
「そうしたら、こんなことに……」
「……」
なんて言えばいいのか、魔理沙はまた分からなくなった。
「霊夢が取り乱してて、レミィは怒ってて、いや、レミィを怒らせたのは私なのだけど」
「霊夢?」
思わぬ名前に、魔理沙は聞き返した。
「それに、美鈴が……ひどく責任を感じてて」
「美鈴はなにも悪くないだろ?」
「私もそう思うわ」
「だろ?」
「悪いのは、私」
「いや、パチュリーだって別に悪くは……」
「悪いのよ!」
今日のパチュリーはやけに絡んでくる。魔理沙は困っていた。怪我人のはずなのに、自分の方がパチュリーのことを心配しなきゃいけないなんて不条理だと思った。
「今、みんなで話し合ってるのよ」
「話し合い?」
「そう。今回のこと。博麗の巫女に、判断してもらわないといけないでしょう?」
「霊夢に? なにを?」
「相変わらずばかね! あの子が貴女を傷つけたから! だから、それは、幻想郷のルール違反で、だから、だから……」
パチュリーがまた言葉を詰まらせて、泣き始めた。
「わ、分かったから、落ち着けよ、パチュリー」
彼女の言わんとしていることが、魔理沙にもようやく飲み込めた。
幻想郷では、直接の手出しは御法度だ。だから、弾幕ごっこがある。
でも――
「でもよ、あいつは別に、そういう意味で暴力揮ったわけじゃないだろ?」
「そうね。私もそう思うわ」
「じゃあなんで?」
「でも、レミィはそうは考えてはいないわ」
「あー、そうかもなあ」
「だから呼んだの。でも、一番の理由は、魔理沙が死にかけていたからよ」
「ありがとな」
霊夢にもあとで謝らないといけないな、と魔理沙は思った。
「死に目にあえなかったなんてことになったら、一生、恨まれるもの」
「いやまあ、そうかもしれないけどさ、せっかく死に損なったのに、そんなに死ぬの死なないの言わないでくれよ」
魔理沙が苦笑いするが、パチュリーに睨まれた。
「こんなこと、言えない立場なのは分かってるわ」
「?」
「でもお願い」
「なんだ?」
「あの子を助けてあげて。このままだと、せっかく笑顔を取り戻したのに、また……いいえ、多分もっと酷いことになるわ。レミィは本気で怒っていたもの」
「そうだな。全面的に賛成だぜって、おい?!」
パチュリーが抱きついてきた。
魔理沙の首に腕をまわして、胸の辺りで泣いていた。
「いやちょっと、これはさすがに、恥ずかしいだろ?!」
魔理沙も動揺していた。
だがパチュリーは、いやいやをするように首を振るばかり。
「ああ、もう」
魔理沙は、仕方なく、パチュリーの頭を撫でた。
「泣くなよ」
パチュリーがこくんと頷いた。
「魔理沙」
魔理沙の胸に顔を押しつけたまま、くぐもった声でパチュリーが言った。
「ん?」
「生きててくれて、ありがとう」
そんなことを不意に言われて、魔理沙の顔は真っ赤に染まった。
心臓がばくばくしているのが分かる。こういう状況もまた、大の苦手だった。
「魔理沙」
「な、なんだよ」
「貴女の胸、やっぱり小さいのね」
「?!」
「私とどっちが大きいかしら」
魔理沙はあまりの恥ずかしさに眩暈がした。
魔理沙は、パチュリーと手を繋いで廊下を歩いた。恥ずかしくていやだと言ったのだが、パチュリーは許してくれなかった。美鈴の気のおかげで、立って歩くくらいの元気が、魔理沙の身体に蓄えられていた。だからひとりで歩けるのだが。
それから裸のままではいけないと、パチュリーの服を押しつけられた。裸なのは魔理沙もイヤだったが、これはこれでまた別の恥ずかしさがこみ上げてくる。
部屋の前につくと、魔理沙は躊躇いもなく、がちゃっと扉を開けた。
みんなの視線がこちらに向いていて、魔理沙は一瞬、気圧される。
「ちょっと、まだ起きるのは早いわよ!」
永琳が言った。
その隣の鈴仙は、慌てて永琳と魔理沙とを交互に見ている。
レミリアは不機嫌そうで。
咲夜は顔を伏せていて。
美鈴は泣き崩れていた。
そして――
霊夢は一目散にこちらへと駆けてきた。
顔つきと、なによりも視線が痛い。
