とうに日が暮れ、夕餉の時間が過ぎた頃。
私こと九尾の式、八雲藍は、屋敷の台所で、主に出すデザートの準備をしていた。
「……さて、そろそろかな」
外界から手に入れた道具、冷蔵庫の扉を開けると、ガラス鉢に入ったピンク色の固まりが目に入る。
本日の献立は、苺のババロア。
材料はたっぷりと用意した苺の他に、ゼラチン、砂糖、牛乳、生クリーム等。
幻想郷で穫れた旬の果実であれば、手を加える余地が無いほど甘いのだが、これだけは外界からの輸入品。
だがそのおかげで、こんなデザートに挑戦できるのだから、世の中はうまくできている。
「よしよし、いい具合に固まってるわね」
朝のうちに作っておいたそれを、冷蔵庫から取り出し、白い器にあけた。
後は、召し上がってもらうのみ。残ったものは明日、山に泊まっている式に持って行ってあげることにする。
主の感想を楽しみにしつつ、私はババロアの器を手に、居間へと向かった。
「お待たせしました~。デザートですよ~」
閉じた襖に声をかける。だが、返事が無い。
不思議に思って襖を開けると、ちゃぶ台に二人分の食器を残して、主の姿が消えていた。
さっきまで私とここで話していたはずなのに。
ちん、りりりりりりりーん♪
と、玄関に置いてある、電話が鳴った。
珍しいこともある。白玉楼からかな?
私はとりあえずババロアをちゃぶ台に置き、玄関へと向かった。
そこに設置されているのは、卓上型のクラシックな黒電話。
ベルの鳴る受話器を取り、明るい声で応対する。
「はい、もしもし。八雲です」
『もしもし、私メリーさんよ』
その声に、私のスマイルが消えた。
ついでにため息が漏れる。
「……何の真似ですか。紫様」
『紫様じゃなくてメリーさんよ』
「……メリーさん。同じ家にいるんですから、わざわざ電話をかけなくてもいいでしょう」
電話の相手は明らかに、さっき食事を共にしていた我が主、スキマ妖怪の八雲紫だった。
私と彼女は、式神とご主人様の関係にある。つまり、意思疎通するだけなら、電話回線を使わずとも、私の体に打たれている『式』だったり、念話だったりで事足りるということだ。
さらに言えば、主の能力であるスキマを持ってすれば、電話を通じた間接的な会話など不要のはずだった。
『つまらないことを言うんじゃないの。それに、私が家にいると決まったわけではないでしょ』
「あれ、さっき夕食を召し上がったばかりなのに、もうお出かけになったのですか?」
『ええ。食後の散歩といったところよ』
「でも、デザートができているんですよ。いつも必ず食べてから行かれるのに」
『それは後でいただくことにして、メリーさんは今、どこにいるでしょう』
どこにいるって……この家じゃないなら、幻想郷のどこかのはずだし、可能性が一番高いと言えば……
「霊夢のところですか?」
『はずれ』
「なら、白玉楼ですか?」
『それもはずれ。今、本人に電話を代わりますわ』
「本人?」
『はい、どうぞ……』
主の声が遠ざかり、別の声に変わった。
『……ここに耳を当てればいいのか? 外の世界の電話というのは、頼りないほど小さいものなのだな。もしもし、藍殿か?』
岩清水のようなその声に、私の顔から血の気が引いた。
「け、慧音殿!?」
『ああ。上白沢慧音だ。早速だが、今私が置かれている状況について、何らかの説明をお願いしたいのだが……』
「ああああごめんなさいごめんなさい。うちの主がお邪魔しています。何かご迷惑をかけていませんか」
『今のところ、これといった被害はない。しいて言うなら、夕飯の卓に突然現れたので、味噌汁をこぼしたくらいですな』
「申し訳ない。拭きに行かせてください。お味噌汁も作り直してさしあげます。噛み付いたりしていませんか。エサは与えないでください」
私は動揺のあまり、次々と妙なことを口走った。
里の守護者は、そんな自分をなだめてくる。
『藍殿、気持ちはわかるが落ち着いてくれ。もしもし?』
「……落ち着いた。すまないけど、そこでニタニタ笑っているであろうスキマと代わっていただけないかしら」
『ん、ああ。わかった。……八雲殿、藍殿が……』
電話が交代するまでに、私は大きく息を吸い込んだ。
『というわけで、正解は人里の……』
「何してるんですかっ」
叱り声を攻撃魔法に変える勢いで、私は受話器に向かって怒鳴った。
『うるさいわねぇ……そんなに大声出さなくても聞こえるわよ』
「あのですね紫様。一言いわせていただきますと」
『あら、絶対一言じゃ終わりそうにないわね』
「黙らっしゃい! いいですか。慧音殿は最近できた私の友人です。それも、幻想郷には珍しい、礼儀正しい大和撫子という、私にとって貴重な朋友なんです」
『知ってるわ。藍のお友達なら、いずれご挨拶しておかないといけないと思ったのよ。だから、彼女が夕飯を一人で食べているところに、やっほー、とスキマから顔を出して……』
「時と場合と手段を選んでください! 慣れてる霊夢や幽々子様ならともかく、彼女は真面目なワーハクタクなんですよ。たちの悪い冗談が通じる人ではないんですから」
『そんなことないわよね、慧音ちゃ~ん?』
受話器の向こうから「いや、慧音で結構」という固い声がした。
『ほら聞こえたかしら。もう慧音ちゃんとゆかりんで呼び合うほどの仲になったのよ』
「すぐにバレる嘘つかないでください! とにかく、説教は後です。すぐに帰ってきてください。それと、もう一度彼女に代わってください」
『慧音ちゃ~ん。藍が代わってだって』
主のふざけた声に、胃の辺りが落ち着かなくなった。
やがて、「もしもし」と慧音殿の声になる。
私は黒電話に向かって頭を下げ、
「この度はまことに申し訳ないことを……」
『どうかお気になさらずに』
「後でよく言って聞かせますので……」
『苦労を察する。私も里の職務について心配されることはあるが、藍殿の働きと比べれば容易いものだと思う』
「……かたじけない」
嘘の嫌いな彼女の優しい言葉に、私は涙しそうになった。
『それゆえに、先日の宴会の余興があったのでしょうね。満月とはいえ、あのような藍殿の振る舞いに、いささか驚いたが、それほど心労を抱え込んでいたのだろうと思うと、気づいてあげられなかった自分を情けなく思う』
