1
「んー、いい天気」
透明な光を浴びながら、箒を握る腕を動かす。澄み切った空気は靄を伴って、うっすらと白色のカーテンを境内に垂らしていた。
ベールの向こう側に顔をのぞかせた太陽は、ちょっと前と比べると、いくらか優しげ。
いつも皆を見下ろしている彼も、きっと私とおんなじで、名残惜しそうにカレンダーをめくっているのかもしれない。
本当に、不思議。最初っから夏休みなんてなかったのに。
うーん、そんなことを言ってしまうと、そもそも幻想郷って不思議。
たくさん不思議なことがあって、だからなんでも起こってしまいそうで、なんでも出来てしまいそうで……不思議が不思議じゃなくなってしまうという、矛盾。
だとしても、私にとって不思議なことなのだったら、それは不思議なこと。今の私が不思議に思っているのだったら、ね。そう、今だって、すごく不思議に感じている。
私、貴方にお誘いされたということに、どうしてこんなにもうきうきとしているのでしょう。
蝉の鳴き声が私の意識を守矢神社の境内に戻すころにはすでに靄も薄くなっていて、肩に降り注ぐ陽の光は僅かにその熱を上げていた。
そうして夏は終わっていくのに、その切なさと、だからこそ感じる昂りが交差する。
深い緑の木々を揺らす風の音に耳を傾けると、一瞬だけ、脳裏に縁日の風景が映った。
その風景は風が過ぎ去っていくのと一緒に流れていって、あとに残ったのは切なさだけだった。ちょうど線香花火みたい。
私の感じている貴方に対しての、気持ち。その後に残るのが切なさだけではありませんように――。
太陽の眩しさに目を細めると、そろそろお二方が起きてくる時間。その前にお食事の用意をしないと。
箒を握りしめて、ちりとりを掴む。ふと思った。今頃霊夢さんも私と同じように箒を手にして、太陽に目を細めて、それで朝食作りに取り掛かろうとしているのかな。
――晩夏~Late Summer Melancholia
2
夏の午前中はいやに短い。
朝食を食べて、ちょっとのんびりして、家事をして、そうしたら蝉の合唱は賑やかになって、
「ご飯ですよー!」
すぐ昼食。
「お、昼食はそうめんなんだ」
諏訪子様が言うのを聞きながら、私も食卓につく。
「早苗、そうめんは手抜きみたいになっちゃうから作らない、って言ってなかった?」
「ふふっ、別に手抜きというわけではありませんよ、神奈子様。ただこんな日には、そうめんだと思ったんです。はい、あとは山菜の天麩羅を」
「いいね。しかしあれだ。そうめんというと、あの頃を思い出す」
目をつむり、腕組みをして、うんうんと頷く諏訪子様。なんのことかと考えていると神奈子様が、あぁ、と口を開いた。
「うん。あの頃の早苗は料理もほとんど出来なくて、夏休みになるとお昼ご飯を作ってくれるのはいいんだけど、毎日のようにそうめんで」
クククと愉快そうに笑うお二人だけれど、私はというと恥ずかしさに赤面してしまう。
夏休みになると一日中お二方と一緒にいられて、それが嬉しくて、子供なりに努力をして……。そのこともあってお料理のレパートリーが増えてからは、そしてこちらに来てからも私が昼食にそうめんを出すことは一度もなかった。
でも、今日はなんだか気分が違った。それこそ諏訪子様の言うように、あの頃、を思い出すからかもしれない。こちらに来て二年が経って、やっぱり幻想郷の夏が、外の世界の夏となにも変わらなかったことが嬉しかったのかもしれない。
「そ、そんなことはいいですよ。さ、いただきましょう」
いただきます、と私とお二方の声が部屋に響く。それぞれがそれぞれのタイミングで口を開いているのに、その声はぴたりと揃う。それがとても楽しくて、暖かくて、私はこの一瞬の為に食事を作っているといっても過言ではない。
もちろんお料理を口にしてもらって、美味しいって言われるのだってとても嬉しい。でも、なんだろう。褒めてもらうことよりも、私はそんな一体感を欲しているのかもしれない。贅沢なのかもしれないけれど、でも神様と一緒にいられるということ自体、とても贅沢なことなのだもの。――それは人間として、現人神として、そして東風谷早苗として、とても贅沢で、とても幸せなこと。
