「うっうう、うっうっう~ うっうう、うっうっう~」
フランだ。なにはともあれフランだ。
元気いっぱい、すばらしい笑みで廊下の真ん中を行進するのはまぎれもなくフランドールだ。
たのしそうに失敗した口笛を吹きながら、腕を大きく上下に振って、いちにーいちにー、歩いてくる。
唇を尖らせてはいるのだが、空気がうまく舌にのせられないらしく、完全なただの鼻歌になっている。
これだけでも紅魔館の廊下という何の変哲も無い通路がレミリアには、一面のあまいお菓子の花が咲く、少女の空想の中にしか登場できない伝説のガーデンに変化を遂げていた。
なんて素晴らしい光景に会えたのだろう。だが、しかし今日はそんなものでは収まらないのだ。
百年に一度のお得なセールだった。大安売りなんて目じゃない。もってけ泥棒百割引だ。くれてやる。
自分で言ってて意味がよく分からない。
レミリアは早速商店を一つ赤字で潰すと、目を輝かせた。
瞳に宿ったキラキラ星が、深紅の空を右へ左へ駆け回る。
フランの後ろにはフランがいた。両者とも見まごうことなき本人だ。双子……いや、そんな事実レミリアは知らない。
そしてタイミングを合わせ、これまたうれしそうに、いちにーいちにー歩いている。
電車ごっこ、といっただろうか。レミリアは動悸を抑えきれない。うしろにはまた同じポーズのフランが一人。
そのフランが五人連なって一フランセット。
さらにその両横には肩にベルトをかけて、不恰好に胸にかかえた太鼓を叩くフラン。大きな太鼓に小さな体がミスマッチ。
ちょっと遅れて歩いてくるのは縦笛を吹くフラン。どの子も楽しそうだ。
極めつけは横に四人並んだフランが、長いバトンをくるくる回して雑技に興じている。
この十二人一ダースフランがあとからあとから紅魔館を行進している。
紙ふぶきをフランが豪快に散らす。
同時にラッパを鳴らすフランの一団が、騒々しくもコミカルな雰囲気を作り出していた。
レミリアはガタガタと震えた。
「な、ななな、な…なにが起きているの、咲夜……! 私は天国に迷い込んでしまったのかしら…?」
ここは泣く子も黙る悪魔の館、紅魔館。
巫女には泣かされるが、今朝まで五百年そうだったんだから今日も紅魔館のはずだ。
「う……うん、今日も優秀な掃除係のおかげで首ひとつ落ちてない。間違いないわ」
レミリアは頷いた。懐かしいな。
レミリアがなにとなしに、テラスに足を運ぼうとしていると、目の前をフランの行列が通り過ぎた。それまではいつもどおりだったはずだ。
この館で寄る年波に勝てない唯一の瀟洒な少女が現れる。
咲夜は非常に分かりやすい説明をしてくれた。
「妹様はフォーオブアカインドを使いました」
「うん」
「そして妹様はフォーオブアカインドを使いました」
そしてフォーオブアカインドを使ったわけか。
ありがとう咲夜。
天国へはフォーオブアカインド三回で行けるのか。
レミリアは今朝(夜だけど)二度寝しなかった自分に心から感謝して、自らを落ち着けるために深く息を吸った。
危うく失神しそうになったが持ち応える。もったいない、気絶したら見れないじゃないか。
フランとかフランとか、あとそれとフランドールとかが。
ちなみにここでフランについて不勉強という無差別な虐殺にも勝る大罪を犯している輩に今回は特別に教えてやろう。
フォーオブアカインドとはフランドールが四人に増える極楽への無期限定期券だ。スペルカードとも言う。
諸君らがこれを実感として勉強するときは極楽ではなく地獄への片道切符になるだろうが、そんなことは知らん。
エキストラで負けてしまえ。フランの服を半分とはいえ脱がすなぞ許さん。
「ああ、ちなみにフランについてもっと詳しく知りたいという殊勝なヤツがいれば」
『吸血鬼フランドールのふしぎ ─レミリア学研出版─』を定価2100円で買ってくれれば、今なら初回特典でもれなく私が殺してやる。
いま、一瞬でも食指が動いたヤツはそこを動くな。地上に貴様らがいた痕跡一片すら残さず消滅させてやるクズ共め。
「誰と交信していらっしゃるのですか、お嬢様」
「敵」
レミリアは我に返る。
「あっ!そうよフランよ!」
「はい」
咲夜は答える。
「妹様が…」
「うん…」
「鼓笛隊をやってみたいと仰いまして」
「…うん」
私の耳に咲夜の言葉はあまり入ってこない。
なぜなら陽気に歩く吸血鬼の集団がまた目に入ってしまったからだ。
人間の国を二、三は滅ぼせそうな可愛らしい鼓笛隊が通過していくのをレミリアは見つめ続けるしかなかった。
鼓笛隊とは音楽隊の一種だ。図書館の蔵書で人間文化の知識でも漁ったんだろうか。
フラン。フラン。フラン。
どこをみてもフラン。どこもかしこもフラン。
机の中もベッドの下も引き出しの中からすら出てきそうな勢いだ。スカートの中でさえ油断すればフランが潜んでるんじゃないか。
そうして増えに増えすぎたネズミのせいで、ヨーロッパは黒死病によって滅んだ。動物を媒介にする伝染病は怖い。
羽についた色んな色の煌びやかな輝石のおかげで、館の中は宝石箱をひっくり返したようだ。
ああ、ありがとうフラン。気まぐれを起こしてくれて。
これでおねえちゃんあと千年は戦えそう。
「咲夜……なんて幻想的なのかしら。ファンシーで、キュートで。御伽の国に迷い込んだようよ」
「衣装と小道具を揃えるのがひたすら大変でした。必要経費はあとでお渡しします」
「綺麗ね…星空のよう」
「はい。レミングスを思い出します」
「もし時間を止めてしまえたら、どんなに幸福だろうかしら」
「いま止めましたよ」
感動を共有する咲夜。よく出来た従者にはあとで褒美として給料二十%カットだ。
所帯染みたことばっか言いやがって。すこし空気を読め。
ただ、そんなこともどうでもいいと思えるくらい、フランたちは美しかった。
奇しくもレミリアはこのお祭りのような光景に憧れをおぼえていた。
今も思い出す数百年前。城下を往く人々の行列を遠くから眺め、心を躍らせたものだ。
いつかあの列に混じり、街路をとっておきの洋服と靴で駆け抜けながら遊び歩こうと決めていた。
鼓笛隊の先は虹の袂。さあ走って確かめに行こう。
「鼓笛隊よ、咲夜!」
「はい」
「先頭に行かなきゃ!!」
「川に落ちていってるかもしれませんしね」
私は咲夜の顔面にパンチを入れようと思って、やっぱりいくらなんでも可哀想だと思い、咲夜の顔面にパンチを入れて走り出した。
レミリアと咲夜は高速で廊下を移動する。
「これってどこまで続いてるのかしら!」
「それはですね。館の正面の…」
「あ、待って、やっぱ言わないで!」
心が躍りだすのをとめようが無い。湧き立つ気持ちをそのまま、横目にフランの行進を捕らえながら駆けていく。
どうしようもなくうきうきして気になるが、やはり自分の目で確認したほうがいい。それこそ鼓笛隊の冥利というものだ。
「館の正面の中庭です」
レミリアは咲夜の足を蹴った。
「いてっ」
コイツはいつもこうだ。
目くじら立てて怒るほどではない程度の、これくらいなら逆に本気で怒るとこっちが大人げないってくらいのうまい具合の嫌がらせをしてくる。
いつだか、せっかく博霊の巫女が攻めてきたときもコイツだけは何やってたと思う。一人で掃除をしてた。
……皆で頑張って迎撃体勢をつくってたのに。
趣味でメイド服のコスプレしてるのはいいけど、ちょっとは気を使って欲しいと思う。
レミリアは思い直した。はやる気持ちも楽しむことこそ重要。なにもこの行進はいま終わるってわけじゃない。
なんだ、そうと思えばあまり急ぐ必要もないのではないか。
少し速度を落とし、レミリアはじっくりとフランたちを観察する。
こうして見てみると、一人ひとり少しずつ衣装が違うことが分かる。
どれも可愛らしい真っ赤なフランのお気に入りに変わりないのだが、役によって少々作りが違う。
あっちのフランは足を高く上げるため、タイトな洋服に身を包んでいたし、髪飾りをしたフランはロングスカートのワンピースを振って列を導いている。どれも閉じ込めて置きたいくらいに可愛らしい。
隊列ごとに扱う楽器も違うみたいだ。演奏するマーチによって主役が代わってくるのだろう。
ひとりのフランが転んだ。
吹いてたラッパが床に投げ出される。レミリアのすぐ横で、フランの顔は苦痛に歪んだ。
レミリアは焦ったが、すぐに鼓笛隊に飛び込むわけにはいかないことに気付いた。
整然とした行進に挑んだフランドールに、姉が安易に手助けをすれば本人は傷つくだろう。我が妹にはそういうところがある。
「ああっ、フランが!咲夜どうしよう!」
「え…さあ?」
しかし他のフランは転んだ子を助けてくれなかった。一人のフランのために他のフランが隊列を乱すわけにはいかないのだ。
自分のことは自分でやるしかない。
フランは後ろから続くフランの波に飲み込まれる。
残酷な流れの中、行列に巻き込まれ、すぐに見えなくなっていくフラン。
ああ、フラン。ほんとうにどうすればいいの。
一つの集団が去っていたときに残っていたのは、ボロボロになったフランだった。
蹴とばされ引きずられて洋服が破れている。
だがしかし、そんなフランに追い討ちするように第二のフランの集団が後方より訪れる。
かろうじて最後の闘志を見せたフランは、無様ながらも地面に肘をつく。そこを基点にして身体を起こそうとしているようだった。
がんばれ、がんばれ。レミリアはラッパをもつフランに何度も何度も心の中で叫ぶ。
熱いまなざしを送る。なんともどかしいことだろう。これは
ラッパフランと目が合う。
そうすると、その瞳に勇気が宿った。見てくれる人がいるなら、がんばれる。応援してくれる人がいるなら続けないわけにはいかない。
思わずレミリアは両手を握りこむ。立って、フラン!立つのよ!
