Coolier - 新生・東方創想話

この身は誰の為に

2009/09/09 22:27:15
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 流し雛。

 それは古来より伝わる、己や家族の無病息災を祈る伝統行事だ。形を失いはしても、罪穢れを人形へと移し祓と成すことを古意としており、今なお地方では流し雛を目にすることが出来る。流し雛の伝統は古く源氏物語でも光源氏が厄を払う為、人形を海へと流す描写が見られた。しかし、現在では僅かな一部の地域を除いて行われなくなっており、最早忘れ去られていると言っても過言ではない。

 忘れ去られた。

 そう、私は忘れ去られたのだ。今まで必要としていた人間達に。流し雛はまだ人々が純粋で素朴だった頃、自然と厄払いの為に生まれて、長い年月を経るごとに形を変え、派生し、やがて各地から姿を消し始めた。

 私がいつ何処で生まれたのかは分からない。ただ、望まれて生まれたのだと言うことは分かる。皆が安定していて危険の少ない生活を送れるように、流した厄を集め祓う。人間もそれだけの為に私を八百万の神様として崇拝し、利用した。存在意義に疑問を抱いたことは無いけれど、他の神達と違って忌み嫌われる自分が、疎ましく思うことはあった。

 私には、厄を集めることしか出来ない。周りには常に貰い受けた厄が取り巻いていて、無気味で危険だから宛がわれた神社も質素なモノだった。まあ、私はあちこちから厄を貰っていたから常設された神社など大した意味は無いのだけど。私を存在させたのは、社や信仰では無く流し雛なのだ。元々信仰の対象になるような神様でも無かったし、人間の都合良く扱われても、価値が見出されているうちは大して不満など無かった。

 でも、価値が見出されなくなり忘れられていることを、意識し始めたなった時、私の中で何かが変わった。言うなれば、存在意義に疑問を感じたのだ。

 何故人間は私を生みだしたのか、私は何なのか。

 人間の自分勝手さにも愛想が尽き、だけど消えるのは嫌で。私はどうにかして自分を求めてくれるところを探した。その時、初めて自分の意思を強く持ったのだった。






――――これは、私が幻想郷に来るずっと前の話し。



その日の夜中は寒かった。もう三月だと言うのに、残冬は根強く残っていたみたいだ。今は真夜中。吐く息は白く立ち昇り、雲間から覗く僅かな月明りでも、白い蒸気の存在が分かる程。人間も神も寒い時は外出を躊躇うだろうけど、私は寒気など関係無く、例年通り川辺へと向かわなければならなかった。

 今日は近くの村で流し雛があり、川の流れに沿って雛人形がやって来る。私はそれらの人形に込められた厄を集める為に人目に付かぬ下流域へと向かっていた。

 暗い森の中を移動する私は、足元の木々の根っこや段差に気を使って歩いているから、歩調はどうしても遅くなっている。仕方のないことだ。迂闊に空を飛び移動して、人間に見つかりなどしたら厄を集めるどころではなくなる。集め終えるまでは不便さに耐えるしかない。


 やがて森が開け、私は目指していた川辺に辿り着いた。

 川幅は広く、流れは静かだ。まだ雛人形は流れ着いていないらしい。白い月を数多の光として写す水面には流木はおろか、物は何一つ流れていなかった。私は辺りを見渡して、川辺には誰も居ないことを確認すると、滑り落ちないようゆっくりと低い崖から降りる。崖の土がパラパラと崩れて、少しヒヤヒヤした。私は態勢を崩さないように滑り落ちると、上手く着地することができた。途中、擦れた手の平がじんじんと痛いけど。

「さて、と。……これからどうしようかしら」

 川辺を歩きながら私は呟いた。流れて来る雛人形を待つか、それとも上流をさかのぼって直接出向くか。川の方を見た。まだ流れて来ていない。一体いつ頃村の人間達は流し雛を執り行ったのだろう。私は正確に把握出来ないから仕方ないけど、これから日本中を回らねばならないのに、長々と待つことは時間の無駄に感じた。

「まあ、今や殆ど行われて無いんだけどね」

 私は溜息を吐いた。もう流し雛は数える位しか行われていない。昔は人々が一斉に行うからあちこちを忙しなく移動していたのに。現在となっては伝統も廃れ、私の向かうところは限られていた。

 寂しいかと訊かれれば私は、素直に寂しいと答える。今まで当たり前だったことが普通じゃなくなり、自分の価値が薄れて行くのだ。私は厄神として存在し続けたい。永遠にとは言わない、人間の都合で消え去るのは嫌だ。ただそれだけ。

 結果的に、私は待つことにした。理想と現実の狭間で半ば諦めていたからだろう。自分が厄神として有り続けることに。

 川原には大きな石などは無く、私は数多の小石の上に腰を降ろした。水辺の近くは小石以外何も無い単調な光景で、やることも無い私は、川の水面をぼんやりと眺めた。

ここに来たのは何度目かしら。

水面に散らばる月明りを見て、私は思考した。初めて訪れた時のことはよく思い出せない。何百年も昔のことだから正確な記憶が無かった。他の地も同様、殆どの記憶は比較的最近のモノばかりだ。この地が古来より流し雛を行っていることは知っているが、いつ始まったのかは分からない。

 虚しいわね。自分の出生に関することを何一つ知らずに、記憶もおぼろげなまま忘れ去られて行く。自分の本質を知らないまま生きて来て、私は何も得ていない。

 上流から、少し強い風が吹いて私は片手で髪を押さえた。

 このまま風が吹き続けてくれれば雛人形が早く流れ着いてくれる。これ以上思考したところでなにかが自分の中で変わる訳でも無かったので、早く済ませたいと思った。風は少しの感覚を開けると、再び強く吹く。その繰り返し。乾いた寒風だけど、目を閉じて意識を集中させれば、気持ちが鎮まり愚考は消え失せた。私は目を開き、視界を上流の方へ向ける。決心が付くことは無いけど今成せることをしようと言う気持ちになれた。

 しばらくすると遠くから、月明りに照らされ白く光りながら流れて来る雛人形が見えてきた。まだどの程度の量なのかは分からないけど、きっと他のところ同様数は激減しているだろう。なんとなく顛末が読めた気がした。今は慣れたとは言え、心のどこかでは雛人形が沢山流れて来ることをささやかに欲している。願ってはいない。私の強い意思なのだ。

 やがて視界に全てが映った時、現実は甘く無いことを私は噛み締めることとなる。

 私は立ち上がると向かった。辿り着くと履いていたブーツを脱ぎ、スカートを指先で摘んで残冬の冷たさが残る川に、厄を集めるために膝元まで浸かる。

「今年も……また」

私は流れて来た一つを手に取って呟いた。相変わらず竹を簡単に組み合わせただけの雛人形は、とても自分の厄を込めた人形とは思えない程、つまらない出来だった。他のもの達も同じで、同じ簡素でつまらない物ばかり。人形の出来がひどくなることも無ければ、良くなることも無い。人形では無く、ただの人型と言った方が良かった。

「少ないわね」

 眼前を流れる人形達の数は少ない。確かな記憶の中で、雛人形が川辺を覆い尽くす程に流れていた時期もあった。それに比べて、今やそれらは数えられる程度になっている。ポツポツと川を流れる光景はなんとも言い難い。

 私はスカートの裾を摘んだまま空を仰いだ。白い月明りが目に眩しい。

―――待つまでの価値も無かったか。近いうちに、ここは私を必要としなくなる。いずれは伝統も絶えてしまうだろう。私は存在意義をまた一つ居場所と共に見失った。今年が最後だとは考えられないけど、また来年も来る気は私には起きなかった。

ピチャ

無意識に水面で足を跳ねさせると、私の周りから小さな波紋が広がり、あっという間に流れによって掻き消された。私は今どんな表情をしているのかな。卑屈で暗い水面は何も写してくれない。早く終わらせてしまおうと思った。ここで気を落としている訳にはいかないから。次のところへ回らなければ。

「…………」

 顔を下ろすと雛人形達を視界に捉えた。何も帯びたようには見えないが、形見として人形は、その身に厄を秘めている。

 私はさらに一歩、川の奥へと踏み込んだ。摘み上げたスカートが水面と触れて、先から水が生地に滲み、私の前を雛人形が流れていた。

 この辺でいいだろう。厄を集めなければ。

 私は意識を集中させるために目を閉じた。明かりの乏しい月夜、瞼の裏側は真っ暗だ。だけど、足から伝わる水の冷たさが、私の意識が現実から遊離するのを許さない。言うなれば、一番強い現実感覚だ。

 水面の上でフワリと浮く身体。重力は感じていただけに、自分が浮いている飛翔感は新鮮だった。

 くるくると身体が回転する。

 今の姿は、きっと見た者に無機質な印象を与えるだろう。速さは一定のまま変わることは無いから。目を閉じているので私の周りの様子は分からない。だから何も考えず、厄を集める為に私は回り続けた。







