Coolier - 新生・東方創想話

寿命の灯火

2009/08/06 21:58:08
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 或る日、人混みの中に蝋燭を見た。






一.






 果てなく続く川の岸辺に、身の丈ほどの大鎌を肩に掛けて座る女の姿がある。女は無聊を持て余しているかのような面持ちで、退屈そうに緩やかに流れる川を何とも無しに眺め遣りながら、時折は曇った空に目を向け、時折は白霧に覆われた対岸に思いを馳せるかの如く、茫洋とした景色に目を向けている。陽の見えぬ曇天は見ていて気分の好くなるものではない。今日ばかりはこの地に咲き乱れる彼岸花の妖しく揺らめく様も見えぬ。そんな情景に比例しているかのような表情を女は浮かべていた。それだから、小さな来客の訪問にも毛頭気付かなかったのかも知れない。何時しか女の前には、年端も行かぬ小さな体躯の少女が、今に泣き出しかねない剣呑な表情を浮かべて立っていた。

「おや、これは珍しい。お前さん、まだ死んじゃいないね」

 云われた意味が理解出来ないのか、少女は涙に潤む漆黒の瞳を揺らしながら、女の前に立ち尽くす。これは面倒事になりそうだ、そう予感した女は渋面を形作りながらも、無聊を慰める好い相手が出来たとでも考えたのか、一変して笑顔になり、優しく少女に語り掛けた。少女は肩ほどまでに切り揃えた髪の毛を無暗に揺らし、陽射しの影響をあまり受けていないように見受けられる白い肌を持っている。傍目にも人の寄り付かぬこの地に赴くような姿には見えなかった。

「それでどうした、迷い子ならいざ知らず、お前さんはこんな所へ来る女の子には見えないがね」

 邪気の無い子供のような物言いに少女の警戒心が幾らか解されたのか、少女は始終怯えた光を放つ瞳に微かな安堵を滲ませて、女の腰辺りにしか届かぬ頭を上へと向ける。薄暗い雲を背景に朗らかな笑みを浮かべる女の顔がある。彼岸花の花弁を絞って染めたかのような髪色は、不思議だったようだが、女が噂に聞く人間を取って喰らってしまう恐ろしい妖怪には見えなかったからか、素直に自身の境遇を打ち明けた。少女の小さな唇はか細く今に掻き消えてしまいそうな儚げな声音ではあったが、「迷子」と一言だけ危なげな言の葉を一枚紡ぐ。

「あははは、迷子か、迷子で此処に来れるとは運が好いのか悪いのか、まあそう気にしなさんな。今にあたいがお前さんをおうちに帰らせてやるよ。ただ、まだ終わらない仕事があるから、それを終えるまではあたいのつまらない話でも聞くと好い。退屈でも無いよりは好いだろう、なに丁度あたいも暇だったところさ、寧ろ都合が好いくらいだよ」

 仕事と聞いて不安げな眼差しを向けた少女に明るく云い放って、女は自分が座る岩の上に少女を招待した。決して好い椅子には成り得ぬ堅い岩であったが、それでも歩き疲れた少女には柔らかな座布団の如く思われて、招かれるがまま、自分の背丈を上回る岩の上へ、女の手を借りながら座った。近くに寄ってみると、女は非常に好い香りがする。太陽の恩恵を受けた花の香りである。殺風景なこの地には場違いな香りである。それだから、却ってその香りは彼女に安堵をもたらした。

「この話は随分と昔の話さ。あたいも殆ど忘れかけて、それでも忘れ切れない想い出の一つでね、お前さんには一寸怖く思われるかも知れないが、まあ気楽に聞くと好い。何せつまらない話だ、真剣に聞くよりかは気楽の方が好いに決まってる。――そうだね、何処から話そうか。取り敢えずは、ありきたりに行こうかね」

 好奇に瞳を輝かせる少女を横目に見遣り、女は物語を紡ぎ始める。川の潺湲が、玲瓏なる響きを淀んだ空に投げ掛ける中、女の溌剌とした声は、判然たる言葉を形作って外界に出る。雨でも降り出しかねない天候は、今や二人に如何なる心配事ももたらさなかった。謎の語り手と、小さな聞き手は共に寄り添って語り、聞く。……






二.






