「ほんと、損な役割ね」
柱にもたれかかって、紫が霊夢を見ながらつぶやいた。
その瞳は霊夢をとらえているはずなのに、どこか遠くを見ているようでもあった。
博麗神社──本殿。
霊夢は御神座の前に礼装を纏い座っている。
今は瞑想状態に入っていて、紫の声も届いてはいない。
折々の行事の中でも、今行われているのは博麗神社特有の行事だ。
博麗大結界の維持継続と、それに伴い結界の中と外の境界を一時的にゆるめる間の結界の維持が主な目的である。
現在、博麗神社はこの儀式のために強力な結界を用いて封鎖している。儀式が終わるまでの間はたとえ紫の境界を操る力を使っても進入出来るものではない。
紫がいるのは結界の維持に関する助力のためだ。
既に、幻想郷を覆う結界は、博麗の巫女か紫単独でどうにかできるようなものではなくなってしまった。
幻想郷は2種類の結界で覆われている。
1つは紫の張る『幻と実体の境界』。勢力が弱まった妖怪などを引き込むために作られた結界だが、妖怪以外にも、外の世界で忘れされられたものを呼び込む力を持つ。
もう1つは人間の張り、博麗の巫女が代々管理している『博麗大結界』。外の世界と幻想郷の行き来を遮断するものだ。
幻想郷は、この二つの結界のために外の世界とは隔絶された異界となっている。
元々、博麗大結界はこれほど規模の大きいものではなかった。
百数十年前に張られた頃は、せいぜい博麗神社と、里、山ひとつを覆う程度のもの。それも、現実にある地形にそのまま重ねて作った異界のため、結界維持にかかる負担も大きくは無かった。
しかし、霊夢が博麗大結界を管理するようになってから博麗大結界に関わる事情は大きく変わった。弾幕とスペルカードによる戦闘が提案された。妖精のための湖が増え、吸血鬼のための館が増え、幽霊の為の山が増え、月からの来訪者の館が増え、他にいくつもの場所が増えた。
それらはどれも、今行っている行事によって幻想郷に迷い込んできた者達だ。
紫の張る幻と実体の境界は確かに外のものを呼び込む力を持っているが、博麗大結界の力によって、規模の大きなものは容易に入ってこられないようになっている。
これは、幻想郷の秩序を守るためでもあるし、量的なキャパシティの問題もある。
だから、数百年にわたり、幻想郷は小さく運営されてきた。
その理を破ったのは霊夢だ。
「これは私のエゴなのよ」
自分自身でそう評価するこの話を、始めて霊夢が話したのは霊夢が巫女になってからしばらくしてから。迷い家にある紫の家を頻繁に訪れるようになって、さらに数年の月日を経てからだ。
迷い家を訪れるようになった頃の霊夢はまだ巫女の役割以外の幻想郷をほとんど知らなかった。姉妹もおらず、幼い頃から巫女の修行ばかりしていたせいか、世の様々なことに興味を持っておらず、自分は博例大結界の維持の為だけに存在し、自分というものを持つ意味など無いとさえ思っていたふしがあった。
紫がよかれと思って幻と実体の境界の力で外から迷い込む異品を見せたときは大層喜んでいた。
それが、結果的に霊夢を変えてしまったのかもしれない。
霊夢の結界に関する知識は大層なもので、元々あった結界をアレンジして修行の中から様々な新しい結界を生み出していた。
それは、博麗の巫女には必要な力だったし、同時に自身の身を守るためにも不可欠な力だった。
ある時期から、霊夢は迷い家に姿を見せなくなった。
それからどれほどの期間があったのか、紫は数えてなかったのだが、次に霊夢が現れたとき、頭1つ分大きくなっていたのはとても印象的だった。
そして、開口一番こう提案してきた。
溢れんばかりの、笑顔で。
「幻想郷に、もっと多くのモノを受け入れたいの」
霊夢の提案はつまりこういう事だった。
博麗大結界を一定期間毎に少しだけ弱め、紫の幻と実体の境界を操作することによって、外の世界の行き場を無くした存在をその土地ごと幻想郷に招いてしまおうというのだ。
「幻想郷ならそれらを受け入れることが出来るわ」
紫の見立てでは不可能ではなかった。
だが、結界を維持するための負担は増えるし、なにより、
「私たちにとって何のメリットもないわ」
実際にメリットがまったく無い訳ではない。これは、方便だ。結界の方針変更などメリットデメリットだけで進められる話でない。ここは諫めるべきだ、と紫は感じていた。
「それに、危険も多い」
迷い家に、わずかに緊張が走るが、霊夢は笑をかけらも崩さない。
思えば、以前来ていた時はこのような笑顔を浮かべる娘ではなかった。とても、平静な状況とは思えない。結界維持の負担で壊れたか、とすら思った。
力持つ博麗の末裔とはいえ、所詮は人間だ。
どれだけ力を持っていようが、どんな考えを持っていようが、ただの思いつきで幻想郷を好き勝手にいじられてはたまらない。
「もし、それを通したとして、私の愛する幻想郷が意図せぬ形に変わってしまったら、貴女はどう責任をとってくれるつもりなのかしら」
だから、紫も笑みをもって言ってやった。
「貴女は黙って博麗大結界を維持していればいいのよ」
「少し頭を冷やしなさい」