「うーん、ちょっと残念だなぁ」
「どうなさいました、神奈子様」
神奈子様はそうめんをすすってニヤリと笑うと、足を組みなおして、私を見つめた。
「いやさぁ、諏訪子があんなこと言うから、私もあの頃の早苗のそうめんを想像して食べてみたんだよ。そしたらさ」
「……お、お口にあいませんでしたか?」
「ううん。たださ、あぁ、しっかり茹でてある。芯も残ってないなぁ、なんて思ったのよ」
「あぁ、それだね! なんか違和感があったんだよ。早苗のそうめんってさ、もっとこう、ほら、生茹でで」
「もう! あの頃はまだ小さかったんですから、仕様がないですって!」
意地悪そうに笑うお二方。少ししてから神奈子様が、天麩羅にお箸を伸ばしながら口を開いた。
「ふふ、まぁ私はどちらでもいいけどね。早苗の作ったのもなんだから」
「うん当然。それが美味しいのなら、なおのこといいけどね。今みたいに」
続けて諏訪子様が言う。こんなお二方が、私は大好き。
「……ありがとうございます」
「それにしても、なんだか今日の早苗は機嫌がいいね」
わらびの天麩羅を一口で食べてから、神奈子様が言う。その手は再び天麩羅に向けられていた。
「そう、ですか?」
「そうだね。それこそ、夕方から友達と縁日にいくっていう時の、そんな感じ」
答えたのは諏訪子様。友達と、縁日に。そんな日は社の手伝いもほどほどに、ただ下町の縁日に行くことばかりを考えていて……そうだ。今日も浴衣、着ていこようかな。
「あぁ、そういえば今日は麓の神社に行くんだって?」
「はい、神奈子様。ですので、お夕飯はよろしくお願いしますね」
「神奈子が作るのかぁ……私たちも一緒に麓に行けばいいんじゃない?」
諏訪子様が外を眺めながら、そんなことを言う。その視線を追っていくと、栴檀(センダン)の木の幹から、ぽとりと、なにかが落ちた。音もなく落ちたそれはきっとクマゼミで、だから気のせいか蝉の声が静かになったのだろう。
少し前のその声がうるさかった時期と比べれば、今はそれこそ静かすぎるのかもしれない。もちろん、今だって蝉はうるさいくらいに鳴いている。それでも、だ。そんな中、蝉の声は次第に哀しくなって、それがまた少し、また少しと消えていく。そうして合唱が、独唱がすっかり消えてしまった後には栴檀が実をつけて、それが黄褐色の彩りを紅葉に持ちより、秋が、冬が深まる。
「しかし、麓の巫女がねぇ。本当に行くの?」
「神奈子は心配性だねー」
「それを言うなら、諏訪子もだろう」
「私は神奈子の作ったご飯を食べるなら麓の巫女のところでご相伴に預かった方がいいんじゃないかって、ちょっと、神奈子! それ私の!」
神奈子様が、諏訪子様のお皿の上の衣をまとった筍をひょいっとお箸でつまみ取る。こんなちょっと子供っぽい一面が意外で、とても微笑ましい。秘密だけれど。
「そういうこと言ってると、諏訪子の分は作らないよ」
「その上、天麩羅まで奪うなんて理不尽だ!」
「ふふ、私のをあげますよ。諏訪子様」
お二人が同時に私を見る。
「ははは、いいよ、早苗。ほら諏訪子」
一拍置いてから、神奈子様は笑いながらそう言って、お箸で掴んだ筍の天麩羅を諏訪子様に差し出した。やった、と諏訪子様が笑顔でそれに口を伸ばすけれど、するとひょいっと神奈子様のお箸が引かれて、諏訪子様が空を噛む。
「ちょっと神奈子!」
「冗談冗談」
今度は間違いなく、天麩羅が諏訪子様の口の中へ。それを食べ終えてから、諏訪子様が口を開いた。
「ま、言ったように私は別に心配とかしているわけじゃないよ。なんにもない寂れた麓の神社が、早苗にとって縁日みたいに魅力的だっていうなら、楽しんできなよ」
その表情はどこか含みがあって、けれども好意的なものであることだけは、すぐに分かった。
「はい、諏訪子様」
「ま、土産話、期待してるよ」
