Coolier - 新生・東方創想話

La Flamme de L'amour(中編)

2009/09/02 21:11:04
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10.(Amour et Haine)

                                         

 心が動かない。
 どうしたんだろう。
 たくさんの疑問の小石をなげいれても、ひとつの波紋さえ、えがかない。

 ティーカップに透明な液体を入れること。
 ドアに恋文をしのばせるよりも、ずっとかんたんな行為のはずなのに、信じられないくらい
たくさんの感情をついやした。ナイフをつきたてる代わりに毒殺をえらんだ罪びとたちは、
みんなみんな、こんな対価を払ってきたんだろうか。

 逡巡とか。
 葛藤とか。
 すりきれそうなたくさんの衝突。
 さいごにはうそ寒い悦びがあった。好きなひとの引き出しをそっと覗くような満足があった。
小瓶のなかみを琥珀色の液体に落としたあと、しばらくそんな気分にひたって、それから突然、
ぜんぶの感情がぷつんと止んだんだ。

 どうしたんだろう。
 疲れすぎた心が感じるのをやめたのかもしれない。
 もしくは、たくさんの感情がまざりあって、さしひいて透明になってしまったのかも。
 葉陰におちた雨みたいに、いつのまにかそっと、現実感が消えていた。

 そっと、きびすを返す。
 階段を上る。あるいは下る。体が浮かぶ。あるいは沈む。足音がからだのなかに染みいる。
からっぽの心のなかで反響し、かーん、かーん、と遠く鳴る。うすやみに沈んだ廊下の眺め。
ドアノブをひねる。悪い夢のように、私はじぶんの部屋へと辿りついた。

 ―――窓のそとには雨の夜。

 初夏が終わろうとしていた。
 木々をうつ雨はすこしずつ勢いをつよめていく。
 雨粒は怒ったみたいに自己主張して、闇に白い傷をなんどもなんども引いていく。
 ざぁ。
 ざぁ。
 ざぁ。
 強く降ればいい。
 いっそ世界中の雨がここに降ればいいのに。
 そうして銃弾みたいに私を撃って、めちゃめちゃにしてほしい。
 

「―――…、うぁ………」


 気が付けば泣いている。
 両目から涙がこぼれている。
 ふしぎなことだ。心はこれっぽちも悲しくないのに、体はけんめいに悲しがろうとしている。
 自分の罪をみとめて、ゆるして欲しがってる。体面を立てようとしている。
 

「ぁ、ぁ………やだよ、こんな―――ぁ、こんなの、私」


 望んでいなかった?
 ほんとうに?
 こうなることは分かっていたんじゃないか?
 すんなり幸せになれるはずないって、このまま恋がつづけば、きっと相手を傷つけるって。


「私は、好きな、だけ………だったのに」


 思う。
 あのとき。
 好きだと言わなければ、もっと穏やかな今があったのかな。
 おかしな恋だった。
 私はアリスが好きで。でもその想いが返ってくるはずはなくて。
 
 ―――"見返りのない気持ちの一方通行に、あなたは満足できますか"

 ふたりで暮らす日々のなかに、ずっとこの問いはあった。
 はい、といいえ、の間で、いつも私は揺れていて。
 自分の心からなるべく目を離して、はい、と答えられる材料を探していた。

 でも。
 ああ。
 本当はアリスに好きになってほしかった。
 私がアリスを好きなのと同じくらい、アリスに私のことを想って欲しかった。
 どこにも行かないでって言ってほしかった。
 私だけを見てって言ってほしかった。
 ぎゅってするたびに。
 くちびるを重ねるたびに。
 大切な宝物みたいに扱って。
 誰にも盗られないように隠してほしかった。

 恋が、熟れて落ちる。
 私はなんていうものを抱えてたんだろう。


「………ぁ、ぁ、あああああ………っ!」

 ようやく悲しみが湧いた。
 ちがう、それは前からあった。ずっと悲しくて、寂しかった。
 それが大きすぎて悲しみだってわからなかっただけ。
 今、ようやくピントが合っただけなんだ。
 それに比べて。
 私の体はこんなにも小さくて、こころもとない。
 内にこもる悲しみを必死でおさえて、声を殺して泣きながら、私ははじめてそう思った。


 ――――――。
 雨音だけが窓のそとに積みかさなる。
 そのわずかな重みで歯車がまわって、世界の時間は動いてるんじゃないか。
 そんなことを空想するくらい、時のあゆみが遅かった。


 たん。
 たん。
 たん。
 階段を上る足音がきこえる。
 足音だけで震えているのがわかる気がした。不安がこりかたまって宙に転がり落ちたような、
そういう足音だった。アリスじゃない。そんなわけがないのに、そう思った。なんでって、
私の知ってるアリス・マーガトロイドは、こんな足音を立てるような生き物じゃなかったから。
 たん。
 たん、
 たん、
 足音が階段を上りきって、廊下を進む。
 ドアが開いた。
 真っ青な顔の少女がそこにいた。息を切らしていて、立っているのも難しいようすで、壁に
手をついていた。そいつは部屋の中に視線をさまよわせて、私に気がつくと、こごえた人の
ような目で、私を見る。


「アリス」

「魔理沙」

「ああ」

「あなたがやったの」

「ああ」

 できるだけあっさりと、そう答えた。
 アリスが息を呑んだ。
 そして表情が変わる。きりきりと弓を絞るように、アリスの中で感情が高まるのが分かった。
怒り。恨み。憎しみ。そういう感情。
 それを見て、
 私はようやく、望んだものが手に入るんだと思った。

 立ち上がって、アリスに歩み寄る。
 そうして、今にも噛み付きそうな目をした少女を、すぐそばから見上げた。

「アリス」

 どうなってもいい。
 すきなふうに、私をしてほしい。
 けれど失うもののかわりに、かならず欲しいものは掠めとる。
 満たされているのか奪われているのか、崩れ落ちていくのか紡ぎなおされているのか、それすら
わからない心持ちのままで、私は私が壊した少女と過ごした、ふざけあうようにすり減らして、
取りつくろうたびにすれ違った、楽園のみじかい時間を思った。



6.


