あと一刻もすればお昼にちょうどよい時間、幻想郷の賢者、八雲紫は珍しく起床していた。
「あ~~つ~~い~~」
雲一つない快晴。これで爽やかなら気分よく寝られるんでしょうけど。昨日の雨のせいで台無しね。
湿気がまとわりついてぐっすり寝られないじゃない。
ミィィン!! ミンミンミンミン!!
「……」
ミィィン!! ミンミンミンミン!!
「蝉の分際でうるさいわね! お中元として霊夢の家に送りつけるわよ!」
ピタッ、と蝉の声が止む。ふふん、虫でも自分の命は大切みたいね。
「騒がないでくださいよ。暑いと言ったら余計に暑くなりますし」
「さ~む~い~……。全然涼しくならないわよ」
「……馬鹿ですか、あなたは」
「藍は冷たいわねぇ。羨ましいわ」
「私も暑いですよ……」
確かに藍の尻尾は暑苦しいわよね。
「季節の境界を弄ってずっと冬にしようかしら」
「それだと紫様はずっと寝てますよね」
「私は永遠の眠りにつく。だが忘れるな、私が本気を出せば明日からでも復活できる」
「ラスボスっぽいセリフですけど、実際はただのぐーたら大王じゃないですか……」
「ぐーたらでもいいじゃない。ゆかりんだもの。みつを」
「みつをって付ければ何でも許されるわけじゃないですよ!」
「暑いから 早く何とか してよ藍 みつを」
「みつをさんは俳人じゃないでしょうに」
「ちっ、みつをも使えない奴ね」
「あやまれ! みつをさんにあやまれ!! まったく仕方ないですね」
そう言って藍が私の前に扇風機を置く。
はぁ、藍も使えないわね。扇風機を付けたって温い風しかこないじゃない。
こんな真夏日にはあれを使うに限る。
「ら~ん。クーラーつけましょうー」
「何言ってるんですか、まだ七月ですよ。こんなことでは八月は耐えきれません」
「去年も同じこと言ってたじゃない。そして八月になったら、七月も耐えられたからあと少しの辛抱です、とか言うんでしょ」
「うっ……それは否定できませんが」
「そんなんだから藍はラスボスまでエリクサーを残しちゃうのよ! 道具は使ってなんぼよ!」
「説得力あるんだかないんだか……。とりあえずこれで我慢してください」
「やだやだぁ~。ゆかりんがまんきら~い」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね。あと自分でゆかりんとかキモい」
ちっ。忠誠心のかけらもないわね。何か細工したみたいだけど所詮扇風機。たかが知れてるじゃない――。
「って涼しい!?」
「八雲紫の式たるもの……これくらいできなくてどうしますか」
扇風機には水で濡らしたタオルがかかっている。
これが涼しさの正体ね。
「エリクサーは必要ないのですよ。ポーションとエーテルを調合すればエクスポーションになるように工夫次第で――」
「あはぁぁん……。気持ちいぃのぉおおお!」
「って何変な喘ぎ声を出してるんですか!? スカートの中に扇風機を突っ込まないでください!?」
「え~、でもこれ気持ちいいのよ。スカートから入った風が身体中を駆け巡る。この快感は一度やったら病み付きよ!」
「乙女はそんなことしませんよ!」
「あら? 藍も私を年寄り呼ばわりするのかしら」
「えー……乙女じゃないもダメなんですか。禁止ワード多すぎですよ」
私の辞書には年齢に関するあらゆる語句が載っていないわよ。
「それにしてもどうして私は年寄り呼ばわりされるのかしら。ねぇ藍?」
「え、いきなり私に振られても」
「お~し~え~て~おじい藍~♪」
「アルムのモミの木にでも聞けよっ!」
「主が困ってたら助けるのが式の役目でしょ。どこかの黒執事ならコンマ一秒以内にパーフェクトな解答ができるわよ」
「どこかのって、まんまタイトルじゃないですか……そうですね。では整理して考えましょう」
「うん。期待してるわ」
「まず紫様は実際にかなりの高齢です」
「……」
「に、睨まないでください! 事実は変えられません!」
「そ、そうね続けて」
落ち着け私。藍は私が選んだ式だ。いつもは主に対してそっけないけど、きっといい解答を示すはず。
「次にかれ――」
ドスッ。
畳に道路標識が突き刺さる。
危険な言葉が聞こえた気がしたけど、気のせいよね藍?