そう言って隙間に落としてしまった。
隙間の行き先は博麗神社だ。悪くて尻餅を着くかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
一口も手をつけていない菓子を一口で屠り、茶で一気に喉の奥まで流し込んだ。
「……胸くそ悪いわね。なんなのよ、あの巫女は」
昔迷い家に来ていた頃はまだかわいげがあったなと思い返す。
「今代の博麗の巫女は大それた事を考えますね」
霊夢の退室を察した藍が茶を下げに来た。どうやら話を聞いていたらしい。
「それにしても、紫様はこの百年ぐらいでだいぶ丸くなられましたね。自分の気に入らない話を最後まで聞くなんて」
とりあえず茶化す藍のみぞおちに隙間経由で一発ぶち込んでおく。
ぐえ、とか鶏を絞める時のような声がしたが、構わず続ける。
別に、丸くなったとか、そういう話ではない。
「私も昔、似たようなことを考えたことがあったわ。外の妖怪を招き入れるのに幻想郷のキャパシティが足りないならば、結界自体を広げてしまえばいいって。でもね、結界の規模を変えるなんて、しかもこれ以上に拡大するなんてそうそう簡単に出来る事じゃないの」
「はあ、要するに昔一度失敗してるんですぬぅっ」
2度目は鈍器だ。
「いい、藍。あんた私が思いっきりぶん殴っても壊れない簡単には壊れないくらいの結界張れって言ったらどれくらいのサイズの結界が張れるかしら?」
「さあ……いて。ええと、十分に準備した上でこの迷い家を覆うぐらいですかね。紫様が思いっきりけっ飛ばしてとか、攻撃して、とかならもっと狭くなるかと思いますが」
「そうね。妥当な見積もよ。そして教えてあげるわ。現在の幻想郷を覆う結界ですら体積にしてその数百倍ほどあるのよ。各地に結界補助装置を置いたり、幻想郷自体を寄り代にしていたり、まあいろんな小細工をしているからこれくらいの負担で済んでるわけ」
「まあ、いくら紫様といえどこれだけの規模の結界をそう簡単に張れるわけないですもんね」
……。
「改修を重ねに重ねて、もう私でも簡単には結界をいじれないほどになっているのよ。下手にいじれば結界の維持すら危ういでしょうね。まず私たちがそれだけのリスクを背負っていることを知るべきよ」
「全面的に紫様の自業自得ですけどね」
「そしてその上で、そのリスクを背負ってでも結界の構造を変えるほどの理由を、説明して貰いたいものね、博麗の巫女?」
と、障子の先に声を飛ばす。
障子には、少女一人分の影が映っていた。
「わ、博麗の巫女。さっき神社に飛ばされたばかりなのに、もう戻ってきた」
すっ、と障子が開かれる。その先にいるのは霊夢だ。
先ほどの笑顔は既に無い。
「いきなり飛ばすなんて酷いじゃないの」
「……頭は冷えたかしら?」
「少なくとも営業スマイルを維持する気は失せたわ。巫女のスマイルは無料じゃないのよ」
「あ、あの薄気味悪い笑みはスマイルだったんですね」
あ、藍が結界に封じられた。あはは、中から必死に結界を叩いているけど声もなにも聞こえない。いい気味ね。
要するに、油断している藍を封じるぐらいの力はあるというアピールだろう。それは認めてやってもいい。人間にしては過ぎた力だが。
「博麗大結界の方は問題ないわ」
「その根拠は?」
「私が操作するからよ。文句ある?」
「話にならないわね。貴女にも先の話が聞こえるように隙間を繋げてあげていたけど、聞いていなかったのかしら」
「関係ないわ。それは貴女の結界の話でしょう」
「……博麗大結界だって似たような作りをしているはずよ。私だって何度も改修に立ち会ってる。あれだってそう簡単に動かせるものじゃないわ」
……。
わずかな沈黙の後、霊夢が口を開いた。
「ねえ、隙間妖怪」
「あんた、いつの話をしているのかしら──?」
霊夢が何を言っているのか、理解出来なかったが、唐突にある可能性が思い浮かぶ。
すぐに藍を封じている霊夢の結界を割って、命じた。
「藍、博麗大結界の補助装置がどうなっているか視てきなさい。今すぐに」
言い終わると同時に藍の姿が消え、すぐに藍からの言葉が返ってきた。
「あー、これはすごいですね。最近だとは思いますが、結界の基盤が全部再構築されてますよ。細かいことはちゃんと視ないと分からないですけど、これ全部、一連の力の流れの中にきれいに組み込まれてますね。いやー、これは匠の技ですね。どっかのぐーたら隙間妖怪とはおおちがぎゃっ──」
「……しばらく姿を見せないと思ったら、裏でこそこそと」
紫は、自分でも確認出来る範囲で博麗大結界の力の流れを捉える。表面上の結界の効力こそまったく変わっていないが、それを実現するための方法がまったくと言っていいほど新しく置き換わっている。
「堂々とやったわよ。巫女が結界の補修をすることが当然なら、組み直すことだって当然出来る事でしょ」
簡単に出来ることではない。
それこそ、油断している藍を封じるのとは訳が違う。
1つ1つに注目していればバランスを崩し結界は効果を失うし、全体を一片にどうにかするなんて人間の力で出来ることではない。
