晴天である。
暑い。まだ、五月も半ばだというのに猛暑すぎる。今日が非番だったのは、運がいい。こんな日に肖戒任務など、干物になってしまう。文様はもっと肉つけろ。
暇を持て余した私は、山の滝壺に来ていた。樹海と山の中心以外では、涼を取ることができる数少ない場所だ。
此処は、河童の住処。と言っても、明確な線引きはない。釣糸を垂らすときに、一言断る程度。上下と言うよりは、単に隣人。よって、熱中症の河童を滝壺に投げ入れることも吝かではないのだ。いや、決していじめているわけではない。写真撮るなそこの烏。
些細な妨害はあったものの、本日も幻想郷は概ね平和である。少なくとも、紅い霧や長い冬や偽の月や鬼の宴や花の涙や山の神や天の戯や地の霊や星の船は見えない。それなりに暇を持て余し、皆が退屈に過ごしていることだろう。かく言う私も、釣糸に何の反応もなく呆としている。
「ざばぁー」
にとりが現れた!
こうげき、つりざお、ペチコーン。
「いったぁ!」
沈みゆくにとり。さらばだ。あなたとの、三日間にもわたる大将棋の激闘を忘れはしない。どうか、安らかに眠れ……。
「ひっどいなぁ! 何するんだよ!」
ちっ。
「舌打ち?!」
そんなわけで、にとり登場。彼女とは、割と親密な付き合いをしている。暇があれば、滝の裏で大将棋。戦績は、五分といったところ。今日も当番であれば、瀑布を肴に一局打っていたかもしれない。これだけの陽気であれば、多少濡れたところで平気なわけだし。
釣糸を垂れてはいるものの、正直な話釣れなくても良かったりするのだ。要は、暇つぶしとか充電とか、そういった類。釣れたら夕飯のおかずが増えるだけだ。
……。
…………。
……………………。
まぁ、滝壺の真ん前じゃ釣れないか。隣を見れば、にとりは謎の箱をいじっていた。覗き込もうとすると、
「見るな! 変態! スケベ!」
だそうだ。意味がわからない。千里眼を使ってやろうか。透視はできないけど。そういえば、文様も書き途中の原稿は見せてくれない。なんなのだろうか。全く分からない世界だ。きっと、特殊な性癖なのだろう。一般天狗の私には、わからない世界だ。さようなら、さようなら。
そのまま、アタリもないまま陽が南に上る頃。にとりが勝鬨の声を上げた。
「できたあぁー!」
おお、謎の物体が完成したようだ。最初は謎にしか感じなかったが、隠されると気になる。一体、何ができたんだい?
「ふっふっふ」
微妙な笑いと共に、振り向くにとり。謎の箱を目につけている。……。なにそれ。ちゅみみーんなんて、微妙な音出して。何か、変なもの出てるんじゃないのか。殺人音波とかそういうの。にとり……下手すれば、パワーバランスが変わる……。巫女が出張ってくるぞ!
「聞いて驚け、これは!」
「そ、それは?!」
「これで、幻想郷の歴史は大きく変わる……その名も……!」
(ゴクリ……)
にとりは、目一杯溜めを作る。
一体、あの黒塗りの箱の正体は何なのか。検討もつかない。宴会か何かで放言した、”えれきてる”とやらか。それとも、山の神が画策した核とやらか。あれは、随分と危険なものだと聞いた。さっきのパワー云々は冗談としても、それが実現していれば幻想郷は……どう変わるんだ?
悩む間に、箱の口が開いて低く唸りだす。
あの丸い穴から、出てくるのか。得体の知れない何かが。そして、その穴は私のほうを向いている。あれ? 危なくない?
「見るがいい!」
名前どうしたの名前。
あんだけ溜めて、名前はどうすんの。結構、重要なところだよそれ。
私の思案をよそに、黒い箱からは涼しい風が吹き始めた。これは、何か準備しているのだろうか? なんとも言えない肩透かし感。あれだけひっぱっておいてこれか。
「どう? すごいでしょ! 太陽の力だけでそよ風が作れるんだよ!」
感極まったとばかりに拳を握り、天を仰ぐにとり。
私には、さっぱりわからない。この箱の、どこに歴史を変える要素があるのか。この前の地底の騒動よりやばいの? 機構はおろか、基礎的な仕組みから説明してくれといいたい。説明されたところで、理解できることもなければ理解する気もないけど。
「やった……やったよおっかさん……」
誰だよ。
泣きながら、箱を押し付けるな。痛い痛い。
「どうだ! どうだ! 新たな幻想郷を作るのは私だ! この河城にとりだ!」
「意味わからんよ!」
ドパーン。
勢いで蹴り飛ばしてしまった。滝つぼに消え行く河童。当然ながら、その瀑布が止まることはない。
……。
さらば、にとり。貴女のことは、天狗の新聞くらいには覚えておこう。うん、よくわからない例えだったね。
ま、大丈夫でしょ。河童だし。せいぜいが、瘤を作って下流に流れ着くくらいだ。諺を体現する、稀有な河童として名を残してもらおう。人里の瓦版にも、なるかもしれないな。
そして、私は釣りを再開する。やはり、瀑布の傍で釣りをするのは無謀なのだろうか。足元には、にとりが遺した黒い箱。未だに涼風を吐き出している。正体は掴めぬまま。ま、団扇の代わりにでもしよう。おお、そう考えると気持ちよい。炎天に近付くこのごろではあるが、これなら少しは堪えられようというもの。うん、にとりはいいモノを遺していったね!
