*ご注意*
このお話は
作品集68「星熊勇儀の鬼退治・零之弐~ちのそこで~」
作品集71「星熊勇儀の鬼退治・零之参~地の底の雨宿り~」
の直前・直後、パルスィが地底に来た頃のお話となっております
随分と睨まれている。
私もそう目付きの良い方ではないが、彼女のそれは私など比べ物にならない。
明確に悪意ある睨みだ。
しかし――大した胆力だとは思う。
感じる妖力の小ささといい、その矮躯といい……到底戦いに向いているとは言えないのに。
このような見知らぬ土地で見知らぬ、底など知りようがない相手にこうも敵意を剥き出しにするとは。
多少興味が向く。だが今は渡された書状に目を通すのが礼儀。彼女を『視』ることはいつでも出来る。
書状に視線を落とす。書き連ねられた文言を目で追い、最後の署名に辿り着く。
確かに古い知り合いの筆跡。この書状は本物である。
「……宇治川マレクの署名。……宇治の橋姫の書状、確かに受け取りました。
私が旧地獄の管理人、古明地さとりです。地霊殿へようこそ。水橋パルスィ」
「――……別に、あの人に言われたから来ただけよ」
挨拶すら突っぱねられる。
正直、困る。書状にはこの水橋パルスィをよろしく頼むと書かれていた。
これではよろしくと言われてもどうしようもない。
……だが、「あの」宇治川マレクがわざわざ書状まで寄越すとは。
伝説にその名を残す大妖怪。宇治の橋姫を知らぬ者など居はしまい。
それほどの妖怪が同族とはいえ、言っては何だがこんな弱者に構うとは思えなかった。
彼女の苛烈な性格を知っているから尚更だ。
水橋パルスィを見る。
容姿こそ可愛らしいものだが、妖怪としての格があまりにも劣っている。
恐らくは人間一人食ったこともあるまい。畏れられたことがあるのかすら疑問である。
到底彼女が構うような相手には見えないのだが……
「それをあなたに渡せと言われたから来た。それだけ」
水橋パルスィを見る。
「……書状の内容はあなたに関することです。あなたの世話を頼まれた。ですから」
「関わらないで」
――長い放浪を示す襤褸切れのような服。
野放図に伸びた、金に輝いていたであろう髪は陽に焼かれくすんでいる。
「私は誰とも関わりたくない。例えあの人の命でも嫌よ」
疲れ果てた様相。渇き飢え今にも倒れそう。
「世話なんて望んでない。私は独りで生きたい。私の望みはそれだけよ」
だのにその緑眼だけは爛々と獰猛な獣の如く輝いている。
「私は来たくなかった。誰にも会いたくなかった」
水橋パルスィを視る。
「誰も傷つけたくないから……ですか」
緑眼が見開かれ構えられる。
咄嗟に私の僕が躍り出る。
「お燐、お空、構いません」
僕を制す。宇治の橋姫の書状がある以上彼女に危害を与える訳にはいかない。
仮に水橋パルスィを殺しでもし、それが露見したら……地底は宇治川マレク配下の妖怪共に攻め込まれる。
彼の鬼女は容赦や慈悲などとは無縁。弁明の機会など与えられぬだろう。
私とて戦争は御免だ。
「――古明地さとり、さとり――ああ、さとりの妖怪ってわけね。
私の心を読んだのね。大した能力だわ……妬ましい」
敵意どころか殺意混じりの眼。
「……優しい内面とは真逆ですね水橋パルスィ。何をそんなに悪ぶるのです」
「悪ぶってなど」
「私に嘘は通じません。あなたの心が見えているのですから」
さらに強く睨まれる――彼女の心が乱れる。
心さえも嘘で塗り固めようとしているようだが、無駄だ。
言葉の嘘は簡単でも心の嘘は不可能である。絶対に本音が混じる、本音が透ける。
心を閉ざしでもしない限り、古明地さとりの眼からは逃れられない。
「……用件は果たした。さようなら」
無駄を悟ったのか背を向け逃げ出そうとする。
「お待ちなさい」
しかしそれもまた無意味。
私の手には書状があり、私が果たすべき約束はまだ始まってすらいない。
「まずは――食事、いえ服ですかね。今用意させます」
「あなたに世話を焼かれたくないと言ったでしょう。私は一人になりたいのよ」
「それは、本心ですね」
「な……っ」
心底望んでいようが彼女の意思など関係ない。私は私の義務を果たすだけだ。
「悪いねぇお姉さん。ここは一つ穏便に従っとくれよ」
「放しなさいよ……!」
「そいつぁ無理な相談だ。ご主人様の命令にゃ逆らえない」
私の僕――お燐に捕まってもなお暴れる。
水橋パルスィは決して愚かではない。むしろ頭は切れる部類だろう。
なのに、お燐との力量差に気付いているにも関わらず無駄な抵抗をしている。
頭の中は怯えでいっぱいだというのに屈せず暴れている。
色々……解せない妖怪だ。
「あたいは力で従わせるとか苦手でさぁ。ほら、お姉さんも火傷なんてしたかないだろ?」
本心ではないお燐の脅しも効果はない。
だが、ここで無駄に暴れられて怪我でもされては具合が悪い。
あの宇治の橋姫に頭を下げられたのだ。約定を破るなど矜持が許さない。
「水橋パルスィ」
彼女を真正面に見据え、ほんの少し妖力を解放する。
「私は己が強いなどと驕れませんが――あなた程度なら片手間に殺せる」
これでも古の大妖に名を連ねる者。彼女のような赤子に等しい妖怪とは格が違う。
殺気混じりの妖気だけで彼女の動きも思考も奪うなど容易い。
「…………?」
しかし、パルスィは暴れるのこそやめたが、その恐れはあまり私に向いていなかった。
精々四割。残りの六割は別のものへの恐怖で占められている。
――心の中は乱れていて、見通せない。幽かに断片が見て取れる程度。
「……約束……?」
思わず洩らした呟きにパルスィの顔色が変わる。
「読まないで」
明らかに――怯えていた。
お燐や私に生じた恐れなど比べ物にならない恐怖の色。
「あなたの言う通りにするから……読まないで」
私が洩らした「約束」という一言に怯え切っている。
視線を逸らす。彼女の心を読まぬように。
「わかりました。ではお燐、パルスィに着替えを……そうですね、例の服を。
お空は食事の支度をしてください。肉類は避けて消化の良いものを」
……私とて弱い者いじめをしたいわけではない。彼女が従うというのならそれでいい。
お燐はパルスィを連れ、お空も食事の支度に去っていく。
扉が閉ざされ、私は深く息を吐いた。
やはり……力で脅すのは、気分が悪い。
数刻後。
パルスィは着替えを終え、食堂まで連れてこられ出された食事を睨んでいた。
席に座らせて数分。スプーンを手に取る素振りさえ見せない。
あの一言で心は折れていなかったのか、まだ反発するつもりのようだ。
「パルスィ」
「――わかったわよ」
食事を始める。
言う通りにするという約定を守る気はあるのか、私が促しただけでスプーンを手に取る。
視るに私に従うのは背後でお燐が監視しているから、というわけではなさそうだ。
そこは……旧友である宇治の橋姫に通ずるものがあった。
彼の鬼女も変なところで誠実だった。
「食事は口に合うようですね。よかった」
軽口を挟むが相槌は無い。
これが空腹の為に食事に夢中、などであったなら可愛げも感じたが、違う。
純粋に私を嫌っているようだ。
嫌われるのは慣れているのでどうということはないが……
……流石にその服、その顔でそんな態度を取られると傷つく。
宇治の橋姫なら噛みつきこそすれど無視はすまい。
いや、もちろん宇治の橋姫と水橋パルスィは別人だと理解しているのだが。
やたらと彼の鬼女を思い出す。もう五・六百年は会っていないというのに。
しかしそれも宜なるかな。
体を洗い、野放図に伸びた髪を整えこの服を着た少女は……旧友に、マレクに似ていた。
彼の鬼女の幼い頃にそっくりである。
支度を終えた彼女が食堂に入って来た時など目を丸くした。
マレクを思い出させるには十分に過ぎている。
襤褸を纏っていた初見でこそ宇治の橋姫の同族にしては、と思ったが……これは。
……あの書状にはマレクとパルスィの繋がりは何も書かれていなかった。
ただパルスィを頼むと哀願にも似た調子で書き綴られていた。
血縁か? いや、あの鬼女がその程度の繋がりで頭を下げるような真似はすまい。
なら、もっと近しい関係……?
そもそも何故マレクは己で面倒を見ない? 彼女がこのように放り出すなどおかしい。
書状の文面から感じられる情と、パルスィを一人で寄越すという行動には矛盾が見える。
さらに態々幻想郷でも辺鄙な地底に籠る私を名指しで頼るなど……異常とすら言える。
私と彼女は、友人と云える関係ではあるがずっと疎遠だった。
宇治の橋姫ともなれば旧都の四天王にも知り合いは居た筈。天狗の総大将すらも頼れたかもしれない。
それが私を名指しで? 確かに私は友人だが……まるで咄嗟に思いついたのが私だけだったかのような。
書状を思い出す。間違いなく彼女の字だった。しかし……彼女の字にしては乱れてなかったか?
