***
花は、咲く。
私はそういう力を持っているのだから、花と名付けられるものはすべて咲かすことが出来る。
四季のフラワーマスター。二つ名はそんな当たり障りのない華やかなものだが、花の咲く力というのは、どんなに大きなものさえも恐れさせることのできる力なのだ。
花は次の生を生む。子孫を残すことを目的とし、それはすなわち生きることそのものを指す。花とは生きることの象徴で、それを操る私は、人の生き死にというものに自由に干渉することのできる妖怪ということだ。
自惚れ……ではない。私の性格を考えれば、多少のそれはあるかもしれないが、基本的に永く生きている妖怪は同じ考えを持っている。
だから、私はどんな花でも咲かすことが出来る……、はずだったのだ。
「何でかしら」
そう、私が疑問に思ったのは、咲かない花があるということ。
私のプライドもその事実を許すことなど出来はしなかったが、そんなことよりも私の能力が通用しないということが、素直に恐ろしかった。
何で?
どうして?
何で咲いてくれないの?
子供のように同じ疑問を何度も反芻し続ける私を見下すかのように、その花は咲かないままに、鎮座していた。
生を感じさせない。
私にとっては、恐怖の花。
どれだけ魔力を込めても、咲くことはない。
死んでいる、とさえ思ってしまう。
「本当に、おかしいことね」
その花―――蓮は、確かに生きているのに、咲かないのだ。
まるで、眠っているかのように。
だが、私はそれをそのまま放っておくようなつまらない妖怪ではない。
どこぞの巫女ではないけれど、納得しないものは納得するまで調べるのだ。これまで納得できないものなんてほとんどなかったけれど、久々に暇潰しくらいにはなるかもしれない。そう思えば動機くらいにはなるだろう。
長く生きては来たけれど、私はまだまだ現役だ。
花は、咲く。それが花だから。
だから、咲かないのには必ず理由が存在する―――
***
私が向かったのは、妖怪の山。ここには確か蓮の池があったはずだ。天狗が警備をしていると聞いたが、天狗なんてどうにでもなるだろうから、それは問題にはならなかった。
「あやややや、ここは立ち入り禁止ですよー?」
案の定、強い風と共に目の前に天狗が下りてきた。黒い物体を大勢従えた、どこかで見覚えのある鴉天狗だ。
「あら、貴女、偶に人里にいる天狗よね?」
「あやや? あ、あなたはもしや、花屋さんで見かける……」
風見幽香―――と、その天狗は私の名前を口にした瞬間、顔から血の気が引いていった。天狗は相当強いと評判だが、さすがに私相手にどうにかしようと考えるほどの自信はないらしい。それ以前に、彼女は記者なのだから、戦闘向きのそれではないのだろう。
「私は池に行きたいだけよ。通してくれないかしら」
「……私が他の天狗呼ぼうとしたら、怒りますよねぇ」
「いいえ? 現れた他の天狗もろとも散るだけよ」
「……ですよ、ねぇ」
もはや勝つ気はないようで、私は安心して登山を始めた。後ろの方から「私は何も見ていなかった!」という元気な声が聞こえて、それから一瞬で気配が消える。記者だけに、逃げ足は速いのだろうか。
いかに私とて、天狗の速さに勝てる自信はない。昔からのんびりと弾幕戦をしてきた私は、速く行動する必要がなかったのだ。それでも、天狗ごときなら百人以上いなければ話にすらならないだろうけれど。圧倒的な妖力を見せつければ、頭の良い彼女たちは勝てないことを悟るだろう。
「……ここね」
妖怪の山という禍々しい中での、異質の気。
清く澄んだ池が、そこにはあった。
大蝦蟇が住むと言われるこの池は、それ例外にも「蓮」で有名だった。美しい蓮の花が咲くとされ、いつか行こうとは思っていたものの、結局行かずにいたのだ。
しかし、そこの蓮もまた、咲いてはいなかった。
水に浮かぶのは葉だけで、花らしき白や桃色は少しも見えない。
一体、いつから咲いていないのか―――