死んでない。
それから、四半刻。
それなりに、釣果は上がった。ヌシとはいかないものの、食い甲斐のありそうな魚が六匹。夕餉には、十分すぎる量だ。久々に、豪勢なでぃなーといこうではないか。……とかいうと、必ず邪魔が入る。川魚は、上等な鮎でもないかぎり塩焼きが定番だ。それ以外に、調理法も知らない。いつか教わりたいものだが、生憎そのような知り合いもいないのだ。天狗とは、げに悲しい一族である。
塩焼きの匂いに釣れる馬鹿どもの分を確保して、自分も満足に食べられる。六匹もあれば十分だ。早速、帰って下ろすとしよう。
私は、竿を掴む。
単にしまい込むつもりであったが、腕に伝わる重みに驚いた。
何だコレは。
激しい動き、耐える重み、そして覗き見た巨大な魚影。見たことも無いが、これが瀑布のヌシか?! それとも、にとりか。それだったら、がっかりだなぁ。胡瓜と味噌をたかろう。この時期のは、よく冷やすと美味いんだ。アレだけでも、飯が食べられる。
糸を切らぬように、慎重にヌシ(仮)との力比べを開始する。要は、相手の動きに合わせて動いて疲れさせれば良いのだ。十分である。
しかも、釣具は天狗の拵え。糸一つをとっても、大岩を釣ろうと切れはしない。刃物でもない限りは、負けはない。力勝負では、魚風情が勝てるわけがない。後は、私自身が竿を放さなければいい。
コツは、それだけ。必要なものは根気。そう言い聞かせ、執拗にヌシを追う。時には引いて、時には力強く引く。その繰り返しの結果、ヌシは徐々に引く力を弱めていく。
跳ねた!
デカイ、私が今まで吊り上げたどの魚よりもデカイ。大人一人分の大きさに、ど派手な鰭が見て取れる。見たこともない種類だ。食べられるだろうか。
魚が跳ねる時は、だいたいが最後のあがき。決着の時も近い。竿を握りなおして、腰を溜める。私の必勝の型だ。さて、どう止めを刺すか。力任せでもいいし、スマートに手繰り寄せてもいい。
ただ、見た感じではちゃんと釣った訳ではない。どこかに引っ掛けた、スレのようだ。妙に手応えがあるのもそれか。どこの平べったい魚かと。あれだけするっとした、細身の魚体であったのに。
やはり、一気に上げることにしよう。両腕に力を込め、力任せに――――!!
「?! っ!」
手に鋭い痛みが走る。それも両手に。思わず竿を放し、大きな影は姿を消す。見送る私の手には、岩を叩いたような痺れが残る。
今の一撃は、何だったのか。噂に聞く「えねるぎー」って奴。それじゃなかったら……えっと、電気ナマズ? 地震も操るとか。すごいな……あとは火事と親父じゃん。恐怖二つ持ちかぁ……。それより、持ってかれた竿どうしよう。
また買えばいい話ではあるが、出費を抑えておきたい今日このご時世なのである。とはいえ、不器用な私が竿を作るとかもっとあり得ない。きっと、歪な枝が出来上がるだけだ。哀しい。
背負った哀しみとともに、魚篭を背負って帰り支度をする。さすがに、瀑布の中に飛び込むような無茶はできなかった。…………あ、こっち流れてきた。僥倖。拾って帰ろう。
よっこらせ。……重い。なにか、底の藻でもひっかけたかな?
せーの。
ザバー。
水の中から生まれたのは、その、何というか。うん。竜宮の使いだ。ちょっと前に見たことがある。
「あ、どうも。助けていただきガバゴボボボボ」
りりーす。
多分、食べられない類の魚だ。危ない危ない。食べたらぽんぽん壊しちゃうね。
「何するのですか!」
ザバァ。
既視感。ずいぶんと最近、こんな絵を見た気がする。だが、今回は事故だと主張する。というか、なんで瀑布に沈んでたのこの妖怪。
「……いい加減、針を外したいのですが」
「あ、失敬」
刀で針を切った。
ザパーン。
「アガボゴボボボ」
「既視感」
今日も騒がしくなりそうな気がする。いや、気がするじゃないか。確定事項。
「そんなわけで、竜宮の使いの永江衣玖です」
「知ってます」
「あれー?」
ちょっと前に、妖怪の山に来てたでしょ貴女。あれだけ派手に雷落として、気づいていないとでも思っていたのか。なんて、おめでたい頭なのだろう。ウチの山もそうだけど、上に上れば上るほどめでたくなるのか。ちょっと賢くなった。
確か、この前の異常気象の時だ。異常なまでの……まぁ、幻想郷全体が異常だったのだが、妖怪の山は突風が吹き荒れていた。竜宮の使い曰く、天狗の気質ゆえにとのこと。そして、それを引き起こしたのは天人だと言う。
え? 別に怒ってなんかいませんよ? ちょっと仕置きしたいだけで。この刀に特に意味もありませんとも、ええ。
ぬ。羽衣で縛るとは、信用していませんね?
