※タグを見て、無理そうだと思った方は素直に読まないことをお奨めします。
午前二時、草木も眠る丑三つ時。
だが、草木は寝ていても一部の人間は起きていたりする。
青年もその一部の人間であり、友人との飲んだ帰りでぶらぶらと散歩していた。
人間が支配する世界は蛍光灯やネオンの光で明るく、星の輝きをも奪うほど。
しかし、闇は人間の光でも完全に消え去ることはなく、青年が歩く道も街灯の微かな光があるのみで、あたりは暗闇で包まれていた。
ほろ酔い気分の青年は気分良く自宅へ向かうが、前のほうからビチャビチャと、聞いただけで酸っぱい臭いを連想させる音が聞こえてしまい眉をしかめた。
しかも、運の悪いことに音源は青年の進行方向から聞こえてくる。
うかつに現場を目撃しては、つられてしまうかもしれないので青年は出来るだけ見ないよう、速やかに通り過ぎることにした。
見ないようにして通り過ぎて、通り過ぎ、通り過ぎ・・・ることが出来なかった。
その理由は音源の人物にある。
まず目に付いたのは、極上の輝きと上品さを持つ長い金髪。
紫色の質素なドレスのような服は着る人を選びそうだったが、この女性の場合はただひたすらに美しさを増している。
その女性は電柱の脇にうずくまり、相変わらずビチャビチャとやっていた。
「おぇー!! ハズレを引いてしまったわ。まぁ、いつものことだけど・・・ウップ!」
青年がその光景を凝視してしまったのは、女性の現実離れした美しさが原因の一つである。
だが、それより大きな原因は、女性の足元が赤黒くなっているように見えたからだ。
怪我をしている!?
そう思った青年は女性に声をかけた。
すると女性は一瞬だけ硬まると、さりげない動作で足元の赤黒いものを拭くように撫で、何事もなかったかのように立ち上がると青年に元気な笑顔を見せた。
「だ、大丈夫です。ちょっと気分が悪かっただけで・・・怪我なんてしていませんわ」
そう答える女性は思いのほか元気そうだった。
女性の足元は何の変哲の無いコンクリートであり、赤黒いものなど見えない。
きっと、気のせいだったのだろう。そう思った青年は何事も無かったことの安心と、美人に会えた嬉しさを噛み締めながら、そうですかと答え再び歩き出そうとした。
すると、その女性は待ってと言うと青年にどの方向に行くのかと尋ねてきた。
青年が答えると女性は、「あら、一緒ですね・・・よろしければ途中までご一緒しませんか?」と言ってくる。
初対面の男性である自分に、しかも、夜中で人が少ないこの時間にそんなことを提案するなんて無用心な人だ、と思いながらも暗い中を一人で歩くよりは誰かと歩いたほうが正直心強いので、青年はその女性と一緒に歩くことにした。
薄暗い道を女性と肩を並べて歩きながら、青年は女性に失礼だと思いながらもその姿をまじまじと観察してしまう。
真夜中で、しかも今日一日ずっと晴れだったのにも関わらずピンク色の、おそらく日傘を持っていたり、見慣れない帽子を被っていたりと少々変わった格好をしているが、幼さを残しながらも完璧に整った容姿はとても美しく、人間の姿をした別次元の存在ではないかと、見ているだけで恐怖にすら近い恍惚感を感じるのだった。
しばらく見とれていた青年だったが、静かに響く二人分の足音で会話が無かったことに気がつく。
何か会話をしないと気まずい。
そう思った青年がどう話しかけようかと考えたそのとき
「ねえ、貴方のことを教えてもらえるかしら?」
と幸いにも女性のほうから話しかけてきてくれた。
それがきっかけとなり、軽い自己紹介から他愛のない世間話が始まった。
しばらく話していると女性が、八雲紫が唐突に
「あなた、昔話はお好きかしら?」
と尋ねてきた。
青年は小さい頃によく昔話を聞いていたので、昔話という単語に懐かしさを感じながら好きですよと答えた。
すると紫は「なら、お一つお聞かせしますわ」
と言うと青年の前に回りこみ、そのまま後向きに歩き出した。
危ないですよと青年は心配したが紫は平然と、前を向いているときと変わらない足取りで歩き続けている。
そして、そのまま歩きながら微笑むと、母親が子供にお話を聞かせるように昔話を語り始めた。
「今から話すお話をたぶんあなたは知らない、本当かもしれないし嘘かもしれない、そんなお話」
むかし、むかし、とある国の農村に、一人の若い男と娘がおりました。
若い男は細身ながらも強い体と優しい心を持った好青年で、娘は農村でただ一人、金に輝く髪を持ち、それはそれは美しい娘でした。
二人は、小さい頃から大変仲がよく、結婚の誓いをしていたのです。
しかし、二人の幸せを打ち砕くことが起きました。
領土拡大を狙う隣国との戦争が勃発したのです。
若い男は国の為に兵士として戦わなければならず、結婚を前にして農村を出て行ってしまいました。
娘に出来ることは、若い男が無事に帰ってきてくれるのをひたすら祈ることだけでした。
さて、場所は変わって国のお城。
この国の君主は争いを嫌う温厚な性格で、皆から好かれていました。
そんな君主が一番大切にしていたのは愛娘である一人のお姫様。
お姫様も黄金の髪を持つ美しい少女で、親譲りの優しい性格で皆から大切にされていました。
お姫様には夢がありました。
早く戦争が終わって平和に暮らせるように、そして、素敵な出会いがありますようにと。
しばらく戦争は続きましたが、両国とも互角の戦いを繰り広げていました。
隣国の軍隊は先鋭でしたが、この国の兵達は愛する国の為に奮戦したのです。
戦い慣れしてない国などたやすく征服できると考えていた隣国は予想以上の損害をこうむった為士気の低下が激しく、このままいけばこの国が粘り勝ちしそうでした。
そんなある晩、起死回生を狙った隣国の少数精鋭部隊がこの国の城に奇襲をかけたのです。
予想外の襲撃にこの国の兵達はろくに迎撃もできず、隣国の敵兵達はどんどん城の中に進んできます。
君主は大事なお姫様に万が一のことが起こったら大変と、護衛をつけて城の裏口から外に逃がしました。
しかし、裏口には隣国の敵兵が待ち構えていたのです。
一人、また一人と護衛は殺されていき残るはお姫様だけになってしまいました。
哀れ、お姫様に凶刃が迫ったそのときです。
兵士となっていた農村の若い男がお姫様を助けにきました。
若い男はとても強く、敵兵を全員倒すとお姫様に声をかけました。
「姫様、お怪我はありませんか?」
その、若く強い男の精悍な顔に見とれてしまったお姫様は
「は、はい!」
と返事をかえすのが精一杯でした。
若い男はお姫様を安全な所へ連れて行くと、再び城の敵兵を倒すために戻って行きました。
そして、若い男の獅子奮迅の活躍もあって、隣国の敵兵から城を守ることが出来ました。