 昔々或る所に、一人の少女が居た。丁度お前さんのような気の弱い少女で、里の悪餓鬼にも好く虐められていたような子で、彼女はそんな弱い自分が嫌いだった。その上頼る人も小さい頃に亡くしてしまって、泣き付く人も居ない始末だから、恐れるものは何も無いとばかりに虐められていたのさ。「やあい、テンガイコドク」なんて意味も判ってないだろう言葉を突き付けられたりしてね。きっとそう云っていた悪餓鬼も意味なんて知らなかったんだろうが、親か何かに聞いて、何となく使っていたんだろう。少女には意味が判らなくとも、悪意しか籠められていないその言葉を受けていれば自ずと馬鹿にされているとは馬鹿でも気付く。それはそれは辛かった。それでも頼る人は居ない。

 その少女は親も居なければ親類すらも居なかったから、里の外れにある孤児院に住んでいた。親の居ない身の上の子達が集まる所で、人の好い婆さんと爺さんがそういう境遇の子供に同情して作ったんだそうだ。だが里の外れと云ったって、何処にでも悪餓鬼は居る。毎日毎日飽きもせず、面白半分でその孤児院の界隈に寄って集っては「やあい、テンガイコドク」なんて云い散らして、爺さんや婆さんが出て来ると「そら出たテンガイコドクのお頭だ」なんて云って逃げて行くのさ。兎も角少女にとって唯一の居場所はそこにしか無かった。
 と云っても人が集まれば好い事ばかりではなくて、少女はあまり話したがらなかったし、他人と関わる事もあまりしたがらない、云わば根の暗い陰気な女の子で、孤児院の中でも他の子供達から邪険に扱われていた。孤児院の中の全ての子供達という訳じゃないが、兎も角彼女を鬱陶しいと思う連中は多くて、少女にとって本当に安心出来る場所は、孤児院の中でも仲が好かった一人の女の子――この子は特別気が強いお転婆で、虐められている少女を好く助けて遣っていたんだ。それだから厭世的な少女も彼女には心を開いたのかも知れない。そして、自らを本当の孫娘のように思い遣ってくれる爺さんと婆さん。この三人の傍が、少女が本当に安心出来る居場所だった。

 ――そんな或る日、里で大きなお祭りのある日があった。里中の人間が総出で豊作や健康を願う祭りで、誰彼もその日ばかりは嫌な事も何もかも忘れて、一心不乱に楽しむかのような、そんなお祭りだ。里の往来は煌びやかに飾られて、当時それを見た少女は酷く興奮した。今まで色の無かった世界に、突然鮮やかな燈火が灯ったような心地さえした。そうして何処からか聞こえて来るのさ、「ほらほら、安いし美味いよ」だの「一寸遊んで行きなさい」だのと、出店の親父が楽しそうに客寄せをしていて、そりゃもう五月蠅い。そんな喧騒も、少女にとっては新鮮に感じられた。
 だから毎年その日を少女は心待ちにしていて、祭りの当日ばかりは婆さんに繕って貰った花柄の小さな浴衣を着て、可愛らしい簪やらを頭に付けて、仲の好かった女の子と里を歩き回った。それだから、祭りを前日に控えた時に事件が起きたのは、折もあろうにと云わなきゃなるまい。件の悪餓鬼どもがこぞって彼女の居る所に遣って来たのさ。