                                        
 そのそもそもの始まりの日。
 二人で結婚式をあげた月の照らす晩の翌日、私の家でのこと。

 ―――寝不足だった。
 朝まで星をみていたのがいけなかった。
 ロマンスの代償は重いねむけ。私はすっかりくたびれて、立ったままウトウトしてるのに、
アリスときたら何の問題もなく、きびきび動いてる。魔法で体調をととのえてるんだろう。
私はそういう、細かな術は使えない。

 ところで、なんで。
 アリスが私の家にいるんだ。


「魔理沙、このがらくたもう捨てちゃっていい?」


 唐突にそう言われた。


「………待て、どこにがらくたがあるんだ。具体的に指さしていってくれよ」

「指さす限り全部がらくた?」

「ねぼけてるのかな。私には指さす限りの宝の山が見える」

「私にはがらくたでも、魔理沙には宝なのね」

「光るものぜんぶがコインとは限らない」

「親の七光り? あら、なんかこのフレーズ他人事とは思えない」

「逆にいえば、どんより鈍ったコインもあるだろ」

「そんな古くさいコインじゃ、いっこ入れてもコンティニューできないわよ」

「古くささ、を言いかえると希少価値だ」

「そんなレアなら、どこかの古道具屋さんに引き取ってもらえば?」

「あいにく、その古道具屋さんからかっぱらってきた奴が大半だぜ」

「集めるだけ集めてるだけなのねぇ」

「コレクターって感じだろ?」

「むしろ残念な廃品回収って感じね」

「おいおい、まだ使えるやつも多いぜ。だから正しくは盗品回収」

「いきなり盗人猛々しくなられても、私にはどれが何に使えるのか全然わからないわよ」

「そこにあるのが、素敵な洋服かけだぜ」

「それ洋服かけなの? あまり先っぽが鋭利でない槍かなにかだと」

「そこにあるのが、きれいな食器棚だ」

「底がぜんぶ抜けてる棚は、ふつう棚っていわない」

「で、これがまっ赤なアンテルカレールだ」

「そもそもアンテルカレールが何か分からない!」

「そして、これが安眠枕だな」

「私には百科事典にしか見えない」

「実は今、そうとう眠い」

「百科事典でも安眠できそうなのね。でも、せめて片付け方を教えてから寝て頂戴」

「その前にものを片付けることのメリットを教えて欲しいぜ」

「その前にものを片付けないことのメリットを教えてほしい」

「たとえば自宅で迷子気分。それじゃあな、おやすみ」

「でも部屋が狭くなって、二人で暮らせないっていうデメリットはどうするのよ」

「………ん?」


 床にうずくまって眠ろうとしていた私を、アリスのひとことが引き戻す。


「一緒に暮らす? だれとだれがだ」

「私と魔理沙よ」


 寝ぼけた頭で一秒考えて。


「お前は誰だ」

「お嫁さんです」

「そっか。毎朝お味噌汁を作って、帰ってくれ」

「押しかけだから帰らないのよ。押しかけ女房」

「もう幻想になってたんだな………」

「むしろ最初から幻想のような気もする」

「やめてくれよ」

「なんで」

「急な二人暮らしだと、恥ずかしくて何も手に付かなくなるのがセオリーだろ」

「でも、急に離れても、さびしくて何にも手につかなくなるのがセオリーじゃないの?」

「お前でも寂しがるんだな」

「わかんないわよ。寂しがったことないし」

「ふぅん」

「魔理沙は?」

「………わかんないよ。寂しがったことないし」

「ふーん」

「まあ、とにかくだ」

「うん」

「………急に同居とか言われても、困るぜ」

「上下階に別れて、食事のときだけ会うような暮らしでもいや?」

「二十四時間顔つきあわせるわけじゃないのか」

「冗談。そんな暮らしは、私だっておことわり」

「そっか………」

「私だっていろいろ考えてるのよ」


 そうだ。
 いつも逢ってても苦しいけど、ずっと逢わなかったらもっと苦しいに決まってる。

 欲しいのはもっと楽な距離。
 じかに顔をつきあわせるわけじゃないけど、そこにいるってわかるくらいの。
 ………あんがい、ひとつ屋根の下って言うのは、それに適した距離かも。
 そう、他人事のように思った。


「分かった」

「私だっていろいろ考えてることが?」

「いや、そのまえだ。一緒に同居するっていうこと」

「え、そんなに前なの? ものすごい時間差通信じゃない」

「朝は音速が遅いんだ」

「気温とか気圧とかの関係かしら」

「気分の関係だろ。とりあえず一階のものは一箇所に集めて、空いた所使っていいぜ」

「魔理沙は?」

「上の部屋をちょっと片付けて仮眠する。くわしい話は夜に………」

「ああ、二階ならもう片付いてるわよ」

「は?」

「上海と蓬莱を上にやってる」


 アリスがそういうと、二階に続く階段から上海人形と蓬莱人形がぐるぐると回りながら飛んできて、アリスの胸におさまる。
 二体の人形の腕には、さいほう道具やら、とんかちや釘やのこぎりやら。
 なんだか物騒だ。
 ―――いや、それより。


「ちょっと待て、片付け?」

「ええ」

「私の部屋も?」

「もよう替えしておいたわ。いいでしょ?」

「いや、勝手にやったあとで同意を求めるなよ」

「この世のたいていの変化は、勝手におこったあとで同意を求めてくるのよ!」

「深くて大きな話を言い訳に使うなー!」

「まあ、とにかく見てきなさい。ふふん」

「言われなくても見てくるよ!」


 どたどたと、大またの足取りで階段を上がり、自分の部屋をめざす。
 ぴかぴかに磨かれた廊下を横切ると、なんだか輝かしい扉。
 レースのドアノブに白バラのリース。
 こんな部屋を私は知らない。
 ―――でも、位置的には私の部屋のはずなので、扉に手をかける。


「………うわぁ」


 ねむけが完全に吹き飛んだ。
 ぴかぴかに磨かれた床の上に手足の長い絨緞。
 開け放した仏蘭西窓のサッシには、いくつかの花瓶が並んでて。
 レースのテーブルクロスで傷を隠した机の上には、陶器のティーセット。
 とどめはベッドで、こじんまりしたものとはいえ天蓋が付いてる。

 しばらくのあいだ呆然としていると、下からアリスがやってきて。


「さぁ魔理沙、出来るものならすぐに仮眠するといいわ!」

「お前、自分でもやりすぎたって分かってるだろ!」

「うん、ちょっと………楽しくて」

「まあ楽しかっただろうな。正直こんな部屋じゃ寝づらいけどな」

「安心して魔理沙。眼を閉じたら同じよ」

「そうだろうな。でもそれだと、もよう替えの意味がさっぱり無くなるな」

「もよう替えてる時間が一番楽しいし、意味なんて求めないわ」

「じゃあ、一階のモノを片付ける意味もないんじゃないか?」

「甘いわ! 目を閉じたまま散らかった室内を歩くと、向こうスネをぶつける」

「目を開けてればいい話なんじゃないか?」

「どこかの瞳を閉ざした妹でも養子にもらうんじゃない?」

「そういう行き当たりばったりな家族設計こそ、向こうスネをぶつけそうだよな」

「若さゆえの過ち」

「自覚的に過たれても」

「ところで」

「はい」

「一階を片付けてもいいかしら?」

「私こそ、寝ていいか」

「………きちんと汗を拭いてからね」

「………モノを捨てずに、一箇所に集めるだけなら」

「そう」


 アリスはそう言うと、軽い足取りで階下へと消えていく。
 私はため息をつく。
 部屋のドアを閉めると、エプロンを解いて上着を脱ぐ。汗を拭くものはないかと思って
辺りをみまわすと、机の上に濡れたタオルがあった。妙なところだけ気が回るアリスに
少しだけ関心しつつ、私はブラウスのボタンに指をかける。


