このお話は作品集82「探し物は何ですか」、作品集84「見つけにくい物ですか」の
続編です。予めご了承下さい。
「グッモーニン探偵さん。貴方が私の依頼を請けてくれるの?」
「……請けるも何も、僕は探偵じゃないんだが」
僕の目の前、カウンターの上で座り込む少女にそう告げると、不思議そうに首を傾げた。
時は遡ること一時間前。
起床し顔を洗い歯を磨き、朝食を取ってから店を開ける。開店時間は朝七時。健康的な生活ができるから早めの時間にしたが、実際そんな早い時間に客は来ないので大抵は一人で暫く読書に勤しむことになる。
ところがここ最近は、開店直後に来客があるようになった。
毎日のようにここ香霖堂を訪れるナズーリン。僕の期待を裏切らず、彼女は今日もやって来た。
「やぁ店主。ご機嫌は如何かな?」
「いつも通り。強いて言うなら、読書を邪魔されたことで少し気分を害したかな」
「おお、つれない言葉だ。折角のお客様だぞ、世辞の一つでも覚えたらどうだ」
「君はお客様じゃないだろうが」
僕は苦笑する。全く、どの口がお客様だなんて言っているんだ。ただ茶を飲みに来て愚痴って帰るだけの奴は客とは言わないぞ。
それでも、彼女が来るとどこか安心してしまう自分がいる。きっと彼女の来訪が、もう生活の一部として組み込まれているからだろう。どんなに面倒なことでも、習慣化すればなくてはならないものになるのだ。
あるいは、彼女との会話が純粋に楽しいからなのかもしれない。時々謎掛けのような物言いをすることもあるが、それは寧ろ僕の凝り固まった思考を程良く解してくれる。柔軟になった頭を駆使して交わす会話はとても心地良いものだ。
つまり僕は対等な話し相手に飢えていたのだ。霊夢や魔理沙相手では、大抵の場合僕の考えを披露するだけに終わってしまう。その点ナズーリンは彼女なりの意見を展開してくれる。この差はかなり大きい。
やはり、彼女と僕とは相性が良いようだ。
「それはそうと、今日もただ駄弁りに来たのかい? 生憎と今は茶を切らしているんだが」
「そうなのか? じゃあどうしようかな……帰ろうか」
「君はお茶を飲むために来ていたのか……」
「冗談だよ。本当はこうして店主をからかうために来ているのさ」
「それはそれで嫌だな」
くすくすと楽しそうにナズーリンは笑う。恐らくこれは本心だろう。性格が悪い。
いつか、必ず痛い目に遭わせてやる。日頃から事あるごとにからかわれている僕の、小さな小さな決意だった。
――とその時、カランカラン、と鐘の鳴る音がした。
玄関先に目を遣る。見たことのない人物だ。久し振りに客と呼べそうな客が来たな。
「こんにちは」
「いらっしゃい。商品は自由に見て行ってくれて構わないよ。気に入ったのがあったら持ってくると良い、その場で値段を付けよう」
「いえ……今日は、お買い物をしに来たわけではないので」
「?」
はて、どういうことだろうか。僕はこのお嬢さんとは初対面の筈だ。面識がある奴ならまだしも、そんな人物がどうして買い物もしないのにここまで来たのだろうか。
そんな僕の疑問をよそに、少女は少し癖のついているショートカットの紫髪を揺らしながら、ゆっくりこちらに歩み寄って来た。
こつん、こつん、こつん。すっかり静かになった店内に、少女の足音が強く響く。それはただの足音の筈なのに、どこか圧倒される、威厳のような何かが感じられた。
そうして僕の正面に立つと、彼女は台の上に手をつき、しっかりと僕の目を捉えて言った。
「……お噂はかねがね聞いております。どんな難題をも鮮やかに解く天才的変人……探偵、森近霖之助。お願いします。どうか私に、お力を貸して下さい……!」
「…………はぁ?」
組んでいた手を握られる。というより掴まれる。しかし僕は振り払うこともできずに、ただただ困惑していた。
何を言っているのだろうかこの娘は。噂? 探偵? 何の話だ。僕は探偵でなければ天才でもないし、ましてや変人ですらない。合っている部分といえば名前だけだ。そんなもの合っているとすら言えないだろう。
何が何やらさっぱりだ。そうだ、ナズーリンに助けを求めよう。そう思い視線を送って、そこで初めてナズーリンが口をぽかんと開けながら、目を真ん丸くして固まっていることに気付いた。
「おいナズーリン。硬直してないで助けてくれ。これはちょっと僕の手に負えない」
「……こ」
「こ?」
「こ、古明地、さとり……? どうして貴女が、こんなところに……?」
「古明地さとり? なんだ、知り合いだったのか?」
僕の問いにナズーリンは首を横に振る。そして信じられない、というような顔で口を開いた。
