※この作品の霊夢は原作と比べて精神的に脆いです。
※レミリアの両親と吸血鬼の能力について独自設定があります。
博麗霊夢が病気で死にかけた
最近異変らしい異変もなく平和な幻想郷において、それは異変に並ぶ事件であった。
「いやあ、私はただの風邪だと思ってたんだけどねー」
能天気な声で弁解するのは、当の死にかけた本人。
今はまだ、永遠亭にある病室で横になっている。
しばらく前から身体がだるい感じがしていて、5日前に急に発熱をしたのだ。あまり病気と縁のない霊夢は、熱と咳が出るなら風邪だろう、無理をせず横になっていたらしばらくして治ると判断したのだ。
栄養を取るものを食べたいところだが、どうにも熱が高いようで身体が思うように動かない。どうせ毎日のように誰かしら遊びに来るから、そのときに頼んで料理を作ってもらおう。
そう思っていたら、2日前まで誰も来なかった。いつも自分を見張っているのではないかと疑っている紫も、後で聞いたら結界の揺らぎで面倒な箇所があったらしく、藍と共に補修作業に集中していたそうだ。
そして、布団の中で荒い息をつきながらぐったりしている霊夢を、たまたま遊びに来たキスメとヤマメが発見したのだ。病気を操る程度の能力を持つヤマメは、一目で霊夢が危険な状態にあることが分かり、霊夢の身体に巣食う病魔の侵攻を能力を使って止めた。だが、霊夢の消耗が激しいので、キスメに事情を聞いて大慌てで駆けつけた魔理沙により永遠亭の永琳のもとへ行き、今に至る。
「身体がろくに動かなくてさ、正直やばいと思ったわ」
「明るい声で言わないの。肺炎を併発しかけていたから、あと半日発見が遅れていたら本当にやばかったわよ」
呆れた声で永琳は言う。
「弾幕勝負では無敵の霊夢も、病気には勝てなかったわけだ」
「ってことは、病気を操る私が最強!?」
「ヤマメちゃん、たぶんそれは違います……」
「はいはい、一応ここは病室よ、もう少し静かにね」
『はーい』
もう生命の危機が去ったからこそのノリだ。
知らせを受けて皆が駆け付けたときは、それは誰もが心なしか思いつめたような表情になっていたものだ。
霊夢が意識を取り戻してからは、彼女に対する危機感のなさに対する説教がされた。
そして今では、同じような事態が起きないために、ローテーションを決めて毎日誰かしら神社へ霊夢の様子を見に行くという話まで持ち上がっている。まるで、独居老人のような扱いだ。
それもこれも、博麗霊夢が博麗の巫女という幻想郷の要である以上に、彼女自身が皆から愛されているからだ。
皆が今後のことを話し合っている中、レミリア・スカーレットは一人まだ青い顔をしていた。従者である十六夜咲夜の気遣いの声も右耳から左耳へ通り抜けていく。
彼女は、ある当然の事実を改めて突き付けられたのだ。
――博麗霊夢は人間で、いつ死んでもおかしくない――
その言葉が心の中にリフレインされ、レミリアの心の奥に澱のようにたまっていくのであった。
「私がこれしきのことで死ぬわけないじゃない!」
そんな霊夢の明るい声が響いてくるが、どこか遠い場所から響いてくるように感じられた。
「ねえ、パチェ、ひとつ聞いていいかしら」
その日の夜、紅魔館の大図書館にレミリアは訪れた。周囲に小悪魔や妖精メイドたちがいないことを確認してパチュリーに話しかける。
対するパチュリーは、レミリアの様子がいつもと違うことを不審に思いつつ小さく頷き、読書に夢中になってすっかり冷えた紅茶を思い出したかのように口に含む。
「人間を不老不死、ないし不老長寿にするてっとり早い方法ない?」
紅茶噴くかと思った こらえた私を褒めて あ、でも鼻から少し…… by むきゅ
「な、何を言っているの?」
「質問に質問で返すのはよくないわよ、パチェ」
レミリアの瞳が真剣なことに気づいたパチュリーは居住まいをただす。
「……レミリアなら自前でどうにかできるじゃない」
方法は勿論、吸血による相手の吸血鬼化だ。
「その方法はなるべく使いたくないのよ」
その言葉にパチュリーはため息をつく。
レミリアのその言葉で、レミリアが気まぐれで聞いているわけではなく、誰かに対して実践したいという明確な意思を持っていることが明らかになった。普段のレミリアならば言葉にもそんな隙を見せないのだが。
しかも、今日という日に聞いてくるとは何て分かりやすい……。
「レミィ、あなたが思うようなことをしたら、八雲紫が黙っていないわよ」
「なんであのスキマ妖怪の名前が出てくるのかしら?」
「あなたが言う人間、霊夢のことでしょ」
レミリアは言葉を詰まらせる。これも、彼女らしくない。
「私は博麗大結界のことはよく分からないけど、霊夢本人に劇的な変化が訪れるようなことをしたらまずいんじゃない?」
幻想郷がその存在を保つために必要な博麗大結界。それを管理し、守るのが博麗の巫女の最大の義務であり、博麗の巫女が幻想郷の要と言われる所以である。
「そんなこと知らないわ。私はただ、人間を不老不死か不老長寿にする方法を知りたいだけ」
パチュリーは再度ため息をつく。
こうなったレミリアには何を言っても無駄だ。
「なんで吸血はダメなの?」
レミリアはその言葉に顔を背ける。
しかし、じっと自分を見続けるパチュリーの視線に耐えかね、両人差し指の先をくっつけながらしぶしぶ答える。
「だって、吸血は相手を下僕にしてしまう。そんな霊夢、見たくない」
霊夢という名前を出すということは、レミリアはもう何も隠すつもりはない。
そう判断したパチュリーは三度目のため息をついて、親友の相談に乗ることにしたのであった。
「案1。霊夢に仙人になってもらう」
仙人とは、修行により超人的な能力を身につけたちょっと変わった人間のことである。その大半が外見は老人だが、ほとんど何も食べないで生きていくことができ、長い寿命も持っている。
「あれってどうやってなるものなの?」
「毎日真言を何万回も唱えたり、己の欲をコントロールし、気の巡りを充実させる修行を何百年と……」
「却下。霊夢にできるわけないじゃない。3分で飽きているわよ」
霊夢が熱心に修行をしている姿は、美鈴が毎日門番の仕事を100%こなす姿以上に想像できない。
「ごもっとも」
「案2。天人になってもらう」
「あの自己中娘と同じ種族ってのが気になるけど、それってどうやったらなれるの?」
自己中って、レミィも人のこと言えないじゃない、とはパチュリーの心の声。
「方法は二つ。一つ目は、仙人がさらに数百年から数千年の修行を……」
「却下。仙人にもなれないわよ。で、もう一つは?」
「死後、成仏した魂が天界に行くことがあるわ。この場合、肉体は持てないけど」
「却下。霊夢の魂が天界行きなんてありえないわ」
「ごもっとも」
「案3。死後、幽霊か亡霊になってもらう」
「どうやって?」
「白玉楼の主に頼むのが一番ね。霊夢がよほど悪いことをしていなければ、死後、必ず霊夢は冥界に行く。そこを捕獲すれば……」
「なるほど……」
「もっと確実な方法は、白玉楼の主の能力で霊夢を殺すこと。その場合、必ずその場で幽霊になるそうよ」
「そ、それはちょっと……」
この紫もやし、物騒なことをなんて平然な顔で言うのかしらとレミリアは戦慄した。そもそも自分が振った話題なのだが。
「ただ、白玉楼の主に幽霊は逆らえない。また、亡霊になった場合、生前の記憶が消えることもある。それをよしとするかどうか」
「却下。次」
「案4。守矢の風祝のように現人神になってもらう」
「あの緑巫女は長い寿命を持っているの?」
それは意外だった。力を多少持っているようだが、霊夢には及ばない。ただの人間とさして変わらないと思っていたが。
「まだね。もっと信仰を集めなければいけないわ」
「信仰?」
「そう、信仰を集めることによって、神と等しい力を持つようになる。英雄と呼ばれた人間が、死後に神へと祀られることがあるけど、神々が現実に顕現している幻想郷においては人間が真の意味で神へとなることもまた可能」
「霊夢が信仰を集められると思う?」
熱弁をふるうパチュリーにツッコミがひとつ。
「ごもっとも」
「案5。魔法使いの修行をさせ、捨虫の魔法を習得させる」
「霊夢に魔法の修行ができるとでも?」
「ごもっとも」
「案6。永遠亭の薬師に蓬莱の薬をわけてもらう。レミィが吸血しないなら、これが一番確実だと思うわ」
「蓬莱の薬……」
その薬については彼女たちから聞いたことがある。真の意味での不老不死を与える呪われた薬だとか。
「確かに、それなら霊夢が霊夢のまま不老不死になれるわね。あいつらも話の分からない相手ではないし、見合った対価は支払わないといけないと思うけど、きっと薬をわけてくれる……」
レミリアは希望を見出したように目を輝かせる。
「ただ、一度飲んだが最後、決して死ぬことの許されない永遠の生を生きねばならなくなるわ。私たちは長命だけど、不死ではない。もし霊夢に蓬莱の薬を与えたら、今のあなたと逆の立場になるわけだけど……」
そのパチュリーの言葉にレミリアは大きく目を見開いた。そして、ガックリと肩を落とす。
「そんなこと……できるわけ……ないじゃない」
今度は、パチュリーが目を見開く。
「あら、驚いた。前のレミィなら、相手の都合なんか考えやしなかったでしょうに」
「パチェも意地が悪いわね。私がこう言うことは分かっていたんじゃないの?」
そのレミリアの言葉を聞いて、パチュリーは微笑んだ。
「ええ。レミィは人間との出会いで確実に変わった。最初は咲夜。そして、霊夢や魔理沙たち。特に、あの紅白の巫女があなたに与えた影響は大きいわ」
「…………」
「前の鋭いナイフみたいなレミィも好きだけど、今のレミィの方が私は好きよ」
その言葉にレミリアは顔を赤くする。
「なによ、今日はやけに雄弁じゃない。持病のぜんそくはどうしたの?」
「今日は調子がいいのよ」
「それこそ調子がいい」
そして、はじける笑い声。
しかし、続くは静寂。
「ねえ、パチェ。他に……方法はない?」
「……私の今の知識では、レミィが求める最善の答えを出すことはできないわ。でも、今すぐ霊夢が死ぬというわけではないし、私も色々と調べてみるから」
「……わかった。ありがとう、パチェ」
そして数日が経ち、晴れて霊夢は退院した。
「お勤め、ご苦労様です」
永遠亭を出る霊夢に、神妙な表情で魔理沙が言う。
「何よ、それ……」
「外の世界では、退院する相手にかけるお決まりの台詞らしいぜ」
「ふうん……」
「本当は快気祝いってことで派手に宴会でもしたいところだが、しばらくは早く寝るようにしろとの薬師様のご命令だ。しっかり守れよ?」
「もう、やめてよ。子供じゃあるまいし」
「というわけで、しっかり霊夢が眠るまで見張るのが私の役目ってわけだ」
それを聞いて霊夢は目を剥く。
「はあ!? 何よ、それ!?」
「言っちゃなんだが、私たちは霊夢の生活面についてはあまり信用していない」
「う……」
「今日は私。そして、明日が妖夢、明後日が鈴仙だったかな?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それっていつまで続くの?」
「少なくとも1週間。霊夢の体力が完全に戻ったと判断されるまでだってよ」
「はあ……」
「よかったら添い寝してやっても……」
魔理沙の脳天に陰陽玉がヒットする。
「なんだ、元気じゃないか、霊夢……」
「おかげさまでね」
そんなやり取りをしながら二人が去った後に、永遠亭に入る人影が一つあった。
『霊夢が寝るのを見張る会』(命名:魔理沙)の4日目担当はレミリアだった。
「あんたがこういうことを引き受けるなんて意外ね……」
少し照れくさそうにそっぽを向くレミリアに、霊夢は彼女には珍しく好意的な笑みを浮かべた。
二人はお茶を飲みながら雑談をする。夕食は、咲夜特製の弁当だ。霊夢は和食がよかったと文句を言いつつも、美味しそうにたいらげていた。
そして、二人の会話が途切れた後、霊夢は本当に何気なく会話を切り出した。
「なんかさ、熱で苦しみながら寝ているときさってさ、すごい不安になるんだよね」
それは、会話というよりも独白に近いものだった。
「いつもは静かな場所が好きなのにさ、そんなときだけ静かなのが怖くてさ。あのときに限って誰も遊びに来ないし、一人ってのを意識しちゃってさ。なんか、がらにもなく弱気になったっていうか」
レミリアは真剣な表情で霊夢の言葉を聞く。
「もしかしたら、私、このまま死んじゃうのかもって。熱が出て3日したころは、もう本当に身体中ガタガタで、身を起こそうにも力が入らないし、声もかすれたような声しか出なくて」
「…………」
「死ぬことが怖いわけじゃないの。人間、死ぬときは死ぬわけだし」
レミリアの顔がわずかに歪んだことに霊夢は気づかなかった。
「ただね、ひょっとしてこのまま一人ぼっちで死ぬんじゃないかと思ったら、途端に怖くなったの。前の私だったらこんなこと思わなかったはずなのに。なんでだろ?」
胸の前でキュッと手を握る霊夢を見て、レミリアの心の中には様々な思いが去来する。
「じゃあ霊夢、私に血を吸われてみない?」
自然に話したつもりだ。だが、その胸は心臓が飛び出しそうなほどドキドキしている。
「私に血を吸われれば、霊夢も吸血鬼。身体は今とは比較にならないほど頑丈になるわ。病気もめったなことではかからなくなるし、寿命も人間よりずっと長くなる」
「でも、レミリアの下僕になるんでしょ? 遠慮しておくわ」
軽く流す霊夢。レミリアの口調に合わせたものだ。
レミリアも笑って流すが、その瞳が寂しげなことに霊夢は気づいただろうか。
「じゃあ霊夢、そろそろ寝ないと」
「まだあまり眠くないけど……仕方ないわね……」
霊夢は布団をしく準備を、レミリアは湯呑などを片付ける。
「霊夢、永遠亭の薬師によく眠れる薬をもらったんだけど、いる?」
「あら、レミリアにしては気が利くじゃない。ありがたくいただくわ」
レミリアは若干暗い表情で、霊夢にその薬と水の入った湯呑を手渡した。
――3日前。
「胡蝶夢丸ナイトメアで見る悪夢の内容をこちらで自由にできたりする?」
永琳を訪ねたレミリアは、単刀直入にそう切り出した。
それを聞いた永琳は小さく笑う。
「あら、てっきり蓬莱の薬をわけてくれとでも言ってくると思ったけど」
レミリアは思わず息を呑んだ。
「また絡め手で攻めようとしているわね。それが吸血鬼流?」
「く……そんなことはどうでもいい。私は、薬師であるあなたに対して、薬の改良をできるかどうか聞いているだけ」
永琳は意地の悪い笑みを浮かべるが、次には真面目な表情になる。
「ある程度は可能よ。見せたい夢のイメージを魔力で投影するようにはできるわ。ただし、悪夢というのは、夢を見る本人にとって何かしらのトラウマがある場合見やすいの。胡蝶夢丸ナイトメアは服用者の無意識に働きかけて、微妙なストレスを与えつつ悪夢の土台となるトラウマを心の表層に誘導することによって……」
「ストップ! 要は、相手が持つトラウマのイメージならば意図的に見せることもできるというわけね」
話を遮られた永琳は不満そうな表情を浮かべたが、レミリアの言葉に頷いた。
「老婆心ながら忠告するけど、焦ってもいいことないわよ」
「そんなことは分かっている。でも、私たちの時間に比べて、あの子の時間はあまりにも短いの……!」
霊夢はレミリアからもらった薬を飲むと、ほどなくして眠りについていた。
レミリアは、眠りについた霊夢をじっと見守る。
さっき聞いた話。
一人ぼっちで死ぬことに対する思いもよらない霊夢の恐怖。卑怯だと思ったが、それを利用することにした。
そんな悪夢を見たら、もしかしたら霊夢は考えを変えるかもしれない。自分の短い寿命に対して何かの対策を取ろうとするかもしれない。霊夢自身に寿命をのばす意思がなければどうしようもないのだ。
そうしたら、紅魔館の総力を結集して、霊夢が納得する寿命をのばす方法を見つけ出そう。
このレミリア・スカーレットに不可能はない。
そんな決意をかためていたら、寝ている霊夢の様子がおかしいことに気がついた。
もう退散しようと思っていたのだが、せっかくだから悪夢を見る霊夢の様子を少し見ていくことにするか。きっと可愛く悶えてくれるに違いない。
霊夢は暗い場所に一人立っていた。
周囲には明るい色をした景色がいくつも浮かぶ。そこには見知った友人たちが楽しそうに宴会をしている。
しかし、その場に霊夢だけがいない。
なぜなら、霊夢は暗い場所にただ一人立ちつくし、動けずにいたからだ。
(ちょっと……なによ……これ……!)