「やい、テンガイコドク、お前は祭りに来るな」
「お前が祭りに来ると天気が曇る」
「腰の曲がったお頭と遊んでろ」

 大体そんな事を云われた。全く心無い言葉さ、少女は当然の如く傷付いた。何せ本当に楽しみにしていた祭りに来るなと云われたんだからね、それはもう外聞を憚る暇もなくわんわん泣いた。「どうして」なんて云いながら、その様を面白可笑しそうに見る悪餓鬼どもの前で、気の強い女の子が助けに現れるまで泣き喚いた。時には石が飛んで来る事もあったし、「五月蠅いぞ」と理不尽な事を云われて小突かれる事もあった。普段なら逃げ帰るものを、今回ばかりは耐えられなかったんだろう、尚も少女は「どうして」と泣き喚き続けた。

 それから、例の如く悪餓鬼は気の強い女の子に追い払われたんだが、それでも少女が受けた痛みは癒されず、駆け付けた女の子にしがみ付きながら、泣く泣く経緯を話して聞かせた。無論、それを聞いた女の子はそんな事は気にするなと云って譲らなかったが、少女からすれば楽しい楽しいお祭りの中で、悪餓鬼に見付かって再び虐められたら、という思いの方が強かった。祭りの日にまで虐められては堪らない、そんなのは嫌だと。

 それから、少女を説得して、結局祭りには行く事になった。もしもまた悪餓鬼が来たら絶対追い払ってやる、という約束を交わしてね。けれども、祭りに行って好かったのかどうか、それは今となっては判らない。その日を境にして、少女が見る世界は大きく変わってしまう事になる。「どうして」と叫ぶ間も無く、変化を強要されてしまう。誰に、と聞かれてしまうとほとほと弱るが、世界を巡る大きな流れ、と云うより他にはないのだろうね。






三.






 話に一段落が付くと、女は大きく息を吸い込んだ。初夏の香りを孕む生温かな空気が、鼻腔を通って行く。見上げた空は以前として曇天である。それだからか湿気を多分に含んだ空気は、何だか心地悪く思われた。――ふと気付くと、川の岸辺に浮遊する白い物体が見える。感付いたようにそれを見遣った女は、話を聞いて何処か悄然とした面持ちを浮かべる少女の小さな頭を一度撫でて遣ると、立ち上がった。

「どうやら仕事の時間らしい。悪いけど、此処で少しの間待っていてくれるかい。なに、すぐに終わるさ、川を渡って帰って来るだけだから。何の仕事をしているのかは、話を聞き終えた後に判る」

 そう云い残して、女は河岸へと向かって行った。少女の目には女の隣でふわふわと浮いている物体が何であるのか全く判らない。ただ祭りの出店で好く売りに出されている綿菓子のようだと思った。やがて岸辺に浮いている粗末な小舟に女が乗り込むと、後を追うようにして白い物体も船の上に乗る。ざあと水を掻く音が聞こえて来たかと思えば、既に小舟の姿は影も形も無く、白霧が途方も無く広がるばかりであった。





四.





 済まない、待たせたね。そんな顔をせずとも帰って来るさ、心配には及ばない。さて、健気に待っていてくれたお嬢さんの為に話を再開しようか。だが、あたいの話すこの物語の続きを聞く事を、お前さんが望むかどうか、それだけ聞いとくよ。何しろつまらない話だ、後で文句でも云われようものなら居たたまれない。決してお伽噺のような話だと約束する事は出来ない。それでも、この話を何かに例えるのならば、お伽噺で何ら問題はなさそうなものだけれどね。
 ……そうかい、なら続きを話そう。少女が不安と期待が綯い交ぜになった心持ちで、祭りへと赴いた時の話だ。



