本を愛した魔法使い、少女は一人の吸血鬼と出会う。
その吸血鬼は少女に言った。『必ずお前を私のモノにする』と。
本を愛した魔法使い、少女は笑い吸血鬼に告げた。
『私が欲しければ力づくで』。吸血鬼は笑った。魔法使いも笑った。
――これは、そんな小さな小さな昔話。
お前は本当に変わっているな、と父は私に苦笑交じりに言った。違いない、と私は本を読みながら頷いた。
貴女はもう少し子供らしく生きなさいな、と母は私に心配そうに言った。善処する、と私は本を読みながら頷いた。
そんな私の様子に、父と母は互いに顔を見合わせては困ったような顔を浮かべていた。
言葉ばかりで少しも生活態度を改めようとしない私に、いつからか両親も諦めの境地に入ったらしく、何も言ってこなくなった。
そんな両親に対し、幾許ばかり申し訳ないとは思わなかったけれど、この生き方を改めるつもりなど私には微塵も考えられなかった。
だから私はいつも一人本を読む。父と母の持つ書斎の本を片っ端から紐解いていく。
朝起きて、食事の時間以外は本を読み、夜がくれば眠る。そんな毎日の繰り返しだった。
やがて、六つを数える歳を過ぎて、私は両親から本格的な魔法の指導を受けることになる。
父も母も魔法使いという種族の為、私も生まれながらの生粋の魔法使い。両親の優れた血脈と
今まで蓄え続けた六年分の知識の積み重ねのおかげか、魔法を覚えること、使用することに労苦など必要としなかった。
一週間余りで魔法の基礎を全てこなすことが出来た私を見て、両親は喜び半分呆れ半分で私の事を『天才』と評した。
そして、一年を数える頃には七曜という属性カテゴリーをマスターすることが出来た私を、
両親は本当に呆れながらこう表現した。『お前は魔法の申し子だ』と。予想を遥かに超えた私の魔法の成長具合に、
従来の魔法の練習時間は減り、また私の読書時間が増えた。それが私の七つを数える頃の話だ。
十を数える頃、私は家にある本を全て読破した。
仮にも魔法使い、それもかなりの血筋であるらしい両親と祖先が蒐集した本の数はゆうに十万を超える。
けれど、その数でも私には物足りなかった。その旨を両親に告げると、呆然としていたことは強く憶えている。
どうやら私の言葉が俄かに信じられなかったらしく、私が書庫にある本のタイトルと概要を百冊程諳んじる辺りで
『分かったから』と理解を示してくれた。ただ、その後に『お前が何をやっても私達はもう何も驚かない』などと言っていたけれど。
新たな本が読みたいと切望する私に、両親は知人達から書庫の本と交換という条件で沢山の本を借りてきてくれた。
この時は本当に両親に心から感謝した。いつもいつも迷惑ばかりかけている私だが、こんな私でも両親は
愛していてくれたらしい。『可愛い一人娘のお願いだから』と両親が言ってくれた時は、恥ずかしい話だが少しだけ泣いた。
多岐に渡る分野の本を私は只管に読破した。そして、多くの本を読み耽る内に、私の胸の中にある一つの感情が芽生えた。
それは幼い頃から本に接していた私からは芽生えて当然とも思える感情なのかもしれない。
その時の私は心から欲していた。父や母のものではない、私だけの書庫を。
他人に借りた本ではなく、自身で蒐集した本を棚に並べ、本の楽園で一日を過ごす。それはどんなに幸せなことだろう。
感情に気付いてしまえば、それからの行動は実に早かったと思う。
本を集めるに際し、最初に必要なモノはスペースだった。数百、数千万の書物を並べられる程の書庫。
両親と共に住まう洋館も決して狭いモノではないが、それでも私の望む書庫を作るには物足りない。
そして何より重要なことは、この件に関しては両親に一毛たりとも迷惑をかけるつもりはない。書庫の夢は私の夢、
いわば私だけの欲望だ。そんなモノにまで両親に多大な迷惑をかけるつもりなど更々ない。
私は自分の力、この手一つで夢を叶えることを目指すことにした。何年掛っても叶えてみせる、と。
捨虫の魔法などとうの昔に会得している。時間など余りある程に残されている。ならば私はその時間を利用して
しっかりと目的を叶えさせてもらうことにするだけだ。
それから一年程計画を練り、私は本の蒐集と大図書館(考えた結果、書庫よりもこちらがしっくりくることに気づいた)の
建設の為の資金稼ぎを並行して行う為に、私は旅に出ることを決意した。
大図書館の建設の為には、実に莫大な資金が掛かる。人間の大工に頼むにしても、その方面の魔法使いの
スペシャリストに頼むにしても、必要なのは莫大な財。金銭を集めるという何とも現実的な行動こそが
私のこれから先の行動目的となることになった。その際に、片手暇で書物を集めてしまえば一石二鳥だ。
旅先で宝石やレアメタル、魔法使いの間で高値で取引される希少材料を集め、その価値が分かる者に売りつける。
それを繰り返していけば、三十年もすれば目的の額までは届くだろうというのが私の見通しだ。
この計画を考える度に、私の夢が一歩ずつ近づいているような気がして、計画を練る間は実に楽しい時間であった。
そんな私の夢と計画を両親に話したところ、二人から大反対された。一人旅などさせられない、と。
よくよく考えてみれば、それも当り前のことで。いくら魔法に秀でているとはいえ、私は十二にも満たぬ子供。
加えて私は喘息を患っている。最近はそれ程でもないが、旅先での発症が両親は怖くて仕方がないらしい。
本なら私達が集めてあげるから、と両親に説得され、一度は折れそうになったけれど、結局私は夢を諦めきれなかった。
どうしても夢を叶えたい。そう強く願い、何度も何度も両親に直訴し続けた。雨の日も風の日も何度も何度も何度も。
そして、三百五十二回目の私の訴えに、とうとう両親は私の旅を認めてくれた。『頑固なのは君に似たのかな』
『いいえ、間違いなく貴方ですわ』などと両親が話していたことを憶えている。
ただ、私の旅へ出る条件として、両親から幾つか注文が出されることになる。
一つが私の歳が十五になるまでは我慢すること。その間に魔法を磨き、誰にも負けない魔法使いになること。
そしてもう一つが使い魔の召喚。私が喘息や病気で倒れたとき、看護してくれたり身の回りの世話をしてくれる
使い魔がいなければ安心出来ないから、だそうだ。
その二つの条件を、私は了承し、その日から魔法の訓練に只管に勤しんだ。
得意な七曜から、苦手な身体強化、治癒呪文から呪詛までありとあらゆる魔法を鍛え上げた。
そして、私の魔法の腕は両親曰く『親の贔屓目という訳ではないけれど、お前は世界で五指に入るレベルの
魔法使いだろうな』と褒めてくれた。大袈裟だとは思うけれど、そんな風に褒めてくれる両親の言葉が嬉しかった。
また、十四を迎える頃、私は使い魔を召喚した。召喚魔法は知識は豊富にあったが、実際に使用するのは初めて
だったので上手くいくか少しばかり不安であったが、なんとか成功することが出来た。
ただし、それは結果だけを見ればの事。私が召喚したのは、見た目は正直五つか六つになったばかりの稚児に
しか見えない小さな小さな悪魔の子。しかもその悪魔の子は、自分の真名以外何も覚えていないという有様。
そんな召喚された悪魔を見て、その時ばかりは正直私は大いに落胆したものだ。
魔法使いの実力を知るには、使い魔を見るのが一番早いとは歴史書の誰かの言。つまり、私の魔法使いとしての
実力は魔法一つ使えない子供悪魔レベルということになる。情けなくて正直泣きそうだった。
けれど、そんな私を両親は励ましてくれた。『もしかしたら、この娘はとてつもない悪魔の娘なのかもしれない』とか
『今は何も出来ないかもしれないけれど、将来は化けるかもしれないわ』とか言ってくれたけれど、正直そんな気は全くしなかった。
しかし、使い魔召喚の条件はしっかりと叶えてみせた。その日から、私は召喚した悪魔の娘を使い魔として
しっかり教育していった。もっとも、使い魔としてよりは妹のように接していた時間の方が遥かに多かったけれど。実際、
両親も『新しい娘が出来たみたいだ』と悪魔の娘を我が娘のように可愛がっていたし。
ちなみにその悪魔の娘は便宜的に『小悪魔』と呼ぶことにした。真名は契約者以外に知られてはならない名前の為、
小悪魔の本当の名前を知るのは私だけだ。これから先も私はこの娘の事を小悪魔と呼び続けるだろう。
