Coolier - 新生・東方創想話

廃獄の空

2009/09/02 16:20:43
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 どうしてここには風が吹いているのだろう。
 鳴き声のような風。
 寒い、寒い。



 ああ、ここは人工太陽、その中心だというのに。










 打ち捨てられた廃獄で、その烏はただの一匹。
 ずっとずっと、考え続けていた。











 操作盤と計器の壁に囲まれた、火力調整室。
 ここの操作の仕方なんて、極々一部しか、そのボサボサの酷いクセ頭の妖怪は知らない。
 黒い髪した地獄鴉、霊烏路 空は知らないのだ。
「わかったところで、何するものよ」
 調整室から見える、目の前に広がる昔時の業火を睨みながら呟いた。
 その灼熱の海を望みながら、霊烏路 空は考える。
 炎海の温度を調整しながら、考える。
 世界は、空の頭では答えの出せない問題に溢れていて、こんなところで暇を潰す方法なんて、とにかくそれを考えるくらいしかないのだから。
 だから、その、種族に見合った小さい脳味噌で、考え続けるしかないのだ。
 答えの出ない問いを。







 綺麗な、深い紫色の髪をした少女が、笑っている。
「ごめんなさいね、あなたのせいじゃないのよ……それは、とても自然なことなのだから」
 どうして、そんな風に笑うのだろう。
 そんな、何もかもを。







「寒っ……」
 空は、ぼうと考え込みながら、身につけている白いマントを身体の前面まで巻き付けるように覆った。
 いや、しかし、実際はこの灼熱地獄は、着ている物全てうっちゃりたくなるほど熱いはずなのだ、いや、実際熱い。
 しかし、それでも時々空は、どうしてもこんな風な、わけのわからない寒さを感じずにはいられない。
 だって、この打ち捨てられた地獄には。
「何で風が吹くんだろうねぇ……」
 鳴き声のような風音が通り過ぎて行く。
 ぶるり、と、体を震わせると、空はまた思考の海に沈み込んで――。









「あら、あなた達は、ここに住んでいるのかしら?」
 顔も思い出せない人が言う。
「私は今度、ここを任されることになったの。よろしくね」
 知ったことですらない。勝手にすればいいじゃないか。
「あら、そんなことはないわ。私は、あなた達のことがわかるのよ。わかりあえるなら、隣人でしょう?」
 わかってくれるの?
「ええ、誰よりも」
 お腹が空いた。
「……えー、と、今何か持ってたかしら……」
 ごそごそと体を探り出すその姿に、生まれて初めて、何だか笑いだしたいような気持ちになった。






 初めて、誰かを主と呼ぶ喜びを知った。







 猫がいた。
 黒に近い、濁った赤い毛をした猫だった。
 尻尾が二つに分かれている猫だった。
 炎のような猫だった。
 真っ黒い地獄鴉は、いつもいつも己の主人にすり寄るそいつが気に食わなくて。
 主人の見ていぬ間に、その猫に空中から襲いかかった。
 気に食わないのは、猫も同じだったようで。
 襲いかかる鴉に対して、こちらも飛び上がって前足を突き出し、応戦の構えを示す。
 一瞬の交錯。
 黒い翼が猫の体を強かに打ちつけ、猫の前足は的確に鴉の顔を打ち抜き。
 二匹は同時にもんどりうって地面に着地し、意識を失った。





「あらあら、二人とも、喧嘩してはダメよ」










 からからから。
 車輪の音が聞こえる。
 からからから。
 近づいてくる。



「で、どうしたんだい? 丸まっちゃってさ」
 深く濁った赤い髪、両でおさげにして、黒いリボンで纏めて揺れる。
 頭に生えた、赤黒い猫の耳もぴこぴこと震える。
「寒いんだってば……」
 火車のお燐が、火焔猫の燐が、座り込む空の横で、見下ろすように立って、友人を見つめていた。
 空はマントに包まりながら、胡坐をかいて目の前の赤波から目を離さない。
「寒いって? 服でも脱いじまいたいくらい熱いじゃないか、相変わらず」
 燐は己の黒い洋服を、ぱたぱたと空気を送り込むように動かした。
「まあ、そりゃ、そう、なんだけどね……」
 訝しげな猫の視線を受けて、空は歯切れの悪い返事。
 しばらく不審がっていた燐だが、まあ、いつもの友人の馬鹿だろうと思うことにした。
「病気でもないだろうしね。馬鹿は何とやらって……」
「うっさいなぁ」
 ツッコミながら空は立ち上がると、得体のしれない寒気も馬鹿らしくなって去ったのか、羽を広げて、マントをその後ろへ追いやる。
 ペシペシと広げた翼で器用に友を打ちつつ、にゃにゃっと攻撃を受け流されたりしてじゃれあいながら、その隣の物を見た。
 一輪車の猫車、燐愛用のそこには、車体からこぼれんばかりの死体が載っていた。妖怪、動物、得体のしれない、気味の悪い。
「大漁じゃないの」
「おかげさまでね」
 燐もそれを見ながら。
「今日の旧都は死体日和だったみたいでねぇ、いいのがたくさん手に入ったよ」
「ふーん」
 品定めをするように、その死体満載猫車の周りを、空はゆっくりと歩いて。
 おもむろに手を突っ込むと、謎の怪鳥といったような感じの鳥の死骸を引っ張り出した。
「ふむふむ」
 じろじろと、手で回しながらそれを舐め回すように見て、もっともらしい声を出してみる。
「いいじゃない、大釣果。景気づけに、これ貰うわよ」
 ん?
 と、燐が顔に疑問符を出す中、空は怪鳥の死体を振りかぶると。
「どっせぇぇい!!」
 勢いよく灼熱の向こうへ届けとばかりに、炎の海へと投げ込んだ。
「はぁー……」
 空中できりもみ回転しながら炎の波の向こうへ消える死体を、目で追いながら燐。
「死んでるってのに、よく飛ぶもんだ。今はよかったのかい?」
「いいのよ、ちょっと温度下がってきてたしね」
 そりゃよかった、と、向き直って顔を見合せ、二人は笑った。








(だからさあ、食べるんだよ)


 食べるって、何を?


