*ご注意*
このお話は作品集81「夢幻抱擁」の裏話となっております。
夜が明ける。
今日も、紫は起きなかった。
――目眩を覚える。
ただ日暮れ前から眺めていただけ。それだけで肉体が悲鳴を上げていた。
博麗の名を捨て妖怪となってから何十年も経っているのに。
たったこれだけの時間で貧弱な人間のように疲れが来る筈が無い。
……なら、これは……心の疲れか。
妖怪故に……心の苦痛には弱い。誤魔化すことも出来ないほどに疲れ切っている。
それが如実に体に表れ、こうして体を蝕む苦痛となっている。
いけない。また藍に心配をかけてしまう。気分転換でも、しないと……
「……ふぅ」
紫から目を外し、他のことを考える。
時間――月日――年月。
私が妖怪になってから――もうすぐ百年。
色々あった。私の容姿も変わった。もうリボンは似合わない。
紫の屋敷を探し当てて四十年近く経っている。
眠り続ける彼女の傍で四十年近くが過ぎている。
人間だったらとっくに死んでる。
こいつは、こうやって私から逃げようとしてたのね。
どう足掻こうが私の手の届かないところに行くつもりだった。
時間という壁で私を遮って、諦めさせようとした。
はん、ざまぁみなさい。私はこうして生きてあんたを待っている。
あんたの目論見は総崩れね。私から逃げるなんて不可能なのよバカ女。
悔しかったら文句の一つでも言ってみなさいよ。
ほら、さっさと――
「――――」
気付けば、身を乗り出して睨みつけていた。
…………駄目だ。考えまいとするのに、考えてしまう。
紫の、ことを考えてしまっている。気分転換どころじゃなかった。
当然か。目の前に紫が居ては、考えるなと言う方が無理だ。
紫に目を向ける。
まるで死んでいるかのような寝顔。
――とても危うく感じる、脆ささえ見える寝姿。
生気を感じさせないガラス細工。開かれることのない目を持つビスクドール。
不安だけが煽られる……紫の、顔。
「ったく。寝言で私の名を呼ぶとかすれば可愛げもあるものを」
強気な言葉で自分を誤魔化す。
不安を言葉で押し流す。
そんなこと出来はしないとわかっていても……何かに縋らねば、折れてしまう。
博麗を捨てた霊夢の心は何にも守られていないのだから。
「…………」
紫の顔を覗き込む。
朝陽に照らされてもぴくりとすら動かない寝顔。
どれだけ私が呼んでも、応えてくれない冷たい貌。
そこにあるのに手が届かない……愛しい笑顔。
バカ。バカ紫。
もう、限界よ。
「――さっさと起きないと、浮気するわよ」
そんな、あり得ないことを口にした。
「藍、ちょっと出てくるわ」
書き物をしている背に声をかける。
ふらふらしているだけの私と違い、藍は忙しい。あれも多分仕事だろう。
「うん? どこへ?」
「散歩よ」
微笑う気配。振り返った金色の眼は笑みの形に歪んでいた。
「――見回り御苦労さま」
「そんなんじゃないわ」
物覚えの悪い奴。何度そうじゃないと言えばわかるのよ。
私は紫の代わりなんてしてない。あいつみたいに幻想郷を守ろうとだなんてしてないわ。
「行ってくる」
ぶっきらぼうに背を向けて玄関に向かう。まだ笑ってる気配を背に感じる。
ムカついたので妖力を込めた符を投げておいた。
響く悲鳴にスッとする。
しかし、みぎゃあとは可愛い悲鳴を出すものね、藍。
当て所もなく歩く。飛んでもいいがなんとなくそういう気分にはならない。
最近はこうすることが多くなった。
妖怪が昼出歩くと云うのはいかがなものかとは思うのだが。
まぁいいか。近頃は昼型の妖怪も随分多くなったことだし。
どこぞの夜雀などは客が減って客が減って、などと嘆いていた。
藍との晩酌に飽きて呑みに出かけることも増えたから潰れられては困るのだが。
取り留めのないことを考えながら歩いていたら道に出た。
おや、まいった。これでは道沿いに潜んで人間を襲おうとしてるみたいではないか。
別段どう思われようと構わないが妖怪退治の専門家を嗾けられるのは具合が悪い。
叩きのめすのが面倒だ。
私は魔理沙と違い「丁度いい腕試しになる」とは思えない。勤勉ではないのだ。
堂々と道を歩けばいいかなぁ。変にこそこそする方が怪しまれそうだし。
じゃあ開き直って散歩を再開するとしましょうか。
が――目当てもなければ自然足も重くなる。
ならば適当な目的地でも考えればよさそうなものだが、生憎と今は進んで誰かに会いたいとは思わない。
気分が重いのを誤魔化すには……少々時間が足りていないようだ。
「ふぅ」
溜息一つ。
諦めて道を外れる。原っぱに腰を下ろす。
無理して歩く方が心に悪い。無駄に己を追い詰めるだけだ。
まったく、気晴らしにもなりやしない。
「……妖怪になるって、存外面倒よね」
一々心の調子を考えねばならないとはね。面倒くさいったらありゃしない。
……でも、他の妖怪がこんなことで難儀しているのを見たことはない。
なら、これは――私だけの問題か。私だから至る病か。
人間だった頃は、心病んだことなどなかった。ただ生きてるだけで心は元気だった。
それが、今では全く出来ない。元気でいようとすることに努力を要する。
まだ私は……妖怪になり切れていないのだろうか。
博麗霊夢を引き摺り、博麗を捨てた妖怪霊夢になれていないのだろうか。
――……引き摺って、いるわね。
私は完全に妖怪になって、人間性を捨て切った霊夢になることを恐れている。
あいつが目覚める時に……変わり果てた私で逢いたくないと思っているのかもしれない。
あいつが愛してくれたのは人間の博麗霊夢。今ここに在る妖怪の霊夢じゃない。
百年前の面影を残したい、ほんの僅かでもあいつが私を私と認識してくれる可能性を……
「――――っは」
自嘲する。そりゃ、疲れもするわ。意識してないだけで四六時中こんなことを考えてればね。
気付かないふりをしていたけれど……朝零した言葉の通りだわ。もう限界。
「……百年は……長過ぎるわよ――紫」
意識を手放す。
疲れた心はするりと暗がりへ落ちていく。
何も考えずにいたい。夢さえも見ない泥のような眠りが欲しかった。
空白のまま過ぎる時間だけが……欲しかった。
――誰かに呼ばれている。
やめてよ、夢に出そうじゃない。私は眠りたいのよ。
――しつこい。
顔面に呪符貼り付けるわよ。当分ご飯も食べられないようにべったりと。
………
ええい、しつこいって言ってんでしょう!