 数分後、私は爪先から川の中へ下り目を開く。視界の前を黒い物がよぎり、先程は何も無かった私の周りには、厄が集まり浮遊していた。無事集めることが出来たみたい。この地での流し雛は終わった。一仕事終えた私は安堵し額に手を当てる。手を離したスカートが水面に落ちて水に浸された生地が、中で藻のようにヒタヒタと揺れた。自分の緊張と不安は残っており拭えない。けれど安堵感によって一時的にそれを覆い隠すことが出来た私は、肩の荷が下りた感じがした。

しかし、改めて見渡すと厄は少ない。高位の神々に渡すにはあまりに量が少な過ぎるだろう。私は周りに与える影響を考えなければいくらでも纏える。やろうと思えば、目に見える物を全て覆い隠してしまうくらい貯め込むことも可能なのだ。私の周りを個々で浮遊する厄は、その半分どころか4分の1にも満たないだろう。去年も少なかったけど、こんな少ないのは前例がない。今年の今が初めてだった。

「また……不安になっちゃったじゃない……」

 目に付いた一つの厄に手を差し伸べると、指先に纏わり付いて来た。まるで幻影ね。指が貫いたけど、熱も身体も無い厄に私は、感傷どころか何も感じることはなかった。私にもっとも身近な存在は、あまりに無気味で味気ない、かたまり。

 これが私を生かしているのだと思うと、不幸以外中身の無いことが怖くなった。私も同様、厄以外中身の無い神様だから。いつかは熱も身体も失って、厄のように、ただのかたまりとなってしまうのだろうか。もしくは厄を残して、一方的に消失するとか。私は首を振った。私に貰い受けられず、積りに積もった厄は一体どうなると言うのか。考えただけで身の毛がよだつ。

 私は、災厄に見舞われてしまう人間達を自業自得だとは思えない。私が厄神として存在し続ける限り、人間の誰かは求めてくれている筈だから。流し雛が行われなくなったから消滅するとは限らない。確証も無いし、消滅したことも無いから。もし流し雛に基づいた伝統が私を生かしているのではなく、厄が私を生かしていたとしても、どちらでも良かった。存在価値が無くなれば、消えるのだから。だた、今だけでも厄神として私を必要としてくれる人々がいるのは事実。先のことは分からないけど、せめてその人々の為に厄を貰い受けてあげたかった。

「はあ……」

 気持ちとは裏腹に、溜息が出てしまったけど。

 私はスカートを摘み上げた。大分水気を吸ったのだろう、川に浸されていた裾からボチャボチャと水が滴り落ちた。私が川原を目指して歩き始めると、川底の、小石の表面に足の裏が何度も滑り、私は転倒しないように注意を払って歩かねばならなかった。

川から揚がると冷え切った爪先がじんじんとかじみ、私は痛さに顔をしかめる。ブーツを履いても痛みは治まらない。川に足を踏み入れるんじゃなかった……と、今更後悔した。素肌にたまに触れるスカートの部分も川の水を吸っていて、少なくとも良い気分にはなれそうに無い。

私は身を屈めて、渾身の力を込めてスカートの生地を握り締めた。ちょっと絞っただけで水が滲み出、握った指先を伝う。冷たい。虚しい。今夜は一晩じゅう暖かい毛布に包まって、自らの身を抱いて眠りたい気分だ。帰れるか分からないけど、もし神社に戻れたなら時間を考えずに眠ろうと思った。囲炉裏も火鉢も無い、質素で薄暗い神社の本堂で。火元が無い部屋で残冬を過ごすのは、ちょっと心許無いわね。確か、檀家の一つがずっと前に何かを奉納してくれた覚えがある。それがなんなのかは分からなかったけど、もしかしたら暖房に使える物かも知れない。違っていたら、もう薪を集めて焚火でもしたい気分だった。

大体絞り出した私は、疲労によってぼんやりとした意識で前を向いた。視界の先には暗い森が広がっている。川に沿うように先が見えなくなるまでずっと。この森の先にはなにがあるのかしら。川の流れは海に注ぎ込むまで続くけど、森はいつ開けるか分からない。一里先か、もしくはずっと続いていたりもする。開けたところには、きっと田畑があって昔ながらの人々による豊かな営みがある。そこはまだ純粋に神々を信仰していて、素朴で誰でも生きられる良いところ。流し雛を始めとする、古来より伝わる伝統も忘れてはいない。そんな幻想みたいな郷が、あるのかも知れない。

あくまで幻想だけれど。

ふと、木々の合間を縫うようにして、一つの明かりが見えた。木々に阻まれ途切れがちに見え、最初は人魂かと思ったが、良く見ると暗闇の中で煌々と赤橙色の光を発している。何かが燃えている火だった。

「……人……? でも、なんでこんなところに一体、何の用なのかしら……」

 灯りは松明に間違い無い。見つける前に厄を集めておいて良かったと、再び私は安堵した。近くに人間がいるのに、集中なんてあったものじゃない。幸いここからは大分距離が離れているし、辺りは暗闇だと言うこともあって見つかってはいないようだ。足音も川の流れる音が隠してくれ、人間の耳に届くことはないはず。安全なうちにここを離れてしまおう。森に背中を向けて歩き出した時だった。

「沙耶子ーーー!! 」

 森の方から声が聞こえた。沙耶子……? 一体誰の名だろう。

一人が叫んだ途端に、森の中から同じように「沙耶子」と言う名前を叫ぶ声が次々と上がった。もしかして、沙耶子と言う名の人物を探しているのだろうか。声は皆、何処か悲壮めいた感じを含んでいた。家出でもしたのかしら? 厄を流して早々と訪れた厄日ね。本人とその家族や友人にとっても。彼らが先程まで流れていた雛人形を流したとしたのなら、彼らの身に積った厄は完全に祓い切れていない。数が少な過ぎるから。流していない者に大なれ小なれ弊害が起こるのは至極当然のことだ。

「沙耶子ちゃーん! 何処にいるんだーい!! 」

 張り上げられる声は悲壮感を帯びていた。声を聞いた私は、流石に同情を隠せない。私にだって良心はある。失う痛みは良く理解しているつもりだ。一人の為に、闇夜に覆われた広い森の中を大勢が探し回っている。この場には居ない可能性だってある。なのに彼らは声を張り上げ、息も凍るような残冬の中で希望を捨てていない。必死さ故の行動でもあるのだろう。互いを思いやる気持ちがあるなら、まだ人間は素朴で良い生き物なのかも知れない。

私は立ち止まる。振り返り、背後の森の中をゆらゆらと歩き回る松明を見た。ここを訪れることはもう無いから、最後に人間のもっとも生き物らしい、情の溢れる姿を見てから去ろうと思った。

「厄を払わなかったのね」

 今となっては、どうしようもないけど。私が呟いて少ししてから、松明を持った男が「沙耶子」と叫んだ。まるで少女が自ら出て来てくれるのを祈っているみたいに。祈り、か。私も、随分と陳腐な言葉を使うようになったものね。願いの方が適切かも。




「沙耶子……そこにいるのは沙耶子なのか? 」

 私から見て左側の森の中、背の高い草むらを掻き分けて進んで来る音がして、声はそこから発せられた。私は心の中で狼狽する。見付かってしまった。私は今更ながら川の流れる音は両刃の剣だと言うことに気が付いた。川の音は私の足音だけでは無く、周りの音全てを掻き消していたのだ。私を見つけた人間との距離がそれなりにあったことも影響したのだろう。ここまで気が付くことが出来なかったなんて……一体どう誤魔化せば良い物か。相手が殺気だっていないことを『祈る』ばかりだ。

「いいえ。違うわ」

 私が答えた直後、夜空に浮かぶ月を厚い雲が覆い隠し、光が乏しくなった。辺りは暗く、影は濃く深くなる。丁度良い。この闇は尋常じゃない私の姿を見えにくくし、身体の周りに纏う厄を目立たなくしてくれた。予想外に訪れた不幸中の幸いであり、視界不良も今はこの上なく好都合なことだ。後は如何に人間らしく装うか。

「あんたは誰だ? 村の者じゃないだろう。一人ここで何をしているんだ? 」

 草むらから出て来るなり男は、初対面の私に次々と質問を投げ掛けて来た。顔は良く見えないし、姿恰好も辺りの暗さではっきりと見え難かった。相手も同じく私のことが見え難いようで、言葉の割には私に歩み寄らず言い終えると遠巻きに私を見ていた。互いに距離もあるし、辺りには他の人間は居ない、森もあるし身も隠す場所はふんだんにある。私はいざとなれば、すぐ逃げ出せる状態に自分があることを確認した。

「お勤め、ってところかしら。私は村の者じゃないし、貴方には何の関係も無いわ」

 人間らしかったかしら? 神様特有の厳かさを抑えて、出来るだけ感情豊かに話してみたつもりだけど、少しすらすらと答え過ぎた感は否めない。

「そうか……。なあ、あんた沙耶子って少女を見なかったか? 」

「確認させて。確か、貴方達が先程から声を張り上げて探している女の子の名前でしょう? 」

「あぁ、知っていたのか。なら話しが早い。何処かで見ていなかったか? 」

 男の声は何処か期待を込めたものに聞こえた。我儘で自分勝手な人間が、何故一人の他人にここまで気を配ることが出来るのだろう。私には行動が矛盾しているように感じて、だけど仲間には情が厚いと言う面では神々よりも優れたところを持っているとも思えた。