「はい」
正直だなぁ。ま、永江さんに怒っても仕方ないし。今度、連れてきてもらおう。うん。大天狗様の拳骨なら、形残るしね。経験上。実体験ではない。実体験は、文様にやってもらう。大丈夫大丈夫。死にはする。
で、永江さんは何故ここにいらしたんですか。また地震ですか。それとも、悪戯な上昇気流でも吹きますか?
「なんで、そんなに敵対的なんですか? チクりますよ?」
誰に?
龍神様? でも、竜宮の使いが来たってことで吉兆になった試しがない気がします。気のせいですか?
「正解」
やっぱり。だから、この警戒姿勢も決して間違ってはいないのです。よろしいですか。
「はい」
話がわかってもらえて、面倒がなくていいです。基本的に、面倒なことは烏天狗の射命丸文にお願いします。早くほどいてください。
……。なんで、より強く縛りますか。
「あまりにもしっくりするので、もうちょっとこのままで」
ほほう。喧嘩を売りたいのですね? 値段によっては買いますよ?
利子とかツケとかは認めないので、そのつもりで。
「もちろん、飽きたら開放しますよ」
どこかのスキマ賢者と似たようなこと言わないでください。不安になるじゃないですか。色々と。
「残念ながら、竜宮はペット禁止なんですよ。しょぼん」
あんた今、本気で落ち込んだな?! ようし、そこへなおれ! この羽衣断ち切ってやる! ……なんだこの羽衣、刃通さない繊維なのか……。
「特別製ですよ。天女の羽衣も目じゃないです」
じゃあ、本体に突き刺してやる!
「えっ。冗談じゃないですよ。こんなところで三枚になるなんて御免です。せめて二枚ですね」
意味理解不能。
問答無用。
ぎゃいのぎゃいの。
「なぜお山の入り口で、刃傷沙汰なんかしとるのだ馬鹿者」
正座である。これ以上ないほどの正座を行って……いや、強制させられている。もうげんかいです。
一方、ペット大好き永江さんは澄ました表情である。慣れているのだろうか。羨ましいことだ。
「聞いてるか?」
聞いてます、聞いてますとも。むしろ、そんな大声で聞こえない方がおかしい。狼の耳には、非常に苦痛です。というか、木の机に正座は厳しいのですが。
あ、聞く耳持たぬ体勢ですね。これ以上口答えすると、文字通りの鉄拳が飛んできます。むしろ、消し飛ぶ。幹部の中でも、特に礼節に厳しい大天狗なのだ。それゆえに、避けられたりもする。
私たちの中では、結構珍しい部類にあたる。一応組織、社会の体裁ではあれどもほとんどが宴会好き。枝葉に行けば行くほど、その傾向は強くなる。
というか、礼節に対して厳しいのは、この大天狗様だけかもしれない。仮にも立派な種族である天狗が、外に取材に出る時に恥ずかしくないように。という理由だった気がする。
確かに、末端に行けば行くほど外に近くなる。私なんかも、外に近いところで哨戒任務をしているわけだし。見張りが荒くれ者では、威厳もあったものじゃない。
烏天狗に至っては、礼節なく取材に行けば……下手をすれば攻撃とも取られかねない。
妖怪の山、武装集団化。
……もしそうなれば、竜宮から本当に使い来るなぁ。規模としては、一番大きい集団だし。武器も能力も頭数も。それを考えれば、こういう上司が居て良かったのだろう。
でも、天魔様は宴会大好き酒大好き。いいのかな。
そういう事情があっても、たまに口うるさいと思う。
「何か言ったか?」
いえ、何も。
……なんで今、考えてることがわかったのだろう。まさか、覚の血でも引いているのか。それとも、修験者から進化してきた天狗なのか。
……ま、大天狗になればそれくらいできるか。盗撮に入った男天狗とか、よく無かったことにされてるし。物理的に。
魚や肉を余裕で食べる今の天狗に、悟りと縁があるわけもなく。むしろ、欲の塊。人間といい勝負をするのでは、ないだろうか。
「あのー、私帰ってもいいですか?」
空気を読め。
あんた、そういった能力持ちだろうに。情報源は、文様。信憑性は五分。
「その生き証人が此処に!」
うるさいなぁ。下ろすよ。
四枚に。
「仲良いな」
どこが!
突然押しかけて、電流流されましたよ! あっちだってそんな顔をして……照れるな!
調子狂う狂う。
「で、使いの方は如何なる用向きで?」
「あ、そうでした。狼と戯れることに夢中になって申し訳ありません」
なんだと!
叩っ斬るぞこの野郎!
「私でも大丈夫かな? それとも、もっと上の天狗がいいか」
「んー、外交担当の方が居ればそちらのほうが」
「わかった」
無視すんな!