月日は流れ、ようやく迎えた十五の誕生日。私は小悪魔を連れて、ようやく夢を叶える旅に出た。
両親との別れは私より何故か小悪魔が悲しんでいた。というかワンワン泣いていた。本当にこの娘は悪魔なんだろうか。
別れを告げる私に、両親は『夢を叶えたら報告に来なさい』『夢半ばでもいつでも帰って来なさいな』と言葉をくれた。
だから私は笑って言った。『今度会う時は大図書館に住まう魔女になっています』、と。両親は笑った。私も笑った。小悪魔は泣いた。
屋敷を出て、それからの私の生活は実に地味なモノだった。
とある森の中にあった一つの廃屋、木製の小屋のようなものを魔法(私による)や手作業(小悪魔による)によって
新築同様のモノに変え、人避けの魔法を施してそこを私の拠点とした。水場も近く、実に良い場所を見つけたと自分でも思う。
拠点制作の後は、計画通り資金稼ぎと本の蒐集の毎日だ。
常人の数倍は優れていると自負している探査魔法で、宝石や希少材料を手に入れては、両親の伝手で知り合った
魔法使いやその手の愛好家と取引をして財貨や希少な書物を得る。そして、それを拠点に持って帰っては貯め込む日々。
その繰り返しではあったが、無論何も変化のない日常という訳ではない。
小悪魔がドジを踏んで洞窟に生き埋めになりそうなこともあったし、手に入れようとした宝石を狙った妖怪と
獲物が重なり戦うことだってあったし、取引先と折り合いがつかずに交渉がパーになったりもした。
そんな毎日だったけれど、実に充実していたものだと思う。夢には一歩ずつ着実に近づいてはいたし、
何より小悪魔の存在が私には何より大きなものだった。彼女が居たから寂しさなんかとは無縁だったし、
私の語る夢を小悪魔は目を輝かせて聞き、『夢が叶ったら私は図書館の司書さんになります!』と言ってくれた。
そんな小悪魔の言葉は本当に何よりも嬉しいモノで。私は使い魔を勧めてくれた両親に心から感謝したものだ。
私と小悪魔がトレジャーハンターのような生活を始めて二年程たったくらいだろうか。
いつものように出稼ぎに出ていた私と小悪魔が拠点に帰りついたとき、不思議なことに拠点内に人の気配があった。
私と小悪魔は互いに顔を見合せて首を捻る。この拠点には人避けの魔術が施してあり、人間にこの場所を見つけることは出来ないし、
同業者の魔法使いとは『互いの拠点からの強奪行為は禁止』というルールがある。余程の無知な魔法使い、
潜りで非合法な魔法使いでないかぎり、人の拠点に入り込むことは考えられない。
となると、残された選択肢は私の財を狙った躾けのなっていない野良妖怪か。小悪魔に臨戦態勢を整えるように告げ、
私は室内への扉を開く。勿論、いつでも魔法を行使出来るように詠唱を終えた状態で、だ。
開いた扉の先に待っていた光景は、実に思い出したくも無い光景だった。今思い出してみれば
私はあのとき素直に手に集めていた魔力をあの娘にぶつけてしまっても良かったんじゃないかとすら思えてしまう。
私の瞳に映し出された光景は、最後に見た拠点の光景とは大きく掛け離れていて。
室内の床に思いっきり散乱された食べ物の食い散らかした後。整理整頓されてあった本棚は見る影もなく
バラバラになっていて。書物の中には床に投げ捨てられたものさえある。まるで台風でも訪れたかのようだ。
そして、私の拠点を滅茶苦茶にしてくれた犯人は、なんとも大胆なことに、私のベッドの上に寝転がっていて。
私の登場に気付いているであろうにも関わらず、飄々とした様子で寝転がったまま本を読み耽っていた。
その犯人――容姿は小悪魔よりも少し年上、私より少し年下くらいだろうか。幼い子供の容姿をしているが、
ただの人間の子供ではないことは彼女の背に生えている翼から読み取れる。鳥というよりも小悪魔の頭の羽に近い形だ。
そんな我が物顔で本を読み続ける狼藉者に、私は視線を強めたままで言葉を投げかける。
「人の家に勝手に上がって、よくもまあこれだけ好き勝手してくれたものね。
いえ、過去形にすら出来ないわ。現に貴女は今でもこうして好き勝手してくれているのだから」
「ええ、お邪魔させてもらってるわ。客人だからといって持成しは不要よ、魔法使い」
私の方をチラリと視線を送るだけで、まるで長年の友人の家にでも遊びに来ているかのように振舞う侵入者。
その姿に私は正直頭にきていた。勝手に人の家に入り込んで、この態度。そして反省の弁はおろか、
未だに出ていこうとしないふてぶてしい様子に、感情がマグマのように煮え滾っていくのを感じていた。
「出て行け。ここは私とこの娘の家よ。今なら魔法三発くらいで許してあげる」
「ほう? この私を追い出すつもりかい? 折角の客人に対してその態度は頂けないわね」
「何が客人だ。勝手に侵入して勝手に好き勝手しているだけでしょう」
「それは違うね。空を飛んでいたら、たまたま森の中に小屋があるのを見つけた。
近づいてみれば誰も小屋には居なかった。加えて鍵も掛っていなかった。そしてその無人の小屋は
『人』の住んでいる気配がしなかった。だから私はここを自分のモノにすることにした。ただそれだけさ」
「何がそれだけ、よ。ふざけるのも大概にしなさい」
「いいじゃないか。どうせお前もそんな感じで此処を己が住処に変えたんだろう?
人間のモノだった家屋を人避けの魔術まで施して自分のモノに変えて、私と一体何が違うというんだい」
「私はいいの。けれどアンタは駄目」
「はあ、貴女は良くて私は駄目。なんて滅茶苦茶な理屈」
肩を竦める侵入者に、苛立ちはますます募るばかりだが、部屋が散らかりっぱなしの方が私には耐えられないらしい。
そんな侵入者を放置し、私は小悪魔に指示を出し、散らかされた拠点の修復に努める。
私達が散らかされた本を書棚に片づけていく様子を呑気に眺めていた侵入者だが、
暇を持て余したのか、単純に構って欲しいのかよく分からない様子で口を開いてくる。
「お前、本と財貨を集めてるのかい? 本はともかく、金銭を集めるなんて珍しい魔法使いだね。人間みたいだ」
「コミュニティの中で生きる者として、金はいわば大切な弾丸。願いを叶える為には必要な時だって多々存在する。
欲望の為に財を掻き集める魔法使いなんて珍しくとも何ともないわ。あとさっさと帰れ」
「そうかい? 私は魔法使いなんて知識を貯め込んでは『私はお前と違ってこれだけ偉いんだ』って
自慢したいだけの暗い連中としか思ってなかったけどね。それともウチの教育係が古惚けてるだけか?」
「人それぞれよ。仙人のように他者と触れ合わず一人根源を目指すような魔法使いだっている。
魔法というモノの認識の違いよ。便利な道具と見るか、奇跡への道標と為すか。あとさっさと帰れ」
「それでお前は前者って訳か。へえ、そういうもんなのね。実に面白いねえ。それじゃ質問なんだけれど…」
「いいからさっさと帰れっ!」
飄々と質問を続けようとする侵入者に、私は手に持っていた本を思いっきり投げつける。大切な本を
全力投球してしまった辺り、私はかなり頭にきていたのかもしれない。いえ、きていたんだと思う。
当然、私のような虚弱の魔法使いの投げた本など妖怪に当たる訳も無く。軽く仰け反って本を避けたのち、
侵入者はニヤリと笑って、大袈裟に背の翼を大きく開いて何事かをのたまい始めた。
「私はレミリア。誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットよ。貴女は?」
「誇り高き吸血鬼が空き巣なんかするなっ。ごほっ、ごほっ…」
「だ、大丈夫ですか!?」
「…大丈夫よ、小悪魔。目の前の大馬鹿野郎に少しばかり血が回っただけ」
「大馬鹿野郎とは酷い言い草だわ。私はお前が実に気に入ったというのに。
そうね、言わば一目惚れってヤツかもしれないわ。お前の事が欲しいのよ」
正直本物の馬鹿だと思った。私の目の前で訳の分からない事をほざいている吸血鬼とやらは頭がおかしいんじゃないかと思った。
否、その時の私は事実そう断定していた。だってそうじゃない。勝手に人の拠点に入って来て、我が者顔で
室内を荒らし回し、挙句の果てには人の事を気に入っただの欲しいだの言い始める始末。本気で思う、コイツはアホだって。
「そう、私は貴女が嫌い。大っ嫌い。好きになる事なんて未来永劫在り得ない。だから帰れ」
「つれないねえ。人の好意を無碍にするなんてレディとしての教育が足りないんじゃない?」