この戦いの功績で、部隊を率いることとなった若い男は、怒涛の勢いで隣国の軍隊を蹴散らし、とうとう隣国を退けることができたのです。
戦争が終わって再び平和が訪れました。
若い男はすぐさま農村に戻りました。
幸いにも娘は無事で、二人は再会できたことを喜びましたが、いいことばかりではありません。
戦争によって農村は荒れ、農民も何人かが犠牲になり、その中には若い男と娘の両親も含まれていたのです。
両親が死んでしまったことはとても悲しかった二人ですが、これからは二人で生きて農村の復興を頑張ることにしたのでした。
一方、お城のお姫様は自分を助けてくれた若い男のことが忘れられませんでした。
いてもたってもいられないお姫様は、父である君主に、自分を助けたあの若い男こそ夫になるのが相応しいと話したのです。
君主も愛するお姫様を救ってくれ、この国に勝利をもたらした若い男なら跡取りとして申し分ないと思ったので、すぐに城へ迎えようと伝令を出しました。
数日後、伝令を聞いた若い男は悩みました。
自分が国の跡取りなどと思ってもいないことでしたが、とても誇らしくもあり、お姫様と結婚して君主になれば、この農村は今までよりもっと豊かしてもらえるはずです。
しかし、それは愛する娘と結婚できなくなることでもあるのです。
一方、娘も考えていました。
若い男はこの農村で自分と暮らすよりも、綺麗なお城でかわいいお姫さまと暮らして君主の跡継ぎとなったほうが幸せに違いない。
そう思った娘は若い男に、自分は大丈夫だからお城へ行くように説得しました。
「お城へ行って、それがあなたの為よ。こんな農村で私と暮らすよりずっといいに決まっている。大丈夫、私のことなんてすぐに忘れられるわ」
結局若い男は、娘の必死な説得もあり城に行く決心をしました。
娘はとても寂しく思いましたが、若い男の幸せを思うと悲しい気持ちにはなりませんでした。
さて、お姫様と君主は若い男が城に来てくれたことをとても喜びました。
若い男はお姫様と結婚して、この国の跡取りになる意思があることを話します。
それを聞いてお姫様と君主はますます喜びました。
しかし、若い男は一つの条件を出しました。
それは、農村の娘も城に迎えるというものでした。
若い男は娘の説得でこの国の跡取りになる決心はつきましたが、身寄りも無い娘を一人農村に残すのが心配でたまらなかったのです。
結婚は出来ずともこれからも守ってあげたい。
それに娘にも、お城のきらびやかで豊かな生活をさせてあげたいと思ったのです。
それを聞いた君主はそれくらいならと条件を受け入れ、お姫様も若い男に出て行って欲しくなかったので受け入れました。
こうして、お城に迎えられた娘は、お姫様の侍女として仕えることになったのです。
ここから、一人の男を巡る二人の女の血で血を洗う戦いが始まった・・・ということはなく、優しいお姫様は娘に何の隔たりもなく接し、いつしか二人は仲良くなりました。
そして、お互いが若い男に好意を持っているのを承知で認め合い、三人仲良くお城で楽しく暮らしましたとさ。
「・・・」
そこまで話した紫はしばらく沈黙した。
これで昔話は終わりなのかと青年が尋ねると、紫は
「いいえ、まだ続きはあるわよ・・・ただ、少し疲れちゃった」
と答えた。
たしかに結構長く話していたので無理もないなと思った青年は、ちょうど近くにあった自動販売機で飲み物を買うことにした。
紫に欲しい飲み物を尋ねると「あなたと同じの」と答えたので、とりあえず緑茶を二つ買って紫に渡す。
紫はありがとうと言って緑茶を受け取ると缶を開けて、おいしそうに飲んだ。
そのさりげない動作がまたまた美しく、青年は買った緑茶を飲むのも忘れ、ただただ埴輪のように見とれることしかできなかった。
そんな青年をよそに、口を潤した紫は「さて、続きを始めましょうか」と言うと、穏やかな微笑をうかべ昔話を再開する。
語り初める紫の顔が懐かしんでいそうだと感じた青年は、この昔話は紫が小さい頃に聞いた話なんだろうと納得し再び耳を澄ました。
若い男と娘とお姫様の楽しい生活はしばらく続きました。
しかし、その楽しい生活は徐所に陰りが出てきたのです。
それは、娘とお姫様が互いに、相手を気遣いだしたのが始まりでした。
この国では時々妖怪が出没して悪さをします。
若い男は優秀な指揮官として、よく妖怪退治に出かけていました。
その間、娘とお姫様は二人でお話していましたが、お互いの事を知っていくうちに申し訳ない気持ちが生まれてきたのです。
娘は、お姫様が若い男に助けられた話を聞いてその時のお姫様がどんなに嬉しく、そしてどれだけ強く若い男に恋をしたのかを考えると、お城に招かれたのが嬉しくて、若い男と離れ離れにならないことが嬉しくて、昔のこととはいえ若い男と結婚を誓っていた自分がお姫様の侍女になるのがどれだけ無神経だったのかと思ってしまうのです。
お姫様のほうも、知らなかったとはいえ自分が若い男を夫にしたいばかりに、娘と若い男との結婚を出来なくしたこと、娘の素性を知った後も若い男を諦められなかったことをとても後悔していました。
そんなある日のこと、お姫様は娘に言いました。
「ねぇ、私達このままだといけないわ、はっきりさせないと駄目だと思うの」
お姫様は娘にある提案をします。
それは、彼の部屋の机に二人がそれぞれ選んだ花を置き、若い男が二人に会いに来た時、どちらの選んだ花を持っているかというものです。
娘の選んだ花が選ばれなかったら、侍女として必要な時以外には若い男と会わない。
お姫様の選んだ花が選ばれなかったら、表向きだけ若い男と結婚し、裏では娘のほうと結婚して夫婦になってもらい身を引く。
娘は今まで通り三人で仲良く暮らすことを望みましたが、お姫様の決意が固いことが分かると提案に承諾するのでした。
二人はそれぞれ花を選ぶと、布にくるんで若い男の机に置きます。
そして部屋に戻り若い男の帰りを待ったのです。
その日の夜。
若い男は帰ってきました。
その手に持っていたのは紫色の小さな花。
その花を選んだのは・・・
お姫様でした。
それを見た娘は涙を流しながらもお姫様に声をかけます。
「おめでとうございます姫様。私も彼が好きな紫色の花を選んだんです。大きな花でしたけどね。本当に、おめでとう」
状況が分からない若い男に二人は説明をしました。
話を聞いた若い男は二の決意に涙しながらも、これからは娘を侍女として接し、お姫様を妻として愛することを二人に誓うのでした。
こうして三人の楽しい時間は終わり、お姫様と若い男の、悲しみを残しながらも幸せな時間が始まったのです。
後日、盛大にお姫様と若い男の結婚式が行われ、国はお祭り騒ぎとなりました。
