Coolier - 新生・東方創想話

お賽銭箱物語 (三) 楽園

2009/08/01 22:08:04
最終更新
サイズ
45.84KB
ページ数
1
閲覧数
3690
評価数
61/225
POINT
14210
Rate
12.60

分類タグ

 



序章 ―幾望の宴― (一日目 夜 スキマ妖怪と亡霊嬢の場合)



 わずかに欠けた月の下、道ばたに人の影二つ。
 辺りに漂っているのは、何とも言えぬ、締まらぬ空気。
 
「……それで、これはどういうことかしら?」

 八雲紫は、半眼で地面を見下ろしながら言った。

「見たままのとおりよ、紫」

 西行寺幽々子は、そんな友人を見てにこにこと笑っている。

「むにゃむにゃ……」

 そして二人の間では、八雲藍が、九つある尾を枕にして、酔いつぶれていた。

 ここは博麗神社の石段を降りたところにある分かれ道である。
 宴から抜け出した紫は、さて帰るか、と式を呼んだのだが、まるで返事が無い。
 仕方なく、直接やってきてみると、そこには幸せそうな顔をして、グースカ眠っている藍がおり、その側には微笑している友人がいたというわけである。
 紫は寝ている式に命令した。

「藍。起きなさい」
「すー……むにゃ……」
「……起きないと、池に放り込んで置いていくわよ」
「……ゆかりさまのあほー……」
「…………」

 げしっ、とその尻に蹴りが入った。
 うむむ、と藍はわずかに顔をしかめたが、やはり起きなかった。

「…………ふふふ。どんなお仕置きがいいかしらね」
「あらあら、いじめちゃだめよ。藍ちゃんは疲れて眠っているのよ」
「貴方が何か飲ませたのね?」
「ええ。だから、私のせいなのよ。怒った?」
「いいえ。それに引っかかったこのお馬鹿には呆れたけどね」

 紫は藍の尻尾を、ぐりぐりと踏みながら言った。
 幽々子はその様子を微笑ましげに見ながら、

「ねぇ紫。藍ちゃんにはいつ話すの?」
「何のことかしら」
「藍ちゃんにはいつ話すの?」

 亡霊嬢は同じことを聞く。ただし、語調がわずかに強くなっていた。
 紫は式から顔をあげ、そちらを向いた。

「藍に話すつもりは無いわ。藍がそれを知りたがろうとしない限りはね」
「藍ちゃんは知りたがってるわよ。でも紫には聞かないで、自分で答えを見つける、って」
「なら、ちょうどいいじゃない。そのうち気づくんならそれでいいわ」

 しかし、幽々子は首を振る。

「私はね、藍ちゃんに期待しているのよ。きっと紫を助けてくれるから、話してあげたらどう?」
「うちの式をずいぶんと持ち上げるわね」
「もう少し頼りにしてもいいんじゃないかしら」
「……頼りにしてるわよ」

 紫は、幽々子にだけ見せる、疲れた笑みを浮かべ、現実を語りはじめた。

「私一人じゃあ、もうこの幻想郷は手に負えないもの。……気づいているかしら幽々子? ここ最近、この地は外界の変化に連動して、急速に大きくなっている。妖怪同士の勢力と人里との関係、その絶妙なバランスを保つために、常に修正が必要とされている。今となっては、この状況に立ち向かうことのできる博麗の巫女は、霊夢以外にはありえない。そして、私のサポートができる式は、藍を置いて他にいないわ。幻想郷の未来のためにも、ここで二人を失うわけにはいかない」
「失うとは限らないわよ。今よりもっと良くなる可能性だって、あるんじゃなくって?」
「珍しいわね、そこまで貴方がこだわるのは」
「妖夢もお世話になってるし、私も何かお礼をしなくちゃと思っているのよ」
「藍に?」
「紫にも」
「……あっそ」

 邪気の無い笑みというのは、ある意味もっとも厄介なものかもしれない。
 見慣れた友人の態度を、紫は視界から外した。

「どちらにせよ、私が話すことなど何もないわ。私だって知らないのよ。霊夢の心の内を」

 遠くの神社に目をやりながら、紫は言った。

 幻想郷から歪が消え、澱みが無くなった結果、その代償となったのは、他でもないあの娘だった。
 今、霊夢はそれと、どうやって戦っているのか。取り返しのつかないところまで、進んでしまっているのではないか。
 しかし、いくら幻想郷のためとはいえ、彼女の心の内を無理に暴くことは、どうしてもできなかった。
 過度の干渉というだけではない。紫自身の願いでもあるのだ。
 幽々子が彼女の思考を呼び戻す。

「……もう一度、あの格好をして会ってあげるなら?」
「無理ね。霊夢はもう子供ではない。それにあの勘だもの。どんなに欺こうと捕まるわ」
「よかった。それが成功しても、貴方の傷が広がるだけだものね」
「成功するという確証があるのなら、考えないわけでもないけど」
「嘘ばっかり。でもね、このまま欺く限り、いつか貴方は捕まると思うのだけど」
「……そうね。あんたが正しいわ。いつかは捕まるでしょうね」

 そう。いつかは向き合わなくてはいけない。
 重ねた嘘に、けりをつけなくてはいけない。
 藍に、霊夢に、真実を話し、しかるべき罰を受けなくてはならない。

 ――恐らくその時、私は失うことになるだろう。二人の後継者、そしてこの楽園を。

 紫が心のうちで静かな覚悟をしていると、友人の亡霊が「う~ん困っちゃうわね~」と悲壮感の欠片も無い様子で、

「あ。じゃあ、藍ちゃんに賽銭箱に化けてもらう、っていうのはどう? それで霊夢が何を考えているのか、聞いてきてもらうの」
「あら、面白いわね」
「いやいや、冗談のつもりよ紫」

 だがすでに、スキマ妖怪は指を鳴らしていた。
 地面に空間の裂け目が生まれた。

「お仕置きにはちょうどいいわね。これにしましょう」
「冗談の冗談のつもりだったのに……。でもこれで、私も安心できそうね」

 何も知らされずにいる九尾の体が、スキマの中に飲み込まれていく。
 その姿が完全に消えてから、紫は肩をすくめた。

「ま、こんなことしても座興にしかならないわ。どうせすぐに退治されて終わりよ。貴方の買いかぶりね」
「紫こそ、見くびっちゃだめよ。どんな従者だって、毎日お水をあげれば、大きくなるのよ」
「妖夢はともかく、うちの式は水をやると剥がれるの」

 普段の胡散臭い笑みに戻って、紫は移動用のスキマを開いた。

「それじゃあ、おやすみなさい幽々子。また明日」
「ええ、おやすみなさい紫。また明日」

 幽々子は小さく手を振って、友人の背中に別れを告げた。
 スキマが閉じ、いいタイミングで、ゆゆこさまぁ~どこですかぁ~、と自分を呼ぶ声がする。
 宴会の場から消えていたので、慌てて探しに来たのだろう。

「…………式が剥がれたって、例え何を知ったって、貴方を助ける姿しか思いつかないんだけどね。紫」

 そうひとり言を残してから、未熟で可愛い従者の元へと、幽々子は飛んでいった。








EX ―最後の欠片― (二日目 夜 巫女と式の場合)








「かんぱーい!!」


 待ちに待った満月の下。
 宴の始まりを告げる声が、神社の境内で爆発した。
 それから三十分。いつものごとく、飲めや食えやの大騒ぎ。

「……ぷはぁ! どうよ! これで二十四だ!」
「おお! さすが神様! 鬼の私も負けてらんないや! 二十五杯目持ってきてー!」
「二人ともいい飲みっぷりだねぇ。四季様も来ればよかったのに。あたいの上司なんだけどね」
「それって、閻魔様ってこと? まだ会ったことないなぁ。あ、エンマコオロギは蛙のエサになるんだけど関係あったりする?」
「確かあそこの巫女って、運命をいじれるのよね。面白いじゃないか」
「奇跡を起こすと聞いております。興味がおありでしたら、ここに連れてきましょうか、お嬢様」
「何だ。あいつは来ていないのか。持ってきた本を借りようかと思ったのに、宛が外れたぜー!」
「出張図書館なんて初めて聞いたわね。というか、その前に返しなさいよ。私もまだあんたに貸してるんだから」
「辛い! 辛すぎますこれ! 幽々子様、すみませんが、これお願いできますか?」
「ごめんなさい妖夢。私はちょっと向こうに用があるので、昨日と同じく楽しんでいてちょうだい。ああ、それは私に残しておいてね」
「慧音ー、これ食べてみなよ……うわ、輝夜がいた!」
「永琳ー。このお酒美味しいわよ……うわ、妹紅がいるし!」
「どうも、相変わらず」
「ええ、お世話になっているわ」
「てゐー!! どこにいるのー!! 私に何を飲ませたー!!」
「あたいったら最強ね!!」
「チルノちゃん! だからお酒は飲んじゃだめだって……」
「最強はこの私! 核融合で一発よ! 試してみる!?」
「やめんかバカ! ああもう、おくうのお目付け役なんて勘弁してほしいよ」

