『古明地さとりさん? 聞こえているかな?』
地霊殿の自室でのんびりと酒を飲んでいた古明地さとりは、唐突にそんな言葉を感じ取った。
「えっ?」
最初は誰かが部屋の外にいるのかと思った。
妖怪「覚」である彼女は、心を読む程度の能力を持っている。
それが部屋の外にでもいる人物の心を拾って来たのだと、そう思ったのだ。
「……いない?」
しかし部屋の外を覗いてみても、誰の姿も目に入らない。
『霊夢の話だと、地底にさとり妖怪がいるらしい。おそらくは今、僕の思考はそのさとり妖怪に届いているはずだ』
そんなさとりに、また言葉が聞こえてきた。
ただ、その内容には首をかしげる部分があった。
「霊夢って、いつぞやの巫女かしら? それに、地底にって言ってるから……」
地上の誰かの心を読んでしまっている。
そう考えて、さとりは首を左右に振った。
「ありえないわ」
いくら心を読む程度の能力と言ったって、そんなに遠く離れた相手の心を読むことができるわけがない。
しかしそんなさとりの考えを知らぬ声は、一方的に何かを思い描き始めた。
最早それは、語り始めたと言っても過言ではないほどだ。
『しかしさとり妖怪か。
悟りという字はりっしんべんに吾と書く。
吾には、自身を表す「われ」の意味と、相手を示す「おまえ」の意味がある。自分と相手だ。
これに心を表すりっしんべんがつくことで悟りになる。
つまりは相手と自分の心。
だがりっしんべんは、二つの点を線で区切っている。
これは心と心の間にある境界を表しているのさ。
つまりその境界を飛び越えることができれば、相手の心を見ることができる。
ということは、さとり妖怪の悟るという行為は、形こそ違えど境界を超えているということなのさ。
なら、それを応用すれば外の世界に飛び出すことだって--』
そんな話がしばらく続いて、始まった時と同じように唐突に終わってしまった。
「何だったの……」
さとりとしては茫然とするほかない。
何が起こったのか、誰が起こしたのか。
解ったのは、この心の主が持っている胡散臭い蘊蓄についてのみだった。
その声は、翌日もまた聞こえてきた。
『しかし昨日は失敗してしまったな。
僕としたことが「覚り」と「悟り」を取り違えるなんて』
ちなみにそれが聞こえてきたのはちょうど椅子に座ろうかという瞬間なので、さとりは勢い余って椅子から転げ落ちてしまった。
「わっ……」
「ありゃ、さとり様。大丈夫ですか?」
「え、ええ。大丈夫よ」
ちょうど一緒にいた、ペットであるお燐がすぐさま駆け寄ってきてさとりを立たせる。
ペット相手に間の抜けた様子を晒してしまったことに対する羞恥などは、全てこの心の主にぶつけることにした。
しかしさとりはあくまで「覚」である。読み取ることはできても、こちらから何かを伝えることはできないのだ。
そして、そんな事情に構いもせず、心の主はまた蘊蓄を語り始めた。
『さて、じゃあ「覚り」だけど。
読み通りのさとる、という意味で用いるのは実はおかしいんだ。
さとる、というのはつまり、今まで知らなかったことや解らなかった事に対して気づく、ということ。
けれど妖怪としての「覚」は、人の心を読む妖怪だ。
確かに、その人間の心をそれまで知らなくて、読み取ることによって気づいた、とすれば一応筋は通る。
けれどもそれは「覚」らしくない。
僕はこの「覚」に対して、幻覚や味覚と言った言葉の方に用いられる意味を正しいと思う。
つまりは意識だね。
ありもしない幻を意識する、食べ物の味を意識する。
これらにおける「覚」とは、外から与えられた情報に対する反応としてのものだ。
つまりさとり妖怪は本来心を読むのではなく、相手の心に触れてしまい、それを強く意識してしまっているだけなんだ。
そもそも心というものは身体の中にあるものではないからね。
考えるのは頭だが、想うのは心。
その心は、昨日の通り境界によって線引きがされていて、自分以外のものには触れられないはずなんだ。
ならやはり、さとり妖怪は境界を――』
とまあ、この後もこんな感じに胡散臭い蘊蓄が続いていったのだった。
たださとりがある程度真面目に聞いていたのは最初の方だけで、後は聞き流してしまっていたのだが。
こういう聞く側に興味もないような長話というのは、やたらと眠気を誘うもので、そのまま子守唄代わりにして眠ってしまったのだった。
随分嫌な子守唄ではあるが。
この声は、これからしばらくさとりのもとに届いていた。
何日かすれば、相手の事も少しは解ってくる。
「あきれた話だわ」
一番あきれたのは、この心の主は本当に地上にいるということ。
語られる蘊蓄の中に、思念がどうのという事についての物もあって、その時に読み取ったのだ。