怒鳴られるのを覚悟した魔理沙だったが、霊夢に問答無用でグーぱんちをくらった。
「ってぇ?!」
身体のバランスを取る力がないため、そのまま魔理沙は尻餅をついてしまった。
「なんだよ霊夢! 殴ることないだろ!」
だが。怒りに肩を震わせつつ、涙で顔中をぐちゃぐちゃにしている霊夢を見て、魔理沙はそれ以上の言葉を失った。
「ばか! 魔理沙のばか! それになによ、パチュリーの服なんか着て! 仲良くお手手繋いで、いったいなんのつもりよ?!」
怒りの矛先が違っている気がしたが、火に油を注がないだけの知恵くらいは魔理沙も持ち合わせていた。もちろん、パチュリーもだ。
即座に手を離し、それぞれ一歩ずつ距離を取る。
霊夢は恨めしそうに魔理沙を睨んでいた。
「ま、そう怒るなよ、霊夢」
「怒ってなんかいないわよ! ばか!」
霊夢はそう言うと、くるりと踵を返して、自分の席に戻っていった。
やれやれ、と魔理沙は立ち上がる。と言っても身体に力が入らないため、パチュリーの手を借りた。
咲夜も彼女の所へとやって来て、ふたりに手を引かれながら、魔理沙は空いている席についた。
パチュリーはその後ろに立った。
「ふう」
魔理沙が一息つくと、霊夢がまた睨み付けてきた。
「なに呑気な声出してるのよ」
今の霊夢に逆らってはいけない。魔理沙は大人しく、椅子の上で姿勢を正した。
だが、視線を感じてみてみると、永琳もまた厳しい顔つきで魔理沙を見ていた。
「えっと、永琳がやってくれたんだってな? ありがとな」
適当に言い訳じみたことを言ってみたが、効果はなかった。
「怪我が治らずに悪化して化膿して内蔵が腐って蛆が湧いて身体中がぐちゃぐちゃになってもがき苦しんだって、私はもう知らないわよ」
「?!」
永琳の言葉には、酷く説得力があって、魔理沙を震えさせた。
「ベ、ベッドに、戻った方が、いい、かな?」
ひきつった笑いを浮かべながら言ったが、永琳はそっぽを向いた。
「せっかく来たんだから、死ぬ前に話くらい聞いていきなさい」
霊夢が怨念のこもった声で言う。
「いや、死なないから! 死ぬつもりはないからさ!」
魔理沙が言うと、
「ううー……」
霊夢はうなり声のようなくぐもった声を出した。
「当たり前よ! 死んだりしたら、絶対、許さないんだからね! 小町に言って、三途の川に沈めてやるんだから!」
言っていることがもはや無茶苦茶である。
だが、魔理沙にだって彼女の言いたいことくらいは分かった。
「悪かったよ、霊夢。ほんと、ごめんって!」
「魔理沙」
話の終わるのを待っていたのだろう、レミリアが声をかけてきた。
「ん? なんだ?」
「今回の件、紅魔館の主として、なによりフランの姉として謝罪するわ」
「んー、ああ」
魔理沙は気の抜けた返事を返す。
「謝罪だけで不満なら、なんでも言って頂戴。もちろん、博麗の巫女の審判は別としての話よ」
魔理沙は頭の後ろをかいた。
「はくれーのみこ、ねえ……」
「なによ、文句あるの?」
霊夢がまた絡んでくる。魔理沙のイントネーションを聞き逃す霊夢ではなかった。
「別に霊夢がどうこうっていう問題じゃないだろ?」
魔理沙は面倒くさいので霊夢のことは無視してつづけた。
「どういう意味かしら?」
「んー、私はさあ、別に問題とかそういうことじゃないというかさ、なんつーか、レミリアに謝ってもらっても嬉しくもなんともないというか」
「だから! それで不満ならなんでも言ってと……」
「そうじゃないんだってば」
魔理沙が眉根を顰める。
「お前、ほんっとに分かってねえなあ」
「はっきり言いなさい」
レミリアがムキになって言った。
「とりあえず、フランにげんこつイッパツでもくれてやろうとは思ってるけどさ、というか、それでおしまいだろ、こんなこと?」
レミリアは絶句した。
「魔理沙……」
霊夢が呟く。
「お前だってそう思うだろ?」
魔理沙は、霊夢に同意を求めた。
「話はパチュリーから聞いたよ。お前たちがなに話し合ってたのかだって、だいたい検討はつくし。
でもこれは、異変でもなければルールを無視した決闘とかそういうんでもないだろ?
