【彼女の黄昏とプラスチックダイアローグ/あるいは、生まれなかったティーカップの話】
――――――――自分は今も眠っているかも知れない。この疑念は人によっては耐え難い悪夢である。だが、夢で幸せになって悪いことはない
【The Thirteenth Day of ……】
とっても素敵なドレスをあげる
それは誕生日の七日前
優しい優しい父親は、一人娘に言いました
とっても素敵なお歌をあげる
それは誕生日の六日前
声が自慢の父親は、笑って娘に言いました
【魔女にとって吸血鬼は運命だが、人形遣いは不確定要素に過ぎない】
――――――――なにか、とても大切なことを忘れている気がした。
久々に訪れて会った彼女は何故かチュニックの一枚きりで、大鍋に向かってなにやら楽しそうだった。鍋の中は真っ黒で、一メートルは優に超す木べらを操りながら、彼女はそれを掻き混ぜている。黒い液体の中をやはり黒い巨大な物体が泳いでいてぎょっとする。よく見るとそれは布のようだった。
「染めてるの、それ」
「うん」
「貴女の服?黒なんて珍しいわね」
「…うん」
うん、だって。芯のない声。今日の彼女はなんだか幼い。こちらを振り返りもせずに、ぐるぐると木べらを回してる姿は絵本に出てくる魔女みたいで、でも格好はどうみても女の子の部屋着のそれだった。いつもきっちりしている彼女には珍しくて、ちょっとだらしなくて無防備だ。汚れてもいい服なのかなと思う。立て襟のフリルがけっこう凝っていて、他の服と合わせればしゃんとした格好になるのに。色は植物で煮出しているらしく、部屋中湯気でいっぱいになっても匂いはそんなに気にならなかった。
「どうしたの?」
染め物なんてして。人形サイズのちょっとした物ならともかく、そういうのは専門職に頼めばいいのに。彼女は確かに器用で衣服も自分で拵えていたけど、糸やら布は買ってきた物だったはずだ。
「今日は雨が降ってるんだもの」
「雨ならなおさら。窓も開けられないじゃない」
「だって弱い雨だもの」
細くて静かな雨だもの。それで理由がわかるだろうというように、あとは黙ってしまった。相変わらずちぐはぐなことを言う。あの子たちが逝ってしまってから、この娘はちょっとわかり辛くなった。永く生きてる連中によく見られる悪癖が、ついにまだ若い彼女にも出てきたということだろうか。昔はもっと素直だったのに。
「……なにか?」
いつの間にか鍋に向かっていたはずの彼女は責めるような眼でこちらを見ていた。
「貴女は平気なのね」
「なにが?」
彼女は私を見て、困ったように少し笑った。どこかで見たことのある笑いだった。ほんのちょっと前、彼女じゃなくて別の誰かが、やはりそんな笑顔を浮かべていた気がする。思い出そうとすると何故だろうか。とんと、胸を突かれて息苦しくなった。あれは誰だったろうか。よく知っている人だから、それが寂しい笑いだと気づけたはずなのに。
ぱちゅりーは、あめがへいきなのね
困ったように、寂しいように、そして少しだけ責めるように。
アリス・マーガトロイドは、パチュリー・ノーレッジを見て笑った。
本当に意図が読めなくなってしまった。
不思議だ。
彼女のなんにもわからないのに。
人形遣いが笑うから、魔女は思わず胸を押さえた。
――――――――なにか、とても大切なことを忘れてしまった気がした。
【招かれざる訪問客】
予想通りノックはなんの意味もなかった。
鍵一つくらいはどうとでもなるので、気にせずに踏み入る。
