注意:オリジナルキャラが登場しますので苦手な方は気を付けてください。
あと、読む時の注意点としては『細かい所を気にしないで読む』それに尽きます。
それでは最後まで読んでいただければ幸いです。
いつものように屋敷内の掃除をしていた時だった。
「そりゃあ面白そうだ」
珍しく話し声がするなぁ、紫様でも来たのかな?
そんな縁側にいるはずの幽々子様を見ると懐かしい顔がこっちを見て、ニヤリと不敵に笑ってスゥーと消えて行った。
幽霊独特の消え方に時の流れに少しばかりの寂しさを感じたし、私は相変わらずだな、と笑いそうにもなった。
「幽々子様、一体何を話していたのですか?」
その消えた幽霊と対面していた幽々子様がんー?と微笑んで首を傾げた。
「ふふ、少し悪だくみをね。いつだか紫が言ってたこと覚えてる?」
……?
紫様と幽々子様の話は突拍子がない。脈絡もなく、始まり、耳を傾けるとすでに全然違う話。
それではいつしかお二人のお話が右耳から左耳へ常通りなく流れて無意識の一部と化すのも仕方ないと思う。これは私が半人前だからじゃないはず。
藍さんも「紫様の話は高尚で下種な会話だからな、いちいち耳を傾けるまでもない」とボヤいていた。
だから、当然私はどれのことですか?と質問で返した。
「あらあら、だから未熟なのよー。紅魔館のメイドなんて主の苦言一つでさえ漏らさず聞いているのに。まぁ、今の妖夢にそこまで求めるのも酷よね、ほら、いつだか紫が愚痴ったじゃない。あの天人をどう殺害したらいいかしら?って」
そう言われれば…。
紫様の泣き言も珍しいと思った記憶がある。
もちろん、泣き言じゃなく幽々子様の意見を聞こうとしたんだろうけども。
なんだかんだでその後も殺せなかったみたいで度々、あの天人は地上に降りては遊んでいると聞く。
あの紫様に殺害予告されてまだ生きているのだから大したものだ。
だけど、それがなんで今話題に上がったのか?
「天人に一泡吹かせで紫に感謝されて私自身の八つ当たりも出来て天人の泣き顔も拝めて今頼まれた事も達成できて天人に首輪を繋げられる、そんな皆が幸せになれる悪だくみを思いついたわ」
「それって若干一名がもの凄ーく不幸じゃないです?…まぁ、天子なら別に泣いても死んでも懲りなそうだからいいんですけども」
それにしても幽々子様の言ったようなことができるんだろうか?
……幽々子様はあの紫様でさえ想像がつかない事を平然とやっちゃう人だからなぁ。
「なんで溜息吐いてるの?妖夢。溜息を吐くのはまだまだ早いわー」
そう告げて幽々子様にしては珍しく嘲るように笑い始めた。
「ああ、ああ。貴女はどんな顔で泣くの?閻魔様はどんな顔で怒りを我慢するのかなぁ?くふふ」
閻魔と嫌な単語が出た気がする、気がした。うん、気のせいにしよう。
ああ。私の主人はまったくわからないです。
分かるのは一つだけ、きっとこれから先に私はきっと苦労するだろうということだけ。
幽々子様の笑い声の陰で私は泣きそうな表情を隠そうと空を見上げた。
空は晴天だった。のどかに流れる雲が羨ましいなぁ、ちくしょう。
ふと、気がついたらそこは目を瞑りそうになるほどの真っ白な雪景色だった。
雪化粧の影に緑の草木が覗かせていた。
私の記憶が確かなら季節は夏、それも暑い盛りの最中でもあったと思う。
ここはきっと別の世界、迷い込んだ。そんな気がした。
後ろを振り返ると大きなお屋敷があった。丁度、長い廊下に幾枚もの襖が並んでいた。
どうやらここは庭だったみたい、いきなりここに居たんだけど不法侵入になるの?
こんな立派なお屋敷は碑田のお屋敷のような立派な家名なんだろうか?
それなら誰にも見つからないように出ていかないと。
「あら、どこに行くの?」
誰にも見つからないように出て行こうとした矢先におっとりした声がかけられた。
声の先、長い廊下の縁側によく見ると一人の女性が座っていた。
「私は西行寺 幽々子よー。貴女は?」
西行寺 幽々子……どこかで聞いたことのある名前だった。
あれはどこで、確か家で……祖母に聞いたんだ。
しかし、私にはどんな話でその名前が出たのか忘れてしまった。
挨拶を交わしてから終始にこやかに笑みを絶やさない幽々子さんは右の掌で隣をぽんっぽんと三回叩いた。
言葉はない。
座れ、と私は解釈して彼女の隣に腰掛ける。
「素直で良い子ねー、捕まえたー」
いきなり幽々子さんが私を両手で抱きしめた。しっかり両手で輪を作り、逃れようとも逃げられなくなった。
「これでもう貴女はここの奴隷よー、一生ここから出られないから宜しくね~」
「う、嘘!いや、私が帰らないと祖母がっ!」
しまった、逃げようと思っていたのにあんまりにも優しそうな人だから隣にまで座っちゃった!
うふふ、と穏やかに(だけど両手はしっかりと)笑っている。なんだか、この人かなりひんやりしている…、もしかして幽霊?自縛霊!?
「なーんて嘘よ。本気にしないでー、あんまり素直すぎてからかう気が失せてくわー。ねぇ、貴女どうしてここに来たの?」
抱擁が解かれやっぱりさっきと同じ優しそうな表情で彼女は問いかけてきた。
「…それがわからないです。気がついたらここにいて…」
「そう、それなら落ち着くまでここにいるといいわ」
幽々子さんの優しさについ頷きそうになるけれど、私には一人残した祖母がいる。
「でも、祖母を一人家に残してるので私はそんなに長居もできないんですよ。ごめんなさい」
申し訳なく、私は俯いて幽々子さんの言葉を待つ。
しかし、言葉はいつまで経っても帰ってこない。
おかしいな、と思って幽々子さんを見ると遠い目で曇り空を見つめていた。
「……あの、幽々子さん?」
「んー、今日は良い天気ねぇ」
「そ、そうですか?私は曇り空を良い天気だと感じたことはないですよ」
「うふ、貴女は本当に良い子ね。そう、主観とはソレを感じる者の数だけ存在する。目前の景色と大衆に敷き詰められた常識で全ては測れないのよ。……ところでここは冥界。死者の辿り着く場所」
一瞬で理解した。だから、私は理解できないと、したくないと考えるのを止めた。
ここが冥界?
「え?」
「もう一度、問うわー。ねぇ、……貴女、どうしてここに来たの?」
どうして?
それは死んだから――。ああ、どうして私死んだんだろう?私、…死んだ?でも、確か私は
「……山の麓へ山菜と野草を採りに行って、それから」
「それは貴女のお婆さんのお願いで行ったの?」
なんでそんなことを聞くんだろう?
疑問を胸の内に沈めて思い出す。
「祖母は薬草とかに詳しいので昔から慣れ親しんでいました。だから、栄養を付けてもらうために山へと私が勝手に行ったんです。そしたら、唐突に大きな音がして、空が暗いなぁと見上げたら大岩が降ってきて……」
「それで?」
「いえ、そこで私は……死んだ、……祖母を残して私は、死んだの!ああ」
駄目だ…、死んだんだ……抑えようと思っても想いが抑えられない!胸が苦しい!
眼が眩む、ああどうしようもない何かが私を押しつぶしていく。耐えられない、体が寒い、祖母を残して…!
もう駄目だ、私は終わったんだ!そう思うと何もかもが失われていく、私の中からこぼれていく…。
こんな苦しいのは嫌なのに!こんなもどかしい、嫌味な気持ち悪さが喉元にせり上がって、だけどそこでもがいて出てきてくれない。
どうしようもないこの苦しさを誰か、どうにかしてください、じゃないと私は私は、心が壊れてしまう!
視界が揺れた。
乾いた破裂音が静寂を作り出した。
幽々子さんの振りぬいた右手が視界に入った。
「死んだからどうしたっていうのよ!!………落ち着いたー?」
顔を固定され、眼前で幽々子さんが怒鳴った。
視点が幽々子さんの顔に集中される、瞬間だけだけど私は吃驚して死んだことさえ忘れてしまっていた。
だって、とても叫ぶような人には見えなかったから。
もしくは、私の為に怒鳴ってくれた…?
「死んだら終わりだけど、貴女はまだ終わっていないじゃないの。それなら地上に降りて貴女のお婆さんに会いに行きましょう。そこでしっかりとお別れを告げなさい」
まるでそれが自然な事のように、だけど不自然だけど私にはとてつもなく魅力的な提案でもあった。
「…じゃあ、幽々子さん。お願いします」
うん、と幽々子さんが一つ頷いて何処からともなく声が響いて来た。
「幽々子様ー。終わりましたよーって、……珍しいですね。人型の霊魂なんて」
廊下の曲がり角から白い短髪の少女が赤い液をぼたぼた垂らしている何かを引き連れて来た。
「ええ。死を自覚しないでここに居たのよ。これじゃあ三途の川も渡れない。今から地上に降りるわ」
「降りるって、じゃあこれは…?」
赤に染まったソレは持ち上げられて、声を発した。
「……うぅ」
小さな呻きだったけど人の言葉だった。
すぐ駆け寄ると白い短髪の少女は手を離した。
力なく床に落とされて、ソレからは明確な文句が聞こえてきた。
「あーぁ、今日は一体なんなのよぉ」
痛そうに頭を抱え、声から予想すれば少女は元気そうに声を上げた。
「んとにぃっ!一体なんなのよ!いきなり呼び出して人の頭岩でぶん殴りやがって、あんた等頭おかしんじゃないの!?いっぺん頭ん中にどんな腐った脳ミソ入ってんだか見てあげるから今すぐ土下座して、私の要石でカチ割ってザクロみたいに真っ赤っかに染め上げてあげるわよ!?」
「……」
またか、と白い短髪の少女が嘆いた。
どうやら私の心配は無駄だったみたい。これだけ元気じゃあね。
「って、あんたはなんなのよ?見ない顔ね」
野犬のように鋭い眼つきで睨まれる。
どこか上品な雰囲気でありながら、そこいらの不良青年のような態度には不自然さがないという不思議な人だった。
「私は沙月。貴女はなんて名前ですか?」
血で真っ赤に染まった顔を誇らしげに口の端を吊り上げ、彼女は立ち上がり胸を張って答えた。
「天人の総統領の娘、比那名居 天子よ!見たところ貴女ただの人間みたいだから私の事を様付けで呼んでもいいわよ!」
……どう返事をすれば良いんでしょうか?
こういう時、祖母だったらどういう風に切り返すの?
悩んでいると、
「あ」
鈍い音が響いた。
白い短髪の少女が手に持った刀で天子さんのこめかみを地を滑るツバメのような軌道で殴った。
「この馬鹿の言うことは無視していいから。色々と面倒な性格の持ち主で訳の分からない事を吠えたらとりあえず殴るの。天人は頑丈だから殺すつもりで殴るのがコツね」
再度、頭を抱えて天子さんはしゃがみ込んで呻いている。
なんかこの人、えらくピリピリしてるなぁ。
白い短髪の少女は人を寄せ付けない緊張した雰囲気を纏っている。ちょっと怖い感じの人だ。
そのままニコリともせずに彼女は微笑んでいる幽々子さんの近くへと歩んでいく。
「アレ埋めましょう幽々子様。いい加減分からせますから」
サラリと恐ろしい事を真顔で告げていた。
しかし、幽々子さんの表情は変わらない。
「もしかして妖夢ー?中庭どうしたのー?」
「っ、それを天子が潰したんですよ!私が頑張って整えた庭がまた荒れ地に変えられたんです!」
「あら?そんなことだったの?馬鹿ねぇ、妖夢がまた整えればいいじゃない」
「それでも!来るたびに潰されれば意味がないです!」
「大丈夫」
「何がです!?アレに私の一生懸命を潰せる権利なんて」
叫び声が怒鳴り声に。
聞けば確かに怒る理由がよく分かる。だけど、言葉を尽くさず、暴力で解決っていうのは浅はかな気がした。
や、今まで彼女がどんな努力をしてきたのか知らないけれども。
「大丈夫よ」
彼女の憤りを、静かに力強い言葉で幽々子さんは遮った。
それだけで彼女は言葉を飲み込み、押し黙る。
そんな彼女の背中を天子さんが気まずそうに見つめている。
ああ。きっと、天子さんの性格を考えれば「ごめんなさい」の一言は口にしにくい言葉なんだ。
「……なによ」
口を尖らせ、天子さんが私を睨みつける。
白い短髪の少女に私は話しかける。
「あの、妖夢さん?ですよね」
「そうね」
これまた鋭い目つきで彼女は振り返った。狼のような理知的な意思を持った眼光が私を捕らえた。
「ごめんなさい」
天子さんが言いにくいなら私が伝えよう。
きっと伝わるから。
祖母はよく言う。言葉には力がある。具体的には今まで分からなかったけど、今日幽々子さんと話してどういう意味か分かった。
幽々子さんの言葉には不思議な力がある。私もそうなりたい。
「なんで貴女が謝る?私はそこの大馬鹿の口から―ー」
膝を折る。
指を三つ折りにして、額を床へ。
そして、もう一度。
「許して下さいとは言いません。ごめんなさい、……この方がした事は確かにいけない事です。怒るのもよく分かります。だけど、天子さんはまだごめんなさいと口に出せないんです。謝ることが難しいから、今はまだ謝れません。だから、私がそれまで謝ります。どうか、今はこれで」
「……」
妖夢さんの口が開いて、だけど言葉は出ない。そのまま口を閉ざし、彼女は押し黙る。
幽々子さんは扇子で口元を隠し、横目で私を見ている。
そんな静けさが生まれた中、天子さんが怒鳴る様に叫んだ。
「ッふざけないで!なんで貴女が謝るのよ!貴女なんて全然関係ないじゃない!それで頭まで下げるなんて馬鹿なんじゃないの!?頭おかしいんじゃないの!?」
スッ、と妖夢さんが一歩踏み込んで刀を鞘から滑らかに抜いた。
「ほら、ソイツはそういう奴よ。どれだけ言葉を尽くしても人を馬鹿にして…ッ、それがどれだけ人の神経を逆なですることか」
弾幕ごっこじゃない。明確な殺意で彼女は刀を構える。
天子さんも黄色く眩い剣を何処からともなく取り出した。
私は天子さんの剣を持つ手を押さえるように触れる。
「天子さん。妖夢さんに今謝れますか?」
「はぁ?できるわけないでしょう、今のアイツに頭なんか下げたら殺されるわよ!」
確かに頭を下げたら真っ二つに斬られそうと思ってしまうほどに妖夢さんが怖い。
だけど、そういう問題じゃあないの。
「ほら!この手を退けなさい!」
そう叫んだ彼女の手は震えているのに?