「……カレーを作るのがお上手です。これは家庭的という反面、一定以上の年齢に見られるデメリットがあります」
「それじゃ、料理作るのやめようかしら」
「今もほとんど作ってないじゃないですか……」
「何か言ったかしら」
「いえ何も。そうですね他にあるとすれば宴会の異変ときでは」
「萃香の起こした異変ね」
「あのときの服装はババ」
ドスンッ。
藍の手前に墓石が落ちる。
「ババ?」
「ババ……ババ……」
「……どうしたの、ら~ん?」
まさか、あの封印されし禁止ワード。古の彼方私が記憶の奥底に封じたスーパーウルトラアルティメット禁句を言う気じゃないわよね。
「ババ……ババ……アババババババババっていったぁぁい!」
「はい、時間切れ」
「金ダライとか痛いじゃないですか……私は身体を張ったギャグでしか笑いを取れない芸人じゃありません」
「そうね。藍なら身体を見せて失笑を買うほうよね」
「私=全裸ネタみたいにするのはやめてください! 正確には私≒全裸です」
「まったく嘘でも『紫様は若くてキレイで若くてステキなお姉さん』くらい言いなさい」
「若いって二回言った。若いって二回言った。っていうか嘘でよかったんですか……」
「それが主従関係というものよ」
「しかし確かに疑問ではありますね。数百才を超えてる妖怪は紫様だけではないですよね」
「確かにそうね」
「永遠亭の薬師も千はゆうに超えていますよね」
「薬……はっ! ……いいところに気がついたわね」
「そうか……! 永遠亭の薬なら紫様の加齢臭が消せるかもしれない……。これで外の世界からファブリーズを仕入れる必要がなくなりますね!」
ふうん。それはよかったわね。
「いやーあれの消費量はとんでもなかったですからね!」
「藍?」
「体臭王者ゆかりん! ははははは! ……はは……は……みつを」
「諏訪湖で頭冷やして来なさい!」
直後に現れた巨大なスキマに藍が吸い込まれる。
「しまったあああ! つい本音があああ!」
最後に更に失礼な言葉が聞こえた気がするが空耳だろう。
「ふう、とりあえず行き先は決まったわね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ちょろいわね」
ここ永遠亭は天狗の住む妖怪の山と並んで、組織だったまともな警備をしている場所だろう。
事実、警備のウサギが数多く配備されているし、侵入者検知用の術式や見慣れない機械も設置されている。
そんな警備を難なくすり抜けて、永遠亭内部に潜入していた。
「年増女め……今日こそ化けの皮を剥いでやるわ」
といっても、そもそも年増は二十歳前後を指す言葉だが。
まあこの場合はおばさんという意味で使われているのだろう。
しかし年増であってもババアとは呼ばれない。それは何故か。永琳にあって私にないもの――。
「それは薬の知識よね。やっぱり」
私だって「ピー」年生きてきた。薬の知識は並みのものではない。だが永琳の知識はそれを上回る。
「その永琳が作った薬に何か秘密があるに違いないわ」
以前ここにやってきたときに調べたが、ほとんどの薬は診察室か研究室にある。ならば調べる場所は永琳の部屋。
「永琳の気配は……」
いた。近くには月のうさぎの気配もある。
「師匠~。そろそろ診察の時間ですよ~」
「はいはい、ちょっと待ってね」
そう言って永琳は机の上にあった小瓶を開け、薬を飲み干した。
「おはようございます。今日も予約でいっぱいですよ」
「やれやれね。あの日以来本当に交流が増えたわね」
「大変ですけど私は楽しいですよ。師匠はいやですか?」
「そんなことはないわ。姫様も以前に比べて随分変わられたし……隙あり!」
「ひゃんっ。突然耳を掴まないでくださいよぉ」
「よいではないか。よいではないか」
な、何よあいつら、見せつけてくれちゃって。ちょっと羨ましいわね。
で、でも別に藍とああいう事したいわけじゃないんだからね。
「あぅう~。耳は敏感なんですよ。それならこっちもっ」
「ちょっ、ちょっと鈴仙!? どこ触ってるのよ」
「師匠も可愛い声出せるんですね。ん~……やっぱり大きいなぁ」
ふう……。ようやく行ったか……。
音もなく永琳の部屋に忍び込む。
こういうのは私の専売特許よね。
怪しげな実験機材や薬が散乱しているような光景を想像していたけど、意外にさっぱりしてるのね。
箪笥に座敷机、押入れの中も物色したが布団が丁寧にたたまれているのみだ。
しかし異質なものが一つある。机の上に並んだ小瓶。小瓶の中で光り輝く緑の液体。一本だけ中身がない。恐らくついさっき飲み干したのだろう。
やはり永琳はここでは薬の管理をしていないようだ。ならこの薬は何。
そうこれは永琳自身が服用している薬。
つまり――。
「いざ、若さをこの手に! もうババアなんて言わせないわ!」
小瓶を開け中身を一気に飲み干す。
「さぁどうなるの! 月の秘薬だもの、すぐに効果が現れてもおかしくはないわ!」
ぎゅるるるぅぅぅううう。
……確かに一瞬で効果がでた。しかもかなり強力だ。
「ま、まさかこれ……」
額に脂汗が浮かぶ。
何て強力な薬なの……。
「お、おのれ、やごころぉぉおお」
後で壮絶な便秘だと言い触らしてやる。しかし今は……
「トイレええええええ!」
永遠亭中を全力で駆け巡る。
「トイレ! 厠! この際洋式でも和式でも陸上式でも構わないわ!」
どうしてないのよ! こんなに広い屋敷ならトイレの十や二十あるべきでしょ!