国の新たな君主とお姫様はとても仲良く、見ているほうが幸せな気分になるほどでした。
娘も侍女として、好きだった人と友人の幸せな生活を支えようと思うのでした。
しかし、幸せな時間は早々に終わりを迎えるのでした。
結婚式から程なくして急に先代君主が死んでしまったのです。
そして先代君主に続いてお姫様も突然血を吐いて倒れてしまいました。
なんとか一命は取り留めたものの、お姫様は喉を患ってしまい、澄んだ水のようだった美しかった声が、醜いヒキガエルのような唸り声になってしまったのです。
人々は悲しみにくれましたが、君主はなんとか治してあげられないかと様々な方法を探しました。
そして、城に仕える占い師が妖怪の呪いによるものだと突き止めたのです。
君主は呪いをかけた妖怪を探して毎日のように妖怪退治に向かいました。
その間、一番信頼している娘にお姫様の傍に居てあげるように頼み、娘も君主の為に、そしてお姫様の為に、ずっと傍について居てあげたのでした。
こうして、それぞれ立場は変わったものの、以前のような三人の時間が戻ってきたのです。
しかし、その時間はまたも壊れました。
今度は永遠に。
ある日、君主がお姫様の部屋に向かっていると、何か争うような音が聞こえてきました。
何事かと部屋に入った君主が見た光景は・・・
お姫様が娘の首を、恐ろしい形相で締め上げていたのです。
慌てて君主が割って入ると、娘は咳き込みながらも君主に抱きつき叫びました。
「君主様、姫様が、姫様が妖怪に!」
君主がお姫様のほうを見ると、お姫様は獣のような声で吼え、娘を凄まじい形相で睨みつけます。
「ああ、君主様、その姫様の皮を被った妖怪を退治してください!」
そう叫ぶ娘に、お姫様は飛びかかりました。
歴戦の戦士でもある君主は剣を抜くと、お姫様の心臓に狙いたがわず突き刺します。
心臓を貫かれたお姫様は、苦しげに呻きながらも娘に手を伸ばそうとしましたが、やがて力尽きました。
君主は息絶えたお姫様をしばらく見ていましたが、愛していたお姫様が死んだ事を理解すると、膝から崩れ落ち大声をあげ嘆き悲しみました。
そんな君主に娘は寄り添い慰めます。
「先代君主様を殺したのは、恐らくこの妖怪です。そして姫様にとり憑いてあなたの命を狙っていたのでしょう。姫様は死んでしまったけれど、あなたは姫様と君主様の敵を討ったのです」
こうして妖怪を倒した君主は、娘を新たな妻として向かえ国を支えたのでしたとさ。
めでだしめでたし。
話終わったらしい紫は、満足そうな微笑を浮かべるとそのまま黙ってしまった。
感想を言ったほうがいいのかなと思った青年は、悲しい結末ですけど救いがあったのは良かったですと言った。
すると紫は
「救いって、君主が娘を妻にしたことかしら?」
そうですと答える青年に紫は微笑えみこう続けた。
「そうね、今のオチだとそう思うかもしれないわね。結局、君主になった若い男と娘は約束していた結婚を果たせました。しかも、土臭い農村じゃなくてきらびやかなお城で」
その物言いに、青年はなんとなく何かが引っかかっている気がしたが、何が引っかかっているのかまでは分からなかった。
そんな青年をよそに紫は続ける。
「実はこの昔話、コレで終わりじゃないのよね」
娘を新たな妻として向かえた君主は、愛していたお姫様の亡骸を取っておきたいと考えました。
娘は、妖怪の死体はすぐに焼いて始末するべきだと反対しましたが、君主は言う事を聞きませんでした。
ちょうど、死体を綺麗にとっておく技術が異国から伝わっていたのでその方法にしたがい、お姫様の内臓を綺麗に抜き取り薬品に浸すことになりました。
内臓も抜き終わってお姫様の死体を薬品に浸す前に、君主は皆に最後のお別れを言う許可を出しました。
生前の優しかったお姫様の死を悲しみ、たくさんの人が涙ながらにお別れを言います。
そして、娘もお別れを言う為にお姫様の死体の隣に屈みました。
すると突然、城の中が暗闇に包まれたのです。
しかし、それも一瞬ですぐに明るさが戻ってきました。
皆がほっとしたのもつかの間、そこには恐ろしい光景が広がっていたのでした。
城に居た人の何人かが、潰れたトマトのように色んなものをぶちまけ醜い肉塊となっていたのです。
君主が慌てて娘のほうを見ると、娘は肉塊などにはなっておらず変わらない姿をしていました。
首から上が無いことを除いては。
そして、お姫様の死体は影も形も無くなっていたのです。
「これで本当にこの昔話は終わり」
君主や国はどうなったのかと尋ねる青年に紫は一言。
「知らないわ」
その断言っぷりに青年は何も言えなくなってしまった。
それでも気を取り直して、なんで死んだ人と死ななかった人に分かれたか、なぜ娘は首から上だけ無くなったのか、そしてなぜお姫様の死体は無くなったのかを聞いてみた。
「死んだ人間は裏切り者でした。そして裏切らせたのは・・・娘だったのです」
思ってもいなかった答えに青年は? マークを浮かべるしかなかった。
そんな青年に紫は更に詳しく説明してくれた。
「先代君主を殺したのは娘、そしてお姫様に毒を盛って喉を潰したのも娘。裏切り者はそれに協力していた奴よ。娘は美人だったから、身体を使えば協力者をつくるのは容易かったみたいだったけどね」
なぜそんなことを・・・
そう青年が疑問に思うと、その思考を読んだかのように紫は言葉を続けた。
「三人仲良くだの身を引くだの言いながら、結局は若い男を自分だけのものにしたくなったのよ。最初はどう思っていたかは知らないけど、結局のところは人間らしい欲が出た訳」
笑顔で昔話の真相を話す紫。
その紫を見ていて、青年は何故か背筋に冷たいものを感じずにはいられなかった。
寒気? きっと気のせいだ。
変な汗を流しながらも、青年はやたら詳しいですねと紫に話しかける。
「そうね、まあ、忘れようと思っても忘れられるものじゃないし」
紫が言った何気ないその一言に、青年は得体の知れない恐ろしい何かを感じてしまった。
紫は人間ではない、何か別の存在だと。
馬鹿馬鹿しい。
普通ならそう思い直しただろう。
妖怪や化け物の類なんて現代社会ではあり得ない存在のハズだ。ハズなのだが、何故か青年はそれこそがあり“得ない”ことだと思えてしまった。
紫は微笑んでいたが、青年にはその微笑みが形だけの、何か違うものに見えてしかたがなかった。
「娘ったら酷いのよ。お姫様の飲み物に毒を盛って喉を潰した上に、あの人が部屋に来るタイミングを見計らって真相を全部ばらしてお姫様を逆上させて、お姫様が喋れないのをいいことに妖怪扱いだもの。まんまとはめられたわ」
じゃあ、お姫様は妖怪じゃなかったのですか?