旧友の手紙ではないとは言わない。パルスィの態度からして私に取り入ろうと云う細工では無い。
確かに彼女の字。だが乱れが見えた。慌てて書いたような、乱れ……
――宇治川マレクに何があった?
「…………」
パルスィに訊ねるべきだろうか。
訊いても素直に答えるとは思えないが、それでも気にかかる。
……しょうがない。得意ではないが、会話から誘導してみよう。
「その服、よく似合います」
かちゃり、とスプーンが器に触れる音が響く。
一応本心であったのだが、そうとは受け取られなかったようだ。睨まれている。
「会話も、あなたの命令に含まれるのかしら」
「命令などでは。ただの、極普通の会話のつもりです」
「しろと言うのなら返事くらいはするわ」
取り付く島もない。徹底して嫌われてしまっている。
心を見ても、私への敵意一色。どうしようもない。
どうにも、話術と云うものは苦手だ。
諦めて適当に話しながら探るとしよう。
「……その服は、宇治川マレクの物です。かつて懇意にしていた頃――」
硬質な音が響く。
顔を上げると、パルスィがひどく驚いたような顔でスプーンを取り落としていた。
「パルスィ? ……どうしました?」
心が見える。
――過去が想起されている。
過去の記憶を読むことは出来ぬ私だが、思い起こされた記憶ならば読める。
見えて、しまう。
初めに聞こえたのは少女の悲鳴。
私の古い友人でね――め……じ……とりという女なんだが、また……もない奴でね。
次いで見えたのはマレクの笑顔。
暖かさを感じる記憶。これはパルスィの感情が持つ温度か。
――しかし場面は一転して紅に染まる。
悲鳴。恐怖。悲しみ。
笑顔。愛情。暖かさ。
それらが一緒くたに紅に染め上げられて
やめて! やめてよぉっ!!
愛しい子よ――お前だけはどうか生き延びておくれ。
いや! こんなの、いやぁ!!
私はお前を怖いなどと思わない。私はお前が愛しいよ、パルスィ。
私は、あなたを――――
パルスィ、お逃げ。お前だけなら逃げられる。
この力は、こんなの要らなかったっ!! 私は誰も傷つけたくなんか――っ!
また私にそっくりだ。ふふ、お前は将来きっと美人に育つよ。
やだ、やだやだやだやだやだっ!! 死なないで! 死なないでよっ!!
パルスィ。私の最後の願いを聞いておくれ。
おかあさ――――――――――――――――
「さとり様っ!」
お空の声で現実に引き戻される。
しかし私は座っていることもままならずそのまま机に倒れ込んだ。
「さとり様! 貴様何をぉっ!!」
「お待ちよお空! この子は何もしちゃいない!」
お空たちの声が遠い。なにやら言い争っているようだが制止することも出来ない。
金槌で殴られたように目眩がする。
断片的な記憶。時間の経過など無意味に羅列された過去。赤。よく知る笑顔。
辛い記憶。赤。夜討ちの如き惨状。彩りなど失われ一色に塗り潰された記憶。血。
死体。血。累々と横たわる骸。悲しみ。赤。悲鳴。子供の泣き声。血。憎悪。死体。赤く汚された笑顔。怨念
。血。後悔。涙。否定。拒否。月のない夜道。鈍く光る刃。血。焼き付いた過去憎悪怨念後悔血呼吸すら忘れ怨
念を燃料にするも適わずただ最期の言葉に従い目的も無く続く生殺したい真っ暗な空憎い痛い血が歩けども先は
見えず殺したい血が止まらない死んでしまう愛しい笑顔嫌だ憎い私のせいで助けて誰か血憎い赤許せない憎い空
を見上げても何も見えない憎い世界が赤く染まっていく赦せないあの人の血が流れて憎い憎い憎い己が憎い殺し
たい殺したい殺したい己を殺したい許せない赦せない――己が憎くて、殺したい
「う、ぐ」
頭が、割れそうに、痛い。
一度に流れ込んだ膨大な苦痛の記憶に、処理が追いつかない。
どこまでが私の客観視で、どこからが彼女の主観だった?
いやそも区別がつけられるのか。既に記憶は混乱して――
なんだって? 誰が――殺された、って?
「な――――そんな」
心を覗く第三の目を軽く閉じ顔を上げる。
緑眼が、何の感情も籠めずに私を見降ろしていた。
「ああ、なんだ。あなただって私の心には耐えられないじゃない」
「ぱ、パル、スィ」
「もう関わらないで。狂い死ぬわよ」
立ち上がり去ろうとする背中に声をかける。
「待ち、なさい。水橋パルスィ」
必死の想いが伝わったか、止まってくれる。
「……彼女は、宇治の橋姫は――宇治川マレクは」
「ええ、死んだわ」
肯定される。
「見たのでしょう? あの人は、私を庇って死んだ。私の代わりに人々に討たれた」
友人の死が――肯定される。
心を見ても信じられなかった。パルスィに肯定されるまで、信じ切れなかった。
「あぁ……あの人の、友達だったの? ごめんなさい」
感情の籠らぬ冷たい声で彼女は謝罪した。
「あなたの友達は私が殺した」
「なにを……!」
反射的に否定する。
「あなたの、心は視えた……! あなたは十二分に苦しんでいる……!
手を下したのだってあなたじゃない! なのに、そんな己を傷つけるような真似は」
「それでも」
否定を、否定される。
「私が殺したようなものよ」
ち、がう。
視えた記憶では、そんなことはなかった。
よくわからない切っ掛けこそ、パルスィだったが、その後は……
違う。マレクが、パルスィを守ろうと動いて、それで。
「信じ――られない。あの鬼女が、そんな、簡単に」
死んだ。
旧友が、マレクが、殺された。
悪鬼を討たんとする者たちに、殺された。
「外の様子を知らないようね古明地さとり」
第三の目を閉じた私には彼女がどんな気持ちでそれを言ったのかわからない。
「外の妖怪はその力の殆どを失った。人々は妖怪を忘れ私達は彼らに関われなくなり食うことすら叶わない。
あの人も、宇治川マレクだって、最早なんの力もなかった」
心が見えない私には、彼女の浮かべる無表情でしか推し量ることは出来なかった。
「だから死んだ。鬼女は人々に討たれた。平穏の為に。忌避される悪鬼は退治された」
その言葉を受け入れることしか出来ない。
忘れられ、殺され、嘗ての大妖はこの世から抹消された。
私の友人は――もうこの世に居ない。
もう机に縋ることすらできない。
脱力し、膝をついて、項垂れる。
「…………何故、何故幻想郷に来なかったのです。幻想郷ならば、そんなことには」
「矜持よ」
――友人を想起させる緑眼。
強い意志――誇りが籠められた、緑の瞳。
「私達橋姫は、町に棲む妖怪だから。人々と縁を切ってまで生き延びたくはないと、あの人は拒んだ。
再三賢者が迎えに来ていたらしいけど、あの人は一度も応じず外に残った」
マレクの死を、肯定する。
「あの人は、最期まで戦い、死んだのよ」
無惨に終わったけれど……誇り高く生きたのだと、肯定する。
力及ばず死んだマレクを責めていない。
マレクを討った人々さえ恨んでいない。
全てを肯定した上で――――マレクの最後を、誇った。
力も、格も……遠く及ばないのに、その気品は、それだけは彼の大妖怪に匹敵した。
「……パルスィ」
故に――気付く。
私が見た、怨念。あの記憶の中で渦巻いていた殺意。
あれらは、全て己に向けられていた。
パルスィは……己だけを恨み、憎み、否定している。
彼女が憎んでいるのは、他者を害する能力を御しきれぬ自分自身。
「あなたの所為だけじゃ――ない。あれは、人間の愚かしさが……」
「いいえ。悪いのは私。人間に害を与え、忘れた恐怖を煽った私の所為」
真っ直ぐに己の罪を見つめ、己の存在すらも否定した。
「あの人を殺したのは私よ」
視ることが出来ない。