しかも、それら全て、紫の気付かないところでやるなんてことは不可能だ。
それを、この巫女はやってのけた。
……おそらく、自分の命を削るぐらいのことはやっているだろう。どんなに才能があっても、人間に出来る程度の力というのは限られている。
「聞かせて頂戴、博麗の巫女」
「どうしたいかは先に話したと思うけど」
「違うわ、そっちじゃない。私が聞きたいのは、何でそこまでして結界の規模を変えたいのか……。何でそこまでして……余所者を招き入れたいのかってことを……答えなさい」
問われて、霊夢の視線が宙に向く。
「そうね……」
たっぷりと、間を置き、霊夢の口から出たのは、
「忘れちゃったわ」
そんな答えだった。
少しうつむき気味に発せられた言葉と同時に、前髪が霊夢の目を隠した。
嘘に決まっている。そんな程度の理由でこれほどの事が出来る訳もない。紫は抗議の言葉を紡ごうとして、だがその言葉は、霊夢に遮られてしまった。
「でもきっと──」
「賑やかなるわよ」
顔を上げ、笑顔で、霊夢。
しかし、その笑顔が真意ではないことは一目瞭然だった。
霊夢はすぐにきびす返して、廊下に出てしまった。
なんで、と思ったのは紫の方だ。
何故あの笑顔は、……あんなにも泣きそうな笑顔だったのだろうか。
見えたのは、心のスキマ。
大きな、大きな、心の隙間だった。およそ人間では考えられないほどの大きさの隙間の中に霊夢の真意が垣間見えた。
それは、一人の人間である前に、博麗の巫女であることを要求された少女の姿。
生活の様式を全て儀式に取り込み、一挙手一投足のどれにも自分の意志を反映させることが許されず、個を消された少女の姿。
博麗霊夢という器の中にある、巫女であり、少女である存在。
同じ存在であるはずが、方や存在を切望され、方や存在すら追いやられた少女。
幻想郷に流れ着いた、外の世界で忘れ去られたモノと、自分を重ねる少女の姿。
「これは、私のエゴなのよ」
隙間に注意を取られて、巫女が自分の事を見ているのに気付かなかった。
外からの光で逆光になって霊夢の表情は読み取れなかったが、言葉には確固たる意志が籠もっていた。
「それに、いつだって人の世は移ろうものよ」
そうか、と思い出した。
なぜ霊夢が迷い家の自分の所に訪れるようになったのかを。
そうだ、あの時は霊夢の両親が亡くなり、引き取り手が見つかるまで迷い家で保護していたのだった。
そうだ、あの時は確かに転換点だったのだ。
巫女であることを望んでいた両親がいなくなり、幻想郷を知り、自分の存在を再確認したのだろう。
それで、外の世界の忘れ去られたモノを受け入れる幻想郷のように、自分もなろうとしたのだろう。それこそ手段も選ばずに。
まったくこの娘は……。
「もうひとつ教えなさい、博麗の巫女」
これは、腹を決めるしかないだろう。
この巫女は手段も、力も意志も心も、十分に示した。
応えないのはフェアじゃない。
「この結界を整備するのにどれだけかかったの」
言葉に、きょとんとする巫女。しかしその表情はすぐに笑みに変わった。
「3年ぐらいかしらねえ」
霊夢が帰ったあと、紫は庭で伸びている藍を叩き起こして、命じた。
「藍、すぐに準備しなさい」
「はあ、何をですか」
「幻と実体の境界を再構築するわ。巫女が3年かかったなら、そうね私たちは30日で終わらせるのよ。100倍早く終わらせて人間との格の違いを見せてやるわ」
「100倍だったら365×3が1000日ちょいで、その100分の1だから10日ちょいになりますが……ちょ、ちょっと、紫様!! 刃物は勘弁してください!!」
このときは我ながらよく働いたと思う。日数こそ、当初の予定通り30日というわけには行かなかったが、十分巫女を驚かせる程の期間でやり遂げた。
むしろ大変だったのはそれからだ。
そこからさらに結界を操作し、結界の維持コストを幻想郷に引き入れたもの自身に課すように組み替えることによって、どれだけ幻想郷が広大になろうとも維持コストは一定で済むようになった。
そこからだ。
幻想郷が余計におもしろくなってきたのは。
「……り」
整備された結界と、霊夢の発想で幻想郷は変革を重ねてきた。
スペルカードの導入など、我ながら良くできたシステムだと思う。
だが……
「ゆ・か・り!! なに遠い目してにやにやしてるのよ」
「……霊夢?」
「準備が終わったから、禊ぎと払いをやろうって言ってるのに、どうしたのよ」
「いや、大丈夫よ」
「もう、禊ぎも払いも一緒にやらなきゃいけないようにしたのは自分なんだから、しっかりしてよね」
「まったく、しょうがないわねえ」
「しょうがないのはどっちよ!?」
怒る霊夢をなだめながら、禊ぎに向かう。
その間に、もう一度、心の中でつぶやいた。
だが……、と。
おもしろくなったのと反比例するように、失うものの価値が増大していく。
広がる幻想郷の代償は、霊夢の命だ。
故に、損な役割だ、と紫は思う。
幻想郷の維持の問題は解決できた。だが、幻想郷を広げるその行為自体のコストははあまりに多い。紫がどれだけ力を貸しても、博麗の巫女である霊夢でしか操作出来ない部分も多い。その操作は、少なからず霊夢の命を削っていく。