「おーい」
ぶん殴るわよ、って。
「……んぁ? 妹紅」
寝惚け眼じゃあはっきりとしないが妹紅に見える。
「おうよ妹紅だよ。こんなとこで寝てると踏んづけるぞ」
妹紅だ。殴っても構わないだろうすぐ治るし。
「……えい」
「うわぁっ!?」
っち。避けたか。
「ちょ、寝起きとは思えないパンチね……」
逆さまの視界の中で妹紅は尻もちをついている。うむ。当たらなかったけどすっきりした。
「悪いわね。私寝起きが悪いのよ」
「身を以って理解した」
妹紅は立ち上がり服に付いた葉っぱを掃う。髪にも付いてるけどまぁ教える義理もあるまい。
私の睡眠を邪魔した報いよ。
ん――陽の高さからして眠った時間は然程でもないようだ。
夢を見た記憶はないから、希望通り泥のように眠れたようだが。
「おいおい。まだ寝惚けてんの?」
失礼な。色々確認していただけよ。
「んじゃ改めて。おいっす、元巫女」
「普通に名前で呼べ」
体を起こす。野原で寝た割には体は痛まない。妖怪の体様々ね。
「へいへい大妖怪霊夢様」
「大妖怪って……」
「妖怪共が噂してるよ。ありゃあ並じゃない大妖怪、八雲の大妖怪だ。
八雲の賢者が姿を消したと思ったら、八雲の霊夢が睨みを利かせて暴れられないってさ」
「八雲のって……」
「願ったり叶ったりだろ?」
「……えぇい。ムカつくからにやにやすんな」
「こりゃ失敬」
小突いても妹紅のにやにやは薄れもしない。
挙句に隣に座り込んでくる。
「慧音から伝言。地鎮祭やるから巫女呼んでくれってさ」
「なんで私に言うのよ。直接あの子に言えばいいじゃない」
応える声が刺々しくなるのも宜なるかな。
しかし妹紅は臆することなくへらへら笑い受け流す。
「そのつもりだったけどあんた見かけたから。神社まで行くのだるいし」
「物臭ねぇ……」
「年寄りなもんで」
「はん。私だって年寄りだわよ」
これでも百歳越えてるわ。
皮肉に笑おうとすると、それを上回る皮肉な笑みが先出しされる。
「年季が違うのさ」
飄々とした態度とは裏腹に、言葉は重い。
そりゃあ――あんたと比べれば私なんて赤子みたいなものでしょうけど。
あんたからすれば百年なんてあっという間かもしれないけど。
新米の私には、百年は……
「ふはははー。先輩を敬いなよ後輩。先達は敬えってね」
重さは一瞬で消え去る。
背をバンバンと叩かれて沈んだ気持ちは追い出される。
……まるで見透かされているかのようだ。
「敬えってんなら外見は私の方が年上よ。敬いなさい人間」
「大差ないだろ妖怪? それに外見なんざ実年齢の前にゃ形無しだ」
「ったく。体力馬鹿の癖に口は回るわね」
幾分か気分が軽くなっているのを自覚する。
叩かれた所為――ではなく、だらだらと意味のない会話のおかげか。
思えば、藍以外と会話するのは久しぶりだ。近頃は誰かに会いに行くことも少なくなっていた。
今日のようにただぶらぶらと当て所もなく散歩するだけだった。
――魔理沙とか早苗は元気にしてるのかな。随分会ってない気がする。
「で、元巫女から見て今の巫女はどうさ?」
ポケットをまさぐりながら妹紅は問う。
……目的のある会話ではないとは言え、脈絡に欠ける話題だ。
「どうって、頑張ってるんじゃない?」
「つれないねぇ師匠」
「師匠ってほど教えてないわよ」
気が向いたら稽古をつけてやる程度の関係だ。
血縁も無いし、それほど干渉はしていない。
「まぁ、頼りないってのはわかるけどさ」
修行嫌いの癖に負けず嫌いときた。難儀な奴である。
「異変解決するまでに何十回もリトライしてるからねぇ。根性はあるね」
根性ねぇ。それを幾割かでも修行に回してればもっと優秀な巫女になってるんでしょうけど。
その辺は私も言えない。修行嫌いは博麗の巫女の宿命なのかしらね。
「まだまだ子供だからね。これからでしょ」
「ま、あの頃のおまえよりちっちゃいしな。今何歳だっけ?」
「十一かな」
ふーん、と気のない返事。見れば安っぽい紙巻き煙草を取り出していた。
「あんたは手出ししないの?」
「それは人間の領分でしょ」
「ははっ。妖怪が板に付いてきた」
余計なお世話だっての。
「煙草吸っていい?」
「どうぞ」
どうも、と短く応じ妹紅は妖術で火を点ける。マッチ要らずで便利よね。
紫煙が吐かれる。その姿に――誰かが重なった。
ああ、これこそ……久しぶり、だ。身近で煙草を吸う奴は居ない。
藍も煙草は吸わなかったから、煙草の存在自体忘れかけていた。
――あいつは紙巻きじゃなく煙管だった。
いやに気だるそうに吸っていたのを思い出す。
何度も見たと云うわけじゃないけど、遊びに来て、雨が降りだしたりしたら吸っていた。
だから逆に、その姿が記憶に残っている。
雨の日に――――よく吸っていた。
「なによ」
怪訝な目が向けられる。
物思いに耽りながらも視線はそのままだったようだ。
「んー……いや、なんとなく」
「落ちつかないなぁ。煙草嫌い?」
「別に。吸ったことないし」
記憶に残っているだけ。
