◇
私は霖之助さんに甘えている。
それは、自分でも理解していたつもりだった。
――よく来たね、とは言わないから早くお帰り。
下らないセリフを吐く彼。
そう、彼はいつもそこにいた。
誰かを待っているようで、どこか物憂げに。
だから、私は安心して彼に甘えに行ってた。
今となれば、それが正しかったのか、
正しくなかったのかも分からない。
だけど、いつしか一つだけ思ったことがある。
――もしかすると、霖之助さんも私と同じだったんじゃないの?
それは、今となれば本当にもう分からないことだった。
彼が優しく微笑んで、全てを隠すから。
◇
「ねぇ、お茶が切れているわ」
「さぁ、知らないね。出涸らしでよければ振る舞うが?」
「ふざけてるわね」
「どちらが、だよ」
私は自由気ままに彼の店を訪れて、
自由気ままに食事やお茶、裁縫を催促する。
それでも、彼は文句こそ言えど、概ねそれに従ってくれる。
「ねぇ、霖之助さん」
「どうかしたかい霊夢?ちなみに、出口は君の後ろだよ」
「――もう飽きたわ、その返事」
「これは奇遇だね。僕もそう思ってたよ」
「なら止めればいいじゃない」
「それこそ、どちらが、だね」
そう言って、彼は薄いお茶を口に含む。
自ら出涸らしで茶を淹れておきながら、その表情は堅い。
「ところで何を話そうとしてたんだ?」
彼がカウンターで本を読みながら話してきた。
「あぁ、下らない返事のせいで忘れてたわ」
「下らないとは心外だ」
「下らないじゃない?」
「君の話す内容ほどじゃないさ」
「聞く前に言うなんていい度胸ね」
「ほう、これは僕も博麗の巫女に認められる程の人物になったという事か」
ここで私は何となく苛立って、彼の頭を小突く。
しかし、彼は痛いとも何とも言わずに頭を振る。
「やれやれ、そんなのじゃ嫁の貰い手が見つかりそうにないな」
挙げ句の果てには、この始末だ。
「そんなことを言ってるなら、霖之助さんの奥さんになってあげないわよ?」
「ふむ、まさか君がそんな逃げ道を作ってくれるとはね。
なら、もっと言っておいた方が良いのかな?」
そこで彼は意地悪く笑う。
それはありふれた日常だった。
「まぁ、そんなことはどうでも良いんだって。
私が聞きたいのは――最近何かあった?ってことだけよ」
そう、彼は何も変らなさすぎたため、
逆にそれがぎこちなくて、どこか変わったように思えた。
根拠なんてない、ただの違和感、と言っていいだろう。
「いや、特に変わったことはなかったかな」
そう言いつつも、彼は本を閉じる。
いつもの、会話に本腰をいれる姿勢だ。
「しかし、そうだな。君に聞くのはお門違いかも知れないが、
――質問をしていいかい?」
質問。
それがどんなものかは分からないが、何となく芳しいものではない気がする。
「ご自由に」
私はそう言うと、彼が口を開くのを待った。
「霊夢、人は最後に何を遺していくんだろう?」
「遺す?」
「あぁ、ふと気になってね。
一子相伝、なんて言葉もあるだろう?
例えば、君なら結界を維持する力を遺すんだろうが、
平凡な人間なら何を遺すんだろうか、と」
曖昧にボヤけているが、何か重要な意味があるような気もする言葉だ。
私は事も無げに――子どもとかじゃない、と言う。
すると、彼は小さく唸った。
「そんなものか――まぁ、人それぞれなんだろう」
彼はそう言ったきり、また本を開いた。
その表情は詰まった排水溝のように暗い。
私は、もやもやとした気持ちを拭い切れなかったが、
これ以上は無駄だと分かっていたため、そこで口を閉じた。
「まぁ、何もかもが手に入るなら世話はないわね」
私は一言、誰に言うわけでなく、呟く。
出来るならば――聞いてもらいたかったのかも知れない。
◇
私は博麗の巫女だ。
何事にも縛られないという言葉通りに生きてきた。
だが、現実にはどうだ。
私は、『縛られない』という言葉に縛られてはいないだろうか。
つまるところ、自由でいることは、時に不自由になる。
たとえば、紙と筆を渡され、
何でもいいから『自由に』書け、と言われたら、
私はきっと『自由』に囚われて、何も書かないだろう。
それは、自分で自分を制約した結果だ。
なら、彼の場合はどうだろう。
――霖之助さんなら、きっと何かを書くわね。
理由なんてないことばかり、だ。
だけど、そう思った。
「霊夢。何をしてるんだい?」
私がしばらく考え事をしていたからか、
霖之助さんは私に話しかけてくる。
それでも、その目は本に刻まれた、誰かの『言葉』を追い続けていた。
「別に。霖之助さんがどこにお茶を隠したのか考えていただけよ」
「ほう、なら、精精頑張ってくれ」
「――その口ぶりなら、本当に切らしたようね」
「だから、最初に言っただろう?」
そう言って、彼はため息をついた。
その拍子に、カウンターからふわふわとした綿埃が上がる。
彼は、それを捕まえようとするが、
するり、と手から抜けるばかりで上手くいかない。
「なかなか上手くいかないものね」
「――そうだね。案外、僕らには掴めないものは多いということさ」
「やっぱり――変」
「何が?」