「そういう貴女は人としての教育が足りていないわね。教養の為にも、もう少し本でも読んだら?」
「生憎と私は吸血鬼でね。仁義やら礼節やら面倒なモノには縛られないのさ。ところでどうしたら私のモノになってくれる?」
「…もう、本気で帰れ。正直頭が痛くなってきた」
その後、ああだこうだと押し問答を繰り返し、一時間くらいした後で渋々吸血鬼が出ていくことを了承した。
部屋から出ていこうとした吸血鬼だが、扉から出ていこうとした時、私の方を振り返って言葉を紡ぐ。
「結局お前は私に名前を教えてくれないのかい?」
「もう二度と会わない相手に名を名乗る必要などないでしょう? 私は貴女の暇潰しに付き合う時間なんてないの」
「それは困る。これから先、お前は私の暇潰しに嫌というほど付き合ってもらう予定なんだから。
名前を教えてくれないなら私は帰らない。ここに残ってお前のベッドをいつまでも占領してやる。お菓子も食べ尽くしてやる」
まるで我儘な子供の様相を呈している吸血鬼に、私は本気で頭を痛めていた。
正直早く眠りたかった。睡眠など必要としない身ではあるのだけれど、それでも今日ばかりは眠ってしまいたかった。
そうすれば、目の前で尊大に振舞ってくれる大馬鹿の存在を忘れることが出来るかもしれないから。
「さあ、教えなさい魔法使い。貴女の名前を私に」
軽く息を吐いて、私は告げる。これっきりだからと自分自身に何度も何度も説得を行いながら。
「私の名前は――」
あの日以来、私の拠点に吸血鬼――レミリアが入り浸るようになった。
私と小悪魔が蒐集から帰宅しては、勝手に上がり込んで本を読んでいたり眠っていたり。最早己が別荘とでも勘違いしているらしい。
最初の一週間くらいは本気で何とか追い出そうと色々と試みたものの、尽く作戦は失敗。
一度、本気で実力行使に出てみたものの、このお子様吸血鬼は外見からは想像も出来ない程の実力を持っていて、
ものの数秒で返り討ちにされてしまった。ボロボロになって地面に伏してる私に『魔法使いなのにお前は随分
強いんだねえ』などと戯けた発言をされてしまい、正直自分自身が情けなくて泣きそうだった。泣かなかったけど。
力で追い出せないならば、と数日ほど本気で無視を決め込んでいたこともある。レミリアが何を話しかけても、私は
居ないモノとして口を開かなかった。視線も合わせなかった。それでもレミリアは何度も何度も話しかけてきた。私は全力で無視をした。
そして、それが三時間ほど続いたとき、レミリアは思わぬ行動に出てきた。なんと、普通に泣き喚いたのだ。
まるで子供のようにワンワン泣いた。正直私は驚いた。小悪魔も驚いた。あの尊大傲慢吸血鬼が泣くなんて
微塵も思わなかったからだ。大声で泣き続けるレミリアに、私はとうとう根負けをしてしまい、泣きじゃくる彼女を
あやして『ごめんなさい』と謝った。多分、私はこの時に自分の負けを悟ったのかもしれない。大人と子供の
アンバランスな魅力を持つレミリアに、少なからず私は興味を抱いてしまったのだから。
それからというもの、レミリアはいつも以上に我が物顔で拠点に入り込み、好き勝手するようになった。
ただ、以前と違うのは、その行動が私の許可が下りていることと、私が『するな』と言った事は行わない条件が付き、
レミリアもそれをちゃんと守ってくれているというところだ。マナー違反を起こさないのならば、彼女は私にとって
正式な客人だ。だから私は遊びに来てくれた彼女を相応に持て成している。
仲を深めてみて分かった事だが、レミリアは実に面白い吸血鬼であることが分かった。
時々恐ろしく鋭い発言をするかと思えば、それが単に子供の背延びのようなものであったりする。
子供のような無邪気さを見せたかと思えば、時折吸血鬼相応の冷酷な一面だって垣間見ることが出来る。
多くの人は付き合い難いと感じるかもしれないレミリアの性格だが、私にとっては好感に値する性格だ。
なんせ裏表がない。言いたい事、思った事、感じた事は全て迷わず口に出す。それがどんなに厳しい言葉でも、だ。
魔法使いとして腹の探り合いが日常である私にとって、そんなレミリアは実に好ましい存在だった。向こうが
そんな感じだから、私も遠慮なくレミリアに率直な言葉をぶつけることが出来る。ましてや二人の出会いからしてアレだった
のだ。何を今更躊躇したり配慮したりする必要があるだろうか。気づけば私にとって、レミリアは大切な友人となっていたのだ。
ただ、そんなレミリアだが、彼女に関して一つだけ困ったことがある。レミリアはどうやら本気で私を欲しているらしいのだ。
無論、それは変な意味などではない。純粋な子供が玩具を己が手元に収めたいように、レミリアもまた私を
本気で傍においておきたいらしいのだ。すなわち、『私の棲む屋敷に引っ越せ』と何度も何度も繰り返し言い聞かせてくる。
その誘いが来る度に私は何度も突っ撥ねてきた。そしてその度にレミリアはムスッと不機嫌そうな顔をして
『馬鹿』だの『頑固者』だの『引き籠り魔法使い』だの容赦ない言葉をぶつけてくれた。その度にお仕置きもした。
レミリアが言うには、彼女の館には私が住まうだけのスペースは幾らでも余っているし、知識人としての
私の価値は計り知れない為、客人として迎えるように両親に幾らでも取り計らってくれるという。
しかし、私はその申し出を断り続けている。理由は簡単で、私はレミリア以外の人物、すなわちレミリアの両親やら
部下やらを一切信用していないからだ。レミリアの家に住まうという事は、スカーレットの一員となるということ。
それでは館の主であるレミリアの父に自身の生殺与奪を一任しなければならないし、何よりレミリアの父に敵対する
妖怪と殺し合いをしなければならない、いわば戦争に巻き込まれるかもしれないのだ。そんな面倒事も厄介事も私には到底御免だった。
レミリアの為ならば少しくらい考えてあげなくもないが、レミリアの父親の為に命を賭けるなど考えられない。
ある日、あまりにしつこかったので、そう話したとき、レミリアは不承不承という感じながらも、なんとか納得してはくれた。
そして次の日、レミリアは笑顔を浮かべてこんなことを言っていた。
「だったら私が当主になった時には私のモノになってくれるわね!それなら少しくらい待ってあげる」
一晩考えた末でレミリアの出した結論に、私は少しばかり呆然としたものの、腹の底から溢れ出る
笑いを堪えることが出来ずに大笑いしてしまった。そんな私に『どうして笑うのよ!』と怒るレミリアに、私は言葉を返していた。
「そうね、その時は無理矢理にでも私を貴女のモノにして頂戴。きっと嫌がらないだろうから」
そんな私の言葉にレミリアは少しの間ぽかんとした表情を浮かべた後、『聞いたからね!約束だからね!』と
何度も何度も私の言質を取るように念を押してきた。そんなレミリアに苦笑しながら、私は思う。少しばかり早まったかしら、と。
レミリアと知り合って一年程が経過したくらいだろうか。
私と小悪魔、そして時々手伝いと言う名目の暇つぶしでレミリアが参加する資金集めは実に順調に進み、
このままいくと私の目的である大図書館の建設まで一年経たずに達成出来そうな程だ。
ちなみに、私の夢の事はレミリアも知っている。初めて私がレミリアに夢を語った時、レミリアは何の迷いも無く、
『大図書館のある吸血鬼の館っていいわね。智慧に溢れる吸血鬼という高貴なイメージが私に付与されるわ』などと
言い放ってくれた。最早私の作る大図書館は既に彼女のモノでもあるらしい。その時は私も呆れるように笑ってしまった。
そんな順風満帆な私の夢路のある日のこと。いつものように蒐集、取引から帰ってきた私に
これまたいつものように我が物顔でベッドの上に寝ころんでいたレミリアが、いつも以上の笑顔で私に来館のお誘いを申し出た。
何でもレミリアが私の事を両親に話していると、両親が私に興味を持ったらしく、是非客人として館に招待するようにと
レミリアに言ったらしい。レミリアは自慢の友人を両親に見せつけたいと目をキラキラ輝かせて語っていたが、
私は彼女の誘いに少しばかり躊躇した。おかしい。この突然の誘いはあまりにおかし過ぎる。
レミリアの両親は私がレミリアと知り合った時から既に私の存在を知っていた筈だ。例えレミリアが私のことを
