振り下ろされる刃と振り上げた楼観剣が交わる。衝撃に構わずに魂魄妖夢はそのまま振りぬいた。
刃を弾かれ体制を崩した相手の男の懐へと踏み込み、水月へと楼観剣の柄を叩き込む。
くぐもったうめき声を上げて男が前のめりに蹲った。
「失格!」
その男に向けて妖夢は一言短く告げる。
周りを取り囲んでいた人里の住人達がうずくまった男を引きずり離れていく。
見やると先にはすでに今の男を含めて二十五人。
妖夢に叩きのめされた者達が各々の様子で組み手を眺めていた。
折り返し地点だ。
集まった男達は五十人。
既に体のあちこちが悲鳴を上げている。
息は苦しいし、無数に出来た打撲や切り傷がじんじんと痛む。
腕も足も既に感覚が薄く、ともすれば手にした楼観剣がすっぽ抜けてしまいそうだ。
だが、楽しいと妖夢は思った。
組み手とはいえ相手の居る実戦。これに勝る修行は無いし、何より間接的にとはいえこの戦いは彼女の為。
それは主人である西行寺幽々子の為である。その想いが妖夢を高揚させまた何よりも力を与えていた。
「次!」
「おおっ!」
妖夢の言葉に大柄な槍使いが応じ眼前へと進み出る。
残り、二十五人。既に満身創痍なれど、妖夢の顔に浮かぶのは微かな笑みであった。
……時をやや遡る。
その日、晴れ渡る青空を心地よく思いながら妖夢は庭の掃除に精を出していた。
まあ掃除といってもここ、白玉楼はふだんから手入れが行き届いているので軽く箒で掃くだけで終わるのだが。
優雅な庭園をただ手馴れた様子で掃き進む妖夢。
時々響くししおどしの音などを耳にしながらこの後は買い物をと次の予定を立てていた。
「恋がしたいわ~」
そんな妖夢に声が掛かった。
縁側に座りお茶をすすっている少女のものだ。
やや大人びた風貌の着物の彼女は西行寺幽々子。
ここ、白玉楼の主である。
「そうですか、出来ると良いですね」
そう、振り向きもせずに応じて妖夢は掃除を続ける。
風が心地よいと妖夢は思った。出来る事ならばこのまま穏やかに一日が過ぎん事を……
しばらく箒が地面を撫でる音と、茶をすする音だけが響く。
「恋がしたいわ~」
「はあ、恋ですか?」
再び妖夢に声が掛かり、妖夢は今度はちゃんと振り向いて応じた。
始まった、とそんな表情がありありと妖夢の顔に浮かんでいた。
大人びた外見に反し、彼女の主人はとても子どもっぽい。無邪気というか、悪く言えば腹黒い。
注意を引くときは、取り立てて急かすような真似はしないがただしつこい。
たとえ、今の呼びかけを適当にあしらっても掃除の間中に、それが終われば食事の間中、挙句には眠っている妖夢に耳元で囁き続けるのだ。
故に、今応じておくのが良いと妖夢は判断した。
それによって妖夢がいつも理不尽をこうむる事になろうともだ。
それは悲しいかなもう慣れてしまった。
「そうそう、燃えるような恋がしたいの」
何を考えているのか分からない笑みで幽々子は告げた。
「お相手の目処は立っているのですか?」
掃除を続けながら妖夢が問いかける。
答えは分かりきった事。いるわけがない。
少なくとも知り合いの男性といえば現在行方不明の祖父位のものである。
あるいは妖夢よりも長く生きている幽々子には居るのかもしれないが。
「居るわけがないわよ。そんな事もわからないなんて、だから妖夢は皆に鈍感って言われるのよ」
「言われていません」
理不尽な物言いだがとっくに慣れた。
さてはて居ないと言う事は恋が出来無いということだ。
他の知り合いといえばどういうわけか皆。女性ばかり。
これでは恋などできようも無い。いやまさか……と、妖夢は幽々子にさりげなく視線を走らせる。
この主人なら同姓でも平気なのではないだろうか。
時折たずねてくる八雲様とは随分仲が良いし……
「だからね、妖夢に見つけてきて欲しいのよ」
さも名案であるかのように手を合わせて嬉しそうな幽々子に妖夢は思考を止め改めて彼女を見た。
「私がですか?」
「そうよ、妖夢がよ」
言葉に妖夢はため息をついた。これが今回の理不尽かと。
「ですがこの後の予定は……」
「人里への買い物よね? その時ちゃっちゃと見つけてくればよいのよ」
「……わかりました」
行動が見透かされている。
まあ、ほぼ毎日同じ生活習慣ゆえに予想するのは簡単なのだが。