「ごめんなさいと、言えますか?」
子供を諭すように。私が祖母に言われたように。慧音先生に教えられた時のように。
私は尋ねる。
「五月蠅いわね、言えるわけないじゃないの。私は天人なのよ!天人は貴女達より偉いの、だから……ごめんなさいなんて言ったこと、ないもの」
猫が威嚇して逆立てていた毛並みが倒れるように、天子さんが脱力する。
そして顔を背けて天子さんの表情が見えなくなった。
チン、と風鈴の涼しくなるような細い音が一つ。
刀を鞘に納めて妖夢さんが背を向け、幽々子さんの元へ歩いて行く。
「妖夢」
幽々子さんの一言。
妖夢さんの体が怯えるように全身が一瞬、挙動した。
「すいませんでした」
「分かってるのならいいわ。それより、貴女にお願いがあるの。今から………」
こちらには聞こえない大きさで妖夢さんに何かを話している。
そして、チラリと私達を横目で一瞥して、妖夢さんは「わかりました」と呟く。
「それでは行ってきます」
庭に降り立ち、妖夢さんの足元が爆ぜた。同時に妖夢さんの姿が霞むように消えた。
一瞬で彼女はどこかへ行ってしまった。
「さぁ、沙月。地上へ行きましょうかー」
唐突だったけど、確かそういう話で中断していたのを思い出す。
「はい、でも」
半分ぐらい閉じた眼で何か言いたそうに私と幽々子さんを見比べている天子さんはどうすればいいんだろう?
「貴女も一緒に行きましょう」
「……」
天子さんは黙って一つ、首を頷かせたのだった。
「あ~♪地上は良いとこだねぇ、死体もそこいらに転がってるからねぇ」
山の麓をお空と共に歩いて行く。
さとり様が地上に用事があると言われ、付いて行ってから一週間。
見つけた死体は三つと地底とは比べ物にならないほどの発見率だった。
そして昨日はお空がお腹が減ったからと早めに切り上げたけど、この付近で私は死の匂いを感じた。
四つ目の死体に私の機嫌はうなぎ昇りさー。
そうして歩いて行くと大きな岩がごろごろと転がって積み上がっている場所へ辿り着く。
歩道が大岩で潰され、人間じゃまず通れないこの先に…!
「お燐ばっか楽しそう。私にも何か光る物あったら教えてちょうだいね」
黒い翼を広げ、この先へと。
私も負けじと飛び跳ね、岩の先に到着する。
そこに昨日見た大きな岩があり、その下にお目当ての死体がある、……はずだった。
お空が無言で私の隣に降りてくる。
奇妙な光景が広がっていた。
昨日までは岩がごろごろ転がっていたのに、岩は半分に切断され、左右に積み上げられている。
代わりに大きく広がった広場が出来ていて、その中心に誰かが居た。
腰に刀を携えた少女。
少女が刀を持っている?奇妙な組み合わせだと思いつつも、容易に声がかけられない。
少女の向こうに寝かされている少女がいるから。
そして、私の嗅覚ではっきりと分かった。
あの刀を持つ少女から普通の死体よりも比べ物にならないぐらいの死の匂いが発せられていることに。
あれは、……なに?
「ねぇ、お姉さん。今日は曇り空、あんまり良い天気とは言い難いねぇ?こんな日に山登りなんて危険だよ」
「……貴女達こそ、そんな日に山を登るの?人に注意する前に自分達の行いを考えたらどう?」
冷たい、突き放すような口調の少女は振り返る。
「大丈ー夫、私の目的は山登りじゃなく死体集めだからね!だから、お姉さんの後ろに置いてある死体が欲しいのよ」
「死体が欲しい?なんで?」
「実は何を隠そう私こと火、っ!?」
落雷のような轟音が響いた。
青白い大きな刀が山肌を切り飛ばした音だとすぐには理解できなかった。
隣にいるお空の雰囲気が穏やかなものからまるで灼熱地獄にいるかのように肌がひりひりするような険しいものに変わっていく。
「……まぁ、斬ればわかる」
ぶらり、と両手で刀を揺らし彼女は幽鬼のように全身から細い湯気のような霊気を立ち上らせる。
やばい、と思ったのは束の間。
私よりも迅速にお空が制御棒を構え、叫ぶ。
「”爆符”ギガフ―――!」
白い靄がお空の隣を駆けて行った。
背後で「”桜花剣”」と、声が聞こえた。
速い―!
「お空、一旦引くよ」
「嫌だね!」
そのまま振り返り、お空は制御棒を彼女の背後に向けようとして。
地面が桜色に輝き始めた。
しかし、お空は気付かずエネルギーを溜めていて。
「閃々散華」
地面が炸裂。綺麗な花弁と共に上空へと吹き飛ばされる。
「っ!」
苦痛に呻くも、すぐに痛みも忘れてお空は制御棒を構えるのを止めない。
なぜなら馬鹿だから。
とはいえ、
「人智剣”天女返し」
ソイツは袈裟斬りに刀を振り落とし、描かれた軌跡のままに桜色の斬撃がお空目掛け飛んで行く。
一本二本、四本、十本、五十本とソイツの動作は段々と加速していく。
「さすがにお空もあの猛攻じゃあ厳しいねぇ」
制御棒で防いだり、回避しようとしたりお空もなんとかしているが、次第にお空の肌を斬撃は掠めていく。
「あたしも行くよ!”恨霊”スプリーンイーター」
少女目掛けて、怨霊が渦を巻くように回転しながら迫っていく。
食らえばずっと纏わりつき、その人の体と心を喰い散らかす怨霊。
ソイツは見向きもせず、刀を淡々と振るっている。
あたしの攻撃に気付いていないのかとも思ってしまうかのようにソイツの視線はお空にだけ注がれている。
「―――」
チィィン。
風鈴のような涼しげな音色があたしの怨霊を斬り裂いた。
ゆらりと縦一線に振るわれた刀はすぐに空を仰ぎ、お空への猛攻の一部と化す。
「私に斬れないものはほとんどない」
独り言のようにソイツはありえないことを呟いた。
「お姉さんは一体、なんなのさ…?」
そんな問いも絶叫でかき消される。
「ああああああっ!!もう良い!どうせ地上なんて最初っから焼き尽くすつもりだんだから!”核熱”――」
やばい、お空がキレた――。
眼に涙を溜めて、制御棒にエネルギーを溜めて。
そりゃそうだ。いきなり殴り続けられるようなものだから。
「待って!地上で、しかもこんな山のある所でそんな攻撃は」
「さっさと落ちろ。”断迷剣”」
空に青白い刀が伸びていく。最初に見た青白い刀とは比べ物にならないくらいの長さと大きさをもって。
お空の放つ人工太陽も両断できるような強大さで。
そんな刀を振り下ろそうと。
対してお空は。
辺り一面全てを蒸発させるような熱量を持ったエネルギーを。
ぶつけ合おうとする最中。
山から一つの影が割り込んできた。
「っ、なんで貴女がっ!」
驚きでアイツは刀を消した。
だけど、お空の核熱はすぐ消せる程度のものではない。
「――核反応制御不能!!」
巨大な炎が生まれる中、割り込んだ人影が楽しそうに笑っているような気がした。
「さぁて、究極のエネルギーってのはどの程度なのか…見てやるよ」
視界が眩く真っ白な景色に包まれた。
見慣れた里の風景。だけども、記憶の中での里とは異なっている。
生まれ育ち慣れ親しんだ里がまるで落ち着かなかった。
人ごみが私たちを避けるように道を開き、なんだろう?あまりよくない感じの視線で見られている。
「……」
原因は恐らく…。
気づかれないように幽々子さんの横顔を見る。
彼女に対しての恐怖からだろう。理由はわからないけれど、特にお爺さんお婆さんの老年の方が酷く恐れているのが分かる。
人ごみの中では小さく何かが囁かれている。
雰囲気からしてあまり良くない事だと肌で感じるぐらい、陰湿な雰囲気が里に満ちていた。
そんなざわめきも突然遮られる事になる。
まるで大きな岩が空から落ちてきたかのような衝撃と轟音が辺りに響いた。
発信元は二歩後ろを歩いている天子さんだった。
地面に眩い黄色の剣を突き刺して、声を荒げた。
「さっきからこそこそなによ!私は比那名居 天子!文句があるなら私の前に出てきて言いなさい!」
そう言われて誰が出てくるだろうか?
なんて思ったら、一人見知った顔の男性が近づいてきた。
彼は三十ぐらいの年齢の隣人だった。
ただし、彼は天子さんの前にではなく、幽々子さんの前に止まって私を横目で見つめていた。
「……あんたの話は聞いてる。で、これはあんたの仕業なのか?」
親指を立て、彼は私を示した。
幽々子さんの仕業?
「どういうことですか?」
「あぁ?どういうことだぁ?勝手に死んどいて何言ってんだよ?ちっ、折角あの邪魔くせぇ婆さんが死んだってのに…。てめぇはすぐに消えちまって、一週間ぶりに会えば死んでいましたってか?言えよ。お前はこの亡霊に殺されたのか?」
「いえっ!そんなことはないです、私が勝手に大岩に潰されて、……それで」
「待って」
短いながらもはっきりとした意思を感じさせる言葉を幽々子さんは紡いだ。
「貴方、今言った事は本当なの?」
今まで飄々としていたのに、幽々子さんの表情からは焦りが伺えた。
なんだか、予想だにしないことがあったみた、い…で、え…?
さっき彼はなんて言った?
「私のお婆さんが、死んだ…?いつ!?なんでなの!」
「ぁ、あ?死んだって、お前もその時見ていただろう?あの婆さんの最後を看取ったじゃ」
あれは、夢じゃなかった?
私はいつだか、お婆さんが死んだ夢を見た。そう思っていて、だけど起きたらそこにはいつも通りの口が達者なお祖母さんは生きていたのに?
それで私はお祖母さんの為に薬草を採りに行って死んだのに。
「家に…、お祖母さんは居るの」
彼を押しのけ、私は家に走って行く。
人の波をかき分けて私は家の戸を開く、ほら、そこにはちゃんと。
「………うそ」
膝が崩れる。
誰もいない部屋。そこには小奇麗にされて生活感の欠けた部屋があるだけだった。
「悪いと思ったんだがな…。住む人が居なければ家が可哀そうだと思って片づけちまったよ。まさか、お前がそんな形で帰ってくるなんて予想もできなかったから」
彼の言葉なんて理解ができない。
だって、確かにお祖母さんは居たのに。なんでなの?
「……」
「沙月。行きましょう」
幽々子さんがそう告げた。だけど、何処へ?
こんなので私は諦められないのに。幽々子さんは何を言ってるの?
