空を見上げる。
季節は冬。天気は曇り。
どんよりと身体に纏わりつくような重苦しい空気に満ちている。
神社の境内、レミリア・スカーレットは鳥居に背を預けて一人、飽きることなく空を見上げていた。
あるいは他にやるべき事が無いからそうしているだけなのかも知れない――そう思いながら、今にも落ちてきそうな空を見ている。
神社は静寂に包まれていた。
誰も居ないからではない。
拝殿の中には霊夢と紫、魔理沙にアリスもいる。
レミリアの付き添いで来た咲夜も一緒に居るだろう。
平時の神社ならこれだけの面子が揃えば姦しい所ではない程度には賑やかになっているはずである。
それが――それなのに――今の神社は水を打ったように静まり返り、ある種の不気味さすら醸し出している。
原因は考えるまでもない……欠けているからだ。
彼女達の知る博麗神社が博麗神社たる為に欠かせない条件、それが決定的に欠けてしまっている。
欠けて、零れて、泡沫と消えた夢。
きっともう戻らないし還ってこない。
中には皆が揃っている。
けれども一人、一人だけが眠っている。
穏やかな顔で、白い顔で、眠り続けている。
霊夢が――博麗霊夢が死んだ。
◆ ◆ ◆
空を見上げる。
黒く、厚い雲で覆われた空は今にも泣き出しそうだった。
レミリア・スカーレットは一人、空を見上げている。
そうしていれば見えるような気がして――
何事も面倒だといわんばかりの仏頂面で空を飛ぶ紅白の巫女の姿が見えるような気がして――
唯、ぼんやりと空を見上げていた。
顔には如何なる表情も浮かべず、その紅い瞳に映るものに心を傾ける事もない。
唯々――空を見ていた。
博麗の巫女が異変の解決に向かったと――そう耳にしたのはほんの数時間前の事だった。
『そっか、それじゃしばらくは神社に遊びに行けないねぇ』と、ため息混じりにぼやいていた。
彼女が帰って来たと聞いたのはそのすぐ後。
『なんだ、今回はまた随分早く片付いたもんだ』と、そう言って機嫌よく神社に向かった。
その時には帰って来た霊夢が息をしていないなどとは予想だにしていなかったのだ。
いつものように日傘を差し、機嫌よく石造りの階段を上り、勢いよく拝殿に飛び込んだ。
その瞬間、目に飛び込んできた光景は網膜に焼きついている。
目の前にあったのは見知った巫女の見知らぬ姿。
泥だらけな上にあちこち破れたボロボロの巫女服姿で横たわる霊夢。
その傍らに座り込み、帽子を脱いで顔を伏せている魔理沙。
部屋の隅で上海と蓬莱を抱いてうずくまっているアリス。
血の気の失せた霊夢の手を握り締め、眼を瞑り、祈るようにしていた紫。
遅れて到着した咲夜が背後で息を飲む音が聞こえた。
しばし言葉を失った。
咲夜が時間を止めているのかと思ったほどだ。
頭は回らず、身体は硬直し、周りの音全てが遠のいていくような感覚に襲われた。
ただ、嗅覚だけは異様に冴えていて――自分のよく知る匂いが部屋を満たしている事に否応なしに気付かされた。
『冗談でしょう?』
ようやく開いた口から出たのは酷く間抜けな言葉。
冗談じゃないことぐらい解っていた。笑えやしない。
『霊夢?』
訊ねた言葉は虚しく空に溶け、霊夢は穏やかな顔で眠り続けるだけだった。
ほっぺたの一つも引っ張ってやれば目を覚ますだろう――そう思って白い頬に触れて――ようやく理解した。
ひんやりと冷たい感触――
聞こえない息の音――
開かぬ瞼――
ああ、自分は’これ’を知っている。
どれだけ近くにいようと、どれだけ触れようと埋まる事のない隔絶。
それはある意味でとても身近にあるもので、それでいて自分が決して得る事の無いもの。
目の前にあったのは一分の隙も無い’死’だった。
『なんだ、死んじゃったのか……』
不思議と涙も嗚咽も出なかった。