神奈子様はそう言うと、やはり諏訪子様と同じように少しばかり意味深に微笑んだ。
「土産話だなんて、ちょっと宴会に誘われただけですよ。そんな、面白いことなんて」
「ふふっ、だから、だよ」
なにか思い当たる節がないといえば嘘になってしまうけど、それでも私はなにも言わないことにした。
あまり考えても、期待しても疲れてしまうだけだから。
あの綺麗な黒い髪の毛に触れてみたいだとか、そういうことを思っていても、それがどういう気持ちから生まれた衝動なのか、私自身――。
それでも、気まぐれかもしれないけれど、一緒に宴会をと直々に誘われたことは、単純に嬉しいのだから仕様がない。
ふと、外を眺めてみた。
栴檀の木の根元を眺めてみた。
風に流されたのか、土に覆われたのか、それとも小鳥がさらったのか、落ちたクマゼミは、どこにもいなかった。
秋の足音が、聞こえた気がした。
3
「浴衣着てくんだ」
部屋を出たところで、神奈子様と鉢合わせ。
「はい。なんだか、そんな気分で」
「そ。久しぶりに見ると、新鮮でいいね。似合ってる」
「ふふ、ありがとうございます」
蛙と蛇の柄の入った、少し子供っぽいかもしれない、そんな浴衣。色調は結局、巫女装束と大差ないので目新しさはない。それでも神奈子様が目を留めてくれたのが嬉しい。
こんな風に、霊夢さんも言ってくれるだろうか――。
「早苗?」
「あ、はい、なんでしょう」
「いや、すると、もう出かけるの?」
「はい。少し早いですが、寄り道をしていこうかと。諏訪子様は」
「あぁ、昼寝してるから、私から言っておくよ」
「分かりました。それでは、行ってまいります」
「折角だ、私も玄関まで着いて行く」
「そうですか? ありがとうございます」
そう言って、廊下を歩き出す。僅かに昼食の薬味の香りが漂っていた。
空気は思いのほかひんやりとしている。風鈴の音のように響き渡るヒグラシの鳴き声もあって、湿り気のある暑苦しさは皆無。玄関には今も眩しい太陽が差し込んでいて思わず目を細めてしまう。
そしてその熱がぽかぽかと心地よくって、身体だけでなく心も温かくなる。クマゼミとヒグラシの声を交互に聞きながら、私は戸を引いた。
「早苗」
ボリュームの大きくなった蝉の声と、一段と眩しくなった光りに包まれて、神奈子様の耳に届いた。
「なんでしょう、神奈子様」
「宿題、終わったの?」
「ふふっ、宿題なんて、ありませんよ」
一歩踏み出してから振り返ると、光に目がくらんで、神奈子様の表情がよく分からなかった。
「……知ってるよ」
目が慣れたころには、神奈子様はニヤリと口を上げて笑っていた。そして続けて、口を開いた。
「夏が、終わるね」
その言葉の意味が、よく分からなくって、もちろん、言葉の意味は分かるけれど、その裏が分からなくて、一瞬固まってしまった。だから、澄んだ空気を胸一杯に吸い込んで、感じたままに口を開いた。
「はい。この季節って、なんだか不思議な季節だと思います。そわそわしてしまって、それでも凄く心地よくって、楽しいことが、たくさんあって、でも時々哀しかったり」
朝には靄がかかって葉が雫をまとい、昼間には蝉の鳴き声と一緒に陽を浴びて、夕方にはオレンジの空とトンボたちを眺めながら外を歩いて、そうして夜には――。
他の季節と、特になにが違うとはいえないけれど、だから夏の終わるこの季節って特別なんだと思う。
神奈子様はなにも言わずに庭先の木を眺めている。視線はそこを見ているようで、もっと遠くを見ているようで、それでも私の心を覗いているみたいだった。
神奈子様には、分かるのだろうか。私がどうして、こんなにも霊夢さんのことを気にしてしまうのか。いや、それはもっと具体的で、それがなんていうのかなんて、私にだって分かっている。
でも、それって、なんだろう。
「あ、あの、神奈子様」
それ、って、
「なに、早苗」
なんだろう。
「こ、ここ恋って、なんだと思います、か?」
少し驚いた表情を浮かべた神奈子様はふふっと笑って、やっぱり視線は庭先にあって、そのままの姿勢で、口を開いた。