「貴女のお婆さんに会いに」
「え?」
見上げるといつもの微笑みを浮かべた幽々子さんが居た。
そして、何でもないかのように告げる。
「死者が辿り着く場所、輪廻の裁定所。閻魔様の元へ」
「いいんですかねぇ?」
小町がそんな事を呟いた。
「まったくよくありません。そんなこと認めるはずがないです」
「ですよねー」
気だるそうに彼岸花を布団に小町は寝転がっている。
私の眼前で怠けられるその胆力は素直に凄いと思う。
「ま、仕方ありませんよ。あれが彼女の寿命だったんですよ。どうしようもない、私たちの見る寿命とは異なる悪魔の見れる運命としての寿命。あーきらめましょう」
そんな彼女だからこそ、平然とそんな事を口に出しても許される。
「しかし、それでは私が彼女に合わせる顔がない。閻魔としてではなく、私個人としての約束だったんです」
「……」
それっきり小町はなにも言わない。
呆れられたのかもしれない。だけど、私は最善を尽くした。その結果が沙月の死だった。
聞けば沙月は元々心臓が弱い子だったらしい。
だから、沙月は死んだ。そのきっかけを作ったのはあの傲慢な天人だった。
私にも罪はある。しかし、あの者にはさらに重い罪がある。
「あの冥界の管理者が」
小町がぽつり、と呟いた。
「素直に天人を引き渡してくれるでしょうか?」
「……そればっかりは分からないです。幽々子は…私にも計り知れない所があります」
「やれやれ」
しゃーないか、と小町は立ち上がり両手を空に伸ばし背筋も伸ばした。
「ま、考えても仕方ありません。映姫様でも間違いはありますって。ささ、映姫様は持ち場に戻って」
「小町…」
「良いんですって。大丈夫ですから任してください」
胸を叩いて小町は逞しく告げた。ただ、気掛かりなのは。
「貴女、単純に怠けたいだけでしょう」
小町の自信満々の笑みが崩れた。
「そ、そんなことないですよ」
じゃあ、その背後に隠してある枕はなんなのか、小一時間問い正したい。
「無茶はしないで、幽々子が来たのなら全員通してください」
「はーい。ところでさとりはどうするんですか?」
「彼女はしっかりと仕事を果たしてくれました。小町と違ってね。だから、約束は守りましょう。さて、では私はさとりと共に待っているので後は頼みます」
彼岸花が揺れる。
この季節もない彼岸の地で薄暗い靄に包まれた先を歩いて行く。
それはきっと沙月の歩む道であり、あの者が歩んできた道でもあるのだろう。
「……は嫌ですね」
「ん?なにかいいましたかー?」
「いえ、なんでもないです」
それだけ言って私は彼岸を後にした。
死んだと思った。
お空の攻撃をまともに受けて生き残れる生物がいるわけがない。
そう思った。だから、割り込んだ人の最後が目に焼き付いていた。
後悔と呼ぶには浅く、だけど割り切れる程に簡単ではない感情が胸を締め付ける。
そんな胸中を彼女はあっさりと覆した。
「ははっ、こいつは凄ぇ。二度と喰らいたくはないもんだな」
光が失せた世界でズボンのポケットに手を突っ込み、体をくの字にしてケタケタと彼女は笑っていた。
「っっ、消えろ」
お空が炎を打ち出す。しかし、彼女は笑ったまま片手を伸ばし、受け止めた。炎が消えるまでただ何でもないかのように手を伸ばしていた。
焦げ跡もなく、炎に焼かれることさえない。
「お姉さんは一体…」
地上は予想以上に面白い。私の怨霊が斬られ、お空の核熱も利かない。面白過ぎて笑えないよ。
「妹紅さん、…なんでここに?」
妹紅と呼ばれた彼女は簡単にお空から視線を外す。お空を前に危機感を一切抱いていない証拠だった。
「あー、沙月。お前がさっき岩の下から出した少女なんだが、その遺体を妖怪が食べないように見張っていたんだ。慧音が人手を募って大岩を退けて遺体を回収してしっかりした形で弔いたいと言ってたからな」
「なるほど」
「で、妖夢こそなんであの遺体を取り出したんだ?手間が省けたと思って見ていたんだが、……ふん。逆に手間を増やしちまったな」
「ええ。幽々子様に沙月の体を彼岸まで持ってきてほしいと頼まれまして」
「ふーん?”沙月の体”ねぇ。はんっ、やっぱりお前の主人はとんでもない奴だよ」
「?どういうことですか」
「行けば分かるさ。きっと苦労するだろうが、私もあの方には会いたくないから手は貸さないよ」
「はぁ、分かりました」
知り合いらしく、随分と彼女たちの会話が弾んでいる。
お空が泣きそうな顔で私の隣に降りてくる。こんな顔はさとり様に怒られる時以外は見たことがない。
「……どうしよう?お燐」
「地上じゃあ勝ち目はなさそうだねぇ。ここが地獄なら人工太陽を作っても問題ないし、切り刻めない程の怨霊を呼び出せるから…一旦引こう」
それにさとり様に迷惑をかけるなんて事をしたくない。
「逃げられると思っているの?」
背後からアイツの声が。
いつの間に、なんてもう言わない。アイツは速過ぎるから。
「貴方達は危険だ。いま此処で消えて貰う」
打つ手がないわけじゃないけど。
お空と視線を合わせる。
ここは腹を括って覚悟しないといけない。
だって、このお姉さんにあの妹紅っていうお姉さんがいるんだから。
「さて、自己紹介しとこーか。私は藤原 妹紅。ただの健康マニアだ」
二人に挟まれる形だ。
丁度、お空に自称ただの健康マニア。そして、あたいには怨霊を切り裂いたお姉さん。
「で、私のやることは一つ」
無造作に妹紅は近寄って来て、お空の隣。あたしの隣を通り過ぎ、あたしたちに背を向けて立ち止まった。
まるで怨霊を切り裂いたお姉さんからあたし達を守るかのように。
「妹紅さん、なにを?」
「お前こそなにをしてるんだ?」
「……邪魔者の排除です。幽々子様から言われているんですよ、体を回収する時に邪魔者が居たならば全力で退けなさいと」
「その結果がさっきの有様か。だから、お前は半人前なんていわれるんだよ」
妖夢と呼ばれたお姉さんの顔色が変わる。
今さっきまでなんでもないかのように会話していたのに、まるで親の敵のような殺気を発し始める。
「…五月蠅いですよ?幽々子様にならともかく、なんで貴女なんかにそんな事を言われないといけない!」
軽い破裂音。
妖夢の眼前にまで間合いを一歩で詰め、妹紅は頬を叩いた。
「バーカ。今の妖夢なら誰が見たって同じ事を言うさ。それだけ今のお前は揺らいでいる。どうした?なんかあったのか?」
「……あの天人に庭を荒らされた…」
大きく口をあけ、噛み千切る様に妖夢は歯を噛み合わせた。
ギシィリ、と古い扉が軋んだかのような音が鳴り響く。
「何度も何度もぉ!私が一体何回何十回庭を整えたと思ってる!?あの馬鹿、絶対切り刻んで生きてるのも後悔させるぐらい死んでも後悔させるぐらいに傷めつけて苦しめ斬り潰して刺し千切って滅茶苦茶にしてやる!!」
「おー」
ぱちぱちぱち、と妹紅は呑気に手を合わせている。
っていうか、なに?今さっきまでの攻撃はもしかして…。
「ねぇ、お姉さん。もしかしてあんなに好戦的だったのって……八つ当たり?」
「ああ!そうですよ!」
怒りながら威張られても…。やっぱり地上は面白い。なんて人が居るんだろうか?
こんなに理不尽なのは地底でもパルスィぐらいだろうねぇ。
「……悪かったね」
突然に妖夢が静かに告げた。まるでさっきと態度が違う、情緒不安定なのか?
「はぁ、……沙月はあんなに冷静だったのに、…これじゃ私が駄目じゃない」
「仕方ないさ。沙月は特別だ、なんたって――、ていうか沙月がなんだって?アイツは死んでいるんじゃ」」
「待って!」
いきなりお空が叫んだ。お空の視線の先には妹紅が目を瞬かせていた。
「私か?なんだよ」
「私と勝負してちょうだい」
なにを言い出すんだこのおバカは。
「そして、私が勝ったら……」
横に俯き、お空はその赤くなった頬を隠した。
初々しい反応に気付かず、妹紅はその先の言葉を促す。
「勝ったら…なんだ?」
「うーんん!それは勝った時のお楽しみ!敗者はただ私の言う事を聞けば良いんだから!」
「え、ちょっとお空!?戦い挑む必要があるの!?」
「漢にはやらなきゃいけない時があるのよ!」
「何言ってるのさ!?お空はメスだよ!?」
ああ、誰かこのお馬鹿を止めて!こんな時にあの黒い魔法使いか、白紅の巫女が来てくれればいいのに。
よりによってなんでこのタイミングで惚れるんだろう?吊橋効果?いっそ、そのまま橋から落ちて死ねばいいのに!
「あのー」
妖夢のお姉さんが話しかけてきた。
もしかして、止めてくれるの?
一縷の望みを視線に乗せて、彼女を見つめる。
「あの少女の体持って行くけど気を付けて」
「は?」
「妹紅さん人間だけど、死なないから弾幕ごっこ以外のただの戦闘だと絶対に勝てないから」
それだけ告げて彼女の足元が破裂した。
空高く彼女は飛んで岩が積み上げられた頂点。いつのまにかそこに死体があって、それを背負い彼女は山の奥へ消えて行った。
「え、ちょっと人間!?あれが?」
ぶべ、と聞きなれた声が苦しげなセリフを吐いた。
地面に顔面をめり込ませてお空は羽を馬鹿みたいに羽ばたかせている。
立ち上りたいならその手を使えばいいのに。
「っはぁっ!本当になんでなんで!?私の究極のエネルギーが効かないの?」
お空が目を輝かせて問いただす。
いつのまにか辺りの木々は真っ黒に焦げていた。
だけど、妖夢のお姉さんが言った事が真実ならば。
妹紅が無傷でお空を殴りつけたのも納得できる。
悠然と構える彼女はクッ、と声を口を手で押さえながらも声を漏らした。
「あは、あはは。私の究極のエネルギーって、あたいは最強なのよってのと似てるな。なんつーか、決まり文句っていうよりも単純に意味も分からず言ってるだけな感じがまた面白い!」
「へ?えへへ、そう?うふふ」
ゲラゲラと無遠慮な笑いに訳も分からず楽しそうな雰囲気だから笑っていると言わんばかりの上品な笑いがお空から生まれた。
……なんだ、これ?
いや、いや、いや。お空の態度にはなんとなく理由が分かっている。だけど口に出すのが躊躇われる。
「お空、あんたまさか…」
「おいおい、人を指差すなよ」
妹紅のお姉さんがそんな事を言うが聞いちゃいられない。
お空は照れながらもしっかり首を頷かせて告げた。
「うん、妹紅大好き」
「がはっ!」
あたしは鮮血を吐いた。そんな感じだった。
「なっ、えらくいきなりだな。どうして私なんだ」
「だってさ……。私はどの妖怪よりも強いけど、妹紅はそんな私よりももっと強いじゃない。だから」
お空は嬉しそうに笑みを作り、眼を輝やかせ、直視されたらつい視線を反らしてしまいそうになるぐらいの眩い視線を妹紅に注いでいた。
「おい、いいのか?こんな今日あったばかりの奴にこんな事言ってるぞ。止めてくれ」
「お空に言って聞かせられるならあたしもこんなに苦労していないよ。っていうことで悪いんだけどお空のことー」
「……殺して食うぞこの化け猫が」
「はーい、お空も妹紅のお姉さんに迷惑かけないでねー。大丈夫、お空にはさとり様がいるじゃない」
やっばい、本当に死ぬかと思った。
容易に自分の死に様が浮かぶような恐怖に当てられた。
お空には悪いけど、だってさ。鍋で煮込まれて食われちゃうなんて嫌じゃん?
「えー?さとり様はさとり様だけど妹紅は妹紅だよ」
「ははっ、お空ったら相変わらず冗談が好きだねぇ。ねぇ、お姉さん」
「いや、私はそんな事知らないけれど」
「お燐?私冗談なんかっうぐ!」
鳩尾に渾身の一撃を喰らわせた。
「あんたはそんなにあたしの鍋が食べたいの?」
「お、お燐の鍋…っ?な、なに言ってるの、よ…」
お空が息も絶え絶えに地面に倒れこんだ。
あたしは勝った!
何かいろいろと大切な物を失った気がするけれど気にしない。
「お前ら……まぁ、いいや。で?そのさとり様ってのは何処にいるんだ?」
あー、そんな問題もあったなぁ。
「なんだ、その忘れてた的な顔は」
「実は…」
一週間ぐらい前にさとり様が用事があるからと地上に出かけると言った。
その時にあたしもお空も勝手について行って、……さとり様を見失ってしまった。
「………」
あたしは顔を背ける。
「おい」
「……あ!」
そういえば、と思い出す。
「さとり様、地上に出る前にこんな事言ってたよ。まぁ、あんまり言いたくないんだけどね、主人を悪い風に言うような事を」
「…?とりあえず言ってみたらどうだい」
確かにその通りだけど、さとり様がどんな人柄なのか事前に断っておこう。
「さとり様は穏やかで気の優しくて心が読めるから人一倍傷つきやすいお人なんだ。この前も鬼のお姉さんに「この家はなんだか暗いねぇ。もうちっと明るくしたらさとりももっと明るい奴になるんじゃないのか?」って言われて水銀灯を必死に買い集めて家の中明るくしてたもの」
「あ?ああ、でそれがどうしたのか?」
「見てて可愛かったよ!」
妹紅のお姉さんの拳が火を噴いた。文字通りに。
炎に顔を焼かれあたしは地面をのたうち回る。
「見てるだけじゃなくてお前も手伝ってやれよ」
「そんなバカなっ!そんなことしたら灯りの交換の仕方が分からなくて悩んださとり様の顔が見れないんでもないですいませんごめんさい許してください」
妹紅のお姉さんが捕食者の眼に変わってあたしは喰われる光景が脳裏に浮かんだ。
「はぁ、とりあえずそのさとりって奴が可愛いのは分かった。で?なんて言ってたんだ?」
「んーそうだねぇ。えーまぁー…こほん。…あーあー鬱よねぇ憂鬱なのよねぇ、大体今さらなんで私を呼ぶのかしらあの人は。あーもう嫌だわ会いたくないわ死ねばいいのに。いっそお空を地上に送ってあの裁判所を焼き尽くしましょうか?いえいえ、あの方にお空が勝てるとは思わないから…月でも落ちて潰してくれないかしらそしたら地上の人妖、神様全部全滅万々歳ね。って」
「お前の主人って友達居ないだろ」
「いやぁ、さとり様の交友関係は分からないねぇ。今だって地上の知り合いの頼みで来てるんだし。あ、ちなみに補足だけどさとり様の部屋に釘が刺さった藁人形が転がってたよ。地上の有名な某人形師に作ってもらったって嬉しそうに言ってた。ファンなんだってー、その人形師の人形の」
「ふーん。んな話はさておき。じゃあ行くか」
痛つっ、とお空が目を覚ます。
「え?さとり様の行き場所が分かるの?」
「さっきは悪かったな」
「なんで妹紅謝るの?」
お空が不思議そうに首を傾げた。
何に対して謝ったのかあたしも分からなかった。
「友達居ないだろなんて言って。あーくそ。確かに私も会いたくねぇ。だけど懐かれたままだと色々面倒だから行くしかないかぁ」
本当に苦そうな顔で妹紅のお姉さんは告げた。
「裁判所、つまり閻魔 四季映姫・ヤマザナドゥの所へ」
お燐とお空は大丈夫だろうか?
