幻想郷には初春が訪れていた。白に包まれた世界が緑に覆われようとしていた頃、空には春告精が飛び回り、土の上では芽吹こうとしている若芽が踊っている。博麗神社にも蕗の花が咲き、冬の終わりを感じさせている。妖精すらも冬の眠りから覚め、活動的になる春。しかし、博麗神社の巫女と、訪れた者達は暗い冬のような顔を携えていた。
「どうすればいいんのかしら……」
「私にも対策がわからないぜ……」
「ですが三人寄れば文殊の知恵とも言いますし、三人で知恵を出し合って対策を考えましょう」
霊夢、魔理沙、早苗の三人は博麗神社に集まっていた。そして一つの問題に頭を抱えていた。冬が終わりを迎え、妖精達が力を取り戻す時期となったことに伴ってか、最近「ベントラー」と呼ばれるものが幻想郷に姿を見せていた。
「そもそもベントラーって何なのかしら?」
霊夢は透き通った黄色の、お茶のような匂いをした液体を飲みながら、浮かない顔でそう呟く。ベントラーとは何なのか?それすら未だに不明なのである。
「まずは私たちのわかることをまとめようぜ」
魔理沙は十二分な加湿が施された煎餅を口にしようと努力しつつ、その堅さに少し辟易した顔でそう呟いていた。
「そうですね、敵を知り己を知れば百戦危うからずといいますから」
早苗はお茶に手を付けることもなく、そう述べた。三人は早苗の意見に従い。各々の知る限りの情報をまとめていく。大まかにまとめれば以下のようなものであった。
・ベントラーとは妖精を退治した際に現れるものである。
・ベントラーには赤・青・緑の三色のものがある。
・ベントラーには二種類ある。色を変えるものと、色を変えることがないもの。
・色を変えるものは人間が近づくとその変化を止める。
・ベントラーに触れ続けると謎の飛行体が現れる。
・ベントラーの出現する場所は限られている。
・ベントラーは一定の時間は決まった範囲より外へは移動しない。
「こんなところでしょうか?」
早苗は皆の意見と遭遇した際の感想をまとめ、メモしていく、その正体はわからないが、ベントラーの存在と行動はある規則に基づいているといることは推察できた。
「そうね、ベントラーの生態、あれが生き物かはともかくだけど、その活動についてはそれでいいと思うわ」
その行動パターンについては推察できた。しかし三人の顔は相変わらず沈んだままである。
「だけど、もう一個重要なことがあるんだよな……」
「そうですね。一番の問題が」
一番の問題、それはベントラーには不思議な求心力があるということであった。何故か人間はベントラーを見るとそれに触れずにはいられないのである。それには大まかに分ければ二種類のパターンがあった。赤型と青型として三人はそれを認識している。そして、その三人もベントラーの呪縛に捕らわれているのであった。
「みんなはどうなの?私は青なんだけど」
「私も青だぜ」
「私は赤ですね」
三人が感じている傾向としては、妖怪退治や己のスペルカードに自信があるものは青型、そうでないものは赤型になるらしい。それ以外にも、緑に急に触れたくなる。三色バラバラのベントラーに触れたくなる。と言ったことが突発的に訪れることもあるようだった、しかし、基本となることは赤と青であり、そして三人もその傾向にあり、それに悩まされていた。
三人の間には沈黙が訪れる。博麗神社名物の出涸らし茶を黙々とすする音だけが、空しく境内にこだましていた。ベントラーとは何か?というものは所詮些細な問題でしかなかった。何故かそれに触れたくなる。その欲求が三人には恐ろしいことであった。
「みんなはベントラーを見たらどうなるの?」
「そうだな……体がうずくんだ。どうしても触れなきゃいけないって気分になる。妖精達相手にマスタースパークを打ってでも取らなきゃって気分になるのかな」
魔理沙の意見に三人も同意する。皆ベントラーを前にすると、同じ感覚を抱いていたからである。
「ですが、不思議と触れることに恐怖と嫌悪感を覚えるときもありますよね?」
その早苗の意見にも三人は同意する。ベントラーには不思議な求心力と共に、残酷なほどに拒絶する力があった、二度続けて同じベントラーに触れると、異色のベントラーに対し、異常な、本能的と言ってもいいほどの拒絶する心が生じるのである。
「その一因は"あれ"だろうけどね」
「そうだろうな」
「"あれ"ですね」
幻想郷ではベントラーと共に、仮にUFOと呼ばれている謎の飛行体が姿を見せていた。その正体については全くの不明。ただ一つ分かっている点は、ベントラーに触れ続けた人間にしかその姿を表さないと言うことである。