久々に訪れた彼女の家は少し埃ぽかった。あのきれい好きの住み処とは思えない。彼女の友達だったどこかの魔法使いのように物が雑然としているということはないが、多くが永く放っておかれたままで、机や食器棚にはうっすらと白いものが積もっている。かつて入ってすぐのこの客間は、彼女がどんなに研究で手一杯になろうと掃除を欠かさない一室だったのに。汚れているだけでなく、カーテンが引かれた室内は暗くもあった。これでは鳥目でなくても人間なら自分の手を見るのがやっとだろう。いくらここが魔法の森だからといって、昼間でこんなにも暗くはならない。遮光カーテンの他にも彼女が張った結界のようなものが日光をさらに遠ざけているのだ。
アリスはどこだろうか。生活の匂いを感じない客間を後にする。
一通り部屋を見て回ったが、家主の影も形も見あたらなかった。どの部屋も万遍なく埃に沈み、換気のされていないこの家は息苦しかった。ここならばと思っていた寝室もしばらく使われた形跡が無く、ひょっとすると彼女はとっくにこの家からいなくなっているのではと思い始めた頃、他の部屋よりサイズが一回り小さい扉を見つけた。鈍く光を反すシャンパンゴールドのプレートには、筆記体でラボと綴ってある。彼女のお手製だろうか。手習いの見本のように癖のない字だった。ドアノブからは強い拒絶を感じた。簡易な封印が施されている。開けようと触れれば、並の妖怪なら腕の一つでも灼け落とされるかもしれない。並の妖怪ならば。
笑って取っ手に触れる。掌が焼ける臭いがしたが、玄関と同じように構わず捻った。本当に開けられたくないのなら、こんなふうに目立つようにしなければいいのだ。鈍い音を立てて重たげに施錠が破れ、開いた視界の先に階段が現れる。下り階段。地下にあるのはどこぞの黒くて白い奴曰く、確か人形部屋だという話だった。もっともそれを聞いたのはもう随分前の話だから、今もそうだとは限らない。
壁にぶつけないよう傘を握り直し、急勾配の螺旋を降りて行った。
【竜胆/アスフォデル】
アルコール痺れの残る夜
[霊夢]
しょっぱいのはあまり好きではない。自分はやはり植物にその本質があるのか、塩分を取りすぎると喉だけではなく全身で渇きを覚える。ならばここは乾きと言うのが適当か。甘すぎるのも好きではないから、あるいは単に控えめな味付けが好きなのかもしれない。私の淹れた茶を啜りながら風見幽香はそんなことを曰った。濃いとはいえ茶の渋さは平気らしく、逆にここのお茶は薄いわねとか失礼極まりないことをぼやいている。
「なにしに来たわけ?」
「博麗の巫女の顔を見に」
「今、あの子はいないわよ」
「私が巫女といったら貴女のことよ」
「さいですか」
たまにどきりとすることを言うなぁ幽香は。紫ほどじゃあないけど。
「当代の子は弱くて詰まらないんだもの。話にならないわ。毎回負けてあげるなんて面白くないのよ」嗚呼詰まらない詰まらないと、花の妖怪は現巫女を扱き下ろす。本人が聞いたら泣いてしまうのではないだろうか。私と違って面倒……もといとても繊細な子だもの。
最近楽しみがないなぁ。
そんなことを漏らすと、幽香は「私はあるわ」となんだか自慢げに言った。
「そりゃどんな季節でも花は咲くものね」
「季節に関係なく咲いたり咲かなかったりする花もあるわ」
「竹の花とか?あれは滅多に咲かないのよね。前に咲いたのがいつだっけ」
「まだ2,3年は咲かないわよ。残念なことに。それともありがたいことにかしら」
「あんたは花の妖怪でしょう」
「咲くべき時に咲き、散るべき時に散るから花は美しいのです。花に限らないことですが」
「……さいですか」
しょっちゅう引っかかることを言うなぁ幽香は。紫ほどじゃあないけど。
「散るべきときねぇ」
竹の花は何を心得て咲くんだろうか。
今の際を悟りでもしたのだろうか。
「あのさあ」
「なに?」
――――――――あんたは花の気持ちがわかるの?