 少女と友達の女の子は、婆さんに着物を着せて貰い、可愛らしくお洒落をした後、爺さんに小遣を貰ってお祭りがやってる方へと出発した。孤児院が里の外れにあろうと、祭りの喧騒は凄まじく、太鼓の音やら人の声やらが、頻りに聞こえる。そのお陰か少女の心は幾分和らいだ。例年の如く楽しく祭りを迎えた時のように、心躍る心持ちになっていた。浴衣を着る人の波、出店から漂う好い匂い、太鼓の音、はしゃぐ子供……そんな光景が何時しか不安など消し飛ばしてしまったのだろう、その時には少女が友達の女の子を至る所へ連れ回していた。
 しかし、そんな楽しい時間は長く続いてはくれなかった。少し休憩を取ろうと、祭りの喧騒からやや離れた所へ二人が移動して暫く立った後、恐れていた事態が訪れてしまった。そう、悪餓鬼どもに遭遇してしまったんだ。子供の怖い所は加減を知らない所にある。どの程度相手が傷付けば、人間という脆い生物が壊れるかを知らず、ただ気分の赴くままに遊ぼうとする。心身問わず、どちらにも云える事さね、その上気分が高揚していれば、何をするのか想像も付かない。そしてそれは、何も話に出て来るような悪餓鬼にのみ関わった事じゃない。

 それは酷い有様だった。悪餓鬼数人が棒を持ち、二人の少女を叩いて回る。時に蹴り殴り、容赦のない打擲が絶えず続く。楽しげな嘲笑、友達の悲鳴、怒号、自分の泣き声。所詮は二人は女の子、同じ年端の男に勝てる道理など有りはせず、やられるがままだった。その時少女は恐怖のどん底に突き落とされた。未だかつて想像もしなかったほどの恐怖だ。筆舌に尽くし難い辛苦、それを耐えるにはあまりに少女は幼過ぎた。

 度重なる痛み、耳を劈く罵詈雑言、心を引き裂く友人の悲鳴、それらが全て重なった時、変化は訪れた。お前さんは想像出来るかい、この世の音が少しずつ少しずつ消えて行くんだ。何処か遠ざかって行くように、徐々に聞こえなくなって行く。自分の泣き声も友人の悲鳴も悪餓鬼の罵詈雑言も、全て世界から消えて行く。そうして世界が無音と化した時、少女は確かに目にした。本来有り得ない存在、何故そこにあるのか理解の届かぬ存在を。

 ――悪餓鬼どもの頭の上には蝋燭が浮いていた。付かず離れずの位置で、宵闇の中で不自然に浮きながら、灯された焔をゆらゆらと揺らしている。吹いてしまえば容易く消えてしまいそうなか細い焔だった。絶えず襲い来る痛みすら感じない。ただその蝋燭と自分しか存在しないとさえ思われる世界の中で、少女は祭りに盛り上がる人混みを見遣った。少女は目を疑った。人混みの上にはまるで針の如く蝋燭が立ち、剣山でも目にしているかのような心持ちだった。そうして途端に恐ろしくなった。今に消えそうな儚い焔を頭の上に浮かべる人間を、何より妖しく輝く紅い焔を少女は恐れた。一体如何程の時間が経ったのか、少女は絶えず人々の頭の上に揺れる焔ばかりを眺めていた。

 やがて、悪餓鬼どもは何時しか去った。残された二人は着物を泥に塗れさせて、身体中の至る所に生々しい傷跡を残して、その場に蹲る。少女は元より友人の女の子ですら言葉を発しなかった。子供心に純粋な殺意を感じたのだろうね、無意識であろうと、殺意に勝る悪意はない。命に対する危険を、本能で感じ取ったのかも知れない。兎も角二人は傷付いた身体を無理に引き摺って孤児院へと帰った。道中に会話は無く、重々しい雰囲気が流れる中、少女は恐る恐る隣を歩く女の子の頭の上を見る。――蝋燭は存在しなかった。あの時確かに揺らめいていた泡沫の如く儚い焔は影も無く消え、そこには夜空が広がるばかりだった。





五.