「いいえ。見ていないわ。私が見たのは川を流れる雛人形だけ」

 今の台詞はそんな人間に対しての些細な皮肉だった。

「そうか……。いや、今日おまえさんみたいに沙耶子は川の辺りに出掛けたんだ。……んだけど、それ以来行方が知れなくてさ……。流されたんじゃないかと心配で……」

「―――その子は」

しかし、人間は私の些細な皮肉に気が付くどころか「流し雛」にすら反応を見せなかった。口を開く度に出るのは沙耶子と言う幼子に関することばかり。今は原因など考えているよりも探さねばならない、と言う事情もあるのだろうけど。

 案の定、頭の中は人探しで一杯のようだった。

「沙耶子か? 見付かるまでは、不幸な目に遭ってねえことを祈るしかないさ」

 男はそう言って溜息を吐く。いきなり引き止めて質問しておきながら、私の話を聞くつもりはないようだ。

 私の脳裏に去年、川を流れていた雛人形達の姿が浮かんだ。去年も少なかった。あの中には少女の雛人形は無かったとしたら、不幸が少女を襲ったのではない。厄は自然災害や人災を除いたあらゆる災厄の元凶。発散できなかった厄を貯め込んだが故に、それが引き金となっただけ。「厄は必ず払わねばならない」一昔前は誰もが知っていたことを、もう知っている者は少ないことを私は知った。厄を流す必要が無くなっただけじゃない、私は忘れられていたのだ。

「ねえ、一つ言いたいことがあるのだけど」

 男の言葉を聞いた時、私は何か強い衝撃を受けた。男が話を止め、静寂が訪れるとすかさず私は切り出した。まだ理性と自制心は保っていたが、内心はひしひしと心の奥から怒りと不快感が湧きあがり、私の理性を侵食しようとしている。だから私は、今は怒る時ではないと自分を言い聞かせながらも、付き付けられた事実に拳を握り締め暗闇の中に立つ男を睨み付けた。それが私に出来る唯一の反抗だった。

「なんだ? 」 

 男は私の視線に気が付かない。私に問い返されると間の抜けた返事を返しただけだった。

「その子は、毎年流し雛を流していたのかしら? 」

「……いや。沙耶子は生まれてから1、2年間厄を流しただけだ。それがどうかしたか? 」

 男の答えはあまりに予想通り過ぎて、吐息と一緒に力が抜けそうになる。堪えたけど。今ここで力を抜いたら私の怒りが形を帯びてしまうだろう。他人に対して喚き散らしたり、怒鳴るのは私の柄じゃない。そう自分に言い聞かせて、ここから見える男の姿を視界に入れ続けた。

「少ない、わね。ならあの子が危険な目に遭う可能性があるのは当然かも」

 うやむやにした言い方だったけど、台詞の中で私はハッキリと断定していた。

「な……」

 男は心外だと言わんばかりに首を振ると

「なんでそんなことを言うんだ? 流し雛がなんだ、流しても身の回りの不幸は減りもしねえ。あんたは、んなもんを信じろって言いてえのかよ? 」

 私の言ったことは、男の琴線に触れたらしい。大人しい口調が一転して、語気の強い物に変わった。もちろん予想済み。先程の言葉が男を怒らせることを予想して私は言ったのだから。なんで相手を煽ったりしたのか詳しくは分からない。多分、私が明確な怒りを抱いていたからだと思う。つまり怒りの矛先が鋭くなっただけの話だ。

「私は信じろなんて言ってないけど」

「じゃあ何だ? 沙耶子が消えたのは流し雛をしなかったからだと言いたいんだろ」

 男は早口でまくし立てた。個人的には怒りたいのはこちらも同じなのだけど―――、男の言葉を聞き、様子を見ているうちに私を支配しようとしていた怒りは消え失せ、代わりに全く違った感情が私の中で生まれた。

「そうね。厄を貯め込んだ沙耶子と言う少女は何らかの方法によって厄を一気に発散したかもしれない。例えるなら火山が爆発したのと同じよ。少しずつ発散すれば小さな災厄で終わるけど、少女はそれをしなかったみたいね。いえ、周りもしなかった。この数年間、少女は病気や怪我に全く見舞われなかったんじゃない? 貴方は、不幸とかいう運命で結論付けようとしているようだけど、ちょっと違うわね」

 私は、冷やかな表情で男に言い聞かせている。今私の内心を埋めているのは理解しないことへの侮蔑。彼も流し雛をしていないのかしら、まあ、運命など信じているのならあまり伝統に篤い方では無いか。

「厄は災厄の源。雛人形にそれを込めずに暮らせば、なにかしらの害はもたらされる。伝統が必要無ければ忘れるのは当然だけど、厄は無くならないんじゃないかしら」

何を言っても自分達の視点で物事を片付けようとし、本質すら知らないのにあたかも自分達が正しいのだと言わんばかりに決めつける。すっと続いた伝統の価値を忘れ、積み上げて来た先人たちの努力も知らずに、すぐに取捨選択の対象に入れてしまう。人間の愚かさは賢さに比例するように大きい。今まで抑え付け、心の奥深くにしまっていた人間への軽蔑と睥睨を、他の神同様私も感じていた。人間のために献身し、生活に馴染みの深い神様である私が。

しかし、思えば私は自分が無さ過ぎた。神としての存在価値は見出していても、周りには厄しか無い。友達らしい知り合いは居なかったし、天涯孤独だった。今になってやっと孤独な人生を受け入れていた自分に、初めて疑問を抱いたのだ。だから私は思う。私を厄神としてだけではなく、鍵山雛として見てもらえることは無いのか、と。それが私の初めての自分へ対する疑問だった。

「でも沙耶子は、何も悪いことはしていない。罪の無い子供が害を被るなんて……身勝手なことがあって堪るか」

 声は弱々しかった。私の言葉に納得してしまったのか、流し雛のことには一切触れることは無く私に吐き捨てる。その後男は何も言わなかった。私は沈黙した男から目を離し、言葉を模索する。私は彼の反論を封じてしまったことで、言い様の無い居心地の悪さを感じた。

「そうね……。まだ沙耶子は姿を消しただけで『不幸』には遭っていないかもね。……縁起でもないことを言ってしまって、ごめんなさい」

 いつの間にか私は冷静さを取り戻していて、謝罪の言葉は自然と出て来た。前に立つ相手を侮蔑する気持ちも薄れ、同様に言いたいことには納得が行く。理解したと言ってもいいかしら。沙耶子と言う少女を案ずる気持ちも伝わって来たから、理解したことで強く後悔した。過ぎたことを言ったと、少女を必死に探し無事を願っていた彼に対して。

「……謝らなくていい。俺は沙耶子を探す。あんたの言う厄で沙耶子が消えないようにな……」

 男は私の言葉を引用して皮肉を交えた。お互い様なのだろうか、自分の言いたいことをただ主張し合っただけの気がする。しかし、珍しく感情をあらわにしたなと改めて自分に驚いた。神はいつも相手に対して厳かに接しなければならない。ただ、私が高位な神ではないと知っていたから、私が人間のフリをしてこの場を丸く収めようとしたことに抵抗は感じなかった。と言うか、私が誰かに対して背伸びしてまで厳かに話したことなんて無いし。

「見付かるといいわね」

 私は投げやりな態度で言い放つ。しかし男は答えなかった。




―――その時、雲間から月が現れた。月の明りは滲むようにして色濃い闇に覆われた川原を照らし出し、私も、前に立つ男の姿も見境なく白色の光で浮かび上がらせた。何と言うこと……。私は自らの姿も、周りを浮遊する黒い厄も隠していなかったのだ。気付けば、視界に健康的な身体付きの男が見え、私は月明りの下で人間には思えない奇異な姿を晒し出していた。

「――――!!!」

 男は私の姿を目にするなり、驚きのあまり声にならない叫び声を挙げた。夜空や周りの森にその声は反響し、私は強い危機感を抱く。咄嗟に周りを確認するためすぐに森に視界を移すと、ずっと前に目にした松明の明かりが、慌てて私と男のいる川原へと向かって来た。

――――逃げなければ。

 全身が波打ち、何かを考えるよりも先に私は走り出していた。背後から「この化け物が!!てめえが沙耶子を攫いやがったんだな?!」と言う怒声が聞こえて、背中に何かがぶつけられ、痛みと一緒に強い衝撃を受けた。一体何が? そう考えて間もなく、私が走る先にカッ!!と硬い物が落下して音を立てた。石だ、私は石を投げられたのだ。衝撃的だった。私が頼りにしていた人間に石を投げられて、胸が苦しかった。痛いのは身体だけでは無い。その上、締め付けられるみたいだ。今は感傷に浸ることは許されなくても、化け物と言われた上に石を投げ付けられたことは哀しい。