「――古明地さとり。地底に封じられた、妖怪覚り一族の当主。灼熱地獄跡の管理を任され、現在は地霊殿にて暮らしている、らしいが……地上はおろか、地底にいてもその姿を見ることは滅多にないと言われる程の大妖が、どうして?」
「あら、私も有名になったものですね。尤も誇張表現が多いですが」
そう言って微笑むさとり。とはいえども、ナズーリンだってプロの探偵だ。情報収集は基本中の基本。僕が思うにあの表現は、全てそのまま額面通りに受け取って良い筈だ。
となると先程の妙な威圧感も気のせいではなかったということか。ここは一つ、慎重に話を進めなければいけないな。
「あー……わざわざ出向いて貰ったところ悪いが、僕は探偵などではない。ここ香霖堂を営むだけの、何の変哲もないただの店主だよ」
「そうなの? じゃあ、森近霖之助という方はどなたかしら」
「いや、それは僕だけど……」
根本的に間違っているということを、どう説明したら良いんだろうか。
うー、やはりここはナズーリンの出番だろう。彼女は弁が立つ。何とか上手く言い包めて、あるいは自分の仕事として引き受けてしまうかもしれない。いずれにしても悪い方向には転ばない。決まりだ。
彼女に向けて目配せをし、上手く窮地を切り抜けられないか尋ねる。僕の合図に気付いたナズーリンは、私に任せろとでもいうかのように頼もしい表情を返してくれた。持つべきものはやはり友だな。
ナズーリンはカウンターを大きく回り、僕の背後に立つ。そしてぽんと肩に手を置き、一息おいてからにこやかにこう言った。
「ふふっ、そう謙遜するな。君が優秀なのは誰が見たって否定できない事実だよ、『探偵』」
「――んなっ!?」
「やはりそうでしたか。ただの店主だなんて……随分と控え目な方なんですね」
「ち、違う! 僕は探偵なんか――」
「いいからいいから。それ以上は嫌味にしか聞こえなくなるよ。自分の才能をもっと誇りたまえ」
厭らしい笑みを浮かべて、ナズーリンは僕の耳元でそっと呟く。くそっ、ハメられた!
考えてみれば彼女は元々探偵側に引き込もうとしていたのだ。そんな時にチャンスが来れば、利用するのが当然の道理。……もう少し考えてから判断すべきだった。迂闊にも程がある。
少なくとも、もう言い逃れはできなくなった、ということか。……仕方ない、腹を決めるとするか。
「……分かったよ。まずは話だけでも聞こうじゃないか」
「ありがとうございます。それではまず、妹のことからお話ししましょうか――」
無表情のままさとりは一礼し、そして事のあらましを話し始めた。
彼女の妹は、どうやら放浪癖があるらしい。
霊夢から聞いて知ったのだが、今現在は地底と地上が繋がっているそうだ。「地底の妖怪」がどうして生まれたのかを知っている身としては、随分と暢気な時代になったとすら思える。
つまり少し前まで地底は封印されていたわけだが、どういうわけかその妹はその頃から度々地上に顔を見せていたらしい。さとりもそのことは知っていたが、気付いたらまた帰ってきていることが多いので然程気にしていなかったようだ。
そして先日も同様に、いつの間にか家からいなくなっていた。
それだけなら何ら問題はない。数日間家を空けることも少なくなかったし、何よりさとり自身が放任主義なのだ。ちょっとやそっとのことでは気にも掛けない。
しかし、一週間、二週間と経つ内に、流石の彼女も心配になってきた。一週間帰ってこなかったことは、片手で数えられる程度にはある。だが二週間も帰らなかったことはない。嫌な予感が脳裏に過るも、すぐに頭を振ってもう少しだけ待ってみようと思い直した。
三週間。まだ帰ってこない。これは何かしらの事件性がある、とさとりは判断したが、今度は自分が地上へ探しに行くことに気後れしてしまったのだ。どうしよう、自分なんかが地上に出たら大変なことになるかもしれない。それに自分は地霊殿の主だ。簡単に家を空けることはできない。何度も立ち上がり掛け、その度にまた座り込んでしまう。そんな毎日の繰り返しだった。
結局そうこうしている内に四週間が過ぎた。もうこれ以上放ってはおけない。一ヶ月余り経ち、さとりは漸く意を決して立ち上がったのだった――
大まかに話をまとめるとこんなところか。人間が暢気なら妖怪も暢気なものだ。一ヶ月経ってから捜索を始めるなんて、素人目に見ても遅すぎる。
まぁ妖怪だからそれほど心配することもないと思うが……姉としてはそうもいかないのだろう。姉妹愛、というやつだ。
しかし僕の手には負えなさそうな事件である。依頼者はあまり情報を持っていないようだし、当てもなく彷徨い続けるのなんてとてもじゃないがごめんだ。是非ともお断りしたい。