悲しいと――そう思う事すら無かった。
吐き出した言葉とは裏腹に、どうにも目の前にある’博麗霊夢の死体’が嘘である気がして――
周りの全てが誰かに造られた虚構である気がして――
黙ってその場を後にした。
◆ ◆ ◆
空を見上げる。
霞の掛かったような――不明瞭な心で。
背もたれにした鳥居の赤が視界の上っ端を塗りつぶしている。
何気なく蹴飛ばした石ころが白い石段をカラカラと落ちてゆく。
カラカラと寂しく響いて遠ざかり――前触れ無く消えた。
また静寂が訪れる。
静かな神社が鬱陶しかった。
赤と白と黒。古めかしくも鮮やかに眼に映っていた神社。
それがどこか煤けたように見えるのが気に食わなくて――
レミリア・スカーレットは一人、煤けたような暗い空を見ていた。
霊夢は何でもないような障害物に頭をぶつけて墜落し――そのまま逝ってしまったらしい。
魔理沙から事情を聞いた咲夜がそう教えてくれた。
『そう、ありがと』
そう言った自分の声は呆れるくらいにいつも通りだったように思う。
『少しだけ一人にして』
咲夜に向かってひらひらと手を振った。
咲夜は丁寧に一礼してから拝殿の中に戻っていった。
今頃、中では葬儀の準備が始まっているのだろうか?
「関係ない・か……」
俯き、一人呟く。
たとえ葬式が行われたとしても参列する気など無かった。
第一、葬儀の席に悪魔など縁起でもない――などと気を遣う自分こそらしくない。
「信じらんないよねぇ……」
結局のところ――認めたくないだけだ。
’博麗霊夢の死’という事実を心が否定している。
故に悲しまないし泣かないし哭する事もない。
あの場を離れたのはそう――誰も彼もが皆、受け入れていたから――
目の前のある現実を現実として受け止めていたから――
あそこにいたら自分まで認めてしまいそうだったから――
墜落して重体の霊夢を神社まで運んだのは魔理沙だった。
満身創痍の霊夢を励ましながら神社に戻ったという。
紫は霊夢が墜落する寸前まで陰陽玉を通じて会話していた。
二つの激しい衝突音と『痛……』という呻き声を残して通信は途切れたという。
アリスもまた、魔理沙に持たせた人形を通じて一部始終を聞いていた。
魔理沙がせめてもの励ましにと、霊夢に持たせた人形からは弱まってゆく彼女の吐息が聞こえていたという。
そして彼女達は神社に戻った霊夢の今際を看取った。
故に彼女達は受け入れられる。
全ての過程をその目と耳で見て、聞いたから。
自分はその場に居なかった。
何の気なく神社に向かって……唐突に突きつけられた。
だから――?
「おかしな話だよねぇ……」
一体今までにどれほどの死を目にしてきたというのか……数えるのも億劫だ。
時には人間の――時には妖怪の――時には同属の――その全ての死を何の疑問もなく受け入れてきたじゃないか……
自分が直接、間接的に殺してきた者――
自分の力及ばず死なせてしまった者――
その死の全てを飲み込んでここに居るじゃないか……
そもそも霊夢は人間だ。
いずれ別離の時が訪れることなど出会った時から分かり切っていたはずだ……
「というか会ったその日に殺そうとしたんだけどさ……」
そんな自分が彼女の死を受け入れられないなんて笑わせる。
心の中で自分をせせら笑って――ぽつりと――足元に落ちたものに気が付く。
「雨……か」
空を見上げる。
どす黒い雲で蓋をされた空から、ぽつりぽつりと落ちてくる。
今は冬。幻想郷の気候から言って雪が降るのが自然なのだが……白い石畳に染み込んで滲んだそれは紛れもなく雨粒だった。
珍しい事もあるものだと――そう思った。
「お嬢様」
背後で咲夜の声がする。恐らく気を利かせて傘を持ってきたか――あるいは中に入れと言うのだろう。
「いいよ、此処に居る」