がるるるるる。
「はいはい、椛はここでちょっと待ってなさい」
あしらわれた。
落胆する私をよそに、大天狗様の手のひらの上に乗って移動する永江さん。残されたのは、一匹のいたいけな天狗だった。
……最近、こんな展開ばっかりな気がする。天狗の威厳とか、どこへ行きましたか? 探し物はどこですか……。きっと見つからない。風に運ばれて、どこか遠くへ行ってしまった。
今頃、どこを漂っているのだろうか。もしかしたら、最初からなかったのかもしれない。私の理性、今どこにいますか。至急帰ってきてください。
モミジキトクスグカエレ。
迅速に。
……。
…………。
……………………。
何して待とう。
大天狗様の部屋には、驚くほど娯楽がない。執務室だから、当然なんだけど。
しょうがないので、盤無し詰め大将棋をやってみた。大体、五十は解いた頃に大天狗様と永江さんが戻ってきた。長いよ。
「では、そのように」
「了解した」
「そっちはそっちで、いろいろ大変みたいですね」
「お互い様だろうに」
「ですよねー」
すごい仲良くなってる。
もはや、会話の流れが読めないので黄昏てみることにする。執務室の外を、烏が飛んでいく。あれは、化けた天狗か本物か。どっちでもいい。
虫が、空腹を訴えている。夕餉は、釣った魚にしよう。途中、家でワタを抜いてきたから大丈夫のはずだ。ダメになってたら木の実。それもなければ……どうしようかな。
そういえば、待ってろと言われて昼を抜いていた。そりゃあ、腹も減るよね。ああ、胃が締め付けられる。
「では、私はこの辺でお暇しましょう」
「そうか。龍神様によろしく」
「まーあの方も、最近暇そうですけどね」
「だろうな」
「ところで、あの天狗さん持ち帰っていいですか?」
まだ言うか。
「あれでいて優秀だから、持って行っちゃダメだな」
「えー。もうちょっと、懐広く行きましょうよ」
「戦いになるぞ」
「諦めます。また来て愛でます」
「それなら良し」
弱っ。
って、なんで許可出すんですか! 訴えますよ!
「どこに?」
えっ……。えっと……。……里のハクタクの情に……。あと、彼岸の閻魔とか……。
「死ぬ気か?」
可能性として、考慮したくなってきました。前向きに。
私、帰ってもいいですかね。空腹の絶頂にあるのですが。
「拗ねるなよ、椛」
「ほう、名前は椛ちゃんと言うのですね」
ちゃんを付けるな。
「では次回は、彼女だけを目当てに予報を知らせに来ます。竜宮名物の雲酒でも持って」
「ああ、いつでもどうぞ」
来るな! 来るな!
塩撒くぞ! 早苗さん結界張ってください!
「やめろ、貴重品だ」
どれがですか?!
「では、失礼いたします」
「どうもご丁寧に」
二度と来るな!
「失礼だぞ、椛」
なんで怒られたのですか私。何か悪いことしたっけ……。してないよね……連絡がない侵入者を警戒しただけだよね……。
悲しくなってきた。屋台にでも、行ってしまうか……。部下に「最近、老け込みました?」って言われたのも納得してしまいそう。
「ぐっすんおよよって奴ですね!」
意味がわからん。
謎の捨て台詞を残して、去っていった永江さん。これだけ調子を乱されたのは、いつ以来だろう。空気読めるっていうか、絶対読んだ上でからかってる。タチ悪すぎ。
「あー疲れた」
おっと、これは予想外。大天狗様の「疲れた」発言を久々に聞きました。お疲れですか。
「んー、やっぱり外の相手は疲れる。ここだけの話、山頂の神が堅苦しくなくて助かった」
風祝さんは、礼儀正しいですしね。
「そういえば、山頂の神は色々と経験豊富なようだから教えてもらったほうがいいんじゃないか?」
何の経験ですか?
「男」
ぶほぁ。
ななななな一体何の話ですか! むしろ、それは大天狗様に必要なものじゃないのですか!?!!
「私には必要ないよ。所帯持ち」
なんだってー!
ここ最近、最大の衝撃でした。言い寄る男どもの鼻っ柱とか、心とか折ってたのはそのせいですか!
「あれは、趣味」
アンタ男たらしか。
「お? 上司に向かっていい度胸だな。よし、大天狗専用の居酒屋で説教だ」
! しまった、地雷を踏んでしまったようだ。万力のように体を抱えられ、逃げられない。そして、口調とは裏腹にものすごい笑顔。結局、礼節だなんだと言っても酒好きなのだ。
あれ、でも大天狗専用って……
猪口が酒樽よりも、大きかった気がする。
そして、天狗でも余裕で潰す酒度を誇る酒がてんこ盛り。
「さ、行くぞ! 職場の親交を深めるのだ!」
やめてください……。
せめて、ちょっと待ってください。遺書書きます。
家に戻って遺書書いてきますから、連れていかいないでええええ!