それだけが気掛かりだった。それでも沙月と過ごした時間は楽しくて、ペットのことも忘れさせたのだ。
始まりは映姫様の依頼だった。
とある少女が祖母の死を受け入れるようにしばらく貴女の想起で少女の心象を被り、祖母の代役をしてくれませんか?と。
疑問はあった。
なぜ閻魔がそんな人間の一人に深入りをするのだろう?
しかし、映姫様の心は固く閉ざされている。
それ以上にそんな事も尋ねられないような条件が出されたからだ。
火焔猫 燐の罪を軽くしましょう――。
お燐の趣味は死体集め。そして、怨霊作り。
それは人間から見ればおぞましい習性なのだと分かってる。なんたって地獄のネコなのだから、それぐらいは当然だと思うのだけど。
……問題は映姫様じゃない。
その背後にいる死神だった。彼女は、小野塚 小町はどうやら面倒臭がり屋だ。だから、彼女は思っていた。
地獄の妖怪なんて殺してしまえばいいのに、と。
いくらなんでもそれはないと思った。
私が驚いた視線を向けると彼女は心を読まれたのを知ってか、お燐の主人である私に対してまるで良い事でもあったかのように朗らかに笑った。
「今日は良い天気だね。こんな日は昼寝に限るよな」
彼女の心は既に読めなくなった。
彼女に関しては映姫様と違って頭の中を空っぽにしているだけなんだけど。だって、ここ地底だから天気なんて関係ない。
「わかりました。いいでしょう、――ただし条件が。この件が終わったなら二度と地底へ来ないで下さい」
地底の妖怪は誰かの恐怖になれど、誰かを恐怖に思う事はない。ましてや、閻魔様相手にも敵意を向ける者がいる。
映姫様は知らないかもしれないが、貴女の後ろにいる死神はこの地底に来てから何体もの妖怪を切り刻んでいる。
まるでつまらなそうに花を蹴り飛ばすかのように散らせて来た。
勇儀の見ていない所で良かった。
鬼と死神の戦いなんて、きっと地獄のように酷過ぎるだろう。
「……もとより私が外出する機会は少なく、また地底に来るとするならば貴女に会いに来る以外はない。…残念ですが、次からは手紙を送るようにしましょう」
部下の行為を知ってか知らずか、私の要望は受け入れられた。
そして、地上へ。
夜遅く。
沙月の家へ忍び込み、彼女の心へ眼を向ける。
「……貴女は」
私は初めて人の偉大さを知った。
空を飛び、山を越え、川が見えてきた。
赤い真っ赤な岸はよくよく見れば赤い花に埋め尽くされているからだった。
「そろそろ死神のサボタージュが見られるわよ~」
「……」
天子さんが気難しそうに黙りこんでいる。重たげな表情は里を出てからだった。
「天人は寿命を終えても生き続けているの。だから死神は寿命を終えた者の命を狩りに行くのだけど、その死神を退けたなら延命できる。それを延々と続けてきたのが天人という種族なのよ」
幽々子さんの説明で納得できた。
なら、天子さんはついてこなかった方が良かったんじゃ?
「言ったでしょ?今まで退けてきた、と。天人は強いわよ。それもこの子はその中でも上位に位置するぐらいに強いの。だから余計な心配はいらないわ」
「そうだったんですか!?」
そんなに凄い人だったなんて外見からは想像もつかなかった。ただの不良少女じゃなかったのね。
「えっ!ごめんなさい」
「…なんで謝るんですか?」
いきなり天子さんは頭を下げて、私の顔を恐る恐る見上げ「あはは」と笑い始めた。
「あー、ごめん。全然聞いてなかったわ。で、何々?私がなんでそんなに強いのかって?知りたい?」
「いえ、全然興味ないです」
「ぶっ!?なにそれ!もっと私に興味持ちなさいよ!」
「わかりました。えー……………あ、空が晴れてきましたよ?」
「私に関心ゼロ!?」
「あ、その桃って食べられるの?」
帽子に付けた桃は見事な大きさの、丁度熟れた時のあの甘い匂いがしていた。
「ま、まぁそうね。でもね、これは」
「はいはい、付くわよー」
「わかりましたー」
幽々子さんが話を締めると背後で天子さんががっくりと首を落としたのが見えた。そんな反応がちょっと面白い。
「…なによ?いきなり笑い始めて」
だって、ねぇ?
「天子さんって可愛いですね」
「あら~?貴女もそう思う?」
面白可笑しそうに幽々子さんも同調してくれる。同時に何かが繋がっている感覚があった。
この瞬間、確かに私と幽々子さんの思惑は一致したのだった。
そして、そんな私たちの心中を知らずに天子さんは花開くような笑みを浮かべて告げた。
「ホント!?でしょ、なんたって私は――」
閉じた扇子の先端が天子さんの鼻を柔らかく押しつぶす。
「ええ、貴女を苛めると可愛いわねぇ」
「まったくです」
「んーーー!もう良いわよ!!」
「ほらー、そういうところが……」
ふと、白い靄が視界を掠めた。
それっきり、まるで雲でもあったかのように靄を通過した。
「?」
全身を温く包み込んだ感触は奇妙だったけど、すぐにそんなことも頭の片隅へ。
視界一杯の彼岸花に驚いてしまう。
そして、岸に船を浮かべ背を向けている人が見えた。
「お。ようやく来たね、おかげさんで寝過ぎてちょっと背筋が痛いよ、ははっ」
何処となく薄暗いこの場所で唯一の明るいモノに見えるぐらいの朗らかな笑みを浮かべた彼女の手には大きな鎌が。
死神と言えば命を刈り取る大鎌。これ以上に分かりやすい特徴はないでしょう。
「初めまして、沙月って言います」
「おお!良いねぇ、久々に礼儀のある娘だね。そこの押し黙ってるアンタも少しは見習ったらどうだい?てか、なんでこんな所に来てるんだ?」
本当に苦手なんだろう。
何処となく強張った表情で天子さんは死神さんと距離を置いている。
「別に。沙月が心配だから付いて来たのよ、悪い?」
私が心配?そんな、心配されるようなことしたかなぁ?
「心配?心配だって?はぁーん?お前さんがねぇ?くくっ、笑わすなよ。そんな取り繕ったって今さら罪は消せない、分かってるだろう?いや、その様子だとようやく気付いたんだろう?」
「……なにそれ?言ってる意味が全然分からないんだけど」
「はっ。分からなきゃ良いさ別に。だが、ソレが罪滅ぼしになるとは思うなよ。ソレはお前のものだ。決して人には理解されず、お前が感じた苦しみはお前だけのもの。そして、それは沙月も同じさ」
鎌を大きく一回り、弧を描いて肩に乗せる。
「で、行き先は映姫様の元へ。で、宜しいですか?」
死神さんは口調を改めて幽々子さんに尋ねた。相変わらず幽々子さんの交友関係がよく分からない。
「ええ、お願いするわ~」
今さっきのやり取りが尾を引いて船上では重苦しい雰囲気が降りていた。
「そういえば、閻魔様に会うのに手土産を忘れてしまったわ」
幽々子さんが思い出したかのようにそう呟いた。
「ははっ!良いんじゃないですか?映姫様はそう言った気遣い自体に意味を見出す方だ。気にしないでください」
「あら、そう言ってもらえると助かるわ。いっそ、天子の頭飾りの桃でも良いかな~って考えてたのよ」
「……」
むすっと頬を膨らませ、天子さんは膝の上の拳をより強く握りしめた。と、頭飾りの桃をむしって私に差し出してきた。
「しばらく持ってて」
ああ、なるほど。
「いやね、冗談よ。盗らないって」
そう言って幽々子さんはボソっと「でも美味そうよねぇ」と呟いた。割と本気で提案したことが伺える。
「そりゃそうよ。天界の桃だもの、不味いはずがないわ」
「はっ、美味い桃食って後は歌って踊って寝るだけの日々。羨ましいねぇ、あ。そういえば、この前地底に行ったんだけどさ。なんだか人形が流行っててさぁ、そこいらの露店で売ってんの。で、橋姫が居たんだけどそれが危険極まりなかったね。あの嫉妬深さで藁人形握っててさ。知ってる?ちょっと前から地底との交通が途絶えたのを。あれって全部橋姫の仕業だったんだ。いやぁ、怖いねえ。まさかあの人形師と橋姫の組み合わせがあんなに絶妙だとちょっと感心しちゃったぐらいだよ」
そんな楽しそうに死神さんは語り始めた。
ただ反比例するがごとく、天子さんの周囲の空気は重たくなっていく。
いかに死神さんが嫌いなのかを全身全霊で表現しているようだった。
「そう、それでよく帰ってこれたわね。そのまま呪われて地底に住みつけばよかったのにね」
「……あー、まー、映姫様が居たしねぇ。さすがにいくら天人にとはいえ其処まで嫌われるといくらあたしでも罪悪感を感じるよ」
くすくすと忍び笑いが聞こえた。
幽々子さんがお腹を抱え、上半身を屈めて笑っていた。
「えー?もしかしてツボに入りました?困るなぁ、そんなことで笑われちゃあ後で笑い死にしてしまいますよ」
「あらあら、ほんと?それは困るわぁ。うふふふ、あはは、くすくすくす――。あ~面白いわぁ。貴女が罪悪感を感じるって、うふふ。貴女、今さら何言ってるのかしらー?やめて頂戴ねぇ、そんな悪い冗談は」
「悪い冗談って…うーん。じゃあ、これは言ったらまずいかなぁ。幽々子さん、あたしはね。魂魄 妖夢の事を気に入ってるんですよ」
あらあら、と幽々子さんは軽く笑いを抑えていく。
あの激しく怒った妖夢さんのことを?これはなんだか、意外な感じがした。
まぁ、幽々子さんとも知り合いだったみたいだから不思議ではないのだけども。
「それは嘘。貴女が気にしているのは妖忌の方でしょ。だって唯一、貴女の本気を超えた人間だから」
「……生前の事を思い出したのか?」
死神さんが強張った口調で訪ねた。なんでか敬語も忘れるぐらいの衝撃を受けていた。
「いえ、紫がね。妖忌に怒られた事が懐かしいって言っててね。紫の知ってる事を聞いたの。まぁ、なんでかしらねぇ?紫は肝心の事を一切話してくれなかったわ」
「そりゃあ辛気臭い話なんて誰が好き好んで話しますか?ようは気分の問題だったんでしょう。あの賢者も表向きは怠け者ですからねぇ」
「あ、そういえば後から妖夢が来るの。閻魔様の所まで案内した後に迎えに行ってもらって良いかしら?」
「いいですよー」と、死神さんは軽い口調で答えたのだった。
こつん、と船が止まった。
「…?思ったより短かったねぇ。さ、まっすぐ歩いて行けば白い廊下があるからさらにまっすぐ。そうすると映姫様の構える裁判所が見えるよ」
「ありがとねー」
幽々子さんが岸に降り、天子さんも降りて私も続く。
「じゃあ妖夢達の事をお願いねぇ」
「はいよー」
それだけ言って死神さんは船を出した。
「あのー、幽々子さん」
「なにかしら?」
別れの言葉で気になったことがあった。
「妖夢さん達って他にも誰か来るんですか?」
ええ、と幽々子さんは何か懐かしむように眼を細めて遠くを見つめた。
「死んで幽霊になった、……懐かしい人が来ると思うの」
分からない。だけど、幽々子さんは意味が分かって言っているのだから私にも分かるはず。
「懐かしい人、ですか?その人はどんな人ですか?」
「……さぁ?当ててごらん?では、行きましょう。それと、天子」
「なによ?」
「貴女、死神の言葉じゃないけども本当に付いて来て良かったの?」
天子さんが下唇を噛みしめて、押し黙る。
「分かっているけども、貴女の恐れている未来は変わらない。ただ貴女がそこに居るか居ないかの違い。それなら逃げなさい。何も好き好んで辛い方を選ばなくてもいいじゃないの。だってずっとそうやってきて、今さら慣れない事をするものではないわ」
「……」
「悩んでいるフリは止めなさい。貴女は行かないといけない理由を必死に作っているんでしょ?それを口に出してしまえば後には引けない。もう戻れなくなるわ」
突然の会話に雰囲気が硬くなり、身動きも取れなくなっていく。
それでも、と天子さんは呟いた。
「それでも行くの。私はもっと頑張らないといけないことを知ったのよ!」
大きな声が木霊して消えていく。
幽々子さんが天子さんに背を向いて歩き始めた。
「そう、それなら良いわ。天子は馬鹿ねぇ」
「……そうよね、私は本当に馬鹿なのよ」
……え?