「大蝦蟇、貴方には分かるかしら……?」
返事はない。
水面は静かで、私のいるここも、もちろん沈黙に包まれている。
音は無い。
風も吹かない。
ただ、静かだった。
私と蓮だけが、今この場で生きている。
水面に触れる。
ちゃぷ、と小さく音を立て、掻き混ぜてみた。
波紋が生まれ、浮いた葉を揺らす。花は揺れない。存在しない。
そして、私は能力を再び使った。
花を咲かせる、力。
当然のように咲かない蓮からは、何も感じることが出来ない。
いや―――
感じた。
蓮の、わずかな抵抗を。
侵してはいけない境界線を越えようとする私を拒むかのように、小さいけれども、確かな力で、私の能力を弾いているのが、ようやく感じられた。
音のない世界。
そこに、振動を与えよう。
「―――いるんでしょう? 八雲紫」
振り返った視線の先に、私は、境界線を幻視した。
空間を裂き、現れる、妖怪の賢者。境界を操る妖怪。蓮を生きても死んでもいない状態に陥れた、張本人に違いない。
いつか以来の再会だが、その時の妖艶な笑みは無く、ただ、悲しそうにこちらを見ている。私を悲しんでいるのか、あるいは自分自身を悲しんでいるのか。またあるいは、そのどちらでもないのか……。
「こんな形で、気付いてしまうとはね……。誰も気付くはずのないことだったのに」
紫はすとん、と対岸に降り立ち、こちらへどうぞ? というジェスチュアをした。
私はそれに従い、彼女の下へと歩み寄る。
「貴女はそれを知りたい?」
「とりあえずは、ね。このままじゃ気持ちが悪いから」
「……分かったわ」
誘われる、幻想の境界。
そうして私は、現実へと落ちていく―――
***
誰かの部屋。
洋風なインテリアの施された、一言で言うなら『豪華』な部屋だ。桃色のカーテンが窓に引かれ、外からの光を遮っている。しかし、天井にあるやたらと明るいランプのようなもので、この部屋は普通に明るかった。
「ここが、何だって言うの?」
私は後ろに現れた紫に訊ねた。
見たこともないこんな部屋に一体何があるのか。私に探させてもいいのなら、もちろん好きにするのだけれど。
紫は無言で私の横を通り過ぎ、中心にあった天蓋付のベッドへと歩み寄った。
薄紫色の天蓋が床まで隠しているベッド。蚊帳のように、中にいるものを包み込んでいる。
細い指が、柔らかな布へとかかり、それを一気に開いた。中へと光が注ぎ込まれる。
それは反射し、その少女を私の目へと見せ付けた。
肩まで伸びている茶色の髪、白いシャツ、黒いスカート。端正な顔立ちは歪みもせず、喜びに満ちているわけでも不満そうなわけでもなく、ただ、眠っていた。
表情は、無い。
眼を閉じて、夢を見ているのだろう。
「彼女は……?」
一体誰なの、と。
私は無言のまま立ち尽くす紫に尋ねた。
この少女が私の知りたいことにどう関係するのか……。
「この子が『蓮』よ」
彼女はそう答えて、暗い笑みを私に向けた。
悲しそうで、それでいて受け入れている目。
紫にとって、この少女は何なのか。
興味なんて無いはずなのに、何故だかそれがとても気になった。
「起きるのかしら」
「起きないわよ」
沈黙が訪れる。
無音のまま、私たちは睨み合う。
蓮と呼ばれた少女は、眠っている。安らかな寝息を立てながら。
しかし、もう彼女は起きないのだ、と紫は言う。
起きない―――それは生きているけれど、死んでもいない状態を指す。そう、ちょうど咲かない蓮のように。
「紫、窓、開けて良いかしら。空気が悪いわ」
「どうぞ? でも……空気が悪いなら……」
私は何事か言おうとする紫を無視して、カーテンの奥の窓を開いた。
途端に流れ込んでくる大量の空気。
それを私は大きく吸って―――
「―――ッ!? 何これ!?」
「……空気が悪いから開けるのなら、この世界ではやめた方が良いのよ」
地獄かと、本当に思った。