 これより先の話は、お前さんには少し辛いかも知れない。変化の影響が明確に露見して行く過程を連ねて行くにはあたいも心苦しい思いがある。それでも聞きたいと云うのなら、掻い摘んで話す事くらいしかしてやれないが、どうだい。
 ……お前さんも大概物好きな人間だ。聞いていて気分さえ悪くなるような話だったろう。暇潰しに語るには些か配慮も足りぬ酷い話だ。それなのに聞くと云うからには、幼いながらもその理由があると見えるね。それは別に聞かせてくれなくとも好いさ、元々あたいが気紛れで始めた事なんだから、お前さんの事を知りたいとは云わないよ。

 じゃあ続きを話そう。祭りの日を境に起きた変化は、それはそれは辛辣なものだった。しかしともすれば致し方ないと云うより他にない。誰であれ辛い事から逃げ出そうと思うのは普通の事だ、誰もその事を責めたりなんて出来やしないし、してはならない。――孤児院の中で唯一の友達だった女の子は、祭りの日より目に見えて少女を避けるようになった。悪餓鬼どもの狂気に中てられたのか、元々少女に付き添う事に苦痛を感じていたのか、それは誰にも判らないが、数少ない自分の居場所は確実に減った。元より自身の所為だと責める少女には女の子を引き留める事も出来ず、再び孤独に陥って行くのを黙って見ているしかない。例えるならば、闇に沈んで行く心地だ。一寸の光すら届かぬ底なしの沼に、ずぶりずぶりと足が沈んで行く。仕舞には身体が全て沈んでしまって、呼吸も出来ないまま恐ろしい苦痛に耐えねばならない。想像を絶する恐怖だ、長く耐える事なんて出来るはずがない。

 故に少女は心を閉ざした。誰にも関心を抱かず誰からも興味の対象とされず、まるで空気のような存在になる事を自ら選んだ。そうする事が一番楽だったのかも知れないし、もしかしたら最も愚かしい選択の内であったのかも知れない。それでも孤独という恐怖に対抗する手立てが他に思い浮かばなかったんだろう。彼女は人形のように感情を持たぬ冷たい人間になってしまった。自分に優しく接してくれた爺さんや婆さんにも愛想を向けず、他人をまるで路傍の石ころと同様に見るようになった。そうしてそうなってしまった人間は、大概死んだ魚のような目をしているのさ。




 ――少女が厭世的な人間となって時は経ち、理性も身に付き常識を知る頃、婆さん爺さんは既に相当な年を喰っていて、床に横臥する日々が続くようになった。するとどうだ、少女にはあの時の変化が再び訪れた。今度は一時的なものじゃない。人の頭の上に、常として揺らめく蝋燭の焔が見える。或る人の焔は燃え盛り、或る人は眩いほどの輝きを放ち、或る人のものは風前の灯火の如く見受けられた。しかし、幼い頃の少女とは違い、彼女は既にその存在に対して恐怖という感情を持たなくなった。寧ろそれは何の為にあるのか、疑問を持つようになっていた。そうしてその答えが目の前にもたらされるのも、それから間もない事で、爺さんが息を引き取る日、漸く答えが判った。

 爺さんの今際の際には無粋な者は流石に居ない。誰もが悲しみに目を伏せながら、布団の上に横たわる爺さんに対して涙を流していた。孤児の一人一人に語り掛けながら、爺さんは死へと続く道を着実に辿る。誰の目から見ても、助かりそうにない弱弱しい姿だ。そんな中で、少女だけは爺さんを見ていなかった。
 爺さんの頭の上、まるで予め用意されていたかの如く一本の蝋燭が畳の上に立てられている。残りの蝋は一寸も無いほど短くなり、先端に灯る火は何故残っているのかが不思議に思われるほどに小さい。爺さんはその間にも孤児の子達に言葉を投げ掛ける。一言二言の短い言葉だが、それでも世話になった子供達には充分だった。涙に咽ぶ者、必死に嗚咽を堪える者、それぞれが爺さんの死の予感に泣いている。――そして、遂に爺さんは少女へと目を向けた。