痛みに打ち勝ち、フランは立った。
脚を引きずりながらも、急ぎ足で列の位置に戻ると、また高らかにラッパを鳴らす。
そして自分のパートが終わるとすこし恥ずかしそうに、はにかんで、だが暖かい笑みでレミリアに感謝するため一度だけ振り返った。
女の子がしてくれるうちで、幸せに満ちたとびっきり最高の笑顔だ。その顔の、なんと、愛おしい。
レミリアは全身の毛が逆立った。
「わっ…私フランのおねえちゃんになる!!!」
「落ち着いてくださいお嬢さま」
ああもう、なんだこの、なんだ。
「フランーー!フラァァーーーン!」
レミリアは大声でフランたちに手を振る。
こちらから叫ぶと、フランたちは意外にすぐ反応してくれた。
「あー!お姉さまー!」
「ねえねえみんな、お姉さまよ!」
「見て見てお姉さま、バトンがほらっ」
「リボンも練習したのよ」
「あ、ずるい。お姉さまに見てもらうのはわたしよ」
「ひっどーい。わたしが先よ!」
「お姉さま、こっちよこっちー!」
「わぁ…お姉さまだ」
「うっうう、うっうっう~♪」
「わわっ、ちゃんと前見なさいよ。みんなして」
「だってお姉さまがー!」
危うく失神しそうになった。
「うぐっ……!」
レミリアは顔を抑えてうずくまる。
やばいやばい、なにこれ。
赤い液体が床にぽつぽつ落ちる。
レミリアはこのフランの集団に飛び込んでもみくちゃにされたい、強烈な衝動に襲われた。
「お嬢さま…鼻血が…」
「咲夜……」
「はい、如何なさいましたか」
レミリアはフランたちに軽く手を振る。
「私、もう、しんでもいい」
「そうですか」
すると、一斉に歓声が返ってきた。
「ではこの屋敷の資産と土地の所有権は」
「ぜんぶあげる」
なにもかも投げ出して、フランにダイブ。その魅力は計り知れない。
「フラァーン!フゥゥラァァーーーン!」
『キャー、お姉さまー!』
たくさんのフランが、興奮してこちらに身を投げ出す。
レミリアの顔はとろけた。
もう一生こうしてフランの名前を呼び続ける機械になってもいいんじゃないかと思った。
夢中になってレミリアは何度も何度も行列に手を振った。
その度に黄色い歓声が返ってくる。
「お嬢さま。鼓笛隊の先頭にはおいでにならないのですか」
咲夜は普段と変わらない硬質な口調で言った。
「もういいわよ…私、もうずっとこれで幸せ…」
「そうですか」
至福とはこういうことを言うのだろう。
レミリアは柔和に返答したが、しかしそれを受ける咲夜はどこか不満げだった。口調も普段と変わらないのだが、表情にはどこか達観を感じる。それも否定的な。
なにが気に食わないというのだろう。かねてよりチクチク家計簿から抜いていた紅魔館の財産を全てあげてもいいとまで言ったのに。
私は幸せ。咲夜も幸せ。なんの問題があろうか。
「妹さまは待ってらっしゃいますよ」
「それってどういう…?」
意味、と問いかけようとしたところでレミリアは自分の愚かさに気付く。
このままここで停滞するならば、レミリアはただこの妹によってもたらされた饗宴を幸運として享受するだけに終わる。
恐らくいるはずだ。鼓笛隊の先頭の陣頭指揮を取って、行進の最も先端を務めるのは、フォーオブアカインドの大元、分裂前の一番強い自我と力をもった本物のフランドールに違いない。
レミリアはそこまで行かなければならないと思った。行ってどうするのか、とかそういうことは分からなかったが、とにかくレミリアの中で今までの鼓笛隊への憧れとか、妹に対する愛情とかが入り混じって使命感が生まれた。
この素敵なアイディアを思いついたフランに、こちらもとびきりのプレゼントをしなければならない。いったいなにがいいだろう。彼女の幸せのためなら何も厭うまい。
「私はひどい選択をしようとしていたところだった…」
立ち尽くす自分の横を通り過ぎる、淡い期待を抱いてレミリアを横目で気にするフランたちを、せわしなく演奏しながらも自分を意識する妹を、レミリアはしっかりと見た。
うぬぼれではない。姉の目を喜ばせようとしてくれたことなど明白だ。
姉が気にかける妹がいるとき、同様に姉を意識しない妹などいない。
「この事を気付かせてくれた咲夜には感謝しないといけないわね…」
「いえ」
素っ気無く咲夜は答えた。
この咲夜が感情を露わにすることなどそうはない。どこまでもクールに振舞って、為すべき事を完璧に成すのだ。
「あら、貴方も少しは素直になって欲しいわ。珍しく私が人に感謝したというのに」
「…」
「今は妹の愛情表現を受け止めなければならないけれど、何時の日かこうして咲夜もアピールしてくれるといいわね」
「お戯れを、お嬢さま」
だがしかし、だからこそ時々垣間見せる人間らしい表情がたまらなく良い。今もこの無表情の奥に、満ち足りた表情を浮かべる少女を見た。
そしてレミリアはそれを引き出す方法を知っていた。
「今月、お給料三十%アップ」
「イヤッホォォォイッ!!」
ピョーンと飛び跳ねて咲夜は喜んだ。いっそ清々しい。
悪魔の館にふさわしい現金さだ。
「クククッ……」
せっかくの大盤振る舞いだしほんとに投げて渡してやろう。
取りこぼしたらその分は没収だ。しかしうまくキャッチすれば取り分は増える。
レミリアは最悪な上司にありがちな、テンションに任せて部下に迷惑をかけるだけの名案の実行を決意した。
「行くか…!」
レミリアは空を駆けた。
もはや遮るものは何も無い。鼓笛隊の軽やかな演奏をバックに、吸血鬼の恐るべき速度とそれをいとも簡単に制御する身体能力で一瞬に飛翔する。
長い廊下を角まで五秒とかからず。もう一つの角を曲がると一階へと続く大きな階段へと出る。フランたちは延々と歩いていた。
この人数。もしかしたらあれほど増えた状態からさらにフォーオブアカインドを使ったのかもしれない。
紅魔館の館内出口までの後の通路をレミリアが駆け抜ける。
横目で捕らえた立て看板にはこの文字があった。
『更衣室』
レミリアは一瞬でその意味を理解して、硬直した。確かにこの人数の衣装を揃えるなら必要な施設だ。
まさか、あそこにはすし詰め状態のフランが。
しかしまあ、レミリアも齢500である。今更こんな事であらぬ想像で興奮を掻き立てられるほど若いかといえばそうでもない。
従って極めて冷静に、しっかり前方不注意で壁のシミから復活したレミリアは、振り切るように更衣室を飛び去ると紅魔館を疾走する。
どっぷり血液が付着した壁はホラーそのものだ。
「ちなみにあれは、お嬢さま専用のトラップです」
「何のために設置した」
正面玄関の扉を開け放つ。
これを出れば整備されつくした広大な中庭、そして外への門と続く。
広大な敷地。本来ならば紅魔館への来客へ自らの威光を知らしめるために存在するこの庭がレミリア自身に牙を向いた。
罠であった。
一面に敷き詰められたフランドールが、爪を研いで一斉に笑う。
レミリアが館の扉を出るとともに、背後に回りこんだフランにその扉を堅く閉められた。硬い破砕音がして、後ろ手で背中に手を回して笑みを浮かべるフランドールが、錠前を歪に破壊したのだと気がついた。
少女の高いソプラノが何百、いや何千と木霊する。もう可愛らしいなどと言ってられない。
空に、地面に、レミリアの周囲を完全に方位する形で彼女はこちらを覗いている。
赤い瞳には狂気が宿っている。いまや隠すことなく禍々しい能力をレミリアに向けて定めている。
「どういうことかしらフランかわいい。なんのつもりか言ってごらんなさいフランかわいい。紅魔館の当主である私にその手入れの行き届いていない長い爪を向ける事のフランかわいい意味は分かっているの?」
レミリアは眼前の血を分けた吸血鬼を威圧した。
圧倒的な総勢に囲まれなれながらも、レミリアは一向にひるむことはない。
「地下の押し込んだのを不憫に思って多少のオイタなら許してきたけれど、そのせいでどうやら可哀想な勘違いをさせてしまったようね」
もはや状況は明白。この場に及んでは一切思考に妥協は許されまい。反逆、であると考えるしかない。