背後から幾つもの足音が私を追いかけて来る。神とは程遠い姿の疫病神の私が捕まったら一体何をされるのか、彼らは一体どんな形相で追い掛けているのか、臆病な私は想像しただけで怖くなり振り返ることすら出来なかった。非力な私に身を守る術は逃げることしかない。神様だから死にはしないけど、だからこそ本当の化け物だと思われ酷い仕打ちを受けかねなかった。

 私はひたすら下流に向かって走った。森からも沢山の松明が見え、大勢の人間が私を追い掛けていた。きっと話していた男が私のことを、少女を攫った化け物だと言いふらしたに違いない。人間達の合図する声が幾つも児玉して、時折聞こえる暴言が私の恐怖心を増幅させる。

私の後を、男達は川原を駆け諦めることなく執拗に追いかけて来た。声が近くなり、二間の距離がじわじわと狭まっている。このままではいずれ追い付かれるが、私は走ることを止めなかった。私の姿で、頭に血が昇った男達を相手にどう弁明すればいいのか、話など聞き入れられず暴力を振るわれるに決まっている。下手をすればもっと酷いことをされる危険だってあるのに。だから私は無我夢中に駆けた。

かなりの距離を走った。脇腹は痛く、息は喉に詰まり咽返りそうなくらいに上がっている。ずっと全力疾走していたせいで、空気が足りなくなっていたから視界が白く霞み足元がおぼつかなかった。

どうして迫害されなければならないの? 意識が遠くなり、走り続けた足が引き攣り悲鳴を上げる中、想いが頭をよぎる。意識が現実から離れて行く気がして、意識を繋ぎ止めることが出来なかった私は、気付けば大きな石に足を引っ掛けていた。刹那、私の身体は低く飛び、次の瞬間全身を打ち付けて石を撒き散らし派手に転んだ。

「ウッ……痛ッ……!!」

 転んだ途端、視界の霞が晴れ意識が定まった。しかし状態は最悪。幸い舌は噛んでないみたいだったけど、口の中で砂の味がした。体のあちこちがじんじんと痺れ鈍い痛みを放っている。痛みの箇所が多過ぎて一体何処から発せられているかすら、分からない。起き上がろうとすると激痛が走り、堪え切れず呻くだけで、肝心の身体は言うことを聞かなかった。惨めだ。今まで役立ってあげた人間達から、化け物呼ばわりされた挙句に石を投げられ、今は無残にも転び、起き上がることも逃げることも出来ない。自分の受難を想うと目頭が熱くなり、瞳の奥から涙が湧きあがるのを抑えられなかった。

「いた!!転んでいるぞ!!」

「捕まえろ!!」

 男達の声がした。

「なんだかもう、どうでもいいや……」

 呟き、私は深く息を吐いた。もう疲れ果て、痛む身体を地面の上で丸める。私を取り囲んだ男達に何をされて、自分が報われることはなくても、最早どうでも良い。死にはしないのだし、心に傷を負ったとしても、いつかは消えるんだから。ここから見上げる月の下で、今どのくらいの雛人形が待っているのかしら。これが終わった後に、ちゃんと集めにいかなきゃ。じゃなきゃ、流し雛を信じている人たちを裏切ってしまう。今のような時でも、浮かんでくるのは厄を集め人々の暮らしを守ってあげることだった。ダメね、自分で厄神としてではなく鍵山雛と見てもらうことを欲しながら、私自信は厄神として有り続けることにこんなにも意義を見出しているのだから。

「あぁ、私は自分を信じてくれる人間のことが大好きなのね」

 ホント可笑しくて、笑いが込み上げてきそう。全てが矛盾した自分に。でも不思議だな。目一杯に溜まって堪え切れず頬を伝って落ちても、涙はまだ溢れ出して止まらないのだ。

 男達がいよいよ迫って来た。まだ居たのね。私は彼らの形相を目にしてぼんやりと思った。目が明確な殺意の色を帯び、顔は無気味な表情に歪んでいて皆の手には松明や棍棒、石が握られている。あれが私に振り下ろされるんだと思うと、例え諦めていても怖かった。

 少しの辛抱。きっと全てが終われば、また明日からいつも通り厄神としての日常が待っている。怖さを打ち消す為に、そう自分に言い聞かせた。

 

と、私の頭の上で何か変なモノが発生した気がした。

 こんな時に一体、何……? 私は痛みに身体が動かせないが故に、首だけを動かして頭の上を確認しようとしたが、確認する前にいきなり誰かの手が身体に巻き付いてしっかりと抱き、そのまま軽々と持ち上げた。腕は二本しか無いのに、驚く程の怪力だ。だが私の身体を持ち上げる力は、不思議と痛んだ身体が軋まない程の優しさがあり、誰なのか確認する間も無く私を発生した物の中へと運び入れた。

「なんだアレは?! 」

驚愕した声。私が最後に見たのは、驚きつつも尚、私に向かって必死に走って来る男達の光景で、直後に私の視界は闇へ落ちた。








―――目が覚めると、私は布団の中に居た。

 室内は暗く、燭台に灯された一つの明かりだけが、ぼんやりと弱い光を放っている。ここは何処だろうと思い、布団から出ていた頭で薄暗い室内を見渡すと、蝋燭の弱い光に照らし出され暗闇の中で神棚が浮かび上がっていた。全ての姿さえ曝け出してはいないものの、大して物の無い室内に安置された神棚は、その身から荘厳な存在感を放っている。心なしか見慣れた感じがするのは気のせいかしら。……だが疑問はすぐに解けた。供え物の盛られた米の横端に、「厄」と書かれた札が貼られていたのだから。

どうやらここは私の神社で、今いる部屋は本堂のようだ。窓から見える外の夜景は、星や月も浮かばない真夜中の闇で、私は眠っていた。確か、私は厄を集めに出掛けた筈。なにの誤解を受けたことにより人間達に追われ、危うく襲われそうになるところを何者かによって救い出されたんだっけ。でも、記憶が断片的過ぎて……。結果的には私は神社まで帰って来ていたけど、後は謎だ。意識が無かったと言うのも起因するけど、人間達に追われたと言う思い出も含めて、今までのことを現実だとは信じたくなかった。

とは言え、必死に走った上に激しく転んだことで身体の節々は痛いし、時折感じる石をぶつけられた背中から来る強い痛みが、私に人間に追われたと言う事実を嫌でも実感させていた。助かったのだと言う事実も前向きに受け止めればいいのだ。そうすれば、危険な目に遭った時のことと今の安全な状態を比べて安堵することが出来るから。でも、私には到底前向きな考えが浮かぶはずも無かった。人間達に追われ、襲われそうになったことの恐怖と衝撃は私の心に深く残っているからだ。思い出すことすらはばかれる程に。



「……あ、結局厄を集められなかったわ」

 私は天井を見上げたまま、思い出すと大きく溜息を吐いて落胆した。

 機会は年に一度しかないのに、厄の殆どを回収することが出来なかったなんて。これでは未だに効力を信じて、流し雛をしている人々に顔向けが立たない。厄も発散できずに積り続け、もし全てが災厄となって発散してしまったら、非常に不味い。彼らの中に流し雛への更なる疑問が生まれるだろう。まだ雛人形は流れているのかしら。出来れば、今すぐにでも飛び出して厄を集めたい気分だった。いや、半分厄神としての使命感でもある。機会を逃して、心身ともに擦り減らし、もう無理だと分かりながらも、回収出来なかった厄と人々のことが頭に浮かんできた。

 人間達に襲われる前にも同じようなことを考えていたわね。あの時は、何をされても厄を集めようと言う気になっていたけど、今の自分の状態と夜であることを照らし合わせて、よくよく考えると度台無理なことに気付かされた。むしろ、助け出されなければ帰って来られない可能性だってあったのだ。使命感も今は堪えなければならなかった。

 今はもう一眠りしよう。

私は温もりで暖かくなった布団の中で、自分の身体を両手で抱く。今まで覚えたことの無い寂しさを感じたからだった。一人で居ることは寂しいと思う。怖い目に遭っても、傷を負っても、癒し優しく包みこんでくれる存在が居ないから。だから、私は自分の傷を癒すように、布団の温もりを違う誰かに投影しながら身体を、自分の手で抱き締めた。

「……寒い」

 投影しても誰かと親密な関係になったことの無い私には、相手が思い浮かばなかったけど。さっきの言葉はその裏返しだ。心が寒い。



「あら……起きたの? 」

 目を閉じると、向かい側から聞き慣れない声がする。

「そこにいるのは、誰? 」

 随分と落ち着いた口調の割には、人間味に欠けていた。いや、私と一緒の空間に自ら居ようとしている時点で人間な訳が無いのだけど。ただ、威厳を含んでいなくとも力と底知れなさを感じさせる声色では、神でも無いみたいだ。

