根拠なき凡人の論理を、人は想像と呼ぶ。
根拠なき奇人の論理を、人は空想と呼ぶ。
根拠なき愚者の論理を、人は夢想と呼ぶ。
根拠なき変人の論理を、人は妄想と呼ぶ。
根拠なき道具屋――森近霖之助の論理を、人は幻想と呼ぶ。
『怨霊の桶』
香霖堂は今日も今日とて雨だった。
短期間に激しく降る雨なら盛夏の暑さを少しは和らげもしようが、生憎季節にそぐわぬ長雨である。名は体を表わす。よく言ったものである。
香「霖」堂店主、森近「霖」之助は窓を一瞥し、感嘆からか疲弊からかよく分からぬ溜め息をついた。
晴耕雨読。彼の信条である。
もちろん霖之助は晴れだろうと読書はするので随分と都合のいい信条ではある。
読みかけの本を閉じ、重い腰を上げ、彼は土間へと下りた。手には「休商中」の札。
この札を掛けさえすれば、本の世界に――即ち外の世界へと想いを馳せることができる。魔理沙や霊夢、我が儘なレミリアと従者の十六夜咲夜、それに霖之助が最も苦手とする八雲紫などを除く客は店に足を踏み入れようともしないだろう。
……ほとんど常連ばかりじゃないか。
霖之助は本日二度目となる溜め息をつくと、俄然効力を失ったように見える札にいそいそと筆で「無断立チ入リヲ禁ズ」と書き加えた。
名は体を表わす。この札が侵入者を妨げる門番となってくれればよいのだが。そう願った彼はつい脳裏にサボりがちな紅魔館の門番を思い浮かべてしまい、頭を振ってその姿を掻き消した。
「よう香霖! 今日も遊びに来てやったんだ……ぜ」
魔理沙はいつものように香霖堂の引き戸を叩きつけるように開け放ち、そして硬直した。
彼女の目と鼻の先に店主である霖之助の顔があったのだ。慌てて一歩跳び退るが、その頬の紅潮は抑えようもない。
雨の中駆けてきたのだろう。黒い三角帽子からはぽたぽたと雫が落ちる。
よくよく見ると店主の視線は手元の木片に落とされ、しかもなにやら彼は頭を振っているため、魔理沙に気づいた様子もなく、完全に驚き損である。
結局、木の札は頬を膨らませた魔理沙によって取り上げられてしまうのであった。
「今日は一日読書をして過ごすはずだったんだけどね」
文机に頬杖をつき、霖之助はぼやいた。口調はぞんざいそのものだが、魔理沙の前にもしっかりとお茶を用意する辺り律儀なものである。
最も、それは魔理沙が常連だからということではなく(店で一切買い物をしたことのない客を常連と呼ぶのか霖之助には分からなかったが)、霖之助は彼女に対し少しばかり貸しがあったりするからなのだ。
「香霖はいつだって読書してるだろ」
突然の来訪にも悪びれた様子を見せず、お茶請けの煎餅をかじり、顔をしかめる。
「この煎餅、湿気てるぜ」
「なら食べなければいい」
「食べるさ。折角香霖が用意してくれたんだからな」
魔理沙の台詞と表情からは、霖之助の辛気臭さと客に対して湿気た菓子しか用意しないことに対する皮肉が容易にうかがえた。
彼は無言で煎餅の入った小皿を手元へと引き寄せようと試みるが、魔理沙もまたそれをさせまいと縁を掴む。訪れる膠着状態。
先に手を放したのは霖之助だった。これもいつものことである。負けん気が人一倍強い魔理沙と我慢比べをしたところで結果は見えている。実は彼も大層頑固ではあるのだが、それは大抵自らの主張を押し通そうとする時に限られる。
「で、また用もなく来たのかい?」
「用もなく来たんだぜ……といいたい所だが、あるぜ」
「そうかい」
霖之助は肩をすくめ、茶を一口啜る。
「おい香霖。私の言うこと信じてないだろ」
「正直、半信半疑だね。あれだけ急いで店に駆け込んできたのだから何か用があると考えるか、ただ雨宿りに来たと考えるかの二択くらいさ」