自嘲した姿は天子さんには似合わなかった。
「どうかしたんですか?天子さんがそんな事言うなんて、……里でなにかあったんですか?」
「……これ上げるわ」
鋼色の短い刃物を渡された。よくよく見れば私はその刃物がどんなものなのか知っていた。
「これって霧雨商店で売っている破魔の刀じゃないですか」
「そう、買っておいたのよ。一応念の為持っておいてね。後、さっき渡した桃なんだけどそのまま大地に埋めると桃の木が一晩で咲くの。一年中桃が実るわ、天界の桃だからね。きっとそれで大丈夫」
「そうなの!?そんな凄い桃もらえないわ」
「あはは、凄いって言っても展開に行けば腐るほど有るもの。気にしないで良いからね」
優しげに微笑んで天子さんは幽々子さんの隣まで小走りで追いつき、肩を並べて歩いて行った。
「分からないわ」
なんで天子さんはこんな事を言ったんだろう?
だけど考えても分からないから、私も二人の後を追うことにしたのだった。
小野塚 小町は待っている。
ある人間を。しかし、彼女は来ないだろう。
二度と自分に会いに来てはくれないことを悟っていた。
もしくは会えないのだろう。
なぜなら彼女の寿命は長い。彼女が人を辞めさせられた時から私は会えていない。
くだらない画策だったと思っている。
人間なんて死んで当たり前。馬鹿な事に鬼に挑み殺され、妖怪に復讐をして殺され、妖獣の恨みを買って呪われ、挙句の果てには妖怪になり果て、人を殺してしまう。
だから、彼女の友人が人を死なせる力を持っていたと知った時、考えた。
……。
人の手で人を沢山殺させようと。
「結局、あたしが一番馬鹿だったんだなぁ」
妖忌の静かに悟す言葉が聞こえる。
取り返しの付かない事をして、人がたくさん死んだ。馬鹿で傲慢な閻魔も死んだ。
だけど、妖忌が死んだのは予想していなかった。
代わりに西行妖が咲いて、幽々子が死んだ。皆死んだ。
――幽々子が亡霊として生まれ、妖忌が蘇り、そして妖夢が生まれた。
「その頃だよな、映姫様が来たのも」
果たして前の閻魔が傲慢だったのか、映姫様が普通なのか?わからないけれど、あたしは映姫様を気に入っている。
あの生真面目さには頭が下がるが、仕えるに十分な価値があると思った。
少しだけ、妖忌の気持ちが分かった気がした。
以前妖夢に会った。しかし、まだ妖忌には程遠い。まだ、あたしを殺すには程遠い。
小野塚 小町は待っている。
ある人間を。しかし、彼女は来ないだろう。
二度と自分に会いに来てはくれないことを悟っていた。
もしくは会えないのだろう。
それでも待っている。
ある人間を。しかし、彼女は来ないだろう。
それでも待っている。
きっと自分を終わらせてくれる存在を。
「あたしも……桜にでも生まれたかったな」
彼岸にはまだ彼女は来ない。
「さぁて、見せておくれ。妖忌の守り抜いた魂を、その輝きを」
「師匠がどうかしたんですか?」
いつのまにか妖夢がそこには居た。
少し物思いに深け過ぎていたなぁー。
「あー、いやちょっと昔を思い出していたのさ」
「師匠にあったことがあるんですか?」
「まあね。ところで……」
妖夢は誰かを背負っていた。よくよく見ればそれはさっき見た顔だった。
幽々子が引き連れていた少女。その体を何故、ここに?
「幽々子様が彼岸に行きなさいと言われたから来たんですけど…なにかあるんですか?」
「あんたは何も聞いていないのかい?」
「ええ、ただこの少女の体を彼岸へと、そう言われているだけですね」
幽々子は事の流れを全て把握していたとでも?
さとりの仕事を終えてのタイミングから時差がない。まるで見えていたかのような流れだった。
なぜ、体を持って来させたのか?
……恐らく幽々子は反魂の術を行うつもりだろう。。
しかし、映姫様の前で行う理由がわからない。
いや、映姫様は立場上許されざる行為と断罪するだろう。だが、映姫様の本心は約束を守りたがっていた。
相対する心のジレンマにつけ入り、蘇生をさせる?
「小町さん?そんな顔してどうしたんですか?」
「ん?ああ、なんでもないよ」
そんな顔ってどんな顔だい?あんたの主人の嫌らしさに気が狂いそうだったなんて口が裂けても言えない。
「ところで…妖夢一人っきりかい?他には誰も来ないの?」
「他ですか?はぁ、私は知らないですが、他に誰か来るんですか?」
「いや、なんでないさ。じゃあ、幽々子さんも来ているからそこまで案内しよう」
「?来ているんですか、じゃあお願いします」
そう告げて妖夢を乗せ、船を出す。
背負っていた少女を寝かせ、妖夢は一息吐いて腰を下ろす。
「どうしだんだい、なんだか疲れてるみたいじゃん」
「今日はちょっと自分の未熟さを思い知りまして、それで少し気分が良くないです」
自分の事を未熟と告げた横顔は妖忌に少しだけ似ていた。
だからだろう。あたしは余計なひと言を滑らせる。
「そういう時は原点に帰るんだよ。妖夢の場合は師の教え、まぁ妖忌の背中を思い出せばいい。妖忌がどうしていたのかを思い返すといいよ」
「師匠を…」
それっきり妖夢が口を開くことはなくなったのだった。
白い大きな扉を過ぎると、広大で何もない白い世界が広がっていた。
「よおこそ。西行寺 幽々子。それに天人よ、そして」
小さい少女が浮かんでいた。そして彼女から十歩後ろに下がった位置にもう一人、胸に眼をつけた少女が。
あの勺を構えているのが閻魔だろう。だけど、その後ろにいる少女は天界から地上を覗いていた私でも見覚えのない者だった。
「あ、沙月って言います。今日はよろしくお願いします」
「?…ええ、沙月。人は死ぬのが自然。死んだこと自体は不思議じゃありませんが、貴女は自分の死を受け入れてますか?」
閻魔が淡々と告げると沙月は俯き、弱弱しいながらも笑みを浮かべ「はい」と返事をした。
「ですが、閻魔様。ひとつお願いがあるのですがいいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「お祖母さんに会わせて欲しいのですが」
「それは出来ません」
閻魔が断言した。
沙月からは見えないが、そこで幽々子が初めてニヤリと口端を吊り上げ、口を開いた。
「なんでかしら?死後直ぐに判決が下される訳がない。会わせることぐらいは出来る筈でしょう?」
「そうですね。通常であれば…。しかし、会わせられない理由から説明しないといけないでしょう。まずは、さとり」
胸に三つ目の眼をつけた少女が閻魔の隣に並んだ。
どことなく嫌な感じがする少女だった。
「嫌な感じですか?そうですね、良い直感をしていますね。私は古明地 さとり。地底の地霊殿の主であり、今回映姫様に呼ばれた妖怪です」
なんで思った事が分かったの?それに聞いたことがある名前だった。
思い出すと同時に、理解した。道理で地上を眺めていても見覚えのないはずだ。
「なんで地底に追いやられる程の妖怪がここにいるのよ!」
「だから、それを今から説明するのです。沙月、貴女は貴女の祖母が死んでから幾日経っているから理解していますか?」
「え…、と。六日間です。間違いないです」
「いや、間違いですよ。貴女は祖母が死んだと同時に心を閉ざした。その後二日程、貴女は食事どころか水さえも飲まず倒れたのです。それでは不味いと思ったので私がこの者、さとりを貴女の元に送り込んだのです。だから、貴女の意識では六日でも八日間です」
地底の妖怪なんて危険な能力だけだ。それも特に人間に対して有害過ぎるからと賢者と呼ばれる妖怪が追放したはず。
そんな妖怪を何故沙月の元へ?
「さとりは人の心を読み、心象を映し出せる。だから、私は彼女に沙月の祖母に対する心象を映し出させ、沙月が立ち直れるようにして欲しいとお願いしたのです。結果、貴女は立ち直り、山へ薬草を取りに行ける程になった」
ああ、どうりで里の男性と沙月の会話がかみ合わなかったわけね。
「じゃあ、貴女方は私を助けようと…?」
沙月がすがる様に問いかけるが、閻魔は横に首を振った。
「いえ、ですが貴女はすぐに死んでしまった。私は貴女の祖母に頼まれたのです。「私が居なくなった後が心配だから、様子をみてくれない?」と。なのに、私たちは貴女を死なせてしまった……っ!悔いるばかりです」
手に持った勺を潰しかねないぐらいに拳を振るわせ、閻魔は感情を押しつぶしてあえて平坦な声で告げたの。
「そんな……祖母が私の事を死んでまで…」
膝を崩し、沙月が涙を流し始めた。
「そうですね。あの者は死んでも貴女の事を心配した。だから私はどうしても彼女の心に応えたかった。なぜなら貴女の祖母の未練はソレ一つ。彼女はもう天国へ向かいました。私は後を任されたのですよ」
「…っはい。それなのに私は、死んでしまって…」
―――――。
沙月が悲しそうに笑い、頬を伝い滴が一滴床に落ちた。
胸が痛い。心臓がドクドクと叫び始める。
閻魔はスゥッと目を細め、私を見た。―――いよいよ、だ。
「いえ、沙月。貴女に落ち度はありません。貴女は死んだのではない。死なされたのです」
「死なされた……誰にですか?」
範唱し、訪ねた。閻魔は言葉を使わずに答えた。
人差し指を伸ばし、一点を示して。
その先を目で追いかけ、
「………なんで…?」
沙月が私を見た。黒い瞳が疑縮され、しんじられない、と沙月の口が音を立てずにに呟いた。
「比那名居 天子。それが山を崩し、貴女を崩落に巻き込んで死に至らしめた元凶です」
ああ、と視界が真っ黒に反転した。
異変を起こして以来、私の活動範囲は一気に広がった。
冥界にちょっかいを出したり、神社にお茶を貰いに行ったり、悪魔の館にケーキを呼ばれに行ったり、八雲 紫に喧嘩を売られたり。
今までの退屈だった世界が一変したのだった。
なんて楽しいのかしら?