己を責め続ける少女の心を、視るなんて出来なかった。
私にはもう、彼女の心が読めない。
だって、ずっと叩いていた憎まれ口は私を思ってのものだった。
己を嫌わせ、遠ざけて、御しきれぬ能力で傷つけぬようにと必死に演じた芝居だった。
独りになりたいという願いは――微塵も己に還らぬ他者への情け。
嗚呼、マレク。数百年も便りの一つも寄越さないで、最期の頼みがこれだなんて。
私にだって、どうしようもない――――この少女には……救いが無さ過ぎる。
「あなたの友人を殺した妖怪の面倒なんて見切れないでしょう。出ていくわ。さようなら」
止められない。
止めるべきだ。
彼女を独りにさせるべきではない。
無力感に膝をついたが、そんなことに構っていられない。必死に声を絞り出す。
「ま、待ちなさい……ここを出て、どこで生きるというのですか。独りで生きるとでも。
誰からも離れて生きるなんて、無茶です。のたれ死ぬだけだ。あなたは、よもや死ぬ気なのですか」
睨まれる。
マレクの服に身を包んだ少女は無表情に私を見る。
「死ぬ? 私が、自殺をするとでも?」
言って少女は懐剣を、抜いた。
「待ちなさ――っ!」
ばさりと、金糸が散る。
「……え?」
長く伸びて、簡素に結われていた彼女の髪が、短く……
「……心を読んでも読み切れなかったようね」
「ぱ、パルスィ……?」
「私は、死なない。死ねないの。あの人の、最期の願いだから」
ぱちりと懐剣を納める。
「死なないためならなんだってやってやる。女だって捨ててやる」
気づく。
彼女は一度もマレクとの関係を口にしない。ずっと他人のように呼び続けている。
己を許せぬからか、己の命を断つ衝動を抑える為か。
罪の意識から誰とも関わらぬと決め、マレクとの約束で死なぬと決めた。
どれだけ己を傷つけようと他人を守り続けると、決めた。
髪さえも切った。それは――苛烈なまでの決意の表れ。
彼女の意思を曲げることは不可能だと……知る。
「――わかりました。もうあなたを引き留めない」
それでも……私だって、約束を果たさぬ訳にはいかない。
「その代わりあなたを地上と地底を結ぶ縦穴の番人に命じます」
嘗ての親友との約束は――破れない。
「水橋パルスィ、あなたは橋姫として……彼岸と此岸の狭間を守りなさい」
あれから数日が過ぎた。
勢いで地上と地底を結ぶ縦穴の番人に命じたが……早計だったかもしれない。
彼女は他人と関わるのを酷く恐れている。
それは恐らく、宇治の橋姫を死に追いやってしまった自責からだろうが……
彼女の為にも完全に関わりを断つよりはましと考え番人に仕立てたが、まだ早かった。
あの傷は、彼女の心の傷はなんら癒えていない。
なにせ唯一の通路。誰かしら必ず通る。そうすれば彼女は必ず関わってしまう。
少なくともその機会を減じるべきだ。
私は旧都に向かっていた。
旧都の民にそれとなく地上を目指さぬように――あの縦穴に近づかぬようにと伝えるために。
やがて見えてくるのは――光る山。山のような町。
陽の射さぬ地底にあって灯りの絶えぬ不夜城。
鬼をはじめ地底に住む多くの妖怪が集まる町、旧都。
……こうして見上げると本当に城のようだ。
無計画に継ぎ足された家々や屋敷が複雑に絡み合い形を成している。
嫌われ者の私としては少々圧倒されて、入るのに気後れしてしまう。
まぁ――そうも言っていられない。これは私の矜持の問題でもある。
華やかな町に一歩を踏み入れる。
響くのは笑い声。時折聞こえる荒っぽい声は喧嘩を囃し立てる酔っ払いか。
やがて住民たちの目が私に向いてくる。
恐ろしい、あれは地霊殿の主だ。心を読まれるぞ。酔いが醒めてしまう、などなどと考えられる。
さて、注目されているようだがここで言ってもそう広まりはすまい。
やはり四天王の方々に協力を仰ぐのが賢明か……伊吹殿か星熊殿に会えればいいが。
聞いた話では伊吹殿は殆ど屋敷に居ないらしい。ならば星熊殿の屋敷に行こう。
星熊殿には好かれていない、というよりどちらかと言えば嫌われているようだが構ってられない。
それに彼女は面倒見がいい。私のような者は兎も角パルスィに関しての頼みなら聞いてくれるだろう。
星熊殿の屋敷はこちらだったか……慣れぬ旧都の道に迷ってしまいそうだ。
一際大きな声が響いた。
何事かと目をやれば――あれは、鬼の四天王。星熊勇儀。
「皆も知っていると思うが、地上は結界で閉ざされたらしい」
旧都の民を集め何事か声を張り上げている。
「これで我らが地上へ出向く理由も無くなったわけだ! なにせ強い奴が増えないんだからな!」
それは間違っている。八雲紫の敷いた結界は幻想となった妖怪を自動的に集めるものだ。
……私の親友のように拒む者も居たようだが。
「喧嘩も楽しめないんじゃ地上に行く必要もない。旧都で暴れ、呑み、騒ごうぞっ!」
これは。
「さぁ堅苦しい演説は終いだ。言った通り暴れ呑み騒ぐぞー!」
……私が頼もうと思っていた通りの演説だ。
集められた妖怪たちは応え散り散りに去っていく。
「ん?」
そして彼女は――知ってか知らずか、私の方へと歩いてきた。
「おう古明地の。供も連れずに出歩くとは珍しい」
「お久しぶりです四天王」
見える心でも同じことを考えている。
彼女は私に苦手意識を抱いているようだが、こういう裏表のない性格には好感が持てる。
ほう。あんまり見ないでくれ、ですか。疚しい処もないあなたが珍しい。
「何か用かい? 旧都に来るなんて久しぶりだろ」
「ええ、あなたに頼みごとがあったのですが……どうやら済んでしまったようです」
「? 相変わらず何考えてるのかわからないね」
謎かけのつもりはなかったのですがね。言葉が足りなかったらしい。
「今あなたが行った演説です。旧都の民が地上に行かないように頼むつもりでした」
「そりゃ奇遇だ。にしても……随分地上との行き来を制限するね」
自由を標榜する鬼故にか、私の方針が気に食わなかったようだ。
「橋姫のあれは、おまえさんの計らいかい?」
一瞬どきりとする。
橋姫。間違いなくパルスィのことだ。私の知る限り旧都には他の橋姫は居ない。
もう会っていたのですか、四天王。
「あれ。ふむ。番人に命じたことですか。ええそうです」
「折角会話してんだから心を読むのやめて欲しいねぇ」
今は読んでいないのだが……訂正するほどのことでもなかろう。話を進める。
「私の眼は開きっぱなしですので。……隠し事をする気はない、ですか。
なら読んでも構わないのでは?」
「そうだけどね。まぁ気分的なもんだよ」
いまいち理解できない。隠さないのなら見られてもよいと思うのだが。
「で、なんでまたいきなり番人を置いたりなんだりと動いてるのかね?」
疑問を感じる彼女の言い分も尤も。
しかし旧地獄の管理人としてではなく、古明地さとり個人として動いたことは言えない。
――親友の頼みとはいえ小娘一人の為に地底全てを巻き込もうとしているとは言えない。
「地上も様子が変わったようですので」
故に嘘を吐く。
「これを機に地上との交流を断とうかと」
表情一つ変えず眉一つ動かさずに彼女の顔を見る。
「忌み嫌われて追いやられた者たちです。ならば平穏の為にいっそ隔離してしまった方がよいでしょう。
噂では地上の幻想郷そのものが隔離されたようですが……まるで真似のような形になりました」
言葉の嘘は得意――である。
怪訝な顔をされる。納得に至っていない。
「……まぁ、出て行こうなんて奴ぁ殆ど居ないからいいけどさ」
嘘は……通じたようだ。
「しかし、腑に落ちん。なんで橋姫に役職なんてもんを与えたんだい?