何とか寒気に耐えながらの青年の問いに、紫は相変わらず微笑みらしきものを浮かべたまま、お姫様が殺されたときの話を、それはそれは楽しそうに話すのだった。
「そうよ、あの人に心臓を貫かれたときも正真正銘の人間だった、でも、その後はどうだったのかしらね。刺された時は死んだな、って思ったわ。でも、体は動かせなくなっても何故か意識は残っていたの。痛覚も。刺された胸は痛かったし、内臓を抜かれる時なんかもう最悪だったわ。あのまま死ねればまだ良かったのに内臓全部抜かれてもまだ生きていたのよ。もう、気でも狂ってしまえば楽だったのに理性は保たれたままでね。そんな地獄を味わっているとき、娘はこう言ったの。『あとであなたをバラバラに引き裂いて燃やしてあげる。あの人は私だけのもよ』ってね、それを聞いた時、なにかが弾けたわ」
青年は、紫の恐ろしい話にも、平然と合わせられる自分の冷静さに驚いたが、この話がぶっ飛びすぎて、感覚では嘘じゃないと感じても頭は納得していないのだと青年は理解した。
そう思いながら青年は更に尋ねる。
その時お姫様は、裏切りものと娘を殺したんですね。ついでに人間ではない妖怪か何かになってしまったと・・・
「ええ多分、でも、一つだけ間違っていることがあるわ。娘は“死んで”いないのよ」
えっ? でも、娘の首から上は無かったって。
そう反論しようとする青年を紫は手で制した。
「そうね、口で言うよりは見たほうが早いかしら」
そう言うと突然紫の右の空間に、両端がリボンで結ばれたスキマが現れ、そのスキマが開くと中には無数の目がこちらを覗いていた。
常識ハズレの光景に冷静だった青年を恐怖が襲い、絶句してしまったのをよそに紫はスキマに手を突っ込みすぐに引き出した。
その手に持っているものはスキマ以上に常識ハズレだった。
それは、美しい女性の・・・生首だった。
しかも、その生首は視線を動かしてあたりの景色を確認している。
そして、紫を見ると何かを訴えるように口を動かし始めた。
生きているのか!?
あまりの事に蒼白になる青年など気にもせず、生首片手に紫は話しかけてくる。
「ほら、これが昔話の娘よ。ご覧の通り生きているわ。私の駄目になった声帯の代わりをこの子から貰ったから残念ながらお話はできないけれど」
ここで青年は、紫が昔話で殺されたはずのお姫様ではないかと思った。
しかし、殺されたはずのお姫様だとしたら何故、自分の前に生首を持って立っているのか。
何故、生首は生きているのか。
あまりにも現実離れした事態にもはや何も反応できない青年とは反対に、紫はどんどん饒舌になっているようだった。
「この子が生きていられるのは私が生と死の境界をいじってあるから。気がついたら出来るようになってたんのだけれど何でかしらね。自分でも分からないのよ。あら? この子ったら泣き出して、まったく、見っとも無いじゃない」
いつの間にか首だけの娘は泣き出していた。
その口の動きはなんとなくだが、謝っているようにも、殺して欲しいと懇願しているようにも見えた。
助けないと。
そう思いながらもきっと無理だと青年は悟っていた。
紫は会話こそできるがただそれだけの、自分達人間とは姿かたちが似ているだけの根本から違う恐ろしい何かで、道徳だの何だのは通じそうにないのを理解してしまったからだ。
紫は泣き続ける娘の生首をおもしろそうに眺めていたが、やがて無造作にスキマの中へ放り投げた。
「はぁ、私ったらなんであんなモノ取っておいているのかしら。まあ、いいか。さて、目的のものも見つからなかったことだしそろそろ帰るわね。ほら、あなたも家に着いたみたいよ」
そう言って紫が指差した先には青年が住んでいるアパートがあった。
まだ、距離があったはずだとか、なんで教えてもいないのに住んでいる場所が分かったのかなど疑問は山積みだったが、青年はもっと気になったことがあった。
目的のものってなんですか?
その問いにも紫は顔色一つ変えずに答えた。
「心臓」
紫は自分の胸に手を当てると、突然胸の中に両手をねじ入れた。
豪勢に血をぶちまけながらしばらく手を動かすと、肉を引きちぎる音を響かせ胸をこじ開ける。
その壮絶な光景に吐き気を催しながらも、目をそらせなかった青年は気がついた。
生物の構造には全くの素人である青年だったが、紫の身体にはあきらかに心臓が存在していなかったのだ。
「私って内臓が無くなってたの。だから人間から自分にあった内蔵を探しているのよ。まあ、内臓なんか無くたって生きられるけど、胃とか無いと食事ができないし、元々あったものが無いのは正直気持ちが悪かった。だから、今まで内臓を集め続けてほとんど揃ったんだけど、心臓だけは中々合ったのが見つからなくて最後のスキマを埋められないの。さっきも新しい心臓を試したけれど、またまたハズレで、思わず吐いちゃったわ」
自ら掻っ捌いた血塗れの胸を閉じながらも何故か楽しくてしかたがないという風の紫に、青年は恐怖と混乱で頭が真っ白になりながらも何とか尋ねた。
今度は自分の心臓を試すのかと。
「・・・」
その質問にポカーンとした表情になった紫だったが、何が可笑しかったのか突然大爆笑し始めた。
爆笑しながらも開いていた胸を閉じて撫でると、グロテスクだった胸や、血塗れだった服は何事も無かったかのように傷一つ無く綺麗に戻っていた。
「ひぃ、はぁ・・・失礼したわね。何を言うのかと思えば、恐がらなくてもあなたを食べたり心臓を抜いたりしないわよ。私が食べたり内臓を抜いたりする人間は自殺志願者や救いようの無い極悪人のような、こっちの世界に必要の無い人間だけ」
いつの間にか紫は青年の目の前に移動しており、青年の頬に優しく触れていた。
思いのほか近づいてきた紫からは、恐怖に固まっていた青年の心を優しくほぐす、とてもいい香りがした。
思わず呆けてしまった青年の視界を、紫は手の平で覆った。
「昔話に付き合ってくれてありがとう、今晩は楽しかったわ。さようなら、あの人のそっくりさん」
青年が何か反応する前に紫は優く話しかけ、その言葉を最後に青年は意識を失った。
朝。
青年が目を覚ますと、自宅のベッドの上に居た。
あの夜のことは夢だったのだろうか?
微かに紫のいい香りと、頬を優しく撫でられた感触が残っている気がした。
しかし、何の変哲の無い朝を迎えると、昨日感じていた光景や恐怖が気のせいだったように思えてくる。
今となっては、美人に会えてラッキーだったぐらいにしか思わなかった。
もし、昨日の出来事が夢でなければ、紫はこれからも心臓を求め、人間を襲うのだろうか?