行く当ての無い者達を霊夢は拾うが、それを感謝する者はいない。どれだけの代償を払っているのか知っている者もいない。
霊夢はそれでいいというが、それを許容出来ないほど、霊夢を大切に思うようになってしまった自分がここにいる。
それでも、霊夢の意志ならば、と考えていたが、最近はそれすらも不満に感じるようになってきた。
「ねえ、霊夢──」
無意識のうちに出ていた言葉に、自分自身で驚く。
だが、出てしまった言葉は止まらない。
立ち止まり、振り返ろうとする霊夢を、後ろから抱きつくように両腕を霊夢の正面に回し制止した。
霊夢の体が少し強ばるのを感じた。
「紫……?」
「もう、やめない……?」
振り返らせなかったのは、顔を見られたくなかったから。
自分でも、今自分がどんな表情をしているのか想像つかない。情けない顔をしているのは確かだろう。
無理に幻想郷を広げたりしなければ、霊夢に負担がかかることはない。昔のように維持だけしていれば、これ以上無用に霊夢の命を削ることもない。
前にも、何かの折りにそう提案したことがあったから、すぐにこちらの意志に気付いたのだろう。霊夢は肩の力を抜き、紫、ともう一度名前を呼んだ。
「賑やかになったでしょう」
大昔の言葉と、変わらぬ意志を持って紡がれる言葉。
紫はただ返事をすることしか出来なかった。
「ええ……」
「あんたの大好きな幻想郷は前より良くなったわよね」
「そうね……」
「なら、これからも、もっと賑やかになって、良くなっていく。それだけよ」
だが、あの頃とは決定的に違う。
霊夢の体は、こんなにも弱くなった。
「もう十分じゃない。もう十分幻想郷は賑やかになった。良くなった。これ以上──」
「紫」
霊夢を押さえている手に、霊夢の手が重ねられた。
「ありがとう」
結局、今まで通りだ。
禊ぎを行い、払いをして、結界を維持更新をした。
全てが終わるころには、外は夕暮れになっていた。
あれから、霊夢とは一言も言葉を交わしていない。
納得いったわけではないが、それも仕方がないことなのかと思う。
こうすることが霊夢の意志ならば、それを否定することは、霊夢を否定することだ。
故に強く止めることは出来ない。
霊夢の意志を尊重しつつ他の道を探せれば良いのだが、今のところ他に方法は見あたらない。
だから、今まで通り。
しかたない、とは思わないが、こうするより他にない。
ならばせめて……
「紫」
思考を遮るように、霊夢が名を呼ぶ。
「鍋にでもしよっか」
その顔が、あまりに期待に満ちた顔をしていて、
「まったく、かなわないわね」
自分の運命を、少しも悲観しない顔だ。
「昨日、橙がキジを捕まえてきたのよ」
「決まりね! 今夜はキジ鍋よ!」
霊夢ははしゃぎ調子で境内にかけられた結界を解きに行ってしまった。
それを追うわけではないが、紫も境内に出た。見渡すように入り口の鳥居に向かう。入り口は紫の担当だ。
ならばせめて……なんて、何を考えていたんだろうな、と息をついた。
何が変わるわけでもない。
今までも、これからも、霊夢のそばにいて、見守っていくだけだ。
少しだけ、気持ちが軽くなったのを感じながら、紫は入り口の結界を解いて行く。
そして、気付く。
「ずいぶんと賑やかな入り口ねえ」
結界がほどけるごとに外から聞こえる喧噪は増していく。
紫自身気付いてはいなかったが、外の声がはっきりして行くにつれ、口の端には笑みが浮かび、結界をほどく手は速度を増していた。
「まったく、また私をのけ者にして宴会でもしようとしていたのかしら」
外には、
「大丈夫だ、今回は霊夢にも言わずに来たぜ!」
陽気な白黒魔女と、
「連絡して欲しいなら連絡手段をよこしなさいっていつも魔理沙が言ってるじゃない」
不機嫌そうな七色人形遣いと、
「──」
その他大勢。
「来たら結界が張ってあるからどうしようかと思ったけど、待ってて正解だったな」
「魔理沙ったら、いきなり神社で宴会しようだなんて言いだしたから、当然霊夢にも話が通っているものかと思ったら……」
「まあ良いじゃないか、こうして扉も開いたことだ。
よし、全軍前進だ! 博麗神社を占拠するぜ!!」
湧き上がる、歓声。
一行はそのまま本殿の方へ行ってしまった。
「まったく」
意図せず苦笑が漏れる。
こちらの気苦労も知らないで、という思いが半分。後半分は、
「愛されたものねえ」
親ごころとでもいうような思いだろうか、と紫は思う。
そして、もう一度、
「まったく……」
霊夢が損な役割をしているとは今でも思っている。あの子がしていることは、どんなことがあっても釣り合うものではない、とも。
それでも、
報われない、というのは間違いだったかもしれない。
これだけ多くの人や妖怪、霊、よく分からないものたちに愛されているのだから。
「どれだけ幻想郷を賑やかにすればあの子は満足するのかしらねえ」
柱にもたれかかって、紫が霊夢を見ながらつぶやいた。
その瞳は霊夢をとらえているはずなのに、どこか遠くを見ているようでもあった。