……あぁそうだ。もっと穏便に済む方法があるじゃないか。
「……どう、でしょうか。やはり難しいですか?」
「あぁ。難しいし、解決できるだけの時間も僕にはない。残念ながら、この件を請け負うことはできないな」
「そう……です、か。えぇ、充分承知していましたよ。何しろ貴方は地底でも有名な、腕の良い探偵ですものね」
がくりと項垂れ、ぽつぽつと呟くように淡々と喋るさとり。その言葉にはどこか、自分に言い聞かせるような響きも混じっていた。
そこで僕はしかし、と続け、おもむろに立ち上がりナズーリンの後ろに回って、先程の彼女と同じように肩に軽く手を置いた。
「ここにいるナズーリンは僕の助手で、実によく働いてくれる。右腕と言っても過言じゃない。生憎と僕は忙しいから一緒には行けないが、代わりに彼女を同行させよう」
「なっ……!?」
愕然とした表情で絶句するナズーリン。よもやこのような反撃をされるとは思っていなかっただろう。窮鼠猫を噛む、だな。
これでどれだけ悪い方向に倒れようとも共倒れだ。悪く思うなよナズーリン。
「私は一緒に妹を探して頂けるのなら、それで良いのですが……本当に宜しいのですか? そちらの方、なんだか驚かれているように見えるのですが」
「何、問題ないさ。存分にコキ使ってくれて構わないよ。最近の依頼は簡単過ぎる、とよく僕に愚痴を零すしね。これくらいでやっと満足できるんだろう? ナズーリン?」
「あ……ああ、まぁ他の依頼よりはずっとやり甲斐がありそうだな。是非ご一緒させてくれ、さとり嬢」
眉をぴくぴくとさせながら、あからさまな作り笑いで対応するナズーリン。いつになく狼狽しているな。
時折明らかに殺意が込められた視線を感じるが、今の僕にはそんなものは何てことない。ただただこの優越感に浸るだけだ。あぁ、なんて胸のすく思いだろう。日頃蓄積され続けた鬱憤が殆ど解消されてしまった。
そうして話がついたらしく店から出て行く二人を笑顔で見送り、珍しく完勝した喜びを僕は一人で噛み締め続けた。
そして冒頭に至る。
ナズーリンに押し付けたものの、僕も動かなきゃいけないかなと思い安楽椅子探偵を気取ろうとしたが、よくよく考えなくても彼女が全て解決してしまうだろうことは明白だった。
丁度良いとさっきまでのことを全て忘れ、読み掛けの本を開く。そして目の前に広がる異世界の中へ入り込もうとしていた矢先にこれだ。あまりにもタイミングが良過ぎないだろうか。その上また「探偵」ときたものだ。誰が噂を流したのかは知らないが、見つけたらとっちめてやりたいな。
「ねーねー探偵さん」
「だから探偵じゃないって言ってるだろ……大体君はいつからここにいたんだ? 入ってきた音も気配もなかったぞ」
「え? 最初からだけど」
「……最初から?」
「そ。だからお兄さんが探偵だと言うことも、この私は全て知っているのです。えっへん」
「胸を張られてもなぁ」
ということがあの依頼者が来た時くらいからか。ならさとりが連れて来たってことか? おいおい、ここは託児所じゃないんだぞ。勘弁してくれ。
しかし……考えてみれば、店の中で暢気に本を読んでいることが判明すれば厄介なことになりかねない。ナズーリンは分かっているだろうが、それでも本当に他の依頼を解決していれば何も後ろめたいことはなくなる。
人探しは大変だが、失せ物探しならまだ何とかなるかもしれない。どうせ暇だったしな。とりあえず聞くだけ話を聞いてみよう。
「……そうだな。探す物によっては引き受けないこともない。どれ、ちょっと試しに話してみろ」
「本当!? さっすが天才探偵さん、話が分かる!」
「まだ引き受けるとは言っていないんだが」
もう流されそうな気がしてならないが、これはもう宿命なのだろうか。
自分の運命を呪いながら本を閉じ、話を聞く態勢を整える。すると少女も足を組み直し正座になり(下りろ)、一拍の間を置いてからゆったりとした口調で話し始めた。
「帽子をね……失くしちゃったの。お姉ちゃんから貰った、とっても大切な私の宝物。散歩の途中で落としちゃってたみたいで、帰った後で気付いたわ。でも、歩いた道を探しても見つからなくて……ずっと困ってたの」
「ふーん……帽子を、ね。被ってなかったのかい? 普通落とさないと思うんだけど」
「被ってたけど、落としちゃったものは落としちゃったんだから仕方ないじゃない。こっちの方が不思議なくらいよ」
本当だよ。
被ってたのに落として、その上帰ってから気付いたなんて……有り得ない。もう無神経とかそんなレベルを超越している。一体何が起こったらそうなるんだ?