気にはなったが、会社に遅刻しそうだという事実に気がつくと、青年の思考は全て朝の支度に占領されたのだった。
午前二時、草木も眠る丑三つ時。
だが、草木は寝ていても一部の人間は起きていたりする。
青年もその一部の人間であり、友人との飲んだ帰りでぶらぶらと散歩していた。
人間が支配する世界は蛍光灯やネオンの光で明るく、星の輝きをも奪うほど。
しかし、闇は人間の光でも完全に消え去ることはなく、青年が歩く道も街灯の微かな光があるのみで、あたりは暗闇で包まれていた。
ほろ酔い気分の青年は気分良く自宅へ向かうが、前のほうからビチャビチャと、聞いただけで酸っぱい臭いを連想させる音が聞こえてしまい眉をしかめた。
しかも、運の悪いことに音源は青年の進行方向から聞こえてくる。
うかつに現場を目撃しては、つられてしまうかもしれないので青年は出来るだけ見ないよう、速やかに通り過ぎることにした。
見ないようにして通り過ぎて、通り過ぎ、通り過ぎ・・・ることが出来なかった。
その理由は音源の人物にある。
まず目に付いたのは、極上の輝きと上品さを持つ長い金髪。
紫色の質素なドレスのような服は着る人を選びそうだったが、この女性の場合はただひたすらに美しさを増している。
その女性は電柱の脇にうずくまり、相変わらずビチャビチャとやっていた。
「おぇー!! ハズレを引いてしまったわ。まぁ、いつものことだけど・・・ウップ!」
青年がその光景を凝視してしまったのは、女性の現実離れした美しさが原因の一つである。
だが、それより大きな原因は、女性の足元が赤黒くなっているように見えたからだ。
怪我をしている!?
そう思った青年は女性に声をかけた。
すると女性は一瞬だけ硬まると、さりげない動作で足元の赤黒いものを拭くように撫で、何事もなかったかのように立ち上がると青年に元気な笑顔を見せた。
「だ、大丈夫です。ちょっと気分が悪かっただけで・・・怪我なんてしていませんわ」
そう答える女性は思いのほか元気そうだった。
女性の足元は何の変哲の無いコンクリートであり、赤黒いものなど見えない。
きっと、気のせいだったのだろう。そう思った青年は何事も無かったことの安心と、美人に会えた嬉しさを噛み締めながら、そうですかと答え再び歩き出そうとした。
すると、その女性は待ってと言うと青年にどの方向に行くのかと尋ねてきた。
青年が答えると女性は、「あら、一緒ですね・・・よろしければ途中までご一緒しませんか?」と言ってくる。
初対面の男性である自分に、しかも、夜中で人が少ないこの時間にそんなことを提案するなんて無用心な人だ、と思いながらも暗い中を一人で歩くよりは誰かと歩いたほうが正直心強いので、青年はその女性と一緒に歩くことにした。
薄暗い道を女性と肩を並べて歩きながら、青年は女性に失礼だと思いながらもその姿をまじまじと観察してしまう。
真夜中で、しかも今日一日ずっと晴れだったのにも関わらずピンク色の、おそらく日傘を持っていたり、見慣れない帽子を被っていたりと少々変わった格好をしているが、幼さを残しながらも完璧に整った容姿はとても美しく、人間の姿をした別次元の存在ではないかと、見ているだけで恐怖にすら近い恍惚感を感じるのだった。
しばらく見とれていた青年だったが、静かに響く二人分の足音で会話が無かったことに気がつく。
何か会話をしないと気まずい。
そう思った青年がどう話しかけようかと考えたそのとき
「ねえ、貴方のことを教えてもらえるかしら?」
と幸いにも女性のほうから話しかけてきてくれた。
それがきっかけとなり、軽い自己紹介から他愛のない世間話が始まった。
しばらく話していると女性が、八雲紫が唐突に
「あなた、昔話はお好きかしら?」
と尋ねてきた。
青年は小さい頃によく昔話を聞いていたので、昔話という単語に懐かしさを感じながら好きですよと答えた。
すると紫は「なら、お一つお聞かせしますわ」
と言うと青年の前に回りこみ、そのまま後向きに歩き出した。
危ないですよと青年は心配したが紫は平然と、前を向いているときと変わらない足取りで歩き続けている。
そして、そのまま歩きながら微笑むと、母親が子供にお話を聞かせるように昔話を語り始めた。
「今から話すお話をたぶんあなたは知らない、本当かもしれないし嘘かもしれない、そんなお話」
むかし、むかし、とある国の農村に、一人の若い男と娘がおりました。
若い男は細身ながらも強い体と優しい心を持った好青年で、娘は農村でただ一人、金に輝く髪を持ち、それはそれは美しい娘でした。
二人は、小さい頃から大変仲がよく、結婚の誓いをしていたのです。
しかし、二人の幸せを打ち砕くことが起きました。
領土拡大を狙う隣国との戦争が勃発したのです。
若い男は国の為に兵士として戦わなければならず、結婚を前にして農村を出て行ってしまいました。
娘に出来ることは、若い男が無事に帰ってきてくれるのをひたすら祈ることだけでした。
さて、場所は変わって国のお城。
この国の君主は争いを嫌う温厚な性格で、皆から好かれていました。
そんな君主が一番大切にしていたのは愛娘である一人のお姫様。
お姫様も黄金の髪を持つ美しい少女で、親譲りの優しい性格で皆から大切にされていました。
お姫様には夢がありました。
早く戦争が終わって平和に暮らせるように、そして、素敵な出会いがありますようにと。
しばらく戦争は続きましたが、両国とも互角の戦いを繰り広げていました。
隣国の軍隊は先鋭でしたが、この国の兵達は愛する国の為に奮戦したのです。
戦い慣れしてない国などたやすく征服できると考えていた隣国は予想以上の損害をこうむった為士気の低下が激しく、このままいけばこの国が粘り勝ちしそうでした。
そんなある晩、起死回生を狙った隣国の少数精鋭部隊がこの国の城に奇襲をかけたのです。
予想外の襲撃にこの国の兵達はろくに迎撃もできず、隣国の敵兵達はどんどん城の中に進んできます。
君主は大事なお姫様に万が一のことが起こったら大変と、護衛をつけて城の裏口から外に逃がしました。
しかし、裏口には隣国の敵兵が待ち構えていたのです。
一人、また一人と護衛は殺されていき残るはお姫様だけになってしまいました。
哀れ、お姫様に凶刃が迫ったそのときです。
兵士となっていた農村の若い男がお姫様を助けにきました。
若い男はとても強く、敵兵を全員倒すとお姫様に声をかけました。
「姫様、お怪我はありませんか?」
その、若く強い男の精悍な顔に見とれてしまったお姫様は
「は、はい!」
と返事をかえすのが精一杯でした。
若い男はお姫様を安全な所へ連れて行くと、再び城の敵兵を倒すために戻って行きました。