待て、冷静になって考えてみよう。仮にトイレが見つかったとしても、この腹痛から考えてトイレを占拠する時間は五分や十分ではすまないだろう。他人の家のトイレを無許可で借りているところを見つかったら――。
外出先で頻繁に用を足す……まさにお年寄り!
「それだけは何としても避けないと……!」
別に永遠亭でトイレを探す必要なんてないじゃない。急激な腹痛で判断力が落ちていたわね。
そう誰にも邪魔されない場所……。
「スキマオープン! 安息の地まで一直線よ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はあっ……はあっ……」
勝手知ったる我が家だ。コンマ一秒の無駄もなくトイレに向かう。
行く手にはWCの文字。
見えた! 私の安息の地!
スカートを脱ぎ捨てドアノブに手をかける。
さすが私、動きに無駄がないわ!
ドアノブにかけた手を捻――。
ガッ。
「なっ開かない!?」
素早くノックというより、ドアを殴りつける。
「誰よ! 私の神聖な家を占拠してるのわ!」
「はいってま~す」
……これは私の式の声。
「はいってま~す。じゃないわよ!」
「どうなされたのですか?」
「察しなさい! 緊急事態よ!」
「ふふ、しかし私も緊急事態でしてね。さきほど湖に落とされて、お腹を下したようです……」
まさか藍――。
「たとえ主の非常時だろうと譲れないものがあります!」
「くっ、言うじゃないの。覚悟はできているのでしょうね」
「何の覚悟でしょうか?」
「お勤め中に、トイレから引きずりだされる覚悟よ! 飛行虫ネスト!」
無数の光弾がトイレのドアにぶち当たる。
飛行虫ネスト、消耗が少ない割りに貫通力に優れるスペル。
狙いが甘いから、家が多少崩れてしまうけど……。まあこの際仕方ないわ。藍が悪いんだから後で直させましょう。
「残念だったわね藍。さあおとなしく……!?」
そこには先ほどまでと変わらないトイレのドアが立ちふさがっていた。
「馬鹿なっ!」
「意外と簡単なんですねこれ」
四重結界……やってくれるじゃない。
「ふふふ」
「何かおかしいですか」
「それを誰の術だと思っているの」
「紫様です」
「そう、自分の術が破れないと思って!」
「!?」
藍が動揺した。
「波と粒の境界!」
放たれた弾幕が周囲を薙ぎ払う。
もう家の事など知ったことか。一刻も早くトイレに行かなければ身の破滅だ。
次々に際限さく放たれる粒弾がまさに波のようになってトイレに殺到する。
まだ破れないの!? 藍を押しきれないなんて!
「どうやらこちらに分があるようですね」
「まさか……藍に力負けしているというの!?」
「まだ気付きませんか?」
「はっ!?」
自分は全力を出せていない。しかし藍は――
「おわかりになったようですね」
「ふふ、そういうことね」
「私はまさに排水の陣。力んでちょっと出ちゃっても問題ありません!」
「それに対して、私は後がない……」
「紫様、諦めが悪いのはみっともないですよ」
あまり私を舐めないほうがいい――。
「もう打つ手はないでしょう?」
「いいえ肛門の境界を弄るわ!」
「……うわぁ。エンガチョ」
「私の能力的な意味よ!」
「やめてーーー! ゆかり菌がうつるーーー!」
よしわかった。そんなに三途の川を渡りたいか。
三倍境界操作ぁぁああ!