(決まってるだろう)


(聞いたんだ、あれを)


 喰えば。





 寄り添う体が、もっと大きければ。
 纏う羽が、包み込めるくらい大きければ。
 触れ合える手があれば。
 名前を呼べる声があれば。

 あの人はもっと、喜んでくれるだろうか。





 それが何の種類に属するのか、どういうものなのか。
 二匹にとっては、どうでもよかった。
 ただ一つ、重要な事実が、わかっていれば、はっきりしていれば、それでいい。
 最初に口をつけたのは、猫だった。
 小さな口を大きく開くと、ゆっくりと咬みつき、時間をかけて肉を引き剥がす。
 つられるように、次は鴉が嘴を突き立てた。
 精一杯の力で、毟り取る様にちぎって。
 二匹は同時に飲み込んだ。



(食べたら、無事に済むはずがないって話だけど……)



 猫は、その人に近づきたかった。

 鴉は純粋に、その人が好きなだけだった。



 それで、どうだろうか
 望んだ力は、望んだものを――







「んで、これからどーすんの?」
 胡坐をかいて座りこみ、体をゆらゆら揺らしながら、空は猫車にあらためて死体を積み上げ直す燐に尋ねる。
「また仕事?」
「いんや、今日はもう看板さ」
 燐はにんまりと笑って、積み上げた戦果を、ぽんぽんと叩きながら。
「ふーん」
「そっちこそどうなんだい? 暇なら、久しぶりに二人で遊ぶ?」
 猫撫で声の誘いに、空はぶすっと顔を顰め。
「こっちはまだまだ仕事だし」
 そりゃ残念だ、と、目を細める友人を見上げて、空はしばし考え込む。
 じゃあ、あんたは、これから。
「どうすんの? お燐、これから、地霊殿に」
 戻るのか、問いかけようとした瞬間。
「いや、戻らないよ」
 くるりと背を向けていた燐の表情は、空からは見えなかった。
「いきなり帰ったって迷惑かもしれないしねぇ。また今度、二人で顔出せばいいだろ?」
 視線を炎の海に固定したまま。
「ああ、そうだね。近い内、必ず」
「ああ、必ず」
 元々、お燐の表情を確認する気も、勇気も、ありはしないのだが。







「でもね、それはあなたのせいじゃないの」
 慈しむように、真っ白なその手が、頬を撫でていく。
「自然なことなのよ」
 そんな顔が見たくて、こうなったわけではないはずなのに。













 望んだ身体は。
「ああ? 何であんたが」
 望んだ翼は。
「あたいより背が高くなるんだい」
 望んだ手は、声は。
「お燐」
「うん?」
 何だ、という顔をする、目の前の、深い赤色の髪をした少女。
「変な顔」
「あんた程じゃないさ」
 この体を使っての初めての喧嘩相手は、目の前の親友となった。




「お空、あなたの髪は」
 空は床に座りながら、その真後ろで椅子に座り、今自分の髪に櫛を入れている主の声を聞く。
「中々の難敵ね、ふっ! ふっ!」
 差し入れた櫛を、苦労しながらようやく下に梳く主。己の非力を多少呪いつつ。
「ふう、こいしの髪以来の手強さだわ……でも、綺麗な色、飲み込まれそう」
 ふぁさふぁさ、と、主が優しく髪をいじるのにくすぐったさを覚えながら、空はぼーっと視線を前に向けたまま。
 視線の先では、お下げにしてもらった己の髪を軽やかに振り回し、真新しい靴を鳴らして、濃緑の洋服のスカートの両端をつまみながら踊る様に跳ね回っている親友の姿。
「さとり様」
 次に眼下の自分の体、真っ白なシャツに、綺麗な緑色のスカートを見下ろしながら。
「うん?」
 ようやく梳き終ったと判断したのか、それともこれ以上の対決を諦めたのか、ややぼさっとしたままの長い長い黒髪を、持ち主のスカートと同じ色のリボンで纏めようとしながら、さとりは続きを促す。
「私、マントが欲しい。かっこいいの」
 決心したように真面目な声でのその言葉に、少し主は脱力してしまう。
「……ええ、わかったわ。あなたに似合うとっておきのを、その服と同じように、作ってあげますからね」
 肩越しに、まだ裸足の、胡坐をかいているその足も見ながら。
「靴もね、あなたの大きな足に合うように。早く出来るように頑張るわ。別にお燐だけを贔屓しているわけじゃないのだから、ほら」
 もたれかかるように頭に抱きつかれて、ようやく空の心は普段通りの色になった。





「任せてください! 何でもやります!」

 空は目の前の操作盤と睨み合いながら、自信満々の己の発言を後悔し始めていた。
 主は言った、簡単なことよ。
「すぐ覚えられるわ……か」
 がしがしと、頭をかいて。
「体ばかり大きくなっても、頭が前と同じじゃあ……」
 ふぅ、と、ついた溜息と共に、からからと車輪の音が聞こえた。
「そう、前と同じの頭じゃ意味がないさ、お空」
 死体で満杯の猫車、それを押すは火車。
「うっさいなぁ……」
 主に任せられた仕事は二つ。
 一つ、地霊殿の下に封じられた、旧灼熱地獄の火力調整は空が。
 もう一つ、その地獄にくべる、燃料代わりの死体集めをお燐が。
 二匹は喜んで、主の為になれるなら、と、一も二もなくその仕事を引き受けた。
「ならさ、お燐は前より頭の程度は良くなったっていうの?」
 拗ねたような問いに、燐は苦笑しながら。
「元々前から、あんたよりは上の自負があったけどね……ああ、頭の程度は確かに上がった気がするよ」
 そして、一瞬だけ、笑みを消す。
「上がりすぎたくらいだ」
 その時はまだ、それがただの自慢くらいにしか、空には聞こえなかった。