 すると、向かい側にいる相手は一体誰なのか。目を開けない限り皆目見当が付かなかった。

「今閉じている、貴女の目で見ればいいと思うわ」

 相手はクスクスと笑いを漏らした。暗い上に灯りの乏しい今の状況で、優雅な態度を取ることに違和感を覚えてならなかったけど、彼女の笑いを私は不気味だとは思えなかった。余程他人の存在に飢えていたのか、相手の底知れなさが私を圧倒しているからか。自分でも良く分からないけど、とにかく私は警戒心すら抱いてない。

「珍しい格好をしてる。それだけかな。灯りを背にして立っているから、肝心の顔が良く見えないわ」

 閉じていた瞳を開け、私は燭台の明かりを背に立つ彼女を見て言った。私の格好もさながることながら、目の前の彼女が着ている服は一言で表せば派手な姿。煌めく髪は金色で、後ろで上品に纏めてあった。それらの姿のせいか、声とは裏腹に姿は堂々としている。色濃い彼女の影が私の所まで伸びていながらも、布団の前で途切れているのが不思議だ。面妖な術でも扱えるのだろうか。

「なら十分ね……。私は人間や神じゃない、貴女には私の姿を見て良く分かったでしょう」

 人外であることを裏付ける為に、わざと灯りを背に話しているじゃないかしら。でも、自分自身を人外だと言いながらも顔を見せないのはおかしな気がしてならない。神以外の人外であると言い、人の形をしているのなら人前に出ても問題が無いと言っているような物だ。矛盾している。

「私に顔を見せたくない理由でもあるの? 」

 問い掛けるような口調で私は訊いた。強要はしないが、人型でありながら顔を見せないことにどうしても納得が行かなかったから。

「すごーく、恐ろしい顔だったりするかも知れないから」

 私の問いに、彼女はおどけた口調で答える。その言葉に理由を聞き出すつもりだった私は拍子抜けし、ついでに調子を乱された。どうやら、相当の変わり者でもあるみたい。これで顔が美人だったら、今度は調子を崩されると思う。

「…………」

 私は布団に入ったまま上半身を起こし、彼女から目を離すと前を向いて視線を宙に泳がせた。眠気は起きた時に醒めてしまい大して無かった。身体を抱いて眠ろうとしたのは、ココロと身体の疲れを癒す為。ただ疲れはあり私の頭を鈍くしていて、彼女のおどけた言葉を前に、何と返せばいいのか言葉に悩んだ。元から調子の良い話は得意な方でなかったし、こんな変わった相手と話すのも初めてだ。今更だけど、ちょっと緊張した。

「―――大丈夫? もしかして、嫌な夢でも見たの? 」

 一方的に黙っていた私に対して、彼女は優しく語り掛けてくれ、歩み寄ると隣に腰を降ろした。彼女の態度は意外だった。夢は見ていなかったと思うけど、はっきりと覚えていないから、私を気遣ってくれていると分かっていても答えられない。自然とお互いの顔が向き合えば、近くで見た彼女の表情は穏やかで、瞳には蝋燭の輝きが写り込み綺麗に輝いている。初めて彼女の顔を見たけど、影がかかっていても目立つ上品な目鼻立ちと、気品に満ちた表情はまさに美人のそれだった。

 美しさと落ち着きのある表情に少し、見惚れた。

「……いいえ、夢であって欲しいことはあったけど」

「それは……あの川原での出来事? 」

 私は問われると、彼女の顔から視線を落とした。私は心配してくれている相手に、何を夢などと言っているのかしら。川原での出来事……彼女は、私がどんな目に遭ったのかを知っている。だから私を助けたのも彼女で間違いない。意識が途切れる直前に、何が起こったのかは分からないけど、何らかの方法で私を救い出した後、意識の無い私を彼女は神社まで運んでくれていた。目を閉じれば男達の怒声と叫び声が頭の中で反響する。本音を言えば、男達に追われた記憶など夢として忘れたかった。

「……何でも無い。言葉が過ぎたわ。あなたに助けられたお陰で、今私はここに居られるのにね。現実から顔を背けて、危うく大切なことにまで顔を背けるところだった」

私は意識を引き締めると視線を彼女の顔へと戻して、続ける。

「すごく怖かったし今でも怖い。でも、あなたに救われたと言う、とても大切で素敵なことがあったわ。これを夢であって欲しいなんて言ったら、あなたが私を救い、ここに居る理由が無くなるもの。ねえ、あなたが私を救ったのよね? 」

 おだやかな表情のまま彼女は話しを聞いていたが、私に問われ、少しの間を開けると身体を寄せて、右手で私の左頬にそっと手の平で触れた。彼女の手が私の目の前で翳された時、私は反射的に目を閉じる。しかし、頬に優しく手の平が添えられると私の瞼は再び開いた。彼女は囁く。

「澄んだ瞳……まるで翡翠みたいね。すごく綺麗」

彼女の添えられた右手は暖かで、私が初めて覚えた他人の温もりだった。自分で身体を抱くのとは比べ物にならない程の温かさが、私を満たすと同時に、蝋燭に灯る火のように私の心は期待と不安に揺らめいた。彼女なら、私を鍵山雛として見てくれるかも知れない、と。

「……そうよ、私が貴女を救った妖怪。名前は八雲紫。自己紹介は、もっと先にやるつもりだったの。でも、ちょっと遊んでみたくなっちゃった」

 名乗るついでに自分から妖怪だと名乗られた時は、流石に驚いた。容姿や話し方から変わり者だとは思っていたが、まさか妖怪だったとは。全てに違和感が無いから気が付かなかった。私への照れ隠しのつもりか、八雲紫と名乗る彼女は私を見て悪戯っぽく笑う。しかし、見た目は本当に妖怪らしくないと思えた。優雅な笑顔も美しいけど、お茶目な表情も素敵だ。

「貴女の名前は? 」

「鍵山雛。厄神よ」

「へえ~……雛、ね。可愛い名前だわ。貴女にピッタリ 」

 生き生きと話す妖怪だ。他者とは深く交われない私には、元気を持ち過ぎたところで持て余すだけだが。それにしては妖怪も、人間と同じように無邪気で楽しそうに笑うのね。

「そうかしら? あんまり自分の名前に思い入れが無かったから良く分からないわ」

 名前で呼んでくれるような相手は居なかったし、気にせずに生きていた時もあった。雛と言う名前は、雛人形の雛の一字と重なっている以外に意味を感じなかったし、私には神の親類縁者は一人として存在しないから、苗字に必要性が無い。鍵山雛よりも人々の厄神としての自分を優先して生きて来て、私が名前を意識したのはつい最近のことだった。

「名前は大切よ。だって名前を付けた相手には、とても深くて大切な愛が生まれるんだから」

「それは……名付け親の愛? それとも親の愛? 」

 私は両方ともに分かりっこないけど。

「どっちも。例えば、私は自分が名前を付けた式神を一番愛しているの。だって、親としての深い愛があの子にはあるから」

 八雲紫は語りながら、愛に無知である私の片手を握る。両方の愛、親の愛か。私を生み出した人間達は、今でも厄神や流し雛に愛着があるのか分からなかった。いや、愛着と愛は似てはいてもまた違うのだろう。私には、求められていることも愛だと思っていたいけど。

「……式神の子が羨ましい」

 きっと、その子は八雲紫から一番求められているのね。他人からの愛を受けるのも悪くない。変わらぬことの無い愛を受けていれば、自分の存在価値が揺らぐことは無いのだから。しかし、私は自分の存在意義の方が大切だと思う。不変の愛を受けられることに少し羨ましい気持ちはあるが、私にとっては自分を求め存在させてくれることの方が大事。神は愛で成り立たないのだし。八雲紫は、口を開く。

「貴女には」「誰かに愛されたことなんて無いわ。何百年と生きて来たけど一回も」

 けど、遮るようにして私の口から出た言葉は、今の境遇を嘲るような物だった。私が何とかして繋ぎ止めていることも、手にしたことの無い物も当たり前に持っていて、そんな彼女と空っぽの私を比べたら、自らを見下すことしか私には出来なかった。欲しいとは思わない。私には普通の暮らしさえ高嶺の花だから。

「生きる中で一度も無かった? 」

「……あなたの言う愛、が私を満たす物では無いの。私は一人孤独である定めだったから」

 歯切れの悪い言い方だ。私は、今まで通りの生き方に疑問を感じているのか。

「じゃあ、訊くけど。雛を満たす物は何? 」

 柔らかな口調であれ、意味は私を確実に捕え内心では意識が張りつめた。雛と下の名前で呼ぶ辺り、私の話を親身になって聞こうとしていることの表れなのだろうけど。私は問われると、離していた視線を再び八雲紫に向け、満たす物を想い浮かべた。

 ―――本来なら想うまでも無く答えられたのだけど。私は厄神。自分を満たしてくれる物が何なのかは、この目で何度も見て来たし直に経験してもいる。永い年月を経るごとに色々なことが交錯し、時たま分からなくなったこともあったけど、私を私でいさせている言わば原点であり、恐らく生まれた理由であることを忘却する筈が無かった。しかし当たり前のことを、真剣に気遣ってくれる相手に言うのも可笑しな話。