だったら、お前の――はくれーのみこの出番なんてないじゃん」
霊夢は目頭が熱くなるのを感じた。
「うん、そうだよね」
「だろ?」
魔理沙はレミリアにむき直すと、
「霊夢がこう言ってるんだ。もうこの話は終わりでいいよな? つか、そもそもレミリアに文句言う権利もないと思うんだけど」
「なにを言っているの」
レミリアが本気で切れかかっているのが分かる。だが、魔理沙は引き下がらなかった。
「お前さあ、紅魔館がどうしたとか、姉だからどうしたとか、そういう理屈つけなきゃ、あいつになにもしてやれないのかよ?」
魔理沙の言葉の意味が分からず、レミリアは戸惑った。
「まるで分かっちゃいないって顔してんな」
魔理沙は、後ろにいるパチュリーに振り返った。
「お前からも言ってやれよ。お前たちは親友なんだろ?」
「言ったわ。でもレミィは怒っただけ。私の話なんて聞いてくれなかった」
「言ったのかよ?」
魔理沙はレミリアを見据える。
「てか、パチュリーに言われて、どうして分かってやれないんだよ、お前は! ばかか?」
レミリアの瞳が力を失っていた。
「いいか、姉妹ってそんなもんなのかよ。違うだろ、ふつうは。それともなにか? 吸血鬼ってのは、姉妹の関係も、なんかそういう理屈っぽいことでしか繋がってないのか? そうじゃないだろ? なあ?」
「いいこと言うわね、魔理沙」
永琳が言った。
「永琳?」
「案外、貴女みたいな子の方が、物事の本質を分かっているのかもね。そうは思わなくて、レミリア?」
レミリアはあからさまに視線を彷徨わせており、話が耳に届いているのかどうかすら疑わしかった。
「永琳の言うことは置いとくとしてもだぜ、んんー、なんつったらいいか。お前はさ、そもそもあいつのことをどう思ってるんだ?」
レミリアからの返事はない。
「と言っても分かんないんだろうなあ。んんー、そうだ、例えばさ、パチュリーはお前の親友なんだろ? それにはなにか理由があるのか? パチュリーが物知りだからとか、魔法使いだからとか、暗いところが好きだからとって、いてぇ!」
パチュリーの無言のげんこつが魔理沙の頭を叩いていた。
「あ、いや、今のは例えが悪かったよ」
魔理沙はパチュリーに謝る。
「要するにさ、ぶっちゃけて言うと、咲夜はメイド、美鈴は門番、それはまあ、いいとしよう。その先にどういう思いがあるかまでは突っ込まない。
けどさ、私はパチュリーのことを、お前の親友だと聞いている。そこに、咲夜とか美鈴みたいになにか付随価値のようなものがあって、親友呼ばわりしているのかってことだ。
私の言っていることが分かるか?」
魔理沙は畳みかけるようにつづける。もとより、レミリアの返答など期待してはいなかった。
「そこでだ。じゃあいったい、お前の妹様とやらは、お前にとってどういう価値でお前の妹様なんだ?」
レミリアは、ゆっくりと立ち上がった。
「お、おい?」
戸惑う魔理沙に、
「行かせてあげましょう」
永琳が言った。
「うん」
霊夢も頷いた。
魔理沙が立ち上がると、咲夜とパチュリーが両脇から支えてくれた。
魔理沙は、
「美鈴、お前も来いよ」
うなだれたままの美鈴に声をかけた。
「そうよ。貴女も来ないと話に決着がつかないじゃない」
霊夢に促されて、美鈴はよろよろと立ち上がった。
どうしようかとおろおろしている鈴仙に、
「うどんげは来なくていいわ。邪魔だから」
永琳は無碍に言い切ると、さっさと先に行く。
鈴仙は、テーブルに突っ伏して、ひとりさめざめと泣いた。
レミリアが部屋の扉を開く。
「お姉様?」
暗い部屋に明かりが差し込んで、奥の壁に磔にされているフランが見えた。
「レミリア、お前!」
魔理沙が激昂して叫んだ。
フランはその声に、顔を綻ばせた。
「あ、魔理沙お姉ちゃん!」
なにも分かっていないフラン。魔理沙には、この子を責める気は欠片ほども起きなかった。もう、げんこつもなしだ。こんな酷い目に遭っているのだから。
魔理沙はフランに頷くと、よろよろしているレミリアを捕まえた。彼女に力はなく、あっさりと魔理沙に捕らえられる。