 ひとりになった。


 はだけた肩をタオルでこする。
 ―――妙に落ちつかない。
 自分の部屋とはおもえないくらい、飾り立てられた空間のせいかもしれない。
 眠いときにむりやり喋ったせいで、テンションが空回りしてるのかもしれない。
 もうすっかり馴れた、魔法の森の朝。
 でもいつもと違う。世界が、よそよそしい。

(………そっか)

 好きなひとと、二人のくらしがはじまった。
 眠気のフィルターが現実を遠ざけてたけど、つまりそういうことなんだ。

 昨日のことを思い出す。
 私と恋人になって、とアリスに言われて。
 お祭りににぎわう里で、二人でデート。
 キスをして、私が逃げて。
 アリスが私をつかまえて。
 星のみえる丘で、二人で結婚式。
 そういう事の結果として、今があるんだ。

(………すっごいことしてるじゃん)

 タオルを放り投げて、ベッドに倒れこんだ。
 どさり。
 よくわからない感情がくすぶって、もじもじする。
 眠気と朝の日差しでぱりぱりに焼けた記憶はうそ臭くて、すべてが夢だったような
気さえする。なのに思い出してみると相当はずかしくて、枕を抱いて布団を叩かずには
いられない。
 今、アリスは一階にいる。
 すぐ下の階に。
 ―――そのくちびるがどんなに柔らかいか、私は知ってる。

(うぁ、)

 たぶん、世界で私一人だけが。

(………やばい、なんか変なスイッチはいった)

 パズルを落としたように。
 アリスの記憶、アリスへの感情の破片が、胸いっぱいに躍る。

 エニシダ色の髪。
 品のいい仔犬みたいな、ふわふわとした髪。
 真っ白な肌、さわると肌理がこまかくて、吸い付くような肌。
 青い瞳。
 夢見るような瞳。
 とおい空の青みの、見透かしきれない最後の一点みたいな、セレリアンブルーの瞳。
 キスしようと顔を近づけると、それがきゅう、と細まって、くすぐったそうに揺れる。
 細い撫で肩。
 きゃしゃな腰。
 抱きよせると本当に細っこくて、なのにしなやかで柔らかい。どうやったらこんなに
細い体で動けるのか、といぶかしんだそこに、思いがけず、いのちの温度。
 ああ。
 たった二回、抱き合って、キスをしただけなのに。
 私の記憶は、アリスの手触りでいっぱいだ。

 というか私。
 アリスに触ることばっかり考えすぎだろ。
 こんな状態なのに、よくさっきはあんなに上手くアリスと話せたものだと思う。

(漫才だったからかなぁ)

 そうか。
 二人で会話してる時って、いがいと相手の存在が軽くなって意識しなくなる。
 どぎまぎするのは急にひとりになったり、会話がヘンなところで途切れたりした時だ。
 ―――重みを込めて相手を想うために、キスはたがいのくちびるを塞ぐのかも。
 ふいにそんな事を思った。
 だとしたら、なんて重い行為なんだろう。

(………でも、もう一回さわりたいな。キスも、したい)

 イメージする。
 後から抱きついて、髪をくしゃくしゃっと撫でて。
 温かな泥に潜るように、二人で世界を閉じて。
 血液のように私とアリスの間で何かが巡っていく。
 きっと好きな気持ちを込めてキスをすれば、アリスの心にぬくもりが届く。
 もっと強い力で抱きとめれば、アリスの心の手触りがわかるだろう。

 その幻想があんまりにも幸福だったから、恥ずかしい気持ちも妙な高ぶりもだんだんと
おさまって、透明でおだやかな眠気だけが残った。アリスのかわりに、ぎゅっと布団を
抱きしめて、私は目を閉ざす。
 布団にかすかにのこった、沈丁花のかおりとか。
 まだ耳の奥にひびいてる、アリスの声の名残とか。
 かたちのないもので心を満たしながら、私は眠りに落ちていった。

 ただ。
 最後に。

(―――ああ、そうか)
(―――アリスは私のこと、好きになってくれないんだっけ)

 キスをした途端に、うたかたと消えるイメージ。
 心をつかもうとした指が、素通りするイメージ。
 一点の憂鬱。
 思い出したくなかった現実。
 それも綯い交ぜに、私の心は夢に溶ける。




7.




 ―――そうやって、二人の時間は滑り出した。
 

「魔理沙、お夕餉の支度をしないと」

「ああ、何を作るんだ?」

「まず卵を割って」

「茶碗蒸し? 錦卵?」

「魔理沙、なんでも和食派の基準に合わせないで」

「じゃあキッシュ・オ・レールかぺペロンチーノ?」

「ちがうちがう。クレーム・オ・ブールたっぷりのブッシュ・ド・ノエル」

「それ洋食って言うか、洋菓子じゃないか」

「いけないの」

「不健全だぜ」

「数日にいちどくらい、レシピに混ぜるのよ。繊細な料理をつくる練習に」

「そうなのか?」

「ええ」

「夕食にお菓子なんて考えたこともなかった」

「意外」

「何が」

「魔理沙ってお菓子って感じだもの。お菓子ばっかり食べてると思った」

「なんだそれ」

「可愛いっていってるのよ」

「………子供みたいじゃないか」

「子供みたいなのよ」

「うるさい」

「クスクス。星の形のショコラプレートつくったげようか」

「………ああ、うるさい。ほんと、もう」


 ―――それは蜜のような、毒のような時間。
 ―――からだじゅうがぎこちなくて、ふとしたときに、すごく緊張して。
 ―――アリスの目線が怖かった。目が合ったときに、凍り付いてしまいそうで。


「朝露はだいじなマジックアイテムなの」

「へぇ」

「月の光だけを吸って若草の葉末にむすばれる露は、強い魔力を帯びるの」

「で、それを取りに明日、魔法の森にでかけるわけか」

「早起き、できる?」

「できるかな」

「できなかったら勝手に起こすわよ」

「やめてくれよ」

「どうして」

「………なんか、起きたばっかの顔って、アリスに見られたくないんだ」

「どうして」

「とにかく」

「とにかく、なに?」

「兎にも角にも、の略だぜ」

「ふぅん。兎にも角にも、なぁに?」

「………いつもキレイなやつにはわかんないだろ」

「え?」

「それだけ。おやすみ」

「待って。いつも綺麗って、魔理沙もいつも綺麗よ?」

「………ずるい。お前は」

「は?」

「おやすみ」



 ―――できるだけ可愛いところばかり見せていたいのに。
 ―――いっしょにいると、そっけないことしか言えなくなる。
 ―――もっと、角をたてずに一緒にいるには、どうすればいいんだろう。