「………………」

 予想通り、昨日の飲み会とはうって変わって、乱痴気騒ぎの混沌状態の模様。
 飴色の月に血が騒ぐのは、妖怪だけではない。人間も妖精も同じ。様子を見る限り、幽霊や神様だってご機嫌のようである。
 他にも、死神、天人、地底妖怪、参加者あわせて三十名プラスアルファ。
 さすがに知り合い全部が来ているわけではないようだが、それでもこれだけ集まると、ひたすらやかましい。

「……それなのに、あんたは帰ってきてから、うんともすんとも言わないのよね」

 拝殿前の廊下に座る私は、横目でお賽銭箱を見た。
 あれから帰って、お風呂に入ってさっぱりしてから、宴会の準備をしている最中に、いつの間にか、ひょっこりと元の位置に戻っていたのだ。
 そしてまた眠りについてしまったらしく、いくら話しかけても答えてくれない。本当に聞いてるんだろうか。ぴんと指で弾いてみる。

「あの…………」

 これは賽銭箱ではない。騒がしい宴会に似合わぬ気弱そうな声は、早苗だった。
 見た感じ、昨日のグロッキーな状態からは、何とか復活したようだ。
 今の彼女はしらふで、垂れ眉の申し訳無さそうな表情。肩もしょんぼりと落ちている。

「あの、霊夢。昨日は……」
「あー、何が言いたいかは大体分かるから、謝んなくていいわ。気にしないでおきなさい」
「で、でも私、昨日の晩は凄かったって」
「大したことないわよ。うちの神社では珍しくもない光景だし」
「ええ!? 『博麗神社の屋根で、しめ縄を腰にして、一升瓶を片手に相撲を取る』ことがですか!?」
「誰に聞いたか知らないけど私の見ている限りそんなことさせんわ!」

 思わず突っ込むと、早苗は鳩が豆鉄砲を食ったよう顔になった。
 そして、緊張の糸が切れたようで、へなへなと、その場に座り込む。

「よかった……、射命丸さんからそれを聞いて『ぜひもう一度お願いします』と頼まれた時は、もうこれから幻想郷でどんな顔をして生きていこうかと」
「ちょっと考えれば嘘だってわかるでしょ。まぁでも、かなり酔っ払って、私に管を巻いていたのは本当」
「……もうお酒はこりごりです。二度と飲みません」
「それは勝手だけど、あの連中が放っておくとは思えないわね」
「そうなんです! 助けてください霊夢! 今夜はここにかくまってください! 同じく神に仕える身のよしみで!」
「その神様ズはどうしたのよ」
「頼りになりません! 『好きにやってなさい、私らはここで飲み比べしてるから』って!」

 なるほど。
 これが何とかの心、子知らずというやつなのね。
 ………………。

「せいぜい、大切にしてあげなさい」
「え?」
「何でもない」
「あら早苗、ここに来てたのね」

 そこに、時間を操る十六夜咲夜が、前触れもなく出現した。
 座っていた早苗は、顔を引きつらせて、私の方に身を引き、

「ひぃっ! 出た!」
「逃げるなんてひどいわね。私のご主人様が呼んでいるので、来てくださいな。美味しいワインをたっぷりご馳走しますわ」
「助けてー! 霊夢ー!」
「霊夢も来ない?」
「後で行くから、今はそいつを引っ張っていきなさい」
「裏切り者ー! 鬼ー! 悪魔ー!」
「あら好都合。お嬢様は鬼で悪魔ですよ」
「いやー! 誰かー!」

 ずるずると半泣きで引きずられていく早苗を、私は軽く手を振って見送った。
 まぁ、彼女も近いうちに、この雰囲気に染まっていくことだろう。
 私は盃に注いだお酒を、一人で乾した。



 ころりろこん



 そこでまた、お賽銭の音がした。




***




「リグル、橙はー!? 今夜来るって言ってたのに!」
「えーと、さっき見たはずなんだけど、ミスチーまだ会ってないの?」
「すれちがいなのかー!」
「ほら、あのちびっこ達が、山で遊ぶようになった五人組のうちの三人。河童の私らだけじゃなく、天狗様も許しているんだよ」
「それじゃあご挨拶しなくてはいけないわね。私も山に住む神の一柱だから」
「これは師匠がこの前作った失敗作で、飲むと髪の毛が金色になっちゃうんだって」
「ふむふむ、なるほど。ひょっとして、魔理沙さんも似たようなもので染めてるのかもしれませんね。あとで取材してみることにしましょう!」
「あーもう我慢の限界! 始めようルナ姉、メル姉! 絶対盛り上がるよこれは!」
「あはは、リリカが大変になってるわ。私もだけど、どうする姉さん?」
「じゃあ始めようか。久しぶりに気圧も安定しているし、いい演奏になると思う」
「ちょっと待ったぁ! 一番、天子が歌います! 曲は残酷な天子の……!」
「空気を読んだ私が、ミュートにしてみました」

「…………ぐび」

 飲む。飲む。
 周囲の狂騒をよそに、ひたすら飲む。
 乾した盃の上に、持参した酒をすぐ注ぐ。
 その盃も、底の尖った大きな物。
 酒樽一つ浴びる勢いで、私はぐびぐびと飲んでいた。

「妬いてるのー!? 藍ちゃん!」

 騒ぎを縫って声が届く。視界の端に、水色の着物が現れた。
 昨晩と同じ気配、私はそれを横目に見ながら、

「ええ、妬いてます」

 そう返答すると、西行寺幽々子はあらあらと、にこやかな表情で側に屈んできた。

「ヤケ酒は体に悪いわよ。ほら、ヤケ食いにしなさい」
「お断りします」
「それなら、こちらのお酒はどうかしら」
「同じく。今夜は意識不明に陥るつもりはありませんゆえ」

 ぐい、といっき飲み。
 喉の奥がカッと熱くなる。

「いやいや藍ちゃん。そんなに飲んじゃったら、どちらにせよ眠っちゃうわよ」
「平気です。鍛え方が違いますから」
「……その言葉づかい、私へのあてつけかしら?」
「そんなつもりはありません」

 そう言いつつも、言葉づかいは直さない。
 幽々子がわずかに、困ったような猫なで声になった。

「ねぇ藍ちゃん……許してあげてくれないかしら……もちろん、私のことじゃなくて、紫のことよ」

 返事をせずにいると、亡霊は語り始めた。
 着物の袖で、よよよ、と目の端を覆いながら、

「本当はね。もっと早くに言うつもりだったのよ紫も。でもね、藍ちゃんが傷つくかもしれないと思って、なかなか切り出せなかったのよ。黙っておいたままの方が、藍ちゃんには幸せだったかもしれない。でも私は、紫が一人で背負い込むのは、もっと気に入らなくて……」

 私は幽々子と目を合わさず、仏頂面のまま、酒をあおり続けた。
 内心では、笑ってしまいそうになるのをこらえているのだが、彼女も気づいていないようだ。

「……藍ちゃんが妬くのはわかるけど、紫も大変な思いで過ごしてきたのよ。少しだけでいいから考えてあげて。もちろん、勝手な話だということは承知してるわ」
「……………………」
「昨日のことだって、悪い友人がちょっとふざけてみただけなの。だから恨むなら私を恨んで……」
「……………………」
「もう! 藍ちゃん、聞いてるの? きっと藍ちゃんなら、紫の気持ちを汲んで助けてあげると思ったのに、あてが外れちゃったわ」
「……………………」
「すねてないで、度量を見せてちょうだい。それとも私の目が曇っていたのかしら。これじゃあ、とても妖夢の修行は任せられないわね。ぷんぷん」
「ところで幽々子」
「はい、な~に?」
「昨日より強い酒持ってない?」
「ダメ。ドクターじゃないけどドクターストップ。飲みすぎは体に毒です。もっと食べなさ……」