好きでも嫌いでもない。
ただ、紫煙を燻らせる姿を憶えているだけ。
「吸う?」
差し出される。私はそれを手で遮った。
「御免よ。目覚めて開口一番に『口が臭いわ』とか言われたらたまったもんじゃない」
「ぷはは。好きな奴追っかけて妖怪にまでなった奴がまぁ。弱気だことで」
「ほっとけ。心は死ぬまで乙女なのよ」
軽口をたたきながらも気分がまた重くなるのを感じる。
似てないのに。似ているところを探す方が難しいのに、こいつはあいつを想起させる。
長く生きた者の厭世感? 違う。あいつは兎も角、こいつはそんなのと無縁だ。
少なくとも私の知る妹紅は気だるそうにしながらも前を向いて生きている。
あいつみたいに、どこを向いているのかわからないような生き方はしていない。
生き方も、顔立ちも、纏う空気も、言葉使いも、何もかもが似ていない。
そうだ、妹紅の所為じゃない。妹紅があいつを思い出させてるんじゃない。
私が、不様に、あいつの面影を求めているだけだ。
あいつを追いかけているから……風に揺れる柳が幽霊に見えるように……
――なんでもない仕草にあいつの影を見てしまうだけだ。
「そういえばさぁ霊夢」
またもや、話を振られる。
私が沈みこみそうになる度に気を逸らされる。
見透かされている……の、だろうか。
「……ん?」
誘いに乗る。例え見透かされているのだろうと、このまま沈み込むのは嫌だった。
「なんで蓬莱の薬飲まなかったのさ。延命なら一番手っ取り早いだろ?
おまえならあの薬師脅して薬作らせるくらい簡単じゃないか」
「――ああそれね。まず思いついたわよ。永遠亭襲撃計画まで練ったわ」
電撃戦で兎を蹴散らして輝夜を拉致って永琳と交渉。
当時の実力を鑑みても実に効率的で完璧な計画だった。
「やり遂げてれば、別れた頃の姿のままでいられたでしょうね」
「じゃあなんで?」
「違うかな、って思って」
誘いに乗ったのに、結局はまたあいつへ繋がる。
「私は死にたくないんじゃなくて、もう一度あいつに会いたいだけなんだもの」
腹を括る。
たまには……胸の内を言葉にして吐き出してしまうのもいいだろう。
「それに、あいつが永遠に生きられるとは限らない。あいつが死んだら……」
故に考えることもなく言葉は紡がれる。
「私だけ生きているなんて嫌。私も、あいつといっしょに死にたい」
ずっとため込んで居たものは淀みなく口から零れ落ちた。
「また――あいつと別れるなんて嫌だもの」
言い終えて、僅かに気恥ずかしさを覚える。
ため込んでいたとは言え、話し過ぎたかもしれない。
いくら友人相手とはいえべらべら喋るようなものではなかったか。
「……ごっそさん」
「な、あんたから話ふっといて」
案の定からかわれる、と思ったが、妹紅はそれ以上続けなかった。
笑ってすらいない。
「……妹紅?」
気遣われている――のだろうか。
燻らせる紫煙に遮られて読めない。彼女の浮かべる表情さえもわからない。
ああでも、気遣われているのかもしれない。見透かされているのかもしれない。
きっと私はこの疲れを隠せていない。この苦痛を抱え切れていない。
「で、本題なんだけど」
私の問いには答えず妹紅は話を進める。
「長い前振りね」
気のない悪態を吐いて応じる。
もう疲れを隠す必要はあるまい。
「最近よく見かけるけどさ。どうしたのよ」
きっと妹紅は全部気付いているんだろうから。
「二・三十年前は全然見かけなくて、いよいよ死んだかと思ったくらいなのに」
「随分ね。人間らしく二・三十年前に死んでた方がよかった?」
「霊夢」
怒気を孕んだ視線。――あぁ、皮肉が過ぎた。
「ごめん」
苦笑さえ浮かべられない。
心配してくれているのに礼を伝える気にもならない。
「……あいつの」
もう、
「あいつの、傍に居るのが、辛い」
弱音を吐くことに抵抗なんて感じない。
――百年の憂鬱は私を、霊夢を、弱くしてしまった。
「……何十年も耐えてきたんじゃないか。百年ってのももうすぐなんだろ?」
「それでも」
反射的に言い返す。
「――不安にもなるわよ」
もう耐えられないと、理解してしまったから。
「あいつは百年の眠りと言った。でも、あと数年で目覚めるかなんてわからない。
あと何年待てばいいのかなんて……わからない」
ずっと私に圧し掛かっていた重さを吐きだす。
「昔の、あいつは――自惚れじゃなく、私のことを好きだったって思う。
でも、あれから百年が過ぎてしまって、あいつの心が変わってないなんて言い切れなくて」
誰にも言えなかった弱音を吐きだす。
「私のことなんて、忘れてるんじゃないかって」
百年の眠りなんて想像も出来ない。
その眠りから目覚めたらどうなるのかなんてわからない。
紫が紫のままでいてくれるのかさえも信じきれない。
「何度も夢に見るのよ。あいつが、目覚めてさ、私を見て言うの。
『はじめまして。あなたは誰?』って。本当にわからないって顔で」
止まらない。一度零れ出した不安はもう止められなかった。
全部吐き出して楽になりたかった。