話していなくとも、普段レミリアが館を抜け出して何処に行っているのか等は把握している筈。そこから当然
私の存在をも知り得ている筈なのだ。それがどうして今になって誘いをかけてくると言うのか。
レミリアの言う通り、レミリアの両親が私に興味を持っているというのは間違いないだろう。しかし、問題はその持ち方。
果たして純粋に娘の友人への興味なのか。否、恐らくは私自身が『使える』かどうかを確かめたいのだ。
恐らく、レミリアの両親は魔法使い、もしくはそれに相当する知識人を必要とする事態に陥っている。そこで、娘の
友人という利用しやすい位置に偶然私が居た。…否、それは果たして偶然なのか。
もしやレミリアも私を利用する為に一年近く前から計画立てて近づいて…そこまで考えて私は馬鹿らしいと深読みするのを止めた。
いつも人様のベッドの上で菓子をボロボロと好き勝手零してくれるお子様吸血鬼がそんな大層な計画を
用心深い魔法使い相手に実行出来る訳がない。これが演技だというのなら、私はレミリアに本気で惚れても良い。
ならばやはりレミリアは私の先導役として踊らされているのか。どうするべきか少し考え、私はレミリアの誘いを受けることにした。
確かにレミリアの両親の思惑は気になるが、私が利用されないように己を持っていればいいだけのこと。
何より私はレミリアの友人なのだ。友人の誘いを勝手な算段で断ることなどするつもりは毛頭ない。
私の承諾に、レミリアは喜びを全身で表現し、嬉しそうに顔を綻ばせていた。レミリアの喜ぶ顔を見ると、
何故だか心が温かくなってしまう。そのことを小悪魔に言うと、『私もです』とコロコロ笑っていた。どうやらレミリアの
笑顔は万人を魅了する何かを秘めているらしい。本当、実に憎めない悪魔っ娘だと思う。
私の予想は的中していた。正直あまり当たって欲しくなどなかったのだけれど。
来館した私の前に現れたレミリアの両親は、顔を合わせるなり私に高圧的な態度で『今日から貴様はここで働け』などと
ふざけた事を言ってきた。そして『断れば命は無い』とも。何が起こったのか分からず『どういうこと』だと声を上げる
レミリアを制止し、私は笑みを浮かべて言ってやった。相手に負けないくらいに高圧的に『お断りだ』と。
『命が要らないのか』などと再度脅しをかけてくるレミリア父に、私は嗤ってやった。『命が惜しくて魔法使いやって
られますか。魔法使いを舐めるな、獣風情が』。そう言った時のレミリアの微妙な顔が忘れられない。いや、貴女に言ってないから。
大体、力を誇示して脅し協力を得ようなどと不躾にも程がある。頼みごとをしたいならば相応の対応というものが
ある筈だ。その過程をすっ飛ばして他者を利用しようなどという輩に遠慮なんて必要ない。そして何より。
「私はレミリア以外の奴に利用されるつもりは毛頭ないわ。どうしてもというのなら、娘に頭を下げて出直しなさい」
そう告げたとき、レミリアの両親は互いに顔を見合せて盛大に大笑いした。これ以上ないくらい、それはもう気持ち良いくらい。
大笑いする両親をポカンと眺めるのはレミリア。後で聞いた話だけれど、レミリア曰く、『こんなに笑う両親の姿を
今まで見たことが無かった』らしい。それくらいの馬鹿笑いだったのだ。本当、失礼なことだ。
一頻り笑い終えたレミリアの両親は、先ほどの高慢な態度が幻であったかのように紳士的な態度に打って変った。
『娘の大切な客人に対し、大変な失礼をした。どうか許してほしい』、と。どうやら私の予想は的中どころか大外れだったらしい。前言を撤回させてもらいたい。
話を聞くところ、レミリアの両親は確かに魔法使いを求めていた。そこで予想通り、レミリアの友人である
私に白羽の矢を立てたのだが、はたしてその人物が本当に信用に値する人物かどうかが分からなかったらしい。
もしかしたら娘を利用してスカーレット家に近づき害をなす輩かもしれない。だからこそ、レミリアの両親は
一計を案じて私を試したのだという。脅し程度でヘコヘコと媚を売ったり娘を裏切ったりするような奴に用はない、と。
そして、二人の試験に私は見事合格したようだ。非礼を何度も詫びる二人に私は『構わない』と告げた。大切な
娘、それも己の後継者に関することだ。親としてそれくらい用心することもあるだろう、と。
しかし、と何度も食い下がるレミリアの両親に、ならばと私は狡賢く一つの取引を行った。レミリアの両親の知り合いで
魔法道具や宝石、希少材料などを欲してる奴がいたら、私に紹介して欲しい、と。新たな顧客の開拓に、レミリアの
両親は快く了承してくれた。それどころか、私の夢を聞いて、館に存在する書物なら好きに読んで構わないとまで言ってくれた。
予想以上の収穫に私は小躍りしたいくらい喜んだが、私とは対照的に非常に不満そうなのはレミリアだった。
いくら娘の為とはいえ、自分には秘密で私を試したこと、そして私を放置して勝手に話を進めたことが大いに
不愉快だったらしい。拗ねる娘に苦笑しながら、スカーレット家当主は私に優しく言った。『これからも娘の良き友人で居てあげてくれ』と。
隣で拗ねるレミリアの頭をポンポンと撫でながら、私は『言われるまでも無いわ』と返してあげた。少しだけレミリアの機嫌が回復したのは余談になるか。
それから私はいつもの蒐集の傍ら、時折レミリアの館を訪れては、スカーレット家当主の依頼を請け負うようになっていた。
当主が魔法使いを探していた理由は、館に強力な結界魔法を作る為だったらしい。何でもスカーレット家を快く
思わない妖怪や他の吸血鬼達の襲来が最近相次いで、館の修復が追い付かないそうだ。
そこで当主は館自体に強力な結界を張ってしまい、来客を館外で排除してしまおうと考えた。結界さえ出来てしまえば
流れ弾が館に着弾することもなく、館を傷つけることも無い、と。
そんな当主の依頼を私は二つ返事で了承した。結界魔法は人並み以上に出来る自信があるし、何より
当主は依頼に対して破格の報酬を用意してくれた。はっきり言って小悪魔と二人で一月奔走するより遥かに高い。
また、結界を張り終えた後でも、当主は私に依頼をくれた。それはレミリアと、彼女の妹であるフランドールの
教師役。あまり外の常識を知らない二人に、どうか教鞭を取ってやって欲しいとのことだ。
その依頼を最初は断ろうと思っていたのだけれど、やはり金払いが非常に良く、何よりもレミリアが
『断るなんて許さない』と何度も何度も私に食い下がったのだ。こうなってしまっては、私に断る術はない。
了承した日から、私は二人に様々な教育を行ってきた。他種族の情報、強さ、しきたりから魔法の基礎、運用、応用、
実戦での効果的な術式。そして高貴な者としての在り方、部下に持つ者としての心構え、扱い方。
そんな私の授業をレミリアは興味深そうに、フランドールは眠たそうに聞いていた。恐らくフランドールはあまり知識的なモノに興味はないのだろう。
授業を行い、空いた日に当主から紹介されたお得意様相手に取引を行う。
そのような毎日の繰り返しの果てに、とうとう私は目標としていた額の金銭を貯めることが出来た。夢が形になる時が来たのだ。
そのことを小悪魔とレミリアは私以上に喜んでくれた。そしてレミリアの両親もまた、私を祝福してくれた。
善は急げと、私は早速巨大な図書館を作る為の計画に移行した。まずは腕利きの人間の大工に依頼し、入れ物となる形を作らせる。
人間社会で腕の良い大工の伝手は当然私は持っていた。魔法使いのネットワークで評判の良い人間を何人か
見繕い、通常の二倍のレートの報酬を持って私は仕事を依頼した。二倍出した理由は、建設中に他の魔法使いや
権力者からの引き抜きを防止する為。建築に二年近くは掛るのだ。その間に横やりが入らないとも限らないのだ。
図書館を建設するに至り、決めておかねばならいないことに建設場所があるのだけれど、それは最早迷う必要も無かった。
場所は当然、レミリア達の住まう館の隣。最初に何処に立てようか考えていると皆に告げたとき、
皆が口を揃えて『そんなもの館の隣に決まっているじゃないか』と言ったのは本当に笑ってしまいそうになった。
どうやら私の夢である大図書館は、館の人々の良い暇潰し施設、共用の書庫になりそうだ。その証拠に、
当主がこの前私に『図書館が出来たら私達の蔵書を全て運んで構わないから』と言っていたし。