鳥居ごしに手を振る。
「ではせめて雨傘を……」
「いらない」
「お体に障りますわ……」
咲夜の声からは自分の身を案じている事が伝わってくる。
「動けなくなるだけだよ」
だから問題ない。
動く理由など無いのだから。
低い空から涙が落ちる。
ずしんと――身体が重くなったのを感じた。
空を見上げる。
頬に一粒の水滴が落ちて、じん。と――痺れるような痛みを残す。
涙が零れてくる。
幻想の空が泣いている。
逝ってしまった巫女を嘆いて、悲しんでいるのだと――そう思った。
静寂に支配されていた境内が音に包まれていく。
さ さ
ぁ ぁ
空の泣き声はあっという間に露骨な悲しみを感じさせるものに変わっていく――
「動けないねぇ……」
雨の中、微動だに出来ず、鳥居に縫い付けられたまま、空を見上げたまま――
降りしきる涙が身体を濡らし、ちくりちくりと刺すような痛みに包まれる。
「お嬢様……お願いですから……」
咲夜の声色からは若干の悲壮感すら漂ってくる。
咲夜の能力を使えば無理矢理にでも私を屋内に連れて行く事は可能だろうに――咲夜はそうしない。
そうしないで居てくれる事が少し嬉しかった。
「ねぇ……咲夜」
語りかける自分の声は酷く弱々しい。
雨のせいか、それとも――
「あと五十年くらいはあると思ってたよ……」
根拠なんか無い。
何となく、霊夢はごく普通の人間みたいに生きて、しわくちゃのお婆さんになって笑って死んでいくと――当たり前のように――そう思っていた。
「あっけないよねぇ……」
「……はい」
結局、二十歳にも満たない歳で逝ってしまった。
唐突に――本当に唐突に――誰も彼も置き去りにして逝ってしまった。
あの、人間のくせに鬼より強くて怖かった博麗霊夢がこんな風にいなくなるなんて誰が予想できただろうか?
『運命を操る程度の能力』を持つ自分にさえ予想外だったのに?
「ほんと、役に立たない能力だよね……」
自嘲する。
そもそも霊夢の運命をまともに視得た例などありはしないのだ。
いつもてんでバラバラ、ちぐはぐで取りとめも無くて――空を揺蕩う雲のように掴み所の無い運命。
あるいは――可能性としては認識していたのかも知れない。
空に浮かぶ雲がはらりと解けるように――前触れ無く消えてしまうように去っていく。
そんな運命の可能性を私は認めたくなかっただけではないか?
雨が一段と激しくなった。
ざ ざ
ぁ ぁ
啼くように、慟哭するように、空は悲しみに暮れていく。
気を抜けば意識を持っていかれそうな痛みが自分を支配している。
全ての音が遠のいていき、自分の声が咲夜に届いているかも判らない。
雨音だけが――泣き声だけが煩いくらいに鼓膜を揺らして、頭の中で反響している。
カラッポの頭がズキズキする。
それでも――倒れる事は無い。
身じろぎひとつ許されない。
「何だったっけ? 霊夢の能力」
「『空を飛ぶ程度の能力』ですわ」
応える咲夜の声は優しく、煩い雨音をかき消して耳に流れ込んでくる。
空を飛ぶ――なにものにも縛られず、なにものも縛らず、それ故に誰よりも強かった。
依らず、拠らず、寄らない事による強さ。
失うものも無ければ執着するものも無い強さ。
帰る場所も持たずに真っ直ぐ飛んでいく弾丸のような強さ。
その強さはふとした事であっさりと折れてしまうような危うさを孕んでいなかったか?
「霊夢は寂しいとか、苦しいとか思った事は無かったのかな?」
どこまでも自由な自分を、誰よりも独りだった自分を――
強さの一方で、酷く脆い部分は無かっただろうか?
どこかで自分自身を軽く見てしまうような、そんな所は無かっただろうか?
いつもやる気が無くて、本気のほの字も知らなかったであろう彼女は生死の際に至って尚、いつも通りでいたのだろうか?