「私自身、少しだけど、外見も変わってて、余計に不安で」
なのにいくら言葉にして吐き出しても重さは変わらない。
こうしている今も自然と俯いてしまうほどに圧し掛かったまま。
「あいつが目覚めるのが怖い。私を見て、なんて言うのか想像もしたくない」
変わり果てた私を見てどう思うのかなんて考えたくもない。
私は、どれだけ願おうとも博麗霊夢じゃなくなっている。
ここに居るのはあいつの知っている博麗霊夢じゃなくて、ただの妖怪の霊夢。
あいつが愛してくれた博麗霊夢なんてとっくの昔に消えてしまっている。
私にはもう……あの頃の赤いリボンは似合わない。
「もし、あいつが憶えていても」
だから私は恐怖に震えている。
「――――嫌われてしまいそうで、怖い」
この百年が無意味に終わることを恐れている。
震える手を握り締める。でも、手はただ白くなるだけで震えは止まらない。
「――……紫に、目覚めて欲しいのに……今の私は、同じくらい……
目覚めないでと――願ってる。もう、自分でもわけがわからないのよ」
風が吹く。
春の風は震える体にとても冷たく感じられた。
沈黙が下りる。
野原は風が草木を撫でる音だけが響く。
妹紅は、なにも言わなかった。黙り込んで、私の弱音を反芻しているように見える。
独り言のようなものだったのにちゃんと、聞いていてくれた。
――風が通り過ぎる。
まだ高い空で雲が流れていく。
「……私は、さ」
囁くような声。
「霊夢が生きていてくれて嬉しいよ。何十年ものつき合いだし、友達だからさ。
私はずっと、友達作ってもすぐに死なれちゃって、その度に悲しかったからさ」
ばん、と背を叩かれる。
「私は霊夢が変わっても生きてるのが嬉しい。それにあんま変わった気がしないよ」
妹紅は……笑っていた。
「少なくともここに一人、そう思ってる奴が居るよ」
「……妹紅」
「八雲のがどう考えてるかなんてわからない。つーか、あいつの考えてることなんてさっぱりよ」
ごちっ
「痛っ」
「うじうじ悩むなんて霊夢らしくないわ。どうせなら当たって砕けてリトライしなって。
拒絶されたって怒られたって、最後に勝てばいいじゃん?」
彼女の顔に浮かぶのは百年前と変わらない強気な笑み。
戦え、勝て、か。
慰めの言葉にしちゃ物騒ね。
あなたらしい、けれど。
「そうね」
立ち上がる。腕を振り上げる。
ごんっ
「っだぁっ!」
「お返し」
「――ったぁ……あー……元気出たみたいね?」
笑う彼女に、笑顔を返す。
「おかげさまでね。……うん、私らしくなかったわ。怯えて竦んで、歩こうともしてなかった」
自由が売りのこの私が、雁字搦めに縛られていた。
飛ぶことさえ忘れていた。どんな障害だって飛び越えて来たのに。
「私は私よね。博麗が取れて霊夢になっただけ。なら、霊夢らしくやってみる」
リボンが似合わなくなっても、巫女じゃなくなっても、変わってないことだってある。
私はあいつが好き。胡散臭くて自分勝手で押しつけがましいバカ女。
紫が好きなことは、変わらない。
空を睨みつける。
まだ陽は高い。起きるには遅いけど、目覚めの時間としては申し分ない。
「――とりあえず、ぶん殴って起こしてみるわ」
悩むのなんて後回しでいい。
まずは飛び出してぶち当たってみればいい。
これが私だと隠さずそのままにぶつけてみる。
「武運を祈るわ」
「勝ったら酒でも奢るわよ。負けたら奢ってね」
背にかかる声に振り返らずに応える。
「待ってなさいよ紫」
ふわりと飛び上がる。
目指すのは紫の家。
目標は眠り続けるバカ女。
「こちとら百年分の想いが漲ってるんだから」
このお話は作品集81「夢幻抱擁」の裏話となっております。
夜が明ける。
今日も、紫は起きなかった。
――目眩を覚える。
ただ日暮れ前から眺めていただけ。それだけで肉体が悲鳴を上げていた。
博麗の名を捨て妖怪となってから何十年も経っているのに。
たったこれだけの時間で貧弱な人間のように疲れが来る筈が無い。
……なら、これは……心の疲れか。
妖怪故に……心の苦痛には弱い。誤魔化すことも出来ないほどに疲れ切っている。
それが如実に体に表れ、こうして体を蝕む苦痛となっている。
いけない。また藍に心配をかけてしまう。気分転換でも、しないと……
「……ふぅ」
紫から目を外し、他のことを考える。
時間――月日――年月。
私が妖怪になってから――もうすぐ百年。
色々あった。私の容姿も変わった。もうリボンは似合わない。
紫の屋敷を探し当てて四十年近く経っている。
眠り続ける彼女の傍で四十年近くが過ぎている。
人間だったらとっくに死んでる。
こいつは、こうやって私から逃げようとしてたのね。
どう足掻こうが私の手の届かないところに行くつもりだった。
時間という壁で私を遮って、諦めさせようとした。
はん、ざまぁみなさい。私はこうして生きてあんたを待っている。
あんたの目論見は総崩れね。私から逃げるなんて不可能なのよバカ女。