声をかけようにも声が出ない。
その場所へ行こうにも足が前に出ない。
ただただ、一人きりで周囲の楽しそうな風景を見ているだけだ。
あの温かい場所に私も行きたい。私も混ざりたい。こんな一人きりの暗い場所は嫌だ。
手が動くようになった。
霊夢は喜ぶ。手を振れば、あの温かい風景に触れれば、きっと気づいてくれる。
手を伸ばすと、目の前で自分の手が痩せこけていき、しわくちゃになり、骨になり、そのまま下へと崩れ落ちる。
(ひ……!?)
そして気づくのだ。自分の姿がすでに人のそれでなく、骨だけになっていることを。
(いやあああああああああああ!?)
それでも、なぜか視界だけははっきりしている。そして、容赦なく視界に目の前の風景が飛び込んでくる。
霊夢の親しい知り合いは妖怪が多い。自分よりもはるかに長い寿命の持ち主たちだ。
霊夢が死んだ後も、彼らは今と同じ姿のまま生き続けていく。よく見ると、魔理沙もその中にいる。おそらく、真の意味で魔法使いになったのだろう。
そんな霊夢に彼らの宴会での話題が飛び込んでくる。そこには霊夢の話題はどこにも出てこない。
だが、ついに霊夢に関する話題が出る。
「そういえば、何代か前の博麗の巫女で、赤いリボンをしていた巫女がいたような気がするんだけどさ」
(私よ、私! 博麗霊夢!)
「名前忘れちゃったんだよねー。誰か、覚えてる?」
(萃香! この薄情者!!)
そこに姿を現したのは、白黒の魔法使い。
(魔理沙、言ってやりなさいよ! この私の名前を!)
「あれ、そんな奴いたっけ? 先代も先々代もそんな派手なリボンなんてしてなかったぜ」
瞬間、霊夢の中で何かが壊れた。
(ああああああああああああああ……)
(ああああああああああああああああああああああああああああ……)
(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!)
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 ひどく苦しんでいた霊夢が突然絶叫をあげたので、レミリアは思わずビクリと飛び上がった。
だが、次の瞬間には、尋常な様子ではない霊夢を見て慌てて霊夢に駆け寄る。
「霊夢! 霊夢!?」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 霊夢は半ば痙攣を起こしていた。ガチガチと歯が噛み鳴らされてもいる。
このままでは舌を噛んでしまうかもしれないと思ったレミリアは、咄嗟に己の右手を霊夢の口に突っ込む。
次の瞬間、思い切り噛み付かれ、小さく悲鳴を漏らす。わざと噛み付かれている部分の強度を弱めているのだ。戦闘時の状態だと、ヘタをすると霊夢の歯が折れてしまう。
「霊夢! 霊夢! 落ち着いて!!」
必死で霊夢に呼びかける。左手で霊夢を強く抱きしめ、少しでも安心させようともしている。
(私は……なんてことを……!)
まさか、ここまで悪夢が霊夢を苦しめるとは思ってもいなかった。
自分の思慮のなさに呆れてしまう。霊夢を苦しめたくなどなかったのに。
やがて、霊夢は悪夢から目覚める。
しばらく何が起こったか分からない表情で周囲を見回すが、レミリアが自分を抱きとめてくれていることに気づくと、そのままレミリアに抱きついて泣き出した。
レミリアが見たことのない霊夢だった。まさか、霊夢が大声を出して泣くなんて夢にも思わなかった。
肩を大きく震わせて、しゃくりあげるように泣いている。叫んでいる言葉も意味不明だ。
その間、レミリアはずっと罪悪感で押しつぶされそうになっていた。
霊夢が落ち着くのを待って、レミリアは温かいお湯を入れて霊夢に手渡す。
先ほど思い切り取り乱していた霊夢は、照れ臭そうにそれを受け取ると、黙ってお湯を飲んだ。
これで帰ればいい。
これで帰れば、霊夢は自分に感謝する。そして、さっきの悪夢が霊夢に与える影響があるだろう。
全て思惑通りではないか。
しかし。
先ほどの霊夢の取り乱しぶりを見てしまったレミリアは、真実を言わないでいられるわけがなかった。
「霊夢、ごめんなさい……」
「どうしたの、いきなり」
「さっきあなたが見た悪夢、私のせいなの」
霊夢の笑顔が凍りついた。
「それ……どういう意味?」
「私があげた薬、確かに眠る状態になるのを早める効果はあるけど、悪夢を見せるための薬。新聞でも取り上げられたことのある、永遠亭薬師の特製品」
「…………」
「そして、霊夢に飲ませたものは、夢の内容もこちらである程度指定できる特……」
最後まで言いきることができなかった。
霊夢が湯呑を力任せにレミリアに投げつけたのだ。レミリアに当たり、湯呑は砕け散り、熱い湯がレミリアに降り注ぐ。
もちろん、吸血鬼のレミリアはこれぐらいのことで傷一つつかない。
しかし、その心には深い傷が与えられた。
「ふざけないでよ!! 何よそれ!?」
「ごめんなさい……」
「床にふせっていたときの私の話を聞いて、まさかそれを利用したの!?」
「ごめんなさい……」
「何でよ! ……! まさか、レミリア、あなた、私をただ笑い物にしたいだけじゃ……」
「それは違う! 私は霊夢の……! 霊夢のために……!」
「冗談言わないで!! 何が私のためよ!! わけわからない!!」
「こうでもしないと! 霊夢は人間をやめようと思わないでしょ!!」
そのレミリアの叫びに、霊夢は目を見開いた。
「私は! ただ! 霊夢に先に死んでほしくないの!! 1分1秒でも私より長く生きてほしいの!!」
「どういうことよ……」
「霊夢は人間で! 私は吸血鬼! どうあがいても霊夢は私より先に死んじゃうのよ! 霊夢が死んだときのことを考えると、私、もう、どうしていいか分からなくなる!!」
誇り高き吸血鬼の吐露。
それは、高ぶっていた霊夢の感情を鎮めるのには十分だった。
「何よ……馬鹿みたい……」
暗闇の中、二人の少女の荒い息づかいだけが響く。
沈黙を破ったのは霊夢だ。
「どうしてくれるのよ、レミリア。私、死ぬことに対して心から恐怖を感じちゃったのよ……もう前には戻れない……」
霊夢はボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「あんな想い、もう嫌。死んだ後だから関係ないなんて言えない……。死ぬのが……怖い……」
そして、霊夢はレミリアの手を取る。
「あなたに血を吸われたら、私のこの恐怖、なくなるのかな……」
「ちょっと、霊夢、何を……」
霊夢は寝間着の首元をグイと露出させる。
白く細い美しい喉元が露出し、レミリアは思わず息を呑んでいた。
「ねえ、血を吸われるのって痛い?」
「吸う者のさじ加減次第。痛くも気持ち良くもできるわ」
「よかった。痛いのは嫌いだから」
「霊夢、自分が何を言っているか分かっているの?」
「だって、レミリア、こうしたかったんじゃないの?」
「そうだけど、そうじゃないの! 霊夢は今のままだから霊夢であって、私が一緒にいたい霊夢は……!」
レミリアは何かに耐えるように首を横にふると、その場から逃げ去った。
「レミリア! ひどいよ! 私のこの気持ち、どうすればいいのよ!!」
悲痛な霊夢の叫びが耳にはいらないように耳を強く手で押さえながら、レミリアは博麗神社から逃げ出していた。
レミリアの目からは涙が溢れていた。
どうしようもないぐらい悲しかった。
自分の情けなさ、弱さがどうしようもなく憎かった。
一方で、霊夢も感情の大きな揺らぎに泣いていた。
そんな霊夢のいる部屋の天井近くで、ほんのわずかな空間の隙間が開いていた。
その隙間からは、黄金色に輝く切れ長の瞳だけが見えていた。
それから、レミリア・スカーレットは博麗神社に訪れずにいた。
霊夢に刻み込んでしまった、死への恐怖。それに対する悔恨の念が繰り返し襲ってくる。
もしかしたら、霊夢は以前のように笑えないのではないか。
そして、おそらく霊夢は二度と自分に話しかけてこない。
そんなことを思うと、絶望的な気分になってしまう。
咲夜やパチュリーなどの紅魔館の面々は、そんなレミリアの様子を見てなんとかして元気づけようとするのだが、どれもうまくいかなかった。
鬱々とした気持ちで日々を過ごすレミリア。
悪魔の住む館と言われ恐れられている紅魔館だが、実は意外に皆が楽しく暮らしている。
しかし、今の紅魔館は悪魔が住まう館という二つ名が似合う、どんよりとした陰惨な雰囲気を放っていた。
そして、無為に時を過ごしながら日は過ぎていく。
満月の夜だというのに、レミリアの気分は晴れないでいた。
なぜこんなにも苦しいのだろう。
500年生きてきて、こんな想いを感じたのは初めてのことだ。
自分は何でもできると思っていた時期もあったが、こんなにも自分が無力であると感じる日が来るとは思わなかった。
どうすればいいのだろう。
「私はどうすればいいのですか――」
その後に続く言葉を呟きかけたとき、数百年前の記憶が蘇る。
レミリアは紅魔館のある一室へと走って行った。紅魔館が完成したその日以来一度も訪れることがなかった部屋だ。鍵を使ってゆっくりとドアを開く。
「……変わってない」
ただ一度この部屋に来たときと配置はほとんど変わっていない。しかし、咲夜がほぼ毎日掃除をしているため、まったく埃っぽくはない。
そこには、数多くの衣装や調度品、机に食器類などが混然と置かれている。
そして、部屋の奥には若い美しい男女の肖像画が描かれている。
その男女は吸血鬼で、二人の傍には青っぽい銀色の髪をした小さな吸血鬼の少女が立っている。女性の吸血鬼がその手に抱いているのは、金髪の吸血鬼の赤子だ。
「お久しぶりです、お父様、お母様――」
ここは、レミリアの両親の遺品をしまっている部屋だ。
在りし日を思い出してしまうのは未熟の証。そう考えていたレミリアは、この部屋に来ることを避けていた。
しかし、レミリアは思い出していた。
フランドールを産んでから日に日に体調を崩していく母が、幼き自分にプレゼントだと渡してくれたものを。
――レミリア、あなたが大きくなったとき、きっととっても悩む日が来ると思うわ。だって、私の子だもの。お父様が教えてくれるといいんだけど、あの人はちょっと抜けたところがあるから忘れてしまうかも。だから、あなたが大きくなったとき、この本を手に取ってみてね。きっと、役に立つから……。
幼い日の自分は、それがまるで遺言みたいに感じられて、泣きながら受け取るのを拒否した気がする。
それから間もなくして母が亡くなり、レミリアはその本を初めて手に取った。しかし、魔力による封印がかけられていて、幼い日のレミリアには封印を解くことができなかった。時が過ぎ、幻想郷に来たとき、再びその本を手に取る機会があったが、そのときは悩みごとなどまるでなかった。これから幻想郷を支配する戦いへと向かう自分にとって、感傷など足かせ以外の何物でもなかったのだ。
そして今日。
レミリアは母から託された本の封印を解く。
ドキドキしながら開けた最初のページには、「意中の男の子と知り合いになる方法」と書かれていた。
「……は?」
思わず間抜けな声をあげてしまう。
気を取り直して中身を読んでみる。
――まず、意中のあの男の子にぶつかりましょう。十字路などの出会い頭がいいでしょうね。そして、そのときに必ず落し物をすること。また、その落し物に自分の手掛かりとなる情報を必ず記しておくこと。ちなみに、私は自分が住んでいる館までの道順が懇切丁寧に刺繍されているハンカチを落としたの。これで知り合ったのが、今のお父様よ。
そんなこと、知りたくなかったです、お母様。
その後、「意中の男の子と仲良くなる方法」、「デート中、突然の腹痛が! その時どうする!?」、「確実に早起きする方法」、などなど随分と俗っぽい内容が続く。母親に対する幻想が壊れかけていたそのとき、ページをめくるレミリアの指が止まる。
「意中の彼が人間だった場合、共に長き時を生きる方法」
そこには、レミリアが求めるものが書かれていた。通常は、失血死するまで相手の血を吸うことで相手を吸血鬼化させることができる(もっとも、レミリアは小食なのでこれまで一人も吸血鬼化させたことはないが)。この場合、吸血鬼となった人間は吸った吸血鬼の下僕となる。ある程度の自由意思はあるものの、根源的なところで主である吸血鬼に逆らえなくなる。それではダメだ。
しかし、母親が残した方法は、そうした精神的支配をせずに吸血鬼化させる方法であった。これは、吸血鬼が対等と認める相手にのみ施す呪法だという。主に配偶者と定めた相手に対して行うことが多いらしい。
――ちなみに、お父様は元人間よ。
なんですと!?