 思考の海から、息継ぎのように戻って来ては。
 昔時の業火を眺めながら。
 また空は潜っていく。





 それ以外に、どうしろというのだ。










「でもね、そんな立派な姿になれたのだから……もうあんまり、ここへ来ちゃ駄目よ」
 どうして?
「……そうね、あなたを傷つけたくないから」
 何を、傷つくことがあるというのだろう。
「ふふ、そうね、違うわ……本当は、私があなたに嫌われたくないだけなのよ。ただの私のわがままなの」
 嫌ったりなんて、それこそ、するはずがないじゃないか。
「ありがとう……でもね、きっと、それはやっぱり起こってしまうわ。そして、それはあなたの所為じゃないの」


 それはとても自然なこと。


 そう言って、頬を撫でる手。
 寂しそうに笑う笑顔が、焼印のように脳裏に刻まれる。
「ごめんなさいね、辛い仕事も、任せてしまって」













「仕事を任せるのは」
 燐が笑っている。笑っているのに、その顔は、楽しそうとは全く違うようで。
「遠ざけるためなんだろうね」










 関係ないじゃないか、そんなこと。
 一緒に行こう、また、昔みたいに。
「ダメだよ、あたいは行けない」
 何で。
「……行かないよ」
 どうして、そんな顔で。





 遠ざけられて。
 遠ざかって。
 私だけが、どちらにも動けない。
















 打ち捨てられた廃獄に吹く風の寒さ。
 寂しそうに笑う主。
 主から遠ざかる友。


 空にはわからない、その理由が、何もかもが、わからない。
 わからないから、考える。
 考え続ける。
 この廃獄で許された行為なんて、それくらいしかないのだから。






 それで、考え続けて。
 私は、一歩でも、前に。














 何度目かの息継ぎのような覚醒と共に、赤い海のその先を空ろに見続けていた目に色彩が戻った。
 体を巡る様に、全身の感覚が戻り、開かれていく。
 その途中で、開いた一つの感覚が強烈な存在感を感じ取った。
 弾かれたように背後へ向き、同時に構える。
 睨みつける空の視線の先、地霊殿地下、捨てられた灼熱地獄火力管理所調整室、その入口に、二つの影があった。
「ふむ、まだ使えるようだね」
 一つ、背の高い紫色の髪。
「使えなきゃ困るだろう。それより、奴さん気づいたみたいよ」
 もう一つ、子供ほどの背丈の、金色の髪。
 確認と同時、空の次の行動は早かった。
 知らない奴だ、見たこともない奴だ、侵入者だ。
 ならば、倒して、排除して。
「地獄の薪にくべてやる」
 構えから、一足で飛び、間合いを詰めると、まず紫色の髪へ蹴りつけた。
「おっと」
 五間ほどから瞬時に飛んできたそいつの攻撃に、紫髪は軽い驚きの声をあげつつ、空中、斜め上から打ち下ろされるそれを頭を下げて避ける。
 避けられた空も軽く驚きつつ、すぐさま追撃、振り下ろした足を地面に着地から、一回回って勢いを乗せた拳を。
「やるねぇ」
 しかし、相手の顔面に飛ばした拳は掴んで受けられ、握り締められていた。
「あんたら誰よ」
 掴まれた拳が、引くにも押すにも動かせない。仕方なく、空はここでようやく相手の正体を見極める問いを発した。
「問う前に攻撃たあね、教育がなってないんじゃないかねぇ」
 先の攻防を特に緊張もなく見ていた金髪が、欠伸混じりに口を開いた。
「いいや、むしろそれはよく教育されてるってことじゃないか?」
 軽く笑いながら紫髪、その視線は空を見ている。
 質問を流された怒りを、軽く視線にこめて空も紫髪を睨み返した。
「ふぅん、おい鴉」
 睨む空を受けて、紫髪は己より少しばかり背の低いその黒い瞳を覗きこむ。
「お前さん、相当強そうだね」
 瞳から、視線は全身を、値踏みするように舐め回し。
「おいおいちょっと、そいつでいいの?」
 訝しげな顔をする空を、金髪もまた見つめながら。
「適任だと思うけどね、私は」
「……ま、好きにしたらいいさ。も少し扱いやすい奴の方がいいと思うけどねぇ」
「ちょっと! 私を無視す――」
 自分を置いて、どんどんと会話を進めていくその姿に、流石に空も怒りをぶちまけようとした、その時。
 紫髪が再び空の瞳に、その瞳を合わせ、その瞳孔が蛇のように、縦に。
「――っ!?」
 突如、全身に何かが絡みつくような、言い知れぬ感覚に襲われて、空は動けなくなった。
 身体も、顔も、視線も。
「ちょいとね、お前さんを利用させてもらうよ。悪く思うな」
 紫髪がゆっくりと動く、手の平を空に見せつけるようにその目の前へ。
「代わりといっちゃあなんだが、力をやろう」
 その広げた手の平から、目を開けていられないほどの光を発する球体が現れたのが見えた。
「まあ、私達がお前を使うのに変わりはないが……神の施し、それをどう使うかはお前次第さ」
 その光球が、ゆっくりと漂って、空の体の中へ入り込み。
 体の内側から燃やされるような熱さを感じて、そこで空の意識は弾け飛んだ。















 わからない、わからない。
 わからないなら、わかるようにすればいい。
 どうやって?
 簡単だろう?