それを狙って、朝ではなくこの時間に声を掛けてきたのだろう。
「掃除が終わったらすぐに発ちますね」
「頼んだわ~そうね、好みの相手は……」
「はい」
「誠実で、私の為に頑張ってくれて、腕っ節が強い方がいいわ~」
「努力はしますよ」
しかし随分と無理難題を吹っかけてくれると妖夢はおもった。
これからの人生の伴侶となるかもしれない男性をちゃっちゃと見つけて来いとは……
特に幽々子の場合は困難だ。
外見は美しいと妖夢は思う。だがそれ以外が壊滅的だ。
まず彼女は亡霊である。死んでいるのである。故に寿命は無い。
どうあっても伴侶の方が先に死ぬのである。まあ、永遠に若い妻が傍にいると考えればましかもしれないが。
次に性格。何を考えているのかさっぱり分からない。とらえどころの無い、自分勝手でさらに意地が悪い。
五十年近い付き合いの自分でさえ未だもてあましているのだから、これを受け入れ抑える殿方など居るだろうか?……いないだろう。
最後に能力。「死を操る程度の能力」
おもに亡霊たちを統率する能力だがそれだけではない。命のあるものならば誰であれ、望むだけで死に誘うことが出来る。
この能力は周知の事実であり、幽々子が潜在的に皆に恐れられる原因となっている。下手をすれば機嫌を損ねた時点で殺されてしまうのだ。
その点を踏まえて妖夢は無理と判断する。
まあ、適当に人里で募集を募って、集まらない事を確認してから帰ってくればよいと妖夢は思う。
問題はその後だ、自分に魅力は無いのかとか、妖夢は未熟なのねとかへそを曲げるであろう主人を思って再びため息が口から漏れた。
白玉楼を発って、人里に着いた妖夢はさっそく声を張り上げた。
「我が主人、西行寺幽々子が交際の相手を望んでいる。だれぞ、我こそはと思うものはいないか?」
集まる視線に頬を染めながらも妖夢は誰も名乗り出ない事に少し安堵した。
これで買い物を済ませて帰る事ができると。今回の理不尽はこの程度でよかったと……が。
「あやややや、それはそれは、僭越ながらこの私めがお手伝いをさせていただきますね~」
目を輝かせて烏天狗が飛んでいったのを見て、妖夢は表情を歪めた。
拙い、と思った。あの天狗が関わるとろくな事にはならない、もう手遅れであるわけだが。
そして、数分後にはどんな手段を使ったか知らないが五十人ほどの交際希望者が妖夢の前に整列していたのだ。
……時は戻る。
槍を弾き、鎖鎌をいなし、斧を砕いて……
妖夢は戦った。それは……
(誠実で、私の為に頑張ってくれて、腕っ節が強い方がいいわ~)
幽々子の語った好みの相手を選定する為だ。
誠実か、幽々子の為に頑張るのかどうかはわからない。
だが、妖夢でも確実に分かるものはある、それは腕っ節だ。
だから、自ら戦い、その腕前を測る。
少なくとも、自分より強くなくてはいけない、と彼女は思った。
普段、態度に辟易していようとも、振り回されてばかりいようとも、理不尽を押し付けられてばかりいようとも……
普段、横柄な中に優しさが混じっていようとも、振り回してはいるがちゃんと助けもしてくれていようとも、妖夢の手に余る理不尽は一つも押し付けてこなくとも……
そんな、困った、それでいて放って置けない主人を任せるのだ。
彼女の従者は他の誰でもない自分。その席を、彼女の隣をなまじっかなものに譲るわけにはいかないのだ。
だから妖夢は剣を振るった。ただひたすらに。
そして……ついに彼女はこう告げた。
「失格!」
五十人目に向けて。
周囲から拍手が巻き起こった。
妖夢が白玉楼へと戻ったのは既に日が暮れてからであった。
買い物袋をぶら下げて満身創痍な従者に幽々子は一言。
「遅いわ、主人を放って置いてどこに行っていたの」
あんまりだと妖夢は思った。だが、反論する気力はもう無い。
膝が崩れそうになるのを意志の力で必死に支えた。
「だらしないわね」
「もうしわけありません、すぐ夕食の支度をいたしますので」
震える足で歩を進めようと踏み出した先に幽々子が立っていた。
そのまま妖夢をひょいっと抱き上げる。
「ゆ、幽々子様!?」
「軽いわね、妖夢」
慌てる妖夢を笑顔で眺めてそのまま彼女は屋敷へと向かう。
「降ろしてください、自分で歩けます!」