「晩夏、かな」
「え?」
「そわそわして、それでも凄く心地よくて、楽しいことがたくさんあって、時々哀しかったり、早苗にとっては、そういうものなんじゃない」
ちらりとこちらを横目で眺めると、神奈子様は私に向き直った。
「それじゃ、いってらっしゃい」
神奈子様のその表情にどうしてだか落ち着いて、その表情をお守り代わりにしたくって、しばらくその顔を、静かに見つめ返した。
変に思われてしまう前に身体を伸ばして、そうしたらやっと、口から言葉が出た。
「はい! いってきます」
晩夏。私は晩夏の道を歩いていく。
4
ここは賑やかだった。
博麗神社の石段。
脇にはどっしりと立ち並ぶ樹木たち。
石段を一つ一つと踏みしめていくと、いろんな音が聞こえた。
蝉の鳴き声は、不思議と山の中よりも大きくて、風が吹けば木々はお喋りをするように葉を揺らす。
ジージーとけたたましい鳴き声と一緒に、私の足元に、蝉が落ちた。微かに身体を揺らそうとしているのを見ていたら、昼間に居間から眺めた景色を思い出した。
昼間のことがずっと前のことみたいで、ついさっき寄り道した里の雑貨屋で線香花火を買ったことだって随分と前のことに思える。なのに、ここにいるとゆったりとした時の流れを感じる。
再び足元を見た。蝉が身体を揺らそうとしていたのも、いくらか前の出来事になってしまった。
上を見上げて、階段を上る。久しぶりの浴衣は少しだけ動きにくくって、だから余計に階段は長く、霊夢さんが遠く思えた。早く登ろうとしても、どうしてかそれが出来なかった。もどかしい。けれども、焦る必要もないなと、そう思った。
霊夢さんは人気者なんだから、きっと魔理沙さんや、他の誰かに囲まれているんだろう。私一人、ちょっと遅れたくらいで、ね。きっとなにも、ありはしない。
遅いって叱られたり、拗ねられたり、そんなことは、きっとない。竹かご巾着からちょこんとはみ出ている線香花火が、なにか言いたそうにこちらを見ていた。するとやっぱり、縁日の風景が脳裏に浮かんだ。
きれいで、楽しくて、切なくて、それが夏のようで、晩夏がそこにあるような気がして。
たまらなくなって私はそこから目を離すと、もう一度石段を見上げた。すずむしか、それともこおろぎか、控えめなヒグラシの鳴き声に混ざって、囁くような虫の音が漂ってきた。
すると私は、石段のてっぺんに、ふわりと揺れる紅を見た。翻ったスカートの紅色は白いふくらはぎをちらりと見せてから、その人を連れてきた。
気がつけば、石段はあと五段。貴方との距離も、あと五段。
その五段に、賑やかな蝉たちも、静かな虫たちの囁きも消し去るくらいの静謐を詰め込んで、視線が合った。
「遅いじゃない」
「霊夢さん……」
「それとも冷めたご飯の方が好きなのかしら。まぁ、いいわ」
そういって彼女は足早に社の方へ歩いて行った。
私もそれを追いかける。
耳には静謐と、風鈴の音のように涼しい霊夢さんの声だけが取り残された。
霊夢さんを追いかけて博麗神社の境内を歩いていると、なんだか大きな違和感があった。
「宴会なのに、いやに静かですね。他の方は」
「……神様達を除けて、あんただけが呼ばれてるって時点で、察しなさいよ」
その言葉は尻すぼみで、それでも私にはしっかり聞こえてしまった。
「でも」
「ほら、早くあがって」
そう言うと、霊夢さんは奥へといってしまう。
私はというとまるで狐につままれた心地で、なにがどうしたのか掴みかねていた。
それは奥の部屋に導かれて、正座して、霊夢さんと豪華ではないにしろ手の込んだ料理を目の前にしても変わらなかった。
「……食べないの?」
「いえ、ただ、気になってしまって」
「なに?」
お箸を手にしたまま、霊夢さんが顔を上げた。宴会なんて単なる口実で、ひょっとして……そんなことを思いながら、素直な疑問を、口にした。
「どうして私を、招いたんですか」
「どうして、ねぇ。どうしてだろ。どうしてかわかんないけど、それでもこの季節って、誰かと一緒にいたいと思ったのよね。誰でもいいわけじゃないけど、とりあえず、誰かと」
