「えっと、あとはお嬢様のお部屋に飾るお花を……」
ここは人間の里。
瀟洒に歩くは十六夜咲夜。
「あ、これ下さる?」
「へい、まいど」
花屋の主人に声を掛け、見栄えの良い薔薇を何輪か購入する。
これで今日の買い物は終了だ。
「……あら。一雨来そうね」
ふと空を見上げると、今にも泣き出しそうな厚い雲が広がっていた。
太陽は完全に覆われており、まだ夕方だというのに辺りは薄暗い。
「早く帰って、お嬢様を起こして差し上げないと」
彼女の主、レミリア・スカーレットは夜に生きる吸血鬼である。
その種族的な特性から、日中は寝ている事が多い。
今日もその例に漏れず、咲夜が館を出る頃には、レミリアはまだ夢の中だった。
布団にくるまり、頭のてっぺんだけがちょこんと見えている主の寝姿を思い出し、咲夜の顔は思わず綻ぶ。
鼻の付け根を押さえ、少し上を向いて歩いているのは気にしてはいけない。
そんなときだった。
「このっ! このっ!」
「えいっ! えいっ!」
「あーれー。やーめーてー」
何処からか聞えてきた、子供のものとおぼしき、いくつかの声。
「今のは……」
咲夜は表情を険しくする。
明らかに、無邪気に遊んでいるような声ではなかった。
「……あそこかしら」
声の大きさ、聞えた方向から、咲夜はその発信源を推定した。
今、自分が歩いているのは大通り。
そこから何本か左右に延びている小道のうちの、一本。
ちょうど、大通りからは死角になりやすい場所だ。
「急がなければ」
咲夜は地を蹴り、瞬く間にその小道へと入る。
見ると、三人ほどの子供達が、誰かを取り囲むようにしながら、次々に罵声を浴びせていた。
「やーい、やーい」
「どうだ、参ったか」
「ぎゃはははは」
「うー! うー!」
咲夜の位置からでは、被害に遭っているとおぼしき子供の姿はよく見えないものの、周囲の子供達が、何かをしきりに蹴ったり、棒で突っついたりしているのが見えた。
その光景を目にした咲夜は、瞬時にその中に割って入っていった。
「貴方達! もうやめなさい!」
そう叫びながら、強引に身体を割り込ませ、被害に遭っている子供の前に進み出る。
「大丈夫? もう心配要らないわよ……って」
そこで咲夜が目にした、懸命のしゃがみガードで子供達の攻撃に耐えていた人物とは。
「あ。咲夜」
――十六夜咲夜が主、レミリア・スカーレットその人だった。
「おじょ……お嬢様ァ!?」
思わず目を丸くし、素っ頓狂な声を上げる咲夜。
「なななな、何でお嬢様がこんなところに!?」
「いや、お前にこれを渡そうと思ってね」
レミリアはそう言って、何事も無かったかのようにすっくと立ち上がると、咲夜に何かを差し出した。
「こ、これは……私のカチューシャ?」
「ああ。お前、忘れていっただろう」
レミリアにそう言われ、慌てて頭に手をやる咲夜。
確かに、そこには普段から身に付けているはずのカチューシャは無かった。
完璧で瀟洒な従者とはいえ、十六夜咲夜もまた人間である。
年に一度くらいは、こういうこともある。
「珍しく、夕刻前に目が覚めちゃってね。そしたら、お前がこれを忘れてるのを見つけたのさ」
「で、でも、何もお嬢様自ら御出でにならなくても……美鈴あたりにでも言付けて頂ければ……」
「まあ、そうしてもよかったんだがね。でも私も暇を持て余していたし、折角の機会だし、久しぶりに人里にお忍びで遊びに行くのも悪くはないかなと思ってね」
「お忍び……ですか」
「ああ。でも何せ久しぶりだったもんでね。羽根を隠すのを忘れてたんだよ。そしたら早速こいつらに見つかっちまって、あの有様さ」
レミリアはそう言って笑いながら、先ほどまで自分を取り囲んでいた子供達の方を見やる。
思わず、ビクッと反応する子供達。
……しかし。
「お、おれ達は悪くないぞ!」
「そ、そうだ! 吸血鬼のくせに、里に来るのが悪いんだ!」
「そうだそうだ!」
なんと子供達は謝るどころか、一斉に、自分勝手な自己弁護を始めた。
「……!」
これには、流石の咲夜も我慢の限界を超えたらしく。