おまえさんは大体飼ってる妖獣に任せきりじゃないか」
新たな問いが飛び出す。
「私らですら何かを任されるなんてことはなかった」
……答えずに済ます訳にはいかないだろう。
しかしあまり彼女の目をパルスィに向けるのは望ましくない。
虐めるとは思わないが、毛色の変わった妖怪だとちょっかいを出されても困る。
パルスィの為と伝える手間が省けた以上、彼女がパルスィに構うような事態は避けたい。
「あ、おい」
歩き出しながら口を開く。
「地獄の鬼が恐ろしいから、では答えになりませんか」
「見え見えの嘘は嫌いだよ。嘘自体嫌いだ。おまえさんは誰にも関わりたくなかっただけだろうが」
彼女の心を染めるのは怒りの色。
やはり適当な嘘は通じない。
「耳に痛い。こういう時、嘘も方便という言葉のありがたみがわかります」
さて……どうしたものか。
彼女は私の横を歩いている。答えを聞かずに去る気はなさそうだ。
「地霊殿のがよくまぁあんなのに係うね? 旧都にいくらでも居る木端妖怪だろ?」
ここは全て嘘で済まさず、真実も口にした方がよいかもしれない。
「まぁ有体に言えばそうですが、とある方から頼まれましてね」
「ほう。地霊殿の主に物申せるような奴と所縁があったのかね」
「宇治の橋姫、と言えば通じますか」
声が止まる――どころか、彼女の足も止まっていた。
「……驚いた」
振り返り彼女の顔を見ると、言葉通りの驚きの表情。
「音に聞こえた大妖怪じゃないか。あいつ、あの化物の眷族だったのかい」
「詳しい関係までは……ただ、宇治の橋姫の書状には情が見て取れましたが」
無暗に言いふらしてよいことではない。また嘘を重ねる。
「はぁん。あの宇治の橋姫がね……」
「お知り合いで?」
「風の噂に聞いただけさ。それだけしか知らんが、らしくないとは思うよ」
その通りですよ、四天王。
本当に、らしくない。苛烈で知られた鬼女らしくない、最期だった。
笑って死ぬものとばかり――思っていましたよ。
「…………」
視線を感じる。
星熊勇儀は、思い遣るような視線を私に向けていた。
「死んだか」
鋭い方だ。心が読めなければ私の嘘がどこまで通じているか心配になるところです。
「……はい」
「惜しいね。…………一度喧嘩してみたかった」
あなたとあの鬼女の喧嘩なんて、想像もしたくない。旧都が消し飛びますよ。
「ん……川、か」
何時の間にやら旧都の外れまで出ていた。
川が……流れている。
「この水は宇治まで流れやしないだろうが……手向けだ。あの世で呑んでおくれ」
言って彼女は酒の入った瓢箪を川に投げ込んだ。
酒の重みか、瓢箪は徐々に沈んでいく。
「どうも」
「墓に手を合わせることも出来ないからね。せめてものってやつだ」
――墓なんて、ありはしませんけどね。
なんとなく立ち止まり、彼女と一緒に川の流れに見入っていた。
いつも騒がしい彼女も私の気分を察してくれたのか、黙っていてくれる。
沈黙に耐えかねたのは私だった。
「……何故死んだか、お聞きにならないのですか」
彼女が、パルスィがそうであるように私も親友の死を抱え切れていない。
誰かにぶちまけてしまいたかった。惨めだろうが愚痴となろうが構わずに当たり散らしたかった。
「知りたかない」
なのに返ってくるのは冷たい言葉。
「意外な言葉だ。あなたなら、知ろうとすると思いました」
今までの会話で彼女がパルスィを気にかけているのは察せた。
ならば根掘り葉掘りとまではいかなくとも探りを入れてくると思っていたのだが。
「否定はせんよ。あいつは地底の妖怪、私の仲間だ。傷があるなら癒そうと思うし……
嘆いているなら力になってやろうとも思う」
彼女らしい言葉。それを、一瞬で翻す。
「だがね、誰にだって、触れられたくない傷ってのはあるだろうさ」
その心を染めるのは後悔の色。
もう二度と繰り返さぬという誓いにも似た想い。
「知ればきっと私は橋姫に同情しちまう。憐みの目を向けちまう。それは御免さ。
初めて会った時に怒られてね。同情するなって。おまえの都合で近寄るなって」
裏表なく――彼女は己の罪を滔々と語る。
「きっとあいつの誇りを傷つけたんだろうな。だから、これ以上傷つけたくはない」
誇り、か。確かに彼女は身の丈に相応しくない程に誇り高い。
伝説の鬼女のそれを受け継いだのか、姫の名に恥じぬ気品をその身に秘めている。
磨き上げられた宝石に等しい輝きを持っている。
しかし、だからこそ、その心は脆く傷つきやすい。
彼女の心は……最早誰にも守られていないのだから。
「……もっと身勝手な方かと思ってました。意外にお優しいんですね」
「これも身勝手から出たもんさ。あいつの為と思ってるのかは自分でもわからん」
今あなたを見れば、それはわかるのでしょうか。
「優しいと言ったらおまえの方が優しいだろう。友の頼みであいつの面倒を見ている」
だが、と彼女の声音が変わる。
「――それだけが理由、って風には見えないがね」
「……どういう意味です?」
「そのまんまさ。なにか他に理由があるように見える」
言われて初めて違和感を覚える。
親友の願いだから、約束を破るのは矜持が許さないから、と己に言い聞かせていた。
不自然なほどに、マレクの名で正当化していた。
「――……そうかも、しれません」
「おまえさんほどの妖怪があいつに拘るってのは、少々気にかかる」
拘る。
考えもしなかった言葉。
だが私の行動は、友の頼みだからという域を逸している。
番人の役目を与え給金を支払う時点で約束は果たしていると云えるのに。
私の館で世話を出来なかった負い目?
違う。そんなものではない。私は、星熊殿の言う通り、拘っている。
水橋パルスィという木端妖怪に拘っている。
「ええ、彼女は弱い。心も体も。なのに、見えない」
悪戯の言い訳をする子供のように口が勝手に言の葉を紡ぐ。
「蜘蛛の巣のような整然としたものではなく、四方八方に無暗矢鱈と傷と痛みが張り巡らされていた。
複雑怪奇に過ぎて私でも直視に堪えない。見通すことが出来なかった」
水面に映し出される私の表情は無表情。
川の流れで歪んで映る筈の顔はそれでも感情を覗かせない形。
「この古明地さとりが。心読むさとりの妖怪が。何も見えなくなってしまった」
故に水面に見るのは水橋パルスィ。
記憶に焼き付いた少女の顔。
「私に見えない心。読めない思考。覗けぬ過去」
心が読めない。心を読めない。
閉ざした、閉ざされた――心。
「そう――――興味深い」
言い終えた私に、まだ視線は刺さったまま。
星熊勇儀は納得していないのか、睨むように私を見ている。
「……ふん」
声は、苛立っていた。
「誰を重ねてるのか知らんが、あいつはあいつだ。誰かじゃない」
重ね――る? パルスィに、誰かの影を見ていると?
「おまえさんが望む誰かにはなれないよ」
「…………」
顔を上げる。星熊勇儀を視る。
上っ面の言葉ではなく心からの言葉だった。
考える。彼女の言葉通りだとしたら、私は誰を重ねて……
あぁ、そういう、ことか。
脳裏を掠めたのは一人の少女。私の手にも余る生き方を選択した私の家族。
欠片ほども似ていないけれど――私にもどうしようもないという点において、パルスィと重なる。
「――驚いた。何時の間に第三の眼を?」
私自身自覚できなかったことを言葉にした鬼に素直に驚く。
それこそ心を読んだかのようだ。
「そんなもんなくても見えるもんはあるさ。特に」
だが彼女は自嘲の声を出す。
「同病なんとやら、ってときはね」
彼女の心を掠めるのは古い記憶。私には読めないそれが想起されている。
あれは、あの女性は彼女の――
想起されたそれが、彼女に、水橋パルスィに重なる。
つまり、星熊勇儀、あなたは……
「……責めて欲しいと思われましても、私には責められません。
それこそ同病なんとやらですから。同罪です」
「耳に痛いね」
彼女も、パルスィに大事な人を重ねていた。
私も彼女も愚かしいことをしているのかもしれない。
パルスィだって迷惑だろう。迷惑なだけだろう。
大妖怪と呼ばれた私たちが……不様なことだ。
星熊殿はくるりと背を向け歩き出す。
話は終わり、もう用も無い。
「あいつにゃ迂闊に手ぇ出さない方がいいよ」
だが――その言葉に宿る想いは、見逃せない。
「それは忠告ですか? ……それとも警告ですか?」
「警告? 物騒な言葉を使うね」
「……随分ご執着されてるようなので」
私には視えている。
言葉では木端妖怪とどうでもよさげに言いながらもパルスィから目を離せない鬼の姿が。
「っは」
しかし、嘘が嫌いな鬼はそれを否定した。
「執着? 私が? この星熊勇儀があんな小娘に?