 その時間が如何程だったろうか、少女には判らない。ただ死を目前に見据えながらも、光を失わない瞳が印象的だった事は覚えていた。そうしてそれよりも、皺くちゃになった顔が青白く染まり、髪は抜け落ち、まるで落ち武者のようで、窪んだ目が恐ろしく思われた事が印象に残っている。爺さんは暫し少女を見詰めた。少女の視線は蝋燭に行く。揺れる事すら許されぬ焔が危なげに光る。爺さんは一言だけ呟いた。何の意図があったのかは想像に難い。ただ少女はその言葉を、その言葉のままに受け取った。ともすれば罵言に相当する言葉だ。

「死神……」

 光の失せる瞳、わっと泣き出す成長した子供達、躯に蔽い被さる婆さん。そんな光景が目の前を覆って行く中、少女は頭の中で同じ単語を反芻する。しわがれた声が紡いだ最後の言葉が、何時になっても離れては行かなかった。……





六.




「そう、お前さんの察する通り、少女の見た蝋燭は人間の命の残量を示すものだ。燃え盛る焔は生気に漲る証、か細い焔はその逆、短くなった蝋は死の接近。少女は人の死を見る事が出来る。それから婆さんが死に、蝋燭の消える様を見た。すると孤児であった子供達が次々と死んで行く。まるで何かに引き寄せられるかの如く、未だ余裕を残した蝋燭の先端に灯された焔が、吹き消されたかのようにふと消えてしまう。かつての友達も死んだ。彼女を虐めた連中も死んだ。悪餓鬼どもは判らない。もしかしたら全うな生を満喫したのかも知れないね」

 女は蝋燭の正体を語った後、隣に座る少女の頭を撫でて遣った。擽ったそうに肩を竦める少女は、話の半分ほども理解してはいないに違いない。幼い彼女には難儀な話である。女の唇から紡がれる物語は、少女には難し過ぎる。それでも別段退屈そうな気色も見せないのは、先刻女が云った通り、この話を聞くに値するだけの理由があるからであろう。自己の投影か単なる好奇か、女にそれを知る由はない。語り手は飽くまで語り手のままに、その意義を全うする。

「それから少女がどうなったのか。お前さんも気になる事だろう。それを話すにはまず、説明をしなきゃならない。お前さんには難し過ぎる話だが、まあ聞くと云って譲らなさそうだね。宜しい、ならば話して聞かせよう。――少女は死が見えると云った。或いは命と云い換えても好い。けれどそれは人間に許された能力ではないのさ。
 死に近しい者は死を呼び寄せる。他人の死を引き摺る者が後を追って死ぬように、死は飛んで火に入る夏の虫の如く人を招く。当然死を恐れる人間はそれを忌避するし、そもそも死を見るなんていう人外の力は受け入れられるものではない。死は人の本質だ、生もまた然り。それらが巡ってこの世界があるのだからね。その理を乱す者は、生者の世界では異端でしかなく、少女もまた例外に漏れず異端として扱われた。あの女は死神だ、里に居るべきでないと虐げられて」

 女はそこまで話すと、傍らに立て掛けて置いた鎌の柄を手に持った。持ち上げると、曇天の空を反射して刃が鈍く光る。怯えた眼差しを向ける少女を見ると、微笑してまた元の場所に鎌を置いた。

「その内少女は死ぬ事を考えた。元より他人に死を引き寄せる自分が現世に居るべきではないと考えて、何処か遠くの地で死んでしまった方が楽に違いない。そんな事を思いながら、行く宛ても無く里を飛び出して、気の向くままに歩き始めた。――少女にとっての幸運は、その彷徨の果てに出逢って然るべき人物と邂逅を果たした事にある。行き着いた場所には大きな川が流れていた。白霧に覆われ、岸辺には彼岸花が艶めかしく咲き誇り、対岸を見渡す事も敵わないほど広大な川だ。そこに辿り着いた時、或る人に出会ったのさ」

