そう、ババアなのである。
……ん?あぁすまない、いきなり話が飛んでしまった。少しばかり心情が先走りすぎたようだ。
とりあえず本来の冒頭に戻ろう。さて、人間の家庭において一番の役割を果たしているのは、多くの場合は大黒柱であり稼ぎ頭として働きに出ている父親である。もちろん家を守る母親も相当な役割を果たしていると言えるが、やはり生きていく上では先立つものが必要だ。金無くして人は生きることはできない。
だからこそ、一家において一番活躍している者としては父親に軍配を上げざるをえない。まぁ、これにはほとんどの大人は異論を挟んだりすることは無いだろう。
と、ここでほとんどの大人は、とわざわざ言った理由としては、誰しもが皆子供の頃は普段接する機会の多い母親の役割を重視しがちだからである。
例えば母の日と父の日の関係を考えてみるといい。母の日には妹と一緒にお金を出し合ってカーネーションを送ったりする純真無垢な子供も、父の日には二週間ほど遅れて『あぁ、そういえば父の日とかあったなぁ。タバコって三百円だっけ……』などと思う程度である。普段目にしない父親の頑張りなど子供には想像ができないのだ。
ここで唐突だが君達に問いたい。先程のような例は一般的な家庭において頻繁に見られる事例であるとは思うが、そんな扱いを受けている世間の父親達はその役割に見合った分の評価をされているだろうか?その努力の報酬として自由と権力を享受できているだろうか?
間違っていたらすまないが、私が予測するに君達の答えは否なのではないだろうか。
家庭内で一番の権力を握るのは概ね母親である。母親は自身の職務である財政の管理をもって家庭に君臨する。
では一番の自由を満喫するのは誰だろうか?子供?いやそうではない。子供とて毎日学校はあるし、最近では夜からはさらに塾で勉強している。子供達とて完全に自由というわけではないのだ。
それでは子供でもないとしたら、あとは自然とわかるはずだ。そう。それがババアなのである。これが言いたかった。
ババアはかつて夫を飼いならした権力はほぼそのままにしつつも、炊事洗濯といった責務のほとんどを息子夫婦に任せることで残った余生を完全なる自由として満喫する。ババアとは言わば特権階級なのだ。
ここはそんなヒエラルキーの凝り固まった家庭が住まう八雲亭。目の前で私の式―――黒猫の橙を膝に抱えているのが私の主人である紫様。
こうして炊事洗濯をする私が母親であり、かつ結界の見回りなどの外の仕事もこなす父親でもあるとしたら、その式である橙はまだまだ勉強中の子供。そしてその子供を抱く目の前の紫様がこの八雲家の特権階級、ババアである。
人間の寿命を考えれば、ババアが特権階級であることは何ら問題が無い。老い先短い人生を楽しませてやろうという子心もあるし、それまで頑張ってきたのだから最後くらいは自由にさせてやるのもいいだろう。
だが妖怪の場合はどうだろうか。橙を式として二百年ほど、すなわち紫様が母親という立場からババアとなって二百年、早二世紀の時が流れている。もはやこれは歴史的な、そうヒストリカルババアである。しかもそれを言うと怒り出すヒステリカルババアでもあるのだから手に負えない。
これから後何百年もこの特権階級を養っていく必要があるのだ。その労力たるや人間のババアの比ではない。
しかし、もちろんそれが嫌だと言うわけではない。敬愛する主人が長生きすることを嫌う式などおりはしないのだ。
では私が何故これほど憤慨しているか。そう、遠回りしすぎてしまったがそれこそが問題なのだ。この八雲藍がこうしてどこぞのうら寂れたなんとか堂の店主かのように語り始めたのにも、目の前の光景にその要因があるのだ。
長らく顔を背けていた現実へと向き直ると、仲睦まじげな二人は旅行ガイドを片手にキャイキャイとはしゃいでいた。
「紫様、どこにしますか?」
「橙の好きなところでいいのよ。行きたいところを選びなさい」
「じゃあ、この東京タワーって言うところに行きたいです!」
「まぁまぁ。それじゃおめかししないといけないわね。この本の中から選びなさい」
「あ、私これが着てみたいです!」
「はい、ジャーン!服Aがあらわれた!」
「紫様すごい!」
「ふふ、そんなことないわよ。橙にもじきにできるようになるわ」
アンタの生まれついての能力なんだからできるようになるか!と突っ込みを抑えて私は皿を洗い続けた。
こうして二人がどこかへ出かけたりするのはもはや日常的な風景だ。
修行の無い週末は朝から着飾っては夜まで遊んで歩き、そのまま一緒に風呂に入って一緒に寝る。クソッタレ!