魔理沙は彼女を膝の上に乗せると、スカートをめくりあげた。
そして、ドロワーズ越しに、レミリアのお尻をひっぱたいた。
小気味よい音が薄暗い部屋に響く。
「?!」
茫然自失としていたレミリアは、ようやく意識を取り戻したようだった。
だが魔理沙は容赦なく叩きつづける。
「昔っから、悪い子へのおしおきってのは、こうするって決まってるんだぜ」
「魔理沙もそうとうやられた口なんでしょ?」
霊夢が傍らでくすくすと笑った。
「う、うるさいな!」
「でしょうね」
否定できないでいる魔理沙に、永琳までが言った。
「魔理沙お姉ちゃん!」
フランの声に、魔理沙はようやく手を止めた。
「お姉様をいじめちゃだめ!」
その言葉に、その場の全員が凍り付いた。魔理沙の膝の上でいいようにされていたレミリアもその例外ではなかった。
魔理沙は、にっこりと笑った。
「いいか、フラン。これはな、いじめてるんじゃないんだぜ」
「?」
「お前の姉ちゃんはな、悪いことをしたんだ。だからそのおしおきをされているんだ。分かるか?」
フランは、首を傾げつつも、頷いてみせた。
「なあ、誰かフランを」
魔理沙の言葉に、美鈴が誰よりも早く動いた。
残酷なまでに壁にくくりつけられているフランの拘束を、力任せに引きちぎっていく。
あっという間に、フランは美鈴の腕の中に抱かれていた。
「美鈴?」
「妹様!」
美鈴はフランをぎゅっと抱きしめて、むせび泣いた。
「……妹様、申し訳、ありません……」
「美鈴? どうして泣いてるの?」
美鈴の背中に腕をまわしながら、フランが不思議そうに聞く。
「フラン、美鈴はな、お前が大好きでたまらないから泣いてるんだぜ」
魔理沙の言葉に、フランはさらに首を傾げる。
「どうして泣くの? 私は美鈴が大好きだから、嬉しくなって、笑うよ?」
「ああ、そうだな。でも、好きで嬉しくて泣くっていうこともあるんだ」
「ふーん。よく分かんない」
魔理沙は満足げに頷くと、レミリアを放り出した。そして、フランの許へと歩いていった。
「さて、フラン。これを見るんだぜ」
そう言って、魔理沙は腹に巻かれた包帯を見せた。
「なあに、それ?」
「これはな、包帯ってんだ。私がどうしてこれを巻いてるか分かるか?」
フランは首をすくめながら、上目遣いになって魔理沙を見た。
「お前がやったんだぜ」
フランは目をぱちくりさせると、魔理沙越しにレミリアの方を伺った。
「お姉様に、叱られる?」
「いいや。この私が、お前を直々に叱ってやる」
「えええー?」
「痛かったんだぜ? いや、今も痛い」
「魔理沙お姉ちゃん、痛いの?」
「ああ。お前のせいでな」
「どうして?」
「そこからなのかよ」
魔理沙は肩をすくめた。
「お前の力は、なんでも壊すよな?」
「うん。私、壊すの得意だよ」
「私も、ここにいるみんなも、壊されるとどうなるか分かるか?」
フランは考える。
だが、彼女には分からなかった。
「死ぬんだ」
「しぬってなに?」
「そうだなあ、もう会えなくなるってことかな?」
「え?」
フランはびっくりしたようだった。
「魔理沙お姉ちゃんにもう会えないの?」
「私が死んだらな」
「やだー」
「じゃあ、どうすればいいか分かるか?」
「んーと、壊さなきゃ、いい?」
自信なさげにフランが言った。
魔理沙は満面の笑みで答える。
「正解だ」
フランの頭をくしゃくしゃにして撫でてやった。
「えへへへー」
「さて、そこでだ、フラン」
「なあに、魔理沙お姉ちゃん?」
「お前はさっき、私のことを、壊しかけたんだぜ?」
「え?」
「つまり、私は死にかけたんだ」
「死んじゃやだー」
「ああ、私もまだ死にたくないぞ。フランと遊べなくなっちゃうしな」
「うん」
「つまり、お前がしたことは、どういうことか分かるか?」
フランは、眉を顰めた。
「私、悪い子?」
「んー、悪い子ってんじゃないな。悪いことをした、だ」
「どうちがうの?」
「悪い子ってのはな、悪いことをしてもそれを認めなかったり、反省しないヤツのことを言うんだ。
フランは、そうじゃないよな?