「紫様をお助けしたいの」


 幽々子がわずかに息を呑んだのが、少し小気味よかった。
 私はしっかりした口調で続ける。

「確かにこれはヤケ酒だけど、もう一つ意味がある。矛盾はしていないさ。だって、私はあの御方の式であり、娘なのだから」
「藍ちゃん……」
「娘の私が真相を知って、ヤケ酒に浸るのは自然なこと。そして、式の私がやることは、昔から決まっている。今も、これからも変わらない」

 幼少の頃より八雲紫に使命を与えられ、彼女の目的のために鍛えあげられ、働く。
 それは遥か昔に、九尾の生き残りが辿った道と同じ。
 その栄誉を、たかが人間に与えられているという現実に、誇りが刺激されるのは否定できない。

 だが、胸を突き動かすのは、嫉妬よりももっと別の感情だった。
 それが芽生えたのは、この手で式を打つことができるようになってからか、霊夢が巫女となって異変を解決するようになってからか、あるいは賽銭箱となって、彼女の本心を知ってからか。
 どれも正しい。だが、最も大きな理由がそこにある。

「主を救うのは式の役目、その逆もまた然り。今まで頂いた御恩は、なんとしてでもお返ししなくちゃね。一肌脱ぐくらい、何でもないわ。だから、もっと強い酒ないかしら、幽々子」
「………………」

 幽々子が薄めた目の奥で、何をするのか聞いてくる。
 私は不敵に笑ってみせるだけで、答えはしなかった。
 やがて、彼女は根負けし、前夜とは違う、白い甕を取り出す。

「はいこれ。混ざり物なし。でも、もの凄く強いから、酔い潰れないように注意してね」
「いただきます」
「藍ちゃん。他に私にできることはない?」
「そうね。それじゃあ、妖夢が誤解してしまわぬように、後で便宜をはかってくれないかしら」
「お安い御用よ。後は貴方に任せたわ」

 私が首肯すると、幽々子はふよふよと宴会の集団の間を飛んで、妖夢の元に戻っていった。
 それを見届けてから、私は遠くに念話を飛ばした。

 ――……橙。そっちはどう?
 ――……はい、大丈夫です。合図があれば、いつでもやれます。

 よし、ちゃんと聞こえている。我が式ながら、なかなか覚えが良い。

 ――タイミングは一瞬よ。気づかれない距離で待機していてね。お前の足ならそれができるわ。
 ――まかせてください。絶対に成功させてみせます。
 ――張り切りすぎると失敗するわよ。適度にリラックスして。お酒の量も間違えては駄目。
 ――わかりました。でも、これって何の意味があるんですか?
 ――いつか話してあげるわ。約束する。だから、今は協力して。
 ――もちろんです。藍様も、頑張ってくださいね。
 ――ええ。橙もしっかりね。

 応援を交わしてから、私は『式』を通じた念話を切った。
 そして、幽々子からもらった、白い甕の蓋を開ける。
 中の酒は、香りを嗅いだだけで気が遠くなるほど強そうだった。昨日の状態であれば、また潰れてしまったかもしれない。
 だが、今宵は満月。妖怪がもっとも強くなる晩。
 博麗神社のお賽銭箱よ、どうか私に、この荒唐無稽な策を成功させるだけの、運と勇気を。

 祈りを終えてから、私はもらった酒を、一気に飲み干した。
 昨晩とは違う刺激が、体の内を駆け巡る。
 意識は白く透き通り、嚥下したアルコールが、腹の底で妖気と練り合わされた。
 喉の奥が燃え上がるのを確認してから、私はカチリ、と牙を鳴らして、立ち上がり、


 服の帯を解いた。








***








「……ふぃー! 五十八だよ! まだいけるかい!?」
「当たり前だよ! これからこれから!  次ー! 誰か持ってこーい!」
「神奈子は昔からうわばみよね。さて、早苗は楽しくやってるかな?」
「ためしに奇跡を起こしてみてよ。このワインを水に変えてみるとか、パンを石に変えてみるとか。素敵じゃない?」
「え、えーと。私の能力は信仰の力がある程度必要ですのでー、も、守矢神社をよろしくとしか……」
「宴会の場で宗教勧誘しなくてもいいと思うぜ」
「そういう問題じゃないと思うけどね」
「それにお嬢様、それは奇跡ではなく、詐欺師の手品といいます」
「輝夜ー、これ食ってみな! 口から火が出るほど美味いから!」
「妹紅ー、このお酒飲んでみなさいよ! 髪の色が変わるほど美味しいから!」
「どうも、相変わらずお互い」
「ええ、やっぱり苦労するわね」
「幽々子様、どこ行ってたんですか!?」
「ちょっとお散歩をね。妖夢、これから凄いことが起こりそうよ。楽しみね」
「この宴会の場で取材とは、いやはや、天狗は働き者だねぇ」
「そういう貴方は、今夜もサボりのようですね。時間があるなら、記事に協力してくれませんか? 前に相談した、『来週の死者特集』はどうでしょう」
「あ、こんばんは、にとりさん! それと、そっちは誰?」
「はじめまして。鍵山雛です」
「雛は妖怪の山の厄神だよ。山に入る者の厄を吸ってくれるありがたい神様なんだから、おまえ達もちゃんと挨拶するんだ」
「はじめましてー! ミスティア・ローレライでーす!」
「なんでくるくる回ってるのー?」
「チルノちゃん! 正気に戻って! スカートはちゃんと穿いて!」
「あーっはっはっはっはー! 最強ったらあたいね!!!」
「面白ーい! そこまで言うならこのバカと比べてみな! ほらおくう! さっさとやるんだ! あたいが許ーす!」
「……あのー、お燐。ちょっと飲みすぎてない?」
「てゐー!! どうしてくれんのよこの髪! 金ぴかでしょうが!」
「あれ、結構似合ってるよ鈴仙。今度からそれで里に出てみたら?」
「いいわね、そこの兎さん! この天子が貴方に歌ってあげるわ! 曲はムーンライト……」、
「空気を読んだ私が、キーを極低にしてみました」

「………………」

 境内の騒ぎは、収まるどころか加速している。
 縁側から眺めるやつらは、まさに阿呆の集団だったが、まだかろうじて許容の範囲内だったので、私も怒鳴って回らずにいた。

「……ところで、あんたは、あの中には入らないの?」

 私は斜め後ろに座っている、もう一人に聞いてみた。
 そこには昨日と同じタイミングで現れた、スキマ妖怪が座っている。
 服装は昨晩のナイトドレスから、白地に紫、異変を解決する時に着ていた道服に変わっていた。

「気がついたら、いつもその位置にいるわよね」
「私は私にふさわしい場所にいるだけですわ」
「そこじゃなくてもいいでしょ。後ろで微妙な距離に座られると、気になるのよ」
「お邪魔なら席を外しますけど?」

 紫は胡散臭い笑みを浮かべて、スキマを開いてみせた。

「そうじゃなくってさぁ。私を見張るだけなら、ここにいなくてもいいじゃない」
「貴方を見張る? なんのこと?」
「幻想郷を、この神社の宴会を、博麗の巫女を見張ってるんでしょ」

 私はそう言って、宴会の方に視線を戻した。
 騒霊の演奏も始まり、神社はますます賑やかになっていた。

 でも、考えてみると、不思議な光景だった。
 参加者の多くが、今までに異変を起こし、その度に私にやっつけられてきた者達なのだから。
 こいつらが神社に集まるのは、本当に私がいるからなのだろうか。心の底で、感謝してたりするんだろうか。
 賽銭箱はそう言ってくれていたけど、この様子を見ると、単に騒ぎたいだけなようにも見える。

「……こんな感じでいいんだと思う?」
「どうして私に聞くのかしら、霊夢」
「だから、あんたが幻想郷を見張ってる一人だからよ」
「それは正解。でも勘違いしてもらっては困るわ。私が行く末を決めているわけではない。起きた大波を避け、落とし穴を塞いでおいてはあげるけど、舵取りと燃料は貴方達のもの」
「また、よくわからない例えを持ち出して。それじゃあ、私の役目って何なのさ」
「あら、分かってるんじゃないの?」
「知らないっつーの」

 これだ。
 いつもこんな感じで、とぼけた会話にしてしまう。腹の底では、一体何を考えているのやら。
 やっぱり、天気に話しかけても仕方が無いってことね。
 私は匙を投げて、無関心を装うことにした。