「――貴方達――」
「いいよ、咲夜」
怒りを露にし、一歩踏み出そうとした咲夜を、レミリアはすっと手で制した。
「し、しかし……お嬢様」
「こいつらの言う通りさ。此処は人間の里。本来、私のような妖怪が立ち入っていい場所じゃない」
「で、でも……」
「でももへちまもない。聞き分けなさい。咲夜」
ぺちっ、と、レミリアは背伸びをして咲夜のおでこを軽く叩いた。
「あうっ」
予想外の攻撃に、思わず、可愛い悲鳴を上げてしまう咲夜。
「さ、早く帰ろう。お腹が空いたわ」
「……分かりましたわ」
あっけらかんと言うレミリアを前に、咲夜はやれやれと溜め息を吐いた。
まったく、このお方には敵わないなあ、と思いながら。
こうして二人は肩を並べて、何事も無かったかのように、平然とその場を立ち去っていった。
一方こちらは、後に残された三人の子供達。
「……なあ、吸血鬼ってあんなに弱かったんだな」
「ああ。大人達がびびってんのが馬鹿みてぇ」
「つか、妖怪とか、実は全然大したことないんじゃね?」
「言えてる言えてる。おれらに攻撃されて、手も足も出なかったもんな」
「よーし、じゃあこの調子であと一匹くらい……って、あ」
「ん? どした」
「……あいつ、確か妖怪じゃね? ほら、ナントカっていう――」
再びこちらは、小道を出て今は大通りを歩いている、レミリアと咲夜。
「それにしてもお嬢様、いくらなんでもお人好しが過ぎるんじゃありませんか」
「? 何がだ」
「いえ、ですから、その、あんなにノリノリで付き合ってあげなくてもいいのではないか、と」
咲夜は先ほどの光景――具体的にはレミリアのしゃがみガード姿――を想起しながら、何故か少し上を向いた。
「なあに、サービス精神ってやつさ」
レミリアはからからと笑って答えた。
「それに、こんな、いつ雨が降ってもおかしくないような日に、傘も持たずに外出するなんて自殺行為ですわ。途中で雨が降ったらどうなさるおつもりだったんですか」
「そうなる前に咲夜に会える手筈だったんだよ。事実、降る前に会えたじゃないか」
「でも、私がたまたまあの場に通りがかっていなければ、今頃……」
「ああ、多分まだ、あいつらにいじめられてただろうね」
何がそんなに楽しいのか、レミリアはにししと嬉しそうに笑って言う。
そんな主の姿を前にしては、咲夜はただ、溜め息を吐く他なかった。
「まったくもう……って、お嬢様?」
「…………」
ふと見ると、レミリアの顔つきが変わっていた。
先ほどまでの笑みは失せ、真剣な表情を浮かべている。
「……どうか、なさいました?」
「……声が聞えた」
「声?」
「……ああ」
レミリアはそれだけ言うと、くるっと踵を返し、今来た道を走って戻り始めた。
「お、お嬢様!?」
慌てて、咲夜もそれに続く。
程なくして、レミリアは足を止めた。
咲夜も、彼女の一歩後ろで立ち止まる。
場所は、つい先ほど、二人が出会った小道。
つまり、レミリアが子供達にいじめられていた場所だ。
「……!」
レミリアの頭越しに見たその光景に、咲夜は思わず息を呑む。
そこには、泣きそうな面持ちで地面に正座させられている、先ほどの三人の子供達がいた。
そしてその三人の前には、一人の妖怪――。
「……あら。どうして貴女が、こんなところにいるのかしら」
――風見幽香――が、いた。
「……それはこっちの台詞だよ、お嬢さん」
幽香の問いには答えず、レミリアはにこやかに微笑みながら、逆に幽香に問い返した。
「どうしてお前さんが、こんなところにいるのかね」
「お花を買いに来ただけよ。何か、文句でも?」
「いや、全然」
敵意を放つ幽香に対し、レミリアは、その意は無いと言わんばかりに首を振る。
「お前さんが花を買うことについては何ら異存は無いさ。どうぞ存分に買うといい。でも今のこの光景は、どうもそれとは別件のように、私には見えるんだがね?」
「……ふん。貴女には関係の無いことよ」
やたら勿体つけた言い方をするレミリアに、幽香は少し苛立った口調で言葉を返す。