今、自分が悪いことをしたって認めたもんな?」
フランは曖昧に頷く。
「だからフランは、悪いことをしたフランで、悪い子じゃないんだ」
「うー、分かんない」
魔理沙は腕を組んだ。
「分かんないかー」
「魔理沙、それじゃ分からないわよ」
永琳が言った。
「いい、フラン。貴女は魔理沙お姉ちゃんを壊しかけちゃった。つまり、魔理沙お姉ちゃんは、死んじゃうところだったの。そこまでは分かるわね?」
「うん」
「それは、いいこと? それとも悪いこと?」
「えっと……悪い、こと」
「そう。よくできました」
永琳が微笑むと、フランも笑顔になった。
「じゃあ、次よ。さっき、魔理沙お姉ちゃんは、どんな子が悪い子だって言ったかしら?」
「えっと、悪いことをしても、えっと、なんとかしない子?」
「ほら、分かってない」
「ううう……」
魔理沙が呻いた。
「いい、フラン。貴女は今、自分が悪いことをしたって言ったわよね?」
「うん」
「それはいい子? 悪い子? どっちだと思う?」
「うううー、悪い子」
「そうね。でも、自分が悪いことをしたと分かって、貴女はどう思った?」
「……お姉様に怒られると思う」
問題の根の深さに、魔理沙はため息をつくばかりだった。
だが、永琳はつづけた。
「そうね。じゃあ、レミリアお姉様に怒られるフランはいい子? それとも悪い子?」
「悪い子」
「じゃあ、魔理沙お姉ちゃんに叱られるフランはいい子? 悪い子?」
フランは目をぱちくりさせる。
「うーんと、悪い子」
「そうよ。よくできました」
永琳はにっこりと笑う。
「悪い子は、どうしたらいいか分かる?」
「お姉様に痛いことされて……」
「そうじゃないわ」
永琳はフランの言葉を遮った。
「そうじゃないの。貴女がなにをされるか、じゃなくて、なにをするか、を聞いてるのよ」
フランには、答えられない。
「貴女はそれを知らないのよね?」
「うん、分かんない」
「魔理沙、教えてあげて」
「ああ、任せてくれ」
魔理沙はフランの顔を正面から見つめた。フランも真っ直ぐに見返す。
「悪いことをしたら、したと分かったら、そのときに言う言葉があるんだぜ」
「ことば?」
「ああ。ごめんなさい、だ」
「ごめんなさい?」
「そう。覚えたか?」
「ごめんなさい」
魔理沙が頷く。
「うん。覚えた」
「じゃあ、お前が今、誰に、なにを言ったらいいんだ?」
フランは考える。一生懸命に。
「……えっと、えっとね。
魔理沙お姉ちゃん、ごめんなさい?」
「それでいいんだぜ!」
魔理沙はフランに抱きついた。
「いいこと教えてやる」
「なに?」
「ごめんなさいって言ったらな、悪い子は、もう悪い子じゃなくなるんだぜ」
「……ほんと?」
「ああ、ほんとだ」
「じゃあ、フランは悪い子じゃないの?」
「ああ、ちゃんと謝ったからな」
フランの顔がぱあっと綻ぶ。
「それはどうしてかっていうと、許してもらえるからなんだ」
「そう。許す。分かる、フラン?」
永琳が魔理沙につづけた。
「ゆるす?」
「そうよ。悪いことをしちゃう。しないにこしたことはないけれど、失敗は誰にでもあるわ。悪いことをしちゃったら、悪い子になる。
でも、悪いことをしたら、謝る。
そうしたら、許して貰える。
そして、悪い子じゃなくなる」
真剣な表情で、フランが話を聞く。
「つまり、悪いことをして、謝って、許してもらったフランはいい子? 悪い子?」
「……いい子?」
「そうよ。貴女はいい子」
「そうだぜ、いい子だ」
フランの顔にまた笑顔が咲く。
永琳は、床に手をついたままのレミリアに言った。
「いい、レミリア。今のやりとり、聞いていたでしょう?」
「永琳さん」
今まで黙っていた美鈴が口を開いた。
「どうか、お嬢様を責めないで下さい」
「美鈴?」
永琳もその言葉には戸惑いを隠せなかった。
「やっぱり、私が間違っていました」
「いや、美鈴は悪くないだろ!」
「いいえ、魔理沙さん。今、はっきりと分かったんです。私には、勇気がありませんでした。それが、やっぱり悪かったんです」
「でも」
「聞いて下さい」
みんなは、口を閉ざして美鈴の言葉に耳を傾けた。
「最初は、ほんの軽い気持ちでした。妹様が不憫で、せめてお食事でもご一緒できたらって。
でも、お嬢様に言ってもきっと叱られてしまうし、咲夜さんに言っても多分、おなじ。だから私、パチュリー様にお尋ねしてみたんです。
そうしたら、パチュリー様は私を誉めて下さいました。とてもいい考えだって。応援するって仰って下さって。
それで私、舞い上がってしまって……多分、そこが私の間違いだったんです。
叱られても、正直にお嬢様にお話しすべきだったんです。
それがなにより、妹様のためになることだったんだって、やっと分かりました。
影でこそこそやっても、それではだめなんです。
お嬢様抜きで、妹様だけにお話ししても、それでは意味がないんです。
だって、お嬢様は妹様が大好きで、妹様もお嬢様が大好きで、でも、おふたりの距離はとても遠かった。私はそれが寂しかったんです。
でも、私が満足しても、それはなにも解決しないんです。
だから私が間違っていたんです。
聞いて下さい、お嬢様。
今からでも遅くはありません。
今、妹様は、魔理沙さんと永琳さんのお言葉をきちんと理解されましたよね?
