◇
例えば、この世界を全てフェイクにしたなら。
――あなたはどうするかしら?
◇
あれは、少し前の話だ。
あの男が私の館を訪れたついでに、
私の妹の部屋にも向かったとき。
男は少しだけ困ったような顔をしながら、
――しばらく、ここに通わせてもらって良いかい?
と、幽かに言ったのだ。
◇
「それで?何の用事で?」
私は威厳を見せ付けるように笑う。
といっても、この男が相手ならば大した意味を成さないだろうが。
「大した用事ではない――とは言えないが、
君の妹と約束をしたからね」
「へえ」
「深くは聞かないのか?」
「聞く必要がない、からよ」
私に言葉は必要ない。
手に取るように『全て』が私の中に流れてくるからだ。
それを運命というのは、どこか皮肉なものでもある。
運命とは定めであり、人為的に外すことが出来ない。
いわば、諦めの境地だ。
そんなものを操ったとしても、さして意味があるとは思えなかった。
「なら、許可したということでいいんだね?」
「誰が許可をしたと言ったのよ、店主」
「つまりは許可しないと?」
そう言うと、男は少しだけ難しそうな顔をする。
いかにも不満です、と言わんばかりの表情だ。
しかし、こんな顔をされると不思議とほほえましく見えるものだ。
だから、私は少し、逃げ道を作ってやることにした。
そうすれば、男はそちらへ向かうだろう。
それが運命なら、私には操ることもあまりに容易い。
「そうね、許可をするのも考えてあげるかわり、
何か暇つぶしになるような話をしなさい。
勿論、あなたの作り話でもかまわないわ」
と。
ほう、と男は小さくつぶやく。
「どんな話でも良いのかい?」
「ええ、ただし面白くなければ許可はしないわ」
そして、男は少しばかり黙っていたが、急に口を開いた。
「先に言っておくが、これは僕の創作だ。いいね?」
「ええ、構わないわ。話しなさい」
そう前置きを並べると、彼はすっ、と語り始めた。
◇
「ある所に、サーカスが盛んな村があったんだ」
「サーカス?」
私は男の語りを妨げる。
聞き覚えのない言葉があったからだ。
「あぁ、芸人の集まりのようなものだね。娯楽屋だ。
それはさて置き、話を続けるよ」
男は何事もなかったようにもう一度語りだす。
「サーカスが盛んな村では、ある二人組みが居てね。
彼らは子供の頃からの親友同士だった」
「その村では、出稼ぎサーカスと称して、隣町などで舞台を設けていたらしい」
「彼らは脱出芸の達人だった。一人は鍵のかかった、燃え盛る密室から逃げ出す役を、
もう一人はそれをサポートする役をそれぞれに分担していたんだ」
「ちょっと待って。――そんなこと出来るの?」
再び私が問いかける。
「じゃあ、逆に質問だ。君は咲夜の手品に『タネ』があると思うかい?」
「思うわ。というより咲夜自体が『タネ』じゃない」
「なら、そういうことだ。手品には『タネ』があるものさ」
私が――なんだ、つまらない、といった言葉は聞こえなかったのか、
それとも意図的に聞こえない振りをしたのかは分からないが、
男は話を連ねていく。
「そして、彼らは互いに信用しあっていたんだ。
何度も死線を越えたから、絆も深まったんだろう」
「だが、しかし、ある舞台で事故が起こったんだ。
逃げ出す役の男が、サポート役の男のミスで怪我をしたんだ」
「サポート役としては失格ね」
彼はそうだね、と何事もないように返す。
「当然、逃げ出す役の男は怒ったんだ。
『おい、ずっと信じてたのにこんなにしやがって』と。
それも、客が真ん前にいる、舞台の上でね」
「すると、サポート役の男も言うんだ。
『ずっと俺の指示で成功してただけなのに何言ってやがる』ってね」
「いやな空気ね。そんなショーを見せられたら、私ならすぐに退席するわ」