「まあ関係は無いかもしれんが、そこにいるそいつらの面には些か覚えがあるんでね。もしよければ、話だけでもお聞かせ願おうかと」
涙目で正座させられている三人組を見据えながら、あくまでも丁寧な口調を崩さずに言うレミリア。
すると幽香も、面倒臭そうな表情を浮かべながらも、淡々と話し始めた。
「……さっき、そこの通りを歩いていたら、いきなりこの子達が襲い掛かってきたのよ。『くらえ! 妖怪!』なんて言いながらね」
「ほう」
「まあ、こんな人間の子供の攻撃なんかが私に当たるわけはないから、当然全部かわしてやったんだけど、流石にちょっと頭に来たから、今こうしてお説教をしてあげてるところなのよ。別に、取って喰おうとしてるわけじゃないわ」
「ああ、それは分かってるとも。お前さんは、間違っても、里の人間に手を出したりするような奴じゃない」
「分かってもらえて嬉しいわ。それじゃあ続きを……」
「あーあー。ちょいとお嬢さんや」
「何よ、まだ何かあるの?」
苛立たしげに言う幽香。
今にも弾幕を飛ばしてきそうな雰囲気である。
レミリアはそんな幽香をなだめるように、落ち着いた口調で言った。
「いや、なんだ。もうその辺で、勘弁してやったらどうかね」
「? 何ですって?」
「見たところ、そいつらも十分反省してるようだし。見ろ、そこの右端の奴なんか、今にもちびりそうな顔してるぞ」
レミリアは、がたがたと身を震わせている三人組に視線を移しながら言う。
確かに、この様子からすると、もうそう滅多なことでは妖怪に手を出したりはしないだろう。
とりわけ右端の子などは、レミリアの言うように、今にも失禁でもしそうな面持ちですらある。
しかし、それではいそうですかと納得するほど分かりやすくはないのが風見幽香であった。
「……こんなんじゃまだ足りないわ。この子達が、安易に妖怪に近付いたりしないよう、徹底的に教えてあげないと。妖怪の恐ろしさってもんをね」
幽香はそう言うと、実に凄惨な笑みを浮かべた。
一層の恐怖を突き付けられ、揃って縮み上がる子供達。
右端の子が、一瞬白目を剥いた。
すると、オホンと咳払いを一つして、レミリアが口を開いた。
「あー、じゃあ、こういうのはどうだろう」
「?」
「今度、ウチに来た時に、とびっきりに美味い紅茶を奢ってやろう。どうだね。それで一つ、手を打たないか」
「…………」
いきなり持ち掛けられた謎の交換条件に、絶句する幽香。
「……その代わりに、この場は手を引け、とでも言う気なの?」
「ああ。不満ならシフォンケーキも付けるが。もちろん、咲夜お手製のね」
「…………」
暢気に言うレミリアを前に、幽香は無言で、額に手をやった。
……完全に、飲まれている。
いつの間にか、完全に毒気を抜かれている自分がいることに、幽香は気付かされた。
溜め息を一つ吐いてから、幽香は口を開いた。
「……一つだけ、伺っても?」
「ああ、何なりと」
泰然と構えるレミリア。
「どうしてそこまで、この子達に肩入れを?」
「何、袖振り合うも多少の縁、ってやつさ。……それに、理由はどうあれ、里で誤解を受けるような真似は慎んだ方がいい」
「……つまり、私がこの子達を襲っているように見える、と?」
「まあ、そう受け取られても仕方ない状況ではあるだろ」
レミリアの言葉に、幽香は自分の眼前で怯えている三人の子供達を見る。
なるほど確かに、この状況だけを切り取って見れば、完全に自分が悪者だ。
下手に巫女を呼ばれでもしたら、さぞかし厄介なことになるだろう。
幽香はやれやれと嘆息し、普段の平静を取り戻した口調で言った。
「……貴女、暫く見ないうちに、随分……丸くなったのね」
「おや、そうかい?」
「ええ。昔はもっとこう……。そう、まだ貴女が此処に来たばかりの頃。力に任せて、何人もの部下を従え、支配欲に駆られていた……いかにも妖怪らしい妖怪だったと、記憶しているわ」
「かっかっ。そういや、そんな時代もあったねぇ」
幽香の言葉に昔を思い出したのか、レミリアは実に楽しそうに笑った。