笑えない冗談だな古明地の。出来が悪いにも程がある」
彼女は嘘を吐いていない。
苛つくこの声は本心からのもの。
「私は橋姫に違う誰かを重ねただけだ。それだけで十二分に自己嫌悪だよ。
その上あいつに執着だなんて、見苦しいことこの上ない。だから」
だのに心の底では真逆にパルスィのことばかりを考え想っている。
嘘ではない。なのに本心。
つまり、彼女は――その想いに、気づいていない。
「……そんなことはあり得ない」
鬼の去った川辺で私は立ち呆けている。
――それこそ笑えない冗談だ。
この旧地獄でその名を知らぬ者のいない一本角の鬼。四天王力の勇儀。
そんな彼女が己の慕情に気付かずささくれ立っている。己の心すら見えていない。
あまつさえそれを否定し真実から遠ざかってしまっている。
嘘を嫌う鬼が、嘘を成してしまっている。
「……星熊殿、それでは苦しむだけだ。己の真実から目を逸らしてしまっては」
いや――……私も、他人のことは言えない、か。
この胸に燻ぶるものが何なのか、わからない。
見えない。見えていない。この心読む妖怪と忌み嫌われる古明地さとりが。
己の心は――見えない。
懐に忍ばせていた金糸の髪を手に取る。
長く伸び、陽に焼かれた……彼女の年月を物語る金の髪。
少女に重ねた家族とは異なる髪。
だのに私はその髪を手放せずにいる。
私は、あの少女に影を見ていただけだったのだろうか。
友の願いを果たそうと執着していただけだったのだろうか。
私の心は…………鏡を覗いても、視えない。
どれだけ考えても、わからない。
金の髪を指に絡め口でぴんと張る。
幽かに、水の匂いがした。
このお話は
作品集68「星熊勇儀の鬼退治・零之弐~ちのそこで~」
作品集71「星熊勇儀の鬼退治・零之参~地の底の雨宿り~」
の直前・直後、パルスィが地底に来た頃のお話となっております
随分と睨まれている。
私もそう目付きの良い方ではないが、彼女のそれは私など比べ物にならない。
明確に悪意ある睨みだ。
しかし――大した胆力だとは思う。
感じる妖力の小ささといい、その矮躯といい……到底戦いに向いているとは言えないのに。
このような見知らぬ土地で見知らぬ、底など知りようがない相手にこうも敵意を剥き出しにするとは。
多少興味が向く。だが今は渡された書状に目を通すのが礼儀。彼女を『視』ることはいつでも出来る。
書状に視線を落とす。書き連ねられた文言を目で追い、最後の署名に辿り着く。
確かに古い知り合いの筆跡。この書状は本物である。
「……宇治川マレクの署名。……宇治の橋姫の書状、確かに受け取りました。
私が旧地獄の管理人、古明地さとりです。地霊殿へようこそ。水橋パルスィ」
「――……別に、あの人に言われたから来ただけよ」
挨拶すら突っぱねられる。
正直、困る。書状にはこの水橋パルスィをよろしく頼むと書かれていた。
これではよろしくと言われてもどうしようもない。
……だが、「あの」宇治川マレクがわざわざ書状まで寄越すとは。
伝説にその名を残す大妖怪。宇治の橋姫を知らぬ者など居はしまい。
それほどの妖怪が同族とはいえ、言っては何だがこんな弱者に構うとは思えなかった。
彼女の苛烈な性格を知っているから尚更だ。
水橋パルスィを見る。
容姿こそ可愛らしいものだが、妖怪としての格があまりにも劣っている。
恐らくは人間一人食ったこともあるまい。畏れられたことがあるのかすら疑問である。
到底彼女が構うような相手には見えないのだが……
「それをあなたに渡せと言われたから来た。それだけ」
水橋パルスィを見る。
「……書状の内容はあなたに関することです。あなたの世話を頼まれた。ですから」
「関わらないで」
――長い放浪を示す襤褸切れのような服。
野放図に伸びた、金に輝いていたであろう髪は陽に焼かれくすんでいる。
「私は誰とも関わりたくない。例えあの人の命でも嫌よ」
疲れ果てた様相。渇き飢え今にも倒れそう。
「世話なんて望んでない。私は独りで生きたい。私の望みはそれだけよ」
だのにその緑眼だけは爛々と獰猛な獣の如く輝いている。
「私は来たくなかった。誰にも会いたくなかった」
水橋パルスィを視る。
「誰も傷つけたくないから……ですか」
緑眼が見開かれ構えられる。
咄嗟に私の僕が躍り出る。
「お燐、お空、構いません」
僕を制す。宇治の橋姫の書状がある以上彼女に危害を与える訳にはいかない。
仮に水橋パルスィを殺しでもし、それが露見したら……地底は宇治川マレク配下の妖怪共に攻め込まれる。
彼の鬼女は容赦や慈悲などとは無縁。弁明の機会など与えられぬだろう。
私とて戦争は御免だ。
「――古明地さとり、さとり――ああ、さとりの妖怪ってわけね。
私の心を読んだのね。大した能力だわ……妬ましい」
敵意どころか殺意混じりの眼。
「……優しい内面とは真逆ですね水橋パルスィ。何をそんなに悪ぶるのです」
「悪ぶってなど」
「私に嘘は通じません。あなたの心が見えているのですから」
さらに強く睨まれる――彼女の心が乱れる。
心さえも嘘で塗り固めようとしているようだが、無駄だ。
言葉の嘘は簡単でも心の嘘は不可能である。絶対に本音が混じる、本音が透ける。
心を閉ざしでもしない限り、古明地さとりの眼からは逃れられない。
「……用件は果たした。さようなら」
無駄を悟ったのか背を向け逃げ出そうとする。
「お待ちなさい」
しかしそれもまた無意味。
私の手には書状があり、私が果たすべき約束はまだ始まってすらいない。
「まずは――食事、いえ服ですかね。今用意させます」
「あなたに世話を焼かれたくないと言ったでしょう。私は一人になりたいのよ」
「それは、本心ですね」
「な……っ」
心底望んでいようが彼女の意思など関係ない。私は私の義務を果たすだけだ。
「悪いねぇお姉さん。ここは一つ穏便に従っとくれよ」
「放しなさいよ……!」
「そいつぁ無理な相談だ。ご主人様の命令にゃ逆らえない」
私の僕――お燐に捕まってもなお暴れる。
水橋パルスィは決して愚かではない。むしろ頭は切れる部類だろう。
なのに、お燐との力量差に気付いているにも関わらず無駄な抵抗をしている。
頭の中は怯えでいっぱいだというのに屈せず暴れている。
色々……解せない妖怪だ。
「あたいは力で従わせるとか苦手でさぁ。ほら、お姉さんも火傷なんてしたかないだろ?」
本心ではないお燐の脅しも効果はない。
だが、ここで無駄に暴れられて怪我でもされては具合が悪い。
あの宇治の橋姫に頭を下げられたのだ。約定を破るなど矜持が許さない。
「水橋パルスィ」
彼女を真正面に見据え、ほんの少し妖力を解放する。
「私は己が強いなどと驕れませんが――あなた程度なら片手間に殺せる」
これでも古の大妖に名を連ねる者。彼女のような赤子に等しい妖怪とは格が違う。
殺気混じりの妖気だけで彼女の動きも思考も奪うなど容易い。
「…………?」
しかし、パルスィは暴れるのこそやめたが、その恐れはあまり私に向いていなかった。
精々四割。残りの六割は別のものへの恐怖で占められている。
――心の中は乱れていて、見通せない。幽かに断片が見て取れる程度。
「……約束……?」
思わず洩らした呟きにパルスィの顔色が変わる。
「読まないで」
明らかに――怯えていた。
お燐や私に生じた恐れなど比べ物にならない恐怖の色。
「あなたの言う通りにするから……読まないで」
私が洩らした「約束」という一言に怯え切っている。
視線を逸らす。彼女の心を読まぬように。
「わかりました。ではお燐、パルスィに着替えを……そうですね、例の服を。
お空は食事の支度をしてください。肉類は避けて消化の良いものを」
……私とて弱い者いじめをしたいわけではない。彼女が従うというのならそれでいい。
お燐はパルスィを連れ、お空も食事の支度に去っていく。
扉が閉ざされ、私は深く息を吐いた。
やはり……力で脅すのは、気分が悪い。
数刻後。
パルスィは着替えを終え、食堂まで連れてこられ出された食事を睨んでいた。
席に座らせて数分。スプーンを手に取る素振りさえ見せない。
あの一言で心は折れていなかったのか、まだ反発するつもりのようだ。
「パルスィ」
「――わかったわよ」
食事を始める。
言う通りにするという約定を守る気はあるのか、私が促しただけでスプーンを手に取る。
視るに私に従うのは背後でお燐が監視しているから、というわけではなさそうだ。
そこは……旧友である宇治の橋姫に通ずるものがあった。
彼の鬼女も変なところで誠実だった。
「食事は口に合うようですね。よかった」
軽口を挟むが相槌は無い。
これが空腹の為に食事に夢中、などであったなら可愛げも感じたが、違う。
純粋に私を嫌っているようだ。
嫌われるのは慣れているのでどうということはないが……
……流石にその服、その顔でそんな態度を取られると傷つく。
宇治の橋姫なら噛みつきこそすれど無視はすまい。
いや、もちろん宇治の橋姫と水橋パルスィは別人だと理解しているのだが。
やたらと彼の鬼女を思い出す。もう五・六百年は会っていないというのに。
しかしそれも宜なるかな。
体を洗い、野放図に伸びた髪を整えこの服を着た少女は……旧友に、マレクに似ていた。
彼の鬼女の幼い頃にそっくりである。
支度を終えた彼女が食堂に入って来た時など目を丸くした。
マレクを思い出させるには十分に過ぎている。
襤褸を纏っていた初見でこそ宇治の橋姫の同族にしては、と思ったが……これは。
……あの書状にはマレクとパルスィの繋がりは何も書かれていなかった。
ただパルスィを頼むと哀願にも似た調子で書き綴られていた。
血縁か? いや、あの鬼女がその程度の繋がりで頭を下げるような真似はすまい。
なら、もっと近しい関係……?
そもそも何故マレクは己で面倒を見ない? 彼女がこのように放り出すなどおかしい。
書状の文面から感じられる情と、パルスィを一人で寄越すという行動には矛盾が見える。
さらに態々幻想郷でも辺鄙な地底に籠る私を名指しで頼るなど……異常とすら言える。
私と彼女は、友人と云える関係ではあるがずっと疎遠だった。
宇治の橋姫ともなれば旧都の四天王にも知り合いは居た筈。天狗の総大将すらも頼れたかもしれない。
それが私を名指しで? 確かに私は友人だが……まるで咄嗟に思いついたのが私だけだったかのような。
書状を思い出す。間違いなく彼女の字だった。しかし……彼女の字にしては乱れてなかったか?
旧友の手紙ではないとは言わない。パルスィの態度からして私に取り入ろうと云う細工では無い。
確かに彼女の字。だが乱れが見えた。慌てて書いたような、乱れ……
――宇治川マレクに何があった?