「――空、お空!!」
「んあ!?」
 ゆっさゆっさと身体の動く感触で、お空は目を覚ました。
 目の前は赤、隣は深い緑色の服で。
「お燐……どったの?」
「どったの? じゃないだろ!」
 半分起き上がったお空の脳天に、ずびしとお燐の手刀が刺さる。
「? ?」
 表情全体をまんべんなく使って疑問を発するお空に、溜息をつきながら燐は言葉を続ける。
「あんた、仕事ほっぽり出してここでぐーすか気持ちよさそうに寝てたんだよ」
「へあ!? 寝てたぁ!?」
 ようやく素っ頓狂な声を上げて状況を理解した空に、燐は二度目の溜息を。
「うっそ……そうかぁ、寝ちゃってたのか……」
 次にどすんと声のトーンを落として、空は静かに呟いた。
 同時に、覚えの悪い頭で必死に寝る直前のことを思い出そうとする。
 考え込んで、ずっと火を見ていて、そして、二人組の妖しい。
「っ!?」
 そこに思い至った瞬間、ばっと顔を上げて周囲を見回す。いない、奴ら、影も形も。
「お燐……あんた来た時、私以外にここに誰もいなかった?」
 突然の行動と真面目な声に、やや面食らいながらも燐は答える。
「い、いや、いびきかいてるあんた以外はいなかったと思うけどね……」
「痕跡も?」
「ああ」
「そっか……」
 気が抜けたように胡坐を組んで、空は深く息を吐いた。
 寝てた、というし、夢だったんだろうか、あれは。
(神の施し……ねぇ?)
 そんな夢を見てしまうほどに、私は……
 自嘲とも、後悔ともつかないような感情を、吐きだす息に乗せながら。
 傍らの、不思議そうな顔をしているお燐を見上げる。
 その時、ドクンと、空の体内、胸の辺りで、自分のものとは思えないような鼓動の音が響いた。
「……お燐」
 それに押されるように、ゆっくりと、口から零れ出た。
 未だに、勇気があるのかどうかはわからない。
 でも、こんな風に寝てしまって、あんな夢を見て、これからもずっと考え込むくらいなら。
 もう一度の、鼓動。
「あんたの仕事、ついて行っていい?」
 知りたかった、色々な疑問の理由が。
 まずは変わってしまった、友人のそれが。
 問われた猫は、一瞬酷く驚いて、それから傍目に少し悲しそうな顔になって。
「なんでだい?」
 静かな声が問い返してきた。
「……知りたいだけよ、あんたの仕事を」
 話してくれた程度にしか知らないそれを。
 一度も見たことがない、それを。
 仕事を始めてから、変わってしまった燐の事を。
 考え込んでいた、その理由を。
「……」
 燐はゆっくりと目をつぶって、何かを思っているようだった。
 少しの時間が過ぎてから。
「そっか……そうだね、あんたも……少しは知っておくべきかもしれない」
 吐きだすように、そう溢して、燐は空を見た。
 空も燐を見ていた。
「そうさね、じゃあ、明日辺り」
「うん、それでいいよ」
 それから二人は、どちらともなく、いつものように笑う。
「ああ、久しぶりだね、お燐と旧都へ行くのは」
 この姿になれる以前以来だっただろうか。
「前みたいに遊びに行くんじゃないだよ、まったく」
 空は燐の後ろに回ると、少し背の低いその首に抱きついて、顔を寄せる。
「地霊殿にも寄って行こうよ、二人で久しぶりに顔出してさ」
「ああ、それもいいねぇ」
 優しく、首の後ろから胸の前に回された空の手に、燐も自分のそれを重ねた。
















「あら」
 紫色の短い髪を揺らして、書類を睨んでいた顔が上げられた。
 視線の先には、何やら顔を赤くして、もじもじとしている背の高いボサボサの黒い髪と。
 その隣で似たような様子の、赤いおさげ。
 見えるのは、嬉しさと気恥かしさの混ざった色。
「あの、あ、あの、その……おひ、おひ……」
 妙に甲高い声で、黒い髪の鴉は必死に言葉を紡ごうとする。
 回らない口より、よっぽど、顔の方がわかりやすい。
 この子は、本当に。
 いつも真っ直ぐな心の色。
 あの子達だけじゃなく、自分も少しは抱いていた複雑な気持ちを、一発で吹き飛ばされてしまったような。
 そんなことを思いながら、自然に出てきた優しい笑みを乗せて、紫色の髪も、その言葉になっていない挨拶に応える。
「ええ、久しぶり。そして、お帰りなさい」
 そう言って、同時に広げた手に向って、先程までの羞恥はどこへやら、目の色を変えて喜色満面一直線に駆けてくる二匹を見て、笑顔は引き攣り。
 数秒の後、普段あまり動かさない体には相当堪える衝撃が来た。



「今日はどうしたの?」
 ソファに座る紫色の髪の主、さとりは、己の腿へ寝転がる様に頭をあずける空を優しく撫でながら尋ねかける。
 頭に触れるその感触に酔うように、空は目を細めるだけ。答えに、声は必要ない。
「……そう、お燐の仕事へついていくのね」
 主の、少しの驚きと切なさを含んだように響く声。空が静かに心に疑問の色を混ぜるのを、さとりは何でもないと教えるようにその頬に優しく触れる。
「お燐は、それでいいの?」
 もう片手で、後ろから、主の首へ抱きついて顔を寄せる燐の頭も撫でながら。
 燐も、声は出さない。目をつぶったまま、少し悲しそうな顔をして。
「……ええ、そうね。あなたがそう決めたなら、私に止める権利はないわ」
 その心を口には出さないで、さとりは燐の声に答える。
「ごめんなさいね、あなたにばかり……本当は、私がすべきことなのに……」
 優しく、優しく、せめて自分の心も伝わるようにと、さとりは燐の髪を梳くように撫でる。
 そんな二人のやり取りをわけもわからずに聞きながら、こっちもつられて不安そうな色をする空の心に、さとりは苦笑しながら。
「あらあら、ごめんなさい。久しぶりに会ったのに、不安にさせるばかりで」
 ぽんぽんと、優しく空の頭を叩いて。
「大丈夫よ、私も、お燐も。それより、ほら、何か話したいことがあるのなら、いっぱい話していくといいわ。ちゃんと全部、ゆっくり聞いてあげるから」
 その言葉を聞いて、一気に二人からがやがやと溢れ出てきた心の声に、さとりは仕方ないと言った風に溜息をついて微笑むと、両目を閉じて、胸の目を澄ませた。