最初からこのつもりだったのだろう。
優位に喉を鳴らすフランドールは、いかにも嬉しそうにレミリアの苛立ちに応える。
「黙りなよ、間抜けなお姉様。いつだって罠に掛かってからえばってる。お姉様は愚鈍ね?」
「……外出を許すようにしたのは間違いだったかな。汚い言葉ばかり覚える」
「くっ…あはは… 勘違いはお姉様の方。まさか私がお前のこと、好きだとでも思った?」
「きついお仕置きが必要だ。きつい、きついのが」
「外はとても楽しい。それにお姉様を罵る語録が増えて嬉しいわ」
幾百の宝石と牙の中心に佇むフランドールは歌うように言った。
本物のフランドールが口の端を吊り上げると、四方を取り囲む全ての彼女たちが同様に笑った。
「それで一応聞いてあげるけど、何故こんなことをした」
こんな、裏切りを。
騙されて、誘い出されたことをレミリアは後悔していない。
姉は妹の利かん気も悪戯も受け止めてやる必要がある。ただ、これはレミリアの苛立ちを起こすほど、やりすぎだった。
百列の悪魔。地獄の蓋を開けたとしても、ここまで恐怖を喚起する苛烈な光景には成り得ない。
全ての吸血鬼が破壊の能力を有している。それは簡単にレミリアを引き裂けるのだ。
建物の中とは違い、ここには視界を遮るものがない。過剰な瞳すべてがレミリアを確実に捉える。
「わからない?」
フランドールは言った。
「私は本当の自由を手に入れるの」
大きく鳥のように腕を広げる。
両の手が夜空にたゆたう。
「くだらないことを…」
「素敵なことよ。お姉様が知らないだけで。いつだって自分は全部のことを知ってると思うから、きっとお姉様は知らないんだろうね」
「私に分かるのは、そんなものこの世界のどこにもないってことよ」
フランドールは、つまらなさそうに口を開いた。
「いいよもう。理解してくれないのは知ってた」
「分からない子ね。紅魔館でなにか不自由することがあるの? 欲しいものか、不満があるなら言ってみなさい」
「ほら、ぜんぜん分かってない。でもいいよ、じゃあ簡単に言ってみる」
一息吸って間を置く。
「私を外に出して」
「ダメよフラン」
レミリアは言った。
「なんで?」
「危険だから」
「誰が?」
「貴方が。そして周りの者が」
「いつ出してくれるの?」
「取りあえずは……今回のお仕置きの後よ。こんなお転婆をしなくなるようになってからよ」
諌めるために向けたレミリアの視線に応えたのは、明らかな拒絶だった。
「話にならない。お姉様が勝てば私は地下で朽ちていく。一生閉じ込めればいいし、私が勝てば外出を自由にして。それでいい」
「そうやってすぐ自虐的になる癖も直しなさい」
フランドールが、隣のフランドールに寄りかかる。
妖艶さすら感じさせる挑発的な瞳でレミリアを見つめた。レミリアは臆することなく一歩踏み出す。
お喋りの、本物のフランドールの方へと。
「馬鹿な子、自ら力を弱く分散させて。増えればいいのなら私は常に蝙蝠になっている。囲めばいいのなら常に霧になっている。ただ単純な攻撃で壊せば済むのなら、私は千の赤い槍になるわ」
「この数の視線から逃げられる? この庭に来た時点で終わりだよ」
「吸血鬼の王が、誰より数多を打ち破るのに優れた絶対の一であると教えてやろう」
「さようなら。大嫌いなお姉さま」
準備は全て整った。
フランドールは右手を開いた。これは彼女だけが有する彼女だけの戦いのスタイル。
手を開くと始まりで、閉じると終わるだけの簡単なものだ。
しかし対するレミリアが赤い槍を持つことはなかった。
言葉の意味を理解した瞬間の出来事。小刻みに震え出す足。確固たる確信を抱いて地を踏みしめていた両の脚は、すでにレミリアの上半身をただ地面に落ちないようにつかえているだけに過ぎない。
口調だけは意地でも威厳を保ち続けていた。頬を伝っていく一滴。こんな風なレミリアには理由があった。
なぜなら本当はさっきからレミリアは完全に泣いていて、立っているのがやっとだったからだ。
ちょっとタンマと、掠れるような声で言ってレミリアは後ろを向いた。
「む…無理…。もう無理…。ふ、フランが…私のこと嫌いって…。うぐっ…うぇっく……嫌いだって。い、い…言った…」
「あの…お姉様?」
ごしごしと、ピンク色のドレスの袖で顔を拭く。
「フン、またせたな」
「え…あ、うっ…うん…」
なんだか奇妙なものを見た気がしたフランドールは、うんと頷いて仕切りなおす。
「それじゃさようなら、大嫌いなお姉様」
「えぇ、フラン。これは終わりじゃないわ。きついお仕置きの始まりよ」
「コンティニューはなしだよ。ばいばい」
幼い吸血鬼はゆっくりと、破壊の右手を閉じ込める。
一切を見逃すまいと狂気に囚われた瞳をレミリアはじっと見つめる。
「あっ……ご、ごめん。また、な、なんか…きた…ッ」
唐突にレミリアは手のひらで顔を覆う。
「うっ、うぇっ……うぇぇッ!フ…フランに嫌われちゃった…!わた、わたし…やだよ…うぁぁ!」
地面に座り込み、小半時ほどフランドールたちに背中をさすってもらう。
ようやく落ち着いた。
「ま、またせたわね」
「…………うん」
冷たい星明りが二人を照らす。
空にかかった月の下、鳴るのは木々を揺らす風の他は姉の鼻をすする音だけだった。
フランドールはやりづらさを感じながら、相手の挙動に注意を払う。一応お互いの実力は拮抗しているから、安易に第一手目は打てない。
長い沈黙のあとレミリアは小さな声で切り出した。
「パチュリーがね」
「は?」
突然に脈絡もなく出てきた名前に、フランドールは困惑する。
「パチュリーが言ってたの」
「……は、なんて?」
「レミィはすこし傲慢すぎるって。人の気持ちを考えない、って」
この姉は、何を言ってるんだろうか。
フランドールはかける言葉が見つからずただ先を待った。
するとレミリアは唇をかみながら下に俯いた。
「レミィは悪い子だって。私それで…パチェが何言ってるのかよく分かんなかったんだけど…」
「……」
「フランも……そ、そこが嫌で…。私のこと嫌い…なの?」
フランドールは押し黙った。
一縷な望みをかけて、潤んだ目で訴えかける不夜城レッドアイ。
可哀想なことに、不安そうにレミリアは怯えていた。
なんだかもう色々と居た堪れなくなって、フランドールは目を逸らした。そして言葉をつむぐ。
「お姉様、わたしやっぱり一人暮らしする。ダメだわ紅魔館」
それを聞いたレミリアは一気に真っ青な顔をする。
「ダメぇー!絶対ダメ、お外は危ないのよ!ハンターとか、私がどれだけ襲われたか!きっと可愛いフランは真っ先に狙われるに決まってるわ!運命よ、見えるんだからね!」
「だってここ幻想郷でしょ」
「で、でもダメったらダメ!」
フランドールは徐々に肩の力が虚脱していくのを感じた。これはなんだ、アホらしい。まるきし駄々をこねているだけだ
自分の悩みが馬鹿らしく思える。なんかもうやる気を失くしてきていた。
地下に自分の分身を一体でも置いて、姉を無視してどっかでバイトでもすればいいんじゃないかと。
「ねぇあんたら」
八雲紫は虚空から半分だけ現れて、お煎餅をバリボリ食いながら、隙間にひじをかけた。
「しないの、けんか」
ばりぼり。ばりぼり。
「え、しねえの」
ワンドショーでも眺める主婦のように、紫は退屈そうに呆れた。
話の流れをぶった切っていきなり現れて、意味が分からない。
「つまんね」
ばりぼり。ときどきお尻をかく。
知っている。見たことある。この妖怪は(自分にとって)面白そうなことを所構わず野次馬するのが趣味の最低なやつだ。
幻想郷じゃかなり悪名高い。賢者だかなんだかだ。
緑茶を飲み、軽いゲップをしていかにもつまらなさそうに二人のことを見た。意識としては、はぁー…チャンネルかえよう、とかそんな感じだ。
さっきからこいつずっと人んちの姉妹喧嘩を見てやがったのか。なんて野郎だ。
進行に理不尽さを感じながらも、火山が噴火するかのごとく、カッと、レミリアに悔しさが込み上げてくる。
「す…するわよ!!すればいいんでしょう!」