悔しかったら文句の一つでも言ってみなさいよ。
ほら、さっさと――
「――――」
気付けば、身を乗り出して睨みつけていた。
…………駄目だ。考えまいとするのに、考えてしまう。
紫の、ことを考えてしまっている。気分転換どころじゃなかった。
当然か。目の前に紫が居ては、考えるなと言う方が無理だ。
紫に目を向ける。
まるで死んでいるかのような寝顔。
――とても危うく感じる、脆ささえ見える寝姿。
生気を感じさせないガラス細工。開かれることのない目を持つビスクドール。
不安だけが煽られる……紫の、顔。
「ったく。寝言で私の名を呼ぶとかすれば可愛げもあるものを」
強気な言葉で自分を誤魔化す。
不安を言葉で押し流す。
そんなこと出来はしないとわかっていても……何かに縋らねば、折れてしまう。
博麗を捨てた霊夢の心は何にも守られていないのだから。
「…………」
紫の顔を覗き込む。
朝陽に照らされてもぴくりとすら動かない寝顔。
どれだけ私が呼んでも、応えてくれない冷たい貌。
そこにあるのに手が届かない……愛しい笑顔。
バカ。バカ紫。
もう、限界よ。
「――さっさと起きないと、浮気するわよ」
そんな、あり得ないことを口にした。
「藍、ちょっと出てくるわ」
書き物をしている背に声をかける。
ふらふらしているだけの私と違い、藍は忙しい。あれも多分仕事だろう。
「うん? どこへ?」
「散歩よ」
微笑う気配。振り返った金色の眼は笑みの形に歪んでいた。
「――見回り御苦労さま」
「そんなんじゃないわ」
物覚えの悪い奴。何度そうじゃないと言えばわかるのよ。
私は紫の代わりなんてしてない。あいつみたいに幻想郷を守ろうとだなんてしてないわ。
「行ってくる」
ぶっきらぼうに背を向けて玄関に向かう。まだ笑ってる気配を背に感じる。
ムカついたので妖力を込めた符を投げておいた。
響く悲鳴にスッとする。
しかし、みぎゃあとは可愛い悲鳴を出すものね、藍。
当て所もなく歩く。飛んでもいいがなんとなくそういう気分にはならない。
最近はこうすることが多くなった。
妖怪が昼出歩くと云うのはいかがなものかとは思うのだが。
まぁいいか。近頃は昼型の妖怪も随分多くなったことだし。
どこぞの夜雀などは客が減って客が減って、などと嘆いていた。
藍との晩酌に飽きて呑みに出かけることも増えたから潰れられては困るのだが。
取り留めのないことを考えながら歩いていたら道に出た。
おや、まいった。これでは道沿いに潜んで人間を襲おうとしてるみたいではないか。
別段どう思われようと構わないが妖怪退治の専門家を嗾けられるのは具合が悪い。
叩きのめすのが面倒だ。
私は魔理沙と違い「丁度いい腕試しになる」とは思えない。勤勉ではないのだ。
堂々と道を歩けばいいかなぁ。変にこそこそする方が怪しまれそうだし。
じゃあ開き直って散歩を再開するとしましょうか。
が――目当てもなければ自然足も重くなる。
ならば適当な目的地でも考えればよさそうなものだが、生憎と今は進んで誰かに会いたいとは思わない。
気分が重いのを誤魔化すには……少々時間が足りていないようだ。
「ふぅ」
溜息一つ。
諦めて道を外れる。原っぱに腰を下ろす。
無理して歩く方が心に悪い。無駄に己を追い詰めるだけだ。
まったく、気晴らしにもなりやしない。
「……妖怪になるって、存外面倒よね」
一々心の調子を考えねばならないとはね。面倒くさいったらありゃしない。
……でも、他の妖怪がこんなことで難儀しているのを見たことはない。
なら、これは――私だけの問題か。私だから至る病か。
人間だった頃は、心病んだことなどなかった。ただ生きてるだけで心は元気だった。
それが、今では全く出来ない。元気でいようとすることに努力を要する。
まだ私は……妖怪になり切れていないのだろうか。
博麗霊夢を引き摺り、博麗を捨てた妖怪霊夢になれていないのだろうか。
――……引き摺って、いるわね。
私は完全に妖怪になって、人間性を捨て切った霊夢になることを恐れている。
あいつが目覚める時に……変わり果てた私で逢いたくないと思っているのかもしれない。
あいつが愛してくれたのは人間の博麗霊夢。今ここに在る妖怪の霊夢じゃない。
百年前の面影を残したい、ほんの僅かでもあいつが私を私と認識してくれる可能性を……
「――――っは」
自嘲する。そりゃ、疲れもするわ。意識してないだけで四六時中こんなことを考えてればね。
気付かないふりをしていたけれど……朝零した言葉の通りだわ。もう限界。
「……百年は……長過ぎるわよ――紫」
意識を手放す。
疲れた心はするりと暗がりへ落ちていく。
何も考えずにいたい。夢さえも見ない泥のような眠りが欲しかった。
空白のまま過ぎる時間だけが……欲しかった。
――誰かに呼ばれている。
やめてよ、夢に出そうじゃない。私は眠りたいのよ。
――しつこい。
顔面に呪符貼り付けるわよ。当分ご飯も食べられないようにべったりと。
………
ええい、しつこいって言ってんでしょう!