「"あれ"を壊すと気持ちいいのよね。なんか億万長者になった気分になれるわ」
「そうだな、宝物に埋まったように思えるぜ」
「私はちょっと違うんですよね、なんだか元気が出てきて、弾にぶつかっても平気な気分になれます」
この点にのみ三人の見解は分かれていた。赤と青の違いだろうか。しかし、三人にとって、その謎の飛行体とベントラーに関連があることは疑う余地もなかった。
「だけど早苗も壊したくてしょうがない気分になるんでしょう?」
「はい、"あれ"を見た瞬間に、ベントラー以上に頭がそれ一杯になるんですよね」
早苗は天井を見上げながら、恍惚とした表情すら浮かべつつ、そう呟いた。二人もその感覚については幾度も味わってるだけに、同意をせざるをえない。
「他に例えれば何なんでしょうね?あの感覚って?私は……そうだな、やっぱりお賽銭が入ってたときの感覚?人の温かさと、巫女の存在意義が感じられるしね。それにお賽銭があればこそ、新しいお茶も、お茶菓子も買えるのよ」
魔理沙と早苗はあまりにも惨めなその感想に悲しささえ覚えたが、博麗神社の経営事情を考え、何も言わぬまま、ただ静かに首を縦に振り、そのまま自らの感想を口にした。
「そうだな、新しい魔法を完成させて魔法書に書き込むときの気分かな?魔法も一日で作れるものじゃないんだ、試行錯誤の末にやっとできるんだし、だからこそ完成したときは努力が報われた気分と魔法の素晴らしさにそんな気分を味わえるぜ」
そう話す魔理沙の目はどこまでも真っ直ぐだった。思わず魔理沙は照れくさそうに顔を背ける。早苗も輝いた目で自らの感想を口にする。
「そうですね、素敵な男性に愛の告白をされた時のような気分ですね。残念ながらまだ実体験としてではないのですが、聞く限りそれはもう――そうそう、外の世界にいた時友人にこんな話がありまして――今よく考えれば私にも――」
犬も食わない話を語り続ける早苗の目はどこまでも輝いていた。思わず霊夢と魔理沙は一歩踏み下がる。
「まあ早苗の話は後で聞くとして」
痺れを切らし、そう言った瞬間に霊夢の目は早苗の輝く目と交錯した、それは極小の時間に過ぎなかったが、その瞬間に霊夢は己の過ちを悟った、そして
「今日はベントラーに付いての対策を立てないといけないから無理だけど」
とさりげなく付け加えることを忘れなかった。
「でも、ベントラーのこの我を忘れさせる感覚って何かに似てると思わない?お酒よ」
「そうかもな、私は薬の方が近い気もするけどな、まあ似たような物か」
「どちらも似たような酩酊をもたらすしね、もしかして何かの能力かしら……幻想郷に攻撃をするための……」
そう話した瞬間、確かに霊夢は何かを踏んだ音を感じた、そして時が戻るような違和感を感じる。
「お酒や薬もいいんですが、私はが思うのは恋愛ですかね、この間小説を読んだときの話なんですがそれはもう―」
早苗の話が始まり、霊夢は己の愚かさを後悔し、魔理沙の冷たい視線が黄色い声で埋められた空間に流れていた。霊夢はいたたまれない思いに捕らわれ、逃げるようにお茶を取りに台所へと走る。その刹那、魔理沙の視線は台所へと注がれ、早苗の声だけが空しく部屋に響き渡っていた。
緑茶と白湯の中間のような液体を持って、霊夢は部屋へと帰る、出る前と何も変わらない部屋に。その中で、幻想郷の秩序を守るものとして霊夢は声をあげた。
「早苗の話はこの問題が解決した祝いの席でじっくり聞きましょう、今はそのための対策をたてないと」
そう話した霊夢の視線の端に、魔理沙が親指を立てる姿が見えた。その行動に救いを覚えつつ、霊夢は話を続ける。
「話を元に戻しましょう、私たちはどうすればいいのかしら?」
「おおまかに分ければ二つだろうな。ベントラーを忘れて生きるか、ベントラーに抵抗して生きるか」
「忘れるって言ってもねえ」
「でも昔にもこんな経験なかったかな?私はあるぜ。春雪異変の時とかさ、あの時は結界が私でも簡単に貼れたんだぜ?それが春がきたら貼れなくなってさ」
「そうね、あ、そうだ。早苗がが元気が出る気がするとか言ってたじゃない」
「はい」
「そうよ、私にもあるわ、"1up"って取った札を取ったときとかさ、魔理沙もない?」
「そうだな、たまにあの札落とす妖怪がいるけど、確かに元気が出てくる気がするな、あれなんなんだろう?」
「青い札を集めたときもそうよね」
「赤い札を取ると力が出るぜ、魔法の威力もどんどん上がるんだ」