「……人々が、流し雛をしてくれること。それだけ、かな」

「ただそれを理由に、神として存在しているのね? 」

「ええ、だって私の中心だから」

 私が言うと、八雲紫は私から身を離し元の位置に座した。隙間から吹き込む冷たい風が、蝋燭を揺らし、本堂の中の明かりがボヤボヤと点滅する。蝋燭を背に座る彼女の表情が陰り、表情は窺えなくとも瞳だけが、神棚にちょこんと置かれた鏡のような点の輝きを発していた。静かな情景の中で八雲紫は、沈黙し続ける。やはり間抜けな答えだったかしら……と、彼女を見た時懸念を抑えられなかった。

「私とおんなじね」

 八雲紫の言うことは意外だった。

「同じって、あなたも厄を集めているの? 」

 私には同じだと言われる理由は見当たらず、彼女を困惑した瞳で見つめる。光りを宿す目は、笑っていた。八雲紫は、私から問われると首を振る。次に座る位置を変えてわざと自身の陰っていた表情をあらわにすると、彼女は嬉しそうに笑みを顔に湛えて私を見ていた。

「いいえ、そう言うことじゃなくてね。あまりにお互い似ていたから、つい可笑しくなって」

「似ているって……一体どんなところが」

 私は変わらぬ口調で続けたが、先程から彼女の言いたいことが分からないでいた。似ている……のかしら。まだ価値観の違いを噛み締めているだけで、互いに理解し合う為の共通点を知っていないから何とも言えない。彼女は私より早く共通点を見つけたのだろうか?

「何かの為に生きているところ。確か貴方は、自分と流し雛をしてくれる人々の為に生きているって言ったわよね。……違った? 」

 あぁ、なるほど。

「あなたの言う通りよ。私の身はそのためにあるから」

 疑心を抱いたのもつかの間、根拠を聞くと私はコックリと頷いた。否定の余地は無いために私は、彼女の言葉を受け入れ肯定している。彼女もまた私と同じように、自分と周りの為に生を捧げる身なのかも知れない。そう考えれば、似ていることに合点が行った。だからと言って全てを受け入れる気にはなれなかったが。確かに似通った共通点はあると思う。しかし、共通点もあれば相違点もあることも否定できない。「何かの為に生きる」ことが共通点ならば、「生きていることの意味」が一番の相違点なのではないだろうか。私は求められることを欲しているけど、彼女は欲する必要が無い言わば与える側。些細なことだが他にもある。それら全てを挙げればキリが無い。

「だから、似ていると思ったの。あくまで私の視点から捉えた考えだけど」

 八雲紫は、自らの胸に手を当てる。安堵しているのかしら。やっぱり良く分からない。似ていると言われたことは正直嬉しいと思う。だって、初めて他人と感覚を共有できたのだ。こんな対等に話をしたことも無かったし、彼女のことをもっと知りたいと言う気持ちになった。

「じゃあ訊くけど、厄神と似た共通点を抱くあなたの生きる理由は、何? 」

 他人に興味が生まれれば、問い返すのは当然のことだった。

「私はー……そうねぇ……」

 私に問われると、八雲紫は正面の引き戸の方を見た。外の夜景を見ているのかしら。彼女の表情に哀愁を感じさせる物は無く、生きる理由が儚い物では無いのだと教えてくれる。

「……誰もが共に暮らせる理想郷を、ずっと守り続ける為よ」

 そう言って、八雲紫は目尻を下げて微笑んだ。彼女の笑顔は、羨ましい位に生きる目的への誇りと自信に満ちている。存在する目的を失い掛けている私とは違って、口調も揺るぎ無かった。

「確かに似ているわね」

 多少の違いはあれ、生きる意味だけは同じ。似ていることをしっかりと聞いたら、今だけは孤独を感じ無くて、私も彼女同様微笑むことが出来た。








 大分その後も、二人で話をした。過去の思い出話とか、神話についての意見とか。彼女は自分の式神をこよなく愛し、自慢に思っていることが、話を聞いて分かった。主人に代わり様々な雑用を一人でこなせるのだから、確かに優秀な式神だ。自慢もしたくなるだろう。なのに、壮絶な戦いを経て従えたのだと聞いた時、二人の固い主従の絆を垣間見た気がして思わず感嘆せずにはいられなかった。式神の本来の姿は九尾の狐だと言う。そのような最強の妖獣を従えることの出来る彼女が、いかに強大な力を持っているか疑う余地は無い。生きる目的が壮大なのも、頷ける話ね。

なのに、彼女は強大な力の一片すら見せず、機嫌がさらに良くなったのだろう、終始私の前で楽しそうに、神の私でも思わず聞きいってしまう様々なことを教えてくれた。博識で、知識や経験も常人とは比べ物にならない彼女の話は、訊いていて目から鱗が落ちた気分だった。中でも、「文明開化」と言うのが今巷の人間達の間で叫ばれていることは、情報が入って来ない私には初耳だった。都市では人々の生活が常に新しくなって行き、昔の素朴さと慎み深さは失われつつあると言う。道理で流し雛も忘れ去られて行く訳だと、訊いた時に内心で納得してしまった。

本来なら厄祓いのために必要な流し雛を、人間自体がもう必要ないと判断していることも、彼女が離した世間の流れの話で知った。だから伝統は失われ、忘れ去られて行くのだ。愚かなこと。生活は豊かになっても、災厄からは逃れられない。本当に、昔から言われる大事なことを人間達は忘れている。

そのうち私は寂しさを感じた。忘れ去られるだけでは無く、取捨の選択もされていたことに。このままでは私が神としての地位を失い消滅するのも、遠いことでは無い。それなのに、消滅するのを分かっていながら声すら挙げられず、ただ厄を集めることしか出来ない自分が歯痒くて仕方が無かった。

「ねえ、紫―――」

「なに? 」

「あ、いや……その」

私は彼女の名前を呼んでいたことに気が付き、驚いた。無意識に下の名前で紫を呼んでいたから。しかし、本人は全く気にした素振りを見せずに、ただ答えただけ。私が気にしすぎただけなのかしら。

「―――って、紫って呼んで……いい? 」

言葉を反転させると、私は相手の表情を窺いながら聞く。なんでこんなことを聞くのか自分でも分からないけど、関係を大事にしたいと言う気持ちが私の中にあり、故に、些細なことに気を使っているのだと思った。とは言っても、神経質すぎる感は否めない。彼女は気にしていないのに、余計な気遣いを面倒だと思われたらどうしようか心配だった。

「当たり前にいいわよ。私だって『良い』の返事も無しに雛って呼んだもの」

 紫は、問われるとわざとらしく驚いた様子を見せた。私は変な気を回したことの恥ずかしさ故に、頬が赤くなる。紫が私の結んだままの髪を指先で一撫でして、途中で指を止めた。わざとやっているの? 白く綺麗な指先が私の髪で止まっているのを見て、今度は頬が熱くなった。

「それで、私に何か聞きたいことがあるんでしょう? 」

 紫は、私の髪から指を離さない。目線を自身の指先に定めたまま聞いた。

「え、えぇ。紫の守る郷が、どんなところなのか知りたいの。あなたが自信を持って理想郷と言えるところが、ね」

 まともに正視していたら、恥ずかしさに耐えられそうにない。私はここから見える紫の頭だけが見えるように顔を向けて言う。

「そうねえ……」

 私が話し終えると、紫の指先が再び私の髪を撫で始めた。私は指使いにくすぐったさを覚えたけど、紫の手を振り払うことはしなかった。彼女はただ撫でているだけだ。過度なことはしていない。この程度なら我慢できる。

やがて辛抱した甲斐あってか、指が私の髪から離れた。くすぐったさに硬直していた全身の力が緩み、私は肩を落として息を吐く。指で撫でていた髪に触れると、全く毛先は乱れていなかった。何も変なことはしていない。私は紫の手を退けなくて良かったと安堵した。

「全ての種族が、互いにいがみ合うことなく暮らせる世界。人間の身近なところに、妖怪や妖精がいる。普通なら有り得ないことだけど、平和よ。とても」

 紫は正座している自分の膝に手を置いた。その声は、本堂の中で不可思議に反響しながら私の耳に届いている。私には俄かに信じ難くて、目を瞬かせ相手の顔を見つめると訊いた。

「本当にあなたの言う理想郷なの……? 」

 無意識のうちに身を近付けている。人とそれ以外の種が同じ世界で生きられるなど、こっちで存在し続ける私には都合が良すぎると思った。でも、まさに私が望んでいる世界だ。声には驚きの色が滲み出、眼は見開き、全身から興味を発している。話の始めだと言うのに、つい私は物凄い喰いつきを見せていた。

「えぇ。信じられないだろうけど。まだ数多くの伝統が生き残っていて、住んでいる人間達はその恩恵を受けて暮らしているわ。……もちろん、流し雛も」

「それは全ての人々が、純粋に厄払いの為に流し雛をしていると言うこと? 」

 私は紫の、彼らの伝統の中で流し雛がまだ息吹を絶やしていないと言うことを聞くと、再び急かした口調で訊いてしまった。私の様子とは正反対に紫はゆっくりと頷く。

「……でも、皆が流すなんて……どうして? 同じ種族の人間なのに」

 私が口を開けて出るのは疑問符ばかりだ。それ程、紫の言う理想郷のことが知りたいと言う表れなのだけど、上手く自分の中で信じられないから納得するために訊くと言う、子供のような感情を抱いているのも否定できなかった。