 そろそろ出発の頃会いになって、名残惜しそうに別れを告げながら出て行こうとする二匹。
 そんな二人を見送りながら、しかし、さとりは一瞬少し迷うような表情をして。
「お空……」
 意を決したような声で、その名前を呼んだ。
 不思議そうな顔で振り向く空。
 燐は何かを察したように、一度悲しそうな目で二人を見て。
「……先に行ってるよ」
 そう言い残して、すたすたと外へと向かっていった。

 呼びとめられた空は、主人と真正面から向かい合う。
 主人よりもう、大分高い背丈。見上げる視線と、見下ろす視線。
 そして、見下ろす先のその人が、ゆっくりと口を開く。
「ごめんなさいね、お空。私には、先に謝っておくことしか出来なくて」
 この人は、どうしてまた、こんな風に寂しそうな笑顔をするのだろう。
「……あなたがこんなに大きくなってもね」
 そうだ、もう私は、この人と一緒の体になって、大きさだって、私が追い越して。
「お空、あなたの、いつまでも変わらない心が、私には何よりも嬉しかった」
 もっと私に力があれば、こんな顔をさせないですむのかと、そう思って、こうなって。
「でも、誰だっていつまでも変わらないままではいられないわ、あなたもきっとそう。特に、今度は……ね」
 それでも、この人のこの笑顔は、何も変わらない。
「でも、それで自分を責めたりしないで、燐のことも、他の誰のことも……悪いのは、誰でもないわ」
 それなら、もっとだろうか、今よりもっと、私に力があればいいのだろうか。
 見上げる主人のその顔を見つめながら、空はどういう表情をしたらいいのかわからず、ただ少し悲しそうな顔のまま、零れていくだけ。
「そんな心を、しないでちょうだい……」
 映る、空のようなそれが、深い、深い、いろんな苦悩と悲しみの色がまざって、暗くなっていく。
 そうなってはもう、よく読み取れないそれに対して、さとりはゆっくりと、空の目の端に溜まった涙へ腕を伸ばして、優しく指を伝わせることしか出来なかった。








 そうかい、お前は、力が欲しいのか?










 明らかに何やら沈んだ様子で門へ来た空を見ても、燐は何も言わなかった。
 猫車を押しながら、自分勝手に歩きだすと、その後ろを空も追いかける。
 しばらく無言で歩いてから、燐は何気なく問いかけた。
「調子悪そうじゃないか、やめにするかい?」
「誰がよ」
 憎まれ口一つで、ようやく空は調子を取り戻しながら。
「……いや、きっと、行かなきゃいけないんだよ……さっきまでみたいな気持ちに、ならないためには」
 自分に言い聞かせるように呟くそれに、燐は何も返さなかった。
 二人は、ただ淡々と歩き続ける。
 旧都へ、追い払われた妖怪達の住む地底の都へ。



 地霊殿からしばらく歩けば、その街の光が見える。
「お空、あたいの仕事が見たいって言ったね、その言葉に嘘はないかい?」
 旧都を前に、燐は振り向いて尋ねた。
「嘘があったら、さとり様にバレてるでしょ?」
「……そういや、そだね」
 互いに真っ直ぐ見つめ合って、燐は笑わなかった。
「なら、後悔するなよ、お空」
 私の。
「火車の仕事がどういうものか、とくと御覧じなさるがいいさ」
 そう呟くように言い放つと、背を向ける。
 そして、夜の旧都、夜しかない旧都、その天井へ目がけて、燐は吼えるような鳴き声を一度放った。
 火車の声と同時に、猫車片手に飛び上がると、その足から、腕から、空を、地を滑る火車のそこから、青白い火が噴き上がる。
 火焔の車輪。
 火車は旧都へと炎の渦が降りかかる様に、奔りながら降り立った。


「火車だ」
 火車が来たぞ。
 旧都が街に、辻に響く警告の声、忌むべきそれを見つけた声。
 その只中を、燐は駆けていく。炎と共に、笑いながら駆けていく。空はその後を必死で追いかける。
 その妖怪は亡骸を奪う、死体は物だ。火車の見るそれに、それ以上のものはない。
 忌わしい。忌わしい。
「忌わしい」
 行く通りから声が飛ぶ。
 忌わしきは火車、火焔猫、地霊殿の怨霊猫。
 応えるように、炎を噴き上げながら燐は鳴く。高い、高い、獣の声で。
 後ろを行く、空の目に映る光景はそれ。普段とは全く違い過ぎる友人の姿、聞いたこともない忌避の悲鳴、嫌悪の怒声。随分前に旧都へ遊びに来ていた時とは、まるで違う。
 そして、燐の上げ続ける鳴き声に、堪えようのない喜色が混ざった。
 見つけたのだ、死体を。
 通りの裏から外れ、誰に看取られることもなく死んだそれ。何の妖怪かもわからない、旧都で妖怪が死ぬことなんて、日常茶飯事なのだ。
 しかし、そんな無縁の仏にも、人だかりは出来る、出来ている。中には、どこかへ葬ってやる心を持った者もいるだろう。
 それでも、燐はそこへ行く。火車が行く。火車が来れば、人だかりは道を開けた。まるで避けるようにその死体から遠ざかる。
 その人だかりが、一様に抱く想いと声はただ一つ。
 忌わしい。何て奴だ。
「捨てられた廃獄の、火焔猫め」
 しかしそんな言葉も聞こえない風に、燐は見惚れるようにうっとりとその死体を見つめると、無造作に猫車へと放り込むように乗せる。
 廃獄の鴉は、それを見ている事しか出来ない。本当は、本当は、自分の何よりも大事な者を罵倒するその言葉を、止めるために動かなくてはいけないはずなのに。
 どうして、この体は、固まったように動かない。どうして、燐はそれを受けて平然としているのだ、あんな風に――。
「恐ろしい、恐ろしい」
 通りの声は響き続ける。
 恐ろしきは火車。
 そして、もっと恐ろしいのは。
「地霊殿の、古明地の、飼い猫め」
 そう、何よりも恐るべきは、その主人。忌むべきは、かの覚り。
 誰からも嫌われる、地霊殿の主。
「家畜がこれなら、主も主だ」
 しかし、何よりも、主の名前が出た瞬間は、空の硬直も最初からまるで存在しなかったのように解けた。
 一瞬で、吼えかかりながらその言葉へと向かって行こうとする。
 だが、行動は燐の方が早かった。
 一際高く怒鳴るような鳴き声を上げると、燐の周囲から噴き出た火が声を襲う。通りを抜けて、天井へと上る。
「火車め、火車め」
「早くお前達の住処へと去ってしまえ」
「打ち捨てられた灼熱地獄へ」
 だが、それでも声は止まない。火車はまた、炎を噴きながら駆け出す。
 空は一度舌打ちすると、腹いせの威嚇の鳴き声を響かせながら、その後を追った。