魔理沙は不機嫌そうに一寸黙り込み、乱暴に髪をタオルで拭った。
「まあいいぜ。この間地底に潜っただろ?」
霖之助は黙って頷いた。
前の冬におびただしい量の地霊が溢れた異変のことである。確かいつも通り靈夢と魔理沙が主犯である地獄鴉をこらしめて事態は解決を迎えたはずだが。
……何か問題でもあったのだろうか。
「地底に潜ったら変な奴に会ってさ。あ、変な奴ばっかりだったんだけどな」
香霖ほどじゃないぜ? と彼女は付け加える。霖之助はそれには曖昧な笑みを浮かべた。
「キスメっていう妖怪がいてさ。確か、釣瓶落としだったかな。まあいいや。とりあえずそいつは桶に入ってて上から落ちてくるんだ」
「ほう。釣瓶落としか。確かに木の上から降ってきて人を脅かす妖だ。釣瓶下ろしとも言い、正体は大木の精だとも言われている……ん? だが桶に入っているというのは可笑しいな。諸説あるのだが、釣瓶落としは木の上に潜んでいて釣瓶――つまり井戸から水を汲むための桶を落としたり、自らが釣瓶のように火の玉となって木の上から落ちる妖怪だ。桶に入っているという話は聞いた事がない。そう言えば釣瓶落としという言葉には、釣瓶を井戸に落とす際のように急速に落ちることを形容する用法がある。多くは秋に日が暮れやすいことを比喩して言うのだが……」
呟きは徐々に小さくなり、聞き取ることはできなくなった。訪れる沈黙。
ぱしん、と小気味の良い音がして霖之助は我に返った。視線を上げると目の前には売り物のハリセンを再び振りかぶる魔理沙がいて、今度は先程より幾分大きな音が響いた。
「……何をするんだ」
「何をするんだ、じゃない。質問しに来たのは私だ。答えるのが香霖。役割を履き違えちゃ駄目だぜ」
魔理沙らしからぬ正論に思わず霖之助は頭をかいた。彼は商人であり、適当な論理を振り回す相手を言い負かすことにかけては相当の腕前を誇るが、正論にはめっぽう弱いのである。
「魔理沙、今のは僕の失態だ。すまない」
「分かればいいんだ」
そういって微笑み、魔理沙はさりげなくハリセンを帽子の中へとしまいこむ。
一方、霖之助は、釣瓶落としという言葉と妖怪の関連性という見つけたばかりの興味深い議題を胸の内にしまいこんだ。
「それでで、だ。いつものように弾幕勝負になったわけだ。まあ大して強くもない奴だったからいつものように蹴散らしたんだけどな。ふと気になったわけだ。『こいつの桶の中はどうなってるんだろう』って。……中身といえば人里の半獣の奴の帽子の中身も気になるよな。あんなに背高の帽子ってことは中にきっと何かお宝でも」
「で、覗いてみたのか」
「ん? もちろんだぜ。ただ、地底は暗いから見えにくくてな。あいつ自身も見られたくないようで――余計見たくなったんだが、私も急いでたから結局諦めてきた。内気な奴でさ。帰りに会えると思ったんだけどな……」
「会えなかったのかい?」
「会えなかったんだぜ」
霖之助は、ほう、と一つ相槌を打つとお茶を飲み干して立ち上がった。
「それで魔理沙は僕の所にそのキスメとやらの正体を聞きにきた、と。ちょっと待っててくれ。長くなるからお茶を淹れてくるよ」
ついでに饅頭が食べたいぜ、という魔理沙の陽気な声に霖之助が苦笑いを返したのは言うまでもない。
畳の上に置かれた二つの湯飲みがゆらゆらと湯気を立てる。
お目当ての饅頭を手に入れたことと、自らの湯飲みに茶柱が立っていたことで、魔理沙は大層ご機嫌だった。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。