ちゃんと向き合ってお話しすれば、分からない妹様じゃないんです!
だからこんな、こんな部屋に妹様を閉じこめて、それは間違っているんです。
間違っているって、私たちは分かっていたんです。
でもお嬢様のお決めになられたことだから、私たちはなにも言えなかった。
それが、間違いだったんです。
忠臣は、命を懸けてでも、主君の誤りを糺すと言います。
私に必要だったのは、私が間違っていたのは、その勇気がなかったこと。
お嬢様から逃げていたことなんです。
だからこそ、申しあげます。
お嬢様も、もうこれ以上、妹様からお逃げにならないで下さい!
おふたりは、こんなに大切に想いあっていらっしゃるのに、それなのに、こんなことするのは、どう考えたって、間違っているんです!
どうか分かって下さい、お嬢様。
この美鈴、大した命ではありませんが、必要ならば喜んで差し出します。ですからもう、こんなことは、どうかおやめになって下さい!」
美鈴は、両手を、額を床についた。
誰ひとり、言葉はなかった。
その中、よろよろとレミリアが立ち上がった。
皆の注目を集める中、彼女は翼を広げ、威風堂々と立った。
「美鈴、顔をあげなさい」
その声は今や自信に満ちあふれ、いつもの、レミリアの口調に戻っていた。
「二度言わせるつもり?」
霊夢が動きかけたが、永琳がそっとそれを止めた。
美鈴はゆっくりと顔をあげた。
「美鈴、いい臣下をもって、私は幸せものね」
「お嬢様……?」
「あとでなにか褒美をとらせるわ。考えておきなさい。なんでもいいのよ」
これで話は終わりとばかりに、レミリアは今度はフランと魔理沙の方を向いた。
「魔理沙、フランに重ねて、私も謝らせてもらうわ。悪かったわね」
「ん、ああ」
魔理沙とて、もうこれ以上なにか言うことはなかった。
「フラン」
「はい、お姉様」
「いい子ね。まだ、この館から貴女を出すわけにはいかないけれど、きちんとしたお部屋を用意してあげるわ」
「……?」
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「私の部屋の隣に、フランの部屋を用意して頂戴。調度品やなんかは貴女に任せるわ。今すぐによ」
「かしこまりました」
咲夜は一礼すると、即座に立ち去っていった。
「フラン、もうひとつあるわ」
「はい、お姉様」
「大事なことだから、よくお聞きなさい。
私は貴女のことが大好きよ。この世で誰よりも一番に」
「私も! 私もお姉様のことが大好き!」
そう言ってフランは、レミリアに抱きついていった。レミリアも正面から愛する妹を抱き留める。
霊夢は、涙を堪えられなかった。
「永琳」
「なにかしら?」
「妹の教育のことで貴女に折り入って話ができたわ。つきあってもらえるかしら?」
「そうねえ、輝夜様が、いいと仰られれば。私もそれほど暇ではないの」
「そう、よろしくお願いね。それから、貴女のご主人に対する先ほどの発言を全面的に撤回して謝罪するわ」
「それでこそ、レミリア・スカーレット」
永琳はにっこりと頷いた。
「霊夢」
「うん」
涙を流しながら、霊夢が頷く。
「貴女の大切なご友人をここで危ない目にあわせてしまって申し訳なかったわ」
「そんなこと別に」
「それから、ちょっとした事故で、博麗の巫女を呼び出したりして申し訳なかったわ。お詫びに、これから一緒にお茶でもいかが?」
霊夢は人差し指を一本立てた。
「魔理沙と、フランと、美鈴と、咲夜さんと、永琳さんと、パチュリーと、ええと、とにかくみんな一緒なら」
「喜んでご招待するわ」
そして、レミリアは最後にパチュリーのところへとやって来た。
「パチェ。貴女と私の間に言葉なんて必要がないと思っていたけれど、敢えて言葉にする意味というのもあるんじゃないかって思うのよ」
「私もそう思うわ」
「それでこそ親友」
「ええ」
「そう、それから私は、別に貴女が図書館にいるからと言って、貴女が暗いところが好きだなんて思ってはいやしないわよ?」
「それこそ言う必要のないことじゃなくて?」
「ふふ。言ってみただけよ」
「そう。じゃあ私も」
「なにかしら?」
「小悪魔もご一緒させてくれるのでしょうね?」
「だって、そうしなかったら、貴女寂しがって泣いちゃうでしょう?」