「おーい」
ぶん殴るわよ、って。
「……んぁ? 妹紅」
寝惚け眼じゃあはっきりとしないが妹紅に見える。
「おうよ妹紅だよ。こんなとこで寝てると踏んづけるぞ」
妹紅だ。殴っても構わないだろうすぐ治るし。
「……えい」
「うわぁっ!?」
っち。避けたか。
「ちょ、寝起きとは思えないパンチね……」
逆さまの視界の中で妹紅は尻もちをついている。うむ。当たらなかったけどすっきりした。
「悪いわね。私寝起きが悪いのよ」
「身を以って理解した」
妹紅は立ち上がり服に付いた葉っぱを掃う。髪にも付いてるけどまぁ教える義理もあるまい。
私の睡眠を邪魔した報いよ。
ん――陽の高さからして眠った時間は然程でもないようだ。
夢を見た記憶はないから、希望通り泥のように眠れたようだが。
「おいおい。まだ寝惚けてんの?」
失礼な。色々確認していただけよ。
「んじゃ改めて。おいっす、元巫女」
「普通に名前で呼べ」
体を起こす。野原で寝た割には体は痛まない。妖怪の体様々ね。
「へいへい大妖怪霊夢様」
「大妖怪って……」
「妖怪共が噂してるよ。ありゃあ並じゃない大妖怪、八雲の大妖怪だ。
八雲の賢者が姿を消したと思ったら、八雲の霊夢が睨みを利かせて暴れられないってさ」
「八雲のって……」
「願ったり叶ったりだろ?」
「……えぇい。ムカつくからにやにやすんな」
「こりゃ失敬」
小突いても妹紅のにやにやは薄れもしない。
挙句に隣に座り込んでくる。
「慧音から伝言。地鎮祭やるから巫女呼んでくれってさ」
「なんで私に言うのよ。直接あの子に言えばいいじゃない」
応える声が刺々しくなるのも宜なるかな。
しかし妹紅は臆することなくへらへら笑い受け流す。
「そのつもりだったけどあんた見かけたから。神社まで行くのだるいし」
「物臭ねぇ……」
「年寄りなもんで」
「はん。私だって年寄りだわよ」
これでも百歳越えてるわ。
皮肉に笑おうとすると、それを上回る皮肉な笑みが先出しされる。
「年季が違うのさ」
飄々とした態度とは裏腹に、言葉は重い。
そりゃあ――あんたと比べれば私なんて赤子みたいなものでしょうけど。
あんたからすれば百年なんてあっという間かもしれないけど。
新米の私には、百年は……
「ふはははー。先輩を敬いなよ後輩。先達は敬えってね」
重さは一瞬で消え去る。
背をバンバンと叩かれて沈んだ気持ちは追い出される。
……まるで見透かされているかのようだ。
「敬えってんなら外見は私の方が年上よ。敬いなさい人間」
「大差ないだろ妖怪? それに外見なんざ実年齢の前にゃ形無しだ」
「ったく。体力馬鹿の癖に口は回るわね」
幾分か気分が軽くなっているのを自覚する。
叩かれた所為――ではなく、だらだらと意味のない会話のおかげか。
思えば、藍以外と会話するのは久しぶりだ。近頃は誰かに会いに行くことも少なくなっていた。
今日のようにただぶらぶらと当て所もなく散歩するだけだった。
――魔理沙とか早苗は元気にしてるのかな。随分会ってない気がする。
「で、元巫女から見て今の巫女はどうさ?」
ポケットをまさぐりながら妹紅は問う。
……目的のある会話ではないとは言え、脈絡に欠ける話題だ。
「どうって、頑張ってるんじゃない?」
「つれないねぇ師匠」
「師匠ってほど教えてないわよ」
気が向いたら稽古をつけてやる程度の関係だ。
血縁も無いし、それほど干渉はしていない。
「まぁ、頼りないってのはわかるけどさ」
修行嫌いの癖に負けず嫌いときた。難儀な奴である。
「異変解決するまでに何十回もリトライしてるからねぇ。根性はあるね」
根性ねぇ。それを幾割かでも修行に回してればもっと優秀な巫女になってるんでしょうけど。
その辺は私も言えない。修行嫌いは博麗の巫女の宿命なのかしらね。
「まだまだ子供だからね。これからでしょ」
「ま、あの頃のおまえよりちっちゃいしな。今何歳だっけ?」
「十一かな」
ふーん、と気のない返事。見れば安っぽい紙巻き煙草を取り出していた。
「あんたは手出ししないの?」
「それは人間の領分でしょ」
「ははっ。妖怪が板に付いてきた」
余計なお世話だっての。
「煙草吸っていい?」
「どうぞ」
どうも、と短く応じ妹紅は妖術で火を点ける。マッチ要らずで便利よね。
紫煙が吐かれる。その姿に――誰かが重なった。
ああ、これこそ……久しぶり、だ。身近で煙草を吸う奴は居ない。
藍も煙草は吸わなかったから、煙草の存在自体忘れかけていた。
――あいつは紙巻きじゃなく煙管だった。
いやに気だるそうに吸っていたのを思い出す。
何度も見たと云うわけじゃないけど、遊びに来て、雨が降りだしたりしたら吸っていた。
だから逆に、その姿が記憶に残っている。
雨の日に――――よく吸っていた。
「なによ」
怪訝な目が向けられる。