夢遊病とか記憶喪失とか無意識状態だったとかなら分からないでもないが……いや、やっぱりないな。どうせからかわれているんだろう。
「……あー、こう言っちゃなんだが、君、もしかして」
「何? からかってなんかいないわよ。全部本当の話。嘘言ったって仕方ないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
今の話を信じろって言う方が無理な話だ。
しかし、嘘を言っているようにも思えないんだよな。そこがとても引っ掛かる。勿論、思い過ごしと言えばそれで済むのだが。
じゃあどうすれば良いのだろうか。もし今の話が本当だとしたら、手伝ってやらないでもないんだが……うーん、どうなんだろう。
腕組みをして熟考し始め数分が経った頃だろうか。ふと正面に目をやると、やや俯きがちになって思い詰めたような表情をした彼女が目に入った。
「……? どうしたんだ、やけに暗い顔じゃないか」
「……ねぇ探偵さん。やっぱり、今の話はなかったことにしましょう」
「え?」
彼女は眉を八の字に曲げて、まるで弁解するかのように言う。
「だって、そんな、たかだか帽子よ? どこにでも売ってるじゃないそんなもの。買い直せばいいだけの話だわ」
「まぁ……それはそうだな」
「でしょう? だから、この話はもうお終い。すっぱり忘れちゃって。どうせ、ただの子供の戯言、なんだからさ」
そして、どこか憂いを帯びた微笑みを浮かべた。
……なんか引っ掛かるな。
はて、なんだろうな。妙な違和感がまとわりついて離れない。この少女の言ってることは至極自然なことなんだが……どこか無理しているような、そんな印象を受けた。
何かを恐れている? 何を。いや、そんなことは問題ではない。今どうにかしなければいけないのは、多分――
「それじゃ、そろそろお暇いたしますわ。どうもありがとう探偵さん。またいつか遊んで下さい」
「……それでいいのかい?」
「何が?」
「宝物を探しているんだろう? 手伝わなくて良いのか、と聞いているんだ」
「あぁ、そのこと。冗談よ冗談。ただ話し相手が欲しかっただけで――」
「嘘だろ」
僕の断定するような口調に、彼女はほんの少し身じろぎする。
「さっきまでの君の語り口は、とても冗談だとは思えなかった。本当のことなんだろ? 帽子を探してるのは」
「……だったら何? 一緒に探してくれるの? 違うでしょ。同情なんてされるくらいなら、私一人で見つけてみせるわ」
「しかし、見つけられなかった」
ぐ、と小さく唸る。どうやら正解だったらしい。
そう、恐らくこの少女は信じて貰えないことを恐れているのだ。過去に何かあったのか、何があったのかは知らないがそこに酷く敏感である。
だから、信じて貰えないくらいなら自分一人で探す、と。半ば強がりにも聞こえるその言葉で、自分自身を守っていたのだ。
だけど……そんなこと、僕には関係ない。
「ついでに言っておくが、僕のそれは同情なんかじゃないよ。ただの好奇心だ」
「……好奇心?」
「あぁ。君の言っていることはよく理解できなかったが、それでも興味だけは湧いてきた。どうだろう、僕に任せてみないか? 勿論君の協力も必要になるが」
僕の言葉にやや逡巡し、視線をあちこちに飛ばす。迷っているのだろう。多分、今までこうやって協力を申し出られたことがなかったから。
彼女は半分泣きそうになりながら、胸を押さえて苦しそうに声を出した。
「……でも……探偵さんは探偵じゃ……」
「なら宣言しよう。僕は今から探偵だ。探偵森近霖之助。この僕の名に懸けて、必ず探し物は見つけてみせよう――それで充分だろ」
本当に小さく、震えるように頷く。
最初から素直に好意を受け取れば良かったのに。全く強情な奴は面倒だ。どうして僕が説得しなきゃいけないんだ。
なんだか、あいつに似ているような気がする。意地っ張りなところとか。
不意に頭に浮かんだ彼女と目の前でべそを掻いている少女とが重なって見えて、僕は苦笑してしまった。
物を探すのならば、まずはその落としたと思われる場所から探していくのが定石だ。