晴れ晴れした日差しは心地がいい。天界なんかに居ると心が鬱蒼として体が腐ってしまう。
そんな地上の心地よさに浮かれていた。
ふと、山道を歩いていると里から誰かが歩いて来る。
十代前半の少女が一人山へ陰りに身を消していった。
「ふっふーん。今日はあの子とお話しましょう!さすが私、名案ね」
彼女の後を追いかけて分かったこと。それは私以外にもあの少女に用がある者がいるということ。
「出てきなさい」
茂みから牛が二本足で歩いて出てきた。
完全な人型にも慣れない半端な妖怪があの少女の後を追っていた。
「おまえ邪魔するな」
朴訥とした声が牛の妖怪から発せられたのに気づいたのは少し経ってからだった。
それぐらいに聞き取りづらく、低い声であった。
「とりあえず、意思の疎通はできるのね。貴女はあの子に何の用事なの?」
尋ねると、ニタァと粘着的な嫌らしい笑みを浮かべてゲヒゲヒと笑い始める。
ああ、どうせくだらない理由だろう。そう思った。
「殺して喰う。久しぶりのご馳走、だ」
「はぁ、やれやれ。どうしようもないのね」
「?」
牛が首を傾げた。
たかだが牛の妖怪如きが私の遊び相手を奪うなんて馬鹿馬鹿しい。
「私は比那名居 天子!あの人間は私の友人!つまり、あの子を襲うという事は私に喧嘩を売っているということ!さぁ―――」
非想の剣を地面に突き刺して立っていられない程の地震を起こす。
予想通り、牛の妖怪は二本足でいられずに倒れ地面に四本の足を付いた。
「選べ!兎のごとく逃げ帰るか、それともここで大地の贄になり果てて朽ちて死ぬのかを!」
「ひ――っ」
そのまま家畜のごとく、猪みたいに逃げて行った。
「ふん、ざまぁみなさい」
いい気味だ。私の眼の間でそんなつまらない事をさせるはずがないじゃない。
「さぁて、あの子はどこ行ったのかな」
追いかける。少女の姿が消えた森の陰りの先に自分も突き進む。
その先に広がるような歩道があった。
そんな光景が目に浮かんだのに、実際は違った。
歩道に覆いかぶさるように無数の岩が転がって先を塞いでいた。
「え、もしかして」
上空から見下ろしてみると岩山は二十メートルぐらい先まで塞いでいた。
その先にはあの子は居ない。
もしかして、いや、だけど。
「……見失ったのよね、そうね。そうに決まってるわ。そうじゃないと困るもの」
その先へ進み、しかし少女の姿はついに見つからなかった。
そして。私は……。
眼も塞いで耳も閉ざして、心に蓋をして。何事もなかったかのように私は天界へと帰った。
ただ心臓が五月蠅くて、眠れない夜になったのだった。それだけだった。それだけのいつもと変わらない日常として、私は次の日を迎えてしまったのだった。
――――。
カタン、と硬質な音が響いた。
白い景色を刀身に映した刀の鞘が床に落ちた音だった。
「天子さんがなんで、この刀をくれたのか分かりました。そういうことなんですね?」
そういうこと。
つまり、天子は沙月に殺されてもいいという事実。
「…ふざけないで!アナタ、命をなんでそんな簡単に扱えるのよぉ…」
沙月が崩れ落ちるかのように地面に腰を下ろす。
「それでいいのです。殺生は罪悪に値する。真に悪いのは命を奪い、さらにその手を朱に染めさせようとした天人が悪いのですから」
閻魔が偉そうに講釈を沙月に投げかける。
だけど、沙月はそんな言葉にさえも答えなかった。
こんなに泣きたい気持ちは久しぶりで、だけど私は泣いてはいけない。だって、まだ続きがあるのだから――。
「閻魔!あの死神をここに呼びなさい!そして、私の命と引き換えに沙月は蘇らせなさいよ!」
閻魔は首を横に振り、眼を細めて私を蔑視する。
「なにを馬鹿な…。そんなことができるはずがない」
私は知っている。
あの死神にはそんなことさえ出来る事を。
「いえ、出来る筈よ。本人に聞けば良いじゃないの!」
「…ふー。死者を蘇生させることは禁じられています。もし、蘇生をさせたのなら以降は不幸がその身に降り注ぎ、百年の苦しい時を過ごすことになるでしょう。それに、貴女は寿命が切れている、そんな者の命とまだこれから全うすべき寿命を持った人間は等価値ではありません。つまり、蘇生させられないのですよ」
「だったら、閻魔なら蘇生ぐらいできるでしょ!?」
「それは…」
閻魔が口ごもる。やっぱり彼女は蘇生ができるのだ。
「沙月を蘇させられるなら、私はなんでもするわ」
そして、私は幽々子の家で沙月がしていたように指をついて床に額を落とす。
「お願いします」
「面を上げなさい」
厳かに、だけど疲れたような口調で閻魔はさらに言葉を紡いだ。
「傲慢な天人がまさか土下座をするとは思わなかったです。どれだけの気持ちでここに来たのかわかりました。―――が、罪は罪。死者は輪廻の輪へ。これが摂理。貴女は季節が冬なのに夏にしろとそんな自然の成り行きを曲解させようとしています。蘇生は、しない。させないのです」
「だけど、貴女は蘇生が出来るってことでしょ!」
「……貴女は私の話を聞いてなかったのですか?」
まるで子供を諭すかのように閻魔は話し始める。
「死なせてしまったのはどうしようもない、取り返しのつかないことです。だからこそ、罪があり罰がある。沙月にはこの後に地獄へ向かってもらい、魂の修行を行って来世へ旅立ってもらいます。そして、貴女は此処で裁かれる。これが自然。いいですか?つまり、」
「ふっ、閻魔って馬鹿なのね」
彼女の言葉を遮って、分かっていないみたいだからもう一度教えてあげる。
「あんたの方が私の話を聞いてなかったんじゃないの?私はこう言ったの、よ!」
地面に非想の剣を突き刺し、私の立っている場所の大地を盛り上げて閻魔と同じ高さまで上り詰める。
「沙月を蘇させられるなら、私はなんでもする、と!」
「愚かな…。良いでしょう、その愚行、悔やむと良いでしょう、――小町」
「はいはーい」
呑気な声が、すぐ耳元で囁かれた。
「っう!?」
背中に雷が走った。気づけば視界は白い床にもの凄い速さで向かっていく。
ぐしゃり、と伸ばした右手の五本の指がひしゃげて、真っ赤に染まり、白い骨を中から飛び出させていた。
「ぁっ――ぅーーーあ、ぁあ。………はぁ、すー、はぁ。よし」
パキ、ぽき。ぽきん、コキイッ。
静かになった室内に木霊する。私が一本一本伸ばして、関節につなぎ合わせている音が。
「ふぅーー。おまたせ、悪いわね。じゃあ始めましょう。私が閻魔を屈伏させて沙月を蘇生させる戦いを」
なんとか形になった手をぶら下げて、閻魔とさっき私が作った土台に胡坐をかいてその膝の上に頬杖をついている死神に告げる。
と、そんな二人の背後から地底の妖怪が無言で近寄ってきた。
「なによ?」
さとりは私の前で立ち止まり、そして二回頷いて沙月の方へ近寄って行った。
「こうして話すのは初めてね。喋らなくて良いわ。この刀、少し借りるわ」
落ちていた鞘を拾い、刃を納めて、私をその第三の眼で見つめた。
「ここには嘘つきがいるわ」
それだけ告げて、黙りこむ。……で?
「それがどうかしたの?」
「いえ、今は説明できないわ。だけど、貴女は嘘が一つもなかった。素直に貴女の心は悲壮でありながらも迷いがなかった。さっきまでの言葉に嘘はない。私はそれだけの事に価値を見出したわ」
………うーん。言ってる意味が全然わからない。
「つまり、どういうことなの?」
尋ねると、嫌な顔をするでもなく、馬鹿にするでもなく彼女は、さとりは。
「つまり、私があの死神を引き受けるからさっさと閻魔様なんかギッタギタにやっちまえ、ってことよ」
そう言って静かに笑った。
信じられない。さっきまでの閻魔とのやり取りを聞いてなかったの?
「なんで?悪いのは私で、こんな私をどうして助けてくれるの…?」
「だって、悔しいじゃない。一生懸命頑張っても否定されるのが。私にはソレが酷く堪らないの。だから――よ」
室内に更なる事が響いた。
「妖夢!」
「ハイ、なんでしょうか?」
いつのまにか幽々子の隣に妖夢が居た。そして、その足元に少女が眠っていた。よくよく見るとそれは沙月と同じ顔で似たような体型でもあった。
幽々子が扇子の先端を死神に向けた。
「修行よ。死神を斬り裂いてきなさい」
「わかりました」
迷いもなく妖夢は断言し、体を低く構えて足に力を込めた。
瞬間。
妖夢の体が霞み、次に金属と金属がぶつかり合う音がして、気づけば一瞬の内に死神と妖夢が切り結んでいた。
何十もの金属音が響く中。
閻魔がさとりを問いただす。
「罪人に加担するのであれば貴女も共犯。覚悟は出来ていますね?」
「ええ。貴女を倒し、その罪と罰。踏み倒していく覚悟は出来ているわ」
「勝手な…っ、良いでしょう!さぁ、古明地 さとり、比那名居 天子両名の裁判を行う!判決は」
高らかに宣言される言葉が突如、真っ赤に辺りを照らす太陽に飲み込まれていった。閻魔も避ける暇もなかった。
「”爆符”ギガフレア――!」
遅れて、バサバサと大きく烏が羽ばたいたかのよな異音がした。
「お前誰だー!私のさとり様に裁判!?ふざけないで頂戴!そんなこと許さないわ!」
右手に棒を突っ込んで背中に大きな鴉の羽を生やした少女がいた。
その背後に赤いドレスのような服の少女と真っ白な長髪をなびかせた少女の姿があった。
「お空、貴女なんでここに…?」
「えへへ。妹紅に案内してもらったのー」
嬉しそうにお空と呼ばれた少女が答えた。
便乗して、赤いドレスの少女がやれやれと口を開いた。
「今のってどう見てもよく見ても思い返して見ても閻魔様だよねぇ。あたしはたまーにお空がもの凄い大物に思えるんだけどねぇ。ああ、あとさとり様、お迎えにあがりましたって感じです」
「お燐まで……貴方達、なんて事をしてくれたの」
「!―――アレフガギ”符爆”」
奇奇怪怪な雄たけびと共に、先ほどの炎玉がこちらに飛んできた。あれは、どんな威力なのか想像もつかない。炎で炎を燃やし、煮詰めたかのような弾だった。
咄嗟に地面に剣を突き刺し、壁を作る。
「はっ――」
よりも早く、白い長髪の少女が炎の弾に飛び込んで行った。
少女を中心に火柱が空に立ち上っていく。
「なんて、そんな!」
さとりが驚きの余り声を漏らすが、お燐は「大丈夫だよー」と呑気な口調だった。
「だって妹紅のお姉さん。お空の究極のエネルギーが一切効かないもの」
「そんな人間がいるわけ、」
「あるんだよ。ははっ、たかがたか数百年の人生で全てを見てきたなんて思うなよ」
火柱の中に見える黒い人影が気軽な口調で言葉を返してきて、さらにさとりを驚愕させた。
っていうか、私も吃驚だ。
なんなんだだろう?炎を操る妖怪?いや、そんなものじゃあ逆に融かされ飲み込まれるだろう。
柱を消し飛ばすかのように大きな翼が羽ばたいた。それは真っ赤な翼。
背中から炎の翼を生やして少女はやっぱりさっきと変わらないように笑った。
「私は良いが、お空は黙って見てて。閻魔は相手を映して移す鏡を持つ。それにお空が選ばれたなら厄介極まりないからね」
「でも!妹紅、そいつはさとり様に酷い事を――」
「良いのよ、お空。私が好きでやってること、それは悪い事だから。さぁ、お燐もさがってなさい」
さとりがお空とお燐の頭を撫でて、優しく笑いかける。
二人は「でも」と、しかし二の句を告げなくなる。
「”死符”死者選別の鎌」
上空から赤い斬撃が妖夢を床に叩きつけ、妖夢は転がってすかさず起き上がり、ふたたび刀を構えた。
「あああああああああああああああああああああああああっ!―――っ!!」
大きく叫び、呼吸を吐ききって妖夢は死神に神速で斬りかかった。
速さを求めるあまり、体に負担がかかる戦法をとっているのだけど、死神は刀を受けて、クン、と妖夢の勢いをいとも容易く受け流して拳を妖夢の頬に叩きつけた。
「弱い弱いっ!妖忌はそんなもんじゃなかったよ!なんだい――、お前本当に半人前なんだな」
縄が千切れた音がしたような気がした。
「うるさぁぁいぃ!!」
私が見ても分かる。
妖夢はあの死神に遊ばれているようなものだ。それぐらいに互いの力量に差があった。
いや、死神の力量が高すぎるのだ。妖夢の雷のような速さの斬撃を受け流し、そのまま体勢を崩させて殴る。あの鎌を一度も攻撃として使っていない。
それがどんな意味を持っているのか、恐らく妖夢は理解している。
だからこそ、憤りばかりが先へ先へと急いでしまっている。
「おい、天人。人の心配はいいから自分の心配しな」
妹紅が四枚の符を宙に配置する。
瞬間、青白いレーザーが何もない空間から現れ、符がバチバチと青い電撃を放ってレーザーを食い止める。
「そうですよ。私の相手はもともと、あの死神。剣士の少女は私に任せて天子、あなたは閻魔様の相手をするべきね」
さとりが手に持っていた刀を腰に差した。
「さとり様、戦いは苦手なんでしょ!お空じゃなくてあたいなら」
「そうね。お燐が心配するのも分かるわ。確かに戦うのは苦手。弾幕ごっこも好きだけど相手の心象を写すだけで得意とも言い切れない」
「だったら!」
くす、とさとりが静かに笑った。それは今までの柔らかい笑みとは異なった、まるで冬のような冷たさを内包した笑いだった。
「でもね。心を潰すのだけは得意なのよ。さぁ、お空。それにお燐。貴女達はあの少女を守りなさい」
示した先には苦しそうに顔を歪めている沙月が居た。
二人はすぐに沙月の前に立ち、身構え始めた。
「これで心配事は消えた?そう、なら良いの。じゃあ精一杯頑張ってね。―――”想起”迷津慈航斬ッ!」
さとりは刀を上段に構え、巨大な刀を作る。先が見えないぐらいの長さを持った青白くてまるで塔のような刀だった。
そしてそれを豪快に振り下ろす。その先には死神が絶句して硬直していた。
「な、なんでさとりが妖忌の剣術を!?」
初めて死神の余裕の笑みが消えた。
巨大な刀が空も地面も砕き斬り潰すが死神は戸惑いながらもしっかり避けて、だけどさとりに声を荒げた。
「あんた、まさか私の心をっが!!」
「小町さんの相手は私ですよ!!」
刀で斬るでもなく、妖夢は死神の頬に拳をめり当て、引っ張る様に地面に叩きつけた。
「さっきの仕返しです!さぁ、覚悟しろ!!」
「ぐっ、上等……っ!」
そうして、さとりは緩やかに。妖夢は激しく動き始めた。
「藤原妹紅。貴女には一生縁のない場所だと思っていたのですが、今日は珍しいことばかりですね」
服を焦がしただけで閻魔は平然と変わらない口調で現れた。
「ああ、まったく貴女になんか会いたくなかったよ」
「それはこちらも同じこと。死に携わる者として貴方達蓬莱人は禁忌にも等しい。ですが、いずれ八意 永琳を含め、貴女達を断罪しに行くつもりでした。なら、今日ここで貴女を仕留めるのもまた自然。天人に蓬莱人、貴女達の罪を裁きましょう」
魂魄 妖夢はいつだって悩んでいた。
幽々子様に半人前と呼ばれたり、紫様にまだまだね、と言われたり。
もしくは、妖忌という単語が出て来た時に。
師匠の強さが異常だと気付いたのは地霊の異変以降だった。
紫様は楽しそうに語ってくれた。
―――幽々子には内緒にね、と前置きを告げてから。
「妖忌は人間の時はあんまり強くなかったのよ。ただ単純に足が速い程度の人間だった。最初はね、幽々子の傍にいることを許された少女だと思っていたわ。だけど、違ったの。あの眼はね、きっと幽々子に会いにきた私を妖怪だからと信じられず、幽々子を守ろうとずっと傍にいたのよ。だからある日、邪魔だから消してあげようと思ったのよ。ほら、私が言うのもなんだけど、私みたいなどうしようもない妖怪や死神にまで目を付けられる程の能力を持った幽々子に付き合いきれるはずがない、と」
で、紫様はどうしたんですか――?