その後、なんとなしに執務室を訪れた文は奇妙な落書きを見つけた。机の大きさからすると、小さな傷にしかみえないような単語一つ。
「たすけて」と。
しかし、誰の救難信号かわからなかったため、文は写真に収めてその場を去った。
合掌。
暑い。まだ、五月も半ばだというのに猛暑すぎる。今日が非番だったのは、運がいい。こんな日に肖戒任務など、干物になってしまう。文様はもっと肉つけろ。
暇を持て余した私は、山の滝壺に来ていた。樹海と山の中心以外では、涼を取ることができる数少ない場所だ。
此処は、河童の住処。と言っても、明確な線引きはない。釣糸を垂らすときに、一言断る程度。上下と言うよりは、単に隣人。よって、熱中症の河童を滝壺に投げ入れることも吝かではないのだ。いや、決していじめているわけではない。写真撮るなそこの烏。
些細な妨害はあったものの、本日も幻想郷は概ね平和である。少なくとも、紅い霧や長い冬や偽の月や鬼の宴や花の涙や山の神や天の戯や地の霊や星の船は見えない。それなりに暇を持て余し、皆が退屈に過ごしていることだろう。かく言う私も、釣糸に何の反応もなく呆としている。
「ざばぁー」
にとりが現れた!
こうげき、つりざお、ペチコーン。
「いったぁ!」
沈みゆくにとり。さらばだ。あなたとの、三日間にもわたる大将棋の激闘を忘れはしない。どうか、安らかに眠れ……。
「ひっどいなぁ! 何するんだよ!」
ちっ。
「舌打ち?!」
そんなわけで、にとり登場。彼女とは、割と親密な付き合いをしている。暇があれば、滝の裏で大将棋。戦績は、五分といったところ。今日も当番であれば、瀑布を肴に一局打っていたかもしれない。これだけの陽気であれば、多少濡れたところで平気なわけだし。
釣糸を垂れてはいるものの、正直な話釣れなくても良かったりするのだ。要は、暇つぶしとか充電とか、そういった類。釣れたら夕飯のおかずが増えるだけだ。
……。
…………。
……………………。
まぁ、滝壺の真ん前じゃ釣れないか。隣を見れば、にとりは謎の箱をいじっていた。覗き込もうとすると、
「見るな! 変態! スケベ!」
だそうだ。意味がわからない。千里眼を使ってやろうか。透視はできないけど。そういえば、文様も書き途中の原稿は見せてくれない。なんなのだろうか。全く分からない世界だ。きっと、特殊な性癖なのだろう。一般天狗の私には、わからない世界だ。さようなら、さようなら。
そのまま、アタリもないまま陽が南に上る頃。にとりが勝鬨の声を上げた。
「できたあぁー!」
おお、謎の物体が完成したようだ。最初は謎にしか感じなかったが、隠されると気になる。一体、何ができたんだい?
「ふっふっふ」
微妙な笑いと共に、振り向くにとり。謎の箱を目につけている。……。なにそれ。ちゅみみーんなんて、微妙な音出して。何か、変なもの出てるんじゃないのか。殺人音波とかそういうの。にとり……下手すれば、パワーバランスが変わる……。巫女が出張ってくるぞ!
「聞いて驚け、これは!」
「そ、それは?!」
「これで、幻想郷の歴史は大きく変わる……その名も……!」
(ゴクリ……)
にとりは、目一杯溜めを作る。
一体、あの黒塗りの箱の正体は何なのか。検討もつかない。宴会か何かで放言した、”えれきてる”とやらか。それとも、山の神が画策した核とやらか。あれは、随分と危険なものだと聞いた。さっきのパワー云々は冗談としても、それが実現していれば幻想郷は……どう変わるんだ?
悩む間に、箱の口が開いて低く唸りだす。
あの丸い穴から、出てくるのか。得体の知れない何かが。そして、その穴は私のほうを向いている。あれ? 危なくない?
「見るがいい!」
名前どうしたの名前。
あんだけ溜めて、名前はどうすんの。結構、重要なところだよそれ。
私の思案をよそに、黒い箱からは涼しい風が吹き始めた。これは、何か準備しているのだろうか? なんとも言えない肩透かし感。あれだけひっぱっておいてこれか。
「どう? すごいでしょ! 太陽の力だけでそよ風が作れるんだよ!」
感極まったとばかりに拳を握り、天を仰ぐにとり。
私には、さっぱりわからない。この箱の、どこに歴史を変える要素があるのか。この前の地底の騒動よりやばいの? 機構はおろか、基礎的な仕組みから説明してくれといいたい。説明されたところで、理解できることもなければ理解する気もないけど。
「やった……やったよおっかさん……」
誰だよ。
泣きながら、箱を押し付けるな。痛い痛い。
「どうだ! どうだ! 新たな幻想郷を作るのは私だ! この河城にとりだ!」
「意味わからんよ!」
ドパーン。
勢いで蹴り飛ばしてしまった。滝つぼに消え行く河童。当然ながら、その瀑布が止まることはない。
……。
さらば、にとり。貴女のことは、天狗の新聞くらいには覚えておこう。うん、よくわからない例えだったね。
ま、大丈夫でしょ。河童だし。せいぜいが、瘤を作って下流に流れ着くくらいだ。諺を体現する、稀有な河童として名を残してもらおう。人里の瓦版にも、なるかもしれないな。
そして、私は釣りを再開する。やはり、瀑布の傍で釣りをするのは無謀なのだろうか。足元には、にとりが遺した黒い箱。未だに涼風を吐き出している。正体は掴めぬまま。ま、団扇の代わりにでもしよう。おお、そう考えると気持ちよい。炎天に近付くこのごろではあるが、これなら少しは堪えられようというもの。うん、にとりはいいモノを遺していったね!