そこで当時の散歩コースを尋ねたところ、どうやら人里周辺が怪しいらしい。妙に辺鄙なところでないことが救いだな。
そんなわけで僕らは今、店を出て里に向かっているところだった。
ところが僕らの間に会話は一つもない。そりゃそうだ、僕は人と接することが致命的なほど苦手なのだから。自分から会話を切り出すこともなく、かといって少女も口を開くことはなく、二人とも黙々と道を歩むだけだった。
この空気はあまり喜ばしいものではない。なんとかしてこの状況を打開しなければ。何か話題……話題……と。
「……そうだ。名前、まだ聞いてなかったな。教えてくれよ」
「あれ? 言ってなかったっけ。私はこいし。こいしちゃんって呼んでいいわよ」
「…………」
無視しておこう。
こいし、か……彼女の帽子、見つけるのには一筋縄では行かなそうなんだよな。
こいしの帽子。全体的に角はなく、つばも反り返っている黒い帽子。絵に描いて見せて貰ったが、辛うじて麦わら帽子に近い形状だということだけは判明した。
目印に黄色いリボンを巻いているらしいが、それでも巷に溢れ返っている既製品とそう大差はないように思える。だから尚更、こいしの宝物である帽子を見つけ出すのは難しくなってくる。
簡単だと思ったが、そんなにすんなりとは片付かないかもしれない。
「二、三日掛かるのは覚悟しておいた方が良い、かな……」
「え? 何か言った?」
「いいや。それより急ごう。今日は暑くなりそうだし」
「そうだねー。本当良い天気だよ」
雲一つない天気。太陽の光が既に眩しい。
最近は急速に春めいてきている。お陰で暖かいことこの上ないのだが、衣替えをしていないと流石に汗ばんでしまうレベルだ。
昼過ぎまで延びれば暑い暑いと駄々をこねるに違いない。その前に帰らなければ、きっと無理やりにでも冷たい物をおごらされるに決まってる。それは避けたい。
「あ、そうだ! なら帰る前に甘味処に寄るっていうのはどう? どうせ里まで行くんだしすぐ帰るのは勿体ないよ」
「……僕はおごらないからな」
「えー。ケチ」
ケチとか言われる筋合いはない。
更に言えば、僕はお金を持っていないのだ。この間ちょっとした収入はあったが、かねてから欲しかった本を買ったら全て飛んで行ってしまった。だから余計に無駄遣いはできないのだ。ただでさえ、店に客が来ないというのに。
……自分で言うと悲しさが倍増するな。良い機会だしこの際本当に副業として探偵を始めてみようか。勿論、ナズーリンの力を借りて、だが。
「それはそれとして……着いたな。よし、そろそろ始めるとするか」
ぴたりと立ち止まる僕ら。目の前には、人間たちが忙しなく動き回る里があった。
「おーい。そっち、見つかったかー?」
「……なーい! そっちは……まぁあるわけないよね」
せめて聞いてくれよ。見つかってないけどさ。
二人で手分けして、こいしの言う「散歩コース」を地道に辿る真っ最中。草の根を掻き分け川の端から端まで探してみたが、一向に見つかる気配はない。
一応既に彼女自身も探したようだし、そうそう簡単には見つからないと思っていたが……よくよく考えたら里の周辺ってかなり距離が長いじゃないか。こりゃ本格的に長丁場を覚悟しないといけないかもしれないな。
「やれやれ……一休みするか」
「こら。まだ十分しか経ってないじゃないの。サボるな」
疲れたので休憩を取ろうとしたら、どうしてかすぐに見つかってしまった。
彼女ももう結構汗をかいてるみたいだし、あんまり無理しないでのんびりやった方が良いと思うのだが……今それを言ったらまた小突かれそうだ。止めておこう。
こいしはぐっと背伸びして、大きく息を吐いてからあさっての方を向いた。
「うーん……やっぱり、あのネズミの探偵さんに依頼した方が良かったかなぁ。なんか色々アイテム持ってたしあっちの方が断然それっぽいし。なんだか不安になってきちゃった」
淡々と一人ごちる。というかそれを本人の前で言うか。不安とか言うな。
まぁ確かに彼女の方が僕よりは信頼できるかもしれないが……それでも不安はないだろう。こう、もうちょっと、オブラートに包むとかだな……ん?