橙の目の前にはスキマから取り寄せたむぎわら帽子に白のワンピース。くそう可愛いなぁ橙。あれは絶対似合うだろうなぁ。
そんな私の思いをはるか遠いところに放り出して、二人はいそいそと準備を始めた。
「それじゃ藍、留守番お願いね」
「紫様」
「あら、どうしたの?」
クルリと向けたその背を台所から呼び止めると、紫様は私に背を向けたままで聞き返した。
畜生、何を言うかもわかってるくせにこの狸め。
「……橙は今日これから修行がありますので、ご旅行はまたの機会にして下さい」
「まぁ!藍、こんな天気もいい最高の日に修行?橙にもたまには羽根を伸ばして遊ばせてあげないと」
「紫様、あなたもご存知の通り修行は一日にして成らず、日々の積み重ねが重要なものです。一日休んだら三日かけて取り返さなければなりません」
「かといって毎日修行していたのでは息が詰まっちゃうでしょう?橙だって……」
「あの、紫様!私なら大丈夫ですから」
床に敷かれたワンピースの前に座ったまま、紫様のスカートの裾を握る橙。
「私が強くなれれば、もっと紫様や藍様のために働けるようになれるんです。東京タワーより、私はそっちの方が楽しみですから」
「……橙はいい子ね。んー、可愛い可愛い」
よしよし、としゃがみ込んで橙の頭をひとしきり撫でると、紫様は立ち上がって声をかけた。
「橙は先に修行の準備を済ませておきなさい。藍は少し話があるわ」
心配そうな顔で橙は出て行く。大丈夫だ橙。別に喧嘩したりするわけじゃない。まぁ今のところは、だが。
紫様は台所の私にゆっくりと近づくと、私の眼前に立つ。
「それじゃ藍、今週のメニューは腹筋背筋腕立て百回ワンセットを昼まで一時間おきに三セット。その間の時間は弾幕特訓。発狂飯綱権現を耐久で出来る限り長く。百秒もつようになるまで昼食は厳禁。あの子は精神的にまだまだのところがあるから、限界ギリギリまで追い込みなさい」
「紫様、さすがに少し厳しすぎるのでは……」
「ちょっとちょっと藍、何言ってるのまだ半分よ。昼以降は実戦。あなたの三割ほどからスタートして、一時間おきに一割ずつ出力を上げていきなさい。七割までいったところで終了。橙が何回墜ちても途中終了は無しよ。あとは夕方まで結界回り。大結界の内周をぐるりと全力ダッシュ。あなたは一定の距離を保って四面楚歌チャーミング、弾幕の鎖で包むように橙を包囲しなさい。定期的に速度を上げ下げして橙のペースを揺さぶるように」
相変わらずのメニューだ。かつて私が修行をつけてもらっていた頃と何ら変わっていない。
当時からそこそこできた私だからなんとかなったものの、これは橙にはまだ早い。
「紫様、やはりそこまでのメニューは橙には……」
「藍、橙ならやり遂げるわよこれくらい。というか毎回これと似たようなメニューもギリギリだけどなんとかなってるでしょうが」
いつの日も母親と言うものは自分の子を過小評価するものね、と紫様は笑って出て行った。
過小評価しているつもりはないのだが、まぁ仕方ない。ここまで来たらやるしかないだろう。
残りの洗い物を終えてしまおうと再び流し台へ向かうと、準備も終わり廊下で待っていた橙を紫様は部屋へ招き入れた。
「橙、修行は辛くない?」
「いえ、全然大丈夫です!」
「藍にとんでもない量のメニューを押し付けられてない?」
「……あの、だ、大丈夫です!ちょっと辛いけど、辛くなかったら修行じゃないですから!」
いい子だなぁ橙は本当に。それに比べてあの雌狸め、全部お前の考えたメニューだろうが。いつもいつも汚れ役を押し付けやがってコンチクショウ!