「私はレミィと違って寂しがりじゃないし気まぐれでもないから、お茶会や宴会がなくったって平気だわ」
ふたりのやり取りに、皆は自然と笑顔になっていた。
「さあ、こんな薄暗い部屋からすぐに出て、一緒にお茶にしましょう? 私の自慢のメイド長の淹れる最高級のお茶をご馳走するわ!」
声高らかな宣言が、今、紅魔館に響き渡った。
了
文章を読んでても話がわかりにくくて置き去りにされてる感じがする。
とりあえず私からはこれだけで。
何で霊夢達がフランを許したのかが分からないし、それで無くても場面の変転が多すぎる。
他は、レイセンと小悪魔がシリアスの中で浮いてる。
感情的な内容の会話がメインなのに、説明が無いから読者は置いてけ掘。
レミリアはあれ程簡単に単純に納得しないだろうし、あんな事されたらキレるだろう。
話の大筋としては破綻して無いと思うけど、とにかく説明が少な過ぎた。
オリキャラを出したいならちゃんとタグを付けてください。
ただ時系列がぐちゃぐちゃで読みにくく感じました。
一括レス失礼いたします
場面転換などにつきましては、一重に僕の構成力・表現力不足であると思います
これから精進して改善していけるよう努力していきたい所存です
貴重なご意見・ご指摘ありがとうございました
>7.さま
説明不足については、こちらもひとりよがりな表現に終始していたのだ、と気づき、反省しております
鈴仙と小悪魔につきましては、スパイス的な要素として入れてみたのですが、上手くいっていなかったようです
各キャラについての行動につきましては、もっと自分の中でキャラについて成熟させて、
もっとみなさまに納得いただけるようなものにしていきたいと思います
こちらも、精進あるのみと存じます
貴重なご意見・ご指摘ありがとうございました
>8.さま
他の東方二次創作での表現をうっかりそのまま使ってしまっておりました
修正させていただくとともに、こちらでの不適切な使用への認識不足について謝罪を致します
ご不快な思いをさせてしまい、大変、失礼いたしました
以後、気をつけます
>9.さま
内容についてご満足いただけたようでありがとうございます
とても元気づけられました
またいつか、再挑戦いたしたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします
当主に黙ってその妹と好き勝手してた者達が問題起こしてるのに
自分が責任取るとまで言ったレミリアが非難される云われはないと思う
先ず、設定の間違い。フランのレミリアに対する二人称は「お姉様」が公式です。本人の居ない所で「あいつ」呼ばわりした事はありますが、面と向かっては「お姉様」です。他にもこういった細かい設定違いが散見され、二次小説としての完成度を損なっていると思います。
次に、鈴仙の扱い。シリアスな話の進む中、地の文で「うどんげ」は無いと思います。永琳が台詞の中でそう呼ぶのは問題ないのですけれど、俯瞰視点で書かれた名称に渾名を使うのはちょっと。これがギャグやコメディなら違和感も無かったと思いますが。また、真面目な場面で理不尽に低い扱いをする事は、図らずともネタではなくそのキャラへの「貶め」となってしまう危険があります。実際に作中の描写ですと、永琳は鈴仙の事が嫌いなのか、或いは見下しているように見えました。
そして何よりも違和感を感じたのが、フランドールの設定です。この話を読む限り、フランは狂気の住人ではなく善悪すら知らない幼子という印象を受けました。じゃあ、どうしてレミリアは妹を地下に幽閉したのでしょうか? ほんのちょっと永琳や魔理沙が諭しただけで理解が通じるような事を、どうして495年も放置していたのでしょうか? また、途中でレミリアが「厳しくしているのには理由がある。お前達が甘やかしたのは失策だ」といった旨の事を言っているのですが、最終的な話の帰結として美鈴やパチュリーの行いは肯定されています。これではまるで、レミリアは単なる身勝手な思い込みで妹を500年近くも幽閉していた大馬鹿者ではありませんか。少しばかり「作者の書きたいストーリー」を優先したが故に、整合性が犠牲になってはいないでしょうか?