私は別の意味で泣きそうになった。
「その……あの晩の一件については、できれば忘れていただきたい。その上で、今後とも、変わらぬ付き合いを所望します」
『もちろん。次の機会には般若湯ではなく、茶の湯の席ではどうかな? それと、妹紅がまた釣りに行きたがっているようなので、そちらの仕事に差し支えなければお願いしたい」
「ああ。こちらとしても、望むところです。今度は朝に三人でどうでしょうか」
『ははは、私は釣りに関してはからっきしでしてね。二人の邪魔にならないといいが』
「滅相もありません」
『……それじゃあ私も参加していいかしら?』
「紫様は引っ込んでいてください」
横入りしてきた主の声を、私はつっぱねた。
そもそも、あんた朝なんて起きらんないでしょうに。
『……よく分からないが、何やら込み入っているようなので、私はこの辺で失礼した方がよいかな』
「そうしていただけると助かります。そこのスキマも無視して構いません。いないものと思っていれば、飽きてそのうち出て行くでしょう」
『努力するとしよう。では藍殿、ごきげんよう。
……代わらないのですか八雲殿? このボタンを押す? 不思議なものですね、ケータイというのは』
ぷつり、と電話が切れる。
友情崩壊の危機が去って、私はホッと息をつき、受話器を置いた。
それにしても、主は携帯電話でここにかけていたのか。妖怪の山でもなければアンテナも存在しないこの幻想郷では無用の玩具である。
……どこぞの大妖怪が、式に対する悪戯に用いる他は。
相変わらず困った御方だった。
さて。
通話が終わっても、私は黒電話の側を離れずにいる。
勘が働いているのだ。これは間違いなく、また主の迷惑極まりない悪戯が始まったのだろうと。
ターゲットとなったのは私。だしに使われたのは慧音殿。
これからどんな厄介な事態に巻き込まれるか想像もつかない。だが、すでにヒントは与えられていた。
『メリーさん』、という名前には聞き覚えがある。
いつぞやの宴会で、守矢の巫女が話していた怪談だ。
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メリーさん(語り手:東風谷早苗)
これは、向こうの世界で暮していた時に、私のクラスメイトから聞いた話なんです。
その子の友人には、小さい頃「メリー」と名付けて大事にしていた、外国製のお人形さんがいたそうです。けど彼女は、そのお人形を引っ越しする際に、親から言われて捨てなきゃいけなくなり、それが嫌で、箱に入れて近くの森に密かに隠してしまいました。いつかまた、迎えに来ようと思っていたのですが、なかなか実行できないうちに、彼女はいつしか、お人形のことを忘れてしまっていました。
それから、彼女が大きくなった頃、ある満月の晩に一人で留守番していると、突然電話がかかってきたんです。
「もしもし、私メリーさん。今、森の中で目覚めたの……」
彼女は気味が悪くなって、すぐに電話を切りました。
しかし、すぐにまた、電話がかかってきます。
「もしもし、私メリーさん。今真っ暗な道路を歩いているの……」
電話を切っても
「もしもし、私メリーさん。今クリーニング屋さんの角にいるの……」
すぐにかかってきて
「もしもし、私メリーさん。今交差点を渡っているの……」
そのたびに、電話の相手が彼女の家に近づいているのがわかります。
そしてついに
「もしもし、私メリーさん。今あなたの家の前にいるの……」
と電話があったのです。
彼女は勇気を出して、玄関のドアを開けましたが、誰もいません。
もしや悪戯だったのか、と思った直後のこと、またもや電話がありました。
彼女は震える手で、受話器を取りました。
「もしもし、私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」
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彼女、東風谷早苗の話し方はまずまずだったが、幻想郷では電話が一般的なものではないので、ウケは今ひとつであった。
そんな中、主だけはその「メリーさん」を聞いて、愉快そうに笑っていたのを覚えている。
何にせよ、夏が涼しくなるような話は歓迎ということで、その後しばらく宴会はその手の怪談で盛り上がったのだが……。
あの時の話になぞらえて、この悪戯を企んだに違いない。相手をする式としては、毎度のことながら、げんなりする。
おそらく、これから何度もメリーさんの名で電話がかかってくることだろう。
しばらく帰ってこないつもりなら、ちゃぶ台のババロアをまた冷やしておいた方がよいかもしれない。
そんなことを思案していると、
ちん、りりりりりりりーん♪
予想通り、再び電話が鳴った。
私は受話器を取った。
「はい、もしもし。藍です」
『もしもし、私メリーさんよ』
「……紫様、さすがに私も何度も騙されてきたので、心の覚悟はできていますよ」
『あら、何の覚悟かしら?』
「いつものごとく、私に悪戯しているんですね。今度は『オペレーションゆかりん~メリーさんの怪談大作戦』とかですか?」
『いいえ。正しくは、〈オペレーションゆかりん~ハイパーメリーさんの怪談大作戦〉よ。50点ね』
ハイパー抜きで50も減点されるのか。どんな採点基準なんだ。
『さて、メリーさんは今どこにいるでしょう?』
「それについても、答えを出しています。人里、魔法の森、博麗神社、そしてこの家、私の背中、といった具合に、だんだん近づいてくるのでしょう?」
『ということは?』
「今は魔法の森、おおかたアリスか魔理沙の家からかけているんですね」
『いいえ。今度は0点ね。もうちょっと頭をひねりなさい』
「む、じゃあいきなり博麗神社とか、寄り道して白玉楼とかですか」
『今、アフリカにいるわ』
「遠ざかったああああああ!!』
思わずコケた私は、頭を壁にぶつけた。
そうか、主の非常識さを考えれば、『遠ざかる』という選択肢があってもおかしくない。
しかし、アフリカだと!? 幻想郷どころか、日本列島すら抜け出している!