そういう訳で場所は決まり、人間の腕利きの大工も雇った。後は建築後の図書館の強度上昇や室内気温や
湿度を常時固定化させる呪文のスペシャリストの魔法使いに依頼をしなければならない。
勿論、その手の魔法は私も使えるが、専門家のそれとは比較にならない程度にしか効果が無い。餅は餅屋、
やはりその道のプロに頼むのが正しい方法というもの。幸い、私の知り合いにその手に強い魔法使いが居たので、
こちらは比較的良心価格で仕事を頼むことが出来た。余った財は全て調度品や本棚、そして本の蒐集へと全て消費した。
それから私が出来るのは、のんびり完成を待つことだけだ。
もうお金を集める必要はないのだから、レミリアとフランドールに授業を行っては、そこで得た資金を
本に変えるだけ。空いた時間はレミリアの暇潰しに付き合ったり魔導書を書いてみたり。時すがら当主や
その奥方と雑談に興じたりもした。その話の中で『知り合いの魔法使いで良い男がいるんだが』などと
何故かその手の話を当主がプッシュしてきたが、私は興味無いと何度も逃げた。その度に奥方があらあらと楽しそうに笑っていた。
月日が流れるのは実にあっという間で。二年の歳月を経て、私の夢見た大図書館は完成を遂げることになる。
否、まだ本棚の中がガラガラな為、本当の意味での完成ではないのだけれど、それでも私には胸を空くような気持ちにさせた。
また、大図書館の落成式においては、当主が主催者としてパーティーを開催してくれた。
そのパーティーには当主様の知人から、私の同業者、建築に携わった人々、人妖の権力者など様々な人が訪れた。
また、その来客の中に私の両親も居た。当主に訊ねると、『娘の晴れ舞台だ、同じ娘を持つ者としては当然の心配りだよ』と笑って
いた。この時は当主の配慮に心から感謝し、何度も何度も頭を下げてしまった。
久々に会う両親は昔と何一つ変わらず(捨虫の魔法を使っているので当然といえば当然なのだけれど)、
夢を叶えた私を優しく抱きしめて『おめでとう』と言葉をかけてくれた。両親からの言葉に、私は『ありがとう』を
上手く返すことが出来なかった。理由は涙で上手く呂律が回らないという少しばかり情けないものであった。
また、そのパーティーの中で沢山の人々と知り合う事が出来、蔵書に関して唯で譲ってくれる人、取引に応じて
くれる人など沢山の蒐集の伝手を作ることが出来た。本当、全ての努力が報われた瞬間だと私はそう感じていた。
パーティーの席で、変な男に出会ったりした。私の両手を突如掴み、『どうか私をこの図書館で働かせて下さい!』と
懇願してきたのだ。何でも当主の知り合いの魔法使いらしく、腕は滅法頼りになるが、少しばかり変人らしい。
そんな当主の話を聞きながら、未だに土下座で頼みこんでくる彼に、私は仕方なしに構わないという返事をした。
予想以上に大きく立派になった図書館を、正直小悪魔一人に仕事を任せるのはつらいだろうと考えていたし、ある意味ちょうど良かったのかもしれない。
ただし、給与は全く出ない旨を伝えると、彼は『お金なんか要りません! この図書館で働くことに意味が
あるんです!』と目を輝かせて力説していた。対価を必要としない辺り、本当に魔法使いとして彼は変人だと思う。
(容姿は格好良いし、性格も温和で優しいけれど、ここまで変人だから異性が誰も寄り付かないとは当主の話)
ただまあ、私の手を掴んで延々と力説する彼に、何を勘違いしたのかレミリアが全力で蹴りを喰らわせ
『人のモノに手を出すなああああ!!』などと叫んでいたのは少しばかり微笑ましかった。あと、吸血鬼の本気の蹴りを
喰らっておきながら気絶程度で済むあたり、本当に彼は変人なんだと私は思う。
大図書館が完成してから、私と小悪魔は住居をいつもの拠点から図書館の方へと移していた。
館内には私達の住居スペースも作ってあるし、この引っ越しは最初から規定事項だった。本に埋もれ本と共に
生活する。それは私にとっての何よりの夢であり、それが今こうして実現出来ることが何よりの喜びだった。
ただ、予定には無かった未来だって沢山生じてはいる。大図書館で働きたいと言った変人の魔法使いも
図書館に住み込みで働いているし(彼には図書館の空き部屋を利用して貰っている。私と小悪魔の生活区に
異性を入れる訳にはいかないので)、レミリアは私達が使っていた拠点を本当に別荘にしてしまっている。
別荘にするのはいいのだけれど、時折私に『部屋が散らかってきたから掃除に来て』などと頼むのは勘弁してほしい。
まあ、そんなレミリアが頼んだ仕事は何故か変人さん(小悪魔が彼につけたあだ名)がやってくれるのだが。
本人曰く、『子供の世話をするのは嫌いじゃないですから』とのこと。その発言を訊かれてレミリアに再び
ドロップキックを喰らっているのをこの前見たりした。本当はこの二人仲が良いんじゃないかと最近思うようになった。
そんな騒がしい日常の下、私は今日ものんびり図書館で読書に興じている。最近はレミリア達の授業と取引以外の
時間はこんな風にのんびり過ごすことが出来ている。以前のように小悪魔と二人で洞窟や獣の巣に飛び込んでは
お宝を探し求めていた日々が嘘のように穏やかな毎日だ。幸せというモノが存在するのならば恐らく今のような日々のことを言うのだろう。
そのことを小悪魔と変人さんに告げると、二人顔を合わせてクスクスと笑っていた。何だか馬鹿にされてるみたいで少し悔しい。
それと、時間が余るようになったので、時折実家の両親のところへ帰ることも増えた。
ただ、両親の顔を見るのはいいが、最近実家に帰る度に言われ続けているのが『付き合ってる人はいないのか』だ。
そんな相手なんか居る訳がないし、興味も無い。私は本さえ有ればいいといったことを言うと、決まって
両親は揃って大きな溜息をつく。本当に失礼だと思う。まだ二十歳を過ぎたばかりの魔法使いに向かって
恋人の有無を訊いたりする時点でおかしいのは絶対あちらだと私は思うのだけれど。
何故そんなに私の恋人を欲しているのかを訊ねると、出てくるのは他家の魔法使いの話ばかり。
やれ誰誰と誰誰が結婚して子を為しただの、誰彼と誰彼が婚約者としてつながっているだの。
私の両親は魔法使いよりも人間に近い考えを持ち(その証拠に両親は二十歳前後で結婚し、私を生んでいる)、
魔法使いの寿命をあまり考慮に入れずに婚約話を持ちかけてくるのだ。その度に私は馬鹿らしいと呆れるのだけれど。
大体、魔法使いは子を為さずに魔道を極めようとする者が圧倒的に多いのだ。それなのに、一体どうして
私に婚約を勧めようとするのか。その問いに両親は迷わずに『お前にも子を持つ幸せを経験してほしい』と言った。
『お前を娘に持つことが出来た私達は本当に幸せ者だ。その幸せをお前にも感じて、そして生涯を終えて欲しい』と。
そんな台詞を臆面もなく言われてしまっては私に何も言い返すことなど出来ようも無く。善処します、と政治家のような
答弁を持って図書館に帰り、変人さんと小悪魔と当主と奥方相手に愚痴を零しながら酒を飲むのだ。
私はあまり記憶にないが、酒が入ると私は結構絡むらしく、酔っぱらってひっつこうとする私に
女慣れしていない変人さんがあわあわと顔を真っ赤にして困惑する姿を見ながら酒を嗜むのが
最近の楽しみなんだ、と当主に言われたが、殆ど記憶にない私には変人さんに謝るくらいしか出来なかった。ごめんなさい。
そんなある日のこと。いつものように図書館で気ままに本を読み耽っていると、当主が来館した。
何か本でも探しているのかと、対応を変人さんに任せていると、どうやら私に用があるらしく、
『少しばかり付き合ってくれないか』と言われた。私は二つ返事で了承し、当主に付き添ってレミリア達の住まう館へと上がる。
当主の部屋に入ると、そこには奥方も既に居て、どうやら三人で何か話をしたいらしい。
椅子に腰を下ろし、当主の話に耳を傾ける。彼が口にした話題は非常に私にとって興味深い内容であった。
「幻想郷、というものを君は知っているかい?」
「幻想郷? 申し訳ないけれど、聞いたこともないわね」
「だろうね。これはこの世界のどの文献にも書物にも書き記されていない事なのだから。
何でもある妖怪が作った顕界とも冥界とも異なる世界、妖怪達の住まう楽園が存在するらしい」
「へえ、そんなものが。一体何の為に」