外の空気は、綺麗どころではない。今まで吸ったことのある空気の中では最悪のそれだった。臭いというわけではなく、ただ純粋に、不快な空気だ。
すぐに窓を閉め、紫を睨む。
「早く言って頂戴よ」
「聞かない貴女が悪いわ」
「まぁ、そうかも知れないけど……。ねぇ紫。ここは一体何処なの? こんな場所が、まさか外の世界なわけ?」
幻想郷の外。
空気の濁ったこの世界が、本当にそれだというのなら、幻想郷に住み着く人間が増えるというのも良く理解できる。こんな世界にいるのでは、三日も持ちそうにない。
しかし、紫はそうよ、と当たり前のように頷いてみせた。
「そう、ここが幻想郷の外。これは間違いようのない事実よ」
「ここは貴女の部屋?」
「ええ。この世界にあるけれど、誰にも見えない、安全な空間。それがこの部屋。私ではない私の、けれどもその私も知ることのできない場所よ」
相変わらずの、抽象的すぎて意味の分からない返答。
分かるのは、ここが彼女の部屋で、周囲に特別な境界を張っているということだけ。
もう一度だけ、窓の外に目をやる。
高い、無機質な建造物で溢れた世界。多くの人間が詰め込まれている、蛇のような巨大な機械。年若い者だけが吸い込まれるように入っていく、白い建物……。
「アンドロイドが飛び回る世界なら行ったことがあったけどね……。あの世界も同類なのかしら」
「さぁね」
「それで、その子はいつから起きないのかしら?」
「……いつかしらね」
「知らないの?」
「ねぇ、幽香。貴女に聞きたいんだけど……、この少女は生きていると思う?」
一瞬、私は眼を見張った。こんなに弱気なこの妖怪など、生まれてこのかた、見たことがなかったからだ。
しかし、その質問の答えは既に決まっている。
蓮は、枯れていなかったから。
「生きているわ、間違いなく。寝息を立てていても死んでいることだってもちろんあるけれど、蓮はまだ枯れていない。貴女が、生きていることを証明したのよ」
「そう……」
「紫、私はそろそろ訊きたいんだけど。この少女は、貴女にとっての、何だというのよ?」
「…………」
再びの沈黙。
口を真一文字に結んで、誰よりも強いはずの妖怪は今にも泣きそうな顔をした。
ちょうど、見た目通りの少女のような―――
「……彼女は、人間にして、境界という禁忌に触れ続けた。触れ続ければ、やがて呑み込まれる。今、彼女は深い、深い、底にいるのよ。
私も辿り着いたことのない場所で、彷徨い続けているの」
ようやく口を開いた彼女は、それだけ告白して、黙って外を見つめた。
―――何だ、彼女にも大切なものがあるじゃないか。
ずっと、すべての妖怪が恐れ、勝つことなど考えもしなかった最強の妖怪が、ただ一人の人間の為に、妖怪でなくなった。
万物に干渉できるけれど、全知全能の神ではない。
感情を持ち、人を大切と思う。
そこにいるのは、ただの妖怪だった。
「それで、紫。その眠り姫を守る為に境界を閉じたのね? 蓮を咲かすことが出来ないのは……そう、その子の名前。名前はその者に強く干渉するから、一番関係の深い蓮を閉じて、生きても死んでもいない状態に誘った―――ネクロファンタジアへと」
紫は、弱々しく頷いた。
不安なのだろう。
怖いのだろう。
妖怪であるが故、人間というものがどれだけ生と切り離されずにいることが出来るのか分からないから、繋ぎとめておくしか出来ないのだ。
そんな願いは、私は既にどこかへ捨ててきてしまった。
だから、平気でこんなことを考えられる。
「……難儀ね」
「え?」
「そろそろ、帰りたいのよ。送ってくれる?」
「あ、ええ……。貴女は、私を倒さなくて良いのかしら」
「どうして?」
「結局、帰っても貴女は蓮を咲かすことが出来ない。四季のフラワーマスターとしての貴女が、それを許すとは思えないのだけれど」
それは、違う。
私は、はっきりと断言することが出来る。
大切な、守りたい何か。
それがあることが私には羨ましくて、同時に愛しいのだから。