それにつられたのか、幽香もいつの間にか、柔らかい笑みを浮かべていた。
「……つまり今は、もう違う、と」
「ああ。今は、何人の部下を従えるかよりも、何種類の紅茶の味を楽しめるかの方が、ずっと大切なんだ」
「……なら、さぞかし美味しい紅茶を淹れてくれるんでしょうね?」
「もちろん。期待しといてくれ。何せ、うちの咲夜は優秀だから」
その言葉を受け、幽香はふと、レミリアの背後に立つ咲夜へと視線を向けた。
すると咲夜は、真正面から幽香の視線を受け止め、瀟洒な微笑みを返してきた。
仮にも、『最恐の妖怪』と謳われている自分に対し、全く臆することのない、この態度。
(……なるほど。この主人にしてこの従者あり、ね……)
幽香は素直に感心した。
(……いや、あるいはその逆、か……)
――この従者にしてこの主人あり。
そんな言葉が、幽香の脳裏をよぎった。
かの残忍な吸血鬼が、いつの間にか丸くなっていた理由。
それが、幽香にはなんとなく分かったような気がした。
幽香はふっと微笑んで、言った。
「……いいでしょう。今日は貴女に免じて、ここら辺で赦してあげます」
「!」
幽香のその言葉を聞き、子供達の顔が生気を取り戻した。
「……ただし」
幽香は子供達を一睨みすると、
「……次は無いわよ。よく覚えておきなさい」
今日一番の、ドスの利いた声で圧をかました。
無言のまま、コクコクと首を縦に振る子供達。
「……それじゃあ、今日はこれで」
「ああ」
「……紅茶、楽しみにしているわ」
「いつでもどうぞ。お嬢さん」
レミリアの軽口に微笑みだけを返すと、幽香は颯爽と去っていった。
幽香の後姿を見届けてから、レミリアは咲夜の方を向いた。
「さて。じゃあ私らも帰ろう。雨が降り始める前に」
「ええ」
笑顔で言うレミリアに、咲夜も笑顔で返事をする。
そして二人が肩を並べて歩き出さんとした、そのとき。
「あ、あのっ!!」
背後から、大きな声が二人を呼び止めた。
レミリアは振り返ることなく、そのまま立ち止まる。
「あ……ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
威勢の良い声が三重に響く。
咲夜がちらりと振り返ると、深く深く頭を下げた、三人の子供達の姿があった。
しかしレミリアは振り返らず、前を向いたままでいる。
だが子供達は構わず、頭を下げたままで、続ける。
「それから、その……さっきはひどいことして、本当にごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
さっきより一層深く、頭を下げる三人。
しかし相変わらず、レミリアは振り返ろうとはしない。
やがて、子供達がおずおずと顔を上げ始めた頃になって、漸くレミリアは口を開いた。
「いーよ、べつに」
たった、一言。
それだけ言うと、レミリアは前を向いたまま、右手を軽く上げ、ひらひらと振った。
そして再び、歩き始める。
完璧で瀟洒な、従者と共に。
「…………!」
再び、子供達は頭を下げた。
さっきよりも、更に、深く。
その小さな――否、大きな――背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと……子供達は、頭を下げ続けた。
――後日。
紅魔館に、レミリア宛ての一通の手紙が届いた。
その手紙には、こう記されていた。
『拝啓 レミリア・スカーレットさま
僕たち、私たちは、この度、“レミリアさまファンクラブ”を結成いたしました。
当ファンクラブの活動内容は、レミリアさまの応援や支援をすることです。
もし何か困ったことがあれば、何なりとお申しつけください。
そしてまた、里に遊びに来て下さい。
よろしくお願いします。
レミリアさまファンクラブ 会員一同』
了
ここは人間の里。
瀟洒に歩くは十六夜咲夜。
「あ、これ下さる?」
「へい、まいど」
花屋の主人に声を掛け、見栄えの良い薔薇を何輪か購入する。
これで今日の買い物は終了だ。
「……あら。一雨来そうね」