また衝撃的な告白が。
そのことに対する感慨は別の機会に取っておくとして、今は母が残した呪法についてだ。
方法自体は多少手間がかかるものの難しくはない。何度も読み返し一字一句暗記した後、レミリアははやる気持ちを抑えながら博麗神社へ向けて飛び立った。
そのレミリアを、たまたま図書館を出て廊下を歩いていたパチュリーは目撃していた。
「レミィ?」
胸騒ぎがしたパチュリーは、急いでレミリアが飛び立った場所へと移動する。
そこには、1冊の本が開かれた状態で置かれていて、パチュリーはその内容に目を通すのであった。
霊夢は、縁側で静かに満月を見ていた。
こんな満月の夜は、どうしても紅霧異変を思い出してしまう。
あの紅い満月をバックに、あの吸血鬼は傲岸不遜な表情で偉そうに腕組みをしていたものだ。
あれから大した月日は経っていないのに、もう随分と長い時間が経ったように思える。あの日以来レミリアが神社を訪れていないからなおさらのことだ。
「……!」
そのように霊夢がレミリアのことを考えていると、その紅い満月に小さな影が見え始めた。
その影は見る見るうちに近づいてくる。
もう二度と顔を見たくないと思ったほど怒りを感じていた。
しかし、しばらくぶりにその顔を見ると、その場から立ち去ろうとした決意はたちまちのうちに萎えてしまう。
ただ、立ち上がってレミリアが目の前に降り立つのを待つだけしかできなかった。
「霊夢、私と同じ吸血鬼になりましょう」
開口一番、レミリアはそれだけ言った。
言いたいことは山ほどある。だが、そのどれも口にしてしまうと感情的になってうまく言えそうにない。
そのレミリアの言葉に、霊夢も山ほど言いたいことがあるのを抑えて、レミリアと向かい合う。
「何よ、今更。あなたの方から断わったことでしょ?」
「新しい方法を見つけたの。私のお母様がお父様を吸血鬼にした方法……」
その言葉に霊夢は眉を動かした。レミリアが両親について語るのは初めてだ。しかも、今の話からするに、父は元は吸血鬼ではなかったようだ。
「私のお父様は元人間だったそうよ」
「……!?」
「お母様はお父様と同じ時を生きたかった。でも、ただ吸血するだけでは、お父様は下僕になってしまう。それをよしとしなかったお母様は、吸血鬼が生涯で一度だけ使える呪法を試みた」
レミリアはゆっくりと霊夢へと近づく。
「相手の血を死なない程度に吸い、それから自らの血を与える。それを1週間続けると、相手は精神を支配されないまま吸血鬼になるわ」
「…………」
「ただし、リスクもある。この1週間、吸血鬼の強い血が体内に入ることによってとても苦しむわ。さらに、そのまま死に至ることも決して少なくない」
「……苦しむのは嫌だな」
「私がずっと傍にいる」
「……もし、失敗したら?」
「そんなことを気にするなんて霊夢らしくない。大丈夫、必ず成功させる」
それから、一つ息をつくと、レミリアは霊夢の瞳を正面からとらえた。
「もし霊夢が死ぬようなことがあれば、私も後を追う」
「ちょ……!?」
霊夢は目を見開いた。まさか、この吸血鬼化らそんな台詞が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。
「私は本気よ、霊夢」
紅い瞳がまっすぐ霊夢の瞳をとらえる。
しばらく二人は無言で見つめ合っていた。
「レミリア、あなたの言葉、信じていいの?」
「レミリア・スカーレットに二言はない」
霊夢の瞳が揺らぐ。
そして、しばらく無言で黙り込む。レミリアは、その間、静かに霊夢の言葉を待っていた。霊夢の決断を受け入れるために。
「……分かった、レミリアを信じる」
「……霊夢!」
その言葉を聞いた瞬間、レミリアの瞳から涙が流れる。霊夢が自分を信じてくれたことが何よりも嬉しいのだ。
「じゃあ、早速準備をするわ。今すぐにでも取り掛かりましょう。霊夢、一緒に紅魔館に来てくれる?」
「ちょ、ちょっと突然すぎない?」
「……ごめんなさい、この呪法、星の位置に大きく影響を受けるの。遅くても明日の夜から始めないと、数か月待たないといけなくなる。……もちろん、その時でもかまわないけど」
上目遣いで霊夢を見るレミリアに、霊夢は小さく微笑んだ。
「ううん、決心が鈍るのが嫌だから。今日からでいい」
「それは許されないわ」
突如夜の闇に凛とした声が響き渡る。
「やはり、来たわね……」
レミリアはこの事態を予測していたのか、慌てずに声がする方向を睨む。
そこには、隙間から姿を現した八雲紫が静かに立っていた。
だが、そこにはいつもの胡散臭げな笑みはない。膨大な妖力がその身からは吹き荒れ、瞳は黄金色に輝きレミリアを睨みつける。
「博麗の巫女は幻想郷を守る要。一人の妖怪のエゴでどうこうしていい存在じゃないの」
その紫の言葉に、レミリアも自らの力を解放する。瞳は満月よりも紅く輝き、その身から禍々しい妖気が溢れ出る。
「ふん、私はスカーレット家当主。欲しいものは自らの手で掴み取るだけのこと」
「愚かな、あなたはもう少し賢いと思っていたのだけれど」
「是非もなし」
二人に緊張が高まる。
「ちょっと! レミリアも紫も何やってるのよ!」
「それはこちらの台詞よ」
紫が冷たい表情で霊夢を見る。
「あなたはまだ博麗の巫女としての自覚が足りない。事は幻想郷すべてに関わること。あなた一人の問題ではないのよ。この吸血鬼を片付けてから、みっちり説教するから覚悟しておきなさい」
「片付けるって……もちろん、スペルカードルールよね?」
その霊夢の声は小さい。二人の様子を見る限り、霊夢が見たことのないほどの膨大な妖力を解放している。二人の本気がこれほどのものとは正直想像もしていなかった。
「霊夢、離れていなさい」
「これは妖怪の死合いよ」
それはどちらの台詞であったか。
「く……!」
霊夢も戦闘準備をする。急な展開に頭の中はグチャグチャだが、何もしないではいられない。
しかし――
「霊夢、邪魔をさせるわけにはいかない」
紫の式である藍が霊夢を後ろから取り押さえる。
「ちょっと! 離しなさいよ!」
油断していた自分を責める。
「ならば、暴れるな。そのぐらい分からないわけではあるまい」
悔しそうに藍を睨むが、藍に隙はない。
手をあげて抵抗の意思がないことを表明すると、レミリアと紫から十分な距離を取る。その表情は、いつもの暢気なものとはかけ離れた、とても無力な少女のような表情であった。
霊夢が安全圏に退避したことを確認されると、二人の怪物の戦いが始まった。
レミリアの周囲に無数の隙間が開き、そこから銀色に輝く無数の剣が出現する。
紫が手を振りおろすと、その無数の剣がレミリアに突き刺さる。スペルカードで咲夜がナイフで似たようなことをするが、それには必ず避けることのできる空間が用意されていた。しかし、今の攻撃にはレミリアが避けられるような空間など存在していなかった。
声にならない悲鳴をあげる霊夢。
しかし、聞こえてくるはレミリアの笑い声。
「笑わせる。あのときはこれで多少の怪我はしたが……」
レミリアの身体が一瞬霧になったかと思うと、少し離れた場所で再び実体を取る。レミリアに突き刺さっていたはずの剣は、その全てが刀身から徐々に錆びていって使い物にならなくなっていた。
「まさか同じ手が二度通じるとでも?」
バカにしたように言うと、レミリアは右手を天に掲げる。そこには、数十本の赤く輝く槍が現れていた。
「これが本気のスピア・ザ・グングニルだ!」
一斉に投げつけられる赤い槍は、地面に突き刺さると同時に大きな爆発をする。
それが大きな土煙を巻き起こしている中、レミリアは自らの周囲に全神経を集中させる。
刹那、レミリアの背後に隙間が出現し、紫の手がレミリアを掴みにかかる。別次元へ放り込まれた時点でレミリアの敗北は決定的だ。レミリアは間一髪紫の手を逆に掴み返す。そのまま隙間から引きずり出して地面に叩きつけようとするが、二人の腕力はほぼ互角のようで一瞬膠着状態に陥る。その一瞬の時間に、紫はレミリアの周囲を隙間で囲おうとするが、それよりも早くレミリアは離脱をする。
「なかなかやるわね」
「満月ならば、私は負けはしない」
不敵な笑みを浮かべるレミリア。しかし、旗色が悪いことは把握している。空間を自在に操り、一撃必殺の攻撃方法を持つ反則的な能力を持つ相手だ。身体能力では満月の下ならこちらが上回る。相手の空間移動のタイミングも、これまで積んできた実戦経験と生来の戦闘センスから直感的に判断できる。
だが、決定的な攻撃手段がほとんどない。フランドールの能力ならば、あるいは紫に対抗できるかもしれないが、ないものをねだっても仕方がない。
「く……!」
ならば、できることは一つ。とにかく攻撃をたたみかけ、その攻撃を回避するために隙間を移動して、再び出現したところに決定的な一撃を与える。それしか手段はない。
だが、老獪な紫がそのレミリアの作戦を見抜いていないわけもなく、レミリアを上回る数の攻撃をたたみかけることによって隙を見せない。本気になった紫相手に1対1でここまで善戦するとは紫は思ってもいなかった。
(でも、もうおしまい)
レミリアの動きは把握した。満月下の吸血鬼の身体能力には舌を巻くが、そろそろ終わりにしよう。
「さようなら、レミリア。あなたのことは嫌いではなかったわ」
「何を戯言を……!」
レミリアは罠にかかったことに気づいた。直感的に、空間の歪みに隠された魔力弾の存在に気づいたのだ。その数は2万4千。2万発までは無力化できるが、残り4千発は受けてしまう。1発1発の威力は低くても、それだけくらえば結構なダメージになる。その隙に隙間に落とされたらおしまいだ。
一瞬でそこまで思考する。確定的な敗北。目の前には勝利を確信する八雲紫。
「賢者の石!!」
レミリアが一斉攻撃を受ける瞬間、レミリアの周囲に5色の水晶体が出現し、魔力弾を次々と無力化していく。
「これは……!?」
「そこまでよ!」
そこに現れたのは、動かない大図書館ことパチュリーだった。
「パチェ! どうして!?」
「あら、助けに来たのに随分な言葉ね」
パチュリーが優雅に右腕を天に掲げると、空に無数の銀色に輝く光弾が現れる。
「満月下のサイレントセレナ、とくと味わいなさい!」
そして、パチュリーの号令下、無数の光弾は紫を目指して襲いかかる。それらを隙間を利用してうまく回避するが、満月から無限に生み出される光弾は紫をどこまでも自動追尾する。
「パチュリー様、頑張れ!」
傍らにいる小悪魔は、パチュリーが大きな魔法をかけるための魔法陣を補助的に描いていく役目だ。これにより、パチュリーの魔法に関する負荷が減るだけでなく、発動速度が飛躍的に増すのである。パチュリーの攻撃パターンをしっかりと学んでいるからこそできるサポートだ。
「く……厄介ね!」
「紫様!」
主の危機に気が逸れた一瞬後、藍は違和感に気づいた。先ほどまで監視下に置いておいた霊夢の存在が感じられない。
「油断大敵」
声がした方向を見ると、瀟洒なメイド咲夜が霊夢を抱えている。
「はい、おろすわよ」
「咲夜、ありがとね」
「時間停止能力か……!」
藍は歯噛みする。レミリアあるところに咲夜あり。時間停止能力者のことを考えに入れていなかったのは失策だった。
「しかし、そう何度も時間停止能力を使えるかな!」
「あら、人間相手にはスペルカードルールじゃなくて?」
「事は幻想郷全体に関係する重要事だ。そのようなことを言っていられるか!」
「大賢者の式にしては、少しばかり軽率な発言ね」
「どうとでも言ってくれ!」
狙いを咲夜に絞る。最初は時間停止能力により攻撃を回避されるだろうが、疲労により能力発動が遅れた瞬間を狙って気絶させればよい。人間と妖怪の体力は根本から違うのだから、スペルカードルール下でなければ妖怪側が圧倒的に有利だ。
「すまないな、次は正々堂々戦いたいものだ」
藍が咲夜に狙いを定めた瞬間、朗朗とした声が響き渡る。
「ならば、妖怪がお相手しましょう!」
藍は咄嗟にその場から飛び退く。
次の瞬間には、大音響と共に、先ほどまで藍が立っていた地面に大きな穴があく。
「さっすが! 素晴らしい反応です」
陽気な声をあげて現れたのは、蹴り一つで地面に大穴をあけた美鈴だ。
「紅美鈴か……」
「いいタイミングね、美鈴」
「そりゃあもう。出るタイミングを計ってましたから」
その言葉に咲夜が睨む。
「いやいや、冗談ですって、冗談」
「どうだか……」
軽口もそこそこに、美鈴は咲夜をかばうように、藍と対峙する。それから、腰を低く落として体重をゆっくりと移動させる。
そんな美鈴から放たれる気を見て、藍は慎重に腰を沈める。
「紅魔館門番、紅美鈴、推して参る!」
その宣言と同時に、美鈴は力強く大地を蹴り、一瞬で藍の目の前に踏み込んでいた。
「……縮地か!」
「ふっ!!」
力強い拳が藍に叩きこまれる。藍はその拳を見切り、腕を交差させてガードする。
「残念! これはガードしちゃダメなのですよ!」
突如藍は全身に強い圧迫を感じた。先ほどの美鈴の拳から放たれた気が、ガードした腕をつたい両足に強い重圧をかける。
「足止めか!?」
「これが本命です! ガードしても無駄ですよ!」
一呼吸気を錬る。通常ならば、その隙に藍は攻撃できたはずだが、足を留められたことにより重心移動がうまくできず、攻撃準備がわずかに遅れ、その遅れが致命的になる。
「破!!」
虹色に輝く拳が藍をとらえ、そのまま藍は後ろに吹き飛ぶ。
「ぐっ……なめるな!」
九尾の何本かを地面に勢いよく突き刺してブレーキをかけ、さらに残りの数本が美鈴のもとにまで伸び、襲いかかる。
「うわっ! っと!?」
軽快なステップでそれらをよけると、再び美鈴は腰を低く沈める。
「嫌になりますね。今の、かなり自信があったんですけど」
「格闘戦が得意という話は聞いたことあるが、いやいや、見事なものだ。正直、あなたのことを甘く見ていた」
「少しは見直してくれましたか」
「ああ、もう油断はない」
「油断してくれて全然かまわないんですけどねー」
二人の妖怪は、今度は慎重に間合を詰め合う。
ドゴォォン!