「私は、命の花を咲かせる妖怪よ。―――枯らしてしまうのは、いささか残念過ぎるわ」
***
未だに、蓮の花は咲かない。
私は、沈黙を続けるそれに、そっと囁く。
「貴女は、人を待たせているのよ―――」
時が過ぎて、それでも咲かないというのなら。
境界線が引かれたまま、決して溶けることが無いというのなら。
「いつか、私は生と死の境界線を断ち切ってみせましょう。
そして貴女は狂い咲きなさい。
深い闇の底から浮かび上がり、綺麗な花を咲かせて頂戴。
難儀なあの妖怪は、それくらいしないと笑ってくれないでしょう。
遥か彼方から、蓮華の咲いた池を見てみたいものだわ―――」
水面に触れる。
ちゃぷ、と小さく音を立て、掻き混ぜてみた。
波紋が生まれ、浮いた葉を揺らす。花は揺れない。
水面に映った私は溶けていって。
―――やがて、消えた。
了
花は、咲く。
私はそういう力を持っているのだから、花と名付けられるものはすべて咲かすことが出来る。
四季のフラワーマスター。二つ名はそんな当たり障りのない華やかなものだが、花の咲く力というのは、どんなに大きなものさえも恐れさせることのできる力なのだ。
花は次の生を生む。子孫を残すことを目的とし、それはすなわち生きることそのものを指す。花とは生きることの象徴で、それを操る私は、人の生き死にというものに自由に干渉することのできる妖怪ということだ。
自惚れ……ではない。私の性格を考えれば、多少のそれはあるかもしれないが、基本的に永く生きている妖怪は同じ考えを持っている。
だから、私はどんな花でも咲かすことが出来る……、はずだったのだ。
「何でかしら」
そう、私が疑問に思ったのは、咲かない花があるということ。
私のプライドもその事実を許すことなど出来はしなかったが、そんなことよりも私の能力が通用しないということが、素直に恐ろしかった。
何で?
どうして?
何で咲いてくれないの?
子供のように同じ疑問を何度も反芻し続ける私を見下すかのように、その花は咲かないままに、鎮座していた。
生を感じさせない。
私にとっては、恐怖の花。
どれだけ魔力を込めても、咲くことはない。
死んでいる、とさえ思ってしまう。
「本当に、おかしいことね」
その花―――蓮は、確かに生きているのに、咲かないのだ。
まるで、眠っているかのように。
だが、私はそれをそのまま放っておくようなつまらない妖怪ではない。
どこぞの巫女ではないけれど、納得しないものは納得するまで調べるのだ。これまで納得できないものなんてほとんどなかったけれど、久々に暇潰しくらいにはなるかもしれない。そう思えば動機くらいにはなるだろう。
長く生きては来たけれど、私はまだまだ現役だ。
花は、咲く。それが花だから。
だから、咲かないのには必ず理由が存在する―――
***
私が向かったのは、妖怪の山。ここには確か蓮の池があったはずだ。天狗が警備をしていると聞いたが、天狗なんてどうにでもなるだろうから、それは問題にはならなかった。
「あやややや、ここは立ち入り禁止ですよー?」
案の定、強い風と共に目の前に天狗が下りてきた。黒い物体を大勢従えた、どこかで見覚えのある鴉天狗だ。
「あら、貴女、偶に人里にいる天狗よね?」
「あやや? あ、あなたはもしや、花屋さんで見かける……」
風見幽香―――と、その天狗は私の名前を口にした瞬間、顔から血の気が引いていった。天狗は相当強いと評判だが、さすがに私相手にどうにかしようと考えるほどの自信はないらしい。それ以前に、彼女は記者なのだから、戦闘向きのそれではないのだろう。
「私は池に行きたいだけよ。通してくれないかしら」
「……私が他の天狗呼ぼうとしたら、怒りますよねぇ」
「いいえ? 現れた他の天狗もろとも散るだけよ」
「……ですよ、ねぇ」