死んでない。
それから、四半刻。
それなりに、釣果は上がった。ヌシとはいかないものの、食い甲斐のありそうな魚が六匹。夕餉には、十分すぎる量だ。久々に、豪勢なでぃなーといこうではないか。……とかいうと、必ず邪魔が入る。川魚は、上等な鮎でもないかぎり塩焼きが定番だ。それ以外に、調理法も知らない。いつか教わりたいものだが、生憎そのような知り合いもいないのだ。天狗とは、げに悲しい一族である。
塩焼きの匂いに釣れる馬鹿どもの分を確保して、自分も満足に食べられる。六匹もあれば十分だ。早速、帰って下ろすとしよう。
私は、竿を掴む。
単にしまい込むつもりであったが、腕に伝わる重みに驚いた。
何だコレは。
激しい動き、耐える重み、そして覗き見た巨大な魚影。見たことも無いが、これが瀑布のヌシか?! それとも、にとりか。それだったら、がっかりだなぁ。胡瓜と味噌をたかろう。この時期のは、よく冷やすと美味いんだ。アレだけでも、飯が食べられる。
糸を切らぬように、慎重にヌシ(仮)との力比べを開始する。要は、相手の動きに合わせて動いて疲れさせれば良いのだ。十分である。
しかも、釣具は天狗の拵え。糸一つをとっても、大岩を釣ろうと切れはしない。刃物でもない限りは、負けはない。力勝負では、魚風情が勝てるわけがない。後は、私自身が竿を放さなければいい。
コツは、それだけ。必要なものは根気。そう言い聞かせ、執拗にヌシを追う。時には引いて、時には力強く引く。その繰り返しの結果、ヌシは徐々に引く力を弱めていく。
跳ねた!
デカイ、私が今まで吊り上げたどの魚よりもデカイ。大人一人分の大きさに、ど派手な鰭が見て取れる。見たこともない種類だ。食べられるだろうか。
魚が跳ねる時は、だいたいが最後のあがき。決着の時も近い。竿を握りなおして、腰を溜める。私の必勝の型だ。さて、どう止めを刺すか。力任せでもいいし、スマートに手繰り寄せてもいい。
ただ、見た感じではちゃんと釣った訳ではない。どこかに引っ掛けた、スレのようだ。妙に手応えがあるのもそれか。どこの平べったい魚かと。あれだけするっとした、細身の魚体であったのに。
やはり、一気に上げることにしよう。両腕に力を込め、力任せに――――!!
「?! っ!」
手に鋭い痛みが走る。それも両手に。思わず竿を放し、大きな影は姿を消す。見送る私の手には、岩を叩いたような痺れが残る。
今の一撃は、何だったのか。噂に聞く「えねるぎー」って奴。それじゃなかったら……えっと、電気ナマズ? 地震も操るとか。すごいな……あとは火事と親父じゃん。恐怖二つ持ちかぁ……。それより、持ってかれた竿どうしよう。
また買えばいい話ではあるが、出費を抑えておきたい今日このご時世なのである。とはいえ、不器用な私が竿を作るとかもっとあり得ない。きっと、歪な枝が出来上がるだけだ。哀しい。
背負った哀しみとともに、魚篭を背負って帰り支度をする。さすがに、瀑布の中に飛び込むような無茶はできなかった。…………あ、こっち流れてきた。僥倖。拾って帰ろう。
よっこらせ。……重い。なにか、底の藻でもひっかけたかな?
せーの。
ザバー。
水の中から生まれたのは、その、何というか。うん。竜宮の使いだ。ちょっと前に見たことがある。
「あ、どうも。助けていただきガバゴボボボボ」
りりーす。
多分、食べられない類の魚だ。危ない危ない。食べたらぽんぽん壊しちゃうね。
「何するのですか!」
ザバァ。
既視感。ずいぶんと最近、こんな絵を見た気がする。だが、今回は事故だと主張する。というか、なんで瀑布に沈んでたのこの妖怪。
「……いい加減、針を外したいのですが」
「あ、失敬」
刀で針を切った。
ザパーン。
「アガボゴボボボ」
「既視感」
今日も騒がしくなりそうな気がする。いや、気がするじゃないか。確定事項。
「そんなわけで、竜宮の使いの永江衣玖です」
「知ってます」
「あれー?」
ちょっと前に、妖怪の山に来てたでしょ貴女。あれだけ派手に雷落として、気づいていないとでも思っていたのか。なんて、おめでたい頭なのだろう。ウチの山もそうだけど、上に上れば上るほどめでたくなるのか。ちょっと賢くなった。
確か、この前の異常気象の時だ。異常なまでの……まぁ、幻想郷全体が異常だったのだが、妖怪の山は突風が吹き荒れていた。竜宮の使い曰く、天狗の気質ゆえにとのこと。そして、それを引き起こしたのは天人だと言う。
え? 別に怒ってなんかいませんよ? ちょっと仕置きしたいだけで。この刀に特に意味もありませんとも、ええ。
ぬ。羽衣で縛るとは、信用していませんね?