「勿論、完膚なきまでに叩き潰したわよ。髪の毛から足のつま先、心の付け根から脳みその奥底までね。少しの自尊心さえも許さない程に私は虐めて潰したわ。……つもりだったんだけどねぇ。次の日にまた幽々子の傍に居た。痛々しい包帯を巻いてね。その日は何事もなく私も幽々子も終えて、妖忌も何事もなかったかのように過ごしたわ。ただ一つ変わったと言えば刀。青桜剣を腰に差していたわ。面白いと思って一日も経たずにまた挑発したわ。ただの刀じゃないのは目に見えて分かったし、それに妖忌の顔つきも変わっていた。少しだけ私を信じていたのでしょう、まるで裏切られたかのように憔悴しきった顔だったの。だけど妖忌は挑発に乗らなかったわ」
『……今の私じゃあお前を殺せない。いや、たとえ殺せたとしてもこの青桜剣。神を斬れる刀のお陰だろう――。ならば昨日の痛みを忘れずに、強くなろう。私の技量のみでお前に勝てると思った時、私の相手をしろ』
「あの時、妖忌に味方はいなかったのよ。幽々子も私に付きっきりでね、まぁその分妖忌も幽々子を狙った妖怪を退治するのに専念できたから逆に良かったのね。それに比べ、妖夢。貴女は妖忌に似ていて真面目だけど必死さが足りない。分かる?妖忌はいつか自分よりも強い妖怪が襲って来て幽々子を死なせてしまうような環境に身を置いていた。一日でも強くならなければいけなかったのよ。ただそんな抽象的な目的では疲れてしまう。だから妖忌は私を当面の目的として強くなり、彼女はその宣言通り己の技量だけで私に打ち勝った。たった二年でね」
紫様はまるで親が自分の子を見るかのように愛おしさを滲ませた表情を浮かべていた。
ああ、師匠は幽々子様にだけではなく紫様にも慕われていた事を私は知った。
私の知る八雲 紫は胡散臭くて面倒で傍迷惑で近寄りがたい存在だった。それが急に身近に感じられた。
接点が師匠だという事に、驚きも隠せなかった。
「妖夢が努力しているのは知っているわ。だけど私たちはそれ以上に努力をした妖忌の事を知っているからどうしても半人前と見てしまう。妖夢にはそれは劣等感として植え付けてしまったのかもしれないわ。まぁ、幽々子は半人前とわざと煽って劣等感に打ち勝って欲しいみたいだけどね。昔から幽々子は身内に対して厳しいのよねぇー」
話は終わり、と紫様は隙間に身を躍らせて上半身だけ見える形になった。
その話を聞いて分かったことは二つ。
紫様は私を激励してくれたということ。そして。
「さっきの話ですが、紫様はわざと師匠に喧嘩を売ったのですね。そんなんじゃあ幽々子は守れないと教える為に」
いつもの胡散臭い笑みじゃない、綺麗な笑みで紫様は首を横に振った。
「さぁ?私は単純に妖忌を殺そうとした。ただ結果がそうだっただけであって今となっては真相は分からないわねぇ。それじゃあ、ごきげんよう」
颯爽と去って行き、隙間が閉じてしまった。
紫様は師匠の強さの過程を知っていた。私も知りたかった。
そうして、昔の蔵を探す一方、紫様との会話を何度も反芻していた。
―――ほら、私が言うのもなんだけど、私みたいなどうしようもない妖怪や死神にまで目を付けられる程の能力を持った幽々子に付き合いきれるはずがない。
死神とは誰のこと?私の知る死神は小町さんしかいない。小町さんは師匠の事を知っているの?
知っているのであれば、話を聞き、師匠の技や思想を知りたいと考えていた。
少しでも師匠のようになりたかった。
……―――――。
だから、小町さんが驚いたように私も驚いた。
あれは―――”断迷剣”迷津慈航斬ッ!?
なんであの妖怪が私と、いや私の剣よりも大きい―――。
まさか、師匠の剣!?
『下って見ていなさい』
ゆったりと私の隣を通り過ぎる際に彼女はそう呟いた。
さとりと呼ばれた少女は刀を振るった。
まるで眼前に刀があるかのように小町さんは鎌を盾にするような仕草をして、金属同士の悲鳴が轟いた。
「はっ、あはははっ、ひゃっははははははははははあははあはははははあっははっっはぁ!!!」
狂ったように小町さんが口の端を吊り上げて笑って鎌を容赦なく振るう。
無数の鎌いたちがさとりへと向かう一方、大きく鎌を頭上に構えて振り下ろした。
「まさか妖忌と再び戦えるなんてねぇ!いやいや、天子の傍に近寄った時にすぐ斬らなくて正解だったよ!!」
ちぃん、と澄んだ音が鎌いたちを両断し、頭上から迫る巨大な斬撃を両断し、四つに切り分け、八つに分散し、三十六の立ち筋で霧散させる。
そして、刀を鞘に収めた。
「”居会い”弧円抜き」
丸い斬撃が壁と天井を綺麗に”抜いて”いく。天井から幾つもの丸い白の瓦礫が小町さんに降り注ぐ。
「はっ、こんなもん避けるまでないね」
「”居会い”月突き」
なにをしたのか見えなかった、たださとりの右手が刀を掴んだと思ったらすぐに離した。そう私には見えたのに。
上空から落ちてくる、無数の瓦礫がさらに細かく、だけど人の頭ほどの大きさを保った瓦礫は雨のように成り替わった。
「マジかよ!ははっやっぱり凄いよ!!」
鎌を両手で持って回しながら頭上に掲げる。
ガッガガガガガガガガガ―――。
粉砕音が奏であう、だけど一連の攻撃はあくまで囮だと気付き顔色を変えた。
「”天星剣”涅槃寂静の如し」
さとりの姿が消えた。
私はあのスペルを知っている。ならば、すでに小町さんに刀が届く。
「はっ!」
だけど、さとりの姿は小町さんとの中間ぐらいに飛びかかっている状態だった。
「大したもんだ!私の距離を操るっ!?」
「愚かな」
静かに油断を断ち切る声。瞬間、さとりは体勢も整えずに刀を鞘から抜いたのだった。
右腹部から左肩まで小町さんは切り裂かれた。
「そんなバカな、私の永遠にも等しく伸ばした距離を走破した!?」
「スペルを破ったからと言って油断は禁物。知ってるでしょう?これは貴女のトラウマ。魂魄 妖忌は足が速いだけの人間だけど、それは幻想郷の果てまでも一瞬で走破するレベルまで昇華されていることを」
「くっ、そんな身体までも真似できるのかい…?」
「……」
膝をついて倒れかける小町さんを背にしてさとりは戻ってきた。
「あなたは一体…?本当に師匠の真似が」
「できるわけないわ」
あっさりと私と小町さんの意見は切り捨てられた。
「私はあくまで相手の心象を再現するだけ。あれはね、あの死神が昔、ああやって距離を操る能力を走破されたという悪夢なの。だから実際は走破されたと思っていても、距離なんて操ってなかったのよ。だって、そうでしょ?破られると分かっているものをどうして同じ過ちを繰り返す?とはいえ、そんな本心にも気付けないから破られたと認識したのよ。そもそも能力なんて本人が使った気でも使ってなければ破られたかのように思えるでしょ?わたしは心が読める。ゆえにさとり、と名乗っているの」
「でも、貴女は途中で足を止めたかのようになったじゃないですか?」
「だから、そういう心象で私が合わせたのよ。彼女はね、距離を操るとうい能力に頼り切っていて魂魄 妖忌に昔負けた。それからは自分の技量を高める為に修行を重ねていたのよ。その報復の機会が今日だったということ」
「待った!!」
小町さんの叫び声が響いた。
さとりが振り返り、刀に手を添える。
「まだやるの?」
「やるさ、……だけど」
チラっと視線を反らして、彼女は沙月を見た。
「今日は止めとくよ。っていうか、あたしはまだ妖忌に負けた事を引き摺っているのかぁ!くそー」
「あら、意外とあっさり引くのね。本心ではもっと戦いたいと思っているのに」
確かにいつも飄々とした小町さんがあれだけ感情を露わにしていたのに、やけにあっさりとしていると感じた。
「さとりは映姫様の心と幽々子さんの心もすでに読んだんだろう?じゃあ、私としては与えられた役割しかするつもりがない。まぁ、映姫様はまだ気づいていないからあんなマジになってるけどさ」
「教えてあげなさいよぉ。まぁ良いんですがね」
……?
まるっきり言っている意味が分からない。
「えー、つまりどういうことですか?」
キョトン、とさとりに小町さんは眼を丸くして顔を見合わせ、プッと噴き出した。
「ふ、ふ。……こほん。いずれ分かる事です。いえ、貴女は恐らく一番真相に近かった、故に気付けないのです。とまぁ、謎掛けは終わりです」
「あー、それにしても本当にさとり今度戦おうよ」
「良いですけど…、地底に来て問答無用で敵意のある者たちを切り刻まないで下さいね?」
「やっぱりばれてたか。分かったよ、それにさとりのペットにも手を出さないと誓うよ」
「そうして下さい。貴女が本気になって、時間を距離と見たてて光よりも早く攻撃を仕掛けてきたならまず勝てるものは限られてしまいますから」
「ん。分かったけど奥の手まで読まないでー」
いやー、と両手を盾にしてさとりの視線から逃れようとするフリをし始めた。
なんだか急にホッと気が抜けてきた。
だけど気を抜く前にやるべき事があった。
「さとりさん。私にも小町さんと戦う時に師匠の技を見せてくださいね」
「ええ、わかりました」
師匠はやっぱり強いらしい。
だけども、紫様との会話を思い出す。当面はこの二人に勝てるようにしよう。
師匠より強くなんて途方もない、まるで雲を掴むような話に違いない。
少なくとも二人のやり取りを見ていてそう感じたのだった。少しだけ心が晴れ渡っていくのがわかった。
閻魔の隣に白い私がいた。
「天子、一度貴女は自分と向き合うべきです。そして罪を自覚しなさい。本来天人とは高貴でありながらも地上の民に知恵と力を貸す存在でした。しかし、今や妖怪と人間の拮抗が取れてしまっている以上はそんな役目さえ覚えている者はいないでしょうね」
まるで説教。
襲いかかる白い私を尻目に閻魔はさらに言葉を続ける。
「そもそも天に近い場所で住む者は地上に住む者よりも優れている。その理由は何故か分かりますか?」
問いかけられても困る。
真っ白な非想の剣を捌きながら、地面から盛り上がり、襲いかかる岩弾を後退して避けていく。
しかし、私ならそこで追撃をしてくる。
「っ!」
予想通り、突っ込んできた私の懐に入り、身を当てる。
吹き飛び、たけど私はそれぐらいじゃあ倒れない。これもまた予想通りに何事もなく立ち上がる。
だって自分の事だから次に何するのかぐらいは手に取る様に分かる。
「天に近く、神々の恩恵を得られる高さに住んでいるからさ」
嵐のようにレーザーと雷が降り注ぐ渦中で妹紅が叫ぶようにはっきりと答えた。
よくあれだけの攻撃を避けながら喋れるものだと思う。
「……はぁ。貴女はやはり罪を自覚し、罰を受けたのですか。それは貴女の罰を弾幕にしたもの。それだけ避けられるのなら貴女はあの月人達とは違うのでしょう。しかし、私直々に裁定を下してみましょう」
「スレプ闢開地天”石要”」
上空から巨大な要石が落ちてくる。
「っ、あれ私はどこ!?」
とんちが聞いた叫びだと思った。
いや、そんなこと気にしてる暇なくて。
「剣の楽後憂先”震地”」
地に着いた足が揺らされ、つい膝を屈してしまった。
っっ、石が落ちて―――!
ふと、前方でニヤリと笑った気配があった。
白い私は非想の剣を片手で器用に回している。それも赤い気質を纏って。
「!天想緋の類人全」
嘲笑うかのように私は私を見下して、回している剣の先端を私に向けて。
あ、視界の上隅がもう暗い。岩が落ちて。
なんて反則っ!
視界が赤く染まった。後に衝撃が全身を包みこむ。そして、首がゴキリと嫌な音を立てて真っ赤な世界は傾いて暗澹に包まれた。
天人が倒れたのを確認してだろう。
閻魔は妹紅に向き合う。
「たとえ強い人でも己の技をああも立て続けに受ければ立つ瀬がありませんね。そして、あれが傲慢な天人の気質だったのです。故に決着も自分に笑われて終わる。さて、貴女に関しては」
クイクイ、と妹紅は人差し指の首をもたげて天子を示した。
そこには白い天子と大きな岩だけがある。
「……あれがなにか?」
「いや、あれ見て思ったんだが沙月の体を見て閻魔様は変に感じないのか?」
「……いえ?」
そう、か。
真実を見抜く閻魔の眼も節穴だったのか。
だから、妹紅は事実を指摘する。
「あの沙月の体、あんな大岩に潰された割には綺麗すぎると思わない?」
どう見ても潰されているようには見えない。
「運が良かったのでしょう。いえ、死んでしまったのだから運は悪いのでしょうか?」
何を寝ぼけたことを言っているのか、妹紅には分からなかった。
じゃあ、なんで沙月は岩に潰されていなければなんで死んでいる?