博麗神社──本殿。
霊夢は御神座の前に礼装を纏い座っている。
今は瞑想状態に入っていて、紫の声も届いてはいない。
折々の行事の中でも、今行われているのは博麗神社特有の行事だ。
博麗大結界の維持継続と、それに伴い結界の中と外の境界を一時的にゆるめる間の結界の維持が主な目的である。
現在、博麗神社はこの儀式のために強力な結界を用いて封鎖している。儀式が終わるまでの間はたとえ紫の境界を操る力を使っても進入出来るものではない。
紫がいるのは結界の維持に関する助力のためだ。
既に、幻想郷を覆う結界は、博麗の巫女か紫単独でどうにかできるようなものではなくなってしまった。
幻想郷は2種類の結界で覆われている。
1つは紫の張る『幻と実体の境界』。勢力が弱まった妖怪などを引き込むために作られた結界だが、妖怪以外にも、外の世界で忘れされられたものを呼び込む力を持つ。
もう1つは人間の張り、博麗の巫女が代々管理している『博麗大結界』。外の世界と幻想郷の行き来を遮断するものだ。
幻想郷は、この二つの結界のために外の世界とは隔絶された異界となっている。
元々、博麗大結界はこれほど規模の大きいものではなかった。
百数十年前に張られた頃は、せいぜい博麗神社と、里、山ひとつを覆う程度のもの。それも、現実にある地形にそのまま重ねて作った異界のため、結界維持にかかる負担も大きくは無かった。
しかし、霊夢が博麗大結界を管理するようになってから博麗大結界に関わる事情は大きく変わった。弾幕とスペルカードによる戦闘が提案された。妖精のための湖が増え、吸血鬼のための館が増え、幽霊の為の山が増え、月からの来訪者の館が増え、他にいくつもの場所が増えた。
それらはどれも、今行っている行事によって幻想郷に迷い込んできた者達だ。
紫の張る幻と実体の境界は確かに外のものを呼び込む力を持っているが、博麗大結界の力によって、規模の大きなものは容易に入ってこられないようになっている。
これは、幻想郷の秩序を守るためでもあるし、量的なキャパシティの問題もある。
だから、数百年にわたり、幻想郷は小さく運営されてきた。
その理を破ったのは霊夢だ。
「これは私のエゴなのよ」
自分自身でそう評価するこの話を、始めて霊夢が話したのは霊夢が巫女になってからしばらくしてから。迷い家にある紫の家を頻繁に訪れるようになって、さらに数年の月日を経てからだ。
迷い家を訪れるようになった頃の霊夢はまだ巫女の役割以外の幻想郷をほとんど知らなかった。姉妹もおらず、幼い頃から巫女の修行ばかりしていたせいか、世の様々なことに興味を持っておらず、自分は博例大結界の維持の為だけに存在し、自分というものを持つ意味など無いとさえ思っていたふしがあった。
紫がよかれと思って幻と実体の境界の力で外から迷い込む異品を見せたときは大層喜んでいた。
それが、結果的に霊夢を変えてしまったのかもしれない。
霊夢の結界に関する知識は大層なもので、元々あった結界をアレンジして修行の中から様々な新しい結界を生み出していた。
それは、博麗の巫女には必要な力だったし、同時に自身の身を守るためにも不可欠な力だった。
ある時期から、霊夢は迷い家に姿を見せなくなった。
それからどれほどの期間があったのか、紫は数えてなかったのだが、次に霊夢が現れたとき、頭1つ分大きくなっていたのはとても印象的だった。
そして、開口一番こう提案してきた。
溢れんばかりの、笑顔で。
「幻想郷に、もっと多くのモノを受け入れたいの」
霊夢の提案はつまりこういう事だった。
博麗大結界を一定期間毎に少しだけ弱め、紫の幻と実体の境界を操作することによって、外の世界の行き場を無くした存在をその土地ごと幻想郷に招いてしまおうというのだ。
「幻想郷ならそれらを受け入れることが出来るわ」
紫の見立てでは不可能ではなかった。
だが、結界を維持するための負担は増えるし、なにより、
「私たちにとって何のメリットもないわ」
実際にメリットがまったく無い訳ではない。これは、方便だ。結界の方針変更などメリットデメリットだけで進められる話でない。ここは諫めるべきだ、と紫は感じていた。
「それに、危険も多い」
迷い家に、わずかに緊張が走るが、霊夢は笑をかけらも崩さない。
思えば、以前来ていた時はこのような笑顔を浮かべる娘ではなかった。とても、平静な状況とは思えない。結界維持の負担で壊れたか、とすら思った。
力持つ博麗の末裔とはいえ、所詮は人間だ。
どれだけ力を持っていようが、どんな考えを持っていようが、ただの思いつきで幻想郷を好き勝手にいじられてはたまらない。
「もし、それを通したとして、私の愛する幻想郷が意図せぬ形に変わってしまったら、貴女はどう責任をとってくれるつもりなのかしら」
だから、紫も笑みをもって言ってやった。
「貴女は黙って博麗大結界を維持していればいいのよ」
「少し頭を冷やしなさい」
そう言って隙間に落としてしまった。
隙間の行き先は博麗神社だ。悪くて尻餅を着くかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