「はいこれ。採れたての木苺」

「木苺? そんなの採ってどうするんだよ」

「お風呂に入れるの。お肌がすべすべになるのよ」

「種族・魔法使いって不思議だな」

「なにが?」

「食べ物の影響はうけないのに、入浴剤の影響はうけるのか」

「ちがうわよ。魔理沙のお肌がすべすべになるの」

「………」

「綺麗になりたい、って昨日言ってたじゃない」

「そういう問題じゃないんだよ」

「じゃあどういう問題よ」

「私がアリスと会う時間が短いほうが、綺麗になれるって話だよ」

「え? 意味がわからない」

「ひとが貧血ぎみのときに、森を連れまわしやがって」

「人形のメンテナンスに必要なのよ。というか、話題が飛躍してる」

「そんなこと細かなこと知らないぜ。話題はパワーだよ」

「話題はブレイン!」

「それで結構!」


 ―――それでも、少しずつ緊張はなくなっていって。
 ―――二人の時間は親しいものになっていく。


「魔理沙」

「何」

「おやすみのキス」

「いいよ」

「いいから」

「いいから、いいんだよ」

「つまり、いいってことね」

「よくないぜ」

「よくないのがよくないのよ」

「………訳が分からなくなってきた」

「会話はブレイン」

「もういいよ」

「なにが」

「いいから。だから、いいんだって」

「なにがいいの?」

「………キス」

「うん!」


 ―――そうしておだやかに、日々はめぐり、めぐる。
 ―――朝の時間はしずしずと。
 ―――昼の時間は華やいで。
 ―――夕べには心が紫色に溶けて。
 ―――夢とうつつの境がなくなって、夜におやすみ。


「アリスー、アリスー!」

「なによ魔理沙、こんな時間に」

「ちょっと夜に散歩に出ただけなのに、なんで閉め出すんだ」

「生活時間帯はちゃんと守らないと駄目!」

「ひどいぜ。私は夜更かししてるときが一番調子が出るんだよ」

「それでも二人で暮らしてるんだから、ごはんの時間帯とか合わせないと」

「二時間くらいの夜更かしなら、ごはんの時間帯なんて変わらないぜ」

「魔理沙がどうしてもそうしたいなら、策は二つしか」

「いや、どうしてもってほどじゃ」

「作戦そのいち。二時間くらい夜を止める」

「やめてくれ。霊夢が来る」

「作戦そのに。ふたりいっしょに生活時間帯をずらすために、同じベッドでねむる」

「やめてくれ!」


 ―――でも、落ち着いて日々をすごせるようになると。
 ―――つみかさなるちいさなすれ違いばかりが、目に付くようになる。


「魔理沙」

「何だよ」

「ほら」

「何だよ」

「おやすみのキス」

「………毎日やるのかよ」

「そういうものでしょう」

「ばかっぽいぜ」

「そういうものでしょう。新婚さんって」

「世の中、ばかばっかりなんだな」

「魔理沙もばかになればいいじゃない」

「ばか」

「うん?」

「アリスがばかだよ、ほんと」

「魔理沙もよー、ばぁかばぁか」

「………ん」

「………」

「………キスがさ、軽くなりそうなんだよ」

「キスに重さがあるの」

「あると思う」

「えー!? 私、わかんない」

「わかんないやつには、わかんないさ」

「そんなのイヤよ。今すぐ測らないと! ほら、キスしましょ」

「ばか」


 ―――アリスは私のことを、好きになってくれない。
 ―――猫や子供を好きになるように私を好きになってくれても。
 ―――私がアリスを好きなようには、私を好きになってくれない。


「アリス」

「なぁに?」

「すき、ってどう言う意味だろうな」

「キスの反対、とかベタなことを言ってほしいの?」

「キスのアンチテーゼなんだな。ほんとに好きならおやすみのキスとかしないんだな」

「む。なんか魔理沙がいじわるなこと言ってる」

「べっつに。話の流れだろ」

「うーん」

「会話はブレインじゃなかったのか?」

「ブレインを使うのが面倒なときもあるのよ」

「アリスらしくないぜ」

「いつも一貫してその人らしい人なんていない」

「今はあんまり頭を使わないアリスなんだな」

「そう。甘いものを食べたいわー」

「なんかさ」

「うん?」

「意味なんてないよな」

「何に?」

「さあ」


 ―――星は回り、日が回り、月が回る。
 ―――いくえにも軌道を重ねて、日々が回るけれど。
 ―――私の恋はちっとも前に進まない。
 ―――今日は昨日をひたすら繰りかえすだけ。


「恋の話ってさ」

「うん」

「だれがなんのために書くんだろうな」

「分からないわよ。恋をしている人が、していない人のためじゃない?」

「自分が幸せな恋をして満たされてるやつが、ほかのやつに幸せを語るかなぁ」

「じゃあ、恋をしていない人が、していない人のために?」

「それにしてはなんか、見て来たような話ばかりじゃないか」

「まあ、そうね」

「ひょっとしたらさ」

「うん」

「恋をした、っていう証を立てるために、恋の話を書くのかも」

「なにそれ」

「さあ」

「さいきんの魔理沙の話は抽象的すぎる。どういう意味かよくわからない」

「意味なんてないぜ」

「ふぅん」

「………」

「………」

「アリス」

「うん?」

「………キス、しよっか」

「うん」
 

 ―――もっと。
 ―――アリスのそばにいたい。アリスに触れていたい。
 ―――でも。
 ―――これ以上近づくと、思い知らされるだけなんじゃないか。
 ―――自分の気持ちが一方通行だっていうこと。
 ―――今までの日々がおままごとだっていうこと。


 気が付けば半月が過ぎていた。
 始まる前は見通せないほど長いのに、始まるとあっというまの時間だった。

 いちども、好きだといえなかった。

 メリーゴーラウンド。
 そういう遊具をおもいだした。香霖堂の古い写真で見たんだとおもう。おなじ幻想をずっと
繰り返して上演しつづけるだけの、どこへもいけないパレード。たんじゅんな反復は永遠を
予感させる。あの馬たちはきっと、百年たってもおなじ場所にいるだろう。

 これから夏がきて、秋になり、冬が訪れる。
 そのなかの、どの時点で私はアリスに好きだって言えるのかな。
 言えない気がした。
 ずっとこのままの気がした。
 自分がしわくちゃのお婆さんになった姿は想像しづらいけど、アリスと思いがつうじて
すべてが上手く行ってる姿を想像するよりはずっと簡単だった。
 そういう、とまどいも巻き込んで。
 また―――今日が終わる。


 そんな日々のなかのこと。

「魔理沙」

「うん?」

「きれいなお城に招待します。カボチャの馬車とかねずみの御者とか」

「………はぁ?」


 アリスから舞踏会に招かれた。

 


8.


 準備するものは、木材と麻布。
 それだけで十分だといわれた。
 染色料は自前で用意するし、こまかな飾り物は自分の家にストックがあるそうだ。
 それはいいのだけど、何をするための材料なのか、ぜんぜん見当がつかない。


 ―――舞踏会って。紅魔館でも借りるのか?

 ―――他所の人のお城を借りるだなんて無粋だわ。ここでやるわよ。

 ―――ここって、お城ですらないぞ。

 ―――大丈夫よ。

 ―――っていうか、踊るためのスペースさえないし。

 ―――大丈夫よ。


(………何が大丈夫なんだよ)

 そういいながら私は、湯船に張った水をかきまぜる。
 ゆうがに入浴真っ最中だ。


 ―――アリス、木材と麻布なら、一階のところに置いといたぞ。

 ―――ガラクタってすごいわよね。使えるものがたくさん混じってる。

 ―――ガラクタじゃなくて元々使えるものなんだよ。それで私は次に何をするんだ。

 ―――お風呂はいって。

 ―――は?