「…………」
パルスィに訊ねるべきだろうか。
訊いても素直に答えるとは思えないが、それでも気にかかる。
……しょうがない。得意ではないが、会話から誘導してみよう。
「その服、よく似合います」
かちゃり、とスプーンが器に触れる音が響く。
一応本心であったのだが、そうとは受け取られなかったようだ。睨まれている。
「会話も、あなたの命令に含まれるのかしら」
「命令などでは。ただの、極普通の会話のつもりです」
「しろと言うのなら返事くらいはするわ」
取り付く島もない。徹底して嫌われてしまっている。
心を見ても、私への敵意一色。どうしようもない。
どうにも、話術と云うものは苦手だ。
諦めて適当に話しながら探るとしよう。
「……その服は、宇治川マレクの物です。かつて懇意にしていた頃――」
硬質な音が響く。
顔を上げると、パルスィがひどく驚いたような顔でスプーンを取り落としていた。
「パルスィ? ……どうしました?」
心が見える。
――過去が想起されている。
過去の記憶を読むことは出来ぬ私だが、思い起こされた記憶ならば読める。
見えて、しまう。
初めに聞こえたのは少女の悲鳴。
私の古い友人でね――め……じ……とりという女なんだが、また……もない奴でね。
次いで見えたのはマレクの笑顔。
暖かさを感じる記憶。これはパルスィの感情が持つ温度か。
――しかし場面は一転して紅に染まる。
悲鳴。恐怖。悲しみ。
笑顔。愛情。暖かさ。
それらが一緒くたに紅に染め上げられて
やめて! やめてよぉっ!!
愛しい子よ――お前だけはどうか生き延びておくれ。
いや! こんなの、いやぁ!!
私はお前を怖いなどと思わない。私はお前が愛しいよ、パルスィ。
私は、あなたを――――
パルスィ、お逃げ。お前だけなら逃げられる。
この力は、こんなの要らなかったっ!! 私は誰も傷つけたくなんか――っ!
また私にそっくりだ。ふふ、お前は将来きっと美人に育つよ。
やだ、やだやだやだやだやだっ!! 死なないで! 死なないでよっ!!
パルスィ。私の最後の願いを聞いておくれ。
おかあさ――――――――――――――――
「さとり様っ!」
お空の声で現実に引き戻される。
しかし私は座っていることもままならずそのまま机に倒れ込んだ。
「さとり様! 貴様何をぉっ!!」
「お待ちよお空! この子は何もしちゃいない!」
お空たちの声が遠い。なにやら言い争っているようだが制止することも出来ない。
金槌で殴られたように目眩がする。
断片的な記憶。時間の経過など無意味に羅列された過去。赤。よく知る笑顔。
辛い記憶。赤。夜討ちの如き惨状。彩りなど失われ一色に塗り潰された記憶。血。
死体。血。累々と横たわる骸。悲しみ。赤。悲鳴。子供の泣き声。血。憎悪。死体。赤く汚された笑顔。怨念
。血。後悔。涙。否定。拒否。月のない夜道。鈍く光る刃。血。焼き付いた過去憎悪怨念後悔血呼吸すら忘れ怨
念を燃料にするも適わずただ最期の言葉に従い目的も無く続く生殺したい真っ暗な空憎い痛い血が歩けども先は
見えず殺したい血が止まらない死んでしまう愛しい笑顔嫌だ憎い私のせいで助けて誰か血憎い赤許せない憎い空
を見上げても何も見えない憎い世界が赤く染まっていく赦せないあの人の血が流れて憎い憎い憎い己が憎い殺し
たい殺したい殺したい己を殺したい許せない赦せない――己が憎くて、殺したい
「う、ぐ」
頭が、割れそうに、痛い。
一度に流れ込んだ膨大な苦痛の記憶に、処理が追いつかない。
どこまでが私の客観視で、どこからが彼女の主観だった?
いやそも区別がつけられるのか。既に記憶は混乱して――
なんだって? 誰が――殺された、って?
「な――――そんな」
心を覗く第三の目を軽く閉じ顔を上げる。
緑眼が、何の感情も籠めずに私を見降ろしていた。
「ああ、なんだ。あなただって私の心には耐えられないじゃない」
「ぱ、パル、スィ」
「もう関わらないで。狂い死ぬわよ」
立ち上がり去ろうとする背中に声をかける。
「待ち、なさい。水橋パルスィ」
必死の想いが伝わったか、止まってくれる。
「……彼女は、宇治の橋姫は――宇治川マレクは」
「ええ、死んだわ」
肯定される。
「見たのでしょう? あの人は、私を庇って死んだ。私の代わりに人々に討たれた」
友人の死が――肯定される。
心を見ても信じられなかった。パルスィに肯定されるまで、信じ切れなかった。
「あぁ……あの人の、友達だったの? ごめんなさい」
感情の籠らぬ冷たい声で彼女は謝罪した。
「あなたの友達は私が殺した」
「なにを……!」
反射的に否定する。
「あなたの、心は視えた……! あなたは十二分に苦しんでいる……!
手を下したのだってあなたじゃない! なのに、そんな己を傷つけるような真似は」
「それでも」
否定を、否定される。
「私が殺したようなものよ」
ち、がう。
視えた記憶では、そんなことはなかった。
よくわからない切っ掛けこそ、パルスィだったが、その後は……
違う。マレクが、パルスィを守ろうと動いて、それで。
「信じ――られない。あの鬼女が、そんな、簡単に」
死んだ。
旧友が、マレクが、殺された。
悪鬼を討たんとする者たちに、殺された。
「外の様子を知らないようね古明地さとり」
第三の目を閉じた私には彼女がどんな気持ちでそれを言ったのかわからない。
「外の妖怪はその力の殆どを失った。人々は妖怪を忘れ私達は彼らに関われなくなり食うことすら叶わない。
あの人も、宇治川マレクだって、最早なんの力もなかった」
心が見えない私には、彼女の浮かべる無表情でしか推し量ることは出来なかった。
「だから死んだ。鬼女は人々に討たれた。平穏の為に。忌避される悪鬼は退治された」
その言葉を受け入れることしか出来ない。
忘れられ、殺され、嘗ての大妖はこの世から抹消された。
私の友人は――もうこの世に居ない。
もう机に縋ることすらできない。
脱力し、膝をついて、項垂れる。
「…………何故、何故幻想郷に来なかったのです。幻想郷ならば、そんなことには」
「矜持よ」
――友人を想起させる緑眼。
強い意志――誇りが籠められた、緑の瞳。
「私達橋姫は、町に棲む妖怪だから。人々と縁を切ってまで生き延びたくはないと、あの人は拒んだ。
再三賢者が迎えに来ていたらしいけど、あの人は一度も応じず外に残った」
マレクの死を、肯定する。
「あの人は、最期まで戦い、死んだのよ」
無惨に終わったけれど……誇り高く生きたのだと、肯定する。
力及ばず死んだマレクを責めていない。
マレクを討った人々さえ恨んでいない。
全てを肯定した上で――――マレクの最後を、誇った。
力も、格も……遠く及ばないのに、その気品は、それだけは彼の大妖怪に匹敵した。
「……パルスィ」
故に――気付く。
私が見た、怨念。あの記憶の中で渦巻いていた殺意。
あれらは、全て己に向けられていた。
パルスィは……己だけを恨み、憎み、否定している。
彼女が憎んでいるのは、他者を害する能力を御しきれぬ自分自身。
「あなたの所為だけじゃ――ない。あれは、人間の愚かしさが……」
「いいえ。悪いのは私。人間に害を与え、忘れた恐怖を煽った私の所為」
真っ直ぐに己の罪を見つめ、己の存在すらも否定した。
「あの人を殺したのは私よ」
視ることが出来ない。
己を責め続ける少女の心を、視るなんて出来なかった。
私にはもう、彼女の心が読めない。
だって、ずっと叩いていた憎まれ口は私を思ってのものだった。