『やっぱり暑いわね~。でもしばらく来てないと、それなりに様変わりするものね』
「いや紫様! 幻想郷からいきなり何千キロも離れた場所に遠ざかるメリーさんがどこにいるんですか!」
『東アフリカのケニア南部にあるアンボセリ国立公園にいるわ』
「貴方の現在位置を聞いてるんじゃありません! なんでアフリカを目指したんですか!」
『橙よ』
「橙!?」
『橙が可愛いからよ』
「橙が可愛いから!?」
唐突に自分の式を褒められ、私の思考回路は混乱した。
確かに、彼女が可愛いことを否定するつもりはないが、そんな理由でアフリカまで行くことが許されるのか。そこにどんな因果関係が?
主の難解な方程式には、すぐに解答がついてきた。
『ほら。この前あの子、チーターが見たいって言ってたでしょ』
「……あ、あー、ああ。確かに」
私も思い出した。
そもそも、橙に外界の動物、チーターについて教えたのは私だった。
地上で一番足が速い猫と聞いて、「ぜひ競争してみたいです!」と、大きな瞳を輝かせていたのを覚えている。
『だから、一度連れて行って見せてあげようと思ったのよ。今回はその下見というわけ』
「はぁ……なるほど」
理由を明かされて、拍子抜けしてしまった。
『それで、保護者である貴方は許してくれるのかしら?』
「わかりました。お心遣い感謝いたします。ですが、あまり甘やかしてはいけませんよ?」
『へぇ、貴方がそれを言うのねぇ』
「えー……こん」
私はごまかし咳をした。
『それにしても、いい眺めね。見渡す限りのサバンナに、遠くそびえ立つキリマンジャロ。今は雨季だから過ごしやすいし。それに、さすがはアフリカ。生き物の宝庫ね』
「いいなぁ。私もしばらく行ってません。初めは紫様が連れて行ってくださったんですよね」
『藍が橙ぐらいの頃かしら。懐かしいわね』
見聞を広めたり、思考の枠を広げるためには、幻想郷のみを見つめてはいけない。
そんな理由で、私は子供の頃、主に外界の色々な場所に連れていってもらったことがある。
森と砂漠と大草原が広がる哺乳類の王国、アフリカもその一つだった。
『電話からでも、動物の声が聞こえないかしら? 藍もリクエストがあるなら言ってごらんなさい』
「そうですねぇ。なら、象とか」
『たくさんいるわよ。ちょっと待ってなさい』
パォーン!