もはや勝つ気はないようで、私は安心して登山を始めた。後ろの方から「私は何も見ていなかった!」という元気な声が聞こえて、それから一瞬で気配が消える。記者だけに、逃げ足は速いのだろうか。
いかに私とて、天狗の速さに勝てる自信はない。昔からのんびりと弾幕戦をしてきた私は、速く行動する必要がなかったのだ。それでも、天狗ごときなら百人以上いなければ話にすらならないだろうけれど。圧倒的な妖力を見せつければ、頭の良い彼女たちは勝てないことを悟るだろう。
「……ここね」
妖怪の山という禍々しい中での、異質の気。
清く澄んだ池が、そこにはあった。
大蝦蟇が住むと言われるこの池は、それ例外にも「蓮」で有名だった。美しい蓮の花が咲くとされ、いつか行こうとは思っていたものの、結局行かずにいたのだ。
しかし、そこの蓮もまた、咲いてはいなかった。
水に浮かぶのは葉だけで、花らしき白や桃色は少しも見えない。
一体、いつから咲いていないのか―――
「大蝦蟇、貴方には分かるかしら……?」
返事はない。
水面は静かで、私のいるここも、もちろん沈黙に包まれている。
音は無い。
風も吹かない。
ただ、静かだった。
私と蓮だけが、今この場で生きている。
水面に触れる。
ちゃぷ、と小さく音を立て、掻き混ぜてみた。
波紋が生まれ、浮いた葉を揺らす。花は揺れない。存在しない。
そして、私は能力を再び使った。
花を咲かせる、力。
当然のように咲かない蓮からは、何も感じることが出来ない。
いや―――
感じた。
蓮の、わずかな抵抗を。
侵してはいけない境界線を越えようとする私を拒むかのように、小さいけれども、確かな力で、私の能力を弾いているのが、ようやく感じられた。
音のない世界。
そこに、振動を与えよう。
「―――いるんでしょう? 八雲紫」
振り返った視線の先に、私は、境界線を幻視した。
空間を裂き、現れる、妖怪の賢者。境界を操る妖怪。蓮を生きても死んでもいない状態に陥れた、張本人に違いない。
いつか以来の再会だが、その時の妖艶な笑みは無く、ただ、悲しそうにこちらを見ている。私を悲しんでいるのか、あるいは自分自身を悲しんでいるのか。またあるいは、そのどちらでもないのか……。
「こんな形で、気付いてしまうとはね……。誰も気付くはずのないことだったのに」
紫はすとん、と対岸に降り立ち、こちらへどうぞ? というジェスチュアをした。
私はそれに従い、彼女の下へと歩み寄る。
「貴女はそれを知りたい?」
「とりあえずは、ね。このままじゃ気持ちが悪いから」
「……分かったわ」
誘われる、幻想の境界。
そうして私は、現実へと落ちていく―――
***
誰かの部屋。
洋風なインテリアの施された、一言で言うなら『豪華』な部屋だ。桃色のカーテンが窓に引かれ、外からの光を遮っている。しかし、天井にあるやたらと明るいランプのようなもので、この部屋は普通に明るかった。
「ここが、何だって言うの?」
私は後ろに現れた紫に訊ねた。
見たこともないこんな部屋に一体何があるのか。私に探させてもいいのなら、もちろん好きにするのだけれど。
紫は無言で私の横を通り過ぎ、中心にあった天蓋付のベッドへと歩み寄った。
薄紫色の天蓋が床まで隠しているベッド。蚊帳のように、中にいるものを包み込んでいる。
細い指が、柔らかな布へとかかり、それを一気に開いた。中へと光が注ぎ込まれる。
それは反射し、その少女を私の目へと見せ付けた。
肩まで伸びている茶色の髪、白いシャツ、黒いスカート。端正な顔立ちは歪みもせず、喜びに満ちているわけでも不満そうなわけでもなく、ただ、眠っていた。
表情は、無い。
眼を閉じて、夢を見ているのだろう。
「彼女は……?」
一体誰なの、と。
私は無言のまま立ち尽くす紫に尋ねた。
この少女が私の知りたいことにどう関係するのか……。
「この子が『蓮』よ」
彼女はそう答えて、暗い笑みを私に向けた。
悲しそうで、それでいて受け入れている目。
紫にとって、この少女は何なのか。