「そうだろう?だから、観客たちはどよめいた。
もうこれで終わりだな、と。そう言って席を立とうとした」
「だが、そこで急にガシャン、という音がする。
観客たちが舞台を見ると、猛獣が入った檻に火が近寄っていたんだ」
「それだけならまだしも、火に興奮した猛獣が檻を破ろうとしている。
鍵は今にも外れそうになっているにもかかわらず、
二人の芸人はまだ言い争っているときた」
「どこまで愚かなのよ、その二人は」
盛大なため息を、存在もしない芸人に送る私。
「観客たちの中には逃げ惑うものも、大声で叫ぶものもいた。
そのものたちは、『あぶない、逃げろ』と何度も何度も叫んだ。
だが、二人組みの芸人との間に見えない壁でもあるのか、
観客たちの声は聞こえてないようで、彼らはまだ争っていた」
「そして、ついに猛獣の檻が勢いよく開いたんだ。
出てきた猛獣は、一直線に二人の芸人の下に走り出す。
その猛獣は牙を剥いて、『食うぞ』と言ってる様だった。
だから、観客たちは逃げることも忘れ、その光景に釘付けになった」
「やがて、もう牙が芸人に届くかと言った瞬間、
観客たちが見ると――芸人も猛獣も居なくなっていた。
舞台には楽しげな音楽の余韻と、壊れた檻だけが残っているんだ。
これには観客たちも驚いて、立ち尽くした」
「そうして、待てども待てども、その二人組みは帰ってこなかった。
それどころか、あの猛獣も、他の芸人も、サーカス一座の座長もね。
皆で『変だな』と繰り返し言っても、誰も戻ってこないんだ」
「だから、観客たちは諦めて舞台を離れた。
なんだったんだろう、と話しながらね。
そして、最後の一人が舞台から離れたときだ。
その瞬間、誰も居ないはずの舞台から耳を裂くような拍手が聞こえる。
そして、あの二人組みの声が聞こえたんだ。
『さぁさ、サーカスは幕引きです!
なにが真実だったでしょう!なにが真実だったでしょう!』
◇
「ということで、僕のお話は終わりだ」
そう言って男はため息を吐く。
しかし――何なのだ、この話は。
「結局、何が真実だったのよ」
私はそう男に問う。
まったくもって話の筋が分からなかったからだ。
「ふむ、じゃあ、君ならどう思ったんだい?」
「どうって――」
私は少しだけ考える。
流石に私の力があっても、作り話の『運命』は操れない。
作り話とは書き手が全ての意味を付与する、
いわば、書き手のため『だけ』の意味があるものなのだ。
だから、私にはその真意はどのみち計り知れない。
「――やっぱり分からないわ。
なんで何もかもが消えたのかも分からないし」
「でも、それもサーカスだとしたら?」
「つまり?」
「脱出芸の二人組みが仕組んだ『芸』だとすれば?」
「そんなこと――って、聞くだけ無駄ね」
先ほど、男が言ったとおりだろう。
可能ならば、可能となる理由がある。
それは絶対的な『真実』のようだった。
「そうだね、物事には『根』がある。サーカスではタネだ」
「洒落たつもり?」
「まさか」
そこで男はもう一度ため息を吐く。
これはもう、この男の癖なのかもしれない。
しかし、まずはこの作り話だ。
まとめて考えると、二人組みの芸人も、
猛獣も、サーカスの一座も消えるべくして消えた、
と言うわけなのだろう。
それがタネで、『根』なのだ。
「何にせよ、つまらないショーね」
私はそう言う。
どんな奇術も、タネがちらつけば輝くことはないから、だ。
「そんなことを分かっていながら、人は騙されに行くの?」
「そうだね、きっと人は分かっていて騙されるんだ」
「なぜ?」
普通に考えれば、ありえない。
騙されて喜ぶものなんていないだろうから。
だが、男はふん、と鼻で笑う。
「簡単な話だよ。少し考えてみれば分かる」
「考えて分からなかったから言ってるんじゃない」
もう一度、男は笑う。