乱暴に吹いたラッパのような声がした。
『聞こえた?』
「えぇ、聞こえました」
『それじゃあクイズ。これはなんでしょう』
……ブルルルッ、ブルッ
荒い鼻息の音。
「えーと、シマウマですね」
『正解。いい耳してるわね。じゃあこれは?』
ゴルルルル
喉を鳴らす唸り声。
「これは簡単。ライオンです」
『さすがね。ではこれは?』
ハバリ、ガニ!?(訳:お元気ですか)
スワヒリ語のテノール声。
「誰ぇえええええええええ!?」
驚いた私は、素っ頓狂な声をあげた。
『現地で知り合った、ンガベさんよ。三問連続正解とはいかなかったわね』
「ウルトラΩ級の難問を出さないでください! それに紫様! いくらなんでも、現地人とコンタクトしちゃまずいでしょう!」
『オルレアンからきたフランス人観光客って話してあるから平気よ。はぐれた娘と電話中ということで』
「勝手に私をフランス人にしないでください!」
『あれ? 貴方が娘だとは言ってないわよ』
「……ふん! またそうやっていじめるんですね。もうそういうのには引っかからないことにしましたから!」
『あらら、すねちゃった。まぁ冗談はともかく、この人は現地の動物を案内してもらうために話しただけよ』
嘘つけ。
動物なんて自力でいくらでも探し当てることができるくせに。
私をからかう道具として用意したに決まってる。
受話器を首にはさみながら、私は腹立たしさに腕を組んで、
「ンガベさんもとんだ災難ですね。先ほどの慧音殿といい、無関係な第三者を巻き込むのは感心しませんよ」
『危険な目にあわせたりしないわ。記憶もちゃんと消しておくし』
「それにしたって、限度があります」
『大丈夫だって。あ、今本人に代わるわね』
「えぇっ!?」
いきなり電話を回されても、スワヒリ語なんて久しく使ってない。
『モシモシ! ランサンデスカ!?』
「ンガベさん日本語上手っ!」
『ダイジョーブ! ワタシ、ゲンソーキョーナンテシラナイヨ!』
「もろ知ってるじゃん!!」
『レミ・リア・ウー☆!』
「しかも詳しい!」
一言一言にボディブローのような衝撃を受け、私は受話器を持ったまま身をよじった。
イントネーションに難があるものの、恐るべき知識だ。最後に☆がついているあたり、ますます手強い。
電話が主の声に戻った。
『ンガベさんはマサイ族の血が混じっていて、この地の動物達のことをよく知っている、まさにアフリカの子ともいえる存在なのよ。日本については、全くといっていいほど知らないから安心なさい』
「いやちょっと待ってください! たった今彼、ゲンソーキョーとか言ってましたよ!?」
『フランスにあるサファリパークの一種と話してあるわ』
「れみ・りあ・うー☆は!?」
『狩猟の神様』
斬新すぎる。
出発の朝に太陽に向かって『レミ・リア・ウー☆』と祈るマサイの戦士達。
果たして今日の狩りでは、どのような獲物を恵んでくださるのか。
神様自ら手にしたグングニルで、B型ゴリラに襲い掛かるのか。
「というか本人が知ったら激怒すると思います」
『モケーレ・ムベンベのお人形をお土産にでもしますか』
「ケニアとコンゴじゃ場所が違うでしょう。どちらにせよ、一言も漏らしてはなりません。沈黙は金です」
『そういうことね。それじゃあそろそろ、ンガベさんの記憶を消してから、戻ることにしましょう』
「ぜひそうしてください。暑い中、アフリカの下見、ご苦労様です。冷たいデザートが待っていますよ。それでは失礼します」
私はそう言って、返事を待たずに、チン、と受話器を置いた。
あやうく外界との外交問題に発展するところだ。なんて綱渡りな悪戯を考えるんだ。
これで止めにして素直に戻って来る主なら話は早いのだが……。
何せ相手は幻想郷の困った妖怪ナンバーワン。この程度で満足するとは到底思えない。
ちん、りりりりりりりーん♪
そらきた。
私は受話器を取り、事務的な口調で言った。
「はい、東方なんでもQ&Aです」
『もしもし、私メリーさんです。九尾の式は宴会で酔うと脱ぐって本当ですか?』
「電話切りますよ」
『切っちゃだめ。ボケにボケてもいいじゃない』
そういう問題じゃない。
「メリーメリーってしつこいですね。お次はオーストラリアの羊牧場ですか? それとも、生き物つながりで、南アメリカのアマゾンとか?」
『今火星にいるわ』
「地球外ぃいいいいいい!!?」
突っ込むまい、としていたのに、やはり突っ込まずにはいられない。
火星のメリーさんからの電話か。確かに怪談っぽくなってきた。
「しかし紫様。火星には酸素がほとんどありませんが……」
『あら藍、私にその理屈が通用すると思って?』
「……HAHAHA、そうですね、失礼しました」
乾いた笑いで納得する。
境界を操ることで、空気も時差の壁も乗り越えてしまうスキマ妖怪。彼女にはどんな理屈も通用しない。
すなわち、声が遅れてくることもない。携帯電話を使っているかどうかも怪しい。
『アフリカが暑かったから、今度は涼しい場所を選んだのよ』
「それだと普通、北極か南極でしょう。火星をチョイスするのは、おそらく紫様だけです」
『あ、火星人がいるわよ、タコ顔の』
「いるわけないでしょう。その星にいるのは、せいぜいバクテリアかゴーデスくらいですよ」
『いいえ、月人の施設があるわ』
「えっ、マジで!?」
『もっとも、廃墟になってるけどね。どうやら遥か昔にテラフォーミングを断念した後らしいわ。火星にまで進出しようとしてたのね』
「……呆れた科学力ですね」
ものすごい発見なような気もする。
『来たついでに落書きでもしましょうか。「八意永琳見参」とかね』
「どうしてそうあらゆる方面に喧嘩を売ろうとするのですか。き奴らの力は侮れないということは散々経験したでしょうに」
『放棄されてしばらく経っているみたいだから心配ないわよ。まぁ、実を言えば、もう入っちゃってるんだけど』
「危ないですって。どんなトラップが仕掛けられているか分かりませんよ」
『平気、平気。面白い物もあったわよ。さっきの部屋には、大きくて口の開くなんだか気味の悪い卵みたいなものが二、三個床にあって』
「……………………え?」
口の開く気味の悪い卵みたいなもの?