「え…お姉様っ!?」
「ほ、ほらフラン。もう一回口上!」
「わっ…わかった。お姉さまなんてだいっきらい!ギュッとして……」
「うぐっ…!フ、フラ…ン… タンマ、待って…いきなり嫌いって…!」
「紫様、また子供をいじめて遊んでるんですか!それに盗撮はやめろってあれほど何度も言ったでしょう!」
「いいじゃない。私の趣味ですわ」
「紫様が良くてもご近所の評判があるんだよ!!」
再びレミリアは足元にうずくまった。
フランドールは思いっきり眉を潜める。なんなんだこいつは。なんだか段々とイライラしてきた。
辛いなら自分から言わなきゃいいのにそんなこと。思ったときにはすでに罵倒が口から飛び出ている。
「この…馬鹿!馬鹿姉!」
「ひどいわ…!」
「うっさい!なんでそんなに子供なのよ!」
「フランこそ。なんでそんなに怒ってるのよ。言ってくれないと分かんないわ…」
くじけず、対話は心の架け橋とばかりにレミリアは手探りを開始した。
焦りながらも懸命に思い当たる節を言った。
「ど、どれ? この前こっそりお風呂覗いちゃったこと? あと下着をわざと間違えて履いて、これみよがしにきついわねって言ったこと? きつくもないのに。に、日記を読んじゃったことかしら?えっと、それともその……よ、夜に、その…アレ…しちゃってるときにうっかり部屋に入ったときのこと、とか? まさか、五百年間も閉じ込めたこと!?」
レミリアは架け橋に仕掛けられた地雷を次々に踏み抜いていく。
頭に血が集まって、熱病のように体が熱くなるのをフランドールは感じた。
「なんでそれが最後なのよー!」
フランドールが一斉に怒号する。庭先を埋め尽くした吸血鬼の大合唱。
「愚鈍、愚昧、蒙昧!もしわたしが愚者のカードを作るなら、絵柄はきっとお姉様ね!」
「ひっ。ひどい。ひどすぎるわ」
「見た目は園児!頭脳も園児!その正体は、わたしのお姉様!」
たしかに閉じ込めたのも怒ってるけど、と大声でフランドールは叫ぶ。
後ろから式にぶん殴られて、紫は煎餅を喉に詰らせてむせる。隙間の向こうに引きずられて帰っていった。
罵倒されたレミリアは泣きながら反論する。
「だってフランを外に出しても碌なことにならないわ!だって、この頃、あの白黒の魔法使いにずっと熱心じゃない!私を放っておいて!」
「魔理沙は友達よ!それよりわたしの日記読んだのね、絶対許さない!」
「で、でも…英語だから全然分からなかったわよ。だからいいじゃない別に…」
「あれはドイツ語よぉぉ!!」
どっちにしろ読めろよ、と物凄い数のフランドールから反響音のように馬鹿馬鹿言われて、レミリアは本当に自分がバカのように思えてきてしまった。
情けなくって涙が後から後から出る。
「もうやめて…お願いだから。フランに悪くいわれると、私すっごい辛いわ…もう聞きたくない、やめて…」
レミリアは両手で耳を塞いだ。
目を瞑るとフランが消えた。
それでもフランドールは、レミリアの逃げ場をなくすように思いっきり言ってやった。
ちゃんと聞こえるように大声で。
「何よ!お姉さまだって…お外ばっかり行って、これだって、今日だって…お姉さまが構ってくれないから…」
「え…?」
「霊夢ばっかり気にかけて…それで、もうわたしのことなんてどうでもいいって思ってるんでしょ…」
「なにを、フラン」
「こんなに…大好きなのに…なんでかまってくれないよー!!お姉様のバカぁぁーッ!」
レミリアは思い切り目を見開いた。好き、という単語の刺激が大きすぎて思考が空回りする。
彼女の言わんとすることを必死で考えた。そしてその結果は、レミリアが考える中で最も素晴らしいものだった。
「ごめんねフラァァーン!愛してるぅぅー!」
まっかな顔で怒るフラン。
こんな、こんな、単純なことだったのか。
ああ、そういうことか。寂しかったのね。すねてたのね。お姉ちゃん嬉しい。
「ぜったいもう二度と寂しい思いはさせないわ!」
「来ないでーー!」
涙も一転して、レミリアは破顔した。
暖かく、爽やかな感情が身体を駆け抜ける。
倦怠感はすべて吹っ飛んだ。
レミリアはいままでの悲しさとかがみんなそのまま移ったような、鼻水さえ拭けていないが、とても大きい、嬉しそうな顔だった。
気がつけばフランもぶさいくに泣き散らしている。姉妹揃ってなんて不恰好なんだろう。
だが、なんとも嬉しい限りじゃないか。
もうフランドールはすごく怒っていた。吸血鬼なのに目を赤く腫らして、何事かを喚きつづける。
だがその怒りの源泉が自分への依存であると考えると、どうにも諌める気にはなれない。
拗ねた彼女なりの愛情表現を止める理由など、レミリアにありはしないのだ。
「ごめんね今まで気付かなくって。これからはいつでも可愛がったあげるわフラン。愛してる、好き!死ぬほど好きよ!」
レミリアの突撃を打ち払おうと、巨大な剣が出現した。一薙ぎで恐ろしい威力の弾幕が発生する。
館への扉を貫いて、強大な破壊のうねりが大広間に突入する。
鈍い音と共に赤い光が疾駆する。奔流に巻き込まれて紅魔館の一角が大破していった。
さすがに妹の愛で灰になるわけにはいかない。
ぎりぎりで避けたレミリアの視界に、メイド服を着た銀髪の従者が映った。
「あっ、咲夜!お前どこに行ってたんだ!」
なんのついでか、吸血鬼の居ぬ間に家財道具をあさっている咲夜も一緒に吹き飛ばした。
エプロンのポケットから何故かうちの家宝の宝石が転げだす。
驚いた一瞬の隙にフランに後ろから羽交い絞めにされた。すぐさま視界を埋める、フラン、フラン、フラン、フラン。
「お姉様なんかもう知らないんだからっ」
フランたちはお気に入りのセリフで溜めを作る。
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
ああ……こりゃ死んだな…。でもおねえちゃん、大満足…。
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ドッ
『ッカァーン』
フランドール・スカーレット。危険な自我と能力を持った吸血鬼は時々、狂気に囚われて暴走を起こす。
これが紅魔館における、フランの悪戯とそれに怒るレミリアの大体の図である。
幻想郷の危機を引き起こす絶大な力の発動は本日でおよそ二百回目くらいとなる。
が、べつにどうでもいい。
フランだ。なにはともあれフランだ。
元気いっぱい、すばらしい笑みで廊下の真ん中を行進するのはまぎれもなくフランドールだ。
たのしそうに失敗した口笛を吹きながら、腕を大きく上下に振って、いちにーいちにー、歩いてくる。
唇を尖らせてはいるのだが、空気がうまく舌にのせられないらしく、完全なただの鼻歌になっている。
これだけでも紅魔館の廊下という何の変哲も無い通路がレミリアには、一面のあまいお菓子の花が咲く、少女の空想の中にしか登場できない伝説のガーデンに変化を遂げていた。
なんて素晴らしい光景に会えたのだろう。だが、しかし今日はそんなものでは収まらないのだ。
百年に一度のお得なセールだった。大安売りなんて目じゃない。もってけ泥棒百割引だ。くれてやる。
自分で言ってて意味がよく分からない。
レミリアは早速商店を一つ赤字で潰すと、目を輝かせた。
瞳に宿ったキラキラ星が、深紅の空を右へ左へ駆け回る。
フランの後ろにはフランがいた。両者とも見まごうことなき本人だ。双子……いや、そんな事実レミリアは知らない。
そしてタイミングを合わせ、これまたうれしそうに、いちにーいちにー歩いている。
電車ごっこ、といっただろうか。レミリアは動悸を抑えきれない。うしろにはまた同じポーズのフランが一人。
そのフランが五人連なって一フランセット。
さらにその両横には肩にベルトをかけて、不恰好に胸にかかえた太鼓を叩くフラン。大きな太鼓に小さな体がミスマッチ。
ちょっと遅れて歩いてくるのは縦笛を吹くフラン。どの子も楽しそうだ。
極めつけは横に四人並んだフランが、長いバトンをくるくる回して雑技に興じている。