己を嫌わせ、遠ざけて、御しきれぬ能力で傷つけぬようにと必死に演じた芝居だった。
独りになりたいという願いは――微塵も己に還らぬ他者への情け。
嗚呼、マレク。数百年も便りの一つも寄越さないで、最期の頼みがこれだなんて。
私にだって、どうしようもない――――この少女には……救いが無さ過ぎる。
「あなたの友人を殺した妖怪の面倒なんて見切れないでしょう。出ていくわ。さようなら」
止められない。
止めるべきだ。
彼女を独りにさせるべきではない。
無力感に膝をついたが、そんなことに構っていられない。必死に声を絞り出す。
「ま、待ちなさい……ここを出て、どこで生きるというのですか。独りで生きるとでも。
誰からも離れて生きるなんて、無茶です。のたれ死ぬだけだ。あなたは、よもや死ぬ気なのですか」
睨まれる。
マレクの服に身を包んだ少女は無表情に私を見る。
「死ぬ? 私が、自殺をするとでも?」
言って少女は懐剣を、抜いた。
「待ちなさ――っ!」
ばさりと、金糸が散る。
「……え?」
長く伸びて、簡素に結われていた彼女の髪が、短く……
「……心を読んでも読み切れなかったようね」
「ぱ、パルスィ……?」
「私は、死なない。死ねないの。あの人の、最期の願いだから」
ぱちりと懐剣を納める。
「死なないためならなんだってやってやる。女だって捨ててやる」
気づく。
彼女は一度もマレクとの関係を口にしない。ずっと他人のように呼び続けている。
己を許せぬからか、己の命を断つ衝動を抑える為か。
罪の意識から誰とも関わらぬと決め、マレクとの約束で死なぬと決めた。
どれだけ己を傷つけようと他人を守り続けると、決めた。
髪さえも切った。それは――苛烈なまでの決意の表れ。
彼女の意思を曲げることは不可能だと……知る。
「――わかりました。もうあなたを引き留めない」
それでも……私だって、約束を果たさぬ訳にはいかない。
「その代わりあなたを地上と地底を結ぶ縦穴の番人に命じます」
嘗ての親友との約束は――破れない。
「水橋パルスィ、あなたは橋姫として……彼岸と此岸の狭間を守りなさい」
あれから数日が過ぎた。
勢いで地上と地底を結ぶ縦穴の番人に命じたが……早計だったかもしれない。
彼女は他人と関わるのを酷く恐れている。
それは恐らく、宇治の橋姫を死に追いやってしまった自責からだろうが……
彼女の為にも完全に関わりを断つよりはましと考え番人に仕立てたが、まだ早かった。
あの傷は、彼女の心の傷はなんら癒えていない。
なにせ唯一の通路。誰かしら必ず通る。そうすれば彼女は必ず関わってしまう。
少なくともその機会を減じるべきだ。
私は旧都に向かっていた。
旧都の民にそれとなく地上を目指さぬように――あの縦穴に近づかぬようにと伝えるために。
やがて見えてくるのは――光る山。山のような町。
陽の射さぬ地底にあって灯りの絶えぬ不夜城。
鬼をはじめ地底に住む多くの妖怪が集まる町、旧都。
……こうして見上げると本当に城のようだ。
無計画に継ぎ足された家々や屋敷が複雑に絡み合い形を成している。
嫌われ者の私としては少々圧倒されて、入るのに気後れしてしまう。
まぁ――そうも言っていられない。これは私の矜持の問題でもある。
華やかな町に一歩を踏み入れる。
響くのは笑い声。時折聞こえる荒っぽい声は喧嘩を囃し立てる酔っ払いか。
やがて住民たちの目が私に向いてくる。
恐ろしい、あれは地霊殿の主だ。心を読まれるぞ。酔いが醒めてしまう、などなどと考えられる。
さて、注目されているようだがここで言ってもそう広まりはすまい。
やはり四天王の方々に協力を仰ぐのが賢明か……伊吹殿か星熊殿に会えればいいが。
聞いた話では伊吹殿は殆ど屋敷に居ないらしい。ならば星熊殿の屋敷に行こう。
星熊殿には好かれていない、というよりどちらかと言えば嫌われているようだが構ってられない。
それに彼女は面倒見がいい。私のような者は兎も角パルスィに関しての頼みなら聞いてくれるだろう。
星熊殿の屋敷はこちらだったか……慣れぬ旧都の道に迷ってしまいそうだ。
一際大きな声が響いた。
何事かと目をやれば――あれは、鬼の四天王。星熊勇儀。
「皆も知っていると思うが、地上は結界で閉ざされたらしい」
旧都の民を集め何事か声を張り上げている。
「これで我らが地上へ出向く理由も無くなったわけだ! なにせ強い奴が増えないんだからな!」
それは間違っている。八雲紫の敷いた結界は幻想となった妖怪を自動的に集めるものだ。
……私の親友のように拒む者も居たようだが。
「喧嘩も楽しめないんじゃ地上に行く必要もない。旧都で暴れ、呑み、騒ごうぞっ!」
これは。
「さぁ堅苦しい演説は終いだ。言った通り暴れ呑み騒ぐぞー!」
……私が頼もうと思っていた通りの演説だ。
集められた妖怪たちは応え散り散りに去っていく。
「ん?」
そして彼女は――知ってか知らずか、私の方へと歩いてきた。
「おう古明地の。供も連れずに出歩くとは珍しい」
「お久しぶりです四天王」
見える心でも同じことを考えている。
彼女は私に苦手意識を抱いているようだが、こういう裏表のない性格には好感が持てる。
ほう。あんまり見ないでくれ、ですか。疚しい処もないあなたが珍しい。
「何か用かい? 旧都に来るなんて久しぶりだろ」
「ええ、あなたに頼みごとがあったのですが……どうやら済んでしまったようです」
「? 相変わらず何考えてるのかわからないね」
謎かけのつもりはなかったのですがね。言葉が足りなかったらしい。
「今あなたが行った演説です。旧都の民が地上に行かないように頼むつもりでした」
「そりゃ奇遇だ。にしても……随分地上との行き来を制限するね」
自由を標榜する鬼故にか、私の方針が気に食わなかったようだ。
「橋姫のあれは、おまえさんの計らいかい?」
一瞬どきりとする。
橋姫。間違いなくパルスィのことだ。私の知る限り旧都には他の橋姫は居ない。
もう会っていたのですか、四天王。
「あれ。ふむ。番人に命じたことですか。ええそうです」
「折角会話してんだから心を読むのやめて欲しいねぇ」
今は読んでいないのだが……訂正するほどのことでもなかろう。話を進める。
「私の眼は開きっぱなしですので。……隠し事をする気はない、ですか。
なら読んでも構わないのでは?」
「そうだけどね。まぁ気分的なもんだよ」
いまいち理解できない。隠さないのなら見られてもよいと思うのだが。
「で、なんでまたいきなり番人を置いたりなんだりと動いてるのかね?」
疑問を感じる彼女の言い分も尤も。
しかし旧地獄の管理人としてではなく、古明地さとり個人として動いたことは言えない。
――親友の頼みとはいえ小娘一人の為に地底全てを巻き込もうとしているとは言えない。
「地上も様子が変わったようですので」
故に嘘を吐く。
「これを機に地上との交流を断とうかと」
表情一つ変えず眉一つ動かさずに彼女の顔を見る。
「忌み嫌われて追いやられた者たちです。ならば平穏の為にいっそ隔離してしまった方がよいでしょう。
噂では地上の幻想郷そのものが隔離されたようですが……まるで真似のような形になりました」
言葉の嘘は得意――である。
怪訝な顔をされる。納得に至っていない。
「……まぁ、出て行こうなんて奴ぁ殆ど居ないからいいけどさ」
嘘は……通じたようだ。
「しかし、腑に落ちん。なんで橋姫に役職なんてもんを与えたんだい?