誰かと、一緒に……。
「なにか不満でもあるのかしら」
「そんな、私はこうしていられるだけで……っそ、それじゃ、私もいただきます」
はぐらかすようにいただきますを言って、手を合わせる。
ちらりと霊夢さんの顔を窺うと、彼女は少しだけ眉を寄せて私を見ていた。
「召し上がれ」
その声が穏やかなのを聞いて、安心するl
食卓を眺めると、季節の味覚が色鮮やかに並べられていた。赤はサラダのトマト、紫はナスの漬物、黄色にはカボチャの煮物、鮎は綺麗な焦げ色をつけている。
手に取ったお箸が、ひょっとしたら霊夢さんのものかもしれなくて、それで少しドキッとしてしまう。そんな考えを追い払って料理を味わう。どれも美味しくて、どこか懐かしくて……。
「そんなに忙しなくなんて、しなくていいのに」
霊夢さんは笑いながら、私を見ていた。
「すいません、つい。なんでしょう、この季節になるとどうしてだか、あくせくしてしまうんですよね」
「そう?」
「そうですね、例えば宿題をやったりとか、夏休みが終わっちゃうって、無理に遊んだりとか」
「どういうこと?」
首をかしげながら尋ねる霊夢さんを見て、気がついた。
「外の世界の、夏の風物詩、ですよ。ふふっ。夏休みなんて、ないんですものね。宿題がたくさん出されたり」
「ふぅん、忙しいのね。宿題って寺子屋で出されたりするやつ?」
「そう、なんでしょうか。夏の暑いころには長いお休みがあって、ってそれは寺子屋でもあるものなのかな?」
「どうなのかしらね。少なくとも、私にはあくせくした記憶も、宿題に追われた記憶もないわ。もちろん、無理に遊んだ記憶も」
湯呑を手にして霊夢さんが言う。その口調は興味がないようにも、逆で興味があるようにも聞こえた。
霊夢さんはどちらつかずなようでいて、しっかりと自分を持っている。無理に価値観を共有する必要はないと、それを知っているんだろう。
真っすぐで、素敵な生き方。
私もそうなりたいのかというと、そういうわけではない。それは口でいうほど簡単なことではなくて、でもだからこそ、そんな彼女と価値観を共有したいと私は思う。
まだ彼女と出会ってたった二年だけど、その間で、そうだと思った。
価値観という言葉に感じるなにもかもを詰め込んで、その全てではなくでもどこかで一緒に笑って、一緒に泣いて……私にとってそれが出来る相手が霊夢さんだったら、とっても素敵。
でも願っているだけじゃ、なにも変わらない。
私も、なにかをしなくちゃ。自分が思うようになにかが出来る、幻想郷でなら不可能はない。
「だったら私と、無理に遊んでみませんか?」
「本当に無理に、なのね。もう暗くなっちゃったわよ。遊ぶったって、なにするの」
湯呑を口元にやるのをぴたりと止めて、霊夢さんがそう尋ねる。障子の向こう側はもう暗く、ひぐらしも鳴きやんでいて、代わりに虫たちのささやかな囁き声が暗闇を跳ねていた。
「暗くなったから、ちょうどいいんです」
線香花火が、私の背中を、押してくれたみたいだ。
・
「線香花火、か。最後にやったの、いつだろう」
地面に置かれた提灯の僅か黄色い光りに照らされて、霊夢さんの白い肌が暗闇にぼうっと浮いていた。
しゃがみこんだ私たちは、月夜に冷めた地表が放つほんの僅かな冷気を浴びながら、提灯の明かりを眺めていた。
灯りに引かれた小さな蛾が、白い提灯に身を寄せた。小さな提灯はただ静かに、その身体を光で包んだ。
「私も、随分と久しぶりです」
「……ほんとはさ、私、あんまり線香花火って好きじゃないのよね」
提灯を隔てた正面で、霊夢さんは目を細めながらそっと呟いた。
「そうですか?」
「たぶん、花火自体、あんまり好きじゃない」
霊夢さんはそう言いながら指先で、細い木の枝を持て余すように線香花火に触れていた。
「悪いこと、しちゃいましたね」
「ううん、別にいいわ。たださ」