「人間だけの世界では無いから」

 紫は、ただそれだけを、しかし理想郷である為のもっとも大事な根幹を告げた。まだ私は人間だけの世界では無いことの意味の全てを捉えた訳ではないけれど、他の種族も居て、人間が少なければ人間の天下では無いことは容易に想像が付く。後は何も思い付かなくて私は、ふと紫が「人間の身近なところに、妖怪や妖精がいる」と言ったことを思い出した。

「妖怪もいるから? 」

「神々も居るのよ、雛。信仰する人間達と神の関係は、こちらよりも遥かに親しく、近い物なの。だから……本当の共生がある。神がいなくては八百万の恩恵を受けることは出来ないし、妖怪が居ないと理想郷は意味を成さなくて、人間達がいなければ生活が成り立たない。どれかが欠けては暮らせないと言うこと。だから、皆が一緒に手を取り合っている。不便だけどこちらには無い物があるの。助け合い、とかね」

「…………」

 本当に実在する世界、なのかしら……。今や私は、紫の語る世界の話に虜にされていた。私も行くことが出来たら、と考えると想いを馳せずにはいられなくなりそうだ。

「素敵……。夢幻のようなところなのね」

 自分が暮らすことを想像しようとして、止めた。話で訊いただけでは、自分の中の勝手な設定も混ざり合い、自分を満たすだけの意味の無いただの妄想と成り果ててしまう。人々に受け入れられ、厄神としての理想を歩む姿を、妄想として幾度となく重ねて来た私には、これ以上の虚しさには耐えられそうになかった。

「そうね。貴女の居場所もある」

 紫の手が、私の手の甲に添えられると、自分が沈痛な目付きをしていたことに私は気が付いた。だから、私の手が握り締めていた布団を離すと、紫は私の気持ちを慈しむようにゆっくりと私の手を握ってくれる。

「消えかけの私にも……? 」

「えぇ。貴方がこちらに居れば存在を保ち、取り戻すことも出来るわ」

 手を握りながら、紫は話しの最後で私の瞳を見つめた。紫のように、とても魅力的な言葉だ。私がもっとも願っていた、人々の為に厄神であり続けたいと言う望みが叶う。理想郷に、私は強く引き付けられていた。そして、嬉しいことに紫は私を誘ってくれている。直接は言っていないけど、話の流れから紫の意思はありありと汲み取れた。

だが、理想郷へ移住しようとすることは厄神の感情とは思えなかった。何故なら厄神の私は目の前の厄を集め、人々を守ることに意義を見出している。もし移住してしまったら、この世界から厄神は消えてしまい、流し雛は意味を成さなくなるだろう。見捨てることと同じだ。今まで人々の厄を集めていた責任を放棄し、自分本位の行動を取るのだから。私が居なくなったら、流し雛はどのような末路を辿るのか。それすら見ることが出来なくなる。私が移住したいと思うのは、きっと個人の意思なのかも知れない。最近になって、諦めた自分の存在を何とかして保とうとする言わば葛藤のようなモノ。必要とされなければ、永遠に現れることは無かった。

だから、果してこの感情の従っていいのか決められなかった。自分を支配している個人に流されたら、全体を見失う。それでもいいのなら、感情に流される。紫の私を捉えて離さない瞳が、決めかねる自分の心に痛かった。

「紫……私は、厄神として有り続けたいと思っている。でも、個人としての面がどうしても押さえられなくなっているの。……これって、神としてどうなのかしら? 」

 問い掛ける声は小さく、半ば投げ掛ける口調。紫は一度目線を下げ、もう一度私を捉える。

「葛藤しているのね。……分かるわ。多分、今までの自分が受け入れられず、新しい自分を模索しようとしているのかも知れない。貴女が最後まで厄神でいたいと思っても、何処かでは存在し続けることを望んでいるのよ。人間が死を恐れるように、神であったとしても当然のこと。拒み過ぎるのは、良く無いと思うわ。大切な意思の一つなのだから」

「……私のことを良く知っているみたいね」

「いいえ、見れば分かるわ。雛がいかに悩み苦しんで来たか」

 紫が私の手を握る手に、少しだけ力を込める。肝心の私は、優しくされているのに泣きそうだった。何を言われても私は個人の意思を否定し続けてしまう。今まで他人を優先し続けたツケだ。本当は人間が負う筈の苦しみも私が背負うことになっても尚、人間の為に存在しようとしている。何処までも自分を傷つけ疲弊させてしまう私が、どうしようも無い程バカに思えた。いや、私はバカだ。救いようの無い、全てに盲目で思い込みの激しいバカ。こんなに苦しむなら、最初から救いを期待しなければ良かったのに。

「ダメね……」

 私は、口元だけを歪めて呟いた。

「来るつもりは、無い?」

「……まあ、そうね」

 私が言うと、紫自ら身体を寄せて来た。そして低い口調で

「でも、このままでは貴女は神としての意味を失い消滅する。それを望んではないんでしょう? 」

 紫の言うことはもっともだ。消えることはやっぱり私の本意では無いと思う。僅かな人々のためにも厄神でありたいとは思っているけど、消えてもいいと思うのは彼らの為の意識であるから。私は素直に頷いた。

「でも、まだ私を求めてくれる人がいる。少ないけれど、その人々の為にあろうと決めたから。紫に救われる前に……。目の前の厄を置いて去るのは出来ない。私は、厄神として有り続けたいと言ったわよね? だから、その人々の為にも私は厄神としてここに居続けたいの。先のことは分からないし、今後さらに流し雛は減り、忘れられていくと思う。消えたくない。けどね、私は最後まで厄神を優先するわ」

 紫は私の手を握ったまま、話を聞いていた。折角心配した言葉も跳ね返されたというのに、私の手を握る力は、相変わらず優しい。その上紫は、表情一つ変えることなく私を見ていた。

「いいの……? 最後まで貴女は利用されるだけ。雛、貴女に話した理想郷の名前は幻想郷と言うの。幻想の「郷」よ。幻想のように素晴らしいところなの。人々は利用するつもりで神々を信じてなどいない。心の底から信仰しているわ。この際だから、本当のことを言うわよ。私は幻想郷に来て欲しい。雛のような神様に消えて欲しく無いから」

 大きな衝撃を受けて、次に私は耳を疑う。いま、紫はなんて……。紫の本音を聞いた時、私は大きな驚きを感じずにはいられなかった。だって紫が私を幻想郷に連れて行きたいと言う気持ちは知っていても、まさか消えて欲しく無いが故に求められているとは思わなかったからだ。紫の手に力が込められる。私は驚き紫の手から逃れそうになった。上辺だけの言葉では無いのだ。彼女は、心から私を想い言ってくれている。すごく嬉しくて、でも初めて他人の庇護の想いを伝えられ、私はどうするべきか戸惑いを隠せなかった。もう、拒む為の意思が出て来ない。紫の気持ちと本意は私の中を滅茶苦茶に掻き乱し、厄神の決意と自分の意思を曖昧なモノにしてしまったのだ。

「何を言ってるの……。私の生き方を曲げようとしないでっ……! 」

「自分の生き方を変えているのは貴女!! 周りにあわせる為に、色んな物を諦めている。自分の生き方も、忘れられているから仕方ないと抑え付けて、どうして厄神として生まれたのかも見失って。僅かな人の為に生きなければならないなど、昔の貴女は思っていなかったでしょう? だから望んでいるんじゃないの、厄神の存在であることを……!! 」

 紫の話す一文節の一つ一つが私の耳に響き、心は締め付けられるようだった。


紫の言うことは正しい。


私は、自分の存在を矮小しながら生きて来た。そうでなければ時代と人々の流れに、私を合わせられなくて「厄を集めて人々を守る」と言う存在の意味も、唯の強がりになってしまうからだ。生き方を矮小するなど、弱さ以外の何物でも無いことも知っていたのに。現実を受け止めているようで受け止め切れず、私はじりじりと逃げていた。果てが今の私で、犠牲と言う名の献身を続け、自分を傷付けなければならなくなっている。もう、これ以上自分を言い聞かせることも、小さくなることも出来ないから。

紫の言葉は、私にそれらを再認識させるのに十分だった。聞きたくない。私は耳を塞ぎたくて、けどそれは出来ず、最後まで話を聞いていた。耳を塞ぐには、私の両手を優しく握ってくれる紫の手を振り払わねばならない。無理に決まっているし、温もりも一緒に振り払ってしまうことが怖かった。

私は紫の申し出を拒んだじゃなかったっけ? なのに、今なお紫の優しい温もりが拒めない自分が不甲斐なかった。我儘、都合が良い、甘えている。誰かが私に向かって吠えた気がする。全て当てはまると思う。自由は無いけど、事実内心の私は我儘だし、都合良く紫に甘えている。また叫び声が大きくなった。けど私は、離したくないが為に叫び声を無視して紫の手を握り返しただけだ。