私だって橙と一緒に遊びに行きたいしもっと優しく橙と触れ合いたいっつーの!家事も修行も結界見回りも仕事は全部こっちに振られて一杯一杯なんだよババァ!
毎日毎日辛い修行をさせられて、橙が私のことをどう思っているか……それを考えただけでもどんよりと雲がさしたように暗くなってしまう。
それもこれもみんな目の前の悪の元凶のせいなのだ。
「あら、やっぱり藍は厳しいのね。一度こっ酷く言ってあげるわ」
「え、いえいいんです紫様!その、藍様の修行は確かにちょっと厳しいですけど、私のためを思っての修行ですし!それに、その……」
「それに?」
もじもじと言い辛そうにしている橙の姿を見て、私はふと引っかかるものを感じて洗い物を中断した。
「それに、の後はなんだい、橙」
「ら、藍様!……うー、そのですね……」
橙のその姿には確かに見覚えがある。いや、見覚えがあるというのはおかしいか。橙のその姿には覚えがある。
「……あの、藍様はすごく厳しいんですけど、その厳しいところがお母さんみたいだなぁ、って……」
そう、あれはもう何年前、いや何百年前のことだっただろうか。私は今の橙と全く同じ台詞を、目の前で微笑む当時の母親役に言ったのだった。
今になってみると本当に恥ずかしい台詞だ。こうして台詞の受け手側に立つとよくわかる。
一気に毒気の抜けた私は顔から火が出るような恥ずかしさと、胸が一杯になるような温かさを隠して、橙にあの日の彼女と同じ台詞を返した。
「……ありがとう、橙。私もお前のことを娘のように思っているよ」
ククッ、と小さな含み笑いが下を向いた紫様から零れた。
居間を抜けた先、玄関で靴の紐をしっかりと縛り付けると、私と橙は紫様に向き直った。
あの後しばらく笑い続けた紫様だったが、その後はだんまりになってしまった。
その気持ちもまぁ、こうして橙にあの台詞を言われた今ならわからないでもない。
もしこれからずっと先、私の前で橙の式が橙に対してあの台詞を口にする日が来たら、私もまずは懐かしさのあまり笑うだろう。
そしてその後は懐かしい日のことを思い出して、記憶の中に浸るのだろう。
きっと訪れるであろう将来の私の姿をした紫様に向かって、私は声をかけた。
「それでは行って参ります」
「……紫様、行ってきます」
紫様はちらりとこちらを見やると、目を閉じてコクリと頷いた。
あぁやって物静かにしていると、かつての威厳に溢れた紫様の姿―――私がかつて母と仰いだ頃の姿を思い出すと言うものだ。
いつもああであってくれればいいのだが、今では橙にベッタリだからなぁ。
「それじゃ行こうか、橙」
「あの、ちょっとだけ待ってください!」
橙は履いたばかりの靴を脱ぎ捨て、居間へと走り向かった。
ん、忘れ物でもあったかな。
「紫様!」
そう思う私だったが、橙が向かったのは予想外にも紫様のところだった。
「その、ごめんなさい!」
目の前に立つなり、橙はいきなり平謝りする。わけもわからず私は紫様と視線を合わせた。
―――藍、どういうこと?