物思いに耽りながらも視線はそのままだったようだ。
「んー……いや、なんとなく」
「落ちつかないなぁ。煙草嫌い?」
「別に。吸ったことないし」
記憶に残っているだけ。
好きでも嫌いでもない。
ただ、紫煙を燻らせる姿を憶えているだけ。
「吸う?」
差し出される。私はそれを手で遮った。
「御免よ。目覚めて開口一番に『口が臭いわ』とか言われたらたまったもんじゃない」
「ぷはは。好きな奴追っかけて妖怪にまでなった奴がまぁ。弱気だことで」
「ほっとけ。心は死ぬまで乙女なのよ」
軽口をたたきながらも気分がまた重くなるのを感じる。
似てないのに。似ているところを探す方が難しいのに、こいつはあいつを想起させる。
長く生きた者の厭世感? 違う。あいつは兎も角、こいつはそんなのと無縁だ。
少なくとも私の知る妹紅は気だるそうにしながらも前を向いて生きている。
あいつみたいに、どこを向いているのかわからないような生き方はしていない。
生き方も、顔立ちも、纏う空気も、言葉使いも、何もかもが似ていない。
そうだ、妹紅の所為じゃない。妹紅があいつを思い出させてるんじゃない。
私が、不様に、あいつの面影を求めているだけだ。
あいつを追いかけているから……風に揺れる柳が幽霊に見えるように……
――なんでもない仕草にあいつの影を見てしまうだけだ。
「そういえばさぁ霊夢」
またもや、話を振られる。
私が沈みこみそうになる度に気を逸らされる。
見透かされている……の、だろうか。
「……ん?」
誘いに乗る。例え見透かされているのだろうと、このまま沈み込むのは嫌だった。
「なんで蓬莱の薬飲まなかったのさ。延命なら一番手っ取り早いだろ?
おまえならあの薬師脅して薬作らせるくらい簡単じゃないか」
「――ああそれね。まず思いついたわよ。永遠亭襲撃計画まで練ったわ」
電撃戦で兎を蹴散らして輝夜を拉致って永琳と交渉。
当時の実力を鑑みても実に効率的で完璧な計画だった。
「やり遂げてれば、別れた頃の姿のままでいられたでしょうね」
「じゃあなんで?」
「違うかな、って思って」
誘いに乗ったのに、結局はまたあいつへ繋がる。
「私は死にたくないんじゃなくて、もう一度あいつに会いたいだけなんだもの」
腹を括る。
たまには……胸の内を言葉にして吐き出してしまうのもいいだろう。
「それに、あいつが永遠に生きられるとは限らない。あいつが死んだら……」
故に考えることもなく言葉は紡がれる。
「私だけ生きているなんて嫌。私も、あいつといっしょに死にたい」
ずっとため込んで居たものは淀みなく口から零れ落ちた。
「また――あいつと別れるなんて嫌だもの」
言い終えて、僅かに気恥ずかしさを覚える。
ため込んでいたとは言え、話し過ぎたかもしれない。
いくら友人相手とはいえべらべら喋るようなものではなかったか。
「……ごっそさん」
「な、あんたから話ふっといて」
案の定からかわれる、と思ったが、妹紅はそれ以上続けなかった。
笑ってすらいない。
「……妹紅?」
気遣われている――のだろうか。
燻らせる紫煙に遮られて読めない。彼女の浮かべる表情さえもわからない。
ああでも、気遣われているのかもしれない。見透かされているのかもしれない。
きっと私はこの疲れを隠せていない。この苦痛を抱え切れていない。
「で、本題なんだけど」
私の問いには答えず妹紅は話を進める。
「長い前振りね」
気のない悪態を吐いて応じる。
もう疲れを隠す必要はあるまい。
「最近よく見かけるけどさ。どうしたのよ」
きっと妹紅は全部気付いているんだろうから。
「二・三十年前は全然見かけなくて、いよいよ死んだかと思ったくらいなのに」
「随分ね。人間らしく二・三十年前に死んでた方がよかった?」
「霊夢」
怒気を孕んだ視線。――あぁ、皮肉が過ぎた。
「ごめん」
苦笑さえ浮かべられない。
心配してくれているのに礼を伝える気にもならない。
「……あいつの」
もう、
「あいつの、傍に居るのが、辛い」
弱音を吐くことに抵抗なんて感じない。
――百年の憂鬱は私を、霊夢を、弱くしてしまった。
「……何十年も耐えてきたんじゃないか。百年ってのももうすぐなんだろ?」
「それでも」
反射的に言い返す。
「――不安にもなるわよ」
もう耐えられないと、理解してしまったから。
「あいつは百年の眠りと言った。でも、あと数年で目覚めるかなんてわからない。
あと何年待てばいいのかなんて……わからない」
ずっと私に圧し掛かっていた重さを吐きだす。
「昔の、あいつは――自惚れじゃなく、私のことを好きだったって思う。
でも、あれから百年が過ぎてしまって、あいつの心が変わってないなんて言い切れなくて」
誰にも言えなかった弱音を吐きだす。
「私のことなんて、忘れてるんじゃないかって」