興味なんて無いはずなのに、何故だかそれがとても気になった。
「起きるのかしら」
「起きないわよ」
沈黙が訪れる。
無音のまま、私たちは睨み合う。
蓮と呼ばれた少女は、眠っている。安らかな寝息を立てながら。
しかし、もう彼女は起きないのだ、と紫は言う。
起きない―――それは生きているけれど、死んでもいない状態を指す。そう、ちょうど咲かない蓮のように。
「紫、窓、開けて良いかしら。空気が悪いわ」
「どうぞ? でも……空気が悪いなら……」
私は何事か言おうとする紫を無視して、カーテンの奥の窓を開いた。
途端に流れ込んでくる大量の空気。
それを私は大きく吸って―――
「―――ッ!? 何これ!?」
「……空気が悪いから開けるのなら、この世界ではやめた方が良いのよ」
地獄かと、本当に思った。
外の空気は、綺麗どころではない。今まで吸ったことのある空気の中では最悪のそれだった。臭いというわけではなく、ただ純粋に、不快な空気だ。
すぐに窓を閉め、紫を睨む。
「早く言って頂戴よ」
「聞かない貴女が悪いわ」
「まぁ、そうかも知れないけど……。ねぇ紫。ここは一体何処なの? こんな場所が、まさか外の世界なわけ?」
幻想郷の外。
空気の濁ったこの世界が、本当にそれだというのなら、幻想郷に住み着く人間が増えるというのも良く理解できる。こんな世界にいるのでは、三日も持ちそうにない。
しかし、紫はそうよ、と当たり前のように頷いてみせた。
「そう、ここが幻想郷の外。これは間違いようのない事実よ」
「ここは貴女の部屋?」
「ええ。この世界にあるけれど、誰にも見えない、安全な空間。それがこの部屋。私ではない私の、けれどもその私も知ることのできない場所よ」
相変わらずの、抽象的すぎて意味の分からない返答。
分かるのは、ここが彼女の部屋で、周囲に特別な境界を張っているということだけ。
もう一度だけ、窓の外に目をやる。
高い、無機質な建造物で溢れた世界。多くの人間が詰め込まれている、蛇のような巨大な機械。年若い者だけが吸い込まれるように入っていく、白い建物……。
「アンドロイドが飛び回る世界なら行ったことがあったけどね……。あの世界も同類なのかしら」
「さぁね」
「それで、その子はいつから起きないのかしら?」
「……いつかしらね」
「知らないの?」
「ねぇ、幽香。貴女に聞きたいんだけど……、この少女は生きていると思う?」
一瞬、私は眼を見張った。こんなに弱気なこの妖怪など、生まれてこのかた、見たことがなかったからだ。
しかし、その質問の答えは既に決まっている。
蓮は、枯れていなかったから。
「生きているわ、間違いなく。寝息を立てていても死んでいることだってもちろんあるけれど、蓮はまだ枯れていない。貴女が、生きていることを証明したのよ」
「そう……」
「紫、私はそろそろ訊きたいんだけど。この少女は、貴女にとっての、何だというのよ?」
「…………」
再びの沈黙。
口を真一文字に結んで、誰よりも強いはずの妖怪は今にも泣きそうな顔をした。
ちょうど、見た目通りの少女のような―――
「……彼女は、人間にして、境界という禁忌に触れ続けた。触れ続ければ、やがて呑み込まれる。今、彼女は深い、深い、底にいるのよ。
私も辿り着いたことのない場所で、彷徨い続けているの」
ようやく口を開いた彼女は、それだけ告白して、黙って外を見つめた。
―――何だ、彼女にも大切なものがあるじゃないか。
ずっと、すべての妖怪が恐れ、勝つことなど考えもしなかった最強の妖怪が、ただ一人の人間の為に、妖怪でなくなった。
万物に干渉できるけれど、全知全能の神ではない。
感情を持ち、人を大切と思う。
そこにいるのは、ただの妖怪だった。
「それで、紫。その眠り姫を守る為に境界を閉じたのね? 蓮を咲かすことが出来ないのは……そう、その子の名前。名前はその者に強く干渉するから、一番関係の深い蓮を閉じて、生きても死んでもいない状態に誘った―――ネクロファンタジアへと」