 ―――そうしてきれいにお化粧して、月がのぼる頃に二階の空き部屋に集合。


 ため息。
 身を乗り出して湯船を見下ろす。
 いかにも高級そうな猫足バスタブは、信じられないことにアリスが手慰みにつくった
代物らしい。なんでも手ごろな岩を見つけたから、削りだして底面に加工した鉄パイプを
組み付けて、真鍮メッキで飾り立てたんだとか。
 水をワインに変えるよりよっぽどすごいと思う。
 人形を総動員したときのアリスの日曜大工は、かんぜんに奇蹟の一種だ。

(だとしても、二階の空き部屋はお城にはならないぜ)

 広さからして絶対に無理。
 それとも家を改築でもするつもりだろうか。でもそれだと相当の量の木材が必要だし、
さすがのアリスでも夕方までに仕上げられるほどお手軽な作業じゃない。
 どうするつもりだろう。
 ざぶん、とお湯をすくう。
 指のあいだにつぶした木苺の実が絡まって、ぽちゃん、と落ちた。


 
 お風呂を上がると、三体の人形が待ち受けていた。

「………な。なんだ。まっぴるまから闇討ちか」

 なんとなく緊張して、体を斜にかまえてバスタオルで隠してると、人形たちがくるりと
背中を向けた。
 貼紙がしてる。
 【セミオートマタ(試作)】。

「試作品かよ。それにしても、セミオートマタって、ずいぶんなもの作ってるな」

 あるていどの作業までなら自律してこなせる人形、っていうことだろうか。
 式神の一種みたいだな。
 そう考えていると、人形の一体ががっしりと私の肩をつかんだ。

「うわ」

 意外と力がつよい。

「ちょ、ちょっと待て。服くらい着せろ」

 二人暮らしの家で、バスタオル一枚の格好は、けっこう恥ずかしい。
 でも、アリスは二階から降りてこないだろうと思って、抵抗はしなかった。
 ぺちゃぺちゃと水滴をたらしながら、歩いていく。
 着いた場所はアリスの部屋だ。人形たちがドアをあけると、古い鏡台と化粧道具が
そろっている。なんとなくやりたいことが分かって、私は鏡台の前の椅子にこしかけた。
 目の前には、よく知った顔が映っている。
 私の顔。
 ずっとアリスのそばにいた、私の顔。

(か………かわいくないことは、ないと思う)

 思わず表情を作る。
 斜め下にあごを引いて、上目線になってみたり。

(………でも、アリスのほうが、ぜんぜんきれいだよな)

 なんだかがっかりする。
 不思議だと思う。アリスにかわいさで負けてることがくやしいんじゃなくて、何と言うか
アリスにかわいい顔を見せられない事がくやしい。
 いっそのこと。
 綺麗にラッピングされたドルチェになりたい。
 そんな恥ずかしいことを考えていると、人形たちが鏡台に、水の入ったボウルを置いた。

(いや、水じゃなくて米糠かな)

 魔法使いをやっているので、薬液の材料はけっこう匂いで当てられる。
 たぶん米糠にハチミツを混ぜて、いくつかの花の製油を加えたもの。それに卵の白身と、
ひょっとしたら薔薇露も混じってるかもしれない。
 そして予想通りというか、人形たちはそれを私の顔に塗りはじめた。
 
「冷た………」

 したたるくらいに湿気で満ちたら、上から和紙を被せてパック。
 はっきり分かるくらい肌が水を吸っている。
 これじゃあ皮膚がふくれちゃうんじゃないかと思ったのに、十分後に和紙をとったら、
どういう訳か、むしろ顔が小さくなっていた。

 薬液をよくふき取る。卵黄とレモンで作った下地を塗る。
 この二つの作業は自分でやった。
 つぎに人形たちは、いくつかの顔料を用意する。
 本格的に「お化粧」が始まった。

 材料は、よくわからない。たぶん雲母をくだいたものに、弁柄みたいな鉱物をまぜて
色を出してるんだと思う。あるものは白粉に、あるものは紅に。白粉ひとつとっても
微妙に色の差があって、人形たちは暗い色のものを顔のはしっこに、明るい色のものを
まんなかに乗せた。

 机の上の顔料はどんどん増えていく。
 煉瓦色で赤みを消す。白で鼻と目元を明るくする。まぶたに紫を塗って、ももいろで
雲がたなびくようにかすませる。頬があかく映えて、くちびるが滴るようにうるおって、
一秒ごとに表情が塗り替えられていく。
 人形たちはさいごに、まつげに煤をぬって、卵白で固めた。 
 夜が明けるように、すべてが仕上がった。

(うわぁ………!)

 十数分後。
 鏡のなかには知らない女の子が座っている。
 その子は大きなひとみを潤ませてこっちを見ていた。
 頬にさしている赤みは紅のせいだけじゃない。
 すぼめたコーラルピンクのくちびるが、ちいさく震えている。

 信じられない。
 これが私なんだ。
 いや待て、本当に私なのか?
 とうてい信じられなかったから試してみた。

「パ………パンがなければ、和食を食べればいいじゃない!」

 鏡の中の傲慢なお嬢さまは、私の意図どおりに冷酷なセリフを吐き出した。
 ちゃんと片手を腰に当てて、こっちを指さしている。
 うん。これは私だ。
 本当に私なんだ。
 ………飛び跳ねてよろこびたいけど、我慢する。
 代わりににっこりと微笑んだ。よかった、すごくかわいい。
 この笑顔をすぐにでもアリスに見てほしい。
 かわいいって言ってくれるかな。

 そう思ってる私の前に、人形たちは新しい贈り物を届けてきた。

「………これ、私が着るのかよ」

 クリーム色のプリンセスドレス。
 フリルたっぷりのパフスリーブ、身ごろにはオーガンジーのリボンの刺繍。
 裾にはリボンとチュールレースがあしらわれていて、ところどころにアクセントをつける
花の装飾は、本物のドライフラワーだ。
 不思議なドレスだと思う。
 柄の主張がそうとう強いし、ドレスにしては生地が粗すぎる。
 ―――だから一歩まちがえれば品がなくなるのに、むしろぱっと見のアバンギャルトさが
かえってかわいさを引き立てていた。

「あ」

 ちょっと驚いた。

「………この色と柄、こないだ捨てたカーテンとおなじだ」

 なんど見せられても、水をワインに変える手品には、びっくりする。
 ―――ふと、外に目をやった。
 窓枠の向こうには、深い海みたいな夜の空。
 そこに沈めた銀貨のように月が揺れていた。