百年の眠りなんて想像も出来ない。
その眠りから目覚めたらどうなるのかなんてわからない。
紫が紫のままでいてくれるのかさえも信じきれない。
「何度も夢に見るのよ。あいつが、目覚めてさ、私を見て言うの。
『はじめまして。あなたは誰?』って。本当にわからないって顔で」
止まらない。一度零れ出した不安はもう止められなかった。
全部吐き出して楽になりたかった。
「私自身、少しだけど、外見も変わってて、余計に不安で」
なのにいくら言葉にして吐き出しても重さは変わらない。
こうしている今も自然と俯いてしまうほどに圧し掛かったまま。
「あいつが目覚めるのが怖い。私を見て、なんて言うのか想像もしたくない」
変わり果てた私を見てどう思うのかなんて考えたくもない。
私は、どれだけ願おうとも博麗霊夢じゃなくなっている。
ここに居るのはあいつの知っている博麗霊夢じゃなくて、ただの妖怪の霊夢。
あいつが愛してくれた博麗霊夢なんてとっくの昔に消えてしまっている。
私にはもう……あの頃の赤いリボンは似合わない。
「もし、あいつが憶えていても」
だから私は恐怖に震えている。
「――――嫌われてしまいそうで、怖い」
この百年が無意味に終わることを恐れている。
震える手を握り締める。でも、手はただ白くなるだけで震えは止まらない。
「――……紫に、目覚めて欲しいのに……今の私は、同じくらい……
目覚めないでと――願ってる。もう、自分でもわけがわからないのよ」
風が吹く。
春の風は震える体にとても冷たく感じられた。
沈黙が下りる。
野原は風が草木を撫でる音だけが響く。
妹紅は、なにも言わなかった。黙り込んで、私の弱音を反芻しているように見える。
独り言のようなものだったのにちゃんと、聞いていてくれた。
――風が通り過ぎる。
まだ高い空で雲が流れていく。
「……私は、さ」
囁くような声。
「霊夢が生きていてくれて嬉しいよ。何十年ものつき合いだし、友達だからさ。
私はずっと、友達作ってもすぐに死なれちゃって、その度に悲しかったからさ」
ばん、と背を叩かれる。
「私は霊夢が変わっても生きてるのが嬉しい。それにあんま変わった気がしないよ」
妹紅は……笑っていた。
「少なくともここに一人、そう思ってる奴が居るよ」
「……妹紅」
「八雲のがどう考えてるかなんてわからない。つーか、あいつの考えてることなんてさっぱりよ」
ごちっ
「痛っ」
「うじうじ悩むなんて霊夢らしくないわ。どうせなら当たって砕けてリトライしなって。
拒絶されたって怒られたって、最後に勝てばいいじゃん?」
彼女の顔に浮かぶのは百年前と変わらない強気な笑み。
戦え、勝て、か。
慰めの言葉にしちゃ物騒ね。
あなたらしい、けれど。
「そうね」
立ち上がる。腕を振り上げる。
ごんっ
「っだぁっ!」
「お返し」
「――ったぁ……あー……元気出たみたいね?」
笑う彼女に、笑顔を返す。
「おかげさまでね。……うん、私らしくなかったわ。怯えて竦んで、歩こうともしてなかった」
自由が売りのこの私が、雁字搦めに縛られていた。
飛ぶことさえ忘れていた。どんな障害だって飛び越えて来たのに。
「私は私よね。博麗が取れて霊夢になっただけ。なら、霊夢らしくやってみる」
リボンが似合わなくなっても、巫女じゃなくなっても、変わってないことだってある。
私はあいつが好き。胡散臭くて自分勝手で押しつけがましいバカ女。
紫が好きなことは、変わらない。
空を睨みつける。
まだ陽は高い。起きるには遅いけど、目覚めの時間としては申し分ない。
「――とりあえず、ぶん殴って起こしてみるわ」
悩むのなんて後回しでいい。
まずは飛び出してぶち当たってみればいい。
これが私だと隠さずそのままにぶつけてみる。
「武運を祈るわ」
「勝ったら酒でも奢るわよ。負けたら奢ってね」
背にかかる声に振り返らずに応える。
「待ってなさいよ紫」
ふわりと飛び上がる。
目指すのは紫の家。
目標は眠り続けるバカ女。
「こちとら百年分の想いが漲ってるんだから」
霊夢の抱えている色々な不安などの心情を話したり、そんな彼女を
元気付けた妹紅も格好良かったです。
どこまでも無重力、妖怪霊夢。支えもないけど障害もない。
でも、その後の傍らには・・・・・・イイネ・・・。
ただの人間から超越者の立場に移った者同士のやりとりとか、ね
…成長した霊夢さんはさぞ美人なんだろうなぁ
2人の会話、凄く良かったです。
ゆ か れ い む は 俺 の ロ ー ド
幸あらん
でも、妖怪になる過程とかの話しは結構練れそうなくらい深そうですね。
後は派生として、別の人物からの視点とかも面白そうかなと思ったり。
妹紅じゃないけど「ごっそさんでした」
でも妖怪になった霊夢なんて想像できないわなあ…。