 その時だった。


 突然、宴会の中央で、異変が起きた。
 ぼうっ、とそこが明るくなり、話していた者達、飲んでいた者達、喧嘩していた者達、誰もが目を向けた。
 宴会特有の気配が、ざわめき声へと移り変わり、最後は騒霊の音までが、異常に気づいて小さくなる。
 視線の集まった境内の真ん中、その場所が、大きく燃えていた。

「…………!?」

 青い炎が踊っていた。炎は青から緑、緑から黄色、黄色から橙、橙から赤へと、呼吸のリズムで、色を変えていく。
 やがて火炎は、先端から列となって抜け出て、とぐろを巻いた蛇のように、渦を巻き始めた。
 その間にも、周囲に火の塊が飛び散っている。それらは獣じみた動きで、空中を駆け回っては消えていく。
 参加者達がそれぞれの反応を示した。ある者は逃げ出し、ある者は仰け反って驚き、ある者は座って静観しつつも、目を見張る。

「な、なによあれ! 誰だか知らないけど、神社を火事にする気!?」

 怒鳴って立ち上がろうとすると、背後の声に引き止められた。

「霊夢、あれはただの火ではないわ」
「え?」
「あれは狐火よ」

 狐火?
 そう私が紫に聞き返す前に、火炎が形状を変化させていった。

 ぐるぐると回る炎の大蛇が、とぐろをゆるめる。
 その中心に、『それ』がいた。
 二つの大きな獣耳、切りそろえられた金色の髪、風になびく太い九尾。
 豊満な胸の前で堂々と腕を組む、彼女の姿は……


 全裸だった。


 尾の一房で大事な部分を隠している以外は、生まれたままの姿。
 白く磨かれたまばゆい裸身が、炎に色気を増している。
 くびれた腰、滑らかな肢体。性や種族を問わず、穏やかにさせぬ肉体美。
 蠱惑的な両の瞳にも焔が揺れており、口元からは光る犬歯を見せていた。
 あられもない格好にも関わらず、大胆不敵な笑み。
 古より伝わる妖狐が、そこにいた。

「ふっ……はーっはっはっは!!」

 彼女は高らかに声をあげ、夜空へと飛んだ。
 地上の炎を全て引き連れ、満月の横に浮かび上がる。
 そしてまた、大きく哄笑した。

「嗚呼! 酔った、酔った! 何と愉快な宴よ!」

 刹那、その体から莫大な妖気が放たれ、地上へと降り注ぎ、あっという間に、境内を舐めつくした。
 ぽかんと見上げていた妖怪達は、一斉に顔色を変えた。
 油を引いた大鍋に火種を落としたかのように、狂楽の気配が瞬時に引火する。
 神社を飲み込む大喚声がわき起こった。
 
 吸血鬼の令嬢が立ち上がり、赤い瞳をぎらつかせ、興奮ぎみに翼をぴくぴくと動かした。側に控えるメイド長は冷たい表情で、こっそりナイフを抜いていた。
 氷精がキンキン声をあげながら上を指差し、緑髪の妖精が真っ赤な顔でそれを止めていた。
 虫に夜雀に宵闇の三妖怪が、開いた口がふさがらない、という状態で硬直していた。
 その反対側では、いつの間にか参加していた、太陽、月、星の三妖精が、同じ状態に陥っていた。
 巻き添えはごめんだという顔で、人形遣いが一歩離れた位置で、迎撃態勢を取っていた。
 二本の角を生やしたハクタクは、血相を変えてわめいていた。その後ろでは、長い白髪の蓬莱人が、半眼に閉じた目で微笑し、右手に紅の火をちらめつかせていた。
 永遠亭のお姫様が腕まくりをして前に出て、その後ろに背の低い兎が隠れていた。しわ耳の兎が、隣に向かって何事か叫び、その医師は傍観に徹する様子で、特に主人を止める気はないようだった。
 亡霊が半人の従者の目を後ろから押さえ、従者の方はもがいていた。
 死神はその二人の横で、からからと笑って盃を掲げていた。天狗は夢中でシャッターを切っていた。
 起こった混乱をさらに加速させているのは、音をかき鳴らす騒霊の三姉妹だった。
 天人が表情に自信をみなぎらせて、手持ちのスペルカードを確認していた。その横では竜宮の使いが、わざとらしく両手を上げて驚いていた。
 腰を抜かす風祝をしめ縄の神が支え、もう一柱の帽子の神は頭上に目をやりながらも、冷静に場の気配を探っていた。
 今にも興奮に爆発しそうな地獄烏を、さらに焚きつけている火車がいた。

 居並ぶ幻想郷の猛者ども。その多くが『闘る』気だ。
 秘める力が外にはみ出し、境内の空間を圧迫している。

 姿小さな鬼が、待ちきれない様子で、天に向かって拳を突き上げた。
 その妖力が空中の炎と反応し、二、三度と大きな花火になって、夜空に轟いた。
 歓声が一際大きくなる。
 それを受けて、騒ぎを起こした張本人は、はっはっは、とまた豪放な笑い声をあげて、下を指差した。

「聞けい! 幻想郷の人妖どもよ! とくとご覧あれ! 東は稲荷、西ダキニ、氏神の座にも君臨し、殷周天竺平安朝、国を傾け幾星霜! 悪名高き九尾が末裔、八雲プリンセス天狐なり! 今宵は満月、遠慮は無用! いざ尋常に参らんか! 絢爛珠玉の弾幕で、うぬらの眼を染めてやろうぞ! その身に余る光栄、ありがたく思うがいい! はーっはっは!」

 狐は素っ裸のまま、大音声を張り上げる。
 『何ぬかしてやがるこの酔っ払い!』『ありがたいってなによありがたいってー!』等々、いくつもの怒号が湧き起こった。
 誰もが彼女に注目しているものの、腕に自信のある者達の意識は、境内の全方位に向いているのが分かる。
 互いを牽制し、我先に飛ぶ隙を窺っているのだ。
 炎の操り主は、その膠着状態を、小馬鹿にした表情で見下ろし、

「おやおや? 一城預かる強者どもが、見上げるだけとはつまらんな。牙も誇りも抜け落ちたのか、アグニの炎に見惚れたか。いやいや言うな。気持ちはわかる。容姿に自信が無いのだろう? 弾幕も胸も貧相ときては、哀れ、枕を濡らす他無かろう。指を咥えて見るもよし、地団駄で拍を鳴らすもよし。所詮は短き夏の夢。嗚呼、悲しや。南無阿弥陀仏……うおっ!」

 挑発していた妖狐に向かって、ナイフ、桃、御柱、核融合等々、様々なものが投げつけられた。

「だー、やめんか! 片付けるのは私なのよ!」

 しかし、私の声は全く届かない。
 ついに数名が誘いを受けようとし――しかし、誰よりも速く、その側まで飛び上がった者がいる。

「その勝負、乗ったぁ!!」

 一番乗りは、何と人間だった。
 箒にまたがった、黒いエプロンドレスの、金髪の魔法使い。
 夜空に浮かんだ彼女は、風に持っていかれそうになった帽子を押さえつつ、強気な笑みを浮かべている。
 言うまでもなく、私の幼馴染だ。

「酒に酔ったか月に溺れたか知らないが、今日はだいぶ弾けてるな、狐さんよ。驚いたぜ。いつもの苦労性の保護者面はどこに行っちまったんだ」

 九尾の狐、八雲藍は空中に仁王立ちし、「ふふふ……」と、その魔法使いを睥睨する。

「霧雨魔理沙か。人間の分際で、真っ先に我に挑まんとするとは、その意気やよし。弾幕は火力だというのが持論のようだが、その飾り気で私と競おうというのか?」
「あいにく、そんなケバケバしい弾幕と一緒にされちゃ困るぜ。私の弾幕はちびっ子にも人気の恋色星型。ついでに言うなら、私はこの飲み会の幹事役兼宴会部長だ。教育上悪いお姉さんは、大人しく酔いつぶれてもらおう」
「ふん、猪口才な! ならば実力で、見事私を打ち負かしてみせよ!」
「言われるまでもないさ! やっぱ宴はこうでなくっちゃな!」

 魔理沙はミニ八卦炉を、藍に向けて構えた。

「悪いが先手でやらせてもらうぜ! 恋符『マスタースパーク』!」

 轟音ともに吐き出された、圧倒的火力を有するその光線を、藍は紙一重でかわしていた。
 高速で前転しながら、自らが生み出す炎の勢いを強めている。

「その程度か! 次はこちらからやらせてもらうぞ! 式符『グッドラックヴァイオレットサマー』!」

 宣言するとともに、藍が口から狐火を吹いた。
 炎が塊となり、そこからいくつかの数珠となって飛び出す。
 魔理沙は箒に乗ったまま、縦横無尽に動き回って、それをかわしていく。
 夏の夜を彩る、ド派手な弾幕ごっこが始まった。