ふと空を見上げると、今にも泣き出しそうな厚い雲が広がっていた。
太陽は完全に覆われており、まだ夕方だというのに辺りは薄暗い。
「早く帰って、お嬢様を起こして差し上げないと」
彼女の主、レミリア・スカーレットは夜に生きる吸血鬼である。
その種族的な特性から、日中は寝ている事が多い。
今日もその例に漏れず、咲夜が館を出る頃には、レミリアはまだ夢の中だった。
布団にくるまり、頭のてっぺんだけがちょこんと見えている主の寝姿を思い出し、咲夜の顔は思わず綻ぶ。
鼻の付け根を押さえ、少し上を向いて歩いているのは気にしてはいけない。
そんなときだった。
「このっ! このっ!」
「えいっ! えいっ!」
「あーれー。やーめーてー」
何処からか聞えてきた、子供のものとおぼしき、いくつかの声。
「今のは……」
咲夜は表情を険しくする。
明らかに、無邪気に遊んでいるような声ではなかった。
「……あそこかしら」
声の大きさ、聞えた方向から、咲夜はその発信源を推定した。
今、自分が歩いているのは大通り。
そこから何本か左右に延びている小道のうちの、一本。
ちょうど、大通りからは死角になりやすい場所だ。
「急がなければ」
咲夜は地を蹴り、瞬く間にその小道へと入る。
見ると、三人ほどの子供達が、誰かを取り囲むようにしながら、次々に罵声を浴びせていた。
「やーい、やーい」
「どうだ、参ったか」
「ぎゃはははは」
「うー! うー!」
咲夜の位置からでは、被害に遭っているとおぼしき子供の姿はよく見えないものの、周囲の子供達が、何かをしきりに蹴ったり、棒で突っついたりしているのが見えた。
その光景を目にした咲夜は、瞬時にその中に割って入っていった。
「貴方達! もうやめなさい!」
そう叫びながら、強引に身体を割り込ませ、被害に遭っている子供の前に進み出る。
「大丈夫? もう心配要らないわよ……って」
そこで咲夜が目にした、懸命のしゃがみガードで子供達の攻撃に耐えていた人物とは。
「あ。咲夜」
――十六夜咲夜が主、レミリア・スカーレットその人だった。
「おじょ……お嬢様ァ!?」
思わず目を丸くし、素っ頓狂な声を上げる咲夜。
「なななな、何でお嬢様がこんなところに!?」
「いや、お前にこれを渡そうと思ってね」
レミリアはそう言って、何事も無かったかのようにすっくと立ち上がると、咲夜に何かを差し出した。
「こ、これは……私のカチューシャ?」
「ああ。お前、忘れていっただろう」
レミリアにそう言われ、慌てて頭に手をやる咲夜。
確かに、そこには普段から身に付けているはずのカチューシャは無かった。
完璧で瀟洒な従者とはいえ、十六夜咲夜もまた人間である。
年に一度くらいは、こういうこともある。
「珍しく、夕刻前に目が覚めちゃってね。そしたら、お前がこれを忘れてるのを見つけたのさ」
「で、でも、何もお嬢様自ら御出でにならなくても……美鈴あたりにでも言付けて頂ければ……」
「まあ、そうしてもよかったんだがね。でも私も暇を持て余していたし、折角の機会だし、久しぶりに人里にお忍びで遊びに行くのも悪くはないかなと思ってね」
「お忍び……ですか」
「ああ。でも何せ久しぶりだったもんでね。羽根を隠すのを忘れてたんだよ。そしたら早速こいつらに見つかっちまって、あの有様さ」
レミリアはそう言って笑いながら、先ほどまで自分を取り囲んでいた子供達の方を見やる。
思わず、ビクッと反応する子供達。
……しかし。
「お、おれ達は悪くないぞ!」
「そ、そうだ! 吸血鬼のくせに、里に来るのが悪いんだ!」
「そうだそうだ!」
なんと子供達は謝るどころか、一斉に、自分勝手な自己弁護を始めた。
「……!」
これには、流石の咲夜も我慢の限界を超えたらしく。
「――貴方達――」
「いいよ、咲夜」
怒りを露にし、一歩踏み出そうとした咲夜を、レミリアはすっと手で制した。
「し、しかし……お嬢様」
「こいつらの言う通りさ。此処は人間の里。本来、私のような妖怪が立ち入っていい場所じゃない」
「で、でも……」