この十二人一ダースフランがあとからあとから紅魔館を行進している。
紙ふぶきをフランが豪快に散らす。
同時にラッパを鳴らすフランの一団が、騒々しくもコミカルな雰囲気を作り出していた。
レミリアはガタガタと震えた。
「な、ななな、な…なにが起きているの、咲夜……! 私は天国に迷い込んでしまったのかしら…?」
ここは泣く子も黙る悪魔の館、紅魔館。
巫女には泣かされるが、今朝まで五百年そうだったんだから今日も紅魔館のはずだ。
「う……うん、今日も優秀な掃除係のおかげで首ひとつ落ちてない。間違いないわ」
レミリアは頷いた。懐かしいな。
レミリアがなにとなしに、テラスに足を運ぼうとしていると、目の前をフランの行列が通り過ぎた。それまではいつもどおりだったはずだ。
この館で寄る年波に勝てない唯一の瀟洒な少女が現れる。
咲夜は非常に分かりやすい説明をしてくれた。
「妹様はフォーオブアカインドを使いました」
「うん」
「そして妹様はフォーオブアカインドを使いました」
そしてフォーオブアカインドを使ったわけか。
ありがとう咲夜。
天国へはフォーオブアカインド三回で行けるのか。
レミリアは今朝(夜だけど)二度寝しなかった自分に心から感謝して、自らを落ち着けるために深く息を吸った。
危うく失神しそうになったが持ち応える。もったいない、気絶したら見れないじゃないか。
フランとかフランとか、あとそれとフランドールとかが。
ちなみにここでフランについて不勉強という無差別な虐殺にも勝る大罪を犯している輩に今回は特別に教えてやろう。
フォーオブアカインドとはフランドールが四人に増える極楽への無期限定期券だ。スペルカードとも言う。
諸君らがこれを実感として勉強するときは極楽ではなく地獄への片道切符になるだろうが、そんなことは知らん。
エキストラで負けてしまえ。フランの服を半分とはいえ脱がすなぞ許さん。
「ああ、ちなみにフランについてもっと詳しく知りたいという殊勝なヤツがいれば」
『吸血鬼フランドールのふしぎ ─レミリア学研出版─』を定価2100円で買ってくれれば、今なら初回特典でもれなく私が殺してやる。
いま、一瞬でも食指が動いたヤツはそこを動くな。地上に貴様らがいた痕跡一片すら残さず消滅させてやるクズ共め。
「誰と交信していらっしゃるのですか、お嬢様」
「敵」
レミリアは我に返る。
「あっ!そうよフランよ!」
「はい」
咲夜は答える。
「妹様が…」
「うん…」
「鼓笛隊をやってみたいと仰いまして」
「…うん」
私の耳に咲夜の言葉はあまり入ってこない。
なぜなら陽気に歩く吸血鬼の集団がまた目に入ってしまったからだ。
人間の国を二、三は滅ぼせそうな可愛らしい鼓笛隊が通過していくのをレミリアは見つめ続けるしかなかった。
鼓笛隊とは音楽隊の一種だ。図書館の蔵書で人間文化の知識でも漁ったんだろうか。
フラン。フラン。フラン。
どこをみてもフラン。どこもかしこもフラン。
机の中もベッドの下も引き出しの中からすら出てきそうな勢いだ。スカートの中でさえ油断すればフランが潜んでるんじゃないか。
そうして増えに増えすぎたネズミのせいで、ヨーロッパは黒死病によって滅んだ。動物を媒介にする伝染病は怖い。
羽についた色んな色の煌びやかな輝石のおかげで、館の中は宝石箱をひっくり返したようだ。
ああ、ありがとうフラン。気まぐれを起こしてくれて。
これでおねえちゃんあと千年は戦えそう。
「咲夜……なんて幻想的なのかしら。ファンシーで、キュートで。御伽の国に迷い込んだようよ」
「衣装と小道具を揃えるのがひたすら大変でした。必要経費はあとでお渡しします」
「綺麗ね…星空のよう」
「はい。レミングスを思い出します」
「もし時間を止めてしまえたら、どんなに幸福だろうかしら」
「いま止めましたよ」
感動を共有する咲夜。よく出来た従者にはあとで褒美として給料二十%カットだ。
所帯染みたことばっか言いやがって。すこし空気を読め。
ただ、そんなこともどうでもいいと思えるくらい、フランたちは美しかった。
奇しくもレミリアはこのお祭りのような光景に憧れをおぼえていた。
今も思い出す数百年前。城下を往く人々の行列を遠くから眺め、心を躍らせたものだ。
いつかあの列に混じり、街路をとっておきの洋服と靴で駆け抜けながら遊び歩こうと決めていた。
鼓笛隊の先は虹の袂。さあ走って確かめに行こう。
「鼓笛隊よ、咲夜!」
「はい」
「先頭に行かなきゃ!!」
「川に落ちていってるかもしれませんしね」
私は咲夜の顔面にパンチを入れようと思って、やっぱりいくらなんでも可哀想だと思い、咲夜の顔面にパンチを入れて走り出した。
レミリアと咲夜は高速で廊下を移動する。
「これってどこまで続いてるのかしら!」
「それはですね。館の正面の…」
「あ、待って、やっぱ言わないで!」
心が躍りだすのをとめようが無い。湧き立つ気持ちをそのまま、横目にフランの行進を捕らえながら駆けていく。
どうしようもなくうきうきして気になるが、やはり自分の目で確認したほうがいい。それこそ鼓笛隊の冥利というものだ。
「館の正面の中庭です」
レミリアは咲夜の足を蹴った。
「いてっ」
コイツはいつもこうだ。
目くじら立てて怒るほどではない程度の、これくらいなら逆に本気で怒るとこっちが大人げないってくらいのうまい具合の嫌がらせをしてくる。
いつだか、せっかく博霊の巫女が攻めてきたときもコイツだけは何やってたと思う。一人で掃除をしてた。
……皆で頑張って迎撃体勢をつくってたのに。
趣味でメイド服のコスプレしてるのはいいけど、ちょっとは気を使って欲しいと思う。
レミリアは思い直した。はやる気持ちも楽しむことこそ重要。なにもこの行進はいま終わるってわけじゃない。
なんだ、そうと思えばあまり急ぐ必要もないのではないか。
少し速度を落とし、レミリアはじっくりとフランたちを観察する。
こうして見てみると、一人ひとり少しずつ衣装が違うことが分かる。
どれも可愛らしい真っ赤なフランのお気に入りに変わりないのだが、役によって少々作りが違う。
あっちのフランは足を高く上げるため、タイトな洋服に身を包んでいたし、髪飾りをしたフランはロングスカートのワンピースを振って列を導いている。どれも閉じ込めて置きたいくらいに可愛らしい。
隊列ごとに扱う楽器も違うみたいだ。演奏するマーチによって主役が代わってくるのだろう。
ひとりのフランが転んだ。
吹いてたラッパが床に投げ出される。レミリアのすぐ横で、フランの顔は苦痛に歪んだ。
レミリアは焦ったが、すぐに鼓笛隊に飛び込むわけにはいかないことに気付いた。
整然とした行進に挑んだフランドールに、姉が安易に手助けをすれば本人は傷つくだろう。我が妹にはそういうところがある。
「ああっ、フランが!咲夜どうしよう!」
「え…さあ?」
しかし他のフランは転んだ子を助けてくれなかった。一人のフランのために他のフランが隊列を乱すわけにはいかないのだ。
自分のことは自分でやるしかない。
フランは後ろから続くフランの波に飲み込まれる。
残酷な流れの中、行列に巻き込まれ、すぐに見えなくなっていくフラン。
ああ、フラン。ほんとうにどうすればいいの。
一つの集団が去っていたときに残っていたのは、ボロボロになったフランだった。
蹴とばされ引きずられて洋服が破れている。
だがしかし、そんなフランに追い討ちするように第二のフランの集団が後方より訪れる。
かろうじて最後の闘志を見せたフランは、無様ながらも地面に肘をつく。そこを基点にして身体を起こそうとしているようだった。
がんばれ、がんばれ。レミリアはラッパをもつフランに何度も何度も心の中で叫ぶ。
熱いまなざしを送る。なんともどかしいことだろう。これは
ラッパフランと目が合う。
そうすると、その瞳に勇気が宿った。見てくれる人がいるなら、がんばれる。応援してくれる人がいるなら続けないわけにはいかない。
思わずレミリアは両手を握りこむ。立って、フラン!立つのよ!