紫は、弱々しく頷いた。
不安なのだろう。
怖いのだろう。
妖怪であるが故、人間というものがどれだけ生と切り離されずにいることが出来るのか分からないから、繋ぎとめておくしか出来ないのだ。
そんな願いは、私は既にどこかへ捨ててきてしまった。
だから、平気でこんなことを考えられる。
「……難儀ね」
「え?」
「そろそろ、帰りたいのよ。送ってくれる?」
「あ、ええ……。貴女は、私を倒さなくて良いのかしら」
「どうして?」
「結局、帰っても貴女は蓮を咲かすことが出来ない。四季のフラワーマスターとしての貴女が、それを許すとは思えないのだけれど」
それは、違う。
私は、はっきりと断言することが出来る。
大切な、守りたい何か。
それがあることが私には羨ましくて、同時に愛しいのだから。
「私は、命の花を咲かせる妖怪よ。―――枯らしてしまうのは、いささか残念過ぎるわ」
***
未だに、蓮の花は咲かない。
私は、沈黙を続けるそれに、そっと囁く。
「貴女は、人を待たせているのよ―――」
時が過ぎて、それでも咲かないというのなら。
境界線が引かれたまま、決して溶けることが無いというのなら。
「いつか、私は生と死の境界線を断ち切ってみせましょう。
そして貴女は狂い咲きなさい。
深い闇の底から浮かび上がり、綺麗な花を咲かせて頂戴。
難儀なあの妖怪は、それくらいしないと笑ってくれないでしょう。
遥か彼方から、蓮華の咲いた池を見てみたいものだわ―――」
水面に触れる。
ちゃぷ、と小さく音を立て、掻き混ぜてみた。
波紋が生まれ、浮いた葉を揺らす。花は揺れない。
水面に映った私は溶けていって。
―――やがて、消えた。
了
やさしさいけれどもモノクロ世界での秋夜の空気、のような雰囲気を感じました。変な例えですね。
もうひとつの話については、ひどく否定されるような事はないと思いますよ。
97点ぐらいでお願いします。
キャラと設定で+10点
ただ話の内容にしては味付けが薄すぎた感じかもです。
文章力のなさ、とのことなので一つ。不自然さが目に付きました。
細かい所で、1.『圧倒的な妖力を見せつければ』、2.『誰かの部屋。』、3.『……空気が悪いから開けるのなら、この世界では』、4.『いささか残念過ぎるわ』等々。作者の視点が強くでていたり(1)、単純に日本語としてアレだったり(3,4)、無駄な装飾だったり(2)と、それぞれ不自然の意味が違いますが。
大局として、キャラの心象の変化と、展開の早さや描写の薄さのバランスの悪さ。心象に納得がいかず違和感が残りました。
長編は三つ、四つにわけて作品集の最後辺りにぽんぽんぽーんと上げてしまえばいいかと。その程度の流れや、一つ一つの長さを少なくとも私は気にしません。
ただ、内容はもう一度よく推敲したほうが良いと予測します。
>>6さん
やさしさいけれどもモノクロ世界での秋夜の空気……すごい表現ですね。
こんな風に表現していただけるというのは、作者冥利に尽きるというものですw
>>15さん
良く分かっていらっしゃる!
蓮子好きに悪い人はいないのですよ!
だから私は悪い人じゃないです。蓮子を愛するただの変人です。
>>16さん
不自然さ……ですか。
言われてみればなるほどと思うものや(これがほとんど)、いやそれでもこれは除けねぇッ! っていうものもあり、再確認の為にとても参考になりました。
展開の早さや描写の薄さ……自分が昔から気になっていたものですが、なかなか治らないですね……。
違和感を残してしまい、申し訳ありません。
それでも内容は良かった、と言っていただけるなんて、嬉しい限りです。
細かく説明して下さってありがとうございました。
長編の方は、三つくらいにしてみようかと思っています。
内容の推敲、はしんどいですが、頑張ります。長いからいろいろアレかもですが。