「でももへちまもない。聞き分けなさい。咲夜」
ぺちっ、と、レミリアは背伸びをして咲夜のおでこを軽く叩いた。
「あうっ」
予想外の攻撃に、思わず、可愛い悲鳴を上げてしまう咲夜。
「さ、早く帰ろう。お腹が空いたわ」
「……分かりましたわ」
あっけらかんと言うレミリアを前に、咲夜はやれやれと溜め息を吐いた。
まったく、このお方には敵わないなあ、と思いながら。
こうして二人は肩を並べて、何事も無かったかのように、平然とその場を立ち去っていった。
一方こちらは、後に残された三人の子供達。
「……なあ、吸血鬼ってあんなに弱かったんだな」
「ああ。大人達がびびってんのが馬鹿みてぇ」
「つか、妖怪とか、実は全然大したことないんじゃね?」
「言えてる言えてる。おれらに攻撃されて、手も足も出なかったもんな」
「よーし、じゃあこの調子であと一匹くらい……って、あ」
「ん? どした」
「……あいつ、確か妖怪じゃね? ほら、ナントカっていう――」
再びこちらは、小道を出て今は大通りを歩いている、レミリアと咲夜。
「それにしてもお嬢様、いくらなんでもお人好しが過ぎるんじゃありませんか」
「? 何がだ」
「いえ、ですから、その、あんなにノリノリで付き合ってあげなくてもいいのではないか、と」
咲夜は先ほどの光景――具体的にはレミリアのしゃがみガード姿――を想起しながら、何故か少し上を向いた。
「なあに、サービス精神ってやつさ」
レミリアはからからと笑って答えた。
「それに、こんな、いつ雨が降ってもおかしくないような日に、傘も持たずに外出するなんて自殺行為ですわ。途中で雨が降ったらどうなさるおつもりだったんですか」
「そうなる前に咲夜に会える手筈だったんだよ。事実、降る前に会えたじゃないか」
「でも、私がたまたまあの場に通りがかっていなければ、今頃……」
「ああ、多分まだ、あいつらにいじめられてただろうね」
何がそんなに楽しいのか、レミリアはにししと嬉しそうに笑って言う。
そんな主の姿を前にしては、咲夜はただ、溜め息を吐く他なかった。
「まったくもう……って、お嬢様?」
「…………」
ふと見ると、レミリアの顔つきが変わっていた。
先ほどまでの笑みは失せ、真剣な表情を浮かべている。
「……どうか、なさいました?」
「……声が聞えた」
「声?」
「……ああ」
レミリアはそれだけ言うと、くるっと踵を返し、今来た道を走って戻り始めた。
「お、お嬢様!?」
慌てて、咲夜もそれに続く。
程なくして、レミリアは足を止めた。
咲夜も、彼女の一歩後ろで立ち止まる。
場所は、つい先ほど、二人が出会った小道。
つまり、レミリアが子供達にいじめられていた場所だ。
「……!」
レミリアの頭越しに見たその光景に、咲夜は思わず息を呑む。
そこには、泣きそうな面持ちで地面に正座させられている、先ほどの三人の子供達がいた。
そしてその三人の前には、一人の妖怪――。
「……あら。どうして貴女が、こんなところにいるのかしら」
――風見幽香――が、いた。
「……それはこっちの台詞だよ、お嬢さん」
幽香の問いには答えず、レミリアはにこやかに微笑みながら、逆に幽香に問い返した。
「どうしてお前さんが、こんなところにいるのかね」
「お花を買いに来ただけよ。何か、文句でも?」
「いや、全然」
敵意を放つ幽香に対し、レミリアは、その意は無いと言わんばかりに首を振る。
「お前さんが花を買うことについては何ら異存は無いさ。どうぞ存分に買うといい。でも今のこの光景は、どうもそれとは別件のように、私には見えるんだがね?」
「……ふん。貴女には関係の無いことよ」
やたら勿体つけた言い方をするレミリアに、幽香は少し苛立った口調で言葉を返す。
「まあ関係は無いかもしれんが、そこにいるそいつらの面には些か覚えがあるんでね。もしよければ、話だけでもお聞かせ願おうかと」
涙目で正座させられている三人組を見据えながら、あくまでも丁寧な口調を崩さずに言うレミリア。
すると幽香も、面倒臭そうな表情を浮かべながらも、淡々と話し始めた。