そんな二人の会話を聞き、早苗は不思議そうな顔をしていた。
「そもそも青い札とか赤い札ってなんですか?」
「あれ?知らないの?」
「すいません、まだ幻想郷については疎いところがありまして、そもそも春雪異変も伝聞でしか知りませんし」
そんな早苗を二人は少しいぶかしげな顔で見る。
「貴方と決闘していたとき落としてたじゃない、覚えてないの?」
「え?ああ、そういえば何か札のようなものが周りに浮いていたような?」
「そうよ、あなたがどこかから出したんじゃないの?」
「いえ、持っていたのはスペルカードだけでしたし、あんなにたくさんの札は持ち歩いてませんよ?」
早苗の答えを聞き、霊夢は魔理沙に尋ねる。
「そういえば魔理沙と決闘したときも落としてたけど、あの札ってどこから出したの」
「ああ……そういえば私もいつのまにか落としてたなあ、負けたと思った瞬間、気がつけば周りに浮いてたんだ」
三人は話すことを止め、少しの間考えにふけっていた。日頃見るものが何かすらわからない、その状況で謎の存在に抵抗できるのか?そんな疑問が頭をよぎる中で。
「そうねえ……そもそもそこから考えた方がいいのかしら」
「確かに色の共通点もあるんだよな、札とベントラーには」
霊夢と魔理沙は日頃札に触れているためか、札との関連を考え込んでいた。それに対して早苗はベントラーについてのみを考え続けている様子だった。
「でも皆さん札に対してそんな目の色を変えて追いかけます?」
そして早苗はそう問いかける、早苗にはその点が札とベントラーの最大の違いだと思えていた。
「う~ん、どうだろう、あれば取りたくなるけど、無理しなくても大概あれは集められるのよね」
「そうだな、札は動き回ったりしないし」
動き回ったりしない、その言葉が早苗には意味を持つように思えた、頭の中でパズルのピースが嵌るように考えがまとまっていく――
「そうですよ!なんでベントラーに心動かされるかわかりました、動いて逃げ回るからですよ!恋愛と同じです、逃げれば逃げるほど追いかけたくなるのが人情なんです、この間見た劇でも――」
早苗が先日見たという悲劇について熱く語るのを右から左へ流しつつも、二人は早苗が話したことの意味を考えていた、逃げるから追う、確かに一理あると思えたからだ。
「ストップよ、早苗、私たちは核心に近づいているのかも知れないわ」
「そうだな、逃げれば追う、打つと動く、確かに真理かも知れないぜ」
ベントラーを追う理由は分かった、しかし……肝心な解決方法に辿り着けない。
「でも、何でここまで追いたくなるのかしら……」
「そうだな、追わなきゃ死ぬわけでもないのに」
「でもどうしても止まらないんですよね」
パブロフの犬のように、もはや無意識の感覚でベントラーを追うこと、それが三人の悩みの種である以上、それが解決出来なければ状況は好転しない、再び三人は頭を抱え、考え込んだ。緑茶1・お湯9の割合で混ぜられたような液体を飲みながら。
しばしの間考え込んだが結論が出ない、文殊の知恵程度では解決しないことに気づき始めていた三人は更なる知恵の必要を感じ、一旦解散することにした。
「流石にもうお茶がお茶と呼べないものになってきたし、今日はここまでにする?」
「そうだな、流石に和食党でもこれはきついぜ」
「そうですね、次までに各自で調べることもありそうですし」
そして各自は各々に課題を課し、次回に備えることとした。
「私は神社に残ってる古文書でも調べてみるわ、倉庫には古い記録も色々あるみたいだしね、調べれば札のこともわかるかもしれないし」
「私は図書館で調べ物でもしてみるかな、パチュリーなら私たちの知らないことをしってそうだし」
「私は何故追いたくなるのかを調べてみます。無意識ってあたりがひっかかりそうですね、こいしさんにでも聞いてみますよ、時折家に参拝にも来ていますし」
それから幾日かが過ぎて、再び三人は博麗神社へと集まった。今回は早苗がお茶とお茶菓子を持参していた。お茶は桐箱に入れられ、菓子は上等な懐紙に包まれており、二つの神社の信仰心と経営状態の違いを表すかのようであった。霊夢はそれを気にする様子は無かったが、どこか元気の無い様子で静かに早苗の入れたお茶をすすっていた。
「どう?みんな調べられた?」
澄んだ水色を称え、ほのかに甘い匂いのするお茶を片手に霊夢は皆に問いかける。しかしその顔色は冴えないように見えた。
「ああ、パチュリーに色々聞いてきたぜ」