もの凄く嫌な予感がした。
途端に、電話の主の声が苦しみだす。
『は……ぁっ! ら、藍!』
「紫様! どうなさったんですか!?」
『苦しいわ! なんだか、胸が……苦しいの!』
「ま、まさかそんな!」
私の記憶の中から、とある宇宙生物の姿が浮かびあがる。
前に紫様が持ってきた「ビデオ」なるもので観た外界の映画だ。
卵から孵り、人を襲って宿主とし、体を食い破って成体となる恐るべき怪物。
寄生されたら最後、助かる道はない。まさか、実在していたのか!?
『な、何かが生まれそうで……! ああっ! 熱い! 熱いわ!』
「紫様ー!!」
主の身を案じて、私は思わず叫んだ。
『…………胸から哀しみがあふれたわ』
「なんじゃそりゃああああああ!!」
私は全力で突っ込むと同時に、尻尾で床を叩いた。
「脅かさないでくださいよ! 怪物に寄生されたかと思ったじゃないですか!」
『そんな生物いるわけないじゃない。ちょっとセンチメンタルな気分になって、乙女心がチェストバスターしただけよ』
「あんたの乙女心はエイリアンか!」
『こんな赤茶けた砂漠の広がる星で、建物の残骸に登って一人ぽつんと立って空を見上げると、遠くに青く輝く星が美しく見えて……。メリー、とっても哀しい気分になったの』
「左様でございますか。先ほどの言、訂正させていただきます。エイリアンに失礼でした」
『……どういう意味かしら、藍?』
「あいにく、そんな遠くからプレッシャーをかけられても怖くはありません」
主の脅しに、私はしれっとうそぶいた。
『まったく可愛くない式ね。少しは愛くるしかった昔の貴方や、橙を見習ったらどうかしら』
「可愛くなくて結構です。わざわざ幻想郷から火星にまで行ったんですから、もういいでしょう。帰ってきてくださいよ」
『あら藍。寂しくなったの?』
「はいはい寂しいです。早くお八つを食べに戻ってきてください」
『はーい』
「だからもう電話をかけたらだめですよ、いいですね?」
『ええ。待っててね藍。愛しの主が帰還するわよ。それじゃ、またね。ちゅっ』
最後は投げキッスの音で電話が切れた。
火星で一人、何してんだ、あのスキマは。宇宙旅行でテンションがハイになってるんじゃなかろうか。
痛む頭を押さえて、私は受話器を置いた。
まぁ、真面目な話、そろそろ帰ってきてくれないと困る。私もババロアも、主を待ちくたびれていた。
大体にして、料理を作った人間というのは、なるべく早くそれを食べてほしいものなのである。
よい子のみんなは、呼ばれたらちゃんとすぐに食卓へ行くのだよ? じゃないとスキマ妖怪みたいになっちゃうぞ。
……そして、やっぱり主が帰ってくる様子は無し。
あの御方も甘い物は好物なんだから、悪戯をやめてさっさと食べに来ればいいのに。
まさか、ババロアの名称に恐れをなしているわけじゃないと思うけど。
ちん、りりりりりりりーん♪
私は黒電話をにらみつけた。
結局、懲りてなかったらしい。まだこの茶番劇を続けるつもりなのか。
私は乱暴に受話器を取り、
「だあああああ!! いい加減にしてください!! 本気で怒りますよ!! 迷惑なんで、もう電話なんてかけてくんな!!」
しっかりと怒鳴りつけてやる。
例え相手がご主人様であろうと、しつけが必要なのだ。幻想郷では比較的常識である。
『……ご……ごめんなさい、藍さん』
あれ?
聞こえてきた声は、紫様よりも幼く、自信なさげだった。
「その声……妖夢?」
『は、はい。お電話かけてすみません。失礼します……』
「ちょ、ちょっと待った!」
私は慌てて引きとめた。
「今の無し! 妖夢だとは知らなかったの! てっきり……!」
『前にお願いしていた修行の日取りを決めようと思ったんですが、もういいです。ご迷惑をかけるわけにはいきません』
「いやいや妖夢。ちっとも迷惑じゃないから落ち着いて聞いてね。実はさっきから、私は悪戯電話に悩まされていてね。その相手が、イカれたスキマ妖怪というか、賢者という名の患者というか、バババーバ・バーババというか、まあそういったストーカーよりたちの悪い妖怪さんでね」
『私……ちょっと藍さんに憧れていたんですけど、はっきり目が覚めました』
「はいっ!? どういうこと!?」
『この愚かな恋心を持って消えたいと思います。哀れな妖夢は八雲一家の仲むつましい様子を、草葉の陰から見守ることにします』
「よ、妖夢! 目を覚まして! まずは話し合おう! 今からでも遅くない! だから考え直すんだ!」
受話器を握り締め、あせあせと両足で空中を掻きながら、私は必死の説得を続けようとする。
だが、
『…………っていう話は面白くないかしら、藍』
「やっぱりあんたかあああああああ!!」
突然、妖夢の声が八雲紫の声に戻り、私は魂の底から叫んだ。
ついでに、拳を壁にめり込ませた。
「何倒錯的な展開を作ろうとしてるんですか! 本気で焦ったじゃないですか!」
『心にやましいことがあるからそうなるのよ』
「ありません! 趣味が悪すぎます! 能力の無駄使いにも程がありますよ!」
『主が聞いていないと思って陰口を叩くのは、趣味がいいといえるかしら』
「叩きたくもなるわ! はっ!? まさか、さっきの慧音殿も……」
『あれは間違いなく本人よ。後で確かめてみたらどうかしら?』
「くぅ。この場合、できれば紫様であってほしかった……」
『ところで、メリーはどこにいると思う?』
「…………」
まだゲームは続いていたのか。
主の今までの行動から推理すれば……、
「冥王星とかですか」
『ぶー、ハズレ。答えは織姫の近くよ』
織姫?