 舞踏会がはじまる。


 二階に上がる途中で、妙な違和感があった。
 理由はすぐに明らかになる。照明が灯っていないのだ。
 ふだんなら光の魔法を使った灯りで、夜でも二階は昼のように明るいのに、これじゃあ
廊下を歩くこともむずかしい。私がそう思っていると、ぽ、ぽ、ぽ、と小さなあかりが
いくつか点った。人が通ると自動で火がつく、魔法のろうそくだ。

「………舞踏会っていうより、肝試しみたいだな」

 そういうのはあの竹林でおなかいっぱいだ。
 とりあえず空き部屋のドアを探し当てて、中へとはいる。

 真っ暗やみ。

「―――アリス? アリス、いるのか?」

 答えは無い。

「―――アリス、おい、ひとが悪いぜ」

 私の声が、むなしく響くだけ。
 とって返して、後のドアを開けようとしても開かない。
 悪い冗談はやめろ―――うそ寒い気分になって、そう言おうとした瞬間に、光が灯った。

「は?」

 アリスと、神綺だ。
 十五メートルは向こう、スポットライトの光の中にその二人がいる。
 いやまて、十五メートル? この部屋がそんなに広いわけがない。
 そこまで考えて、気付いた。
 部屋が広いんじゃなくて、アリスたちが小さいんだ。

「………人形劇」

 暗闇と遠近法をうまく使って、ものすごく広い空間に見せている。
 ふと、足元に何かがあることに気付く。木の椅子だ。
 観劇席ということだろう。私はそこに腰を下ろした。

 声が響く。


『むかしむかし、あるいはあした、もしくはさっき、それはたぶん、少し前のこと』


 オルゴールの楽隊が奏でる。
 メヌエット風の、優雅な音楽。


『この世のまんなかに、この世の全てに祝福された国があって、
 そのまんなかには、世界で一番美しい庭がありました。

 それはヴェロアの園、あえかなる暇、ひざしに揺れるうたかたの永遠、
 すべてを作り出したお母様と。
 その娘たちとの箱庭です。

 あるとき、娘のひとりが、本を読みながらこんなことを言います』


 アリス人形がくるりと踊って、神綺のほうに向き直る。


『お母さま』

『なぁに、アリスちゃん』

『さいきん思うことがあるの』

『なぁに?』

『いいえ、ずっとずっと、昔から思ってたことなの』

『なぁに?』

『夢寐のさかいに、ときどき思い、午后のはざまに、ときどき思い』

『ええ』

『もう何百回もくり返し思って、またくりかえす疑問』

『それはなぁに?』

『恋とは、どんな、ものかしら』

『まぁ』


 朗々と、暗闇の中に声がひびく。
 神綺の声も、よく聞いたらアリスの声だ。うまく似せてる。
 ときどき里で人形劇をやっているだけあって、アリスの演技は堂に入っていた。


『アリスちゃん』

『なぁに?』

『恋はね、そうね、甘いもの。とてもとても甘いものなの』

『そうなの? お母さまの作ったシュクレットより甘い?』

『そんなもの、作ったかしら』

『夢子にかわってときどき作ったシュクレット、ばかみたいに甘いシュクレット!』

『まぁ』

『ちいさな私はうんざりだった、恋はあれより甘いのかしら?』

『私はお料理、苦手だもの。―――でもそうよ、あれよりも、うんとうんと甘いの』

『虫歯になっちゃう!』

『でも安心してアリスちゃん、恋は酸っぱく、もの悲しくもあるの』

『そうなの?』

『惜しみなくあたえられ、多くのものを犠牲にするものでもある』

『わぁ、ちょっと大変』

『嵐のような聖なる狂気、でもそれを、ゆいつ生きる意義とさだめる人もいる』

『きっと傍迷惑なひとね!』

『それらすべてを織り込んで、それで恋なの』

『………ぜんっぜんわかんない』

『わからないでしょう?』

『なんて非論理的なものなの!』

『論理のあけすけな刃じゃ、恋はひとつも切れはしないの』

『そんなに見る人によって顔をかえて、いじわるな手品みたい!』

『じっさい、とてもいじわるな手品よ。ときには法外な代金をいただいていく』

『うーん………』

『どう思うかしら』

『ふしぎ』

『不気味でしょう?』

『すてき』

『気味悪くはなくて?』

『見てみたい!』

『近寄りがたいって、思わないの?』

『お母さま、お母さま、いつの日か私の窓辺を、恋が訪ねる日は来るのかなぁ』


 アリス人形は神綺人形にすがりついて、顔を寄せる。
 人形だから表情は変わらないけど、目が輝いてる。照明の効果を使っているんだ。
 たいして神綺人形は、ちょっと困ったジェスチャー。


『アリスちゃん、それはちょっと無理だとおもうわよ』

『どうして?』

『アリスちゃんは、恋のかたちをつかめない』

『どうして?』

『恋のかたちは心のかたち。心のかたちは欠落のかたち』

『欠落のかたち? 欠落にかたちなんてあるの?』

『ドーナツの穴はどんなかたち?』

『ばかみたい! 穴は穴、虚無は虚無、ないものに色も形もないでしょう?』

『それじゃあ恋はわからない。欠落と欠落をかさねて、恋は生まれるの』

『それじゃあ、あるのかないのかわからない、まるで恋って幽霊みたい』

『そうよ。そのあるのかないのかわからないものを、あなたは探すの?』

『ええ』

『あらら』

『きっと探し出すわ。そうして、あるのかないのかわからないものを、あるって証明する』


 すこし戸惑っているようすの神綺人形が舞台から去り、アリスだけが残る。
 アリスはたくさんの本を読んでいた。
 たぶん、恋はなにかを学ぼうとしている。
 それでぴんと来た。
 これは、アリスがこの間神綺と逢って、恋人を作れと言われたときの話が元ネタだ。
 もちろん寓話っぽくしてあるだろう。作り話と真実が、八対二、くらいだと思う。だけど
今の神綺のセリフは、アリスの思考回路から出てくる言葉じゃない。きっと似たようなことを、
実際に言われたんだと思う。

 そうして、舞台は暗転した。
 そうして再び灯りが付いたときにそこにあったのは、きれいなお城のホール。
 大理石の柱がならぶバルコニーに、アリス人形が立っている。


『―――そうして娘は、あえかなる故郷の庭をはなれ、別の世界に居をかまえました。
 彼女は男装の王子となって、白亜の城を建て、たくさんの少女を招きます。
 少年より、少女のほうが、たくさんの恋を知っていると思ったからです』


 アリス人形はナポレオンコートに身を包み、金の剣を佩いていた。
 ちょっとりりしい男の子に見えなくも無いけど、わりと無理のある男装だ。

『王子は器量もよく、品性にとんでいたので、とてももてました』

 自分をこんなふうに褒められるアリスはかなりすごいと思う。
 そして舞台の中、アリス人形が剣を抜いて、こう言った。

『ええい、かわいい女の子はおらぬか!』

 王子と言うより悪代官のようなセリフだ。

『王子さま、ここにおります』

 ぱっと、宮廷の一角にスポットライトが当たる。
 そこにいたのは霊夢人形だ。
 白いドレスに身を包んで、なんだか伯爵令嬢、といったかんじ。
 アリス人形が剣をおさめて、霊夢人形に向き合う。