おまえさんは大体飼ってる妖獣に任せきりじゃないか」
新たな問いが飛び出す。
「私らですら何かを任されるなんてことはなかった」
……答えずに済ます訳にはいかないだろう。
しかしあまり彼女の目をパルスィに向けるのは望ましくない。
虐めるとは思わないが、毛色の変わった妖怪だとちょっかいを出されても困る。
パルスィの為と伝える手間が省けた以上、彼女がパルスィに構うような事態は避けたい。
「あ、おい」
歩き出しながら口を開く。
「地獄の鬼が恐ろしいから、では答えになりませんか」
「見え見えの嘘は嫌いだよ。嘘自体嫌いだ。おまえさんは誰にも関わりたくなかっただけだろうが」
彼女の心を染めるのは怒りの色。
やはり適当な嘘は通じない。
「耳に痛い。こういう時、嘘も方便という言葉のありがたみがわかります」
さて……どうしたものか。
彼女は私の横を歩いている。答えを聞かずに去る気はなさそうだ。
「地霊殿のがよくまぁあんなのに係うね? 旧都にいくらでも居る木端妖怪だろ?」
ここは全て嘘で済まさず、真実も口にした方がよいかもしれない。
「まぁ有体に言えばそうですが、とある方から頼まれましてね」
「ほう。地霊殿の主に物申せるような奴と所縁があったのかね」
「宇治の橋姫、と言えば通じますか」
声が止まる――どころか、彼女の足も止まっていた。
「……驚いた」
振り返り彼女の顔を見ると、言葉通りの驚きの表情。
「音に聞こえた大妖怪じゃないか。あいつ、あの化物の眷族だったのかい」
「詳しい関係までは……ただ、宇治の橋姫の書状には情が見て取れましたが」
無暗に言いふらしてよいことではない。また嘘を重ねる。
「はぁん。あの宇治の橋姫がね……」
「お知り合いで?」
「風の噂に聞いただけさ。それだけしか知らんが、らしくないとは思うよ」
その通りですよ、四天王。
本当に、らしくない。苛烈で知られた鬼女らしくない、最期だった。
笑って死ぬものとばかり――思っていましたよ。
「…………」
視線を感じる。
星熊勇儀は、思い遣るような視線を私に向けていた。
「死んだか」
鋭い方だ。心が読めなければ私の嘘がどこまで通じているか心配になるところです。
「……はい」
「惜しいね。…………一度喧嘩してみたかった」
あなたとあの鬼女の喧嘩なんて、想像もしたくない。旧都が消し飛びますよ。
「ん……川、か」
何時の間にやら旧都の外れまで出ていた。
川が……流れている。
「この水は宇治まで流れやしないだろうが……手向けだ。あの世で呑んでおくれ」
言って彼女は酒の入った瓢箪を川に投げ込んだ。
酒の重みか、瓢箪は徐々に沈んでいく。
「どうも」
「墓に手を合わせることも出来ないからね。せめてものってやつだ」
――墓なんて、ありはしませんけどね。
なんとなく立ち止まり、彼女と一緒に川の流れに見入っていた。
いつも騒がしい彼女も私の気分を察してくれたのか、黙っていてくれる。
沈黙に耐えかねたのは私だった。
「……何故死んだか、お聞きにならないのですか」
彼女が、パルスィがそうであるように私も親友の死を抱え切れていない。
誰かにぶちまけてしまいたかった。惨めだろうが愚痴となろうが構わずに当たり散らしたかった。
「知りたかない」
なのに返ってくるのは冷たい言葉。
「意外な言葉だ。あなたなら、知ろうとすると思いました」
今までの会話で彼女がパルスィを気にかけているのは察せた。
ならば根掘り葉掘りとまではいかなくとも探りを入れてくると思っていたのだが。
「否定はせんよ。あいつは地底の妖怪、私の仲間だ。傷があるなら癒そうと思うし……
嘆いているなら力になってやろうとも思う」
彼女らしい言葉。それを、一瞬で翻す。
「だがね、誰にだって、触れられたくない傷ってのはあるだろうさ」
その心を染めるのは後悔の色。
もう二度と繰り返さぬという誓いにも似た想い。
「知ればきっと私は橋姫に同情しちまう。憐みの目を向けちまう。それは御免さ。
初めて会った時に怒られてね。同情するなって。おまえの都合で近寄るなって」
裏表なく――彼女は己の罪を滔々と語る。
「きっとあいつの誇りを傷つけたんだろうな。だから、これ以上傷つけたくはない」
誇り、か。確かに彼女は身の丈に相応しくない程に誇り高い。
伝説の鬼女のそれを受け継いだのか、姫の名に恥じぬ気品をその身に秘めている。
磨き上げられた宝石に等しい輝きを持っている。
しかし、だからこそ、その心は脆く傷つきやすい。
彼女の心は……最早誰にも守られていないのだから。
「……もっと身勝手な方かと思ってました。意外にお優しいんですね」
「これも身勝手から出たもんさ。あいつの為と思ってるのかは自分でもわからん」
今あなたを見れば、それはわかるのでしょうか。
「優しいと言ったらおまえの方が優しいだろう。友の頼みであいつの面倒を見ている」
だが、と彼女の声音が変わる。
「――それだけが理由、って風には見えないがね」
「……どういう意味です?」
「そのまんまさ。なにか他に理由があるように見える」
言われて初めて違和感を覚える。
親友の願いだから、約束を破るのは矜持が許さないから、と己に言い聞かせていた。
不自然なほどに、マレクの名で正当化していた。
「――……そうかも、しれません」
「おまえさんほどの妖怪があいつに拘るってのは、少々気にかかる」
拘る。
考えもしなかった言葉。
だが私の行動は、友の頼みだからという域を逸している。
番人の役目を与え給金を支払う時点で約束は果たしていると云えるのに。
私の館で世話を出来なかった負い目?
違う。そんなものではない。私は、星熊殿の言う通り、拘っている。
水橋パルスィという木端妖怪に拘っている。
「ええ、彼女は弱い。心も体も。なのに、見えない」
悪戯の言い訳をする子供のように口が勝手に言の葉を紡ぐ。
「蜘蛛の巣のような整然としたものではなく、四方八方に無暗矢鱈と傷と痛みが張り巡らされていた。
複雑怪奇に過ぎて私でも直視に堪えない。見通すことが出来なかった」
水面に映し出される私の表情は無表情。
川の流れで歪んで映る筈の顔はそれでも感情を覗かせない形。
「この古明地さとりが。心読むさとりの妖怪が。何も見えなくなってしまった」
故に水面に見るのは水橋パルスィ。
記憶に焼き付いた少女の顔。
「私に見えない心。読めない思考。覗けぬ過去」
心が読めない。心を読めない。
閉ざした、閉ざされた――心。
「そう――――興味深い」
言い終えた私に、まだ視線は刺さったまま。
星熊勇儀は納得していないのか、睨むように私を見ている。
「……ふん」
声は、苛立っていた。
「誰を重ねてるのか知らんが、あいつはあいつだ。誰かじゃない」
重ね――る? パルスィに、誰かの影を見ていると?
「おまえさんが望む誰かにはなれないよ」
「…………」
顔を上げる。星熊勇儀を視る。
上っ面の言葉ではなく心からの言葉だった。
考える。彼女の言葉通りだとしたら、私は誰を重ねて……
あぁ、そういう、ことか。
脳裏を掠めたのは一人の少女。私の手にも余る生き方を選択した私の家族。
欠片ほども似ていないけれど――私にもどうしようもないという点において、パルスィと重なる。
「――驚いた。何時の間に第三の眼を?」
私自身自覚できなかったことを言葉にした鬼に素直に驚く。
それこそ心を読んだかのようだ。
「そんなもんなくても見えるもんはあるさ。特に」
だが彼女は自嘲の声を出す。
「同病なんとやら、ってときはね」
彼女の心を掠めるのは古い記憶。私には読めないそれが想起されている。
あれは、あの女性は彼女の――
想起されたそれが、彼女に、水橋パルスィに重なる。
つまり、星熊勇儀、あなたは……
「……責めて欲しいと思われましても、私には責められません。
それこそ同病なんとやらですから。同罪です」
「耳に痛いね」
彼女も、パルスィに大事な人を重ねていた。
私も彼女も愚かしいことをしているのかもしれない。
パルスィだって迷惑だろう。迷惑なだけだろう。
大妖怪と呼ばれた私たちが……不様なことだ。
星熊殿はくるりと背を向け歩き出す。
話は終わり、もう用も無い。
「あいつにゃ迂闊に手ぇ出さない方がいいよ」
だが――その言葉に宿る想いは、見逃せない。
「それは忠告ですか? ……それとも警告ですか?」
「警告? 物騒な言葉を使うね」
「……随分ご執着されてるようなので」
私には視えている。
言葉では木端妖怪とどうでもよさげに言いながらもパルスィから目を離せない鬼の姿が。
「っは」
しかし、嘘が嫌いな鬼はそれを否定した。
「執着? 私が? この星熊勇儀があんな小娘に?
笑えない冗談だな古明地の。出来が悪いにも程がある」
彼女は嘘を吐いていない。
苛つくこの声は本心からのもの。
「私は橋姫に違う誰かを重ねただけだ。それだけで十二分に自己嫌悪だよ。
その上あいつに執着だなんて、見苦しいことこの上ない。だから」
だのに心の底では真逆にパルスィのことばかりを考え想っている。
嘘ではない。なのに本心。
つまり、彼女は――その想いに、気づいていない。
「……そんなことはあり得ない」
鬼の去った川辺で私は立ち呆けている。
――それこそ笑えない冗談だ。
この旧地獄でその名を知らぬ者のいない一本角の鬼。四天王力の勇儀。
そんな彼女が己の慕情に気付かずささくれ立っている。己の心すら見えていない。
あまつさえそれを否定し真実から遠ざかってしまっている。
嘘を嫌う鬼が、嘘を成してしまっている。
「……星熊殿、それでは苦しむだけだ。己の真実から目を逸らしてしまっては」
いや――……私も、他人のことは言えない、か。
この胸に燻ぶるものが何なのか、わからない。
見えない。見えていない。この心読む妖怪と忌み嫌われる古明地さとりが。
己の心は――見えない。
懐に忍ばせていた金糸の髪を手に取る。
長く伸び、陽に焼かれた……彼女の年月を物語る金の髪。
少女に重ねた家族とは異なる髪。
だのに私はその髪を手放せずにいる。
私は、あの少女に影を見ていただけだったのだろうか。
友の願いを果たそうと執着していただけだったのだろうか。
私の心は…………鏡を覗いても、視えない。
どれだけ考えても、わからない。
金の髪を指に絡め口でぴんと張る。
幽かに、水の匂いがした。
猫井さんの描かれるパルスィとこの過去が妙にマッチして「すげー」と納得してしまいました
これはあれですか?さとパルの伏線ですか?ですよね!そうなんですよね!!そーなのかー。
いつかきっと、勇儀みたいに、自分の心に向き合えるようになると信じて……。そして、さとりの暴走(ストーカー)が始まる。
どうなるんだろうなぁ、ストーキングかなぁ・・・(ナニイッテンダコイツ
まぁ個人的には原作とどうにも結びつかんイメージですが、話として見入ってしまったのは確か。
とりあえず後のことも考えると、よかったなぁ、パルスィ。って感じです。
マリアリ
勇パル New!
という感じになってしまった。言葉に表せられないけどいい! 最初のから一気に読んじまった
まだ続くのであれば、応援したいシリーズです