「この世界では妖怪達が減り、人間達が力を持つようになっている。言わば妖怪は最早滅びの道にあるんだ。
消え去るだけの妖怪や妖精、神といった存在を救済しようというのが、その妖怪の建前のようだ」
「へえ、慈善事業も良いところね。自分で作った世界に妖し達を住まわせることで創世神でも気取ってるのではなくて」
「それもあるかもしれないね。まあ、そういう訳で我々のように人間達と共存出来ない、言わば力の弱まっている
妖怪達はその幻想郷に集まっているんだが…実は私のところにも、その妖怪本人からお誘いが来てね」
「あら、相も変わらず人気者なのね。奥方も気が気でないでしょう」
「ええ、全くよ。この人が浮気に走ろうものなら、山を三つほど消し飛ばそうかというところ」
妖艶に笑う奥方に、当主はただただ苦笑するしか出来ないようだ。この人は時々冗談か本気か分からない
から困る。こほん、と小さく咳払いをし、当主は先ほどの話を続ける。
「最初に言っておくが、その誘いに私達は乗るつもりはないんだ。吸血鬼として私達は地位を持ち、
人間の貴族としても領地と領民を持っている。『はい、そうですか』と全てを放り投げて幻想郷に行く訳にもいかない」
「当然といえば当然ね。吸血鬼の中でも力を持つスカーレットが消えれば、その辺りは間違いなく戦場になるわ。
他の獰猛な吸血鬼達は貴方達の威光と恐怖によって押さえつけているのだから」
「その通りだ。だから私達二人は行けないのだが…うん、そうだね、結論から先に言ってしまおう。
私達は娘達を幻想郷へ送り出そうと考えているんだ。レミリアとフランドールの二人をね」
当主の言葉に、私は少しばかり眉を顰める。彼らの意図が掴めなかったからだ。
溺愛する二人の娘を何故幻想郷に追いやろうとするのか。そんな私の思考に気づいたのか、当主は
一度紅茶に口をつけ、『順を追って説明しようか』と後づける。彼の言葉に私も強く頷いた。
「まず初めに、レミリアとフランドールは私達スカーレットの後継者であることを頭に置いてほしい。
それは二人が望もうとも望まぬとも決して避けられない定めであり、決定事項だ。いずれ二人は
私達同様…いや、親の贔屓目に聞こえるかもしれないが、きっと私達以上に実力を持つ吸血鬼になると私は考えている」
「そうね。レミリアもフランドールも素晴らしい素質を備えているわ。
貴方以上かどうかは知らないけれど、歴史に名を残す英傑になることは間違いないでしょう」
「そう言ってもらえると嬉しいね。そう、レミリア達は将来私達の持つ名声や地位や名誉、その全てを受け取らねばならない。
しかし、そこで二人が領主としても吸血鬼としても未熟者であってはならない。それでは部下がついて来ない。
近い未来の為にも、二人には主としての、上に立つ者としての経験が必要なんだ。最初はその経験をさせる為に、
領地を一部任せてみようかと考えていたんだが…」
「そこに幻想郷の話が降ってきた、と」
「その通りだ。力ある妖怪達が跋扈する幻想郷で、レミリア達は空手の状態から自らの手で地位と領地を掴み取り、
幻想郷でパワーバランスの一角を担う程の吸血鬼になって欲しい。まあ、フランドールは気が触れているから、
少しばかり難しいかもしれないが」
「成程ね。そう言う意味では確かに幻想郷に二人を送ることは意味があるかもしれないわね」
当主の考えに、私は迷うことなく同意した。全てを生まれながらに用意されていたレミリア達にとって、
今回の件は確かに大きな経験となるだろう。何せ全てを己が手で掴まなければならないのだから。
恐らくレミリアは心から燃えるに違いない。フランドールは暇つぶしくらいの気持ちでやるかもしれない。
そこではきっと大きな収穫もあるだろう。大きな挫折もあるだろう。しかし、それらはきっとレミリア達を成長させる
最高の糧となるに違いない。その旨を告げると、当主達も同感だと告げた。
「それでは、幻想郷の件はその方向で手配しよう。レミリア達にも明日までには伝えておく。
それと、きっとレミリアの奴は君を幻想郷に連れていこうとするとは思うんだが…」
「…分っているわ。私がレミリアの傍に居ても、あの娘の為にならない、でしょう?
私が一緒に行けば、あの娘は全てを私に頼ってしまう。自分で考えるということを放棄してしまう。違うかしら?」
「本当、君は理解が早くて助かる。あれは君に依存しているからね。初めての友人だ、君がレミリアにとって
何より特別な存在という事も承知している。だけど、それではレミリアの真の意味での成長は見込めないからね」
当主の話を頷きながら、私は既に頭の中ではレミリアの事で一杯だったと思う。
…別れ、か。こればかりは本当にしょうがないことだ。当主の言う通り、レミリアの成長の為に私は邪魔でしかない。
ただ、やはり大切な友人との別れだ。胸に溢れて来る一抹の寂しさはどうしようもない。あんな我儘で自分勝手な
お姫様でも、やはり私にとっては大切な友人なのだ。私が家族以外で心を許した初めての人なのだ。
レミリアが幻想郷に何年滞在するのかは分からない。けれど、それはきっと数百年単位のことなのだろう。
吸血鬼にとっては幾許の時でも、魔法使いにとってそれは大きな時間だ。もしかしたら、私の死をもって
永遠の別離となるかもしれない。私が勝手に先立ってしまうと、きっとあの娘は激昂するだろうな、などと少しくらい自惚れてもいいのだろうか。
その日の翌日、図書館で新しく手に入れた書物の整理を三人で行っていると、昨日同様、図書館に来客が訪れた。
それは昨日のように当主の姿ではなく、彼の姿を三回りほど小さくしたお客様。そう、レミリアだ。
レミリアは不機嫌そうな様相を微塵も隠しもせず、ズカズカと足音をさせて私のところへと歩み寄り、ダンと強く
机を叩いて私を睨みながら言葉をぶつける。『ちょっと顔を貸しなさい』、と。
どうやら幻想郷のことを両親から聞かされたらしい。既に癇癪モードに入っているレミリアに溜息をつきながら、
私は仕事を二人に任せてレミリアに従い、図書館の奥、私の私室へと連れていかれる。
私の部屋だというのに、レミリアは相も変わらず少しも遠慮することなく椅子に腰を下ろし、視線で
『貴女も座りなさい』と命令する。不機嫌なお姫様に私は反抗することも無く言われるがままに対面の椅子に腰を下ろした。
「…それで、何? 新書の整理があるから、手短に済ませて欲しいのだけれど」
「お父様とお母様から聞いたわ。幻想郷に私とフランを送りつけるって」
「そう。何故幻想郷に送られるか、というのも聞かされたの?」
「ええ…私達の経験の為だって。将来、スカーレットを継ぐに相応しい吸血鬼になる為だって。
そのことに私は何の異論もないし、二人のような吸血鬼になってみせるという気概だってある」
「それなら良いじゃない。貴女の思惑と両親の思惑が一致している、これ以上なく最高なことじゃない」
「最高じゃない!! どうして幻想郷に貴女はついてきてくれないのよ!!」
声を荒げるレミリアに、私はやっぱり問題はそこか、と息をつく。
恐らく私を連れて行けない事情は当主から聞かされてはいるのだろう。けれど、レミリアの感情が納得に追い付いていない。
確かに理屈は分かる、けれど納得出来ない。嫌だ。そんなレミリアの感情が手に取るように分かる。
だからこそ、私は訊ねかける。卑怯だとは思うけれど、レミリアの為にはこうする以外他ないから。
「言いたい事は把握したわ。それじゃ、貴女は私に何を望むのかしら?」
「…幻想郷について来なさい。貴女は私の大切な友達でしょう? 貴女が居ないところに行くなんて、嫌だ」
「それは当主の言葉を聞いての事? 説明を聞いた上で貴女はその考えを貫こうというの?」
「っ、ええ、そうよ! お父様の考えなんか知るもんか! 私は絶対貴女を連れていく!」
「スカーレット家当主の言葉に逆らう、と? 貴女は所詮、彼の娘という立場でしかないのに?」
我ながら卑怯な言い方だとは思う。当主の言葉は絶対だ。それは娘である彼女にとっても覆せない。
こう言ってしまえば、最早チェックメイトに等しい。押し黙るレミリアに、少しばかり言い過ぎたと反省しながら、
謝罪の言葉を続けようとしたその時だった。レミリアが力強く机を殴り、声を荒げてその場から立ち上がったのだ。
「――だったら! だったら私が一番偉くなればいいんでしょう!?