痛みに打ち勝ち、フランは立った。
脚を引きずりながらも、急ぎ足で列の位置に戻ると、また高らかにラッパを鳴らす。
そして自分のパートが終わるとすこし恥ずかしそうに、はにかんで、だが暖かい笑みでレミリアに感謝するため一度だけ振り返った。
女の子がしてくれるうちで、幸せに満ちたとびっきり最高の笑顔だ。その顔の、なんと、愛おしい。
レミリアは全身の毛が逆立った。
「わっ…私フランのおねえちゃんになる!!!」
「落ち着いてくださいお嬢さま」
ああもう、なんだこの、なんだ。
「フランーー!フラァァーーーン!」
レミリアは大声でフランたちに手を振る。
こちらから叫ぶと、フランたちは意外にすぐ反応してくれた。
「あー!お姉さまー!」
「ねえねえみんな、お姉さまよ!」
「見て見てお姉さま、バトンがほらっ」
「リボンも練習したのよ」
「あ、ずるい。お姉さまに見てもらうのはわたしよ」
「ひっどーい。わたしが先よ!」
「お姉さま、こっちよこっちー!」
「わぁ…お姉さまだ」
「うっうう、うっうっう~♪」
「わわっ、ちゃんと前見なさいよ。みんなして」
「だってお姉さまがー!」
危うく失神しそうになった。
「うぐっ……!」
レミリアは顔を抑えてうずくまる。
やばいやばい、なにこれ。
赤い液体が床にぽつぽつ落ちる。
レミリアはこのフランの集団に飛び込んでもみくちゃにされたい、強烈な衝動に襲われた。
「お嬢さま…鼻血が…」
「咲夜……」
「はい、如何なさいましたか」
レミリアはフランたちに軽く手を振る。
「私、もう、しんでもいい」
「そうですか」
すると、一斉に歓声が返ってきた。
「ではこの屋敷の資産と土地の所有権は」
「ぜんぶあげる」
なにもかも投げ出して、フランにダイブ。その魅力は計り知れない。
「フラァーン!フゥゥラァァーーーン!」
『キャー、お姉さまー!』
たくさんのフランが、興奮してこちらに身を投げ出す。
レミリアの顔はとろけた。
もう一生こうしてフランの名前を呼び続ける機械になってもいいんじゃないかと思った。
夢中になってレミリアは何度も何度も行列に手を振った。
その度に黄色い歓声が返ってくる。
「お嬢さま。鼓笛隊の先頭にはおいでにならないのですか」
咲夜は普段と変わらない硬質な口調で言った。
「もういいわよ…私、もうずっとこれで幸せ…」
「そうですか」
至福とはこういうことを言うのだろう。
レミリアは柔和に返答したが、しかしそれを受ける咲夜はどこか不満げだった。口調も普段と変わらないのだが、表情にはどこか達観を感じる。それも否定的な。
なにが気に食わないというのだろう。かねてよりチクチク家計簿から抜いていた紅魔館の財産を全てあげてもいいとまで言ったのに。
私は幸せ。咲夜も幸せ。なんの問題があろうか。
「妹さまは待ってらっしゃいますよ」
「それってどういう…?」
意味、と問いかけようとしたところでレミリアは自分の愚かさに気付く。
このままここで停滞するならば、レミリアはただこの妹によってもたらされた饗宴を幸運として享受するだけに終わる。
恐らくいるはずだ。鼓笛隊の先頭の陣頭指揮を取って、行進の最も先端を務めるのは、フォーオブアカインドの大元、分裂前の一番強い自我と力をもった本物のフランドールに違いない。
レミリアはそこまで行かなければならないと思った。行ってどうするのか、とかそういうことは分からなかったが、とにかくレミリアの中で今までの鼓笛隊への憧れとか、妹に対する愛情とかが入り混じって使命感が生まれた。
この素敵なアイディアを思いついたフランに、こちらもとびきりのプレゼントをしなければならない。いったいなにがいいだろう。彼女の幸せのためなら何も厭うまい。
「私はひどい選択をしようとしていたところだった…」
立ち尽くす自分の横を通り過ぎる、淡い期待を抱いてレミリアを横目で気にするフランたちを、せわしなく演奏しながらも自分を意識する妹を、レミリアはしっかりと見た。
うぬぼれではない。姉の目を喜ばせようとしてくれたことなど明白だ。
姉が気にかける妹がいるとき、同様に姉を意識しない妹などいない。
「この事を気付かせてくれた咲夜には感謝しないといけないわね…」
「いえ」
素っ気無く咲夜は答えた。
この咲夜が感情を露わにすることなどそうはない。どこまでもクールに振舞って、為すべき事を完璧に成すのだ。
「あら、貴方も少しは素直になって欲しいわ。珍しく私が人に感謝したというのに」
「…」
「今は妹の愛情表現を受け止めなければならないけれど、何時の日かこうして咲夜もアピールしてくれるといいわね」
「お戯れを、お嬢さま」
だがしかし、だからこそ時々垣間見せる人間らしい表情がたまらなく良い。今もこの無表情の奥に、満ち足りた表情を浮かべる少女を見た。
そしてレミリアはそれを引き出す方法を知っていた。
「今月、お給料三十%アップ」
「イヤッホォォォイッ!!」
ピョーンと飛び跳ねて咲夜は喜んだ。いっそ清々しい。
悪魔の館にふさわしい現金さだ。
「クククッ……」
せっかくの大盤振る舞いだしほんとに投げて渡してやろう。
取りこぼしたらその分は没収だ。しかしうまくキャッチすれば取り分は増える。
レミリアは最悪な上司にありがちな、テンションに任せて部下に迷惑をかけるだけの名案の実行を決意した。
「行くか…!」
レミリアは空を駆けた。
もはや遮るものは何も無い。鼓笛隊の軽やかな演奏をバックに、吸血鬼の恐るべき速度とそれをいとも簡単に制御する身体能力で一瞬に飛翔する。
長い廊下を角まで五秒とかからず。もう一つの角を曲がると一階へと続く大きな階段へと出る。フランたちは延々と歩いていた。
この人数。もしかしたらあれほど増えた状態からさらにフォーオブアカインドを使ったのかもしれない。
紅魔館の館内出口までの後の通路をレミリアが駆け抜ける。
横目で捕らえた立て看板にはこの文字があった。
『更衣室』
レミリアは一瞬でその意味を理解して、硬直した。確かにこの人数の衣装を揃えるなら必要な施設だ。
まさか、あそこにはすし詰め状態のフランが。
しかしまあ、レミリアも齢500である。今更こんな事であらぬ想像で興奮を掻き立てられるほど若いかといえばそうでもない。
従って極めて冷静に、しっかり前方不注意で壁のシミから復活したレミリアは、振り切るように更衣室を飛び去ると紅魔館を疾走する。
どっぷり血液が付着した壁はホラーそのものだ。
「ちなみにあれは、お嬢さま専用のトラップです」
「何のために設置した」
正面玄関の扉を開け放つ。
これを出れば整備されつくした広大な中庭、そして外への門と続く。
広大な敷地。本来ならば紅魔館への来客へ自らの威光を知らしめるために存在するこの庭がレミリア自身に牙を向いた。
罠であった。
一面に敷き詰められたフランドールが、爪を研いで一斉に笑う。
レミリアが館の扉を出るとともに、背後に回りこんだフランにその扉を堅く閉められた。硬い破砕音がして、後ろ手で背中に手を回して笑みを浮かべるフランドールが、錠前を歪に破壊したのだと気がついた。
少女の高いソプラノが何百、いや何千と木霊する。もう可愛らしいなどと言ってられない。
空に、地面に、レミリアの周囲を完全に方位する形で彼女はこちらを覗いている。
赤い瞳には狂気が宿っている。いまや隠すことなく禍々しい能力をレミリアに向けて定めている。
「どういうことかしらフランかわいい。なんのつもりか言ってごらんなさいフランかわいい。紅魔館の当主である私にその手入れの行き届いていない長い爪を向ける事のフランかわいい意味は分かっているの?」
レミリアは眼前の血を分けた吸血鬼を威圧した。