 燐は、後を追っていた空は、人気のない街外れでようやく立ち止まった。
 そうしてこちらを向かぬ友人の背を睨みながら、空は荒れた声を上げる。
「これが、お燐」
 こんなものが。
「これが、あんたの仕事だっていうのか!?」
 どうして、こんな。
 私の仕事はまるで違う、こんな、誰からも。
 怒りとも、悲しみとも、何ともわからぬ何かの感情がただ空の中をかき乱す。
 それに任せて睨んだままの目の前の燐が、くるりと振り向いた。
 火車の噴き上げる炎の残滓と共に、真っ赤な目がこちらを睨み返して。
「そうだよ、これが火車さ! これがあたいだよ!」
 燐が笑っている。
 本当に嬉しそうに、楽しそうに。
 空は笑えない。私は、そんな風には。
「どうして……」
 呆然と、呟いたその言葉に反応して、燐は笑顔に諦めを混ぜて。
「仕方ないだろう、どこまでいっても、これがあたいなのさ」
 瞬間、空は燐に飛びかかって、胸倉を掴み上げていた。
「そんなこと言うな! そんな……!」
 そんな、あの人みたいな笑い方を。
「どいつだよ、どいつが、私の、私の主を、私の親友を嫌うんだ! 言え、私がそいつら全員……!!」
「全部だよ」
 静かに燐は呟いて、空が掴み上げるそれに任せたまま、力のない瞳を向ける。
「この地底全部さ、お空。それがあの人だよ、そして、あたいだ」
 その言葉に、空は一瞬本当に、純粋な絶望の色をして、力の伝わらなくなった腕が、燐を放した。
 そして、何かに請うように上を向いた。
 見上げたそこは、何もない、ただの暗い、夜の壁で。私の心のようで。
 どくん、と、また体内で、胸の中で、変な鼓動が響いた。
 どくん、どくん。
「――っ!!」
 今の心を、体を、鼓動を、その全てをどうにも処理しきれずに、たまらずお空は駆け出した。
 方向は、行き先は、わからない。
 燐が追ってくる気配もない。
「ああ……」
 駆け続ける、空の口から溢れ出る。
「あああぁぁあああぁあぁぁ!!」
 泣き声のような。



















 気がつけばまた、空はここにいた。
 忌まれて、打ち捨てられた、廃獄。灼熱の炎の海。
 何もかもを燃やすそれを眺めながら、空は考える。



 この廃獄で許された行為なんて、私に出来ることなんて、それくらいしかないのだから。



 どうやってここへ来たのか、道順も何も覚えちゃいない。
 ただ走って、走って、どうしようもなく走って。
 地霊殿を通って来たのだろうか。それは、なさそうだ。
 何故なら、今は絶対に、主人に、さとりに会いたくはない。
 黒くて、暗くて、どうしようもない、こんな感情を、心を、見られるのが嫌だった。
 こんなものを、あの人に、見せたくなかった。
「なぁんだ……」
 少し笑って、空は呟く。
 そうか、お燐がさとり様に会いたくないわけは、こういうことだったんだな。
 何のことはない。
 簡単なことだったんだ、考え続けなくなたって、一歩踏み出せば。
 燐が主人に会いたくないわけも。
 あの人が、あんな風に笑う理由も。
 ここに、こんなに冷たい風が吹く理由も。
 全部、私達が嫌われて、怖れられているからなのだ。
 空は笑う。
 それは、ずっと考え続けていた笑顔。
 大事な人に、そんな風に笑って欲しくなかった。
 その笑顔を、笑い方を、今は空自身がしている。
 そうしなくては、どうにもなからなかった。
 そうだ、笑うことの何が悪い。
 いいじゃないか、ずっとずっと、考え続けていたことがわかったんだ。
 いいことじゃないか、目出度いことだろう?
 それで。


 それで、考え事は、全部解決した?


 そうだ、そうだろうか?
 じゃあ、何でこの廃獄も、主人も、お燐も、嫌われて、捨てられたんだ?
 あの人が、私達が。
 嫌われる道理が何処にあるんだ。
 さとり様は、この世界中の誰よりも、誰よりも優しい方じゃないか。
 お燐は、お燐は、この世界中の誰よりも、誰かを想えるいい奴じゃないか。
 何でだ、何で二人が嫌われなければいけない。
 何で私達はここに追いやられた。
 ここがどこか知っているのか?
 地獄すら、地獄からさえも、見捨てられた廃獄だぞ。


 ここが私達にあてがわれた場所か?
 最後にあてがわれた場所だ。


 主人は地上から追いやられ、私達は地底からすら追いやられた。
 地の底はここだ、底の底だ。お前達は、地上からも追いやられ、それでもまだそこからも下を作るのか。


 違う、ここは廃獄などではないぞ。
 何も違わない、ここは打ち捨てられた廃獄だ。


 ここには忘れられた何もかもがあるのだ。
 忘れようとして押し込めただけだろう。


 お前が望むものがある。
 何も望むことなどない。


 望めばいい。
 ただ一つだけ、望めるならば。


 それはきっと与えられる。
 ここから。


 望め。
 ここを。


 霊知の炎、その
 私が何かを変えられる





 力を








 ただ、胸の内側を食い破って、何かが表れようとするような感覚と。
 血液の全てが沸騰するような熱さ。
 右手の肘から先の感覚も狂って。
 そこで空の意識は一旦閉じた。