「駄目よ、もう限界じゃない。そんな事にも気が付かないなんて、だから未熟と呼ばれるのよ」
「そういう問題ではありません!」
言葉とは裏腹に妖夢は抵抗しない。否、もう疲れきって出来ないのだ。
「汗臭いわね、お風呂で流してしまいなさい」
楽しそうに幽々子が言う。
「妖夢と一緒にお風呂に入るなんて、何十年ぶりかしら~?」
どうにでもなれと妖夢は思った。
妖夢は蕩けていた。
ヒノキの湯船に漬かり、その心地よさを満喫していた。
あちこちに出来た打撲や切り傷がしみてじんじんと軽い痛みを発するがなぜかそれも心地よい。
先ほどの連戦で溜まりに溜まった疲れが湯を解して溶け出て行くようであった。
「……全員失格でした」
妖夢は幽々子に人里での顛末を話していた。
呼びかけに五十人ほど集まった事、選定の末に全員失格になった事などだ。
妖夢の対面でやはり表情をほころばせている幽々子は報告を聞くと分かったわと一度だけ頷いた。
それで報告会は終わる。
特に幽々子が気分を害した様子が無い事を悟ると、妖夢は胸を撫でろした。
そして、あらためて気が付いた。
目の前の主人は裸であった。まあ、風呂に入っているのだから当然だ。
自分とは違い、出る所の出た大人の成熟した体付きを目の前にして、少々むずがゆい感覚を覚える。
そのケは無いのだがそれでもまじまじと凝視するわけにも行かずにさりげなく視線をはずす。
昔は平気であったのにと妖夢は思うが、それは何十年も昔の子供の頃であったからだろう。
「今度は……」
不意に幽々子が口を開いた。
「私自身が探しに行こうかしら」
「お相手をですか?」
「ええ、妖夢だと、皆、叩きのめしてしまうから」
言葉に、困ったような表情を浮かべる妖夢。
それを見てなぜかくすくすと幽々子が笑った。
「では、そのときは私もお連れくださいね」
「どうして?」
「幽々子様は少々世間知らずな感じです。騙そうとする輩が寄ってくるやも知れません」
そういう連中から主人を守るのが自分の役目だ。
自分も世間を知っているとは言いがたいが居ないよりはマシだろう。
「そうね……その時は頼もうかしら」
「お任せください」
再び幽々子が笑う。
なぜか、嬉しそうな無邪気な笑みだった。
それを見て、なぜか妖夢は頬が赤くなるのを感じて、ここが風呂である事に感謝する。
風呂であれば顔が赤くてもなんら不自然ではないのだから。
しばらく静寂。
心地よい時間。湯船のもたらす熱の心地よさに妖夢が眠気を覚え始めたそんな時に……
「ああ、そうだわ」
と、幽々子が思い出したかのように言葉を紡いだ。
「居たわ、誠実で、私の為に頑張ってくれて、腕っ節が強い方」
言葉に、妖夢はすでに眠気に侵食された意識を幽々子に向ける。
半ば降り掛けていた瞼を開くと驚くほど近くに主人の顔があった。
唇に柔らかくて暖かい感触。
何が起きたのか理解するのに少々時間が掛かった。
そして……
「………ッ!!」
眠気が一気に醒めた。
「あ……え……?」
狼狽のあまり、妖夢の口からは意味の無い言葉が飛び出るばかり。
いまのは……今の感触は……幽々子様の……
再び、ずいっと幽々子が妖夢に体を寄せた。
とっさに押し返そうとして両手を幽々子に向けて。
二つの柔らかい感触を鷲掴みにしてしまい妖夢の動きが止まる。
構わずに幽々子は体を寄せて、かくして二人の間に妖夢の腕は収納されて動かせなくなり……
「ここに居たのね」
熱っぽい吐息と潤んだ瞳。
真近でそんな事を囁かれて妖夢は混乱の極みにあった。
何かを言おうにも口からは息が漏れるだけ。
その口も軽く何度か吸われ続けている。
拙いと、とても拙いと思った
妖夢自身も幽々子の事は好きなのだ。だがそれは主従としてであって決してこのような……
ああだから唇をすわないでおかしな気分になるからこんなのはいけない拒まなくてはここで受け入れたら
五段くらい飛ばしてしまいそうなにをとばすのかなんだろう動け私の体なにをおうじているんだ
「妖夢は私のことが嫌い?」
一旦行為を停止して、不安そうに幽々子が妖夢に問いかける。
チャンスだ、と妖夢は思う。傷付ける事になるかもしれないが今後の事を考えると必要な痛みだろう。
だから……
幽々子様、お気持ちは嬉しいのですが……
「滅相も無い!」
私は何を言っている!?