「……さっき、そこの通りを歩いていたら、いきなりこの子達が襲い掛かってきたのよ。『くらえ! 妖怪!』なんて言いながらね」
「ほう」
「まあ、こんな人間の子供の攻撃なんかが私に当たるわけはないから、当然全部かわしてやったんだけど、流石にちょっと頭に来たから、今こうしてお説教をしてあげてるところなのよ。別に、取って喰おうとしてるわけじゃないわ」
「ああ、それは分かってるとも。お前さんは、間違っても、里の人間に手を出したりするような奴じゃない」
「分かってもらえて嬉しいわ。それじゃあ続きを……」
「あーあー。ちょいとお嬢さんや」
「何よ、まだ何かあるの?」
苛立たしげに言う幽香。
今にも弾幕を飛ばしてきそうな雰囲気である。
レミリアはそんな幽香をなだめるように、落ち着いた口調で言った。
「いや、なんだ。もうその辺で、勘弁してやったらどうかね」
「? 何ですって?」
「見たところ、そいつらも十分反省してるようだし。見ろ、そこの右端の奴なんか、今にもちびりそうな顔してるぞ」
レミリアは、がたがたと身を震わせている三人組に視線を移しながら言う。
確かに、この様子からすると、もうそう滅多なことでは妖怪に手を出したりはしないだろう。
とりわけ右端の子などは、レミリアの言うように、今にも失禁でもしそうな面持ちですらある。
しかし、それではいそうですかと納得するほど分かりやすくはないのが風見幽香であった。
「……こんなんじゃまだ足りないわ。この子達が、安易に妖怪に近付いたりしないよう、徹底的に教えてあげないと。妖怪の恐ろしさってもんをね」
幽香はそう言うと、実に凄惨な笑みを浮かべた。
一層の恐怖を突き付けられ、揃って縮み上がる子供達。
右端の子が、一瞬白目を剥いた。
すると、オホンと咳払いを一つして、レミリアが口を開いた。
「あー、じゃあ、こういうのはどうだろう」
「?」
「今度、ウチに来た時に、とびっきりに美味い紅茶を奢ってやろう。どうだね。それで一つ、手を打たないか」
「…………」
いきなり持ち掛けられた謎の交換条件に、絶句する幽香。
「……その代わりに、この場は手を引け、とでも言う気なの?」
「ああ。不満ならシフォンケーキも付けるが。もちろん、咲夜お手製のね」
「…………」
暢気に言うレミリアを前に、幽香は無言で、額に手をやった。
……完全に、飲まれている。
いつの間にか、完全に毒気を抜かれている自分がいることに、幽香は気付かされた。
溜め息を一つ吐いてから、幽香は口を開いた。
「……一つだけ、伺っても?」
「ああ、何なりと」
泰然と構えるレミリア。
「どうしてそこまで、この子達に肩入れを?」
「何、袖振り合うも多少の縁、ってやつさ。……それに、理由はどうあれ、里で誤解を受けるような真似は慎んだ方がいい」
「……つまり、私がこの子達を襲っているように見える、と?」
「まあ、そう受け取られても仕方ない状況ではあるだろ」
レミリアの言葉に、幽香は自分の眼前で怯えている三人の子供達を見る。
なるほど確かに、この状況だけを切り取って見れば、完全に自分が悪者だ。
下手に巫女を呼ばれでもしたら、さぞかし厄介なことになるだろう。
幽香はやれやれと嘆息し、普段の平静を取り戻した口調で言った。
「……貴女、暫く見ないうちに、随分……丸くなったのね」
「おや、そうかい?」
「ええ。昔はもっとこう……。そう、まだ貴女が此処に来たばかりの頃。力に任せて、何人もの部下を従え、支配欲に駆られていた……いかにも妖怪らしい妖怪だったと、記憶しているわ」
「かっかっ。そういや、そんな時代もあったねぇ」
幽香の言葉に昔を思い出したのか、レミリアは実に楽しそうに笑った。
それにつられたのか、幽香もいつの間にか、柔らかい笑みを浮かべていた。
「……つまり今は、もう違う、と」
「ああ。今は、何人の部下を従えるかよりも、何種類の紅茶の味を楽しめるかの方が、ずっと大切なんだ」
「……なら、さぞかし美味しい紅茶を淹れてくれるんでしょうね?」