「いけー!! そこだー! うっちゃれー!!」
「頑張れ魔理沙ー! ぶっ倒せー!」
「藍さんを正気に戻してー!」
「もう少し! ちいーっ! 惜しい!」

 普段は物静かな九尾の豹変と、幹事を担当する人間の挑戦。
 地上のギャラリーは熱狂状態にあり、盛んにヤジを飛ばしながら、その対決を観戦している。
 対して私は、そこから離れた、神社の拝殿前の廊下から、空中で戦うハイテンションの二人を、半ば放心、加えて脱力した気分で見上げていた。

「……アレ、どうしたのよ」

 聞きながら、ちらりと見てみると、

「……知らないわ」

 荒ぶる式を見る紫は、私よりもはるかに冷たいジト目だった。

「知らないって、あれあんたの式でしょ」
「知らないもの。どうせ、満月で気が昂ぶってるんでしょう」
「そんなレベルには見えないんだけど……。あんたがまた虐めて、ヤケ酒飲んでたんじゃないの」
「別に何もしてませんわ」
 
 紫はあくまで白を切る。
 その間も、弾幕戦はエスカレートしていく。
 だが、二人は暴走しているようでいて、ちゃんと弾幕ごっこの形式を守っていた。

 魔理沙のスペルカードはいつものごとく大迫力。
 轟音と派手な光を見せびらかす、火力至上主義にふさわしい弾幕だった。
 箒に乗る彼女は、ギャラリーへのサービスも忘れていない。
 曲芸で弾幕を避けながら、地上すれすれを飛んで逆の位置に戦場を変えたりして、見る者を楽しませてくれる。

 対する藍も、それにリズムを乱すことなく、裸のまま前転しながら、魔理沙の弾幕の間を飛び回っている。
 容姿こそ尻尾の生えた女性だけど、動きは野生の狐そのもの。加えて、あの格好なので、十分ギャラリーにアピールできている。
 弾幕も、形状や色調に意匠を凝らし、観客の目を引き付けてやまない、創意工夫のなされたものだった。
 それにしても、どれもこれも見たことの無いスペルカードだ。ひょっとして、即興で編み出しているんだろうか。
 凄いとは思うけど、なんであんな一生懸命に盛り上げようとしてるんだろう。

「馬鹿な子……」

 背後でぽつりと、紫の呟き声がした。




***




 巨大な炎の雲の端から、魔法使いを乗せた箒が、迂回して現れた。
 彼女は口に挟んでいたスペルカードを抜き取り、私に向けて宣言してくる。

「魔符『ミルキーウェイ』!」

 大きな星型の弾幕が風車のような軌跡を描き、左右から色とりどりの星が、光りながら流れていく。
 私は炎で裸身を包み、あるいは解き放ち、その弾幕をわざと大胆な動きでかわしていった。

「ふふふ、夏の夜に天の川を泳げるとは、なかなかいい経験だ! 感謝するよ!」
「そいつは構わんが、目のやり場に困るな!」
「なに、昼間が暑かったんでね!」

 互いに軽口を叩き合う中、私は冷静に思考を働かせていた。

 さっそく予定に狂いが生じている。
 てっきり相手になるのは妖怪だと思っていたのだ。
 霧雨魔理沙。魔力の出力だけなら人間の域を超えており、技量もまずまず。弾幕も地味とは程遠い。
 ただし、精神にムラがある。雑念が多すぎて、弾幕に集中できていない。
 従って、上位の妖怪と比べ、どうしても見劣りしてしまう部分があった。
 それとも、ギャラリーを意識して動きが固くなっているのか。

「脱いで注目を浴びようっていうのは邪道だぜ。言っておくけど、羨ましいわけじゃないからな」

 ……まさか私の格好に動揺しているわけではないと思うが。
 ともかく、第一幕は終了に近づいている。

「お前の言うとおりだ。今までのは前座、真打ちはここからだ」

 私は尻尾の毛を二、三度震わせて、火の粉を払った。
 そろそろ観客も変化が欲しいところだろう。
 あらかじめ、勝負は第二幕だと予測していた。
 私の方は準備ができている。やはり問題はこの相手だ。
 霊夢とは違うが、彼女も普通の人間には思えない。
 強い。が、心に強さと同居する、何かの『殻』を持っているように見える。
 一つ、心当たりがあった。

 私は背後に用意した弾幕を、全てばら撒いた。
 炎の列が、大外から螺旋を描き、彼女を私の側まで誘導させる。
 間近に来た魔法使いに、私は切り込んだ。

「魔理沙……あいつに勝ちたいか?」
「まだ勝負はついていないぜ!」

 予想通りというか、魔理沙の回避に、苛立ちが増した。
 魔弾を次々に放ちながら、私から距離を取ろうとする。

「答えろ魔理沙! あいつを超えたくないのか!」
「さあな! 私には興味の無い話だ!」
「霊夢に勝ちたいんだろう!」
「知らん!」

 炎の中、箒を操りながら、魔理沙は吼える。
 スペルカードは信条を、弾幕は本質を、回避は感情を、如実に現している。
 言ってみれば、この人間は正直なひねくれものだった。
 表面上は熱くクールを装っているが、中身は熱く、一生懸命だ。

 私は炎の流れを変えた。
 境内と私達の間に、厚い熱いカーテンを引きながら、

「安心しろ! あいつもお前も人間だ!」
「ああ、そうさ! だから余計に腹が立つけどな!」
「超えたくないのか!」
「………………!」
「カッコつけなくていい! この炎の中では誰も聞いてないさ! 正直にぶつかってこい! どうだ!?」
「……くっそぉー!!」

 魔理沙がスペルカードを発動させる。

「『ブレイジングスター』!!」

 彼女は箒に乗って、魔力の固まりとなり、がむしゃらに真っ向から突っ込んできた。

「超えるとか超えないとかじゃない! 私はただ、昔っからあいつを驚かせて……!」

 怪物じみた突進を、私は寸前まで引きつけてかわす。
 過ぎていく魔理沙は急ターンして、再び向かってきた。

「……私を追いかけさせてやりたいだけだ!!」

 繰り返される衝撃波に混じって、魔理沙のわめき声がした。

「……子供の頃、お祭りで会ったことは覚えていないし!」
「ほう!?」
「……輪投げで遊んだことも忘れているし!」
「それは初耳だな!」

 霊夢から聞いた話を思い出し、私は愉快でたまらなくなった。

「……別に一人で居ても平気だ、とかぬかすし! ……お賽銭の秘密も教えてくれないし! ……いくらなんでも薄情だろうが!」
「そうだな! あながち間違っちゃいない!」

 弾幕越しにすれ違うたびに、私達は互いにだけ聞こえる言葉を交わす。

「一つアドバイスがある!」
「……なんだよ!」
「向こうが絶対に動かないなら、いっそお前から飛び込んでみたらどうだ!」
「……そんなことできるか!」
「なぜだ!」
「……なぜって、あいつはもう博麗の巫女なんだ!」
「だからどうした! 解は一つじゃない! なんのために弾幕ごっこがあると思っている!」

 魔理沙が箒に急ブレーキをかけ、跳ね返った弓のように反転した。
 五芒に光る宝石の波が、勢いのままぶちまけられる。
 私はそれに、きりもみしながら突っ込んだ。
 いくつもの弾が身をかすり、下からまた歓声が起こった。
 しかし、上空で待つ魔法使いは、呆然としていた。
 弾幕の修羅だった様子が消え、あどけない表情をしている。

「お前……本当に酔ってるのか?」
「ふん」

 私は鼻息で答えて、指の一つを噛み裂いた。
 スペルカードに血を走らせ、印を手早く完成させる。
 炎が大蛇から龍へと昇華し、九つの梵字が曼荼羅を形成する。

「悪いが、もう一段階レベルを上げるぞ。下の連中を退屈させるわけにはいかないんでね」
「……言ったなこの野郎!」

 魔理沙が頬を引きつらせた。
 怒りを剥き出しにした、それでいて心底嬉しそうな、極上の笑みだった。
 私もそれに呼応するように、口の端が自然と持ち上がる。
 彼女は妖怪ではなく、人間なのだ。可能性に賭けるとすれば、そこしかない。