突如響く大音響。
「きゃはははは! お姉様、お待たせ!!」
巨大な炎の剣を振りかざして登場したのは、虹色の羽を持つ吸血鬼、フランドールだ。
「フラン! あなたまで!」
「そこの傘を持ったお姉さんを壊せばいいんでしょ?」
フランドールの紅い瞳が燃え上がる。
「月がこんなにも紅いから! 私のパワーもマキシマムッ!」
微妙に変な口上を叫びながら、レーヴァテインを力任せに振り抜く。
「お嬢ちゃんは夜遊びするのは早くなくて?」
「へっへーん! 吸血鬼は夜遊びしてなんぼでしょ!」
レーヴァテインの軌道こそ予測しやすいが、攻撃の起点のためにだけ開いた隙間があっさり破壊されるのを見て戦慄する。物質の目とやらを使わなくても、力押しでこれほどまでのパワーがあるとは。
(なんて出鱈目! この妹に手加減はできないわね。幸い、攻撃は単調だから姉よりも簡単に……)
「サイレントセレナ!」
「レッドマジック!」
バラバラの方向から攻撃が襲いかかる。そう、今紫が相手しているのは3人の強力な妖怪だ。
「悪いわね、3人がかりで。でも、そうでもしないとあなたの反則的な能力に勝てないわけ」
「パチュリー様! 私も入れて4人ですよ! 4人!」
紫は珍しく焦っていた。満月では相手が悪い。この状況を打破するような大規模な力を行使すると、確実に霊夢と藍を巻き込むことになる。
「紫様ぁ!!」
「おっと、あなたの相手は私ですよ!」
「くっ! しつこいっ!」
「つれないですねえ。私だけを見てくださいよぉ」
主の元へ行こうとする藍を牽制するのが美鈴の役目だ。
「止めなきゃ……」
戦いがさらに狂乱の渦へと発展しそうになるのを見て、霊夢は前へと歩みだした。それに咲夜は仰天する。
「霊夢! もうあれは人間の私たちにはどうにもならないレベルの戦いよ。あなたが巻き込まれたら元も子もないわ」
「でも!」
霊夢は鋭い瞳で睨む。その強い言葉に咲夜は驚く。
「ビックリした、あなたもそんな顔をするのね……」
「だって……レミリアも紫も、もちろん他の紅魔館のみんなも、私にとっては……」
ギュッと拳を握る。
「だから! こんな殺し合いなんて絶対認められないの!! ここは幻想郷よ!! スペルカードを作ったのも、陰惨な殺し合いをなくすのが目的の一つだったのに!! こんなの嫌!! 幻想郷は……」
霊夢はグッとこらえるかのようにためると、
「幻想郷は皆が笑える楽園なのよ!!」
大声で叫んだ。
「博麗結界!!」
その瞬間、戦っている全員の動きが止まった。空間そのものにつなぎとめられ、身動きができないでいる。
「これは……!? 紫様ではない!?」
「これはまた、指先一つ動かせませんねえ。口先は動くのですが」
「やー! 動けないー!」
「むきゅー」
「パ、パチュリー様! 大変です! まったく動けません!」
「これは……霊夢?」
「なんで戦っていない私まで……」
紫をのぞく7人が事態を把握できないでいる中、紫は大きくため息をついた。もうその身体から殺気は出ていない。
「ここにきて、博麗の巫女として成長するなんてねー。幻想郷では博麗の巫女に誰も勝てないのよ」
泣いている霊夢を愛おしそうに見る紫の様子を見て、レミリアも全身から漲らせていた力を鎮める。他の面々も同様だ。
それを感知したのか、彼女たちを縛っていた結界が解かれる。
こうして、幻想郷を揺るがしかねない大規模な戦闘は幕を閉じたのであった。
「紫……」
不機嫌な表情でむくれている紫の前に、霊夢はおずおずと立つ。
「あの……ごめんね」
「霊夢が! あの霊夢が素直に謝ってる!?」
紫は本気で驚いた。そして、そうさせている存在に厳しい視線を送る。それはまさに、娘についた虫を見る父のそれだ。
「はあ……分かったわよ、あなたが人間やめることを認めるわ」
霊夢は信じられないといった表情で紫を見ると、次の瞬間には紫に抱きついて泣いていた。
「ごめん……ごめんね、紫ぃ……!」
そんな霊夢を、紫は優しく抱きとめていた。
「いいのよ、霊夢。思えば、あなたには辛い役目ばかり押し付けていたから。ただ一度のあなたの我儘、聞いてあげる」
そして、霊夢が落ち着くのを待って話し合いが始まる。
「ただし、条件がいくつかあるわ。まず、今すぐに人間やめるのは待ちなさい。1,2か月で次の博麗の巫女を私が連れてくる。そして、博麗の巫女の継承の儀を執り行う。それまでは、人間やめてもらっちゃ困るのよ」
それは、幻想郷を守るためには至極当然な条件だ。霊夢は了承する。
「そして、もう一つ。吸血鬼化はダメ」
「ちょっと待て! 私が知った呪法を使えば霊夢が下僕になることは……」
「霊夢が死ぬ可能性が少しでもあるのは認めない」
紫がレミリアを睨む。そのことに対しては思うことがあるので、レミリアは言葉を飲み込んでしまう。
「じゃあ、どうするのよ」
「……私が、人間と妖怪の境界をいじれば、霊夢は妖怪化する」
その言葉に藍以外の皆が驚いた。まさかそんな出鱈目なことができるとは。
「もっとも、かなり繊細な部分をいじるから、一方通行。不可逆よ。二度と人間に戻れないわ。それでもいいの、霊夢?」
紫は静かに霊夢を見つめる。これは最後の意思確認だ。
「覚悟のうえよ」
霊夢はそれに対して力強く頷いた。もはや紫が言うことは何もない。
「分かった、もう私は何も言わない。霊夢、あなたの決断を私は尊重するわ」
また、霊夢は涙を一杯にためて紫に抱きついた。
そんな霊夢をあやすように、紫は霊夢の頭を撫でるのであった。
「はあ……」
霊夢たちと別れ、紫は迷い家で一人酒を飲んでいた。
「紫様……」
藍が主の傍らに付き従い、酒を注ぐ。
「本当は、吸血鬼でなく、紫様自身に言ってほしかったんですよね、人間をやめたいと」
その藍の言葉に紫は目を剥いた。
「紫様も霊夢には自分と同じ長い時を生きてほしかった。でも、立場上それを言い出すことはできなかった」
「藍……」
「どれだけ長い間あなたの式をしているとお思いですか。霊夢に対するあなたの思いは、あなたらしくもなくとても分かりやすいものでした」
「…………」
「吸血鬼にすることを拒んだのは、成功率のこともありますが、それ以上にレミリアと同じ種に霊夢がなることがお嫌だったのでしょう?」
「……まったく、近頃の式は主に対して随分と偉そうな口をきくようになったものね」
「主の教育の賜物です」
「そうね、あなたの言う通りだわ、藍。私、あの吸血鬼に嫉妬していた」
「紫様……」
今度は藍が驚く番だった。紫がこうも感情を出すのは珍しい。
「でもね、霊夢がこれから長い間同じ時間を過ごせるようになるのは本当に嬉しいのよ。たぶん、私だったら霊夢に人間をやめさせる決断なんてさせることはできなかった」
「…………」
「吸血鬼にさせたくなった理由としては、太陽の光を二度と浴びることができなくなるのは可哀想ってこともあったけどね。それにしても、こんな風に一人の人間に肩を入れているようじゃ、賢者失格ね」
「そんなことはありません!」
「藍?」
「紫様は、そうした感情を大事にするからこそ、この幻想郷を守っていくことができているんです。私は、そんな紫様を心から誇りに思います」
紫は微笑むと、藍をそっと抱き締めた。
「私は幸せね。私のことをこうも愛してくれる式を持って」
「そんな……もったいないです、紫様」
「これからもよろしくね、私の藍」
「……はい。この八雲藍、いつまでも紫様と共に――」
そして、長い長い年月が過ぎ去った。
博麗神社には、霊夢より10代以上後の博麗の巫女がいる。
そんな神社で、いつものように大宴会が開かれていた。
その中心にいるのは、今の博麗の巫女を差し置いて、八雲紫の力により妖怪となった博麗霊夢だ。博麗の巫女としての能力を失いはしたものの、それ以上に妖怪化することにより、ただでさえ強力だった霊力が何倍もの力になり妖力へと変換された。今では、本気の鬼や吸血鬼とも渡り合える実力を持っている。
そんな霊夢の周りには、霊夢が人間だったころから知り合いだった妖怪たちがたくさんいる。
他にも、真の魔法使いとなった霧雨魔理沙。現人神となった東風谷早苗。おそらく自分の時間を止めているのか、いつまでもあの頃の姿を保った瀟洒なメイド十六夜咲夜。彼女たちもあの頃と変わらない姿で霊夢と楽しく話をしている。
もちろん、霊夢の隣には、永遠に幼い紅い月レミリア・スカーレットが陣取っている。霊夢とレミリアはもはやおしどり夫婦とからかうのも空々しいほどの仲の良さだ。
そして、この長い年月で知り合ったたくさんの妖怪や人間たち。
皆が皆、集まって楽しく騒ぐ。
八雲紫は、そんな光景を幸せそうに眺めていた。
自分が理想とする幻想郷の姿がここにある。
その中心にいる眩しいばかりの存在。
(ああ、この平和がいつもでも続きますように――)
(そして、願わくば永遠に同じ道を共に歩まんことを――)
「ねえ、レミリア」
「なに、霊夢?」
「私、幸せよ」
「な、何を唐突に……」
「いつまでも、一緒に歩いていきましょうね」
「……もちろん、いつもでも共に歩みましょう」
※レミリアの両親と吸血鬼の能力について独自設定があります。
博麗霊夢が病気で死にかけた
最近異変らしい異変もなく平和な幻想郷において、それは異変に並ぶ事件であった。
「いやあ、私はただの風邪だと思ってたんだけどねー」
能天気な声で弁解するのは、当の死にかけた本人。
今はまだ、永遠亭にある病室で横になっている。
しばらく前から身体がだるい感じがしていて、5日前に急に発熱をしたのだ。あまり病気と縁のない霊夢は、熱と咳が出るなら風邪だろう、無理をせず横になっていたらしばらくして治ると判断したのだ。
栄養を取るものを食べたいところだが、どうにも熱が高いようで身体が思うように動かない。どうせ毎日のように誰かしら遊びに来るから、そのときに頼んで料理を作ってもらおう。
そう思っていたら、2日前まで誰も来なかった。いつも自分を見張っているのではないかと疑っている紫も、後で聞いたら結界の揺らぎで面倒な箇所があったらしく、藍と共に補修作業に集中していたそうだ。
そして、布団の中で荒い息をつきながらぐったりしている霊夢を、たまたま遊びに来たキスメとヤマメが発見したのだ。病気を操る程度の能力を持つヤマメは、一目で霊夢が危険な状態にあることが分かり、霊夢の身体に巣食う病魔の侵攻を能力を使って止めた。だが、霊夢の消耗が激しいので、キスメに事情を聞いて大慌てで駆けつけた魔理沙により永遠亭の永琳のもとへ行き、今に至る。
「身体がろくに動かなくてさ、正直やばいと思ったわ」
「明るい声で言わないの。肺炎を併発しかけていたから、あと半日発見が遅れていたら本当にやばかったわよ」
呆れた声で永琳は言う。
「弾幕勝負では無敵の霊夢も、病気には勝てなかったわけだ」
「ってことは、病気を操る私が最強!?」
「ヤマメちゃん、たぶんそれは違います……」
「はいはい、一応ここは病室よ、もう少し静かにね」
『はーい』
もう生命の危機が去ったからこそのノリだ。
知らせを受けて皆が駆け付けたときは、それは誰もが心なしか思いつめたような表情になっていたものだ。
霊夢が意識を取り戻してからは、彼女に対する危機感のなさに対する説教がされた。
そして今では、同じような事態が起きないために、ローテーションを決めて毎日誰かしら神社へ霊夢の様子を見に行くという話まで持ち上がっている。まるで、独居老人のような扱いだ。
それもこれも、博麗霊夢が博麗の巫女という幻想郷の要である以上に、彼女自身が皆から愛されているからだ。
皆が今後のことを話し合っている中、レミリア・スカーレットは一人まだ青い顔をしていた。従者である十六夜咲夜の気遣いの声も右耳から左耳へ通り抜けていく。
彼女は、ある当然の事実を改めて突き付けられたのだ。
――博麗霊夢は人間で、いつ死んでもおかしくない――
その言葉が心の中にリフレインされ、レミリアの心の奥に澱のようにたまっていくのであった。
「私がこれしきのことで死ぬわけないじゃない!」
そんな霊夢の明るい声が響いてくるが、どこか遠い場所から響いてくるように感じられた。
「ねえ、パチェ、ひとつ聞いていいかしら」
その日の夜、紅魔館の大図書館にレミリアは訪れた。周囲に小悪魔や妖精メイドたちがいないことを確認してパチュリーに話しかける。
対するパチュリーは、レミリアの様子がいつもと違うことを不審に思いつつ小さく頷き、読書に夢中になってすっかり冷えた紅茶を思い出したかのように口に含む。
「人間を不老不死、ないし不老長寿にするてっとり早い方法ない?」
紅茶噴くかと思った こらえた私を褒めて あ、でも鼻から少し…… by むきゅ
「な、何を言っているの?」
「質問に質問で返すのはよくないわよ、パチェ」