そして、若い男の獅子奮迅の活躍もあって、隣国の敵兵から城を守ることが出来ました。
この戦いの功績で、部隊を率いることとなった若い男は、怒涛の勢いで隣国の軍隊を蹴散らし、とうとう隣国を退けることができたのです。
戦争が終わって再び平和が訪れました。
若い男はすぐさま農村に戻りました。
幸いにも娘は無事で、二人は再会できたことを喜びましたが、いいことばかりではありません。
戦争によって農村は荒れ、農民も何人かが犠牲になり、その中には若い男と娘の両親も含まれていたのです。
両親が死んでしまったことはとても悲しかった二人ですが、これからは二人で生きて農村の復興を頑張ることにしたのでした。
一方、お城のお姫様は自分を助けてくれた若い男のことが忘れられませんでした。
いてもたってもいられないお姫様は、父である君主に、自分を助けたあの若い男こそ夫になるのが相応しいと話したのです。
君主も愛するお姫様を救ってくれ、この国に勝利をもたらした若い男なら跡取りとして申し分ないと思ったので、すぐに城へ迎えようと伝令を出しました。
数日後、伝令を聞いた若い男は悩みました。
自分が国の跡取りなどと思ってもいないことでしたが、とても誇らしくもあり、お姫様と結婚して君主になれば、この農村は今までよりもっと豊かしてもらえるはずです。
しかし、それは愛する娘と結婚できなくなることでもあるのです。
一方、娘も考えていました。
若い男はこの農村で自分と暮らすよりも、綺麗なお城でかわいいお姫さまと暮らして君主の跡継ぎとなったほうが幸せに違いない。
そう思った娘は若い男に、自分は大丈夫だからお城へ行くように説得しました。
「お城へ行って、それがあなたの為よ。こんな農村で私と暮らすよりずっといいに決まっている。大丈夫、私のことなんてすぐに忘れられるわ」
結局若い男は、娘の必死な説得もあり城に行く決心をしました。
娘はとても寂しく思いましたが、若い男の幸せを思うと悲しい気持ちにはなりませんでした。
さて、お姫様と君主は若い男が城に来てくれたことをとても喜びました。
若い男はお姫様と結婚して、この国の跡取りになる意思があることを話します。
それを聞いてお姫様と君主はますます喜びました。
しかし、若い男は一つの条件を出しました。
それは、農村の娘も城に迎えるというものでした。
若い男は娘の説得でこの国の跡取りになる決心はつきましたが、身寄りも無い娘を一人農村に残すのが心配でたまらなかったのです。
結婚は出来ずともこれからも守ってあげたい。
それに娘にも、お城のきらびやかで豊かな生活をさせてあげたいと思ったのです。
それを聞いた君主はそれくらいならと条件を受け入れ、お姫様も若い男に出て行って欲しくなかったので受け入れました。
こうして、お城に迎えられた娘は、お姫様の侍女として仕えることになったのです。
ここから、一人の男を巡る二人の女の血で血を洗う戦いが始まった・・・ということはなく、優しいお姫様は娘に何の隔たりもなく接し、いつしか二人は仲良くなりました。
そして、お互いが若い男に好意を持っているのを承知で認め合い、三人仲良くお城で楽しく暮らしましたとさ。
「・・・」
そこまで話した紫はしばらく沈黙した。
これで昔話は終わりなのかと青年が尋ねると、紫は
「いいえ、まだ続きはあるわよ・・・ただ、少し疲れちゃった」
と答えた。
たしかに結構長く話していたので無理もないなと思った青年は、ちょうど近くにあった自動販売機で飲み物を買うことにした。
紫に欲しい飲み物を尋ねると「あなたと同じの」と答えたので、とりあえず緑茶を二つ買って紫に渡す。
紫はありがとうと言って緑茶を受け取ると缶を開けて、おいしそうに飲んだ。
そのさりげない動作がまたまた美しく、青年は買った緑茶を飲むのも忘れ、ただただ埴輪のように見とれることしかできなかった。
そんな青年をよそに、口を潤した紫は「さて、続きを始めましょうか」と言うと、穏やかな微笑をうかべ昔話を再開する。
語り初める紫の顔が懐かしんでいそうだと感じた青年は、この昔話は紫が小さい頃に聞いた話なんだろうと納得し再び耳を澄ました。
若い男と娘とお姫様の楽しい生活はしばらく続きました。
しかし、その楽しい生活は徐所に陰りが出てきたのです。
それは、娘とお姫様が互いに、相手を気遣いだしたのが始まりでした。
この国では時々妖怪が出没して悪さをします。
若い男は優秀な指揮官として、よく妖怪退治に出かけていました。
その間、娘とお姫様は二人でお話していましたが、お互いの事を知っていくうちに申し訳ない気持ちが生まれてきたのです。
娘は、お姫様が若い男に助けられた話を聞いてその時のお姫様がどんなに嬉しく、そしてどれだけ強く若い男に恋をしたのかを考えると、お城に招かれたのが嬉しくて、若い男と離れ離れにならないことが嬉しくて、昔のこととはいえ若い男と結婚を誓っていた自分がお姫様の侍女になるのがどれだけ無神経だったのかと思ってしまうのです。
お姫様のほうも、知らなかったとはいえ自分が若い男を夫にしたいばかりに、娘と若い男との結婚を出来なくしたこと、娘の素性を知った後も若い男を諦められなかったことをとても後悔していました。
そんなある日のこと、お姫様は娘に言いました。
「ねぇ、私達このままだといけないわ、はっきりさせないと駄目だと思うの」
お姫様は娘にある提案をします。
それは、彼の部屋の机に二人がそれぞれ選んだ花を置き、若い男が二人に会いに来た時、どちらの選んだ花を持っているかというものです。
娘の選んだ花が選ばれなかったら、侍女として必要な時以外には若い男と会わない。
お姫様の選んだ花が選ばれなかったら、表向きだけ若い男と結婚し、裏では娘のほうと結婚して夫婦になってもらい身を引く。
娘は今まで通り三人で仲良く暮らすことを望みましたが、お姫様の決意が固いことが分かると提案に承諾するのでした。
二人はそれぞれ花を選ぶと、布にくるんで若い男の机に置きます。
そして部屋に戻り若い男の帰りを待ったのです。
その日の夜。
若い男は帰ってきました。
その手に持っていたのは紫色の小さな花。
その花を選んだのは・・・
お姫様でした。
それを見た娘は涙を流しながらもお姫様に声をかけます。
「おめでとうございます姫様。私も彼が好きな紫色の花を選んだんです。大きな花でしたけどね。本当に、おめでとう」
状況が分からない若い男に二人は説明をしました。
話を聞いた若い男は二の決意に涙しながらも、これからは娘を侍女として接し、お姫様を妻として愛することを二人に誓うのでした。
こうして三人の楽しい時間は終わり、お姫様と若い男の、悲しみを残しながらも幸せな時間が始まったのです。