そういうと霊夢さんは提灯の火を、ふっと吹き消した。提灯に張り付いていた蛾は、灯りが消えたからなのか、風が起こったからなのかは分からないが、慌ただしく飛び去っていった。
「ただ、光が消えちゃうと、こうやってなにかが何処かへ逃げていっちゃうようで、嫌」
さっきまではっきりと見つめられた霊夢さんの顔も、今は真っ暗な虚空に吸い込まれていた。
私は無言でマッチを擦って、右手の線香花火に火を灯した。
線香花火はちらちらと頼りなさげに光を吐き出す。その火にまだ勢いがあるうちに、私は霊夢さんの横にゆき、霊夢さんのその左手を、私の右手の上にあてがった。
「ちょ、ちょっと、びっくりするじゃない」
僅かに照らされた指先。小さな線香花火の火は、それでもしっかりと熱を放っていて、その熱が私の指先に、そしてきっと霊夢さんの指先にも伝わっていた。
ぱちぱちと火のはぜる音は虫たちの鳴き声を覆い尽くして、覆い尽くしたと思ったら、しゅうっと、すぐに消えてしまった。
再び真っ暗なベールが私たちを包む。
それでも、指先の熱は、霊夢さんの熱は消えていない。
「温かかったですね」
暗さのせいで、霊夢さんの表情は分からない。虫の鳴き声に混ざって、微かに息を吸い込む音がした。
「……うん、今も」
「何処かにいったりなんて、しないですよ」
確かに線香花火の光は、臭いは夜風と一緒に何処かへいってしまったけれど、私たちの掌は、指先は間違いなくそこで重なっていて、間違いなく花火を掴んでいた。
「そんなこと、ない」
私の右肩に髪の毛が触れて、そして霊夢さんの左肩が触れた。
「どうしてです?」
「だって、あんたもいつかは死んじゃって、私もいつかは死んじゃうのに」
その言葉の憂いの様子が、なんだか終わってしまう夏を見送る気持ちに似ているようで、だから私も、決して分からないことじゃなかった。
私は人間たちに囲まれて生きてきた。だから、死ぬということへのある程度の理解は、妖怪たちよりはあるつもりだ。でも、霊夢さんは幻想郷に生まれて、妖怪たちと生きてきた。幻想郷はすべてを受け入れるのかもしれないけれど、それを受け取れるかは、一人一人。死ぬということを受け取れられるかも。
「私、時々考えるんです。私は人間だから、神様や妖怪のように、永久には生きられないです。でも、そんなことどうでもよくって――」
夕方に私を見送ってくれた神奈子様は神様だけど、そんなことよりも私の家族で、家族を相手にいつ死ぬだとか、そんなことを考える必要は、ない。そんなことよりも大切なのは、
「やっぱり今、なんだと思うんです。今、私たちの見た線香花火がすごく綺麗で、その灯りに照らされた霊夢さんの顔もすごく綺麗で、こうして二人でお話できるという、今が大切なんです」
途中、右手の上の霊夢さんの手がピクリと動いたが、構わないで言葉を続ける。
「今、にしていることが、死ぬその瞬間にも一緒なら、素敵ですよね」
夜風が静謐に引き寄せられるようにして、冷たく吹く。それでも私たちの手の温もりまではさらえない。
「死ぬまでこんな恰好でいるつもり?」
「それはできませんから、霊夢さんも花火、しましょ?」
私はそう言ってマッチ箱を霊夢さんの左手に包みこませた。
「……うん」
霊夢さんのマッチを擦る音を聞いてから、私も新しい花火を手に取る。右側に一足早く花火の音を聞いて、私も霊夢さんに差し出されたマッチを火種に花火をつける。
小さい煌やかな二重奏が、数多の虫の音と多重奏を奏でる。火薬の匂いが胸に一杯になって、色々なことがむせ返りそうだった。
花火の燃え尽きた後には賑やかな虫の音と、指先の温もりと、右肩に寄り添う霊夢さんがいた。
「早苗」
「なんですか?」
「浴衣、似合ってるね」
「……ありがとうございます」
私がそう言ってから幾らか時間が経って、花火の熱も消えてしまう頃に、大きなため息が聞こえて、そうして霊夢さんが口を開いた。
「あー、なんだか調子狂っちゃった。早苗、戻って呑むわよ。よく考えたら、宴会って言っておいて、お酒も飲まないなんておかしいわ」
勢いよく立ちあがって、霊夢さんが歩いていってしまう。