 視線の先には、よく見知っている奴がいる。
 そう、いるはずだ。
「……こんなとこで、何をしようっていうんだよ」
 振り向いたのは、お空のはずだ。
 空のはずだ。






 がらんとした火力調整室に、温泉卵を投げ出してきてしまった。
 これを差し入れて、慰めて、元気づけてやろうと思っていたのに。
 落ち込んで、いつもの場所でしょぼくれてると思っていたのに。
 気にしないでいいのだと、言ってやろうと思っていたのに。
 まあ、いい、どうせ連れ戻すのだから。それから二人で食べればいい。
 燐は走るように飛ぶ、赤熱の海の上を、普段より奥へ、いつもより奥へ、さらに奥へ。
 燐には用途もわからぬような金属や設備の残骸が増え、鈍く光沢を放つ巨大な扉を前にすれば、そこは、この廃獄の最深部である。
 一度しか、来た事はない。お空と二人で。
 扉の奥には、何もなくて、結局つまらなくて戻って来たのだ。
 それで、何でまたこんなところへ来たというのだろう、あいつは。
 こんな、何もない場所へ。





 いや、何もなかったわけじゃない。





「使い方が、わかっていなかっただけだったんだ」
 振り向いたのは、誰だ。
 胸を食い破る様に、白のシャツすら突き抜けて炯々と塗れる真っ赤な目。
 肘から先が、棒のような何かになっている右手。
 わがまま言って作ってもらった皮靴はどこだ。
 その石みたいな足と、光球が周囲を回る黒い足なんか、あいつは。
「誰だい……」
 呆然と漏れ出た呟きに、よく見知った顔が笑みに歪む。
「私に決まってるでしょう、ねえ、お燐」
 あんたは、そんな姿、していなかっただろう。
「……こんなとこで、何をしてるのさ……!」
 目の前の笑顔とは対照的に、燐は鋭く睨みつける。
「何って……そうだね、どこから話そうか……」
 目の前の異形は、変わらぬ笑顔のまま。
「そうだ、私もさ、お燐やさとり様に隠し事をしていたんだ」
 見渡せば、黒光りする金属に囲まれている。何もない、ここには何もない。
「私は、ずっと考えていたの。ここのことや、あんたのこと、さとり様の笑顔のこととか……」
 猫の耳が、少し震える。
「意外だった? でも、私だって考えるよ。だってここじゃあ、それ以外何をしろって言うのさ」
 円環のようにグルグルと回る思考の果ては。
「それでも、答えなんて出なかった。いつまで経ってもね、まあ、私の頭じゃ仕方ないかもしれないけど……」
 そして考え事は、答えの出ないまま次々と。
「そんで、今日さ、また考えることが色々と増えた。あんたの隠し事とか、色々ね。考えてると、本当に頭が割れそうで」
 心も割れそうで。
 静かな驚きに飲まれたような目の前の友人を見据えて、空は笑う。
「……でも、まあ、成果はあったよ。答えを出す方法だけは見つけたんだ」
 本当に無邪気な、いつも通りの笑顔に、燐は全身が震えだすような感覚を覚えた。
「何でここは、さとり様は、私達は、嫌われているのかって……」
 空は、ゆっくりと左手を掲げる。
「全部、ここと同じにしちゃえばさ、きっと、わかるんじゃないかな」
 燐の見上げるその左手の先、何かが集まる様に黒い球体が形を作っていく。膨らんで、弾けるようにそれが、熱と、光を。


『CAUTION!! CAUTION!!』


「!?」
 瞬間、燐の頭上と思わしき空間から、聞いたこともないような声が響いた。
 人の発する声ではない、そして、耳障りな甲高い音も同時に鳴り出す。
 音と声の方を向いて一瞬。
「――お空!!」
 そして、すぐさま、燐はその名前を呼んで、目の前の姿に手を伸ばした。
 聞きたいことはたくさんあった。怒ってもいたし、まだ認めてもいなかった。
 それでも、それを全て後回しにさせようとするほどの、焦燥感のような、危機感のような、何かが、燐の体を駆け巡っていた。
 それが、大声で燐に告げていた。
 ここは駄目だ。ここは、まずい。
 これ以上ここにいたら――
 請う様に前を見つめる。


『The code of black sun was recognized. Nuclear-Fusion-Mode was restarted. Evacuate from the reactor core at once.』


 耳を掻き毟るような、理解できない声と音が響く中、手を伸ばした先のお空は。
「お燐……」
 その顔は、その目は、お空で。見つめる先の唇が、声をかき消す音の中、はっきりと動きだけでその言葉を告げた。
「逃げて」


『Welcome back, Subterranean animism, Ancient blaze.』


 一瞬で、弾かれたようにお燐は背を向け、もと来た扉へと走り出す。
 同時に、空の右手が光を放ち、黒の空間は星を得た。
 渦を巻くように光の波が背景を埋め尽くし、何もかもを燃やし尽くす熱が空間を侵食していく。
 一目散に走り出す燐の背後にも一瞬で迫るそれに、背中を焼かれ。
「ぐぅっ!」
 しかし、燐は背後へ手を翳すと、周囲を浮遊していた怨霊達を屍の壁と変えた。
 悲鳴のようなおぞましい叫びをあげながら、屍体の妖精達が燃えていく。燐へ迫る炎の渦を、分散させていく。
 そうしてどうにか熱波を防ぎながら、転がる様に巨大な扉の外へ出た。