レミリアの瞳が真剣なことに気づいたパチュリーは居住まいをただす。
「……レミリアなら自前でどうにかできるじゃない」
方法は勿論、吸血による相手の吸血鬼化だ。
「その方法はなるべく使いたくないのよ」
その言葉にパチュリーはため息をつく。
レミリアのその言葉で、レミリアが気まぐれで聞いているわけではなく、誰かに対して実践したいという明確な意思を持っていることが明らかになった。普段のレミリアならば言葉にもそんな隙を見せないのだが。
しかも、今日という日に聞いてくるとは何て分かりやすい……。
「レミィ、あなたが思うようなことをしたら、八雲紫が黙っていないわよ」
「なんであのスキマ妖怪の名前が出てくるのかしら?」
「あなたが言う人間、霊夢のことでしょ」
レミリアは言葉を詰まらせる。これも、彼女らしくない。
「私は博麗大結界のことはよく分からないけど、霊夢本人に劇的な変化が訪れるようなことをしたらまずいんじゃない?」
幻想郷がその存在を保つために必要な博麗大結界。それを管理し、守るのが博麗の巫女の最大の義務であり、博麗の巫女が幻想郷の要と言われる所以である。
「そんなこと知らないわ。私はただ、人間を不老不死か不老長寿にする方法を知りたいだけ」
パチュリーは再度ため息をつく。
こうなったレミリアには何を言っても無駄だ。
「なんで吸血はダメなの?」
レミリアはその言葉に顔を背ける。
しかし、じっと自分を見続けるパチュリーの視線に耐えかね、両人差し指の先をくっつけながらしぶしぶ答える。
「だって、吸血は相手を下僕にしてしまう。そんな霊夢、見たくない」
霊夢という名前を出すということは、レミリアはもう何も隠すつもりはない。
そう判断したパチュリーは三度目のため息をついて、親友の相談に乗ることにしたのであった。
「案1。霊夢に仙人になってもらう」
仙人とは、修行により超人的な能力を身につけたちょっと変わった人間のことである。その大半が外見は老人だが、ほとんど何も食べないで生きていくことができ、長い寿命も持っている。
「あれってどうやってなるものなの?」
「毎日真言を何万回も唱えたり、己の欲をコントロールし、気の巡りを充実させる修行を何百年と……」
「却下。霊夢にできるわけないじゃない。3分で飽きているわよ」
霊夢が熱心に修行をしている姿は、美鈴が毎日門番の仕事を100%こなす姿以上に想像できない。
「ごもっとも」
「案2。天人になってもらう」
「あの自己中娘と同じ種族ってのが気になるけど、それってどうやったらなれるの?」
自己中って、レミィも人のこと言えないじゃない、とはパチュリーの心の声。
「方法は二つ。一つ目は、仙人がさらに数百年から数千年の修行を……」
「却下。仙人にもなれないわよ。で、もう一つは?」
「死後、成仏した魂が天界に行くことがあるわ。この場合、肉体は持てないけど」
「却下。霊夢の魂が天界行きなんてありえないわ」
「ごもっとも」
「案3。死後、幽霊か亡霊になってもらう」
「どうやって?」
「白玉楼の主に頼むのが一番ね。霊夢がよほど悪いことをしていなければ、死後、必ず霊夢は冥界に行く。そこを捕獲すれば……」
「なるほど……」
「もっと確実な方法は、白玉楼の主の能力で霊夢を殺すこと。その場合、必ずその場で幽霊になるそうよ」
「そ、それはちょっと……」
この紫もやし、物騒なことをなんて平然な顔で言うのかしらとレミリアは戦慄した。そもそも自分が振った話題なのだが。
「ただ、白玉楼の主に幽霊は逆らえない。また、亡霊になった場合、生前の記憶が消えることもある。それをよしとするかどうか」
「却下。次」
「案4。守矢の風祝のように現人神になってもらう」
「あの緑巫女は長い寿命を持っているの?」
それは意外だった。力を多少持っているようだが、霊夢には及ばない。ただの人間とさして変わらないと思っていたが。
「まだね。もっと信仰を集めなければいけないわ」
「信仰?」
「そう、信仰を集めることによって、神と等しい力を持つようになる。英雄と呼ばれた人間が、死後に神へと祀られることがあるけど、神々が現実に顕現している幻想郷においては人間が真の意味で神へとなることもまた可能」
「霊夢が信仰を集められると思う?」
熱弁をふるうパチュリーにツッコミがひとつ。
「ごもっとも」
「案5。魔法使いの修行をさせ、捨虫の魔法を習得させる」
「霊夢に魔法の修行ができるとでも?」
「ごもっとも」
「案6。永遠亭の薬師に蓬莱の薬をわけてもらう。レミィが吸血しないなら、これが一番確実だと思うわ」
「蓬莱の薬……」
その薬については彼女たちから聞いたことがある。真の意味での不老不死を与える呪われた薬だとか。
「確かに、それなら霊夢が霊夢のまま不老不死になれるわね。あいつらも話の分からない相手ではないし、見合った対価は支払わないといけないと思うけど、きっと薬をわけてくれる……」
レミリアは希望を見出したように目を輝かせる。
「ただ、一度飲んだが最後、決して死ぬことの許されない永遠の生を生きねばならなくなるわ。私たちは長命だけど、不死ではない。もし霊夢に蓬莱の薬を与えたら、今のあなたと逆の立場になるわけだけど……」
そのパチュリーの言葉にレミリアは大きく目を見開いた。そして、ガックリと肩を落とす。
「そんなこと……できるわけ……ないじゃない」
今度は、パチュリーが目を見開く。
「あら、驚いた。前のレミィなら、相手の都合なんか考えやしなかったでしょうに」
「パチェも意地が悪いわね。私がこう言うことは分かっていたんじゃないの?」
そのレミリアの言葉を聞いて、パチュリーは微笑んだ。
「ええ。レミィは人間との出会いで確実に変わった。最初は咲夜。そして、霊夢や魔理沙たち。特に、あの紅白の巫女があなたに与えた影響は大きいわ」
「…………」
「前の鋭いナイフみたいなレミィも好きだけど、今のレミィの方が私は好きよ」
その言葉にレミリアは顔を赤くする。
「なによ、今日はやけに雄弁じゃない。持病のぜんそくはどうしたの?」
「今日は調子がいいのよ」
「それこそ調子がいい」
そして、はじける笑い声。
しかし、続くは静寂。
「ねえ、パチェ。他に……方法はない?」
「……私の今の知識では、レミィが求める最善の答えを出すことはできないわ。でも、今すぐ霊夢が死ぬというわけではないし、私も色々と調べてみるから」
「……わかった。ありがとう、パチェ」
そして数日が経ち、晴れて霊夢は退院した。
「お勤め、ご苦労様です」
永遠亭を出る霊夢に、神妙な表情で魔理沙が言う。
「何よ、それ……」
「外の世界では、退院する相手にかけるお決まりの台詞らしいぜ」
「ふうん……」
「本当は快気祝いってことで派手に宴会でもしたいところだが、しばらくは早く寝るようにしろとの薬師様のご命令だ。しっかり守れよ?」
「もう、やめてよ。子供じゃあるまいし」
「というわけで、しっかり霊夢が眠るまで見張るのが私の役目ってわけだ」
それを聞いて霊夢は目を剥く。
「はあ!? 何よ、それ!?」
「言っちゃなんだが、私たちは霊夢の生活面についてはあまり信用していない」
「う……」
「今日は私。そして、明日が妖夢、明後日が鈴仙だったかな?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それっていつまで続くの?」
「少なくとも1週間。霊夢の体力が完全に戻ったと判断されるまでだってよ」
「はあ……」
「よかったら添い寝してやっても……」
魔理沙の脳天に陰陽玉がヒットする。
「なんだ、元気じゃないか、霊夢……」
「おかげさまでね」
そんなやり取りをしながら二人が去った後に、永遠亭に入る人影が一つあった。
『霊夢が寝るのを見張る会』(命名:魔理沙)の4日目担当はレミリアだった。
「あんたがこういうことを引き受けるなんて意外ね……」
少し照れくさそうにそっぽを向くレミリアに、霊夢は彼女には珍しく好意的な笑みを浮かべた。
二人はお茶を飲みながら雑談をする。夕食は、咲夜特製の弁当だ。霊夢は和食がよかったと文句を言いつつも、美味しそうにたいらげていた。
そして、二人の会話が途切れた後、霊夢は本当に何気なく会話を切り出した。
「なんかさ、熱で苦しみながら寝ているときさってさ、すごい不安になるんだよね」
それは、会話というよりも独白に近いものだった。
「いつもは静かな場所が好きなのにさ、そんなときだけ静かなのが怖くてさ。あのときに限って誰も遊びに来ないし、一人ってのを意識しちゃってさ。なんか、がらにもなく弱気になったっていうか」
レミリアは真剣な表情で霊夢の言葉を聞く。
「もしかしたら、私、このまま死んじゃうのかもって。熱が出て3日したころは、もう本当に身体中ガタガタで、身を起こそうにも力が入らないし、声もかすれたような声しか出なくて」
「…………」
「死ぬことが怖いわけじゃないの。人間、死ぬときは死ぬわけだし」
レミリアの顔がわずかに歪んだことに霊夢は気づかなかった。
「ただね、ひょっとしてこのまま一人ぼっちで死ぬんじゃないかと思ったら、途端に怖くなったの。前の私だったらこんなこと思わなかったはずなのに。なんでだろ?」
胸の前でキュッと手を握る霊夢を見て、レミリアの心の中には様々な思いが去来する。
「じゃあ霊夢、私に血を吸われてみない?」
自然に話したつもりだ。だが、その胸は心臓が飛び出しそうなほどドキドキしている。
「私に血を吸われれば、霊夢も吸血鬼。身体は今とは比較にならないほど頑丈になるわ。病気もめったなことではかからなくなるし、寿命も人間よりずっと長くなる」
「でも、レミリアの下僕になるんでしょ? 遠慮しておくわ」
軽く流す霊夢。レミリアの口調に合わせたものだ。
レミリアも笑って流すが、その瞳が寂しげなことに霊夢は気づいただろうか。
「じゃあ霊夢、そろそろ寝ないと」
「まだあまり眠くないけど……仕方ないわね……」
霊夢は布団をしく準備を、レミリアは湯呑などを片付ける。
「霊夢、永遠亭の薬師によく眠れる薬をもらったんだけど、いる?」
「あら、レミリアにしては気が利くじゃない。ありがたくいただくわ」
レミリアは若干暗い表情で、霊夢にその薬と水の入った湯呑を手渡した。
――3日前。
「胡蝶夢丸ナイトメアで見る悪夢の内容をこちらで自由にできたりする?」
永琳を訪ねたレミリアは、単刀直入にそう切り出した。
それを聞いた永琳は小さく笑う。
「あら、てっきり蓬莱の薬をわけてくれとでも言ってくると思ったけど」
レミリアは思わず息を呑んだ。
「また絡め手で攻めようとしているわね。それが吸血鬼流?」
「く……そんなことはどうでもいい。私は、薬師であるあなたに対して、薬の改良をできるかどうか聞いているだけ」
永琳は意地の悪い笑みを浮かべるが、次には真面目な表情になる。
「ある程度は可能よ。見せたい夢のイメージを魔力で投影するようにはできるわ。ただし、悪夢というのは、夢を見る本人にとって何かしらのトラウマがある場合見やすいの。胡蝶夢丸ナイトメアは服用者の無意識に働きかけて、微妙なストレスを与えつつ悪夢の土台となるトラウマを心の表層に誘導することによって……」
「ストップ! 要は、相手が持つトラウマのイメージならば意図的に見せることもできるというわけね」
話を遮られた永琳は不満そうな表情を浮かべたが、レミリアの言葉に頷いた。
「老婆心ながら忠告するけど、焦ってもいいことないわよ」
「そんなことは分かっている。でも、私たちの時間に比べて、あの子の時間はあまりにも短いの……!」
霊夢はレミリアからもらった薬を飲むと、ほどなくして眠りについていた。
レミリアは、眠りについた霊夢をじっと見守る。
さっき聞いた話。
一人ぼっちで死ぬことに対する思いもよらない霊夢の恐怖。卑怯だと思ったが、それを利用することにした。
そんな悪夢を見たら、もしかしたら霊夢は考えを変えるかもしれない。自分の短い寿命に対して何かの対策を取ろうとするかもしれない。霊夢自身に寿命をのばす意思がなければどうしようもないのだ。
そうしたら、紅魔館の総力を結集して、霊夢が納得する寿命をのばす方法を見つけ出そう。
このレミリア・スカーレットに不可能はない。
そんな決意をかためていたら、寝ている霊夢の様子がおかしいことに気がついた。
もう退散しようと思っていたのだが、せっかくだから悪夢を見る霊夢の様子を少し見ていくことにするか。きっと可愛く悶えてくれるに違いない。
霊夢は暗い場所に一人立っていた。
周囲には明るい色をした景色がいくつも浮かぶ。そこには見知った友人たちが楽しそうに宴会をしている。
しかし、その場に霊夢だけがいない。
なぜなら、霊夢は暗い場所にただ一人立ちつくし、動けずにいたからだ。
(ちょっと……なによ……これ……!)