魔理沙はそう答え、そして薄い桃色をした落雁を口にする。和三盆の上品な甘みとお茶の繊細な香りに思わず顔がほころぶようだった。それは霊夢とは対照的にも見えた。
「ええ、私もこいしさんに会ってきました、そうですね、無意識については興味深い話が聞けました」
「そうなの?じゃあまずは早苗の話を聞こうかしら」
「霊夢さんはどうなんですか?」
「う~ん、私はどうも思うようにいかなくてね、二人の話を先に聞きたいんだけど」
「そうですか。わかりました、では期待に添えるか分かりませんが――」
そして早苗はいくつかの話を語り出した
「そうですね、まず面白かったのは集合的無意識の話ですね」
「何なの?それ」
「はい、なんでも無意識は大きくわけると個人的無意識と集合的無意識に分かれるそうです」
個人的無意識とは個人によって千差万別だが、集合的無意識は種によって共通のものであるらしい
「例えば青色にどんなイメージを持ちます?」
「そうね……平和とか安らぎとか、そんなイメージかしら?」
「私もそうだな」
「では赤色は?」
「逆に攻撃的なイメージだな」
「そうね」
「はい、私もそう思います、誰に聞いても似たような答えが返ってくると思います。そんな共通の価値観を集合的無意識と呼ぶそうです」
それを思えば三人には腑に落ちる事があった。妖怪と人間、共通することも異なることもあるが、これに関してははっきり分かれていた。妖怪はベントラーには目もくれず、人間は目の色を変えていた。
「何でもそれは遺伝子にプログラミングされてるそうです、無意識の遺伝子とでも呼ぶべきものがあって、先祖の記憶がそこにあるとも言われてるそうです」
「プログラミングに先祖の記憶かあ」
霊夢は思うことがある様子で、ふと、そう口に出したが
「ああ、大丈夫、続けて、私のことは後で話すから」
すぐに打ち消し、早苗は少し気になる様子ながらも話を続けていた。
「はい、さっきの事が無意識で、これを"イド"と呼ぶそうです」
「横文字はわかりにくいわね」
「魔法使いには横文字は欠かせないぜ?」
「巫女には必要ないのよ」
「ええと、それで、無意識の逆は当然意識なんですけど、要は意識に従って人間は動きますよね、それで、意識には二つのものが大きく関わってるそうです。先ほどのイド、これが欲望を司るわけですね。逆に欲望を抑制するものがスーパーエゴと呼ばれるものだそうです」
「なんとなくはわかるわ。好き勝手やってるのがイド、それじゃいけないからって止めるのがスーパーエゴでしょう?」
「私たちはイドの解放をしっぱなしってことか?」
「そうですね、そこでスーパーエゴの出番なんですが、私たちはどうもスーパーエゴが弱いようです」
ため息を付きながら早苗はそう述べた
「死ぬまで借りてるだけとかいいながら、堂々と空き巣するようじゃねえ」
「妖怪を見れば問答無用で退治する癖に、神社の仕事はほったらかしじゃなあ」
己の身を省みることも無く二人は呟く。
「私は思い当たる節がないのですが、実際ベントラーを見るとイドむき出しになりますしね……でもご安心ください、ちゃんと対策もあるそうです」
「気になるわね」
「はい、そもそもスーパーエゴが働くって事は意のままにならないのでストレスが溜まります。そこで防衛機構ってものが働くそうです」
「日本語だとわかりやすくていいわね、ストレスから守るためのものでしょう?」
「そうです、防衛機構には目を反らすことでイドを抑えるというものもあるそうです」
「エネルギーの変換か、魔法にも通じるぜ」
「そこで我々も何かを初めて、ベントラーを忘れた生活を送るのはどうでしょう」
「確かに最近異変もなくて退屈だしね、でも何やるの?またサッカーでもする?」
「悪くないけどな、何か新しいことの方が面白いんじゃないかな?何か早苗はあるのかい?」
そこで早苗は目を輝かせて答えた
「私も色々考えました。そして最適な案を見つけましたよ!恋愛です!恋愛!私たちみたいな若者がこんなのんびりしてちゃ行けないんですよ、外の世界ではそれはもう――」
早苗の言葉に気圧されながら、二人は心底感じていた、こいつに聞いた自分が馬鹿だったと。
「――休み時間には恋バナ、放課後は恋愛相談、修学旅行では教師の目を縫った告白大会!」
「そうね、それは前向きに検討するとして、とりあえず置いておきましょう」
手段はともかく、発想は悪くないとは感じていたが、流石にこの勢いには呆れながら、霊夢は早苗を遮った。
「魔理沙のことも聞きたいし」
「ああ、そうだな、図書館で不思議な本を見つけたんだ」