言葉に幽々子が嬉しそうに微笑んで、再び顔を寄せてきて……
拙い、拙い、拙い拙い拙い拙い……
どうしよう、いや、いっそ受け入れてそれはだめでもあーなんだかあたまがぼーっとしてかんしょくきもちいいな……
主人の温もりを感じて、妖夢は視界が真っ白に染まっていくのを感じていた。
風が心地よい。
目を開いた妖夢の目に映ったのは満天の星空だった。
素直に綺麗だと思った。
見渡すと見慣れた白玉楼の庭が見える。
どうやら縁側へと寝かされているようだ。
すぐ傍では扇子を片手に主人が涼をとっていた。
そこで妖夢は思い出す。
先ほどの出来事が頭によぎり、無意識に指が己の唇をなぞって……
「私は、何をしているんだ!」
慌てたように呟いた。
醒めたはずの熱が戻ったかのように頬が少し赤い。
「妖夢?」
呟きに反応して幽々子が振り返る。
妖夢はなぜかむずがゆさを感じて身構えたがいつもどおりの様子に体の力を抜いた。
ああ、あの出来事は夢なんだろうと思った。
きっと自分は湯船で眠ってしまったのだろうと……
「だらしないわね、これからだって言うときに湯当たりして気絶するなんて」
呆れた様子の幽々子に妖夢はうめき声を上げた。
夢ではなかったらしい、まぎれもなく現実であった。
ならばあのときの幽々子の真意は……
「今回はお戯れが過ぎますよ」
気が付いたらそんな言葉が妖夢の口から漏れていた。
ああ、戯れか、そう願っている自分が居る。もしあれが本気であったらもう、後戻りは出来そうにない。
一度、意識してしまったらもう遮断する事は不可能だ。
「ごめんね、妖夢があまりにも可愛い反応をするものだから」
扇子で口元を隠して幽々子が言う。
その言葉に、妖夢はどこかほっとしていた。
戯れであったならば問題ない、そういうことだとして自分の中で処理できる。
少しだけ主人が調子に乗りすぎてしまったのだと思い込むことが出来る。
これで今までどおりの関係のまま居られる事ができる。
変わるのが怖いか? といわれれば怖い。
予期せぬ変動ならばなおさらだ。どう転ぶか分からない。
未熟な妖夢はその不安に抗する事はできても打ち勝つ事はまだ出来ないのだから。
安心した反面、どこか残念がっている自分も居るのだけれど。
「まったく、間違いが起きたらどうするつもりだったんですか?」
その自分が、勝手に口を開いた。
言葉は、とめるまもなく自然に幽々子に向けられた。
「……起こす気だったわ」
「え?」
「そうすれば、生真面目な妖夢は責任を感じて、ずっと傍にいてくれるでしょう?」
「………私は」
何かを言いかけた妖夢を遮るように、ひんやりとした幽々子の手がその目元に置かれた。
言葉をとめて、ただその感触を心地良く思いながら妖夢は瞳を閉じた。
彼女は亡霊である。死んでいるのである。故に寿命は無い。
どうあっても従者の方が先に死ぬのである。死んで、その後はどうするのか。
輪廻の輪に旅立つのか、残るのか。
「そんな事をせずともずっと……」
妖夢が呟いて、ただひんやりとした風が吹き抜けて言葉を攫っていった。
-終-
半霊自重ww
甘すぎて顔がにやけたまま戻らなくなってしまったぞ!
やだ....なにこれ....
すんばらしい作品をありがとう
俺もにやけんなwwww
愛ですね!
どうした?電車の中で読んじまったのか?
まっすぐな主従二人、最後まで流れるように気持ちよく読めました。
まあ、半霊部分には接吻せんわなあ……
なんだこれは!素晴らしいゆゆみょんじゃないか!
ニヤニヤと砂糖流出が止まらないぜえええええええ!