窓を打つ雨音は一層強くなっていた。
「さて、魔理沙。僕にキスメとやらの正体を聞きたいそうだが、生憎僕はその妖怪を見たことがないんだ。どうやら僕の知る釣瓶落としともやや異なるようだしね」
「なんだ、香霖でも分からないのか。わざわざ来てやったのに損したぜ」
「君は雨宿りに来たんじゃないのか」
頬を膨らませる魔理沙に霖之助は半眼でつっこむ。
彼女は知的好奇心が旺盛である。だが地底に向かったのは半年も前のこと。
ふと妖怪の内面が気になったとしても、熱心に取り組む魔法の研究に関することでもあるまい、この雨の中慌てて駆けて来る必要はない。偶然、香霖堂の傍を飛んでいたら雨に降られたので雨宿りに来た、と考えるのが妥当だ。
霖之助はそう判断したのだった。
「話はまだ途中なんだ。僕はキスメを見たことはないが、正体を類推することはできる」
「どういうことだ?」
「そういうことだよ。僕は外の世界の道具については実際に見たことのないものも多いが、それがどんなものか推測することはできるだろう。例えば電卓という外の道具がある。正確には電子式卓上計算機という。今はこの店にもあるが、昔、僕は名前からこの道具がどんな働きをするものか類推したんだ」
普段騒がしい魔理沙が大人しく話を聞くというのは心地よいものだな、と霖之助は一人ごちた。幼い頃、よく膝の上に乗せて話をしたものだ。
「電子式というのは電気を表わし、卓上という所から大体の大きさが分かる。そして計算機だ。つまりこの道具は電気で動く自動のそろばんだ――と、このように多くのものは名前から存在を大まかに把握することが出来るんだ」
「結局、キスメの正体は分かるのか?」
魔理沙の問いに霖之助は迷わず顔を上げた。
「結論から言うと――分かる」
根拠なき道具屋――森近霖之助の論理を、人は幻想と呼ぶ。
「先程も説明したように、多く名前には本質があらわれるものだ。キスメという名前から考えると分かり難いかもしれないので、ここでは妖怪によく見られる『名称の置換』が行われたと仮定してみよう」
「名前の置換だって?」
魔理沙が素っ頓狂な声を上げる。無理もないことではある。
人間個人において名前の転換が行われることは非常に稀であるからだ。
「そう珍しいことじゃないさ。例えば人から妖怪、人から神へと変化する場合は必ずといっていいほど名前が変わるものだろう?」
「そうなのか? 聞いたこともないぜ」
「菅原道真なんかがいい例だ。冤罪で大宰府に流され、死後、怨霊になって京に様々な災害をもたらしたという。慌てた朝廷が怒りを静めようと作ったのが北野天満宮、そして大宰府天満宮というわけだ。この後も日本太政威徳天などと言われて怨霊として恐れられている辺り、貴族達も罪の意識を抱いていたのだろう。で、元々北野の地には火雷天神という地神が祀られていて、次第に道真と同一視されていくようになり、今の天神信仰ができあがったんだ」
「道真から太政……威徳天だったか? そして天神か。確かに変わってるな」
人間から橋姫、人魚から人間に為る際なんかにも名前の転換が行われる、と霖之助は付け加えた。
「それから妖怪も地方によって名前が異なったりする。狗賓という天狗がいる――まあ妖怪の山でも最下層に位置する天狗だな。一部の地方では天狗そのものを指すこともあるが、この天狗のことをグイン、グイン様と呼ぶような地方もある。これも名前の置換といえるだろう?」
「おい香霖、キスメの件はどうなったんだよ!」
余りに長い説明に堪えきれず魔理沙が声を荒げる。
霖之助は表情を変えないが、その語り口は熱に浮かされている様である。