「ふぉぉおお……」
さすが三倍、締まりは抜群。腹痛は更に増したがこれで全力がだせる。
「後悔するがいい! 紫奥義『弾幕結界!』」
さぁ、覚悟なさい藍。トイレの恨みは怖いわよ。
既に家がめちゃくちゃで、お天道様が覗いているが気にしない。全部藍が悪い。
「っつう……結界が持たないのか!?」
「本当に腹痛は地獄だぜ! フゥハハハーハァー!」
甘かったわね藍。結界を展開している間は攻撃はできない。守りに回った時点であなたの負けよ!
「紫様……」
「なあに? 命乞いなら今の内よ」
もっとも何を言われてももう許さないけどね。
「藍は紫様のカレーが食べたいです」
何よ。本当に命乞い? あまり私を失望させないでくれるかしら。しかし、カレーとはね。もしこの戦いが終わって藍が生きていたら作ってあげてもいいかもしれない。
たまには主の威厳も見せないとね。
え~とカレーはどうやって作るのだったかしら。まぁルーでいいわよね。湯だった鍋の中にカレールーをボトボトと――。
「うっ……うぉぉおお!?」
「ふふふ、紫様こういう攻撃もあるのですよ」
ぐぅう小癪な……。精神攻撃か。思わずリアルに想像したカレールーが○○○に見えた。
「降参するなら今の内ですよ」
まだだ私はまだやれる!
「ここが踏ん張り所ですよ紫様!」
言われるまでもない! ここで踏ん張らなくて――。って踏ん張る?
「あぁぁあああ! 踏ん張ったら駄目じゃない!」
もう弾幕結界の力がかなり衰えている。四重結界に対して、ほとんど有効打になっていない。
「おのれ! 式の分際でぇぇえええ!」
しかしこのままではまずい。長引けばどう考えてもこちらが不利……。
いや、今私は何て言った?
そうだあの手があった。焦っていてすっかり忘れていた。
初めから弾幕は必要ないじゃない――。
「まだまだ甘いわね藍……私の勝ちよ」
「?」
「八雲紫が命じる……。式神八雲藍いますぐそこからでてきなさい!」
式に対して行使する絶対命令。式である限りこれに逆らうことはできない。
「ふう、久しく使ってなかったから忘れてたわ」
藍は行為の最中でも出てこなければならない。悪いわね。でも私に逆らった罰よ。
「……?」
おかしい。すぐに出てくるはずなのだ。こんなに時間がかかるはずがない。
「くくく」
「ら、藍?」
「最高ですよ紫様。『八雲紫が命じる……。式神八雲藍いますぐそこからでてきなさい』ですって」
ぐ、こいつ……むかつくわね。しかし何故――。
「お忘れですか? 私が何故お腹を壊したか」
それは私が湖に突き落としたからで……湖?
「はっ!?」
「気付いたようですね」
「馬鹿なっ! ありえない! あなたの式が外れるなんて!」
「私も驚きましたよ。さすが諏訪湖には神通力があるようですね」
くっ! なんてことなの!
絶望と共にに便意が襲う。張りつめた糸。その最後の一本がいままさに切れようとしている。
この私がトイレを前にして膝を折ることになるとは……。
そういえばスカート脱いだままだったわ。着用して少しは威厳を取り戻さないと。
「覚悟はありますか。幻想郷の賢者たる紫様がトイレを前にして漏らす。その史上最大の醜聞に耐える覚悟が」
「お願い藍……私もう本当にだめなの……」
精一杯の猫なで声を出す。何だかんだいっても真面目な藍だ。きっとわかってくれるはず。
「紫様……」
お願いよ藍。
「だが断る」
「……」
「……」
「下手にでればつけあがりやがってぇえええ! 藍なんて狐に戻れば野でも山でも人里でも問題ないでしょうがあああ!」
「紫様こそ! 老人が外出先で漏らすなんて珍しくないでしょう!」
おのれぇえええ……藍はどうあってもここを譲る気はないのね。
もう自宅のトイレは無理か……。
「藍! 覚えておきなさい! たとえ私を倒しても、第二第三の私がここに現れるわ!」
「いやですよ! そんなトイレ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最後の力を振り絞ったけど……。目的地である香霖堂から大分逸れたわね。
つまりそれだけ自分の集中力が落ちているということ。
見渡す限り、木ばっかり。怪しげなキノコや植物も群生している。
魔法の森の奥地かしら。
腹痛は次第に増していっている。先ほどの戦いで事態は更に深刻になった。
「そろそろ限界か……私も落ちぶれたものね……」
いよいよ、最終手段。青空トイレが現実味を帯びてきたかしら……。
「紫? どうしたんだ気分が悪そうだが」
「り、霖之助!」
どうしてこの男がこんなところに!? 香霖堂は森の入り口付近のはず。
いやそんなことはどうでもいい。今はなりふり構っていられない。
「トイレを貸してほしいの! 香霖堂まであとどのくらい!?」
「あいにくだが……香霖堂はこの前紫に助けてもらったときになくなってしまったんだ」
「あ……あぁ……」
何てことなの……。私がいったい何をしたって言うの?