「……やけに詳しいな。どうしてそんなことまで知ってるんだ?」
「だから言ったじゃない。私は最初からあそこにいたって。今日は朝からいたわけじゃないけど」
一瞬意味が理解できず、ぽかんと口を開けてしまう。
しかしすぐに言葉を呑み込み、ゆっくりと意味を咀嚼する。すると、答えは自然に出てきた。
そう、だから、それはつまり――
「君は……ずっと前から、あそこに住み着いていたんだな?」
「正解。ま、私の能力は無意識を操ることだからね。細工もしたし、気付かなくても不思議じゃない」
「確かに気付かなかったが……どうしてそんなことを? 自分で言うのも何だが、あの店に君が興味を持つような物はない筈だし」
「優秀な探偵を探してたのよ。私の帽子を見つけてくれるような、ね。結果、見事貴方は当選されたのです。ぱんぱかぱーん」
ぱちぱちと無邪気に手を叩くこいし。
ってことは帽子を失くした当時からあそこにいたってことなのか? ううん、筋は通っているがやはり理解できない。彼女の感覚はどこかズレているのかもん。
しかし、無意識を操る程度の能力、か。便利そうな能力だな。他人の無意識まで操ることはできるみたいだし、色々応用できそうだ。
……ん? 待てよ……。
「もしかして……僕が最近うっかりしやすいのって」
「あ、分かった? その通り。それも私の仕業だー」
「どうしてそんな悪戯を……お陰で酷い目に遭ったじゃないか」
「だってそっちの方が面白いじゃない。あ、そうそう。全部が私のせいじゃないからね? 貴方気付いてないようだけど、割と素でうっかりやさんみたいよ」
「そりゃご親切にどうも」
オチまでつけられた。
そうか、素でうっかりだったのか……道理で口を滑らせることが多くなったと自覚しても誰も何も言ってこないわけだ。傍目から見ても僅かな違いしかないのかもしれない。
……いっそのこと、本当に口にチャックでもつけた方が良いかもしれない。
時間は既に正午を過ぎ、日光もじりじりと僕らを焼き焦がして行くばかり。その上作業は一向に捗らず、士気なんか駄々下がりの一途を辿るばかりである。
心頭滅却すれば火もまた涼し、とは言うが……生憎と僕はそこまで悟っちゃいない。暑いものは暑いし寒いものは寒いんだ。念じるだけで変えられるものか。
それはどうやらこいしも同じのようで、顔から汗を垂らし、まるでゾンビのように両手を前に突き出しながらふらふら歩いていた。
「あー暑い暑い。暑くて暑くてとろけちゃいそうだわ。死ぬー」
「うるさい。暑いと言ってるから暑くなるんだよ」
「寒い寒い寒い寒い寒い……全然涼しくなんないんだけど。関係ないでしょそれ」
バレたか。
しかし、確かに暑い。もう何時間も直射日光を浴び続けているわけだし、我慢しろと言うのも酷な話だろう。どこかに日陰があればいいんだが……。
と探しているとふと思い出した。そういえば、以前ナズーリンが家に泊まった時に帽子を忘れていったんだっけ。返そうと思ったまま、僕も忘れてしまっていたけど。
あれを被れば幾らかマシになるだろう。確かこのカバンに……あぁ、あったあった。
「ほら。戻ったら何か冷たい物を出すから、それまでこれで……どうした?」
僕が差し出した帽子も取らずに、黙って口を押さえている。
はて、どうしたんだろうか。様子が明らかにおかしい。気分でも悪いのか?
「おいこいし? 大丈夫か?」
「…………そ」
「そ?」
「そ、それ、私の帽子じゃない! なんで貴方が持ってるの!?」
「……へ?」
僕が呆気に取られている内に、こいしは僕の手から帽子を奪い取る。そしてそれを高く掲げ、笑いながらくるくると回った。
「あはは! そっか、ニクい演出だね探偵さん! 実は初めから見つけてたんだ! それを最後の最後に、私を驚かせるために……キザっぽいけど、嫌いじゃないよ」
「あ、あぁ、そうか……そりゃ良かった。楽しんで貰えて何よりだ」
そうか……つまりこいしが落とした帽子を、ナズーリンが見つけたというわけだな。だから幾ら探しても見つからなかったんだ。
あの帽子はこいしの“宝物”だ。宝を見つけるのはナズーリンの得意とするところ。意外なところで繋がって、ここまで発展してしまったわけだ。
まぁ、少なくともナズーリンの能力は確かなものらしい。それが自分にとっても宝なのかどうかは別として、ね。
「本当にありがとう、探偵さんっ! 私、この恩は一生忘れないわ!」
「そいつはどうも。……それじゃ帰ろうか。帽子も見つかったことだし」
うん、と頷きこいしは帽子を深々と被る。
何はともあれ依頼は解決。後はナズーリンの方だが……まぁ彼女のことだ。きっとすんなり解決していることだろう。
あぁ、日差しが眩しい。早く戻って涼みたいな。そんなことを考えながら、踵を返したその時だった。