「今回の件は後者と考えるべきだろうね。まあ、元の名のままでも正体が類推できないわけでもないが、語尾変化させてみると非常に分かり易い。漢字に直すことが難しいことから英吉利なんかと関連性のある妖怪だと仮定して語学面から考えてみるのも面白いな。とりあえずどれを取っても出る結論は一つだ」
そう言うと霖之助は一気に湯飲みをあおり、立ち上がった。
「――さて、これだけ話したら十分だろう。魔理沙、あとは自分で考えるんだね」
「え? おい香霖! どこにいくんだよ!」
「ちょっと用事を思い出したんで、出かけてくるよ。話代として留守番を頼む」
土間で下駄を突っ掛けながら霖之助は静かに答える。その口調には有無を言わさぬ響きがあった。
その響きに思わず魔理沙が躊躇した一瞬をついて、カラン、と一つ音を立て、霖之助はぶらりと店を立ち去った。
「出かけるって……この雨の中をか?」
呟きは激しい雨音に掻き消された。
残された彼女はいつも通り商品の物色を始めようとして、その手を止める。
「……ふむ」
霖之助から放たれた命題が頭から離れなかったのだ。
足を延ばして考察を開始した彼女はしばらく後、彼の言葉の真意に辿り着き――
――そして、軽い眩暈を覚えた。
「香霖、そいつはおそらく……幻想だ」
身を打つ雨も厭わず、霖之助は駆ける。
ここ数年なかった興奮が彼の身を包んでいた。
向かう先は――地底。
キスメ。
魔理沙からこの単語を聞いたとき、霖之助は感じた。耳をくすぐる甘酸っぱい感傷を。
そして幻想は続く。
(恐らく、この妖怪に漢字を当てはめたのならこうなるのだろう。接吻女、と。
「め」を女と読むのはそう珍しいことでもない、産女などという妖怪もいる。
だが、推論には様々な角度からの慎重な検証が必要とされる。
英語に直してみよう。キスメ。「Kiss me」。そう、彼女の名は接吻を要求してさえいる。
更に、魔理沙に語った名前の置換を使えば、おそらく彼女は場所によってはキスマなどとも呼ばれているはずだ。漢字に直すと接吻魔、となるだろう。
語尾の変化などはごくごく普通に行われることだ。イクチと呼ばれる巨大なうなぎに似た妖怪をイクジとも呼ぶ。否哉――イヤヤと呼ばれる美女の振りをして人を脅かす妖怪はイヤミとも呼ばれる!
つまり彼女の本性は内気な少女ではない! それは正しく恐るべき井戸の怪。
彼女の桶の中を覗こうと近づいたら最後、楽園へと我々を誘うに違いない!)
霖之助はまだ見ぬ美少女の温かく柔らかい、檸檬香る唇に思いを馳せ、ただひたすらに走った。
「ク……クク……はははははははははっ!」
哄笑が魔法の森にいつまでも響き続けていた。
了.
いったい何がどうなってるんだ……
香霖……アンタ終わってるよ……。
キスメ逃げてえええええええええええええ!
まあ普段から「なんだってー!?」な推論ばっかしてる香霖だから、どうという事もなく。
…ひとまずヤマメに毒されてピチューンしてくる事でしょうw
お褒めの言葉をありがとうございます。
忠告につきましては、一応受験生の中の幅があるということでご容赦ください
オチ読めたけどこりゃひでえw
何やってるんですかwww
>あいつ自信
あいつ自身
霖之助らしい理論展開に、らしくないベクトルの結論のギャップには笑いました。とても楽しく読めるお話をありがとうございます。
あとがきは評価の対象外にすべきじゃないかと。
方向性が間違ってる。
ダメダメだw
霖之助を舐めてるんですかね?
もう一回勉強してきなさい
いわゆるこーりんって奴だww
途中までの民俗学的うんちくからこんな結論が出てくるとは読めなかった。
でも男なら……男なら誰だって……!