そういうと、魔理沙は一冊の本を取り出す。古ぼけた児童書のようだった。
「子供向けの本ですか?紅魔館にはこんなものもあるんですね、魔法の本しかないと思ってました」
「そうかもな、児童書かも知れない、だけどグリモワールかも知れない、グリモワールかどうかは書いた本人にしかわからないものが普通だ。グリモワールってのは魔法を解さない人間にはわからないように出来てる。魔法使いにしか読めない文字で書かれてたり」
「でもこれは普通の日本語じゃない?ひらがなが多くて逆に読みにくいけど」
確かに目の前にある本は一見してグリモワールとは思えない、ただの児童書のように見えた。
「そうだな、でも、読みにくい文や関係ない文に魔法のキーワードを埋め込む。これもよく使われる手段なんだ」
「魔理沙には何かわかるの?」
「いや……だけど何か気になるんだ。パチュリーも気になってた、昔パチュリーが庭にミステリーサークルを作ったときがあっただろう?」
「そういえばあったわね」
「私も昔の新聞で読みました。常識外れだなとしか思いませんでしたけど」
「そうさ、常識外れだからこそ、格好の魔法を隠すものになる、パチュリーはこの本をきっかけにミステリーサークルを作ったらしい、かんばしい結果は無かったらしいけどさ、でもまだ引っかかってるらしい。私も何か引っかかるんだ、何かはわからないけど……これを書いた魔法使いは本当に恐ろしい力を持っていたのかもな、書き手より力のない者にはグリモワールは理解できないから」
そう話す魔理沙は、自らの力のなさを歯がゆく感じている様子を浮かべていた、その重い空気の中で早苗は二人に話しかけた
「せっかくですので読んでみませんか。魔法はなくとも何かわかるかもしれません」
「そうね」
二人がそう話すと、魔理沙はゆっくりと目の前の本をめくり始めた――
※
よい子のためのうちゅう人のよびかた
みんな大すきなうちゅう人、ここではとくべつにそのよびかたをおしえるよ。おかあさんたちにはないしょだぞ!
まずはしょしんしゃむけのほうほうをおしえるね。
○ほうほう1
ねこがたロボットならふしぎなどうぐでよんでくれるよ。なかでもおすすめはみちとのそうぐうき。ボタン一つでUFOにのってうちゅう人がきてくれる。かんたんだね!ただしこのどうぐをつかうときはかならずビー玉をよういしておこうね。そうしないと、うちゅうせんそうになっちゃうかもよ。UFOでとんでくるのもおかねがかかるんだ。よい子のみんなはちゃんとおみやげをよういしようね。
このほうほうのもんだいは、ねこがたロボットがひつようってこと、だけどロボットがいなくてもだいじょうぶ、こんなほうほうもあるんだ。
○ほうほう2
かいじゅうにおそわれたら、そらにむかって「ゴッドマーン」ってさけんでみよう。そうすればうちゅう人がそらからたすけに来てくれるよ。
だけど、このゴッドマンっていううちゅう人は、とても大きいからふよういにちかづくとあぶないよ。とくにフレイルをふるったらちゅうい!フレイルからぬけたとげがとんできてあぶないからね。それと、ゴッドマンにはゴッドリセットっていうひっさつわざがあるんだけど、ゴッドリセットをつかうと、じかんのながれがおかしくなることもあるから、ちゅういしよう。とけいもおかしくなっちゃうから、ほしをみただけでせいかくなじかんがわかる子がいるとべんりだよ。
このほうほうならネコがたロボットをもってない子でもだいじょうぶ。だけどかいじゅうがいるときげんていだから気をつけてね。
○ほうほう3
ロボットにもかいじゅうにもあえなくてもだいじょうぶ。きんじょに竹林があるならかがやいている竹をさがしてみよう。中に月からきた女の子が入ってるよ。だけど、この子はいつか月にかえっちゃうからかくごしておこうね。とってもびじんだけど、むちゅうになるとあとでかなしくなるんだ。それと、かがやく竹をみつけたなら、このうちゅう人がいた竹のちかくをあとでさがしてみよう。おうごんが入った竹がたくさんあるからおおがねもちになれるよ。
かがやく竹もみつからない子にはおくの手!つぎのほうほうをためしてみよう!
○ちゅうきゅうしゃむけのおくの手
まずはよびだすうちゅう人をきめようね。ちなみに今いちばんにんきなのは、Nがたうちゅう人。おにんぎょうさんみたいな、こがらなめがねっ子でだいにんきなんだ。おまけに、ふしぎなのうりょくをたくさんもっててべんりだよ。だけどストレスがたまるとたまにおかしくなるからストレスをためさせないようにしようね。とくに八がつにはちゅうい!