一口も手をつけていない菓子を一口で屠り、茶で一気に喉の奥まで流し込んだ。
「……胸くそ悪いわね。なんなのよ、あの巫女は」
昔迷い家に来ていた頃はまだかわいげがあったなと思い返す。
「今代の博麗の巫女は大それた事を考えますね」
霊夢の退室を察した藍が茶を下げに来た。どうやら話を聞いていたらしい。
「それにしても、紫様はこの百年ぐらいでだいぶ丸くなられましたね。自分の気に入らない話を最後まで聞くなんて」
とりあえず茶化す藍のみぞおちに隙間経由で一発ぶち込んでおく。
ぐえ、とか鶏を絞める時のような声がしたが、構わず続ける。
別に、丸くなったとか、そういう話ではない。
「私も昔、似たようなことを考えたことがあったわ。外の妖怪を招き入れるのに幻想郷のキャパシティが足りないならば、結界自体を広げてしまえばいいって。でもね、結界の規模を変えるなんて、しかもこれ以上に拡大するなんてそうそう簡単に出来る事じゃないの」
「はあ、要するに昔一度失敗してるんですぬぅっ」
2度目は鈍器だ。
「いい、藍。あんた私が思いっきりぶん殴っても壊れない簡単には壊れないくらいの結界張れって言ったらどれくらいのサイズの結界が張れるかしら?」
「さあ……いて。ええと、十分に準備した上でこの迷い家を覆うぐらいですかね。紫様が思いっきりけっ飛ばしてとか、攻撃して、とかならもっと狭くなるかと思いますが」
「そうね。妥当な見積もよ。そして教えてあげるわ。現在の幻想郷を覆う結界ですら体積にしてその数百倍ほどあるのよ。各地に結界補助装置を置いたり、幻想郷自体を寄り代にしていたり、まあいろんな小細工をしているからこれくらいの負担で済んでるわけ」
「まあ、いくら紫様といえどこれだけの規模の結界をそう簡単に張れるわけないですもんね」
……。
「改修を重ねに重ねて、もう私でも簡単には結界をいじれないほどになっているのよ。下手にいじれば結界の維持すら危ういでしょうね。まず私たちがそれだけのリスクを背負っていることを知るべきよ」
「全面的に紫様の自業自得ですけどね」
「そしてその上で、そのリスクを背負ってでも結界の構造を変えるほどの理由を、説明して貰いたいものね、博麗の巫女?」
と、障子の先に声を飛ばす。
障子には、少女一人分の影が映っていた。
「わ、博麗の巫女。さっき神社に飛ばされたばかりなのに、もう戻ってきた」
すっ、と障子が開かれる。その先にいるのは霊夢だ。
先ほどの笑顔は既に無い。
「いきなり飛ばすなんて酷いじゃないの」
「……頭は冷えたかしら?」
「少なくとも営業スマイルを維持する気は失せたわ。巫女のスマイルは無料じゃないのよ」
「あ、あの薄気味悪い笑みはスマイルだったんですね」
あ、藍が結界に封じられた。あはは、中から必死に結界を叩いているけど声もなにも聞こえない。いい気味ね。
要するに、油断している藍を封じるぐらいの力はあるというアピールだろう。それは認めてやってもいい。人間にしては過ぎた力だが。
「博麗大結界の方は問題ないわ」
「その根拠は?」
「私が操作するからよ。文句ある?」
「話にならないわね。貴女にも先の話が聞こえるように隙間を繋げてあげていたけど、聞いていなかったのかしら」
「関係ないわ。それは貴女の結界の話でしょう」
「……博麗大結界だって似たような作りをしているはずよ。私だって何度も改修に立ち会ってる。あれだってそう簡単に動かせるものじゃないわ」
……。
わずかな沈黙の後、霊夢が口を開いた。
「ねえ、隙間妖怪」
「あんた、いつの話をしているのかしら──?」
霊夢が何を言っているのか、理解出来なかったが、唐突にある可能性が思い浮かぶ。
すぐに藍を封じている霊夢の結界を割って、命じた。
「藍、博麗大結界の補助装置がどうなっているか視てきなさい。今すぐに」
言い終わると同時に藍の姿が消え、すぐに藍からの言葉が返ってきた。
「あー、これはすごいですね。最近だとは思いますが、結界の基盤が全部再構築されてますよ。細かいことはちゃんと視ないと分からないですけど、これ全部、一連の力の流れの中にきれいに組み込まれてますね。いやー、これは匠の技ですね。どっかのぐーたら隙間妖怪とはおおちがぎゃっ──」
「……しばらく姿を見せないと思ったら、裏でこそこそと」
紫は、自分でも確認出来る範囲で博麗大結界の力の流れを捉える。表面上の結界の効力こそまったく変わっていないが、それを実現するための方法がまったくと言っていいほど新しく置き換わっている。
「堂々とやったわよ。巫女が結界の補修をすることが当然なら、組み直すことだって当然出来る事でしょ」
簡単に出来ることではない。
それこそ、油断している藍を封じるのとは訳が違う。
1つ1つに注目していればバランスを崩し結界は効果を失うし、全体を一片にどうにかするなんて人間の力で出来ることではない。
しかも、それら全て、紫の気付かないところでやるなんてことは不可能だ。
それを、この巫女はやってのけた。