そんな風に唇が動きかけて、結局違う言葉を吐き出した。
「いつでまでいるの?言っておくけど、昼は出さないわよ」
あら残念。欠片もそうは思っていなさそうな声で、風見幽香は笑った。
[暗転]
雨の跫音が降ってくる。
白い枕に頭を預けながら、そんな言葉が頭を掠めていった。
「ひどい顔ですよ」
昼を回ってから起きた私に、当代がざっくりと、そしてわずかに心配そうに言った。これから干そうと思っていたらしい濡れた手ぬぐいを、そのまま私の顔に押し当てて二三度無遠慮に動かした。息苦しいのですぐに奪って、自分の手に持ち替える。
「薄暗いんだもの。朝になった気がしなくてね」
「雨は一刻ほど前に上がってます。無精を言い訳しないでください、見苦しい」
ぴしゃりと容赦の無い言葉はいつものことだ。
「なにか食べられますか」
世話焼きなのにやることがぞんざいな現巫女は、それでも言えば今すぐ用意してくれるらしかった。
「といっても、選択肢なんてそんなに無いですけどね」
「別に調子が悪い訳じゃないから」
「そうですか」
「そ。だから何でもいいわ」
「わかりました」
返された手ぬぐいを受け取って、彼女は流しへと向きを変えた。
夕刻、縁側に腰を下ろして、足をぶらぶらさせてみる。
子供みたいなことをしてるなぁと思う。
誰も見ていないからいいか、とも。
不意に吹く風に懐かしいものを感じた。おや、とその方角に顔を向けると、夕暮れの中をふらふらと漂う影帽子が一つあった。それほど大きくはない。どこぞの鬼よりは大きく、どこぞの隙間妖怪よりは小さい。両者ではないことは確かで、そもそもこの二人はいつのまにやら隣にいる。誰だろう。ぐっと眉間に皺を寄せて目を凝らすが、それ以上のことはわからない。最近ますます視力が落ちたようだ。
「んん?」
いや、こんなふわふわした飛び方をするのはそれほど多くない。それに、どことなく懐かしいこの感じは――――――――などと思っている間に、相手は目の前に来ていた。
「珍しいこともあるものね」
「そうかしら?」
「そうよ」
ふんわりと。
いつかの黄昏を思い起こさせるように。
彼女は音もなく境内に降り立った。
「今晩は、霊夢」
彼女はにこりともせずに言う。
「それから、久しぶり」
彼女はにこりとも出来ずに言う。
「少し痩せたかしら」
と彼女は形の良い眉を歪める。
「美人になった?」
「……ばか」
「冗談よ」
「あんまり笑えない」
そうじゃなくたって笑わないじゃない。言いかけた言葉を飲み込んで、私はにやりと笑う。
「なら、それを食べて太りましょうかね」
私がさす指の先には良い香りのするバスケットが一つきり。それを抱えていた細い腕がぐっと伸びて、バスケットを私に押しつけるようにした彼女は、予め用意してきたかのように言葉を淀みなく告げる。
「当然、お茶ぐらいは淹れてくれるんでしょうね。緑茶はいやよ。このパイには紅茶。それしか認めないわ」
一呼吸。
「それと、箸で食べるのも禁止」
甘い香りがした。
すごく久しぶりなのに、いつも通りだった。
いつかのように遠く赤く焼けた空を背負って、アリス・マーガトロイドは私を苦笑させるのだった。
[暗転]
「竜胆なんてどうかしら」
来るなり茶を一杯要求し、それを飲んだきり微動だにしなかった幽香が、不意にぽつりとそんな言葉を漏らした。卓袱台に肘を突いて、名案を思いついたというようににやにやしている。気持ち悪い。私に関係のないことならいいけどね。
「リンドウがなんだって?」
「ここに植えるの」
神社にと言いながら、幽香は境内の桜のある方角を指さした。相変わらず意味がわからない。付き合いは結構長いつもりなのに。
「なんでよ。食べられない植物なら魔理沙にでもあげなさい」
「あの子の家の周りも植えるわよ。他にも数カ所ね」
「それになんか意味があるの?」
「さあ?」
「自分でもよくわからない」なんて言いながら、幽香は楽しそうに笑う。手を祈るように組んで、頬杖を突いて笑う。じんわりと、にまにまと。悪い笑みだなぁと思う。底抜けに、底意地に悪い笑み。妖怪がこんなふうに笑うと、大抵は巫女にとって良くないことが起こる。まぁいいか。今の私は隠居の身だ。隠居。インキョねえ。
「あー」
面白くないことを思いだしてしまった。仕方のないことなんだけど、なんだかなぁという気が起きるのも止められない。
「猫がさぁ」
「猫?式の方?それとも火車の方かしら」
「いや、ふつうの猫よ。尻尾も一本で、にゃーとしか鳴かない」
「それが?」
「こう、撫でようとすると避けるのよ、最近」
空ぶる手がちょっぴり切ない気になるのだ。やっぱり飼われても野生のなんとやらが残っているんだなと感心もしたけど。それにしたってちょいと薄情じゃあないかと思う。