圧倒的な総勢に囲まれなれながらも、レミリアは一向にひるむことはない。
「地下の押し込んだのを不憫に思って多少のオイタなら許してきたけれど、そのせいでどうやら可哀想な勘違いをさせてしまったようね」
もはや状況は明白。この場に及んでは一切思考に妥協は許されまい。反逆、であると考えるしかない。
最初からこのつもりだったのだろう。
優位に喉を鳴らすフランドールは、いかにも嬉しそうにレミリアの苛立ちに応える。
「黙りなよ、間抜けなお姉様。いつだって罠に掛かってからえばってる。お姉様は愚鈍ね?」
「……外出を許すようにしたのは間違いだったかな。汚い言葉ばかり覚える」
「くっ…あはは… 勘違いはお姉様の方。まさか私がお前のこと、好きだとでも思った?」
「きついお仕置きが必要だ。きつい、きついのが」
「外はとても楽しい。それにお姉様を罵る語録が増えて嬉しいわ」
幾百の宝石と牙の中心に佇むフランドールは歌うように言った。
本物のフランドールが口の端を吊り上げると、四方を取り囲む全ての彼女たちが同様に笑った。
「それで一応聞いてあげるけど、何故こんなことをした」
こんな、裏切りを。
騙されて、誘い出されたことをレミリアは後悔していない。
姉は妹の利かん気も悪戯も受け止めてやる必要がある。ただ、これはレミリアの苛立ちを起こすほど、やりすぎだった。
百列の悪魔。地獄の蓋を開けたとしても、ここまで恐怖を喚起する苛烈な光景には成り得ない。
全ての吸血鬼が破壊の能力を有している。それは簡単にレミリアを引き裂けるのだ。
建物の中とは違い、ここには視界を遮るものがない。過剰な瞳すべてがレミリアを確実に捉える。
「わからない?」
フランドールは言った。
「私は本当の自由を手に入れるの」
大きく鳥のように腕を広げる。
両の手が夜空にたゆたう。
「くだらないことを…」
「素敵なことよ。お姉様が知らないだけで。いつだって自分は全部のことを知ってると思うから、きっとお姉様は知らないんだろうね」
「私に分かるのは、そんなものこの世界のどこにもないってことよ」
フランドールは、つまらなさそうに口を開いた。
「いいよもう。理解してくれないのは知ってた」
「分からない子ね。紅魔館でなにか不自由することがあるの? 欲しいものか、不満があるなら言ってみなさい」
「ほら、ぜんぜん分かってない。でもいいよ、じゃあ簡単に言ってみる」
一息吸って間を置く。
「私を外に出して」
「ダメよフラン」
レミリアは言った。
「なんで?」
「危険だから」
「誰が?」
「貴方が。そして周りの者が」
「いつ出してくれるの?」
「取りあえずは……今回のお仕置きの後よ。こんなお転婆をしなくなるようになってからよ」
諌めるために向けたレミリアの視線に応えたのは、明らかな拒絶だった。
「話にならない。お姉様が勝てば私は地下で朽ちていく。一生閉じ込めればいいし、私が勝てば外出を自由にして。それでいい」
「そうやってすぐ自虐的になる癖も直しなさい」
フランドールが、隣のフランドールに寄りかかる。
妖艶さすら感じさせる挑発的な瞳でレミリアを見つめた。レミリアは臆することなく一歩踏み出す。
お喋りの、本物のフランドールの方へと。
「馬鹿な子、自ら力を弱く分散させて。増えればいいのなら私は常に蝙蝠になっている。囲めばいいのなら常に霧になっている。ただ単純な攻撃で壊せば済むのなら、私は千の赤い槍になるわ」
「この数の視線から逃げられる? この庭に来た時点で終わりだよ」
「吸血鬼の王が、誰より数多を打ち破るのに優れた絶対の一であると教えてやろう」
「さようなら。大嫌いなお姉さま」
準備は全て整った。
フランドールは右手を開いた。これは彼女だけが有する彼女だけの戦いのスタイル。
手を開くと始まりで、閉じると終わるだけの簡単なものだ。
しかし対するレミリアが赤い槍を持つことはなかった。
言葉の意味を理解した瞬間の出来事。小刻みに震え出す足。確固たる確信を抱いて地を踏みしめていた両の脚は、すでにレミリアの上半身をただ地面に落ちないようにつかえているだけに過ぎない。
口調だけは意地でも威厳を保ち続けていた。頬を伝っていく一滴。こんな風なレミリアには理由があった。
なぜなら本当はさっきからレミリアは完全に泣いていて、立っているのがやっとだったからだ。
ちょっとタンマと、掠れるような声で言ってレミリアは後ろを向いた。
「む…無理…。もう無理…。ふ、フランが…私のこと嫌いって…。うぐっ…うぇっく……嫌いだって。い、い…言った…」
「あの…お姉様?」
ごしごしと、ピンク色のドレスの袖で顔を拭く。
「フン、またせたな」
「え…あ、うっ…うん…」
なんだか奇妙なものを見た気がしたフランドールは、うんと頷いて仕切りなおす。
「それじゃさようなら、大嫌いなお姉様」
「えぇ、フラン。これは終わりじゃないわ。きついお仕置きの始まりよ」
「コンティニューはなしだよ。ばいばい」
幼い吸血鬼はゆっくりと、破壊の右手を閉じ込める。
一切を見逃すまいと狂気に囚われた瞳をレミリアはじっと見つめる。
「あっ……ご、ごめん。また、な、なんか…きた…ッ」
唐突にレミリアは手のひらで顔を覆う。
「うっ、うぇっ……うぇぇッ!フ…フランに嫌われちゃった…!わた、わたし…やだよ…うぁぁ!」
地面に座り込み、小半時ほどフランドールたちに背中をさすってもらう。
ようやく落ち着いた。
「ま、またせたわね」
「…………うん」
冷たい星明りが二人を照らす。
空にかかった月の下、鳴るのは木々を揺らす風の他は姉の鼻をすする音だけだった。
フランドールはやりづらさを感じながら、相手の挙動に注意を払う。一応お互いの実力は拮抗しているから、安易に第一手目は打てない。
長い沈黙のあとレミリアは小さな声で切り出した。
「パチュリーがね」
「は?」
突然に脈絡もなく出てきた名前に、フランドールは困惑する。
「パチュリーが言ってたの」
「……は、なんて?」
「レミィはすこし傲慢すぎるって。人の気持ちを考えない、って」
この姉は、何を言ってるんだろうか。
フランドールはかける言葉が見つからずただ先を待った。
するとレミリアは唇をかみながら下に俯いた。
「レミィは悪い子だって。私それで…パチェが何言ってるのかよく分かんなかったんだけど…」
「……」
「フランも……そ、そこが嫌で…。私のこと嫌い…なの?」
フランドールは押し黙った。
一縷な望みをかけて、潤んだ目で訴えかける不夜城レッドアイ。
可哀想なことに、不安そうにレミリアは怯えていた。
なんだかもう色々と居た堪れなくなって、フランドールは目を逸らした。そして言葉をつむぐ。
「お姉様、わたしやっぱり一人暮らしする。ダメだわ紅魔館」
それを聞いたレミリアは一気に真っ青な顔をする。
「ダメぇー!絶対ダメ、お外は危ないのよ!ハンターとか、私がどれだけ襲われたか!きっと可愛いフランは真っ先に狙われるに決まってるわ!運命よ、見えるんだからね!」
「だってここ幻想郷でしょ」
「で、でもダメったらダメ!」
フランドールは徐々に肩の力が虚脱していくのを感じた。これはなんだ、アホらしい。まるきし駄々をこねているだけだ
自分の悩みが馬鹿らしく思える。なんかもうやる気を失くしてきていた。
地下に自分の分身を一体でも置いて、姉を無視してどっかでバイトでもすればいいんじゃないかと。
「ねぇあんたら」
八雲紫は虚空から半分だけ現れて、お煎餅をバリボリ食いながら、隙間にひじをかけた。
「しないの、けんか」
ばりぼり。ばりぼり。
「え、しねえの」
ワンドショーでも眺める主婦のように、紫は退屈そうに呆れた。