―――いや、私にもさっぱりです
アイコンタクトをしばらく交わすも、お互いに何一つわからないままだった。
橙へと向き直った紫様は結局直接聞きただすことにしたようだった。
「えぇと、橙?何が何だかわからないわ」
「紫様の元気が無くなったのは、その、私が仲間はずれにしたからですよね?」
「……はぁ?」
なるほど、そういうことか。
過去のことを思い出して懐かしんでいるのだろう、と事情を知る私からは見えた紫様の様子も、橙からは元気がなくなったと見えたのか。
はたから見る私には理解できた橙の思考だが、当事者の紫様にはまだ到達できないようだった。まぁ面白いから放っておこう。
―――藍、藍!一体何!
―――スルーパスだ岬!
―――ちょっと藍!
―――らんのアイコンタクト!ガッツが足りなーい!
しきりに飛んでくるアイコンタクトと言う名の視線をチョン避けして、紫様の視界を抜けていくように私は廊下へと消えた。
コンニャロ、と途中まで飛ばしかけたアイコンタクトを諦め、紫様は橙へと向き直った。
「……その、橙?えぇと、私を仲間外れ?にしていたのかしら?というか元気がないように見えたの?」
「だって、私が藍様のことをお母さんみたいだ、って言ってから紫様が黙ってしまったので……」
ああああ、と小学生が付けるドラクエの名前のような顔をして紫様はついに事情を理解した。
「その、藍様のことはとても大切に思っていますけど、紫様のことももちろん大事な人です!」
「……そう、続けて」
「紫様はいつもお優しくって、一緒に旅行に行ったりとか、買い物に行ったりとか、遊んだりとかしてくれて、本当に素敵な人だと思っています!」
畜生ババアめしっかり橙を懐柔してやがる。私の時もそれくらい甘やかして欲しかったというものだ。
「普段は修行で会えないんですけれど、いつも優しく見守っていてくれて、私が寂しい時は撫でてくれて、それが凄く嬉しくって」
「じゃあ藍がお母さんだし、私は仕事の合間だけ一緒にいられるお父さんといったところかしら?」
おい妖怪食っちゃ寝、全国のお父さんに謝れ。
「うーん、でも、紫様のイメージってすごくあったかくて、お父さんっていう厳格なイメージじゃないんですよね」
「そう。じゃあどんなイメージかしら?」
紫様は本当に楽しそうに、ゆっくりと笑って聞いた。
「えっと、まずはいつも優しくて……」
うんうん、と頷く紫様。
「お買い物に行ったら似合う服を何着も探してくれたり、ご飯を食べに行ったら『これはどう?こっちはどう?これなんかどう?』とメニューを勧めてくれたり……」
そうね、と返す紫様。
「どこかへ行ったらよくわからない謎のお菓子をお土産に持ってきてくれたりするところとかすごく愛嬌があって……」
少しずつ固まっていく紫様。
「何かに使えるかも、って言ってタイヤとかプランターとかスキマに集めたりとか凄いです!あんなのに使い道があるなんて……」
紫様の首がゆっくりと廊下を向き、襖の陰からこっそりと様子を見ていた私の視線と噛み合った。
「縁側でお茶を飲んで何時間もじっとしてる時なんて凄く紫様の膝の上で丸まりたくなるんですよ」
―――藍、ラン、らぁーーん!変な方向に話が行ってるんだけど!
―――m9(^Д^)
―――アイコンタクトで顔文字ってどうやって送ってるのよ!!