声をかけようにも声が出ない。
その場所へ行こうにも足が前に出ない。
ただただ、一人きりで周囲の楽しそうな風景を見ているだけだ。
あの温かい場所に私も行きたい。私も混ざりたい。こんな一人きりの暗い場所は嫌だ。
手が動くようになった。
霊夢は喜ぶ。手を振れば、あの温かい風景に触れれば、きっと気づいてくれる。
手を伸ばすと、目の前で自分の手が痩せこけていき、しわくちゃになり、骨になり、そのまま下へと崩れ落ちる。
(ひ……!?)
そして気づくのだ。自分の姿がすでに人のそれでなく、骨だけになっていることを。
(いやあああああああああああ!?)
それでも、なぜか視界だけははっきりしている。そして、容赦なく視界に目の前の風景が飛び込んでくる。
霊夢の親しい知り合いは妖怪が多い。自分よりもはるかに長い寿命の持ち主たちだ。
霊夢が死んだ後も、彼らは今と同じ姿のまま生き続けていく。よく見ると、魔理沙もその中にいる。おそらく、真の意味で魔法使いになったのだろう。
そんな霊夢に彼らの宴会での話題が飛び込んでくる。そこには霊夢の話題はどこにも出てこない。
だが、ついに霊夢に関する話題が出る。
「そういえば、何代か前の博麗の巫女で、赤いリボンをしていた巫女がいたような気がするんだけどさ」
(私よ、私! 博麗霊夢!)
「名前忘れちゃったんだよねー。誰か、覚えてる?」
(萃香! この薄情者!!)
そこに姿を現したのは、白黒の魔法使い。
(魔理沙、言ってやりなさいよ! この私の名前を!)
「あれ、そんな奴いたっけ? 先代も先々代もそんな派手なリボンなんてしてなかったぜ」
瞬間、霊夢の中で何かが壊れた。
(ああああああああああああああ……)
(ああああああああああああああああああああああああああああ……)
(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!)
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 ひどく苦しんでいた霊夢が突然絶叫をあげたので、レミリアは思わずビクリと飛び上がった。
だが、次の瞬間には、尋常な様子ではない霊夢を見て慌てて霊夢に駆け寄る。
「霊夢! 霊夢!?」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 霊夢は半ば痙攣を起こしていた。ガチガチと歯が噛み鳴らされてもいる。
このままでは舌を噛んでしまうかもしれないと思ったレミリアは、咄嗟に己の右手を霊夢の口に突っ込む。
次の瞬間、思い切り噛み付かれ、小さく悲鳴を漏らす。わざと噛み付かれている部分の強度を弱めているのだ。戦闘時の状態だと、ヘタをすると霊夢の歯が折れてしまう。
「霊夢! 霊夢! 落ち着いて!!」
必死で霊夢に呼びかける。左手で霊夢を強く抱きしめ、少しでも安心させようともしている。
(私は……なんてことを……!)
まさか、ここまで悪夢が霊夢を苦しめるとは思ってもいなかった。
自分の思慮のなさに呆れてしまう。霊夢を苦しめたくなどなかったのに。
やがて、霊夢は悪夢から目覚める。
しばらく何が起こったか分からない表情で周囲を見回すが、レミリアが自分を抱きとめてくれていることに気づくと、そのままレミリアに抱きついて泣き出した。
レミリアが見たことのない霊夢だった。まさか、霊夢が大声を出して泣くなんて夢にも思わなかった。
肩を大きく震わせて、しゃくりあげるように泣いている。叫んでいる言葉も意味不明だ。
その間、レミリアはずっと罪悪感で押しつぶされそうになっていた。
霊夢が落ち着くのを待って、レミリアは温かいお湯を入れて霊夢に手渡す。
先ほど思い切り取り乱していた霊夢は、照れ臭そうにそれを受け取ると、黙ってお湯を飲んだ。
これで帰ればいい。
これで帰れば、霊夢は自分に感謝する。そして、さっきの悪夢が霊夢に与える影響があるだろう。
全て思惑通りではないか。
しかし。
先ほどの霊夢の取り乱しぶりを見てしまったレミリアは、真実を言わないでいられるわけがなかった。
「霊夢、ごめんなさい……」
「どうしたの、いきなり」
「さっきあなたが見た悪夢、私のせいなの」
霊夢の笑顔が凍りついた。
「それ……どういう意味?」
「私があげた薬、確かに眠る状態になるのを早める効果はあるけど、悪夢を見せるための薬。新聞でも取り上げられたことのある、永遠亭薬師の特製品」
「…………」
「そして、霊夢に飲ませたものは、夢の内容もこちらである程度指定できる特……」
最後まで言いきることができなかった。
霊夢が湯呑を力任せにレミリアに投げつけたのだ。レミリアに当たり、湯呑は砕け散り、熱い湯がレミリアに降り注ぐ。
もちろん、吸血鬼のレミリアはこれぐらいのことで傷一つつかない。
しかし、その心には深い傷が与えられた。
「ふざけないでよ!! 何よそれ!?」
「ごめんなさい……」
「床にふせっていたときの私の話を聞いて、まさかそれを利用したの!?」
「ごめんなさい……」
「何でよ! ……! まさか、レミリア、あなた、私をただ笑い物にしたいだけじゃ……」
「それは違う! 私は霊夢の……! 霊夢のために……!」
「冗談言わないで!! 何が私のためよ!! わけわからない!!」
「こうでもしないと! 霊夢は人間をやめようと思わないでしょ!!」
そのレミリアの叫びに、霊夢は目を見開いた。
「私は! ただ! 霊夢に先に死んでほしくないの!! 1分1秒でも私より長く生きてほしいの!!」
「どういうことよ……」
「霊夢は人間で! 私は吸血鬼! どうあがいても霊夢は私より先に死んじゃうのよ! 霊夢が死んだときのことを考えると、私、もう、どうしていいか分からなくなる!!」
誇り高き吸血鬼の吐露。
それは、高ぶっていた霊夢の感情を鎮めるのには十分だった。
「何よ……馬鹿みたい……」
暗闇の中、二人の少女の荒い息づかいだけが響く。
沈黙を破ったのは霊夢だ。
「どうしてくれるのよ、レミリア。私、死ぬことに対して心から恐怖を感じちゃったのよ……もう前には戻れない……」
霊夢はボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「あんな想い、もう嫌。死んだ後だから関係ないなんて言えない……。死ぬのが……怖い……」
そして、霊夢はレミリアの手を取る。
「あなたに血を吸われたら、私のこの恐怖、なくなるのかな……」
「ちょっと、霊夢、何を……」
霊夢は寝間着の首元をグイと露出させる。
白く細い美しい喉元が露出し、レミリアは思わず息を呑んでいた。
「ねえ、血を吸われるのって痛い?」
「吸う者のさじ加減次第。痛くも気持ち良くもできるわ」
「よかった。痛いのは嫌いだから」
「霊夢、自分が何を言っているか分かっているの?」
「だって、レミリア、こうしたかったんじゃないの?」
「そうだけど、そうじゃないの! 霊夢は今のままだから霊夢であって、私が一緒にいたい霊夢は……!」
レミリアは何かに耐えるように首を横にふると、その場から逃げ去った。
「レミリア! ひどいよ! 私のこの気持ち、どうすればいいのよ!!」
悲痛な霊夢の叫びが耳にはいらないように耳を強く手で押さえながら、レミリアは博麗神社から逃げ出していた。
レミリアの目からは涙が溢れていた。
どうしようもないぐらい悲しかった。
自分の情けなさ、弱さがどうしようもなく憎かった。
一方で、霊夢も感情の大きな揺らぎに泣いていた。
そんな霊夢のいる部屋の天井近くで、ほんのわずかな空間の隙間が開いていた。
その隙間からは、黄金色に輝く切れ長の瞳だけが見えていた。
それから、レミリア・スカーレットは博麗神社に訪れずにいた。
霊夢に刻み込んでしまった、死への恐怖。それに対する悔恨の念が繰り返し襲ってくる。
もしかしたら、霊夢は以前のように笑えないのではないか。
そして、おそらく霊夢は二度と自分に話しかけてこない。
そんなことを思うと、絶望的な気分になってしまう。
咲夜やパチュリーなどの紅魔館の面々は、そんなレミリアの様子を見てなんとかして元気づけようとするのだが、どれもうまくいかなかった。
鬱々とした気持ちで日々を過ごすレミリア。
悪魔の住む館と言われ恐れられている紅魔館だが、実は意外に皆が楽しく暮らしている。
しかし、今の紅魔館は悪魔が住まう館という二つ名が似合う、どんよりとした陰惨な雰囲気を放っていた。
そして、無為に時を過ごしながら日は過ぎていく。
満月の夜だというのに、レミリアの気分は晴れないでいた。
なぜこんなにも苦しいのだろう。
500年生きてきて、こんな想いを感じたのは初めてのことだ。
自分は何でもできると思っていた時期もあったが、こんなにも自分が無力であると感じる日が来るとは思わなかった。
どうすればいいのだろう。
「私はどうすればいいのですか――」
その後に続く言葉を呟きかけたとき、数百年前の記憶が蘇る。
レミリアは紅魔館のある一室へと走って行った。紅魔館が完成したその日以来一度も訪れることがなかった部屋だ。鍵を使ってゆっくりとドアを開く。
「……変わってない」
ただ一度この部屋に来たときと配置はほとんど変わっていない。しかし、咲夜がほぼ毎日掃除をしているため、まったく埃っぽくはない。
そこには、数多くの衣装や調度品、机に食器類などが混然と置かれている。
そして、部屋の奥には若い美しい男女の肖像画が描かれている。
その男女は吸血鬼で、二人の傍には青っぽい銀色の髪をした小さな吸血鬼の少女が立っている。女性の吸血鬼がその手に抱いているのは、金髪の吸血鬼の赤子だ。
「お久しぶりです、お父様、お母様――」
ここは、レミリアの両親の遺品をしまっている部屋だ。
在りし日を思い出してしまうのは未熟の証。そう考えていたレミリアは、この部屋に来ることを避けていた。
しかし、レミリアは思い出していた。
フランドールを産んでから日に日に体調を崩していく母が、幼き自分にプレゼントだと渡してくれたものを。
――レミリア、あなたが大きくなったとき、きっととっても悩む日が来ると思うわ。だって、私の子だもの。お父様が教えてくれるといいんだけど、あの人はちょっと抜けたところがあるから忘れてしまうかも。だから、あなたが大きくなったとき、この本を手に取ってみてね。きっと、役に立つから……。
幼い日の自分は、それがまるで遺言みたいに感じられて、泣きながら受け取るのを拒否した気がする。
それから間もなくして母が亡くなり、レミリアはその本を初めて手に取った。しかし、魔力による封印がかけられていて、幼い日のレミリアには封印を解くことができなかった。時が過ぎ、幻想郷に来たとき、再びその本を手に取る機会があったが、そのときは悩みごとなどまるでなかった。これから幻想郷を支配する戦いへと向かう自分にとって、感傷など足かせ以外の何物でもなかったのだ。
そして今日。
レミリアは母から託された本の封印を解く。
ドキドキしながら開けた最初のページには、「意中の男の子と知り合いになる方法」と書かれていた。
「……は?」
思わず間抜けな声をあげてしまう。
気を取り直して中身を読んでみる。
――まず、意中のあの男の子にぶつかりましょう。十字路などの出会い頭がいいでしょうね。そして、そのときに必ず落し物をすること。また、その落し物に自分の手掛かりとなる情報を必ず記しておくこと。ちなみに、私は自分が住んでいる館までの道順が懇切丁寧に刺繍されているハンカチを落としたの。これで知り合ったのが、今のお父様よ。
そんなこと、知りたくなかったです、お母様。
その後、「意中の男の子と仲良くなる方法」、「デート中、突然の腹痛が! その時どうする!?」、「確実に早起きする方法」、などなど随分と俗っぽい内容が続く。母親に対する幻想が壊れかけていたそのとき、ページをめくるレミリアの指が止まる。
「意中の彼が人間だった場合、共に長き時を生きる方法」
そこには、レミリアが求めるものが書かれていた。通常は、失血死するまで相手の血を吸うことで相手を吸血鬼化させることができる(もっとも、レミリアは小食なのでこれまで一人も吸血鬼化させたことはないが)。この場合、吸血鬼となった人間は吸った吸血鬼の下僕となる。ある程度の自由意思はあるものの、根源的なところで主である吸血鬼に逆らえなくなる。それではダメだ。
しかし、母親が残した方法は、そうした精神的支配をせずに吸血鬼化させる方法であった。これは、吸血鬼が対等と認める相手にのみ施す呪法だという。主に配偶者と定めた相手に対して行うことが多いらしい。
――ちなみに、お父様は元人間よ。
なんですと!?