うちゅう人をきめたらじゅんびしよう。まずはせかいからせんそうをなくそう。それをおこたると、ちきゅうがせいししちゃうかもしれないよ!つぎに、さいきんのいないきみつしつをよういしよう。うちゅう人は、ちきゅうのさいきんにめんえきをもたないものもおおいからね。せかいがへいわになって、きみつしつもよういできたら、よびだすばしょをきめよう。そこにミステリーサークルってものをつくるんだ。ばしょはお花ばたけがおすすめ。あか色だと見た目がきれいだからよりおすすめだよ。
お花ばたけをみつけたらミステリーサークルをつくろう、色んなかたちがあるけど、こんかいはごぼうせいのかたちにするね。つくるのがかんたんなんだ。それができたらつぎはいけにえをさがそう!ぎしきにはいけにえがひっすだからね。いけにえはようせいがおすすめ。いけにえにしてもすぐによみがえるからあんしんだよ。
ようせいのじゅんびができたら、みんなでそらにむかって「ベントラーベントラースペースピープル」ってとなえてみよう!そしてようせいをささげるんだ。そうするとベントラーっていうものがそらにあらわれるよ。そうしたらそらにとんでみっつあつめるんだ。このときちゅういすることだけど、みっつともおなじ色か、みっつべつべつの色じゃないとだめなんだ。そうしないとぎしきがしっぱいしちゃうからちゅういしようね。うちゅう人は、ぎしきやようしきをとてもだいじにするんだ
ベントラーをあつめたらぎしきのせいこう!UFOにのってうちゅう人があらわれるから、うちゅう人にあいにいこう!うちゅう人は、はずかしがりやですぐににげちゃうから、はやめにつかまえようね。うちおとすのがかくじつだよ。
――三人がその本を読み終えると、三人はしばしの沈黙に包まれた、荒唐無稽な作り話と言っても何も問題はないだろう、子供に夢を与えるために作られた話のように、オーパーツ、怪談、そんな類のように。
しかし、ただの作り話にしては後半の描写に大きな違和感を感じていた。前半はただの荒唐無稽な話にすぎない、しかし、後半の描写は、今の幻想郷でも同じように起きている内容が含まれているようにも思えた。
「ベントラーですか……」
「ああ、そうだな、何故かこのあたりの描写は今を表しているかのようなんだ」
「う~ん、魔理沙にはもう少しわからないかしら、私たちには魔法のことはよく分からないから」
その霊夢の問いを受けて、魔理沙は少し考えた後に呟く
「……そうだな、いや、別にグリモワールに限らないんだけど、暗号を隠す方法だな、よくあるパターンとしては前半に鍵を埋め込んで、後半にそれを使ってあける扉を用意するってのがある、本当に簡単な例を出すとこれかな。例えば一つの文章があって、前半に狸の生態が書かれてるんだ」
そういうと、魔理沙は一つの文章を書いた。「たたあたんたごう」と
「それで後半にこんな文章を用意する、たたあたんたごう、これなら何がいいたいかわかるだろ?」
「前半で狸について書かれている、これが鍵で、鍵は"たを抜け"、後半の文が扉でたを抜いて読む、答えは"あんごう"懐かしいですね、小さい頃にこんなパズルがよくありましたね」
「ああ、これは本当に簡単な例だけど、鍵と扉の考えは暗号の基本でもある、これに乱数表や字の変換なんかを組み合わせて、解かれないような複雑な暗号にするんだ」
魔理沙は話し続けるが霊夢の様子は相変わらずどこかおかしく見えた、心ここにあらずにも見える。
「暗号に鍵か……」
「どうしたんだ、霊夢。さっきからどうも顔が浮かないぜ。早苗の話の時もそうだったけど。悪い物でも食べたのか?」
「ああ、気にしないで、この文も前半が鍵で、後半が鍵を使って解く暗号になっているって事?」
「う~ん、そうだな……正直それが正しいかはわからない、ただ、一般的パターンとしては多いな、もちろんそれをひっかけにしたのも無数にあるけどさ」
「鍵と扉の暗号ですか……宝を隠すようにも思えますね」
「ああ、勿論その可能性もある、どうもこの本は普通の人間に向けたとは思えない所もあるんだよな、空を飛ぶとか、妖精を生け贄に……生け贄ってのは物騒な描写だが、つまり妖精退治か、UFOを打ち落とすなんかもそうだな、私たちには出来ても、普通の人間の子供にはできないだろう?」
「確かにそうですね、私たちには違和感ありませんけど、普通は違いますよね」
「ああ、だけど、これは何かの問いを表しているとしても、答えがどうしても出てこないんだ……多分言葉をそのまま受け取るんじゃないだろうけど……」
魔理沙も、三人も再び考え込む、しかし皆答えは出てこないようだ。そこで霊夢が口を開けた。