まさか、七夕の織姫か?
ということは、25光年先にあるベガ星のところまでワープしたというのか。
宇宙空間を漂う主は、火星にいる姿よりもお間抜けだった。
宇宙ゴミが増えた太陽系第三惑星とは訳が違う。宇宙スキマだ。世も末だ。アーメン。
『また失礼なこと考えてるわね、藍』
「ええ考えてます。それで、何しにそんなところまで行ったんですか」
『そろそろ彼女……織姫と決着をつけようと思ったのよ』
「決着って、何の決着ですか」
『どっちが美しいか♪』
ガス星雲のようなため息が出た。
夏の大三角形に喧嘩を売る妖怪なんて、この御方くらいだろう。
「というか、誰が判定するんですかそれを」
『もちろん、彼女の夫に決まってるでしょ』
「なるほど。それで、勝負はついたんですか?」
『九回裏に私がサヨナラ勝ちしたわ』
「さいですか」
もはや突っ込む気もうせるわい。
先発エースは右のキメ顔で、クリーンナップは胸、腰、お尻?
中継ぎ抑えは、うなじにくるぶし。
主審の彦星のストライクゾーンはどこなんだ。
「他の星もなかなかの盛り上がりだったわよ。藍と橙も来れば良かったわねぇ」
嫌に決まってる。
こと座とわし座の星々が熱狂する中、外野席にぽつんと座っている、遥かに小さな質量の九尾。
核融合ヤジの中で顔を真っ赤にさせてうつむく私は、宇宙一みじめな式だった。橙を連れて行けるはずがない。
「だいたい紫様。一年に一度しか会えない夫婦の美談を邪魔するような野暮はやめてください」
『ふふふ、藍はロマンチストね』
「スターウォーズを恐れているだけです」
『平気よねぇ。ンガベさん?』
「……はぁっ!? ちょっ、まさかンガベさんをそこまで連れていったんですか!?」
『ダイジョーブデスヨ、ラン!』
「うわー! ンガベだー!!」
『ホシガトッテモキレイデスヨ! ケド、ケニアトハマルデチガウネ!』
「ンガベ! 分かっているのか!」
『ナニガデスカ!?』
「そこはアフリカどころか地球じゃない! 遙か彼方の宇宙なんだぞ!』
『ソーナノカー!!』
「やっぱり詳しいし!?」
尻尾をクッションにして、私は腰を抜かした。
今ごろ彼はベガ星の横で、両腕を広げて十字を描いているに違いない。
アフリカの夜空で輝くその姿は、この星を代表する聖者のようだ。
そこで声が主に戻った。
『特別ゲストとして、観客席に呼んだの。始球式も彼が務めたのよ』
「紫様! シャレになってませんよ! 罪の無いマサイの戦士を太陽系の外まで連れ出すとは、どういうことですか!」
『凄い体験よね。「ンガベの冒険」という名前で本にしてみましょうか』
「んな奇想天外なSF誰が読むんです!!」
『マサイの血を引く勇猛果敢な戦士ンガベは、アフリカの大地に現れた美しきフランス女性により、太陽系の外へとワープし、惑星間の魅力を競い合うお祭りへと巻き込まれ……』
「あらすじを語るな! だいたいどうやって生きてるんですか! 宇宙空間ですよ!? 即死でしょう!」
『確かに、ンガべさんも辛そうね』
「辛いですむんか!?」
『動きも鈍くなってきたわ。そろそろ限界かしら』
「今すぐ記憶を消して、元のサバンナに帰してあげてください! そして! 金輪際ここに電話をかけてこないこと! いいですね!?」
それだけ叫んで、私は受話器を黒電話にガチャンと叩きつけた。
はー、はー、と荒くなっていた呼吸を、ゆっくりと整える。
流石の主も、もう電話をかけてくることはないだろう。
なんだか怒鳴りすぎて頭が痛い……。今夜は洗い物をしたら、さっさと横になろう……。
ちん、りりりりりりりーん♪
頭痛の種。本日五度目の、黒電話のベルが鳴った。
すぐにそれを取らずに、無言で睨みつける。
ベルは鳴り止まない。紫様以外という可能性もあるが、もしこれがまた彼女だとしたら、今度こそお仕置きしてやらねばなるまい。
私は静かな覚悟を決めて、受話器を取った。
「……はい」
『もしもし、私メリーさんよ』
「…………紫様」
私はできるだけ低い声で囁いた。
「そろそろ、お遊びに付き合うのは止めにしたいと思います」
『あら、どういうことかしら?』
私は受話器を耳に当てた状態で、ふん、と勝ち誇った笑みを浮かべながら、
「もう我慢の限界だということです。紫様の分まで、ババロア食べちゃいますからね。一口もあげません」
『ええ、いいわよ。もう食べられなくなったから』
「え?」
予想に反して、主はあっさり許可してきた。
それになんだか、不吉な言い回しだった。
「紫様? 今どこにいるんですか?」
『大きな白鳥の側よ』
「大きな白鳥……?」
『そう。とても大きな白鳥の側』
「……………………」
大きな白鳥。もしかして、はくちょう座のことだろうか。
『暗く、虚しい、永遠の闇が待っている場所』
「…………まさか!?」
その正体に思い当たって、顔が引きつった。
「紫様! どこにいるんです!」