『ほう、しておまえに何ができる』

 アリス王子は偉そうだった。

『私はこの国の管理者。私とらぶらぶになれば、大変な自由が手に入ります』

『自由!』

 アリス人形がぴょんぴょんと飛び跳ねた。怒りを表現しているらしい。

『自由などいらぬ! 私はただ恋について知りたいのだ!』

『しかし、自由な私に好意をよせるものは、とても多かったのです』

『それは、ここが片田舎だからだ! 都会派はいまどき自由などに惹かれぬ』

 アリスは幻想郷に何か怨みでもあるのだろうか。

『分かりました。では私は下がります』

『ほう、えらくあっさり引き下がるな』

『それは、私があなたをどうとも思わないからです』

『ならば、なぜこんなところに出かけてきた!』

『私は、私をどうとも思わないからです』

『なるほど! でははやく出ていけ!』

 霊夢人形が宮廷を後にする。
 つぎに現れたのはパチュリー人形だ。
 こまかに体を折って喘息を表現してたり、やたら芸が細かい。
 ところで体の弱いパチュリーは、何故か切れキャラに仕上がってるアリス王子の横暴で
体調が悪化したりしないんだろうか。けっこう本気で心配だった。

『次のおまえ、お前になにができる』

『私はこの国いちの知識人。王子に恋のなんたるかを教えてさしあげられます』

『知識だと? 本で得た知識ならもうじゅうぶんだが』

『いえ、王子はかんじんの部分を読み落としています』

『ほう?』

『さきほどの霊夢は、恋をするにはあまりに自由でした』

『自由と恋は相対するものなのか?』

『そうです。恋とは心を差しだすもの、虜囚のようにたましいを引きわたす行為です』

『なんと! そんなに不自由な行為なのか』

『そんなに不自由な行為が、はたして王子にできるでしょうか』

『うーーむ』

『というより、王子が憧れたのは、はたしてそれほど不自由な行為なのでしょうか』

『よくわからん! もう、さがれ!』

 パチュリー人形が舞台から去った。
 アリス王子は舞台の上をぐるぐる回っている。
 どうやら苦悩しているみたいだ。
 そこに、ぼう、と光が差す。
 亡霊のように、神綺人形が現れたのだ。

『苦労しているみたいね、アリスちゃん』

『お母さま、どうしてここへ? ひょっとして、私をつれもどしに来たの?』

『そう、あなたはあなたが夢見た、恋物語の主人公には決してなれない』

『だから連れもどすの』

『あなたは私たちと居るのが、きっといちばん幸せだと思うのよ、アリスちゃん』

『いやよ、お母さま、もうすこしだけ待って!』

『無駄だと思うけれど』

『次の満月の晩に舞踏会をひらくわ。その中から、私に恋を教えてくれる子をえらぶ』

『そう、せいぜいがんばりなさい』

 神綺人形は出てきたときと同じように、ぼう、と消えた。
 ―――たぶん今見ているのは、アリスの葛藤だ。
 パチュリーほどじゃないにせよ、アリスは本を読むのが好きだ。そのなかに出てくる
たくさんの恋物語を読むうちに、自分が恋をしらないことで、仲間はずれになっている
ような気がしていたんじゃないか。
 神綺との約束は、きっと切欠にすぎない。
 アリスはずっと、恋を知りたがってた。


 そうして、舞踏会の晩が来る。

 宮廷はうつくしい少女であふれ返っていた。
 モデルは幻想郷の少女たちだ。色とりどりのドレスが、仄かな闇に沈むホールの中で
傘のように広がるようすは、水中花の楽園をおもわせた。
 少女たちはアリス人形にかしづいて、メヌエットにあわせて二人で踊る。
 けれども。
 少女たちはみな、それぞれの思惑から、アリスに近づいていた。


 青い髪の少女がこう言った。

『いいから、私といっしょになって、その魔法の力をちょうだい』

『それで何を望む』

『私の従者に永遠の命をさずけて、いつか来る別れを止めたいんだよ』

『知らない』

 銀の髪の少女がこう言った。

『どうか、私といっしょになって、魔界の知識をさずけてくださいませんか』

『それで何を望む』

『永遠に生と死のはざまをたゆたう私の主人に、すこやかな死を差し上げたいのです』

『知らない』

 黒い髪の少女がこう言った。

『ねぇ、この立派なお城に、明日から住まわせてくれないかしら』

『せまい部屋しかない』

『かまわないわ。閉塞していればいるほどいい』

『それで何を望む』

『追われているの。安息を得られる場所が、欲しいだけなの』

『知らない』

 紫の髪の少女がこう言った。

『どうか私といっしょになって、そのご威光にあやかりたいのです』

『それで何を望む』

『私と、私の妹が、嫌われることなく皆に愛されるようにと、そう願っているのです』

『知らない』

 ―――そうして。
 ダンスが終わった。
 すべての少女が王子の前にならぶ。
 ついに王子が、だれから恋を教わるべきかを決める場面が来たのだ。
 ゆっくりと顔をあげると、おだやかな口調で、王子はこう言った。

『正直、私にはよくわからない。なにもかも決めかねる』

 少女の間にどよめきが走る。

『だれに恋を教わるか、ではなく、そもそも私が恋を望んだか、がわからない』

 王子は目を伏せる。

『考えて欲しい、私が何をのぞんだか、何に憧れたのか。
 私は恋物語に触れて、恋にあこがれた。
 しかし私ははたして、恋をすることにあこがれたのか。

 そうではなく私は、恋をしている少女に憧れたのではなかったか。
 物語の中で、誰かを愛する少女はみな、とても美しく。
 誰かを恋い慕うさまは、とても可憐で。
 その瞳をそっと覗きたいと、そう思っただけなのだ』

 一拍の間。

『今夜、この舞踏会に集った少女の中に、ひとりだけ。
 私のことを本当に想ってくれたものがいる。
 その少女に、この花束を贈りたい』

 王子が黄薔薇と透かし百合の花束を掲げると、灯りが消えた。
 いまいちど、部屋の中にくらやみが落ちる。

 何かを仄めかすような沈黙が、何秒か、続いた。
 そして。
 そのくらやみのなかに、花が浮かんだ。
 人形劇のアリス王子が持っていたのと同じ、黄薔薇と透かし百合の花束。
 けれどもこれは造花じゃないし、そもそも人形大じゃない。本物の花束が光の魔法で
ライトアップされているんだ。

(え?)