「そういう紫様のポカポカと温くて優しい雰囲気は……」
「……な、なにかしら?」
一呼吸置いて橙が叫ぶ。
「おばあちゃんみたいだと思います!」
耳をピン、と立てて誇らしげにしている橙。紫様は遠い目をしてその純真な瞳に答えた。
「……ありがとう、橙。私もあなたのことを孫のように思っているわよ……」
ブホッ、と特大の笑いが下を向いた私から零れた。
「本当にいいんですか?」
「あぁいいんだよ。今日は修行はお休みだ」
真っ白に燃え尽きた紫様をそのままにしておくわけにもいかない。いや、そのままにしておくなんてもったいない。
私は今日の修行を休みにすることにした。
「それじゃ行ってきます。あの、紫様は……」
「ん?あぁ少し体調が優れないようだね。私が見ておくから大丈夫だよ」
「やっぱりおばあちゃんみたいって言ったのはまずかったでしょうか……」
いやいや、たまにはいい薬だ。自分の立場を自覚しないところがあるからな、あの人は。
「しかしその、紫様が気にするだろうことをわかっていながらなんでまた?」
「あの、本当に昔のことですけど、私がまだ化猫にもなってない頃、ちょっとだけお世話になったおばあちゃんがいたんです」
「似ているのかい?」
「そうですね、外見はもちろん全然似てないですけど、一緒にいるとすごくあったかくなるところとか、背中を撫でられてるとそのまま眠ってしまいたくなるような、そんなところが凄く似てます」
なるほどな。橙にとっての『おばあちゃん』というのは、年齢や立場から呼ばれる世間一般におけるそれではなくて、ある個人のことを指しているのか。
それならまぁ納得だ。橙にしてみれば、おばあちゃんみたいだ、というのは最大級の賛辞なのだろう。紫様には教えないが。癪だし。
「さ、それじゃ行っておいで。帰りはこっちに寄らなくてもいいからな。直接自分の家に帰ってしまっていいぞ」
「わかりました!」
行ってきます、と跳ねるように橙は玄関を飛び出していった。元気のいいことだ。私があれくらいの年齢だった頃はどうだったかな。あまりよく覚えてはいない。
それを覚えているであろう紫様は、未だに卓袱台の前で現実逃避していた。
「さーて、ゆっかりっさまー!」
来た。ついに積年の恨み辛みを晴らす時が来た。
思えばこの二百年ほど、大結界の見回り・修復、外来物のチェック、他勢力の監視、家事、とにかく仕事のほとんどを押し付けられてきた。
しかも性質の悪いことにこのババアは一日の大半を寝ていながら、残りの時間はまるで自分が仕事を頑張っていますと言わんばかりに里の周りやら香霖堂の周りやらをうろつくのだ!ゆかりん癌張ってます!
このええかっこしいめ。何が妖怪の賢者だ。現実から逃げてるだけじゃねぇか!誰だよこいつを妖怪の賢者って呼んだやつはよ!出て来いよ!そういうゲームじゃねぇからこれ!
「……あぁ、藍……放っておいて頂戴……」
「紫様、そんな状態で放っておくわけにも参りません」
「あなたもどうせ私のことを歳を自覚しないババアだと思っているんでしょう」
ん?全く紫様は何を考えているのだ。そんなわけがないだろうに。私を何だと思っているのだ。
「紫様、私の目をしっかりご覧になってください。これがそんなことを考えている目ですか?」
私は両の目を見開き、紫様とアイコンタクトを交わした。
―――紫様は現実を直視できず、さらに歳を自覚しない少女趣味の痛々しい徘徊老人です
「なお悪いわよっ!」
瞬間的に飛んできたゲンコツをひらりと避け、私は後方へ飛んだ。
避けられたことが予想外だったのか、紫様は驚きを隠せないその顔で私を強く睨みつけた。
「……藍、あなた最近反抗的なんじゃないかしら?再教育の必要がありそうね」
「親に反抗することなど考えられない幼い子供とて、年月が経てば一矢報いてやろうと思うもの。八雲藍、遅ればせながら反抗期に突入させていただきます」
「いいわ。入りなさい、ここじゃなんだから場所を変えるわよ」
そう言って紫様はスキマを開いた。居間のど真ん中に開かれた真っ暗な穴の先に広がる空間目掛けて私は飛び出した。
一瞬の落下の後に、私はストンと着地……着地……着地しない!?