「さぁ来い魔理沙! 霊夢も見ているぞ! 人間がどこまでやれるのか、あの妖怪どもに見せつけてくれ!」
「はっ! 妖怪のお前さんの台詞じゃないぜ!」
「妖怪の私が、それに惚れてしまったのさ! スペルカードで相手するなら、お前みたいな人間の方が好みだ!」
「あーそうかい、人気者は大変だな! こうなったらお前の弾幕、一つ残らず盗んでやる!」

 いらぬ錦を脱ぎ捨てて、私と魔理沙は、互いの弾幕に魂をこめた。




***




 星と満月を背景に、激しい勝負が続いている。
 だが、進むにつれて、上も下も様相が変わってきた。

「すごい……」

 私は我知らず、呟いていた。
 ギャラリーもいつしか騒ぐのをやめ、その多くが陶然として、あるいは食い入るように戦況を見つめていた。
 上で繰り広げられている弾幕ごっこが、どれほどの質か気がつき、ふざけた態度を改めて、勝負の行方に真剣になっているのだ。
 かくいう私も、後始末のことで頭がいっぱいだったのに、いつの間にか勝負に見入っていた。

 魔理沙の動きは、序盤よりも格段に凄さを増していた。同じ人間の私が到底適わぬほどのスピードを維持したまま、入り組んだ形の炎を攻略していく。
 虚勢を捨てて勝負に没頭しているためだろうか、動きにキレがあり、放つ弾幕も精度が上がっている。
 しかも、直線的で小回りの効かないはずだった箒が、だんだん自由になっていった。戦いの中での成長に、妖怪達は明らかに驚いている。

 その魔理沙を即興で鍛え上げているのは、藍の弾幕だった。
 いくら満月とはいえ、みだらな格好で飛び回るだけなら、すぐに境内の興奮は冷めていただろう。
 だが、彼女は本気だった。人間に対しての驕りを見せず、全力で魔理沙と向き合っていた。
 叩き潰すのではない。魔理沙が派手な弾幕を放てば、それが一番映えるようにかわし、彼女の色彩と対になるように、弾幕を選択する。
 ほどなくその意図に魔法使いも気づき、藍に呼吸を合わせるように、飛び方を変えていった。

 一方が好き勝手に自己主張するのとは違う、人間と妖怪による舞いの境地。
 相手を色眼鏡で見ず、あるがままに本質を認め合うことで、初めて到達できる領域。
 二人の勝負は、私がここでおばちゃんと体験した、あの時の遊びに似ていた。
 弾幕を通した心の交流に、誰もが魅せられているのだ。
 あの人は、この光景を見たら、どんなことを言うだろうか。

「……いつ見ても、感心するわ」

 紫の声に、私は振り向かずに聞いた。

「何が?」
「この遊びよ。人間と妖怪が共通の場に立ち、空にお互いの個性を描いていく絵画。とても素敵だと思わないかしら?」
「……そこまで素敵なもんかね、これが」
「貴方が考えたんでしょうに」
「私の手柄じゃないわよ」
「謙遜しなさんな」

 謙遜ではない。
 この遊びは私だけの思いつきじゃなく、あの人との合作だった。
 そして、それがここまで幻想郷に広まったのも、妖怪の基本的な性格を考えれば、自然の成り行きだったのだろう。
 はじめは、私とあの人だけの弾幕だったのに、気づけば、使うものの個性の数だけ、種類が生まれている。
 これから無限に増えていくのかもしれない。
 その先は、私にも分からないけど、

「これが……楽園に繋がるのかな」

 私は無意識に呟いていた。

「これで……いいんだよね」

 それは、天国に向けたひとり言だった。
 ひとり言のはずだったのに、予想外の返事があった。

「よくやっていると思うわよ、貴方は」

 私はその声に、苦笑するしかなかった。

「あんたに誉められてもねぇ」
「……そうね。私が誉めても仕方が無いわね」

 それを最後に、紫の気配が消えていく様子が感じられた。
 どうやら、あの狐は放っておいて、一人で帰るつもりらしい。
 つまり、この騒ぎを見届けて始末をつけるのは、私に任せたということか。
 私はため息をついて、立ち上がりかけ……


 どん!


 いきなり、突き飛ばされた。
 視界に映った球体、飛んできた柔らかい鞠のようなものに、肩を一撃され、大きく後ろにはね飛ばされていた。

「っ痛ぁ! な、なに!?」

 もう少しで、床に頭を打ち付けているところだ。
 咄嗟に背中を受け止めてくれたのは、まだスキマから帰っていなかった紫のようである。
 そして、私にぶつかってきたそのボールの正体は、あの式の式の化け猫だった。
 それに気がついて、私は一喝しかけたが、すぐに毒気を抜かれてしまった。

「……どうしたの、あんた?」

 球形を解いた八雲の式の式、橙は、とろんとした目つきで、左右に揺れていた。
 その様子は、昨日の宴会で見た風祝にそっくりだ。
 つまりこの猫は、完全に酔っ払っていた。

「ふへぇ~……らんさま~……ちぇんはやりましたよ~……」
「…………?」
「ほめてくださいらんさま~……」

 そのまま、ふらふらと歩き去っていく橙。
 酔っ払って私に飛びついてみただけのようだ。向こうで暴れている藍と私を見間違えでもしたんだろうか。
 保護者も保護者なら、式も式か、と呆れるしかない。
 彼女達の主人、背中にいる存在に、私は言ってやった。

「あのねぇ。飼い主ならちゃんと責任持って面倒みなさいよ。なんか昨日別の一家にも言ったような気がするけど」
「……………………」
「ああ、受け止めてくれてありがと。もう大丈夫よ、紫」
「……………………」
「紫?」

 彼女の手は、私の体の前に回され、組まれていた。
 背中はぴったりとくっついている。

 不穏な気配に、私は身じろぎした。

「……ちょ、ちょっと」

 だが、いくら動こうとしても、彼女は私を放そうとしなかった。

「一体どうしたのよ。まさか、とって食おうなんて言うんじゃないわよね。あんたも満月でとち狂ったわけ?」

 だが、彼女は落ち着いているようだった。
 というより、放心しているようだった。
 それどころか、気が沈んでいるのがわかった。

 ……え?

 沈んでいるのが、わかった?

 私は紫の感情の変化を察したことなど、ただの一度も無い。
 それなのに今、彼女が呆然としているのが、彼女が沈んでいるのが、




 彼女が、泣いているのが、わかった。








 向こう側では、相変わらず弾幕ごっこが行われている。
 誰もが空を見上げていて、私達など気にもしていない。
 なぜか、その音も気配も遠ざかっていく。繋がっていた空間が、神社の階段を境に剥離していく。
 やがて宴の喧騒が、はるか向こうの写真になる。
 無音になった空間の中、彼女の体温だけが、はっきり感じられた。

「紫……」

 呟く私の頭の中で、いくつもの記憶のしゃぼん玉が、はじけていった。

 これまで解決した異変のこと。
 スペルカードルールを提案したこと。
 はじめて魔理沙に名乗られて、最後は喧嘩して別れたこと。
 神社で長い間、一人で過ごしていたこと。
 あの時に現れた、不思議な女の人のこと。
 彼女とお賽銭箱の前で決闘して、願い事を託されたこと
 はじめてこの神社にやってきた時のこと。
 はじめて巫女服に腕を通したこと。
 里のお祭りで、遊んだこと。
 孤児院でいじめられていた子を、助けてあげたこと。
 空を飛べるようになったこと。
 何やら取り乱していた大人達に囲まれて、里に運び込まれたこと。

 古いものも、新しいものも。知っているものから、忘れていたものまで。
 次々と、しゃぼん玉は、はじけていく。

 そして、私の一番古い記憶の戸が、静かに開いていった。


 静かな夜だった。
 満月が雲に隠れていた。
 どこかの森のようだけど、草の香りに混じって、鉄さびの臭いがした。
 言いようの無い寂しさに、私はこらえきれずに泣きだした。
 だけどすぐに、優しい感触に包まれた。誰かの腕に抱かれていた。
 彼女は子守唄を歌って、泣いている私を寝かしつけてくれた。
 けど、その声は。

 …………楽園……か……

 月の光に、一瞬浮かび上がった、その人の素顔は。


 なぜだろう。

 今、私は、パズルの最後の欠片がはまった音を、確かに聞いた。
 だけど、出来上がった絵は、とても悲しくて、今にも崩れそうだった。
 夢にも思わぬ輪郭は、あまりにも私に残酷だった。