私が当主になれば、一番上になれば貴女を好きに出来るんでしょう!?」
「…ちょっと待ちなさい、レミリア。貴女何か大きな勘違いというか考えのズレが…」
「いいわよ! もういいわよ! お父様の考えなんか知らない! 私が一番になって貴女を絶対幻想郷に連れて行ってやる!」
そう言い残し、レミリアは図書館から不機嫌オーラを解き放ったままで去っていった。
…正直、失敗したなとは思う。当主に後で謝らなければならない。多分、娘の癇癪に彼は付き合わされるだろう。
しかし、レミリアの言葉から私の事をどれだけ大切にしているか、求めているかを知ることが出来たのも事実。
レミリアの叫びが、訴えが私には嬉しかった。我ながら性格が悪いとは思う。本当に魔女だとは思う。だけど、胸の
内に溢れる喜びはどうしようもない。レミリアが望むなら無理矢理連れ去られるのも悪くはないかな、口ではああ
言っておきながら、内心ではそんな風に思ってしまう私は間違いなく性悪魔法使いなんだろう。
余談になるかもしれないけれど、その日の夜、当主がやや困ったような表情を浮かべて図書館にやってきた。
なんでもレミリアに当主の座を賭けて決闘しろと申しこまれたらしい。無論、決着は数秒でついたらしいのだけれど。
お転婆に育った娘の成長をシミジミと喜んでいる当主に対し、『貴方、今回の事でレミリアに相当嫌われたかもね』と
告げると、青い顔をして本気で凹んでいた。娘を持つ父親は大変だな、などと他人事ながら思っていた。
レミリアが当主に喧嘩を売っては返り討ちにされ、その事を当主が私に愚痴を零しては凹む日々。
そんな日常もとうとう終わりを迎え、レミリアが幻想郷へと旅立つ日が訪れた。
レミリアとフランドールの門出に、当主のコネクションにより多くの知人達が集い、レミリア達を祝福していた。
その祝福を受ける側のレミリアは終始不機嫌顔。フランドールに至っては興味なさ気な表情だ。まあその気持ち分からないでもないのだけれど。
旅立つ彼女達に贈られるのは、彼女達が幻想郷での拠点となる大きな紅い館。何でも彼女達を館ごと
向こうに転送するらしい。空手から全てを掴み取らせるとか何とか言いながら、こういう立派な住居を与える辺り、
当主や彼の知人達の二人に対する猫可愛がりが嫌というほど理解出来る。レミリア達は本当に愛されているのだ、と。
訪れた人々がレミリアとフランに対し、別れの言葉を送っていく。何年向こうにいるのか分からないのだ、
もしかしたらこれが永遠の別離になる人だっているのかもしれない。そう、それは私も含めて、だ。
レミリアに変人さんが別れの言葉を述べていると、何やらレミリアが変人さんにボソボソと話しかけ、
最後の一撃とばかりに全力で踵落としを喰らわされていた。本当、最後まであの二人は仲が良いなと思う。
レミリアとの会話を終えた変人さんに『何を話されたの?』と尋ねると、彼は不思議そうに首を捻りながら
『お前になら貸してやっても良い、と言われました。そして『けどやっぱりムカつくから死ね』と蹴られました。お嬢様は本当に
訳が分かりません』と語った。本当、レミリアは時々意味不明なことを言う。それはどうやら最後まで変わらないらしい。
多くの人が別れの言葉を告げ、とうとう私の番になる。レミリアの前に立つと、レミリアは私をこれでもかって程に
睨みつけ、私の方を指差して声を大にする。
「良い!? 幻想郷で私は誰にも負けない最高の吸血鬼になってここに帰ってくるわ!
それまで勝手に死んだりするんじゃないわよ!? 勝手に死んだら地獄の果てまで追いかけて殺すからね!?」
レミリアの咆哮に、周囲の人々は唖然とした表情を浮かべている。
しかし、私はそんなレミリアの最高の強がりが何よりも愛おしく思えた。だから私は微笑む。
彼女の精いっぱいの言葉に、私も心からの感謝の意を込めて。
「ええ、その日を心待ちにしているわ。貴女が立派なレディになったとき、私を迎えに来てくれるんでしょう?
約束したものね。貴女が当主になったとき、私を無理やりにでも貴女のモノにしてくれるって」
「…っ、ええっ、ええ、そうよっ! 貴女は、貴女は私のモノなんだからっ! 絶対誰にも渡さないんだからっ!」
我慢出来なくなったのか、ポロポロと涙を零す友人に私はレミリアをそっと抱きしめる。
ああ、本当にこういう時にレミリアの背が小さいというのは助かる。だって、私が抱きしめる側に立てば、
私の腕の中のレミリアからは私の顔が見えないだろうから。レミリア以上に涙を零している情けない私の顔なんて。
「幻想郷でしっかり頑張るのよ、レミリア。私はここで貴女の成長を楽しく見守らせてもらうわ」
「ええ、ええ、見てなさい。見違える程に素敵な吸血鬼になって、貴女を迎えにいくんだからっ」
「期待して待っているわ。レディをあまり待たせては駄目よ、親友」
「そっちこそ。私に会うより先にくたばったりしたら承知しないから、親友」
別れの言葉を終え、全ての人と言葉を交わし終えたレミリア達は、風景に溶け込むようにこの世界から館ごと旅立っていった。
レミリアが消えた刹那、私は両瞳から溢れ出る涙を抑える術など持ち得なかった。レミリアではないけれど、
子供のようにワンワンと泣いてしまった。親友との別れが悲しくて、寂しくて。誰に構うことなく大声で泣いた。
本のことばかりに感けていた私だけれど、どうやらそれ以上に大切なモノがあったらしい。この悲しみは
本を失う悲しみなどとは比べ物にならない程に大きくて。どうしようもないほどに抑えられなくて。
正直、素直にレミリアについていけば良かったと何度も思った。大人ぶらずに、私も行きたいと素直に想いを告げれば良かったとも。
この数年の間で、私は夢を手にし、大切なモノを失った。だけど、決して後悔はしない。これは私が選んだ道、私が選んだ未来だ。
だから私はここで待ち続けようと思う。何時の日かレミリアが素敵なレディになって、この場所に帰ってくることを。
時間の流れとは本当に早いもので。貴女との別れから一体どれくらいの年月が経過しただろう。
貴女が幻想郷に旅立ったあの日から、私の時間は本当に穏やかに、そして時折退屈を感じるように過ぎていった。
けれど、過ぎ去ってしまえばそれは本当に一瞬にも思える時間で。私にとっては貴女との別れが
まるで昨日の事のように思い出すことが出来る。
あれから私は以前同様、大図書館で本を読んだり集めたり、そして時々当主に力を貸したりといった毎日を過ごしていた。
ただ、少しだけ私達の生活で変わったことがある。それは私が共に生涯を寄り添う人を手に入れたことだ。
相手は貴女も知っている、大図書館で働いていた彼。本当、自分でもどうしてあんな変人に惹かれたのか
不思議でしょうがない。だけど、惚れてしまったものはしょうがない。普段は冴えない彼が感じさせてくれる優しさ、
包容力に気付けば惹かれてしまっていたのだから。こんなことを言うと、貴女には呆れられてしまうかもしれないけれど。
彼と結ばれ、私は娘という子宝にも恵まれた。自分で言うのもなんだけれど、娘は本当に優秀で私を遥かに
越える程の魔法の才を持っている。贔屓目だと思われるかもしれないけれど、これは当主も認める本当の事で。
ただ、どうしても血筋というか、悪癖というか、そういうモノは拭う事が出来ないようで、娘が十を迎える頃、
私に『私もお母様のように自分だけの図書館が欲しい』と直訴してきた。その時、私は『ああ、やっぱりこの娘は
私の娘なんだな』などと改めて認識してしまった。本に対する欲求が高いというかなんというか。
その後は私が以前辿った流れを娘も辿るだけ。十五の誕生日を迎えたとき、娘は夢の為に旅に出ていった。
ただ、私同様に病弱なところもあるから、お伴に小悪魔を連れていかせたけれど。あの娘の我儘に
引っ張り廻されて涙目になってる小悪魔を見ると、本当に自分の小さい頃のことを思い出す。小悪魔には本当に頑張って欲しい。
無いとは思うけれど、もし私の娘に会う事があったら、あまり無茶なことはしないように言ってあげて欲しい。
あの娘は私以上に頭が良いけれど、その分私以上に無愛想だから、その点も少し心配してるのだけれど。
娘も巣立ち、私は今もこの大図書館で毎日を悠々自適に過ごしている。そんな時間の中で、貴女の成長も楽しく想像しながら時間を費やしている。
幻想郷では立派な吸血鬼になっているかしら? いつもの我儘で他人に迷惑をかけてはいないかしら?