「もちろん。期待しといてくれ。何せ、うちの咲夜は優秀だから」
その言葉を受け、幽香はふと、レミリアの背後に立つ咲夜へと視線を向けた。
すると咲夜は、真正面から幽香の視線を受け止め、瀟洒な微笑みを返してきた。
仮にも、『最恐の妖怪』と謳われている自分に対し、全く臆することのない、この態度。
(……なるほど。この主人にしてこの従者あり、ね……)
幽香は素直に感心した。
(……いや、あるいはその逆、か……)
――この従者にしてこの主人あり。
そんな言葉が、幽香の脳裏をよぎった。
かの残忍な吸血鬼が、いつの間にか丸くなっていた理由。
それが、幽香にはなんとなく分かったような気がした。
幽香はふっと微笑んで、言った。
「……いいでしょう。今日は貴女に免じて、ここら辺で赦してあげます」
「!」
幽香のその言葉を聞き、子供達の顔が生気を取り戻した。
「……ただし」
幽香は子供達を一睨みすると、
「……次は無いわよ。よく覚えておきなさい」
今日一番の、ドスの利いた声で圧をかました。
無言のまま、コクコクと首を縦に振る子供達。
「……それじゃあ、今日はこれで」
「ああ」
「……紅茶、楽しみにしているわ」
「いつでもどうぞ。お嬢さん」
レミリアの軽口に微笑みだけを返すと、幽香は颯爽と去っていった。
幽香の後姿を見届けてから、レミリアは咲夜の方を向いた。
「さて。じゃあ私らも帰ろう。雨が降り始める前に」
「ええ」
笑顔で言うレミリアに、咲夜も笑顔で返事をする。
そして二人が肩を並べて歩き出さんとした、そのとき。
「あ、あのっ!!」
背後から、大きな声が二人を呼び止めた。
レミリアは振り返ることなく、そのまま立ち止まる。
「あ……ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
威勢の良い声が三重に響く。
咲夜がちらりと振り返ると、深く深く頭を下げた、三人の子供達の姿があった。
しかしレミリアは振り返らず、前を向いたままでいる。
だが子供達は構わず、頭を下げたままで、続ける。
「それから、その……さっきはひどいことして、本当にごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
さっきより一層深く、頭を下げる三人。
しかし相変わらず、レミリアは振り返ろうとはしない。
やがて、子供達がおずおずと顔を上げ始めた頃になって、漸くレミリアは口を開いた。
「いーよ、べつに」
たった、一言。
それだけ言うと、レミリアは前を向いたまま、右手を軽く上げ、ひらひらと振った。
そして再び、歩き始める。
完璧で瀟洒な、従者と共に。
「…………!」
再び、子供達は頭を下げた。
さっきよりも、更に、深く。
その小さな――否、大きな――背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと……子供達は、頭を下げ続けた。
――後日。
紅魔館に、レミリア宛ての一通の手紙が届いた。
その手紙には、こう記されていた。
『拝啓 レミリア・スカーレットさま
僕たち、私たちは、この度、“レミリアさまファンクラブ”を結成いたしました。
当ファンクラブの活動内容は、レミリアさまの応援や支援をすることです。
もし何か困ったことがあれば、何なりとお申しつけください。
そしてまた、里に遊びに来て下さい。
よろしくお願いします。
レミリアさまファンクラブ 会員一同』
了
ところで、どこにいけばファンクラブに入れますか?
と、かこうとしたらすでにかかれてた。
こういうカリスマブレイクおぜうばっか見てたから新鮮だぜ
しかしいじめられて「うー!うー!」しているレミリア様に萌えながら吹いたww
飄々とした威厳という、うっかりすれば矛盾しそうな魅力を醸すおぜう様が実にお素敵!
このレミリアも良いなあ。
まさに幻想郷に生きる妖怪。
あとあなたのおかげでレミリアが好きになってしまった。どうしてくれるんだ!
しかし少年たちの未来が気になるwww