「……紫……どうして……」

 体中の血が凍りついたようで、息がうまく吸えなかった。
 背中の存在は沈黙したまま、何も語ってくれない。
 いらぬ勘が告げていた。
 振り向くと、全てが変わってしまうということを。
 そしてもう二度と、後戻りはできないということを。
 それが正しい道なのかどうなのか、まるで判断できない。
 私は真っ直ぐ前を見たまま、じっと時が過ぎるのを、待つことしかできなかった。

 だけど、この心はどうすればいいの。
 頭を燃やす怒り。胸を裂く悲しみ。臓腑をえぐる絶望。足が震えるほどの、喜び。
 あふれだす感情の洪水に、私は自制ができずにいる。
 どうすれば、いいんだろう。わかんないよ。
 助けて、おばちゃん。助けて、紫。




 首筋にぽつりと、何かが一滴、降った。
 ぽつり、ぽつり、と私の肌を湿らせていく。
 かわすことのできない、世界で一番小さな弾幕だ。
 暴れていた心が、その雫に動きを止め、溶けて消えてしまった。




 声を押し殺して泣く彼女の手を、私はそっと撫でた。

「ねぇ……聞いてくれる? 紫」

 私は寝物語のような声音で、優しく語りはじめる。

「昔、ここでね。大切な人と出会ったの」

 背中越しの彼女の体が、大きく一度震えた。

「私はおばちゃんって呼んでたけど、とっても綺麗で、優しい人だった。憧れていて、大好きだった」
「……………………」
「弾幕ごっこも、その人との遊びで思いついた。巫女を続けているのも、その人のおかげ。もし、私にお母さんがいるなら、きっとこんな人なんだろうな、って……そうだったらいいなって、本気で思ったの」

 私は慌てず、彼女に向かって、一歩一歩慎重に歩み寄った。

「最後にちゃんと『お母さん』って、そう呼んでみたかったんだけど、あの人はその前にいなくなっちゃった。きっともう、死んじゃってるのね。だってあれから、ずっと会いに来てくれないんだもの。だから仕方が無いんだって、とっくに諦めてるわ」

 彼女は何も言わない。
 私は一人で、悲しいお芝居を続けていた。

「だけどね、いつか聞いてみたかったことがあるの。紫、あの人のかわりに、聞いてくれないかしら。どうしても、聞いてほしいから」

 ようやく、彼女が頷く気配がした。

 そこから先は、お芝居ではなく、本当の物語。

「……ねぇ、お母さん」

 私は頭を、紫の体に預けながら、囁いた。

「私、よくやってると思う?」
「ええ……そう思うわ」

 二ヶ月、ずっと泣いてた。
 賽銭箱の前から、離れようとしなかった。

「お母さんは、私を誉めてくれるかな」
「ええ……貴方が誇らしいわ」

 三年、修行に明け暮れた。
 きっとまた、会いに来てくれると思った。

「いつか楽園を見せてあげるからね」
「ええ……きっと貴方ならできるわ」

 それから、もう二度と会えないんだと、気づいた。
 努力なんてしても、無駄なんだと、悟った。

「これからも、見守っていてね」
「ええ……いつでも、見守っているわ」

 けれども、巫女を辞めたくなかった。
 やっぱり、巫女を辞められなかった。

「私……ずっと待ってたの。忘れてなんていなかったよ」
「私も……ずっと覚えていたわ。ごめんね……ずっと待たせて」

 だって、約束したんだもの。
 あの時ちゃんと、願い事を託されたんだもの。

「ううん。ありがとう。今はそれだけでいい。本当よ。だから……いつかその時が来たら……」
「……………………」

 辞めなくて、よかった。
 彼女はいつも、私を見守ってくれていた。

「ちゃんと……話してね。全部、聞かせてね。私はこれからも……ちゃんと待ってるから」
「ええ、約束する……約束するわ」

 付かず離れず、側にいてくれていたんだから。
 再び、耳に音が戻ってくるまで、私は強く……強くその手を握った。

「よかった……もう一度、その声が聞けて」









 夜空に響いた花火の音が、離れたここまで聞こえてくる。
 気がつくと私の意識は、神社の宴に戻ってきていた。
 頭上では、まだ弾幕ごっこが行われている。だけど、もうすぐ決着がつきそうだ。
 私は彼女の懐から、すうっ、と浮いて離れた。それは、私が私だと実感できる、確かな、それでいて無形の感覚だった。

「あーあ、ちょっと酒に酔いすぎたわ。向こうで醒ましてくる」

 私はさりげなく顔を袖でぬぐい、急いでその場を離れようとした。
 けれども、


「霊夢っ!」


 悲鳴に近い声が、私の足を引きとめた。
 それを振り切ることなんて、できるはずがない。

「……教えて……博麗の巫女に選ばれたことを……私を……本当に恨んでいないの?」

 彼女のそんな声を、私は初めて聞いた。
 だけど、その内容も、心外だった。

「……紫。勘違いしてない? 私は選ばれたんじゃないわ」

 私は背筋を伸ばし、あの頃よりだいぶ大人びた声で続けた。

「私はあの時に、『選んだ』の。博麗の巫女になること。この幻想郷を、楽園にすることをね。それが、『私達』二人の願いごと。お賽銭箱に誓った、三つの願い事の一つだったのよ」
「…………………………」
「だから、恨んでなんていないわ。むしろ感謝していて、ずっとお礼が言いたかった。あの時、遊んでくれてありがとう、助けてくれてありがとうって。それが、今日の今日まで、お賽銭箱しか知らなかった、私の大切な秘密」
「…………………………」
「暢気で危機感がない、ってことは自覚してるけどね。楽園は必ず、私が生み出してみせる。それだけは、今も変わってない決意」

 十五になった私は、小さく息を吸って、思いを告げた。

「だから、待ってて。きっといつか、願いを適えてあげるわ。私は、博麗神社の巫女だから」


 それが、魔法が切れる合図だった。


 大きな花火の音がして、星屑が空に散らばった。
 長い長い弾幕ごっこが、ついに幕切れとなったのだ。
 九尾の式が煙を噴いて、まっ逆さまに落ちていく。
 地上で勝負の行方を見守っていた者達は、拍手喝采を送り、二人を褒め称えた。
 夜空では、勝利した魔法使いが、箒で流れ星を描いている。一瞬見えた彼女の顔も、すがすがしかった。

 私はその光景を見上げたまま、後ろに声をかけた。

「それで、もう振り向いてもいいわけ?」
「ええ、もういいわよ」

 それは、いつものスキマ妖怪の声だったけど、私は念のため確かめた。

「まさかと思うけど、いなくなってたりしないわよね」
「ご安心を。ちゃんとここにいるわ」

 鼻につく胡散臭さ、普段どおりの受け答えで、私は安心した。

「今夜のあんたは変ね。満月だからかしら」
「変なのはお互い様よ」
「そうかなぁ」
「ええ、そうよ。ちっとも霊夢らしくないじゃないの」
「何いってんのよ。今夜が満月だからよ」
「なるほど。今日は満月でしたわね」
「ええ、満月でしたわよ」

 私達はとぼけ合いながら、小さな声で笑いを交わした。
 安らぎを得た紫の声が、私の名を呼んだ。

「霊夢……」
「何?」
「最後にもう一度だけ、いいかしら」
「一度だけならね」
「大丈夫なのね?」


 かかったな。


「くすん。実はきついです」




「………………」
「……ぷっ! あはは!」

 背後で黙り込む紫が可笑しくて、私は盛大に吹きだした。
 本当に、愉快でたまらない。今までためていた曇りが、全て吹き飛んでしまった。

 神社はまた騒がしくなってきた。弾幕ごっこの熱は、まだ冷めていない。
 九尾の式が、大の字になってのびており、二尾の式の式が、その上に毛布をかけてあげている。
 魔理沙が地上に下りてきて、『霊夢ー! 見てたかー!』と無邪気な顔で笑っていた。
 その周りに、妖怪や人間、あらゆる種族を含めて、参加者全員が集まっていた。
 みんな、みんな、誰もが私を見ていた。

 まったく……どいつもこいつも。
 お賽銭箱はちゃんと聞いてるだろうか。この楽園の歌声を。
 どうか六十年後にも、届けてほしい、この歌を。


「だってさ! この役目、後片付けが大変なのよ!?」


 面子が大勢集まった境内へと手を広げつつ、私は後ろを振り向いて、そこにいる彼女を見上げた。


「今夜もこんなバカ騒ぎなんだから!」


 あの日と今を結ぶリボンに、とびっきり素敵な笑顔を添えて!




