上を見れば
横を見れば河童の市。
そして後ろを振り向けば…
「霖之助さん霖之助さん」
風祝の巫女がいた。
「霖之助さん、いかがですか?」
あまりにも漠然とした質問をされた。
主語が月まで吹き飛んだその質問に僕は仕方なく、しばし黙考する。
もしそれが河童の市に対してだったら、なかなか楽しめたと答えただろう。
だがあの客寄せ人形に対して尋ねたのなら、唸らざるをえない。
「…どうか、したんですか?」
顎に手を当てて考えていると、早苗さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
別にやましい気持ちや考えがあった訳でもないのだけど、少し後ろめたい気分になってしまい、慌てて弁解する。
「いや、ちょっと質問の意図を取り損なってね。市はまぁ、人並み以上には楽しめたよ」
「そうですか。それはよかった」
僕の答えを聞いて、早苗さんの顔が綻ぶ。
特段嬉しがるような答えをした覚えも無いけれど、その表情を見て苦い気持ちは湧いてこなかった。
「でも『市は』って事は、なにか気に入らないものが?」
「別に気に入らない、って程でも無いけど…」
と、上を見上げる。
相も変わらない僕らを無視して地平を見つめる彼がいる。
ここ最近立て続けに起こる異常に被せてか、それとも、外の世界の『彼』を幻視したのか、彼の名前は非想天則。
天則を想う非ず。
人形は何も学べやしないと言うことか…。
「気にはなる。アレを見てあるいは諏訪子さんや紫なら…」
「なら?」
「なにか僕に講釈をたれるかと思ってね」
特に紫が。
外の文献が正しければ、あれも幻想の枝の一つ。
こうも変わるものなのかと。
きっと僕は問うただろう。
「まぁ、どうでもいいんだけどね」
視線を前へ戻す。
先程から一転して難しそうな顔をしている早苗さんがいた。
別に、そう深く考えるべき事だとは、僕には思えなかったが…きっと、彼女はそう言う性分なのだろう。
放っておくといつまでも考え込んでいそうなので、話題を変えることにした。
「そういえば、早苗さん。今日ははどう言った御用向きで?」
別に店に来たわけでも店に来られたわけでも無いのだが、何となく座りのいいセリフだったので。
あ、と早苗さんが小さく声をあげた。
どうやら何かを思い出したらしい。
「そうです、ちょっと用事がありまして」
ごそごそと袖の内を探りだした。
そこは物を収納する場所だったか、などと思いつつも、ゆっくりとそれを見守る。
やがて彼女は一つ、中くらいの大きさの人形を取りだした。
素材はゴムだろうか。少なくともそれらしい材料であることは確かだ。
「これ、なんなのか見ていただけませんか?」
ぽす、と僕の手に人形が乗った。
手に持ってみると、存外に軽い。中は空洞のなのだろうか。
…空洞。からっぽ、か。
「以前どこかで見た記憶があるんですけど、名前が思い出せなくて…」
「…ふむ」
要は調べろ、と言うことか。
まぁ、彼女は幻想郷の中でも飛びきりの良客だ。無碍に断ることもできまい。
少し集中して、用途と名前を探ってみる。
…微妙な大きさの人形を真剣な表情で見つめる少女と僕。
周りからはさぞ異様な、あるいは滑稽な姿だろう。
しかしこれは…
「なかなか面白い」
「はい?」
「ああ、いや、なんでもないよ」
そうは言ったものの、そして彼女はそう納得したものの、それは堰き止めるようなものにはならない。
早苗さんは追求するだろうし、僕は勝手に喋るだろう。
「この人形、君はどの部分が昔見た何かに似ていると思ったんだい?」
「え、えぇと…あれ、どの部分でしょう…?」
他の者―魔理沙や文あたり―が聞いたら憤慨するような台詞だった。
でも僕は
怒るような事はしない。
「ふむ。じゃあこの人形のこの辺なんだけど、非想天則に似ていないかい?」
「あ、言われてみればそうですね」
「だろう」
僕は頷いた。表情はかなり満足気だったに違いない。
続けて早苗さんに問いかける。
「それにこっちの色合い、アリスが使う人形に似ている気がするんだけど」
「本当だぁ。よく見つけましたね、霖之助さん」
心底関心したように、早苗さんが僕を見上げる。
信仰が霊夢ではなく彼女に集まるのも納得するほどの純粋な表情だった。
少しでもやましい心があったらきっと目を合わせる事も叶わないだろう。
「それを踏まえた上で、もう一度この人形を見てくれ」
「はい」
「よく見て。…さっき言った人形たちに似ているかい?」
「そりゃ似てま…あれ?」
首をかしげる。
猫のように目を丸くしている早苗さんに、すこし吹き出してしまった。
「似てませんね…。んむむ」
彼女の言うとおり、その人形は先程上げた人形にはあまり似ていない。