『The core shroud blockade.』


 同時に、外へ漏れ出ようとするその灼熱を逃さぬように、背後の金属扉が恐ろしい速度で閉じられた。









 調整室へ戻ってきたその姿は、酷いものであった。
 所々焼け焦げた服、火傷のような傷が露出した肌を傷つけて、炎に包まれた後といった様子である。
 荒い息をつきながら、燐は硝子に覆われた調整機のボタンの一つを殴りつけるように押した。
 遠くで、灼熱地獄を段階でわけて、次々と隔壁を閉じていく音が聞こえる。
 最後、目の前の隔壁が閉じるのを確認してから、燐は座り込んだ。
「これで、しばらくはもつだろうさ……」
 もたせて、どうするというのか。
 すぐにそう考えて、自嘲気味の笑顔に歪む。
 あいつは、あの馬鹿は、全部ここと同じにすると言っていた。
 全部、ここと同じように燃やし尽くすっていうのか?
 ここと同じように、打ち捨てられた場所にしようって?
「馬鹿……!」
 そんなことしたって、変わらないんだ。
 あたいも、さとり様も、あんただって……。
「そんなことで、何も変わりやしない……」
 捨てられた理由も、嫌われる理由も、あいつは、空は理解できていない。
 盲目的に、自分の見える範囲のことだけを信じ込んでいるだけだ。
「馬鹿……馬鹿……」
 吐き捨てるように呟く声に、くぐもったような嗚咽が混じり始める。
 でも、そう信じ込ませてきたのは、自分じゃないか
 さとり様ではないか。
 せめてあの子だけは、と、壊されないように守ってきて、結局壊してしまったのは、自分達だ。
 あいつの意思も考えず、何も教えなかった自分達だ。
 何が守ってきただ。本当に守られて、救われてたのは。
「あたいと、さとり様だったんじゃないか……」
 今、こんなことになって、ようやく燐は気づいた。
 お終いだ、もう終わりだ。
 空は、あのお空が見つかれば、きっと始末される。
 今のお空がどれほど強いとしたって、鬼達に勝てるわけがない。
 燐は、震え始めた自分の体を、抑えるようにかき抱く。
 さとり様だって、きっと今のお空を見たら――。
「助けておくれ……」
 半分以上泣き声の混じったその嘆きが。
「誰か、あいつを、助けてやっておくれ……」
 空のない地底の廃獄に響いて、かき消された。
















 漂うように浮きあがったまま、星を見ながら空は考える。
 霊知の炎、原初の信仰。
 何もかもを燃やし尽くし、還元する熱に包まれたここが。
 何故だろう、ここが。



 一番、寒い。



 金属の隔壁扉が開かれる。



「ようこそ、地上。さあ、私と、私達と一緒になりましょう」
この話は、廃獄ララバイを聞きながら読むといいかもしれません


前回からずいぶん間を開けて、ようやく書き上がりました
自虐も出来ない遅筆は辛い
そんなこんなで、こんなドロドロとして薄暗い雰囲気の話を最後まで読んでいただきありがとうございます
内容としては、プレストーリー地霊殿って感じでしょうか
元々、「廃獄ララバイ」というBGMが大好きで、いつか自分の中のそれに対するイメージの作品を書こうと思って
ようやく出来上がったのが今回のこれです
書いてる途中でタイムリーにお空の非参戦を知ったり、いやあ良かった良かった、お空はかなり好きなキャラなので
…無駄なことばかりのあとがきですみません
最後に、劇中の英語の部分ですが、それっぽい雰囲気を出したくて適当に翻訳サイトなどを使いながら書いてみただけなので
正確な文法とか単語とか、つっこまれたら恥ずかしさで泣いてしまうので、雰囲気だけを感じてみてください
なんとなく、自分の中で灼熱地獄は無機質な機械要塞っぽいイメージだったんです、格融合炉ですし、火術要塞みたいな

とにもかくにも、無駄なあとがき含めてここまでお読みいただきありがとうございました
待ってる人がいるかはわかりませんが、次回作も近い内に投稿できるように頑張ります、では
ロディー
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コメント



0.4360簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
全力で応援したい。
抉られるような、掻き毟りたいような気持ちにさせられました。

忌み嫌われた者たちの街で罵声を浴びせられる火車にぐっと来ました
16.100名前が無い程度の能力削除
暗く沈んだ雰囲気作りが素晴らしく、強く引き込まれるものがありました。

次回も期待してます。
頑張ってください。
20.100名前が無い程度の能力削除
廃獄ララバイを聴いているとステージとは裏腹の寒さを感じていました。
その寒さがそのまま文になったようで驚いています。
次回作も期待しています。
21.100名前が無い程度の能力削除
非常によかったです。
文句なしに100点です。
33.100名前が無い程度の能力削除
胸をうつものがありました。
素晴らしい作品だとおもいます。
36.100名前が無い程度の能力削除
読んでいくにつれて気温が下がっていくように感じました
燐に火車としての仕事を与えた時のさとりの苦しみはいかほどのものだったのでしょうか
39.90名前が無い程度の能力削除
読めて良かった。

本当に読めて良かった。
43.100デン削除
お空の心情描写に半端なく引き込まれて一気に読んでしまいました。
次回作お待ちしております。
49.100名前が無い程度の能力削除
プレ地霊殿としてお空やお燐の心理描写が無理なく描かれていて
面白かったです。
60.100名前が無い程度の能力削除
うわー、凄い良い作品だ。でも何でこんなに評価が低いんだ?
いくら点数が全てではないといっても、内容的には軽く一万点近くいっても
おかしくないクオリティなのに

・時期が悪かった(遅い+新作の時期と被った)
・タグにお空以外のキャラと地霊殿をセットしておらず検索に引っかからない

が原因だろうか……。なにはともあれ、公式オープニングストーリーとして
採用してもらいたいほどの素晴らしいSSを読ませてくれたことに感謝
68.100名前が無い程度の能力削除
えぐい。実にえぐい。
だがそれがいい。実にいい。
69.100名前が無い程度の能力削除
この作品を見ないなんて絶対損してる。

退廃的で良き作品だ。
79.100名前が無い程度の能力削除
息が詰まるほどの暗さと悲壮感、だがそれがいい。
100.100名前が無い程度の能力削除
最高だ