 
 神社の宴は、今夜も大賑わい。
 その中には、幸せそうな巫女の笑顔。
 彼女が見た光景は、かつて賽銭箱に願った、楽園そのものでした。



 ※あとがき http://yabu9.blog67.fc2.com/blog-entry-75.html
 ※後日談  http://yabu9.blog67.fc2.com/blog-entry-128.html

旧名:PNS

このはずく
http://yabu9.blog67.fc2.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.8150簡易評価
8.90うそうそ削除
よくできていた

時系列をあえて説明する手法が、読み手の気持ちを意識的に切り替えさせており
さらに回想に小さな山場を置き、現在の場面を淡々と運ぶことによって、
人物の対象的な心境をうまく描いていた

しかし一方で、冗長な台詞、地の文における過剰な説明が
現実感、臨場感を失わせていた(=人が語りすぎていた)
また物語に即した情景描写、比喩表現が少なかったため
全体として文章が幼いように思えた



ところで、藍が脱ぐ意味はあったのだろうか
どうせ脱がせるのなら、揺れる乳や流れる汗、弾けんばかりの肌についてもっと詳しく描写してもらいたいものだ

次回のSSに期待する
11.90名前が無い程度の能力削除
いい話じゃあないか……
14.90名前が無い程度の能力削除
久し振りに涙が止まらない…。

良い話をありがとうございます。
16.100名前が無い程度の能力削除
いい話だな……
17.100名前が無い程度の能力削除
2と3の最後で涙腺崩壊…。
が、確かに藍様が脱ぐ必要はあったのだろうか?
そこだけがちょっと疑問。
18.100名前が無い程度の能力削除
愛を感じた。いろんな愛。
そして温かい気持ちになれた。

ありがとう。
19.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
20.100名前が無い程度の能力削除
藍様脱がなくてよかったですねw

しかし、いい話だった……
21.100名前が無い程度の能力削除
かなりの力作で読みごたえがありました。
シンプルな文体で感情移入がしやすく後半は涙腺が緩みっぱなしに……。
箱入り藍様や少し生意気な子供霊夢も面白かったです。
22.100名前が無い程度の能力削除
霊夢、藍、紫、それぞれの想いに胸を打たれました
最終的に幸せな形に収まってるのもとても素敵です
いいお話でした
26.100名前が無い程度の能力削除
とても温かい幻想郷でした
ありがとう
30.100名前が無い程度の能力削除
私は藍が脱いだのは良い描写に思いました。
大一番で脱ぐことで普段の藍から逸脱した、紫への想いの本気さと必死さが伝わりました。

博麗の巫女というテーマ、とても面白く感動しました。
31.100名前が無い程度の能力削除
プリンセス天狐だと……
40.100名前が無い程度の能力削除
文字通り一肌脱いだわけですね
あとてんこ、それ天子やない天使や
43.100名前が無い程度の能力削除
おぉ力作で大作ですね。
どうまとめるのかと思いきやラストはど派手にそれでいてしっかり〆られてて良かった!
44.100名前が無い程度の能力削除
感動した。
46.100名前が無い程度の能力削除
48.100名前が無い程度の能力削除
藍様が脱いだのは笑い成分でしょ?話の本筋以外のああいう遊びの部分が読み手を楽しませるサービス(藍の宴会の客に対するサービス)だと思ったけど。長かったけど飽きずに楽しめた。最後はハッピーエンドで大満足です
52.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。
55.100名前が無い程度の能力削除
これはいい
57.100名前が無い程度の能力削除
話の長さが気にならない程良く出来た作品だと思います。

ありがとうございました
59.100名前が無い程度の能力削除
霊夢の過去を描く作品は多いですがこの作品の完成度にはただただ驚かされます。
それにしてもこの作品の藍さまは偉すぎる。
脱いだのも、話が重くなりすぎず良かったと思います。
素晴らしい作品をありがとうございました。
68.無評価名前が無い程度の能力削除
神降臨(´;ω;`)ぶわっ
69.100名前が無い程度の能力削除
点数!!
70.100名前が無い程度の能力削除
久々に出ましたね!他とは頭二つは飛び出たレベルの超良作!
作者には精一杯の拍手を贈ります!
73.100名前が無い程度の能力削除
藍の口上で鳥肌、霊夢と紫の会話で涙腺刺激されまくり。
ひさしぶりに100点以上つけたかったです。
80.100名前が無い程度の能力削除
さすがですね。
宴会後どんな会話がなされたんでしょうねぇ。
86.100名前が無い程度の能力削除
やはり彼女は素敵な楽園の巫女です
いい話でした。それしか言えない自分が情けない
88.100名前が無い程度の能力削除
>式符『グッドラックヴァイオレットサマー』

頑張れ紫様、か
93.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりに点数つける気になった
94.90名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。素晴らしいが…人間と妖怪の楽園を表現する場での、藍と魔理沙の会話のくだりは少々本筋から外れた蛇足だったのではないだろうかとも思う。
95.100名前が無い程度の能力削除
感動しました。
紫と霊夢は前から親娘っぽいと思っていたのでこの設定はしっくりきました。
紫を助けたいという幽々子や藍の想いも良かったです。
99.100名前が無い程度の能力削除
感動した。
101.100名前が無い程度の能力削除
あなたが書く八雲家はいつも素晴らしい!!
105.100名前が無い程度の能力削除
良作が埋もれているのは悲しい
107.100名前が無い程度の能力削除
それぞれのキャラがいい味を出してた話だと思います。良い作品でした。
110.100名前が無い程度の能力削除
一気に読んでしまいました。
113.100名前が無い程度の能力削除
ぐーっじょぶ!
ぶらぼぉ!
さいこーでしたっ!!
116.100名前が無い程度の能力削除
最近小品なSSが評価されがちですが、こういった大作もやはりありがたいものです。
とにかく、素晴らしい。ありがとうございました。
120.100名前が無い程度の能力削除
うほっ、いい大作
125.100名前が無い程度の能力削除
なぜ、脱いだし
128.100名前が無い程度の能力削除
脱いだwwwwww
130.100名前が無い程度の能力削除
いやぁもう
131.100名前が無い程度の能力削除
涙腺崩壊・・・(´;∀;)
133.100名前が無い程度の能力削除
もう散々突っ込まれてるけど、言うわ。
何故脱いだwww
135.100名前が無い程度の能力削除
良い物語をありがとう
素晴らしかったです
145.100名前が無い程度の能力削除
ブラヴォー
148.100みなも削除
この小説,大好きです.
151.100名前が無い程度の能力削除
家族、ですね。
いい娘たちじゃないか。
155.100名前が無い程度の能力削除
イヤッホオーゥ!最高でしたよ!
157.100名前が無い程度の能力削除
(´;∀;)
159.100名前が無い程度の能力削除
泣いて笑って(スッパ自重www)そして泣いて、
思いっきり楽しませて頂きました!
素晴らしい大作をありがとうございました!
161.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい、ありがとう
166.100名前が無い程度の能力削除
あなたが神か・・・
167.100名前が無い程度の能力削除
最高ではないか。
168.100名前が無い程度の能力削除
もっと評価されるべき
176.100名前が無い程度の能力削除
あぁ・・・、ありがとう
素晴らしい
182.100名前が無い程度の能力削除
ブラボー!!oh ブラボー!!!!
184.100DD51削除
後日談が追加されている……!!何度も読み返させていただいております。普通、オリジナル設定における物語はほぼ確実にボロが出るものですが…、これは凄いです。何度も涙目になりつつ読ませていただきました。後日談含め、200点入れても足りない位です。これからも頑張って下さい!
P.S.PNSさん含む4名の織り成す物語、何時か買いたいです(今金欠なもので…orz)
185.100名前が無い程度の能力削除
娘たちがいい子すぎる、所々で涙があふれてきました。
特にラストが秀逸でした、藍様と橙だけでなく霊夢にもしてやられる紫、そしてこの後も笑顔がずっと続いていくことが確信できるような爽やかで心地よい読後感をえられました。
193.100名前が無い程度の能力削除
なぜこんな素晴らしい話にもっと早く気づかなかったのか・・・久々に感涙させていただきました。
210.100ばかのひ削除
これだからやめらんねえ