「はい」
正直だなぁ。ま、永江さんに怒っても仕方ないし。今度、連れてきてもらおう。うん。大天狗様の拳骨なら、形残るしね。経験上。実体験ではない。実体験は、文様にやってもらう。大丈夫大丈夫。死にはする。
で、永江さんは何故ここにいらしたんですか。また地震ですか。それとも、悪戯な上昇気流でも吹きますか?
「なんで、そんなに敵対的なんですか? チクりますよ?」
誰に?
龍神様? でも、竜宮の使いが来たってことで吉兆になった試しがない気がします。気のせいですか?
「正解」
やっぱり。だから、この警戒姿勢も決して間違ってはいないのです。よろしいですか。
「はい」
話がわかってもらえて、面倒がなくていいです。基本的に、面倒なことは烏天狗の射命丸文にお願いします。早くほどいてください。
……。なんで、より強く縛りますか。
「あまりにもしっくりするので、もうちょっとこのままで」
ほほう。喧嘩を売りたいのですね? 値段によっては買いますよ?
利子とかツケとかは認めないので、そのつもりで。
「もちろん、飽きたら開放しますよ」
どこかのスキマ賢者と似たようなこと言わないでください。不安になるじゃないですか。色々と。
「残念ながら、竜宮はペット禁止なんですよ。しょぼん」
あんた今、本気で落ち込んだな?! ようし、そこへなおれ! この羽衣断ち切ってやる! ……なんだこの羽衣、刃通さない繊維なのか……。
「特別製ですよ。天女の羽衣も目じゃないです」
じゃあ、本体に突き刺してやる!
「えっ。冗談じゃないですよ。こんなところで三枚になるなんて御免です。せめて二枚ですね」
意味理解不能。
問答無用。
ぎゃいのぎゃいの。
「なぜお山の入り口で、刃傷沙汰なんかしとるのだ馬鹿者」
正座である。これ以上ないほどの正座を行って……いや、強制させられている。もうげんかいです。
一方、ペット大好き永江さんは澄ました表情である。慣れているのだろうか。羨ましいことだ。
「聞いてるか?」
聞いてます、聞いてますとも。むしろ、そんな大声で聞こえない方がおかしい。狼の耳には、非常に苦痛です。というか、木の机に正座は厳しいのですが。
あ、聞く耳持たぬ体勢ですね。これ以上口答えすると、文字通りの鉄拳が飛んできます。むしろ、消し飛ぶ。幹部の中でも、特に礼節に厳しい大天狗なのだ。それゆえに、避けられたりもする。
私たちの中では、結構珍しい部類にあたる。一応組織、社会の体裁ではあれどもほとんどが宴会好き。枝葉に行けば行くほど、その傾向は強くなる。
というか、礼節に対して厳しいのは、この大天狗様だけかもしれない。仮にも立派な種族である天狗が、外に取材に出る時に恥ずかしくないように。という理由だった気がする。
確かに、末端に行けば行くほど外に近くなる。私なんかも、外に近いところで哨戒任務をしているわけだし。見張りが荒くれ者では、威厳もあったものじゃない。
烏天狗に至っては、礼節なく取材に行けば……下手をすれば攻撃とも取られかねない。
妖怪の山、武装集団化。
……もしそうなれば、竜宮から本当に使い来るなぁ。規模としては、一番大きい集団だし。武器も能力も頭数も。それを考えれば、こういう上司が居て良かったのだろう。
でも、天魔様は宴会大好き酒大好き。いいのかな。
そういう事情があっても、たまに口うるさいと思う。
「何か言ったか?」
いえ、何も。
……なんで今、考えてることがわかったのだろう。まさか、覚の血でも引いているのか。それとも、修験者から進化してきた天狗なのか。
……ま、大天狗になればそれくらいできるか。盗撮に入った男天狗とか、よく無かったことにされてるし。物理的に。
魚や肉を余裕で食べる今の天狗に、悟りと縁があるわけもなく。むしろ、欲の塊。人間といい勝負をするのでは、ないだろうか。
「あのー、私帰ってもいいですか?」
空気を読め。
あんた、そういった能力持ちだろうに。情報源は、文様。信憑性は五分。
「その生き証人が此処に!」
うるさいなぁ。下ろすよ。
四枚に。
「仲良いな」
どこが!
突然押しかけて、電流流されましたよ! あっちだってそんな顔をして……照れるな!
調子狂う狂う。
「で、使いの方は如何なる用向きで?」
「あ、そうでした。狼と戯れることに夢中になって申し訳ありません」
なんだと!
叩っ斬るぞこの野郎!
「私でも大丈夫かな? それとも、もっと上の天狗がいいか」
「んー、外交担当の方が居ればそちらのほうが」
「わかった」
無視すんな!