「謎もいいけどさ、結局霊夢の話はどうなんだ?何か見つかったのかい?」
「あると言えばあるんだけど……」
「それじゃ教えてくれよ、謎解きばっかじゃ疲れるぜ」
そう魔理沙は話すが、霊夢は答えるまで少しの間を空け、魔理沙に答えた。
「ええ、そうなんだけど、あまりにも不思議な内容なのよね……だから言うべきかちょっと迷ってたんだけど」
「どんな内容だよ?」
霊夢はまた少しの間を開けると、こう答えた。
「簡単に言えば幻想郷の創世記かしら……」
「そんなのは別に珍しくもないでしょう?宗教があれば必ずあるものじゃないですか。家にもありますよ?幻想郷と、あと外の世界の創世記がありましたね」
「ああ、阿求の本にも何か載ってたな、ええと、なんだっけ?龍神様が作ったんだっけか?幻想郷って」
「そうなんだけど、う~ん、そうね、創世記とは違うわ。造物主の日記、そう、日記だわ、ええと、いいわ、ちょっと持ってくるから」
そして、霊夢は倉に向かうと、そこから一冊の古ぼけた箱を持ち、そこから本を取り出した。
「ずいぶん古い本だなあ、いかにも古文書って感じだぜ」
「まあうちも随分歴史あるからね、あれこれ古い記録もあるのよ、他にも色々あったんだけど、これが不思議な内容で気になったのよね……
「それでどんな内容なんですか?」
「ええとね、箱にご先祖様が書いたらしい解説が付いてたんだけど、要は幻想郷を作った神様の日記みたい。龍神様じゃなくて、署名を見る限りshanghai_aliceって人?というか神かしら、の日記らしいんだけど……」
「日記ってのは珍しいな、創世記とか、教えの書とかああいうのは大概どっかの預言者が聞いたとか、そんな伝聞系の形式だろ?」
「そうですね、家にあったのもそうです、幻想郷もそうですし、外の世界もそうですね、ええと……そう、太安万侶とかいう人が古い伝承をまとめたって本でした」
「それはそうだな、創世記にしても、神様が人間を作ったなら、その前に人間はいないんだから、人間には世界が作られた過程なんかは書きようがないぜ」
「そうね、話してても、らちが開かないし、とりあえず読んでみる?」
「ああ、そうするぜ、暗号は一人でじっくり解くものだな」
「そうですね、私はその前にお茶を入れて来ます」
まだ一度しか出していない葉を躊躇いもなく早苗は変えるとお茶を入れ、部屋へと戻ってきた。
「どうぞ。みなさん、それと、羊羹も持参してましたので皆さん宜しければ」
早苗がお茶と共に差し出した羊羹は、玉と蝋石の雑種のような美しい蒼色をしていた。かつての文豪が青磁の中から生まれたようと評したような美しさ。博麗神社御用達の、一個50円のミニ羊羹とは異なる端正な美しさ。
「ありがとう、それじゃ読んでみましょうか……本当に変な内容だからね、驚かないでよ?」
そして霊夢は一冊の、博麗幻想書譜と表紙に書かれた本を開いた、神が書いたとは思えぬ奇妙な内容は、他の創世記と比べればあたかも早苗の羊羹とミニ羊羹のようなのような対比を見せている。
「なになに……なんだこりゃ、酒の話しか書いてないじゃないか」
「でもたまに酒以外の話題もありますよ。ええと、夏コミに向け作業中。夏コミって何かしら?」
「あ、ここにもあったぜ。なに、東方地霊殿がマスターアップ?東方地霊殿ってなんだ?」
二人が笑いながらその奇妙な本を見るのを霊夢は静かに見つめる。
「あれ?どうしたんだよ、霊夢。でも確かにおかしな本だな、これは」
「でも神様って感じはあまりしませんね」
二人が話すのを横目に、霊夢は無言のまま一つのページを開いた。
「なんか面白いことでもあるのかい」
「なんでしょうかね」
そう話した二人は、そのページを見た瞬間に沈黙に包まれた、そのページには一つの円盤の絵が描かれていた。その中で霊夢は沈黙を破り、一つの問いかけをする。
「この円盤に書かれているのって誰に見える?」
「……どうみても穣子だよな?」
「……そうですね……どうして造物主が書いた本に書かれているのでしょう?いくら神様とはいっても」
「あいつも神様ってことは長生きしているんじゃないかな?そうだろ……きっと。ここまで長生きしているとは思わなかったけどな」
続いて再びページをめくると、そこにはまたいくつかの絵が描かれていた、霊夢としか思えない者が船に載っている絵、UFOやベントラーが描かれた絵がなどあった。
「じゃあこれは?」
「……これはどうみても霊夢だよな」
「……はい、これはベントラー、あっちはUFO……どうしてこんな大昔の本に、これ本物なんですよね!?最近作られた偽書じゃなくて!?」