「あ」
「あ」
視線の向こうには、二つの影。
ロッドを両手に構えたナズーリンと、その後ろについた古明地さとり。
偶然にもかち合ってしまったようである。
「なんだナズーリンじゃないか。こんなところまでご苦労なことだ。その様子だと……まだ見つかっていないみたいだな」
「あぁ、君のせいで随分と余計な労力を使ったよ。だが解決は近い。それは何より、このロッドが示している。なぁさと……さとり嬢?」
ナズーリンは怪訝な表情でさとりの顔を覗き込む。それも当然のことで、さとりは驚愕した表情でその場に固まっていたからだ。
僕も不審に思い首を傾げる。あの様子は明らかにおかしい。そう、まるで、先程のこいしのような――
と、そこで耳をつんざくような大声が僕の思考を断ち切った。
「お、お姉ちゃん! どうしてここに!?」
「おね――お姉ちゃんだと?」
こいしの声を合図に、さとりはがばっと走りだす。勿論全速力で。
そして速度を緩めないままにこいしに抱き付き、二人共々勢いよく地面に倒れ込んだ。
数メートル程地面を滑り、漸く止まった後に砂埃が舞う中で、こいしは頭を押さえながら上体を起こす。
「あいたた……ちょ、ちょっとお姉ちゃん、勢い強過ぎだって……」
「こいし!」
「は、はいっ!」
叱りつけるようなその声にこいしはビクっと身を強張らせる。さとりも上体だけ起こし、黙ってこいしを睨め付けた。鋭い眼光にこいしは思わず目をぎゅっと瞑って、叱られるのを今か今かと体を震わせて待っていた。
しかし、さとりは叱り飛ばすようなことはせず、ぎゅうっとこいしの体を抱き締めた。
「! ? !?」
「良かった……本当に……貴女に何かあったら、私、私……!」
「わ、わ、ちょっと泣かないでよ。探偵さんたちも見てるじゃん」
耳まで真っ赤にして、必死で姉をなだめすかす。まるで聞き分けのない姉をたしなめるかのように。
それでも嬉しそうな表情は、やはり隠し切れていないように見えた。
暫くしてさとりは落ち着きを取り戻し、こいしにどうして一ヶ月も帰って来なかったのかを問うた。
だがこいしも中々言い出せないらしく、いつまで経っても口を噤んだままだ。怒られるとでも思っているのだろうか。
「うぅ……なんでって言われても……」
「だって、ずっと心配してたのよ? 出掛けるにしてもちゃんとどこに行くか言わないし……これから二度とこんなことにならないようにも、理由はしっかり聞いておきたいの」
「……分かったわ。その……帽子を、探してたの」
「帽子? その、貴女が今被っている?」
こいしはこくりと頷く。
「そんな物……失くしたって言ってくれれば、また作ってあげるのに」
「それでも! ……それでも、私にとってこの帽子は宝物なの。また作り直しても、他の何かに代わっても、それはやっぱり、違うと思うんだ」
「……そうね。分かるわ。貴女にとって、その帽子は大切な宝物。でもね……私にとっても、こいしはかけがえのない大切な宝物なのよ。それは分かってくれるわよね?」
「うん。……ごめんなさい、お姉ちゃん。一ヶ月も黙ってたこと、本当に反省してます」
「本当に?」
「はい」
人差し指を顎に当て、やや逡巡してみせるさとり。しかしすぐににこりと笑って、いいわよ、と優しく返した。
「ただし、これからはあんまり私を心配させないこと。もうこんな思いをするのは懲り懲りなんですからね」
「分かってるって。もう黙って外に行ったりしませーん」
「うむ、宜しい。……さて、と」
ふと思い出したように、さとりはくるりとこちらを向く。そしてゆっくりと歩いてきて、僕の目の前に立つとゆっくりと顔を上げた。
「探偵……森近霖之助。確かに、噂通りだったようです。忙しいと言いながらも、私の妹を見つけた上にあの子の宝物まで探してくれたなんて……いったい、何とお礼を申し上げればよいか」
「いや、何と言うか……僕の力じゃないんだよ。そう、これは偶然だ。たまたまとたまたまが重なり合って、たまたま勝手に解決した。ただそれだけのことだ」
「ふふっ。そうやってご謙遜なさるのも、やはり噂通りですね。……本日はどうもありがとうございました。また後日、このお礼はしっかりとさせていただきます」
さとりはぺこりと頭を下げ、またこいしのところに戻る。
やっぱりなんか勘違いされているみたいだが……今更言ってもどうせ信じないだろうしな。それに謝礼も貰えなくなる。詳しいことは黙っておくか。
それはそうとして。
「幸せそうだな。いやはや、依頼人の喜ぶ顔を見ると思わずこっちまで頬が緩んでしまうよ。そう思うだろ? “探偵さん”」
「……いつからそこにいたんだナズーリン。気配を感じなかったぞ」