「…………」

 気が付けば、泣いていた。

 上唇が震えたり、嗚咽が漏れたり情けない泣き方では無かった。無表情のまま、ただ瞳から溢れた涙が雫となって零れ頬を伝う。感情は色々と私の中で交錯しているのに、表情は人形のように、不自然なくらい感情が欠落していた。

「……私だって、行きたい……」

 顎から滴り落ちた後、苦しい喉を振り絞ってやっと出た声だった。

「なら、どうして……? 」

「これ以上、自分を矮小したくないから……。今、幻想郷に行けば私は最後に残った自負心も失う、わ……。あれを見て、紫」

 そう言ってやっと、私は紫の手から右手を離した。紫の指先が静止したまま後を追うように、離れた手の表面や指の線を滑らかになぞるけど、私はもう一度握り返すことはしない。名残惜しさのようなモノも感じないのだ。

私は、ゆっくりと指先で蝋燭の明かりに浮かび上がる神棚を指し示した。神棚と言う信仰されている証を。紫のような賢い妖怪には私の言いたいことが、すぐに分かると信じて。

「分かった、もう、分かったから……」

 紫は頭を下げて首を振った。意味が分かったのかしら、しかし表情を隠さねばならないのなら私は、必要以上に意味を与えてしまったかと思って少し後悔した。私を嫌になってしまったのかしら、紫は。やがて耐え切れず私の眉毛が下がった時に、いきなり紫が離されていた手を私の背中に回した。

 紫の行動はあまりに不意打ちだった。背中に手を回されるなど考えてすらいない。手を離した時に、紫の惜しむような感じを無視した私に、もう共に触れ合う機会は無いと思っていたから。次に何をするのか予測する前に、私は紫の胸と腕の中に包み込まれていた。

「……神様とは、貴女のことを言うのね」

 紫の片手が、私の頭を包むようにして抱き、顔を胸に押し当てた。苦しく無い具合で、口が紫に密着しておらず呼吸は熱くない。最初は訳が分からず混乱するかと思ったけど、紫に抱かれる中は柔らかで温かく、私は混乱するどころか目を閉じ自ら身を委ねた。きっと母の温もりとはこんな風なのだろうと、呑気に思いながら。

「でも、一番神様らしくない神様……。信仰を求めるじゃなくて、存在を求められることを願っているのだから。すごく、偉い」

 すぐ近くで紫が静かに囁いた。密着している身体が、少しだけ動く。楽な態勢を模索しているらしい。何度も何度も、私に気取られないように少しだけ動いて、泣いたばかりの私でも紫の行動は可愛らしいと思えた。

「少しの信仰と言うか……僅かでも必要性があれば私はここにいる。もう、これ以上自分の存在価値を小さくしたくないから……。だから、今の私は幻想郷に行くことは出来ない。今の世界で、私はどこまでやって行けるのか、やってみるわ。あなたと出会えて、厄神の本来の意味を思い出すことが出来たからね。だから、もう一度皆の生活を守りたいと思う……。ごめんなさい、紫の気持ちを裏切っちゃったけど」

 紫の手が私の頭から離れる。さっきと違い今度は名残惜しさを感じたから、少し紫の温もりに意識を注ぎ込み、やっぱり離れるのはもったいなくて息を吐いた。

「いいの。元は神助けする為だったのだから。……話が飛躍したけど、雛がもう一度自分自身を見据えて気持ちを固めたなら、私は構わないわ」

 紫はそう言って、私の肩に手を添える。密着したままだったけれど、肩に手を添えられた私は、胸から顔を離して見上げた。紫の添えられた手は、まるで光の中に差し込まれた救いのようだ。今日救われたことも、与えられた暖かさも全てが紫に差し述べられた。感謝してもしきれない。そう言えば、謝っていても肝心のお礼を言っていなかった。いけない、一番大事なことだった。

「ありがとう、紫」

 無意識に言えれば良かったのに。そう思いながら私見た紫の顔は慈愛に満ちた表情で、とても綺麗な顔だった。こんな顔が出来るのだと、私は目にした時、魅入らずにいられなかった。

「えぇ。その一言が聞ければ、もう十分過ぎる位だわ」







「またここに来てもいい? 」

 私達が、互いに離れてから沈黙していた時に紫は切り出した。

「大歓迎よ。手放しで迎えるわ」

 切り出された話題は私にとってこの上なく嬉しい物だ。今日一日で、私はかなり他人と交わることの楽しさを知った。故に、私はいつになるのか分からないことに期待を込め、微笑む。

「……その時は、来てもらいたいわ。幻想郷に」

「でも、私は」「えぇ、貴女の決意は分かっている。だから世の流れを見て、もう貴女が危ない、存在意義が失われかけている時に来るわ」

 私の表情が消えるのを感じた。来る時が分かったけど、そんな時に来るなんて思わなかったからだ。しかし返す言葉は見失うも、落胆はしていない。また会えることへの期待感は消え失せたが、紫への失望感は抱かなかった。大人びていて、不思議な感じがして、正直で思いやりがある。きっと、それら紫の側面を知っていたからだと思う。

「…………」

「その時なら、貴女の意思も変わるかも知れない。だから、考えておいて欲しい。……雛の未来の為でもあるだから。時間もまだあるわ、断っても構わないから。だから、お願い」

 紫が最後に言った「お願い」が心に響いた。お願い、されたら仕方ないわよね。まだ先のことかも知れないだから。まあどの程度先になるのかは、全て私の努力次第だけど。やっぱり私は迷っているのかしら?

「……分かったわ。考えるし、再認識した決意を守れてはいても、もう状況が絶望的だったらあなたに付いて行く。……それにしても紫は、相当なお節介さんなのね、でも嬉しい。あっちも同じくらい暖かいのね、きっと」

 紫の真面目な表情を見てクスクスと笑った。私も紫もこの期に及んで本意に反する気持ちを抱いていたのだから。諦めない紫と、まだ幻想郷に想いを抱く私を見比べたら、自然と込み上げて来た。紫は、私の態度に少しポカンとした後、私の台詞を思い浮かべたのか吹き出して

「あっちでは変人扱いだけどね」

 私と同じように、何処からか取り出した扇子で口元を隠して上品に、けど可笑しそうに笑った。そのままお互いの乾いた笑い声が本堂に響く。誰かが聞きはしないかなど、頭に浮かばない程、湧き出すままに笑った。






 



 その夜は、紫に見守られて眠りに就いた。


 ――――良い夢を見られますように。

おやすみではなく、私の意識が落ちる前に紫が言った気がした。私の為に祈ってくれる人がいる。私は、最後まで紫の温かさに包まれていた。






出来れば、昔の頃の夢が見たい。






自分が、一つだった頃のことを。






だって私は鍵山雛でもあり






人々の為の厄神なのだから。












 この身は誰の為に    ――――完――――
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
臣民です。
今回は、雛が過去にこちらの世界にいた時の話を書いてみました。
幻想郷一の献身キャラである雛は、一体どんな経緯を経て幻想郷に来たのだろう?と思い、自分なりの解釈や、様々な流し雛に関する知識を交えて書き始めたのが今作です。
雛は、厄神と言う生まれ故に苦悩や葛藤は相当の物だと思います。だから、せめて雛が希望と生きる意味を持って暮らせる話にしてみました。
それも雛の魅力ですが……。作者の一番好きなキャラが雛ですので、このネタはずっと温めていました。
雛の幸せな姿は最も綺麗ですから!

では、次回作で会いましょう!
臣民
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コメント



0.1260簡易評価
10.100名前が無い程度の能力削除
丁寧な文章で読みやすく、すぐに物語りに引き込まれました。
自分の中の雛とは若干ズレがありましたが、気になるほどでもなかったし、
雛と紫のやり取りもとてもよかったです。
そして一番の見所である、雛の心情もしっかり書かれており、タイトルを
見事に昇華した内容に感服しました。
作者さんの、作品と雛に対する愛が詰まった良い作品でした。
12.90名前が無い程度の能力削除
作品にかける意気込みが伝わってきました。
15.100名前が無い程度の能力削除
うぅ…雛は健気だ…
雛愛の溢れたいい作品でした。

>幻想郷に来るずっと前の話し。
最後のしは余計ですよね
23.無評価臣民削除
≫10さん
ありがとうございます!!
感服だなんて……嬉しい限りです。愛は精いっぱいつぎ込んだつもりです。ありがとうございました!!
≫12さん
閲覧ありがとうございます!!
意気込みもつぎ込みました(笑)次もがんばります。
≫15さん
健気なのが雛だと思いますからね。
指摘に感謝です!!
32.100名前が無い程度の能力削除
神と子の狭間で揺れる雛を堪能させて頂きました
雛のような神々を探しては手を差し伸べている紫もいい味出してますね
33.無評価32削除
子→個でした
誤字申し訳ありません