『虚無の底、混沌の墓場。最近ではブラックホールとも呼ばれているようね』
ブラックホール。
全ての物質、天体や光すら飲み込んでしまう、重力の墓場。
一度その境界に入れば、物理的に決して逆らうことのできない、恒星の悪霊。
この宇宙で最も警戒すべき存在の一つであった。
「早くそんなところから立ち去ってください! 危険です! 事象地平を越えてしまえば、いくら紫様といえども……!」
『今ちょうど、その近くまで来ているわ。あと一歩進んでしまえば、永久に戻ってこれなくなる……』
「のんびり分析してる場合ですか! すぐに脱出してください! スキマで帰ってこれるでしょう!」
『生み出すエネルギーが側から消えていくのよ。裂け目を維持することすらできないわ。今こうして貴方と話しができるのも、あとわずか』
「そんな……また嘘なんでしょう!? 冗談なんですよね!?」
『……………………』
彼女は何も言わない。電話越しに異常な寒気を感じ、私の肌が粟立った。
「ど、どうしてこんなバカなことしたんですか! 自業自得ですよ! 今度という今度は呆れ果てました!」
主を失うかもしれないという焦燥に、つい口調が厳しくなった。
「もう会えなくなるかもしれないんですよ! 死んじゃうかもしれないんですよ! たかが悪戯で、ここまでする意味があったんですか! 一体何がしたかったんです!」
『宇宙の果てで、藍の声が聞きたかったの』
宇宙の果てから、主の声が届いた。
『……きっと罰が当たったのね。貴方の心を試そうとして』
「……………………」
私はそれ以上、彼女を責めることができなかった。
第一、責めてもどうにもならない。主の不幸は、式の不幸でもあるのだ。
『……藍。そんなに心配しないで。まだ策は残っている。ここに留まりながら必要な術式を編めば、助かる公算は高いわ』
主の口調は強がりにしか聞こえなかったが、それでも私はすがる思いで聞いた。
「……どれくらいかかるんですか」
『運がよければ、そうね、百年で帰ってこれるわ。ひょっとしたらもっと早く帰れるかも』
「百年なんて……私には耐えられそうにありません」
『甘ったれたこと言いなさんな。いくつになったのよ』
「ぐすっ……千年の歳月だろうと、いつも紫様の側で、お世話をさせていただきました」
『……そうだったわね。今まで本当に迷惑をかけたわ。ごめんなさい』
主の謝罪に、私の切なさは、さらに深くなった。
『でも、いつかはこういう時が来るはずだったのよ。何のために修業してきたの。しっかりしなさい。私の式でしょ、貴方は』
紫様が励ましてくださる。
確かに私も、主と別れる時が来る、そんな未来を思わないことはない。
しかし、さっき夕食を共にしてから半時もしないうちに、こんな覚悟をしなきゃならないなんて。
心の準備ができているはずがない。紫様のバカ。ブラックホールのバカ。
『聞きなさい藍。私はきっと戻ってくる。その間、幻想郷の管理を託せる後継者は、一人しかいないわ』
「紫様……」
受話器を握る手に、力がこもった。私は鼻水をすすって、主と約束した。
「引き受けました」
『はい、よくできました。それじゃあ、しばらくお別れね』
「ですが、橙になんて言ったらいいか、わかりません……」
『ふふふ、成長した橙の姿を楽しみにしてるわ』
「きっと立派に育ててみせます。貴方が私にしてくださったように」
『霊夢もちゃんと見守ってあげてね』
「もちろんです。幻想境の平和は、私達が預かります」
『それを聞いて安心したわ。もうそろそろ交信も切れそうよ』
「待ってください、最後に何か一言……」
『愛してるわ、藍』
「……私もです。これからもずっと、愛しております、紫様」
それを最後に、宇宙の果てにいる主と、交信が途絶えた。
黒電話の受話器が、チン、と寂しい音を鳴らす。
私は耐えきれず、その場に膝から崩れ落ちた。
次から次へと、袖でぬぐうたびに、涙があふれた。
「紫様ぁ……」
声を絞り出すように、その名を口にする。
胸の内にできた巨大な空洞は、今まで大切に育ててきた木を、根こそぎ奪われてしまったようだった。
幻想郷にとって、何より私にとって、八雲紫が消えたということは、耐え難い痛みだった。
橙はきっと悲しむだろう。せっかく主の主と仲良くなったばかりなのに。
これからは私も構ってあげる時間が減る。この未曾有の事態を受け入れ、やがて立派に成長してくれることを願うしかない。
霊夢にも話さなくてはならない。彼女は呆れるだろうか、それとも涙を流すだろうか。
これからは主のかわりに、私があの巫女を見守り、支えてあげなくてはならない。
他にも、主の友人である幽々子様や、萃香様にもお知らせしなくてはいけない。
今後の事態を考えれば考えるほど、八雲紫を失った幻想郷の重みが、私の両肩に圧し掛かってきた。
いいや、くじけちゃだめだ。
紫様は約束してくださった。きっと、この地に戻ってくると。