後日、盛大にお姫様と若い男の結婚式が行われ、国はお祭り騒ぎとなりました。
国の新たな君主とお姫様はとても仲良く、見ているほうが幸せな気分になるほどでした。
娘も侍女として、好きだった人と友人の幸せな生活を支えようと思うのでした。
しかし、幸せな時間は早々に終わりを迎えるのでした。
結婚式から程なくして急に先代君主が死んでしまったのです。
そして先代君主に続いてお姫様も突然血を吐いて倒れてしまいました。
なんとか一命は取り留めたものの、お姫様は喉を患ってしまい、澄んだ水のようだった美しかった声が、醜いヒキガエルのような唸り声になってしまったのです。
人々は悲しみにくれましたが、君主はなんとか治してあげられないかと様々な方法を探しました。
そして、城に仕える占い師が妖怪の呪いによるものだと突き止めたのです。
君主は呪いをかけた妖怪を探して毎日のように妖怪退治に向かいました。
その間、一番信頼している娘にお姫様の傍に居てあげるように頼み、娘も君主の為に、そしてお姫様の為に、ずっと傍について居てあげたのでした。
こうして、それぞれ立場は変わったものの、以前のような三人の時間が戻ってきたのです。
しかし、その時間はまたも壊れました。
今度は永遠に。
ある日、君主がお姫様の部屋に向かっていると、何か争うような音が聞こえてきました。
何事かと部屋に入った君主が見た光景は・・・
お姫様が娘の首を、恐ろしい形相で締め上げていたのです。
慌てて君主が割って入ると、娘は咳き込みながらも君主に抱きつき叫びました。
「君主様、姫様が、姫様が妖怪に!」
君主がお姫様のほうを見ると、お姫様は獣のような声で吼え、娘を凄まじい形相で睨みつけます。
「ああ、君主様、その姫様の皮を被った妖怪を退治してください!」
そう叫ぶ娘に、お姫様は飛びかかりました。
歴戦の戦士でもある君主は剣を抜くと、お姫様の心臓に狙いたがわず突き刺します。
心臓を貫かれたお姫様は、苦しげに呻きながらも娘に手を伸ばそうとしましたが、やがて力尽きました。
君主は息絶えたお姫様をしばらく見ていましたが、愛していたお姫様が死んだ事を理解すると、膝から崩れ落ち大声をあげ嘆き悲しみました。
そんな君主に娘は寄り添い慰めます。
「先代君主様を殺したのは、恐らくこの妖怪です。そして姫様にとり憑いてあなたの命を狙っていたのでしょう。姫様は死んでしまったけれど、あなたは姫様と君主様の敵を討ったのです」
こうして妖怪を倒した君主は、娘を新たな妻として向かえ国を支えたのでしたとさ。
めでだしめでたし。
話終わったらしい紫は、満足そうな微笑を浮かべるとそのまま黙ってしまった。
感想を言ったほうがいいのかなと思った青年は、悲しい結末ですけど救いがあったのは良かったですと言った。
すると紫は
「救いって、君主が娘を妻にしたことかしら?」
そうですと答える青年に紫は微笑えみこう続けた。
「そうね、今のオチだとそう思うかもしれないわね。結局、君主になった若い男と娘は約束していた結婚を果たせました。しかも、土臭い農村じゃなくてきらびやかなお城で」
その物言いに、青年はなんとなく何かが引っかかっている気がしたが、何が引っかかっているのかまでは分からなかった。
そんな青年をよそに紫は続ける。
「実はこの昔話、コレで終わりじゃないのよね」
娘を新たな妻として向かえた君主は、愛していたお姫様の亡骸を取っておきたいと考えました。
娘は、妖怪の死体はすぐに焼いて始末するべきだと反対しましたが、君主は言う事を聞きませんでした。
ちょうど、死体を綺麗にとっておく技術が異国から伝わっていたのでその方法にしたがい、お姫様の内臓を綺麗に抜き取り薬品に浸すことになりました。
内臓も抜き終わってお姫様の死体を薬品に浸す前に、君主は皆に最後のお別れを言う許可を出しました。
生前の優しかったお姫様の死を悲しみ、たくさんの人が涙ながらにお別れを言います。
そして、娘もお別れを言う為にお姫様の死体の隣に屈みました。
すると突然、城の中が暗闇に包まれたのです。
しかし、それも一瞬ですぐに明るさが戻ってきました。
皆がほっとしたのもつかの間、そこには恐ろしい光景が広がっていたのでした。
城に居た人の何人かが、潰れたトマトのように色んなものをぶちまけ醜い肉塊となっていたのです。
君主が慌てて娘のほうを見ると、娘は肉塊などにはなっておらず変わらない姿をしていました。
首から上が無いことを除いては。
そして、お姫様の死体は影も形も無くなっていたのです。
「これで本当にこの昔話は終わり」
君主や国はどうなったのかと尋ねる青年に紫は一言。
「知らないわ」
その断言っぷりに青年は何も言えなくなってしまった。
それでも気を取り直して、なんで死んだ人と死ななかった人に分かれたか、なぜ娘は首から上だけ無くなったのか、そしてなぜお姫様の死体は無くなったのかを聞いてみた。
「死んだ人間は裏切り者でした。そして裏切らせたのは・・・娘だったのです」
思ってもいなかった答えに青年は? マークを浮かべるしかなかった。
そんな青年に紫は更に詳しく説明してくれた。
「先代君主を殺したのは娘、そしてお姫様に毒を盛って喉を潰したのも娘。裏切り者はそれに協力していた奴よ。娘は美人だったから、身体を使えば協力者をつくるのは容易かったみたいだったけどね」
なぜそんなことを・・・
そう青年が疑問に思うと、その思考を読んだかのように紫は言葉を続けた。
「三人仲良くだの身を引くだの言いながら、結局は若い男を自分だけのものにしたくなったのよ。最初はどう思っていたかは知らないけど、結局のところは人間らしい欲が出た訳」
笑顔で昔話の真相を話す紫。
その紫を見ていて、青年は何故か背筋に冷たいものを感じずにはいられなかった。
寒気? きっと気のせいだ。
変な汗を流しながらも、青年はやたら詳しいですねと紫に話しかける。
「そうね、まあ、忘れようと思っても忘れられるものじゃないし」
紫が言った何気ないその一言に、青年は得体の知れない恐ろしい何かを感じてしまった。
紫は人間ではない、何か別の存在だと。
馬鹿馬鹿しい。
普通ならそう思い直しただろう。
妖怪や化け物の類なんて現代社会ではあり得ない存在のハズだ。ハズなのだが、何故か青年はそれこそがあり“得ない”ことだと思えてしまった。
紫は微笑んでいたが、青年にはその微笑みが形だけの、何か違うものに見えてしかたがなかった。
「娘ったら酷いのよ。お姫様の飲み物に毒を盛って喉を潰した上に、あの人が部屋に来るタイミングを見計らって真相を全部ばらしてお姫様を逆上させて、お姫様が喋れないのをいいことに妖怪扱いだもの。まんまとはめられたわ」
じゃあ、お姫様は妖怪じゃなかったのですか?