話の流れをぶった切っていきなり現れて、意味が分からない。
「つまんね」
ばりぼり。ときどきお尻をかく。
知っている。見たことある。この妖怪は(自分にとって)面白そうなことを所構わず野次馬するのが趣味の最低なやつだ。
幻想郷じゃかなり悪名高い。賢者だかなんだかだ。
緑茶を飲み、軽いゲップをしていかにもつまらなさそうに二人のことを見た。意識としては、はぁー…チャンネルかえよう、とかそんな感じだ。
さっきからこいつずっと人んちの姉妹喧嘩を見てやがったのか。なんて野郎だ。
進行に理不尽さを感じながらも、火山が噴火するかのごとく、カッと、レミリアに悔しさが込み上げてくる。
「す…するわよ!!すればいいんでしょう!」
「え…お姉様っ!?」
「ほ、ほらフラン。もう一回口上!」
「わっ…わかった。お姉さまなんてだいっきらい!ギュッとして……」
「うぐっ…!フ、フラ…ン… タンマ、待って…いきなり嫌いって…!」
「紫様、また子供をいじめて遊んでるんですか!それに盗撮はやめろってあれほど何度も言ったでしょう!」
「いいじゃない。私の趣味ですわ」
「紫様が良くてもご近所の評判があるんだよ!!」
再びレミリアは足元にうずくまった。
フランドールは思いっきり眉を潜める。なんなんだこいつは。なんだか段々とイライラしてきた。
辛いなら自分から言わなきゃいいのにそんなこと。思ったときにはすでに罵倒が口から飛び出ている。
「この…馬鹿!馬鹿姉!」
「ひどいわ…!」
「うっさい!なんでそんなに子供なのよ!」
「フランこそ。なんでそんなに怒ってるのよ。言ってくれないと分かんないわ…」
くじけず、対話は心の架け橋とばかりにレミリアは手探りを開始した。
焦りながらも懸命に思い当たる節を言った。
「ど、どれ? この前こっそりお風呂覗いちゃったこと? あと下着をわざと間違えて履いて、これみよがしにきついわねって言ったこと? きつくもないのに。に、日記を読んじゃったことかしら?えっと、それともその……よ、夜に、その…アレ…しちゃってるときにうっかり部屋に入ったときのこと、とか? まさか、五百年間も閉じ込めたこと!?」
レミリアは架け橋に仕掛けられた地雷を次々に踏み抜いていく。
頭に血が集まって、熱病のように体が熱くなるのをフランドールは感じた。
「なんでそれが最後なのよー!」
フランドールが一斉に怒号する。庭先を埋め尽くした吸血鬼の大合唱。
「愚鈍、愚昧、蒙昧!もしわたしが愚者のカードを作るなら、絵柄はきっとお姉様ね!」
「ひっ。ひどい。ひどすぎるわ」
「見た目は園児!頭脳も園児!その正体は、わたしのお姉様!」
たしかに閉じ込めたのも怒ってるけど、と大声でフランドールは叫ぶ。
後ろから式にぶん殴られて、紫は煎餅を喉に詰らせてむせる。隙間の向こうに引きずられて帰っていった。
罵倒されたレミリアは泣きながら反論する。
「だってフランを外に出しても碌なことにならないわ!だって、この頃、あの白黒の魔法使いにずっと熱心じゃない!私を放っておいて!」
「魔理沙は友達よ!それよりわたしの日記読んだのね、絶対許さない!」
「で、でも…英語だから全然分からなかったわよ。だからいいじゃない別に…」
「あれはドイツ語よぉぉ!!」
どっちにしろ読めろよ、と物凄い数のフランドールから反響音のように馬鹿馬鹿言われて、レミリアは本当に自分がバカのように思えてきてしまった。
情けなくって涙が後から後から出る。
「もうやめて…お願いだから。フランに悪くいわれると、私すっごい辛いわ…もう聞きたくない、やめて…」
レミリアは両手で耳を塞いだ。
目を瞑るとフランが消えた。
それでもフランドールは、レミリアの逃げ場をなくすように思いっきり言ってやった。
ちゃんと聞こえるように大声で。
「何よ!お姉さまだって…お外ばっかり行って、これだって、今日だって…お姉さまが構ってくれないから…」
「え…?」
「霊夢ばっかり気にかけて…それで、もうわたしのことなんてどうでもいいって思ってるんでしょ…」
「なにを、フラン」
「こんなに…大好きなのに…なんでかまってくれないよー!!お姉様のバカぁぁーッ!」
レミリアは思い切り目を見開いた。好き、という単語の刺激が大きすぎて思考が空回りする。
彼女の言わんとすることを必死で考えた。そしてその結果は、レミリアが考える中で最も素晴らしいものだった。
「ごめんねフラァァーン!愛してるぅぅー!」
まっかな顔で怒るフラン。
こんな、こんな、単純なことだったのか。
ああ、そういうことか。寂しかったのね。すねてたのね。お姉ちゃん嬉しい。
「ぜったいもう二度と寂しい思いはさせないわ!」
「来ないでーー!」
涙も一転して、レミリアは破顔した。
暖かく、爽やかな感情が身体を駆け抜ける。
倦怠感はすべて吹っ飛んだ。
レミリアはいままでの悲しさとかがみんなそのまま移ったような、鼻水さえ拭けていないが、とても大きい、嬉しそうな顔だった。
気がつけばフランもぶさいくに泣き散らしている。姉妹揃ってなんて不恰好なんだろう。
だが、なんとも嬉しい限りじゃないか。
もうフランドールはすごく怒っていた。吸血鬼なのに目を赤く腫らして、何事かを喚きつづける。
だがその怒りの源泉が自分への依存であると考えると、どうにも諌める気にはなれない。
拗ねた彼女なりの愛情表現を止める理由など、レミリアにありはしないのだ。
「ごめんね今まで気付かなくって。これからはいつでも可愛がったあげるわフラン。愛してる、好き!死ぬほど好きよ!」
レミリアの突撃を打ち払おうと、巨大な剣が出現した。一薙ぎで恐ろしい威力の弾幕が発生する。
館への扉を貫いて、強大な破壊のうねりが大広間に突入する。
鈍い音と共に赤い光が疾駆する。奔流に巻き込まれて紅魔館の一角が大破していった。
さすがに妹の愛で灰になるわけにはいかない。
ぎりぎりで避けたレミリアの視界に、メイド服を着た銀髪の従者が映った。
「あっ、咲夜!お前どこに行ってたんだ!」
なんのついでか、吸血鬼の居ぬ間に家財道具をあさっている咲夜も一緒に吹き飛ばした。
エプロンのポケットから何故かうちの家宝の宝石が転げだす。
驚いた一瞬の隙にフランに後ろから羽交い絞めにされた。すぐさま視界を埋める、フラン、フラン、フラン、フラン。
「お姉様なんかもう知らないんだからっ」
フランたちはお気に入りのセリフで溜めを作る。
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
「ギュッとして」
ああ……こりゃ死んだな…。でもおねえちゃん、大満足…。
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ド
「ドッ
『ッカァーン』
フランドール・スカーレット。危険な自我と能力を持った吸血鬼は時々、狂気に囚われて暴走を起こす。
これが紅魔館における、フランの悪戯とそれに怒るレミリアの大体の図である。
幻想郷の危機を引き起こす絶大な力の発動は本日でおよそ二百回目くらいとなる。
が、べつにどうでもいい。
必要ない展開や文章が多すぎるような。
大変可愛らしい姉妹でした。「もうおまえら結婚しちゃえよ」とか言いたくなるほどに。
どう考えても私の負けです。本当にありがとうございました。
結局パンチ入れるんかいっ!(笑
あとアカインド一回で三人増えるんだから三回じゃ12にならないと思う。
フランちゃん……もっと優しくしてあげて!!!
ただ咲夜さんの印象が強すぎて陰になっているだけなんだよ
たたみかけてきて、笑わされた。
全体的な壊れっぷりがいいね