だから私は、彼女の帰る場所を、ちゃんと用意してあげなければいけない。
主から託されたこの世界を、守り抜かなければならない。
泣いてる暇なんてないんだ。私は立ち上がり、一度両頬を張って、気合を入れなおした。
だけど、今夜だけは、一人で泣かせてほしかった。
喪に服した気分で、居間へと続く廊下を、静かに歩く。
一歩、一歩、と進むたびに、彼女の面影が、私の胸を締め付けた。
星の光を束ねたような髪、慈愛に満ちた優しい笑顔、高貴な紫の服がよく似合っていらっしゃった。
まぶたを閉じれば、すぐそこに浮かんでくるのに、彼女はもうこの家にいない。
せめて、最後に私のおやつを召し上がっていただきたかったなぁ……。
私はまた嗚咽を上げながら、居間の襖を開けた。
「あら、お帰りなさい藍。長電話だったわね」
頬を伝っていた涙が、瞬間的に乾いた。
瞬きも、呼吸も、心の動きも、ひょっとしたら鼓動も、あらゆる物が停止していた。
のびたラーメンみたいな髪、胡散臭さ極まった笑み、けばけばしい紫色の服。
私の目の前で、ここにはいないはずの、宇宙の果てにいるはずの八雲紫が、座ってババロアを食っていた。
「あら、どうしたの藍。そんな橙が水鉄砲を食ったような顔をして」
そんな顔は知らん。というか、やったことあんのか。いじめんな。
そう言い返そうとしたものの、私の体は完全に硬直したままだった。
「ん~、美味しいおやつだこと。藍が腕によりをかけて作っただけあるわね~」
彼女は幸せそうな顔をして、ババロアをハイペースで消費している。
それも、冷蔵庫の中にしまっておいた分まで、だ。すでに鉢の中には半分どころか、一人分すら残っていなかった。
やがて、私の硬直が解けていき、わなわなと指が動きはじめ、ついに全身が怒りで震えてきた。
「紫様………」
「なぁに?」
「どういうことですか……!」
「なんのこと?」
「とぼけないでください! ブラックホールに飲まれたんじゃなかったんですか! ンガベは!? 織姫との魅力対決は!?」
血の涙を流す勢いで、私は追及する。
八雲紫は、私の分のババロア、その最後の一口を小さじで食べ終えてから、ケラケラと笑った。
「やあねぇ藍ったら。電話の相手は『メリー』でしょ。私は『ゆかりん』よ。どこかに行ったりなんてしないわ」
「……………………」
……ああ、そうでしたね。電話の相手はメリーさんでしたね、確かに。
そういう言い訳を考えていましたか。へぇ。なるほどね。
私は左袖をまくった。
「藍、何か悲しいことがあったんでしょう。貴女の顔を見ればわかるわ。きっと可哀相な夢でもみたのね」
ブレーキが壊れる音が、はっきりと聞こえた。
頭の中で、テキサス・ロングホーンが突き立てられる。
「さぁ、私の胸を貸すから、思う存分泣きなさい」
「ウィー!!」
「ぱぐぅ!?」
フランス娘よろしく返事しながら、私はダンプカーのごとく主へと突進し、ラリアットをぶちかました。
四角いジャングルの中で、スキマ妖怪は半回転する。
その体を、私は空中で抱きしめ、思う存分に締め上げた。
「このおおおおおお!! 人を心配させるだけさせてえええええ!!」
「ら、藍! 痛い! 痛いわ! 首も腰も痛い!」
「私の涙とババロアを返せええええええ!!」
「悪かったってば! でも、もしもの時に、あれくらいの覚悟は必要でしょう! 大事な予行演習と考えてぐぎぎ!」
「ブラックホールの代わりに、今ここで私が締め殺してやるうううううう!!」
「ひいいい!! せ、背骨が折れる! ババロアが出ちゃう! 誰か助けてぇ! 橙ー! 慧音ちゃーん! 織姫ー! ンガベさーん!」
両手をばたつかせるメリーさんの救援に答える者はいない。
幻想郷にも、アフリカにも、火星にも、宇宙の果てにもいない。
結局、主が気絶するまで、私の抱擁(ベアハッグ)は続いた。
幻想郷は今日も平和だった。
(おしまい)
相変わらず困ったちゃんの紫様で面白かったです
藍さま、苦労してるなw
どうしてくれるwww
しかしこの二人がドタバタしてるときの安心感は異常。この能力の無駄遣いっぷりが紫の真骨頂って感じがしますね。
あと、藍様は本当にいい式だと思いますいろんな意味でw
怪談のメリーさんはやっぱり苦手…orz
この表現ワロタ
ブラックホールに力を奪われるようじゃ電話も出来ないのに藍しゃまったら
ましてや再登場とかwww
完全にやられました。
オチは読めちゃったんですが「ですよねーwww」と笑わせていただきましたw
妖夢のくだりはゆかりん酷すぎですww
ゆかりん大好き!!
アフリカまで通じる携帯ってどんなだよ!
と思ったが、最終的に宇宙空間まで行ったところで私は考えるのをやめた
「ンガベの冒険」いつ発売しますか?読みたいんですが?
ボーダー商事で買えますか?w
ところで「ンガベの冒険」はスキマ通販で取り扱ってますか?
私も読みたいんですw
そしてベガ星の横で十字を描くンガベさん
お腹痛いようwww