「ババァてめぇぇぇぇぇぇぇ!」
「地獄の底までご案内~♪」
そんなこったろうと思ったよ!
「お前もな」
「……な、尻尾ぉっ!?」
こんなこともあろうかとこっそり尻尾を伸ばしておいたのさ!
足に絡みついた尻尾を一気に縮めて、これでババァは落下する私の目の前。
「チッ、仕方ないわね。地獄の底までだいたい五分。ここは閻魔が個人的に問題あると判断した魂を地獄に直行させるために作った通路、能力の類は使えないわよ」
「純粋な身体能力の勝負ということですね、まぁ五分もあれば充分でしょう」
「へぇ、それは……」
メキィ、という音がして私の頭蓋骨が陥没する。めり込んだのは紫様の右フック。
「あなたが死ぬまでに五分で充分、ってことよね?」
不意打ちとは相変わらずやってくれる、このババァ。
体を縦に振って私は左アッパーを繰り出す。
メチメチッ、と柔らかい臓器の数個を押しつぶす感触が拳に広がる。
「あなたが泣いて謝るまでに、ですよ」
「ック、やったわね!」
「先に殴ったのはそっちでしょうに!」
お互いの拳が空を舞う。
一撃必倒のはずのそれは何度も互いに炸裂し、その度に臓器を貫き、骨を砕いていく。
でも死なない。だって妖怪だから。いや、まったく妖怪は最高だ。
「オラッ!」
「死ねババァッ!」
「私のどこがッ!ババァなのグァッ!やったわねこのバカ狐!」
「ババァなのがァッ!痛ぇなババァ!不満なんですかこの二十世紀老年!」
「不満に決まってるッでしょう!」
「私は早くババァになりたいですけど、ねッ!」
ハァ?というわかりやすい表情で……いやわかりやすくもないな。半分に割れた頭蓋に残った一つの目と半分の鼻・口で、紫様は私に問うた。
「ババァになりたいとか意味がわからない、わよッ!」
「私がババァになるってことは、橙が立派に成長して自分の式を持つってことでしょうが」
「……フン、そうね。それで?」
「私が式を持った時―――橙を連れて来た時、あなたが喜びを感じなかったとは言わせませんよ。あーんなデレッデレの顔で!私だって早く孫の顔が見たいんですよ!」
人間だったらせいぜい自分の三世代下を見届けて終わりだ。けれども私達はそうではない。
長生きして、自分の子供を持って、孫と触れ合って、そしてそこから先の世代もずっと見守っていけるというのに何が不満なんだ。本当に最高じゃないか、妖怪は。最高じゃないか、ババァは。
紫様だって本当はそれをわかっているはずだ。
「だから橙に式ができたら―――つまりあなたにとっての曾孫、私にとっての孫ができたら。そんときゃ可愛がってあげようじゃありませんか」
「……ハン。その時は喜んで言ってあげるわよ、『ババァ就任おめでとーう!』ってね」
「ありがたく頂戴しますよ、大ババ様」
「ったく、あぁ言えばこう言う」
昔から口の減らない子ね、と紫様は呟いてクスリと笑うと、ようやく到達した地面へと着地した。
「にしても、いつの間にか強くなったものね。顔面が無くなるかと思ったわ」
いや、四分の三くらいは無くなってますけど。ちょっと殴りすぎたかなと思ったくらいだし。
「まぁ、鍛えていただきましたからね」
「そうだったかしら?そんなにまで強く育てた覚えは無いわよ」
「『いつの日も母親と言うものは自分の子を過小評価するものね』、誰の台詞でしたっけ」
「……一本取られたわね」
左手に持った傘でその姿を隠すようにして、紫様は一人ごちた。
次の瞬間、傘からその身を現した時には傷も無く、いつも通りの紫様の姿になっている。
私も根こそぎ吹っ飛ばされた両脚と陥没した頭蓋骨をその間に修復して、紫様と正対した。