おお、こんなことも分からないのか、という顔だ。
「そうかい、なら、ヒントをあげよう。
外の世界の芸術家曰く、
『私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する』、だ」
◇
答えはどこまでもシンプルだった。
「つまり――現実の方がつまらなかったのね?」
私は椅子に座り、頬杖をついて言う。
聞いてみたら、何もかもが当たり前の話だ。
「そうだね、人はそれが虚偽でも、
その世界に引き込まれていくんだ。
場合によれば、本なんてものも虚偽だよ」
男はそう言って、私の部屋を歩き回る。
確かに彼の理屈でいえば、そうなるだろう。
しかし、それほどまでに現実は面白みを欠くのだろうか。
「それなら、さっきの話の場合、
サーカス一座が消えたのは芸じゃない、と思えば良いのかしら?」
すると、男は振り返り、少しだけ微笑った。
「そうじゃないよ。もしかしたら、虚偽かもしれない、
いや、真実かもしれない、というラインを踏むのが正しいんだ」
「よく分からないわ」
「真実なんて、多角的に見ればいくつでもある、ということさ」
そう言って彼は、じゃあ許可をくれるかい、と言う。
私は少しの間、逡巡する。
面白かったかは別において、なかなか興味深い話だったのは確かだ。
――だけど、気になることがひとつあるわね。
まだ許可をくれてやるわけにはいかない。
どうしても聞いてみたいことが残っていたのだ。
「なら、店主。一つだけ質問に答えなさい」
男が堂々と頭を押さえてみせる。
頭痛がするとでも言いたいのか。
「なんだい?」
「さっきの作り話と、あなたの解説は、真実なの?」
私がそう言うと、
「全ては華麗なる虚偽、だよ」
と男は言った。
◇
真実とは、つまらないものだ。
そして、私が視ていた運命とは、『真実』だった。
その一直線なものを見るのは、楽しくなかったため、
私は暇つぶしを探し続けていたのだ。
予定調和とやらを壊して、刺激を得るために。
だが、その予定調和を越えようとする行動自体が、
『運命』だったのではないか、という考えが私に乗り移る時がある。
自分の意思がどこにもないような気がして、私は胸を押さえていた。
そう、私は『運命』を操ることが出来るはずなのに、
結局、『運命』に操られているような感覚に陥っていた。
そして、そうなれば、もう先は『メビウスの帯』だ。
走れども走れども、ゴールは見当たらない。
それは、私が運命を操るときに、捻じ曲げたことを『真実』にしていたからだ。
「いいわ、特別に許可するわ。必要なものがあればいいなさい」
もし――『真実』か『虚偽』かの選択肢を持っていれば。
きっと、選択肢は無限と広がるだろう。
ならば、私はありきたりな『運命』に縛られる事はない。
『真実』と『虚偽』を織り込めば、私はさらに自由になれるかもしれない。
「ただし、一つだけ条件を飲んでもらうわ」
ここで私は我慢しきれなくなって、吹き出した。
きっと、今は無邪気な稚児のような笑顔になっているのだろうが、
この際、何の問題もない。たとえ男が怪訝そうに見ていても。
きっと、私は盛大に運命を作り上げるのだろう。
色とりどりのガラス片のような、壮大な『真実』と『虚偽』を紡いで。
――今となれば真偽が乱れて何も分からないけど、それでいいのよ。
「私は近々、盛大なフェイク・パーティを主催する。
だから、あなたはそれに参加すること」
「何のために?」
男はそれを聞いて、訝しげな表情をする。
それを聞いて私は満面の笑みで言うのだ。
「華麗なる虚偽のため、よ」
終わり。
この二人だからこそ作り出せる空気なのでしょうか?
とても引き込まれました、お見事です。
ワタナベ氏が書かれた作品はどこかミステリアスでとても惹き付けられます。