ついでに言うと、「幻想郷のルール」とはハテ何の事でしょうか? 公式ではあまり詳しく語られていない部分なので、二次創作においては各筆者それぞれの解釈が登場して然るべき要素ではあるのですが、今作に措いては話の中枢の一角を占める要素でありながら殆ど説明がされていません。なのにレミリアは「巫女の裁定を仰ぐべき事態」と言い、他の者は「単なる事故」だと言う。本来は緊張感があるべきシーンなのに、それを眺める為の足場がグラついていて満足にのめり込めない。重ねて言いますが、話の主軸に食い込んだ設定なので「このSS内ではこういう解釈をしています」という説明が文中に織り込まれていないと、読んでいてかなり辛いです。
総じてしまうと、書きたい事を書きたいように書いたんだなぁ、という感です。仕事って訳ではないので、書きたい物を書くのは当たり前の事なのですが、不特定多数の読者を意識する、つまり「読ませる」事を意識した工夫が足りていないと思います。どうかご精進を。
そうですね、14.さまも仰っておりますが、レミリアに対する考察が足りていなかったかと思います
そのため、結果としてレミリアがねじれた扱いを受けてしまっているのだな、と気づきました
貴重なご意見ありがとうございました
>14.さま
まずは、長文でのご意見・ご指摘に感謝を
設定間違いについては、これからもっと読み込んで正しい知識を蓄えていきたいと思います
フランのレミリアに対する呼称としてはすべて「お姉様」と書いていたつもりだったのですが、見落としがあったようです
ご指摘ありがとうございました
これから見直してみて、修正させていただきます
鈴仙については、やはりそもそもの扱いを誤っていたのですね
彼女の扱いについての修正をするのは自らの過ちに蓋をして隠すようなものだと思いますので、今回はこのままでいきます
ただ、地の文での「うどんげ」という表現については、修正させていただきます
フランについては、ある程度確信的に、まさに幼子的な印象をもって書きましたが、それが自己満足的なものに帰結してしまっていたようです
それが結果として、レミリアにそのねじれが向かってしまっていたのですね
幻想郷のルールについては、自分での解釈のようなものを、勝手にそれが共通認識なのだと勘違いしておりました
以後、気をつけます
総評についてですが、まったくもってご指摘の通り、書きたいように書いただけ、のものであったようです
プロであるなしに関わらず、読んでもらいたいと思って書いた以上、そこをもっと意識しなくてはならないということに、まったく異存なく、間違いないことと思います
貴重なご意見・ご指摘、重ねて感謝いたします、ありがとうございました
精進して、再びこちらに投稿することで、感謝の意を表したいと思います
なんだか愛故の弄りではなく、本気で嫌ってるように感じました。
「永琳や輝夜が何か問題を起こしても責任は全て鈴仙に擦り付ける」
と本人の目の前でいってしまう永琳が凄く頭が悪く感じました。
後、レミリアに聞き返したときの
「うどんげ! 話くらいちゃんと聞きなさい!」という叱責も
(流れからしてあれは鈴仙なりに気をつかったものと解釈できますし、正直ここまで怒ることではないと思います)、
あまりにも理不尽な「うどんげは来なくていいわ。邪魔だから」という台詞等含め、単なる虐めになってしまってます。
ちょっとこれはあんまりではないでしょうか?
まったくもって不徳の致す限りです
ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした
>17.さま
こちらも同様に、気をつけます
ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした
>18.さま
皆さまからのご意見・ご指摘を頂き、感謝するばかりです
これからもっと精進して、また投稿させていただこうと思います
ありがとうございました
インターネットから得た情報だけを基に書いているような気がします。
原作のゲームはきちんとやっていますか?
今度は、良い作品を書いてくださる事を期待します。
ひとえに、作者さんが描こうとしている物の根本が暖かなものだからだと思います。
投稿から時間がたっての感想で申し訳ありませんが、今後のご活躍に期待しています。