また衝撃的な告白が。
そのことに対する感慨は別の機会に取っておくとして、今は母が残した呪法についてだ。
方法自体は多少手間がかかるものの難しくはない。何度も読み返し一字一句暗記した後、レミリアははやる気持ちを抑えながら博麗神社へ向けて飛び立った。
そのレミリアを、たまたま図書館を出て廊下を歩いていたパチュリーは目撃していた。
「レミィ?」
胸騒ぎがしたパチュリーは、急いでレミリアが飛び立った場所へと移動する。
そこには、1冊の本が開かれた状態で置かれていて、パチュリーはその内容に目を通すのであった。
霊夢は、縁側で静かに満月を見ていた。
こんな満月の夜は、どうしても紅霧異変を思い出してしまう。
あの紅い満月をバックに、あの吸血鬼は傲岸不遜な表情で偉そうに腕組みをしていたものだ。
あれから大した月日は経っていないのに、もう随分と長い時間が経ったように思える。あの日以来レミリアが神社を訪れていないからなおさらのことだ。
「……!」
そのように霊夢がレミリアのことを考えていると、その紅い満月に小さな影が見え始めた。
その影は見る見るうちに近づいてくる。
もう二度と顔を見たくないと思ったほど怒りを感じていた。
しかし、しばらくぶりにその顔を見ると、その場から立ち去ろうとした決意はたちまちのうちに萎えてしまう。
ただ、立ち上がってレミリアが目の前に降り立つのを待つだけしかできなかった。
「霊夢、私と同じ吸血鬼になりましょう」
開口一番、レミリアはそれだけ言った。
言いたいことは山ほどある。だが、そのどれも口にしてしまうと感情的になってうまく言えそうにない。
そのレミリアの言葉に、霊夢も山ほど言いたいことがあるのを抑えて、レミリアと向かい合う。
「何よ、今更。あなたの方から断わったことでしょ?」
「新しい方法を見つけたの。私のお母様がお父様を吸血鬼にした方法……」
その言葉に霊夢は眉を動かした。レミリアが両親について語るのは初めてだ。しかも、今の話からするに、父は元は吸血鬼ではなかったようだ。
「私のお父様は元人間だったそうよ」
「……!?」
「お母様はお父様と同じ時を生きたかった。でも、ただ吸血するだけでは、お父様は下僕になってしまう。それをよしとしなかったお母様は、吸血鬼が生涯で一度だけ使える呪法を試みた」
レミリアはゆっくりと霊夢へと近づく。
「相手の血を死なない程度に吸い、それから自らの血を与える。それを1週間続けると、相手は精神を支配されないまま吸血鬼になるわ」
「…………」
「ただし、リスクもある。この1週間、吸血鬼の強い血が体内に入ることによってとても苦しむわ。さらに、そのまま死に至ることも決して少なくない」
「……苦しむのは嫌だな」
「私がずっと傍にいる」
「……もし、失敗したら?」
「そんなことを気にするなんて霊夢らしくない。大丈夫、必ず成功させる」
それから、一つ息をつくと、レミリアは霊夢の瞳を正面からとらえた。
「もし霊夢が死ぬようなことがあれば、私も後を追う」
「ちょ……!?」
霊夢は目を見開いた。まさか、この吸血鬼化らそんな台詞が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。
「私は本気よ、霊夢」
紅い瞳がまっすぐ霊夢の瞳をとらえる。
しばらく二人は無言で見つめ合っていた。
「レミリア、あなたの言葉、信じていいの?」
「レミリア・スカーレットに二言はない」
霊夢の瞳が揺らぐ。
そして、しばらく無言で黙り込む。レミリアは、その間、静かに霊夢の言葉を待っていた。霊夢の決断を受け入れるために。
「……分かった、レミリアを信じる」
「……霊夢!」
その言葉を聞いた瞬間、レミリアの瞳から涙が流れる。霊夢が自分を信じてくれたことが何よりも嬉しいのだ。
「じゃあ、早速準備をするわ。今すぐにでも取り掛かりましょう。霊夢、一緒に紅魔館に来てくれる?」
「ちょ、ちょっと突然すぎない?」
「……ごめんなさい、この呪法、星の位置に大きく影響を受けるの。遅くても明日の夜から始めないと、数か月待たないといけなくなる。……もちろん、その時でもかまわないけど」
上目遣いで霊夢を見るレミリアに、霊夢は小さく微笑んだ。
「ううん、決心が鈍るのが嫌だから。今日からでいい」
「それは許されないわ」
突如夜の闇に凛とした声が響き渡る。
「やはり、来たわね……」
レミリアはこの事態を予測していたのか、慌てずに声がする方向を睨む。
そこには、隙間から姿を現した八雲紫が静かに立っていた。
だが、そこにはいつもの胡散臭げな笑みはない。膨大な妖力がその身からは吹き荒れ、瞳は黄金色に輝きレミリアを睨みつける。
「博麗の巫女は幻想郷を守る要。一人の妖怪のエゴでどうこうしていい存在じゃないの」
その紫の言葉に、レミリアも自らの力を解放する。瞳は満月よりも紅く輝き、その身から禍々しい妖気が溢れ出る。
「ふん、私はスカーレット家当主。欲しいものは自らの手で掴み取るだけのこと」
「愚かな、あなたはもう少し賢いと思っていたのだけれど」
「是非もなし」
二人に緊張が高まる。
「ちょっと! レミリアも紫も何やってるのよ!」
「それはこちらの台詞よ」
紫が冷たい表情で霊夢を見る。
「あなたはまだ博麗の巫女としての自覚が足りない。事は幻想郷すべてに関わること。あなた一人の問題ではないのよ。この吸血鬼を片付けてから、みっちり説教するから覚悟しておきなさい」
「片付けるって……もちろん、スペルカードルールよね?」
その霊夢の声は小さい。二人の様子を見る限り、霊夢が見たことのないほどの膨大な妖力を解放している。二人の本気がこれほどのものとは正直想像もしていなかった。
「霊夢、離れていなさい」
「これは妖怪の死合いよ」
それはどちらの台詞であったか。
「く……!」
霊夢も戦闘準備をする。急な展開に頭の中はグチャグチャだが、何もしないではいられない。
しかし――
「霊夢、邪魔をさせるわけにはいかない」
紫の式である藍が霊夢を後ろから取り押さえる。
「ちょっと! 離しなさいよ!」
油断していた自分を責める。
「ならば、暴れるな。そのぐらい分からないわけではあるまい」
悔しそうに藍を睨むが、藍に隙はない。
手をあげて抵抗の意思がないことを表明すると、レミリアと紫から十分な距離を取る。その表情は、いつもの暢気なものとはかけ離れた、とても無力な少女のような表情であった。
霊夢が安全圏に退避したことを確認されると、二人の怪物の戦いが始まった。
レミリアの周囲に無数の隙間が開き、そこから銀色に輝く無数の剣が出現する。
紫が手を振りおろすと、その無数の剣がレミリアに突き刺さる。スペルカードで咲夜がナイフで似たようなことをするが、それには必ず避けることのできる空間が用意されていた。しかし、今の攻撃にはレミリアが避けられるような空間など存在していなかった。
声にならない悲鳴をあげる霊夢。
しかし、聞こえてくるはレミリアの笑い声。
「笑わせる。あのときはこれで多少の怪我はしたが……」
レミリアの身体が一瞬霧になったかと思うと、少し離れた場所で再び実体を取る。レミリアに突き刺さっていたはずの剣は、その全てが刀身から徐々に錆びていって使い物にならなくなっていた。
「まさか同じ手が二度通じるとでも?」
バカにしたように言うと、レミリアは右手を天に掲げる。そこには、数十本の赤く輝く槍が現れていた。
「これが本気のスピア・ザ・グングニルだ!」
一斉に投げつけられる赤い槍は、地面に突き刺さると同時に大きな爆発をする。
それが大きな土煙を巻き起こしている中、レミリアは自らの周囲に全神経を集中させる。
刹那、レミリアの背後に隙間が出現し、紫の手がレミリアを掴みにかかる。別次元へ放り込まれた時点でレミリアの敗北は決定的だ。レミリアは間一髪紫の手を逆に掴み返す。そのまま隙間から引きずり出して地面に叩きつけようとするが、二人の腕力はほぼ互角のようで一瞬膠着状態に陥る。その一瞬の時間に、紫はレミリアの周囲を隙間で囲おうとするが、それよりも早くレミリアは離脱をする。
「なかなかやるわね」
「満月ならば、私は負けはしない」
不敵な笑みを浮かべるレミリア。しかし、旗色が悪いことは把握している。空間を自在に操り、一撃必殺の攻撃方法を持つ反則的な能力を持つ相手だ。身体能力では満月の下ならこちらが上回る。相手の空間移動のタイミングも、これまで積んできた実戦経験と生来の戦闘センスから直感的に判断できる。
だが、決定的な攻撃手段がほとんどない。フランドールの能力ならば、あるいは紫に対抗できるかもしれないが、ないものをねだっても仕方がない。
「く……!」
ならば、できることは一つ。とにかく攻撃をたたみかけ、その攻撃を回避するために隙間を移動して、再び出現したところに決定的な一撃を与える。それしか手段はない。
だが、老獪な紫がそのレミリアの作戦を見抜いていないわけもなく、レミリアを上回る数の攻撃をたたみかけることによって隙を見せない。本気になった紫相手に1対1でここまで善戦するとは紫は思ってもいなかった。
(でも、もうおしまい)
レミリアの動きは把握した。満月下の吸血鬼の身体能力には舌を巻くが、そろそろ終わりにしよう。
「さようなら、レミリア。あなたのことは嫌いではなかったわ」
「何を戯言を……!」
レミリアは罠にかかったことに気づいた。直感的に、空間の歪みに隠された魔力弾の存在に気づいたのだ。その数は2万4千。2万発までは無力化できるが、残り4千発は受けてしまう。1発1発の威力は低くても、それだけくらえば結構なダメージになる。その隙に隙間に落とされたらおしまいだ。
一瞬でそこまで思考する。確定的な敗北。目の前には勝利を確信する八雲紫。
「賢者の石!!」
レミリアが一斉攻撃を受ける瞬間、レミリアの周囲に5色の水晶体が出現し、魔力弾を次々と無力化していく。
「これは……!?」
「そこまでよ!」
そこに現れたのは、動かない大図書館ことパチュリーだった。
「パチェ! どうして!?」
「あら、助けに来たのに随分な言葉ね」
パチュリーが優雅に右腕を天に掲げると、空に無数の銀色に輝く光弾が現れる。
「満月下のサイレントセレナ、とくと味わいなさい!」
そして、パチュリーの号令下、無数の光弾は紫を目指して襲いかかる。それらを隙間を利用してうまく回避するが、満月から無限に生み出される光弾は紫をどこまでも自動追尾する。
「パチュリー様、頑張れ!」
傍らにいる小悪魔は、パチュリーが大きな魔法をかけるための魔法陣を補助的に描いていく役目だ。これにより、パチュリーの魔法に関する負荷が減るだけでなく、発動速度が飛躍的に増すのである。パチュリーの攻撃パターンをしっかりと学んでいるからこそできるサポートだ。
「く……厄介ね!」
「紫様!」
主の危機に気が逸れた一瞬後、藍は違和感に気づいた。先ほどまで監視下に置いておいた霊夢の存在が感じられない。
「油断大敵」
声がした方向を見ると、瀟洒なメイド咲夜が霊夢を抱えている。
「はい、おろすわよ」
「咲夜、ありがとね」
「時間停止能力か……!」
藍は歯噛みする。レミリアあるところに咲夜あり。時間停止能力者のことを考えに入れていなかったのは失策だった。
「しかし、そう何度も時間停止能力を使えるかな!」
「あら、人間相手にはスペルカードルールじゃなくて?」
「事は幻想郷全体に関係する重要事だ。そのようなことを言っていられるか!」
「大賢者の式にしては、少しばかり軽率な発言ね」
「どうとでも言ってくれ!」
狙いを咲夜に絞る。最初は時間停止能力により攻撃を回避されるだろうが、疲労により能力発動が遅れた瞬間を狙って気絶させればよい。人間と妖怪の体力は根本から違うのだから、スペルカードルール下でなければ妖怪側が圧倒的に有利だ。
「すまないな、次は正々堂々戦いたいものだ」
藍が咲夜に狙いを定めた瞬間、朗朗とした声が響き渡る。
「ならば、妖怪がお相手しましょう!」
藍は咄嗟にその場から飛び退く。
次の瞬間には、大音響と共に、先ほどまで藍が立っていた地面に大きな穴があく。
「さっすが! 素晴らしい反応です」
陽気な声をあげて現れたのは、蹴り一つで地面に大穴をあけた美鈴だ。
「紅美鈴か……」
「いいタイミングね、美鈴」
「そりゃあもう。出るタイミングを計ってましたから」
その言葉に咲夜が睨む。
「いやいや、冗談ですって、冗談」
「どうだか……」
軽口もそこそこに、美鈴は咲夜をかばうように、藍と対峙する。それから、腰を低く落として体重をゆっくりと移動させる。
そんな美鈴から放たれる気を見て、藍は慎重に腰を沈める。
「紅魔館門番、紅美鈴、推して参る!」
その宣言と同時に、美鈴は力強く大地を蹴り、一瞬で藍の目の前に踏み込んでいた。
「……縮地か!」
「ふっ!!」
力強い拳が藍に叩きこまれる。藍はその拳を見切り、腕を交差させてガードする。
「残念! これはガードしちゃダメなのですよ!」
突如藍は全身に強い圧迫を感じた。先ほどの美鈴の拳から放たれた気が、ガードした腕をつたい両足に強い重圧をかける。
「足止めか!?」
「これが本命です! ガードしても無駄ですよ!」
一呼吸気を錬る。通常ならば、その隙に藍は攻撃できたはずだが、足を留められたことにより重心移動がうまくできず、攻撃準備がわずかに遅れ、その遅れが致命的になる。
「破!!」
虹色に輝く拳が藍をとらえ、そのまま藍は後ろに吹き飛ぶ。
「ぐっ……なめるな!」
九尾の何本かを地面に勢いよく突き刺してブレーキをかけ、さらに残りの数本が美鈴のもとにまで伸び、襲いかかる。
「うわっ! っと!?」
軽快なステップでそれらをよけると、再び美鈴は腰を低く沈める。
「嫌になりますね。今の、かなり自信があったんですけど」
「格闘戦が得意という話は聞いたことあるが、いやいや、見事なものだ。正直、あなたのことを甘く見ていた」
「少しは見直してくれましたか」
「ああ、もう油断はない」
「油断してくれて全然かまわないんですけどねー」
二人の妖怪は、今度は慎重に間合を詰め合う。
ドゴォォン!