……おそらく、自分の命を削るぐらいのことはやっているだろう。どんなに才能があっても、人間に出来る程度の力というのは限られている。
「聞かせて頂戴、博麗の巫女」
「どうしたいかは先に話したと思うけど」
「違うわ、そっちじゃない。私が聞きたいのは、何でそこまでして結界の規模を変えたいのか……。何でそこまでして……余所者を招き入れたいのかってことを……答えなさい」
問われて、霊夢の視線が宙に向く。
「そうね……」
たっぷりと、間を置き、霊夢の口から出たのは、
「忘れちゃったわ」
そんな答えだった。
少しうつむき気味に発せられた言葉と同時に、前髪が霊夢の目を隠した。
嘘に決まっている。そんな程度の理由でこれほどの事が出来る訳もない。紫は抗議の言葉を紡ごうとして、だがその言葉は、霊夢に遮られてしまった。
「でもきっと──」
「賑やかなるわよ」
顔を上げ、笑顔で、霊夢。
しかし、その笑顔が真意ではないことは一目瞭然だった。
霊夢はすぐにきびす返して、廊下に出てしまった。
なんで、と思ったのは紫の方だ。
何故あの笑顔は、……あんなにも泣きそうな笑顔だったのだろうか。
見えたのは、心のスキマ。
大きな、大きな、心の隙間だった。およそ人間では考えられないほどの大きさの隙間の中に霊夢の真意が垣間見えた。
それは、一人の人間である前に、博麗の巫女であることを要求された少女の姿。
生活の様式を全て儀式に取り込み、一挙手一投足のどれにも自分の意志を反映させることが許されず、個を消された少女の姿。
博麗霊夢という器の中にある、巫女であり、少女である存在。
同じ存在であるはずが、方や存在を切望され、方や存在すら追いやられた少女。
幻想郷に流れ着いた、外の世界で忘れ去られたモノと、自分を重ねる少女の姿。
「これは、私のエゴなのよ」
隙間に注意を取られて、巫女が自分の事を見ているのに気付かなかった。
外からの光で逆光になって霊夢の表情は読み取れなかったが、言葉には確固たる意志が籠もっていた。
「それに、いつだって人の世は移ろうものよ」
そうか、と思い出した。
なぜ霊夢が迷い家の自分の所に訪れるようになったのかを。
そうだ、あの時は霊夢の両親が亡くなり、引き取り手が見つかるまで迷い家で保護していたのだった。
そうだ、あの時は確かに転換点だったのだ。
巫女であることを望んでいた両親がいなくなり、幻想郷を知り、自分の存在を再確認したのだろう。
それで、外の世界の忘れ去られたモノを受け入れる幻想郷のように、自分もなろうとしたのだろう。それこそ手段も選ばずに。
まったくこの娘は……。
「もうひとつ教えなさい、博麗の巫女」
これは、腹を決めるしかないだろう。
この巫女は手段も、力も意志も心も、十分に示した。
応えないのはフェアじゃない。
「この結界を整備するのにどれだけかかったの」
言葉に、きょとんとする巫女。しかしその表情はすぐに笑みに変わった。
「3年ぐらいかしらねえ」
霊夢が帰ったあと、紫は庭で伸びている藍を叩き起こして、命じた。
「藍、すぐに準備しなさい」
「はあ、何をですか」
「幻と実体の境界を再構築するわ。巫女が3年かかったなら、そうね私たちは30日で終わらせるのよ。100倍早く終わらせて人間との格の違いを見せてやるわ」
「100倍だったら365×3が1000日ちょいで、その100分の1だから10日ちょいになりますが……ちょ、ちょっと、紫様!! 刃物は勘弁してください!!」
このときは我ながらよく働いたと思う。日数こそ、当初の予定通り30日というわけには行かなかったが、十分巫女を驚かせる程の期間でやり遂げた。
むしろ大変だったのはそれからだ。
そこからさらに結界を操作し、結界の維持コストを幻想郷に引き入れたもの自身に課すように組み替えることによって、どれだけ幻想郷が広大になろうとも維持コストは一定で済むようになった。
そこからだ。
幻想郷が余計におもしろくなってきたのは。
「……り」
整備された結界と、霊夢の発想で幻想郷は変革を重ねてきた。
スペルカードの導入など、我ながら良くできたシステムだと思う。
だが……
「ゆ・か・り!! なに遠い目してにやにやしてるのよ」
「……霊夢?」
「準備が終わったから、禊ぎと払いをやろうって言ってるのに、どうしたのよ」
「いや、大丈夫よ」
「もう、禊ぎも払いも一緒にやらなきゃいけないようにしたのは自分なんだから、しっかりしてよね」
「まったく、しょうがないわねえ」
「しょうがないのはどっちよ!?」
怒る霊夢をなだめながら、禊ぎに向かう。
その間に、もう一度、心の中でつぶやいた。
だが……、と。
おもしろくなったのと反比例するように、失うものの価値が増大していく。
広がる幻想郷の代償は、霊夢の命だ。
故に、損な役割だ、と紫は思う。
幻想郷の維持の問題は解決できた。だが、幻想郷を広げるその行為自体のコストははあまりに多い。紫がどれだけ力を貸しても、博麗の巫女である霊夢でしか操作出来ない部分も多い。その操作は、少なからず霊夢の命を削っていく。