恥を偲んでここまで来たのに。
しかもこの男がいる以上、青空トイレは利用できない。まさかこの男の前で漏らすわけにもいかない。
「そ、そんな悲壮な顔、君らしくないぞ。トイレならアリスの家で借りればいい。僕は今アリスの家に厄介になっているんだ。幸いアリスは外出中でしばらく帰らないし」
天はまだ私を見放していなかった。ありがとう神様。立川で遊んでいるだけじゃなかったのね。
「案内してちょうだい」
「ああ、任せてくれ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう随分歩いた。だが未だに目的地に着かない。
歩くのがこんなに辛いとは思わなかった。能力に頼りすぎた罰かもね……。
腹部には相変わらず、ナイフで引き裂かれたような痛みが走っている。
しかしその痛みはどこか遠かった。ほとんど意識を失いかけているからだろう。
霖之助の誘導がなければまともに歩くこともできない。
苦しい……痛い……。自分のあらゆる感覚が鈍くなっていく。
森の土を踏みしめる感触がない。木々の香りが感じられない。前を行く霖之助の姿が見えない。何やら話しかけてくる彼の声が聞こえない。
藍……橙……最後まで不甲斐ない主でごめんなさい……。あなたたちには何にもしてあげられなかった。
そっけない態度を取ったり、からかったり、辛くあたったりしてごめんなさい。
でも私……あなたたちのこと、愛して――。
「着いたよ」
霖之助の足が止まっている。
急に視界が開け、五感がクリアになっていく。
暖かい雫が頬を伝うのが感じられる。
あれ、私泣いてるの……。
「ここが……ここが夢にまで見た理想郷……」
「いやアリスの家だが」
この際家の名前はどうどもいい。
そうかつて偉い人は言った。何故トイレに駆け込むのか――。
「そこに便器があるからよ!」
見える! 私にも見えるぞ! トイレの位置が!
ここに来て腹部の痛みはピーク、しかし既に脱衣は完了している!
このまま服を抱え、後はダイブするだけ!
見えた! ドアノブ、今度は大丈夫わよね!
難なく扉が開く。
今こそ我が力を解放するとき――。
「ふぉおおおおおお!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジャーーー。
水が流れる音が心地よい。
買った。私は勝ったのだ。
「ふぅぅ……」
「落ち着いたかい?」
「おかげさまでね。助かったわ」
「それはよかった。これを飲むといい」
「あら、気が利くじゃない」
勝利のあとの一杯の緑茶。これほど素晴らしいものはない。
「紫、その言いにくいんだが」
「どうしたの?」
「これを……外の世界の道具で最近拾ったものだ」
これは――。
「安心のための保険だと思えないかな」
「……」
「あぁ。もしかして見たことがなかったか。これの名前は紙オムツと言って、外出先で漏らしても――」
「私を年寄り扱いするなぁぁああ!」
おしまい
まだ霖之助はアリスの家に住んでるんですね・・・二人の暮らし振りをもっと詳しく知りたいです。もちろん桃色多目で!!
前作から読んでくださる方がいてびっくりっ。ありがとうございます。
そうなんです。まだ住んでいるのです。次回は二人の話になると思います~。
最初はもっと抑えた感じだったのですが、香ばしさが溢れ出てしまったようです。
お部屋の脱臭と手洗いはしっかりしてくださいっ。
それにしても霖之助のキャラが立ちすぎてて怖いですw
一つの作品としては面白いと思います。
ですが、個人的に好む作品傾向と、メインとなる登場人物――八雲紫――への思い入れを差し引いて、この点数で。
我侭で、どうもすいません。
それはさておき、このノリ本当に好きです! みにくくも可愛い争いを繰り広げる主従が痛快です!w