「ふん。いつまでもさとり嬢に見蕩れていたから気付けなかったんだろうよ」
「いてっ!」
思いっきり足を踏まれた。僕が何をしたって言うんだ。
足を抱えてぴょんぴょん跳ね回る僕を尻目に、ナズーリンは更に続ける。
「しかし……またまた大手柄だな。まさか私より先にこいし嬢を見つけているとは」
「向こうから勝手に来ただけだよ。帽子を探してほしい、って依頼にね」
「だとしても、それもある種の才能じゃないか? 労せずして宝物を見つける……あれ、なんかどこかで聞いたような能力だな」
「うん? 何の話だ?」
「いや、気にしないでいい。……で、君はどうなんだ? どんな依頼だって解決すれば、結構すっきりするだろ」
「と言われてもなぁ……ありがちな結末過ぎて何とも。何度か本で読んだことがある気がする」
「おいおい、小説と現実をごっちゃにするなよ……君は本当バカだな」
呆れられてしまった。
だが実際そう思ってしまったのだから仕方がない。姉妹愛なんてページをめくればどこででも安売りされているものだ。使い古された、今や新鮮さの欠片もない古びた調味料。そんなものに、一体どうして魅力を感じられるだろうか。
「でも」
「でも?」
「……まぁ、人の喜ぶ姿を見るのは、そう悪い気分じゃない、かな」
「……全く。ホント君は素直じゃないんだから」
ナズーリンは苦笑する。
「探偵に対する見方も少し変わったよ。最初こそ懲らしめてやりたかったが、今では感謝してもいいかな、なんて気分にすらなっている」
「そりゃ良かった。私も苦労した甲斐があるというものだよ」
「……おいナズーリン。今なんて言った?」
しまった、という表情で口を押さえるナズーリン。もう答えずとも分かる。こいつが犯人だ。
こいつが、地底で、僕の噂を流したんだ。
「そうか……君が噂の大元、か。成程成程。どうやらお仕置きが必要なようだね」
「……あー、いやなんだ、その。そう、君の評判を少しでも上げようと思って……ほら、実際あの二人は完全に君のことを信頼しただろう? きっと今に店に人が来るよ」
「それは探偵としての僕、が目当てだろう? 僕の望みは古道具屋を繁盛させることだ。そんな客はいらない。それじゃ――覚悟はできてるだろうな?」
「ま、まぁまぁ。落ち着いて深呼吸でもしろよ、な?」
「問答無用っ!」
僕を抑え切れないと見るや、一目散に駆け出すナズーリン。逃がしてたまるか、と僕もすぐにその後を追い掛ける。
二人の攻防は一進一退。少し差を縮めたと思えば、またすぐに引き離されてしまう。だが逃がしはしない。一度火のついた僕の怒り、そう簡単に静まると思うな!
「待てナズーリン! 逃げるんじゃない!」
「あははっ! 捕まえられるものなら捕まえてみてごらん! 私の足に追い付けるかな!」
それは、傍目から見れば追いかけっこのようで。
ともすれば遊んでいるように見えるかもしれない風景の中、古明地姉妹の笑い声に包まれて、僕らはいつまでも走り回っていた。
心の汚れた私にゃちょいと眩し過ぎますねー。うおっ、まぶしっ。
ところで、このSSのさとりんって霖之助らの心を覗いていないような。なんでだろ。
ネズー霖ランドとは言え、さとり様が空気化してた気も。
にしても言いカップルだぁ…
さとりんの読心術が披露されてないのがちょい残念。
そんなことは明後日の方向に投げられるぐらいに、二人の雰囲気が良かったです。
彼の口調わかりづらいんで、なかなか掴みづらいですけれど。
今回も楽しかったですが、依頼者側にもうちっとスポット当てて欲しいかなあ、とか。
>あぁ、日差しが眩しい。早く戻って涼みたいな。そんなことを館gな得ながら、踵を返したその時だった。
あと、誤字。
さとり様があんまり悟られてないのが気になりましたが
これはあれでしょうか、「この人は本心からそう思ってるんだろう、なんて謙虚なんだ」って読まれたと思って良いんでしょうか
>どうやらお仕置きが必要なようだね
ゴクリ…
とても素敵なお話でした。
だが、若干物足りなさを感じました。
具体的に言えばおしおきの(ry
本日もナズー霖をおいしくいただかせてもらい、感謝いたします
次回作も心待ちにしております
ナズー霖もアリだな
良く似てるだけかと……
二人の関係はナズーリンが外堀を埋めていっているように思えて
仕方が無い。
……そういえば客ならぬ常連の二人はどう思っているんだろうか?
一筋縄ではいかないキャラ同士の掛け合いはなぜこんなにも心地いいんでしょう
(多分)誤字報告
管がて見れば彼女は元々探偵側に引き込もうとしていたのだ。
↓
考えてみれば彼女は元々探偵側に引き込もうとしていたのだ。
しかし本当によくできたコンビだわ
しかしこのシリーズ和むわー。