満月はきれいだ。
心が躍る、という妖怪たちの言うこともわかる。砂粒みたいな星の中で、群を抜いて一番大きな白い円。夜空の王様、と形容してもいいかもしれない。
こんな夜は箒に跨らずに自分の足で、空を見上げながら歩くのが作法だ。
時折、早く流れる灰色の雲が月にかぶさったりもして、またそれも風流。
柔らかな夜風、柔らかな月の光。満月の下、はやる気勢をなだめるそれが、むしろ私の心をはやしたてる。
何の気なしに、ただ家路を歩いていると、前方に人影があるのを認めた。からから、という音がする。何か押しているのだろう。
それが何かは知らないが、服装から誰かすぐにわかった。
「おーい、アリスー!」
小走りで追いかけながら、私は彼女の名を呼んだ。
しかし、声を掛けても振り返らない。歩みも止めない。
無愛想だな、と思うも、追いついてみると、なるほど。彼女もまた月を見上げていた。
「きれいだよなー」
この美しさだ。見とれていたに違いない。私は彼女の横に並びながら、もう何度目になるだろう、月を見上げて、ため息をついた。
すたすたと歩く。いつもは空を飛ぶからあっという間に我が家に着くが、徒歩だとやはり時間が掛かる。
だが、空に浮かぶ月が、それを忘れさせていた。
もうずっと歩いているかもしれない。いや、まだ全然かもしれない。時計は持ち合わせていない。確かめようがなかった。
その中でからから、というアリスの押す乳母車の音だけが、規則正しい秒針のようだった。
前を見なくても隣にはアリスがいる。私は月を見続けていた。
暗い夜道、ただただ円い月だけが私たちを照らしている。
ふと、足を止めた。同時に、乳母車も止まった。
前を見ると、森の入り口が風景にぽっかりと黒い穴をあけている。
視界の端に乳母車がちらついた。そういえば、なぜ、アリスは乳母車を?
私は横目に乳母車を覗いた。
すると、そこには毛布も何もなく、服を着ていない人形が、ただあるだけだ。
そして、それが何かを見ている。いや、見上げている。
月だ。私がさっきまでずっと見上げていた月を。
アリスを見る。何も喋らず、ただ月を見上げて乳母車を押していた彼女。
――その顔は、日の光をかえす、月のように白かった。