「霖之助さんが、よ」
「そうかい?」
「そうよ」
彼はきっと、何かを思っている。
だが、それは意識的に隠しているようなことではないのだろう。
ただ、上手く自分の『言葉』に出来ないのかもしれない。
「ねぇ、本当に何もないの?」
私はもう一度、小さくそう尋ねた。
◇
私は実のところ、戸惑っていたのかもしれない。
目に見えない変化は、どこか不安定で恐ろしい。
まだ大したことではないだろう、と思っていても、
気がつけば、ゲームオーバー。取り返しのつかないことになるから。
「大したことはないんだ。それは確かだよ」
彼は湯飲みを流しのほうへ持って行きながら言う。
「なら、何かあったのね?」
「あぁ、特段珍しくもないことがね」
「それは――」
そこで、彼が振り返り私の前に手を出す。
まるで、それ以上入ってくるな、と言わんばかりに。
「出来れば、詮索はしないでいて欲しい。
僕だって上手く言えないこともあるんだ」
そう言って、彼は『作り物』のような笑顔を見せる。
私は――その笑顔が苦手だった。
触ると、粉々になってしまいそうで、
でも、触らないとすぐに風化してしまいそうで。
こんなとき、私に何が出来るというのか。
悲しみとは、連鎖するものだ。
憂鬱な気持ちも、そう。
確実に、私の心は波を立てている。
彼の立てる小さな波が、私の胸を満たしている。
それは、とても悲しいことだった。
「なら、何も聞かないわ」
「ありがとう」
「どういたしまして、とでも言えば良いの?」
こんなとき、私は絶対に謝らない。
謝ったところで、きっと起きた波は戻らないから。
だから、いつものようにおどけてみせる。
それを見た彼はいつものように苦笑をしてみせた。
それで構わないよ、と。
◇
そんな会話を交わしつつも、ホウホウ、という夜鳥の声の中、
私たち何をするでなく、ただ星を眺めている。
「ねぇ」
「なんだい」
「星が綺麗よ」
「残念ながら、君の方が綺麗だとは言わないよ」
「期待してないわよ」
「それはすまない」
私は大きくうな垂れてみせる。
彼はそんな私を見てみぬ振り、だ。
私は彼の『言葉』が聞きたくて、言葉を捜す。
「――星って、何で綺麗に見えるのかしら。
ただの光を放つ点みたいなのに」
「さあてね。要は、どんな『気持ち』で見るかじゃないか?」
「『気持ち』?」
私は、その言葉の真意が掴めなくて問い直した。
それに対し、彼は少しだけ考えるような素振りをした後で口を開く。
「そう、例えるなら――
もし、星の光を点けたり消したりすることが出来れば、
君の場合、その光をどう思うんだい?」
「どうって――ありがたみはなくなるわね」
「そういうことだよ。
届かないから、掴めないから綺麗に見えるんだ」
届かないから。
だから、ひとの心はもどかしい。
「なら、手を伸ばすだけ無駄なのね」
――だって、辛いじゃない。
「そうだね、綺麗に見ておくだけなら、それが正しいよ」
そう言って彼は星を見る。
私はただ、子供のように質問を繰り返した。
「綺麗じゃなくてもいいなら?」
「そうだね――思う存分手を伸ばすがいい」
彼は星から目を離さないで、そう言った。
◇
私はその『言葉』を考える。
手を伸ばして、その手が空を切るような羽目になれば、
それは無残な姿となるだろう。
――綺麗にいきたいならば。
実のところ、それだけの話、だ。
綺麗に生きるということは、それこそ素晴らしいだろう。
だが、人は綺麗な気持ちだけで生きられるのだろうか。
きっと、物事には陰陽のように、欠けてはならないものがあるのだ。
――なら、陰には陽が必要になる。
今日の霖之助さんには陰がさしていた。
それに飲み込まれて、私の心にも。
しかし、現実に私が取った手段はただの『同情』だ。
空元気で現状に甘えるのではなく、
本当は、私が彼の陰を薄めるべきだったのだろう。
「ねぇ、霖之助さん」
私は自由に縛られているが、自由だ。
紙に何かを書くことも、書かないことも出来る。
私の中に大きな波を立てて、
誰かに波の力をぶつけることも出来る。
「なんだい?」
「私は綺麗じゃなくても手を伸ばすわ」
「そうか」
彼はきっと、いつものように心を隠すだろう。
その真意も今となっては分からない。
だけど、私は綺麗なままではいれないのだ。
遠くで見られるだけではいけない。
もっと近くまで手を伸ばしてもらわなければ、ならない。
だから、言えることは一つ。
「――やっぱり、私は霖之助さんのお嫁さんにはなってあげない」
私はそう言って心から笑った。
それを見て、彼が心底楽しそうに笑うのを見ながら。
繰り返しが日常を連想させてくれましたし、半妖の彼にはそんな日常に哀愁が漂うのだろうなあ
果たして霖之助も縛られているのでしょうか
永く生きる者の心情は深く、それでいて面白いです
思いの丈を素晴らしいの一言でしか表せない自分は何を遺せるのでしょうか。
そういった思考の波に乗せてくれるような、穏やかで心地よい作品だと思います。
セリフから感じられる彼の性格が原作のそれとは別物みたい
多分、そういう演出なんでしょうが、少々やりすぎかと思いました