突如響く大音響。
「きゃはははは! お姉様、お待たせ!!」
巨大な炎の剣を振りかざして登場したのは、虹色の羽を持つ吸血鬼、フランドールだ。
「フラン! あなたまで!」
「そこの傘を持ったお姉さんを壊せばいいんでしょ?」
フランドールの紅い瞳が燃え上がる。
「月がこんなにも紅いから! 私のパワーもマキシマムッ!」
微妙に変な口上を叫びながら、レーヴァテインを力任せに振り抜く。
「お嬢ちゃんは夜遊びするのは早くなくて?」
「へっへーん! 吸血鬼は夜遊びしてなんぼでしょ!」
レーヴァテインの軌道こそ予測しやすいが、攻撃の起点のためにだけ開いた隙間があっさり破壊されるのを見て戦慄する。物質の目とやらを使わなくても、力押しでこれほどまでのパワーがあるとは。
(なんて出鱈目! この妹に手加減はできないわね。幸い、攻撃は単調だから姉よりも簡単に……)
「サイレントセレナ!」
「レッドマジック!」
バラバラの方向から攻撃が襲いかかる。そう、今紫が相手しているのは3人の強力な妖怪だ。
「悪いわね、3人がかりで。でも、そうでもしないとあなたの反則的な能力に勝てないわけ」
「パチュリー様! 私も入れて4人ですよ! 4人!」
紫は珍しく焦っていた。満月では相手が悪い。この状況を打破するような大規模な力を行使すると、確実に霊夢と藍を巻き込むことになる。
「紫様ぁ!!」
「おっと、あなたの相手は私ですよ!」
「くっ! しつこいっ!」
「つれないですねえ。私だけを見てくださいよぉ」
主の元へ行こうとする藍を牽制するのが美鈴の役目だ。
「止めなきゃ……」
戦いがさらに狂乱の渦へと発展しそうになるのを見て、霊夢は前へと歩みだした。それに咲夜は仰天する。
「霊夢! もうあれは人間の私たちにはどうにもならないレベルの戦いよ。あなたが巻き込まれたら元も子もないわ」
「でも!」
霊夢は鋭い瞳で睨む。その強い言葉に咲夜は驚く。
「ビックリした、あなたもそんな顔をするのね……」
「だって……レミリアも紫も、もちろん他の紅魔館のみんなも、私にとっては……」
ギュッと拳を握る。
「だから! こんな殺し合いなんて絶対認められないの!! ここは幻想郷よ!! スペルカードを作ったのも、陰惨な殺し合いをなくすのが目的の一つだったのに!! こんなの嫌!! 幻想郷は……」
霊夢はグッとこらえるかのようにためると、
「幻想郷は皆が笑える楽園なのよ!!」
大声で叫んだ。
「博麗結界!!」
その瞬間、戦っている全員の動きが止まった。空間そのものにつなぎとめられ、身動きができないでいる。
「これは……!? 紫様ではない!?」
「これはまた、指先一つ動かせませんねえ。口先は動くのですが」
「やー! 動けないー!」
「むきゅー」
「パ、パチュリー様! 大変です! まったく動けません!」
「これは……霊夢?」
「なんで戦っていない私まで……」
紫をのぞく7人が事態を把握できないでいる中、紫は大きくため息をついた。もうその身体から殺気は出ていない。
「ここにきて、博麗の巫女として成長するなんてねー。幻想郷では博麗の巫女に誰も勝てないのよ」
泣いている霊夢を愛おしそうに見る紫の様子を見て、レミリアも全身から漲らせていた力を鎮める。他の面々も同様だ。
それを感知したのか、彼女たちを縛っていた結界が解かれる。
こうして、幻想郷を揺るがしかねない大規模な戦闘は幕を閉じたのであった。
「紫……」
不機嫌な表情でむくれている紫の前に、霊夢はおずおずと立つ。
「あの……ごめんね」
「霊夢が! あの霊夢が素直に謝ってる!?」
紫は本気で驚いた。そして、そうさせている存在に厳しい視線を送る。それはまさに、娘についた虫を見る父のそれだ。
「はあ……分かったわよ、あなたが人間やめることを認めるわ」
霊夢は信じられないといった表情で紫を見ると、次の瞬間には紫に抱きついて泣いていた。
「ごめん……ごめんね、紫ぃ……!」
そんな霊夢を、紫は優しく抱きとめていた。
「いいのよ、霊夢。思えば、あなたには辛い役目ばかり押し付けていたから。ただ一度のあなたの我儘、聞いてあげる」
そして、霊夢が落ち着くのを待って話し合いが始まる。
「ただし、条件がいくつかあるわ。まず、今すぐに人間やめるのは待ちなさい。1,2か月で次の博麗の巫女を私が連れてくる。そして、博麗の巫女の継承の儀を執り行う。それまでは、人間やめてもらっちゃ困るのよ」
それは、幻想郷を守るためには至極当然な条件だ。霊夢は了承する。
「そして、もう一つ。吸血鬼化はダメ」
「ちょっと待て! 私が知った呪法を使えば霊夢が下僕になることは……」
「霊夢が死ぬ可能性が少しでもあるのは認めない」
紫がレミリアを睨む。そのことに対しては思うことがあるので、レミリアは言葉を飲み込んでしまう。
「じゃあ、どうするのよ」
「……私が、人間と妖怪の境界をいじれば、霊夢は妖怪化する」
その言葉に藍以外の皆が驚いた。まさかそんな出鱈目なことができるとは。
「もっとも、かなり繊細な部分をいじるから、一方通行。不可逆よ。二度と人間に戻れないわ。それでもいいの、霊夢?」
紫は静かに霊夢を見つめる。これは最後の意思確認だ。
「覚悟のうえよ」
霊夢はそれに対して力強く頷いた。もはや紫が言うことは何もない。
「分かった、もう私は何も言わない。霊夢、あなたの決断を私は尊重するわ」
また、霊夢は涙を一杯にためて紫に抱きついた。
そんな霊夢をあやすように、紫は霊夢の頭を撫でるのであった。
「はあ……」
霊夢たちと別れ、紫は迷い家で一人酒を飲んでいた。
「紫様……」
藍が主の傍らに付き従い、酒を注ぐ。
「本当は、吸血鬼でなく、紫様自身に言ってほしかったんですよね、人間をやめたいと」
その藍の言葉に紫は目を剥いた。
「紫様も霊夢には自分と同じ長い時を生きてほしかった。でも、立場上それを言い出すことはできなかった」
「藍……」
「どれだけ長い間あなたの式をしているとお思いですか。霊夢に対するあなたの思いは、あなたらしくもなくとても分かりやすいものでした」
「…………」
「吸血鬼にすることを拒んだのは、成功率のこともありますが、それ以上にレミリアと同じ種に霊夢がなることがお嫌だったのでしょう?」
「……まったく、近頃の式は主に対して随分と偉そうな口をきくようになったものね」
「主の教育の賜物です」
「そうね、あなたの言う通りだわ、藍。私、あの吸血鬼に嫉妬していた」
「紫様……」
今度は藍が驚く番だった。紫がこうも感情を出すのは珍しい。
「でもね、霊夢がこれから長い間同じ時間を過ごせるようになるのは本当に嬉しいのよ。たぶん、私だったら霊夢に人間をやめさせる決断なんてさせることはできなかった」
「…………」
「吸血鬼にさせたくなった理由としては、太陽の光を二度と浴びることができなくなるのは可哀想ってこともあったけどね。それにしても、こんな風に一人の人間に肩を入れているようじゃ、賢者失格ね」
「そんなことはありません!」
「藍?」
「紫様は、そうした感情を大事にするからこそ、この幻想郷を守っていくことができているんです。私は、そんな紫様を心から誇りに思います」
紫は微笑むと、藍をそっと抱き締めた。
「私は幸せね。私のことをこうも愛してくれる式を持って」
「そんな……もったいないです、紫様」
「これからもよろしくね、私の藍」
「……はい。この八雲藍、いつまでも紫様と共に――」
そして、長い長い年月が過ぎ去った。
博麗神社には、霊夢より10代以上後の博麗の巫女がいる。
そんな神社で、いつものように大宴会が開かれていた。
その中心にいるのは、今の博麗の巫女を差し置いて、八雲紫の力により妖怪となった博麗霊夢だ。博麗の巫女としての能力を失いはしたものの、それ以上に妖怪化することにより、ただでさえ強力だった霊力が何倍もの力になり妖力へと変換された。今では、本気の鬼や吸血鬼とも渡り合える実力を持っている。
そんな霊夢の周りには、霊夢が人間だったころから知り合いだった妖怪たちがたくさんいる。
他にも、真の魔法使いとなった霧雨魔理沙。現人神となった東風谷早苗。おそらく自分の時間を止めているのか、いつまでもあの頃の姿を保った瀟洒なメイド十六夜咲夜。彼女たちもあの頃と変わらない姿で霊夢と楽しく話をしている。
もちろん、霊夢の隣には、永遠に幼い紅い月レミリア・スカーレットが陣取っている。霊夢とレミリアはもはやおしどり夫婦とからかうのも空々しいほどの仲の良さだ。
そして、この長い年月で知り合ったたくさんの妖怪や人間たち。
皆が皆、集まって楽しく騒ぐ。
八雲紫は、そんな光景を幸せそうに眺めていた。
自分が理想とする幻想郷の姿がここにある。
その中心にいる眩しいばかりの存在。
(ああ、この平和がいつもでも続きますように――)
(そして、願わくば永遠に同じ道を共に歩まんことを――)
「ねえ、レミリア」
「なに、霊夢?」
「私、幸せよ」
「な、何を唐突に……」
「いつまでも、一緒に歩いていきましょうね」
「……もちろん、いつもでも共に歩みましょう」
ひとつの可能性としてこの結果もまたあると思います
けど霊夢の心理状況を鑑みるにまだ説明や流れが弱い気がしました。
そして作品全体がフラットすぎる為にあまり印象に残りませんでした
なので次の作品に期待しています
展開が駆け足すぎてところどころに違和感を感じてしまいました。
でも、テーマがテーマなだけにもう少し話を練って欲しかった。
ベタな気もするけど、気にしない!
もう少し話を練り、書き込めばかなり良くなるかと思いましたねぇ
>>3 >>7 >>14 >>18 >>25
確かに、最後が駆け足になってしまいました。この日までに書かないと、今日までしばらく仕事が忙しくて何も
できないと分かっていたので駆け足気味にしてしまいました。やはり、そういうことはすぐに分かってしまいますね。
>>4 >>13 >>29
ありがとうございます。
>>12 >>22 >>34
ありがとうございます。
ベタでしたが、ハッピーエンドが好きなので、この結末ありきで話を組みたてました。
やはりよく使われるネタなだけあって、新鮮味は感じられませんでしたが、それも仕方の無い事でしょう。
完全に余談ですが、戦闘シーンの展開の仕方はどことなく少年ジャンプを思い出しました。バトル漫画がお好きなのでしょうか?(笑)
バトル漫画は好きです。自分の中では『うしおととら』をイメージしてました。