 肉厚の花弁がしたたるような光を湛えて、ゆたかな香りの中に身をよこたえている。
 すぐそばで。
 まちがいない。
 私に向かって、差しだされていた。

「魔理沙」

 すぐそばで、アリスの声がした。
 燭台がともる。椅子に座る私と、その前に立つアリスを照らし出す。
 王子様の格好なんてしていない。いつもどおりのアリスだ。
 だけどこのとき、私はまちがいなく、人形劇の中の宮廷に迷い込んでいたんだ。
 ―――何を言えばいいのか、わからない。

「これを、あなたに」

 戸惑いながら私は、アリスからの花束を受けとる。
 なにもかもが作り事めいていて、なのに目をそらせない説得力があった。
 自分でもよく判らない気持ちが胸の中で膨らんで、それをどういう方向に転がせば
いいのかさえ、決めかねた。
 私は本当に人形のようになり、ただアリスの一言を待つ。
 止まった世界を動かす、魔法の一言を。
 

「ありがとう、私のことをはじめて好きになってくれた女の子」

 
 アリスの微笑が、まっすぐに私の瞳に飛び込んで。
 つぎの瞬間に、ぼやけた。
 涙。
 あわてて下を向く。
 
「ちょ、ちょっと魔理沙」

「………う、うるさい、おまえはずるい」

「いいから顔を上げなさいよ! せっかくのお化粧が台無しになっちゃう!」

「やめろやめろ! 頼むから顔を見ないで!」

「いいじゃないのホラ。何も減るものじゃないわ」

「尊厳とかが減るんだよ! 寿命も減るかもしれない!」

「そんなのうそっぱちよ。んー、ああ、よかった。大丈夫だわ」

「なにが」

「すこし目元が崩れてるけど、―――まだ、世界一かわいい女の子のまま」


 今度こそ下を向いた。
 椅子の上に足をのっけて、頭をかかえこむように体操座りをした。
 辛かった。
 恥ずかしかった。
 もう頬なんか分かるくらい熱くて、それどころか首のあたりまで火照ってて。
 心が、温かくて。
 幸せだった。
 こんな幸せが許されていいのか不安なくらいに、幸せだった。


「………ああもう、世界一かわいい女の子が岩戸隠れしちゃった」

「うるさい。さっさと踊れよ」

「人形舞踏会パート2をやれっていっていうの?」

「やれば?」

「パート2は暗黒舞踊編よ」

「やめろ」

「もう、困ったわね」

「だいたい」

「うん?」

「世界一かわいい女の子、とか嘘だ。………アリスのほうが絶対可愛い」

 私は何を口走っているんだ。

「そのはずだったんだけど、メイクアップした魔理沙が予想以上だったのよ!」

 アリスも何を自信満々に答えてるんだろう。

「知らないよ。アリスのほうが上だろ」

「魔理沙のほうが可愛い!」

「アリスのほうが可愛いって」

「何よ。私の【試作『伊達ワルのお化粧人形』】を愚弄する気なの?」

「伊達ワルだったのかよ………」

 そういえば微妙に悪かった気もする。
 主に、私をむりやりひっぱっていくような気性とか。
 
「それより、アリス、気付いてたんだな」

「何に?」

「なんていうか………私の気持ち」

「勿論とっくに気付いていたわ! 具体的には昨日の晩に」

「遅いよ! それでどれだけ私が苦しんだと思ってるんだよ!」

「何よ仕方ないじゃない! 私だって、私の気持ちがわからなくてイライラしてたのよ」

「アリスの気持ち?」

「恋をしている女の子の瞳を、のぞきたい」

「………ああ」

「でも問題が出来たの。恋をしている女の子の瞳は、ぜひともお化粧でかざるべきだけど、
 恋をしている女の子の瞳は、涙で濡れている。うーん、防水加工が必要」

「この女泣かせが」

「魔理沙だけよ。私が泣かせたの」

「理不尽だよ」

「むしろ、いたれりつくせりっていう感じね」

「アリス」

「何」

「お前ってほんとにひどいよな」

「えっ、今日一日すごく頑張ったのに、なんで私責められてるの?」

「でも、すっごいうれしい。ありがとな」

「褒められると悪い気はしないけど、お礼は頂戴な」

「何」

「魔理沙のまぶたにキスがしたい」

「たぶん卵白の味がするぜ」

「ハチミツを加えて食べちゃいたい」

「………やっぱり、ひどいやつだ」


 ああ。
 ひょっとして。
 想いがとどかなくてもいいんじゃないか。
 私だけが恋をしていて、アリスは私に恋をしてくれなくて。
 でも、今がこんなに幸せだ。きらきらして、満たされている。
 アリスの顔が近づく。右のまぶたにキスをされて、左のまぶたにキスをされた。それから
おでこと、鼻の先にキス。アリスはすぐそばで眼を閉じて、可愛い、可愛い、と呟いた。
 もっと言って欲しいな。
 キスをされたところから温かく色づいて、なんだか自分の体がいとおしくなる。

 最後に。
 アリスが私のくちびるを吸う前に、私は口にした。
 ずっとアリスに伝えられなかった、たった一つの言葉を。

「アリス」

「うん?」

「………なんかもう、おかしくなりそうなくらい、好きだ」

「びっくりした」

「何が」

「………想いを告げる女の子の眼って、こんなに綺麗に揺れるのね」

「………ふん。ちゅ」

「あー! キスしたかったのにキスされた」

「お前がズレたことばっかり言ってるからだよ!」


 ―――そうして、夜は深みに沈んでいく。
 窓を開けるとズミの樹が桜みたいに花を散らしている。
 それを洗う清水のような月明かりをたよりに、私たちはワルツを踊る。
 魔法が解けた八畳の部屋は踊るには狭かったし、人形のメヌエットは安っぽかった。
 何より、私もアリスも踊りがへたで、しょっちゅうお互いの足を踏みつけた。
 それでよかった。
 この静かな夜の底に、世界のだれにも裁けない幸せがある気がした。

 キスをして、笑って。
 この一瞬は永遠になる。
 すれちがってばかりの私たちだけど、きっとこれからは上手くやっていける。
 今日の夜の思い出を抱いて。












 そんなふうに、勘違いしてしまったんだと思う。
 初夏の頃に実った恋が、梅雨のはじめにどんな匂いを立てるかも知らずに。



                      (後編に続く)
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コメント



0.3540簡易評価
13.100名前が無い程度の能力削除
続き待ってました!
乙女魔理沙可愛いよ。
16.100名前が無い程度の能力削除
そろそろ後編がくる頃かな、と思っていたところにまさかの中篇。
これはwktkがとまらない!
22.90名前が無い程度の能力削除
作者様は大変な焦らしプレイがお好きなようだな
前編から丸一ヶ月も待たせやがって、濡れてしまったわ
23.100名前が無い程度の能力削除
遂に来たのか続編が…っ! 一ヶ月も全裸で正座させやがって…畜生!
いつも連続した続き物は終章で点数を入れてたんだけど、
それすらもどうでもいいと思える。最高だ! 早速後編行って来ます!
27.90名前が無い程度の能力削除
少女らしいキラキラした雰囲気の文章ですなぁ。
30.100奇声を発する程度の能力削除
続きが来た!!!!
43.100名前が無い程度の能力削除
すげぇ…
62.100名前が無い程度の能力削除
そして物語は加速する。
70.80名前が無い程度の能力削除
いい
76.90非現実世界に棲む者削除
嫌な予感しかしない。せめてグッドエンディングを望んで後編へ...