がるるるるる。
「はいはい、椛はここでちょっと待ってなさい」
あしらわれた。
落胆する私をよそに、大天狗様の手のひらの上に乗って移動する永江さん。残されたのは、一匹のいたいけな天狗だった。
……最近、こんな展開ばっかりな気がする。天狗の威厳とか、どこへ行きましたか? 探し物はどこですか……。きっと見つからない。風に運ばれて、どこか遠くへ行ってしまった。
今頃、どこを漂っているのだろうか。もしかしたら、最初からなかったのかもしれない。私の理性、今どこにいますか。至急帰ってきてください。
モミジキトクスグカエレ。
迅速に。
……。
…………。
……………………。
何して待とう。
大天狗様の部屋には、驚くほど娯楽がない。執務室だから、当然なんだけど。
しょうがないので、盤無し詰め大将棋をやってみた。大体、五十は解いた頃に大天狗様と永江さんが戻ってきた。長いよ。
「では、そのように」
「了解した」
「そっちはそっちで、いろいろ大変みたいですね」
「お互い様だろうに」
「ですよねー」
すごい仲良くなってる。
もはや、会話の流れが読めないので黄昏てみることにする。執務室の外を、烏が飛んでいく。あれは、化けた天狗か本物か。どっちでもいい。
虫が、空腹を訴えている。夕餉は、釣った魚にしよう。途中、家でワタを抜いてきたから大丈夫のはずだ。ダメになってたら木の実。それもなければ……どうしようかな。
そういえば、待ってろと言われて昼を抜いていた。そりゃあ、腹も減るよね。ああ、胃が締め付けられる。
「では、私はこの辺でお暇しましょう」
「そうか。龍神様によろしく」
「まーあの方も、最近暇そうですけどね」
「だろうな」
「ところで、あの天狗さん持ち帰っていいですか?」
まだ言うか。
「あれでいて優秀だから、持って行っちゃダメだな」
「えー。もうちょっと、懐広く行きましょうよ」
「戦いになるぞ」
「諦めます。また来て愛でます」
「それなら良し」
弱っ。
って、なんで許可出すんですか! 訴えますよ!
「どこに?」
えっ……。えっと……。……里のハクタクの情に……。あと、彼岸の閻魔とか……。
「死ぬ気か?」
可能性として、考慮したくなってきました。前向きに。
私、帰ってもいいですかね。空腹の絶頂にあるのですが。
「拗ねるなよ、椛」
「ほう、名前は椛ちゃんと言うのですね」
ちゃんを付けるな。
「では次回は、彼女だけを目当てに予報を知らせに来ます。竜宮名物の雲酒でも持って」
「ああ、いつでもどうぞ」
来るな! 来るな!
塩撒くぞ! 早苗さん結界張ってください!
「やめろ、貴重品だ」
どれがですか?!
「では、失礼いたします」
「どうもご丁寧に」
二度と来るな!
「失礼だぞ、椛」
なんで怒られたのですか私。何か悪いことしたっけ……。してないよね……連絡がない侵入者を警戒しただけだよね……。
悲しくなってきた。屋台にでも、行ってしまうか……。部下に「最近、老け込みました?」って言われたのも納得してしまいそう。
「ぐっすんおよよって奴ですね!」
意味がわからん。
謎の捨て台詞を残して、去っていった永江さん。これだけ調子を乱されたのは、いつ以来だろう。空気読めるっていうか、絶対読んだ上でからかってる。タチ悪すぎ。
「あー疲れた」
おっと、これは予想外。大天狗様の「疲れた」発言を久々に聞きました。お疲れですか。
「んー、やっぱり外の相手は疲れる。ここだけの話、山頂の神が堅苦しくなくて助かった」
風祝さんは、礼儀正しいですしね。
「そういえば、山頂の神は色々と経験豊富なようだから教えてもらったほうがいいんじゃないか?」
何の経験ですか?
「男」
ぶほぁ。
ななななな一体何の話ですか! むしろ、それは大天狗様に必要なものじゃないのですか!?!!
「私には必要ないよ。所帯持ち」
なんだってー!
ここ最近、最大の衝撃でした。言い寄る男どもの鼻っ柱とか、心とか折ってたのはそのせいですか!
「あれは、趣味」
アンタ男たらしか。
「お? 上司に向かっていい度胸だな。よし、大天狗専用の居酒屋で説教だ」
! しまった、地雷を踏んでしまったようだ。万力のように体を抱えられ、逃げられない。そして、口調とは裏腹にものすごい笑顔。結局、礼節だなんだと言っても酒好きなのだ。
あれ、でも大天狗専用って……
猪口が酒樽よりも、大きかった気がする。
そして、天狗でも余裕で潰す酒度を誇る酒がてんこ盛り。
「さ、行くぞ! 職場の親交を深めるのだ!」
やめてください……。
せめて、ちょっと待ってください。遺書書きます。
家に戻って遺書書いてきますから、連れていかいないでええええ!
その後、なんとなしに執務室を訪れた文は奇妙な落書きを見つけた。机の大きさからすると、小さな傷にしかみえないような単語一つ。
「たすけて」と。
しかし、誰の救難信号かわからなかったため、文は写真に収めてその場を去った。
合掌。
釣竿でぶっ叩かれるにとりを想像したら妙に可愛いんですが。
椛はどうして、こんなにも無条件に受難するようなキャラが似合うのだろうか……w