だが似ていると言ったその瞬間は、少なくとも、それらに似ていた。
錯覚と取るかは人それぞれだが…
と考えていた所で、早苗さんが目をグルグルさせているのに気づいた。
その様は面白かったけど、このままにしておくのも気が引ける。
僕はさっさと種明かしを始める事にした。
「早苗さん。この人形の名前と用途を簡潔に言おうと思う」
「へ? …あ、はい」
「無い」
「…えぇ?」
予想通り呆気にとられている。
それもそうだ。この世に名前と用途が無いものはかなり少ない。
「でも本当になにもなかったんだ。間違いない」
「でもこれ、人形ですよ?」
ごもっともな意見だ。
これは人形であり、名前もそれに準拠するはずだ。
だがそうではなかった。
「これは中身の無いからっぽの人形だ。もちろん比喩でも何でもなくね。
名前も用途も無い。完膚なきまでに
でもそれは、何にでも見えると言う事になる。
アリスの上海人形、非想天則、そして君が昔見た何か。
その全ての
つまりこの人形が全ての人形の起点であり、平均値なんだ」
一気にまくし立ててしまった。
当然早苗さんは付いてこれずに呆けている。
彼女の回復を待たず、話を続ける。
「例えどんなに奇抜に作ろうと、それが人形のカテゴリ内である限り人形じみた場所が必要だ。無ければ別の何かになってしまう」
大雑把に言えば五体のうちの最低一つ、あるいは顔のどこかの部位。
『人』の『形』で人形だ。それくらい無くては困る。
「平均や普通は本来、概念そのものだ。形をなす事も名前が付く事も無い。
まして用途など、以ての外だ」
「で、でも実際に形になってるじゃないですか」
少しは回復してくれたようだった。
…まぁ、彼女の言う事ももっともだ。この人形は実際に形を成しているし、こうして触ることもできる。
それを可能にする技術は…あるにはある。
「おそらく錬金術を使ったんだろう。
どこをどうしたのかは知らないけど、『平均的』なエーテルをこの人形に詰め込んだか、あるいは全てのエーテルを引き抜いた抜け殻なのか…。
どちらであろうとも、奇跡の類が介入したのは目に見えているよ」
『奇跡』と言う単語に、彼女は一際強く反応した。
…そうか彼女の力は確か奇跡を起こすとか言っていたな。
「そう、君の能力的な奇跡だよ」
「ですか」
目を見てみれば、やはり彼女の混乱が抜けきっていないことが覗けた。
まぁ、これが貴重かつとんでもない物だと分かってくれればそれでいい。
餌とするには十二分だ。
「じゃあ、この人形は貰って行くよ」
「はい。…はい!?」
「もう一度言おうか?」
「いえ、いいですけど…」
「では、ありがたく」
「あ、ちょ、ちょっと!」
人形を仕舞って背を向けようとすると、僕は襟を掴まれ引っぱられた。
服の構造的に首は締まらなかったが、後ろに引っぱられてはバランスが崩れる。
結果、僕は早苗さんと向き合う形になった。振り出しに戻る。
「それ私のですよ。どうして持って行くんですか」
「君は…まさか、無料で鑑定してもらえると思っていたのかい?」
はぁ、と少し大袈裟にため息。
虚を突かれたのか、早苗さんは後ずさる。
「鑑定料だよ。ちなみに香霖堂は物々交換が基本だ。代替は無いと思ってくれ」
諦めろ、と言うつもりで軽く早苗さんの肩を叩く。
悔しそうに僕を睨んでくるが、見ないふり見ないふり。
「どうしても返して…いや、買い戻したいなら、香霖堂に来ると良い。商品として並べておくよ」
そう捨て台詞を吐いて、今度こそ早苗さんに背を向けて歩き出した。
むくれているであろう早苗さんの表情を見れないのは惜しいが。
さて、この人形。
店に並べるんだったら、名前を決めておかないと。
…名前を付けられない物に名前とは、我ながらおかしな事を。
だが店で『あの人形』とか『アレ』とかで通じるのは難しい。
仮称でもいいから名前を決めなくては。
悩みながら上を見上げれば、彼がいた。
時折面倒そうに手を動かすあの人形。
彼に名前を貰おうか。
「ふむ…、不学。不学天則でいいか」
語呂も悪いし決して売れそうな名前ではないが、この際どうでもいい。
どうせ忘れられる名前だ。
…自然天則に学ばず。
なかなかに的を得ているような、得ていないような。
まぁ、空の人形には相応しい名前だろう。
手の中で人形を遊びながら、僕は家路につくことにした。
だけど、原作での彼もこんな感じだよなー……
相変わらず霖之助さんがいい香辛料になってますね。
紫はなしなのに…
どこかで聞いたことがある。てゐとか諏訪子とか。
妖精は馬鹿だから違うらしい。
それはそうと、早苗さん可愛いです!
これからも霖之助と生きてくださいな