「あ、ちょっと霊夢さん!」
私は声をかけながら、その手を掴んだ。
「……どこかいっちゃ、駄目ですよ」
振り向いた霊夢さんは、少し頬をふくらませるようにして、私を見つめた。
「それは私の台詞よ」
私の手が、ぎゅっと握り返された。
・
月が高い。彼女はあんなに高い所から私たちを見下ろして、どんなことを考えているのだろう。
雲が時折通り過ぎて、月の視界を遮る。すると彼女には、なにも見えなくなってしまうのだろうか。
けれども、私の見上げる空には間違いなく月が浮かんでいて、一片の雲を通しても、くっきりとその光を見ることが出来る。
それが太陽の光を反射しただけだというのが、どうにも信じられない。それくらいに月は気丈に、私たちを見下ろしている。
なのに、その気丈な姿は欠けていて、だから何処か悩ましい。不思議なことに、今私の膝の上で寝息を立てる霊夢さんと、空に浮かぶ月とが重なった。
「それなら私は、太陽になりたい……」
思わず口にした言葉は、びっくりするくらいに的を射ていた。ふとももに温もりと鼓動を感じながら、その顔を眺める。太陽と月とは交わらない。私たちと、おんなじじゃないか。それともここは幻想郷。どんなことでも、起こるのだろうか。
「霊夢さんって、こんなにお酒に弱かったですっけ」
穏やかな寝息は規則正しく、自由に飛び交う虫たちの鳴き声に惑わされずに一定のリズムを刻んでいる。それを聞いていたら、私も眠くなってきた。風が吹いた。霊夢さんの黒い髪が、さらりと揺れて、その香りがふわりと舞った。膝をくすぐるように広がった黒い髪の毛を整えるように、触れてみた。指先をするりと抜けて、もう一度さらりと揺れた。寝息が少し乱れて、霊夢さんが寝返りを打った。
「ん……ん。早苗?」
「あら、起しちゃいましたか」
「うぅん」
霊夢さんが身体を傾けて、その顔は私のお腹の方に向いていた。
「って、私なにしてんの? ご、ごめん」
霊夢さんがあわてて身体を起こす。
「ふふっ、お気になさらず」
お酒のせいではなしに顔の赤い霊夢さんが、とても可愛らしい。
「あ、あのさ、早苗」
「なんですか」
少し視線を泳がせてから、霊夢さんが口を開いた。
「今日は、ありがと。一緒にご飯、食べてくれて。一緒に花火、してくれて。私、夏が終っちゃうのが、なんだか哀しくて、だから……」
「私こそ、ありがとうございます」
「そ、それと、私きっとあんたのことが」
言葉はふいに、そこで止まった。霊夢さんはなにも言わずに私の横に座ると、そっと身体を寄せてきた。
それだけで、十分だった。
膝の上は今も温かい。
晩夏。夏は終わる。それでも、この心は終わらない。太陽のように、いつだって温かくて。
今、にしていることが、死ぬその瞬間にも一緒なら、素敵ですよね。
私は今、貴方に恋をしています。
線香花火……俺も一人ですが、やりたくなりました。
夏が終わることを惜しまないようになったのはいつからだろうとか考えた。
とても雰囲気の良い、素敵な巫女ふたりでした。
でも早苗さんに一つ突っ込みたい。そーめんを生茹でにするのは難しいと思うんだ!
そうか、太麺だったんだな、そうに違いない!!
早苗さんの作ったそーめんが食べたくなりました。
霊夢との会話もちょっと切ないものや、二人の良い雰囲気もあって面白かったです。
落ち着いた良いお話でした。
ところで筍の天ぷら食べたことないのですが美味しいのですかね?
読んでて心が落ち着く作品ですねぇ。
神奈子様がカリスマすぎる
私の夏はこの作品によって過ぎ去ったといっても過言ではない。
雰囲気壊して申し訳ないが、今の俺の胸の中は何か熱い物に満たされているぜ!
素敵なお話有難うございました。
そのひぐらしすら鳴かなくなった東京はもうだめなんだなと思う
切なくて、気持ちよくて、うつくしいと思いました。
あぁ勿体無い勿体無い、これだからそそわは気が抜けないんだ
神奈子様マジ信仰に値するでしょうこれは
いい雰囲気でした。
レイサナヒャッホー!