 隣に座る少女は川を見遣る。白霧に覆われ対岸の見通す事も叶わぬほど広い川である。女はそんな様子を見て苦笑を浮かべた。けれども言葉を付け加える事はせず、更に話を進める。

「その人は自分の事を閻魔だと云った。お前さんも知っているだろう、死した者を裁く、大層な役職だ。その人はこんな事を話した。どういう経緯で死が見えるようになったのかは聞かぬ、しかしだからと云って見逃す事も出来ぬ、ともすれば異変足り得るその能力は生者を死へ招く危険極まりないものだ、また貴方の心も休まらないだろう、然るべき場所で、然るべき仕事をする気はないか。必ずや貴方に安寧をもたらす事だろうから、と。
 それでも中々答えを出さないあたいに、その人は更に付け加えた。我々の前に広がる川は、三途の川と呼ばれるものである。仕事とは死者をこの川の向こう、つまり私の元へ送り届ける事だ。死を見る事も無く、生者と接する事もないこの地は寂しいものかも知れないが、死者の魂が貴方を癒す。生者の傍では決して癒される事はないのだから、と」

 女はそう云い終えると立ち上がった。肩に鎌を掛け、少女の前に立ち笑顔を浮かべている。少女はそんな女に問うた。実に無邪気な質問である。そして当然浮かぶであろう疑問である。

「さあ、どうしてその少女に死を見る能力が突然現れたのかは判らない。元よりお伽噺のような話さ、判らない事もある。ただ、何処かで少女は恨んでいたのかも知れないね。ともすれば殺意だってあったはずだ。それが形を成したのかも知れない。常に殺意を持っていたなら有り得る話だよ、何が妖怪になるか判らない幻想郷じゃ有り得ないと断言する事は決して出来ない。少女は人一倍死という存在と距離が近過ぎたのさ」

 少女はまだ判らないといった風に首を傾げる。女は「お前さんは判らなくても好い」と云って少女の頭を撫でた。

「……この先の話を、聞きたいと思うかい」

 寂寥漂うその微笑みに、少女は首を振る。鈍色の剣呑な雲は遂に細い雨を降らせ始めた。ぽつりと地面に雫が滲んで行く。女は「そうかい」と云うと少女を岩の上から抱き上げて「なら、そろそろ帰ろう」と云った。

「つい長話が過ぎたね、雨が降って来ては堪らない。人里まで送って行ってあげるから、すぐに家へ帰ると好い」

 頷き、女の首に手を回して少女は身体を擦り寄せた。雨足は段々強くなる。目を瞑った少女は離れ行く大地を見なかった。遠ざかる川の長きを見なかった。降り注ぐ針の如き雨を感じる事もなく、擦り寄せた身体が感じる温もりばかりがその瞬間では世界の全てである。
 ――やがて、大地に足を着いた時には見慣れた人里の光景がある。辺りを見回せども女の姿はない。空を見上げれば雨が顔を打つ。彼女は二三度頭を振った後、里の外れにある粗末な家へと向かって行った。足取りは女の元へ現れた少女のものとは思われぬ。強く踏み出した足が、水溜りの泥を跳ね飛ばした。……


















――了
お伽噺の真偽は誰にも判らない。
twin
http://touhoudream.blog.shinobi.jp/Entry/152/
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コメント



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5.無評価名前が無い程度の能力削除
途中から孤児が虎児になってますよ。
10.100名前が無い程度の能力削除
子供にはわからない話もわかってしまう大人のための作品ですね。
13.70名前が無い程度の能力削除
これ孤児院の人たち死に損じゃないすか?
19.80名前が無い程度の能力削除
とりあえず悪餓鬼共ぶっ飛ばしてくる
20.90名前が無い程度の能力削除
最後に小町が“あたい“と言うまで御伽噺の主人公が分からなかった俺は鈍感過ぎる
22.100名前が無い程度の能力削除
これは泣けた
31.100名前が無い程度の能力削除
そして蝋燭が消えた。