行く当ての無い者達を霊夢は拾うが、それを感謝する者はいない。どれだけの代償を払っているのか知っている者もいない。
霊夢はそれでいいというが、それを許容出来ないほど、霊夢を大切に思うようになってしまった自分がここにいる。
それでも、霊夢の意志ならば、と考えていたが、最近はそれすらも不満に感じるようになってきた。
「ねえ、霊夢──」
無意識のうちに出ていた言葉に、自分自身で驚く。
だが、出てしまった言葉は止まらない。
立ち止まり、振り返ろうとする霊夢を、後ろから抱きつくように両腕を霊夢の正面に回し制止した。
霊夢の体が少し強ばるのを感じた。
「紫……?」
「もう、やめない……?」
振り返らせなかったのは、顔を見られたくなかったから。
自分でも、今自分がどんな表情をしているのか想像つかない。情けない顔をしているのは確かだろう。
無理に幻想郷を広げたりしなければ、霊夢に負担がかかることはない。昔のように維持だけしていれば、これ以上無用に霊夢の命を削ることもない。
前にも、何かの折りにそう提案したことがあったから、すぐにこちらの意志に気付いたのだろう。霊夢は肩の力を抜き、紫、ともう一度名前を呼んだ。
「賑やかになったでしょう」
大昔の言葉と、変わらぬ意志を持って紡がれる言葉。
紫はただ返事をすることしか出来なかった。
「ええ……」
「あんたの大好きな幻想郷は前より良くなったわよね」
「そうね……」
「なら、これからも、もっと賑やかになって、良くなっていく。それだけよ」
だが、あの頃とは決定的に違う。
霊夢の体は、こんなにも弱くなった。
「もう十分じゃない。もう十分幻想郷は賑やかになった。良くなった。これ以上──」
「紫」
霊夢を押さえている手に、霊夢の手が重ねられた。
「ありがとう」
結局、今まで通りだ。
禊ぎを行い、払いをして、結界を維持更新をした。
全てが終わるころには、外は夕暮れになっていた。
あれから、霊夢とは一言も言葉を交わしていない。
納得いったわけではないが、それも仕方がないことなのかと思う。
こうすることが霊夢の意志ならば、それを否定することは、霊夢を否定することだ。
故に強く止めることは出来ない。
霊夢の意志を尊重しつつ他の道を探せれば良いのだが、今のところ他に方法は見あたらない。
だから、今まで通り。
しかたない、とは思わないが、こうするより他にない。
ならばせめて……
「紫」
思考を遮るように、霊夢が名を呼ぶ。
「鍋にでもしよっか」
その顔が、あまりに期待に満ちた顔をしていて、
「まったく、かなわないわね」
自分の運命を、少しも悲観しない顔だ。
「昨日、橙がキジを捕まえてきたのよ」
「決まりね! 今夜はキジ鍋よ!」
霊夢ははしゃぎ調子で境内にかけられた結界を解きに行ってしまった。
それを追うわけではないが、紫も境内に出た。見渡すように入り口の鳥居に向かう。入り口は紫の担当だ。
ならばせめて……なんて、何を考えていたんだろうな、と息をついた。
何が変わるわけでもない。
今までも、これからも、霊夢のそばにいて、見守っていくだけだ。
少しだけ、気持ちが軽くなったのを感じながら、紫は入り口の結界を解いて行く。
そして、気付く。
「ずいぶんと賑やかな入り口ねえ」
結界がほどけるごとに外から聞こえる喧噪は増していく。
紫自身気付いてはいなかったが、外の声がはっきりして行くにつれ、口の端には笑みが浮かび、結界をほどく手は速度を増していた。
「まったく、また私をのけ者にして宴会でもしようとしていたのかしら」
外には、
「大丈夫だ、今回は霊夢にも言わずに来たぜ!」
陽気な白黒魔女と、
「連絡して欲しいなら連絡手段をよこしなさいっていつも魔理沙が言ってるじゃない」
不機嫌そうな七色人形遣いと、
「──」
その他大勢。
「来たら結界が張ってあるからどうしようかと思ったけど、待ってて正解だったな」
「魔理沙ったら、いきなり神社で宴会しようだなんて言いだしたから、当然霊夢にも話が通っているものかと思ったら……」
「まあ良いじゃないか、こうして扉も開いたことだ。
よし、全軍前進だ! 博麗神社を占拠するぜ!!」
湧き上がる、歓声。
一行はそのまま本殿の方へ行ってしまった。
「まったく」
意図せず苦笑が漏れる。
こちらの気苦労も知らないで、という思いが半分。後半分は、
「愛されたものねえ」
親ごころとでもいうような思いだろうか、と紫は思う。
そして、もう一度、
「まったく……」
霊夢が損な役割をしているとは今でも思っている。あの子がしていることは、どんなことがあっても釣り合うものではない、とも。
それでも、
報われない、というのは間違いだったかもしれない。
これだけ多くの人や妖怪、霊、よく分からないものたちに愛されているのだから。
「どれだけ幻想郷を賑やかにすればあの子は満足するのかしらねえ」
そういった点では面白かったですね。
これからもゆかれいむの話を書いて欲しいです。
あと顔文字連発は鬱陶しいです。
なんか新鮮だw
でも、
×博霊→○博麗
文字を使って様々な物事を表現する物書きにとって、誤字は失態もいいところです。