「偽書か否かはわからないけど、少なくとも私が生まれる前から有った物のはずよ、多分この神社と同じくらいの歴史があるわ。昨日今日に作られた物ではないのは確実ね」
その本の経年劣化の後は確かに果てしない時代を感じさせるものだった。霊夢は今度は間髪おかずに次のページを開く。
「……最後にここを見てくれるかしら?」
そのページには最も三人を驚愕させる事実が書かれていた、そのページには、「東方星蓮船」という謎の物語のストーリーと共に霊夢、魔理沙、早苗。三人の名が書かれていた。
「どういうことなんだ?」
「私たちが生まれることも遙かな昔に決められていたのでしょうか……」
「どう思う、これ?」
「ぶっちゃけていいか?私たちは知っちゃいけない世界を知った気がするぜ……」
「……そうですね。あまりも不思議で理解を超えてます……神奈子様や諏訪子様にはわかるのでしょうか……」
「こと幻想郷についてだと難しいかもね。正直に言って幻想郷に私より詳しいとは思えないし」
そして、二人の不安そうな顔を見ながら霊夢は続けて話す。
「ねえ、早苗が無意識の遺伝子の話をしたじゃない」
「ええ」
「もしかしたら幻想郷全部が、何か、そんなプログラミングをされてるのかもね」
魔理沙も霊夢に続いて、ふと思いついたことを話す。
「もしかしたらあの暗号にはこの答えもあるのかもな。宇宙人を呼ぶか、何か遠い世界と通信するような感じがするな。この本も遠い過去かどっかの話なのに今の私たちを知ってるんだよな、まるで誰かが通信して教えているかのように」
「仮定でしかないけど、可能性はあり得るわよね。魔理沙の本にも、この日記にもベントラーがあるし、今まで聞いたこともなかったキーワードが同時にあるってのもねえ」
その後も三人は仮定を積み重ねるが結論は出ない、結局は今日も謎が深まっただけであった。触れることが禁忌とも思える謎が。
「この日記はこれでおしまいなのか?」
「ええ、一応はね、だけど、不思議なのよ、私が最後に読んだ時からページが増えてるの」
「見間違いじゃないのか?」
「だといいんだけど……でもそうは思えないの」
霊夢はその日記の最後のページを開く、そこには「東方星蓮船体験版公開しました」などと書かれている。
「そもそも東方星蓮船ってなんなんでしょう?」
「わからないわ、だけど、私たちの名前が出てくるのよね」
「だけどこんな体験したことないぜ?」
「私もよ、でもこの風景はどう見ても幻想郷で、おまけにベントラーが書かれてる」
「ごく最近の出来事なんでしょうか……」
三人は皆一つの可能性に気づいていた。だが、それを口に出すことは躊躇われた。上等なはずのお茶も完全に冷めた頃、ついに早苗が口を開いた。
「これ……もしかして予言書なんじゃ……」
「私も思ってたわ……」
「これからこんな出来事が起こるのか?空に宝船があらわれてどうたらこうたらって」
そしてその想像が最も恐ろしい物のように思えた。
「もしそうなったらどうする?」
霊夢はそういうが、誰も答えを返すことはできない、問いかけた霊夢自身も。
「なあ、ベントラーくらいならまだいいかも知れないけど、これはもう――」
「忘れたほうがいいんじゃないでしょうか」
「そうよね……確かに不思議な能力は色々あるけど、未来がわかるってのは聞いたこともないし、何より恐ろしいわ、不幸を予言された日にはねえ……」
「ああ、考えたくもないぜ、触らぬ神に祟り無しってこういうことなんだろうな」
三人は相談をした結果、紫に記憶の境界を操って貰う、という結論に達した。後日、霊夢はこの日記を厳重に封印すると紫を呼び出した。その話を聞くと二つ返事で承諾し、三人の記憶の境界を操ることとした。境界を操る直前、三人は紫から一つの奇妙なもの見せられた、それには「東方星蓮船 マニュアル」と書かれていて、そして紫の口からこの日記とベントラーの正体について教えを受けたが……既に境界を操られた今、その正体を知るのは紫だけであった。紫は口を重く閉ざし、二度と語ることはない。幻想郷の中にいる限り永遠の謎となるだろう。答えを知るのはただ一人、外の世界を知る紫だけ。
それから幾日か過ぎて……博麗神社には再び三人が顔を揃えていた。
三人は空飛ぶ船の話をしていた。かつて、どこかで、とある日記に書かれていたように、そして三人は各々の思いをもって空へ飛び立つ、相変わらずベントラーは空を漂っていた。ある時はベントラーを捉え、ある時はベントラーをかわし、ある時はベントラーに翻弄され、ある時はベントラーに助けられ……彼女たちは船へと降りたつ――だけどそれはまた別のお話。
普通何も考えずに流すシステムのことでよくここまで作れたなと思います。