何とか寒気に耐えながらの青年の問いに、紫は相変わらず微笑みらしきものを浮かべたまま、お姫様が殺されたときの話を、それはそれは楽しそうに話すのだった。
「そうよ、あの人に心臓を貫かれたときも正真正銘の人間だった、でも、その後はどうだったのかしらね。刺された時は死んだな、って思ったわ。でも、体は動かせなくなっても何故か意識は残っていたの。痛覚も。刺された胸は痛かったし、内臓を抜かれる時なんかもう最悪だったわ。あのまま死ねればまだ良かったのに内臓全部抜かれてもまだ生きていたのよ。もう、気でも狂ってしまえば楽だったのに理性は保たれたままでね。そんな地獄を味わっているとき、娘はこう言ったの。『あとであなたをバラバラに引き裂いて燃やしてあげる。あの人は私だけのもよ』ってね、それを聞いた時、なにかが弾けたわ」
青年は、紫の恐ろしい話にも、平然と合わせられる自分の冷静さに驚いたが、この話がぶっ飛びすぎて、感覚では嘘じゃないと感じても頭は納得していないのだと青年は理解した。
そう思いながら青年は更に尋ねる。
その時お姫様は、裏切りものと娘を殺したんですね。ついでに人間ではない妖怪か何かになってしまったと・・・
「ええ多分、でも、一つだけ間違っていることがあるわ。娘は“死んで”いないのよ」
えっ? でも、娘の首から上は無かったって。
そう反論しようとする青年を紫は手で制した。
「そうね、口で言うよりは見たほうが早いかしら」
そう言うと突然紫の右の空間に、両端がリボンで結ばれたスキマが現れ、そのスキマが開くと中には無数の目がこちらを覗いていた。
常識ハズレの光景に冷静だった青年を恐怖が襲い、絶句してしまったのをよそに紫はスキマに手を突っ込みすぐに引き出した。
その手に持っているものはスキマ以上に常識ハズレだった。
それは、美しい女性の・・・生首だった。
しかも、その生首は視線を動かしてあたりの景色を確認している。
そして、紫を見ると何かを訴えるように口を動かし始めた。
生きているのか!?
あまりの事に蒼白になる青年など気にもせず、生首片手に紫は話しかけてくる。
「ほら、これが昔話の娘よ。ご覧の通り生きているわ。私の駄目になった声帯の代わりをこの子から貰ったから残念ながらお話はできないけれど」
ここで青年は、紫が昔話で殺されたはずのお姫様ではないかと思った。
しかし、殺されたはずのお姫様だとしたら何故、自分の前に生首を持って立っているのか。
何故、生首は生きているのか。
あまりにも現実離れした事態にもはや何も反応できない青年とは反対に、紫はどんどん饒舌になっているようだった。
「この子が生きていられるのは私が生と死の境界をいじってあるから。気がついたら出来るようになってたんのだけれど何でかしらね。自分でも分からないのよ。あら? この子ったら泣き出して、まったく、見っとも無いじゃない」
いつの間にか首だけの娘は泣き出していた。
その口の動きはなんとなくだが、謝っているようにも、殺して欲しいと懇願しているようにも見えた。
助けないと。
そう思いながらもきっと無理だと青年は悟っていた。
紫は会話こそできるがただそれだけの、自分達人間とは姿かたちが似ているだけの根本から違う恐ろしい何かで、道徳だの何だのは通じそうにないのを理解してしまったからだ。
紫は泣き続ける娘の生首をおもしろそうに眺めていたが、やがて無造作にスキマの中へ放り投げた。
「はぁ、私ったらなんであんなモノ取っておいているのかしら。まあ、いいか。さて、目的のものも見つからなかったことだしそろそろ帰るわね。ほら、あなたも家に着いたみたいよ」
そう言って紫が指差した先には青年が住んでいるアパートがあった。
まだ、距離があったはずだとか、なんで教えてもいないのに住んでいる場所が分かったのかなど疑問は山積みだったが、青年はもっと気になったことがあった。
目的のものってなんですか?
その問いにも紫は顔色一つ変えずに答えた。
「心臓」
紫は自分の胸に手を当てると、突然胸の中に両手をねじ入れた。
豪勢に血をぶちまけながらしばらく手を動かすと、肉を引きちぎる音を響かせ胸をこじ開ける。
その壮絶な光景に吐き気を催しながらも、目をそらせなかった青年は気がついた。
生物の構造には全くの素人である青年だったが、紫の身体にはあきらかに心臓が存在していなかったのだ。
「私って内臓が無くなってたの。だから人間から自分にあった内蔵を探しているのよ。まあ、内臓なんか無くたって生きられるけど、胃とか無いと食事ができないし、元々あったものが無いのは正直気持ちが悪かった。だから、今まで内臓を集め続けてほとんど揃ったんだけど、心臓だけは中々合ったのが見つからなくて最後のスキマを埋められないの。さっきも新しい心臓を試したけれど、またまたハズレで、思わず吐いちゃったわ」
自ら掻っ捌いた血塗れの胸を閉じながらも何故か楽しくてしかたがないという風の紫に、青年は恐怖と混乱で頭が真っ白になりながらも何とか尋ねた。
今度は自分の心臓を試すのかと。
「・・・」
その質問にポカーンとした表情になった紫だったが、何が可笑しかったのか突然大爆笑し始めた。
爆笑しながらも開いていた胸を閉じて撫でると、グロテスクだった胸や、血塗れだった服は何事も無かったかのように傷一つ無く綺麗に戻っていた。
「ひぃ、はぁ・・・失礼したわね。何を言うのかと思えば、恐がらなくてもあなたを食べたり心臓を抜いたりしないわよ。私が食べたり内臓を抜いたりする人間は自殺志願者や救いようの無い極悪人のような、こっちの世界に必要の無い人間だけ」
いつの間にか紫は青年の目の前に移動しており、青年の頬に優しく触れていた。
思いのほか近づいてきた紫からは、恐怖に固まっていた青年の心を優しくほぐす、とてもいい香りがした。
思わず呆けてしまった青年の視界を、紫は手の平で覆った。
「昔話に付き合ってくれてありがとう、今晩は楽しかったわ。さようなら、あの人のそっくりさん」
青年が何か反応する前に紫は優く話しかけ、その言葉を最後に青年は意識を失った。
朝。
青年が目を覚ますと、自宅のベッドの上に居た。
あの夜のことは夢だったのだろうか?
微かに紫のいい香りと、頬を優しく撫でられた感触が残っている気がした。
しかし、何の変哲の無い朝を迎えると、昨日感じていた光景や恐怖が気のせいだったように思えてくる。
今となっては、美人に会えてラッキーだったぐらいにしか思わなかった。
もし、昨日の出来事が夢でなければ、紫はこれからも心臓を求め、人間を襲うのだろうか?
気にはなったが、会社に遅刻しそうだという事実に気がつくと、青年の思考は全て朝の支度に占領されたのだった。
ゆかりんのお茶目な嘘かもという後書も含めて(笑
真相は彼女だけが知る。八雲紫なら普通にありえそうな話ですね。