この心の主は、こちら側が心を読んでいるのかどうかを確認する術がないこと。
そして、それでもなお蘊蓄を心の中で想い続けているのだと。
「普段からこんなことばかり考えているような相手なのかしら」
ため息が漏れる。
それは退屈しのぎに退屈な話を聞かされるという今の状態に対してのものだった。
「それとも、蘊蓄を聞いてくれる相手がいなくて寂しいのかしらね」
もう一度、ため息が漏れた。
それからも、蘊蓄は不定期に流れてきた。
『外の世界の式は非常に優秀なんだが――』
「きゃっ」
たとえば湯浴みの最中に聞こえてきて、思わず足を滑らせてしまったり。
『月と太陽の関係には、陰と陽以上に密接な――』
「なによ……」
たとえば昼寝でもしようかと思ったところに聞こえてきて、眠気を飛ばされてしまったり。
『人が神を奉ることについてなんだが――』
「うにゅ? さとりさま、どうかしましたか?」
たとえばペットである空と戯れているところに聞こえてきて、ペットに心配されたり。
そのたびにさとりはため息をつきながらそれを聞いていた。
耳をふさいでも読み取れてしまうのだからしょうがない。
ただ、その蘊蓄には純粋な知識欲や好奇心以外には特に何も感じることがなかった。
直接向かい合えば知りたくないものを読み取ってしまうのだろうけど、そこだけは評価できるとさとりは思っていた。
鬱陶しいといえば鬱陶しいけど、こうも繰り返されていれば慣れるものだ。
地霊殿に引きこもっているさとりには娯楽がとても足りていない。
さとり自身はそこまで意識していたわけではないが、それでも妖怪として適当な娯楽を求めていたのだろうか。
食わずとも死なぬが、辛ければ死ぬ。
精神的なものに左右される妖怪には、やはり何かしらの娯楽が必要なのだろう。
「はあ……」
しかし、そんな風に考え端溜めころに、ぱったりとその声が届かなくなってしまった。
そもそもどうやって地底にまで心を届かせていたのかは、さとりには解らない。
だから、聞こえないし読めない物は気にしてもしょうがないのだが。
「……はあ」
やはりため息を吐いてしまう。
「なんなのよ、もう」
それまで勝手に蘊蓄を零していたくせに、急に零さなくなってしまった。
生活自体はその声が届くまでと同じはずなのに、退屈がどっと増したような気がした。
しかし退屈なのはいつもの事だ。
二、三日もすれば、さとりはまた元の生活に戻っていた。
それまでの蘊蓄も、暇つぶしにはちょうど良かったなあ、位の思い出になっている。
「さとりさまー、はやく、はやく飲みましょう」
「まあ落ち着きなさい」
杯を片手に急かす空をなだめつつ、さとりは封を開ける。
地霊殿を訪れてきたいつぞやの巫女が、土産だと言って置いていった酒だ。
一応味見はしたが、それなりにいい酒だとさとりは思った。
そんな酒の匂いを嗅ぎつけてきたのか、空が杯を持って現れてきて一緒に飲むことになったのだ。
「おお、美味しい」
一口飲んだ空は、そう言ってまた杯に口を付ける。
そんなペットを微笑ましく見守りながら、さとりも杯に口を付けた。
酒が口に入り、舌の上を流れ、喉を通るという絶妙なタイミング。
狙っていたのかと思いたくなるようなタイミングで、その声が復活したのだ。
『桜の木は死者の血を吸って綺麗になると言われているが、実は桜には「純潔」「精神美」という意味があってね――』
「ごふっ!!」
「さとりさま!?」
むせた。
それはそれは盛大にむせた。
『そもそも桜がなぜあんな色なのかというとだね――』
そしてそんなさとりの事情も知らずに蘊蓄を語り始める声。
「もう、なんなのよ」
それが腹立たしくて、同時になんだかとてもおかしかった。
懐かしさを感じるほどには旧くないし、煩わしさなどとうに過ぎ去ってしまっていた。
奇妙な感情が混ざり合って、いろいろ可笑しくなってきて、最終的にはクスリと笑みを零した。
「うにゅ?」
空が不思議そうにこちらを見ている。
「ああ、いいの。気にしないで」
そう言って、さとりはこの迷惑な声を聞きながら杯を傾けた。
退屈しのぎにしては少し退屈だが、まあちょうどいいかなあ、と。
酒を飲みながら考えていた。
良い雰囲気のお話でした。
あぁ、何で地上のを聞き取れるのか説明がないからか、納得
個人的解釈ですが、色々抜けている気がして、足りない感じでした。故にこの点数
話の面白さを見れば、これは百点に思えた
なので百点を
九十八点、というのが付けれるならば、九十八点なのだが
これで「どうやって」もさりげなく読み取らせることができればさらに面白いかと
なきがした
彼の薀蓄が一方的に聞こえてきて、
困ったり馴染んだりするさとりんがかわゆけれよかろうなのだァー!!