「猫が避ける」
「そう」
「………それはそれは」
幽香はにやけた笑いを引っ込め、ふーんと今度は露骨に面白く無さそうな顔をした。空っぽになった湯飲みの縁を指でたどって、そこに視線を合わせている。茶器はそっけない薄青い地で、素人じみた竹の絵が描かれている。見ていても特に面白くない。少なくとも私には。
「つまり」
よく冷やしたわらび餅を思わせる、仄甘くて妙にやわらかい、そのくせ変にヒヤリとした声が、風見幽香の細い喉を震わせて飛んでくる。湯飲みから外れた視線が私の鼻先を掠めて、それからつい、と右肩あたりに彷徨った。
「つまり」と彼女は繰り返す。
――――――――貴方はもうすぐ死ぬのね
実につまらなそうに言う顔を見て、やっぱこいつはムジュンしているなぁと思った。
【曼珠沙華】
GONSHAN. GONSHAN.何処へゆく
赤い御墓の曼珠沙華、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。
GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ。
何時まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や赤しや、まだ七つ。
【指先一つで歪む夜】
――――――――また消えている。
閉じていた瞼を開けると、月明かりが降ってきた。
眼前には夜に沈んだ幻想郷が横たわっている。
眠っている。
今宵は特別な夜なのだ。
人間も妖怪も妖精も、その他魑魅魍魎の類、一切合切全ての意識ある者達は、一つの例外なく眠りについている。
八雲紫を除いて。
しんと、静寂が耳にいたい。風すら気配を潜めていて、幻想郷は本当に静かだった。左の小指を噛む。誰にも見せたことのない、一人きりの時だけの癖。歯と爪がかちとぶつかる。これをすると、何故か普段は忘れている空腹感を思い出す。もうずっと昔に満たすことは諦めているのに、まれに強く出てきては紫を苛立たせる。それなら忘れていればよいのだけれど、たびたび指を噛んでは不快な気分になる。
ああそうか。つまり逆なのだ。指を噛んで思い出すのではなく、空腹を覚えて指を噛んでいるのだろう。無意識にあったものが、噛むという動作を経てはっきりと意識に昇ってくるのだ。だからなんだという話だけれど。こんな下らないことを考えてしまうのは、予想が現実なものになってしまったからだろうか。最後に舌先で舐って小指を解放する。式には見せられないわと思う。手袋を戻し、はぁと息を吐いた。
――――――――やはり見つからない
上にも下にもいないことはわかっている。境界で分かたれたこの世界のどこにも彼女の気配が見あたらない。感じないし、探せない。幻想郷の中にいないなら――――――――
――――――――あとは、「外」しかない
消去法ではそれが答えで、けれどそれは違反行為で、そうして紫には彼女がそんなことをする気がしないのだ。だからきっと、それは彼女の意志によるものではないのだろう。それとも紫の見立てが甘いだけで、やっぱり「彼女」の意思なのだろうか。
「馬鹿な子」
どうしたものかと考えて、どうでもいいじゃないと結論に出す。あのどうしようもなく不完全な未熟者がどこかに消え失せようと、それに心を痛めるような者などもはや誰一人としていないのだから。けれど。それでも。
結局は、退屈なのだ。
だから、しかたがないから八雲紫はじんわりと笑って、人指し指で線を描く。くすぐるように夜を歪ませる。行き先は彼女の家。どこかに行ってしまった彼女が残したものを見ようと、紫は歪みの中に身を躍らせる。きっとその先には、とてもつまらないものが一つ、眠るように捨て置かれているだろうから。
・
本当は元々解り辛く揺らいだ存在だったけれど、それでも解ったような気になっていたのはアリスがそう振る舞っていた結果、とか考えてしまいました。
実際、素性が解り辛く色んな説が囁かれているアリスですが、このアリスは一体何を抱えているのでしょうか。
貴方の作品が投稿されていないかワクワクしながら創想話を開く今日この頃です。
つい新作があると待ちきれず見てしまいます。続き待ってます!
そういう弱さにも魅力な部分があるアリスだけど、あまりに弱弱しいと痛々しく感じてしまう
アリスと紫のかけあい
わりとおもしろい雰囲気になりそうなのに、あまり描かれることがないのでかなり期待
もしかしたら
魔女は思わず胸押さえた→魔女は思わず胸(を)押さえた
残っているんだなと関心もしたけど。→残っているんだなと(感心)もしたけど。
今回は自身があるようなこと言っていたじゃない→今回は(自信)があるようなこと言っていたじゃない
かも