終わった事だと――そう言い聞かせても思わずにはいられない。
私達にとっての霊夢のような――’何か’が霊夢にもあれば――こんな事にはならなかったのでは――と。
解っている。全部勝手な妄想だ。
いつものほほんと笑ってはお茶を啜っていた霊夢の心の裡――それが如何なるものであったかを知る術など最早存在しない。
「咲夜はさ……霊夢のこと好きだった?」
「ええ、勿論」
雨が目に入る。
目頭が熱くて痛くて堪らない。
視界が滲んで空がふやけて――息をするのが苦しくなる。
「私も……好きだよ」
吐き出した想いに行き場など無く、ただ雨音に流れて溶けた。
また、雨が激しくなった。
ぼたぼたと落ちては石畳に染み込む雨は止む事を知らないように思える。
「何かすれば……何かが違ったかな?」
ようやく気付く、霊夢の死を認めたくない理由。
未練だ。
私には霊夢の死に対して負うものが何も無い。
何もしなかった。
何も伝えなかった。
何の責任も無く、それ故に何の権利も無い。
私は霊夢にとって最後まで’何でもない’ままだった。
彼女の’何か’である権利も資格も運命も――私には与えられなかった。
「ねぇ咲夜?」
「何でしょう?」
「貴女は……いつ、どこへいく予定?」
二人の間に沈黙が横たわる。
聞こえてくるのは雨音だけ。
十年後? 二十年後? 或いは百年後? それとも明日?
その時はいつ来てもおかしくない。
それが人間というものなんだろう。
「……申し訳ありませんお嬢様、お答えしかねますわ」
「そうだろうね……」
「ですがこの雨が止むまでは――何処にも行きません」
咲夜の言葉は決然として、力強く、嬉しい一方で少しだけ無責任にも思えた。
「もしも……この雨が止まなかったら?」
「止まない雨などありはしませんわ」
そうだ、咲夜の言うとおりだろう。
明けない夜の異変も結局は解決したように、この雨もいつかは止むのが自然の摂理というやつなのだろう。
それでも――
「分からないさ、’はれ’は逝ってしまったもの……」
「……そうですね」
この雨は止まないかも知れない。
それでも構わないと思った。
この身を裂くような痛みも――心を圧し潰すような苦しみも――いつかサラサラと渇いて消えてしまうのなら――このままで構わない。
空を見上げたまま、そう思っていた。
<END>
その後ポーズして【最初からやり直す】までの2秒程度のお話。咲夜さん頑張りすぎです。
正直強引だなァ……
とりあえず雨の中のお嬢様は洗浄的だなと思うのです。
あと吹っ飛んだ布団に合掌。
+αの部分の評価が人によって分かれそう
>出撃後30秒で道中の岩石と衝突して1レイム余裕でした。
あるあるw
岩でピチュン俺もやったよ
その分を引いた点数とさせていただきました
透明感のある綺麗なお話だと思ったところで、あとがきがすべてを w
あれって入ってグレイズ稼ごうとすると直撃するんだよなぁ…
誤字報告
>自分が直接、関節的に殺してきた者――
関節→間接では?
岩とか障害物は弾幕じゃないですもんねえ。
そう考えると岩に当ったら問答無用で残機がなくなってもおかしくはないのか。
しんみりした話だと思ったのにwwwwww
>「咲夜はさ……霊夢こと好きだった?」
霊夢のこと、かと。
生き返ったりギャグオチかと思っちゃったのが残念。
+α部分はあってよかった。
決して絶望的な話でなく、色々と考えさせられますね
以下あとがきに対するコメント
全世界ナイトメアとスターライトタイフーンとブレイジングスターと(以下略)で全機ピチューン余裕でした
こいつはひでえwひどすぎるw
話の中身とオチのギャップに吹きましたwww
そうか、私だけではなかったんだな。
後書きで悔しさとかそういったもので泣いた…
これはいいギャップwww
開幕からテーマが出るまでの事故率は異常。
100回以上やり直しして済みません、今度はちゃんと弾見ますから……
事実、もこたんはレミィ単独でしか倒せてないww
それとも、なんという技のデパートwwwwww、と後書きを褒めちぎるべきなのか……。
ボクには判断できません><