「藍、橙の修行はこれからあなたが考えてやりなさい。ただし親心出してなぁなぁでやったら承知しないわよ」
「もちろんです」
私だって自分の娘には強くあってほしい。そしてできれば私を越えていってほしいのだ。
「あとはまぁ、こっちも悪かったわ。あなただって橙と修行ばかりでなくもっと普通に過ごしたいわよね。……私も昔はそう思ってたのに忘れちゃってたわ」
「紫様、それでは……」
「そうね。東京タワー、三人みんなで一緒に行きましょう」
なんとか丸く収まった、か。もしかしたら本気で怒るかもしれないと内心ビクついてはいたんだが、よかったよかった。
「ただし一つだけ。いくら私を諭すためとはいえ主をババア呼ばわりは大罪」
「それは大変失礼いたしました。心より反省しております」
諭すためもあるが、実は半分くらいは私怨だったのだけれど。まぁ勘違いしてくれてるのならいいか。黙っておこう。
それにその私怨も本当は逆恨みだとはわかっているのだ。元々は紫様が私を育てながら行っていた仕事を、今度は私が橙を育てながら行う番になっただけだ。それが世代交代というものなんだろう。
とは言え、そうとわかっていても目の前で橙を可愛がっている姿を見るとふつふつと黒いオーラが湧き上がってしまうのだが。それもまぁ反省してくれたようだしな。
「さて、仮にも妖怪の賢者と称えられる私に向かってババァ連呼。これは高くつくわよ」
「おやおやそれは怖い。はてさて御代はいかほどで?」
「そうね、今夜は付き合いなさい。年代物のいいのが入ったわ」
それは重畳、と私は答えて館へ繋がるスキマへ入った。
今日くらいは酒とともに色々と語りつくすのもいいかもしれない。これからのことと、そしてこれまでのことと。
両の足でスキマを乗り越えると、一瞬の浮遊感の後に私はつい数分前までいた館に着地……着地……着地しねぇぇぇえ!?
「なーんちゃって、地獄の底まで再度ご案内~♪」
「ババァてめぇええええええええええええ!!」
私から見れば頭上、紫様から見れば目の前にできたスキマが閉じていく。
「ババァ呼ばわりを反省できたら戻ってきなさい!」
すぐにも紫様の顔は遠ざかり、わずかに見えるスキマからの光も消えていく。
薄く開いたスキマの奥。まだまだね、と呟いた紫様の顔は確かに笑っていた。
公式の藍様はもう見る影なくお使い程度しか役にたたなくなっちゃったし…。
結界も大事な部分はゆかりんがちゃんと自分で管理してたし…。
こういう話が出るのも二次ならではの良さですね。
話があっただろうか。ない。
>>―――m9(^Д^)
>>―――アイコンタクトで顔文字ってどうやって送ってるのよ!!
ここで爆笑したwww
が、少しくどいかな。
こんな人間臭い紫と藍もいいですね。
m9(^Д^)
大丈夫だった俺は最後まで楽しくよませていただきましたw
ここで大爆笑wwwww
ナイスババァは孫を可愛がってナンボです。
橙をここまで可愛がる紫というのも自分的には新鮮
ババァって奴はこれだから困る
橙ならにやり遂げるわよ
↓
橙にならやり遂げられるわよor橙ならやり遂げるわよ でしょうか。
いやはや、1日の遅れを取り戻すには3日の修行を要する。人の3倍は修行に努め・・とは誰の言葉だったか。
そんなのはどうでもいい、ババァになりたーーい!
終始飽きを感じさせない良作でした。
顔文字でのアイコンタクトの部分が最高。
m9(^Д^) GJ!!
子供にやさしく金持ちだ~♪
おおババアよフォーエバーソーファイン♪
やっぱり感情移入するなら加害者にした方がいいですね。
いいぞ、藍様。もっと言ってやれ。
これ「塾」とか「お勉強」に直すと完全に普通のババァや…ゆかりん…m9(^Д^)