そんな心配を当主や奥方、そしてあの人と話しながらお酒を嗜むのも最近の楽しみの一つ。少し年寄り臭いかしら。
そういう訳で、こちらは面白おかしく過ごさせて貰っている。だから貴女も面白おかしく幻想郷を楽しみなさいな。
「…本当、何ともまあ良い身分だこと。今度会ったらババァとでも言ってやろうかしら」
「何の事よ、レミィ」
「別に。ただ、友人が好き勝手過ごして私の事を過去の人にしようとしてるのが気に入らないだけ。
あと、パチェ。貴女はあまり無茶をしないように。それと無愛想なのを何とかしなさい」
「無茶はレミィの専売特許だし、私が無愛想なのは貴女に関係無いでしょ。放っておいて」
「やれやれ、人の忠告は素直に聞き入れるものよ。素直じゃないところは一体何処の魔法使いに似たんだか」
紅に染まる館の一室で、届いたばかりの手紙を片手に主たる吸血鬼は大きく肩を竦める。
机を挟んで向こう側、本を読み耽っている魔法使いに、吸血鬼はこれも血筋かね、と小さくつぶやいて再び視線を手紙に戻す。
そして、最後まで手紙を読み終え、ククッと楽しそうに愉悦を零して向い側に座る魔法使いに一つの提案をする。
「そういえばパチェ、確か博麗神社か八雲の妖怪に頼めば幻想郷の外に出られるのよね?」
「ええ、確かそうよ。何、レミィ、貴女外の世界に行くつもり?」
「ああ、少しばかり里帰りをね。パチェ、貴女も準備なさい。フランも連れて帰るわよ」
「里帰りって…何の為にそんな面倒なことを」
魔法使いの問いに、吸血鬼は心から楽しそうに笑いながら言葉を紡ぐ。
その表情は幾年もの昔、彼女が親友に度々見せていた子供染みた笑顔で。ようやく待ち侘びた時が来たとでもいうような様子で。
追伸
当主が私にレミリアの傍、幻想郷に向かっても構わないと言ったけれど、正直今更行くのは面倒なので行きません。
という訳で私が必要なら約束通り、首輪でもつけて無理やり私を貴女のモノにして連れ帰って下さい。
あと私は図書館から動くつもりはないので、連れていくなら図書館ごとよろしく。
~貴女のことを想う大切な親友より~
「決まっているわ。あんのふざけた親友(ばか)を迎えに行くのよ! 今度こそ絶対私のモノにする為にねっ!」
吸血鬼の咆哮に、傍にいた魔法使いは本を閉じて大きな溜息をつく。
『本当、レミィは母さんのことが大好きなんだから』などと呆れながら、魔法使いは今日も吸血鬼に振り回されるのだ。
もし本当にレミィが母を連れて来てくれるなら、この理不尽な役割を代わって貰おう。そう一人思いながら――
全てを愛した魔法使い、彼女は一人の吸血鬼と再会(であ)う。
その吸血鬼は彼女に言った。『お前を私のモノにしにきた』と。
全てを愛した魔法使い、彼女は笑い吸血鬼に告げた。
『私が欲しければ夫に許可を』。吸血鬼は笑った。魔法使いも笑った。魔法使いの夫はドロップキックで宙に舞った。
――これはそんな、小さな小さな昔語り。
とにかく素晴らしいお話をありがとうございました。自然と涙が出るって不思議な気分です。
ちょっと感涙を拭いてきます。
これは過去の作品とは繋がっていないようですね
にゃおさんの書く紅魔組は素敵すぎる……
自然で本当にこうでいいと思ったり…w
次回も期待してます!
こんなほんわりしたレミリア幻想入りもありかなぁ…
そしてぽかぽかはまだなのか!?
にゃおさんの作品で一番ぽわぽわしました。
いやはや、貴方も良い物語を書くね。
物語が進むにつれてそのタネに気づいて感動してしまいました。
親子2代と『親友』となる奇跡、いや、これも『運命』でしょうか。
あと、変人さんは霖之助さんじゃないかと思ってました。彼の過去は名前も含めて謎に包まれてますからね。
変人さんと結婚しちゃってあれえええええ!?とか思って次の瞬間にパチュママか!?とw
いやー和まされました、素敵な作品有難う!
子宝に恵まれたという時点で、やっとパチュリーの母親の視点だということに気付きました。
やはり、にゃおさんの物語は良いですね。
惚れてしまったと出るまで分からなかった自分は反省するべきだと思う。
魅力的なキャラクターどうしの関連が描かれていてよかった。
ミステリー風味なのも好き。冒頭から最後までやや説明に終始し、実際の行為と呼べる場面が少ない気もしたが、そこもマッタリということで良いのかもしれない。
パパ良かったです。
素晴らしい物語をありがとう
見事だわ
すごく和めました、ありがとうございます。
幻想郷のインとアウト軽いな…とか思ったけど満点をつけざるをえない。
壮絶なスペクタクルもギャグもありませんが、すらすらと楽しみながら読むことができました。
しっかし完全に騙されましたよ。なので、変人さんとくっついたときにはびっくりしましたね。
ずいぶん前の、レミリアパパが嫌な奴だったから余計にw
もっともっと
あなたの作品読みたいわ~。
…………ぽかぽか……待ってます!!
上手い感想が書けなくてごめんなさい。
ほのぼのしてる吸血鬼とパッチェさんの家族がとても良いものでした。
パチュリーさんの母に関してはすっかり騙されてしまいました。
本当ににゃおさんの文章はいつもすごくて、憧れてしまいます。
なんだか訳の分からないものが、すぅっと沁み込んでくるような感じで……
家族ぐるみのお付き合い、ごちそうさまでした。
精りょもとい、魔力なら自信があるんですけど
変人の扱いに合掌
話のタネに気付いた瞬間の気持ちよさは異常ですね。
もう何と言っていいか…もう本気で鼻血流すくらいの勢いで感想読みまくりです。呼吸荒いです!(変態
前回に続いて今回も…とか馬鹿なこと考えて本当に怖かったです。その分、皆さんのご感想に素で泣きそうになりました。
本当、うまく言葉に表現出来ませんが、本当にありがとうございました。情けないお話ですが、本当にホッとしています。
皆さんの楽しかったの言葉が本当に嬉しくて嬉しくて…ああもう、本当にヘタレでビビリでごめんなさいっ!(本当だよ
あとは彼女の目指したぽかぽかおひさまの後編を頑張ってなんとか書きあげようと思います。
そして、その投稿をもって創想話での最後の投稿にしようと思います。初投稿からのこの一年半の集大成に出来れば、と。
最後は悔いの残らないようにしっかりと自分の妄想…じゃなくて物語を書きあげられればと思います!頑張りますっ!
妹悪魔だと!?許せる!
すごく好きです
にゃおさんの投稿が次で最後になると思うと読み手としてはさびしい思いが強いのですが
創想話の住人の端くれとして書き手さんの思いも尊重したい・・。
本当に悔いが残らないように思う存分やっちゃってください
流石にゃおさん。
そして・・・ぽかぽかを・・ぽかぽかを・・・・。
和やかというか、おもしろいというか、
語彙力が足りなくて上手く表現できないんですが
読んでいてとても楽しかった
でも、次の創作話で引退だなんて・・・
読者としてはもっと書いてほしいけれども
作者がそう言うのならば仕方がないですよね
最後の作品、期待して待っています
変人さんがいい味出してるなあ。
あとパチュリーと変人が///は個人的に許せなかったw
すっかり騙されましたよww変人さんと結婚した所で気付きましたが
ほのぼのしますね。過去話というのはシリアスになりがちですが、こういうのもアリですねぇ
なによりレミリアとパチュリーの出会いの話は貴重なのでありがたい
幻想卿の中と外を自由に行き来できたら結界の意味も無いし。
作者氏の都合の良い設定で話を書いたら、都合の良い世界になるのは当たり前の話で。
感動しました。面白かったです!
こういう物語が書けるようになりたいなぁ
素晴らしいであります!
個人的にはにゃおさんの作品の中では1番好きかも知れません。
もうね、どっかのタイミングでダークな場面(夢の挫折とか理不尽な出来事)が出てくるんだろうなぁ、
とか勝手に予想してた自分をぶん殴ってやりたいw
蓋を空けて見ればこんなにも綺麗な物語だったというのに…w
本当に良かったです。感動をありがとうございました!
ほんとに最後の最後、 レミリアがパチェの名を呼ぶまで気づきませんでしたwww
びっくりするぐらい見事に華麗にひっかかった…(笑)