蜩(ひぐらし)が鳴き、夕陽が朱色を世界に投げかける、幻想郷の黄昏時。
朱に染まる博麗神社、その縁側に腰掛け、霊夢は夕陽を眺めていた。
湯気が立ち上る湯呑みを両手で持ち、口に運び、翠玉色の緑茶を喉に滑らせる。
「…ん、おいしい」
素直な感想が口を突いて出た。
静かだ。
蜩の声は聴こえるが、それらも相まって、より一層の清閑さが辺りには満ちていた。霊夢の脳裏に、昔の俳人が残したある句が浮かんだ。
「…閑かさや、岩にしみいる…」
この辺で、魔理沙や紫が現れ「蝉の声」と続けてくれることを期待したのだが、今日は二人とも留守なのか、何の声もなかった。
「…誰もいないの?」
返答はない。
いつもこの神社には、魔理沙に紫を筆頭に、様々な人と妖がいる。
今日のように、丸一日誰も来ず、夕陽を一人で見るなんて久しぶりだ、と思った。
「はぁ」
脚を投げ出したまま、縁側に寝転ぶ。
夕陽のせいか、あるいはあまりの静けさのせいか分からないが、なんだか寂しくなってきてしまった。
時々、こんなことがあるのだ。
原因不明の寂しさが心を支配して、どうしようもなく泣き出したくなることが。
瞳を閉じる。
瞼越しにも、夕陽を、世界の黄昏を感じる。
私にも来るのだろうか、と思う。
世界の黄昏、人生の最期、幻想の終焉。
魔理沙はいずれ、本物の魔法使いになり、森の人形使いと同じように永い時を生きるようになる。咲夜にしても時を操れる。
紫も妖怪だから、寿命など無いも同義だ。
私だけだ。
きっと私は、仲間たちの誰より先に死ぬ。
そもそも、寿命の短い人間の中でも博麗は短命だ。
永き時を生きるものたちからすれば、それこそ刹那の間だろう。
私は、この夕陽のような、刹那の間だけの存在なのだ。
「…っ、う…」
右の手のひらで涙を拭う。
「…う、ぁ…」
止まらない。
涙は滂沱と溢れ、雫が頬を伝う。
夕陽の閃光が、雫を照らし、紅玉のように煌かせた。
一人の少女の声無き慟哭は、蜩の声が創る静寂にかき消された。
黄昏は終わり、夜が来る。
寂しい夜が、幻想の少女を包む。
もうちょっと膨らませた方が良いかもしれません。
もちろんそれが絶対に駄目ってわけではないですが、この作品の場合言葉に違和感を感じます。
一例をあげれば「嚥下」って言葉。「嚥下」ってのは一般的には固形物に対して使う言葉ではないでしょうか?
厳密な定義までは把握してませんが、辞書には「食塊を意に送り込む過程」とあります。食塊とは噛んで細かくなり、唾液と混ぜられた食べ物です。ですので、個人的には嚥下って言葉からお茶を飲んでるシーンは連想できません。ましてや翠玉色と称されてる物に嚥下という言葉を付けるのには違和感が。私には翠玉色って言葉が嚥下って言葉のせいで汚くなったように見えました。
個人的にはこういう雰囲気好きですねぇ。
しかし、上の方が指摘しているとおり、言葉の選び方にちょっと違和感があります。
あと、美文を目指すならば「夕陽」という言葉が短い作品内で連続してしまうのも惜しいかと。
嚥下は文字通り『飲み下す』ことで、固体液体の区別はありません。私達は唾を嚥下しています。
誤字はともかく、単語を直すってのは。
もう少し続けてほしかった