「……沙月は不治の病で心臓が弱かったと聞いています。さとりは沙月が心臓の薬を飲んでいる所を見てないと言った。なら、山に登り心臓がいつもより動いている最中、突然岩が降ってくれば驚きで心臓が止まることもあり得る。現に彼女は死んでいます。それが事実なのです」
言われてみれば確かに…。
昔よく私が代わりに永遠亭に連れて行った覚えがある。
永琳に症状を聞いても難しい顔をするだけだったので詳しくは聞かなかった。
もし、それが本当ならなるほど。納得が出来る。
「さて、……沙月?」
閻魔が戸惑いを漏らす。
天子を潰した要石にゆっくりと近寄っていく。
何をするつもりなのか?
お燐にお空も何をするのか予想もできないらしく、沙月の後ろについて行くだけだった。
……泣き声が聞こえる。小さな小さな嗚咽が何処からか聞こえる。
そういえば私もよく泣いていたなぁ。ちょうど、沙月と同じぐらいの時に…。
もしかしたら泣いているのは沙月?
だったら嬉しいなぁ、と思った。恐らくこのまま寝むれば死ねるでしょう。
そうしたら沙月への罪滅ぼしになるのでは?と考えが過る。
あー、私が死んだら……。
「……子さん……っう…。もう、……誰も」
―――居なくならないで。
………。
『ふざけないで!アナタ、命をなんでそんな簡単に扱えるのよぉ…』
泣き顔が浮かぶ。
右手に力が入らない。だから私は剣を左手に持っている。
全身が痛い。だけど一番痛いのは心臓よりも深い場所にある心だ。
痛いのも苦しいのも嫌い…、だけど私が馬鹿でそのせいで沙月を泣かせるのは何よりも痛くて苦しい!
静かに地面を割る。
もぐらのように地中を突き進み、恐らく白い私が居る背後へ私は飛び出す。
「っ」
私の振るった剣と白い私の白い剣がぶつかり合う。だけど、相手は利き腕。そして私は左腕。力の入りようが違い、押し負けるのは必至。
ならば。
「っっ!?」
白い私が驚きで瞬きをした。
だって白い剣の振りぬくままに私は剣を手放したのだから。恐らく宙で回転しながら飛んで行く剣を無視して、白い私の両肩に飛びかかる。
さっきの見下して嘲笑した自分の顔を思い出す。なんて傲慢な顔だったんだ。
我ながらに嫌な顔をするものね。
だけどあれはいつもの私だったんだ。沙月を死なせてしまった時、私もきっとあんな表情を浮かべていたんだ。
それが酷く堪らない!私にあれが私だったなんて事実が胸に突き刺さって苦しめる!
だけど――。
「貴女は私!もうあんな顔は絶対にさせない、しないわ!だから」
頭を振りかぶる。
白い私は何をするでもなくただ眼を開いているだけだった。
額に激しい衝撃が襲う。しかし、白い私の方が痛い目をみたはず。
「さよなら、私」
白い靄になって私が消えたのを確認すると私の世界はグニャリとねじ曲がり一点に収束していく。やがては全てが暗転した。
だけど私はそう悪い気分でもなかったのだ。
「さて、じゃあ沙月帰りましょうか」
天子が倒れ、閻魔様に妹紅がじゃあ蘇生させるのか、いやさせませんと話をし始めたところ、もしくはさとりと小町が次に会う算段を決めていたところだった。
今まで黙視していた幽々子が拍手を打ち鳴らし、沙月に告げた。
「………何処に、ですか?」
ぺたり、と座り込んでいる少女が泣きはらした目で問いかける。
そして、何でもないかのように幽々子は「勿論。あなたの体へ」と呟いた。
なにを、と喋る間もなく沙月の姿が薄れていく。
同時にいち早く幽々子の行いに気付いた閻魔が叫び声をあげた。
「反魂!?やめなさい、それは世界に反する!それに貴女は今まで二度も反魂に失敗している!これ以上半人半霊なんて半端な存在を作ってはいけない!」
誰も閻魔の言葉を理解しようと、体を硬直させる。
その一秒二秒の間に幽々子の手にひらから紫色の蝶が一匹、飛び立ち横たわっている沙月の体に入り込んで行った。
「反魂蝶…、閻魔様。私は今まで妖忌に妖夢と禁忌を犯してきた。妖忌に関しては間違えだけど妖夢の蘇生に関しては成功でしたわ」
「成功…?半人半霊を成功と言ったのか!?西行寺 幽々子、貴女はどれだけのことをしているのか分かっているのか!?」
「ええ、幽霊として私に仕えて欲しい反面、人として死を迎えて欲しいと思ってのこと。だって、そうでしょ?生きてるという素晴らしさを知らずして死を恐れるはずがない。それでは妖夢が可哀そうですもの。だけど沙月は大丈夫。ちゃんと蘇生させたわ」
「……この先幾つもの試練が待ち構えることになりますよ?それだけの、世界の秩序を乱したのですから相応の因果を覚悟しなさい」
もう何も語ることのないと言わんばかり閻魔は顔を背ける。
その閻魔の肩に小町がいつのまに背後に居て、手を軽く置いた。
「蘇ったのなら仕方ありませんよ。これから見届けましょう、沙月の行く末を。映姫様のした約束はまだこれからですって」
「………はぁ、そうですね。仕方ありません。…だけど沙月に申し訳ないですね」
「え、なんでですか?」
「私たちの都合に振り回されて大変だったと思います。後日謝りに行きましょう」
「妖ー夢。沙月を外に出して来てー。生きた人間がここにいること自体負担になってしまうもの」
「わかりました」
来た時と同様に妖夢は沙月を背負い出て行った。
「お空、それにお燐。天子さんを連れて一緒に行ってちょうだい」
言われた通りに猫と鴉も妖夢の後を追っていく。
ふわふわと幽々子が閻魔の近くに寄って行く。さとりも同じく。
「それで映姫様もどうしたのー?本来なら、あんな人間一人に深入りするような真似をして」
「そう、それだ。私もそれが疑問に思っていた、それに約束ってなんのこと?」
幽々子と妹紅が疑問をぶつける。
さとりは答えを知っているから黙って、微笑んでいた。
そして、四季映姫・ヤマザナドゥは呆れた風に息を吐いて答えてくれたのだった。
「私はこう言われたのです。『じゃあ沙月の事は頼むぜ。なんたって私の可愛い孫娘だからな。もし沙月に何かあったら』」
どっかて聞いたことのある口調で幽々子が目をパチクリさせて、妹紅が「はぁ~~」と深くため息を吐く。
小町も知らなかったらしく、「え?それってまさか」映姫は気にもせずさらに続きを口にした。
ああ、それかぁ。とため息を誰しもがつく、
もしくは、あの魔法使いとの約束を守るその映姫の律儀さに、だろう。
「『私の魔砲が火を噴くぜ?』と。霧雨 沙月の祖母に脅迫され約束させられたのです」
真相を明かし、幽々子と妹紅は立ち去って行った。
残された閻魔と死神にさとりはボソっと呟いた。
「沙月は死んでいなかったんですね」
閻魔様と死神は眼を丸くして「どういことですか?」と驚きを露わにしつつも問うてきた。
しかし、死神はことの事実を知っている、さとりからすれば白々しくも、やっぱりこの人怖いですね、と内心思ってしまった。
「ええ、つまり事の発端。沙月の死は天人によるものではなく………―――」
「はぁー、疲れましたー。幽々子様、お風呂にお食事どちらを先にすませますか?」
家にたどり着き、妖夢が尋ねてくれた。
ただ今日は妖夢がよく働いてくれたので先にお風呂。ただし先に妖夢が入ること、と告げる。
少しだけ逡巡するもわかりました、と妖夢は風呂場へと向かって長い廊下を進んで行った。
分かれるように私は居間へと向かう。
襖をあけ、卓袱台の中心に置いてある煎餅に手を伸ばす。最後の一枚。
だけど、私が取ろうとするとその一枚はサッとかすめ取られた。
「もー。最後の一枚ぐらいいいじゃないの」
「ははっ、いいじゃん減るもんじゃあるまい」
「いやいやいや、果てしなく明確に減少しているわよ?ついでに私の空腹メーターは倍増中ね」
「そうか」
「そうよ」
あははっ、と昔よく着ていた白と黒の魔女の衣装を纏った若かりし頃の魔理沙がそこには居た。
そして、先端に三日月を模した装飾の長い杖を手に持って立ち上がった。
「沙月を死なせたのは幽々子、お前だろう?」
ぴくり。と眉を動かす。
何故……ばれた?いや、魔理沙が事の真相を知っている?そもそも魔理沙は来世へ向かったのでは?映姫様が嘘をつくはずもない。
魔理沙が幻想郷から消えた事を確認するために沙月に祖母に会いに行きましょうと連れて行ったのに。
「さぁ、なんのことかしら?それになんで私がそんなことをしないといけないの?確かに死なせることはできるけどね」
ニヤリと魔理沙は不敵に笑った。
やっぱり死んでも変わらないものは変わらないものねぇ。
「映姫に、いや閻魔への意趣返しをする為だろう?まぁ、その理由まではさすがに分からないが、沙月を死んだと見せかけて蘇生させるフリをする。もちろん、映姫も阻止しようとするけど阻止できず沙月を蘇生させてしまえば悔しがるだろう?ま、そんなところだろ。さて、本題についてだけども」
「ええ。確かに私と約束したわねぇ。『もし沙月に何かあったら」
魔理沙は杖をぐるりと大きく一回転させる。杖の軌跡に魔法陣が浮かびあがる。
それは昔よく見た八卦炉の紋章。
「私の魔砲が火を噴くぜ!ってなぁぁっ!!」
長い夢を見ていた気がした。
だけど、眼を覚ますとそこはいつもの部屋。しかし、あの賑やかな祖母の姿はない。
静寂が胸に突き刺さり、泣きそうになる。
「ああ……、私は…一人になっちゃった…のね」
寂しさが眼から滲み出てきそうだった。
しかし、すぐに驚きで涙も引っ込んでしまう。
家がガタガタと揺れる。大きな地震だった。
それと同時に叫び声が外から響いて来た。
「ッ馬鹿じゃないの!?天上の桃はそれはそれは高価なもので」
「なにいってるんですか?桃で刀が買えると思っているんですか!これは窃盗!今すぐに吹っ飛ばしてきた店の方に謝ってきてください」
「はぁい!?だっていきなり頭殴ってきたのよ!あり得ないわ!それに桃の何が不満なの!?」
「なんの為にお金が流通していると思っているのです?桃を果物屋に売って得たお金で刀を買えば良かったんじゃないですか?そうすれば私がいきなり泥棒なんて怒鳴られることもなかったのに」
「なにそれ?結局桃で買うってことでしょ!?じゃあ良いじゃないの!大体、この天人たる私からお金を毟り取ろうなんて何様のつもりか問いただしたいわ!」
「天子!貴女、傲慢な態度は取らないと改心したんじゃないの?簡単に覆せるほどに軽い気持ちで思ったのですか?」
「んー、いや意外とねー。天人っていうと便利じゃない?こう、うわーアレが天人かぁ?ていう視線がね?堪らないの?」
「知らないです、聞かないでください、あと死んでください。はぁ、なんでこんな人の為に私は小町さんと戦ったのでしょう?」
「なんだ、そんなことも忘れたの?この私の心意気に打たれたさとりが「じゃあ手伝わせてください」と、ってみぎゃぁぁああぁっ!?眼がぁ!?」
「次は第二関節まで指を抉りこませますよ?」
ああああああっ!?
いいぞー、やれー!
そんな喧騒が賑やかだった。
どこかで聞いた声だな、と思って私は戸をあけると。
人の囲いの中心で二人の少女が賑やかに話をしていた。それは漫才のようで、周囲の人達を笑顔に変えていた。
「ああ!沙月!遊びに来たわ!!」
そう言って天子さんは朗らかに笑いかけてくれたのだった。
あと「特定のキャラ嫌い」ということを明言するのは不必要な自己主張だと思うので消してしまいましょう。
「読むときの注意点」も冒頭の注意書きに加えてしまってはいかがでしょうか。
あと、「適当に~作りました」というのは読む人に対して失礼な表現だと思うのですが。
そうやって私の配慮が足りないとの指摘は素直にありがたいです。
指摘された点はすぐに直し、次からは気をつけさせてもらいますってことでご了承の程を。
PS:妖忌って男だったような? それとも妖忌についての詳しい設定はなかったのだろうか…
東方文花帖・東方求聞史紀に書いてないか読みなおさなければ…("・ω・〝);
あまり説明の無いままに独自の設定を盛り込んでくるのも読みにくさに拍車をかけてます。
・わかりづらいっていうのは書いてて自分でも感じていました。
ただどうすれば良いのか?っていうのがはっきり分かっていなかったので、あやふやのままで書いてしまいました。
的確なアドバイス、ありがとうございますっ!
つまり女性の可能性もありますよ
もしかしたら書籍の方に祖父と書かれているかもしれませんけど……
確かに師匠と先代庭師としか明記されていないですね。
書籍では妖忌について触れられてなかったと思います。
うーん、はっきり分かったら、またレスすることにしますね。
前半は、自分としては面白かったのに後半から誰が何を言ってるのか判りづらいところがちらほら。
天子や沙月、空、燐以外が腹黒くて、良かった。
この面子での別の話が見てみたいなぁ。
あまり信用できないけど、wikipediaでは、妖忌は爺って書いてあるね。
どうしても地の文があれなんでわかりづらい
ところで過去作の続きはまだですか
文章の書き方はこれからいろいろ試していきますので次からはわかりやすく書きたいと思います。
過去作については一回、まとめて改めて投稿させてもらいます。
っとゆうか、過去作のことを言われると胸が痛いです。
読んでもらった方が居る以上は完結させますんで、すみませんでした。